<?xml version="1.0"?>
<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom" xml:lang="en">
	<id>https://bou.de/u/index.php?action=history&amp;feed=atom&amp;title=Lu_Xun_Complete_Works%2Fja%2FZhun_fengyuetan</id>
	<title>Lu Xun Complete Works/ja/Zhun fengyuetan - Revision history</title>
	<link rel="self" type="application/atom+xml" href="https://bou.de/u/index.php?action=history&amp;feed=atom&amp;title=Lu_Xun_Complete_Works%2Fja%2FZhun_fengyuetan"/>
	<link rel="alternate" type="text/html" href="https://bou.de/u/index.php?title=Lu_Xun_Complete_Works/ja/Zhun_fengyuetan&amp;action=history"/>
	<updated>2026-05-19T10:03:09Z</updated>
	<subtitle>Revision history for this page on the wiki</subtitle>
	<generator>MediaWiki 1.35.14</generator>
	<entry>
		<id>https://bou.de/u/index.php?title=Lu_Xun_Complete_Works/ja/Zhun_fengyuetan&amp;diff=177159&amp;oldid=prev</id>
		<title>Admin: Lu Xun JA translation page</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://bou.de/u/index.php?title=Lu_Xun_Complete_Works/ja/Zhun_fengyuetan&amp;diff=177159&amp;oldid=prev"/>
		<updated>2026-04-26T12:00:43Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Lu Xun JA translation page&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;New page&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;&amp;lt;div style=&amp;quot;background-color: #003399; color: white; padding: 12px 15px; margin: 0 0 20px 0; border-radius: 4px; font-size: 1.1em;&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;span style=&amp;quot;font-weight: bold;&amp;quot;&amp;gt;言語:&amp;lt;/span&amp;gt; [[Lu_Xun_Complete_Works/zh/Zhun_fengyuetan|&amp;lt;span style=&amp;quot;color: #FFD700;&amp;quot;&amp;gt;ZH&amp;lt;/span&amp;gt;]] &amp;amp;middot; [[Lu_Xun_Complete_Works/en/Zhun_fengyuetan|&amp;lt;span style=&amp;quot;color: #FFD700;&amp;quot;&amp;gt;EN&amp;lt;/span&amp;gt;]] &amp;amp;middot; [[Lu_Xun_Complete_Works/de/Zhun_fengyuetan|&amp;lt;span style=&amp;quot;color: #FFD700;&amp;quot;&amp;gt;DE&amp;lt;/span&amp;gt;]] &amp;amp;middot; [[Lu_Xun_Complete_Works/fr/Zhun_fengyuetan|&amp;lt;span style=&amp;quot;color: #FFD700;&amp;quot;&amp;gt;FR&amp;lt;/span&amp;gt;]] &amp;amp;middot; [[Lu_Xun_Complete_Works/es/Zhun_fengyuetan|&amp;lt;span style=&amp;quot;color: #FFD700;&amp;quot;&amp;gt;ES&amp;lt;/span&amp;gt;]] &amp;amp;middot; [[Lu_Xun_Complete_Works/it/Zhun_fengyuetan|&amp;lt;span style=&amp;quot;color: #FFD700;&amp;quot;&amp;gt;IT&amp;lt;/span&amp;gt;]] &amp;amp;middot; [[Lu_Xun_Complete_Works/ru/Zhun_fengyuetan|&amp;lt;span style=&amp;quot;color: #FFD700;&amp;quot;&amp;gt;RU&amp;lt;/span&amp;gt;]] &amp;amp;middot; [[Lu_Xun_Complete_Works/ar/Zhun_fengyuetan|&amp;lt;span style=&amp;quot;color: #FFD700;&amp;quot;&amp;gt;AR&amp;lt;/span&amp;gt;]] &amp;amp;middot; [[Lu_Xun_Complete_Works/hi/Zhun_fengyuetan|&amp;lt;span style=&amp;quot;color: #FFD700;&amp;quot;&amp;gt;HI&amp;lt;/span&amp;gt;]] &amp;amp;middot; &amp;lt;span style=&amp;quot;color: #FFD700; font-weight: bold;&amp;quot;&amp;gt;JA&amp;lt;/span&amp;gt;&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;span style=&amp;quot;font-weight: bold;&amp;quot;&amp;gt;対訳:&amp;lt;/span&amp;gt; [[Lu_Xun_Complete_Works/zh-en/Zhun_fengyuetan|&amp;lt;span style=&amp;quot;color: #FFD700;&amp;quot;&amp;gt;ZH-EN&amp;lt;/span&amp;gt;]] &amp;amp;middot; [[Lu_Xun_Complete_Works/zh-de/Zhun_fengyuetan|&amp;lt;span style=&amp;quot;color: #FFD700;&amp;quot;&amp;gt;ZH-DE&amp;lt;/span&amp;gt;]] &amp;amp;middot; [[Lu_Xun_Complete_Works/zh-fr/Zhun_fengyuetan|&amp;lt;span style=&amp;quot;color: #FFD700;&amp;quot;&amp;gt;ZH-FR&amp;lt;/span&amp;gt;]] &amp;amp;middot; [[Lu_Xun_Complete_Works/zh-es/Zhun_fengyuetan|&amp;lt;span style=&amp;quot;color: #FFD700;&amp;quot;&amp;gt;ZH-ES&amp;lt;/span&amp;gt;]] &amp;amp;middot; [[Lu_Xun_Complete_Works/zh-it/Zhun_fengyuetan|&amp;lt;span style=&amp;quot;color: #FFD700;&amp;quot;&amp;gt;ZH-IT&amp;lt;/span&amp;gt;]] &amp;amp;middot; [[Lu_Xun_Complete_Works/zh-ru/Zhun_fengyuetan|&amp;lt;span style=&amp;quot;color: #FFD700;&amp;quot;&amp;gt;ZH-RU&amp;lt;/span&amp;gt;]] &amp;amp;middot; [[Lu_Xun_Complete_Works/zh-ar/Zhun_fengyuetan|&amp;lt;span style=&amp;quot;color: #FFD700;&amp;quot;&amp;gt;ZH-AR&amp;lt;/span&amp;gt;]] &amp;amp;middot; [[Lu_Xun_Complete_Works/zh-hi/Zhun_fengyuetan|&amp;lt;span style=&amp;quot;color: #FFD700;&amp;quot;&amp;gt;ZH-HI&amp;lt;/span&amp;gt;]] &amp;amp;middot; [[Lu_Xun_Complete_Works/zh-ja/Zhun_fengyuetan|&amp;lt;span style=&amp;quot;color: #FFD700;&amp;quot;&amp;gt;ZH-JA&amp;lt;/span&amp;gt;]] &amp;amp;middot; [[Lu_Xun_Complete_Works|&amp;lt;span style=&amp;quot;color: #FFD700;&amp;quot;&amp;gt;&amp;amp;larr; 目次&amp;lt;/span&amp;gt;]]&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
= 準風月談 (zhun_fengyuetan) =&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''魯��� (ルーシュン, 1881-1936)'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中国語からの日本語翻訳。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第1節 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【准風月談】&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【前記】&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中華民国建国二十二年五月二十五日、『自由談』の編者が「国内の文豪に請い奉る、今後は風月を多く談ぜよ」との告示を掲げてこのかた、老牌の風月文豪たちは頭を揺らし脳を振って大いに喜んだ。冷やかす者もあり、洒落を言う者もあり、「文探」しかできぬ走狗までもが尊い尻尾を立てた。しかし面白いのは、風雲を談ずる者は風月も談じうるということだ。風月を談ぜと言われれば風月を談じよう、たとえそれが御意に適わぬとしても。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一つの題目で作家を制限しようとしても、実は不可能なことである。もし本当に制限できるなら、不都合なものは題目を削ればよいのに、なぜ検閲官というものが必要なのか。やはり作家は題目を借りて好きなことを言いうるものだ。だからこそ検閲官がさらに必要となる。つまり不行き届きの補いをせざるをえなくなるのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし話が長くなりすぎた。要するに、私は自分の「准風月」の雑文を集めて一冊にした。「准」とは正式ではなく風月の談じ方が基準に合っていないという意味だ。この集にはほとんどが署名入りの投稿を含んでいるが、実は投稿ではなく私の書いたものである。なぜ別の署名を用いたかといえば、検閲の厳しさのために同一人の文章がしばしば掲載を拒否されたからだ。偽名を用いること自体は卑怯だとも言えるが、私としては已むをえぬ事であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
付け加えておくが、この集に収めた文章は一九三三年六月から十一月までのもので、すべて『申報』の『自由談』に載ったものである。しかし載ったといっても、検閲のために削除され改竄されたものも少なくない。今、原稿によって元に戻し、二三の補正を加えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一九三四年三月十日、魯迅、上海にて記す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第2節 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
蝙蝠もまた夜飛ぶ動物ではあるが、中国における名声はまだ悪くない方である。これは蝙蝠が蚊や虻を食べて人に有益だからではなく、大半はその名目が「福」の字と同音であるからだ。これほどの面構えでありながら画図に描き込まれるのは、実に名前の付け方が良かったおかげである。さらに中国人はもともと自分が飛びたいと願い、他のものも皆飛べると想像してきた。道士は羽化を求め、皇帝は飛昇を夢見、恋する者は比翼の鳥となりたがり、苦しむ者は翼を差して飛び去りたいと恨む。虎に翼が生えることを想えば身の毛がよだつが、青蚨（銭）が飛んでくれば目尻が緩む。墨子の飛鳶はついに失伝し、飛行機は外国へ募金して買わねばならなくなったのだが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしながら蝙蝠がこうも好かれるのは、要するに名前の力である。言い換えれば中国人が好むのは実体ではなく名称なのだ。名前さえ良ければ、醜い容貌でも画図に入り、害虫でなくとも歓迎される。中国のすべてのことが大体こういう具合である。名目を飾り、実際は問わない。これは今に始まったことではなく、長い歴史のある伝統だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
蝙蝠は鳥か獣かと問われれば、都合によって鳥にもなり獣にもなる。鳥の集まりでは翼を広げて自分は鳥だと言い、獣の集まりでは牙を見せて自分は獣だと言う。どちらにもうまく取り入って両方から利益を得る。しかしいったん鳥と獣が和解すれば、蝙蝠はどちらにも属さぬ存在として両方から排斥される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これは伊索寓話の一つだが、中国にもこういう「蝙蝠」は少なくない。ある時は洋行に身を寄せて洋人の仲間だと言い、ある時は国貨を提唱して愛国者を気取る。ある時は左翼を標榜し、ある時は右に転じる。都合次第で何にでもなれるが、一たび天下が定まれば居場所がなくなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（七月二十九日。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第3節 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし私は今こんな古い帳簿をひっくり返すつもりはない。ただ言いたいのは、紹興の堕民は一種の解放された奴隷であり、この解放は雍正年間であったろうか、定かではない。ゆえに彼らはすでにすべて別の職業を持っている——もとより賤業ではある。男は古物を集め、鶏毛を売り、蛙を捕り、芝居をする。女は正月や節句のたびに自分が主人と見なす家に祝いの挨拶に行き、慶弔の事があれば手伝いに行く。ここにはなお奴隷の皮毛が残っているが、用が済めば帰り、しかもかなりの祝儀がもらえるのだから、かつて解放されたことは見て取れる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
堕民の女がどの家に行くかは定まっており、勝手に変えることはできない。姑が死ねば嫁が継ぐ。彼女たちは「道喜」に来る時、主人の家で何でも食べて構わないし、子供に食べ物を持って帰ることもできる。しかし主人の家は彼女たちを軽んじ、まるで物乞いのように扱う。堕民の男もまた同様で、紹興の市中では他の人々から見下されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし堕民は自分より下の者を見つけて軽蔑した。たとえば「小」に対してそうであった。「小」とは何か。それは説がまちまちで、おそらくかつて何かの罪で落とされた者の子孫であろう。堕民は「小」を見下し、「小」と結婚することを恥とした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ここに面白い現象がある——奴隷が自由になっても、すぐに別の奴隷を見つけて軽蔑するということだ。自分が抑圧されていた時の記憶は、自由になった途端に他者を抑圧する動機となる。これは人間の通弊であり、中国人に限ったことではないが、中国にはとりわけ多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なぜなら中国の社会は等級制であり、各人がその位置で上を仰ぎ見つつ下を踏みつける。最下層にいる者ですら、さらに下の者を見つけ出して踏みつける。もしも下が見つからなければ、同じ層の中で互いに踏みつけ合う。こうして皆が少しずつ面目を保ち、少しずつ慰めを得る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（七月二十日。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第4節 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
生活の圧迫は人を煩悶させ、混乱の中で仇敵が見えず、家人や通りすがりが自分の道を阻んでいると思い込み、そこで「押す」のである。これは自己を保存するだけでなく他人を憎悪することでもある。この種の人物がひとたび金持ちになれば、出かける時には「清道」させるものだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は過去を恋い慕っているのではなく、ただ今や「押す」仕事はいっそう激しくなり範囲も広がったと言っているだけだ。願わくは未来の金持ちたちが私を「反動」の埠頭に押しやることのないように——さすれば幸甚である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（七月二十四日。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【旧勘定を調べる】&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
世間にはよく旧勘定を調べることを非難する人がいる。しかし世の中には旧勘定を調べねばならぬことがある。なぜなら新しい勘定は旧い勘定の上に築かれているからだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「忘れよう」というのは良い言葉だが、忘れていけないこともある。たとえば他人が自分を殴った場合、殴った者のほうが「旧いことは忘れよう」と言うのは容易だが、殴られた者にとってはそう簡単にはゆかない。なぜなら痕が残っているからだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中国人は旧勘定を嫌い、「雅量」を尊ぶ。しかし「雅量」とは多くの場合、権力者が弱者に対して「旧いことは水に流せ」と言うことにすぎない。自分が損をした場合には決して水に流さない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（七月二十六日。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第5節 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ある慷慨家は言う、世の中には水と空気だけが貧乏人に与えられていると。この説は実は正しくない。貧乏人は実際にはみなと同じ水と空気すら得られないのだ。たとえ埠頭で涼もうとしても、いわれなく「蹴られて」命を落とす——入水である。友を助けるか犯人を押さえようとしても、「手で押されて」やはり入水する。もし皆で助け合おうとすれば「反帝」の嫌疑がかかる。「反帝」はもともと中国で禁止されてはいないが、「反動分子が便乗して騒擾する」ことを予防しなければならないので、結局はやはり「蹴り」と「押し」に帰し、つまるところ入水する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
時代は進歩し、汽船も飛行機もいたるところにあるが、しかし貧乏人には依然として関係がない。貧乏人は依然として自分の足で歩くしかなく、しかもその足さえ蹴られたり押されたりして安全ではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こう言うと、私は何か不平不満を抱いているように聞こえるかもしれないが、実はそうではない。ただ事実を述べているだけだ。事実は事実であり、述べようと述べまいと存在する。述べたからといって事実が変わるわけではないが、述べなければ人々は知らないままでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし知ったからといって何ができるか。これもまた問題ではある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（八月十日。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第6節 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【這うことと突き当たること】&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
世の中には二種類の人間がいる。一つは這って進む者、もう一つは突き当たって進む者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
這う者は慎重である。地面にぴったり腹をつけ、石や穴を避け、一歩一歩確かめながら進む。決して転ばないが、進む速度は遅い。しかし安全である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
突き当たる者は勇猛である。前を見ずにまっすぐ走る。壁があっても頭からぶつかる。壁が壊れれば通り抜けるが、壁が壊れなければ頭が割れる。しかし運がよければ非常に速く進める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中国の処世術では、這うことが推奨される。「静」を尊び「穏」を重んじ、棘のある言葉を避け、丸い言い方をする。一生を這い続けて、つまずかず転ばず、穏やかに生涯を終える人もいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし社会の進歩は突き当たる者によって成し遂げられることが多い。なぜなら既成の壁を壊さねば新しい道は開けないからだ。もっとも、突き当たった結果として壁が壊れたのか頭が壊れたのかは、後世の歴史家が判定することになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中国の現状では、這う者が多すぎ突き当たる者が少なすぎる。これが社会の停滞の一因かもしれない。しかし突き当たることを奨励するのも容易ではない——なぜなら頭が壊れる確率のほうが壁が壊れる確率よりもはるかに高いからだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（八月二十七日。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第7節 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このような事件がない時には、七日に一報、十日に一談、廃品を寄せ集めて読者の頭に詰め込む。一年半年も読めば、頭の中はもう某金持ちがどう麻雀を打ったとか、某映画スターがどうくしゃみをしたとかいう故事でいっぱいになる。楽しいのは当然楽しい。しかし世の中はこういう楽しみを歓迎する楽しい人々の中で終わることになるのであろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（八月二十八日。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【登龍術拾遺　　　　　　　　　　　　葦索】&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
章克標氏がかつて一冊の『文壇登龍術』を著した。予約制であったため、うっかり者の私は拝読する幸運を逸してしまい、ただ『論語』で広告、解題、後記を見ただけだった。しかしこれは実にどこからやってきた「インスピレーション」か、解題の冒頭第一段にさっそく絶妙な名文がある——&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「登龍は乗龍と解することもできる。すると登龍術は龍に乗る技術となり、これは馬に乗り車を駆ることに類似するものとなる。しかし通常、乗龍とは婿の意味であり、文壇は女性ではないから婿を募ることもないはずで、このように解釈すると誤解を招く危険がある。」……&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
たしかに広告の目次を見ると「婿入り」の項はない。しかしこれは「智者の千慮」の一失と言わざるをえず、多少の増補が必要ではないか。文壇は「婿を募ることはない」かもしれないが、婿のほうは文壇に上りたがることがあるのだから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
術に曰く——文壇に登らんと欲すれば、金持ちの奥方を要す。遺産は必須、訴訟を恐るることなかれ。貧乏人の小倅が文壇に這い上がろうとすれば、たまに幸運に恵まれることもあるが、つまるところ非常に骨が折れる。随筆や茶話の類を書いてわずかな金を稼ぐこともできようが、結局は人の顔色を伺うことになる。一番良いのは裕福な岳父と金持ちの奥方を持ち、嫁入りの金を文学資本として、笑うも罵るも勝手にせよ、自分は自分で印刷する。「作品」が世に出れば肩書きは自ずと来る。婿養子は妻の家から軽んじられることもあるが、いったん文壇に登れば声価は十倍、奥方も喜んで、自分だけ麻雀をしながら目の端も動かさぬということはなくなる。これすなわち「相互利用」である。しかもその文人たるや唯美派でなければならない。ワイルドの遺影を見よ、螺旋のボタン、象牙の杖、何と美しいことか。しかし彼の奥方が駄目だったため、つい少年と淫し異国で窮死した。もし金があったならそんなことにはならなかったろう。ゆえに龍に登らんと欲すれば龍に乗らねばならぬ。「書中おのずから黄金の屋あり」はとうに古い話で、今は「金中おのずから文学者あり」が時代の流れなのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし文壇から婿入りすることもできる。その術は——常に目を配り、家にいくらかの金があり自分でも「ああ、わが悲しみよ」と書ける女性を探し出し、文章を書いて新聞に載せ「女詩人」と持ち上げる。彼女が「知己の感」を覚えるに至ったら、映画のあの場面のように片膝を付いて跪き、「わが生命よ、ああ、わが悲しみよ！」と言えばよい。すると龍に登るから龍に乗り、龍に乗るからまた龍に登る。十分に円満である。しかし裕福な女詩人が必ずしも貧しい男文士を愛するとは限らないので確実を期することも難しく、この一法はここでは『登龍術拾遺』の附録にとどめ、軽々に用いぬよう幸いを祈る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（八月二十八日。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Lu_Xun_Complete_Works|&amp;amp;larr; 目次に戻る]]&lt;br /&gt;
[[Category:Lu Xun]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Admin</name></author>
	</entry>
</feed>