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'''Lu Xun (鲁迅, Lǔ Xùn, 1881–1936)''' | '''Lu Xun (鲁迅, Lǔ Xùn, 1881–1936)''' | ||
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The Happy Family (幸福的家庭 / 幸福な家庭)
Lu Xun (鲁迅, Lǔ Xùn, 1881–1936)
| 中文(原文) | 日本語 |
|---|---|
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【娜拉走后怎样 ——一九二三年十二月二十六日在北京女子高等师范学校 文艺会讲】
【一九二五年】
【诗歌之敌】
大大前天第十次会见“诗孩”,谈话之间,说到我可以对于《文学周刊》投一点什么稿子。我暗想倘不是在文艺上有伟大的尊号如诗歌小说评论等,多少总得装一些门面,使与尊号相当,而是随随便便近于杂感一类的东西,那总该容易的罢,于是即刻答应了。此后玩了两天,食粟而已,到今晚才向书桌坐下来豫备写字,不料连题目也想不出,提笔四顾,右边一个书架,左边一口衣箱,前面是墙壁,后面也是墙壁,都没有给我少许灵感之意。我这才知道:大难已经临头了。
幸而因“诗孩”而联想到诗,但不幸而我于诗又偏是外行,倘讲些什么“义法”之流,岂非“鲁般门前掉大斧”。记得先前见过一位留学生,听说是大有学问的。他对我们喜欢说洋话,使我不知所云,然而看见洋人却常说中国话。这记忆忽然给我一种启示,我就想在《文学周刊》上论打拳;至于诗呢?留待将来遇见拳师的时候再讲。但正在略略踌躇之际,却又联想到较为妥当的,曾在《学灯》——不是上海出版的《学灯》——上见过的一篇春日一郎的文章来了,于是就将他的题目直抄下来:《诗歌之敌》。
那篇文章的开首说,无论什么时候,总有“反诗歌党”的。编成这一党派的分子:一、是凡要感得专诉于想像力的或种艺术的魅力,最要紧的是精神的炽烈的扩大,而他们却已完全不能扩大了的固执的智力主义者;二、是他们自己曾以媚态奉献于艺术神女,但终于不成功,于是一变而攻击诗人,以图报复的著作者;三、是以为诗歌的热烈的感情的奔迸,足以危害社会的道德与平和的那些怀着宗教精神的人们。但这自然是专就西洋而论。
诗歌不能凭仗了哲学和智力来认识,所以感情已经冰结的思想家,即对于诗人往往有谬误的判断和隔膜的揶揄。最显著的例是洛克,他观作诗,就和踢球相同。在科学方面发扬了伟大的天才的巴士凯尔,于诗美也一点不懂,曾以几何学者的口吻断结说:“诗者,非有少许稳定者也。”凡是科学底的人们,这样的很不少,因为他们精细地研钻着一点有限的视野,便决不能和博大的诗人的感得全人间世,而同时又领会天国之极乐和地狱之大苦恼的精神相通。近来的科学者虽然对于文艺稍稍加以重视了,但如意大利的伦勃罗梭一流总想在大艺术中发见疯狂,奥国的佛罗特一流专一用解剖刀来分割文艺,冷静到入了迷,至于不觉得自己的过度的穿凿附会者,也还是属于这一类。中国的有些学者,我不能妄测他们于科学究竟到了怎样髙深,但看他们或者至于诧异现在的青年何以要绍介被压迫民族文学,或者至于用算盘来算定新诗的乐观或悲观,即以决定中国将来的运命,则颇使人疑是对于巴士凯尔的冷嘲。因为这时可以改篡他的话:“学者,非有少许稳定者也。” |
【ノラが去った後はどうなるか ――一九二三年十二月二十六日、北京女子高等師範学校 文芸会における講演】
今日私が話そうとするのは「ノラが去った後はどうなるか?」ということだ。 イプセンは十九世紀後半のノルウェーの文人である。その著作は、数十首の詩を除けば、すべて戯曲だ。これらの戯曲の中で、ある時期のものはおおむね社会問題を含んでおり、世間では「社会劇」とも呼ばれた。その中の一篇が『ノラ』である。 『ノラ』はもとの名を Ein Puppenheim といい、中国では『傀儡家庭』と訳された。だが Puppe は糸で操る傀儡だけでなく、子供が抱いて遊ぶ人形でもある。敷衍すれば、他人の指図のままに動く人間もそうだ。ノラは初め、いわゆる幸福な家庭の中で満足して暮らしていたが、ついに覚醒した。自分は夫の傀儡であり、子供たちはまた自分の傀儡なのだと。そこで彼女は去った。聞こえるのは扉の閉まる音、続いて幕が下りる。これはみな知っていることだろうから、細かく述べる必要はない。 ノラはどうすれば去らずに済んだのか? あるいはイプセン自身が解答を持っていたとすれば、それは(Die Frau vom Meer)『海の女』であり、中国では『海上夫人』と訳した者もいる。この女は既に結婚していたが、かつての恋人が海の向こう岸におり、ある日突然やって来て、一緒に行こうと呼びかけた。彼女は夫に告げ、その外来の男に会いたいと言った。最後に、夫はこう言った。「今、お前を完全に自由にする。(行くも行かぬも)お前が自分で選べ、しかも自分で責任を負え」。すると万事が変わり、彼女は行かなかった。こう見ると、ノラもこのような自由を得れば、あるいは安住できたかもしれない。 だがノラは結局去った。去った後はどうなるか? イプセンには解答がなかった。しかも彼はすでに死んでいる。死んでいなくとも、解答の責任を負うつもりはなかったろう。なぜならイプセンは詩を作っているのであって、社会に問題を提起してその解答を代行しているのではないからだ。黄鶯と同じで、自分が歌いたいから歌うのであって、人々に聞いて面白がらせ、有益にしようとして歌うのではない。イプセンは甚だ世間知らずで、伝えるところでは、多くの婦人たちが一同に彼をもてなす宴席で、代表者が立って『傀儡家庭』を書いたことに感謝し、女性の自覚や解放について人心に新たな啓示を与えたと述べた時、彼はこう答えた。「私はあの作品をそういうつもりで書いたのではない。ただ詩を作っただけだ」 ノラが去った後はどうなるか?――他の人も意見を発表している。あるイギリス人が戯曲を書いて、新式の女が家庭を出たが、もはや行く道がなく、ついに堕落して娼家に入ったとした。もう一人の中国人――何と呼ぼうか? 上海の文学者とでもしておこう――は、自分が見た『ノラ』は現行の訳本と違い、ノラは結局帰ってきたと言った。このような本は残念ながら他に見た者がいない。イプセンが彼に直接送ったのでもない限り。だが道理から推して考えれば、ノラには実のところ二つの道しかない。堕落するか、戻るかだ。もし一羽の小鳥であれば、籠の中はもちろん不自由だが、籠の扉を出れば外には鷹がおり、猫がおり、その他のものがいる。すでに閉じ込められて翼が麻痺し、飛ぶことを忘れたならば、まことに行くべき道がない。もう一つ、餓死という道があるが、餓死はもはや生活を離れたものであり、問題とも言えないから、やはり道ではない。 人生で最も苦痛なのは、夢から覚めて行くべき道がないことだ。夢を見ている人は幸福だ。もし行くべき道が見えないならば、最も肝要なのは彼を起こさないことだ。ごらん、唐の詩人李賀は一生困窮しなかったか? だが臨終に母にこう言った。「お母さん、上帝が白玉楼を造り、私に落成の文章を書けと呼んでいるのです」。これは明らかに嘘であり、夢ではないか? だが小さい者と老いた者、死んだ者と生きている者、死んだ者は喜んで死に、生きている者は安心して生きる。嘘をつくことと夢を見ること、こういう時にこそ偉大に見える。だから私は思う、もし道が見つからないならば、我々が求めるべきはまさに夢だ。 だが、決して将来の夢を見てはならない。アルツィバーシェフはかつて自らの小説を借りて、将来の黄金世界を夢想する理想家に問いただした。その世界を造るために、まず多くの人々を呼び起こして苦しめるのだから。彼は言った。「お前たちはこの人々の子孫に黄金世界の出現を予約した。だがこの人々自身には何を与えるのだ?」。与えるものはある。将来の希望だ。だが代価もまた大きすぎる。この希望のために、人の感覚を鋭敏にして自らの苦痛をより深く感じさせ、魂を呼び覚まして自らの腐った屍を目の当たりにさせねばならない。ただ嘘をつくことと夢を見ること、こういう時にこそ偉大に見える。だから私は思う、もし道が見つからないならば、我々が求めるべきは夢だ。だが将来の夢ではなく、ただ目前の夢を。 しかしノラはすでに覚醒したからには、夢境に戻ることは甚だ難しく、やむなく去らねばならなかった。だが去った後、時には堕落や帰還を免れぬこともある。さもなくば、こう問わねばならない。覚醒した心のほかに、彼女は何を持って行ったのか? もし諸君と同じような紫紅のビロードの紐のマフラーが一本あるだけならば、幅が二尺であろうと三尺であろうと、まったく役に立たない。彼女にはもっと豊かなものが要る。鞄の中に用意が要る。端的に言えば、金が要るのだ。 夢はよいものだ。さもなくば、金が肝要だ。 金という字は聞こえが悪く、あるいは高尚な君子方に嗤笑されるかもしれないが、人々の議論は昨日と今日だけでなく、飯前と飯後でもしばしば違いがあるように私には思える。飯を買うには金が要ると認めながら、金の話をするのは卑しいと言う者がいたら、その胃を一押ししてみるがよい。中にはおそらくまだ魚肉が消化しきれずに残っているだろう。一日飢えさせた後で、改めて議論を聞こうではないか。 だからノラのためを思えば、金――上品に言えば経済――が最も肝要なのだ。自由はもちろん金で買えるものではないが、金のために売り渡すことはできる。人類には一つの大きな欠点がある。常に飢えるということだ。この欠点を補うため、傀儡にならぬ用意のため、現下の社会にあっては経済権が最も重要に見える。第一に、家庭において男女平等の分配をまず獲得すべきであり、第二に、社会において男女対等の勢力を獲得すべきだ。惜しむらくは私にはこの権限をいかに取得するか分からず、ただやはり戦わねばならないことだけは知っている。あるいは参政権の要求よりもさらに激しい戦いが必要かもしれない。 経済権の要求はもちろん平凡な事だが、高尚な参政権や博大な女子解放の類の要求よりも煩難かもしれない。天下には小さな為すべき事が大きな為すべき事より煩難なことはいくらでもある。たとえば今のような冬に、我々にはこの一着の綿入れしかないが、凍え死にかけている貧しい人を助けねばならぬとする。さもなくば菩提樹の下に座って全人類を普く救う方法を瞑想せねばならぬ。全人類を救うことと一人を救うこと、大小の隔たりは実に甚大だが、もし選べと言われたら、私はたちまち菩提樹の下に座りに行くだろう。唯一の綿入れを脱いで自分が凍え死ぬことを免れるために。だから家庭の中で参政権を求めると言えば、さほど大きな反対には遭うまいが、経済の均等分配と言い出せば、たちまち目の前に敵が現れかねず、当然激しい戦いが必要となる。 戦いはよいことではないし、人人に戦士たれと求めることもできない。であれば、平和な方法もまた貴い。すなわち将来、親権を利用して自分の子女を解放することだ。中国の親権は無上のものであるから、その時には財産を子女に平等に分配し、彼らが平和に衝突なく等しい経済権を得るようにする。その後は読書に行くもよし、金を殖やすもよし、自分で享楽するもよし、社会のために働くもよし、使い果たすもよし、勝手にしてくれ、自分で責任を負え。これもなお遠い夢ではあるが、黄金世界の夢よりはだいぶ近い。だが第一に記憶力が必要だ。記憶力が悪いのは、自分には有益だが子孫には有害だ。人は忘れることができるがゆえに、自ら受けた苦痛から次第に脱することができ、また忘れることができるがゆえに、しばしば前人と同じ過ちを繰り返す。虐待された嫁が姑になると、やはり嫁を虐待する。学生を嫌う官吏は、かつて官吏を痛罵した学生であることが多い。今子女を圧迫している者が、十年前の家庭革命家であることもある。これはおそらく年齢と地位にも関係があろうが、記憶力の悪さもまた大きな原因だ。救済法は、各自が一冊のノートブックを買い、現在の思想や行動を記録して、将来年齢も地位も変わった後の参考とすることだ。もし子供が公園に行きたがるのを嫌う時に、取り出してめくれば、そこに「私は中央公園に行きたい」とあるのが見える。たちまち心穏やかになるだろう。他のことも同じだ。 世間には一種の無頼の精神がある。その要義は粘り強さだ。聞くところでは「拳匪」の乱の後、天津の青皮、いわゆるならず者は甚だ横暴で、たとえば荷物を一つ運ぶのに二元を要求する。荷物が小さいと言っても二元、道が近いと言っても二元、運ばなくてよいと言っても、やはり二元。青皮はもちろん手本にはできないが、あの粘り強さは大いに敬服に値する。経済権の要求も同じで、ある人がこの事は陳腐だと言えば、経済権を求める、と答える。卑しいと言えば、経済権を求める、と答える。経済制度はもうすぐ変わるから心配する必要はないと言われても、やはり経済権を求める、と答える。 実のところ、今のところ、一人のノラが出て行っても、さほどの困難は感じないかもしれない。なぜならこの人物は特別であり、行動も新鮮で、いくらかの人々の同情を得て、生活の助けになるからだ。人の同情の下に生きることは、すでに不自由だが、百人のノラが出て行けば同情も減り、千人、万人が出て行けば、嫌悪されるようになる。自ら経済権を握っている方がよほど頼りになる。 経済面で自由を得れば、もう傀儡ではないのか? やはり傀儡だ。ただ他人に操られることが減り、自分が操れる傀儡が増えるだけだ。なぜなら現在の社会では、女が男の傀儡になるだけでなく、男と男、女と女も互いに傀儡となり、男もしばしば女の傀儡となるからで、これは数人の女が経済権を取得するだけでは救えない。だが人は飢えたまま理想世界の到来を静かに待つわけにはいかず、少なくとも残りの息を留めておかねばならない。干上がった轍の鮒がさしあたり升斗の水を求めるように、この比較的身近な経済権を求め、一方でまた別の方法を考えるのだ。 もし経済制度がすっかり改革されたならば、上に述べたことはもちろんすべて無駄話だ。 だが上に述べたことは、ノラを一人の普通の人物として語ったものだ。もし彼女が特別な人物で、自ら進んで犠牲となることを望むならば、それはまた別の話だ。我々には人に犠牲になれと勧める権利もなければ、犠牲になるのを止める権利もない。まして世の中には犠牲を喜び、苦しみを喜ぶ人物もいる。ヨーロッパにこんな伝説がある。イエスが十字架にかけられに行く途中、アハスフェロスの軒下で休もうとしたが、アハスフェロスは許さなかった。そこで呪いをかけられ、最後の審判の日まで永遠に休むことができなくなった。アハスフェロスはそれ以来休めず、ただ歩き続け、今もなお歩いている。歩くのは苦しく、安息は楽しい。なぜ彼は安息しないのか? 呪いを背負っているとはいえ、おそらく歩く方が安息より心地よいと感じているからこそ、始終狂ったように歩いているのだろう。 ただ、この犠牲の心地よさは自分自身に属するものであり、志士たちのいわゆる社会のためとは関係がない。群衆――とりわけ中国の群衆――は永遠に芝居の見物人だ。犠牲者が舞台に上がり、慷慨な様子を見せれば悲壮劇を見たことになり、うろたえた様子を見せれば滑稽劇を見たことになる。北京の羊肉屋の前には常に数人が口を開けて羊の皮を剥ぐのを見ている。なかなか愉快そうだ。人の犠牲が彼らに与え得る利益も、せいぜいこの程度だ。しかも事後数歩も歩けば、この少しの愉快さえも忘れてしまう。 このような群衆に対しては方法がなく、ただ見物する芝居をなくしてやるのが療治であり、一時を震撼する犠牲など要らぬ。深沈な粘り強い戦いの方がよい。 惜しむらくは中国はあまりにも変わりにくい。机一つ動かすにも、暖炉一つ改装するにも、ほとんど血が要る。しかも血があっても、必ず動かせ、改装できるとは限らない。よほど大きな鞭が背中に打ち据えられなければ、中国は自ら動こうとしない。この鞭はいずれ来るだろうと私は思う。良いか悪いかは別の問題だが、打たれることだけは間違いない。だがどこから来るのか、どのように来るのか、私にも確かには分からない。 この講演はこれで終わりとする。 【一九二五年】
幸い「詩の子」から連想して詩に辿り着いたが、不幸にも私は詩にはまるで門外漢であり、「義法」の類を講じようものなら、「魯班の門前で大斧を振るう」ことになるではないか。かつてある留学生に会ったのを覚えている。大いに学問があるとのことだった。彼は我々には好んで洋語を話し、私には何のことやら分からなかったが、洋人を見ると中国語で話すのだった。この記憶がふと一つの啓示を与えてくれた。『文学週刊』で拳闘について論じようかと思った。詩については? 将来拳闘師に会った時に話すことにしよう。だがいささか躊躇している時に、もう少し穏当なものを連想した。かつて『学灯』――上海出版の『学灯』ではなく――に載っていた春日一郎の文章である。そこで彼の題目をそのまま写し取った。『詩歌の敵』と。 この文章の冒頭にはこうある。いつの時代にも「反詩歌党」はいるものだ。この一党を構成する分子は、第一に、もっぱら想像力に訴える、あるいはある種の芸術の魅力を感じるには、最も肝要なのは精神の熾烈な拡大であるのに、すでにまったく拡大できなくなった頑固な知性主義者。第二に、自ら媚態をもって芸術の女神に奉献したが、ついに成功せず、一転して詩人を攻撃し、報復を図る著作者。第三に、詩歌の熱烈な感情の奔出が社会の道徳と平和を危うくすると考える、宗教的精神を懐く人々。だがこれはもちろんもっぱら西洋について言ったものだ。 詩歌は哲学と知性に頼って認識できるものではない。だから感情がすでに氷結した思想家は、詩人に対してしばしば誤った判断や隔たった揶揄をする。最も顕著な例はロックで、彼は詩を作ることを球を蹴ることと同一視した。科学の方面で偉大な天才を発揮したパスカルも、詩の美はまるで分からず、かつて幾何学者の口吻でこう断じた。「詩とは、少しの安定もなきものなり」。科学的な人々にはこうした者が少なくない。一点の限られた視野を精緻に研鑽するがゆえに、決して博大な詩人の全人間界を感得し、同時に天国の至楽と地獄の大苦悩の精神に通じることができないからだ。近年の科学者は文芸にいくらか重きを置くようになったが、イタリアのロンブローゾの一流は大芸術の中に狂気を発見しようとし、オーストリアのフロイトの一流はもっぱらメスで文芸を分割し、冷静にして迷い込むに至り、自らの過度の穿鑿附会に気づかぬ者も、やはりこの類に属する。中国のある種の学者について、科学の深浅をみだりに測ることはできないが、あるいは今の青年がなぜ被圧迫民族の文学を紹介するのか訝っていたり、あるいは算盤で新詩の楽観か悲観かを算定して中国の将来の運命を決めようとしているのを見ると、パスカルへの冷笑ではないかと疑わしくなる。なぜならこの時、彼の言葉を改竄して言えるからだ。「学者とは、少しの安定もなきものなり」。 |