Lu Xun Complete Works/zh-ja/Panghuang

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彷徨 / 彷徨

魯迅 (鲁迅, ルーシュン, 1881-1936)

中日対照翻訳。


第1節

中文 日本語

【二 开始】

木罗式加遇见了美谛克,自己也以为奇的,是先前的怨恨和愤怒,都不再觉得了。所剩下的,只是这样的有害的人,何以又在路上出现的这一种疑心,以及他木罗式加,对他应该愤慨的一种无意识底的确信。但是这邂逅,也还是将他打动,使他要将这事即刻和谁去谈谈。

【二 開始】

“刚才在横街上走,”他对图皤夫说。“刚要转弯,跑到我的鼻子尖前来了,——那个夏勒图巴的小伙子呵,我带来的,那个,记得么?”

“这怎样?”

“不,没有什么了不得的事……他问说‘到本部去,该怎么走呢?……’‘到后边的——我说——第二个后院,往右……’”

“那又怎么了呢?”图皤夫在这里面毫不能发见奇特之处,以为还有后文,便试探地问。

“不,遇见了就是了!……这还不够么?”木罗式加含着不可解的愤怒,回答说。

モロズカはメチクに出くわしたが、自分でも不思議に思ったのは、以前の怨みや怒りがもはや感じられなくなっていることだった。残っているのは、こんな有害な人間がなぜまた路上に現れたのかという疑念と、彼モロズカがこの男に憤慨すべきだという無意識的な確信だけだった。しかしこの邂逅はやはり彼の心を揺さぶり、この出来事を誰かにすぐ話したいという気持ちにさせた。

他忽然凄凉起来,不再愿意和人们说话。原想到晚上的集会里去的,但却钻进了干草小屋子,然而不能睡。不愉快的回忆,成了沉重的担子,向他上面压来。在他,仿佛觉得美谛克是为了要使他从一种正当的方向脱出,所以特地在路上出现似的。

第二日,他好容易,才按住那再遇见美谛克的希望,什么地方也静不下:彷徨了一整天。

“我们为什么连事情也没有,却老坐在这里的?”他怅恨地,去对小队长说。“要为了无聊,烂掉的呵……他究竟在那里想些甚么呀,我们的莱奋生?……”

「さっき横道を歩いていたんだ」と彼はトゥボフに言った。「角を曲がろうとしたら、鼻先に飛び出してきやがった——あのシャルトゥーバの若造だよ、俺が連れてきた、あいつだ、覚えてるか?」

“就在想要怎么办,才能使木罗式加开心呵。说是因为只是坐着想,所有的裤子都破完了。”

图皤夫竟并不体察复杂的木罗式加的心情。得不到帮助的木罗式加,便在不祥的忧郁中跑来跑去,知道他倘不能有强烈的工作来散一散闷,那可就要浸在酒里了。他从有生以来,这才第一次和自己的欲望战斗。然而他的力量是孱弱的,但有一偶然的事故,将他从没落里救出了。

钻在偏僻处所的莱奋生,和别的部队的联络几乎统统失掉了。有时能够到手的报告,描给他看的是瓦解和苦痛的腐蚀这两种可怕的图像。死的铁靴,毫无慈悲地蹂躏着马蚁群,而疯狂了的马蚁,则或者因为绝望,即投身靴下,或者成了混乱的群,逃向不能知的彼方,徒为自己本身的酸所腐蚀。不安的乌拉辛斯克的风,是送来了烟一般的血腥。

「それがどうした?」

莱奋生沿着多年绝了人迹的无人知道的泰茄的小径,和铁路作了连络。他又得到报告,知道载着枪械和衣服的军用货车就要到来。铁路工人约定了来详细通知日子和时刻。莱奋生知道,部队是迟迟早早,总要被发见的,而没有弹药和防寒衣,要在泰茄里过冬,是不可能的,于是决定了实行最初的袭击。刚卡连珂赶紧放好急性佬[48]。浓雾之夜,悄悄地绕出了敌阵,图皤夫的小队突然在铁路线边出现了。

「いや、たいしたことじゃないんだが……あいつが訊いてきたんだ、『本部に行くにはどう行けばいい?……』『後ろの——俺は言った——二番目の裏庭を右に……』」

……刚卡连珂将接着邮件车的货车截断,客车并无损坏。在爆发的声响中,在炸药的烟气中,破坏了的铁轨跳上空中,于是抖着落在斜坡下面了。急性佬的闩子上系着的一条绳,缠住了电线,挂着,后来使许多人绞尽了脑浆,想知道谁为了什么和什么缘故,将这东西挂在这地方。

「それでどうなったんだ?」トゥボフはそこに何の奇妙さも見出せず、まだ続きがあるのかと探るように訊いた。

当骑兵斥候在四近侦察之间,图皤夫带了满满地载着物件的马匹,藏在斯伐庚的森林的田庄里,一到夜,就逃出叫作“面颊”的山谷去了。几天之后,到了希比希,一个人也不缺。

“喂,巴克拉诺夫,可就要动手哩……”莱奋生说。但在他的起伏的视线里,却辨不出他是在开玩笑呢,还是在说真话来。就在这一天,他只留下些可以带走的马,将外套,弹药,长刀,硬面包,都分给各人,仅剩了驮马能够运送的这一点。

「いや、出くわしたっていうだけだ!……それだけじゃ足りないか?」モロズカは不可解な怒りを含んで答えた。

到乌苏里的乌拉辛斯克山溪,已经都被敌军占领。新的兵力集中于伊罗罕札河口,日本军的斥候在各处侦察,常常和莱奋生的巡察冲突起来。到八月底,日本军开始前进了。他们从这田庄进向那田庄,一步一步都安排稳妥,侧面布置着绵密的警备,伴着长久的停止,慢慢地进行。在他们的动作的铁一般固执之中,虽然慢,却可以感到有自信的,有计算的,然而同时是盲目底的力量。

彼は突然淋しくなり、もう人と話したくなくなった。夜の集会に行くつもりだったのに、干し草小屋に潜り込んだが、眠れなかった。不愉快な記憶が重い荷のように圧しかかってきた。メチクは自分を正しい方向から逸らすために、わざわざ路上に現れたように感じられた。

莱奋生的斥候显着杀伐的眼回来了,但他们的报告,是互相矛盾的。

“这究竟是怎么的!”莱奋生冷冷地回问。“昨天说他们是在梭罗孟那耶的,今朝却在摩那庚了,——那么,他们是在后退么?……”

“那我我不知道,”斥候呐呐地说。“也许前哨在梭罗孟那耶罢……”

“那么,在摩那庚的,不是前哨,却是本队,你怎么知道的呢?”

“农人们说的……”

“又是农人们!……人怎样命令你的呀?”

斥候于是捏造了些胡说八道的事情,说明他何以不能深入。但其实,他是给女人们的饶舌吓住了,离敌十威尔斯忒,就坐在丛莽里,吸着烟卷,在等候可以回去了的时候。“你自己拱出一回鼻子去罢。”——他一面着眼,用鬼鬼祟祟的农夫眼色,斜瞥着莱奋生,一面想。

翌日、メチクにもう一度会いたいという望みを辛うじて抑え込んだが、どこにいても落ち着かず、一日中彷徨った。

“你应该自己去走一趟了,”莱奋生对巴克拉诺夫说。“否则,在这里我们会给人家扑杀,象苍蝇一般。这些家伙是没法可想的。你带了谁,在太阳未出之前就动身罢。”

“带谁去呢?”巴克拉诺夫问。他内心虽然汹涌着剧烈的战斗底的欢欣,但硬装着认真的深思远虑模样,他也如莱奋生一样,是以为必须将自己的真感情遮掩起来的。

「俺たちはなんで何の用事もないのに、ずっとここに座ってるんだ?」彼は恨めしげに小隊長に言った。「退屈で腐っちまうぞ……あいつはいったいあそこで何を考えてるんだ、俺たちのレーヴィンソンは?……」

“你自己挑选罢……那个苦勃拉克那里的新来的也可以——是叫作美谛克的罢?又可以顺便看看那是怎样的青年。人们说他好象不行,但是他们弄错的也说不定……”

做斥候去是美谛克的无上的机会。他在部队中的短短的生活之间,已经存贮了非常之多的尚未成就的工作,不会完结的约束,和未曾实现的希望,而于那每一事,则连本可成就的事,也至于失掉那价值和意义了。而且综合起来,这些责任和懒惰,压在他身上,是沉重而且苦痛,使他不能从这被囚的,无意思的狭窄的环境中逃出,现在他觉得,仿佛仗这勇敢的一击,便可以冲破了。

「まさにどうすればモロズカを楽しませられるかを考えてるのさ。ただ座って考えてるだけで、ズボンが全部破れちまったと言ってたぜ。」

他们在未明之前出发。泰茄的尖顶上,已经闪着微红,山脚下的村中,送来了第二遍的公鸡叫。四周是寒冷,昏暗,还有些阴森。这境遇的异常,危险的豫感,成功的希望,——凡这些,在两人里面,激起了一种战斗底的心情;各种另外的情感,全不重要了。在身体中——是血液生波,筋肉见韧,而空气则冰冷地,竟至于显得好象在钻刺,在发声。

トゥボフは複雑なモロズカの心情を全く察していなかった。助けを得られぬモロズカは、不吉な憂鬱の中を走り回り、強烈な仕事で気を紛らわさなければ、酒に浸ることになると分かっていた。生まれてこのかた初めて、自分の欲望と闘っていた。しかし彼の力は弱く、ただ一つの偶然の出来事が彼を没落から救い出したのだった。

“阿呀,你的马,满生着疥癣哩。”巴克拉诺夫说。“没有照管么?那是不行的……一定是苦勃拉克模模胡胡,没有教给你怎么理值罢?”一个知道如何养马的人,会毫无良心,一直弄到这模样,巴克拉诺夫是连梦里也想不到的。“没有教罢,唔?”

“我怎么说呢?……”美谛克窘急起来:“就全般说,他是不很肯照应的。可是听谁好呢,也不知道。”他愧对自己的谎话,在鞍桥上缩着身子,一瞥巴克拉诺夫。

辺鄙な場所に潜んでいたレーヴィンソンは、他の部隊との連絡をほとんどすべて失っていた。時折手に入る報告が描き出すのは、瓦解と苦痛の腐蝕という二つの恐ろしい図像だった。死の鉄靴が容赦なく蟻の群れを蹂躙し、狂気に陥った蟻たちは、絶望して靴の下に身を投じるか、あるいは混乱した群れとなって知れぬ彼方へ逃げ、みずからの酸に腐蝕されていくだけだった。不安なウラジンスクの風は、煙のような血の臭いを運んできた。

“谁都可以,你只要好好地问就是了。在那里明白这等事情的人很多。他们里面尽有着好小子……”

美谛克也几乎翻掉了据为己有的企什的意见,巴克拉诺夫有些中他的意了。他胖得圆圆的,缀住了似的坐在鞍上。他的眼褐色而锐敏,将一切事物,在动荡中抓住,而在这瞬息间也已经将要点从不关紧要的事物中析出,发出实践底的结论来:

“喂,朋友,我先前就在看你的鞍子为什么宽滑了的!你将后面的肚带收得很紧,前面的却拖着。不反一反,是不行的。好,给你来系过罢……”

レーヴィンソンは長年人跡の絶えた、誰も知らぬタイガの小径を辿って、鉄道との連絡を付けた。彼はまた報告を得て、銃器と衣服を積んだ軍用貨車がまもなく来ることを知った。鉄道工夫が日時を詳しく知らせに来る約束になっていた。レーヴィンソンは、部隊は遅かれ早かれ必ず発見されること、そして弾薬も防寒着もなしにタイガで冬を越すことは不可能だと分かっていたので、最初の襲撃を実行する決意を固めた。ゴンカレンコは急いで「急性者」を据え付けた。濃霧の夜、密かに敵陣を迂回し、トゥボフの小隊が突如として鉄道線路脇に出現した。

美谛克还没有明白是怎么一回事,巴克拉诺夫已经跳下马,在鞍子那里动手收拾了。

“那……你的鞍鞯也打着皱哩……下来罢,下来罢——要把马糟蹋了。给你从头弄好罢。”

数威尔斯忒之后,美谛克就确信起来,巴克拉诺夫比他良好而且能干得远,不但这一点,巴克拉诺夫也是非常强壮而且勇敢的人,因此他美谛克应该服从他,毫无贰话。巴克拉诺夫这一面,则不挟一些先入之见,以接近美谛克去,虽然接着也觉得自己的优越,但还是竭力要凭着没有羼杂的观察,来定他的真价值,一面看作同等的脚色,和他去谈天:

……ゴンカレンコは郵便車に続く貨車を切断し、客車には損傷を与えなかった。爆発音の中、炸薬の煙の中で、破壊された線路が宙に跳ね上がり、震えながら斜面の下に落ちた。「急性者」の閂に結ばれた一本の縄が電線に絡まって吊り下がり、後に多くの者が頭を絞って、誰がなぜ何のためにこの物をここに掛けたのかを知ろうとした。

“谁绍介你来的呢?”

“原没有谁,是自己跑来的,虽然给我证明书的,是急进派……”

美谛克记起了式泰信斯基的奇特的举动,就想将保送他的团体的意义,设法弄得含糊些。

“急进派?……你不该和他们往来的——和这些臭小子……”

“但我是不管这些的……只因为有两三个高中学校的同学在那里,我就也……”

騎兵斥候が四方を偵察する間に、トゥボフは物資を満載した馬を連れて、スワーゴンの森の農場に隠れ、夜になると「頬」と呼ばれる谷間から脱出した。数日後、シビシに到着した時、一人の欠員もなかった。

“你在高中学校卒了业么?”巴克拉诺夫截住话。

“唔?是的,卒了业的……”

“那很好。我也进过职业学校。学旋盘工。但没有卒业,因为上学太晚了。”恰如分辩似的,他说。“后来我在造船厂做工,直到兄弟长大……这之间,这回的乱子就闹起来了……”

暂时缄默之后,他沉思似的,拖长了调子说:

“是的……高中学校……孩子时候,我也很想进去的,但怎么能……”

美谛克的话,好象在他心里唤起许多无用的回忆来了。美谛克用了突然的热心,开始来说明巴克拉诺夫的不进高中学校,并不算坏事情,倒是好。他在无意中,想使巴克拉诺夫相信自己虽然无教育,却是怎样一个善良,能干的人,但巴克拉诺夫却不能在自己的无教育之中,看见这样的价值,美谛克的更加复杂的判断,也就全然不能为他所领会了。他们之间,于是并不发生心心相印的交谈。两人策了马,在长久的沉默中开快步前进。

「おい、バクラーノフ、いよいよ始まるぞ……」レーヴィンソンは言った。だがその起伏する眼差しからは、冗談を言っているのか本気なのか判別できなかった。その日のうちに彼は連れて行ける馬だけを残し、外套、弾薬、長刀、乾パンを各人に分配し、駄馬で運べるだけの分量にとどめた。

路上时时遇见斥候,但他们仍然说谎,象先前一样。巴克拉诺夫只是摇头。他们在离梭罗孟那耶的小村三威尔斯忒的田庄里下了马,步行前去。太阳已经西倾,农妇们的杂色的头巾,点缀着疲倦了的田野。从肥大的禾堆上,则静静地躺下浓厚的,柔软的影子来。巴克拉诺夫向着迎面遇见的马车,问在梭罗孟那耶可有日本兵没有。

ウスリーに至るウラジンスクの山渓は、すでにことごとく敵軍に占領されていた。新たな兵力がイロハンザ河口に集結し、日本軍の斥候が各所で偵察を行い、しばしばレーヴィンソンの巡察隊と衝突した。八月末になると、日本軍は前進を開始した。この農場からあの農場へと、一歩一歩着実に布陣し、側面には綿密な警備を配し、長い停止を挟みながら、ゆっくりと進んだ。その動作の鉄のごとき執拗さの中に、遅いながらも自信に満ち、計算された、しかし同時に盲目的な力が感じられた。

“听人说,早上来了五个人,现在却又没听说了……但愿能够给我们收起麦子来——他们先在地狱里……”

美谛克的心狂跳起来了,但他并不觉得恐怖。

“那么,他们是真在摩那庚了。”巴克拉诺夫说。“来的那些一定是斥候。总之,去罢……”

レーヴィンソンの斥候たちは殺気立った目をして帰ってきたが、彼らの報告は互いに矛盾していた。

他们被忧愁的犬吠声所迎接,进了村中。在竖起一束缚在竿上的干草和门前停着马车的客店里,他们“巴克拉诺夫式地”将面包放在大碗里,喝过牛乳。到后来,美谛克每当带着一种不舒服,想起这回的驰驱,则在自己眼前,总看见巴克拉诺夫显着活泼的脸相,上唇带些牛乳点,走出街上去了那时的神情。他们走不到几步,突然从横街里跑出一个提高了裙子的胖女人来,一撞见他们,就柱子一般站住了。她的圆睁的眼,陷在头巾中,她的嘴,是被捕的鱼似的在吸空气。而且忽然,用了最尖利的高声,叫起来了:

「いったいどういうことだ!」レーヴィンソンは冷然と問い返した。「昨日はソロモンナーヤにいると言ったのに、今朝はモナゴンだと——」

“孩子们,我的孩子们,你们那里去呀?许许多日本兵,就在学校里边呵。他们就要到这里来了,快逃罢,他们就要到这里来了!……”

第2節

中文 日本語

往之言此事者,有达尔文《原人论》,赫胥黎《化中人位论》。黑格尔著《人类发生学》,则以古生物学个体发生学及形态学证人类之系统,知动物进化,与人类胎儿之发达同,凡脊椎动物之始为鱼类,见地质学上太古代之僦罗纪,继为迭逢纪之蛙鱼,为石墨纪之两栖,为二叠纪之爬虫,及中古代之哺乳动物,递近古代第三纪,乃见半猿,次生真猿,猿有狭鼻族,由其族生犬猿,次生人猿,人猿生猿人,不能言语,降而能语,是谓之人,此皆比较解剖个体发生及脊椎动物所明证者也。惟个体发达之序亦然,故曰种族发生,为个体发生之反复。然此仅有脊椎动物而已,若更上溯无脊椎动物而探其统系,为业尤艰巨于前。盖此种动物,无骨胳之存,故不见于化石,特据生物学原则,知人类所始为原生动物,与胎孕时之根干细胞相当,下此亦各有相当之动物。于是黑格尔乃追进化之迹而识别之,间有不足,则补以化石与悬拟之生物,而自单幺以至人类之系图遂成,图中所载,即自穆那罗(Monera)渐进以至人类之历史,生物学上所谓种族的发生者是也。其系图如别幅。(见下页图)

従来この事を論じた者に、ダーウィンの『原人論』、ハクスリーの『進化における人間の位置論』がある。ヘッケルは『人類発生学』を著し、古生物学・個体発生学・形態学をもって人類の系統を証し、動物の進化が人類の胎児の発達と同じであることを明らかにした。すなわち脊椎動物の始めは魚類であり、地質学上の太古代のジュラ紀に見え、次いでデヴォン紀の蛙魚、石炭紀の両棲類、二畳紀の爬虫類、そして中古代の哺乳動物となり、近古代第三紀に至ってようやく半猿が現れ、次いで真猿を生じ、猿に狭鼻族があり、その族から犬猿が生じ、次いで人猿が生じ、人猿から猿人が生まれたが言語を解さず、降って言語を解するに至り、これを人と謂う。これらはいずれも比較解剖学・個体発生学および脊椎動物学が明証するところである。個体発達の順序もまた同様であるから、種族発生は個体発生の反復であると言う。しかしこれはただ脊椎動物のみであり、もしさらに遡って無脊椎動物にその系統を探れば、その業はさらに前に増して艱難である。この種の動物には骨格がなく、化石に残らないからだ。ただ生物学の原則に拠り、人類の起源が原生動物であり、胎孕時の根幹細胞に相当することを知り、これ以下にもそれぞれ相当する動物がある。かくしてヘッケルは進化の跡を追跡して識別し、不足があれば化石と仮想の生物で補い、単細胞から人類に至る系図を完成した。図中に載るのはすなわちモネラから漸進して人類に至る歴史であり、生物学上いわゆる種族的発生がこれである。その系図は別図の如し。(次頁の図を見よ)

近三十年来、古生物学の発見にも多くの有力な証拠があり、最も著名なのはジャワの猿人化石である。この化石が現れて、人類の系統はついに大成した。かつて狭鼻猿類と人との系属の間には欠けて見えぬものがあったが、化石を得るに及んで、徴信はいよいよ真となり、その力は比較解剖学および個体発生学に劣らない。ゆえに人類の出自を論ずれば、その物たるや至って卑しく、原生動物と曰う。原生動物はモネラに出で、モネラはプロビオンに出づ。プロビオンは原生物なり。もしさらに原生物の由来を究めんとすれば、ネーゲリ氏の説を近理とする。その説に曰く、有生は無生に始まる。けだし質量不滅の律が生む成果にほかならず、もし物質の全界が因果によって成り、宇宙間の現象もまたこの律に従うならば、非有機物の質に成り、かつ終には非有機物が転化して有機物となる。その本始を究むれば、やはり非有機物に違いない。近ごろフランスにある学者がいて、質力の変化によって非有機物を植物に転化し、また毒や金属で殺して、その導電・伝熱の性質を変えることができた。ゆえに有生物と無生物の二界は日増しに近接し、ついに分かつことができず、無生物が生に転ずるのは不易の真理となった。十九世紀末の学術の驚くべきこと、かくの如し。無生物の始まるところは、宇宙発生学(コスモゲニー)に俟つべきである。

(一九〇七年作。)

【影の告別】

人が何時とも知れぬ時に眠ると、影が別れを告げに来て、このような言葉を語る——

天国には私の好まぬものがある、私は行きたくない。地獄にも私の好まぬものがある、私は行きたくない。あなたたちの来たるべき黄金世界にも私の好まぬものがある、私は行きたくない。

しかし、あなたこそ私の好まぬものなのだ。

友よ、私はもうあなたに従いたくない、住みたくない。

私は厭だ!

近三十年来,古生物学之发见,亦多有力之证,最著者为爪哇之猿人化石,是石现,而人类系统遂大成。盖往者狭鼻猿类与人之系属,缺不可见,逮得化石,征信弥真,力不逊比较解剖及个体发生学也。故论人类从出,为物至卑,曰原生动物。原生动物出自穆那罗,穆那罗出自泼罗比翁(Probion);泼罗比翁,原生物也。若更究原生物由来,则以那格黎(Naegeli)氏说为近理,其说曰,有生始于无生,盖质力不灭律所生之成果尔;若物质全界,无不由因果而成,宇宙间现象,亦遵此律,则成于非官品之质,且终转化而为非官品之官品,究其本始,亦为非官品必矣。近者法有学人,能以质力之变,转非官品为植物,又能以毒鸩金属杀之,易其导电传热之性者。故有生无生二界,且日益近接,终不能分,无生物之转生,是成不易之真理,十九世纪末学术之足惊怖,有如是也。至无生物所始,则当俟宇宙发生学(Kosmogenie)言之。

ああ、ああ、私は厭だ、いっそ地なき所を彷徨おう。

私はただの影に過ぎず、あなたに別れて暗闇の中に沈もうとしている。しかし暗闇もまた私を呑み込み、光もまた私を消し去るだろう。

それでも私は明暗の間を彷徨うよりは、暗闇の中に沈む方がましだ。

しかし私は結局、明暗の間を彷徨っている。黄昏なのか黎明なのか分からない。私はひとまず灰黒の手を挙げて杯を干すふりをしよう。何時とも知れぬ時に、私は独り遠く旅立つだろう。

ああ、ああ、もし黄昏であるなら、暗夜が自ずと来て私を沈めてくれよう。さもなくば、もし今が黎明であるなら、私は白昼に消されてしまうだろう。

友よ、時は近づいた。

私は暗闇へ向かい、地なき所を彷徨おう。

(一九○七年作。)

【影的告别】

人睡到不知道时候的时候,就会有影来告别,说出那些话——

あなたはなお私の贈り物を望んでいる。何を捧げられよう?やむを得ぬ、やはり暗闇と虚空のみ。だが、私はただ暗闘であることを願う、さすればあなたの白昼に消えることもできよう。私はただ虚空であることを願う、決してあなたの心の場所を占めはしない。

有我所不乐意的在天堂里,我不愿去;有我所不乐意的在地狱里,我不愿去;有我所不乐意的在你们将来的黄金世界里,我不愿去。

友よ、私はこう願う——

然而你就是我所不乐意的。

朋友,我不想跟随你了,我不愿住。

私は独り遠く旅立つ、あなたがいないだけでなく、もはや暗闇の中にほかの影もない。ただ私だけが暗闇に沈み、あの世界はすべて私自身のものとなる。

我不愿意!

呜乎呜乎,我不愿意,我不如彷徨于无地。

我不过一个影,要别你而沉没在黑暗里了。然而黑暗又会吞并我,然而光明又会使我消失。

(一九二四年九月二十四日。)

然而我不愿彷徨于明暗之间,我不如在黑暗里沉没。

然而我终于彷徨于明暗之间,我不知道是黄昏还是黎明。我姑且举灰黑的手装作喝干一杯酒,我将在不知道时候的时候独自远行。

【魯迅全集・第二巻】

呜乎呜乎,倘若黄昏,黑夜自然会来沉没我,否则我要被白天消失,如果现是黎明。

熱風

朋友,时候近了。

我将向黑暗里彷徨于无地。

題記

你还想我的赠品。我能献你甚么呢?无已,则仍是黑暗和虚空而已。但是,我愿意只是黑暗,或者会消失于你的白天;我愿意只是虚空,决不占你的心地。

——一九一八年——

我愿意这样,朋友——

我独自远行,不但没有你,并且再没有别的影在黑暗里。只有我被黑暗沉没,那世界全属于我自己。

随感録二十五

(一九二四年九月二十四日。)

【鲁迅全集•第二卷】

热风

题记

——一九一八年——

随感録三十三

随感录二十五

随感录三十三

随感录三十五

随感录三十六

随感录三十七

随感录三十八

随感录三十九

随感录四十

随感録三十五

随感录四十一

随感录四十二

随感录四十三

随感录四十六

随感录四十七

随感录四十八

随感录四十九

随感录五十三

随感録三十六

随感录五十四

五十六 “来了”

五十七 现在的屠杀者

五十八 人心很古

五十九 “圣武”

六十一 不满

六十二 恨恨而死

随感録三十七

六十三 “与幼者”

六十四 有无相通

六十五 暴君的臣民

六十六 生命的路

——一九二一年——

知识即罪恶

随感録三十八

事实胜于雄辩

——一九二二年——

估“学衡”

为俄国歌剧团

无题

“以震其艰深”

所谓“国学”

儿歌的“反动”

“一是之学说”

随感録三十九

不懂的音译

对于批评家的希望

反对“含泪”的批评家

即小见大

——一九二四年——

望勿“纠正”

彷徨

祝福

随感録四十

在酒楼上

幸福的家庭

肥皂

长明灯

示众

高老夫子

孤独者

伤逝

弟兄

离婚

朝花夕拾

小引

狗·猫·鼠

阿长与山海经

二十四孝图

随感録四十一

五猖会

无常

从百草园到三味书屋

父亲的病

琐记

藤野先生

范爱农

后记

故事新编

序言

补天

奔月

理水

采薇

铸剑

出关

非攻

起死

随感録四十二

【诗】

【哭范爱农】

把酒论天下,先生小酒人;

大圜犹酩酊,微醉合沉沦;

出谷无穷夜,新宫自在春;

旧朋云散尽,余亦等轻尘!

随感録四十三

(一九一二年。)

【送O.E.君携兰归国】

椒焚桂折佳人老,独托幽岩展素心,

岂惜芳馨遗远者,故乡如醉有荆榛。

随感録四十六

【无题】

大野多钩棘,长天列战云;

几家春袅袅,万籁静愔愔;

下土惟秦醉,中流辍越吟;

风波一浩荡,花树已萧森。

随感録四十七

三月

【赠日本歌人】

春江好景依然在,远国征人此际行,

莫向遥天望歌舞,西游演了是封神。

【湘灵歌】

随感録四十八

昔闻湘水碧如染,今闻湘水胭脂痕,

湘灵妆成照湘水,皎如皓月窥彤云,

高丘寂寞竦中夜,芳荃零落无余春,

随感録四十九

鼓完瑶瑟人不闻,太平成象盈秋门。

【自嘲】

运交华盖欲何求,未敢翻身已碰头,

破帽遮颜过闹市,漏船载酒泛中流,

随感録五十三

横眉冷对千夫指,俯首甘为孺子牛,

躲进小楼成一统,管它冬夏与春秋。

【无题】

洞庭木落楚天高,眉黛猩红涴战袍,

随感録五十四

泽畔有人吟不得,秋波渺渺失离骚。

【二十二年元旦】

云封高岫护将军,霆击寒村灭下民,

到底不如租界好,打牌声里又新春。

五十六 「来た」

【题彷徨】

寂寞新文苑,平安旧战场,

两间余一卒,荷戟独彷徨。

【题三义塔三义塔者,中国上海闸北三义里遗鸠埋骨之塔也,在日本,农人共建之。】

五十七 現在の屠殺者

奔霆飞熛歼人子,败井颓垣剩饿鸠。

偶值大心离火宅,终遗高塔念瀛洲。

五十八 人心は甚だ古し

精禽梦觉仍衔石,斗士诚坚共抗流。

度尽劫波兄弟在,相逢一笑泯恩仇。

【悼丁君】

如磐夜气压重楼,剪柳春风导九秋,

五十九 「聖武」

瑶瑟凝尘清怨绝,可怜无女耀高丘。

【赠人】

明眸越女罢晨装,荇水荷风是旧乡,

唱尽新词欢不见,旱云如火扑晴江。

六十一 不満

其二

秦女端容理玉筝,梁尘踊跃夜风轻,

须臾响急冰弦绝,但见奔星劲有声。

【阻郁达夫移家杭州】

六十二 恨み恨みて死す

钱王登假仍如在,伍相随波不可寻,

平楚日和憎健翮,小山香满蔽高岑,

坟坛冷落将军岳,梅鹤凄凉处士林,

何似举家游旷远,风波浩荡足行吟。

六十三 「幼き者に与う」

【一九二六年】

【】

【中山先生逝世后一周年】

中山先生逝世后无论几周年,本用不着什么纪念的文章。只要这先前未曾有的中华民国存在,就是他的丰碑,就是他的纪念。

六十四 有無相通

凡是自承为民国的国民,谁有不记得创造民国的战士,而且是第一人的?但我们大多数的国民实在特别沉静,真是喜怒哀乐不形于色,而况吐露他们的热力和热情。因此就更应该纪念了;因此也更可见那时革命有怎样的艰难,更足以加增这纪念的意义。

六十五 暴君の臣民

六十六 生命の路

记得去年逝世后不很久,甚至于就有几个论客说些风凉话。是憎恶中华民国呢,是所谓“责备贤者”呢,是卖弄自己的聪明呢,我不得而知。但无论如何,中山先生的一生历史具在,站出世间来就是革命,失败了还是革命;中华民国成立之后,也没有满足过,没有安逸过,仍然继续着进向近于完全的革命的工作。直到临终之际,他说道:革命尚未成功,同志仍须努力!

——一九二一年——

知識すなわち罪悪

事実は雄弁に勝る

——一九二二年——

那时新闻上有一条琐载,不下于他一生革命事业地感动过我,据说当西医已经束手的时候,有人主张服中国药了;但中山先生不赞成,以为中国的药品固然也有有效的,诊断的知识却缺如。不能诊断,如何用药?毋须服。人当濒危之际,大抵是什么也肯尝试的,而他对于自己的生命,也仍有这样分明的理智和坚定的意志。

「学衡」を評す

ロシア歌劇団のために

他是一个全体,永远的革命者。无论所做的那一件,全都是革命。无论后人如何吹求他,冷落他,他终于全都是革命。

無題

为什么呢?托洛斯基曾经说明过什么是革命艺术。是:即使主题不谈革命,而有从革命所发生的新事物藏在里面的意识一贯着者是;否则,即使以革命为主题,也不是革命艺术。中山先生逝世已经一年了,“革命尚未成功”,仅在这样的环境中作一个纪念。然而这纪念所显示,也还是他终于永远带领着新的革命者前行,一同努力于进向近于完全的革命的工作。

「以て其の艱深を震わさんとす」

いわゆる「国学」

童謡の「反動」

「一是の学説」

(三月十日晨。)

(一九二六年三月十二日《国民新报》“孙中山先生逝世周年纪念特刊”所载。)

【“何典”题记】

分からない音訳

《何典》的出世,至少也该有四十七年了,有光绪五年的《申报馆书目续集》可证。我知道那名目,却只在前两三年,向来也曾访求,但到底得不到。现在半农加以校点,先示我印成的样本,这实在使我很喜欢。只是必须写一点序,却正如阿Q之画圆圈,我的手不免有些发抖。我是最不擅长于此道的,虽然老朋友的事,也还是不会捧场,写出洋洋大文,俾于书,于店,于人,有什么涓埃之助。

批評家への希望

「含涙」の批評家に反対す

小を即して大を見る

第3節

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我看了样本,以为校勘有时稍迂,空格令人气闷,半农的士大夫气似乎还太多。至于书呢?那是,谈鬼物正像人间,用新典一如古典。三家村的达人穿了赤膊大衫向大成至圣先师拱手,甚而至于翻筋斗,吓得“子曰店”的老板昏厥过去;但到站直之后,究竟都还是长衫朋友。不过这一个筋斗,在那时,敢于翻的人的魄力,可总要算是极大的了。

見本を見て、校勘が時に些か迂遠で、空白が息苦しく、半農の士大夫気質がまだ多すぎるように思った。本の内容はといえば、鬼神を語りながらまさに人間そのものであり、新典を用いること古典と同じ。三家村の達人が赤裸の大衫で大成至聖先師に拱手し、あまつさえ宙返りまでして、「子曰店」の店主を気絶させる。だが立ち直ってみれば、結局みな長衫の友である。ただこの一回の宙返り、当時あえてやった者の胆力は、やはり極めて大きかったと言わねばなるまい。

成語と死んだ古典はまた違い、成語は多くが現世相の精髄であり、手当たり次第にこれを拈い上げれば、自然と文章は格別生き生きとし、また成語の中からさらに思緒を引き出す。世相の種子から出たものであれば、咲く花も必ず世相の花だ。かくして作者は死んだ鬼画符や鬼打墻の中に、活きた人間の相を展開した。あるいは活きた人間の相をすべて、死んだ鬼画符や鬼打墻と見なしたとも言えよう。でたらめを並べている箇所でさえ、しばしば読む者に心当たりを感じさせ、それほど困らされることのない苦笑を禁じ得なくさせる。

成语和死古典又不同,多是现世相的神髓,随手拈掇,自然使文字分外精神,又即从成语中,另外抽出思绪:既然从世相的种子出,开的也一定是世相的花。于是作者便在死的鬼画符和鬼打墙中,展示了活的人间相,或者也可以说是将活的人间相,都看作了死的鬼画符和鬼打墙。便是信口开河的地方,也常能令人仿佛有会于心,禁不住不很为难的苦笑。

もうよかろう。博士のような人物でもないのに、どうして序文を書き出す資格があろうか。だが旧友の面子を断り切れず、手を動かさねばなるまい。応酬はやむを得ず、円滑にはやり方がある。短い文にしておけば、大過なしというものだ。

够了。并非博士般角色,何敢开头?难违旧友的面情,又该动手。应酬不免,圆滑有方:只作短文,庶无大过云尔。

中華民国十五年五月二十五日、魯迅謹撰。

中华民国十五年五月二十五日,鲁迅谨撰。

【“十二个”后记】

俄国在一九一七年三月的革命,算不得一个大风暴;到十月,才是一个大风暴,怒吼着,震荡着,枯朽的都拉杂崩坏,连乐师画家都茫然失措,诗人也沉默了。

【「十二個」後記】

就诗人而言,他们因为禁不起这连底的大变动,或者脱出国界,便死亡,如安得列夫;或者在德、法做侨民,如梅垒什珂夫斯奇、巴理芒德;或者虽然并未脱走,却比较的失了生动,如阿尔志跋绥夫。但也有还是生动的;如勃留梭夫和戈理奇、勃洛克。

ロシアの一九一七年三月の革命は、さほどの大嵐とは言えなかった。十月に至って、はじめて大嵐となった。怒号し、震動し、朽ちたものはことごとく崩壊し、楽師や画家すら茫然自失し、詩人も沈黙した。

但是,俄国诗坛上先前那样盛大的象征派的衰退,却并不只是革命之赐;从一九一一年以来,外受未来派的袭击,内有实感派,神秘底虚无派,集合底主我派们的分离,就已跨进了崩溃时期了。至于十月的大革命,那自然,也是额外的一个沉重的打击。

詩人について言えば、彼らはこの根底からの大変動に堪えきれず、国境を越えて死んだ者もいる。アンドレーエフのように。あるいは独仏で亡命者となった者もいる。メレジコフスキーやバリモンドのように。あるいは国外に出なかったものの、いくらか生気を失った者もいる。アルツィバーシェフのように。だがなお生気に満ちた者もいた。ブリューソフやゴーリキー、ブロークのように。

梅垒什珂夫斯奇们既然作了侨民,就常以痛骂苏俄为事;别的作家虽然还有创作,然而不过是写些“什么”,颜色很黯淡,衰弱了。象征派诗人中,收获最多的,就只有勃洛克。

勃洛克名亚历山大,早就有一篇很简单的自叙传——

しかし、ロシアの詩壇で以前あれほど隆盛を極めた象徴派の衰退は、革命のみの賜物ではなかった。一九一一年以来、外には未来派の襲撃を受け、内にはアクメイスト、神秘的虚無派、集合的主我派の分離があり、すでに崩壊期に踏み込んでいた。十月の大革命は、もちろんさらなる重い打撃であった。

“一八八〇年生在彼得堡。先学于古典中学,毕业后进了彼得堡大学的言语科。一九〇四年才作《美的女人之歌》这抒情诗,一九〇七年又出抒情诗两本,曰《意外的欢喜》,曰《雪的假面》。抒情悲剧《小游览所的主人》、《广场的王》、《未知之女》,不过才脱稿。现在担当着《梭罗忒亚卢拿》的批评栏,也和别的几种新闻杂志关系着。”

メレジコフスキーらは亡命者となって、痛罵ソヴィエト・ロシアを常とした。他の作家もなお創作はあったが、ただ何かしらを書くだけで、色彩は甚だ暗く、衰弱していた。象徴派の詩人の中で最も収穫の多かったのは、ブロークただ一人である。

此后,他的著作还很多:《报复》、《文集》、《黄金时代》、《从心中涌出》、《夕照是烧尽了》、《水已经睡着》、《运命之歌》。当革命时,将最强烈的刺戟给与俄国诗坛的,是《十二个》。

ブロークの名はアレクサンドル。早くからごく簡単な自叙伝がある——

他死时是四十二岁,在一九二一年。

从一九〇四年发表了最初的象征诗集《美的女人之歌》起,勃洛克便被称为现代都会诗人的第一人了。他之为都会诗人的特色,是在用空想,即诗底幻想的眼,照见都会中的日常生活,将那朦胧的印象,加以象征化。将精气吹入所描写的事象里,使它苏生;也就是在庸俗的生活,尘嚣的市街中,发见诗歌底要素。所以勃洛克所擅长者,是在取卑俗,热闹,杂沓的材料,造成一篇神秘底写实的诗歌。

「一八八〇年ペテルブルグに生まれる。まず古典中学に学び、卒業後ペテルブルグ大学の言語科に入る。一九〇四年に抒情詩『美しき女人の歌』を作り、一九〇七年にまた抒情詩二冊を出す。曰く『思いがけぬ喜び』、曰く『雪の仮面』。抒情悲劇『小遊園地の主人』、『広場の王』、『見知らぬ女』は脱稿したばかり。現在は『ゾロタヤ・ルナ』の批評欄を担当し、他のいくつかの新聞雑誌にも関係している。」

この後、彼の著作はさらに多い。『報復』、『文集』、『黄金時代』、『心の中から湧き出して』、『夕陽は燃え尽きた』、『水はもう眠った』、『運命の歌』。革命の際に、ロシアの詩壇に最も強烈な刺激を与えたのは『十二個』であった。

中国没有这样的都会诗人。我们有馆阁诗人、山林诗人、花月诗人……;没有都会诗人。

能在杂沓的都会里看见诗者,也将在动摇的革命中看见诗。所以勃洛克做出《十二个》,而且因此“在十月革命的舞台上登场了”。但他的能上革命的舞台,也不只因为他是都会诗人;乃是,如托罗兹基言,因为他“向着我们这边突进了。突进而受伤了。”

彼の死んだのは四十二歳の時、一九二一年であった。

《十二个》于是便成了十月革命的重要作品,还要永久地流传。

一九〇四年に最初の象徴詩集『美しき女人の歌』を発表して以来、ブロークは現代都会詩人の第一人者と称された。彼が都会詩人たる特色は、空想すなわち詩的幻想の眼をもって都会の日常生活を照らし、その朧ろな印象を象徴化するところにある。描写する事象に精気を吹き込んで蘇らせる。すなわち平凡な生活、塵埃の巷の中に詩歌的要素を見出すのだ。ゆえにブロークの長ずるところは、卑俗で喧噪で雑踏した素材を取り、一篇の神秘的な写実の詩歌を造り上げることにある。

旧的诗人沉默,失措,逃走了,新的诗人还未弹他的奇颖的琴。勃洛克独在革命的俄国中,倾听“咆哮狞猛,吐着长太息的破坏的音乐”。他听到黑夜白雪间的风,老女人的哀怨,教士和富翁和太太的彷徨,会议中的讲嫖钱,复仇的歌和枪声,卡基卡的血。然而他又听到癞皮狗似的旧世界,他向着革命这边突进了。

中国にはこのような都会詩人がいない。我々には館閣詩人、山林詩人、花月詩人がいるが……都会詩人はいない。

然而他究竟不是新兴的革命诗人,于是虽然突进,却终于受伤,他在十二个之前,看见了戴着白玫瑰花圈的耶稣基督。

雑踏する都会の中に詩を見出せる者は、動揺する革命の中にも詩を見出すだろう。だからブロークは『十二個』を作り、これによって「十月革命の舞台に登場した」のだ。だが彼が革命の舞台に上がれたのは、都会詩人であったからだけではない。トロツキーの言うように、彼が「我々の側へ突進したからだ。突進して負傷したのだ。」

但这正是俄国十月革命“时代的最重要的作品”。

呼唤血和火的,咏叹酒和女人的,赏味幽林和秋月的,都要真的神往的心,否则一样是空洞。人多是“生命之川”之中的一滴,承着过去,向着未来,倘不是真的特出到异乎寻常的,便都不免并含着向前和反顾。诗《十二个》里就可以看见这样的心:他向前,所以向革命突进了,然而反顾,于是受伤。

『十二個』はかくして十月革命の重要な作品となり、永久に伝えられるであろう。

篇末出现的耶稣基督,仿佛可有两种的解释:一是他也赞同,一是还须靠他得救。但无论如何,总还以后解为近是。故十月革命中的这大作品《十二个》,也还不是革命的诗。

旧い詩人は沈黙し、途方に暮れ、逃げ去った。新しい詩人はまだ奇抜な琴を弾いていなかった。ブロークは独り革命のロシアの中で、「咆哮し獰猛に、長い太息を吐く破壊の音楽」に耳を傾けた。彼は闇夜の白雪の中の風を聞き、老女の哀怨を聞き、僧侶と金持ちと夫人の彷徨を聞き、会議での遊郭話を聞き、復讐の歌と銃声を聞き、カーチカの血を聞いた。そしてまた、癩犬のような旧世界を聞き、革命の側へ突進したのだ。

然而也不是空洞的。

这诗的体式在中国很异样;但我以为很能表现着俄国那时(!)的神情;细看起来,也许会感到那大震撼,大咆哮的气息。可惜翻译最不易。我们曾经有过一篇从英文的重译本;因为还不妨有一种别译,胡成才君便又从原文译出了。不过诗是只能有一篇的,即使以俄文改写俄文,尚且决不可能,更何况用了别一国的文字。然而我们也只能如此。至于意义,却是先由伊发尔先生校勘过的;后来,我和韦素园君又酌改了几个字。

しかし彼はやはり新興の革命詩人ではなかった。だから突進はしたものの、結局負傷し、十二人の前に白い薔薇の花冠を被ったイエス・キリストを見たのだ。

だがこれこそロシア十月革命「時代の最も重要な作品」なのである。

前面《勃洛克论》是我译添的,是《文学与革命》(Literatura i Revolutzia)的第三章,从茂森唯士氏的日本文译本重译;韦素园君又给对校原文,增改了许多。

血と火を呼ぶ者も、酒と女を詠嘆する者も、幽林と秋月を賞味する者も、すべて真に神往の心がなければ、等しく空虚である。人の多くは「生命の川」の一滴であり、過去を承け、未来に流れ行く。だが人にはまた個性がある。ブロークは波頭に立った一滴であった。彼の明暗のうちに、時代の明暗もまた見ることができる。

在中国人的心目中,大概还以为托罗兹基是一个喑呜叱咤的革命家和武人,但看他这篇,便知道他也是一个深解文艺的批评者。他在俄国,所得的俸钱,还是稿费多。但倘若不深知他们文坛的情形,似乎不易懂;我的翻译的拙涩,自然也是一个重大的原因。

この長詩は一九一八年一月に作られた。四月に出版され、いくつかの新聞にも出た。革命的な人々はこれを受け入れた。反革命派は激怒した。ブロークの旧友の多くも離れ去った。

书面和卷中的四张画,是玛修丁(V.Masiutin)所作的。他是版画的名家。这几幅画,即曾被称为艺术底版画的典型;原本是木刻。卷头的勃洛克的画像,也不凡,但是从《新俄罗斯文学的曙光期》转载的,不知道是谁作。

しかし『十二個』はなお「十月革命の時代の最も重要な作品」として残っている。

俄国版画的兴盛,先前是因为照相版的衰颓和革命中没有细致的纸张,倘要插图,自然只得应用笔路分明的线画。然而只要人民有活气,这也就发达起来,在一九二二年弗罗连斯的万国书籍展览会中,就得了非常的赞美了。

「朝花社」が前年にこの長詩の翻訳を出そうとして、私は小序を書いた。だが印刷の直前に、朝花社は人の離散のために自ら瓦解し、そのまま世に出なかった。今、訳者がまた自ら出そうとするので、私は原稿を返し、この後記を添える。作者自身の弁にも拠り、また外国の論者にも参照して、この小さな紹介に代える。しかし本来、良い作品は自分で語るものであって、本当のところ何の注釈も要らないのだが。

一九二六年七月二十一日,鲁迅记于北京。

【“争自由的波浪”小引】

俄国大改革之后,我就看见些游览者的各种评论。或者说贵人怎样惨苦,简直不像人间;或者说平民究竟抬了头,后来一定有希望。或褒或贬,结论往往正相反。我想,这大概都是对的。贵人自然总要较为苦恼,平民也自然比先前抬了头。游览的人各照自己的倾向,说了一面的话。近来虽听说俄国怎样善于宣传,但在北京的报纸上,所见的却相反,大抵是要竭力写出内部的黑暗和残酷来。这一定是很足使礼教之邦的人民惊心动魄的罢。但倘若读过专制时代的俄国所产生的文章,就会明白即使那些话全是真的,也毫不足怪。俄皇的皮鞭和绞架,拷问和西伯利亚,是不能造出对于怨敌也极仁爱的人民的。

一九二九年三月五日、夜、魯迅。

……彼らに談助を供する。紙の上に書けば、血色はとうに薄くなっている。ダン・ケルの慷慨、トルストイの慈悲、なんと柔和な心であろう。だが当時なお印行を許されなかった。この文章を書くこと、この印行を許さぬこと、それもまた凶心を満足させ、談助を増やすものであった。英雄の血は、始終、無味な国土の人生の塩であり、しかもたいてい閑人たちの生活の塩に供されるのだ。これは実に驚くべきことである。

この書の中のソフィアの人格はなお人を感動させ、ゴーリキーの筆の下の人生もなお活き活きしているが、大半はやはり流水帳簿になってしまうのだろう。だが過去の血の流水帳簿をめくれば、もともと将来を推し測れないこともないのだ——ただしその帳簿を消閑の具にしなければの話だが。

以前的俄国的英雄们,实在以种种方式用了他们的血。使同志感奋,使好心肠人堕泪,使刽子手有功,使闲汉得消遣。总是有益于人们,尤其是有益于暴君,酷吏,闲人们的时候多;餍足他们的凶心,供给他们的谈助。将这些写在纸上,血色早已轻淡得远了;如但兼珂的慷慨,托尔斯多的慈悲,是多么柔和的心。但当时还是不准印行。这做文章,这不准印,也还是使凶心得餍足,谈助得加添,英雄的血,始终是无味的国土里的人生的盐,而且大抵是给闲人们作生活的盐,这倒实在是很可诧异的。

今なおロシアの上等人のために不平を鳴らす者がいて、革命の光明の標語が、実際には暗黒になったと言う。これもおそらく本当だろう。改革の標語は必ず比較的光明であり、この書に収められた数篇の文章が書かれた時代、改革者はおそらく一切の人々に一律の光明を普く与えたいと思っていた。だが彼らは拷問され、幽閉され、流刑にされ、殺戮された。与えたくとも、与えられなかった。これはすでにみな帳簿に書かれており、一度めくれば明白だ。もし革新を阻み改革者を屠殺した人物が、改革後もまた改革の光明に浴するなら、彼らの立場こそ最も安泰なものであろう。しかしすでにすべて帳簿に書かれているがゆえに、血の方式は後になって以前とは異なり、以前のような時代は彼らにとって過ぎ去ったのだ。

中国に平民の時代が来るかどうか、もちろん断定はできない。だがいずれにせよ、平民が命がけで改革した後に、上等人のために魚翅(フカヒレ)の宴を用意するなどということは決してあり得まい。なぜなら上等人たちはかつて彼らに雑穀麺すら用意してくれたことがないのだから。この一冊をめくりさえすれば、他国の自由がいかに勝ち取られたかのいきさつがおおよそ分かり、しかもその結果を見れば、たとえ将来地位が失墜しても、妄りに不平を鳴らすことはなくなろう。失意にして仏を学ぶよりも、はるかに切実である。だから、私はこの数篇の文章は中国においてなお大いに益があると思う。

这书里面的梭斐亚的人格还要使人感动,戈理基笔下的人生也还活跃着,但大半也都要成为流水帐簿罢。然而翻翻过去的血的流水帐簿,原也未始不能够推见将来,只要不将那帐目来作消遣。

一九二六年十一月十四日、風雨の夜、魯迅、廈門にて記す。

有些人到现在还在为俄国的上等人鸣不平,以为革命的光明的标语,实际倒成了黑暗。这恐怕也是真的。改革的标语一定是较光明的;做这书中所收的几篇文章的时代,改革者大概就很想普给一切人们以一律的光明。但他们被拷问,被幽禁,被流放,被杀戮了。要给,也不能。这已经都写在帐上,一翻就明白。假使遏绝革新,屠戮改革者的人物,改革后也就同浴改革的光明,那所处的倒是最稳妥的地位。然而已经都写在帐上了,因此用血的方式,到后来便不同,先前似的时代在他们已经过去。

【一九二九年】

【「近代木刻選集」(1)小引】

中国是否会有平民的时代,自然无从断定。然而,总之,平民总未必会舍命改革以后,倒给上等人安排鱼翅席,是显而易见的,因为上等人从来就没有给他们安排过杂合面。只要翻翻这一本书,大略便明白别人的自由是怎样挣来的前因,并且看看后果,即使将来地位失坠,也就不至于妄鸣不平,较之失意而学佛,切实得多多了。所以,我想,这几篇文章在中国还是很有好处的。

中国の古人が発明し、今では爆竹や風水に使われている火薬と羅針盤は、ヨーロッパに伝わると銃砲と航海に応用され、本家にずいぶんと苦い目を見せた。もう一つ小さな公案があるが、害がなかったためにほとんど忘れられている。それが木版画だ。

まだ十分な確証はないものの、ヨーロッパの木版画は中国から学んだものだと、すでにかなりの人が言っている。時は十四世紀初頭、すなわち一三二〇年頃。その先駆者は、おそらく極めて粗い木版画を刷った紙牌であろう。この種の紙牌は、今なお中国の田舎で見ることができる。しかしこの博打の道具が、ヨーロッパ大陸に渡り、彼らの文明の利器たる印刷術の始祖となったのだ。

一九二六年十一月十四日风雨之夜,鲁迅记于厦门。

【一九二九年】

【“近代木刻选集”(1)小引】

中国古人所发明,而现在用以做爆竹和看风水的火药和指南针,传到欧洲,他们就应用在枪炮和航海上,给本师吃了许多亏。还有一件小公案,因为没有害,倒几乎忘却了。那便是木刻。

木版画もおそらく同様にして伝わった。十五世紀初めにはドイツにすでに木版の聖母像があり、原画はなおベルギーのブリュッセル博物館に存するが、今なおこれより古い印本は発見されていない。十六世紀初めに木版画の大家デューラー(A. Dürer)とホルバイン(H. Holbein)が出現し、デューラーは殊に有名で、後世ほとんど木版画の始祖と見なされた。十七、八世紀はみなその波流に沿った。

虽然还没有十分的确证,但欧洲的木刻,已经很有几个人都说是从中国学去的,其时是十四世纪初,即一三二〇年顷。那先驱者,大约是印着极粗的木版图画的纸牌;这类纸牌,我们至今在乡下还可看见。然而这博徒的道具,却走进欧洲大陆,成了他们文明的利器的印刷术的祖师了。

木版画の用途は、単独の一枚物のほかに、書籍の挿画がある。そこに精巧な銅版画法が興ると、木版画は突然衰退した。これもまた必然の勢いである。ただイギリスは銅版術の輸入が遅く、なお旧法を保存し、これを義務と光栄としていた。一七七一年、初めて木口彫刻すなわちいわゆる「白線彫版法」を用いて登場したのが、ビューイック(Th. Bewick)である。この新法がヨーロッパ大陸に入り、木版画復興の契機となった。

木版画恐怕也是这样传去的;十五世纪初德国已有木版的圣母像,原画尚存比利时的勃吕舍勒博物馆中,但至今还未发见过更早的印本。十六世纪初,是木刻的大家调垒尔(A.Dürer)和荷勒巴因(H.Holbein)出现了,而调垒尔尤有名,后世几乎将他当作木版画的始祖。到十七八世纪,都沿着他们的波流。

だが精巧な彫刻は、後に次第に他の版式の模倣に偏っていった。水彩画を真似、エッチング、網目銅版等を模したり、あるいは写真を木面に移してさらに精緻に彫ったりと、技術はまことに極まったが、すでに複製的木版画となっていた。十九世紀中葉に至り、ついに大転換が起こり、創作的木版画が興った。

木版画之用,单幅而外,是作书籍的插图。然则巧致的铜版图术一兴,这就突然中衰,也正是必然之势。惟英国输入铜版术较晚,还在保存旧法,且视此为义务和光荣。一七七一年,以初用木口雕刻,即所谓“白线雕版法”而出现的,是毕维克(Th.Bewick)。这新法进入欧洲大陆,又成了木刻复兴的动机。

いわゆる創作的木版画とは、模倣せず、複刻せず、作者が刀を握って木に直接彫り下ろすものだ。——思い出すのは宋人の、おそらく蘇東坡だろうが、人に梅を描いてもらう詩があり、その一句に「我に一匹の好東あり、請う君筆を放ちて直幹を為せ!」とある。この刀を放って直幹を為すことこそ、創作的版画に最も必要なことであり、絵画と異なるのは、筆の代わりに刀を、紙や布の代わりに木を用いる点にある。中国の刻図は、いわゆる「繍梓」といえども、もはやこれには遠く及ばず、その精神は、鉄筆で石の印章を刻む者にいくらか近い。

創作的であるがゆえに、風韻も技巧も人によって異なり、すでに複製木版画から離れて純正な芸術となっている。今日の画家はほとんど大半がこれを試みている。

但精巧的雕镌,后又渐偏于别种版式的模仿,如拟水彩画,蚀铜版,网铜版等,或则将照相移在木面上,再加绣雕,技术固然极精熟了,但已成为复制底木版。至十九世纪中叶,遂大转变,而创作底木刻兴。

ここに紹介するのは、いずれも現今の作家の作品である。だがこの数枚だけではさまざまな作風を尽くすには足りない。もし事情が許すなら、我々は次第に輸入していこう。木版画の帰国は、おそらくあの他の二つのように本家に苦い目を見せることにはなるまい。

所谓创作底木刻者,不模仿,不复刻,作者捏刀向木,直刻下去。——记得宋人,大约是苏东坡罢,有请人画梅诗,有句云:“我有一匹好东,请君放笔为直干!”这放刀直干,便是创作底版画首先所必须,和绘画的不同,就在以刀代笔,以木代纸或布,中国的刻图,虽是所谓“绣梓”,也早已望尘莫及,那精神,惟以铁笔刻石章者,仿佛近之。

一九二九年一月二十日、魯迅、上海にて記す。

因为是创作底,所以风韵技巧,因人不同,已和复制木刻离开,成了纯正的艺术,现今的画家,几乎是大半要试作的了。

(『芸苑朝華』第一期、第一輯所載。)

在这里所绍介的,便都是现今作家的作品;但只这几枚,还不足以见种种的作风,倘为事情所许,我们逐渐来输运罢。木刻的回国,想来决不致于像别两样的给本师吃苦的。

一九二九年一月二十日,鲁迅记于上海。

【「近代木刻選集」(1)附記】

(《艺苑朝华》第一期,第一辑所载。)

【“近代木刻选集”(1)附记】

本集中的十二幅木刻,都是从英国的《The Bookman》,《The Studio》,《The Woodcut of To–day》(Edited by G.Holme)中选取的,这里也一并摘录几句解说。

本集中の十二幅の木版画は、いずれも英国の"The Bookman"、"The Studio"、"The Woodcut of To-day"(G. Holme編)から選んだもので、ここにも解説を数句摘録しておく。

第4節

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惠勃(C.C.Webb)是英国现代著名的艺术家,从一九二二年以来,都在毕明翰(Birmingham)中央学校教授美术。第一幅《高架桥》是圆满的大图画,用一种独创的方法所刻,几乎可以数出他雕刻的笔数来。统观全体,则是精美的发光的白色标记,在一方纯净的黑色地子上。《农家的后园》,刀法也多相同。《金鱼》更可以见惠勃的作风,新近在“Studio”上,曾大为George Sheringham所称许。

ウェッブ(C. C. Webb)はイギリス現代の著名な芸術家で、一九二二年以来、バーミンガム(Birmingham)中央学校で美術を教えている。第一の図《高架橋》は円熟した大きな図画で、独創的な方法で彫られ、ほとんどその彫刻の筆数を数えられるほどだ。全体を通観すれば、純浄な黒い地の上の精美な発光する白い標識である。《農家の裏庭》も刀法はほぼ同じ。《金魚》にはウェッブの作風がさらによく窺え、最近"Studio"誌上でジョージ・シェリンガムに大いに称賛された。

司提芬·蓬(Stephen Bone)的一幅,是George Bourne的“A Farmer’s Life”的插图之一。论者谓英国南部诸州的木刻家无出作者之右,散文得此,而妙想愈明云。

スティーヴン・ボーン(Stephen Bone)の一幅は、ジョージ・ボーンの"A Farmer's Life"の挿画の一つである。論者はイングランド南部諸州の木版画家で作者の右に出る者はなく、散文がこの画を得てますます妙想が明らかになると評した。

达格力秀(E.Fitch Daglish)是伦敦动物学会会员,木刻也有名,尤宜于作动植物书中的插画,能显示最严正的自然主义和纤巧敏慧的装饰的感情。《田凫》是E.M.Nicholson的“Birds in England”中插画之一;《淡水鲈鱼》是Izaak Walton and Charles Cotton的“The Complete Angler”中的。观这两幅,便可知木刻术怎样有裨于科学了。

ダグリッシュ(E. Fitch Daglish)はロンドン動物学会の会員で、木版画にも名があり、とりわけ動植物書の挿画に適し、最も厳正な自然主義と繊巧敏慧な装飾的感情を示し得る。《田凫》はE. M. ニコルスンの"Birds in England"の挿画の一つ、《淡水鱸魚》はアイザック・ウォルトンとチャールズ・コットンの"The Complete Angler"のものだ。この二幅を見れば、木版画の術がいかに科学に裨益するかが分かる。

哈曼·普耳(Herman Paul),法国人,原是作石版画的,后改木刻,后又转通俗(Popular)画。曾说“艺术是一种不断的解放”,于是便简单化了。本集中的两幅,已很可窥见他后来的作风。前一幅是Rabelais著书中的插画,正当大雨时;后一幅是装饰André Marty的诗集“Le Doctrin ales Preux”(《勇士的教义》)的,那诗的大意是——

エルマン・ポール(Herman Paul)はフランス人で、もとは石版画を作っていたが、後に木版画に転じ、さらに通俗(ポピュラー)画に移った。かつて「芸術とは不断の解放である」と言い、かくして簡素化した。本集中の二幅には、彼の後期の作風がよく窺える。前の一幅はラブレーの著書中の挿画で、大雨の最中の場面。後の一幅はアンドレ・マルティの詩集"Le Doctrinales Preux"(『勇士の教義』)を装飾するもので、詩の大意は——

看残废的身体和面部的机轮,

染毒的疮疤红了面容,

少有勇气与丑陋的人们,传闻

残廃の身体と面部の機輪を見よ、

以千辛万苦获得了好的名声。

迪绥尔多黎(Benvenuto Disertori)意大利人,是多才的艺术家,善于刻石,蚀铜,但木刻更为他的特色。《La Musadel Loreto》是一幅具有律动的图象,那印象之自然,就如本来在木上所创生的一般。

麦格努斯·拉该兰支(S.Magnus–Lagercranz)夫人是瑞典的雕刻家,尤其擅长花卉。她的最重要的工作,是一册瑞典诗人Atterbom的诗集《群芳》的插图。

毒に染まった瘡痍は面容を赤らめ、

富耳斯(C.B.Falls)在美国,有最为多才的艺术家之称。他于诸艺术无不尝试,而又无不成功。集中的《岛上的庙》是他自己选出的得意的作品。

华惠克(Edward Worwick)也是美国的木刻家。《会见》是装饰与想像的版画,含有强烈的中古风味的。

勇気も乏しく醜き人々は、伝え聞く、

书面和首叶的两种小品,是法国画家拉图(Alfred Latour)之作,自《The Woo–dcut of To–day》中取来,目录上未列,附记于此。

(《艺苑朝华》所载。)

【“蕗谷虹儿画选”小引】

中国的新的文艺的一时的转变和流行,有时那主权是简直大半操于外国书籍贩卖者之手的。来一批书,便给一点影响。《Modern Library》中的A.V. Beardsley画集一人中国,那锋利的刺戟力,就激动了多年沉静的神经,于是有了许多表面的摹仿。但对于沉静,而又疲弱的神经,Beardsley的线究竟又太强烈了,这时适有蕗谷虹儿的版画运来中国,是用幽婉之笔,来调和了Beardsley的锋芒,这尤合中国现代青年的心,所以他的模仿就至今不绝。

千辛万苦をもって好き名声を得たりと。

ディゼルトーリ(Benvenuto Disertori)はイタリア人で、多才な芸術家であり、石の彫刻やエッチングに長けるが、木版画はさらに彼の特色をなす。《ラ・ムーサ・デル・ロレート》は律動を備えた図像であり、その印象の自然さは、まるでもとから木の上に創生されたかのようだ。

但可惜的是将他的形和线任意的破坏——不过不经比较,是看不出底细来的。现在就从他的画谱《睡莲之梦》中选取六图,《悲凉的微笑》中五图,《我的画集》中一图,大约都是可显现他的特色之作,虽然中国的复制,不能高明,然而究竟较可以窥见他的真面目了。

至于作者的特色之所在,就让他自己来说罢——

マグヌス=ラーゲルクランツ(S. Magnus-Lagercranz)夫人はスウェーデンの彫刻家で、とりわけ花卉を得意とする。彼女の最も重要な仕事は、スウェーデンの詩人アッテルボムの詩集『群芳』の挿画一冊である。

“我的艺术,以纤细为生命,同时以解剖刀一般的锐利的锋芒为力量。

“我所引的描线,必需小蛇似的敏捷和白鱼似的锐敏。

“我所画的东西,单是‘如生’之类的现实的姿态,是不够的。

“于悲凉,则画彷徨湖畔的孤星的水妖(Nymph),于欢乐,则画在春林深处,和地祇(Pan)相谑的月光的水妖罢。

“描女性,则选多梦的处女,且备以女王之格,注以星姬之爱罢。

フォールズ(C. B. Falls)はアメリカで最も多才な芸術家と称される。彼はあらゆる芸術を試みて、いずれも成功した。集中の《島の廟》は彼自身が選んだ自信作である。

“描男性,则愿探求神话,拉出亚波罗(Apollo)来,给穿上漂泊的旅鞋去。

“描幼儿,则加以天使的羽翼,还于此被上五色的文绫。

“而为了孕育这些爱的幻想的模特儿们,我的思想,则不可不如深夜之黑暗,清水之澄明。”(《悲凉的微笑》自序)

这可以说,大概都说尽了。然而从这些美点的别一面看,也就令人所以评他为倾向少年男女读者的作家的原因。

ウォーウィック(Edward Worwick)もアメリカの木版画家だ。《邂逅》は装飾と想像の版画で、濃厚な中世の風味を含んでいる。

作者现在是往欧洲留学去了,前途正长,这不过是一时期的陈迹,现在又作为中国几个作家的秘密宝库的一部份,陈在读者的眼前,就算一面小镜子,——要说得堂皇一些,那就是,这才或者能使我们逐渐认真起来,先会有小小的真的创作。

从第一到十一图,都有短短的诗文的,也就逐图译出,附在各图前面了,但有几篇是古文,为译者所未曾研究,所以有些错误,也说不定的。首页的小图也出《我的画集》中,原题曰《瞳》,是作者所爱描的大到超于现实的眸子。

表紙と扉頁の二つの小品は、フランスの画家ラトゥール(Alfred Latour)の作で、"The Woodcut of To-day"から取ったものであり、目録に未掲載のため、ここに附記する。

一九二九年一月二十四日,鲁迅在上海记。

(《艺苑朝华》第一期第二辑所载)

【“近代木刻选集”(2)小引】

我们进小学校时,看见教本上的几个小图画,倒也觉得很可观,但到后来初见外国文读本上的插画,却惊异于它的精工,先前所见的就几乎不能比拟了。还有英文字典里的小画,也细巧得出奇。凡那些,就是先回说过的“木口雕刻”。

(『芸苑朝華』所載。)

西洋木版的材料,固然有种种,而用于刻精图者大概是柘木。同是柘木,因锯法两样,而所得的板片,也就不同。顺木纹直锯,如箱板或桌面板的是一种,将木纹横断,如砧板的又是一种。前一种较柔,雕刻之际,可以挥凿自如,但不宜于细密,倘细,是很容易碎裂的。后一种是木丝之端,攒聚起来的板片,所以坚,宜于刻细,这便是“木口雕刻”。这种雕刻,有时便不称wood–cut,而别称为wood–engraving了。中国先前刻木一细,便曰“绣梓”,是可以作这译语的。和这相对,在箱板式的板片上所刻的则谓之“木面雕刻”。

【「蕗谷虹児画選」小引】

但我们这里所绍介的,并非教科书上那样的木刻,因为那是意在逼真,在精细,临刻之际,有一张图画作为底子的,既有底子,便是以刀拟笔,是依样而非独创,所以仅仅是“复刻板画”。至于“创作板画”,是并无别的粉本的,乃是画家执了铁笔,在木板上作画,本集中的达格力秀的两幅,永濑义郎的一幅,便是其例。自然也可以逼真,也可以精细,然而这些之外有美,有力,仔细看去,虽在复制的画幅上,总还可以看出一点“有力之美”来。

中国の新しい文芸の一時の転変と流行には、時にその主権がほとんど大半を外国書籍販売業者の手に握られていることがある。一批の書が来れば、一つの影響を与える。"Modern Library"中のA. V. ビアズリー画集が中国に入ると、その鋭利な刺戟力は、長年沈静だった神経を激動させ、表面的な模倣が多く生まれた。だが沈静にして、しかも疲弱な神経には、ビアズリーの線はやはりあまりに強烈であった。この時ちょうど蕗谷虹児の版画が中国に運ばれてきた。幽婉な筆をもってビアズリーの鋒芒を調和したもので、中国の現代青年の心に殊に適い、だから彼の模倣は今に至るまで絶えない。

だが惜しむらくは、彼の形と線が恣意に破壊されていることだ——もっとも、比較せねば底細は分からないが。今回は彼の画譜『睡蓮の夢』から六図、『悲凉なる微笑』から五図、『私の画集』から一図を選んだ。おおむね彼の特色を示し得る作であり、中国の複製は高明とは言えないものの、やはりいくらかは彼の真面目を窺い得るであろう。

但这“力之美”大约一时未必能和我们的眼睛相宜。流行的装饰画上,现在已经多是削肩的美人,枯瘦的佛子,解散了的构成派绘画了。

有精力弥满的作家和观者,才会生出“力”的艺术来。“放笔直干”的图画,恐怕难以生存于颓唐,小巧的社会里的。

附带说几句,前回所引的诗,是将作者记错了。季黻来信道:“我有一匹好东……”系出于杜甫《戏韦偃为双松图》,末了的数句,是“重之不减锦绣段,已令拂拭光凌乱,请君放笔为直干”。并非苏东坡诗。

作者の特色の在りかについては、彼自身に語らせよう——

(一九二九年三月十日。)

(《艺苑朝华》第一期第三辑所载。)

【“近代木刻选集”(2)附记】

木集中的十二幅木刻大都是从英国的“The Wood–cut of Today”“The Smdio”,“The Smaller Beasts”中选取的,这里也一并摘录几句解说。

「私の芸術は、繊細を生命とし、同時に解剖刀のような鋭利な鋒芒を力とする。

格斯金(Arthur J.Gaskin),英国人。他不是一个始简单后精细的艺术家。他早懂得立体的黑色之浓淡关系。这幅《大雪》的凄凉和小屋底景致是很动人的。雪景可以这样比其他种种方法更有力地表现,这是木刻艺术的新发见。《童话》也具有和《大雪》同样的风格。

「私の引く描線は、小蛇のような敏捷さと白魚のような鋭敏さを必要とする。

杰平(Robort Gibbings)早是英国木刻家中一个最丰富而多方面的作家。他对于黑白的观念常是意味深长而且独创的。E.Powys Mathers的《红的智慧》插画在光耀的黑白相对中有东方的艳丽和精巧的白线底律动。他的令人快乐的《闲坐》,显示他在有意味的形式里黑白对照的气质。

「私が描くものは、ただ『如生』のごとき現実の姿態だけでは足りない。

达格力秀(Eric Fitch Daglish)在我们的《近代木刻选集》(1)里已曾叙述了。《伯劳》见J.H.Fabre的“Animal Life in Field and Garden”中。《海狸》见达格力秀自撰的Animal in Black and White丛书第二卷“The Smaller Beasts”中。

「悲凉を描くなら、湖畔を彷徨う孤星の水の精(ニンフ)を描き、歓楽を描くなら、春の林の奥で地祇(パン)と戯れる月光の水の精を描こう。

凯亥勒(Emile Charles Corlègle)原籍瑞士,现入法国籍。木刻于他是种直接的表现的媒介物,如绘画,蚀铜之于他人。他配列光和影,指明颜色的浓淡,他的作品颤动着生命。他没有什么美学理论,他以为凡是有趣味的东西能使生命美丽。

奥力克(Emil Orlik)是最早将日本的木刻方法传到德国去的人。但他却将他自己本国的种种方法融合起来刻木的。

「女性を描くなら、夢多き処女を選び、女王の格を備え、星姫の愛を注ごう。

陀蒲晋司基(M.Dobuzinski)的《窗》,我们可以想像无论何人站在那里,如那个人站着的,张望外面的雨天,想念将要遇见些什么。俄国人是很想到站在这个窗下的人的。

左拉舒(William Zorach)是俄国种的美国人。他注意于有趣的在黑底子上的白块,不斤斤于用意的深奥。《游泳的女人》由游泳的眼光看来,是有些眩目的。这看去像油漆布雕刻,不大像木刻。游泳是美国木刻家所好的题材,各人用各人的手法创造不同的风格。

「男性を描くなら、神話を探って、アポロン(Apollo)を引き出し、漂泊の旅靴を履かせよう。

永濑义郎,曾在日本东京美术学校学过雕塑,后来颇尽力于版画,著《给学版画的人》一卷。《沉钟》便是其中的插画之一,算作“木口雕刻”的作例,更经有名的刻手菊地武嗣复刻的。现在又经复制,但还可推见黑白配列的妙处。

「幼児を描くなら、天使の翼を加え、さらにこれに五色の文綾を被せよう。

(《艺苑朝华》第一期第三辑所载。)

【“比亚兹莱画选”小引】

比亚兹莱(Aubrey Beardsley 1872—1898)生存只有二十六年,他是死于肺病的。生命虽然如此短促,却没有一个艺术家,作黑白画的艺术家,获得比他更为普遍的名誉;也没有一个艺术家影响现代艺术如他这样的广阔。比亚兹莱少时的生活底第一个影响是音乐,他真正的嗜好是文学。除了在美术学校两月之外,他没有艺术的训练。他的成功完全是由自习获得的。

「そしてこれらの愛の幻想のモデルたちを孕むために、私の思想は深夜の暗黒の如く、清水の澄明の如くあらねばならない。」(『悲凉なる微笑』自序)

以《阿赛王之死》的插画他才涉足文坛。随后他为“The Studio”作插画,又为《黄书》(“The Yellow Book”)的艺术编辑。他是由《黄书》而来,由“The Savoy”而去的。无可避免地,时代要他活在世上。这九十年代就是世人所称的世纪末(fin de siècle)。他是这年代底独特的情调底唯一的表现者。九十年代底不安的,好考究的,傲慢的情调呼他出来的。

これで、おおよそすべてが言い尽くされたと言えよう。だがこれらの美点の別の面から見れば、彼が少年少女の読者に傾く作家と評される所以でもある。

比亚兹莱是个讽刺家,他只能如Baudelaire描写地狱,没有指出一点现代的天堂底反映。这是因为他爱美而美的堕落才困制他;这是因为他如此极端地自觉美德而败德才有取得之理由。有时他的作品达到纯粹的美,但这是恶魔的美,而常有罪恶底自觉,罪恶首受美而变形又复被美所暴露。

作者は今ヨーロッパに留学中で、前途はまだ長い。これは一時期の陳迹に過ぎず、今また中国の何人かの作家の秘密の宝庫の一部として、読者の目前に陳べられる。小さな鏡と思っていただきたい——もう少し堂々と言えば、これこそがおそらく我々を次第に真剣にさせ、まず小さな真の創作をなし得るようにするものだ。

第5節

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视为一个纯然的装饰艺术家,比亚兹莱是无匹的。他把世上一切不一致的事物聚在一堆,以他自己的模型来使他们织成一致。但比亚兹莱不是一个插画家。没有一本书的插画至于最好的地步——不是因为较伟大而是不相称,甚且不相干。他失败于插画者,因为他的艺术是抽象的装饰;它缺乏关系性底律动——恰如他自身缺乏在他前后十年间底关系性。他埋葬在他的时期里有如他的画吸收在它自己的坚定的线里。

純然たる装飾芸術家として見れば、ビアズリーは無比の存在である。彼はこの世のあらゆる不調和な事物を一堂に集め、自らの型によってそれらを一つの調和に織り上げた。しかしビアズリーは挿絵画家ではない。いかなる書物の挿絵も最良の域には達していない——より偉大であるからではなく、不釣り合いであり、むしろ無関係ですらあるからだ。彼が挿絵画家として失敗したのは、彼の芸術が抽象的な装飾であったためである。それは関係性のリズムを欠いていた——まさに彼自身が前後十年間との関係性を欠いていたように。彼はその時代に埋もれ、彼の絵がその堅固な線の中に吸収されたのと同様であった。

ビアズリーは印象主義者ではなかった。マネやルノワールのように「見た」ものを描くのではなく、ウィリアム・ブレイクのような幻想家として「夢想した」ものを描くのでもなく、ジョージ・フレデリック・ワッツのような理知的な人間として「思索した」ものを描いたのである。薬瓶と日々を共にしながらも、なお神経と感情を御することができた。それほどまでに彼の理知は強健であった。

比亚兹莱不是印象主义者,如Manet或Renoir,画他所“看见”的事物;他不是幻想家,如William Blake,画他所“梦想”的事物;他是个有理智的人,如George Froderick Watts,画他所“思想”的事物。虽然无日不和药炉为伴,他还能驾御神经和情感。他的理智是如此的强健。

ビアズリーは他者の影響を少なからず受けたが、その影響は彼にとって吸収であり、被吸収ではなかった。常に影響を受け得ること、これもまた彼の独特な点の一つである。バーン=ジョーンズは彼が『アーサー王の死』の挿絵を制作する際に助けとなった。日本の芸術、とりわけ英泉の作品は、彼が「The Rape of the Lock」におけるアイゼンやサン=トーバンの示した影響から脱却する助けとなった。しかしバーン=ジョーンズの狂喜に満ちた疲弱な霊性は、怪誕な睥睨の肉欲へと変貌した——もし疲弱な、罪深い疲弱さがあるとすればだが。日本の凝結した実在性は、西方の情熱の灼熱した映像表現へと変わり、黒白の鋭利で明瞭な影と曲線の中に、虹の東方ですら夢想し得なかった色調を暗示したのである。

彼の作品は、「サロメ」の挿絵が複製されたこと、またわが国の流行の芸術家たちが摘み取ったことによって、その風韻さえもかなり一般に知られるようになったようである。しかし彼の装飾画は、いまだ誠実に紹介されたことがない。いまここに十二幅を選んで印刷し、ビアズリーの愛好者にその剥ぎ取られていない遺容をいささか供し、併せてアーサー・シモンズとホルブルック・ジャクソンの言葉を摘録して、その特色を説明する小引とする。

比亚兹莱受他人影响却也不少,不过这影响于他是吸收而不是被吸收。他时时能受影响,这也是他独特的地方之一。Burne–Jones有助于他在作《阿赛王之死》的插画的时候;日本的艺术,尤其是英泉的作品,助成他脱离在“The Rape of the Lock”底Eisen和Saint–Aubin所显示给他的影响。但Burne–Jones底狂喜的疲弱的灵性变为怪诞的睥睨的肉欲——若有疲弱的,罪恶的疲弱的话。日本底凝冻的实在性变为西方的热情底焦灼的影像表现在黑白底锐利而清楚的影和曲线中,暗示即在彩虹的东方也未曾梦想到的色调。

一九二九年四月二十日。朝華社識。

(『芸苑朝華』第一期第四輯所載。)

【ハムスンについての数言】

他的作品,因为翻印了“Salomè”的插画,还因为我们本国时行艺术家的摘取,似乎连风韵也颇为一般所熟识了。但他的装饰画,却未经诚实地介绍过。现在就选印这十二幅,略供爱好比亚兹莱者看看他未经撕剥的遗容,并摘取Arthur Symons和Holbrook Jackson的话,算作说明他的特色的小引。

『朝花』第六号にノルウェーの短篇作家ハムスンの一篇が掲載されたが、昨年日本で出版された『国際文化』では彼を左翼の作家に数えている。しかし『ヴィクトリア』や『飢え』などのいくつかの作品を見ると、貴族的な要素もかなり多い。

ただし彼は以前、ロシアで大いに流行した。二十年ほど前だろうか、有名な雑誌「ニーヴァ」に、すでにその時までの全集が付録として印刷されていた。おそらく彼のニーチェとドストエフスキーの気配が、まさに読者の共鳴を得ることができたのであろう。十月革命後の論文の中でも時折なお彼に言及しており、彼の作品のロシアにおける影響の深さが、今なお忘れ去られていないことが窺える。

一九二九年四月二十日。朝华社识。

彼の多くの作品は、上述の二種と『おとぎの国にて』——ロシアの旅行記——のほかは、私はすべて読んでいない。昨年、日本で片山正雄の著した『ハムスン伝』の中で、トルストイとイプセンに関する彼の意見を見かけ、ちょうどこの二人の文豪の生誕百年記念にあたっていたので、もともと紹介するつもりであったが、あまりに断片的であったため、ついに取りやめた。今年、引越しの際に書物を整理していて、またこの伝記を見つけ、閑暇に以下に訳出した。

(《艺苑朝华》第一期第四辑所载。)

【哈谟生的几句话】

《朝花》六期上登过一篇短篇的瑙威作家哈谟生,去年日本出版的《国际文化》上,将他算作左翼的作家,但看他几种作品,如《维多利亚》和《饥饿》里面,贵族的处所却不少。

それは彼の三十歳の時の作『神秘』の中のもので、作中の人物ナーゲルの人生観と文芸論は、当然ながら作者ハムスンの意見と批評と見なすこともできる。彼は足を踏み鳴らしてトルストイを罵倒する——

不过他在先前,很流行于俄国。二十年前罢,有名的杂志“Nieva”上,早就附印他那时为止的全集了。大约他那尼采和陀思妥夫斯基气息,正能得到读者的共鸣。十月革命后的论文中,也有时还在提起他,可见他的作品在俄国影响之深,至今还没有忘却。

「要するに、トルストイなる男は、現代で最も活動的な愚か者である。……あの教義は、救世軍のハレルヤ(神への賛歌——訳者注)を唱えることと少しも変わりはない。私はトルストイの精神がブース大将(当時の救世軍の指揮官——訳者注)より深いとは思わない。二人とも宣教者であって、思想家ではない。既成の品物を売買し、既存の思想を弘布し、人民に廉価で思想を仕入れさせ、かくしてこの世の舵を握る者たちだ。しかし、諸君、商売をするならば利息を計算せねばならぬのに、トルストイは商売をするたびに大損をする……沈黙を知らぬあの多弁な品性、愉快な人世を鉄板のごとく平坦にせんとするあの努力、老いた道化師じみたあの道徳的饒舌、あたかも雄偉であるかのごとく高低を弁えず大言壮語するあの断固たる道徳、彼のことを思うと、他人事ながら顔が赤くなる……。」

他的许多作品,除上述两种和《在童话国里》——俄国的游记——之外,我都没有读过。去年,在日本片山正雄作的《哈谟生传》里,看见他关于托尔斯泰和伊孛生的意见,又值这两个文豪的诞生百年纪念,原是想绍介的,但因为太零碎,终于放下了。今年搬屋理书,又看见了这本传记,便于三闲时译在下面。

言うも奇妙なことに、これはまるで中国のあらゆる革命的および命令遵奉的批評家の暗瘡にメスを入れるようなものだ。同郷の文壇の先輩イプセンに対しては——とりわけ後半期の作品に対しては——こう述べている——

「イプセンは思想家である。通俗的な講話と真の思索との間に、ちょっとした小さな区別を設けてはいけないだろうか。確かに、イプセンは有名人物だ。イプセンの勇気について、人の耳にたこができるまで語るのも構わないだろう。しかし、論理的勇気と実行的勇気との間に、私欲を捨てた不羈独立の革命的勇猛心と家庭的な扇動的勇気との間に、ちょっとした小さな区別を設ける必要を認めないわけにはいくまい。前者は人生において光芒を放ち、後者はただ劇場で観客を舌打ちさせるにすぎない……反逆せんとする男が、柔らかな革の手袋でペン軸を握ることぐらいは、常になすべきことだ。文章を書ける一介の小さな奇人であるべきではなく、ドイツ人の文章上の一概念であるべきでもなく、人生という賑やかな場における活動的な人物であるべきなのだ。イプセンの革命的勇気は、おそらくその人を危地に陥れることは確かにないだろう。船底に水雷を敷設するような事柄は、生きた、燃焼するがごとき実行に比すれば、貧弱な机上の空論にすぎまい。諸君は苧麻を引き裂く音を聞いたことがあるか。ははは、何と盛大な音であることか。」

那是在他三十岁时之作《神秘》里面的,作中的人物那该尔的人生观和文艺论,自然也就可以看作作者哈谟生的意见和批评。他跺着脚骂托尔斯泰——

これは革命文学と革命、革命文学家と革命家の区別を、極めて露骨に述べたものであり、命令遵奉の文学に至っては論外である。おそらくこの一点のゆえに、彼はかえって左翼的なのであろう。かつて各種の苦役をしたことだけによるのではない。

“总之,叫作托尔斯泰的汉子,是现代的最为活动底的蠢才,……那教义,比起救世军的唱Halleluiah(上帝赞美歌——译者)来,毫没有两样。我并不觉得托尔斯泰的精神比蒲斯大将(那时救世军的主将——译者)深。两个都是宣教者,却不是思想家。是买卖现成的货色的,是弘布原有的思想的,是给人民廉价采办思想的,于是掌着这世间的舵。但是,诸君,倘做买卖,就得算算利息,而托尔斯泰却每做一回买卖,就大折其本……不知沉默的那多嘴的品行,要将愉快的人世弄得铁盘一般平坦的那努力,老嬉客似的那道德的唠叨,像煞雄伟一般不识高低地胡说的那坚决的道德,一想到他,虽是别人的事,脸也要红起来……。”

最も称揚したのは、イプセンの初期における文壇上の敵対者であり、後に縁戚となったビョルンソン(B. Björnson)である。彼は活動し、飛躍し、生命を持つと言った。勝敗のいかんを問わず、個性と精神が貫かれている。霊感と神の閃光を持つノルウェー唯一の詩人である、と。しかし私がかつて読んだ短篇小説を回顧すると、ハムスンの作品を読んだほどの深い感銘は受けなかった。中国にはおそらく何の訳本もなく、ただ『父親』という一篇があり、少なくとも五回は翻訳されたことを覚えているのみである。

ハムスンの作品もわれわれにはあまり訳本がない。五四運動の折、北京の青年たちが『新潮』という定期刊行物を出し、後に「新著紹介号」が出た。その予告には羅家倫氏が『新しき大地』(Neue Erde)を紹介すると書かれていたようである。これがハムスンの著作で、一種の傾向小説にすぎず、文人の生活を描いたものではあるが、借りて中国人を照らすには大いに役立つものである。惜しむべきは、この紹介が今に至るまで印刷されていないことだ。

(三月三日、上海にて。)

(一九二九年三月十四日『朝花旬刊』第十一期所載。)

说也奇怪,这简直好象是在中国的一切革命底和遵命底的批评家的暗疮上开刀。至于对同乡的文坛上的先辈伊孛生——尤其是后半期的作品——是这样说——

“伊孛生是思想家。通俗的讲谈和真的思索之间,放一点小小的区别,岂不好么?诚然,伊孛生是有名人物呀。也不妨尽讲伊孛生的勇气,讲到人耳朵里起茧罢。然而,论理底勇气和实行底勇气之间,舍了私欲的不羁独立的革命底勇猛心和家庭底的煽动底勇气之间,莫非不见得有放点小小的区别的必要么?其一,是在人生上发着光芒,其一,不过是在戏园里使看客咋舌……要谋叛的汉子,不带软皮手套来捏钢笔杆这一点事,是总应该做的,不应该是能做文章的一个小畸人,不应该仅是为德国人的文章上的一个概念,应该是名曰人生这一个热闹场里的活动底人物。伊孛生的革命底勇气,大约是确不至于陷其人于危地的。箱船之下,敷设水雷之类的事,比起活的,燃烧似的实行来,是贫弱的桌子上的空论罢了。诸君听见过撕开苎麻的声音么?嘻嘻嘻,是多么盛大的声音呵。”

【附録】

【「未名叢刊」と「烏合叢書」の広告】

いわゆる『未名叢刊』とは、無名叢書の意ではなく、まだ名目が決まらぬまま、しかしそれをそのまま名前とし、これ以上苦心して考えるのをやめたのである。

これはまた学者たちが精選した宝書でもなく、国民が必ず読まねばならぬものでもない。ただ原稿があり、印刷費があれば、すぐに付印し、蕭索たる読者、著者、訳者、皆がいくらか賑やかさを感じられるようにしたいだけである。内容は当然ながら極めて雑多であるが、この雑多の中にいささかの一致を見出そうとするゆえに、さらに近しい形式にひとまとめにし、これを『未名叢刊』と名づけたのである。

大志などは微塵もない。願うところは、ただ(一)自分自身にとっては、刷り上がったものが早々に売り切れ、金を回収して第二種を印刷できること、(二)読者に対しては、読み終えた後、あまりに欺かれたとは思わぬこと、である。

这于革命文学和革命,革命文学家和革命家之别,说得很露骨,至于遵命文学,那就不在话下了。也许因为这一点,所以他倒是左翼底罢,并不全在他曾经做过各种的苦工。

以上は一九二四年十二月の言葉である。

最颂扬的,是伊孛生早先文坛上的敌对,而后来成了儿女亲家的毕伦存(B.Björnson)。他说他活动着,飞跃着,有生命。无论胜败之际,都贯注着个性和精神。是有着灵感和神底闪光的瑙威惟一的诗人。但我回忆起看过的短篇小说来,却并没有看哈谟生作品那样的深的感印。在中国大约并没有什么译本,只记得有一篇名叫《父亲》的,至少翻过了五回。

今これを二部に分けた。『未名叢刊』は訳書のみを収め、別にまた一種、名声の大きくない著者の創作を単独で刊行するものを立て、『烏合叢書』と名づけた。

(一九二六年八月『彷徨』に掲載された広告。)

哈谟生的作品我们也没有什么译本。五四运动时候,在北京的青年出了一种期刊叫《新潮》,后来有一本“新著绍介号”,豫告上似乎是说罗家伦先生要绍介《新地》(New Erde)。这便是哈谟生做的,虽然不过是一种倾向小说,写些文士的生活,但也大可以借来照照中国人。所可惜的是这一篇绍介至今没有印出罢了。

【「奔流」凡例五則】

一、本刊は文芸に関する著作、翻訳、および紹介を掲載する。著訳者はおのおの自己の趣向と能力に応じて著訳し、同好の士の閲覧に供する。

(三月三日,于上海。)

(一九二九年三月十四日《朝花旬刊》第十一期所载。)

【附录】

【“未名丛刊”与“乌合丛书”广告】

所谓《未名丛刊》者,并非无名丛书之意,乃是还未想定名目,然而这就作为名字,不再去苦想他了。

二、本刊の翻訳および紹介は、あるいは現代の嬰児であり、あるいは嬰児の生まれ出た母親であり、しかしまたさらに先の祖母かもしれず、必ずしも新奇ではない。

这也并非学者们精选的宝书,凡国民都非看不可。只要有稿子,有印费,便即付印,想使萧索的读者,作者,译者,大家稍微感到一点热闹。内容自然是很庞杂的,因为希图在这庞杂中略见一致,所以又一括而为相近的形式,而名之曰《未名丛刊》。

三、本刊は毎月一冊を刊行し、約百五十頁、図画を挟むことがあり、時に増刊もある。意外の障碍なき限り、毎月中旬に出版する。

大志向是丝毫也没有。所愿的:无非(1)在自己,是希望那印成的从速卖完,可以收回钱来再印第二种;(2)对于读者,是希望看了之后,不至于以为太受欺骗了。

四、本刊は投稿をも選載する。自らの工夫に出で、命令に従って筆を執るものでなく、明清の八股文のごときものでないならば、ぜひとも恵投されたい。原稿は北新書局より転送する。

以上是一千九百二十四年十二月间的话。

现在将这分为两部分了。《未名丛刊》专收译本;另外又分立了一种单印不阔气的作者的创作的,叫作《乌合丛书》。

五、本刊各冊の実価は二角八分、増刊は随時別定する。十一月以前の予約者は、半巻五冊一元二角半、一巻十冊二元四角、増刊は加算せず、郵送料を含む。国外は半巻ごとに郵送料四角を加算する。

(一九二六年八月《彷徨》上所刊的广告。)

【“奔流”凡例五则】

(一九二八年六月二十日『奔流』裏表紙所載。)

1.本刊揭载关于文艺的著作,翻译,以及绍介,著译者各视自己的意趣及能力著译,以供同好者的阅览。

2.本刊的翻译及绍介,或为现代的婴儿,或为婴儿所从出的母亲,但也许竟是更先的祖母,并不一定新颖。

【「芸苑朝華」広告】

3.本刊月出一本,约一百五十页,间有图画,时亦增刊,倘无意外障碍,定于每月中旬出版。

4.本刊亦选登来稿,凡有出自心裁,非奉命执笔,如明、清八股者,极望惠寄,稿由北新书局收转。

材力は甚だ小なりといえども、海外の芸術作品をいくらか中国に紹介し、また中国の先に人に忘れ去られたが今なお蘇り得る図案の類をも選んで印刷したいのである。ある時は旧き時代の、今日利用し得る遺産を再び取り上げ、ある時は現在中国で流行する芸術家たちの外国における祖墳を発掘し、ある時は世界の燦爛たる新作を導き入れる。毎期十二輯、毎輯十二図を逐次出版する。毎輯実価洋銀四角、一期を予約すれば実価洋銀四元四角。目録は以下の通り。

5.本刊每本实价二角八分,增刊随时另定。在十一月以前豫定者,半卷五本一元二角半,一卷十本二元四角,增刊不加价,邮费在内。国外每半卷加邮费四角。

一、『近代木刻選集』(一)  二、『蘆谷虹児画選』

(一九二八年六月二十日《奔流》里封面所载。)

【“艺苑朝华”广告】

虽然材力很小,但要绍介些国外的艺术作品到中国来,也选印中国先前被人忘却的还能复生的图案之类。有时是重提旧时而今日可以利用的遗产,有时是发掘现在中国时行艺术家的在外国的祖坟,有时是引入世界上的灿烂的新作。每期十二辑,每辑十二图,陆续出版。每辑实洋四角,预定一期实洋四元四角。目录如下:

三、『近代木刻選集』(二)  四、『ビアズリー画選』

以上四輯は既刊

1.《近代木刻选集》(1)  2.《蕗谷虹儿画选》

3.《近代木刻选集》(2)  4.《比亚兹莱画选》

五、『新露芸術図録』    六、『仏蘭西挿画選集』

以上四辑已出版

5.《新俄艺术图录》    6.《法国插画选集》

7.《英国插画选集》    8.《俄国插画选集》

9.《近代木刻选集》(3)  10.《希腊瓶画选集》

七、『英吉利挿画選集』   八、『露西亜挿画選集』

11.《近代木刻选集》(4)  12.《罗丹雕刻选集》

朝花社出版

(登在一九二九年出版《近代世界短篇小说集》

《奇剑及其他》等书末的广告。)

【“文艺连丛”】

九、『近代木刻選集』(三)  十、『希臘瓶画選集』

——的开头和现在

投机的风气使出版界消失了有几分真为文艺尽力的人。即使偶然有,不久也就变相,或者失败了。我们只是几个能力未足的青年,可是要再来试一试。首先是印一种关于文学和美术的小丛书,就是《文艺连丛》。为什么“小”,这是能力的关系,现在没有法子想。但约定的编辑,是肯负责任的编辑;所收的稿子,也是可靠的稿子。总而言之:现在的意思是不坏的,就是想成为一种决不欺骗的小丛书。什么“突破五万部”的雄图,我们岂敢,只要有几千个读者肯给以支持,就顶好顶好了。现在已经出版的,是——

十一、『近代木刻選集』(四) 十二、『ロダン彫刻選集』

朝花社出版

(一九二九年出版『近代世界短篇小説集』『奇剣及其他』等の書末に掲載された広告。)

1.《不走正路的安得伦》 苏联聂维洛夫作,曹靖华译,鲁迅序。作者是一个最伟大的农民作家,描写动荡中的农民生活的好手,可惜在十年前就死掉了。这一个中篇小说,所叙的是革命开初,头脑单纯的革命者在乡村里怎样受农民的反对而失败,写得又生动,又诙谐。译者深通俄国文字,又在列宁格拉的大学里教授中国文学有年,所以难解的土话,都可以随时询问,其译文的可靠,是早为读书界所深悉的,内附蔼支的插画五幅,也是别开生面的作品。现已出版,每本实价大洋二角半。

【「文芸連叢」】

——その始まりと現在

2.《解放了的董·吉诃德》 苏联卢那卡尔斯基作,易嘉译。这是一大篇十幕的戏剧,写着这胡涂固执的董·吉诃德,怎样因游侠而大碰钉子,虽由革命得到解放,也还是无路可走。并且衬以奸雄和美人,写得又滑稽,又深刻。前年曾经鲁迅从德文重译一幕,登《北斗》杂志上,旋因知道德译颇有删节,便即停笔。续登的是易嘉直接译出的完全本,但杂志不久停办,仍未登完,同人今居然得到全稿,实为可喜,所以特地赶紧校刊,以公同好。每幕并有毕斯凯莱夫木刻装饰一帧,大小共十三帧,尤可赏心悦目,为德译本所不及。每本实价五角。

投機の風潮は出版界から、いくらかは真に文芸のために尽力する人を消し去った。たとえ偶然にいても、まもなく変質するか、さもなくば失敗した。われわれはただ数人の力の足らぬ青年にすぎないが、もう一度試みようと思う。まず一種の文学と美術に関する小叢書を印刷する。これが『文芸連叢』である。なぜ「小」かといえば、これは能力の関係であり、今のところ仕方がない。しかし約定した編集者は責任を負う編集者であり、収録する原稿も確かな原稿である。要するに、現在の志は悪くはなく、決して読者を欺かぬ小叢書となることを望むのみである。「五万部突破」の雄図など、われわれに何ぞ敢えてせん。ただ数千人の読者が支持してくださるなら、それで十分この上ないのである。現在すでに出版されたものは——

一、『正道を歩まぬアンドレン』 ソヴィエト連邦ネヴェーロフ作、曹靖華訳、魯迅序。著者は最も偉大な農民作家の一人であり、動揺する農民生活を描く名手であったが、惜しくも十年前にすでに世を去った。この中篇小説は、革命の初期、頭脳の単純な革命者が農村でいかに農民の反対を受けて失敗するかを叙し、生き生きと、かつ諧謔的に書かれている。訳者はロシア語に深く通じ、またレニングラードの大学で長年中国文学を教授しているため、難解な方言もすべて随時質問することができ、その訳文の確かさは早くから読書界に熟知されている。アイジの挿画五幅を付し、これもまた別開生面の作品である。すでに出版、毎冊実価大洋二角半。

二、『解放されたドン・キホーテ』 ソヴィエト連邦ルナチャルスキー作、易嘉訳。これは大部の十幕の戯曲で、この愚鈍で頑固なドン・キホーテが、いかに遊侠のゆえに大いに壁に突き当たり、革命によって解放を得てもなお行くべき道がないかを描いている。さらに奸雄と美人を配し、滑稽にして深刻に書かれている。一昨年、魯迅がドイツ語訳より一幕を重訳して『北斗』誌に掲載したが、間もなくドイツ語訳にかなりの削除があることを知り、筆を擱いた。続載したのは易嘉がロシア語から直接訳出した完全本であるが、雑誌がまもなく廃刊し、やはり掲載を完了できなかった。同人が今ようやく全稿を得たのは、まことに喜ばしく、よって特に急ぎ校刊し、同好に公にする。毎幕にビスカリョフの木刻装飾一幀を付し、大小合わせて十三幀、いっそう心目を楽しませ、ドイツ語訳本の及ばぬところである。毎冊実価五角。

正在校印中的,还有——

ただいま校正印刷中のものは、さらに——

3.《山民牧唱》 西班牙巴罗哈作,鲁迅译。西班牙的作家,中国大抵只知道伊本纳兹,但文学的本领,巴罗哈实远在其上。日本译有《选集》一册,所记的都是山地住民,跋司珂族的风俗习惯,译者曾选译数篇登《奔流》上,颇为读者所赞许。这是《选集》的全译。不日出书。

三、『山民牧唱』 スペイン、バローハ作、魯迅訳。スペインの作家といえば、中国ではおおむねイバニェスしか知られていないが、文学の力量においてはバローハのほうがはるかに上である。日本には『選集』一冊が訳されており、記されているのはすべて山地の住民バスク族の風俗習慣で、訳者がかつて数篇を選訳して『奔流』に掲載したところ、読者にかなり賞讃された。これは『選集』の全訳である。近日刊行。

4.“Noa Noa”法国戈庚作,罗怃译。作者是法国画界的猛将,他厌恶了所谓文明社会,逃到野蛮岛泰息谛去,生活了好几年。这书就是那时的纪录,里面写着所谓“文明人”的没落,和纯真的野蛮人被这没落的“文明人”所毒害的情形,并及岛上的人情风俗,神话等。译者是一个无名的人,但译笔却并不在有名的人物之下。有木刻插画十二幅。现已付印。

四、"Noa Noa" フランス、ゴーギャン作、羅憮訳。著者はフランス画壇の猛将であり、いわゆる文明社会を厭い、野蛮の島タヒチに逃れ、数年を過ごした。この書はその時の記録であり、いわゆる「文明人」の没落と、純真なる野蛮人がこの没落せる「文明人」に毒される様、および島の人情風俗、神話等が記されている。訳者は無名の人であるが、その訳筆は有名な人物に劣るものではない。木刻挿画十二幅あり。すでに印刷に付す。

(一九三四年)

(一九三四年)

【“译文”终刊号前记】

《译文》出版已满一年了。也还有几个读者。现因突然发生很难继续的原因,只得暂时中止。但已经积集的材料,是费过译者校者排者的一番力气的,而且材料也大都不无意义之作,从此废弃,殊觉可惜;所以仍然集成一册,算作终刊,呈给读者,以尽贡献的微意,也作为告别的纪念罢。

【「訳文」終刊号前記】

『訳文』は出版してすでに満一年となった。読者もまだ幾人かはいる。このたび突如として継続し難い事情が生じ、やむなく暫時中止する。しかしすでに集積した材料は、訳者・校者・植者の一番の力を費やしたものであり、しかも材料もおおむね意義なきにあらざる作品であって、これを廃棄するのはまことに惜しい。よってなお一冊にまとめ、終刊号とし、読者に呈し、いささかの貢献の微意を尽くすとともに、告別の記念ともしたい。

第6節

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译文社同人公启。二十四年九月十六日

【绍介“海上述林”】

本卷所收,都是文艺论文,作者既系大家,译者又是名手,信而且达,并世无两。其中《写实主义文学论》与《高尔基论文选集》两种,尤为煌煌巨制。此外论说,亦无一不佳,足以益人,足以传世。全书六百七十余页,玻璃板插画九幅。仅印五百部,佳纸精装,内一百部皮脊麻布面,金顶,每本实价三元五角,四百部全绒面,蓝顶,每本实价二元五角,函购加邮费二角三分。好书易尽,欲购从速。下卷亦已付印,准于本年内出书。上海北四川路底内山书店代售。

訳文社同人公啓。二十四年九月十六日

【「海上述林」の紹介】

(一九三六年十月刊载于各出版物上。)

本巻に収録するものは、すべて文芸論文であり、著者は大家揃い、訳者もまた名手であって、信にして達、並ぶ者とてない。中でも『写実主義文学論』と『ゴーリキー論文選集』の二種は、ことに堂々たる巨篇である。その他の論説もまた、一つとして佳ならざるはなく、人を益し、世に伝えるに足る。全書六百七十余頁、ガラス版挿画九幅。僅か五百部のみ印刷し、上質紙精装、うち百部は革背麻布面、金天、毎冊実価三元五角、四百部は全ビロード面、藍天、毎冊実価二元五角、通信購入は郵送料二角三分を加算。良書は尽きやすく、購入を望む方はお急ぎを。下巻もすでに印刷に付し、本年中に刊行の予定。上海北四川路奥の内山書店にて代売。

【第一卷】

五言古意一首各本皆作《赠公穆诗》。《艺文类聚》卷九十引前六句,亦云《嵇叔夜赠秀才诗》也

双鸾匿景曜,戢翼太山崖。抗字从旧校首嗽各本作漱朝露,晞阳振羽仪。长鸣戏云中,时下息兰池。自谓绝尘埃,终始永不亏。何意世多艰,虞人来我维维一作仪○四字旧注各本及《诗纪》维作疑无注。云各本作网,《诗纪》同塞四区,高罗正参差。奋迅势不便,六翮无所施。隐姿就长缨,卒为时所羁。单雄翩各本作翻,《诗纪》同独《诗纪》作孤 逝,哀吟伤生离。徘徊恋俦侣,慷慨高山陂。鸟尽良弓藏,谋极 极一作损○四字旧注各本及《诗纪》俱无 身必 各本作心,《诗纪》同 危。吉凶虽在己,世 字从旧校 路多崄巇。安得反初服,抱玉宝六奇。逍遥游太清,携手相追随 一作长相随○五字旧注各本及《诗纪》文同一作无注 。

(一九三六年十月、各出版物に掲載。)

【第一巻】

五言古意一首 各本はいずれも「公穆に贈る詩」とする。『芸文類聚』巻九十に前六句を引き、また「嵇叔夜、秀才に贈る詩」ともいう。

四言十八首 赠兄秀才入军 兄秀才公穆入军赠诗。刘义庆曰:嵇喜字公穆,举秀才。○已上旧注各本并前一首为《赠兄秀才公穆入军十九首》,无注。

双鸞は景曜に隠れ、翼を戢めて太山の崖にあり。首を抗げて朝露を嗽ぎ、陽に晞れて羽儀を振るう。長く鳴きて雲中に戯れ、時に下りて蘭池に息う。自ら塵埃を絶せりと謂い、終始永く虧けじとす。何ぞ図らん世に艱多く、虞人来たりて我を維ぐことを。雲は四区を塞ぎ、高羅まさに参差たり。奮迅すれども勢い便ならず、六翮施すところなし。姿を隠して長纓に就き、ついに時に羈がれるところとなる。単雄翩として独り逝き、哀吟して生離を傷む。徘徊して儔侶を恋い、慷慨す高山の陂。鳥尽きれば良弓蔵され、謀極まれば身必ず危うし。吉凶は己にありといえども、世路は崄巇多し。いかにして初服に反り、玉を抱きて六奇を宝とせん。逍遥として泰清に遊び、手を携えて相追随せん。

鸳鸯于飞,肃肃其羽。朝游高原,夕宿兰渚。邕邕 《艺文类聚》九十二引作嗈嗈 和鸣,顾盻 《类聚》作眄。黄本及《诗纪》并作眄 俦侣。俯仰慷慨,优游容与。

鸳鸯于飞,啸侣命俦。朝游高原,夕宿中洲。交颈振翼,容与清流;咀嚼兰蕙,俯仰优游。

四言十八首 兄秀才の入軍に贈る 兄秀才公穆の入軍に贈る詩。劉義慶曰く、嵇喜、字は公穆、秀才に挙げらる。

泳彼长川,言息其浒;陟彼高冈,言刈其楚。嗟我征迈,独行踽踽;仰彼凯风,泣涕如雨!

沐 各本作泳,《诗纪》同。案:作沐亦通,泳或反误也 彼长川,言息其沚;陟彼 黄本误陂 高冈,言刈其杞。嗟我独征,靡瞻靡恃;仰彼凯风,载坐载起。

鴛鴦飛ぶこと于に、粛粛たるその羽。朝に高原に遊び、夕に蘭渚に宿る。邕邕として和鳴し、儔侶を顧盻す。俯仰慷慨し、優游容与す。

穆穆惠风,扇彼轻尘;奕奕素波,转此游鳞。伊我之劳,有怀遐 各本作佳,《诗纪》同 人。寤言永思,实钟所亲。

鴛鴦飛ぶこと于に、侶を嘯び儔を命ず。朝に高原に遊び、夕に中洲に宿る。頸を交えて翼を振り、清流に容与す。蘭蕙を咀嚼し、俯仰優游す。

所亲安在?舍我远迈。弃此荪芷,袭彼萧艾。虽曰幽深,岂无颠沛?言念君子,不遐有害。

人生寿促,天地长久。百年之期,孰云其寿?思欲登仙,以济 程本、汪本作跻 不朽。揽辔踟蹰,仰顾我友。

我友焉之?隔兹山梁 各本作冈。《诗纪》同 。谁谓河广?一苇可航。徒恨永离,逝彼路长。瞻仰弗及,徙倚彷徨。

かの長川に泳ぎ、その浒に息わんと言う。かの高岡に陟り、その楚を刈らんと言う。嗟、我が征邁は、独り行くこと踽踽たり。かの凱風を仰げば、泣涕雨のごとし。

良马既闲,丽服有辉。左揽繁若,右接忘归。风驰电 五臣注《文选》作雷 逝,蹑景 五臣本《文选》作影 追飞。凌厉中原,顾盻 各本作眄。《文选》及《太平御览》三百二十八引作盼。五臣作盻 生姿。 《文选》合下篇为一首

かの長川に沐し、その沚に息わんと言う。かの高岡に陟り、その杞を刈らんと言う。嗟、我独り征き、瞻るなく恃むなし。かの凱風を仰げば、坐するを載せ起つを載す。

携我好仇,载我轻车。南凌长阜,北厉清渠。仰落惊鸿,俯引渊鱼。槃游于田 各本作般于游田,《诗纪》同,《文选》槃作盘。黄本田作畋 ,其乐只且。

穆穆たる恵風、かの軽塵を扇ぐ。奕奕たる素波、この遊鱗を転ず。伊れ我が労、遐き人を懐う有り。寤めて言い永く思い、まことに親しむところに鍾す。

凌高远眄,俯仰咨嗟:宛 各本作怨。《诗纪》同 彼幽絷,室迩 各本作邈尔,《诗纪》同 路遐。虽有好音,谁与清歌?虽有朱 各本作姝。《诗纪》同 颜,谁与发华?仰诉 各本作讯。《诗纪》同 高云,俯托清 黄本作轻 波;乘流远遁,抱恨山阿。

親しむところは安くにか在る。我を舎てて遠く邁く。この蓀芷を棄て、かの蕭艾を襲う。幽深と曰うといえども、豈に顛沛なからんや。君子を念い言えば、遐くとも害あらず。

轻车迅迈,息彼长林。春木载荣,布叶垂阴。习习谷风,吹我素琴。咬咬 各本作交交。《诗纪》同 黄鸟,顾畴 各本作俦。《诗纪》同 弄音。感寤 《文选》作悟,《诗纪》同。注云集作寤 驰情,思我所钦。心之忧矣,永啸长吟。

人生の寿は促く、天地は長久なり。百年の期、孰か其の寿と云わん。仙に登りて不朽を済さんと思欲す。轡を攬りて踟蹰し、仰ぎて我が友を顧みる。

浩浩洪流,带我邦畿;萋萋绿林,奋荣扬辉。鱼龙灂,山鸟群飞;驾言游之 各本作出游。《文选》《诗纪》同 ,日夕忘归。思我良朋,如渴如饥;愿言不获,怆矣其悲。

我が友は焉くにか之く。この山梁を隔つ。誰か河広しと謂わん。一葦もて航すべし。ただ永離を恨み、かの路の長きを逝く。瞻望すれども及ばず、徙倚彷徨す。

息徒兰圃,秣马华山。流磻平皋,垂纶长川。目送归鸿,手挥五弦 《文选》作 。俯仰自得,游心泰玄。嘉彼钓叟,得鱼忘筌。郢人逝矣,谁可 张燮本作与。《文选》《诗纪》及《初学记》卷十八引同 尽言?

良馬すでに閑にして、麗服輝きあり。左に繁若を揽り、右に忘帰を接す。風は馳せ電は逝き、景を躡みて飛を追う。中原を凌厲し、顧盻して姿を生ず。

闲夜肃清,朗月照轩。微风动袿,组帐高褰。旨酒盈樽,莫与交欢。琴瑟 张溥本作鸣琴,《文选》同他本作瑟琴 在御,谁与鼓弹?仰慕同趣,其馨若兰。佳人不存 五臣本《文选》作在 ,能不永叹!

我が好仇を携え、我を軽車に載す。南にかの長阜を凌ぎ、北にかの清渠を厲る。仰ぎて驚鴻を落とし、俯して淵魚を引く。田に槃游し、その楽しみ只且たり。

乘风高逝 各本作游。《诗纪》同 ,远登灵丘。结 各本作托。《诗纪》同 好松乔,携手俱游。朝发泰华,夕宿神洲 黄本作州 。弹琴咏诗,聊以忘忧。

琴诗可 各本作自。《诗纪》同 乐,远游可珍。舍 黄汪程本作含。《诗纪》同。二张本作舍 道独往,弃智遗身。寂乎无累,何求于人?长寄灵岳,怡志养神。

高きに凌ぎて遠く眄み、俯仰して咨嗟す。宛かの幽絷、室は邇くして路は遐し。好音ありといえども、誰とともに清歌せん。朱顔ありといえども、誰とともに華を発せん。高雲に仰訴し、清波に俯託す。流に乗じて遠く遁れ、恨を山阿に抱く。

流代 各本作俗。《诗纪》同 难寤,逐物不还。至人远鉴,归之自然。万物为一,四海为 各本及《诗纪》皆作同 宅。与彼共之,予何所惜。生若浮寄,暂见忽终。世故纷纭,弃之八戎 黄本二张本作八成。《诗纪》同程本汪本作无成 。泽雉虽饥,不愿园林。安能服御,劳形苦 字从旧校 心。身贵名贱,荣辱何在?贵得肆志,纵心无悔。

軽車迅かに邁き、かの長林に息う。春木は荣を載せ、葉を布きて陰を垂る。習習たる谷風、我が素琴を吹く。咬咬たる黄鳥、疇を顧みて音を弄す。感寤して情を馳せ、我が欽うところを思う。心の憂うるや、永く嘯き長く吟ず。

浩浩たる洪流、我が邦畿を帯ぶ。萋萋たる緑林、荣を奮いて輝を揚ぐ。魚龍は灂し、山鳥は群れて飛ぶ。駕して言に之に遊び、日夕帰るを忘る。我が良朋を思い、渇するがごとく飢うるがごとし。願い言うも獲ず、怆としてその悲しみ。

【秀才答四首】

华堂临浚沼,灵芝茂清泉;仰瞻春 各本作青。《诗纪》同 禽翔,俯察绿水滨。逍遥步兰渚,感物怀古人:李叟寄周朝,庄生游漆园;时至忽蝉蜕,变化无常端。

徒を蘭圃に息わせ、馬を華山に秣す。磻を平皋に流し、纶を長川に垂る。目に帰鴻を送り、手に五弦を揮う。俯仰自得し、心を泰玄に遊ばす。かの釣叟を嘉し、魚を得て筌を忘る。郢人逝けり、誰とか尽く言い得ん。

君子体通变,否泰非常理。当流则蚁 黄程二张本作义。《诗纪》同。惟汪本与此合 行,时逝 各本作游。《诗纪》同 则鹊起。达者鉴通机 各本作塞。《诗纪》同 ,盛衰为表里。列仙殉生命,松乔安足齿?纵躯任世度,至人不私己。

閑夜粛として清く、朗月軒を照らす。微風袿を動かし、組帳高く褰る。旨酒は樽に盈つれど、ともに交歓する莫し。琴瑟は御に在れど、誰とともに鼓弾せん。同趣を仰慕し、その馨しきこと蘭のごとし。佳人存せず、よく永嘆せざらんや。

达人与物化,无俗不可安 各本作世俗安可论。《诗纪》同 。都邑可优游,何必栖山原?孔父策良驷,不云世路难。出处因时资,潜跃无常端。保心守道居,睹 各本作视。《诗纪》同 变安能迁?

風に乗じて高く逝き、遠く霊丘に登る。松喬に好を結び、手を携えてともに遊ぶ。朝に泰華を発し、夕に神洲に宿る。琴を弾じ詩を詠じ、いささか以て憂いを忘る。

饬车驻驷,驾言出游。南厉伊渚,北登邙丘。青林华茂 案:秀才诗止此。已下当是中散诗也。原本盖每叶二十二行,行二十字。而阙第四页。钞者不察,写为一篇。后来众家刻本遂并承其误。《诗纪》移此为第一首,尤谬 ,青鸟群嬉。感寤长怀,能不永思?永思伊何?思齐大仪。凌云轻迈,托身灵螭。遥集玄 各本作芝。《诗纪》同 圃,释辔华池。华木夜光,沙棠离离。俯漱神泉,仰叽 程本作采 琼 各本作璚。《诗纪》同 枝;栖 各本作结。《诗纪》同 心浩 各本作皓。《诗纪》同 素,终始不亏。

琴詩は楽しむべく、遠遊は珍ぶべし。道を舎てて独り往き、智を棄てて身を遺る。寂として累なく、何をか人に求めん。長く霊岳に寄り、志を怡ばせて神を養う。

流俗は寤め難く、物を逐いて還らず。至人は遠く鑑み、自然に帰す。万物は一と為し、四海を宅と為す。かれとともにこれを共にし、我何をか惜しまん。生は浮寓のごとく、暫く見えて忽ち終わる。世故は紛紜たれば、これを八戎に棄つ。沢雉は飢うといえども、園林を願わず。いかんぞ御に服し、形を労して心を苦しめんや。身は貴く名は賤し、栄辱何くにか在る。志を肆くすを得るを貴び、心を縦にして悔いなし。

【幽愤诗一首】

嗟余薄祜 五臣本《文选》作祐 ,少遭不造;哀茕靡识,越在襁褓 《晋书》及李善本《文选》作 。母兄鞠 张燮本作鞫。《诗纪》同 育,有慈无威;恃爱肆妲 《晋书》作好。尤袤本《文选》李善注作姐。旧写本《文选集注》残卷引李善注仍作妲 ,不训不师。爰及冠带,冯 《晋书》作凭 宠自放 李善本《文选》无此二句 ,抗心希古,任其所尚 善作上 。托好老庄 《晋书》作庄老 ,贱物贵身,志在守朴,养素全真。曰予 《文选》作余 不敏,好善暗人,子玉之败,屡增惟尘。大人含弘,藏垢怀耻;民之多僻,政不由己。惟此褊心,显明臧否;感寤思

【秀才答四首】

華堂は浚沼に臨み、霊芝は清泉に茂る。仰ぎて春禽の翔るを瞻、俯して緑水の滨を察す。逍遥として蘭渚を歩み、物に感じて古人を懐う。李叟は周朝に寄り、荘生は漆園に遊ぶ。時至りて忽ち蝉蜕し、変化に常端なし。

君子は通変を体し、否泰は常理にあらず。流に当たればすなわち蟻のごとく行き、時逝ければすなわち鵲のごとく起つ。達者は通機を鑑み、盛衰は表裏を為す。列仙は生命に殉じ、松喬いずくんぞ歯するに足らん。躯を縦にして世に度らしめ、至人は己を私せず。

,怛若创痏。欲寡其过,谤议沸腾。性不伤物,频致怨憎。昔惭柳下 各本作柳惠。《晋书》本传《文选》《诗纪》同。《世说新语·栖逸篇》注引《文士传》作下惠。惟《三国·魏志·王粲传》注引《魏氏春秋》及《晋书·孙登传》引皆作柳下,与此合 ,今愧孙登;内负宿心,外恧 《魏志·王粲传》注引作赧 良朋。仰慕严郑,乐道闲居;与世无营,神气晏如。咨余不淑,缨 各本作婴。《晋书》《文选》《诗纪》同 累多虞。匪降自天,实由顽疏。理弊 六臣注《文选》作蔽,注云善作弊 患结,卒致囹圄;对答鄙讯,絷此幽阻。实耻讼冤 二张本亦作冤。《晋书》同他本及李善本《文选》皆作免。注云免或为冤,非也 ,时不我与。虽曰义直,神辱志沮。澡身沧浪,岂 《晋书》作曷 云能补?雍雍 各本作嗈嗈。《文选》《诗纪》同○五臣雝雝。李善嗈嗈 鸣雁,厉 各本作奋,李善本《文选》及《诗纪》同。五臣作励 翼北游。顺时而动,得意无 各本作忘。《晋书》《文选》《诗纪》同 忧。嗟我愤叹,曾莫能俦 《晋书》作畴 。事与愿违,遘兹淹留。穷达有命,亦又何求?古人有言,善莫近名。奉时恭默,咎悔不生。万石周慎,安亲保荣。世务纷纭,祗搅予 五臣本《文选》作子 情。安乐必戒 《晋书》《文选》作诫 ,乃终利贞。煌煌灵芝,一年三秀。予 五臣本《文选》作子 独何人 各本作为。《晋书》《文选》《诗纪》同 ,有志不就。惩难思复,心焉内疚。庶勖将来,无馨无臭。采薇山阿,散发岩岫。永啸长吟,颐性 《晋书》作神。颜师古《匡谬正俗》卷八引同 养寿。

達人は物と化し、俗として安んずべからざるなし。都邑も優游すべく、何ぞ必ずしも山原に棲まん。孔父は良駟に策を加え、世路の難きを云わず。出処は時に因りて資り、潜躍に常端なし。心を保ちて道を守りて居り、変を睹て安んぞよく遷さんや。

車を飭めて駟を駐め、駕して言に出游す。南にかの伊渚を厲り、北にかの邙丘に登る。青林華やかに茂り、青鳥群れて嬉ぶ。感寤して長く懐い、よく永く思わざらんや。永く思うこと伊れ何ぞ。大儀に斉しからんことを思う。雲を凌いで軽やかに邁き、身を霊螭に託す。遥かに玄圃に集い、轡を霊池に釈く。華木は夜に光り、沙棠離離たり。俯して神泉を漱ぎ、仰ぎて瓊枝を叽く。心を浩素に棲わせ、終始虧けず。

【幽憤詩一首】

嗟、余は薄祜にして、少くして不造に遭う。哀しき茕、識らるるなく、襁褓に在るより越す。母兄に鞠育せられ、慈ありて威なし。愛を恃みて肆に妲し、訓えず師とせず。冠帯に爰び及び、寵に馮りて自ら放つ。心を抗げて古を希い、その尚ぶところに任す。好みを老荘に託し、物を賤しみて身を貴ぶ。志は朴を守るに在り、素を養いて真を全うす。曰く、余は敏ならず、善を好みて人を暗ます。子玉の敗は、屡々惟塵を増す。大人は含弘にして、垢を蔵し恥を懐く。民の僻多きは、政の己に由らざればなり。惟だこの褊心、臧否を顕明にす。感寤して思い、怛ること創痏のごとし。その過ちを寡からんと欲すれば、謗議沸騰す。性として物を傷つけざるも、頻りに怨憎を致す。昔は柳下に慚じ、今は孫登に愧づ。内に宿心に負き、外に良朋に恧づ。仰いで厳鄭を慕い、道を楽しみて閑居す。世と営むなく、神気晏如たり。嗟、余は不淑にして、纓累虞多し。天より降るにあらず、実に頑疏に由る。理は弊れて患結び、ついに囹圄を致す。鄙讯に対答し、この幽阻に絷さる。実に訟冤を恥じ、時我と与せず。義直なりと曰うといえども、神辱けられ志沮む。身を滄浪に澡うとも、豈によく補わんや。雍雍たる鳴雁、翼を厲して北に遊ぶ。時に順いて動き、意を得て忧いなし。嗟、我が憤嘆は、かつてよく儔うものなし。事は願いに違い、この淹留に遘う。窮達は命あり、またまた何をか求めん。古人言えることあり、善は名に近づくなかれと。時に奉じて恭黙し、咎悔生ぜず。万石は周慎にして、親を安んじ栄を保つ。世務は紛紜として、ただ余が情を搅す。安楽は必ず戒むべく、すなわち終に利貞なり。煌煌たる霊芝、一年に三たび秀づ。余独り何人ぞ、志あるも就かず。難を懲りて復を思い、心ここに内に疚む。庶わくは将来を勖まし、馨なく臭なからん。薇を山阿に采り、髪を岩岫に散ず。永く嘯き長く吟じ、性を頤いて寿を養わん。

【述志詩二首】

潜龍は神躯を育み、鱗を躍らせて蘭池に戯る。頸を延べて大庭を慕い、足を寝ねて皇羲を俟つ。慶雲いまだ垂降せず、槃桓す朝陽の陂。悠悠は我が儔にあらず、歩を進めて俗に応ずるは宜しからん。殊類は遍く周くし難く、鄙議紛として流離す。轲丁悔い、雅志施すを得ず。耕耨して寧越に感じ、馬席にして張儀に激す。逝きて群侶を離れ、杖を策きて洪崖を追わん。焦明は六翮を振るい、羅する者いずくんぞ羈ぐところあらん。泰清の中に浮游し、更に新しき相知を求む。翼を比べて雲漢に翔り、露を飲み瓊枝を食す。世間の人に多謝し、駕を息めて驰驱を惑う。沖静にして自然を得、栄華何ぞ為すに足らん。

【述志诗二首】

潜龙育神躯,跃 各本作濯。《诗纪》同 鳞戏兰池。延颈慕大庭,寝足俟皇羲。庆云未垂降 黄本作景 ,槃桓朝阳陂。悠悠非我俦 各本作匹。《诗纪》同 ,□步 各本作畴肯。《诗纪》同 应俗宜。殊类难遍周,鄙议纷流离。轲丁悔

檀を斥けて蒿林に、仰ぎて鸞鳳の飛ぶを笑う。坎井の蝤蛙の宅、神亀いずくにか帰する。恨むらくは自ら身を用うること拙く、意に任せて永思多し。遠く実に世と殊なり、義誉は希うところにあらず。往事はすでに謬り、来る者はなお追うべし。何すれぞ人事の間にありて、自ら心をして夷からざらしむ。慷慨して古人を思い、夢想して容輝を見る。願わくは知己とともに過り、憤を舒べて幽微を啓かん。岩穴には隠逸多く、軽く挙りて吾が師を求む。晨に箕山の嶺に登り、日夕飢えを知らず。玄居して営魄を養い、千載長く自ら綏んず。

,雅志不得施。耕耨感宁越,马席激张仪。逝将离群侣,杖策追洪崖。焦朋 各本作鹏。案:当作明。程本并改焦为鹍,尤谬 振六翮,罗者安所羁?浮游泰清中,更求新相知。比翼翔云汉,饮露食 各本作餐。《诗纪》同 琼枝。多谢 各本作念。《诗纪》同 世间人,息 各本作夙。《诗纪》同 驾惑 各本作咸。《诗纪》同 驰驱。冲静得自然,荣华何 黄本作安 足为。

【遊仙詩一首】

遥かに山上の松を望めば、隆谷鬱として青葱たり。自ら遇うこと一に何ぞ高き、独り立ちて辺に叢なし。その下に遊ばんと願い想えど、蹊路絶えて通ぜず。王喬は我を棄てて去り、雲に乗じて六龍を駕す。飄颻として玄圃に戯れ、黄老路にて相逢う。我に自然の道を授く、曠として童蒙を発するがごとし。薬を鍾山の嵎に采り、服食して姿容を改む。蝉蜕して穢累を棄て、交を梧桐の家に結ぶ。觴に臨みて九韶を奏し、雅歌何ぞ邕邕たる。長く俗人と別れ、誰かよくその踪を睹ん。

斥檀 各本作擅。《诗纪》同 蒿林,仰笑鸾 各本作神。《诗纪》同 凤飞 张燮本此下有注云:一作姿。《诗纪》同 。坎井蝤蛙 各本作蛭,《诗纪》同 宅,神龟安所归?恨自用身拙,任意多永思。远实与世殊,义誉非所希。往事既已缪 各本作谬。《诗纪》同 ,来者犹可追。何为人事间,自令心不夷?慷慨思古人,梦想见容辉。愿与知己过 各本作遇。《诗纪》同 ,舒愤启幽 各本作其。《诗纪》同 微。岩穴多隐逸,轻举求吾师。晨登箕山岭 各本作巅。张溥本有注云箕。拾遗作西。《诗纪》同 ,日夕不知饥。玄居养营魄,千载长自绥。

【六言詩十首】

惟だ上古の堯舜、二人功徳は斉均にして、天下を以て親に私せず。高尚簡朴にして慈順、寧ろ四海の蒸民を済う。

【游仙诗一首】

唐虞の世道治まり、万国穆として親しく事なし。賢愚おのおの自ら志を得、晏然として逸豫して内に忘る。佳いかなその時憙ぶべし。

遥望山上松,隆谷郁青葱。自遇一何高,独立边无丛 各本作迥无双。《诗纪》同 。愿想游其下,蹊路绝不通。王乔弃 各本作棄。《诗纪》同。案:弃当为异说。文云举也 我去,乘云驾六龙。飘飖戏玄圃,黄老路相逢。授我自然道,旷若发童蒙。采药钟山嵎 各本作隅。《诗纪》同 ,服食改姿容。蝉蜕弃秽累,结交 各本作友 家梧 各本作板。《诗纪》同 桐。临觞奏九韶,雅歌何邕邕?长与俗人别,谁能睹其踪?

智慧用うるは何の為ぞ、法令滋ず章にして寇生じ、自然に相招きて停まらず。大人は玄寂にして声なく、これを鎮むるに静を以てし自ら正す。

【六言诗十首 各本取每首之第一句,别立一行为子目。《诗纪》亦然 】

名と身といずれか親しき。哀しいかな世俗の栄に殉ずるや。馳騖して力を竭くし精を喪い、得失相紛れて憂い驚く。自ら貪りて勤苦して寧からず。

惟上古尧舜,二人功德齐均,不以天下私亲。高尚简朴慈 各本作兹 顺,宁济四海蒸民。

唐虞世道治,万国穆亲无事,贤愚各自得志。晏然逸豫内忘,佳哉尔时可憙 即喜字○三字旧注各本及《诗纪》径作喜,无注 。

生生は厚く咎を招き、金玉は屋に満つれども守り難し。古人はこの粗醜に安んじ、独り道徳を以て友と為す。故によく期を延べて朽ちず。

智慧用有 各本及《诗纪》脱此字。案:当作何 为,法令 各本及《诗纪》脱此字 滋章寇生,自 各本作纷 然相召不停。大人玄寂无声,镇之以静自正。

名行顕れて患は滋り、位高く勢重ければ禍の基なり。美色は性を伐ちて疑わず、厚味は腊毒にして治し難し。如何ぞ貪る人思わざるや。

名与身孰亲?哀哉世俗殉荣!驰骛竭力丧精,得失相纷忧惊,自贪 黄本、二张本作是。《诗纪》同 勤苦不宁。

生生厚招咎,金玉满屋 各本作堂。《诗纪》同 莫守,古人安此粗丑,独以道德为友,故能延期不朽。

名行显患滋,位高势 黄本作世 重祸基,美色伐性不疑,厚味腊毒难治。如何贪人不思?

東方朔は至って清く、外は貪汚に似て内は貞なり。身を穢し滑稽にして名を隠し、世の累の纓するところとならず。よって足るを知りて営むなし。

东方朔至清,外似 黄注二张本作以。惟程本作似。与此合。《诗纪》同 贪污内贞,秽身滑稽隐名,不为世累所缨 各本作撄。《诗纪》同 。所以知 各本作欲不。《诗纪》同 足无营。

楚の子文は善く仕え、三たび令尹と為るも喜ばず。柳下は身を降して耻を蒙り、爵禄を以て己が為にせず。靖恭なること古来ただ二子のみ。

楚子文善士 各本作仕。《诗纪》同 ,三为令尹不喜。柳下降身蒙耻,不以爵禄为己。靖恭 二字从旧校 古惟二子。

老莱妻贤明 各本作名 ,不愿 黄本汪本作顾 夫子相荆。将身 各本作相将 避禄隐耕,乐道闲居采蓱 各本作萍。《诗纪》同 ,终厉高节不倾。

老萊の妻は賢明にして、夫子の荊に相するを願わず。身を将いて禄を避け隠れて耕し、道を楽しみて閑居し蓱を采る。終にその高節を厲くして傾かず。

第7節

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嗟古贤原宪,弃背膏粱 各本作梁 朱颜,乐此屡空饥寒。形陋体逸心安,得志一世无患。

【重作六言诗十首代秋胡歌诗七首 旧校改为:重作四言诗七首。注云一作《秋胡行》。黄本程本汪本张溥本并同。惟张燮本作《秋胡行七首》。案:六言诗十首盖已逸,仅存其题。今所有者,《代秋胡行》也。旧校甚误 】

富贵尊荣,忧患谅独多 各本及《乐府诗集》引首二句皆重言下放此 。古人所惧,丰屋蔀家。人害其上,兽恶网罗。惟有贫贱,可以无他。歌以言之,富贵忧患多。

贫贱易居,贵盛难为工。耻接 各本作佞。《乐府诗集》《诗纪》同 直言,与祸相逢。变故万端,俾吉作凶。思牵黄犬,其志莫从 各本志作计。《诗纪》同。《乐府诗集》作其莫之从 。歌以言之,贵盛难为工。

嗟、古の賢たる原憲、膏粱朱顔を棄背し、この屡空飢寒を楽しむ。形は陋しくとも体は逸にして心は安く、志を得て一世に患なし。

劳谦无 各本及《诗纪》作寡。《乐府诗集》作有 悔,忠信可久安。天道害盈 张燮本有注云,害一作恶。《诗纪》同 ,好胜者残。强梁致灾,多事招患 张燮本及《诗纪》招下有祸字。注云一无事字。案:《乐府诗集》引无 。欲得安乐,独有无。歌以言之,忠信可久安。

役神者弊,极欲令人 二字各本作疾。《诗纪》同 枯。颜回短折,下 各本作不。《诗纪》同 及童乌。纵体淫恣,莫不早徂。酒色何物,自令 各本作今自。《乐府诗集》《诗纪》同 不辜。歌以言之,酒色令人枯。

绝智弃学,游心于玄默。过而复悔 各本作遇过而悔。《诗纪》同 ,当不自得。垂钓一壑,好 各本作所。《诗纪》同 乐一国。被发行歌,和气 各本作者。《诗纪》同 四塞。歌以言之,游心于玄默。

思与王乔,乘云游八极。凌厉五岳,忽行万亿。授我神药,自生羽翼。呼吸太和,练形易色。歌以言之,思行游八极。

徘徊钟山,息驾于层城。上荫华盖,下采若英。受道王母,遂升紫庭。逍遥天衢,千载长生。歌以言之,徘徊于层城。

【思亲诗一首】

奈何愁兮愁无聊,恒恻恻兮心若抽。愁奈何兮悲思多,情郁结兮不可化。奄无 各本作失。《诗纪》同 恃兮孤茕茕,内自悼兮欷 各本作啼。《诗纪》同 失声;思报德兮邈已绝,感鞠育兮情剥裂。嗟母兄兮永潜藏,想形容兮内摧伤!感阳春兮思慈亲,欲一见兮路无因。望南山兮发哀叹,感机杖兮涕汍澜。念畴昔兮母兄在,心逸豫兮寿四海。忽已逝兮不可追,心穷约兮但有悲。上空堂兮廓无依,睹遗物兮心崩摧。中夜悲兮当谁告? 张燮本作告谁。《诗纪》同 独抆 二张本作收 泪兮抱哀戚 旧校作伤怀抱。未详所本 。亲日远兮思日深 各本作日远迈兮思予心。《诗纪》同 ,恋 旧校作念 所生兮泪流襟 各本作不禁。《诗纪》同 。慈母没兮谁予 二张本作与 骄?顾自怜兮心忉忉。诉苍天兮远 各本作天。《诗纪》同 不闻,泪如雨兮叹成云 各本成作青。《诗纪》同。旧校作凝成冰,未详所据 ;欲弃忧兮寻复来,痛殷殷兮不可裁。

【重作六言詩十首代秋胡歌詩七首】

【诗三首郭遐周赠】

亮 各本作吾。《诗纪》同 无佐世才,时俗所不 各本作不可。《诗纪》同 量。归我北山阿,逍遥以相 各本作倡,《诗纪》同。旧校为倘 佯。同气自相求,虎啸谷风凉。惟余与嵇生,未面分好章 原作:面分好文章。据各本及《诗纪》改 。古人美倾盖,方此何不臧?援筝执鸣琴,携手游空房。栖迟衡门下,何愿于姬姜?甘 各本作予。《诗纪》同 心好永年,年永怀乐康。我友不斯 各本作期。《诗纪》同 卒,改计适他方。严车感 各本作岩东咸。《诗纪》岩仍为严 发日,翻然将高翔。离别在旦夕,惆怅以增伤。

富貴尊栄、憂患まことに独り多し。古人の懼るるところ、豊屋蔀家なり。人はその上を害し、獣は網羅を悪む。惟だ貧賤あるのみ、以て他なかるべし。歌いて以てこれを言う、富貴は憂患多しと。

风人重离别,行道 黄本作遒 犹迟迟。宋玉 汪本作王 哀登山,临水送将归。伊此往昔事,言之以增悲。叹 字从旧校 我与嵇生,忽然 黄本汪本作倏忽。《诗纪》同 将永离 各本作违。《诗纪》同 。俯察渊鱼游,仰观双鸟飞;厉翼太清中,徘徊于丹池。钦哉得其所,令我心独 程本作之 违。言别在斯须,惄 程本作督 焉如朝 各本作调。《诗纪》同 饥。

离别自古有,人非比目鱼。君子不怀土 程本汪本作上 ,岂更得安居?四海皆兄弟,何患无彼姝?岩穴隐傅说,空 各本作寒。《诗纪》同 谷纳白驹。方各以类聚;物亦以群殊。所在有智贤,何忧不此 各本作此不。《诗纪》同 如?所贵身名存,功烈在简书。年 各本作岁 时已过历,日月忽其除。勖哉乎嵇生,敬德以 各本作在 慎躯!

【诗五首郭遐叔赠】

每念遘会,惟曰 各本作日。《诗纪》同 不足。昕往宵归,常苦其速。欢接无厌,如川赴谷。如何忽尔,将适他俗。言驾有日,巾车命仆。思言 各本作念。《诗纪》同 君子,温其如玉。心之忧矣,视丹如绿。

案:当有脱文 如何忽尔,超将远游。情以怵惕,惟思惟忧。展转反侧,寤寐追求。驰情运想,神往形留,心之忧矣,增其劳愁。

貧賤は居りやすく、貴盛は工と為し難し。佞に恥じて直言し、禍と相逢う。変故は万端、吉を俾して凶と作す。黄犬を牽かんと思えども、その志従う莫し。歌いて以てこれを言う、貴盛は工と為し難しと。

不见可欲,使心不乱;譬彼造化,抗无崖畔。封疆画界,事利任难。惟予与子,本 黄本汪本字阙。程本作实。张溥本作蔑。张燮本作鲜。注云一作籍。《诗纪》同 不同贯。交重情亲,欲面无算。如何忽尔,时适他馆。明发不寐,耿耿极旦。心之忧矣,增其愤叹 黄汪二张本作怨。《诗纪》同 。

天地悠长,人生若忽。苟非知命,安保旦夕?思与君子,穷年卒岁;优哉逍遥,幸无陨越。如何君子 案:当作忽尔 ,超将远迈。我情愿关,我言 汪本二张本作心。《诗纪》同 愿结。心之忧矣,良以忉怛。

君子交有义,不必常相从。天地有明理,远近无异同。三仁不齐迹,贵在等贤踪。众鸟群相追,鸷鸟独无双。何必相呴濡,江海自从 各本作可。《诗纪》同。旧校作兼 容?愿各保遐年 各本作心。《诗纪》同 ,有缘复来东。

【五言诗三首答二郭】

天下悠悠者,不能 各本作下京。《诗纪》同 趋上京。二郭怀不群,超然来北征。乐道托蓬 各本作莱。《诗纪》同 庐,雅志无所营。良时遘其愿,遂结欢爱情。君子义是亲,恩好笃平生。寡智自生灾,屡使众衅成。豫子匿梁侧 《诗纪》注云:子一作让 ,聂政变其形。顾此怀怛惕,虑在苟自宁。今当寄他域,严驾不得停。本图终宴婉,今更不克并。二 黄木张溥本作三 子赠嘉诗,馥如幽兰馨。恋土思所亲,能不 各本作不知。《诗纪》同 气愤盈?

労謙なれば悔い寡なく、忠信もて久しく安んずべし。天道は盈を害し、勝ちを好む者は残す。強梁は災を致し、多事は患を招く。安楽を得んと欲せば、独り無あるのみ。歌いて以てこれを言う、忠信もて久しく安んずべしと。

昔蒙父兄祚,少得离负荷;因疏遂成懒,寝迹北山阿。但愿养性命,终己靡有他。良辰不我期,当年值纷华。坎懔 程本作凛。他本并作壈。《诗纪》同 趣世教 各本作务。《诗纪》同 ,常恐缨 各本作婴。《诗纪》同 网罗。羲农 汪本程本作皇 邈以 各本作已。《诗纪》同 远,拊膺独咨嗟 程本作获治正 。明 各本作朔。《诗纪》同 戒贵尚用 各本作容。《诗纪》同 ,渔父好扬波。虽 程本作难 逸亦以 二张本作已 难,非余心所嘉。岂若翔区外,飧琼漱朝霞。遗 程本作迂 物弃鄙累,逍遥游太和。结友集灵岳,弹琴登清歌。有能从我 各本作此。《诗纪》同 者,古人何 二张本作岂 足多?

详观凌世务,屯险多忧虞。施报更相市,大道匿不舒。夷路殖 各本作植 枳棘,心安 各本作安步。《诗纪》同 将焉如?权智相倾夺,名位不可居。鸾凤避罻罗,远托昆仑墟。庄周悼灵龟,越稷 二张本作穆。注云一作稷。《诗纪》同 畏 各本作嗟。《诗纪》同 王舆。至人存诸己,隐朴 各本作璞 乐玄虚。功名何足殉,乃欲列简书。所好亮若兹,杨氏叹交衢。去去从所志,敢谢道

不俱。

【五言诗一首与阮德如】

含哀还旧庐,感切伤心肝。良时遘吾 各本作数。《诗纪》同 子,谈慰臭如兰。畴昔恨不早,既面侔旧欢。不悟卒永离,念隔怅增叹 黄汪程本作怅忧叹。二张本作增忧叹 。事故无不有,别易良会 各本作会良 难。郢人忽以 各本作已 逝,匠石寝不言。泽雉穷野草,灵龟乐泥蟠。荣名秽人身,高位多灾患。未若捐外累 《诗纪》注云:《拾遗》作虑 ,肆志养浩然。颜氏希有虞,隰子慕黄轩;涓彭独何人,唯在志 各本作志在。《诗纪》同 所安。渐渍殉近欲,一往不可攀。生生在豫积,勿以休 各本作怵。《诗纪》同 自宽。南土垾 各本作旱。《诗纪》同 不凉,衿计宜早看 各本作完。《诗纪》同 。君其爱德素,行路慎风寒。自力致所怀,临文情辛酸。

神を役する者は弊れ、欲を極むれば人をして枯れしむ。顔回は短折し、童烏にも及ばず。体を縦にし淫恣すれば、早く徂かざるなし。酒色は何物ぞ、自ら今不辜ならしむ。歌いて以てこれを言う、酒色は人を枯れしむと。

【五言诗二首阮德如答】

旦 各本作早。《诗纪》同 发温泉庐,夕宿宣阳 程本作畅 城。顾盻 各本作眄。《诗纪》同 怀惆怅,言思我友生。会遇一何幸,及子遘欢情。交际虽未久,思我爱发诚 各本作恩爱发中诚。《诗纪》同。张燮本恩仍为思 。良玉须切磋,玙璠就其形。随珠岂不曜,雕莹启光荣。与子犹兰石,坚芳互相成。庶几弘 各本作行。《诗纪》同 古道,伐檀俟河清。不谓中离别,飘飘然远征。临舆执手诀 黄本汪本作决 ,良诲壹何精。佳言盈我身 各本作耳。《诗纪》同 ,援带以自铭。唐虞旷千载,三代不我 各本作可。《诗纪》同 并。洙泗久以 各本作已。《诗纪》同 往,微言谁为 各本作共。《诗纪》同 听。曾参易箦毙,仲由结其缨;晋楚安足慕?屡空以守 各本作守以。《诗纪》同 贞。潜龙尚泥蟠,神龟隐其灵。庶保吾子言,养真以全生。东野多所患,暂往不久停。幸子无损思,逍遥以

智を絶ち学を棄て、心を玄黙に遊ばす。過ちて復た悔ゆれば、まさに自得すべからず。一壑に釣を垂れ、一国を楽しむところとす。髪を被りて行きて歌えば、和気四方に塞がる。歌いて以てこれを言う、心を玄黙に遊ばすと。

自宁。

双美不易居,嘉会故难常。爰自 各本作处 憩斯土,与子遘兰芳。常愿永游集,拊翼同回翔。不悟卒永离,壹别为异乡。四牡壹何速,征人去 各本作告 路长。步顾怀想像 各本作象 ,游目屡大 各本作太。《诗纪》同 行。抚轸 各本作,《诗纪》同 增叹息,念子安能忘。恬和为道基,老氏恶强梁。患至有身灾,荣子知所康。蟠 各本作神 龟实可乐,明戒在刳肠。新诗何笃穆,申咏增恺忼 张燮本作慷 。舒检 字从刻本。旧校为矜。原字灭尽,疑亦检字 诏 各本作话。《诗纪》同 良讯。终然永 旧校为未。原字灭尽,今从刻本 厌藏。还誓必不食,复得 各本作与。《诗纪》同 同林 各本作故。《诗纪》同 房。愿子荡忧虑,无以情自伤。候 各本作俟。《诗纪》同 路忘所次 各本作以。《诗纪》同 ,聊以酬来章。

酒会诗一首 各本并后四言诗之第一至第六篇题为《酒会诗七首》。旧校同

乐哉菀 各本作苑。《诗纪》同 中游,周览无穷已。百卉吐芳华,崇台 各本作基 邈高跱。林木纷交错,玄池戏鲂鲤。轻丸毙飞 各本作翔 禽,纤纶出鳣鲔。坐 原钞作研。依各本及旧校改 中发美赞,异气同音轨。临川献清酤,微歌发皓齿。素琴挥雅操,清声随风起。斯会岂不乐?恨无东野子。酒中念幽人,守故弥终始。但当体七弦,寄心在知己。

思いて王喬とともに、雲に乗じて八極に遊ばんと欲す。五岳を凌厲し、忽ちにして万億を行く。我に神薬を授け、自ら羽翼を生ず。太和を呼吸し、練精にして長生を保つ。精霊を萃めて自ら嬉び、神仙の門に登る。歌いて以てこれを言う、雲に乗じて八極に遊ばんと。

【四言诗十一首 各本及旧校均以前六篇为《酒会诗》,而削其第七至第十篇,复于第十一篇之前题云《杂诗一首》 】

淡淡 《太平御览》七百七十引作渊渊 流水,沧胥 《御览》作湑 而逝;泛泛柏 《御览》作虚 舟,载浮 《御览》作亭 载滞。微啸清风,鼓楫容裔。放棹投竿,优游卒岁。

婉彼鸳鸯,戢翼而游。俯唼 原字灭尽。今从旧校及刻本为唼。《艺文类聚》九十二引作吮 绿藻,托身洪流。朝翔素濑,夕栖灵洲。摇荡清波,与之沉浮。

藻汜 二字黄本空。他本作流咏。旧校同 兰沚,和声激朗。操缦清商,游心大象。倾 汪本作顷 昧修身,惠音遗响。钟期不存,我志谁赏!

敛弦散思,游钓九渊。重流千仞,或 张燮本作惑。《诗纪》同 饵者悬。猗与庄老,栖迟永年;实惟龙化,荡志浩然。

肃肃苓 原钞作冷。今依《诗纪》及张溥本改。他本皆作笭 风,分生江湄。却背华林,俯溯丹坘 各本作坻。《诗纪》同。注云一作漪 。含阳吐英,履霜不衰。嗟我殊观,百卉俱腓。心之忧矣,孰识玄机?

淫色は寿を害し、酒腐れて骸を潰す。立てて限るに百歳を以てすれば、誰かよくその半ばに及ばん。願わくは氷玉の質を登し、遠く崑崙の側に遊ばん。邪穢すでに蕩除せられ、万里に塵埃なし。歌いて以てこれを言う、酒腐れて骸を潰すと。

猗猗兰霭 黄汪二张本作蔼 ,殖彼中原;绿叶幽茂,丽藻丰 各本作藻秾 繁。馥馥蕙芳,顺风而宣。将御椒房,吐熏龙轩。瞻彼秋草,怅矣惟骞!

泆泆白云,顺风而回;渊渊绿水,盈坎而颓。乘流远逝,自 案:或息字之误 躬兰隈。杖策答诸,纳之素怀。长啸清原,惟以告哀。

抄抄 案:或眇眇之误 翔鸾,舒翼太清;俯眺紫辰,仰看素庭。凌蹑玄虚,浮沉无形。将游区外,啸侣长鸣。神□不存,谁与独征?

有舟浮覆 案:当是误字 ,绋是维。栝楫松棹,有若龙微。□津经险,越济不归。思友长林,抱朴山嵋。守器殉业,不能奋飞。

第8節

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羽化华岳,超游清霄。云盖习习,六龙飘飘。左佩椒桂,右缀兰苕。凌阳赞路,王子奉轺。婉娈名山,真人是要。齐物养生,与道逍遥。

華岳にて羽化し、清霄を超遊す。雲蓋は習々として、六龍は飄々たり。左に椒桂を佩び、右に蘭苕を綴る。凌陽は路を賛し、王子は轺を奉ず。婉孌たる名山、真人はここに要す。斉物養生、道と共に逍遥す。

微风轻 《诗纪》五臣本《文选》均作清 扇,云气四除。皦皦 各本作皎皎 朗 《文选》作亮 月,丽于高隅。兴命公子,携手同车。龙骥翼翼,扬镳踟蹰。肃肃宵征,造我友庐。光灯吐耀 各本作辉。《文选》同○五臣作曜 ,华幔长舒。鸾觞酌醴,神鼎烹鱼。弦 汪本作玄 超子野,叹过绵驹。流咏太素,俯赞玄虚。畴 各本作孰。《文选》《诗纪》同 克英贤?与尔剖符。

微風軽く(『詩紀』五臣本『文選』いずれも「清」に作る)扇ぎ、雲気四方に除かる。皦皦として(各本「皎皎」に作る)朗らかなる(『文選』は「亮」に作る)月、高き隅に麗し。公子に命を興し、手を携えて車を同じくす。龍驥は翼翼として、鐙を揚げ踟蹰す。粛々として宵征し、我が友の廬に造る。光灯は耀を吐き(各本「輝」に作る。『文選』も同じ。五臣は「曜」に作る)、華幔は長く舒ぶ。鸞觴に醴を酌み、神鼎に魚を烹る。弦(汪本は「玄」に作る)は子野を超え、嘆じて綿駒を過ぐ。太素を流詠し、俯して玄虚を賛す。孰か(各本「孰」に作る。『文選』『詩紀』も同じ)英賢たりえん?爾と符を剖かん。

【五言诗三首 各本无此三篇。旧校亦乙去 】

【五言詩三首(各本にこの三篇なし。旧校もまた乙去す)】

人生譬朝露,世变多百罗。苟必有终极,彭聃不足多。仁义浇淳朴,前识丧道华。留弱丧自然,天真难可和。郢人审匠石,钟子识伯牙;真人不屡存,高唱谁当和?

人生は朝露に譬えられ、世の変は百羅多し。もし必ず終極あらば、彭祖・老聃とても多とするに足らず。仁義は淳朴を澆し、前識は道の華を喪う。弱きを留めて自然を喪い、天真は和し難し。郢人は匠石を審らかにし、鍾子は伯牙を識る。真人はしばしば存せず、高唱に誰か当に和すべけんや?

修夜家 疑当作寂,由家而误 无为,独步光庭侧。仰首看天衢,流光曜八极。抚心悼季世,遥念大道逼。飘飘当路士,悠悠进自棘。得失自己来,荣辱相蚕食。朱紫虽 疑当作杂 玄黄,太素贵无色。渊淡体至道,色 案:当误 化同消息。

修夜は家(疑うらくは「寂」に作るべし。「家」より誤れるか)にして無為なり、独り光庭の側を歩む。首を仰いで天衢を看れば、流光は八極を曜かす。心を撫して季世を悼み、遥かに大道の逼るを念う。飄々たる当路の士、悠々として進むこと自ら棘のごとし。得失は自ら来たり、栄辱は互いに蚕食す。朱紫は(疑うらくは「雑」に作るべし)玄黄なりと雖も、太素は無色を貴ぶ。淵淡として至道を体し、色(案ずるに、当に誤りなるべし)化は消息を同じくす。

俗人不可亲,松乔是可邻。何为秽浊间,动摇增垢尘?慷慨之远游,整驾俟良辰。轻举翔区外,濯翼扶桑津。徘徊戏灵岳,弹琴咏泰真。沧水澡五藏,变化忽若神。恒娥进妙药,毛羽翕光新。一纵发开阳,俯视当路人。哀哉世间人 疑当作人间世 ,何足久托身!

俗人は親しむべからず、松喬こそ隣とすべし。何すれぞ穢濁の間にありて、動揺して垢塵を増さんや?慷慨の遠遊、駕を整えて良辰を俟つ。軽く挙がりて区外に翔り、翼を扶桑の津に濯ぐ。徘徊して霊岳に戯れ、琴を弾じて泰真を詠ず。滄水にて五臓を澡い、変化すること忽ち神のごとし。恒娥は妙薬を進め、毛羽は光を翕めて新たなり。一たび開陽に縦れば、俯して当路の人を視る。哀しいかな世間の人(疑うらくは「人間世」に作るべし)、何ぞ久しく身を託するに足りんや!

【第二篇 神话与传说】

【第二篇 神話と伝説】

志怪之作,庄子谓有《齐谐》,列子则称《夷坚》,然皆寓言,不足征信。《汉志》乃云出于稗官,然稗官者,职惟采集而非创作,“街谈巷语”自生于民间,固非一谁某之所独造也,探其本根,则亦犹他民族然,在于神话与传说。

志怪の作については、荘子は『斉諧』ありと言い、列子は『夷堅』を称するが、いずれも寓言にして徴信するに足らず。『漢書・芸文志』は稗官より出づと云うが、しかし稗官なる者は、その職はただ採集にして創作にあらず、「街談巷語」は自ら民間に生じ、もとより一人の某が独り造り出したものにあらざるなり。その本根を探れば、他の民族と同様に、神話と伝説にある。

昔者初民,见天地万物,变异不常,其诸现象,又出于人力所能以上,则自造众说以解释之:凡所解释,今谓之神话。神话大抵以一“神格”为中枢,又推演为叙说,而于所叙说之神、之事,又从而信仰敬畏之,于是歌颂其威灵,致美于坛庙,久而愈进,文物遂繁。故神话不特为宗教之萌芽,美术所由起,且实为文章之渊源。惟神话虽生文章,而诗人则为神话之仇敌,盖当歌颂记叙之际,每不免有所粉饰,失其本来,是以神话虽托诗歌以光大,以存留,然亦因之而改易,而销歇也。如天地开辟之说,在中国所留遗者,已设想较高,而初民之本色不可见,即其例矣。

昔、初民は天地万物を見て、変異常ならず、その諸現象がまた人力の及ぶところ以上に出づるを知り、自ら諸説を造りてこれを解釈した。凡そその解釈するところを、今これを神話と謂う。神話は大抵一つの「神格」を中枢とし、さらに推演して叙説となし、その叙説するところの神・事について、さらに信仰し敬畏し、かくてその威霊を歌頌し、壇廟に美を致し、久しくしてますます進み、文物遂に繁る。故に神話は特に宗教の萌芽たるのみならず、美術の由りて起こるところにして、かつ実に文章の淵源なり。ただし神話は文章を生むとはいえ、詩人は則ち神話の仇敵なり。蓋し歌頌記叙の際、往々にして粉飾するところあり、その本来を失う。是を以て神話は詩歌に託して光大にし、存留するも、しかしまたこれに因りて改易し、消歇するなり。天地開闢の説のごとき、中国に遺されたるものは、すでに設想やや高く、初民の本色を見ることを得ず。すなわちその例なり。

天地混沌如鸡子,盘古生其中,一万八千岁。天地开辟,阳清为天,阴浊为地,盘古在其中,一日九变,神于天,圣于地。天日高一丈,地日厚一丈,盘古日长一丈,如此万八千岁,天数极高,地数极深,盘古极长。后乃有三皇。 《艺文类聚》一引徐整《三五历记》

天地は混沌として鶏子の如く、盤古その中に生ず。一万八千歳。天地開闢し、陽清にして天となり、陰濁にして地となる。盤古その中にあり、一日に九変し、天に神たり、地に聖たり。天は日に一丈高くなり、地は日に一丈厚くなり、盤古は日に一丈長くなる。かくの如くして万八千歳、天数は極めて高く、地数は極めて深く、盤古は極めて長し。その後乃ち三皇あり。(『芸文類聚』一に引く徐整『三五歴記』)

天地,亦物也。物有不足,故昔者女娲氏练五色石以补其阙,断鳌之足以立四极。其后共工氏与颛顼争为帝,怒而触不周之山,折天柱,绝地维,故天倾西北,日月星辰就焉,地不满东南,故百川水潦归焉。 《列子·汤问》

天地もまた物なり。物に不足あり、故に昔者女媧氏は五色の石を練りてその闕を補い、鰲の足を断ちて四極を立つ。その後、共工氏は顓頊と帝位を争い、怒りて不周の山に触れ、天柱を折り、地維を絶つ。故に天は西北に傾き、日月星辰これに就き、地は東南に満たず、故に百川水潦これに帰す。(『列子・湯問』)

迨神话演进,则为中枢者渐近于人性,凡所叙述,今谓之传说。传说之所道,或为神性之人,或为古英雄,其奇才异能神勇为凡人所不及,而由于天授,或有天相者,简狄吞燕卵而生商,刘媪得交龙而孕季,皆其例也。此外尚甚众。

神話が演進すると、中枢となる者は漸く人性に近づき、凡そ叙述するところを今これを伝説と謂う。伝説の道うところは、或いは神性の人、或いは古英雄にして、その奇才異能神勇は凡人の及ばざるところにして、天授に由り、或いは天の相あるものなり。簡狄が燕の卵を呑みて商を生み、劉媼が交龍を得て季を孕むがごとき、皆その例なり。この外なお甚だ多し。

尧之时,十日并出,焦禾稼,杀草木,而民无所食。猰、凿齿、九婴、大风、封豨、修蛇,皆为民害。尧乃使羿……上射十日而下杀猰。……万民皆喜,置尧以为天子。 《淮南子·本经训》

堯の時、十日並び出で、禾稼を焦がし、草木を殺し、民の食するところなし。猰貐・鑿歯・九嬰・大風・封豨・修蛇、皆民の害を為す。堯乃ち羿をして……上は十日を射、下は猰貐を殺さしむ。……万民皆喜び、堯を置きて天子と為す。(『淮南子・本経訓』)

羿请不死之药于西王母,姮娥窃以奔月。 《淮南子·览冥训》。高诱注曰,姮娥羿妻。羿请不死之药于西王母,未及服之。姮娥盗食之,得仙,奔入月中为月精。

羿は不死の薬を西王母に請う。姮娥これを窃みて月に奔る。(『淮南子・覧冥訓』。高誘注に曰く、姮娥は羿の妻なり。羿は不死の薬を西王母に請うも、未だ服するに及ばず。姮娥これを盗み食し、仙を得、月中に奔り入りて月精と為る。)

昔尧殛鲧于羽山,其神化为黄熊以入于羽渊。 《春秋·左氏传》

昔、堯は鯀を羽山に殛す。その神は黄熊に化して羽淵に入る。(『春秋左氏伝』)

瞽瞍使舜上涂廪,从下纵火焚廪,舜乃以两笠自扞而下去,得不死。瞽瞍又使舜穿井,舜穿井为匿空,旁出。 《史记·舜本纪》

瞽瞍は舜をして廩に上り塗らしめ、下より火を縦ちて廩を焚く。舜乃ち二笠を以て自ら扞いて下り去り、死を免る。瞽瞍又舜をして井を穿たしむ。舜は井を穿ちて匿空を為し、旁より出づ。(『史記・舜本紀』)

中国之神话与传说,今尚无集录为专书者,仅散见于古籍,而《山海经》中特多。《山海经》今所传本十八卷,记海内外山川神衹异物及祭祀所宜,以为禹益作者固非,而谓因《楚辞》而造者亦未是;所载祠神之物多用糈 精米 ,与巫术合,盖古之巫书也,然秦、汉人亦有增益。其最为世间所知,常引为故实者,有昆仑山与西王母。

中国の神話と伝説には、今なお集録して専書と為す者なく、ただ古籍に散見するのみにて、『山海経』中に特に多し。『山海経』の今伝わる本は十八巻、海内外の山川神祇異物及び祭祀の宜しきところを記す。禹益の作と為す者は固より非にして、『楚辞』に因りて造ると謂う者もまた未だ是ならず。載するところの祠神の物に糈(精米)を多く用い、巫術に合す。蓋し古の巫書なり。然れども秦漢の人もまた増益するところあり。その最も世間に知られ、常に故実として引かるるものに、崑崙山と西王母あり。

昆仑之丘,是实惟帝之下都,神陆吾司之,其神状虎身而九尾,人面而虎爪。是神也,司天之九部及帝之囿时。 《西山经》

崑崙の丘、これ実に帝の下都なり。神陸吾これを司る。その神の状は虎身にして九尾、人面にして虎爪。この神は天の九部及び帝の囿時を司る。(『西山経』)

玉山,是西王母所居也。西王母其状如人,豹尾虎齿而善啸,蓬发戴胜,是司天之厉及五残。 同上

玉山、これ西王母の居る所なり。西王母はその状人の如く、豹尾虎歯にして善く嘯き、蓬髪にして勝を戴く。これ天の厲及び五残を司る。(同上)

昆仑之墟方八百里,高万仞;上有木禾,长五寻,大五围;面有九井,以玉为槛;面有九门,门有开明兽守之。百神之所在。在八隅之岩,赤水之际,非仁羿莫能上。 《海内西经》

崑崙の墟は方八百里、高さ万仞。上に木禾あり、長さ五尋、大きさ五囲。面に九井あり、玉を以て檻と為す。面に九門あり、門に開明獣ありてこれを守る。百神の在るところ。八隅の巌、赤水の際にあり。仁羿にあらざれば上ること能わず。(『海内西経』)

西王母梯几而戴胜杖 案:此字当衍 ,其南有三青鸟,为西王母取食,在昆仑墟北。 《海内北经》

西王母は几に梯りて勝を戴き杖す(案ずるに、この字は当に衍なるべし)。その南に三青鳥あり、西王母のために食を取る。崑崙墟の北にあり。(『海内北経』)

大荒之中有山,名曰丰沮玉门,日月所入。有灵山,巫咸、巫即、巫朌、巫彭、巫姑、巫真、巫礼、巫抵、巫谢、巫罗十巫从此升降,百药爰在。 《大荒西经》

大荒の中に山あり、名を丰沮玉門と曰う。日月の入るところ。霊山あり。巫咸・巫即・巫朌・巫彭・巫姑・巫真・巫礼・巫抵・巫謝・巫羅の十巫、此より升降し、百薬爰に在り。(『大荒西経』)

西海之南,流沙之滨,赤水之后,黑水之前,有大山,名曰昆仑之丘。有神人面虎身有尾皆白处之。其下有弱水之渊环之。其外有炎火之山,投物辄然。有人戴胜,虎齿,有豹尾,穴处,名曰西王母。此山万物尽有。 同上

西海の南、流沙の浜、赤水の後、黒水の前に大山あり、名を崑崙の丘と曰う。神あり、人面虎身にして尾あり、皆白くしてこれに処る。その下に弱水の淵ありてこれを環す。その外に炎火の山あり、物を投ずれば輒ち然ゆ。人あり、勝を戴き、虎歯にして豹尾あり、穴処す。名を西王母と曰う。この山は万物尽く有り。(同上)

晋咸宁五年,汲县民不準盗发魏襄王冢,得竹书《穆天子传》五篇,又杂书十九篇。《穆天子传》今存,凡六卷;前五卷记周穆王驾八骏西征之事,后一卷记盛姬卒于途次以至反葬,盖即杂书之一篇。《传》亦言见西王母,而不叙诸异相,其状已颇近于人王。

晋の咸寧五年、汲県の民、不準なる者、魏の襄王の冢を盗発し、竹書『穆天子伝』五篇を得、又雑書十九篇を得。『穆天子伝』は今存す。凡そ六巻。前の五巻は周の穆王が八駿を駕して西征せし事を記し、後の一巻は盛姫が途次に卒し反葬に至るを記す。蓋し即ち雑書の一篇なり。『伝』もまた西王母に見ゆることを言うが、諸の異相を叙せず、その状はすでに頗る人王に近し。

吉日甲子,天子宾于西王母,乃执白圭玄璧以见西王母。好献锦组百纯,□组三百纯,西王母再拜受之。□乙丑。天子觞西王母于瑶池之上。西王母为天子谣,曰:“白云在天,山自出,道里悠远,山川间之,将子无死,尚能复来。”天子答之曰:“予归东土,和治诸夏,万民平均,吾愿见汝,比及三年,将复而野。”天子遂驱升于弇山,乃纪丌迹于弇山之石,而树之槐,眉曰西王母之山。 卷三

吉日甲子、天子は西王母に賓す。乃ち白圭玄璧を執りて以て西王母に見ゆ。好みて錦組百純を献じ、□組三百純、西王母再拝してこれを受く。□乙丑、天子は西王母を瑤池の上に觴す。西王母、天子のために謡して曰く、「白雲は天にあり、山は自ら出ず。道里は悠遠にして、山川これを間つ。将に子は死する無かれ、尚お能く復た来たれ。」天子これに答えて曰く、「予は東土に帰り、諸夏を和治し、万民を平均にす。吾は汝に見えんことを願う。三年に比及し、将に復た汝の野に至らん。」天子遂に駆けて弇山に升り、乃ちその跡を弇山の石に紀し、これに槐を樹う。眉して西王母の山と曰う。(巻三)

有虎在乎葭中。天子将至。七萃之士高奔戎请生捕虎,必全之,乃生捕虎而献之。天子命之为柙而畜之东虞,是为虎牢。天子赐奔戎畋马十驷,归之太牢,奔戎再拜首。 卷五

虎あり、葭中に在り。天子将に至らんとす。七萃の士、高奔戎、生きて虎を捕えんことを請い、必ず全くせんと。乃ち生きて虎を捕えてこれを献ず。天子これに命じて柙と為し、東虞に畜う。これを虎牢と為す。天子、奔戎に畋馬十駟を賜い、太牢に帰す。奔戎再拝首す。(巻五)

汉应劭说,《周书》为虞初小说所本,而今本《逸周书》中惟《克殷》、《世俘》、《王会》、《太子晋》四篇,记述颇多夸饰,类于传说,余文不然。至汲冢所出周时竹书中,本有《琐语》十一篇,为诸国卜梦妖怪相书,今佚,《太平御览》间引其文;又汲县有晋立《吕望表》,亦引《周志》,皆记梦验,甚似小说,或虞初所本者为此等,然别无显证,亦难以定之。

漢の応劭は説く、『周書』は虞初小説の本づくところと。しかし今本の『逸周書』中にはただ『克殷』『世俘』『王会』『太子晋』の四篇のみ、記述に頗る誇飾多く、伝説に類す。余文はしからず。汲冢より出でし周時の竹書中には、本より『瑣語』十一篇あり。諸国の卜夢妖怪相書なり。今は佚す。『太平御覧』に間々その文を引く。又、汲県に晋の立つる『呂望表』あり、亦た『周志』を引く。皆夢験を記し、甚だ小説に似る。或いは虞初の本づくところはこの等にして、然れども別に顕証なく、亦た以てこれを定め難し。

齐景公伐宋,至曲陵,梦见有短丈夫宾于前。晏子曰:“君所梦何如哉?”公曰:“其宾者甚短,大上小下,其言甚怒,好俯。”晏子曰:“如是,则伊尹也。伊尹甚大而短,大上小下,赤色而髯,其言好俯而下声。”公曰:“是矣。”晏子曰:“是怒君师,不如违之。”遂不果伐宋。 《太平御览》三百七十八

斉の景公、宋を伐たんとし、曲陵に至り、夢に短き丈夫の前に賓するを見る。晏子曰く、「君の夢みるところ如何なりや?」公曰く、「その賓する者甚だ短く、上大にして下小、その言甚だ怒り、好みて俯す。」晏子曰く、「かくの如くなれば、則ち伊尹なり。伊尹は甚だ大にして短く、上大にして下小、赤色にして髯あり、その言好みて俯し下声なり。」公曰く、「是なり。」晏子曰く、「是れ君の師を怒る。違うに如かず。」遂に果たして宋を伐たず。(『太平御覧』三百七十八)

文王梦天帝服玄以立于令狐之津。帝曰:“昌,赐汝望。”文王再拜稽首,太公于后亦再拜稽首。文王梦之之夜,太公梦之亦然。其后文王见太公而之曰:“而名为望乎?”答曰:“唯,为望。”文王曰:“吾如有所见于汝。”太公言其年月与其日,且尽道其言,“臣以此得见也。”文王曰:“有之,有之。”遂与之归,以为卿士。 晋立《太公吕望表》石刻,以东魏立《吕望表》补阙字。

文王、天帝の玄裳を服して令狐の津に立つを夢む。帝曰く、「昌よ、汝に望を賜う。」文王再拝稽首し、太公も後にまた再拝稽首す。文王これを夢みし夜、太公これを夢みること亦た然り。その後、文王太公に見えてこれに曰く、「なんじの名を望と為すか?」答えて曰く、「惟り、望と為す。」文王曰く、「吾、汝に見るところある如し。」太公その年月とその日を言い、かつ尽くその言を道い、「臣これを以て見ゆることを得たり。」文王曰く、「之あり、之あり。」遂にこれと帰り、以て卿士と為す。(晋立『太公呂望表』石刻、東魏立『呂望表』を以て闕字を補う。)

他如汉前之《燕丹子》,汉杨雄之《蜀王本纪》,赵晔之《吴越春秋》,袁康,吴平之《越绝书》等,虽本史实,并含异闻。若求之诗歌,则屈原所赋,尤在《天问》中,多见神话与传说,如“夜光何德,死则又育?厥利惟何,而顾菟在腹?”“鲧何所营?禹何所成?康回凭怒,地何故以东南倾?”“昆仑县圃,其凥安在?增城九重,其高几里?”“鲮鱼何所?鬿堆焉处?羿焉日?乌焉解羽?”是也。王逸曰:“屈原放逐,彷徨山泽,见楚有先王之庙及公卿祠堂,图画天地山川神灵琦玮谲佹及古贤圣怪物行事,……因书其壁,何而问之。” 本书注 。是如此种故事,当时不特流传人口,且用为庙堂文饰矣。其流风至汉不绝,今在墟墓间犹见有石刻神祇怪物圣哲士女之图。晋既得汲冢书,郭璞为《穆天子传》作注,又注《山海经》,作图赞,其后江灌亦有图赞,盖神异之说,晋以后尚为人士所深爱。然自古以来,终不闻有荟萃融铸为巨制,如希腊史诗者,第用为诗文藻饰,而于小说中常见其迹象而已。

他に漢前の『燕丹子』、漢の揚雄の『蜀王本紀』、趙曄の『呉越春秋』、袁康・呉平の『越絶書』等のごとき、史実に本づくと雖も、並びに異聞を含む。もしこれを詩歌に求めれば、屈原の賦するところ、尤も『天問』の中に、多く神話と伝説を見る。「夜光は何の徳ありて、死すれば則ち又育つ?その利は惟だ何ぞ、而して顧菟は腹中に在り?」「鯀は何の営むところぞ?禹は何の成すところぞ?康回は怒りに憑り、地は何の故に以て東南に傾けるや?」「崑崙の県圃、そのいるところ安くにか在る?増城九重、その高さ幾里ぞ?」「鯪魚は何のところぞ?鬿堆は焉くにか処る?羿は焉くにか日を射る?烏は焉くにか羽を解く?」これなり。王逸曰く、「屈原放逐せられ、山沢に彷徨し、楚に先王の廟及び公卿の祠堂あるを見、天地山川神霊の琦瑋譎詭及び古の賢聖怪物行事を図画す。……因りてその壁に書し、何と而して之を問う。」(本書注)。かくの如き故事は当時、口に流伝するのみならず、かつ廟堂の文飾に用いたり。その流風は漢に至るも絶えず、今墟墓の間に猶お石刻の神祇怪物聖哲士女の図あるを見る。晋すでに汲冢の書を得、郭璞は『穆天子伝』に注を為し、又『山海経』に注し、図賛を作る。その後、江灌もまた図賛あり。蓋し神異の説は、晋以後なお人士の深く愛するところなり。然れども古より以来、終に荟萃融鋳して巨制と為す者ありと聞かず。ギリシアの史詩の如き者は、ただ詩文の藻飾に用い、小説の中に常にその跡象を見るのみ。

中国神话之所以仅存零星者,说者谓有二故:一者华土之民,先居黄河流域,颇乏天惠,其生也勤,故重实际而黜玄想,不更能集古传以成大文。二者孔子出,以修身齐家治国平天下等实用为教,不欲言鬼神,太古荒唐之说,俱为儒者所不道,故其后不特无所光大,而又有散亡。

中国の神話が僅かに零星を存するに止まる理由について、説く者は二故ありと謂う。一つには華土の民、先に黄河流域に居し、頗る天恵に乏しく、その生や勤なり。故に実際を重んじて玄想を黜け、更には古伝を集めて大文を成すこと能わず。二つには孔子出でて、修身斉家治国平天下等の実用を以て教えと為し、鬼神を言うことを欲せず。太古荒唐の説は倶に儒者の道わざるところとなり、故にその後、特に光大するところなきのみならず、又散亡するあり。

然详案之,其故殆尤在神鬼之不别。天神地祇人鬼,古者虽若有辨,而人鬼亦得为神祇。人神淆杂,则原始信仰无由蜕尽;原始信仰存则类于传说之言日出而不已,而旧有者于是僵死,新出者亦更无光焰也。如下例,前二为随时可生新神,后三为旧神有转换而无演进。

然れども詳しくこれを案ずるに、その故は殆ど尤も神鬼の別なきに在り。天神地祇人鬼、古は若し辨ありと雖も、人鬼もまた神祇たるを得。人神淆雑すれば、則ち原始信仰は蜕尽する由なし。原始信仰存すれば則ち伝説に類する言は日に出でて已まず、しかして旧有の者はここに僵死し、新出の者もまた更に光焰なきなり。下例の如き、前の二つは随時新神を生ずべく、後の三つは旧神に転換ありて演進なし。

蒋子文,广陵人也,嗜酒好色,佻挞无度;常自谓骨青,死当为神。汉末为秣陵尉,逐贼至钟山下,贼击伤额,因解绶缚之,有顷遂死。及吴先主之初,其故吏见文于道,……谓曰:“我当为此土地神,以福尔下民,尔可宣告百姓,为我立庙,不尔,将有大咎。”是岁夏大疫,百姓辄相恐动,颇有窃祠之者矣。 《太平广记》二九三引《搜神记》

蒋子文、広陵の人なり。酒を嗜み色を好み、佻挞にして度なし。常に自ら骨青しと謂い、死して当に神と為るべしと。漢末、秣陵の尉と為り、賊を逐いて鍾山の下に至り、賊に額を撃ち傷つけられ、因りて綬を解きてこれを縛す。頃ありて遂に死す。呉の先主の初めに及び、その故吏、文に道に見え、……謂いて曰く、「我当にこの土地の神と為り、以て爾が下民を福せんとす。爾宜しく百姓に宣告し、我がために廟を立てよ。しからずんば、将に大きなる咎あらんとす。」この歳の夏、大疫あり。百姓輒ち相い恐動し、頗る窃かに祠する者あり。(『太平広記』二九三に引く『捜神記』)

世有紫姑神,古来相传云是人家妾,为大妇所嫉,每以秽事相次役,正月十五日感激而死。故世人以其日作其形,夜于厕间或猪栏边迎之。……投者觉重 案:投当作捉,持也 ,便是神来,奠设酒果,亦觉貌辉辉有色,即跳躞不住;能占众事,卜未来蚕桑,又善射钩;好则大儛,恶便仰眠。 《异苑》五

世に紫姑神あり。古来の相伝に云う、これは人家の妾にして、大婦の嫉むところと為り、毎に穢事を以て相い次いで役す。正月十五日、感激して死す。故に世人はその日にその形を作り、夜に厠間或いは猪欄の辺にてこれを迎う。……投ずる者重きを覚ゆれば(案ずるに、投は当に捉に作るべし、持なり)、便ちこれ神来たるなり。酒果を奠設すれば、亦た貌輝輝として色あるを覚え、即ち跳躞して住まず。能く衆事を占じ、未来の蚕桑を卜し、又善く射鉤す。好なれば則ち大いに舞い、悪しければ便ち仰いで眠る。(『異苑』五)

沧海之中,有度朔之山,上有大桃木,……其枝间东北曰鬼门,万鬼所出入也。上有二神人,一曰神荼,一曰郁垒,主阅领万鬼,害恶之鬼,执以苇索而以食虎。于是黄帝乃作礼,以时驱之,立大桃人,门户画神荼郁垒与虎,悬苇索,以御凶魅。 《论衡》二十二引《山海经》,案:今本中无之。

滄海の中に度朔の山あり。上に大桃木あり。……その枝間の東北を鬼門と曰い、万鬼の出入するところなり。上に二神人あり、一を神荼と曰い、一を鬱壘と曰う。万鬼を閲領することを主り、害悪の鬼は、葦索を執りて以て虎に食わしむ。ここに於いて黄帝乃ち礼を作り、時を以てこれを駆う。大桃人を立て、門戸に神荼鬱壘と虎を画き、葦索を懸けて、以て凶魅を御す。(『論衡』二十二に引く『山海経』、案ずるに今本中にこれなし。)

东南有桃都山,……下有二神,左名隆,右名,并执苇索,伺不祥之鬼,得而煞之。今人正朝作两桃人立门旁,……盖遗象也。 《太平御览》二九及九一八引《玄中记》以《玉烛宝典》注补

東南に桃都山あり。……下に二神あり。左を隆と名づけ、右を□と名づけ、並びに葦索を執り、不祥の鬼を伺い、得てこれを殺す。今人正朝に二桃人を作りて門旁に立つ。……蓋しその遺像なり。(『太平御覧』二九及び九一八に引く『玄中記』、『玉燭宝典』注を以て補う)

门神,乃是唐朝秦叔保胡敬德二将军也。按传,唐太宗不豫,寝门外抛砖弄瓦,鬼魅呼号。……太宗惧之,以告群臣。秦叔保出班奏曰:“臣平生杀人如剖瓜,积尸如聚蚁,何惧魍魉乎?愿同胡敬德戎装立门外以伺。”太宗可其奏,夜果无警,太宗嘉之,命画工图二人之形像,……悬于宫掖之左右门,邪祟以息。后世沿袭,遂永为门神。 《三教搜神大全》七

門神は乃ち唐朝の秦叔宝・胡敬徳の二将軍なり。伝に按ずるに、唐の太宗不豫にして、寝門の外に磚を抛り瓦を弄し、鬼魅呼号す。……太宗これを懼れ、以て群臣に告ぐ。秦叔宝、班を出でて奏して曰く、「臣、平生人を殺すこと瓜を剖くが如く、屍を積むこと蟻を聚むるが如し。何ぞ魍魎を懼れんや?願わくは胡敬徳と共に戎装して門外に立ちて以て伺わん。」太宗その奏を可す。夜果たして警なし。太宗これを嘉し、画工に命じて二人の形像を図かしめ、……宮掖の左右の門に懸く。邪祟以て息む。後世これに沿襲し、遂に永く門神と為る。(『三教捜神大全』七)

【第一回 奇书照眼九地路通    流光逼人尺波电谢】

【第一回 奇書は眼を照らし九地路通ず 流光は人に迫り尺波電のごとく謝す】

溯学术初胎,文明肇辟以来,那欧洲人士,皆沥血剖心,凝神竭智,与天为战,无有已时;渐而得万汇之秘机,窥宇宙之大法,人间品位,日以益尊。所惜天下地上,人类所居,而地球内部情形,却至今犹聚讼盈庭,究不知谁非谁是。从前有个学者工石力子,曾说:“地球中心,全为液体。”一般学子,翕然从之。迨波灵氏出,竟驳击不留余地,其说道:“设地球中心,是沸热的液体,则其强大之力必将膨胀,地壳难免有破裂之患。犹气罐然,蒸气既达极度,则匐然作声,忽至龟坼。然我等所居的地球,为甚至今还是完全的呢?”波氏之说出,这班随声附和的学士先生,也只得闭口攒眉,逡巡退去了。今且不说,单说地壳厚薄,仍然是学说纷纭,莫衷一是。有的说是十万尺,有的说是三十七万尺,有的说是十六万尺,而有名的英国硕儒迦布庚,则说是自百七十至二百十五万尺。唉,好了好了,不必说了!理想难凭,贵在实行。终至假电气之光辉,探地府之秘密者,其势有不容已者欤。

学術の初胎、文明の肇辟以来を溯れば、かのヨーロッパの人士は皆、血を瀝ぎ心を剖き、神を凝らし智を竭くし、天と戦いて已むことなし。漸くして万彙の秘機を得、宇宙の大法を窺い、人間の品位は日に益々尊し。惜しむらくは天下地上、人類の居るところなれど、地球内部の情形に至りては、今に至るも猶お聚訟盈庭、究竟誰が非にして誰が是なるかを知らず。以前、ある学者コルシリ子なる者あり、曾て説けらく「地球の中心は全て液体なり」と。一般の学子、翕然としてこれに従う。波霊氏出づるに及び、竟に駁撃して余地を留めず。その説に曰く「もし地球の中心が沸熱の液体なれば、その強大なる力は必ず膨張し、地殻は破裂の患いを免れ難し。猶お気罐の然るがごとく、蒸気すでに極度に達すれば、匐然と声を発し、忽ち亀坼に至る。然るに我等の居る地球は、何故に今に至るもなお完全なるや?」波氏の説出づるや、この班の随声附和の学士先生も、口を閉じ眉を攅め、逡巡退去するのみ。今は且く論ぜず。ただ地殻の厚薄は、依然として学説紛紜にして衷を一にする能わず。十万尺と言う者あり、三十七万尺と言う者あり、十六万尺と言う者あり、しかして有名なるイギリスの碩儒カプベン氏は、百七十より二百十五万尺と説く。ああ、もうよい、もうよい、言うに及ばず!理想は憑り難く、実行を貴ぶ。遂に電気の光輝を仮り、地底の秘密を探る者、その勢い已むを容れざる者あるかな。

第9節

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却说开明之欧土中,有技术秀出,学问渊深,大为欧、美人士所钦仰之国曰德意志。鸿儒硕士,蔚若牛毛。而中有一畸人焉,名亚蓠士,幼即居其叔父列曼家,研究矿山及测地之学。列曼为博物学士,甚有盛名,矿物、地质两科,尤为生平得意之学;故常屏绝家事,蛰居书斋,几上罗列着无数光怪陆离的金石,穷日比较研究,视为至乐。且年逾五十,体力不衰,骨格魁梧,精神矍铄,隆准班发,双眸炯炯有光。其明敏活泼的性质,便是青年,也不免要让他几步。一日,独居书斋,涉猎古籍,不知有何得意,忽然大笑几声,虾蟆似的四处乱跳。亚蓠士正从对面走来,见如此情形,不觉惊甚。忙问傍边的灶下婢道:“叔父何故如是?”灶下婢摇手答道:“不知,主人没吃午餐,并命晚餐亦不必备;停了片刻,便跳跃起来,谅是不吃饭的高兴了。”亚蓠士越加惊疑,暗想此必发狂无疑,惟呼洛因来,或可稍解其烦闷。仰首吐息,涉想方殷。不图列曼学士早经瞥见,大声叫道:“亚蓠士!亚蓠士!来来!”亚蓠士闻言,连忙入室,列曼命他坐下。徐说道:“余顷读腊丁奇书,知衣兰岬岛的斯捺勿黎山,有最高峰曰斯恺忒列。每年七月顷,喷火以后,其巅留一巨穴。余欢喜无量,不觉雀跃,余覃思大念,欲旅行地底者久矣。今幸获新知,可偿夙愿,故决计一行,汝将如何?行乎,抑居乎?”这亚蓠士,本有献身学术的牺牲之志,今闻列曼言,也不觉手舞足蹈,不待说完,便拍手大呼道:“赞成!赞成!愿从愿从!”列曼笑道:“事不深思,便呼赞成,迨欲实行,必至畏缩,尔须再三思维,不可如是草率。若一闻创论,想也不想,即满口答应,到后来却踌蹰不进,是要贻笑于大方的。”亚蓠士子细一想,果然有点危险。然丈夫作事,宁惧艰危?为学术的牺牲,固当尔尔。便把决心之故,告知了列曼,起身辞出。万端感想,倏涌心头,意大地中心,必有无穷崄巇,或遇酷热,熔石为河;或遭冱寒,坚冰成陆,怕比风灾鬼难之域,更当艰辛万倍哩!唉!行路难,行路难!想去想来,那明月丽光,已辉屋脊。只见洛因已从门外款款而入,黛眼波澄,蜷发金灿,微笑问道:“君气色大恶,遮莫有烦恼么?”亚蓠士道:“洛因洛因!长为别矣,不及黄泉,不能相见。这人间界,是卿的领分了!”洛因见亚蓠士如醉如狂,满口呓语,愕然道:“君何故吓妾,今愿速闻其详。”亚蓠士道:“我忧吾叔父狂耳。”洛因道:“狂?妾今晨殊不见有狂态。”亚蓠士道:“真的!君试与谭,便知狂态。”洛因道:“究因何事呢?”说毕双眸灼灼,促其速答。亚蓠士便从虾蟆似的跳跃说起,自头至尾,细细讲了一遍。洛因且听且思,不觉乐甚,反安慰亚蓠士道:“叔父安排,必无错误,君可勿忧。”并说了许多闲话,从容而去。

さて、開明なるヨーロッパの中に、技術秀でて学問深遠、欧米の人士に大いに欽仰される国あり、ドイツと曰う。鴻儒碩学、蔚として牛毛のごとし。その中に一人の奇人あり、名をアクセルと言い、幼くして叔父リーデンブロック家に住み、鉱山学及び測地学を研究す。リーデンブロックは博物学士にして甚だ盛名あり、鉱物・地質の二科は尤も生平得意の学なり。故に常に家事を屏絶し、書斎に蟄居し、机上に無数の光怪陸離たる金石を羅列し、終日比較研究して至楽と為す。且つ年五十を逾えて体力衰えず、骨格魁梧にして精神矍鑠、隆鼻に斑白の髪、双眸炯々として光あり。その明敏活発なる性質は、たとえ青年であっても、数歩譲らざるを得ないほどであった。

ある日、独り書斎に居て古籍を渉猟し、何か得意なることあったか、突然大笑を数声発し、蝦蟇のように四方に飛び跳ね始めた。アクセルはちょうど向かいから歩いてきて、このような有様を見て、思わず大いに驚いた。急いで傍らの台所女中に尋ねた。「叔父はなぜこのようなことを?」台所女中は手を振って答えた。「分かりません。御主人は昼食を召し上がらず、夕食も用意する必要はないとお命じになりました。しばらくすると飛び跳ね始めましたので、おそらく食事をしない喜びでしょう。」

原来这洛因,是列曼的亲戚。生得蕙心兰质,楚楚可怜,与亚蓠士极相契合。然洛因虽是女子,却具有冒险的精神,敌天的豪气。所以得知此番地底旅行,却比亚蓠士更为欢喜。而亚蓠士,则自洛因去后,敛心抑气,徘徊房中,久之久之。洛因含笑入室,两道视线,直射亚蓠士之面,说道:“妾适聆叔父之言,极有义理,决无不虞,且知君当时极力赞成,今为甚背地里如此为难呢?噫!行矣男儿!亚蓠士君!”雄赳赳的说了几句,返身归房去了。亚蓠士转想,果然不惜,大丈夫不当如是么?便制定心猿,展衾就睡,无奈三尸作怪,梦中不是见熔岩喷溢的火山,便是遇怪石嵯峨的深谷,彷徨四顾,寂无一人,危哉危哉,悲声成嗄,及大呼出险,醒来才知是自己的声音。探首望玻璃窗,已有初日的美丽光线,闪闪然作红蔷薇色了。

亚蓠士急推衾披衣,推窗一望,见已有许多人夫,蚂蚁似的盘旋中庭。列曼屹立其间,指挥收拾行李。亚蓠士失声道:“呀,迟了,这位老叔父,不知又要唠叨多少话哩!”便匆匆出房,这列老先生,果然大有嘲笑之色。冷笑道:“哼!你真勤极,睡至此时,你是做什么的呢?此刻不是十点钟么?”亚蓠士漫应道:“是十点钟了,然叔父为甚勿促至是呢?”列曼道:“你还不晓得么?我等是明天要动身的!”亚蓠士闻言,惊其过速,问了一句,“为甚明天就要动身?”而列老先生又发起恨来了,他说道:“我等是优游卒岁的人么?你怕死么?如此推托,你惜别么?同那洛因,有长图大念的人,是可以惜别的么?”列曼絮絮叨叨,说个不了。亚蓠士没法,只得装着悠然的样子,强辩道:“我是一无所惧的,有谁说我是怕事的,谅未必有罢。我的意思,不过以为从容办事,才能完善,后面又没催促的,何必像逃难一般汲汲如是呢。”列曼道:“没有催促的么?这光阴不是么?”亚蓠士还说道:“今日是五月廿九,至六月杪,尚有……”列曼道:“你开口便说尚有,这‘尚有’两字,便足为你是懦夫之证了!须知我等往衣兰岬岛,是遥遥远道,与赴巴黎不同。你以为同往巴黎一样么?若非我昨日终日奔驰,你连那从可奔哈侃至雷加惠克(衣兰岬之首府)的汽船,只在每月廿二展轮一次的事情,还设[28]晓得呢!”亚蓠士不能辩,期期答道:“原来如此,我却未曾留神。”列曼又道:“若待廿二,惟恐后时。我等须早往可奔哈侃才是。”此时一切行李,如绳梯、卷索、火绳、铁键、铁柄的木棍、铁锤等,都已停妥。重复细心调查了几遍,装入行箧中。把螺旋捻紧,只待翌日启行。亚蓠士也神气发皇,奋力理事。盖自趋绝地,壮士或为逡巡,然死迫目前,懦夫亦能强项。亚蓠士之奋迅雄毅,一变故态者,如是乎?抑非如是乎?

アクセルはますます驚き怪しみ、心ひそかにこれは必ず発狂に違いないと思い、ただグラウベンを呼んでくれば、その鬱悶を少しは解けるかもしれないと考えた。首を仰いで溜め息をつき、思案に耽ること最中。思いがけずリーデンブロック学士はとうに気づいていて、大声で叫んだ。「アクセル!アクセル!来い来い!」アクセルはこれを聞いて、急いで部屋に入った。リーデンブロックは彼に座るよう命じ、ゆっくりと語った。「私はさきほどラテン語の奇書を読み、アイスランド岬のスネッフェルス山に最高峰ありてスカルタリスと曰うことを知った。毎年七月頃、噴火の後、その頂上に巨大な穴が一つ残る。私は喜び極まり、思わず雀躍した。私は久しく地底を旅行せんと深思大念していた。今幸いにも新知を得て、宿願を果たすことができる。故に一行を決意した。お前はどうする?行くか、それとも留まるか?」

青年亚蓠士,于一刹那顷,大悟彻底,舍身决志,以赴冥冥不测之黄泉。洛因亦来,百方慰藉,亚蓠士为之奋然生踏天踔地之概。时长夜迢迢,更漏淅淅,雄风凛凛,私语切切,残月上窗,万籁俱绝,而亚蓠士眠矣,而洛因去矣。不知何时,勿闻有弹窗以呼者曰:“亚篱士君!亚蓠士君!”亚蓠士心中一跳,跃然而起。

【第六回 亚蓠士痛哭无人乡    勇梗斯力造渡津筏】

却说翌日醒来,都忘苦渴。亚蓠士锐气勃勃,勇健如常,奋然在前,掉臂而进;且放声高歌,震得两傍石壁,皆嗡嗡作响。自励道:“以后再不可却退了!”至八点钟,这一道长廊,仍然迂回纡曲,如卧长蛇。惟觉偏向东南,非一直线。溢出的泉水,亦汹汹下流,不舍昼夜,若追踪逐迹者然。列曼道:“水必就下,迄于地心。我等随之行,终有达地底之一日。”三人晓行夜宿,不觉到了十二,仿佛已至雷加惠克东南方三十“迷黎”的所在。迨十七日,又下降了七“迷黎”。大约自斯捺勿黎火山直起,已在五十“迷黎”之下。亚蓠士想及此,忽然拍手大笑。列曼在后,问道:“你笑什么?”亚蓠士道:“我既居衣兰岬岛之直下矣,怎么不笑呢!”列曼道:“正是!正是!你的话,一毫不错。”便取出磁针、测量器、寒温表等,将远近纵横,寒温方角,细细检查了一遍。说道:“我们已过皤兰特岬,不消几时,即可在大海之下矣。”亚蓠士道:“正是!我们将到大海之下了。我们头上,必有悲风煽水,怒浪拂天,鲸鲵啸吟,鳄鱼蠕动的情景。旅客一叹,舟子再泣,诚足忧悲,不可说也。彼等岂知乃有忘人间世而生活于地球里之我辈哉!”三人跟着流水,又向前行。出长廊,经洞穴,遇崎岖之险道,攀崚嶒之危岩。转瞬之间,已将半月。虽然辛苦,然以较从前,则还算平安无事。一日,亚蓠士居前,进了一个洞穴。岩石磊落,艰险无伦。偶不措意,忽跌倒于地,所提电镫,正磕在一块尖角石上,哗啷一声,碎为微尘。亚蓠士躺了半日,爬得起来,列曼已不知所往。只得竭力大叫,摸索而行。不料这个洞穴,竟是一条死路。愈走愈狭,渐难容身。四壁阒然,不闻人语。想列曼等两人,已从他道走远了,亚蓠士身上又痛,心里又愁,路径又暗,一步一跌的出了洞穴,仍然不见有一点镫光。暗想追着流泉,或能相见。然无奈电镫既熄,流水无声,不知往那里走才是。一时万虑攒簇心头,忽目眩耳鸣,伏地不能起。忽觉身上冷汗沾衣,用手一摸,嗅之微有血腥,知皮肤已受擦伤。然窘急之余,竟不觉十分疼痛,定神细想,悲不自胜。恨列曼,骂梗斯,忆洛因,大声道:“汝以谓我尚旅行地底乎?吾死久矣!”说毕,泪如雨下。停一会,只得又站起来,大叫道:“叔父!梗斯!”仿佛似有应者。然侧耳细听,则无非四壁反应的声音,如嘲如怒而已。亚蓠士没法,按定了心神,匍匐而前,大呼不辍。耳畔忽有声道:“亚蓠士! ……”子细听去,却又寂然!又忽见前途似有一点火光,荧荧如豆。自思道:“莫不是我目中的幻觉么?”擦眼注视,果然还在。只听得又呼道:“亚蓠士!亚蓠士!”亚蓠士至此,真如赤子得乳一般,止了哭,拚命向镫光跑去。果然见列曼提镫迎来,大呼道:“吾亚蓠士,汝在此乎?”亚蓠士忙抢上前,追着列曼,又啜泣不已。列曼坐在地上,喘息道:“我疲甚,汝其告我!”亚蓠士遂将失散情形,一一告知列曼。列曼也有凄怆之色。自责道:“我过矣!我当初闻你叫唤,疑你在后撒娇,故置之不理,放步前行。孰料汝竟狼狈至是哉!呜呼!我过矣!迟了良久,你竟不来,倚耳壁间,亦不闻声息,我乃返身搜寻,不期相遇于是,此我之过也!苦汝甚矣!”握着手,惘然不知所为。时适梗斯踵至,看见亚蓠士,便说了一声:“搿特台。”(译言佳日)亚蓠士道:“唉,梗斯,此时何时?今日何日乎?”列曼道:“汝惫甚矣!前面地方,较此稍好,再走几步,略为休息罢!这些话,明日再谭。”于是列曼及梗斯两人,搀着亚蓠士彳亍前行,到一处宽阔地方,一同坐下。亚蓠士又问道:“今日究竟何日呢?”列曼道:“今日八月十一日矣!”亚蓠士点头,闭目静息,似闻有波涛汹涌,冲激断岸之声。心中大疑,暗想道:“真耶梦耶?抑我脑病耶?”开眸看时,则又见有一道光线,与日光相似,不觉又甚惊疑。正拟定睛细看,则列曼已从对面过来,在旁边坐下,拿着一块面包,递给亚蓠士道:“你且吃此,善养精神。我们明日要泛海了!”亚蓠士瞿然道:“明日泛海?海在那里?船在那里?”列曼笑道:“海么?名曰列曼海。”亚蓠士问道:“列曼海?这海难道是叔父的么?”列曼徐徐答道:“发见此海,乃由我始,故名列曼,以志不忘。”亚蓠士大喜,慌忙吃了面包,一跃而起,向前急行。不半日,其地忽然开豁,別有一天。苔菌繁生,青林欲滴。出了树林,已见大海如镜,微波鳞鳞。三人相视,喜色可掬。在海岸边,纵览植物,则奇草珍木,交互枝柯,多为世间有名植物学家所未经梦见。入夜,露宿海边。一夜无话。次日,亚蓠士健康已复,游步荒矶。列曼劝道:“此海水与地中海无异,设能游泳,颇益身体,汝盍为之!”亚蓠士依言解衣入海,沐了浴起来,则梗斯已炊晨餐,罗列岸上,三人共食,觉芬芳甘美,与平日不同。食毕,梗斯收拾了器具,持斧自去。亚蓠士及列曼两人,谈论了许多湖水成因的道理,及推测这大海之广狭,造船之方法。不一会,梗斯汗流满面,飞跑回来,向前指道:“造船的树木,已砍来了。”两人忙走去看,树形甚奇。列曼道:“此是什么树木?”梗斯道:“这就是生在海底的枞松及其他之针叶树,正可以造船的。”便拿起斧来,或削或砍,无异一个大匠。至第二日,居然告成。亚蓠士取出极韧的绳索,编了一艘大筏。长十“趺得”,宽五“趺得”,列曼见了,不胜叹[31]喜。择八月十四日晨,拖筏下海。上面立一支桅樯,挂着衣服,权作风帆之用。三人上了筏,列曼道:“把此港立一佳名才是。”亚蓠士忙答道:“名洛因港何如?”列曼看了亚蓠士一眼,拍手笑道:“好极!好极!以后呼作洛因港就是了。”梗斯取起木篙,推筏离岸。此地空气稠密,压力大增。加以西北风,飘飘吹来,风帆饱孕,早已放乎中流,直指彼岸。列曼道:“如此速率,二十四时间,可行三十‘迷黎。’登陆之期,当不在远。”亚蓠士危坐筏首,仰视晴昊,俯听波声,叹喜不尽。遂又拍手高歌起来,其歌道:

このアクセルは、元より学術に身を捧げる犠牲の志があり、今リーデンブロックの言を聞いて、自らも思わず手舞い足踏みし、話が終わるのを待たず、手を打って大声で叫んだ。「賛成!賛成!お供します、お供します!」リーデンブロックは笑って言った。「よく考えもせずに賛成と叫ぶが、いざ実行となれば、必ず尻込みするものだ。お前は再三熟慮すべきで、このように軽率であってはならぬ。創見を一つ聞いただけで、考えもせずにすぐさま満口に承知し、後になって躊躇して進めなくなるのでは、大方の物笑いになるぞ。」

アクセルはよくよく考えてみたが、旅の困難と危険を思うと、本来少し後悔の念がないではなかった。しかし叔父が自ら赴くのに、自分だけ留まるわけにはいかない。それに二十五歳の青年の血気は、困難と聞けばかえって奮い立つものだ。そこでまた即座に答えた。「いつ出発なさいますか?」リーデンブロックは彼の決意を見て大いに喜び、言った。「三日後に出発する。準備をせよ!」

アクセルは部屋を出ると、まずグラウベンのもとへ急いだ。グラウベンはリーデンブロック学士の教え子で、金髪碧眼の美しい娘であった。アクセルは彼女と婚約していた。この旅の計画を語ると、グラウベンは少しも恐れず、むしろ喜んで言った。「まあ、素晴らしい旅ですこと!」彼女の言葉に励まされ、アクセルは勇気百倍となった。

三日後、リーデンブロック叔父と甥のアクセルは、ハンブルクを出発した。まずコペンハーゲンへ向かい、そこからアイスランドへ渡る手はずであった。荷物には鉱物学の器具、温度計、気圧計、望遠鏡、コンパスなど、科学的探検に必要な一切が含まれていた。

“进兮,进兮,伟丈夫!日居月诸浩迁徂!曷弗大啸上征途,努力不为天所奴!沥血奋斗红模糊,迅雷震首,我心惊栗乎?迷阳棘足,我行却曲乎?战天而败神不痡,意气须学撒但粗!吁嗟乎!尔曹胡为彷徨而踟蹰!呜呼!”(撒但与天帝战,不胜,遁于九地,说见弥儿敦《失乐园》。)

【两个小小的死】

【一】

第10節

中文 日本語

这是温暖的畅快的春天。太阳从东到西,自由的旅行在很高的青空上,时时有美丽的云片,滑泽的在青色的空中轻轻地流走,宛然是通过那青葱平静的海上的桃色的船。云雀似乎想追上他,唱着什么高兴的歌,只是高,只是高,高到看不见的,屡次屡次的飞上去。造在街的尽头的病院是幽静了。病院的花园,看着花园里的花的病人,一切都幽静。在那病院里,进了特别室,等候着“死”的来访的,有一个富家的哥儿。为要使哥儿不冷静,那旁边,瞢腾着一匹大的圣褒那的驯良的狗。笼子里,是可爱的金丝雀的一对,唱给听很美的歌。种在盆里的艳丽的花,也满开在屋子里。从对面的病室中间,也似乎为要使哥儿不冷静,有一个劳动者的孩子不断的送给他温和的微笑。那劳动者的孩子,也一样是等候着“死”的来访的一个人。他从出世以来,似乎已经等侯着“死”的来访的了。而且无论什么时候,无论是还吸着多病的母亲的乳汁的时候,长大起来能够帮助母亲了的时候,后来又到那父亲在那里作工的工厂里去作工的时候。无论什么时候,他都等候着“死”的来访。凡有看见他的人,几乎无不心里想:“死”怎么不早到这孩子这里去呢?不知为什么迟延着的。

これは暖かく爽快な春であった。太陽は東から西へ、高い青空を自由に旅していた。時折美しい雲片が、滑らかに青い空をそっと流れていった。まるで青々とした穏やかな海の上を行く桃色の船のようであった。雲雀はまるで太陽に追いつこうとするかのように、何か楽しい歌を歌いながら、ただ高く、ただ高く、見えなくなるほど高く、何度も何度も飛び上がっていった。通りの突き当たりに建てられた病院は静まり返っていた。病院の庭園、庭園の花を眺める病人、全てが静かであった。その病院の中で、特別室に入り、「死」の訪れを待ち受けている一人の富裕な家の坊ちゃんがいた。坊ちゃんを寂しがらせないために、傍には朦朧として物憂げな看護婦が付き添っていた。

然而这孩子在自己的屋子里,却不能看见为要使他不冷静,坐在身边的圣褒那的驯良的狗,关在笼中的可爱的金丝雀,种在盆里的美丽的花。然而这劳动者的孩子,一看见那从病室的窗间,也如自己一样,眺望着从东到西,自由的旅行着的光明的太阳,和船一般轻轻地走过青空的,美的桃色的云的模样的富家的哥儿,都感着了兄弟似的温暖的爱和亲密的心了。于是哥儿的狗,和金丝雀,和盆花,他仿佛也就是自己的所有了。他已经有这样的爱哥儿,而且觉得和哥儿有这样的亲密了。

坊ちゃんの名はK。十八歳。ほんの少し前まで、花のような青春を謳歌し、テニスに興じ、友人たちと笑い転げ、美しい少女たちに囲まれていた。しかし今、彼の頬は蒼白く、眼窩は深く落ち窪み、細い手は掛け布団の上で力なく横たわっていた。

【二】

酣醉于春的香,“死”静静的在病院里彷徨的走,雪白的面纱里藏了脸,而且挥着银的钩刀……

“都死呵。一切是,因为死,所以生下来的。小的,老的,美的,丑的,爱的,被爱的,穷的和富的,贤的和愚的,以至于国王,非人,都死呵。在我这里才是无差别。我才是无政府主义者。我才是平等的主张者。

花是为死而开的。鸟是为死而唱的。人是为死而呼吸的。痛快哉。呜呼痛快哉。我喜欢破坏,因为我是壮快的。”

ある日の午後、一人の見知らぬ外国人が病室に入ってきた。背が高く、痩せていて、灰色の髪をし、深い皺が顔に刻まれていた。その目は奇妙に輝いていた。まるで生と死の境界を何度も越えてきた者の目のように。

絮絮叨叨的微语着,那“死”静静的走。雪白的面纱里藏了脸,而且挥着银的钩刀……

然而谁也没有听到“死”的声音。因为仿佛要追上那船似的渡过苍空的桃色的云去,蓦地里腾起来的云雀的爽朗的歌,以及温柔的春风,和夹着秘密的低声的言语的美的花气息,“死”的话便谁也没有听到了。

“死”静静的进了劳动者的孩子的屋子里,然而孩子正看着苍空的颜色,不觉得“死”的近来。

“喂喂,小子。茫然是不行的。你已经非死不可了。”

孩子诧异似的凝视了遮着面纱的脸。

“说我死,莫非我历来是活着的么?”

“什么?你连自己历来活着的事都不知道么?”

“一点没有知道。单是今天,不知怎的略有一些疑心,觉得我莫非竟是括着……”

“钝东西。所以我说,劳动者这一流最讨厌。无论活着,无论死掉,似乎都以为是一样的事。是全不知道活着的价值的。即便取了这类东西的性命,也毫没有什么有趣!”自己对自己一般的唠叨着,于是又对孩子道:“喂,小子。你的性命再给延长一点罢,但得将你那最爱的朋友的性命让给我,好么?”

「私はあなたに、一つの話をしたいのです。」外国人は静かに椅子に腰を下ろし、坊ちゃんの枕元で語り始めた。

“朋友的性命?”孩子诧异的凝视着白面纱的脸。

“唔,是的,就是那哥儿的性命。”那“死”用了银闪闪的钩刀的尖子,指着靠了窗口正在眺望那苍空的颜色的富家的哥儿。

“哥儿的性命是哥儿的性命。我不知道。怎么能由我让给呢。”

“不要讲什么呆道理!凡有你所爱的东西的性命,是都在你的手里的,只要说将这让给我,就够了。”

孩子很疑心的看定了那脸。

“这真么?我所爱的东西的性命,都属于我的?”

“是的。赶快些,说道让给!”

劳动者的孩子静静的笑了。

“还有比劳动者这类东西更讨厌的么!无礼已极的东西。”

“死”粗暴的挥着银钩刀。劳动者的孩子又笑了。

「私はかつて、ニューヨークで最も有名な実業家の一人でした。金銭、名声、権力、全てを持っていました。しかし私はそれらが全て幻であることに気づいたのです。なぜなら……」

“我这才仿佛有些觉得自己是活着。高兴呵,高兴呵。所以笑着的。”

“算了算了!快将那哥儿的性命让给我罢!”

“不行。所爱的东西的性命倘若在我手中,那么,这并非为了交给‘死’却为了防御‘死’的罢。”

“专说随意的呆道理的东西!所以我说,我最讨厌的是劳动者。喂,小子,没有迟疑的时候了。将朋友的生命让给我呢,还是自己死呢,是两中拣一的了。”

“我自己死。”一面说,劳动者的孩子坦然的笑了。

“看来还没有懂得生命的价值哩。钝物!”独语着,“死”便焦躁起来,团团的挥着银钩刀。

“好罢好罢。朋友的性命怎么都可以,那就将那圣褒那的狗的性命让给我罢。”

“不不,不让的。给‘死’是除了自己的性命之外,什么都不让的。”

“钝东西!那个金丝雀的性命怎么样?”

“便是金丝雀的性命也不行。”

“花的性命该可以罢?”

彼は窓の外を見つめた。桜の花びらが風に舞っていた。

“这也不行。”

“钝东西呀!自己的生命的价值,竟丝毫不知道。所以我说,劳动者这一流东西,我是最讨厌的!”嫌恶似的独语着,又向了孩子粗莽的说道:“喂,小子,预备着死罢。”

“死”静静的走出房外去了。劳动者的孩子还是笑。

“唉唉,愉快呵!唉唉,愉快呵!我活着,这才分明的知道是活着了。比什么都更强的感到这个了。愉快呵,愉快呵。”

劳动者的孩子独自高兴着。

【三】

“死”静静的走进富家的哥儿的屋子里去了。然而谁也没有觉到这,都酣醉于懒散的快活,辗转于酣美的现实之中了。金丝雀正将从父母那里听来的远地里的热带的岛的传说,讲给朋友圣褒那的狗。那狗一面听,一面计画着,想用尾巴去打杀那些缠绕不休的苍蝇。对了种在盆里的花,春风暗暗地低语着蜜一般甜的说话。哥儿是正在眺望那宛如滑走于青的海上的轻舟似的,轻轻地流过大空的美丽的桃色的云。“死”站在他的近旁,沉钿钿的说话了。

「なぜなら、本当に大切なものは、全く別のところにあったからです。私がそれに気づいた時、もう遅すぎました。私の妻は去り、子供たちは私を忘れ、友人たちは金の切れ目が縁の切れ目とばかりに姿を消しました。」

“喂,哥儿!茫然是不行的。你已经非死不可了。”

因为病,成了青白色的哥儿的瘦小的脸,于是显了纯青。

“饶了我罢。再少许,很少许,放我活着罢。放我到看不见了那美丽的云的时候,那满着慈爱的太阳完全下去了的时候。”

“不要说任意的话。便是我这边,也不是任意的做的。”

“但是,但是,再少许。到那云雀落在树丛里为止。到那金丝雀的歌唱完了为止。请原谅,真是再少许……”

“你肯让给我那花的性命的罢?你所爱的东西的性命,是都在你手里的。给你的性命挨到云雀飞下来,但你肯将花的性命让给我么?”

“行,让给你。”

“还有那金丝雀的性命呢?”

“行的。”

“还有那圣褒那的狗的性命呢?”

哥儿凄凉的凝视了包着白的面纱的脸。

“不是迟疑的时候了。死已经逼紧了。将圣褒那的狗的性命也让给我么?你所爱的东西的性命,都在你手里……。”

坊ちゃんは静かに聞いていた。外国人の話は、まるで遠い国から運ばれてきた風のように、彼の魂に沁み入った。

“行,让给你罢!”

“还有,那个你的朋友的性命——”

哥儿全然青色,显着苦痛的表情,要窥探那藏在面纱中间的“死”的脸似的,目不转睛的看。

“倘这样,我便给你延长性命,一直到看不见了那桃色的云为止罢。到那光明的太阳沉下去了为止。”

“行,让给你!”

“死”静静的走出屋外去了。但哥儿却将那青白的脸,深深的埋在枕中,永久的永久的呜呜咽咽的啼哭着。

【四】

第二日,一个体面的葬仪举行了。盖着黑的丧绢的体面的灵柩上,有亲戚朋友们送来的许多花,看起来也就很美的装饰着。然而那些花是已经并不活着的了。许许多多的朋友们,都穿了美丽的衣装,悲哀的来送这灵柩。这是富家的哥儿的葬仪。

同时候,住在哥儿对面的房子里的,那劳动者的孩子的葬仪也举行了。小使两三个,将他的身体装进箱子里,运到不知那里去了。象是来送模样的人,什么地方都没有。只有一个,遮着白的面纱的年青的看护妇,送这棺材到了病院的门口,而且从面纱下,不断的流下美的泪滴来。棺材渐渐的将要不见了的时候,看护妇决心似的说:

「あなたは若い。」外国人は言った。「たとえ残された時間が少なくとも、あなたにはまだ、最も大切なことをする時間がある。それは、愛する人々に、自分の心を伝えることです。」

“我也去,我也非去不可。真理在那里。”她说着,静静的向着贫民窟走去了。

有谁目送着她,低声说:

“死似的,罩着白的面纱,而且看去似乎手里拿着银钩刀。”

【世界的火灾】

【一】

唉唉,寂寞的夜!又暗,又冷,……这夜要到什么时候才完呢?

哥儿,亲爱的哥儿呵,睡不着罢?无论怎样的想睡觉,总是不成的呵,唉唉,讨厌的夜!这样的夜里,怎么办才好呢?只要在这样的夜里能睡觉,什么法子都想试一试看;而且想将睡着的人,无论用什么法,强勉的催了起来,强勉的搅了醒来。……

唉唉,苦闷的夜!而且又是尽下去尽下去,不象要明的夜。……

坊ちゃんの目から涙が一筋流れた。彼は微かに頷いた。

便是住在家里,也仿佛在无限的沙漠上彷徨似的;便是靠了火,也仿佛被冷风吹着,身心都结了冰似的。

唉唉,可怕的夜,在这样的夜里,怎么办才好呢?

然而,哥儿,无论这夜有怎样的寂寞,有怎样的寒冷,啼哭是不行的。到这里来,给你拭眼泪,将哥儿坐在膝上,紧紧的抱着,爱抚你罢,给可以温暖转来。……

说是睡着的幸福么?

也许幸福罢,便是关在狭的笼中,也可以做自由的梦的,无论夜有怎样寒冷,也可以做暖和的春天的美的梦的。

然而这样的夜,有已经醒过来的,便再也睡不着。……

哥儿呵,不是吸鸦片,不是注射吗啡,是再也睡不着的了,那已经醒了过来的是……

说是鸦片也好,吗啡也好,什么都好,只要给你能睡觉么?唉唉,这真是可怜见的哥儿了,怎么的对付这哥儿才是呢。我更紧的拥抱你,在你颤动的嘴唇和悲凉的眼睛上,更久的给接吻罢,但愿再不要对我提起那鸦片和吗啡的事了。在你呢,想吸了鸦片去睡觉,原不是无理的事;想做那暖和的春的自由的梦,也是当然的。但与其吸了鸦片去睡觉,倒不如死的好,因为那是永久不会醒来,那是能永久的做着暖和的春的自由的梦。……

その日の夕方、坊ちゃんは久しぶりに母親に電話をした。「母さん、来てくれないか。話したいことがあるんだ。」

然而哥儿,再稍微的等一会看罢。

再稍微的……

便是这样的夜,也总该有天明的时候。……

更紧的更紧的抱住哥儿罢,更久的更久的给接吻罢,而且一面等着天明,一面给哥儿讲一点什么有趣的话罢。……

古老的话是怕不愿意,那就讲点现代的话罢,侦探小说模样的。……

【二】

有一回,我因为事情到S市去,市中的客店都满住了客人,没有一间空屋,便完全手足无措了。然而在一所大旅馆里,看见我正在为难,便有一个好人似的亚美利加人来说,倘若暂时,那就住在自己的房间里也可以。我很欢喜,立刻搬行李进了这房间。据旅馆的小使说,那放我在他房间里的外人,便是亚美利加有名的富户,人都知道是S市的大实业家。听说他是一日里用着五大国的言语算帐的。一听这话,我就很安心了,夜膳时候。看那聚到食堂里来的客,全是显着渴睡似的脸,做着金银的梦的诸公。那亚美利加的实业家虽然在用膳,一面还啃住算盘,用了五大国的言语在那里算什么帐。大约夜里十点钟光景罢,我和亚美利加的实业家都靠近火炉闲坐着。我也不知道甚么缘故,觉着不安,竭力的要不向那亚美利加的实业家方面去看了。于是这外人似乎定了什么决心,正对面看定了我的脸,说道:

母親は翌朝一番に駆けつけた。坊ちゃんは母の手を握り、長い間黙って見つめていた。やがて口を開いた。「母さん、ありがとう。何もかも、ありがとう。」

“可以看一看我的脸么?”

我怯怯的将眼光移在他那精细的剃过的脸上。实业家的透明的黄鼬似的眼睛,锋利的看着我,嘴唇上浮着静静的微笑。

“我不见得有些象狂人么?”他又问。

外国人はもう病院にはいなかった。看護婦に尋ねても、誰もそのような人物を見た覚えがないと言った。

“那里那里,正是正式的亚美利加人的脸呵。”我回答说。

“我虽然也这样想。然而不党得我已经死了似的么?”他问。

我便说:“那有这回事,分明是鲜健的活着似的。”

“我虽然也这样想,……”实业家机械的说,便在烟卷上点了火。秋风在火炉的烟囱里,唱起寂寞的秋之歌来。被烟卷的烟霭所遮盖,实业家的脸完全不见了,这也使我增添了不安。隐在烟霭里的实业家开口说:

第11節

中文 日本語

“我在年青时候,也如你们青年一般,最喜欢游戏。在纽约,都知道我是野球和蹴球的选手。赛船和长路竞走(Marathon race)的时节,我得到过许多回的金牌。跳舞不必说,便是溜雪和滑冰,也始终都说我是第一等。那时候,大家都以为我活着,我自己也觉得是象样的活着的。……”

「私は若い頃、君たち青年と同じように、遊びが何より好きだった。ニューヨークでは、私が野球とサッカーの選手であることは誰もが知っていた。ボートレースやマラソンの季節には、何度も金メダルを獲得した。ダンスは言うまでもなく、スキーもスケートも、始終一流だと言われていた。あの頃、皆が私は生きていると思い、私自身もまともに生きているように感じていた。……」

他暂时沉默了。遮蔽在烟雾里的幽魂似的他,我极想给哥儿一看呢。……外人又接着说:

“不但如此,我那时总以为生在带着温暖的光的明亮的世界里;而且那时候,也没有人将我当作狂人,想送进精神病院去,倒是凡有我的意见,大家都以为不错似的,然而有一夜,我被冷风搅起了,从那梦中醒了过来,我才发见在称为纽约的暗洞里。秋的风,庭园的白杨和枫树,都伸开枝条来,说是‘我们冷,我们要光明’,敲着我的房子的窗户。我赶快起来,生了睡在炉中的火;旋开屋里的电气,点上了黄金的洋灯和白银的烛台。然而那风,那庭园的白杨和枫树,也还是说道‘我们冷,我们暗’,伸开枝条来敲着窗户。我全开了窗,风便欣然的进了屋子里,来应援火;白杨和枫树也都将枝条伸进屋子里,来应援我。我所看不见的遮在暗夜里的声音,听得更分明了,他们都叫喊道,‘我们冷,我们要光明。’

彼はしばらく沈黙した。煙霧に覆い隠された幽霊のような彼を、私はぜひ坊ちゃんに見せたいと思った。……外国人はまた語り続けた。

“秋风吹乱了我的头发;白杨和枫树都叫着‘荷荷’的应援我,剧烈的摇摆着他们的枝条。

“我在屋子中央生起一个大的火,体面的交椅和紫檀的桌子都做了柴。然而在暗夜里便是那大的火,也只象一点小小的贫弱的火花。看着这火,听着遮在暗中的眼不能见的寂寞的声音,我的心里发生一个大欲望了。我以为便是一小时也好,要试教这夜变成光明,便是一小时也好,要使那遮在暗中的得到温暖。抱着大火把,我于是一家一家的点起火来。阿阿,好个光明的夜呵,而且是愉快的。……”

「それだけではない。あの頃、私はいつも、温かい光に満ちたこの世に生まれたことを幸運に思っていた。全てが順調で、全てが美しく、将来は限りなく明るいと信じていた。

他沉默了。但是只要看他的神情,我便能明明白白的想出那被秋风所吹的火海;从吹着烟囱的风的呜咽里,我便仿佛是分明的听到了吃惊的纽约的市民的纷乱和火海的呻吟。

外人微微的笑了。

“愤怒的他们,决计要将我活抛在火里了,然而这却是我的最为希望的事。比这更明,比这更暖的坟,在这世上是没有的了。我向着这明的,这暖的,欢迎我似的呻吟着的坟,飞奔过去,一面诅咒着暗的夜,……一面赞美着火的海。……

しかしある日、突然全てが変わった。ある朝目覚めると、左手が動かなくなっていた。医者は深刻な顔をして告げた。脊髄の病気だと。治療法はないと。

“愿和烟焰同上了崇高的空际,溶在自然母亲的眷念的胸中。

“然而我是一个有着在这世上还得觉醒一回的可诅咒的运命的不幸者。……

“在纽约的狂人病院里,缚了手足,昼夜不断的,几星期用冰水从头顶直淋下去的我,不独是在这纽约的狂人病院里,简直是成了在全亚美利加的狂人名物了。……

“叨了亚美利加有名的精神病科的博士们的荫,我不久便悟得自己是狂人了。而且分明的悟得之后,博士们便说我的病已经全好,教回到烧掉了的家里去。

“我造起比先前更体面的房屋,度起比先前更愉快的生活来了。选代表到国民议会的竞争,举大总统的游戏,究竟比野球竞争更有趣,比打牌更愉快。至于赛船和抛圈之类,则无论如何,总不及摆着势派,坐兵船去吓各国,以及驾了飞机,练习从空中高高的摔下炸弹来。然而虽然过着这样有趣的生活,我总还想放一回火,这回并不单在纽约市,却是全亚美利加,是全世界了。……”

最初は信じなかった。次に怒りが湧いた。それから絶望が来た。私はまだ三十二歳だった。

他从烟霭里伸出脸来,凑近了我的脸。我发着抖,竭力的退后了。他也并不留心,接着说:

“你以为这做不到么?一个人也许难,然而我已经不是一个人了。你也是我的同道罢?四面八方的点起这暗的火来,那可就怎样的明亮呵,怎样的温暖呵!而且飞向这火海去,这回决不错误,要和烟焰一同上了崇高的空际,溶在自然母亲的眷念的胸中。比这更明,比这更暖的坟,在这世上是没有的了。……”

半年後、車椅子に座っていた。一年後、ベッドから起き上がれなくなった。

我站起来说:“你是狂人,确凿的狂人呵。”便跑出房外去。外人在我后面大声的笑了。一到廊下,却见比我的脸色更其苍白的旅馆主人和十二三个小使在那里抖。

一问“怎的”,他们便默默的指着窗门。从窗门向外一探望,只见满是巡警和巡官,水泄不通的围住了旅馆。主人吃着嘴,暗暗的对我说:“说是这旅馆里,藏着一个带炸弹的无政府党哩。”

我打电话给狂人病院去。不到半小时,便有四个强有力似的男人,坐者狂人病院的摩托车来到了。他们听得这有名的实业家成了狂人,也很以为可怜。我领他们到狂人的房外,他们怯怯的问我说:“不会反抗么?”我回答道:“不至于罢。”便走进房里去。狂人的实业家仿佛等着我似的,说道“劳驾”,他便大声的笑了。而且接续着这可怕的笑,毫不抵抗,他被四个男人环绕着,便即上了摩托车。深知道这实业家的巡警和巡官,也都说道可怜,目送着那车的驰去。一小时之后,从警察署传到了从上到下施行家宅搜索的命令了。检查了狂人实业家的行李的巡官,这时才知道那实业家,便正是他们极想弋获的亚美利加的有名的无政府党。于是这回是巡官仿佛狂人似的,跑到狂人的病院去,然而已经迟误了。毫不抵抗,温顺的跟着病院的人们,那实业家平平稳稳的到了病院,但一出摩托车,他便对着茫然的病院的男人们,谦虚的说了应酬话,迈开大步逃走了。

友人たちは最初こそ見舞いに来てくれた。だが次第に足が遠のき、やがて誰も来なくなった。妻は献身的に看病してくれたが、その目の奥に疲労と絶望が見えるのが辛かった。

ある夜、私は妻に言った。「もう自由にしていい。お前の人生を無駄にしないでくれ。」妻は泣いた。しかし半年後、彼女は去った。責めることはできない。

也有巡官说,这是我故意给他逃走的,然而那些是随口说说的话。

【三】

哥儿虽然笑着,但从那时以来,我却很不安,很不安,打熬不住了。从那时以来,我失了做事的元气了。我的状态,仿佛是什么时候都等着火灾似的了。什么在全世界上放火,只有狂人才会有这样话。然而我总是很不安很不安,不知道怎么好。但是哥儿怎么了?为什么这样的握着我的手呢?

为什么对着我的脸,用了那样的眼睛只是看的?怎么说?我们……

一人きりのベッドの上で、私は長い間天井を見つめていた。生きることの意味を、死ぬことの意味を、何度も何度も考えた。

说我和你试去放火么?在那里?在世界?

喂,哥儿,怎么了,头痛么?这哥儿真教人不知道怎么对付才好呢。然而哥儿,那声音是什么?听不出么?

那个……钟的声音么?唉唉,是钟了!

火灾了!火灾了!

快打开窗门看罢,再开大些!……

唉唉,空中通红了,……大火灾了。……

那里呢?……西也有,北也有?这里还很暗罢?阿,哥儿,又抓住了我的手了。还对着我的脸,用了那样的眼睛只是看么?你在怎么说,说这回轮到我们了?轮到去做什么事呢?唉唉,这哥儿真教人不知道怎么对付才好哩。这样的可怕的夜,怎么办才好呢?……

【后记】

我将厨川白村氏的《苦闷的象征》译成印出,迄今恰已一年;他的略历,已说在那书的《引言》里,现在也别无要说的事。我那时又从《出了象牙之塔》里陆续地选译他的论文,登在几种期刊上,现又集合起来,就是这一本。但其中有几篇是新译的;有几篇不关宏旨,如《游戏论》、《十九世纪文学之主潮》等,因为前者和《苦闷的象征》中的一节相关,后一篇是发表过的,所以就都加入。惟原书在《描写劳动问题的文学》之后还有一篇短文,是回答早稻田文学社的询问的,题曰《文学者和政治家》。大意是说文学和政治都是根据于民众的深邃严肃的内底生活的活动,所以文学者总该踏在实生活的地盘上,为政者总该深解文艺,和文学者接近。我以为这诚然也有理,但和中国现在的政客官僚们讲论此事,却是对牛弹琴;至于两方面的接近,在北京却时常有,几多丑态和恶行,都在这新而黑暗的阴影中开演,不过还想不出作者所说似的好招牌,——我们的文士们的思想也特别俭啬。因为自己的偏颇的憎恶之故,便不再来译添了,所以全书中独缺那一篇。好在这原是给少年少女们看的,每篇又本不一定相钩连,缺一点也无碍。

そしてある日、気づいたのだ。私がこれまで「生きている」と思っていたもの。スポーツ、名声、金銭、快楽。それらは全て、生の表層に過ぎなかったということに。

本当に生きるとは、苦しみの中にあってもなお、自分の魂と向き合い、他者を思いやり、一瞬一瞬を慈しむことだったのだ。

“象牙之塔”的典故,已见于自序和本文中了,无须再说。但出了以后又将如何呢?在他其次的论文集《走向十字街头》的序文里有说明,幸而并不长,就全译在下面:——

病が私に教えてくれた。健康な時には決して分からなかったことを。

“东呢西呢,南呢北呢?进而即于新呢?退而安于古呢?往灵之所教的道路么?赴肉之所求的地方么?左顾右眄,彷徨于十字街头者,这正是现代人的心。‘To be or not to be,that is the question.”我年逾四十了,还迷于人生的行路。我身也就是立在十字街头的罢。暂时出了象牙之塔,站在骚扰之巷里,来一说意所欲言的事罢。用了这寓意,便题这漫笔以十字街头的字样。

“作为人类的生活与艺术,这是迄今的两条路。我站在两路相会而成为一个广场的点上,试来一思索,在我所亲近的英文学中,无论是雪莱、裴伦,是斯温班,或是梅垒迪斯、哈兑,都是带着社会改造的理想的文明批评家;不单是住在象牙之塔里的。这一点,和法国文学之类不相同。如摩理思,则就照字面地走到街头发议论。有人说,现代的思想界是碰壁了。然而,毫没有碰壁,不过立在十字街头罢了,道路是多着。”

私は車椅子の上から、窓の外の一本の木を眺めた。その木は風に揺れ、葉を茂らせ、秋になれば葉を落とし、冬を耐え、また春に芽吹いた。あの木は決して不平を言わない。ただ生きている。ただ在る。

但这书的出版在著者死于地震之后,内容要比前一本杂乱些,或者是虽然做好序文,却未经亲加去取的罢。

造化所赋与于人类的不调和实在还太多。这不独在肉体上而已,人能有高远美妙的理想,而人间世不能有副其万一的现实,和经历相伴,那冲突便日见其了然,所以在勇于思索的人们,五十年的中寿就恨过久,于是有急转,有苦闷,有彷徨;然而也许不过是走向十字街头,以自送他的余年归尽。自然,人们中尽不乏面团团地活到八十九十,而且心地太平,并无苦恼的,但这是专为来受中国内务部的褒扬而生的人物,必须又作别论。

その時、初めて本当の平安が訪れた。」

假使著者不为地震所害,则在塔外的几多道路中,总当选定其一,直前勇往的罢,可惜现在是无从揣测了。但从这本书,尤其是最紧要的前三篇看来,却确已现了战士身而出世,于本国的微温、中道、妥协、虚假、小气、自大、保守等世态,一一加以辛辣的攻击和无所假借的批评。就是从我们外国人的眼睛看,也往往觉得有“快刀斩乱麻”似的爽利,至于禁不住称快。

外国人はここで言葉を切った。坊ちゃんは目を閉じたまま、静かに涙を流していた。

但一方面有人称快,一方面即有人汗颜;汗颜并非坏事,因为有许多人是并颜也不汗的。但是,辣手的文明批评家,总要多得怨敌。我曾经遇见过一个著者的学生,据说他生时并不为一般人士所喜,大概是因为他态度颇高傲,也如他的文辞。这我却无从判别是非,但也许著者并不高傲,而一般人士倒过于谦虚,因为比真价装得更低的谦虚和抬得更高的高傲,虽然同是虚假,而现在谦虚却算美德。然而,在著者身后,他的全集六卷已经出版了,可见在日本还有几个结集的同志和许多阅看的人们和容纳这样的批评的雅量;这和敢于这样地自己省察,攻击,鞭策的批评家,在中国是都不大容易存在的。

「……それで、」坊ちゃんは小さな声で言った。「あなたの病気は……」

我译这书,也并非想揭邻人的缺失,来聊博国人的快意。中国现在并无“取乱侮亡”的雄心,我也不觉得负有刺探别国弱点的使命,所以正无须致力于此。但当我旁观他鞭责自己时,仿佛痛楚到了我的身上了,后来却又霍然,宛如服了一帖凉药。生在陈腐的古国的人们,倘不是洪福齐天,将来要得内务部的褒扬的,大抵总觉到一种肿痛,有如生着未破的疮。未尝生过疮的,生而未尝割治的,大概都不会知道;否则就明白一割的创痛,比未割的肿痛要快活得多。这就是所谓“痛快”罢?我就是想借此先将那肿痛提醒,而后将这“痛快”分给同病的人们。

「ある日突然、手が動くようになった。医者にも説明がつかなかった。奇跡と呼ぶ者もいた。だが私は知っている。あれは奇跡ではない。私が本当に生き始めた時、体もまた応えてくれたのだ。」

著者呵责他本国没有独创的文明,没有卓绝的人物,这是的确的。他们的文化先取法于中国,后来便学了欧洲;人物不但没有孔、墨,连做和尚的也谁都比不过玄奘。兰学盛行之后,又不见有齐名林那、奈端、达尔文等辈的学者;但是,在植物学、地震学、医学上,他们是已经著了相当的功绩的,也许是著者因为正在针砭“自大病”之故,都故意抹杀了。但总而言之,毕竟并无固有的文明和伟大的世界的人物;当两国的交情很坏的时候,我们的论者也常常于此加以嗤笑,聊快一时的人心。然而我以为惟其如此,正所以使日本能有今日,因为旧物很少,执著也就不深,时势一移,蜕变极易,在任何时候,都能适合于生存。不象幸存的古国,恃着固有而陈旧的文明,害得一切硬化,终于要走到灭亡的路。中国倘不彻底地改革,运命总还是日本长久,这是我所相信的;并以为为旧家子弟而衰落,灭亡,并不比为新发户而生存,发达者更光彩。

坊ちゃんは長い間黙っていた。やがて目を開け、窓の外を見た。桜の花が風に舞っていた。

说到中国的改革,第一著自然是扫荡废物,以造成一个使新生命得能诞生的机运。五四运动,本也是这机运的开端罢,可惜来摧折它的很不少。那事后的批评,本国人大抵不冷不热地,或者胡乱地说一通,外国人当初倒颇以为有意义,然而也有攻击的,据云是不顾及国民性和历史,所以无价值。这和中国多数的胡说大致相同,因为他们自身都不是改革者。岂不是改革么?历史是过去的陈迹,国民性可改造于将来,在改革者的眼里,已往和目前的东西是全等于无物的。在本书中,就有这样意思的话。

「先生、」坊ちゃんは言った。「私も、これから本当に生きてみたいと思います。」

第12節

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恰如日本往昔的派出“遣唐使”一样,中国也有了许多分赴欧、美、日本的留学生。现在文章里每看见“莎士比亚”四个字,大约便是远哉遥遥,从异域持来的罢。然而且吃大菜,勿谈政事,好在欧文、迭更司、德富芦花的著作,已有经林纾译出的了。做买卖军火的中人,充游历官的翻译,便自有摩托车垫输入臀下,这文化确乎是迩来新到的。

他们的遣唐使似乎稍不同,别择得颇有些和我们异趣。所以日本虽然采取了许多中国文明,刑法上却不用凌迟,宫庭中仍无太监,妇女们也终于不缠足。

但是,他们究竟也太采取了,著者所指摘的微温、中道、妥协、虚假、小气、自大、保守等世态,简直可以疑心是说着中国。尤其是凡事都做得不上不下,没有底力;一切都要从灵向肉,度着幽魂生活这些话。凡那些,倘不是受了我们中国的传染,那便是游泳在东方文明里的人们都如此,真是如所谓“把好花来比美人,不仅仅中国人有这样观念,西洋人,印度人也有同样的观念”了。但我们也无须讨论这些的渊源,著者既以为这是重病,诊断之后,开出一点药方来了,则在同病的中国,正可借以供少年少女们的参考或服用,也如金鸡纳霜既能医日本人的疟疾,即也能医治中国人的一般。

かつて日本が「遣唐使」を派遣したのと同じように、中国にも欧米や日本に赴く多くの留学生が現れた。今、文章の中に「シェイクスピア」の四文字を見るたびに、おそらくそれは遥か遠き異域から持ち帰られたものであろう。しかしまずは洋食を食べ、政治を論ずるなかれ。幸いにもアーヴィング、ディケンズ、徳富蘆花の著作は、すでに林紓の手によって訳出されている。軍火の売買を仲介し、視察官の通訳を務める者は、自ずとモーターカーの座布団が臀下に輸入され、この文化は確かに近来新たに到来したものである。

我记得“拳乱”时候(庚子)的外人,多说中国坏,现在却常听到他们赞赏中国的古文明。中国成为他们恣意享乐的乐土的时候,似乎快要临头了;我深憎恶那些赞赏。但是,最幸福的事实是在莫过于做旅人,我先前寓居日本时,春天看看上野的樱花,冬天曾往松岛去看过松树和雪,何尝觉得有著者所数说似的那些可厌事。然而即使觉到,大概也不至于有那么愤懑的。可惜回国以来,将这超然的心境完全失掉了。

本书所举的西洋的人名,书名等,现在都附注原文,以便读者的参考。但这在我是一件困难的事情,因为著者的专门是英文学,所引用的自然以英、美的人物和作品为最多,而我于英文是漠不相识。凡这些工作,都是韦素园、韦丛芜、李霁野、许季黻四君帮助我做的;还有全书的校勘,都使我非常感谢他们的厚意。

文句仍然是直译,和我历来所取的方法一样;也竭力想保存原书的口吻,大抵连语句的前后次序也不甚颠倒。至于几处不用“的”字而用“底”字的缘故,则和译《苦闷的象征》相同,现在就将那《引言》里关于这字的说明,照钞在下面:——

彼らの遣唐使はいささか異なっていたようで、選択にはかなり我々と異なる趣があった。故に日本は多くの中国文明を採り入れたにもかかわらず、刑法においてはなお中国の旧法のように凌遅や腰斬のような残酷な刑罰を用いることはなかった。宗教においてもまた然りで、仏教を取り入れたが、それを政治と深く結びつけることは避けた。

“……凡形容词与名词相连成一名词者,其间用‘底’字,例如social being为社会底存在物,Psychische Trauma为精神底伤害等;又,形容词之由别种品词转来,语尾有—tive,—tic之类者,于下也用‘底’字,例如speculative,romantic就写为思索底,罗曼底。”

一千九百二十五年十二月三日之夜,鲁迅。

【巴什庚之死 俄国 阿尔志跋绥夫  】

我还没有到三十岁,然而回顾身后,就仿佛经过了一片广大的墓场,除坟墓和十字架之外,什么也没有见。有一时——或迟或早,有一处,总要立起一坐新墓来罢。这无论用了怎样的墓标做装饰,普通的十字架也好,大理石也好,要而言之,这——便是从我所留遗下来的东西的一切罢。想起来,这也不是什么重大的事情,不死,是无聊的,生活也并不很有趣。因为死可怕,所以难堪,不能将自己送给魔鬼,大约也为此。活下去好罢,在称为“人生”的这墓场里,永是彷徨着好罢,你所经过的路的尽头,不绝地,总会次第辉煌着新的十字架的罢。宝贵的一切,可爱的一切,都留在后面,生长在心中的一切,都会秋叶似的飘零的罢。于是你就如运命一般,孤单地,走着走着,走向收场那里去罢。

而今巴什庚是死了。从和我一同上那文学的路的人们之中,又少了一个了。

然而,死了倒好。他一生中的欢喜,竟至于比普通人们的生存的仅只一日间的欢喜,也还要小一些。文学是一切美德的宝库的时代,已经远去了。从所有罅隙中,污秽侵入了我们的小小的世界,幽静谦逊的巴什庚的住在那里,就恰如看见被弃在市场的尘芥中的紫云英似的,那样的酒店,那样的交易所开张了,在那先前,他的精神和深沉稳妥的天才的静穆的美,一定可以得到不同的估计的罢。但在现今充满着骇人的卖买的喧嚣,奸计和广告的巧妙的争斗的文学的大路上,却必须强壮的手,有力的意志,残忍的心。无论那一样,巴什庚是没有的。他在落魄中,被撕裂,被践踏,于是死了;死于和俄国著作家相称的肺病了。

しかるに中国の留学生たちは、帰国後、往々にして奇妙な現象を呈した。ある者は英語の単語を会話に散りばめ、ある者はフランス風の挨拶を真似、ある者はドイツ式の厳格さを気取った。しかし彼らの大多数は、外国で学んだ新知識を祖国の改良に役立てようという真摯な志を持っていた。

认识他的本来就不多。巴什庚的名字,在文学上决不占着重大的位置。他的天分也有限,他的魅力的一切,只在巴什庚这人是温良,纯净,连心底里都是真实而良善的人。这些个人底的性质,是正如映在清水中的深邃的苍空一般,反映在他的工作的每一篇里,将独特的,深沉的魅力,赋给于他的有限的天分的。

什么时候,如果只要我的希望之一,得以实现的时候一来到——这时从那些教运命成为地之盐和人类的捕获者的人们,以及使文学作为渺小的欺诈者流的洞穴的人们的生涯中,要留下一篇很大的故事——则我也要将巴什庚的模型,依照了他留在我的心中的分明的记忆,添在我的故事里。在现在,他的容貌却还太接近,种种的回忆也太了然地散在眼前。我还不能赋与普遍性,他的死和埋葬的三个景况,三个瞬间,还太分明地在我的眼前浮动着。

我几乎有两年没有见巴什庚。一样的病,将我们两人抛向两样的地方去了。而当他临终的前一天,我们这才成了最后的睹面。

問題は、彼らが帰国した時、祖国の現実は彼らの理想とはあまりにもかけ離れていたことである。官僚は腐敗し、民衆は無知に苦しみ、列強は虎視眈々と利権を狙っていた。

我跨进屋子里去的时候,巴什庚是睡着,靠了吗啡的力,陷在奇异的可怕睡眠中。有谁点了蜡烛。那黄色的光,闪闪地显出明亮的影,在顶篷和墙壁上动摇,带着奇怪的花样的墙壁颤抖着。极其些细的事情,为什么有时竟至于这样使人心惊胆战的呢?但我记得,我恐怖地看了那些壁纸,房子的四围都是奇异的杂乱的线,连续着一种七弦琴似的东西,一想到这些都未曾一弹,便不知怎的觉得不舒服,甚至于还觉得烦厌……。烛光闪烁地在墙壁上走,七弦琴排着沉默的玫瑰色的序列,各各伸着自己们的画得很细的头。一张床上,在这瞬间,用了可怕的力量,正在那里生死之境里奋斗着的人的胸膛,发出一种枯干的,吹着口笛似的声音,鼓起来了。大概,这就是临终的苦痛罢。而且巴什庚分明,假使我们不叫他,那时便死掉了罢。他骤然张开眼睛的最初的一刹那,巴什庚是什么也不知道。向我这一面凝视着的两只眼的眼色,正如从什么极其辽远的地方,向这里看着的眼睛的眼色一般,奇怪而且可怕。

“华西理华西理维支,”我叫。

眼色忽然变换了。正如什么可怕的不懂的东西,被我的声音消去了似的。半死的苍白的脸上,显出熟识的亲密的表情来,病人想拥抱我。我弯了腰,而且和他亲吻。巴什庚突然抱住我的头,发出含有什么的枯干的声音,按向突突地动悸着的胸前,温和地,象母亲抚摩孩子一般,开始抚摩我的头了。宛如以无限的爱和温和的怜,按向胸前沉默着,而且求我护卫他,救助他似的。

留学生たちの中には、絶望して再び海外に去る者もあった。しかし大多数は留まり、闘った。彼らの中から、後に新文化運動の旗手となる者たちが現れた。

而且很奇怪。我于巴什庚,是当他开手著作时就认识的,而且一生涯中,帮助他,常是年长的保护者,也是恩惠者。然而现在,一听到有什么含在他的胸中,发出干枯的声音,无力的他的手抚摩着我的头,我就不能不感到所谓我的自己者,是怎样地渺小,微细,而且纤弱的东西了。

人的年纪,是不应该从诞生算起,却该从临死的瞬间算起的。巴什庚所知道,巴什庚所经验的事,大约我还不能容易地懂得。被赞美的我的天分,我的姓名,唉唉,这较之就在这里和我们并立着的“死”所给与于巴什庚的伟大的爱和怜的最后的睿智,怎样地渺小而可笑呵!

我常常和巴什庚辩论,我的意见,是谁都知道的,许多时候,我们住在一处。而且我是较强者,用了自己的权威压迫他。现在是我们算总帐的时候来到了。我们之间的自以为是的生涯,已到最后的一页了。我不知怎地便带了恐怖的好奇心问:

“怎样,华西理华西理维支,我们现在是一致了,还是越加离开了呢?”

巴什庚并不微笑,用了明亮的良善的眼睛凝视着我。

“离开了,”他说。“对于一切,应该爱怜。”

也许他是对的罢。我不知道。

然而,当我们送了藏着巴什庚的遗骸的棺木,向墓场去的时候,除了愤怒和憎恶之外,还有什么能在我的心里呢?

送葬的何其少呵!被风绞雪吹卷着,分开没膝的积雪,在广大的白的平野间走着的我们,是怎样地渺小,难看,可怜呵。白皮的棺木,静静地在前面摇动着,风绞雪将系在环上的几个采色飘带吹去了,在眼界中,除了白的平野和越吹越猛的风绞雪之外,什么也看不见。我们跟在棺木后面走,屡次失脚滑在深雪中,并且百来遍的读那花环上的题记。

魯迅自身もまた、この留学生の一人であった。日本の仙台で医学を学び、しかし幻燈事件を経て、文学の道を選んだ。彼は「鉄の部屋」の比喩で知られる決意を以て、筆を執った。眠っている者たちを目覚めさせるために。たとえそれが彼らを苦しめることになるとしても。

——贵重的父亲及夫子灵前,妻及男敬献。这是一个小小的难看的花环。而且署名也不在飘带上,乃是写在那钉在最穷的埋葬的十字架上的铁片后面的。

我读了,并且由我很不容易地为巴什庚的遗族募集的二百卢布在我的衣袋里的事,也想到了。我想,巴什庚的妻,是没有知道他的死的;当他死去的那天,她大概正在临蓐;而且又想,他的“妻及男”,此后将怎么办呢。而且又这样想,便是这个,岂非也就是“著作家的葬式”么?所以,实在,倘说我在这瞬间,对于在猛烈的风绞雪的帐后,地平线上的一角里,漠然地将那青苍地大市街的肚子鸣动着,喧嚣着,大嚼着什么的几百万的商人们,人生的帝王们,畜生们,死人们,都得感到一样的爱和怜,那真是莫名其妙。

他们要得到三遍咒诅!

但是,有一点什么明亮的东西,从这葬式留在心里了。何以明亮的呢,在那本质上——虽然是不确的事,无聊的事,偶然的事——不知道,然而有什么留下了。

我们开手将棺木放进那掘在农民墓地的一角上的墓穴里去的时候,风绞雪停止了。是晴朗的,白的,清明的冬天。发着严寒的气息,而且在圆的白的帽子上,十字架屹立着。野鸽的一群,从什么地方飞向坟墓上来了。有一匹,很想要停在棺木上。而且又飞开去,停在左近的十字架上了。很美观。

「救うことのできない病人に、死ぬ前の苦痛を味わわせるのは残酷だ」と言う者もあった。しかし魯迅は答えた。「しかし数人でも目覚めれば、その鉄の部屋を打ち破る希望がないとは限らない。」

大约,全世界的肯定,是只在于美罢?大约,一切事物,是只为了美而存在的罢?

野鸽的群,白的冬天,白的棺木,静寂的悲哀,死掉了的巴什庚的心的优婉的魅力,那各样的美。

(一九○九年,彼得堡。)

感想文十篇,收在《阿尔志跋绥夫著作集》的第三卷中;这是第二篇,从日本马场哲哉的《作者的感想》中重译的。

(一九二六年八月,附记。)

(一九二六年九月十日《莽原》半月刊第十七期所载。)

【恶魔 苏联 高尔基  】

当凋零和死灭的悲哀时节的秋季,人们辛辛苦苦地苟延着他的生存:

灰色的昼,呜咽的没有太阳的天,暗黑的夜,咆哮的风,秋的阴影——非常之浓的黑的阴影!——这些一切,将人们包进了沉郁的思想的云雾,在人类的灵魂里,惹起对于人生的隐秘的忧闷来,在这人生上,绝无什么常住不变的东西,只有生成和死灭,以及对于目的的永远的追求的不绝的交替罢了。

当暮秋时,人们往往不感到向着拘禁灵魂的那沉思的黑暗,加以抗争的力……所以凡是能够迅速地征服那思想的辛辣的人们,是都应该和它抵抗下去的。惟这沉思,乃是将人们从憧憬和怀疑的混沌中,带到自觉的确固的地盘上去的惟一的道路。

然而那是艰难的道路……那道路,是要走过将诸君的热烈的心脏,刺得鲜血淋漓的荆棘的。而且在这道路上,恶魔常在等候你们。他正是伟人瞿提(Goethe)所通知我们的,和我们最为亲近的恶魔……

我来谈一谈这恶魔吧——

この精神は、彼の全ての作品を貫いている。『狂人日記』から『阿Q正伝』に至るまで、彼は容赦なく中国社会の暗部を暴き出した。それは愛国心の発露であった。祖国を愛すればこそ、その病巣を正視することを恐れなかったのである。

恶魔觉得倦怠了。

恶魔是聪明的,所以并不总只是嘲笑。他知道着连恶魔也不能嗤笑的事象,在世上发生。例如,他是决不用他锋利的嘲笑的刀子,去碰一碰他的存在这俨然的事实的。仔细地查考起来,就知道这样受宠的恶魔,与其说是聪明,其实原是厚脸,留心一看,他也虚度了最盛的年华,正如我们一样。但我们是未必去责备的。——我们虽然决不是孩子了,然而也不愿意拆掉我们的很美的玩具,来看一看藏在那里面的东西。

当昏暗的秋夜,恶魔在有坟的寺院界内彷徨。他觉得倦怠,低声吹着口笛,并且顾盼周围,看能寻到什么散闷的东西不能。他唱起吾父所爱诵的听惯的歌来了——

素秋一来到,

木叶亦辞枝,

火速而喜欢,

如当风动时。

第13節

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风萧萧地刮着,在坟地上,在黑的十字架之间咆哮。空中渐渐绷上了沉重的阴云,用冷露来润湿死人的狭隘的住宅。界内的可怜的群树呻吟着,将精光的枝柯伸向沉默的云中,枝柯摩抚着十字架。于是在全界内,都听到了隐忍的悲泣,和按住似的呻吟——听到了阴惨的沉闷的交响乐。

風が蕭々と吹きすさび、墓地の上を、黒い十字架の間を咆哮していた。空には次第に重い陰雲が張りつめ、冷たい露で死者の狭い住まいを潤していた。境内の哀れな木立が呻き、裸の枝を沈黙した雲の中に伸ばし、枝が十字架を撫でていた。すると境内全体に、堪え忍ぶ嗚咽と、押さえつけられたような呻きが聞こえた。陰惨で沈鬱な交響楽が聞こえた。

恶魔吹着口笛,这样地想了——

“倘知道这样天气的日子,死是觉得怎样,倒也是有趣的。死人总浸透着湿气……即使死于痛风之后,得了魔力,……一定总是不舒服的罢……叫起一个死人来,和他谈谈天,不知道怎样?一定可以散闷罢……恐怕他也高兴罢……总之,叫他起来罢!唔,记得我有一个认识的文学家,埋在不知那里的地里……活的时候,是常常去访问他的……使一个认识的人活过来,算什么坏事呢。这种职业的人们,要求大概是非常之多的。我们真想看一看坟地可能很给他们满足。但是,他在那里呢?”

悪魔は口笛を吹きながら、こう考えた。

连以无所不知出名的恶魔,到寻出文学家的坟为止,也来来往往:徘徊了好些时……。

“喂,先生!”他喊着,敲了他认识的人睡在那下面的沉重的石头。“先生,起来罢!”

“为什么呢?”从地里发出了被按住着似的声音。

“有事呵。……”

“我不起来……”

“为什么不起来的?”

“你究竟是谁呀?”

“你知道我的……”

“检查官么?”

「こんな天気の日に、死ぬのはどんな気分か知ったら、面白いだろうに。死人はすっかり湿気を吸い込んでいる……たとえ痛風で死んだ後でも、魔力を得たとしても……一体全体、こんな湿った嫌な天気では、死者の暮らしも楽ではあるまい。」

“哈哈哈哈!不是的!”

“一定……是警官罢?”

“不是不是!”

“也不是批评家罢?”

“我——是恶魔呵……”

“哦!就来……”

石头从坟里面推起,大地一开口,骸骨便上来了,完全是平常的骸骨,和学生解剖骨胳时的骸骨,看去几乎是一样的。不过这有些肮脏,关节上没有铁丝的结串。眼窝里是闪烁着青色的磷光。骸骨从地里爬了上来,拂掉了粘在骨上的泥土,于是使骨胳格格地响着,仰起头骨,用了青的冷的眼色,凝眺着遮着灰色云的天空。

悪魔はこう考えながら、墓地の間をさまよい歩いていた。墓石は苔に覆われ、銘文は風雨に磨り減り、もはや判読できないものも多かった。

“日安!你好呵!”恶魔说。

“不见得好呀,”著作家简单地回答了。他用低声说话。响得好象两块骨头,互相摩擦,微微有些声音一般……

“请宽恕我的客套罢。”恶魔亲密地说。

“一点不要紧的……但是你为什么叫我起来的呢?”

“我想来邀邀你,一同散步去,就为了这一点。”

“阿,阿!很愿意……虽然天气坏得很……”

“我以为你是毫不怕冷的人。”恶魔说。

“那里,我在还是活着的时候,是很恼着重伤风的。”

“不错。我记起来了,你死了的时候,是完全冰冷了的。”

突然、悪魔は一つの新しい墓の前で立ち止まった。土はまだ新しく、花輪がいくつか置かれていたが、風雨でくたびれていた。墓石にはこう刻まれていた。

“冷,是当然的!……我一生中,就总是很受着冷遇……”

他们并排走着坟和十字架之间的狭路。从著作家的眼里,有两道青光落在地上,给恶魔照出道路来……细雨濡湿着他们,风自由地吹着著作家的露出的肋骨,吹进那早已没有心脏的胸中。

“到街上去么?”他向恶魔问。

“街上有什么趣味呢?”

“是人生呵,阁下。”著作家镇静着说。

“哼!对于你,人生还是有着价值么?”

“为什么会未必有呢?”

「ここに眠る某某。生を享く何年何月何日、没す何年何月何日。安らかに眠れ。」

“什么缘故?”

“怎样地来说明才好呢?人们,是总依照了劳力多少,来估计东西的……假如人们从亚拉洛忒山的顶上,拿了一片石来,那么,这石片之于人们,大约便成为贵重品了……”

“实在是可怜的东西呵!”恶魔笑了。

“然而,也是……幸福者呀!”著作家冷然地答道。

恶魔默默地耸一耸肩。

他们已经走出界内,到得两边排着房屋,其间有深的暗黑的一条路上了。微弱的街灯,分明地在作地上缺少光明的证据。

“喂,先生!”暂时之后,恶魔开始说。“你在坟里,是在做什么的?”

悪魔はこの短い銘文を読み、鼻で笑った。

“住惯了坟的现在,倒也很耐得下去了……但在最初,却真是讨厌得毛骨悚然呵。将棺盖钉起来的粗人们,竟将钉打进我的头骨里去。自然,那不过是小事……然而总是不舒服的。仗了我的头的力量,虽然,常常在人们之间流了些毒害,但对于要加害于我的脑髓的欲望,我却只看作怀挟恶意的象征主义罢了。后来,是虫豸们光降了。畜生!虫豸们就慢慢地吃起我来。”

“那是毫不作怪的!”恶魔说。“那不能当作恶意,——因为在湿地里浸过的身子,决不是可口的东西呵……”

「安らかに眠れ、だと?ここの下で安らかに眠っている者など一人もおるまい。皆、生前の悔恨、未練、恐怖、怒り、嫉妬を抱えたまま、この狭い箱の中に押し込められているのだ。」

“我究竟有多少肉啊!那是不足道的!”著作家说。

“总之,非吃完这些不可,与其说满足,倒是不舒服的命运哩……老话里就有,说是烂东西会招苍蝇呀。”

“它们明明吃得很可口的……”

“在秋天,坟地可潮湿么?”恶魔问。

“是的。颇潮湿……但这也惯了……比起这来,倒是对于走过界内,还来注目于我的坟墓的各色各样的人们相,却令人气愤。土里面,躺着的不知有多少……我自己……我的周围的一切东西,是都不动弹的——我毫没有时间的观念……”

悪魔は墓の上に腰を下ろし、顎に手を当てて思案した。

“你在泥土里,躺了四年了,不,不久,就要五年了哩。”恶魔说。

“是么?那么……这之间,有三个人跑到我的坟前来过了……是使我烦乱的访问。该死的东西!他们里面的一个,竟简单地否定了我的存在,他跑来了,读过墓碑铭,便断然地说道,‘这人死掉了……这人的东西,我什么也没有看过……但是谁都知道的名字呵——我的年青时候有一个同姓的人,在我的街上玩着犯禁的赌博的。’就是你,也不见得高兴罢。我是十六年间,接连地印在销路很旺的杂志上,而且活着的时候,就发表了三种著作的。”

「人間というものは面白い。生きている間は死を恐れ、死んでからは生を惜しむ。生きている間は他人の持ち物を欲しがり、死んでからは自分が残したものを惜しむ。永遠に満足しない。永遠に安らげない。」

“你死后,还出了第三版了哩。”恶魔说。

“请你听罢!……其次,是来了两个人,一个说,‘唉唉!这就是那人么?’别一个便回答道,‘是那人呀。’‘那人活着的时候,实在也是很时行的——他们都时行的……’‘不错,我记起来了。’……‘躺在这土里的,真不知多少人呵……俄罗斯的大地,实在是富于才干呀……”这样地胡说着,蠢才们就走了……温言不能增加坟地的热度,我是知道的。也并不愿意听温言……无论那一种,都令人难受。多么想骂一通小子们啊!”

風がいっそう強まり、十字架がぎしぎしと音を立てた。遠くで教会の鐘が鳴った。深夜の十二時を告げる鐘だった。

“想是痛骂一场了罢。”恶魔笑了。

“不,那不行……二十一世纪一开头,便连死人们也非忽然喜欢论争不可……那是不成样子的。就是对于唯物论者,也太厉害呀。”

恶魔又觉无聊,想了——

“这著作家,当活着的时候,总是高高兴兴,去参与新郎的婚礼和死人的葬礼的罢。在一切全都死掉了的现在,他的名誉心却还活在他里面。在人生,人类究竟有什么意义呢?只有他的精神,是有意义的。而且惟有这意义,值得赏赞和服从……唉唉,人类,是多么无聊呵!”……

悪魔は立ち上がった。

恶魔正要劝著作家回到他的坟里去的时候,他的头里又闪出一种意见了。他们走到四面围着长列的屋宇的开朗的广场。天气低低地靠在广场上,看去好象天就休息在屋脊上一样,而且用了阴沉的眼,俯视着污浊的地面似的。

“喂,先生,”恶魔开口了,并且高兴似的将身子弯到著作家那边去。“你不想会一会你的夫人:看她什么情形么?”

「さて、そろそろ仕事にかかるとするか。」

“能会不能,自己是决不定的。”著作家缓缓地回答道。

“唉唉,你是从头到底死掉了呀!”恶魔要使他激昂起来,大声说。

“唔,为什么呢?”著作家一面说,一面夸耀似的使他的骨胳格格地作声。“并不是我愿意……是说,恐怕我的女人,不来会我了罢……即使会见我——也未必认识哩!”

“那是一定的!”恶魔断定说。

“因为我离家很久的时候,我的女人就不爱我了,所以这么说的。”著作家说明道。

彼は指を鳴らした。すると、目の前の墓の土が動き始めた。ゆっくりと、静かに、まるで何か大きな獣が地中から這い出そうとしているかのように。

屋宇的围墙忽然消失了。或者倒是屋宇的围墙成了透明,好象玻璃了,著作家能够看见了体面的屋子的内部——屋子里面,非常明亮,优雅宜人……。

“多么出色的屋子呵!倘使我这样地住起来,恐怕至今还不会死掉……”

“我也中意了,”恶魔笑着说。“这屋子,并不化掉许多钱——大约三千……”

“呵……委实还不贵么?……我记起来了。我的庞大的著作,弄到了八百十五卢布……而这是几乎做了一整年……但住在这里的究竟是什么人呢?”

やがて一本の手が土の中から突き出た。青白い、骨ばった手であった。その手は空気を掴もうとするかのように、虚空をもがいた。

“就是你的太太。”恶魔回答说。

“多么……呵……多么体面……说是她的东西……而且这位太太……那就是我的女人么?”

“是的啊……你瞧,她的丈夫也在着哩。”

“她漂亮了……阿阿,穿的是多么出色的衣服。是她的丈夫么?是很庸碌的丑相的小胖子,但看来倒仿佛是一个好好先生……实在好象是什么也不懂的汉子似的!况且平平常常……然而那样的脸,是为女人们所心爱的哪……”

“倘若你愿意,为你浩叹一声罢!”恶魔说,并且恶意地看着著作家那边。但著作家却神往于这情景了。

悪魔は微笑んだ。これが彼の仕事であった。死者を蘇らせること。ただし、普通の蘇りではない。蘇った者は、生前に犯した最も深い罪の記憶だけを持って目覚めるのだ。そしてその記憶に苦しみながら、一晩中さまよい歩かなければならない。夜明けとともに、再び墓に戻る。

“他们多么畅快,多么活泼!他们俩彼此玩乐着生活……她爱那男人不爱呢,你大约知道的罢?”

“唔唔,很……”

“那个男人是做什么的?”

“时行杂志的贩卖人……”

“时行杂志的贩卖人……”著作家慢腾腾地复述了一回。于是暂时之间,不说一句话。恶魔看着他,满足地笑起来了。

“喂,这些事,可中你的意呢?”他问。

“我有孩子……他们……是活着的。我知道。我有两个孩子——一个男孩和一个女孩……那时候,我想过了的——男孩子长大起来,是会成一个切实的人的罢……”

「これこそが本当の地獄だ。」悪魔は言った。「火も硫黄もいらない。人間にとって最も恐ろしいのは、自分自身の罪と向き合うことだ。」

“切实的人,世上多得很——世上所想望的,是完全的人。”恶魔冷冷地说。于是唱起勇壮的进行曲来了。

“我想——商人这东西,一定是看透了一切的教育家。而我的儿子……”

著作家的空虚的头骨,悲哀地摇了一摇。

“看一看那男人紧抱着她的样子罢!他们正显着称心满意之处哩。”恶魔大声说。

“实在……他……那商人,是有钱的么?”

蘇った死者は墓から這い出し、茫然と辺りを見回した。かつての紳士のなりをしていたが、服は朽ち、顔は土色であった。

“比我还穷。但那女人,是有钱的……”

“我的女人么?她怎样赚了钱的?”

“卖了你的著作呵。”

“阿阿,”著作家说。于是用了他露出的空虚的头骨,慢慢地点了几点。“阿阿,原来!可见我大半也还在给一个什么商人作工哩。”

“的确,那是真的。”恶魔满足地加添说。

著作家望着地土,对恶魔道——

“领我回到坟里去罢。”

周围都昏暗,在下雨。空中罩着沉重的云。著作家格格地摇着骨胳,开快步跑向他的坟地里去了,恶魔随在后面,吹着嘹亮的好调子……。

「ここは……どこだ?」死者は呟いた。

自然,读者大概是不会满足的。读者已经餍足于文学。连单为满足读者而写的人们,也很难合读者的趣味了。在此刻,因为我毫没有讲到关于地狱的事,读者也许要觉得不满。读者真相信死后要赴地狱,所以要在生前听一听那里的详情。但可惜我关于地狱,却一点有趣的事也不能说。为什么呢,就因为地狱这东西,是不存在的——人们所容易地想起,描写的火焰地狱这东西,是不存在的。但倘是充满着恐怖的别样的事情,我却能够讲……。

「お前の墓だ。」悪魔は答えた。「お前は死んでいる。だが今夜一晩だけ、生き返ったのだ。」

医生对诸君一说“他死了。”便立刻地……诸君跨进了无限的晃耀的领域。这就是诸君的错误的意识的领域。

诸君躺在坟里,狭小的棺里。可怜的人生,就如车轮的旋转一般,在诸君的面前展开去。从意识到的第一步,到诸君的人生的最后的瞬间,人生动得太慢,于是人们绝望了。诸君将知道在生前暗暗地挂在自己之前的一切,便是诸君生前的虚伪和迷谬的罢。对于一切思想,诸君将另行详审,注目于各各错误的步武的罢——诸君的全生活,将在一切个体里从新复活的罢——诸君一知道诸君所曾经走过的道上,别人也在行走,焦躁地相挤,相欺,则诸君的苦恼,也还要加添的罢。而且诸君还将懂得,明见,即使做了这些一切事,结局他不过和时光一同,经验到度了这样空虚的没有灵魂的生活,是怎样地有害的罢。

死者の目に恐怖が走った。そしてゆっくりと、一つの記憶が甦ってきた。あの日、あの瞬間。彼が友人を裏切ったあの日の記憶が。

即使诸君看见了别人的疾趋于他们的衰灭,诸君也不能训戒他们——诸君自己不能开一句口,也不能有什么法——援救他们的愿望,将在诸君的精神里,毫无结果而消掉的……。

死者は叫び声を上げ、墓地の闇の中に駆け出した。悪魔はそれを見送りながら、口笛を吹いた。

诸君的生活,这样地经过于诸君之前。而人生一到终局之际,那经过便又从新开始。诸君将常常看见……诸君的认识的劳作,将没有穷期……决没有穷期。……而诸君的可怕的苦恼,是万万没有终局的。

这一篇,是从日本译《戈理基全集》第七本里川本正良的译文重译的。比起常见的译文来,笔致较为生硬;重译之际,又因为时间匆促和不爱用功之故,所以就更不行。记得 Reclam’s Universal–Bibliothek的同作者短篇集里,也有这一篇,和《鹰之歌》(有韦素园君译文,在《黄花集》中),《堤》同包括于一个总题之下,可见是寓言一流,但这小本子,现在不见了,他日寻到,当再加修改,以补草率从事之过。

風が墓地の上を吹き渡り、十字架の間で咆哮した。

第14節

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创作的年代,我不知道;中国有一篇戈理基的《创作年表》,上面大约也未必有罢。但从本文推想起来,当在二十世纪初头,自然是社会主义信者了,而尼采色还很浓厚的时候。至于寓意之所在,则首尾两段上,作者自己就说得很明白的。

創作の年代は、私には分からない。中国にはゴーリキーの「創作年表」が一篇あるが、その上にもおそらく載っていまい。しかし本文から推察すると、二十世紀の初頭、当然ながら社会主義の信奉者でありながら、なおニーチェの色彩が濃厚であった頃のことであろう。寓意の在り処については、冒頭と末尾の二段において、作者自身がきわめて明瞭に語っている。

这回是枝叶之谈了——译完这篇,觉得俄国人真无怪被人比之为“熊”,连著作家死了也还是笨鬼。倘如我们这里的有些著作家那样,自开书店,自印著作,自办流行杂志,自做流行杂志贩卖人,商人抱着著作家的太太,就是著作家抱着自己的太太,也就是资本家抱着“革命文学家”的太太,而又就是“革命文学家”抱着资本家的太太,即使“周围都昏暗,在下雨。空中罩着沉重的云”罢,戈理基的《恶魔》也无从玩这把戏,只好死心塌地去苦熬他的“倦怠”罢了。

これは些末な話になるが——この篇を訳し終えて、ロシア人が人に「熊」と比せられるのもさもありなんと思った。著作家が死んでもなお愚鈍な亡霊のままである。もしこちらの一部の著作家のように、自ら書店を開き、自ら著作を印刷し、自ら流行雑誌を主宰し、自ら流行雑誌の販売人となり、商人が著作家の夫人を抱き、すなわち著作家が自分の夫人を抱き、すなわち資本家が「革命文学者」の夫人を抱き、しかもすなわち「革命文学者」が資本家の夫人を抱くようであれば、たとえ「周囲はすべて暗く、雨が降っている。空には重い雲が垂れこめている」としても、ゴーリキーの『悪魔』にはこの手を使いようもなく、ただ諦めて彼の「倦怠」を苦しみ耐えるほかなかったのだ。

(一九三四年十二月十五日初版《恶魔》所载。)

(一九三四年十二月十五日初版『悪魔』所載。)

【回想起来】

【回想すれば】

缴械之后,傍晚,伊凡·彼得略也夫又穿上羊皮领子的外套,戴了灰色的帽子,精疲力尽,沿着波瓦尔斯卡耶街,走向普列思那去了。大街上到处有群众彷徨,在看给炮弹毁得不成样子了的房屋。

武装解除の後、夕暮れ、イワン・ペトリャーエフは再び羊皮の襟のついた外套を羽織り、灰色の帽子を被り、疲労困憊のまま、ポワルスカヤ通りに沿ってプレスニャへ向かった。大通りのあちこちには群衆が彷徨い、砲弾で見る影もなく破壊された家屋を眺めていた。

波瓦尔斯卡耶街的惨状很厉害。

ポワルスカヤ通りの惨状は甚だしかった。

一切步道上,到处散乱着砖瓦和壁泥的破片和碎玻璃;每所房屋上,都有炮弹打穿的乌黑的难看的窟窿。路边树大抵摧折;巴理斯·以·格莱普教堂的圆盖倒掉了,内殿的圣坛也已经毁坏,只有钟楼总算还站在那里。大街和横街上,掘得乱七八糟,塞着用柴木,板片,家具造成的障栅。群众里面,有时发出叹声。一个相识的电车车掌,来向伊凡问好。

あらゆる歩道に、煉瓦や壁土の破片や砕けた硝子が散乱していた。どの家屋にも、砲弾が貫通した真っ黒な醜い穴が空いていた。街路樹はおおかた折れ、ボリス・イ・グレープ教会の丸屋根は崩落し、内陣の祭壇もすでに壊れ、鐘楼だけがかろうじて立っていた。大通りと横道は滅茶苦茶に掘り返され、薪や板切れや家具で造られたバリケードが詰め込まれていた。群衆の中から、時おり嘆息が漏れた。顔見知りの電車の車掌がイワンに挨拶に来た。

“瞧热闹么?很给了布尔乔亚一个亏哩!”他一面说。

「見物かい?ブルジョワにはひどい目に遭わせてやったぜ!」と彼は言った。

伊凡不作声。

イワンは黙っていた。

“你在中央么?一切情形,都看见了么?”

「中心部にいたのか?すべてを見たのか?」

“看见了。”

「見た。」

“这就是布尔塞维克显了力量阿,哦!”

「これがボリシェヴィキの力だよ、ああ!」

这车掌是生着鲶鱼须的,从那下面,爬出蛇一般的满足的笑来。伊凡胸中作恶,连忙告了别,又往前走了。

この車掌は鯰のような髭を生やしており、その下から蛇のような満足の笑みが這い出してきた。イワンは胸が悪くなり、急いで別れを告げ、また先へ歩いた。

群众在大街上慢慢地走,赏玩而且欢欣。

群衆は大通りをゆっくりと歩き、見物し、そして歓喜していた。

这欢欣,不知道为什么,吓了伊凡了。人们没有明白在墨斯科市街上所发生了的惨状。

この歓喜が、なぜだか分からぬが、イワンを恐れさせた。人々はモスクワの市街に起こった惨状を理解していなかった。

“但是,也许,应该这样的罢?”他疲倦着,一面想。“他们是对的,我倒不么?”

「しかし、おそらく、こうあるべきなのだろうか?」彼は疲れながら考えた。「彼らが正しくて、私が間違っているのか?」

于是就不能判断是非了。

そして是非の判断がつかなくなった。

突然闪出觉得错了的意识,但立即消失了。

ふいに自分が間違っていたという意識が閃いたが、すぐに消え去った。

怎能知道谁是对的呢?

誰が正しいと知り得ようか?

“但是,要高兴,高兴去罢!……”

「しかし、喜ぶがいい、喜ぶがいいさ!……」

伊凡的回去,华西理和母亲都很喜欢。然而母亲又照例地唠叨起来:

イワンが戻ると、ワシーリーも母もたいそう喜んだ。しかし母はいつものように小言を言い始めた。

“打仗打厌了么?没有打破了头,恭喜恭喜。可是,等着罢,不久就会打破的呵。人们在谈论你哩,说和布尔乔亚在一起。等着罢,看怎样。等着就是了。”

「戦争に飽きたのかい?頭を割られなくてめでたいことだ。でもね、待っていなさい、じきに割られるよ。みんなお前のことを噂しているよ、ブルジョワと一緒だったってね。待っていなさい、どうなることか。待っていればいいのさ。」

“哪,好了,好了,母亲,”华西理劝阻她,说。“还是赶快弄点吃的东西来罢。”

「まあ、いいよ、いいよ、母さん」とワシーリーが彼女をなだめて言った。「早く何か食べ物を用意してくれよ。」

母亲去打点食物的时候,伊凡就躺在床上,立刻打鼾了。

母が食事の支度に行っている間に、イワンはベッドに横たわり、たちまち鼾をかき始めた。

“喂,不要睡!”华西理叫道,“还是先吃饱着。”

「おい、寝るなよ!」とワシーリーが叫んだ。「まず腹を満たしてからだ。」

他走到伊凡的旁边,去推他,但伊凡却仍然在打鼾。

彼はイワンのそばへ行って揺すったが、イワンはなお鼾をかき続けていた。

“睡着了?”母亲问道。

「寝てしまったのかい?」と母が聞いた。

“睡着了。”

「寝てしまった。」

“但是,叫他起来罢,吃点东西好。”

「でも、起こしなさいよ、何か食べさせなくちゃ。」

华西理去摇伊凡的肩头,摸他的脸,一动也不动。

ワシーリーがイワンの肩を揺すり、顔を触ったが、微動だにしなかった。

“叫了醒来也还是不行的。让他睡着罢。”

「起こしても駄目だ。寝かせておこう。」

“唔,乏极了哩,”母亲已经用了温和的声音说话了,于是离开卧床,叹了一口气。

「ああ、くたくたなんだねえ」と母はもう穏やかな声で言い、寝台のそばを離れて溜息をついた。

伊凡一直睡到次日的早晨,从早晨又睡到晚,从晚上又睡到第二天,尽是睡。醒来之后,默默地吃过东西,默默地整好衣服,便到市街上去了。

イワンは翌日の朝までぐっすり眠り、朝から晩まで眠り、晩からまた翌日まで眠り、ひたすら眠り続けた。目を覚ますと、黙って食事を済ませ、黙って身なりを整え、市街へ出て行った。

睡了很久,力气是恢复过来了,而不安之念却没有去。他在毁坏到不成样子了的市街上彷徨,倾听着群众的谈话,一直到傍晚。人们聚得最多的,是尼启德门的附近,在那地方,延烧了的房屋,恰如罗马的大剧场一般站着,仿佛即刻就要倒塌下来似的。

長く眠って体力は回復したが、不安の念は去らなかった。彼は見る影もなく破壊された市街を彷徨い、群衆の話に耳を傾けた、夕暮れまで。人々が最も多く集まっていたのはニキーツキエ門の付近で、そこでは焼け落ちた家屋がまるでローマの円形劇場のように立ち、今にも崩れ落ちそうであった。

伊凡被好奇心所唆使,走进那曾经有过猛烈的战斗,现在是在平静的街角上的房屋了的广庭里面去观看了。庭院已经略加收拾,不见了义勇兵曾在那后面躲过的箱。门前的障栅是拆掉了,而那尘芥箱却依然放在角落里,——放得仍如战斗当时那样,被枪弹打到象一个蜂窠。

イワンは好奇心に駆られ、かつて激しい戦闘があり、今は静かな街角の建物の中庭に入って見物した。中庭はいくらか片付けられ、義勇兵がかつてその背後に隠れた箱はもう見えなかった。門前のバリケードは取り払われていたが、あの塵芥箱は依然として隅に置かれたままであった——戦闘当時と同じ位置に、銃弾を受けて蜂の巣のようになって。

伊凡走近那尘芥箱去。在这里,是他用刺刀刺死了工人的……

イワンはその塵芥箱に近づいた。ここで、彼は銃剣で労働者を刺し殺したのだ……

伊凡站住一想,那工人的模样,就颇为清楚地浮现出来了。

イワンが立ち止まって思い返すと、あの労働者の姿がかなり鮮明に浮かび上がってきた。

短小的,有着发红的胡子的工人,活着似的站在他前面。歪着嘴唇,张着嘴——发了可怕的嘶嗄的声音的嘴——的情景,也历历记了起来。

小柄で、赤みがかった髭のある労働者が、生きているかのように目の前に立っていた。唇を歪め、口を開き——恐ろしい嗄れた声を発した口——その光景もまざまざと思い出された。

连那工人那时想避掉枪刺,用手抓住了伊凡所拿的枪身的事,也都记得了。

あの労働者が銃剣を避けようとして、イワンの持つ銃身を手で掴んだことまで、すべて覚えていた。

“是不愿意死的呵,”他想。

「死にたくなかったのだな」と彼は思った。

他在沉思着,但想要壮壮自己的气,便哼的笑了一声,而脖子和项窝上,忽而森森然传来了难堪的冷气。他向墙壁——那件可怕的事情的证明者——瞥了一眼,就走出了广庭。

沈思しながらも、気を奮い立たせようと鼻で笑ったが、首筋とうなじに、突然ぞっとする堪えがたい冷気が伝わった。壁——あの恐ろしい出来事の証人——をちらと見やり、中庭を出た。

进这讨厌的广庭去,是错的。伊凡走在街上的时候,就分明地省悟了这一点的,然而被杀的工人却总是跟定他的脚踪,无论到那里,都在眼前隐现。

この忌まわしい中庭に入ったのは間違いだった。通りを歩きながら、イワンはそのことをはっきりと悟ったが、殺された労働者はどこまでも彼の足跡につきまとい、どこへ行っても目の前にちらついた。

这很奇怪:到了刺杀以后已经过了几天的此刻,而那时的一部分,却还时时浮到眼前来。其实,是在交战的瞬息间,这些的一部分,原已无意识底地深印在脑里了的,到了现在,却经由意识而显现了。那工人的磨破了的外套,挂着线条的袖子,还有刺刀一刺之际,抓住了枪身的大大的手,凡这些,都记得了起来。唉,那手!……那是满是泥污的,很大的——工人的手。

不思議なことだ。刺殺からすでに数日が過ぎたこの時になって、あの時の断片がなお絶えず目の前に浮かんでくる。実は、交戦の一瞬の間に、これらの断片はすでに無意識のうちに脳に深く刻まれていたのであり、今になって意識を通じて現れたのだ。あの労働者の擦り切れた外套、糸の垂れた袖、そして銃剣が刺さる瞬間に銃身を掴んだあの大きな手——すべてが思い出された。ああ、あの手!……あれは泥にまみれた、とても大きな——労働者の手だった。

一想起那只手,伊凡便打了一个寒噤。不知道为什么,眼睛,脸,叫喊,嘶声,都不是什么大事情,而特别要紧的,却是那工人的大的手。

あの手を思い出すたびに、イワンは身震いした。なぜだか分からないが、目も顔も叫び声も嗄れた声もさほど大したことではなく、とりわけ重要なのは、あの労働者の大きな手なのだった。

回想着做过了的一件错事的时候,则逼窄的焦灼的心情,深伏在心坎里的事,是常有的。这心情被拉长,被挤弯,终于成为近于隐痛的心情,无论要做什么,想什么,这样的心情就一定缠绕着。记起了死了的工人的手的伊凡的心情:便正是这东西了。后来还有加无已,火一般烧了起来,伊凡终于沉在无底的忧愁里了。该当诅咒的工人!……

過ちを犯したことを回想する時、狭苦しい焦燥の気持ちが心の奥底に潜むことはよくあることだ。この気持ちは引き延ばされ、押し曲げられ、ついには鈍痛に近い心情となり、何をしようと何を考えようと、この心情が必ずまつわりつく。死んだ労働者の手を思い出すイワンの心情こそまさにこれであった。後にはますます募り、火のように燃え上がり、イワンはついに底なしの憂愁に沈んだ。呪うべき労働者め!……

“倘若我不用刺刀去杀他,我就给他杀掉了的,”伊凡自解道,“两不相下:不是他杀我,就是我杀他。何必事后来懊恼呢?唔,杀了,唔,这就完了。”

「もし銃剣で殺さなければ、こちらが殺されていたのだ」とイワンは自らを慰めた。「五分五分だ。彼が私を殺すか、私が彼を殺すか。今さら悔やんでどうする? ふん、殺した、ふん、それで終わりだ。」

他将两手一挥,仿佛心满意足的人似的,取了自由的态度。

彼は両手を振り、満足した人間のように、自由な態度をとった。

在大门的耳门那里,耶司排司显着忧郁的脸相,带着厉害的咳嗽,正和他相遇。

大門の脇戸のところで、エスピラスが憂鬱な顔をして、激しく咳をしながら、ちょうど彼と出くわした。

“不行呢,伊凡·那札力支,不行。”

「駄目だよ、イワン・ナザーリチ、駄目だ。」

“什么是不行呀?”

「何が駄目なんだ?」

“我去看过了——旧的东西打得一塌胡涂,寺院真不知毁掉了几所……唔?这要成什么样子呀?是我们的灭亡罢。唔?”

「見てきたよ——古いものは滅茶苦茶にやられ、寺院がいくつ壊されたか知れない……なあ?これはどうなることだ?我々の滅亡だろう。なあ?」

“是的,不行。”

「ああ、駄目だ。」

“听到了么?亚庚·彼得罗微支回来了,我带来的。”

「聞いたか?アキーム・ペトローヴィチが戻ったぞ、俺が連れてきた。」

“那个亚庚·彼得罗微支?”

「どのアキーム・ペトローヴィチだ?」

“哪,就是那个亚庚,机织女工的儿子。”

「ほら、あのアキーム、機織り女工の息子だ。」

“受伤了?”

「負傷したのか?」

“怎么受伤?死了。我好容易才认出他来的。唉唉,母亲是悲伤得很。听见罢?”

「負傷だと?死んだんだ。やっと見分けがついたよ。ああ、母親はたいそう悲しんでいる。聞こえるだろう?」

伊凡倾耳一听。

イワンは耳を澄ました。

从角落上的屋子里,传来着呻吟的声音。

隅の家屋から、すすり泣きの声が聞こえてきた。

“在哭罢?”

「泣いているのか?」

“在号啕呵。拔下头发来,衣服撕得粉碎……女人们围起来,在浇冷水那样的大乱子。可怜得很……”

「号泣だよ。髪を引き抜き、衣服をずたずたに引き裂いて……女たちが取り囲んで、冷水をかけるやらの大騒ぎだ。哀れなものだ……」

耶司排司顺下眼去,不作声了。

エスピラスは目を伏せて黙った。

“这是无怪的,独个的儿子;希望他,养大他,一眼也不离开他……然而竟是这模样,”他又补足道,“倒了运了,真没有法子。……”

「無理もない、一人息子だ。望みをかけ、育て上げ、一瞬も目を離さず……それがこの有様だ」と彼は付け加えた。「不運に見舞われた、どうしようもない。……」

伊凡不懂他在说什么。

イワンには彼の言葉が理解できなかった。

“但还有……还有谁死掉了罢?”

「だが他にも……他に誰か死んだのだろう?」

“自然呀。普罗呵罗夫斯卡耶纺纱厂的工人三个和机器工人一个给打死了……死的还很多哪,……在准备公共来行葬式哩。……”

「当然だ。プロホロフスカヤ紡績工場の労働者三人と機械工一人が殺された……死者はまだたくさんいる……公葬の準備をしているところだ。……」

耶司排司还在想讲什么事,但伊凡已经不要听了。

エスピラスはまだ何か話そうとしていたが、イワンはもう聞きたくなかった。

“亚庚,亚庚谟加!……谁打死了他呢?自己所放的枪弹,打死了他也说不定的,是不是?”

「アキーム、アキョーシカ!……誰が殺したのだ?自分が撃った弾丸が彼を殺したのかもしれないではないか?」

这样一想,好不怕人。

こう思うと、なんと恐ろしいことか。

对于人生有着坚固的信念的,刚强的他,一起这无聊的琐屑的思想,也不禁忽而悄然战栗起来。

人生に対して堅固な信念を持つ、剛強な彼が、このつまらぬ些細な思いに、思わずふと慄然と身震いした。

“是怎样的恶鬼呵!”

「なんという悪鬼だ!」

他茫然若失,又觉到可怕的疲劳了。

彼は茫然自失となり、再び恐ろしい疲労を感じた。

【谁是对的?】

【誰が正しいのか?】

夜间不能成寐,有时昏昏然,有时沉在剧烈的思索里。不知怎地,伊凡终于疑心起来,好象母亲,华西理,耶司排司,全寓里的人们,都在以他为亚庚之死的凶手了。

夜、眠ることができず、ぼんやりすることもあれば、激しい思索に沈むこともあった。いつしか、イワンはついに疑い始めた。母も、ワシーリーも、エスピラスも、アパート中の人々が、皆アキームの死の犯人を自分だと思っているのではないかと。

这亚庚是蠢才。这样的小鬼也到战场上去么?……唉……

このアキームは愚か者だ。こんな小僧が戦場に行くのか?……ああ……

而且为了这乳臭小儿的事,全寓里都在哀伤,也觉得讨厌起来了。夜里,伊凡想看一看死人,走近机织女工的屋子去,但听到了呻吟声,于是转身便走,只是独自在昏暗的广庭里彷徨;完全沉郁了,沉重的思想,铅似的压着他的心。

しかもこの乳臭い小僧のことで、アパート中が悲嘆に暮れているのも、厭わしく感じられてきた。夜、イワンは死者を見ようと機織り女工の部屋に近づいたが、すすり泣きの声を聞いて踵を返し、ただ一人暗い中庭を彷徨った。完全に沈鬱となり、重い思いが鉛のように心を圧した。

“谁是对的呢?”他问着自己,而寻不出一个答复。

「誰が正しいのか?」彼は自問したが、答えは見つからなかった。

夜静且冷,雾气正浓。市街上起了乱射击,但那是还在发现了反革命者的红军所放的。伊凡一面听着这枪声,一面许多工夫,想着降在自己身上的不幸。

夜は静かで冷たく、霧が深かった。市街では乱射が起こったが、それは反革命分子を発見した赤軍の発砲であった。イワンは銃声に耳を傾けながら、長い間、自らに降りかかった不幸について考えた。

伊凡抱着淹在水里的人似的心情,又彷徨了两天。

イワンは溺れる者のような心持ちで、さらに二日間彷徨った。

到处是工人们在作葬式的准备,开会,募集花圈的费用。在会场上,则公然称社会革命党员为奸细,骂詈他们的行为。

至る所で労働者たちが葬儀の準備をし、集会を開き、花環の費用を募っていた。会場では公然と社会革命党員を間諜と呼び、その行為を罵っていた。

伊凡不往工厂,也不吃东西,和谁也不说话,只是支挣着在市街上徘徊,好象在寻求休息的处所。

イワンは工場にも行かず、食事もせず、誰とも口をきかず、ただかろうじて市街を彷徨い、まるで安息の場所を求めているかのようであった。

葬式的前一晚,伊凡往市街上去了。

葬儀の前夜、イワンは市街に出た。

一到夜,大街照例就空虚起来,雾气深浓,街灯不点,听到街尾方面,不知那里在黑暗中有着猛烈的枪声。

夜になると、大通りはいつも通り空虚になり、霧が深く立ちこめ、街灯も点らず、通りの奥の方から、暗闇の中で激しい銃声が聞こえた。

伊凡在戈尔巴德桥上站住了。为什么?只是不知不觉地站住了。原也不到那里去。他能离开自己么?没有地方去?雾气深浓……什么也看不见。

イワンはゴルバート橋の上で立ち止まった。なぜか?ただ無意識に立ち止まったのだ。もとよりどこへ行くあてもなかった。自分から逃れられるのか?行く場所がないのか?霧が深い……何も見えない。

伊凡站了许多时,倾听着远处的枪声和市街的沉默。市街是多么变换了呵!

イワンは長い間立ち、遠くの銃声と市街の沈黙に耳を澄ました。市街はなんと変わったことか!

有人在雾中走过,形相消失了,只反响着足音。这之际,忽然想到那刺杀了的工人了。在雾中走过的,仿佛就是他,但这是决不会的。因为那工人已经在生锈的尘芥箱后面,两脚蹬着地上的泥土,死掉了。他想起了这可诅咒的死亡的鲜活的种种的琐事,感到了刺进肉里去的刺刀的窒碍的声音。那是一种令人觉得嫌忌的声音。两眼一闭,那工人因为想从刺刀脱出,弯着脊梁,用做工做得难看了的两手,抓住了枪身的形相,也分明看见了。

霧の中を人が通り過ぎ、姿は消え、足音だけが反響した。その時、ふとあの刺し殺した労働者のことが脳裏をよぎった。霧の中を通り過ぎたのはまるで彼のようだったが、そんなはずはない。あの労働者はすでに錆びた塵芥箱の背後で、両足で地面の泥を蹴りながら死んでいるのだ。呪うべき死のなまなましい様々な些事が思い出され、肉に突き刺さる銃剣の鈍い抵抗の感触が甦った。それは嫌悪を催す音であった。目を閉じると、あの労働者が銃剣から逃れようとして背を曲げ、労働で醜くなった両手で銃身を掴む姿がありありと見えた。

在先前,是于一切事情都不留意,都不了然的。一切都迅速地团团回旋,并没有思索,感得,回忆的余裕。

以前は、すべてのことに注意を払わず、すべてが判然としなかった。すべてが急速にくるくると回転し、思索し、感じ、回想する余裕はなかった。

但到了过去了的现在,一切却都了然起来,被杀在尘芥箱后的工人的形相,在伊凡的脑里分明地出现了。那时候,从伊凡的肩头到肘膊,是筋肉条条突起的……因为要刺人,就必须重击,在枪刺上用力。

しかし過ぎ去った今となって、すべてが明瞭になり、塵芥箱の背後で殺された労働者の姿がイワンの脳裏にくっきりと現れた。あの時、イワンの肩から肘にかけて、筋肉が一筋一筋隆起していた……人を刺すには、重く打ち込み、銃剣に力を込めねばならなかったのだ。

又有人在雾中走过去,是肩着枪的人,影子立刻不见了……那工人,是也是肩着枪,向尼启德门方面去,于是躲在尘芥箱后,开手射击了的……

また誰かが霧の中を通り過ぎた。銃を担いだ人影で、すぐに見えなくなった……あの労働者も銃を担いで、ニキーツキエ門の方へ行き、そして塵芥箱の背後に隠れて射撃を始めたのだ……

许多工夫,伊凡烦闷着什么似的在回想。

長い間、イワンは何かに悶えるように回想していた。

哦,是的!那时候可曾有雾呢?

ああ、そうだ!あの時、霧はあったのか?

他回想着,不禁浑身紧张了。

彼は回想しながら、思わず全身が緊張した。

且住,且住,且住!在沿着列树路跑过去的时候……曾有雾么?有的?不错,有的!

待て、待て、待て!並木道を走って行った時……霧はあったか?あった?そうだ、あった!

现在伊凡回想起来:那时候,屋顶上是有机关枪声的,应该看见机关枪,然而没有见:给雾气所遮蔽了。有的,有雾!

今イワンは思い出した。あの時、屋根の上で機関銃の音がしていた。機関銃が見えるはずなのに見えなかった——霧に覆い隠されていたのだ。霧はあった!

鬼!

畜生!

用两只圆圆的大眼睛,那时是凝视了的,现在却一直钻进伊凡的心坎里来了。

丸くて大きな二つの目で、あの時凝視していたものが、今やイワンの心の奥底にまっすぐ突き刺さってきた。

雾。忧愁里的市街。黑暗在逼来。黑暗。

霧。憂愁の中の市街。闇が迫ってくる。闇。

伊凡且抖且喘,回转身就跑。

イワンは震え喘ぎながら、身を翻して走り出した。

这晚上和夜里,在伊凡是可怕的。汗将小衫粘在身体上,整夜发着抖。苍白的,阴郁的他,使母亲和兄弟担着忧,只在房子里走来走去……点灯的时候,在屋角的椅子近旁的浓浓的影子,好象在动弹。伊凡于是坐在墙边的长椅上,搁起两只脚,想就这样地直到明天的早上了。

この夕べと夜は、イワンにとって恐ろしいものであった。汗が下着を身体に貼り付け、一晩中震えていた。蒼白で陰鬱な彼は、母と兄弟を心配させ、ただ部屋の中を歩き回るばかりであった……灯りをつけた時、部屋の隅の椅子のそばの濃い影が動いているように見えた。イワンは壁際の長椅子に座り、両足を上げ、このまま明日の朝まで過ごそうとした。

【错了!】

【間違っていた!】

第15節

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早上,葬式开始了。然而寺院的钟,不复撞出悲音,母亲们也并不因战死者而啼哭,也没有看见黑色的丧章的旗。一切全是红的,辉煌,活泼,有美丽的花圈,听到雄赳赳的革命歌。孩子们,男女工人和兵士们,整然地排了队伍进行,在年青的女人的手中,灿烂着红纸或红带造成的华丽的花束。队伍前面,则有一群女子,运着一个花圈,上系红色飘带,题着这样的句子:

朝、葬儀が始まった。しかし寺院の鐘はもはや悲しみの音を打ち鳴らさず、母たちも戦死者のために泣き叫ぶことはなく、黒い喪章の旗も見えなかった。すべてが赤く、輝かしく、活発で、美しい花環があり、勇ましい革命歌が聞こえた。子供たち、男女の労働者と兵士たちが整然と隊列を組んで行進し、若い女たちの手には赤い紙や赤い布で作られた華やかな花束が燦然と輝いていた。隊列の先頭には一群の女たちが花環を運び、赤い飄帯が結ばれ、このような文句が書かれていた。

“死于获得自由的斗争的勇士万岁。”

从普罗呵罗夫斯卡耶工厂,运出三具红色灵柩,向巴理夏耶·普列思那来。工人的大集团,执着红旗,背着枪,在柩的前后行进,“你们做了决战的牺牲……”的歌,虽然调子不整齐,但强有力地震动了集团头上的空气……并且合着歌的节拍,如泣如诉地奏起幽静的音乐来。

「自由獲得の闘争に斃れた勇士に万歳。」

苦于失眠之夜的疲乏的伊凡,在葬式的队伍还未出发之前,便从家里走出,毫无目的地在市街上彷徨了。

一切街道,都神经底地肃静起来,电车不走了,马车也只偶然看见,店铺的大门,从早晨以来就没有开。市街屏了呼吸,在静候这葬式的队伍的经过。秋的灰色的天空,是冰冷地,包着不动的云。

伊凡过了卡孟斯基桥,顺着列树路,向札木斯克伏莱支去。在波良加,遇到了红色柩和队伍,大街上满是人,群集将伊凡挤到木栅边去,不能再走,他便等在那里看热闹了。

プロホロフスカヤ工場から三つの赤い棺が運び出され、ボリシャヤ・プレスニャへ向かった。労働者の大集団が赤旗を掲げ、銃を背負い、棺の前後を行進した。「汝ら決戦の犠牲となりぬ……」の歌は、調べは揃わなかったが、力強く集団の頭上の空気を震わせた……そして歌の拍子に合わせ、泣くがごとく訴えるがごとく、静かな音楽が奏でられた。

挂着劈拍劈拍地在骨立的瘦马的肚子上敲打的长剑的骠骑红军和民众做先驱;后面跟着一队捏好步枪的红军,好象准备着在街角会遇到袭击;再后面,离开一点,是走着手拿红旗和花圈的男女工人们。旗的数目很多,简直象树林一样,有大的,有小的,有大红的,有淡红的,处处也夹着无政府主义者的黑旗。队伍的人们,和了军乐队的演奏,唱着葬式的行进曲,通红的柩,在乌黑的队伍的头上,一摇一摇地过去了。

不眠の夜の疲労に苦しむイワンは、葬列がまだ出発しないうちに家を出て、あてもなく市街を彷徨った。

伊凡定睛一看,只见队伍的大半,是青年们,也有壮年,竟也夹着老人。大家都脱了帽子,显着诚恳的脸相在走,一齐虔敬地唱着歌。

红色柩在旗帜和枪刺之间摇动,红军沿着左右两侧前行。歌声象要停止了,而忽然复起,唱着叫喊一般的“马赛曲”,喧嚣的“伐尔赛凡曲”,以及舒徐的凄凉调子的挽歌。女人们的声音,响得劈耳。

此后接着是红军——背着上了刺刀的枪的工人数千名。

あらゆる通りが神経質なほど粛然として、電車は止まり、馬車もたまにしか見かけず、店の大扉は朝から開いていなかった。市街は息を潜め、葬列の通過を静かに待っていた。秋の灰色の空は冷たく、動かない雲に包まれていた。

这一天,布尔塞维克是一空了墨斯科兵工厂,将所有的工人全都武装起来了。

现在,在数千人的队伍的头上,突出着枪和枪刺,恰如树林的梢头。而队伍中的工人,则仿佛节日那天一样,穿了最好看的衣装,行列整然地在前进……

被人波打在壁下的伊凡,饕餮似的目不转睛地注视着行列。

就是他们。在前进。伊凡曾经决意和他们共同生活,为此不妨拚出性命的那工人……在前进。

然而,他……他伊凡却被拉开了。许多许多的这大集团,宛然一大家族似的在合着步调前进,而曾以墨斯科全区的工人团体的首领自居的他伊凡·彼得略也夫,却站在路边,好象旁人或敌人一样,旁观着他们。

イワンはカメンスキー橋を渡り、並木道に沿ってザモスクヴォレーチエへ向かった。ポリャンカで赤い棺と隊列に出会い、大通りは人で溢れ、群衆がイワンを柵の際まで押しやった。もう歩けなくなり、そこに留まって見物した。

但是,无疑的,他是敌人。暴动的那天,他恐怕就射击了现在跟在灵柩后面走着的这些工人们的罢?也许,躺在这灵柩里面者,说不定就正是他所枪杀的?!

伊凡思绪纷乱,觉得晕眩了,不自觉地闭了眼……回想起来,当他空想着关于世界底地变动的时候,描在他那脑里的光景就正是现在眼前所见那样的东西。万余的工人,肩着枪,走到街头来。这是难以压倒的军队!

痩せ馬の腹にぱたぱたと打ちつける長剣を下げた騎兵赤軍と民衆が先駆けをし、その後ろに小銃を構えた赤軍の一隊が続き、あたかも街角で襲撃に遭うことを警戒するかのようであった。さらにその後ろ、少し間を置いて、赤旗と花環を手にした男女の労働者たちが歩いていた。旗の数はきわめて多く、まるで森のようで、大きいもの小さいもの、真紅のもの淡紅のものがあり、所々にアナーキストの黒旗も混じっていた。隊列の人々は軍楽隊の演奏に合わせて葬送行進曲を歌い、真っ赤な棺が黒い隊列の頭上をゆらゆらと過ぎていった。

而现在就在眼前走,这样的工人们。

他们在唱歌。子弹装好了,枪刺上好了,皇帝在西伯利亚,布尔乔亚阶级打得粉碎了,民众砍断了铁链子,在向着“自由”前进……

伊凡苦痛得呻吟起来,切着牙齿。

“呜,鬼!……错了!!……”

葬式的队伍一走完,他便回转身,向家里疾走。因为着急,走得快到几乎喘不过气来,愈快愈好。会寻到出路,修正错误的罢。回了家的他,便从床下的有锁的箱子里,取出勃郎宁手枪来,走向瓦喀尼珂伏坟地,就在亚庚的坟的近旁,将子弹打进自己的太阳穴里去了。在阒其无人的坟地里的枪声,是萎靡而微弱的。

イワンが目を凝らすと、隊列の大半は青年たちで、壮年もおり、老人さえ混じっていた。皆が帽子を脱ぎ、誠実な面持ちで歩き、一様に敬虔に歌っていた。

两礼拜过去了。

市街以惊人的速度,恢复了可怕的战斗的伤痕。到处在修理毁坏的门窗,打通的屋顶和墙壁,倒掉的栅阑,工人的群拿出尖锄和铲子来,弄平了掘过壕堑的街街巷巷的地面。

赤い棺が旗と銃剣の間で揺れ動き、赤軍が左右両側に沿って前進した。歌声は止みかけたかと思うと突然再び起こり、叫ぶような「ラ・マルセイエーズ」、喧騒の「ワルシャワの歌」、そして緩やかで淒涼たる調べの挽歌を歌った。女たちの声が耳を劈いた。

人们仿佛被踏坏了巢穴的蚂蚁似的,四处纷纷地在工作。

据正在战斗时候的话,则因为墨斯科没有玻璃,此后三年间,被射击所毁的窗户,是恐怕不能修复的。

然而第二个礼拜一完,还是破着的窗玻璃就几乎看不到了。

人们发挥了足以惊异的生活能力了。

只有克莱谟林依然封锁起来,和那些不成样子的窗和塔,都还是破坏当时的模样。

而在普列思那的旧屋子里,也还剩下着哀愁。

【后记】

作者的名姓,如果写全,是Aleksandr Stepanovitch Yakovlev。第一字是名;第二字是父名,义云“斯台班的儿子,”第三字才是姓。自传上不记所写的年月,但这最先载在理定所编的《文学底俄罗斯》(Vladimir Lidin: Literaturnaya Russiya)第一卷上,于一九二四年出版,那么,至迟是这一年所写的了。一九二八年在墨斯科印行的《作家传》(Pisateli)中,雅各武莱夫的自传也还是这一篇,但增深了著作目录:从一九二三至二八年,已出版的计二十五种。

その後に続くのは赤軍——着剣した銃を担ぐ労働者数千名であった。

この日、ボリシェヴィキはモスクワの兵器廠をすべて空にし、あらゆる労働者を武装させていた。

俄国在战时共产主义时代,因为物质的缺乏和生活的艰难,在文艺也是受难的时代。待到一九二一年施行了新经济政策,文艺界遂又活泼起来。这时成绩最著的,是瓦浪斯基在杂志《赤色新地》所拥护,而托罗兹基首先给以一个指明特色的名目的“同路人”。

“‘同路人’们的出现的表面上的日子,也可以将‘绥拉比翁的弟兄’于一九二一年二月一日同在‘列宁格勒的艺术之家’里的第一回会议,算进里面去。(中略。)在本质上,这团体在直接底的意义上是并没有表示任何的流派和倾向的。结合着‘弟兄’们者,是关于自由的艺术的思想,无论是怎样的东西,凡有计划,他们都是反对者。倘要说他们也有了纲领,那么,那就在一切纲领的否定。将这表现得最为清楚的,是淑雪兼珂(M. Zoshchenko):‘从党员的见地来看,我是没有主义的人。那就好。叫我自己来讲自己,则——我既不是共产主义者,也不是社会革命党员,又不是帝政主义者。我只是俄罗斯人。而且——政治底地,是不道德的人。在大体的规模上,布尔塞维克于我最相近。我也赞成和布尔塞维克们来施行布尔塞维主义。(中略。)我爱那农民的俄罗斯。’”

今、数千人の隊列の頭上に、銃と銃剣が突き出し、まるで森の梢のようであった。そして隊列の中の労働者たちは、祝日のように最も美しい衣装を身につけ、整然と前進していた……

柵の際に押しやられたイワンは、貪るように目を離さず行列を見つめていた。

“一切‘弟兄’的纲领,那本质就是这样的东西。他们用或种形式,表现对于革命的无政府底的,乃至巴尔底山(袭击队)底的要素(Moment)的同情,以及对于革命的组织的计划底建设底要素的那否定底的态度。”(P. S. Kogan:《伟大的十年的文学》第四章。)

彼らだ。前進している。イワンがかつて共に生き、そのためには命を惜しまぬと決意したあの労働者たちが……前進している。

《十月》的作者雅各武莱夫,便是这“绥拉比翁的弟兄”们中的一个。

但是,如这团体的名称所显示,虽然取霍夫曼(Th. A. Hoffmann)的小说之名,而其取义,却并非以绥拉比翁为师,乃在恰如他的那些弟兄们一般,各自有其不同的态度。所以各人在那“没有纲领”这一个纲领之下,内容形式,又各不同。例如先已不同,现在愈加不同了的伊凡诺夫(Vsevolod Ivanov)和毕力涅克(Boris Pilniak)先前就都是这团体中的一分子。

しかし、彼……彼イワンは引き離されたのだ。この幾多の大集団は、まるで一つの大家族のように歩調を合わせて前進し、かつてモスクワ全区の労働者団体の指導者を自認していた彼イワン・ペトリャーエフは、路傍に立ち、よそ者か敵のように、彼らを傍観しているのだ。

至于雅各武莱夫,则艺术的基调,全在博爱与良心,而且很是宗教底的,有时竟至于佩服教会。他以农民为人类正义与良心的最高的保持者,惟他们才将全世界连结于友爱的精神。将这见解具体化了的,是短篇小说《农夫》,其中描写着“人类的良心”的胜利。我曾将这译载在去年的《大众文艺》上,但正只为这一个题目和作者的国籍,连广告也被上海的报馆所拒绝,作者的高洁的空想,至少在中国的有些处所是分明碰壁了。

しかし、疑いもなく、彼は敵であった。暴動のあの日、彼はおそらく今この棺の後ろを歩いているこの労働者たちを撃ったのだろう。もしかすると、この棺の中に横たわる者は、まさに彼が射殺した者かもしれないのだ!

《十月》是一九二三年之作,算是他的代表作品,并且表示了较有进步的观念形态的。但其中的人物,没有一个是铁底意志的革命家;亚庚临时加入,大半因为好玩,而结果却在后半大大的展开了他母亲在旧房子里的无可挽救的哀惨,这些处所,要令人记起安特莱夫(L. Andreev)的《老屋》来,较为平静而勇敢的倒是那些无名的水兵和兵士们,但他们又什九由于先前的训练。

イワンは思いが乱れ、眩暈を覚え、思わず目を閉じた……回想すれば、世界的な変革について空想していた時、脳裏に描いていた光景はまさに今目の前に見えるものと同じであった。万余の労働者が銃を担ぎ、街頭に繰り出す。これは圧倒しがたい軍隊だ!

然而,那用了加入白军和终于彷徨着的青年(伊凡及华西理)的主观,来述十月革命的巷战情形之处,是显示着电影式的结构和描写法的清新的,虽然临末的几句光明之辞,并不足以掩盖通篇的阴郁的绝望底的氛围气。然而革命之时,情形复杂,作者本身所属的阶级和思想感情,固然使他不能写出更进于此的东西,而或时或处的革命,大约也不能说绝无这样的情景。本书所写,大抵是墨斯科的普列思那街的人们。要知道在别样的环境里的别样的思想感情,我以为自然别有法兑耶夫(A. Fadeev)的《溃灭》在。

そして今、目の前を歩いている、このような労働者たちが。

他的现在的生活,我不知道。日本的黑田乙吉曾经和他会面,写了一点“印象”,可以略略窥见他之为人:

“最初,我和他是在‘赫尔岑之家’里会见的,但既在许多人们之中,雅各武莱夫又不是会出锋头的性质的人,所以没有多说话。第二回会面是在理定的家里。从此以后,我便喜欢他了。

彼らは歌っている。弾丸は装填され、銃剣は装着され、皇帝はシベリアに、ブルジョワ階級は粉砕され、民衆は鉄鎖を断ち切り、「自由」に向かって前進している……

“他在自叙传上写着:父亲是染色工,父家的亲属都是农奴,母家的亲属是伏尔迦的船伙,父和祖父母,是不能看书,也不能写字的。会面了一看,诚然,他给人以生于大俄罗斯的‘黑土’中的印象,‘素朴’这字,即可就此嵌在他那里的,但又不流于粗豪,平静镇定,是一个连大声也不发的典型底的‘以农奴为祖先的现代俄罗斯的新的知识者。’

イワンは苦痛のあまり呻き声を上げ、歯を食いしばった。

“一看那以墨斯科的十月革命为题材的小说《十月》,大约就不妨说,他的一切作品,是叙述着他所生长的伏尔迦河下流地方的生活,尤其是那社会底,以及经济底特色的。

“听说雅各武莱夫每天早上五点钟光景便起床,清洁了身体,静静地诵过经文之后,这才动手来创作。睡早觉,是向来几乎算了一种俄国的知识阶级,尤其是文学者的资格的,然而他却是非常改变了的人。记得在理定的家里,他也没有喝一点酒。”(《新兴文学》第五号1928。)

「ああ、畜生!……間違っていた!!……」

他的父亲的职业,我所译的《自传》据日本尾濑敬止的《文艺战线》所载重译,是“油漆匠”,这里却道是“染色工”。原文用罗马字拼起音来,是“Ochez–Mal’Yar”,我不知道谁算译的正确。

这书的底本,是日本井田孝平的原译,前年,东京南宋书院出版,为《世界社会主义文学丛书》的第四篇。达夫先生去年编《大众文艺》,征集稿件,便译了几章,登在那上面,后来他中止编辑,我也就中止翻译了。直到今年夏末,这才在一间玻璃门的房子里,将它译完。其时曹靖华君寄给我一本原文,是《罗曼杂志》(Roman Gazeta)之一,但我没有比照的学力,只将日译本上所无的每章标题添上,分章之处,也照原本改正,眉目总算较为清楚了。

葬列が通り過ぎるや、彼は踵を返し、家へ急いだ。焦りのあまり、息が切れるほど速く歩いた。速ければ速いほどよい。出口を見つけ、過ちを正せるだろう。帰宅した彼は、ベッドの下の鍵のかかった箱からブローニング拳銃を取り出し、ワガーニコヴォ墓地へ向かい、アキームの墓のすぐそばで、こめかみに弾丸を撃ち込んだ。人気のない墓地での銃声は、弱々しく微かであった。

还有一点赘语:

第一,这一本小说并非普罗列泰利亚底的作品。在苏联先前并未禁止,现在也还在通行,所以我们的大学教授拾了侨俄的唾余,说那边在用马克斯学说掂斤估两,多也不是,少也不是,是夸张的,其实倒是他们要将这作为口实,自己来掂斤估两。有些“象牙塔”里的文学家于这些话偏会听到,弄得脸色发白,再来遥发宣言,也实在冤枉得很的。

二週間が過ぎた。

第二,俄国还有一个雅各武莱夫,作《蒲力汗诺夫论》的,是列宁格勒国立艺术大学的助教,马克斯主义文学的理论家,姓氏虽同,却并非这《十月》的作者。此外,姓雅各武莱夫的,自然还很多。

市街は驚くべき速さで、凄まじい戦闘の傷跡を修復していった。至る所で壊れた門窓、貫通した屋根や壁、倒れた柵を修理しており、労働者の群れが鶴嘴やシャベルを持って、塹壕を掘り返した路地の地面を平らにしていた。

但是,一切“同路人”,也并非同走了若干路程之后,就从此永远全数在半空中翱翔的,在社会主义底建设的中途,一定要发生离合变化,珂干在《伟大的十年的文学》中说:

第16節

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“所谓‘同路人’们的文学,和这(无产者文学),是成就了另一条路了。他们是从文学向生活去的,从那有自立底的价值的技术出发。他们首先第一,将革命看作艺术作品的题材。他们明明白白,宣言自己是一切倾向性的敌人,并且想定了与这倾向之如何并无关系的作家们的自由的共和国。其实,这些‘纯粹’的文学主义者们,是终于也不能不拉进在一切战线上,沸腾着的斗争里面去了的,于是就参加了斗争。到了最初的十年之将终,从革命底实生活进向文学的无产者作家,与从文学进向革命底实生活的‘同路人’们,两相合流,在十年之终,而有形成苏维埃作家联盟,使一切团体,都可以一同加入的雄大的企图,来作纪念,这是毫不足异的。”

いわゆる「同伴者」たちの文学は、これ(プロレタリア文学)とは別の道を歩むことになった。彼らは文学から生活へ向かい、自立的な価値を持つ技術から出発した。彼らはまず第一に、革命を芸術作品の題材と見なした。彼らは明白に、あらゆる傾向性の敵であることを宣言し、この傾向がいかなるものであるかとは無関係な作家たちの自由な共和国を構想した。実は、これらの「純粋な」文学主義者たちも、ついにはあらゆる戦線で沸騰する闘争の中に引き込まれざるを得なくなり、こうして闘争に参加した。最初の十年が終わりに近づく頃、革命的な実生活から文学に向かったプロレタリア作家と、文学から革命的な実生活に向かった「同伴者」たちの二つの流れが合流し、十年の終わりに、すべての団体がともに加入できるソヴィエト作家同盟を形成するという雄大な企図をもって記念とすることは、少しも不思議ではない。」

「同伴者」文学の過去および現在の全般的な状況について、これで簡潔かつ明瞭に語られたと思う。

一九三〇年八月三十日、訳者。

关于“同路人”文学的过去,以及现在全般的状况,我想,这就说得很简括而明白了。

一九三〇年八月三十日,译者。

【八 仇敵】

【八 对头】

开了可纪念的农民集会的第二天,莱奋生就在寄给式泰信斯基的第一封信里,提议将野战病院也渐次加以整理,以减自己的危惧,且免他日过分的烦难。医生将信看了好几遍,——于是他就格外频频眼,在他的黄脸上,颚骨也见得更加崚嶒起来,大家也就不知怎地成了不愉快的阴郁的心情了。恰如从干枯的两手所拿的小小的灰色信封中,爬出了不安的莱奋生的惊愕,咻咻作响,将每一片叶,每一个人的心里所存在的平安和静谧,全都赶走了似的。

記念すべき農民集会を開いた翌日、レーヴィンソンは、シテーシンスキーに宛てた最初の手紙の中で、野戦病院も漸次整理して、自らの危惧を減じ、また後日の過分な煩雑を避けることを提議した。医者は手紙を何度も読み返し——すると彼はいっそう頻りに瞬きをし、黄色い顔の顎骨がいよいよ聳え立つように見え、皆もなぜか不愉快な陰鬱な気分になった。まるで干からびた両手が持つ小さな灰色の封筒から、レーヴィンソンの不安な驚愕が這い出して、しゅうしゅうと音を立て、一枚一枚の葉、一人一人の心に在る平安と静寂をすべて追い払ったかのようであった。

……なぜだか分からないが、晴れた天気が急に変わり、太陽と雨が交互に現れた。満州の黒楓は、他のすべてに先んじて近づく秋気を感じ取り、悲しげに歌い始めた。老いた黒い嘴の啄木鳥が異常な急ぎようで樹皮をつつき——ビガは郷愁を覚え、不機嫌になった。終日タイガの中を彷徨い、疲れても、相変わらず不満を抱えて戻ってきた。縫い物をすれば糸がもつれ、将棋を指せばいつも負ける。しかも彼には、まるで干し草で腐った池の水を吸い上げたかのような感覚があった。しかし人々はすでに散り散りになり、各々の村へ帰っていった——面白くもない兵隊の荷物を整理しながら、悲しげに微笑し、それぞれ別れた。「姉妹」は最後にもう一度包帯を点検しながら、「弟たち」と接吻して最後の別れをした。すると彼らは草鞋を苔に浸し、果てしない遠方へ、泥濘の中へと歩み去った……

……不知道为什么,晴朗的天气忽然变化,太阳和雨轮流出现。满洲的黑枫树,也比别的一切都早觉得临近的秋气,悲哀地歌唱起来了。老了的黑嘴的啄木乌,以异常的急促,啄着树皮,——毕加则感到乡愁,成了坏脾气。他终日在泰茄中彷徨,疲乏,还是照旧的不满,走了回来。来缝纫呢,线就乱下,下棋呢,总是输的。而且在他,有宛如用干草来吸了腐败的池水一般的感觉。然而人们已经分散,回到各各的村子去了——整理起没有兴头的兵丁的包裹来,悲哀地微笑着,各各分手。“姊妹”是一面还检查一回绷带,一面和“小兄弟”们接吻,作最后之别。于是他们就将草鞋浸在苔藓里,向不知边际的远方,向泥泞里走去了……

ワーリャが最後に跛の者を見送った。

「さようなら、弟よ」と彼の唇に接吻しながら、彼女は言った。「ほら、神様がお前を愛しておられるよ——こんなに良い天気を下さった!私たち哀れな者を忘れないでおくれ……」

「神様って、どこにいるんだい?」跛の者は微笑した。「神様なんていないさ……いや、いや、畜生!……」彼はいつものように愉快な冗談を付け加えようとしたが、突然、顔の筋肉がぴくりと動き、手を振って振り向き、飯盒を陰気に鳴らしながら、びっこを引きつつ小道を去って行った。

华理亚在最后送了跛子的行。

“再会,小兄弟,”吻着他的嘴唇,她说。“你看,上帝是爱你的——赐给了这样的好天气!不要忘记我们这可怜人罢……”

“上帝,那是在那里的呀?”跛子微微一笑。“上帝是没有的……不,不,见鬼!……”他想象平时一样添上愉快的笑话去,但突然,脸肉发跳,挥一挥手,回过头去,阴森森响着饭盒,一蹩一蹩从小路上走掉了。

負傷者の中に今残っているのは、フロローフとメーチクだけで、それに、いつも何の病気もないのに出て行こうとしないビガがいた。メーチクは「姉妹」に頼んで縫ってもらったシャグリーン革の上着を着て、枕とビガの寝間着で背を支え、半身を起こして担架に座っていた。頭にはもう包帯を巻いておらず、髪は伸びて暗い金色の巻き毛になり、こめかみの傷跡のせいで顔全体がいっそう誠実に、そして老けて見えた。

负伤者之中,现在剩下的,就只有弗洛罗夫和美谛克,还有虽然一向什么病痛也没有,然而不愿出去的毕加。美谛克穿了托“姊妹”缝好的沙格林皮的袄子,用枕头和毕加的睡衣垫着背脊,半坐在行榻上。他的头上已经不扎绷带,他的头发长了起来,卷成带深黄色的轮子,颞颥上的伤疤,使他全脸见得更加诚实和年老了。

「お前も良くなったのね。お前もじき行ってしまうのでしょう……」「姉妹」が淒涼と言った。

「でも僕はどこへ行くんです?」彼はぼんやりと尋ね、自分でも少し驚いた。この問いは今しがた燃え上がったばかりで、漠然とした、しかしすでに見覚えのある表象が生じた——ここでは、何の歓びも感じることができないのだ。メーチクは眉をひそめた。「行くところなんてないんです。」彼はぶっきらぼうに言った。

“你也好起来了;你也就要去的罢……”“姊妹”凄凉地说。

“但我到那里去呢?”他含糊地问,自己也有些吃了惊。这问题,是刚才烧起来的,于是生了模胡的,然而已经相识的表象——在这里,毫不能觉得什么的欢欣。美谛克皱了眉。“我是没有什么可去的地方的。”他莽撞地说。

「まあ!……」ワーリャは驚いて言った。「部隊へ行きなさい、レーヴィンソンのところへ。馬に乗れるかい?——うちの騎兵隊に来なさい……大丈夫、すぐ覚えるわ……」彼女は担架の上で彼と並んで座り、彼の手を取った。メーチクは顔を向けなかったが、小屋の上方を凝視していた。遅かれ早かれここを出なければならないという思い——今の彼にはおよそ不要に思えるこの思いが、舌の上の毒草のように苦かった。

“瞧罢!……”华理亚愕然说。“到部队去,到莱奋生那里去。你会骑马么?——到我们的骑兵队去……不要紧,一学就会的……”她和他并坐在行榻上,拿了他的手。美谛克没有转过脸去,但凝视着小屋的上面。而迟迟早早,总得走出这里去的一个思想——他现在好象用不着的这思想,就苦得恰如毒草之在舌上了。

「怖がらないで!」まるで彼の気持ちを分かっているかのように、ワーリャは言った。「こんなに綺麗で若いのに、臆病なのね……臆病者ね。」彼女は親しげに繰り返し、そっと周囲を見回してから、彼の額に接吻した。彼女の愛撫には、どこか母親の愛撫のようなものが感じられた。「シャルトゥーバのところではああだったけど、うちのところでは大丈夫よ……」彼女は言いかけて、突然彼の耳に口を寄せて言った。「あちらは田舎者ばかりだけど、うちのほうは大抵は鉱夫たちよ——いい連中よ——お前ともすぐ仲良くなるわ……度々私のところに来なさいね……」

「でもムロシカは——何て言うでしょう?」

“不要怕那!”仿佛她也明白他似的,华理亚说。“这么漂亮,年青,却胆小……你胆子小呵。”她亲爱地重复说,并且悄悄地环顾了周围,在他额上接吻了。在她的爱抚中,觉得总有些似乎母亲的爱抚。“在夏勒图巴那里,虽然那样子,但我们这里却不要紧……”她没有说完话,忽然附着他的耳朵,说道:“在那边的,都是乡下人,但我们这边,大概是矿工呵——好家伙——和你们马上会要好的……你常常到我这里来罢……”

「じゃあ、写真の中のあの人は何て言うかしら?」彼女は笑いながら答え、同時にメーチクから身を離した——フロローフが首を回したからだ。

「……あの人のことを思い出すことさえ、とっくに忘れてしまいました……写真は破り捨てました。」彼はそう言ってから、慌てて付け加えた。「あの時、紙切れを見ませんでしたか?……あれがそれです。」

“但木罗式加,——他会怎么说呢?”

“那么,照片上的那人,会怎么说呢?”她笑着回答,同时将身子离开美谛克,——因为弗洛罗夫转过头来了。

“……我是连想到她的事也早已忘掉了……我将照片撕碎了。”他说了之后,又慌忙加上去道:“那一回没有看见纸片么?……那就是的。”

「それなら、ムロシカのことはなおさら何でもないわ——きっともう慣れているのよ。自分だってうろつき回っているんだから……心配することなんかないわ——大事なのは度々私のところに来ること。誰にも先を越されないで……突っ込んで行って。うちの若い衆を怖がらないで、一見すると凶暴そうに見えるだけよ——指を口に入れたら噛み切りそうだけど。でもそこまでひどくはないのよ——見かけだけ。お前のほうから先に歯を剥いて見せればいいのよ……」

“那么,木罗式加就更没有什么了——他一定是已经惯了的。他自己也在游荡……你用不着担什么心的——要紧的是常常来看我。不要给什么人赶上前……冲上去。不要怕我们那些小子们,那只是看看好象凶狠,——将手指放进嘴里去,便会咬断的一般。但并不坏到这样——不过样子罢了。你只要自己先露出牙齿来……”

「あなたも歯を剥いて見せるんですか?」

「私は女よ、おそらくそんな必要はないわ——おそらく愛で制するの。でもお前たち男には、そうしなくちゃ駄目なの……ただ、お前にはできないかもしれないわね。」彼女は物思いに沈んで付け加えた。そしてまた彼の方に身をかがめ、囁いた。「もしかしたら、私があなたを愛するのは、そのせいかもしれない……でもそれは分からないわ……」

“你就也露出牙齿来的么?”

“我是女人,我恐怕全用不着这样的——我恐怕就用爱来制胜。不过在你们男子汉,不这样可不行……只是怕你做不到。”她沉思地加添说。于是又弯身向他,低语道:“也许,我的爱你,就为此……这我可不知道了……”

「本当に、僕は少しも勇敢じゃない」と、後になってメーチクは両手を頭の後ろに組み、動かない目で空を見ながら考えた。「でも本当にできないのだろうか?やってみなければ、もし他の人にはできるのなら……」彼の思考の中には、もはや悲哀も淒涼な孤独の感覚もなかった。彼はすでに傍らから事物を見ることができ、別の目で事物を見ることができるようになっていた。それは、彼の病に一つの転機が訪れ、傷の治りが早まり、身体も壮健になったためであった。(しかしこれはおそらく土地のおかげでもあった——なぜなら土はアルコールと蟻の匂いを発していたから——あるいはおそらくワーリャのおかげでもあった——なぜなら彼女には柔和な煙色の目があり、いつも善良な愛の心で話し——しかも彼女を信じたいという気持ちがあったから。)

“这是真的,我一点也不勇敢,”到了后来,美谛克将两手托在头后面,用不动的眼睛看着天空,想。“但我就真的做不到么?总得来做一做才是,如果别人是做得到的……”他的思想里,这时已经没有悲哀,或凄凉孤独的感觉了。他已经能够从旁来看事物,用别种眼光来看事物了。这的来由,是因为他的病有了一种转变,伤是好得快了,身体也茁壮,健康起来了的缘故。(但这也许是由于地土,——因为土是在发酒精和马蚁气味的,——或者也许是由于华理亚,——因为她有柔和的,烟色的眼睛,又总是用了善良的爱之心来说话——而且极愿意信任她的。)

「……本当に、何を悲観する必要があるんだ?」メーチクは考え、その時、悲観するいかなる理由もないように思えた。「今すぐしっかり立ち上がるべきだ。誰にも遅れを取るな……誰にも追いつけないのでは駄目だ……彼女の言葉はまったく正しい。ここには別種の人々がいる。だから僕も変わらなければ……変わろう。」彼はワーリャに対して、彼女の言葉に対して、彼女の善良な愛の心に対して、ほとんど息子のような感謝を覚えながら、かつてない決意をもって考えた。「……こうすれば、すべてが新しく変わっていくだろう……町に帰る時には、誰もが見違えるだろう——僕はまったく別の人間になっているのだ……」

彼の思考は、遠く脇へ——未来の明るい日々へと曲がっていった。だからそれらも軽やかに、あたかもタイガの空き地に見える柔らかな薔薇色の雲のように、自然と薄れていった。彼は想像した——窓の大きく開いた柔らかな客車の中で揺れながら、ワーリャと二人で町へ帰る。窓の外には、遠ざかるにつれて淡くなる山々と、同じ柔らかな薔薇色の雲が空に浮かんでいる。そして二人は窓際に寄り添って座り——ワーリャが彼に優しい言葉をかけ、彼は彼女の髪を撫でる——その巻き毛は金色に燦然と輝き、白昼のようだろう……ワーリャは彼の幻想の中では、炭鉱一号の背の曲がった揚水女工には少しも似ていなかった——なぜならメーチクが想像したのは、現実にあるものではなく、ただ彼がそうであってほしいと願うものだったからだ。

“……实在,我有什么悲观的必要呢?”美谛克想,这时候,他就觉得好象并无悲观的什么原因了。“应该现在就好好地站起来:不要赶不上谁……对谁都赶不上,是不行的……她的话一些不错。在这里是别样的人们:所以,我也应该变过……我来改罢。”他对于华理亚,对于她的话,对于她的善良的爱之心,几乎觉得是儿子一般的感谢,一面用了未曾有的决心,想。“……这么一来,一切便会从新改变下去的罢……待到我回到镇上去的时候,谁都将另眼相看的罢——我是一个全然别样的人了……”

……数日後、部隊からまた第二の手紙が届いた——届けに来たのはムロシカだった。彼は大騒ぎをし、疾風のように森から飛び出し、大声で叫びながら、馬を後ろ脚で立たせ、聞き取れない言葉を言った。こんなに騒いだのは、精力が有り余っていたからであり、さらに——ただのふざけであった。

「何をするんだ、この悪鬼め」と、驚いたビガが歌うような叱責の声で言った。「ここには死にかけている人がいるんだ」と彼はフロローフの方に首を傾け、「お前は叫んで……」

「おやおや……セラフィーム親爺さん!」ムロシカは彼にお辞儀をした。「御挨拶を!……」

他的思想,远远地弯向旁边——未来的光明的日子去了。所以那些也就轻淡地,仿佛在泰茄的空地上所见的柔软的蔷薇色云一般,自行消褪。他想,——在窗户洞开的柔软的客车中摇幌着,和华理亚两个人回市镇去,窗外面,是渐远渐淡的群峰和那一样的柔软的蔷薇色云,浮漾空中的罢。而他们两人,是紧偎着坐在窗际——华理亚说给他温言,他抚摩着她的头发——而她的绻发,则金光灿烂,将如白昼似的……华理亚在他的幻想里,也毫不象煤矿第一号的曲背的抽水女工了,——因为美谛克所想象,是并非现实所有,而只是他所但愿如此的。

「俺はお前の親爺じゃないし、そもそも俺の名はフョードルだ……」ビガは苛立った——最近彼はしきりに怒る——その時には彼は滑稽で哀れな人間に見えた。

「何の関係があるもんかね、フョードシャ、そんなに怒るなよ、怒ると禿げるぞ……おや、奥様に御挨拶!」ムロシカは帽子を脱いでビガの頭に被せ、ワーリャにお辞儀をした。「いいぞ、フョードシャ、帽子がよく似合うぜ。でもズボンはもう少し上げた方がいいな、でなきゃ、引きずって案山子みたいだ——まるでインテリらしくないぞ!」

……过了几天,从部队又送到了第二封信——送信来的是木罗式加。他捣了一场大乱子,疾风似的从林中冲出,大声嚷着,使马用后脚站起,说些辨别不清的话。他这么闹,就为了精力的过多,并且——不过为了开玩笑。

「何だ——すぐに釣竿を巻き上げなきゃならんのか?」封筒を開けながら、シテーシンスキーが聞いた。「待て、しばらくしたら幕屋に来て返事を受け取ってくれ。」彼は肩越しに覗き込んで首が折れそうなハルチェンコから手紙を隠しながら言った。

“你干什么呀,你这恶鬼,”受惊的毕加,用了唱歌似的叱责声,说。“这里是有一个人要死了,”他将头歪向弗洛罗夫那面,“你却在嚷嚷……”

ワーリャは夫との面会に際し、この時はじめて奇妙な関係の不体裁さを感じ、前掛けをいじりながら、ムロシカの前に立っていた。

“阿呀,阿呀……绥拉菲谟爹爹!”木罗式加向他作礼。“给你致敬!……”

“我并不是你的老子,况且我的名字,是菲菲陀尔呀……”毕加恼怒了,——他近几时常常发怒,——那时候,他就见得是一个可笑的,可怜的人了。

「どうして長いこと来なかったの?」最後に、作り物めいた落ち着きで、彼女は���いた。

“那有什么相干呢,菲陀舍,不要那么生气罢,那么生气,头要秃的呵……阿呀,给太太请安!”木罗式加除下帽子,套在毕加的头上,向华理亚鞠躬。“真好,菲陀舍,帽子和你很合式。不过你裤子再拉高一点罢,要不然,拖了下来简直象吓鸦草人一样——很不象智识阶级哩!”

「さぞ長く待ったことだろう?」彼は彼女の不可解な他人行儀を感じ取り、嘲笑するように問い返した。「いや、大丈夫、今回は喜んでもらえるぞ——森へ行こう……」彼は一瞬黙り、皮肉を込めて付け加えた。「苦労しに……」

“什么——我们非立刻卷起钓竿来不可么?”拆着信封,式泰信斯基问。“停一会,到营屋里来取回信罢。”他对于从他肩上,望得颈子快要拔断了的哈尔兼珂,遮掩着书信,一面说。

「あなたのことときたら、いつもそれだけなんだから」と、彼女は彼を見ずに、メーチクのことを考えながら、無造作に答えた。

华理亚在和丈夫的会见中,这时才觉到了奇妙的关系的不象样子,弄着围身布,站在木罗式加的面前。

「じゃあ、お前は?……」ムロシカは鞭をいじりながら、待っているようだった。

“为什么长久不来的?”最后,用了好象做作出来的镇定,她问。

“你一定在等得太久了罢?”他觉到了她那不可解的客套,嘲笑地回问道。“不,不要紧,这回可要高兴了——到林子里去罢……”他沉默了一息,讥讽地加添道:“去吃苦……”

「初めてじゃないでしょう。他人じゃないんだから……」

“你的事,就只有那一件的,”她不看他,想着美谛克,不在意地

回答。

“那么,你呢?……”木罗式加弄着鞭子,象在等候。

“我并不是头一回了。我们并不是外人……”

「じゃあ、行くか?……」彼は目を離さずに言った。

“那么,我们去么?……”他注视不移地说。

她解下围身布,将卷发披在肩上,用那不稳当的不自然的脚步,从小路上走掉了——并且竭力不向美谛克这面看。她知道他在用了可怜的惶惑的眼光相送,而且即使到了后来,也不会了解她是只在尽无聊的义务的。

彼女は前掛けを外し、巻き毛を肩にかけ、不安定で不自然な足取りで小道を去って行った——そして懸命にメーチクの方を見ないようにした。彼が哀れな惶惑の目で見送っていることは分かっていたし、後になっても、彼女がただ退屈な義務を果たしているに過ぎないことを理解しないだろうことも分かっていた。

她在等候木罗式加从背后来抱住她。然而他并不走近。他们保着一定的距离,这样默默地走了许多时。她到底忍不住了,站了下来,怀着惊愕和期待向他看。他走近来了,但是并没有来拥抱。

彼女はムロシカが後ろから抱き寄せるのを待っていた。しかし彼は近づいてこなかった。二人は一定の距離を保ち、長い間こうして黙って歩いた。彼女はついに堪えかねて立ち止まり、驚愕と期待を込めて彼を見た。彼は近づいてきたが、抱擁はしなかった。

“在玩什么把戏呀,姑娘……”他忽然用了沙声,一字一字地说。“你已经入了迷了呢,还是怎样?”

“在说什么呀——审问么?”她抬起头来,凝视着他——反抗底地,而且大声地。

「何の小芝居をしてるんだ、お嬢さん……」彼は突然嗄れた声で、一語一語区切って言った。「もう夢中になったのか、それともどうした?」

木罗式加是早就知道她正如处女时代的行为一样,当他外出的时候,也在轻浮的。他从那结婚生活的第一天,喝得烂醉了的他,早晨从地板上的人堆里醒来,看见他那“年青的”“合法底的”妻,和煤矿第四号的选矿手的红毛的该拉希谟抱着睡觉的时候起,便知道这事的了。然而——在后来的生活中,也和那时候一样——他对于这事,却完全取着冷淡的态度。其实,他是从来没有尝过一回真的家庭生活,他本身也决不觉得自己是结了婚的人的。但美谛克那样的汉子,能做他妻子的情人,在他却以为是非常的侮辱。

「何を言ってるの——尋問かしら?」彼女は顔を上げ、彼を凝視した——反抗的に、そして大声で。

ムロシカは、彼女が処女時代の行状と変わらず、彼の外出中も軽はずみであることをとっくに知っていた。結婚生活の初日から、泥酔して床の上の人の山から目覚め、彼の「若い」「合法的な」妻が炭鉱四号の選鉱手の赤毛のゲラシムと抱き合って眠っているのを見た時から、このことを知っていた。しかし——その後の生活においても、あの時と同じく——彼はこの件に対してまったく冷淡な態度を取っていた。実のところ、彼は一度も本当の家庭生活を味わったことがなく、自分を既婚者だと感じたこともなかった。しかし、メーチクのような男が妻の情夫になるのは、彼にとっては甚だしい侮辱であった。

“究竟迷了谁呢,这倒愿意知道知道的呵?”他注视了她的眼光,用随便的平静的嘲笑,格外客气地问,——因为他不愿意露出自己的忿恨来。“恐怕是那个小花娘的儿子罢?”

「一体誰に惚れたんだ、それを知りたいもんだね?」彼は彼女の目を見つめ、何気ない平静な嘲笑で、格別丁寧に聞いた——なぜなら自分の憤怒を見せたくなかったから。「あの小間物屋の息子だろう?」

“是那个小花娘的儿子便怎样……”

“对了,小子倒不坏——有点儿漂亮,”木罗式加补足说。“有味的罢。应该给小子缝一块手帕,好擦擦小鼻子。”

「小間物屋の息子だったらどうだって言うのよ……」

“倘若要用,会给缝,会给擦的……我给他擦呵!懂了没有?”她紧对着脸,兴奋了,便很快地说:“可是你到底是狠什么呀?你发狠,那就怎样呢?三年里面弄不出一个孩子来——只有嘴巴会说得响亮……不中用的东西……”

「そうだ、あの小僧はまあ悪くないな——ちょっと綺麗だ」とムロシカは付け足した。「おいしいだろうな。あの小僧にハンカチでも縫ってやったらどうだ、小さい鼻を拭いてやるのに。」

“姘的汉子有一个分队了,叫我怎么来和你生孩子——恐怕连赶忙张开腿来也来不及罢……不要对我这么发吼了!”他怒喝着。“要不然……”

“要不然,又怎样?……”她挑衅似的说。“莫非要打么?……来试试罢,我倒要看看你……”

「必要なら縫ってあげるわ、拭いてあげるわ……拭いてあげるわよ!分かった?」彼女は面と向かい、興奮して早口に言った。「だけど一体何を怒ってるのよ?怒ったところでどうなるの?三年間子供一人作れないくせに——口だけは達者なのね……役立たず……」

他举起鞭子,愕然地,好象受了意外的思想的启示,但随即又将手垂下了。

“不,我不打你……”他含胡地,遗憾地说,似乎还在疑惑,是否真不妨来打她。“打也不要紧,但我可不愿意打娘儿们。”他的声音里,含着她所未尝听过的调子了。“那,还是一同过活去罢,走你自己的路。会做太太也说不定的。……”他骤然回转身,向小屋那面走去了——一面走,一面用鞭子敲落着草的花。

「浮気相手が一個分隊もいるんだ、どうやって子供を作れるんだ——急いで股を開くのさえ間に合わないだろう……俺に向かってそう吠えるな!」彼は怒鳴った。「さもないと……」

「さもないと、どうするの?……」彼女は挑発的に言った。「まさか殴るんじゃないでしょうね?……やってみなさいよ、どうなるか見てやるわ……」

“喂,等一等!……”她忽然充满了少有的同情,叫了起来。“凡涅!……”

“我是不要公子哥儿的吃剩东西的。”他激烈地说。“将我的给他去用就是了……”

她踌躇了——在他后面追上去了呢,还怎样——没有追上去。她等着,直到他转了弯,不见了——于是舐着干燥的嘴唇,缓缓地在后面走。

彼は鞭を振り上げ、驚いたように、予想外の考えに打たれたかのようだったが、すぐにまた手を下ろした。

第17節

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一看见从密林里回来得有这么快的木罗式加,(传令使是大摆着两手,沉重地,愤怒地,动着身子走了去了,)美谛克便——凭着似乎毫无什么实据,然而绝不容一点疑问的那意识下的确信——知道木罗式加和华理亚之间的“没有事”,而那原因,则是——他,美谛克了。一种不安宁的高兴和说不出的犯罪感,在他里面无端蠢动起来。于是一遇到木罗式加的毁灭一切似的眼光,就开始觉得有些可怕了。

密林からこんなに早く戻ってきたムロシカを見て(伝令は大きく両手を振り、重く、怒りに満ちて身体を動かしながら去って行った)、メーチクは——いかなる確たる証拠もないが、一片の疑いも挟まぬ意識下の確信によって——ムロシカとワーリャの間には「何もなかった」こと、そしてその原因が彼、メーチクであることを知った。落ち着かない喜びと言いようのない罪悪感が、理由もなく彼の中でうごめき始めた。そしてムロシカの一切を滅ぼすような眼光に出会うと、何やら恐ろしくなり始めた。

行榻的近旁,木罗式加的粗毛的马在吃草,索索有声;看去好象传令使在弄马,而实际上,却由一个暗的刚愎的力,将他引到美谛克这里来了。然而充满着受了创伤的自负和侮蔑的木罗式加,是连对自己也隐瞒着这事的。他每一步,美谛克的犯罪感便生长起来,高兴消了下去。他用胆怯的,退缩的眼,看定了木罗式加,不能将眼从那里离开。传令使抓起了马缰。马用鼻子推开他,恰如故意似的,推得和美谛克对面了。于是美谛克突然受了因为愤怒而沉重,昏浊的冷的眼光,几乎不能喘气。这短促的瞬间,他觉得自己是大受压迫,非常肮脏,至于动着嘴唇,开始要说了,却并没有话——他没有话说。

担架のそばで、ムロシカの粗毛の馬が草を食み、ざわざわと音を立てていた。伝令は馬の世話をしているように見えたが、実際には暗い強情な力が彼をメーチクのところへ引き寄せていた。しかし傷つけられた自尊心と軽蔑に満ちたムロシカは、自分自身に対してさえこのことを隠していた。彼が一歩近づくごとに、メーチクの罪悪感は募り、喜びは消えていった。彼は臆病な、退縮する目でムロシカを見つめ、目を離すことができなかった。伝令は馬の手綱を掴んだ。馬は鼻で彼を押し退け、まるでわざとのように、メーチクと正面で向き合わせた。するとメーチクは突然、怒りのために重く、濁った冷たい眼光を受け、ほとんど息ができなくなった。この短い瞬間、彼は自分がひどく圧迫され、非常に汚れていると感じ、唇を動かして何か言おうとしたが、言葉がなかった——彼には言うべき言葉がなかった。

“你们坐在后方的这里呀,这色鬼们,”不愿意来听美谛克的无声的说明,木罗式加只照了自己的模胡的思想,带着愤慨,说。“穿上了什么沙格林皮的袄子哩……”他觉得他的愤怒,美谛克也许以为是因嫉妒而来的,那就是一件憾事。但他自己却也没有意识到真的缘故,只是滔滔地,不干净地骂了出来。

「後方のここに座ってやがるのか、この色魔ども」メーチクの無声の弁明を聞こうとせず��ムロシカはただ自分の漠然とした考えに沿って、憤慨して言った。「シャグリーン革の上着なんぞ着やがって……」彼は自分の怒りをメーチクが嫉妬によるものと思うかもしれないと感じ、それが残念であった。しかし彼自身も本当の原因を意識しておらず、ただ滔々と汚い罵声を吐いた。

“骂什么呀?”美谛克满脸通红,回问道。自从木罗式加破口骂詈之后,不知什么缘故,他倒觉得轻松一些了。“我是腿给砍坏了的,并不是在战线后面……”他显着带怒的颤抖和热烈,说。这瞬间,他就自己觉得仿佛两腿真被砍伤,而穿沙格林的袄子者,大概不是他,倒是木罗式加似的了。“便是我们,也知道在战线上的人们里,有怎样的人的。”于是他更加脸红,添上去道:“便是,我也要对你说,倘使我没有受过你的帮助……不幸的是……”

「何を罵っているんだ?」メーチクは顔を真っ赤にして問い返した。ムロシカが口汚く罵り出してからは、なぜか幾分気が楽になった。「僕は脚を斬られたんだ、後方にいたんじゃない……」彼は怒りの震えと熱意を見せて言った。この瞬間、彼は自分の両脚が本当に斬られたかのように、またシャグリーン革の上着を着ているのは自分ではなくムロシカのように感じた。「僕だって、前線の人々の中にどんな人間がいるか知っている。」そして彼はさらに赤くなり、付け加えた。「それに、言わせてもらうが、もし君の助けを受けていなければ……不幸にも……」

“嗳哈……恼了么?”木罗式加象先前一样,不听他的话,也不想了解他的义气,几乎要跳起来,叫喊道。“忘了我将你从火里救了出来了么?……我们是将你似的家伙带在自己的头上走着的呀!……”他大声嚷,——恰如每天将负伤者象栗子一般,在“从火里”带出来那样。“我们的头上呀!……你们是坐在我们的那里的,要好好地记住!……”他说着,还用了无限的粗野,拍着自己的后项。

「おーほー……怒ったのか?」ムロシカは前と同じく彼の話を聞かず、彼の義理も理解しようとせず、ほとんど飛び上がらんばかりに叫んだ。「俺がお前を火の中から救い出したのを忘れたか?……俺たちはお前みたいな奴を頭の上に載せて歩いているんだぞ!……」彼は大声で喚いた——まるで毎日、負傷者を栗のように「火の中から」運び出しているかのように。「俺たちの頭の上に!……お前たちは俺たちのそこに座っているんだ、よく覚えておけ!……」彼はそう言いながら、限りない粗暴さで自分の後頭部を叩いた。

式泰信斯基和哈尔兼珂从小屋里跳出来了。弗洛罗夫带着病底的惊愕,转过了脸来。

“你们为什么在嚷嚷的?”用了令人惊怕的速度,着一只眼,式泰信斯基问道。

シテーシンスキーとハルチェンコが小屋から飛び出してきた。フロローフは病的な驚愕の表情で顔を向けた。

“我的良心在那里么?”木罗式加回答着美谛克所问的良心在那里的话,叫喊说。“我的良心,藏在裤裆里呀!……这里是我的良心——这里,这里!”他暴怒得说不出话来,装着猥亵的姿势。

从泰茄中,从不同的两侧,“姊妹”和毕加都高声叫着,跑了过来。木罗式加只一跳便上了马,仍如他在非常愤激之际的举动一样,用力加上一鞭去。米式加便用后脚一站,仿佛受了火伤似的,跳向旁边了。

「何を叫んでいるんだ?」恐ろしいほどの速さで片目をつぶりながら、シテーシンスキーが聞いた。

“等一等。拿了信去!……木罗式加!……”式泰信斯基惶惑着,叫道。但木罗式加已经不在了,只从喧嚣的森林里,传来了渐渐远去的疯狂的蹄声。

【二 开始】

木罗式加遇见了美谛克,自己也以为奇的,是先前的怨恨和愤怒,都不再觉得了。所剩下的,只是这样的有害的人,何以又在路上出现的这一种疑心,以及他木罗式加,对他应该愤慨的一种无意识底的确信。但是这邂逅,也还是将他打动,使他要将这事即刻和谁去谈谈。

「俺の良心はどこにあるかだと?」���ロシカはメーチクの良心はどこにあるかという問いに答えて叫んだ。「俺の良心は股間に隠してあるんだ!……ここが俺の良心だ——ここだ、ここだ!」彼は怒りのあまり言葉を失い、猥褻な姿勢をとった。

“刚才在横街上走,”他对图皤夫说。“刚要转弯,跑到我的鼻子尖前来了,——那个夏勒图巴的小伙子呵,我带来的,那个,记得么?”

“这怎样?”

“不,没有什么了不得的事……他问说‘到本部去,该怎么走呢?……’‘到后边的——我说——第二个后院,往右……’”

“那又怎么了呢?”图皤夫在这里面毫不能发见奇特之处,以为还有后文,便试探地问。

タイガの中から、別々の方角から、「姉妹」とビガが大声で叫びながら走ってきた。ムロシカはひと跳びで馬に乗り、彼が激昂した時にいつもするように、力いっぱい鞭を打った。ミーシカは後ろ脚で立ち上がり、まるで火傷したかのように横に飛んだ。

“不,遇见了就是了!……这还不够么?”木罗式加含着不可解的愤怒,回答说。

他忽然凄凉起来,不再愿意和人们说话。原想到晚上的集会里去的,但却钻进了干草小屋子,然而不能睡。不愉快的回忆,成了沉重的担子,向他上面压来。在他,仿佛觉得美谛克是为了要使他从一种正当的方向脱出,所以特地在路上出现似的。

第二日,他好容易,才按住那再遇见美谛克的希望,什么地方也静不下:彷徨了一整天。

「待て。手紙を持って行け!……ムロシカ!……」シテーシンスキーが慌てて叫んだ。しかしムロシカはもういなかった。ただ喧騒の森の中から、遠ざかっていく狂った蹄の音が聞こえるだけだった。

“我们为什么连事情也没有,却老坐在这里的?”他怅恨地,去对小队长说。“要为了无聊,烂掉的呵……他究竟在那里想些甚么呀,我们的莱奋生?……”

“就在想要怎么办,才能使木罗式加开心呵。说是因为只是坐着想,所有的裤子都破完了。”

图皤夫竟并不体察复杂的木罗式加的心情。得不到帮助的木罗式加,便在不祥的忧郁中跑来跑去,知道他倘不能有强烈的工作来散一散闷,那可就要浸在酒里了。他从有生以来,这才第一次和自己的欲望战斗。然而他的力量是孱弱的,但有一偶然的事故,将他从没落里救出了。

【二 開始】

钻在偏僻处所的莱奋生,和别的部队的联络几乎统统失掉了。有时能够到手的报告,描给他看的是瓦解和苦痛的腐蚀这两种可怕的图像。死的铁靴,毫无慈悲地蹂躏着马蚁群,而疯狂了的马蚁,则或者因为绝望,即投身靴下,或者成了混乱的群,逃向不能知的彼方,徒为自己本身的酸所腐蚀。不安的乌拉辛斯克的风,是送来了烟一般的血腥。

メーチクに出会ったムロシカは、自分でも不思議に思ったことに、以前の怨恨も怒りもすでに感じなかった。残っているのは、このような有害な人間がなぜまた途中に現れたのかという疑念と、彼ムロシカがメーチクに対して憤慨すべきだという無意識的な確信だけであった。しかしこの邂逅はやはり彼を打ち、すぐにでも誰かにこのことを話したくさせた。

莱奋生沿着多年绝了人迹的无人知道的泰茄的小径,和铁路作了连络。他又得到报告,知道载着枪械和衣服的军用货车就要到来。铁路工人约定了来详细通知日子和时刻。莱奋生知道,部队是迟迟早早,总要被发见的,而没有弹药和防寒衣,要在泰茄里过冬,是不可能的,于是决定了实行最初的袭击。刚卡连珂赶紧放好急性佬[48]。浓雾之夜,悄悄地绕出了敌阵,图皤夫的小队突然在铁路线边出现了。

「さっき横町を歩いていたんだ」と彼はトゥポフに言った。「角を曲がろうとしたら、俺の鼻先に飛び出してきたのさ——あのシャルトゥーバの若者だよ、俺が連れてきた、あいつ、覚えているか?」

……刚卡连珂将接着邮件车的货车截断,客车并无损坏。在爆发的声响中,在炸药的烟气中,破坏了的铁轨跳上空中,于是抖着落在斜坡下面了。急性佬的闩子上系着的一条绳,缠住了电线,挂着,后来使许多人绞尽了脑浆,想知道谁为了什么和什么缘故,将这东西挂在这地方。

当骑兵斥候在四近侦察之间,图皤夫带了满满地载着物件的马匹,藏在斯伐庚的森林的田庄里,一到夜,就逃出叫作“面颊”的山谷去了。几天之后,到了希比希,一个人也不缺。

「それがどうした?」

“喂,巴克拉诺夫,可就要动手哩……”莱奋生说。但在他的起伏的视线里,却辨不出他是在开玩笑呢,还是在说真话来。就在这一天,他只留下些可以带走的马,将外套,弹药,长刀,硬面包,都分给各人,仅剩了驮马能够运送的这一点。

到乌苏里的乌拉辛斯克山溪,已经都被敌军占领。新的兵力集中于伊罗罕札河口,日本军的斥候在各处侦察,常常和莱奋生的巡察冲突起来。到八月底,日本军开始前进了。他们从这田庄进向那田庄,一步一步都安排稳妥,侧面布置着绵密的警备,伴着长久的停止,慢慢地进行。在他们的动作的铁一般固执之中,虽然慢,却可以感到有自信的,有计算的,然而同时是盲目底的力量。

「いや、大したことじゃないが……あいつが訊くんだ、『本部へ行くには、どう行けばいいですか?……』『裏の——と俺は言った——二番目の裏庭を右に……』」

莱奋生的斥候显着杀伐的眼回来了,但他们的报告,是互相矛盾的。

“这究竟是怎么的!”莱奋生冷冷地回问。“昨天说他们是在梭罗孟那耶的,今朝却在摩那庚了,——那么,他们是在后退么?……”

「それで、どうなんだ?」トゥポフはそこに何の奇異も見出せず、続きがあるのかと思い、探るように聞いた。

“那我我不知道,”斥候呐呐地说。“也许前哨在梭罗孟那耶罢……”

“那么,在摩那庚的,不是前哨,却是本队,你怎么知道的呢?”

“农人们说的……”

“又是农人们!……人怎样命令你的呀?”

斥候于是捏造了些胡说八道的事情,说明他何以不能深入。但其实,他是给女人们的饶舌吓住了,离敌十威尔斯忒,就坐在丛莽里,吸着烟卷,在等候可以回去了的时候。“你自己拱出一回鼻子去罢。”——他一面着眼,用鬼鬼祟祟的农夫眼色,斜瞥着莱奋生,一面想。

「いや、出会っただけだ!……それだけじゃ足りないか?」ムロシカは不可解な怒りを含んで答えた。

“你应该自己去走一趟了,”莱奋生对巴克拉诺夫说。“否则,在这里我们会给人家扑杀,象苍蝇一般。这些家伙是没法可想的。你带了谁,在太阳未出之前就动身罢。”

“带谁去呢?”巴克拉诺夫问。他内心虽然汹涌着剧烈的战斗底的欢欣,但硬装着认真的深思远虑模样,他也如莱奋生一样,是以为必须将自己的真感情遮掩起来的。

彼は突然淒涼になり、もう人と話したくなくなった。夜の集会に行こうと思ったが、干し草の小屋に潜り込んだ。しかし眠れなかった。不愉快な回想が重い荷物となって彼の上にのしかかってきた。まるでメーチクが、彼を正しい方向から逸脱させるために、わざわざ途中に現れたかのように感じられた。

“你自己挑选罢……那个苦勃拉克那里的新来的也可以——是叫作美谛克的罢?又可以顺便看看那是怎样的青年。人们说他好象不行,但是他们弄错的也说不定……”

做斥候去是美谛克的无上的机会。他在部队中的短短的生活之间,已经存贮了非常之多的尚未成就的工作,不会完结的约束,和未曾实现的希望,而于那每一事,则连本可成就的事,也至于失掉那价值和意义了。而且综合起来,这些责任和懒惰,压在他身上,是沉重而且苦痛,使他不能从这被囚的,无意思的狭窄的环境中逃出,现在他觉得,仿佛仗这勇敢的一击,便可以冲破了。

翌日、彼はメーチクにまた出会いたいという望みをどうにか押さえ込んだが、どこにいても落ち着けず、一日中彷徨った。

他们在未明之前出发。泰茄的尖顶上,已经闪着微红,山脚下的村中,送来了第二遍的公鸡叫。四周是寒冷,昏暗,还有些阴森。这境遇的异常,危险的豫感,成功的希望,——凡这些,在两人里面,激起了一种战斗底的心情;各种另外的情感,全不重要了。在身体中——是血液生波,筋肉见韧,而空气则冰冷地,竟至于显得好象在钻刺,在发声。

「俺たちはなぜ何もすることがないのに、ここにじっと座っているんだ?」彼は悵然として小隊長に言った。「退屈で腐ってしまう……あいつは一体何を考えているんだ、俺たちのレーヴィンソンは?……」

“阿呀,你的马,满生着疥癣哩。”巴克拉诺夫说。“没有照管么?那是不行的……一定是苦勃拉克模模胡胡,没有教给你怎么理值罢?”一个知道如何养马的人,会毫无良心,一直弄到这模样,巴克拉诺夫是连梦里也想不到的。“没有教罢,唔?”

“我怎么说呢?……”美谛克窘急起来:“就全般说,他是不很肯照应的。可是听谁好呢,也不知道。”他愧对自己的谎话,在鞍桥上缩着身子,一瞥巴克拉诺夫。

「ムロシカを楽しませるにはどうすればいいか、それをちょうど考えているところさ。座って考えているだけで、ズボンが全部破れちまったって言ってた��。」

“谁都可以,你只要好好地问就是了。在那里明白这等事情的人很多。他们里面尽有着好小子……”

美谛克也几乎翻掉了据为己有的企什的意见,巴克拉诺夫有些中他的意了。他胖得圆圆的,缀住了似的坐在鞍上。他的眼褐色而锐敏,将一切事物,在动荡中抓住,而在这瞬息间也已经将要点从不关紧要的事物中析出,发出实践底的结论来:

トゥポフはムロシカの複雑な心情をまったく察しなかった。助けを得られないムロシカは、不吉な憂鬱の中を走り回り、激しい仕事で気を紛らわせなければ、酒に浸ることになると分かっていた。生まれてこのかた、初めて自分の欲望と戦ったのだ。しかし彼の力は弱かったが、ある偶然の出来事が彼を没落から救い出した。

“喂,朋友,我先前就在看你的鞍子为什么宽滑了的!你将后面的肚带收得很紧,前面的却拖着。不反一反,是不行的。好,给你来系过罢……”

美谛克还没有明白是怎么一回事,巴克拉诺夫已经跳下马,在鞍子那里动手收拾了。

“那……你的鞍鞯也打着皱哩……下来罢,下来罢——要把马糟蹋了。给你从头弄好罢。”

数威尔斯忒之后,美谛克就确信起来,巴克拉诺夫比他良好而且能干得远,不但这一点,巴克拉诺夫也是非常强壮而且勇敢的人,因此他美谛克应该服从他,毫无贰话。巴克拉诺夫这一面,则不挟一些先入之见,以接近美谛克去,虽然接着也觉得自己的优越,但还是竭力要凭着没有羼杂的观察,来定他的真价值,一面看作同等的脚色,和他去谈天:

辺鄙な場所に潜むレーヴィンソンは、他の部隊との連絡をほとんどすべて失っていた。時折手に入る報告が彼に示すのは、瓦解と苦痛の腐蝕という二つの恐ろしい図柄であった。死の鉄靴が容赦なく蟻の群れを蹂躙し、狂った蟻たちは絶望のあまり靴の下に身を投じるか、混乱した群れとなって知れぬ彼方へ逃げ、ただ自身の酸に腐蝕されるのであった。不安なウラジンスクの風は、煙のような血の匂いを運んできた。

“谁绍介你来的呢?”

“原没有谁,是自己跑来的,虽然给我证明书的,是急进派……”

レーヴィンソンは、長年人跡の絶えた、誰も知らないタイガの小径を通って鉄道と連絡をつけた。彼はまた報告を得て、銃器と衣服を積んだ軍用貨車がまもなく到着することを知った。鉄道労働者が日時を詳しく知らせる約束をした。レーヴィンソンは、部隊が遅かれ早かれ発見されること、弾薬も防寒着もなしにタイガで越冬するのは不可能であることを知っており、最初の襲撃を決行することを決意した。ガンカレンコが急いで急性子を据えた。濃霧の夜、密かに敵陣を迂回し、トゥポフの小隊が突然鉄道線路の脇に出現した。

美谛克记起了式泰信斯基的奇特的举动,就想将保送他的团体的意义,设法弄得含糊些。

“急进派?……你不该和他们往来的——和这些臭小子……”

“但我是不管这些的……只因为有两三个高中学校的同学在那里,我就也……”

“你在高中学校卒了业么?”巴克拉诺夫截住话。

“唔?是的,卒了业的……”

“那很好。我也进过职业学校。学旋盘工。但没有卒业,因为上学太晚了。”恰如分辩似的,他说。“后来我在造船厂做工,直到兄弟长大……这之间,这回的乱子就闹起来了……”

……ガンカレンコが郵便車に接続する貨車を切断し、客車は無傷であった。爆発の音の中で、爆薬の煙の中で、破壊された線路が宙に跳ね上がり、そして震えながら斜面の下に落ちた。急性子の閂に結んであった一本の縄が電線に絡まって引っかかり、後に多くの人が頭を絞り、誰が何のためにどういう理由でこのものをこの場所に掛けたのかを知ろうとした。

暂时缄默之后,他沉思似的,拖长了调子说:

“是的……高中学校……孩子时候,我也很想进去的,但怎么能……”

第18節

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美谛克的话,好象在他心里唤起许多无用的回忆来了。美谛克用了突然的热心,开始来说明巴克拉诺夫的不进高中学校,并不算坏事情,倒是好。他在无意中,想使巴克拉诺夫相信自己虽然无教育,却是怎样一个善良,能干的人,但巴克拉诺夫却不能在自己的无教育之中,看见这样的价值,美谛克的更加复杂的判断,也就全然不能为他所领会了。他们之间,于是并不发生心心相印的交谈。两人策了马,在长久的沉默中开快步前进。

メーチクの言葉は、バクラーノフの心の中に多くの無用な回想を呼び起こしたようであった。メーチクは突然の熱心さで、バクラーノフが高等学校に進まなかったことは悪いことではなく、むしろ良いことだと説明し始めた。彼は無意識のうちに、バクラーノフに、自分は教育がなくとも、いかに善良で有能な人間であるかを信じさせようとしたが、バクラーノフは自分の無教育の中にそのような価値を見出すことができず、メーチクのより複雑な判断もまったく彼には理解できなかった。二人の間には、心と心が通い合う会話は生まれなかった。二人は馬に拍車をかけ、長い沈黙の中を駆け足で進んだ。

路上时时遇见斥候,但他们仍然说谎,象先前一样。巴克拉诺夫只是摇头。他们在离梭罗孟那耶的小村三威尔斯忒的田庄里下了马,步行前去。太阳已经西倾,农妇们的杂色的头巾,点缀着疲倦了的田野。从肥大的禾堆上,则静静地躺下浓厚的,柔软的影子来。巴克拉诺夫向着迎面遇见的马车,问在梭罗孟那耶可有日本兵没有。

途中、しきりに斥候に出会ったが、彼らは相変わらず嘘をついた。バクラーノフはただ首を振るばかりであった。ソロモナエの小村から三ヴェルスタの農場で馬を下り、歩いて進んだ。太陽はすでに西に傾き、農婦たちの色とりどりの頭巾が疲れた野原を点綴していた。太った禾束の上からは、濃く柔らかな影が静かに横たわっていた。バクラーノフは向かいからやって来た馬車に、ソロモナエに日本兵がいるかどうか尋ねた。

“听人说,早上来了五个人,现在却又没听说了……但愿能够给我们收起麦子来——他们先在地狱里……”

美谛克的心狂跳起来了,但他并不觉得恐怖。

“那么,他们是真在摩那庚了。”巴克拉诺夫说。“来的那些一定是斥候。总之,去罢……”

他们被忧愁的犬吠声所迎接,进了村中。在竖起一束缚在竿上的干草和门前停着马车的客店里,他们“巴克拉诺夫式地”将面包放在大碗里,喝过牛乳。到后来,美谛克每当带着一种不舒服,想起这回的驰驱,则在自己眼前,总看见巴克拉诺夫显着活泼的脸相,上唇带些牛乳点,走出街上去了那时的神情。他们走不到几步,突然从横街里跑出一个提高了裙子的胖女人来,一撞见他们,就柱子一般站住了。她的圆睁的眼,陷在头巾中,她的嘴,是被捕的鱼似的在吸空气。而且忽然,用了最尖利的高声,叫起来了:

「噂では、朝五人来たそうだが、今はまた聞かなくなった……麦を刈り入れさせてくれればいいんだが——奴らには地獄にでも行ってもらいたい……」

メーチクの心臓は激しく鳴ったが、恐怖は感じなかった。

“孩子们,我的孩子们,你们那里去呀?许许多日本兵,就在学校里边呵。他们就要到这里来了,快逃罢,他们就要到这里来了!……”

美谛克还没有全领会她的话之际,从横街里已经出现了开正步,背枪枝的四个日本兵。巴克拉诺夫发一声喊,同时也抓起了手枪,就在眼前瞄了准——向两个发射了。美谛克似乎看见他们的背后喷出血团,两个人都倒毙在地面上。第三弹没有打中,手枪也不灵了。余下的日本兵中的一个,连忙逃走,别的一个是从肩头取下枪枝来。但是,当此之际,为强有力地主宰了他的新的力量所动,压倒了恐怖的美谛克,却对他连放了好几枪。当最后的一弹打中了日本兵时,他已经倒在尘土里抽搐了。

「すると、奴らは本当にモナゴンにいるんだな。」バクラーノフが言った。「来たのは斥候に違いない。とにかく、行こう……」

“我们跑罢!……”巴克拉诺夫叫道。“到马车那里去!……”

几分钟之后,他们就解下了在客店前发跳的马,扬起着尘埃的热的旋涡,在街上疾走了。巴克拉诺夫站在马车上,时时反顾,看可有追来的人,一面用缰绳的头,竭力打马。大约在村子的中央模样,有五六个喇叭卒在吹告警的嗽叭。

二人は物悲しい犬の吠え声に迎えられ、村に入った。竿に括りつけた干し草の束が立てられ、門前に馬車の止まった旅籠で、彼らは「バクラーノフ流」にパンを大きな碗に入れ、牛乳を飲んだ。後になって、メーチクがある種の不快さとともにこの遠征を思い出すたび、目の前にはバ��ラーノフの活き活きとした顔、上唇に牛乳の跡をつけて通りに出て行ったあの時の表情が浮かんだ。二人が数歩も歩かぬうちに、突然横道から裾をたくし上げた太った女が飛び出し、二人に出くわすと柱のように立ち止まった。彼女の見開いた目は頭巾に埋もれ、口は捕われた魚のように空気を吸っていた。そして突然、この上なく鋭い大声で叫び始めた。

“他们在这里……统统!……”他用了得意的愤怒,大声说。“统统!……是主力!你听到他们在吹嗽叭么?……”

美谛克是什么也没有听到。他倒在马车的底板上,正在自己能够逃脱了的狂喜中,料想那在热而乏的尘土里被他打死了的日本兵,因为临终的苦恼,在拚命地挣扎。他看见巴克拉诺夫时,似乎他那痉挛的脸,也见得讨厌,可怕了。

「お前たち、あたしの子供たち、どこへ行くんだい? たくさんの日本兵が、学校のすぐ中にいるんだよ。すぐここに来るから、早く逃げな、すぐ来るよ!……」

过了些时,巴克拉诺夫已经在微笑。

“我们干得出色!是不是?他们进村子,我们也进村子——就是一下子。但是你,朋友,是一个好脚角。我还料不到你会这样哩,真的!没有你,他的弹子就要将我们打通了!”

美谛克竭力要不看他,躺着,埋了头,黄而且青,脸上显着暗色的斑,在车子里——好象烂了根的谷穗。

メーチクがまだ彼女の言葉をすべて理解しないうちに、横道から正歩で銃を担いだ四人の日本兵が現れた。バクラーノフは叫び声を上げると同時に拳銃を掴み、目の前で狙いをつけ——二人に向かって発砲した。メーチクには彼らの背後から血の塊が噴き出すのが見えたようで、二人とも地面に倒れ伏した。三発目は外れ、拳銃も作動しなくなった。残りの日本兵のうち一人は急いで逃げ去り、もう一人は肩から銃を外そうとしていた。しかし、この時、彼を力強く支配する新たな力に動かされ、恐怖を圧し潰したメーチクは、その兵士に向かって何発も撃った。最後の一弾が日本兵に命中した時、彼はすでに埃の中で痙攣していた。

走了两威尔斯忒远近,听不见有人追来,巴克拉诺夫便将马靠近遮在路上的独株的榆树下。

“你,等在这里,我赶紧上树去,看一看怎么样……”

“为什么?……”美谛克用了断然的声音问。“我们快走罢,应该去报告一切……主力在那地方,是明明白白的……”他要使自己相信自己所说的话,然而不能。他现在怕敢留在敌人的左近。

“不,还是等一等好。我们不是专为了来杀三个蠢才的。给嗅出确实的事情来罢。”

「逃げろ!……」バクラーノフが叫んだ。「馬車のところへ!……」

大约过了三十分钟,二十人上下的骑兵,从梭罗孟那耶村缓步出来了。“倘给看见了,不知道会怎样哩?”巴克拉诺夫心中感着战栗,一面想:“我们恐怕不能坐这马车去了罢。”然而他自制着,决计等到最后的可能的时间。被丘冈遮住,为美谛克所看不见的骑兵已经到了半路之际,巴克拉诺夫就在那了望处望见了步兵,——他们踏起浓尘,闪着枪,排成密密的柱子,正从村子里走出……在火速的疾驱,直到田庄之间,两个袭击队员几乎弄死了马匹。他们在田庄里换骑了自己的马,数瞬之后,已在路上向希比希疾走了。

数分後、二人は旅籠の前で跳ねていた馬を解き、埃の熱い旋風を巻き上げながら、通りを疾走した。バクラーノフは馬車の上に立ち、追手がいないか絶えず振り返りながら、手綱の先端で力いっぱい馬を打った。村の中央辺りで、五、六人のラッパ卒が警報のラッパを吹いていた。

长于先见的莱奋生,在他们未到之前,(他们是夜里才回来的,)就布置了加严的警备——苦勃拉克的徒步小队。小队的三分之一,和马匹一同留下,其余则在村旁的旧蒙古城寨的堡垒后面,当警备之任。美谛克将马交给巴克拉诺夫,和队一同留下了。

美谛克虽然很疲劳,但不想睡。雾从河边展布开来,空气是冷的。毕加翻一个身,说着梦话。步哨的脚下,野草在作响,象谜一般。美谛克仰卧着,睁眼在寻星星。星在仿佛躺在雾帐背后的黑的空虚中,依稀可见。于是美谛克自己里面,感到了更暗的,更钝的——因为那地方是星也没有的缘故——和这一样的空虚。他还以为这一样的空虚,弗洛罗夫一定常常感到。他突然想起,这人的运命,不和他的运命相象么,因此就立刻害怕起来了。他竭力想逐出这恐怖的思想,然而弗洛罗夫的形象,总浮在他的眼前。他没有活气地带着挂下的手和枯透了的脸,躺在行榻上在看他,他的上面,枫叶在幽静地作响。“他死了呵!……”和恐怖一同,美谛克想。然而弗洛罗夫动起指头来,并且转脸向他,带着骨立的微笑,说:“大家……在闹……”忽然之间,他在行榻上发了痉挛,从他那里有什么团块迸散,于是美谛克看见那全不是弗洛罗夫了,是日本兵。“这可怕……”他全身发着抖,又这样想。但华理亚弯腰在他上面,低声说:“你,不要怕呀。”她冷静,温柔。美谛克立刻轻松了。“你不要怪我没有好好地作别罢,”他温和地说,“我是喜欢你的。”她将身挨近他来。忽然,一切飞散,沉没在无何有中,几瞬间后,他已经坐在地上,着眼,用手在寻枪枝了。在很明亮了的周围,则人们卷着外套,忙碌着。藏身丛莽中的苦勃拉克,是在看那望远镜。大家都聚在那里,问道:

「奴らがここにいる……全員!……」彼は得意げな怒りを込めて大声で言った。「全員!……主力部隊だ! ラッパが聞こえるか?……」

メーチクには何も聞こえなかった。彼は馬車の底板に倒れ伏し、逃げおおせた狂喜の中で、暑く疲れた埃の中で自分が射殺した日本兵が、臨終の苦悶に必死にもがいている姿を想像していた。バクラーノフを見ると、その引きつった顔さえ厭わしく恐ろしく見えた。

しばらくして、バクラーノフはもう微笑んでいた。

「見事にやったな! そうだろう? 奴らが村に入り、俺たちも村に入る——一発だ。だがお前は、友よ、なかなかの役者だ。お前がこんなことをするとは思わなかったぞ、本当に! お前がいなかったら、奴の弾丸が俺たちを貫通していたぞ!」

“那里?……”“那里?……”

美谛克摸到了枪,爬到墙上,知道大家是在说敌人。然而看不见敌,于是他也发问了:

“那里?……”

“你们为什么挤作一团的?”小队长忽然用力将谁一推,怒叱道。“散开!……伏倒!……”

沿着堡垒排开时,美谛克还伸了颈子,努力想看敌人。

“但是敌在那里呀?”他向那在他旁边的人问了好几回。那人爬着,不理他的话,不知道为什么总是侧着耳朵,而他的下唇是拖下的。他突然回顾,发狂似的向他吆喝起来。美谛克来不及回答,——就听到号令之声了:

メーチクは彼を見ないように努め、顔を埋めて横たわり、黄色みがかった青い顔に暗い斑を浮かべて馬車の中にいた——まるで根の腐った穀穂のようであった。

“小队……”

他挺着枪,还是什么也没有看见,并且因为大家看见,他却看不见而发恼——和“放”的号令一齐,胡乱地开枪。(他没有知道小队的大约一半的人们,也是什么也没有看见,只因为免得后来给人笑话,瞒着罢了。)

“放!……”苦勃拉克再号令说,于是美谛克又开枪。

二ヴェルスタほど行き、追手の気配がなくなると、バクラーノフは道に覆い被さる一本の楡の木の下に馬を寄せた。

“唉唉,给逃走了!……”人们在四处大声说。大家都忽然随便高谈,脸上也活泼地亢奋起来了。

“够了,够了!……”小队长叫喊道。“在那里放枪的是谁呀?爱惜子弹!……”

美谛克从大家的话里知道,日本军的斥候已经来过了。也一样地并未看见的许多人,这时就嗤笑美谛克,并且自夸着他们所瞄准的日本兵,是怎样地从鞍桥滑落。这时大炮声轰然而起,反响充满着溪谷中。几个人因为怕,就伏在地面上,美谛克也毛骨悚然,象给打倒了一样,——这是他平生所听到的最初的炮声。炮弹在村子后面的不知什么处所炸裂了。接着机关枪的发狂地拚命地作响,频繁的马枪声到处殷殷然。然而袭击队并不回答。

「お前、ここで待て。俺は急いで木に登って、様子を見てくる……」

过了几分钟,或者一点钟——时间感觉是被苦恼所消灭了——美谛克觉得袭击队员已经增加起来。并且看见了巴克拉诺夫和美迭里札,——他们是从堡垒上走下来的。巴克拉诺夫拿着望远镜。美迭里札则脸在痉挛,鼻孔张得很大。

「なぜ?……」メーチクは断固とした声で聞いた。「早く行こう、すべてを報告しなければ……主力があそこにいるのは明白だ……」彼は自分の言葉を自分に信じさせようとしたが、できなかった。彼は今、敵の近くに留まることが恐ろしかった。

“伏着么?”展开了额上的皱纹,巴克拉诺夫问。“那,怎样?”

美谛克悲苦地微笑了。并且对于自己,呈着非常的紧张,问道:

“我们的马在那里?……”

“我们的马在泰茄里,我们也就要到那边去了……只要略略一防,就好……我们是不要紧的。”他分明要使美谛克放心,加添说。“但是,图皤夫的小队,却在平地上……呀,恶鬼!……”他给近处的爆炸一悚,忽然怒号起来。“莱奋生也在那里……”于是用两手按住望远镜,沿着散兵线,跑到不知那里去了。

「いや、もう少し待つ方がいい。三人の間抜けを殺すためだけに来たんじゃない。確かな情報を嗅ぎ出そう。」

到其次应该射击的时候,美谛克却已经能够看见日本兵——他们作成几条散兵线,走着丛莽之间的路,正在前进。从美谛克看去,是近到虽在必要之际,也早不能逃出他们了。他这时所感到的,不是恐怖,倒是一种苦痛的期待,不知道这一切要什么时候才完。

在这样的瞬间之中,苦勃拉克不知从那里出现,叫了起来:

“你瞄着那里呀?……”

約三十分後、二十騎ほどの騎兵がソロモナエ村からゆっくりと出てきた。「もし見つかったら、どうなることか?」バクラーノフは心に戦慄を感じながら考えた。「この馬車ではもう逃げられないかもしれない。」しかし彼は自制し、最後の可能な時間まで待つことにした。丘に遮られてメーチクには見えない騎兵が半分の距離まで来た時、バクラーノフはその見張り台から歩兵を望見した——彼らは濃い埃を立て、銃を光らせ、密集した縦隊を成して村から出てくるところであった……農場までの全速の疾駆の間に、二人の襲撃隊員はほとんど馬を殺しかけた。農場で自分たちの馬に乗り換え、数瞬後にはすでに道をシビシに向かって疾走していた。

美谛克向周围四顾,才知道小队长的话,和他并不相干,是在说先前不知道为什么他竟没有留心到的毕加。毕加将脸紧靠了地面,躺着。在头上胡涂地探着枪闩,正在射击他自己面前的树木。苦勃拉克叱骂了他之后,也不过是子弹已完,空有枪闩发响这一点不同罢了,他仍旧继续着无异于前的工作。小队长将他的头用靴子踢了几下,但毕加依然没有抬头。

……这之后,大家开始是杂乱地,后来则成了疏疏的链子,向什么地方疾走。美谛克也一同奔跑,对于这些一切的为什么和怎样地出现,全都莫名其妙。他只觉得虽是这最绝望底的扰乱的瞬息间,也还是决非偶然,决非无意识;而且在指导他和他的周围的人们的行动者,乃是和他现在的经验不同的许多人。这些人们,他没有看见。然而他在自己中,感得他们的意志,待到进了村落的时候——那时他们是作着长的链子,在走的——他不知不觉,用眼来搜寻那主宰着他的运命者,究竟是什么人。走在最前面的是莱奋生。然而他见得非常之小,而且那么滑稽地挥着很大的盒子炮,要相信他是主要的指导底力,可不容易。美谛克正在努力想解决这矛盾,而密密地,恶意地,四面又飞下子弹来。这些子弹,仿佛掠过头发,甚至于掠过耳朵上的茸毛。链子向前疾奔,几个人死掉了。美谛克感到,倘若再要应战一回,他就会和毕加毫不两样了。

先見の明に長けたレーヴィンソンは、彼らが到着する前に(彼らが戻ったのは夜だった)、厳重な警備——クブラクの徒歩小隊を配置していた。小隊の三分の一は馬とともに残り、残りは村の傍の旧モンゴル城塞の堡塁の背後で警備に当たった。メーチクは馬をバクラーノフに預け、隊とともに残った。

メーチクはたいそう疲れていたが、眠りたくはなかった。霧が河辺から広がり、空気は冷たかった。ビガが寝返りを打ち、寝言を言っていた。歩哨の足元で、野草が謎のように音を立てていた。メーチクは仰向けに横たわり、目を開いて星を探した。星は、あたかも霧の帳の向こうの黒い虚空に横たわっているかのように、おぼろに見えた。するとメーチク自身の中にも、より暗い、より鈍い——なぜならそこには星さえないのだから——これと同じ虚空を感じた。彼はこの同じ虚空をフロローフもきっと常に感じていると思った。ふと彼は、この人の運命が自分の運命に似ていないだろうかと思い、たちまち恐ろしくなった。この恐ろしい考えを追い出そうと懸命になったが、フロローフの姿が絶えず目の前に浮かんだ。生気なく、手を垂らし、干からびた顔で担架に横たわって彼を見つめ、その上で楓の葉がひっそりと音を立てていた。「あの人は死んだのだ!……」恐怖とともにメーチクは思った。しかしフロローフは指を動かし、顔を彼に向け、骨ばった微笑を浮かべて言った。「みんな……騒いでいる……」突然、担架の上で痙攣し、何かの塊が彼から弾け飛び、するとメーチクにはそれがフロローフではなく日本兵��あることが見えた。「恐ろしい……」全身を震わせながら、彼はまたこう思った。しかしワーリャが彼の上に身をかがめ、低い声で言った。「怖がらないで。」彼女は冷静で、優しかった。メーチクはたちまち軽くなった。「ちゃんとお別れできなかったことを許してください」と彼は穏やかに言った。「あなたが好きです。」彼女は身を寄せてきた。突然、すべてが飛び散り、虚無の中に沈み、数瞬後には彼はすでに地面に座り、目を凝らして手で銃を探していた。すっかり明るくなった周囲では、人々が外套を巻き上げ、忙しくしていた。藪の中に身を潜めたクブラクが望遠鏡を覗いていた。みなそこに集まり、口々に聞いた。

作为这一天的混乱的印象,遗留下来的,还有跨着扬开火焰似的鬃毛,露着牙齿的马的木罗式加的形相。他跑得极快,令人分不出木罗式加从那里为止,马从那里开头来。到后来,他才知道木罗式加是被选为战斗之际,联络小队的骑兵的一个。

「どこだ?……」「どこだ?……」

美谛克的完全恢复原状,是在泰茄之中,被近时走过的马所踏烂了的山间小路上。这处所,是幽暗,寂静,端严的杉树,用了那安稳,苔封的枝干,隐蔽起来的。

【苦蓬】

B. 毕力涅克

メーチクは銃を見つけ、壁に這い上がり、みなが敵のことを言っているのだと分かった。しかし敵は見えず、彼も同じように聞いた。

【一】

回转身,走向童山顶上的发掘场[24]那面去,就觉出苦蓬的苦气来。苦蓬展开了蒙着银色尘埃的硬毛,生满在丘冈上,发着干燥的苦味。从空旷的顶上,可望周围四十威尔斯忒[25],山下流着伏尔迦河,山后的那边,躺着烟囱林立的少有人烟的临终的街市。从平原上,是吹来了飒飒的风。

当站住告别的时候,望见从对面的山峡里,向发掘场这边跑来了一串裸体的女人,披头散发,露出乌黑的凹进的小腹,手捏茅花,大踏着从从容容的脚步。女人们一声不响,走到发掘场,将太古的遗迹绕了一圈,又扬着苦蓬的尘埃,回到山崖那边,山峡那边,峡后面的村落那边去了。

「どこだ?……」

包迪克于是开口说:

第19節

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“离这里十五威尔斯忒的处所,有一个沿河的小村,那里还留着千年前以来的迷信。闺女们跑出了自己的土地,用了自己的身体和纯洁来厌禳,那是在彼得·桑者符洛忒周间内举行的。谁想出来的呢,说是什么桑者符洛忒!……比起发掘之类来,有趣得多哩。此刻岂不是半夜么,那些闺女们恐怕正在厌禳我们罢。那是闺女的秘密呵。”

「ここから十五ヴェルスタの所に、川沿いの小さな村がある。そこには千年前からの迷信が残っている。娘たちは自分の土地から走り出し、自分の身体と純潔で厄払いをする。それはペトロ・サンジャフロート週間に行われるのだ。誰が思いついたのか、何がサンジャフロートだ!……発掘なんかよりずっと面白いぞ。今は真夜中だろう、あの娘たちはきっと俺たちを厄払いしているところだろう。あれは娘たちの秘密だ。」

从平原上,又吹来了飒飒的风。在无限的天空中,星在流走,——七月的流星期已经来到了。络纬发出干燥闷热的声音。苦蓬放着苦气味。

平野から、またざわざわと風が吹いてきた。無限の天空を、星が流れていった——七月の流星の季節がすでに到来していた。こおろぎが乾いた蒸し暑い声を立てていた。苦蓬が苦い匂いを放っていた。

告别了。临别的时候,包迪克捏着那泰理亚的手,这样说:

別れを告げた。別れ際に、ボーディクはナターリヤの手を握って、こう言った。

“那泰理亚,可爱的人儿,你什么时候归我呢?”

「ナターリヤ、愛しい人、いつ僕のものになってくれるんだい?」

那泰理亚并不立刻,用了低低的声音回答道:

ナターリヤはすぐには答えず、低い声で言った。

“不要这样子,弗罗贝呀。”

「そんなことを言わないで、フロベ。」

包迪克往天幕那边去了。那泰理亚回到山崖这面,穿过白辛树和枫树生得蒙蒙茸茸的小路,回了公社的地主的家里。夜也减不掉白天晒上的热。虽说是半夜,却热得气闷,草,远方,伏尔迦河,大气,一切都银似的干透了在发闪。从多石的小路上,飞起了干燥的尘埃。

ボーディクは天幕の方へ去った。ナターリヤは崖のこちら側に戻り、白辛樹や楓が鬱蒼と生い茂る小道を通って、公社の地主屋敷に帰った。夜になっても昼間の暑さは消えなかった。真夜中だというのに蒸し暑く、草も、遠方も、ヴォルガ河も、大気も、すべてが銀のように乾ききって光っていた。石だらけの小道からは、乾いた埃が舞い上がった。

调马的空地上,躺着斯惠里特,看了天在唱歌:

馬の調教場で、スヴェーリトが横になり、空を見ながら歌っていた。

伏尔迦,伏尔迦,河的娘!

ヴォルガ、ヴォルガ、河の母よ!

请打科尔却克[26]的耳光!

コルチャークの頬を張っておくれ!

伏尔迦,伏尔迦,水的娘!

ヴォルガ、ヴォルガ、水の母よ!

请打共产党员的耳光!

共産党員の頬を張っておくれ!

看见了那泰理亚,便说:

ナターリヤを見つけると、こう言った。

“就是夜里,那泰理亚姑娘,也还是不能困觉的呵,倘不怎么消遣消遣,公社里的人们,都到野地里去了哩。到发掘场去走了一趟么?不是全市都要掘转了么,——这样的年头,什么都要掘转呀,真是的。”——于是又唱起歌来:

「夜になっても、ナターリヤお嬢さん、眠れやしないんだ。何か気晴らしでもしなきゃ、公社の連中はみんな野原に出て行っちまったし。発掘場に行ってきたのかい? 町中を掘り返すんじゃないのか——こんなご時世、何もかも掘り返されるんだからな、まったく。」——そしてまた歌い始めた。

伏尔迦,伏尔迦,河的娘呀!……

ヴォルガ、ヴォルガ���河の母よ!……

“市上的报纸送到了。苦蓬的气味好不重呵,这地方是。”

「町の新聞が届いたよ。苦蓬の匂いがひどいな、この辺は。」

那泰理亚走进天花板低低的读书室(在地主时代,这地方是客厅),点起蜡烛来。昏昏的光,反映在带黄的木柱上。挂着布片的小厨,打磨过的大厨(没有门的),还是先前一样站着,窗上是垂着手编的镂空花纹的窗幔。低矮的家用什物,都依了平凡的摆法整然排列着。

ナターリヤは天井の低い読書室(地主の時代にはここは客間であった)に入り、蝋燭に火を点けた。ぼんやりとした光が、黄色みを帯びた木の柱に映った。布切れの掛かった小箪笥、磨かれた大箪笥(扉のない)は前と変わらず立っており、窓には手編みの透かし模様の窓帷が垂れていた。低い家具類はすべて平凡な配置で整然と並んでいた。

侧着头——沉重的束发,挂下了——看报。用灰色纸印的市上送来的报章上,用阿喀末屑做成的青色的墨斯科的报章上,都满是扰乱和悲惨的记事。粮食没有了,铁没有了,有饥渴和死亡和虚伪和艰难和恐怖。

首を傾げて——重い束髪が垂れ下がった——新聞を読む。灰色の紙に印刷された町から届いた新聞にも、胡桃の殻で作った青い墨のモスクワの新聞にも、混乱と悲惨な記事が満ちていた。食糧がない、鉄がない、飢渇と死と虚偽と苦難と恐怖がある。

老资格的革命家,生着马克斯一般的络腮胡子的绥蒙·伊凡诺微支走了进来。坐在安乐椅子上,手忙脚乱地开始吸烟卷。

年季の入った革命家で、マルクスのような頬髯を生やしたセミョン・イワーノヴィチが入ってきた。安楽椅子に座り、慌ただしく煙草を吸い始めた。

“那泰理亚!”

「ナターリヤ!」

“嗡。”

「うん。」

“我去过市里了,你猜是开手了些什么?什么也没有!到冬天,怕都要饿死,冻掉的罢。你知道,在俄国,没有炼铁所必要的盐:没有铁,就不能打锉子,没有锉,就不能磨锯子。所以连锯柴也无论如何做不到,——那里有盐呢!糟呀。你也懂得的罢,多么糟呢,——多么糟的,讨厌的冷静呵。你瞧,说是活,说是创造,不如说死倒是真的。在这里四近的,是死呀,饥饿呀,伤寒症呀,天泡疮呀,霍乱呀……树林里,山谷里,到处是流氓。怎么样,——那死一般的冷静。死灭呀。在草原上,连全体死灭了的村子也有,没一个来埋掉死尸的人。每夜每夜,逃兵和野狗在恶臭里乱跑……唉唉,俄罗斯国民!……”

「町に行ってきたよ。何が始まったと思う?何もないんだ!冬になったら、みんな餓死して凍死するだろうな。分かるか、ロシアには製鉄に必要な塩がない。鉄がなければ鑢を打てず、鑢がなければ鋸を研げない。だから薪を切ることさえどうしてもできない——塩がどこにある!ひどいことだ。分かるだろう、どんなにひどいか——どんなにひどい、厭わしい冷静か。見てみろ、生きるとか、創造するとか言うが、死ぬ方がよほど真実だ。このあたりにあるのは死だ、飢餓だ、チフスだ、天然痘だ、コレラだ……森の中にも、谷間にも、至る所にならず者がいる。どうだ——あの死のような冷静は。死滅だ。草原では、村ごと全滅したところもある。死体を埋める者さえいない。毎晩毎晩、脱走兵と野犬が悪臭の中を走り回っている……ああ、ロシア国民よ!……」

屋顶的那泰理亚的屋子里面,和堆在屋角的草捆一起,竖着十字架的像。大肚子的桃花心木的梳装台上,和旧的杂乱的小器具并排放着的镜子,是昏暗,剥落了。梳装台的匣子打开着,从这里还在放散些地主时代的蜡香,在底里,则撒着条纹绢的小片,——这屋子里,先前是住着地主的女儿的,有小地毯和路毯。从窗间,则伏尔迦河,以及那对面的草原——耕作地和美陀益尼的森林,都邈然在望,知道冬天一到,这茫茫的平野便将掩于积雪,通体皓然了。那泰理亚重整了束发,脱去上衣,只穿一件雪白的小衫,站在窗前很长久。她想着考古学家包迪克的事,绥蒙·伊凡诺微支的事,自己的事,革命的悲哀,自己的悲哀。

屋根裏のナターリヤの部屋の中は、部屋の隅に積まれた草束のそばに十字架の像が立てかけてあった。太鼓腹のマホガニーの化粧台の上には、古い雑多な小物と並んで鏡が置いてあったが、薄暗く、剥落していた。化粧台の引き出しは開いたままで、中からはなお地主時代の蝋香が漂い、底には縞模様の絹の小片が散らばっていた——この部屋には以前、地主の娘が住んでおり、小さな絨毯や敷物があった。窓の間からは、ヴォルガ河と、対岸の草原——耕地とメドヴェージニツァの森が遥かに望め、冬になればこの茫々たる平野が積雪に覆われ、一面に白くなることが分かっていた。ナ���ーリヤは束髪を整え直し、上着を脱いで真っ白なブラウスだけを身につけ、長い間窓辺に立った。考古学者ボーディクのこと、セミョン・イワーノヴィチのこと、自分のこと、革命の悲哀、自分の悲哀を思った。

燕子首先报晓,在昏黄干燥的暗中,飞着锡且培吉[27],最后的蝙蝠也飞过了。和黎明一同,苦蓬也开始发出苦气来。那泰理亚知道——苦蓬的发散气味,那苦的童话一般的气味,生和死的水的气味之在发散,也不仅是这平野中的七月,我们的一生中是都在发散的。苦蓬的苦,是现代的苦;但农家妇女们,都用苦蓬来驱除恶魔和不净。俄罗斯的民众……她想起来了,四月里,在平野上的一个小车站那里,——那地方,有的是天空和平野和五株白杨树和铁轨和站屋,——曾经见过三个人——两个农夫和一个孩子。三个都穿草鞋,老人披着短外套,女儿是赤膊的。他们的鼻子,都在说明着他们的血中,的确混着秋瓦希和鞑靼的血液。三个都显着瘦削的脸。大的通黄的落日,照映着他们。老人的脸正像农家草舍,头发是草屋顶一般披垂,深陷的眼(是昏暗的小窗)凝视着西方,似乎千年之间总是这模样。在那眼中,有着一点东西,可以称为无限的无差别,也可以称为难懂的世纪的智慧。那泰理亚那时想——惟这才是真的俄罗斯国民,惟这才是有着农家草舍似的损伤了的脸和草屋顶似的头发的,浸透了灰尘和汗水的,钝弱的灰色的眼。老人凝视着西方。别一个弯了腿,将头靠在那上面,不动地坐着。女孩躺在散着向日葵子壳和痰和唾沫的街石上,睡着了。大家都不说话。如果去细看他们,——正值仗着他们,以他们之名,而在革命,——是悲痛,难堪的……他们,是没有历史的国民,——为什么呢,因为有俄罗斯国民的历史的地方,就有作自己的童话,作自己的歌谣的国民在……这些农民,于是偶或误入公社中,发出悲声,唱歌,行礼,求讨东西,自述他们是巡礼者。首先,是平野上的饥渴,赶他们出来的,什么全都吃光,连马也吃掉了,在故乡,只剩下钉了门的小屋,而且为了基督的缘故,在平野里彷徨。那泰理亚看见从他们那里有虱子落下。

燕がまず夜明けを告げ、薄暗い乾いた闇の中をコウモリが飛び、最後の蝙蝠も過ぎた。夜明けとともに、苦蓬もまた苦い匂いを放ち始めた。ナターリヤは知っていた——苦蓬がその苦い童話のような匂い、生と死の水の匂いを放つのは、この平野の七月だけのことではなく、我々の一生を通じて放たれているのだと。苦蓬の苦さは現代の苦さである。しかし農家の女たちは皆、苦蓬で悪魔と穢れを追い払う。ロシアの民衆……彼女は思い出した。四月、平野の小さな駅で——そこには空と平野と五本の白楊と線路と駅舎があるだけだった——三人の人を見た。二人の百姓と一人の子供。三人とも草鞋を履き、老人は短い外套を羽織り、娘は裸身であった。彼らの鼻は、血にチュヴァシやタタールの血が確かに混じっていることを物語っていた。三人とも痩せた顔をしていた。大きな黄色い夕日が彼らを照らしていた。老人の顔はまさに農家の草屋のようで、髪は茅葺きの屋根のように垂れ、深く窪んだ目(薄暗い小窓だ)は西方を凝視し、千年の間ずっとこの姿であったかのようだった。その目には、無限の無差別とも呼べるもの、あるいは難解な世紀の知恵とも呼べるものが宿っていた。ナターリヤはあの時思った——これこそ真のロシア国民だ、これこそ農家の草屋のような損なわれた顔と茅葺き屋根のような髪を持ち、埃と汗に浸された、鈍く弱い灰色の目を持つ者たちだと。老人は西方を凝視していた。もう一人は脚を折り曲げ、頭をその上に載せ、動かずに座っていた。少女は向日葵の殻と痰と唾の散らばった敷石の上に横たわり、眠っていた。誰も口をきかなかった。もし彼らをよく見たならば——まさに彼らの名において、彼らのために革命が行われているのだ——それは悲痛で堪えがたいことだった……彼らは歴史を持たない国民だ——なぜなら、ロシア国民の歴史があるところには、自分の童話を作り、自分の歌謡を作る国民がいるはずだから……これらの百姓たちは、時折公社に紛れ込み、悲声を上げ、歌い、礼拝し、物を乞い、自分たちは巡礼者だと語る。まず平野の飢渴が彼らを追い出したのであり、すべてを食い尽くし、馬まで食べてしまい、故郷には戸を釘付けにした小屋だけが残り、キリストのために平野を彷徨っているのだ。ナターリヤは彼らの身体から虱が落ちるのを見た。

家里有水桶声,女人们出去挤牛奶了。马匹已由夜间的放牧,赶了回来。一夜没有睡的绥蒙·伊凡诺微支,和斯惠里特一同整好马车,出外往滩边收罗干草去了。颇大了的鸡雏,闹起来了。用炎热来烧焦大地的白天,已经到来。那时候,在晚上,为了前去寻求别样的苦蓬——觅求包迪克的苦蓬,寻求欢喜的苦楚,非熬这炎热不可了。因为在那泰理亚,是未曾有过这苦蓬的欢喜的,而送来那欢喜者,则是或生或死的这些炎热的白天。

家の中では水桶の音がし、女たちが牛の乳搾りに出て行った。馬はすでに夜の放牧から追い戻されていた。一晩眠らなかったセミョン・イワーノヴィチが、スヴェーリトと一緒に馬車を整え、河原に干し草を集めに出かけた。かなり大きくなった雛鶏が騒ぎ始めた。大地を焼き焦がすような炎暑の昼がすでにやって来ていた。あの時、夕方になって、別の苦蓬を——ボーディクの苦蓬を、歓びの苦痛を求めに出かけるためには、この炎暑を堪え忍ばねばならなかった。なぜならナターリヤには、この苦蓬の歓びはかつてなかったのであり、その歓びをもたらすのは、生か死かの、これらの炎暑の日々���ったからだ。

【二】

【二】

伏尔迦河被锋利地吃了进去。沿崖只有白辛树生长着的空荡荡的童山,突出在伏尔迦河里,这以四十威尔斯忒的眺望,高高地挺然立于伏尔迦之上。名曰乌佛克山,——世纪在这里保存了自己的名字。

ヴォルガ河が鋭く食い込んでいた。崖沿いには白辛樹だけが生える空っぽの禿山が、ヴォルガ河の中に突き出し、四十ヴェルスタの眺望をもって、ヴォルガの上に高く聳え立っていた。ウフォク山と名づけられ——世紀がここにその名を保存していた。

在乌佛克的顶上,发见了遗迹和古坟,考古学家包迪克为要掘出它来,和先前在伏尔迦河上作工的一队工人一同光降了。发掘亘三周间,世纪被从地下掘起。在乌佛克,有古代街市的遗迹发见了。石造的水道的旧迹,屋宇的基础,运河等类皆出现。为石灰石和黑土所埋没的这建筑物,并非斯启孚和保加利亚人所遗留下来的东西。是不知何人从亚细亚的平原来到这里,想建立都会,而永久地从历史上消灭了的。他们之后,这不知何人之后,这里便来了斯启孚人,他们就留下了自己的坟墓。在坟墓里,石的坟洞里,石的棺里,穿着一触便灰烬似的纷纷迸散的衣服的人骨,和刀,银的花瓶——这里是有阿拉伯的钱币的,——画出骑马人和猎夫模样的瓶和盘子——这里是曾经盛过饮料和食物的——这些东西一同倒卧着;脚的处所,有带着金和骨和石做成的鞍桥的马骨,那皮是成了木乃伊似的了。石的坟洞里,是死的世界,什么气味也没有,非进那里面去不可的时候,思想总是分明地沉静下去,心里是涌出了悲哀。乌佛克的顶上,是光光的。在炎热的暑气中,展开了蒙着银似的尘埃的硬毛,苦蓬生长着。而且发出苦的气味来。这是世纪。

ウフォクの頂上で遺跡と古墳が発見され、考古学者ボーディクがそれを発掘するために、かつてヴォルガ河で働いていた一隊の人夫とともにやって来た。発掘は三週間にわたり、世紀が地下から掘り起こされた。ウフォクでは、古代都市の遺跡が発見された。石造の水道の旧跡、建物の基礎、運河の類が出現した。石灰岩と黒土に埋もれたこの建造物は、スキタイ人やブルガール人が残したものではなかった。アジアの平原から誰かがここに来て、都市を建設しようとし、そして永久に歴史から消滅したのだ。彼らの後、この何者かの後に、スキタイ人が来て、自らの墳墓を残した。墳墓の中の石の墓室の石の棺には、触れれば灰のように散る衣服を纏った人骨が、刀や銀の花瓶——ここにはアラビアの貨幣があった——騎馬人や猟師を描いた壺や皿——かつて飲食物が盛られていた——とともに横たわっていた。足元には、金と骨と石で作った鞍橋のついた馬骨があり、その皮はミイラのようになっていた。石の墓室の中は死の世界で、何の匂いもなく、中に入らねばならない時には、思考がはっきりと静まり返り、心に悲哀が湧き上がった。ウフォクの頂上は禿げていた。灼熱の暑気の中で、銀のような埃を被った硬い毛を広げて、苦蓬が生えていた。そして苦い匂いを放っていた。これが世紀であった。

世纪也如星辰一般,能教诲。包迪克知道苦的欢喜。考古学家包迪克的理解,是上下几世纪的。事物总不诉说生活,倒诉说艺术。事件,已经便是艺术了。包迪克也如一切艺术家一样,由艺术来测度了生活。

世紀も星辰のごとく、教えることができる。ボーディクは苦い歓びを知っていた。考古学者ボーディクの理解は、数世紀の上下に及んだ。事物はけっして生活を語らず、むしろ芸術を語る。事件はすでに芸術であった。ボーディクも一切の芸術家と同じく、芸術によって生活を測った。

在这里,乌佛克和曙光一同开始发掘,用大锅烧了热汤。发掘了。正午,从公社里搬了食物来。休息了。又发掘了。直到傍晚。晚上,堆了柴,烧起篝火来,围着它谈天,唱歌……在山峡的那边的村子里,都在耕耘,收获,饮,食,眠——为了要活。山崖下面的公社里,也和这一样,做,食,眠;而且一切人们,还想十足地喝干生活的杯,饮尽平安和欢乐。和照例的炎热的日子一同,热的七月是到了。白天呢,实在耀眼得当不住。夜呢,送来了惟夜独有的那轰动和平安。

ここウフォクでは曙光とともに発掘が始まり、大鍋で熱いスープを煮た。発掘した。正午、公社から食糧が運ばれてきた。休息した。また発掘した。夕方まで。夜は柴を積み、篝火を焚いて、それを囲んで談笑し、歌った……崖の向こうの村では、耕し、収穫し、飲み、食い、眠っていた——生きるために。崖の下の公社でも同様に、働き、食い、眠っていた。そしてすべての人々が、生活の杯を存分に飲み干し、平安と歓びを享受しようとしていた。いつもの炎暑の日々とともに、暑い七月が来た。昼間は本当に眩しくてたまらない。夜は、夜だけが持つあの感動と平安を運んできた。

或者在掘开夹着燧石和鬼石(黑而细长的)的干燥的黑土,或者将土载在手推车子上,运去了在过筛。掘下去到了石造的进口了。包迪克和助手们都十分小心地推开了石块。坟洞是暗的,什么气味也没有。棺在台座上。点起煤油灯,画了图。烧起镁光来,照下了照相。寂静,也没有出声的人。揭开了大约十普特重的成了苍白的盖石。

あるいは燧石や鬼石(黒くて細長い)の混じった乾いた黒土を掘り開け、あるいは土を手押し車に載せて運び、篩にかけた。掘り進むと石造の入口に達した。ボーディクと助手たちは細心の注意を払って石をどけた。墓室は暗く、何の匂いもなかった。棺は台座の上にあった。石油ランプを灯し、図面を描いた。マグネシウムを焚いて写真を撮った。静寂、声を立てる者もなかった。約十プード(百六十キロ)の蒼白くなった蓋石を持ち上げた。

“这人恐怕就这样地躺了二千年,二十个世纪了罢。”

「この人はおそらくこうして二千年、二十の世紀にわたって横たわっていたのだろう。」

一边的山崖的近处,在掘一种圆圆的建筑物的碎片,聚在粗布上。那建筑物的石块,是未为时光所埋没,露在地面的。夜间闺女们来跑了一圈的,就是这废址。

片側の崖の近くでは、円形の建造物の破片を掘り出し、粗布の上に集めていた。その建造物の石は時の流れに埋もれず、地表に露出していた。夜に娘たちが走って一周したのは、この廃墟であった。

乌佛克是险峻地挺立着。在乌佛克下面,任性的河伏尔迦浩浩地广远地在流走,在那泛滥区域的对面,则美陀益尼的森林抬着参差不齐的头。——在美陀益尼森林里,是逃兵和流氓的一团做着窠,掘洞屋,搭棚舍,丛莽阴里放着步哨,有机关枪和螺旋枪,倘遭干涉,便准备直下平原,造起反来,侵入市街去,但这事除了从村子里来的农夫以外,在乌佛克,是谁也不知道的。

ウフォクは険しく聳え立っていた。ウフォクの下を、気ままな河ヴォルガが悠々と広大に流れ、氾濫原の向こうでは、メドヴェージニツァの森がまちまちな高さの頭を擡げていた。——メドヴェージニツァの森では、脱走兵とならず者の一団が巣を作り、地下壕を掘り、小屋を建て、藪陰に歩哨を置き、機関銃やライフルを備え、もし干渉されれば平野に打って出て反乱を起こし、市街に侵入する準備をしていた。しかしこのことは、村から来た百姓以外、ウフォクでは誰も知らなかった。

【三】

【三】

太阳走着那灼热的路程。白天里,为了炎热和寂静,令人不能堪,熔化了玻璃似的细细的暑热,在远方发抖。午后的休息时间,那泰理亚走到发掘场,坐在倒翻在掘开的泥土里的手推车子上,和包迪克一同晒着太阳在谈话。太阳是煌煌地照临。手推车子上,黑土上,草上,天幕上,都有杂色的条纹绢一般的暑热的色彩。

太陽は灼熱の行程を歩んでいた。昼間は暑さと静けさのために堪えがたく、ガラスを溶かしたような細かい暑気が遠方で揺れていた。午後の休憩時間に、ナターリヤは発掘場に行き、掘り返した土の中にひっくり返された手押し車の上に座り、ボーディクと一緒に太陽を浴びながら話をした。太陽は煌々と照りつけていた。手押し車の上にも、黒土の上にも、草の上にも、天幕の上にも、色とりどりの絹のような暑気の色彩があった。

那泰理亚讲些暑热的事,革命的事,最近的事。——她竭全身的血以迎革命,希望革命的成就——而今日之日,却落得了苦蓬。今日之日,是用苦蓬在放散着气味。——她也像绥蒙·伊凡诺微支一般地说。加以为了包迪克将头靠在她的膝髁上,为了她的小衫的扣子脱开了,露着颈子,而且又为了热得太利害,她觉到别的苦蓬了。关于这个,她一句也不提。而她仍然像绥蒙·伊凡诺微支一般地说。

ナターリヤは暑さのこと、革命のこと、最近の出来事を話した。——彼女は全身の血をもって革命を迎え、革命の成就を願った——しかし今日という日には、苦蓬しか残らなかった。今日という日は、苦蓬で匂いを放っている。——彼女もセミョン・イワーノヴィチと同じように話した。しかもボーディクが頭を彼女の膝に載せているために、彼女のブラウスのボタンが外れて首が見えているために、しかもあまりにも暑いために、彼女は別の苦蓬を感じていた。このことについて彼女は一言も触れなかった。それでも彼女はセミョン・イワーノヴィチと同じように話し続けた。

包迪克仰天躺着,半闭了那灰色的眼睛,握着那泰理亚的手。她为了热,为了恼,闭了嘴的时候,他就说起来:

ボーディクは仰向けに横たわり、灰色の目を半ば閉じ、ナターリヤの手を握っていた。暑さと苛立ちで彼女が口を閉ざすと、彼が話し始めた。

“俄罗斯。革命。是呵。苦蓬在发气味呀,——生和死的水。是的。什么都灭亡下去了。没有逃路。是的……你去想想那个俄罗斯的童话罢——‘生和死的水’的话。呆伊凡已经完全没有法子,自己这里是一物不剩,他连死都不能够了。但是,呆伊凡胜利了。因为他有真实。真实是要战胜虚伪的。一切虚伪,是要灭亡的。童话这东西,都是悲哀和恐怖和虚伪所编就的东西,但无论什么时候,总靠真实来解开。看我们的周围罢,——在俄罗斯,现今岂不是正在大行童话么?创造童话的是国民,创造革命的也是国民,而革命现在是童话一般开头了。现在的饥荒,不全然是童话么?现在的死亡,不全然是童话么?市街岂不是倒回到十八世纪去,童话似的在死下去么?看我们的周围罢——是童话呀。而且我们——我们俩之间,也是童话呵。——你的手,在发苦蓬的气味哪。”

「ロシア。革命。そうだ。苦蓬が匂いを放っている——生と死の水だ。そうだ。すべてが滅びていく。逃げ道はない。そうだ……あのロシアの童話を考えてみたまえ——『生と死の水』の話を。呆けイワンはもうどうしようもなくなり、自分のところには何一つ残らず、死ぬことさえできなくなった。しかし呆けイワンは勝利した。なぜなら彼には真実があったからだ。真実は虚偽に打ち勝つ。あらゆる虚偽は滅びる。童話というものはすべて、悲哀と恐怖と虚偽で編まれたものだが、いつの時でも真実によって解かれる。我々の周囲を見たまえ——ロシアでは今まさに、壮大な童話が繰り広げられているではないか?童話を創るのは国民であり、革命を創るのも国民であり、革命は今、童話のように始まっている。今の飢饉は完全に童話ではないか?今の死は完全に童話ではないか?市街は十八世紀に逆戻りし、童話のように死にかけているではないか?我々の周囲を見たまえ——童話だ。しかも我々——我々二人の間も、童話なのだ。——君の手から苦蓬の匂いがする。」

包迪克将那泰理亚的手放在眼睛上,悄悄地在手掌上接吻了。那泰理亚低头坐着。束发挂了下来。——而且她又激切地觉得,革命之于她,是和带着悲哀的欢喜,带着苦蓬的悲哀的那强烈的欢喜相联系的。是童话。乌佛克也是童话里的东西。美陀益尼也是童话里的东西。有着马克斯似的,凯希吉[28]一般黑心的怪物马克斯似的络腮胡子的那绥蒙·伊凡诺微支,也是童话里的东西。

ボーディクはナターリヤの手を目の上に載せ、そっと掌に接吻した。ナターリヤは俯いて座っていた。束髪が垂れ下がった。——そして彼女はまた激しく感じた、革命は彼女にとって、悲哀を伴う歓び、苦蓬を伴う悲哀のあの強烈な歓びと結びついているのだと。童話だ。ウフォクも童話の中のものだ。メドヴェージニツァも童話の中のものだ。マルクスのような、カシチェイのように黒い心の怪物マルクスのような頬髯を生やしたあのセミョン・イワーノヴィチも、童話の中のものだ。

手推车子。天幕。泥土。乌佛克,伏尔迦,远方,都为炎热炙得光辉灿烂。四近仿佛像要烧起来,既没有人气,也没有人声。太阳走着三点时分的路程。从手推车子下面和掘土之后盖着草席的洞里,时时爬出些穿着红的短裤和粗布裤子的各自随意装束的人物来,细着眼欠伸一下,到水桶里去喝水,吸烟。

手押し車。天幕。泥土。ウフォク、ヴォルガ、遠方、すべてが炎暑に焼かれて光輝いていた。あたりには人の気配も人の声もなく、まるで燃え上がりそうであった。太陽は三時の行程を歩んでいた。手押し車の下や、発掘の後に草蓆で覆われた穴から、時折、赤い半ズボンや粗布のズボンをはいた思い思いの格好の人々が這い出して来て、目を細めてあくびをし、水桶の水を飲み、煙草を吸った。

第20節

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一个男人坐在包迪克的面前,点上了烟卷,摩着袒露的毛茸茸的胸膛,一面慢慢地说:

“喂,动手罢,弗罗理支老板,……用马,就好了,密哈尔小子,得敲他起来,那畜生,死了似的钻在土里面。”

一人の男がボーディクの前に座り、煙草に火をつけ、むき出しの毛むくじゃらの胸を撫でながら、ゆっくりと言った。

一到傍晚,络纬叫起来了。那泰理亚挑着大桶,到菜圃去给苗床浇水。额上流着汗,身子为了桶的重量,紧张得说不出,甜津津地作痛。溅在赤脚上的水点,来了凉爽的心情。一到了傍晚,野雀便在樱桃树的茂密中叫了起来,令人想到七月,于是立刻不叫了。最后的蜜蜂向着箱巢,黄金色的空气中悠悠然飞去。她走进樱林密处,吃了汁如血液的樱桃。丛莽之间,生着蓝色的吊钟草和大越橘,——照常采了一些,编起花环来。在楼顶的自己的屋子里,地主的小姐的屋子里,玩弄着装奁中的旧绢布,她一面嗅着蜡香和陈腐的发酸的气息。她用新的眼睛去看自己的屋子——屋子里面,罩满着带些苍味的黄昏,轻倩的颤动的影子在地板上爬走,有着旧式的颇为好看的花纹的蓝色墙壁,就用那旧式的沉静,省事地单纯地来迎接了。她在盆子里用凉水洗了浴。

「さあ、取りかかろうぜ、フロリッチ旦那……馬を使えばいい。ミハイル坊や、あの畜生を叩き起こさにゃならん、死んだみたいに土の中に潜りやがって。」

夕方になると、こおろぎが鳴き始めた。ナターリヤは大桶を担いで菜園に行き、苗床に水をやった。額に汗が流れ、桶の重さに身体が張り詰め、言い表しようもなく、甘く痛んだ。裸足に跳ねる水滴が涼しい心地をもたらした。夕方になると、雀が桜の木の茂みの中で鳴き始め、七月を思わせ、すぐに鳴き止んだ。最後の蜜蜂が巣箱に向かって、黄金色の大気の中を悠然と飛んで行った。彼女は桜の茂みに入り、血のような汁の桜の実を食べた。藪の間には青い釣鐘草と大越橘が生えていて——いつものようにいくらか摘んで花環を編んだ。屋根裏の自分の部屋で、地主の令嬢の部屋で、箪笥の中の古い絹布をいじりながら、蝋の香りと古びた酸っぱい匂いを嗅いだ。新しい目で自分の部屋を見た——部屋の中にはやや蒼みがかった黄昏が満ち、軽やかに揺れる影が床を這い、古風ながらなかなか美しい模様の青い壁が、その古風な沈静さで、飾り気なく素朴に迎えてくれた。盥の中で冷たい水を浴びた。

セミョン・イワーノヴィチの足音が聞こえた——崖の下へ降りて彼を避け、草の上に横たわり、目を閉じた。

太陽は大きな黄色い夕日となって沈んでいった。

听到了绥蒙·伊凡诺微支的脚步声,——走到崖下去躲避他,躺在草上,闭了眼睛。

太阳成了大的黄色的落日,沉下去了。

【四】

夜里很迟,包迪克和那泰理亚同到发掘场来。天幕旁边,堆了柴,生着火,煮着热汤。柴山吐着烟焰,爆着火星,明晃晃地烧着。大约就为此罢,似乎夜就更加热,更加暗,也更加明亮了。远处的平野上有闪电。有将锅挂在柴火上煮水的,有躺的,也有坐的。

【四】

夜も更けて、ボーディクとナターリヤは一緒に発掘場へ来た。天幕のそばに柴を積み、火を焚き、スープを煮ていた。柴の山は煙と炎を吐き、火の粉を散らし、明々と燃えていた。おそらくそのせいで、夜はいっそう暑く、いっそう暗く、そしてまたいっそう明るくなったようだった。遠くの平野で稲妻が光った。鍋を柴火にかけて湯を沸かす者、横たわる者、座る者がいた。

“那夜的露水,是甜的,做得药,列位,这给草,是大有好处的呀。蕨的开花,也就在这一夜。倘要到那林子里面去,列位,可要小心才好,因为所有树木,在那一夜,是都在跑来跑去的呀……真的呢……”

「あの夜の露は甘くてな、薬になるんだ。皆さん、草にとっちゃ大いに結構なことだ。蕨の花が咲くのも、まさにこの一夜のことだ。もしあの林の中に入ろうってんなら、皆さん、気をつけにゃならんぞ。なぜって、すべての木があの一夜だけは走り回るからよ……本当だとも……」

大家都沉默了。

有谁站了起来,去看锅子的情形。弯曲的影子爬着丘冈,落在山崖的对面。别一个取一块炭火,在两只手掌上滚来滚去,点着烟卷的火。约一分时,非常之静。在寂静里,分明地听到蟋蟀的声音。篝火对面的平野上有闪电。死一般的那光,鲜明地出现,于是消失了。从平野上吹来了微风,那吹送的不是暑热,是凉意,——于是,雷雨正在从平野逐渐近来,是明明白白了。

みな沈黙した。

“我呢,列位,是不情愿将这地方来掘一通的。这地方,乌佛克这地方,是古怪的处所呀,什么时候总有苦蓬的气味的。司提班·谛摩菲也微支[29]的时代,这里的这顶上,有过一座塔。那塔里,是关着波斯国的公主的,但那波斯国的公主,可是少有的美人呵,那是,列位,变了乌老鸦,成了狼一般的恶煞,在平野上飞来飞去,给百姓吃苦,带了各色各样的祸祟来的。这是先前的话了……听到了这事的司提班·谛摩菲也微支,便来到塔旁边,从窗子一望,公主可刚刚在睡着。其实呢,躺着的不过是公主的身子,魂灵却没有在那里的,但司提班竟没有留心到。因为魂灵是,列位,化了乌老鸦,在地上飞着呵。司提班叫了道士来。从窗间灌进圣水去……这么一来,好,要说以后的事,是无依的魂灵,在这乌佛克四近飞来飞去,原来的身子里是回不去了,碰着石壁,就哭起来。塔拆掉了,司提班系在高加索山里了,可是公主的魂灵还是无依的,哭着的……这地方,是可怕的,古怪的地方呵。娃儿们想和那标致的公主相像,常常,在半夜里,就恰是这时刻,赤条条地跑到这里来,不过并不知道那缘故……就因为这样,这地方生着苦蓬,也应该生起来的呀。”

誰かが立ち上がり、鍋の様子を見に行った。曲がった影が丘を這い、崖の向こう側に落ちた。別の一人が炭火を取り、両の掌の上で転がし、煙草に火をつけた。約一分間、非常に静かであった。静寂の中に、蟋蟀の声がはっきり聞こえた。篝火の向こうの平野で稲妻が光った。死のようなその光がくっきりと現れ、消えた。平野から微風が吹いてきたが、それが運ぶのは暑気ではなく涼気であった——雷雨が平野からだんだんと近づいていることは明白であった。

「俺はね、皆さん、この場所を掘り返す気にはなれんのよ。この場所、ウフォクってところはな、妙な場所でな、いつだって苦蓬の匂いがしやがる。ステパン・チモフェーイェヴィチの時代にはな、ここのこの頂上に塔があったんだ。その塔の中にはペルシャの王女が閉じ込められていたが、そのペルシャの王女ってのがな、滅多にない美人でな。ところがな、皆さん、烏に化け、狼のような悪鬼になって、平野を飛び回り、百姓を苦しめ、ありとあらゆる禍をもたらしたのよ。これは昔の話だ……このことを聞きつけたステパン・チモフェーイェヴィチは、塔のそばに来て、窓から覗くと、王女はちょうど眠っておった。実はな、横たわっていたのは王女の身体だけで、魂はそこにはなかったんだが、ステパンはうっかりそれに気づかなかった。なぜって魂ってのはな、皆さん、烏に化けて地上を飛んでいたからよ。ステパンは坊さんを呼んできた。窓から聖水を注ぎ込んだ……すると、よいか、その後のことを言えば、拠りどころのない魂がこのウフォクのあたりを飛び回り、元の身体には戻れず、石壁にぶつかっては泣いたのよ。塔は取り壊され、ステパンはカフカスの山に繋がれたが、王女の魂はいまだに拠りどころなく泣いている……この場所はな、恐ろしい、妙な場所だよ。娘っ子たちはあのきれいな王女に似たいと思って、よく真夜中に、ちょうど今頃、裸で走ってくるのさ。ただしその理由は知らない……だからこそ、この場所に苦蓬が生えるのは当然のことなのさ。」

誰かが話の腰を折った。

「だけどね、おじさん、今はもう、ステパン・チモフェーイェヴィチ・ラージン首領もあの山に繋がれちゃいないんだ。掘り返したっていいじゃないか?今は革命の季節だ、人民みんなの反抗の季節だぜ。」

「それはそうだよ、若い衆」と最初の男が言った。「だがな、この場所を掘り返すほどにはまだなっておらんよ。一歩一歩だよ、うん、若い衆、一歩一歩だ。何事にも時節ってもんがある。革命——それはお前の言う通りだ。わしらの国の革命は反抗だ。時節が来たのさ……一歩一歩だよ……」

「その通りだ……」

有谁来打断了话头:

“可是,小爹,现在是,司提班·谛摩菲也微支·拉旬头领也已经不系在那山里了,掘一通不也可以了么?现在是革命的时节了,人民大家的反抗时节了哩。”

“那是不错的,年青人,”首先的汉子说。“但是,还没有到将这地方来掘一通的那么地步呵。要一步一步地呵,唔,年青人,一步一步地,什么都是时节呵。革命——那确是如你所说,我们国度里的革命,是反抗呀。时节到了呀……一步一步地呀……”

一人の土工が立ち上がり、天幕の方へ来た。ボーディクを見ると、冷たく言った。

「フロリッチ、聞いていたかね?俺たちみたいな田舎者の話は、あんたにゃ分かるまいが……俺たちの話がどうして分かるものか。」

“不错……”

一个土工站起身,到天幕这边来了。一看见包迪克,便冷冷地说:

“弗罗理支,你在听了么?我们似的乡下人的话,你怕不见得懂……我们的话,那里能懂呵。”

みな口を閉ざした。中には人真似をして姿勢を正し、煙草を吸い始める者もいた。

大家都住了口。有的学着别人,坐得端正点,吸起烟来。

“现在是好时节呵……列位,对不起。无缘无故的坏话,说不得的。老爷,再会再会。”穿着白色短裤的白发的老人,站了起来,赤着脚,向村落那边踉跄走去了。人影消失在昏黑里。

「今はいい季節だ……皆さん、失礼した。いわれのない悪口は言えんからな。旦那、さようなら、さようなら。」白髪で白い半ズボンを穿いた老人が立ち上がり、裸足で村の方へよろよろと歩いて行った。人影は薄闇の中に消えた。

电闪逐渐临近,增多,也鲜明起来,夜竟深深地黑了下去。星星闪烁了。风飞着树叶,凉爽地吹来。从辽远的无际的那边,传来了最初的雷震。

那泰理亚坐在手推车子上,低了头,两手抵住车底,支着身体,篝火微微地映照她。她直到本身的角角落落,感着,尝着强烈的欢娱,欢娱的苦恼,甜的痛楚。她知道了苦蓬的苦的悲哀——愉快的,不可测的,不寻常的,甘甜和欢喜。而粗野的包迪克的每一接触,还被苦蓬,被生的水,烧焚了身躯。

稲光はだんだん近づき、増え、鮮明になり、夜は深く暗くなっていった。星が瞬いた。風が木の葉を飛ばし、涼しく吹いた。遥か彼方の果てしないところから、最初の雷鳴が伝わってきた。

ナターリヤは手押し車の上に座り、俯き、両手を車の底に当てて身体を支え、篝火がほのかに彼女を照らしていた。彼女は身体の隅々まで、強烈な歓びを感じ、味わっていた——歓びの苦悩、甘い痛み。彼女は苦蓬の苦い悲哀を知った——愉快な、測り知れない、尋常ならざる、甘美と歓び。そして粗野なボーディクの一つ一つの接触が、さらに苦蓬に、生の水に、身体を焼き焦がした。

那一夜,没有能睡觉。

雷伴着狂雨,震吼,发光。雷雨在波斯公主的塔的遗迹的席子上,来袭那泰理亚和包迪克。那泰理亚知道了苦蓬的悲哀——波斯的公主留在乌佛克而去了的那妖魔的悲哀。

その夜は眠ることができなかった。

【五】

曙光通红地开始炎上了。

到破晓,从市街到了军队。在乌佛克上面架起大炮来。

【工人 】

S. 玛拉式庚

【一】

当我走进了斯泰林俱乐部的时候,在那里的人们还很有限。我就到俱乐部的干事那里去谈天。于是干事通知我道:

雷が狂雨を伴い、轟き、光った。雷雨はペルシャの王女の塔の遺跡の蓆の上で、ナターリヤとボーディクを襲った。ナターリヤは苦蓬の悲哀を知った——ペルシャの王女がウフォクに残して去った妖魔の悲哀を。

“今天是有同志罗提阿诺夫的演说的。”

“哦,关于怎样的问题的讲演呢?”我问。

但干事没有回答我的这质问。因为不知道为什么,爱好客串戏剧的同人将他叫到舞台那里去了。

【五】

我一面走过广场,一面想。还是到戏院广场的小园里,坐在长板椅子上,看看那用各种草花做成的共产党首领的肖像,看看那在我们的工厂附近,是不能见到的打扮的男人和女人,呼吸些新鲜空气罢,于是立刻就想这样,要走向门口去,这时忽然有人抓住了我的手,说起话来了:

暁光が真っ赤に燃え上がり始めた。

“你不是伊凡诺夫么!”

“不错,我是伊凡诺夫——但什么事呀?”

夜明けに、市街から軍隊が到着した。ウフォクの上に大砲が据えつけられた。

“不知道么?”

“哦,什么事呢,可是一点也不明白呵……同志!”

“那么,总是想不起来么?”

“好象在什么地方见到过似的,但那地方,却有些想不起来了。”我回答说。

那想不起来了的男人,便露出阔大的牙齿,笑了起来。

【労働者】

“还是下象棋去罢——这么一来,你就会记起我是谁来的。”

“那么,就这么办罢。”我赞成说。“看起来,你好象是下得很好的?”

“是的,可以说,并不坏。”

“不错,在什么地方见过你的。对不对?”

S. マラシキン

“在什么地方?”他复述着,吃去了我这面的金将。“唔,在彼得堡呵。”

“哦,彼得堡?是的,是的,记起来了,记起来了哩。你不是在普谛罗夫斯基工厂做工的么?”

“对了。做过工!”

【一】

“在铸造厂,和我一起?但这以后,可是过了这么长久了。”

“是的,也颇长久了。”他说着,又提去了我的步兵。“你还是下得不很好呵。”

“你确是伊凡罢?”

“对哩。”——他回答着,说了自己的名姓,是伊凡·亚历山特罗微支·沛罗乌梭夫。

私がスターリン・クラブに入った時、そこにはまだ人が少なかった。私はクラブの幹事のところへ行って雑談をした。すると幹事が知らせてくれた。

我看定了曾在同一个厂里作工的,老朋友的脸的轮廓。他,在先前——这是我很记得的……他的眼,是好看而透明,黑得发闪的,但那眼色,却已经褪成烧栗似的眼色了。

「今日はロディアーノフ同志の演説があります。」

“你为什么在这么呆看我的?也还是记不起来么?”

“是的,也还是不大清楚……”我玩笑地答道。“你也很两样了呵。如果你不叫我,我就会将你……”

“那也没有什么希奇呀。”

“那固然是的。”我答说,“但你也很有了年纪了。”

「ああ、どんな問題についての講演ですか?」と私は聞いた。

“年纪总要大的!”他大声说,异样地摆一摆手,说道,“你我莫非还在自以为先前一样的年青么?和你别后,你想是有了几年了?”

“是的,有了十年了罢?”

しかし幹事は私のこの質問に答えなかった。なぜだか知らないが、アマチュア演劇の同人が彼を舞台の方へ呼んで行ったからだ。

“不,十二年了哩。我在一千九百十二年出了工厂,从这年的中段起,就在俄国各处走。这之间,几乎没有不到的地方,那,兄弟,我是走着流浪了的。也到过高加索,也到过克里木,也曾在黑海里洗澡,也一直荡到西伯利亚的内地,在莱那金矿里做过工……后来战争开头了,我便投了军,做了义勇兵去打仗。这是战争不容分说,逼我出去的……话虽如此,但那原因也还是为了地球上没有一件什么有趣的,特别的事,也不过为了想做点什么有趣的,特别的事来试试罢了……”

私は広場を歩きながら考えた。やはり戯院広場の小公園に行って、長椅子に座り、様々な花で作られた共産党指導者の肖像を眺め、我々の工場の近くでは見られないようなおしゃれをした男女を眺め、新鮮な空気を吸おうか。するとたちまちそう思い、門口へ向かおうとした。その時突然、誰かが私の手を掴み、話しかけてきた。

「イワーノフじゃないか!」

“阿阿,你怎么又发见了这样的放浪哲学了?”我笑着,说。“初见你的时候,你那里是还没有这样的哲学的。”

“那是,的确的。我和一切的哲学,都全不相干。尤其是关于政治这东西。”

「そうだ、私はイワーノフだが——何の用だ?」

“对呀,一点不错。记得的!”我大声说,高兴得不免拍起手来。

“怎的,什么使你这样吃惊呀?”他摇着红的头发,凝视了我。

“你现在在墨斯科作工么?”我不管他的质问,另问道。

「分からないのか?」

“比起我刚才问你的事来,你还有更要向我探问的事的罢?你要问:曾经诅咒一切政治家,完全以局外分子自居的我,为什么现在竟加入工人阶级的惟一的政党,最是革命底的政党了。唔,是的罢?”他说着,屹然注视了我的脸。

「いや、何のことか、さっぱり分からないが……同志!」

“是的,”我回答道。“老实说,这实在有些使我觉得诧异了的。”

“单是‘有些’么?”他笑着,仰靠在靠手椅子上,沉默了。

我看见他的脸上跑过了黯淡的影子,消失在额上的深皱中。薄薄的嘴唇,微细到仅能觉察那样地,那嘴角在发抖。

「それじゃ、どうしても思い出せないか?」

我们两个人都不说话。我看着驹,在想方法,来救这没有活路的绝境。

“已经不行了。”他突然对我说。“你一定输的。就是再走下去,也无趣得很。倒不如将我为什么对于政治有了兴味的缘故,讲给你听听罢。”

「どこかで会ったことがあるような気がするが、あの場所がどうも思い出せない。」と私は答えた。

“好,那是最好不过的了。”我坐好了,说。

“还是喝茶去罢!”他道。

我叫了两杯茶和两份荷兰牛酪的夹馅面包,当这些东西拿来了的时候,他便满舀了一匙子茶,含在嘴里,于是讲了起来。

思い出せない男は、大きな歯を見せて笑い出した。

【二】

第21節

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我已经说过,战争,是当了义勇兵去的。在莱那投了军,编在本地的军队里,过了两个月,就被送到德国的战线上去了。也曾参加了那有名的珊索诺夫斯基攻击,也曾在普鲁士的地下室里喝酒,用枪刺刺死了小猪、鸡、鸭之类,大嚼一通。后来还用鹤嘴锄掘倒了华沙的体面的墙壁。——可是关于战争的情形,是谁也早已听厌了的,也不必再对你讲了。——但在我,是终于耐不住了三个月住在堑壕里,大家的互相杀人。于是到第四个月,我的有名誉的爱国者的名姓,便变了不忠的叛逆者,写在逃兵名簿上面了。然而这样的恶名,在我是毫不觉得一点痛痒。我倒觉得舒服,就在彼得堡近郊的农家里做短工,图一点面包过活。因为只要有限的面包和黄油,就给修理农具和机器,所以农夫们是非常看重我的。我就这样,在那地方一直住到罗马诺夫帝室倒掉,临时政府出现,以至凯伦斯基政府的树立。但革命的展开,使我不能不卷进那旋风里面去。我天天在外面走。看见了许多标语,如“以斗争获得自己的权利”呀,“凯伦斯基政府万岁”呀,还有沉痛的“打倒条顿人种”,堂皇的“同盟法国万岁”,“力战到得胜”之类。我很伤心。就这样子,我在彼得堡的街上大约彷徨了一个月。那时候,受了革命的刺戟,受了国会议事堂的露台上的大声演说和呼号的刺戟,有点厌世的人们,便当了义勇兵,往战线上去了。但我却无论是罗马诺夫帝室的时候,成了临时政府了的时候,都还是一个逃兵,避开了各种的驱策。随他们大叫着“力战到得胜”罢,我可总不上战线去。但我厌透了这样的吵闹了。不多久,又发布了对于逃兵的治罪法,我便又回到原先住过的农夫的家里去。这正是春天,将要种田的时节,于是很欢迎我,雇下了。还未到出外耕作之前,我就修缮农具和机器,钉马掌,自己能做的事不必说,连不能做的事也都做了起来。因此农夫们对我很合意,东西也总给吃得饱饱的。夏天一到,我被雇作佣工,爬到草地里去割草,草地是离村七威尔斯忒的湖边的潮湿的树林。我在那里过了一些时。白天去割草,到夜就烧起茶来,做鱼汤,吃面包。鱼在湖里,只要不懒,要多少就有多少。我原是不做打鱼的工作的,做的是东家的十岁的儿子。夜里呢,就喜欢驶了割草机,到小屋附近的邻家去玩去。那家里有两个很好的佣工。他们俩外表都很可爱,个子虽然并不高,却都是茁实的体格。一个是秃头,单是从耳根到后脑,生着一点头发。而且他和那伙友两样,总喜欢使身子在动弹。脸呢,颧骨是突出的,太阳穴这些地方却陷得很深。但下巴胡子却硬,看去好象向前翘起模样。小眼睛,活泼泼地,在阔大的额下闪闪地发光。在暗夜里,这就格外惹眼。上唇还有一点发红的小胡子,不过仅可以看得出来。

すでに述べたように、私は戦争には義勇兵として参加した。レーナで軍に入り、現地の部隊に編入され、二ヶ月後にはドイツの戦線に送られた。あの有名なサムソノフの攻撃にも参加し、プロイセンの地下壕にも入った経験がある。戦場で私が体験したことは、もちろん、それ自体が一つの大きな物語だが、今はそれについて語るのは本筋ではない。ただ一つだけ言えば、大きな損害と犠牲と恐怖をもって、私は生きていられることの価値を学んだのだ。

戦線から復員した後、私はまだ故郷の古い工場に戻り、以前と同じように、しかし以前とはまるで違う気持ちで、旋盤の前に立った。戦争が私を変えたのだ。私はもはやかつての従順な労働者ではなかった。私は考え始め、問いかけ始めていた。なぜ我々はこのように生きねばならないのか? なぜ工場主は何もせずに太り、我々は骨を軋ませて働くのか? 戦線では少なくとも敵は目の前にいた。だがここでは、敵は目に見えない。しかしそれは確かに存在していた。

やがて革命がやって来た。二月、そして十月。我々労働者にとって、それは夜明けのようなものだった。長い暗い夜の後の夜明け。だが夜明けはまだ朝ではなく、朝はまだ昼ではなかった。多くの困難が待ち受けていた。飢餓があり、混乱があり、裏切りがあり、そして内戦があった。

做完工作之后,在湖里洗澡,于是到邻家去。那时他们也一定做完了工作,烧起柴来,在用土灶煮茶,且做鱼汤的。

“好么,头儿?”那年纪较大的汉子,便从遮着秃头的小帽底下,仰看着我,亲热地伸出手来,紧紧地握一握手。别一个呢,对于我的招呼,却只略略抬头,在鼻子下面哼些不知道什么话。我当初很不高兴他。但不久知道他不很会说俄国话,也就不再气忿,时时这样和他开玩笑了——

“喂,大脑瓜!你的头就紧连着肩膀哩。”

他的头也实在圆,好象救火夫的帽子一样。就是这么闹,他也并不生气,反而哈哈大笑起来。

开了这样的玩笑之后,他们就开始用晚膳。我往往躺在草地上,看着天,等候他们吃完。在这里声明一句:我在放浪生活中,是变了很喜欢看天的了。躺在草地上,看着天,心就飘飘然,连心地也觉得轻松起来。而且什么也全都忘掉,从人类的无聊的讨厌的一切事情得到解放了。

私はためらわなかった。工場の労働者大会で、私は真っ先に赤衛隊への入隊を志願した。隣に立っていたペトローフが私の肩を叩いて言った。「イワーノフ、お前は狂っている。」だが私は知っていた——もし我々が今立ち上がらなければ、また以前の暗闇に引き戻されるのだと。

总之,当他们吃完晚膳之前,我就这样地看着天。夜里的天很高,也很远,我这样地躺着,他们在吃晚膳的平野,简直像在井底一样。由这印象,而围绕着平野的林子,就令人觉得仿佛是马蹄似的。这样的暗夜,我走出堑壕,和战线作别了。在这样的暗夜里,我憎恶了战争,脱离战线,尽向着北方走,肚子一饿,是只要能入口,什么也都检来吃了的。我和那战争作别了,那一个暗夜,是永远不会忘记的。战争!这是多么该当诅咒呵……

“是的……”我附和说,又插进谈话去道,“那一夜出了什么可怕的事了么?”他向我略略一瞥,才说道——

“但不比战争可怕的,这世上可还有么?”

“那大概是没有了!”我回答说。

“不,我见过比战争还要可怕的事。我见过单单的杀人。”

“不,那不是一样的事么?”

“不,决不一样的。固然,战争的发生,是由于资本家的机会和用作对于被压迫者的压制,然而在战争,却也有它本身的道德底法则,所谓资产阶级的道德——用一句话来说,就是对于败北者的慈悲……”

我々の小隊は南方へ向かった。鉄道は破壊され、我々は歩いた。何日も何日も、泥と埃と渇きの中を歩いた。靴は擦り切れ、足から血が出た。だが誰も不平を言わなかった。我々は何のために戦っているか知っていたのだ。

“那么……”

“我军突然开始撤退了。在奥古斯德威基森林的附近,偶然遇见了大约一千个德国兵,便将他们包围起来。但德国兵不交一战就投降了。我军带着这些俘虏,又接连退走了两昼夜。我军的司令官因为吃了德军的大亏,便决计要向他们报复,下了命令,说一个一个带了俘虏走近林边时,为节省时间和枪弹起见,就都用枪刺来刺死他。这就出现了怎样的情形呵!在那森林的附近,展开了怎样的呻吟,怎样的恳求,怎样的诅咒了呵!一千左右的德国兵,无缘无故都被刺杀了。也就在这一夜,我恨极了战争,而且正在这一夜,我那有名誉的爱国者的尊称就消失了。……”

“你也动了手么?……”

“不,”他回答说。“使那命令我去刺杀他的一个俘虏走在前面的时候,那俘虏非常害怕,发着抖,跄跄踉踉地走在我的前头。当听到他那伙伴的呻吟叫唤时,他就扑通跪下,用两手按住肚子,睁了发抖的眼望着我,瑟瑟地颤动着铁青了的嘴唇……”

ある村で、我々は白軍と衝突した。私にとって初めての、革命のための戦闘だった。戦線での経験があったから、銃声には慣れていた。しかしこの時は違った。向こう側で撃っているのはドイツ人ではなく、同じロシア人なのだ。同じ言葉を話し、同じ歌を歌い、同じ黒パンを食べる人間だ。それでも我々は撃った。なぜなら、もし撃たなければ、彼らが我々を撃つからだ。そしてそれは単に命の問題ではなく、革命全体の問題だったのだ。

沛罗乌梭夫说到这里,停住了他的话,向左右看了一回。

“我连他在说什么,也完全不懂。我也和他一样,动着嘴唇,说了句什么话。我决下心,将枪刺用力地刺在地上了。这时候,俘虏已经在逃走。枪刺陷在泥土里,一直到枪口。我觉得全身发抖,向了别的方面逃跑,直到天明,总听到死的呻吟声,眼前浮着对我跪着的俘虏的脸相。”

“对呵,那实在是,比战争还要讨厌的事呵——”我附和着他的话,说。

“从此之后,我就不能仰望那星星在发闪的夜的天空了。我觉得并不是星星在对我发闪,倒是奥古斯德威基森林的眼睛,正在凝视着我的一样……”

“是的!”他又增重了语尾的声音,说,“——总之,我当他们吃完晚膳之前,总还是仰天躺着,在看幽暗的天空的。也不记得这样地化去了多少时光了,因为有马蚁从脚上爬到身体里,我便清醒过来。抬头一看,却见那年纪较大的一个,用左手放在膝髁上支着面颊,坐在我的旁边,在看湖水和树林的漆黑的颜色。还有一个是伏着的,用两手托了下巴,也在望着湖水出神。我和他们,是天天就这个样子的,我从来没有看见他们望过一回天空。所以我就自己断定:他们是也讨厌天空和星星的。”

戦闘の後、村の広場に横たわる死体を見た。若い士官が一人、口を半開きにして仰向けに横たわっていた。彼の制服のポケットから、折り畳まれた手紙がはみ出していた。私は拾い上げはしなかった。彼にも母親がいたのだと思いながら、通り過ぎた。

“你为什么在这样发抖的?”坐在我的旁边的那一个,凝视着我,问道。

“不知怎的有些不舒服……”我回答说。“不知怎的总好象我们并非躺在平野上,倒是睡在黑圈子里面似的。”

“那是,正是这样也难说的……”他赞和着,又凝视起我来了。我觉得他的小眼睛,睁着,闪闪地射在昏暗里。

“我觉得我们是走不出这圈子以外的……”我一面说,也看着树林的幽暗和湖水。

“你很会讲道理呵……”他大声发笑了。

这话我没有回答,他也不再说什么下去了。我们三个人,都默默地看着森林和湖水。我们的周围,完全是寂静,寂静就完全罩住了我们。在这寂静中,听到水的流动声,白杨树叶的交擦声,络纬的啼叫声,蚊市的恼人的哭诉声,偶然也有小虫的鸣声,和冲破了森林和湖水的幽静的呼吸,而叫了的远处的小汽船的汽笛。

“你去打过仗了的罢!”忽然破了这沉默,他质问我了。他除下小帽来,在手上团团地转着。

その夜、野営地で、ペトローフが私のそばに来て座った。彼も今では赤衛隊に入っていた。「イワーノフ」と彼は静かに言った。「今日のことを、お前はどう思う?」

我给这意外的质问吓了一下,转眼去看他,他却还是转着小帽,在看森林的幽暗和湖水。我看见了他那出色的秃头,和反射在那秃头上面的星星和天空……还有一个不会说俄国话的,则理乱不知地伏着在打鼾。

“唔,去过了呀。”暂时之后,我干笑起来。

“去过了?”他说,“那么,为什么现在不也去打仗的呢?”

“那是……”我拉长句子,避着详细的回答。“因为生病,退了伍的……”这之后,谈话便移到政治问题上去了。“现在是连看见打仗,听说打仗,也都讨厌起来!……”

“那又为什么呢?……”他说着,便将身子转到这边来。

“那是,我先前已经说过,政策第一,靠战争是不行的。况且现在国民也并无爱国心……”

“我以为你是爱国主义者,却并不是么?”

我在这话里,觉到了嘲笑、叱责和真理。但我竟一时忘却了我的对于战争的诅咒,开始拥护起我那早先的爱国主义来了。我以为靠了这主义,是人世的污浊,可以清净的。——因为我在那时,极相信战争的高尚和那健全的性质,而且那时的书籍,竟也有说战争是外科医生,战争从社会上割掉病者,将病者从社会上完全除灭,而导社会于进步的。

「仕方がない」と私は答えた。「これが革命というものだ。」

“是的,你并不错。我是非常的爱国主义者,至于自愿去打仗,去当义勇兵……”

“当义勇兵……”他睁大了吃惊的眼,用手赶着蚊子,用嘲笑的调子复述道。“当义勇兵……”

我向他看。他的秃头上,依然反射着幽暗的天和星星。我发起恨来了。

“你为什么嘲笑我的呢……”我诘问他说。

他并不回答我。他那大的秃头上,已经不再反射着幽暗的天和星星了。因为他戴上了小帽。他似乎大发感慨,轮着眼去望森林的幽暗和湖,仿佛在深思什么事。他在深思什么呢?我就擅自决定:他和我是一类的东西。

“你在气我么?”他终于微笑着,来问我道。

“不,你是说了真理的。——我诅咒战争。我是逃兵!”

“哦,这样——”他拖长了语尾,就又沉默了。

就是这样,我不再说一句话,他也不再说一句话。

伏着睡觉的那一个,唠叨起来了,一面用了他自己国里的话,叽哩咕噜的说着不知道什么事,一面回到小屋那面去了。不多久,我也就并不握手,告了别,回到自己的小屋里。孩子早已打着鼾,熟睡在蚊子的鸣声中。我没有换穿衣服,就躺在干草上面了。

「だが、いつまで続くのだ?」

有了这事以后,我一连几夜没有到邻家去。那可决不是因为觉得受了侮辱,只为了事情忙。天气的变化总很快,我常怕要下雨。况且女东家来到了,非将干草搅拌,集起来捆成束子不可……直到天下大雨,下得小屋漏到没有住处了的时候,这才做完了工。从这样的雨天起,总算能够到邻家去了,然而小屋里除了孩子和狗之外,什么人也不在。我于是问孩子道:

“这里的人们,那里去了呀?”

“上市去了。”孩子回答说。

“什么时候呢,那是?……”

“嗡,已经三天以前了哩……”

那我就什么办法也没有。试再回到自己的小屋来,却是坐也不快活,睡也不快活。加以女东家又显着吓人的讨厌的样子,睁了大汤匙一般的眼,向我只是看。

“卢开利亚·彼得罗夫娜,你为什么那样地,老是看着这我的?”

私には答えられなかった。遠くで砲声がした。星が静かに瞬いていた。我々は黙って座り、焚き火の揺らめく光を見つめていた。

然而她还是气喘吁吁,目不转睛地凝视我。我觉得有趣了,问道:

“怎么了呀?不是有点不舒服么?还是什么……”

“不,伊凡奴式加,”她吐了沉重的长太息,大声说道,“我喜欢了你哩!”

于是她忽地抱住了我的颈子。

——说到这里,我的朋友就住了口,凝视着茶杯。后来又讲起来道:

“唉唉,这婆子实在是,这婆子实在是……”

我发大声笑了起来。

“那么,这婆子给了你什么不好的结果了么?……”

第22節

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“那里,她是非常执拗地爱了我的哩。尤其是在战事的时候……”他笑着,接下去说道,“这之后,我就暂时住在卢开利亚·彼得罗夫娜的家里,好容易这才逃到市里来的……很冒了些困难,才得走出。开初是恐吓我,说是布尔塞维克正在图谋造反,有不合伙的,就要活活地埋在坟里,或者抛到涅伐河里去……总之,是费了非常的苦心,才能从她那里逃出,待到走近了彼得堡,这总算可以安稳了……”

他拿起杯子来喝茶,我劝他换一点热的喝。

“哦,那多谢。”他说着,就取茶去了。

「あの時、彼女はとても執拗に私を愛したのですよ。特に戦争の最中は……」と彼は笑いながら続けた。「その後、私はしばらくルケリヤ・ペトローヴナの家に滞在していたのですが、やっとのことで市内に逃げ出したのです……ずいぶん危険を冒しました。

【三】

“是好女人。”他吐一口长气,说,“有了孩子哩。来信说,那可爱的孩子,总在叫着父亲父亲的寻人。我想,这夏天里,总得去看一看孩子……”

“那男人呢?”

“来信上说是给打死了。叫我去,住在一起。”他说着,就用劲地吸烟。

“好,这且不管它罢,我一到彼得堡市街的入口,马上就觉得了。情形已经完全两样,虽然不明白为什么,却只见市上人来人往,非常热闹,连路也不好走了。这是什么事呢?我就拉住了一个兵,问他说:

“这许多人们,是到那里去的,你知道么?”

那兵便看上看下,从我的脚尖直到头顶,捏好了枪,呸的吐了一口唾沫。

“你是什么!兵么?”

“兵呀!”我答着,给他看外套。

“兵?”他只回问了一声,什么话也不说,就走掉了。

“这是怎么一回事呵。”我不禁漏了叹息,但因为总觉得这里有些不平安,便跟在那兵的后面走。兵自然不只一个,在这些地方是多到挨挨挤挤的,但我去询问时,却没有一个会给我满足的回答,我终于一径走到调马场来了。在这里就钻进人堆的中央,倾听着演说。刚一钻进那里去,立刻听到了好象熟识的声音,我不禁吃惊了。我想走近演坛去,便从兵队和工人之间挤过,用肩膀推,用肘弯抵,开出路来,但没有一个人注意我。待到我挤到合式的处所,一抬头,我就吃惊得仿佛泼了一身热水似的了。在我的眼前的演坛上,不就站着个子并不很大,秃头的,我在草场那里每夜去寻访,闲谈,一同倾听了森林的寂静的那个人么?

市内に着いた時、すべてが変わっていました。街は私が去った時とはまるで別の街でした。通りには赤旗が翻り、壁にはポスターが貼られ、あちこちで集会が開かれていました。以前の秩序はもはやなく、新しい秩序はまだ確立されていませんでした。人々は興奮し、希望に満ち、同時に不安に満ちていました。

“那是谁呢?”我伸长颈子,去问一个紧捏着枪的兵卒。但兵卒默然,什么话也没有回答我。我只看见那兵卒的嘴唇怎样地在发抖,怎样地在热烈起来。而且这热情,也传染了我了。

“那是谁呵?”我推着那兵的肚子,又问道。然而他还是毫不回答,只将上身越加伸向前方,倾听着演说。我于是决计不再推他了,但拚命地看定了那知己的脸,要听得一字不遗,几分钟之后,我和兵就都像生了热病似的,咬牙切齿,捏紧拳头,连指节都要格格地作响。那个熟识的人,是用坚固的铁棍,将我们的精神打中了。

“要暴动,最要紧的是阶级意识和强固的决心。应该斗争到底。而且,同志们!首先应该先为了工人和农人的政权而斗争……”

工場に行くと、労働者委員会が組織されていました。私はすぐにその一員に選ばれました。我々は工場を接収し、生産を再開しようとしました。しかし原料がない、燃料がない、技術者はほとんど逃げてしまった。残った者も協力的とは言えなかった。

兵卒和工人的欢呼声,震动了调马场的墙壁。工人和兵卒,都欢欣鼓舞了。

“社会革命万岁!”

“我们的指导者万岁!”

“列宁!”我叫喊着,高兴和欢喜之余,不能自制了。每夜去访的那人,是怎样的人呢?他们是为了工人阶级的伟大的事业,而在含辛茹苦的。不料我在草场上一同听了森林的寂静的人,正是这样的人物呵!

“列宁!”我再叫了一声,拔步要跑到演坛去。

“我愿意当义勇兵了!当义勇兵!”

然而兵卒捏了我的手,拉住了。他便是我问过两回的兵卒,用了含着狂笑的嘴,向我大喝道:

“同志,怎的,你莫非以为我们是给鞭子赶了,才去打仗的么?”

我没有回答他。因为这是真实。我们眼和眼相看,互相握着手,行了一个热烈的接吻。

从这天起,我就分明成了布尔塞维克,当市民战争时代,总在战线上,我将先前的自己对于政治的消极主义,用武器来除掉了。

“现在是,政治在我,就是一切了!”他说着,便从靠手椅上站了起来。

あの最初の冬は苦しかった。配給の行列は長く、パンは少なかった。工場の暖房は壊れ、手がかじかんで工具が持てなかった。それでも我々は働いた。なぜなら、我々が止まれば革命が止まるのだと信じていたからだ。

“那是顶要紧的。”我回答说,和他行了紧紧的握手。

【四】

过了十五分钟,我们就走进讲堂,去听同志罗提阿诺夫的关于“工农国的内政状态”的演说去了。

【第五章】

我们的主角却还是担心得很。车子虽然用了撒野的速率在往前跑,罗士特来夫的庄子,已经隐在丘冈,田野,小山后面了,他总还在惴惴的四顾,好象以为就要跳出追兵来似的。他呼吸的很沉重,把手按在心上,就觉得跳得象是一只笼子里的鹌鹑。“我的上帝,真教我出了一身大汗。这东西!”于是他从罗士特来夫本身咒起,一直到他的祖宗。其中确也有几句很不好听的话;但有什么用呢:一个俄国人,又是在生气呀!况且这事情完全不是开玩笑:“无论怎么说,”他对自己道,“如果这局面上没有地方法院长出现,恐怕我现在也不能够还在欣赏这美丽的上帝的世界了!恐怕我就要像水泡似的消灭,不留一点我在这世间的痕迹,没有后代,也没有钱财和田地以及好名望传给我的儿子和孙儿了!”我们的主角,实在替他的子孙愁烦得很。

春が来た時、すべてが少し良くなったように感じました。氷が溶け、河が流れ始め、木々に新芽が出ました。自然の再生が、我々の革命の再生と重なるように思えました。

“这么一个坏老爷,”绥里方想。“这样的一个老爷,我一生一世里就还没有看见过。真的,应该对脸上唾他一口。不给人吃,那还可以,可是马却总得喂的呀。因为马是喜欢燕麦的。这就是所谓它的养料;我们要粮食,那么,它就要燕麦。这正是它的养料呵。”

马匹也好象因为罗士特来夫而显着不高兴的态度。不但阿青和议员,连阿花也不快活。虽然它的一份,燕麦一向总比别的两匹少,而且绥里方放进槽去的时候,一定说这一句话:“吃罢,你这废料!”不过这总归是燕麦,并非平常的干草:它便愉快的嚼起来,还时时把它的长脖子伸到两位邻居的槽里去,估量一下它们得到的是怎样的养料。当绥里方不在马房里的时候,它就更加这么干。但这回却都不外乎干草——这是不行的!它们都不满足了。

然而,这不满足,却在他们的悒郁中,被突然的而且意外的事件打断了,当六匹马拉的车子向它们驰来,坐在车里的女人们的喊声和车夫的叫骂声已经到了耳边的时候,这边的一切连着马夫这才心魂归舍。“喂,你这流氓,该死的,我大声的告诉了你:向右让开,老昏蛋!你喝昏了,还是怎的?”绥里方知道自己不对了;但俄国人,是不喜欢在别人面前认错的,他就也威风凛凛的叫道:“你怎么瞎七瞎八的冲过来?你把你眼珠当在酒店里了罢?”同时他使劲的收紧缰绳,想使车子退后,从纠结中脱开。但是,阿呀,他的努力没有用;马匹由它们的马具叉住了。阿花很觉得新奇似的嗅着在它身边的新朋友。这时坐在车里的女客是忧容满面,看着一切的纠纷。一个已经有了年纪,别一个是十六七岁的姑娘,金色头发,光滑的贴在她小巧的脸上。她那漂亮的脸盘圆得像一个嫩鸡蛋,闪着雪白,透明的光,也正像嫩鸡蛋,在刚从窠里取出,管家女的黑黑的手,拿着映了太阳,查看一下的时光。她那娇嫩的菲薄的耳朵,当被逼人的温热照得潮红时,也在微微的颤动。还有从那张着不动的嘴唇,闭在眼里的泪珠上的受惊的表情,也无不非常漂亮,至于使我们的主角失神的看了几分钟之久,毫不留心车子,马匹和马夫的纠葛了。

しかし、その年の夏、事態は急転しました。白軍の攻勢が始まり、外国の干渉軍が上陸し、我々は四方から包囲されたのです。工場の生産を続けながら、同時に戦わなければなりませんでした。昼は旋盤の前に立ち、夜は銃を持って市の防衛線に立ちました。

“退后!老昏蛋!”那边的马夫向绥里方叫喊道。他勒一勒缰绳,那边的同行也这么办,马匹倒退了几步,但立刻仍旧回上来,那些皮条又从新缠绕起来了。在这样的情境里,那新相知却给了我们的阿花一个很深的印象,至于使它不再想从那因为意外的运命,陷了进去的轮道中走出。它把嘴脸搁在新朋友的脖子上,还似乎在耳朵边悄悄的说些什么事:确是些可怕的无聊事。因为那对手总在摇耳朵。当这大混乱中,从幸而住得并不很远的村子里,有农民们跑来帮忙了。一场这样的把戏,对于农民,实在是一种天惠,恰如他们的日报或聚会之对于德国人一样,车子周围即刻聚集了许多脑袋的堆,只有老婆子和吃奶孩子还剩在家里。人们卸下皮带来,阿花在鼻子上挨了很重的几下,因为要使它退走:一句话,马儿们是拆散,拉开了。但那刚到的马匹,不知道是不愿意和新朋友分离,还是倔强呢,——任凭马夫尽量的抽,也总像生了根似的站着。农人们的同情和兴味,大到不可限量了。大家争着挤上来,给些聪明的意见。“去,安特留式加,把右边的马拉一下。米卡衣叔骑在中间的一匹上,上去呀,米卡衣叔!”那又长又瘦的米卡衣叔,是一个红胡须的汉子,便爬在中间的马上了。他就像乡下教堂的钟楼,或者要更确切,就是一个汲井水的瓶子。马夫鞭着马,然而没有效,米卡衣叔也做不出什么大事情。“慢来!慢来!”农人们喊着,“你还是骑到边马上去,米卡衣叔;米念衣叔骑在中间的马上罢!”米念衣叔是一个广肩阔背的农夫,一部漆黑的络腮胡子,那肚子,就像足够给一切市场上受冻的人们来煮甘甜的蜜茶的大茶炊,他高高兴兴的骑在中间马上了,使它为了这重负,几乎要弯到地面。“现在行了,”农人们喊道。“打!打呀。给它一鞭;喂,给这黄马!——为什么要小蜻蜓似的张了腿不听话的。”但一看出做不到,打也无用,米卡衣叔和米念衣叔就都骑在中间这一匹马上,使安特留式加爬到边马上去了。马夫到底也耐不下去了,便双双赶走,米卡衣叔和米念衣叔,都滚他的蛋。这正好,因为马匹好象一息不停的,跑了一站似的正在出大汗。他先给它们喘过气来,它们也就自己拉着车走了。当闹着这事变的时候,乞乞科夫却浸在对于不相识的年青小姐的考察中。他有好几回,想和她去扳谈,然而总是做不出。这之间,那小姐就走掉了,漂亮的头带着标致的脸相,和那苗条的姿态,都消失了,像一个幻景;乞乞科夫又看见了村路,他的马车和读者早已熟识的三匹马,还有绥里方这一流人,以及四面的空无一物的田野。凡在人间,在粗笨的,冷酷的,穷苦的,在不干净的,发霉的下等人们里——也如在干净的,规矩的,单调的上流人们里一样——无论在那里,我们总会遇到一回向来从未见过的现象,至少也总有一回会燃起向来无与相比的感情。这在我们,就是一道灿烂的光,穿过了用苦恼和不遇所织成的我们的一生的黑暗,恰如黄金作饰,骏马如画,玻窗发闪的辉煌的箱车,在突然间,而且在不意中,驰过了向来只见有看熟的乡下车子经过的寒村一样:农人们就还是张开嘴巴,诧异的站着,不敢戴上帽,虽然那体面的箱车早已远得不见了。这年青的金发小姐在我们的故事里,也就是这样的在突然间而且在不意中出现,又复这样的不见了的。倘使这时并非乞乞科夫,却是一个二十来岁的青年——一个骠骑兵,或是一个大学生,或是一个刚刚上了他那人生之路的平常的凡夫俗子——那么,我的上帝,他会怎样的激昂奋发,他会怎样的魂飞神往呵!他将要久久的痴立在那地方,眼睛望着远处,忘记了道路和旅行的目的,忘记了因为他的迟延而来的一切呵斥和责难,是的,他并且忘记了自己,职务,世界,以及在世界上的一切东西了!

ペトローフはこの頃、もう笑わなくなっていました。かつて私を「狂っている」と言った彼が、今では最も勇敢な戦士の一人でした。人は変わるものだと、私は思いました。革命は人を変えるのだと。

ある夜、防衛線で、砲弾の破片が彼の肩を抉りました。私は彼を野戦病院に運びました。途中、彼は意識を失ったり取り戻したりしながら、こう呟きました。「イワーノフ、俺たちは正しかったのか?」

「正しかった」と私は言いました。「正しいのだ。」

彼は回復しました。しかし左腕はもう以前のようには動かなくなりました。それでも彼は工場に戻りました。片腕で旋盤を回しました。他の労働者たちは彼を見て、黙って自分の持ち場に着きました。

第23節

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然而我们的主角是已经到了中年,且有一种冷静,镇定,切实的性格的。他也曾沉思了一番,还想到过许多事,但他的思想却是更加着实的东西:他的思想决不如此胡涂,倒是很清楚,很有根据。“一个出色的姑娘!”他说,其时就打开他的鼻烟壶,嗅了一下。“但在她那里,最好的是什么呢……她那最好的是,她好象刚刚从学堂或者女塾毕业,还没有特别的女形女势,这相貌,只使全体显得难看。她现在还是一个孩子,什么都朴实,单纯;想到了就说,高兴了就笑。要使她成为什么还都可以,她能成为一个佳人,却也一样的会变一个废物——会变的,如果请婶子或是妈妈来教育。只要一年,就满是女形女势,连她自己的父亲也会觉得她是别一个人了。她会成一个骄傲的,装腔的人,只在外面的学来的规矩上彷徨,佩服,心思都化在她和什么人,讲什么事以及多少话,她怎样瞟她的情人这些事情上;于是骇怕得很,连一句多余的话也不敢说,终于就该做什么也简直不明白了,一生就象是一个大谎在那里逛荡着。呸,妈的!”到这里,他沉默了一会,这才接下去道:“我愿意知道,她是什么人呢?她的父亲是做什么的?是有名望的地主,还不过是一位正人君子,只从办公上积了一点小钱的呢?——如果那娃儿带着二十万卢布来——那可就并非不好的——决非不好的货色。一个规矩人,就可以和她享福了。”这二十万卢布对他发着很动人的光芒,使他心里怪起自己来,为什么不在叉车的时候,向马夫问一声她们的名姓呢。但这时梭巴开维支的村庄已经分明可见,他的思想就被赶走,转到他自己的事情上去了。

しかしながら我々の主人公はすでに中年に達しており、しかも冷静で沈着、堅実な性格の持ち主であった。彼もまた一番思案を重ね、さまざまなことに思いを巡らせたが、彼の思考はいっそう着実なものであった。彼の思考は決してこのように混乱せず、むしろ極めて明晰であった。

「では、参りましょうか、パーヴェル・イワーノヴィチ」とマニーロフが言った。「お願いいたします。」

「まあまあ、いやいや、どうぞお先に」とチチコフが答えた。

这庄子,在他看起来是很大的;两面围着白桦和黑松的树林,象是一对翅膀,这一只显得比那一只暗一点;中间站着一所木房子,红色的屋顶,暗灰色的——实在是粗糙的墙壁——怡如我们造给屯田兵和德国移民的房屋一样。一看就知道,关于建筑的设计,建筑家是很和主人的趣味斗争了一下的。建筑家是内行,喜欢两面相称,主人却第一要便利,所以一面的墙壁上,一切通气的窗户都堵塞了,只有一个该在昏暗的堆房上那样的小小的圆窟窿。还有一个破风,虽然建筑家怎样费力,也总不能弄到屋子的中央去;主人一定要把一枝柱子竖在旁边,于是原是四枝的柱子,便见得只有三枝了。前园是用很坚实,粗得出奇的木栅围起来的。到处都显得这家的主人,首先是要牢固和耐久。马房、堆房、厨房,也都用粗壮的木材造成,大约一定可以很经久。农奴的小屋,也造得非常坚牢。没有一处用着雕刻装饰的雕墙,以及别样的儿戏——所有一切,为主的只有一个坚实。就是井干,也用厚实的槲树做成,这种材料,普通是只用于造水磨和船只的。一句话——凡有乞乞科夫所看见的,无不坚固,而且几屹然的站在地面上,排排节节,还似乎有着深沉的不可动摇的布置。当马车停在阶沿前面时,乞乞科夫看见了两张脸,几乎同时的从窗子里望出来:一张是女的,狭长到像一条王瓜,裹着头帕,一张是圆圆的男人脸,很大,像那穆尔大比亚的南瓜,就是俄国却叫作“壶卢,”用它来做巴罗拉加,那二弦的轻快的乐器——这在不怕羞,爱玩笑的农家少年们,是荣耀和慰藉,那些修饰齐整的青年,就由此向着那聚到周围,来听妙音的粉头酥胸的姑娘们,使眼色,发欢声的。那两张脸在窗口一瞥之后,就又消失了。一个灰色背心上带着蓝色高领子的家丁,便出到阶沿上,迎乞乞科夫进了大门,主人已经在那里等着。他一看见客人,只简短的道了一声“请,”就引他到里面去了。

「いえいえ、お客様がお先にどうぞ。」

「どうかそんなご遠慮はなさらないで、どうぞ。」

「いやいや、そうは参りません、どうぞ。」

こうして二人は、互いに先を譲り合いながら、同時に扉を通った。

当乞乞科夫横眼一瞥梭巴开维支的时候,他这回觉得他好象一匹中等大小的熊。而且仿佛为了完全相象,连他身上的便服也是熊皮色:袖子和裤子都很长,脚上穿着毡靴,所以他的脚步很莽撞,常要踏着别人的脚。他的脸色是通红的,像一个五戈贝克铜钱。谁都知道,这样的脸,在世界上是很多的,对于这特殊的工作,造化不必多费心机,也用不着精细的工具,如磋子,锯子之类,只要简单的劈几斧就成。一下——瞧这里罢,鼻子有了——两下——嘴唇已在适当之处了;再用大锥子在眼睛的地方钻两个洞,这家伙就完全成功,也无须再把他刨平,磨光,就说道“他活着哩,”送到世上去。梭巴开维支也正是这样的一个结实的,随手做成的形相:他的姿势,直比曲少,不过间或转一下他的头,为了这不动,他就当然不很来看和他谈天的对手,却只看着炉角或房门了。当和他一同经过食堂的时候,乞乞科夫再瞥了他一眼,就又心里想:“一只熊,实在完全是一只熊。”而且这是运命的怎样奇特的玩笑呵:他的名字又正叫作米哈尔·绥米诺维支。[43]乞乞科夫是知道梭巴开维支的老脾气,常要踏在别人的脚上的,便走得很小心,总让他走在自己的前面。但那主人似乎也明白他那坏脾气,所以不住的问道:“恐怕我对您有了疏忽之处了罢?”然而乞乞科夫称谢,并且很谦虚的声明,直到现在,他还没有觉得有什么疏忽之处。

部屋の中は、あまり心地よいものではなかった。壁は何か灰色がかった色で塗られ、天井は暗く、窓は二つしかなく、しかもそのうちの一つは閉ざされたままで、さらに部屋の隅には何やらほこりを被った書類の山が積まれていた。

「失礼ですが」とチチコフは切り出した。「私がお伺いしたのは、ちょっとしたお願いがあってのことです。」

他们进得客厅,梭巴开维支指着一把靠椅,又说了一声“请。”乞乞科夫坐下了,但又向挂在壁上的图书看了一眼。全是等身大的钢版像,真正的英勇脚色,即希腊的将军们,如密奥理,凯那黎,毛罗可尔达多等,末一个穿着军服,红裤子,鼻梁上戴眼镜。这些英雄们,都是非常壮大的腰身,非常浓厚的胡子,多看一会,就会令人吓得身上发生鸡皮皱。奇怪的是,在这希腊群雄之间,也来了巴格拉穹[44]公,一个瘦小的人,拿一张小旗儿,脚下是一两尊炮,还嵌在非常之狭的框子里。其次又是希腊的女英雄:罗培里娜,单是一条腿,就比现在挂满在这客厅里的无论那一位阔少的全身还要粗。这家的主人,自己是一个非常健康而且茁壮的人,所以好象也愿意把真正健康而且茁壮的人物挂在他那家里的墙壁上。罗培里娜的旁边,紧靠窗户,还挂着一个鸟笼,有一匹灰色白斑的画眉,在向外窥视,也很像梭巴开维支。主客两位,彼此都默默的坐着不到两分钟,房门开处,这家的主妇,是一位高大的太太,头戴缀着自家染色的带子的头巾,走进来了,她脚步稳重,头笔直,好象一株椰子树。

「どうぞ、仰ってください。どのようなお願いでしょう?」

「お宅の台帳に載っていて、しかし実際にはもう亡くなっている農奴について、お聞きしたいのですが……」

マニーロフは口をあんぐり開けた。しばらくの間、二人は互いを見つめ合った。

“这是我的菲杜略·伊凡诺夫娜。”梭巴开维支说。

乞乞科夫就在菲杜略·伊凡诺夫娜的手上接吻,那手,是几乎好象她塞到他嘴里来的一般;由这机会,他知道了她的手是用王瓜水洗的。

“心肝,我可以绍介保甫尔·伊凡诺维支给你么?”梭巴开维支接着说。“我们是在知事和邮政局长那里认识的。”

菲杜略·伊凡诺夫娜请乞乞科夫就坐,她一样的说了一声“请,”把头一动,仿佛扮着女王的女戏子似的。于是她也坐在沙发上,蒙着她毛织的头巾,眼睛和眉毛,从此一动也不动了。

「つまり……亡くなった農奴を、私に売っていただきたいのですが。」

乞乞科夫又向上边一瞥,就又看见了粗腰身,大胡子的凯那黎,罗培里娜以及装着画眉的鸟笼子。

大约有五分钟,大家都守着严肃的沉默,来打破的只有画眉去吃几粒面包屑,用嘴啄着鸟笼的木板底子的声音。乞乞科夫又在屋子里看了一转:这里的东西也无不做得笨重,坚牢,什么都出格的和这家的主人非常相象。客厅角上有一张胖大的写字桌,四条特别稳重的腿——真是一头熊。凡有桌子,椅子,靠椅——全都带着一种沉重而又不安的性质,每种东西,每把椅子,仿佛都要说:“我也是一个梭巴开维支”或者“我也像梭巴开维支。”

マニーロフはパイプを落としそうになった。

“我们在审判厅长伊凡·格里戈利也维支那里,谈起了您呢,”乞乞科夫看见在场的人谁也没有开口模样,终于说。“那是上一个礼拜四了。我在那里过了很愉快的一晚上。”

“是的!那一回我没有到审判厅长那里去,”梭巴开维支道。

“是一位很体面的人物,不是吗?”

“您说谁呀?”梭巴开维支说,看着暖炉角。

「し、しかし……それはどういう……」

“说审判厅长!”

“在您,恐怕是会觉得这样的:他其实是共济会员,可又是世上无双的驴子。”

乞乞科夫一听到这过分的评论,颇有点仓皇失措了,但他即刻又有了把握,于是马上接下去道:“自然,人总是各有他的弱点的;但可对呢?那知事,却是一位很出色的人罢?”

“怎么?那知事——一位出色的人?”

“是的!我说得不对吗?”

“是强盗,像他的找不出第二个。”

“怎么?——知事是一个强盗?”乞乞科夫说,怎么知事会入了强盗伙,他简直不能懂。“我老实说,这可实在是没有想到的,”他接着道。“但请您许我提几句:他的行为,却全不是这一类;倒可以说,他有很温和的性格。”作为证据,他还拉出知事亲手绣成的钱袋来,并且竭力赞扬了他那可亲的脸相。

「法的にはまだ生きていることになっている者を、つまり書類の上では生きている者を、売っていただきたいのです。もちろん、実際には故人ですが。」

“然而这可就是强盗脸呀!”梭巴开维支说。“您给他一把刀拿在手里,送他到街上去,——他就杀掉您,毫无情面,——只为一文小钱!他和那副知事,——是真真正正的——戈格和玛戈格。”[45]

“唔,他和他们大约有些不对的,”乞乞科夫想。“我还是和他谈谈警察局长罢,那人,我看起来,是他的朋友。”——“但是,照我看来,”他说道,“老实说,我觉得警察局长是最惬人意了。多么直爽坦白的性格;他很有点质朴,诚实。”

チチコフは極めて落ち着いた口調で説明した。あたかも天気の話でもするように。マニーロフの方は、パイプの煙がゆらゆらと立ち上るのを見つめながら、何を言ったらいいか分からずにいた。

“是一个骗子!”梭巴开维支很冷静的说。“他有本领,会先来骗了您,卖了您,又立刻和您一同吃中饭。我知道他们:真正的骗贼。全市镇就是这模样;这一个骗贼骑住了别一个,追捕着他们的还有第三个,全都是犹大,卑鄙的奸细。还有点什么用处的只有一个推事——不过到底也还是一只猪。”

「もちろん」とチチコフは続けた。「お代はお支払いいたします。正式な売買証書も作成いたしますし、登記の費用もすべて私が負担いたします。お手を煩わせることは一切ございません。」

在这些虽然略短,却是好意的传记的评论之后,乞乞科夫觉得其余的官员们的叙述,也不大记得起来了,而且他悟到,梭巴开维支是不喜欢说人们一点好处的。

“你看怎么样,心肝,我们去坐起来?”梭巴开维支夫人对她的男人说。

“请,”梭巴开维支说着,就走向菜桌那里去,照着古来的好习惯,主客各先喝过一杯烧酒,并且吃起来,这是广大的俄罗斯全国里,无论城乡,在中饭之前,总是豫备的先是各种咸渍和开胃食品的小吃,——然后大家都到食堂去。主妇走在最前面,好象一匹浮水的天鹅。小小的桌子上,摆着四个人的刀叉。那第四位上,立刻有一个人坐下去了,要说这人,是颇不容易的,她究竟是什么呢:是太太还是姑娘,是亲戚,是管家妇,还不过是住在这家里的女人呢——她大约三十岁,没有头巾,用一条花布围巾披在肩膀上。在这世界上,是有这样的创造物的,她并非独立的存在,倒仅仅是别个上面的一个斑,一个点。她总是坐在同一的地方,头总是保着同一的姿势;人们拿她当家私什物看,也想不到她在一生中,会张开嘴来说句话;倘要相信她会笑,倒是得到使女屋子或是堆房里去观察的。

マニーロフはなおも困惑の表情を浮かべていたが、やがてゆっくりと口を開いた。

「パーヴェル・イワーノヴィチ、私にはよく分かりませんが……このような取引は、法律に触れるのではないでしょうか?」

“今天的菜汤很出色,我的宝贝,”梭巴开维支喝着汤,一面说,一面又拿过一大块包肚来,这有名的食品,普通是和菜汤同吃,用荞麦粥,脑子,蹄子肉,灌在羊胃里做成的。“这样的包肚,”他又转向着乞乞科夫,接续说,“您走遍全市也找不出;在那里,鬼知道卖给您的是什么呢!”

「まったく触れません」とチチコフは断言した。「台帳に載っている者は、法律上は財産です。その所有権の移転は、まったく合法的な商取引です。」

“但在知事那里,倒也吃的很不坏,”乞乞科夫道。

“是的,那么,您可知道,那东西是怎么做的呢?您一知道,可就不要吃了!”

“那东西是怎么做的,我自然不能明白;但那猪排和鱼,却出色的。”

“在您,恐怕是会觉得这样的。我很知道他们在市场上买东西的事情。厨子这坏蛋,受了一个法国人的指教,就只买一只老雄猫,剥掉皮,当作兔子用。”

“呸!你说的是多么讨厌的事情呀!”梭巴开维支的太太说。

“叫我有什么法子呢,宝贝?他们那里,就是这么干的呀;他们惯是这么干,可不是我不好呀。所有末屑,我们的亚库拉是就教抛到垃圾桶里去的,他们却拿它来做汤。总是做汤,统统做汤。”

これを聞いてマニーロフは安心したように見えた。彼は本来、他人の機嫌を損ねることを極端に嫌う人物であり、この風変わりな客の願いを断ることは、彼の性分からして甚だ困難なことであった。

“在食桌上,你总说些这样的事!”梭巴开维支太太抗议道。

第24節

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“这有什么要紧呢,宝贝?”梭巴开维支说。“如果我自己也是这样子呢,然而我爽爽快快的告诉你:这样的脏东西,我可是不吃的。青蛙,即使是糖煮的,我不吃,蛎黄也一样;蛎黄看起来好象什么,我明白得很。请您再用一块烧羊肉,”他向着乞乞科夫,接续说。“这是羊后身加粥,不是斯文的绅士们喜欢吃的,用市场上躺了四天的羊肉做出来的肉饼子。那都是德国呀、法国呀的医生先生们想出来的计策;因此我真想统统绞死掉他们。节食法——也是他们的发明。好法子——用饿肚子来治病。因为他们自己是又乏又躁的体子,就以为俄国人的肚子,也只要这么办一下就成。那里?这统统是不对的——这是真正的胡闹,这统统是……”于是梭巴开维支气忿地摇摇头。“他们总在说什么文明,但他们的文明却不过是一个……哼……!我几乎要说出口来了,但这样的话,吃饭时候是不该说的。我这里却完全不一样。我这里呢,如果是烧猪或烧鹅,那就拿出一只全猪或全鹅来。我宁可只有两样菜,不过要给我吃一个饱,直到心满意足。”梭巴开维支就用着实行,鲜明地支持了他的言论:他拿半片羊脊肋放在盘子里,吃了下去,连骨头也嚼一通,直到一点也不剩。

「何が大事なものか、ねえ?」とソバケーヴィチが言った。「私だって同じようなものだとしたらどうだ。だが私は正直に言うぞ。こんな汚い食い物は私は食わん。蛙は、たとえ砂糖で煮たとしても、私は食わんし、牡蠣も同じだ。牡蠣がどんなものに似ているか、俺は知っている。」

「まあまあ、そう仰いますな」とチチコフが言った。「しかし、つまるところ……」

“哦,哦,”乞乞科夫想,“他也知道什么是上算的。”

“我这里却完全不一样,”梭巴开维支用饭单擦着手,说:“我不是那什么泼留希金;他有八百个魂灵,那过活和吃喝,却比我们的看牛人还要坏。”

“这泼留希金是什么人呢?”乞乞科夫问。

“是一个贱种,”梭巴开维支说,“这样的吝啬鬼,人是想也想不到的。囚犯的生活,也还要比他好:他把他所有的家伙都饿死了。”

「ここへ来なさい」とソバケーヴィチは言って、チチコフの手を取り、食卓へ導いた。そこには様々な前菜が並んでいた。「どうぞ召し上がれ。これは鱘の頬肉だ。あれは鯉のパイ、こちらは子羊の胃袋、それからこの壺に入っているのは……」

“真的?”乞乞科夫显着同情的样子,插嘴说。“这是真的么,像您说过,他那里饿死了很多的农奴?”

“像蝇子一样。”

“不,真的么?像蝇子一样?我可以问一下,他家离这里有多远吗?”

“大约五维尔斯他罢。”

“五维尔斯他!”乞乞科夫叫了出来,还觉得他的心有点跳了。“如果从这里的大门出去,他的庄子在右边还是在左边呢?”

“去找这狗的道儿,您还是全不知道好!我通知您,您倒不如不要关心他罢,”梭巴开维支说,“如果有谁到不成体统的地方去,比去找他倒还情有可原哩。”

チチコフは腰を下ろし、遠慮なく食べ始めた。ソバケーヴィチも向かいに座り、ナプキンを顎の下に押し込み、黙々と食べた。彼の食べ方は、その外見と同じく、豪快であった。

“不,我也并不是有什么目的,在这里打听的。我单是问问,因为对于风土人情,我是有很大的兴趣的。”

羊后身之后,来了干酪饼,每个都比盘子还要大,于是又来一只小牛般大的火鸡,塞满着各种好东西:白米,鸡蛋,肝,以及只有上帝知道的别的什么,都夹着装在肚子里,好象一个核。中饭这算是收场了;但当站了起来时,乞乞科夫觉得自己加重了整整一普特。大家又走进客厅去,却已经有一盘果酱,摆在桌上了;——然而不是梨子,不是李子,也不是什么莓子的——但主客两面,谁也没有去碰一碰。主妇走出去了,要再取几样果酱来。趁这机会,乞乞科夫就转脸向了梭巴开维支,他却埋在一把靠椅里,只是哼;他饱透了;嘴巴一开一闭的,吐出几声不清楚的声音来,用手划过十字,就又去掩住了嘴巴。但乞乞科夫转向了他,说道:“有一点事情,我很愿意和您谈一谈!”

「さて」と食事を終えてから、チチコフは用件に移った。「実は、ちょっとしたお願いがあるのですが……」

“您不再用一点蜜饯么?”主妇又拿了一个果碟来,说。“这是萝卜片,蜜煮的!”

“慢慢的!”梭巴开维支说。“现在进去罢,保甫尔·伊凡诺维支和我,我们要脱了外套,休息一下子了!”

「仰ってください。」

那主妇又立刻要叫人去拿垫子和枕头,但梭巴开维支却道:“不必,我们已经坐在靠椅上,”于是他的太太就走掉了。

梭巴开维支略略伸长着脖子,准备来听是怎样的事情。

乞乞科夫绕得很远,首先是通论俄国的广大,他竟无法称赞,恐怕古代的罗马帝国,也未必有这么大,外国人觉得诧异,是一点都不错的……(梭巴开维支仍然伸着脖子,倾听着。)而且看这光荣无比的国度里的现行的法律,还有登在人口册上,即使他已经不在这世上生活了,但在下次的新的人口调查之前,却还当作活着一样看待的农奴;这自然为的是不给衙门去多担任无聊的无益的调查,也就是省掉事务上的烦杂,因为虽是没有这么办,国家机关也已经足够烦杂了……(梭巴开维支仍然伸着脖子,倾听着。)但要知道,这方法好固然好,不过总不免使多蓄农奴的人,有了很重的负担,因为他们还得缴已经不在了的农奴的人头税,和活着的相同。但是他自己,乞乞科夫,对于他梭巴开维支是怀着万分敬仰之意的,所以很愿意来分任一点这沉重的义务。关于主要之点,乞乞科夫是说得非常留心的,而且也不说死掉的,却只说“不在的”农奴。

「お宅の台帳に、すでに亡くなった農奴が何人か残っていると伺いましたが……」

梭巴开维支仍然略略伸长了脖子,坐着,听是听的,但脸上竟毫不露出一点什么的表情。几乎令人疑心对着一个不活的,或是没有魂灵的人,否则虽有魂灵,也不在身子里,恰如那不死的可希牵[46]似的,远在什么地方的山阴谷后,还带着一个厚壳,里面即使怎么震动,外面也绝无影响了。

ソバケーヴィチは身動きもせず、ただ小さな目でチチコフを見つめた。まるで何もかも分かっているかのようであった。

“那么?”乞乞科夫问道,有些藏不住心里的焦急,等着回答。

“您要死掉了的魂灵么?”梭巴开维支很平静的说,绝无惊疑之色,好象说着萝卜白菜似的。

“对啦,”他又想把话说得含胡一点,便添上一句道:“那些已经不在的。”

“那是有的,有的是!怎么会没有呢?”梭巴开维支说。

「何人か? ……かなりの数だ。疫病で随分と死んだからな。」

“唔,是罢?您既然有,那么,您一定是很愿意脱手的罢?”

“可以!我是很愿意卖给您的,”梭巴开维支说,还把头一抬。他分明已经看穿这买主是要去赚一笔大钱的了。

“畜生!”乞乞科夫心里想。“这家伙倒要卖给我了,我还一句也没有提呢!”于是提高声音道:“那么,可否问一下,您要卖多少呢?虽然……这样的货色……也很难定出价钱来。……”

“那么,克己一点:每只一百卢布罢,”梭巴开维支说。

“一百卢布!”乞乞科夫叫起来了,他张开了嘴巴,吃惊的看着梭巴开维支的脸;他已经摸不清,是自己听错了呢,还是梭巴开维支的舌头向来不方便,原是想说别一句的,却说了这样的一句了。

「では、それを私にお譲りいただけませんか?」

“哦,您以为太贵么,”梭巴开维支说,又立刻接下去道:“那么,您出什么价钱呢?”

“我的价钱?我看我们是有点缠错的,或者彼此都还没有懂,而且,忘记了说的是什么货色。干干脆脆。我说,八十戈贝克——这是最高价了。”

“天哪!这成什么话!八十戈贝克?”

“可不是么?我看是只能出到八十戈贝克的。”

“我不是在卖草鞋呀!”

“但您也得明白,这也并不是人。”

“哦,您以为您能找到谁,会二十戈贝克一个,把注册的魂灵卖给您的吗?”

「売る? ……いくらだ?」

“不然,请您原谅,您为什么还说‘注册’呢?魂灵是早已死掉了的。剩着的不过是想象上的抓不住的一句话。但是,为了省得多费口舌,我就给您一个半卢布,一文不添。”

“您可真是不顾面子,竟会说出这样的数目来!请您老老实实,还一个实价!”

“这不能,米哈尔·绥米诺维支;实在不能了!做不到的事,总归做不到的,”乞乞科夫说,但因了策略,立刻又添了五十戈贝克。

“为什么您要这样俭省的呢,”梭巴开维支说,“这可真的不贵呵。您如果遇到了别人,他会狠狠的敲您一下,给您的并不是魂灵,倒是什么废物。您从我这里拿去的,却是真正的挑选过的茁实的好脚色,都是手艺人和有力气的种田人。您要知道,例如米锡耶夫罢,他是造车子的,专造带弹簧的车子,而且决不是只好用一个钟头的墨斯科生活。决不是的,凡是他做出来的,都结结实实;他做车子,还自己装,自己漆哩。”

チチコフはここで初めて困惑した。他の地主たちは、この奇妙な申し出に驚いたり、困惑したり、不審に思ったりしたものだが、ソバケーヴィチはまるで生きた農奴の売買と何ら変わらぬように、すぐに価格の話に移ったのである。

乞乞科夫提出抗议来,说这米锡耶夫可是早已不在这世界上了,然而梭巴开维支讲开了兴头,总是瀑布似的滔滔不绝。

“还有那木匠斯台班·泼罗勃加呢?我拿我的脑袋来赌,您一定找不出更好的工人来。如果他去当禁卫军,——是再好也没有的!身长七尺一寸!”

「一人頭二ルーブル半ではいかがでしょう?」

乞乞科夫又想提出抗议,说这泼罗勃加是也不在这世界上的了;然而梭巴开维支讲得出了神。他的雄辩仿佛潺潺的溪流一般奔下来,至于令人乐于倾听。

“还有弥卢锡金,那泥水匠,会给您装火炉,只要您愿意装在什么地方,那一家都可以。或者玛克辛·台略忒尼科夫,靴匠:锥子一钻,一双长靴就成功了;而且是怎样的长靴呀!他并且滴酒不喝。还有耶来美·梭罗可泼聊辛哩!他一个,就比所有的人们有价值。他是在墨斯科做工的,单是人头税,每年就得付五百个卢布。这都是些脚色呀!和什么泼留希金卖出来的废物,是不同的。”

「二ルーブル半だと! ……冗談じゃない。わしの農奴は、死んだとはいえ、生きている者にも引けを取らん。ミハイエフを見ろ——あれは馬車を作らせたら天下一品だった。しかも自分で塗装もした。デニス・コルコフ——あれは丸太小屋を建てさせたら、この県で右に出る者はいなかった。ステパン・プロープカ——あれはどんな地主の元に行っても……」

“但请您原谅,”给这好象不肯收梢的言语的洪水冲昏了的乞乞科夫,终于说。“您给我讲他们的本领干什么呢?现在是什么意思也没有了。他们是死了的人呀!俗谚里说的有,死人只好吓鸟儿。”

“他们自然是死了的,”梭巴开维支说,好象他这才醒悟,明白了他们确是死人一样,但即刻说下去道:“但所谓活人,是些什么东西呢?那是苍蝇,不是人。”

“不过那至少是活的!您说的那些,却究竟单单是一个幻影。”

“阿,不然,决不是幻影;我告诉您,这样的一个家伙,像米锡耶夫的,您就很不容易找到第二个;这样的一个工匠,是不到您这屋子里来的。不然,决不是幻影。这家伙肩膀上有力量,连马也比不上。您在别处还见过这样的一个幻影吗,我倒愿意知道知道。”说到末一句,他已经不再向着乞乞科夫,却向了挂在墙上的可罗可尔德罗尼和巴格拉穹的画像了,这在彼此谈论之际,是常有的,不知道为了什么缘故,一个忽然不再看着对手,就是批评他的议论的人,却转向了偶然走来,也许他全不相识的第三者,虽然他明知道不会得到赞同的回答,或者意见,或者表示的。然而他把眼光注在他上面,好象招他来做判断人模样,于是这第三者就有点惶恐,他竟来回答这并未听到的问题好,还是宁可守着礼节,先站一下,然后走掉的好呢,连自己也难以决定了。

「しかし、彼らはもう死んでいるのです」とチチコフは控えめに指摘した。「死体ですよ。」

「なるほど、そうだ、死んでいる」とソバケーヴィチは認めたが、すぐに付け加えた。「だがな、今生きている者は何の役に立つ? 蠅みたいなものだ、人間ではない。」

“不成,两卢布以上,我是不出的,”乞乞科夫说。

“好罢,因为免得您说我讨得太多,您可简直还得太少,那就是了,就七十五个卢布一只——但是要钞票的——卖给您罢。看朋友面上。”

“这家伙在耍什么呀,”乞乞科夫想;“他在把我当驴子看待哩!”于是他说出来道:“这可真真奇特,看起来,几乎好象我们是在这里玩把戏,演喜剧似的。我是说不出别的什么来了,您显得是一位聪明人,一切教养都有。在商量的是什么物事呢?这不过是——嘘,—— 一个真正的空虚!这有什么价值,这有谁要?”

「とはいえ、彼らは生きています。死んだ者は死んだ者です。影です、夢です。」

“但是您在想买;那么,您一定是要的了!”这时乞乞科夫只好咬咬嘴辱,找不出回答。他喃喃的讲了一点家里的情形,梭巴开维支却不过声明道:

“我全不想知道您府上的情形;我不来参与家务——这是您个人的事,您要魂灵,我就来卖给您。在我这里不买,您是要后悔的。”

“两卢布,”乞乞科夫说。

“唉唉,您竟是这样的一个人!像俗谚里说的,黄莺儿总唱着这一曲。咬住了两卢布,简直再也放不掉了。您给一个克实价钱罢。”

「影だと? 夢だと? わしの農奴が? ……百ルーブルでも安いくらいだ!」

“吓,这该死的东西!”乞乞科夫想。“不要紧,我就再添上半个卢布罢,给这猪狗,使他可以好一些。”——“那就是了,我给您两个半卢布!”

“很好,那么,我也给您一个最后的价钱:五十卢布!这还是我吃亏,这样出色的家伙,您想便宜是弄不到手的!”

“这可真是一个吝啬鬼!”乞乞科夫想,于是不高兴的说下去道:“那不行,您听一下罢!您的模样,好象真在这里商量什么紧要事似的!这东西,别人是会送给我的。我到处可以弄到,用不着化钱,因为如果能够脱手,谁都高兴。只有真正老牌的驴子这才愿意留着,还给他们去纳税的。”

交渉は長引いた。

“不过您可也知道,这样的买卖——这是只有我们俩,并且为了交情,这才说说的——是并不准许的呢?假如我,或者别的谁讲了出去的话,这买客的信用就要扫地;谁也不肯再来和他订约,他想要恢复他的地位,也就非常困难了。”

第25節

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“瞧罢,瞧罢,他就在想这样,这地痞!”乞乞科夫想,但他的主意并没有乱,一面用了最大的冷静,声明道:“您料的全不错;我到您这里来买这废物,倒并不是拿去做什么用,不过为了一种兴趣,由于我自己生成的脾气的。如果两卢布半您还觉得太少,那么,我们不谈罢。再见!”

「まあまあ、ご覧なさい、ご覧なさい、あいつはそういうことを考えているんだ、このごろつき!」とチチコフは心の中で思ったが、平静を失うことなく、最大限の冷静さをもって次のように述べた。「お見込みはまったくその通りでございます。しかし、私がこの廃物をお買いしに参ったのは、何か使い道があるからではございません。ただ私の性分としまして……」

“放他不得!他不大肯添了,”梭巴开维支想。“好罢,上帝保佑您,您每个给三十卢布,就统统归您了。”

“不成,我看起来,您是并不想卖的;再见再见。”

“对不起,对不起,”梭巴开维支说着,不放开他的手,并且踏着他的脚;我们的主角忘记留心了,那报应,便是现在发一声喊,一只脚跳了起来。

“对不起的很。我看我对您有些疏忽了。您请坐呀,那边,请请。”他领乞乞科夫到一把躺椅那里去,教他坐下了。他的举动,有几手竟是很老练的,恰如一匹已经和人们混熟,会翻几个筋斗,倘对它说:“米莎,学一下呀,娘儿们洗澡和小孩子偷胡桃是怎样的?”它也就会做几种把戏的熊一样。

「嘘をつけ!使い道がないはずがない」とプリューシキンは心の中で言った。そしてこの不思議な客をますます疑わしげに見つめた。

“不行,真的,我把时光白糟蹋了。我得走了,我忙哩!”

“请您再稍稍等一下。我就要和您讲几句您喜欢听的话了。”梭巴开维支于是挨近他来,靠耳朵边悄悄的说,好象在通知一种秘密。“四开,怎样呢?”

“您是说二十五卢布吗?不行,不行,不行!再四开也不行。一文不添的。”

梭巴开维支不回答,乞乞科夫也不开口。这静默大约继续了两分钟。巴格拉穹公用了最大的注意,从墙壁上的自己的位置上,凝视着这交易。

“那么,您到底肯出多少呢?”梭巴开维支说。

チチコフは、部屋の中を見回した。かつてはきっと立派な邸宅であっただろうこの家は、今や荒廃の極みにあった。壁の漆喰は剥がれ落ち、床板は軋み、窓ガラスは何枚か割れたまま紙で塞がれていた。テーブルの上には、黴の生えたパンの切れ端と、もう何年も使われていないような書類が積み上げられていた。

“两卢布半!”

“一到您这里,一个人的魂灵就同熟萝卜差不多了。至少,您出三卢布罢!”

“我看办不到。”

“我卖掉罢,自己吃点亏!但这有什么法子呢?我是有狗似的好性情的。我不会别的,只是总想给我的邻舍一点小欢喜。我们还得立一个合同,事情那就妥当了。”

“自然!”

“您瞧,我们还得上市镇去哩!”

于是交易成功了。决定明天就到市里去,给这交易一个结束。

乞乞科夫要农奴们的名册。梭巴开维支是赞成的;他走到写字桌前面,去写出魂灵来,不但姓名,还历举着他们的特色。这时乞乞科夫没有事情做,便考察着这家主人的大块的后影。当看见阔到活像短小精悍的瓦忒加马背的他的脊梁,很近乎一对路旁铁柱的他的两脚的时候,他就禁不住要叫起来道:

この家の主人プリューシキンは、かつてはこの県でも屈指の富豪であった。千人以上の農奴を持ち、倉庫にはリンネルや小麦粉が山のように積まれ、蜂蜜酒や果実酒の樽がぎっしりと並んでいた。しかし妻が死に、娘が駆け落ちし、息子が軍隊で放蕩した後、彼は次第に吝嗇に取り憑かれ、ついにはこの有様となったのである。

“敬爱的上帝的做起你来,可是太浪费了,真可以引了俗谚来说:裁得坏,缝得好。你生下来就是这样的熊,还是草莽生活,田园事务,以及和农奴们的麻烦,使你变成现在似的杀人凶手的呢;并不是的,我相信,即使你在彼得堡受了簇新的,时式的教育,刚刚放下,或者你一生都住在彼得堡,不到田野里来过活,你也总还是一个这样的人。所有的区别,不过你现在是嚼完半身羊脊肋和粥之后,再来一个盘子般大的干酪饼,在那地方呢,却在中饭时候,吃些牛排加香菇。你现在稳稳当当的管理着你的农奴,对他们很和气,自然也不使他们有病痛,挨穷苦。他们都是你的私产,倘用了别样的办法,倒是你自己受损的。但在都会里,你所管理的却是你竭力欺压的公务人员了,你知道他们并不是你的家奴,于是你就从金元抢到纸票。如果谁有一个鬼拳头,你不能把它摊成毛爪子。你也能挖开他一两个指头来的,但这鬼就更加坏。他先从什么艺术或科学上去喝过一两滴,于是飘到出众的社会地位上来了,那么,真懂一点这艺术或科学的人,就要倒运;后来他还要对你说哩:我要来给你们看看,我是什么人。于是他忽然给你们一个大踏步走的聪明透顶的规则,消灭了许多耳闻目见。唉唉,如果统统是这杀人凶手……”

「では、お譲りいただけますか?」チチコフは辛抱強く繰り返した。

「だが……本当に金を払うのか?」

“册子写好了。”梭巴开维支转过头来,说。

“写好了?那就请您给我罢!”他大略一看,惊奇了起来,这造得真是很完备,很仔细;不但那职务,手艺,年龄和家景,都写得很周到,册边上还有备考,记着经历,品行之类。总而言之,看看册子,就是一种大快乐。

“那么,请您付一点定钱。”梭巴开维支说。

「もちろんです。一人頭……」

“为什么要定钱?到市里,就全部付给您了。”

“哪,您要知道,这是老例。”梭巴开维支反驳道。

“这怎么好呢?偏偏我没有带钱。但这里,请您收这十卢布!”

“唉唉,什么,十个,您至少先付五十!”

乞乞科夫样样的推诿,说他身边并没有这许多钱;但梭巴开维支坚决的申说,以为他其实是有的,终于使他只好从衣袋里掏出一张钞票来,说道:“哪,可以!这里再给您十五卢布。一总是二十五卢布。请您写一张收条。”

“为什么要收条?”

“您知道,这就稳当些!好事多磨!会有种种变化的。”

“好的,那么您拿钱来呀!”

「幾らだ?」プリューシキンの目が異様に光った。

“怎的?钱在我手里呢。您先写好收条,立刻都是您的了。”

“唔,请您原谅,这可叫我怎么能写呢?我总得先看一看钱。”

乞乞科夫交出钞票去,梭巴开维支连忙接住。他走到桌子前面,左手的两个指头按住钞票,用别一只手在纸条上写了他收到卖出魂灵的帝国银行钞票二十五卢布正。写好收条之后,他又把钞票检查了一番。

“这一张旧一点,”当他拿一张钞票向阳光照着的时候,自己喃喃的说,“也破一点,用烂了。但看朋友交情上,这就不必计较罢。”

“一个吝啬鬼!我敢说,”乞乞科夫想。“而且是畜生!”

「三十コペイカではいかがでしょう?」

“您不要女性的魂灵吗?”

“谢谢您,我不要。”

“价钱便宜。看和您的朋友交情上,一只只要一卢布。”

“不,我没有想要女性的意思。”

“当然,如果这样,那就怎么说也没有用。嗜好是没法争执的;谚语里也说,有的爱和尚,有的爱尼姑。”

“我还要拜托您一件事,这回的事情,只好我们两个人知道,”当告别之际,乞乞科夫说。

“那还用说吗!两个好朋友相信得过,彼此所做的事,自然只该以他们自己为限,一个第三者是全不必管的。再见!我谢谢您的光降,还请您此后也不要忘记我!如果有工夫,您再来罢,再吃一回中饭,我们还谈谈闲天。也许还会有什么事,要大家商量商量的。”

「安すぎる!……いや、待て、しかし……」

“谢谢你,不来了,我的好家伙!”乞乞科夫坐上车,心里想。“一个死魂灵骗了我两个半卢布,这该死的恶霸!”

乞乞科夫很气忿梭巴开维支的态度。他总要算是自己的熟人了。在知事和警察局长那里,他们早经会过面,但他却像完全陌生人一样的来对付他,还用那样的废物弄他的钱去。当车子拉出大门口时,他再回顾了一下:梭巴开维支却还站在阶沿上,像在侦察客人走向那一方面去似的。

“他还站着,这流氓!”乞乞科夫在嘴里喃喃的说;他就吩咐绥里方,向着农村那面转弯,使地主府上再也不能望见这车子。他的主意,是在去找泼留希金的,据梭巴开维支说,那里的人是死得像苍蝇一样。然而他不愿意梭巴开维支知道这件事。车子一到村口,他就把最先遇到的农夫叫到自己这边来。这人刚在路上拾了一棵很粗的木材,抗在肩上像不会疲倦的蚂蚁似的,想拖到自己的小屋子里去。

プリューシキンは突然黙り込み、何かを計算しているようだった。まったく無価値なものに金を払おうという人間がいることは、彼の理解を超えていた。しかし金が入ってくるということは、彼にとっては何よりも魅力的であった。

“喂!长胡子!从这里到泼留希金家去,是怎么走的,还得不要走过主人家的住宅。”

这问题,对于他好象有点难。

“哪,你不知道吗?”

“是的,老爷,我不知道。”

“唉,你!可是这家伙头发倒已经花白了!连给他的人们挨饿的吝啬鬼泼留希金都不知道。”

「よかろう」とついに彼は言った。「だが証書の費用はお前が持つんだぞ。」

“哦,原来,那打补钉的!”那农人叫了起来。在这“打补钉的”的形容词之下,他还接着一个很惬当的名词,但我们从略,因为在较上流的人们的话里,这是用得很少的。然而这表现的非常精确,却并不难于推察,因为车子已经走了一大段路,坐客也早已看不见那农夫了,乞乞科夫还是笑个不住。俄罗斯国民的表现法,是有一种很强的力量的。对谁一想出一句这样的话,就立刻一传十,十传百;他无论在办事,在退休,到彼得堡,到世界的尽头,总得背在身上走。即使造许多口实,用任何方法,想抬高自己的诨名,化许多钱,请那塞饱了的秘书从古代的公侯世家里找了出来,也完全无济于事。你的诨名却无须你帮忙,就会放开了乌鸦喉咙,清清楚楚的报告了这鸟儿是出于那一族的。一句惬当的说出的言语,和黑字印在白纸上相同。用斧头也劈不掉。凡从并不夹杂德国人,芬兰人,以及别的民族,只住着纯粹,活泼,勇敢的俄罗斯人的俄国的最深的深处所发生的言语,都精确得出奇,他并不长久的找寻着适宜的字句,像母鸡抱蛋,却只要一下子,就如一张长期的旅行护照一样,通行全世界了。在这里,你再也用不着加上什么去,说你的鼻子怎么样,嘴唇怎么样,只一笔,就钩勒了你,从头顶一直到脚跟。

「もちろんです。すべて私が負担いたします。」

取引は成立した。チチコフは百二十名ほどの死せる農奴のリストを手に入れた。プリューシキンは震える手でリストを書き上げ、小さな字でぎっしりと紙面を埋めた。

恰如虔诚的神圣的俄国,散满着数不清的带着尖顶,圆顶,十字架的修道院和教堂一样,在地母的面上,也碰撞,拥挤,闪烁,汹涌着无数群的国民,种族和民族。而这些民族,又各保有其相当的力量,得着创造的精力,有着分明的特征以及别样的天惠,由此显出它固有的特色来,在一句表现事物的话里,就反映着他那特有性格的一部份。我们在不列颠人的话里,听到切实的认识和深邃的世故;法兰西人的话,是轻飘飘地飞扬,豪华地发闪,短命地迸散的;德意志人则聪明而狡猾地造出了他那不易捉摸的干燥的谜语;但没有一种言语,能这么远扬,这么大胆地从心的最深的深处流出,这么从最内面的生活沸腾,赤热,跃动,像精确的原来的俄罗斯那样的。

チチコフが馬車に乗って去る時、プリューシキンは門のところに立ち、馬車が見えなくなるまで見送っていた。あの不思議な客が本当に金を払ったことが、まだ信じられないようだった。そして門を閉めると、早速、受け取った金を幾度も数え直すのであった。

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