Difference between revisions of "Lu Xun Complete Works/ja/Wei ziyoushu"
(Update JA translation for 偽自由書) |
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= 偽自由書 (伪自由书) = | = 偽自由書 (伪自由书) = | ||
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【花辺文学】 | 【花辺文学】 | ||
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【序言】 | 【序言】 | ||
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私がしばしば短評を書くようになったのは、確かに『申報』の「自由談」に投稿したことに始まる。一九三三年の作を集めて、『偽自由書』と『準風月談』の二冊ができた。その後、編集者の黎烈文先生はまことに圧迫に苦しみ、翌年ついに押し出されてしまった。私も本来これを機に筆を擱くこともできたのだが、意地になって、やはり書き方を変え、筆名を替え、人に頼んで清書してもらい投稿した。新任の者には細かく見分けることができず、依然としてしばしば掲載された。一方でまた範囲を広げ、『中華日報』の副刊「動向」や小品文半月刊『太白』の類にも、折に触れて同様の文章を幾つか書いた。一九三四年に書いたこれらのものを集めたのが、この一冊の『花辺文学』である。 | 私がしばしば短評を書くようになったのは、確かに『申報』の「自由談」に投稿したことに始まる。一九三三年の作を集めて、『偽自由書』と『準風月談』の二冊ができた。その後、編集者の黎烈文先生はまことに圧迫に苦しみ、翌年ついに押し出されてしまった。私も本来これを機に筆を擱くこともできたのだが、意地になって、やはり書き方を変え、筆名を替え、人に頼んで清書してもらい投稿した。新任の者には細かく見分けることができず、依然としてしばしば掲載された。一方でまた範囲を広げ、『中華日報』の副刊「動向」や小品文半月刊『太白』の類にも、折に触れて同様の文章を幾つか書いた。一九三四年に書いたこれらのものを集めたのが、この一冊の『花辺文学』である。 | ||
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この名称は、私と同じ陣営にいる青年の戦友が、姓名を変えて暗箭に掛けて射てよこしたものだ。その意図は甚だ巧妙である。一に、この類の短評が新聞に掲載される際にしばしば花模様の縁飾り(花辺)で囲まれて重要さを示すため、私の戦友が見て頭が痛くなる。二に、「花辺」は銀貨の別名でもあるから、私のこれらの文章は原稿料のためであり、実は取るに足らぬという意味である。我々の意見の相違するところは、私は我々が外国人に鶏鴨より優遇されることを期待する必要はないと考えたのに対し、彼は我々を鶏鴨より優遇すべきだと考え、私が西洋人を弁護しているから「買弁」だというのである。その文章は「倒提」の下に附してあるので、ここでは多くは言うまい。このほかには特に記すべき事もない。ただ一篇の「冗談は冗談と思え」のために、文公直先生から手紙が来て、筆誅はいっそう厳しくなり、私を「漢奸」だと言った。今はその手紙と私の返信を本文の下に附してある。残りのこそこそと、びくびくとした攻撃は、上に挙げた二人にはまだまだ遠く及ばず、ここには転載しない。 | この名称は、私と同じ陣営にいる青年の戦友が、姓名を変えて暗箭に掛けて射てよこしたものだ。その意図は甚だ巧妙である。一に、この類の短評が新聞に掲載される際にしばしば花模様の縁飾り(花辺)で囲まれて重要さを示すため、私の戦友が見て頭が痛くなる。二に、「花辺」は銀貨の別名でもあるから、私のこれらの文章は原稿料のためであり、実は取るに足らぬという意味である。我々の意見の相違するところは、私は我々が外国人に鶏鴨より優遇されることを期待する必要はないと考えたのに対し、彼は我々を鶏鴨より優遇すべきだと考え、私が西洋人を弁護しているから「買弁」だというのである。その文章は「倒提」の下に附してあるので、ここでは多くは言うまい。このほかには特に記すべき事もない。ただ一篇の「冗談は冗談と思え」のために、文公直先生から手紙が来て、筆誅はいっそう厳しくなり、私を「漢奸」だと言った。今はその手紙と私の返信を本文の下に附してある。残りのこそこそと、びくびくとした攻撃は、上に挙げた二人にはまだまだ遠く及ばず、ここには転載しない。 | ||
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「花辺文学」はまことに駄目であった。一九三四年は一九三五年とは違う。今年は「皇帝閑話」事件のために、官の書報検閲処が忽然と行方不明になり、さらに七名の検閲官が罷免され、日刊紙の削除された箇所も空白のまま残してよいらしくなった(業界用語で「天窓を開ける」という)。しかしあの頃はまことに厳しく、こう言っても駄目、ああ言っても通らず、しかも削除した箇所は空白を残すことも許されず、つなぎ合わせて、著者自身に口ごもって意味不明の責任を負わせなければならなかった。このような明誅暗殺の下で、かろうじて残喘を保ち読者の目に触れ得たものは、奴隷の文章でなくて何であろうか。 | 「花辺文学」はまことに駄目であった。一九三四年は一九三五年とは違う。今年は「皇帝閑話」事件のために、官の書報検閲処が忽然と行方不明になり、さらに七名の検閲官が罷免され、日刊紙の削除された箇所も空白のまま残してよいらしくなった(業界用語で「天窓を開ける」という)。しかしあの頃はまことに厳しく、こう言っても駄目、ああ言っても通らず、しかも削除した箇所は空白を残すことも許されず、つなぎ合わせて、著者自身に口ごもって意味不明の責任を負わせなければならなかった。このような明誅暗殺の下で、かろうじて残喘を保ち読者の目に触れ得たものは、奴隷の文章でなくて何であろうか。 | ||
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私はかつて数人の友人と雑談したことがある。一人の友人が言った。今の文章には骨気のあるものはなくなった。例えばある日刊紙の副刊に投稿すれば、副刊の編集者がまず骨を数本抜き、総編集がまた数本抜き、検閲官がまた数本抜く。残ったものに何があるか、と。私は言った。私は自分で先に骨を数本抜いておくのだ。さもなくば「残ったもの」すら残らぬ、と。ゆえに、あの頃発表された文字は、四度骨を抜かれた可能性がある──今日ある人々が懸命に文天祥や方孝孺を顕彰しているが、幸いにも彼らは宋・明の人であった。もし現代に生きていたならば、彼らの言行は誰も知ることができなかったであろう。 | 私はかつて数人の友人と雑談したことがある。一人の友人が言った。今の文章には骨気のあるものはなくなった。例えばある日刊紙の副刊に投稿すれば、副刊の編集者がまず骨を数本抜き、総編集がまた数本抜き、検閲官がまた数本抜く。残ったものに何があるか、と。私は言った。私は自分で先に骨を数本抜いておくのだ。さもなくば「残ったもの」すら残らぬ、と。ゆえに、あの頃発表された文字は、四度骨を抜かれた可能性がある──今日ある人々が懸命に文天祥や方孝孺を顕彰しているが、幸いにも彼らは宋・明の人であった。もし現代に生きていたならば、彼らの言行は誰も知ることができなかったであろう。 | ||
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したがって、官に許された骨気ある文章のほかに、読者はただ骨気のない文章を見るしかない。私は清朝に生まれ、元来奴隷の出身で、生まれた時から中華民国の主人である二十五歳以下の青年とは同じではない。しかし彼らは世故を経ず、たまに「我を忘れ」れば、やはり大いに釘にぶつかる。私の投稿は発表を目的としたものであるから、もちろん骨気があるようには見せない。ゆえに「花辺」で飾られたものは、おそらく確かに青年作家の作品より多く、しかも奇妙なことに、削除された箇所はかえって少なかった。一年のうちでわずか三篇のみで、今回補完し、なお黒点で印とする。『論秦理斎夫人事』の末尾は申報館の総編集が削ったものと思われ、他の二篇は検閲官が削ったもの。ここに彼らの異なる心情が現れている。 | したがって、官に許された骨気ある文章のほかに、読者はただ骨気のない文章を見るしかない。私は清朝に生まれ、元来奴隷の出身で、生まれた時から中華民国の主人である二十五歳以下の青年とは同じではない。しかし彼らは世故を経ず、たまに「我を忘れ」れば、やはり大いに釘にぶつかる。私の投稿は発表を目的としたものであるから、もちろん骨気があるようには見せない。ゆえに「花辺」で飾られたものは、おそらく確かに青年作家の作品より多く、しかも奇妙なことに、削除された箇所はかえって少なかった。一年のうちでわずか三篇のみで、今回補完し、なお黒点で印とする。『論秦理斎夫人事』の末尾は申報館の総編集が削ったものと思われ、他の二篇は検閲官が削ったもの。ここに彼らの異なる心情が現れている。 | ||
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今年一年の間に、私が投稿していた「自由談」と「動向」はともに停刊し、『太白』も出なくなった。私はかつてこう思ったことがある。およそ私が原稿を寄せる刊行物は、最初の一、二号に寄せるだけなら差し支えないが、もし途切れなく続けると、結局長くは生きられない。そこで今年からは、この類の短文はあまり書かなくなった。同人に対しては背後からの悶棍を避けるため、自分に対しては道を開ける馬鹿になりたくないため、刊行物に対してはできるだけ長命であることを望むためである。ゆえに人から投稿を求められても、殊更に引き延ばし、それは「架子を振る」のではなく、いくらかの好意──しかし時には悪意でもある──の「世故」である。これは原稿を求める方々にお許しを請わねばならない。 | 今年一年の間に、私が投稿していた「自由談」と「動向」はともに停刊し、『太白』も出なくなった。私はかつてこう思ったことがある。およそ私が原稿を寄せる刊行物は、最初の一、二号に寄せるだけなら差し支えないが、もし途切れなく続けると、結局長くは生きられない。そこで今年からは、この類の短文はあまり書かなくなった。同人に対しては背後からの悶棍を避けるため、自分に対しては道を開ける馬鹿になりたくないため、刊行物に対してはできるだけ長命であることを望むためである。ゆえに人から投稿を求められても、殊更に引き延ばし、それは「架子を振る」のではなく、いくらかの好意──しかし時には悪意でもある──の「世故」である。これは原稿を求める方々にお許しを請わねばならない。 | ||
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ようやく今年の下半期になって、新聞記者の「正当なる輿論の保護」の請願と知識階級の言論の自由の要求を見た。もうすぐ年が明けるが、結果がどうなるか分からぬ。しかし、たとえこれ以降文章がすべて民衆の喉舌となったとしても、その代価は大きすぎると言わざるを得ない──それは華北五省の自治である。これはまさに以前の「正当なる輿論の保護」を敢えて懇請せず、言論の自由を要求しなかった代価の大きさと同じである──すなわち東三省の喪失。ただし今回、それと引き換えに得たものは光明である。しかしもし万が一にも不幸にして、後にまた私が『花辺文学』を書いていたのと同じ時代に戻ったならば、皆でその代価が何であるか当ててみるがいい…… | ようやく今年の下半期になって、新聞記者の「正当なる輿論の保護」の請願と知識階級の言論の自由の要求を見た。もうすぐ年が明けるが、結果がどうなるか分からぬ。しかし、たとえこれ以降文章がすべて民衆の喉舌となったとしても、その代価は大きすぎると言わざるを得ない──それは華北五省の自治である。これはまさに以前の「正当なる輿論の保護」を敢えて懇請せず、言論の自由を要求しなかった代価の大きさと同じである──すなわち東三省の喪失。ただし今回、それと引き換えに得たものは光明である。しかしもし万が一にも不幸にして、後にまた私が『花辺文学』を書いていたのと同じ時代に戻ったならば、皆でその代価が何であるか当ててみるがいい…… | ||
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一九三五年十二月二十九日夜、魯迅記す。 | 一九三五年十二月二十九日夜、魯迅記す。 | ||
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【未来の光栄 張承禄 】 | 【未来の光栄 張承禄 】 | ||
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今やほとんど毎年のように外国の文学者が中国にやって来るが、中国に来るたびに、いつも小さな騒ぎを引き起こす。先にバーナード・ショーがあり、後にデコブラがあった。ただファジェーエフだけは、皆が口にしたがらぬか、あるいは口にできなかったのだ。 | 今やほとんど毎年のように外国の文学者が中国にやって来るが、中国に来るたびに、いつも小さな騒ぎを引き起こす。先にバーナード・ショーがあり、後にデコブラがあった。ただファジェーエフだけは、皆が口にしたがらぬか、あるいは口にできなかったのだ。 | ||
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デコブラは政治を語らず、元来は是非の輪の外に跳び出せると思われたのだが、不意にも食と色を褒め称えたために「外国の文盲」という悪名を勝ち取り、我が論客たちにここで議論紛々たらしめた。彼はおそらくそろそろ小説を書きに行くであろう。 | デコブラは政治を語らず、元来は是非の輪の外に跳び出せると思われたのだが、不意にも食と色を褒め称えたために「外国の文盲」という悪名を勝ち取り、我が論客たちにここで議論紛々たらしめた。彼はおそらくそろそろ小説を書きに行くであろう。 | ||
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鼻が平たく小さく、ヨーロッパ人のように高くそびえていないのは仕方がない。しかし懐に数角の銭があれば、同じように映画を観ることはできる。探偵映画には飽き、恋愛映画にはうんざりし、戦争映画には膩き、喜劇映画にはつまらなくなると、そこで『ターザン』があり、『獣林怪人』があり、『アフリカ探険』がある等々、野獣と野蛮人の登場を求めるのだ。しかし未開の地においてもなお、必ず蛮女の蛮なる曲線を少々差し挟まねばならぬ。もし我々もなお見たがるならば、いくら嘲笑されても、やはりいくらかの未練があることが分かるであろう。「色」は市井の商人にとって甚だ大切なものだ。 | 鼻が平たく小さく、ヨーロッパ人のように高くそびえていないのは仕方がない。しかし懐に数角の銭があれば、同じように映画を観ることはできる。探偵映画には飽き、恋愛映画にはうんざりし、戦争映画には膩き、喜劇映画にはつまらなくなると、そこで『ターザン』があり、『獣林怪人』があり、『アフリカ探険』がある等々、野獣と野蛮人の登場を求めるのだ。しかし未開の地においてもなお、必ず蛮女の蛮なる曲線を少々差し挟まねばならぬ。もし我々もなお見たがるならば、いくら嘲笑されても、やはりいくらかの未練があることが分かるであろう。「色」は市井の商人にとって甚だ大切なものだ。 | ||
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文学が西欧で壁にぶつかるのも映画と変わらない。いわゆる文学者なる者の中にも、奇異なるもの(グロテスク)、色情的なるもの(エロティック)を探し出して、その顧客を満足させねばならぬ者がいる。それゆえ探険式の旅行があるのであり、目的は決して地主のお辞儀や酒の招待にあるのではない。しかし愚問に遭えば笑い話で済ませる。彼も実はこれらのことは分からぬし、分かる必要もないのだ。デコブラはこれらの人々の中の一人に過ぎない。 | 文学が西欧で壁にぶつかるのも映画と変わらない。いわゆる文学者なる者の中にも、奇異なるもの(グロテスク)、色情的なるもの(エロティック)を探し出して、その顧客を満足させねばならぬ者がいる。それゆえ探険式の旅行があるのであり、目的は決して地主のお辞儀や酒の招待にあるのではない。しかし愚問に遭えば笑い話で済ませる。彼も実はこれらのことは分からぬし、分かる必要もないのだ。デコブラはこれらの人々の中の一人に過ぎない。 | ||
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しかし中国人は、この類の文学者の作品の中で、各種のいわゆる「土人」と共に登場することになる。新聞に掲載されたデコブラ先生の旅程表を見さえすれば分かる──中国、南洋、南米。英国やドイツの類ではあまりに平凡だ。我々は描写されることを自覚し、また描写される光栄がこれからますます増えていくことを自覚し、さらに将来このようなことがあるのを面白いと思う者が出てくることをも自覚せねばならぬ。 | しかし中国人は、この類の文学者の作品の中で、各種のいわゆる「土人」と共に登場することになる。新聞に掲載されたデコブラ先生の旅程表を見さえすれば分かる──中国、南洋、南米。英国やドイツの類ではあまりに平凡だ。我々は描写されることを自覚し、また描写される光栄がこれからますます増えていくことを自覚し、さらに将来このようなことがあるのを面白いと思う者が出てくることをも自覚せねばならぬ。 | ||
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(一月八日。) | (一月八日。) | ||
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【女は必ずしも嘘が多いとは限らぬ 趙令儀 】 | 【女は必ずしも嘘が多いとは限らぬ 趙令儀 】 | ||
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侍桁先生は「嘘について」の中で、嘘をつく原因の一つは弱さに起因するとし、その証左として「それゆえなぜ女は男より嘘が多いのか」と述べた。 | 侍桁先生は「嘘について」の中で、嘘をつく原因の一つは弱さに起因するとし、その証左として「それゆえなぜ女は男より嘘が多いのか」と述べた。 | ||
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あれは必ずしも嘘ではないが、しかし必ずしも事実でもない。我々は確かにしばしば男たちの口から、女は男より嘘が多いと聞かされるが、しかし実証もなければ統計もない。ショーペンハウアー先生は痛烈に女を罵ったが、彼の死後、その蔵書の中から梅毒の治療薬の処方箋が見つかった。もう一人、オーストリアの青年学者で、名前は忘れたが、大著を書いて女と嘘は分かちがたいと論じた。しかし彼は後に自殺した。恐らく彼自身にこそ精神の病があったのだろう。 | あれは必ずしも嘘ではないが、しかし必ずしも事実でもない。我々は確かにしばしば男たちの口から、女は男より嘘が多いと聞かされるが、しかし実証もなければ統計もない。ショーペンハウアー先生は痛烈に女を罵ったが、彼の死後、その蔵書の中から梅毒の治療薬の処方箋が見つかった。もう一人、オーストリアの青年学者で、名前は忘れたが、大著を書いて女と嘘は分かちがたいと論じた。しかし彼は後に自殺した。恐らく彼自身にこそ精神の病があったのだろう。 | ||
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私が思うに、「女は男より嘘が多い」と言うよりは、「女は『男より嘘が多い』と人に指摘される時の方が多い」と言った方がよかろう。もっとも、数字の統計は自ずとないのだが。 | 私が思うに、「女は男より嘘が多い」と言うよりは、「女は『男より嘘が多い』と人に指摘される時の方が多い」と言った方がよかろう。もっとも、数字の統計は自ずとないのだが。 | ||
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例えば楊貴妃について、安禄山の乱以後の文人はみな大嘘をついていた。玄宗は事の外に逍遥としていたのに、かえって多くの悪事はすべて彼女のせいだと言った。敢えて「夏殷の衰えるを聞かずや、みずから褒姒・妲己を誅す」と言う者が幾人いたか。妲己や褒姒もまた同じことではないか。女が自分と男のために罪を被ってきた歴史は、実に長い。 | 例えば楊貴妃について、安禄山の乱以後の文人はみな大嘘をついていた。玄宗は事の外に逍遥としていたのに、かえって多くの悪事はすべて彼女のせいだと言った。敢えて「夏殷の衰えるを聞かずや、みずから褒姒・妲己を誅す」と言う者が幾人いたか。妲己や褒姒もまた同じことではないか。女が自分と男のために罪を被ってきた歴史は、実に長い。 | ||
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今年は「婦人国貨年」で、国貨振興も婦人から始まる。まもなく罵られるであろう。なぜなら国貨も必ずしもこのために好転するとは限らぬが、一たび提唱し、一たび叱責すれば、男たちの責任は果たされるからだ。 | 今年は「婦人国貨年」で、国貨振興も婦人から始まる。まもなく罵られるであろう。なぜなら国貨も必ずしもこのために好転するとは限らぬが、一たび提唱し、一たび叱責すれば、男たちの責任は果たされるからだ。 | ||
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ある男士がある女士のために不平を詠んだ詩を覚えている。「君王城上に降旗を竪つ、妾は深宮にありてなんぞ知らん。二十万人斉しく甲を解き、さらに一人の男児たる無し!」痛快なるかな、痛快なるかな! | ある男士がある女士のために不平を詠んだ詩を覚えている。「君王城上に降旗を竪つ、妾は深宮にありてなんぞ知らん。二十万人斉しく甲を解き、さらに一人の男児たる無し!」痛快なるかな、痛快なるかな! | ||
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(一月八日。) | (一月八日。) | ||
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【批評家の批評家 倪朔爾 】 | 【批評家の批評家 倪朔爾 】 | ||
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情勢の転変もまことに速く、昨年以前は批評家も非批評家もともに文学を批評していた。もちろん不満の方が多かったが、よいと言う者もいた。昨年以来、変わって文学者も非文学者もひっくり返り、転じて批評家を批評するようになった。 | 情勢の転変もまことに速く、昨年以前は批評家も非批評家もともに文学を批評していた。もちろん不満の方が多かったが、よいと言う者もいた。昨年以来、変わって文学者も非文学者もひっくり返り、転じて批評家を批評するようになった。 | ||
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今度はよいと言う者はあまりなく、最も徹底しているのは、近来真の批評家はいないと認めぬことだ。たとえ認めても、大いに彼らの愚鈍を笑う。なぜか。彼らがしばしば一つの決まった枠を作品の上に嵌め、合えばよし、合わねば悪しとするからだ。 | 今度はよいと言う者はあまりなく、最も徹底しているのは、近来真の批評家はいないと認めぬことだ。たとえ認めても、大いに彼らの愚鈍を笑う。なぜか。彼らがしばしば一つの決まった枠を作品の上に嵌め、合えばよし、合わねば悪しとするからだ。 | ||
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しかし、我々は文芸批評史の上で、決まった枠を持たぬ批評家を見たことがあるだろうか。誰もが持っている。あるいは美の枠、あるいは真実の枠、あるいは前進の枠である。決まった枠のない批評家こそ、奇人である。雑誌は決まった枠がないと称することができるが、実はそれこそが枠であり、目を隠す手品師のハンカチなのだ。例えば一人の編集者が唯美主義者であるとすれば、彼は自ら定見なしと言いながら、書評だけでたっぷり手品を弄することができる。もしそれがいわゆる「芸術のための芸術」の作品で、自分の私見に合致するものであれば、この主義を賛成する批評または感想文を一篇選んで掲載し、天まで持ち上げる。さもなければ、似非急進的な、いかにも革命的に見える批評家の文章を使って、地面にまで押し込める。読者はこれで目が眩む。しかし個人としては、もし少しでも記憶力があれば、このように両端に立つことはできず、決まった枠を持たねばならぬ。我々は彼に枠があることを責めるべきではない。ただその枠が正しいかどうかを批評すればよいのだ。 | しかし、我々は文芸批評史の上で、決まった枠を持たぬ批評家を見たことがあるだろうか。誰もが持っている。あるいは美の枠、あるいは真実の枠、あるいは前進の枠である。決まった枠のない批評家こそ、奇人である。雑誌は決まった枠がないと称することができるが、実はそれこそが枠であり、目を隠す手品師のハンカチなのだ。例えば一人の編集者が唯美主義者であるとすれば、彼は自ら定見なしと言いながら、書評だけでたっぷり手品を弄することができる。もしそれがいわゆる「芸術のための芸術」の作品で、自分の私見に合致するものであれば、この主義を賛成する批評または感想文を一篇選んで掲載し、天まで持ち上げる。さもなければ、似非急進的な、いかにも革命的に見える批評家の文章を使って、地面にまで押し込める。読者はこれで目が眩む。しかし個人としては、もし少しでも記憶力があれば、このように両端に立つことはできず、決まった枠を持たねばならぬ。我々は彼に枠があることを責めるべきではない。ただその枠が正しいかどうかを批評すればよいのだ。 | ||
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しかし批評家の批評家は、張献忠が秀才を選ぶ故事を引き出すであろう。まず二本の柱の間に縄を一本横に張り、受験者を歩かせる。背が高すぎれば殺し、低すぎても殺す。かくして蜀中の英才を殺し尽くした、と。このように喩えれば、定見のある批評家はすなわち張献忠に等しく、まこと読者をして心からの憎悪を抱かしめ得る。しかし文を評する枠が、すなわち人を量る縄であるか。文の合不合が、すなわち人の長短を量ることであるか。この例を引き出すのは誣陷であって、いかなる批評でもない。 | しかし批評家の批評家は、張献忠が秀才を選ぶ故事を引き出すであろう。まず二本の柱の間に縄を一本横に張り、受験者を歩かせる。背が高すぎれば殺し、低すぎても殺す。かくして蜀中の英才を殺し尽くした、と。このように喩えれば、定見のある批評家はすなわち張献忠に等しく、まこと読者をして心からの憎悪を抱かしめ得る。しかし文を評する枠が、すなわち人を量る縄であるか。文の合不合が、すなわち人の長短を量ることであるか。この例を引き出すのは誣陷であって、いかなる批評でもない。 | ||
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(一月十七日。) | (一月十七日。) | ||
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【漫罵 倪朔爾 】 | 【漫罵 倪朔爾 】 | ||
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批評家に対するもう一つの不満の批評がある。いわゆる批評家は「漫罵」を好むから、彼の文章は批評ではない、というものだ。 | 批評家に対するもう一つの不満の批評がある。いわゆる批評家は「漫罵」を好むから、彼の文章は批評ではない、というものだ。 | ||
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この「漫罵」を「嫚罵」と書く者もあり、「謩罵」と書く者もあるが、同じ意味かどうか私には分からない。しかしこれはひとまず措くとしよう。今問わんとするのは、いかなるものが「漫罵」であるかだ。 | この「漫罵」を「嫚罵」と書く者もあり、「謩罵」と書く者もあるが、同じ意味かどうか私には分からない。しかしこれはひとまず措くとしよう。今問わんとするのは、いかなるものが「漫罵」であるかだ。 | ||
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仮に一人の人を指して「これは娼婦だ」と言うとする。もし彼女が良家の女であれば、それは漫罵である。もし彼女がまことに笑いを売る稼業に就いているならば、これは漫罵ではなく、真実を述べたのだ。詩人には官職を買う金がなく、金持ちはただ勘定ばかりしている。事実がそうであるから、これは本当のことであり、たとえこれを漫罵と称しても、詩人にはやはり官職は買えぬ。これは幻想が現実にぶつかった小さな釘なのだ。 | 仮に一人の人を指して「これは娼婦だ」と言うとする。もし彼女が良家の女であれば、それは漫罵である。もし彼女がまことに笑いを売る稼業に就いているならば、これは漫罵ではなく、真実を述べたのだ。詩人には官職を買う金がなく、金持ちはただ勘定ばかりしている。事実がそうであるから、これは本当のことであり、たとえこれを漫罵と称しても、詩人にはやはり官職は買えぬ。これは幻想が現実にぶつかった小さな釘なのだ。 | ||
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金があるからといって文才があるとは限らぬ。「子女が行列をなす」からといって必ずしも児童の性質を明らかにするとは限らぬこと以上に明白である。「子女が行列をなす」は、ただ夫婦が生むのが上手で、育てもできることを証明するだけで、児童について妄りに論ずる権利はない。論じようとすれば、それは恥知らずに過ぎない。これは漫罵のように聞こえるが、実はそうではない。もしそうだと言うなら、世界中の児童心理学者はみな最も子供を多く産む親だと認めねばならぬ。 | 金があるからといって文才があるとは限らぬ。「子女が行列をなす」からといって必ずしも児童の性質を明らかにするとは限らぬこと以上に明白である。「子女が行列をなす」は、ただ夫婦が生むのが上手で、育てもできることを証明するだけで、児童について妄りに論ずる権利はない。論じようとすれば、それは恥知らずに過ぎない。これは漫罵のように聞こえるが、実はそうではない。もしそうだと言うなら、世界中の児童心理学者はみな最も子供を多く産む親だと認めねばならぬ。 | ||
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子供がわずかな食べ物のために喧嘩すると言うのは、子供に冤罪を着せるものであり、実は漫罵である。子供の行動は天性に出るものであり、また環境によっても変わる。ゆえに孔融は梨を譲った。喧嘩するのは家庭の影響であり、大人でさえ家産を争い遺産を奪い合うではないか。子供はその真似をしたのだ。 | 子供がわずかな食べ物のために喧嘩すると言うのは、子供に冤罪を着せるものであり、実は漫罵である。子供の行動は天性に出るものであり、また環境によっても変わる。ゆえに孔融は梨を譲った。喧嘩するのは家庭の影響であり、大人でさえ家産を争い遺産を奪い合うではないか。子供はその真似をしたのだ。 | ||
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漫罵は確かに多くの善人に冤罪を着せるが、曖昧模糊として「漫罵」を撲滅すれば、かえって一切の悪種を庇護することになる。 | 漫罵は確かに多くの善人に冤罪を着せるが、曖昧模糊として「漫罵」を撲滅すれば、かえって一切の悪種を庇護することになる。 | ||
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(一月十七日。) | (一月十七日。) | ||
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【「京派」と「海派」 欒廷石 】 | 【「京派」と「海派」 欒廷石 】 | ||
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北平のある先生がある新聞で「京派」を揚げて「海派」を抑える発言をして以来、かなりの議論を引き起こした。最初は上海のある先生がある雑誌で不平を述べ、さらに別のある先生の旧説を引いて、作者の籍貫は作品とは無関係であると主張し、北平のある先生に一撃を加えようとした。 | 北平のある先生がある新聞で「京派」を揚げて「海派」を抑える発言をして以来、かなりの議論を引き起こした。最初は上海のある先生がある雑誌で不平を述べ、さらに別のある先生の旧説を引いて、作者の籍貫は作品とは無関係であると主張し、北平のある先生に一撃を加えようとした。 | ||
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実のところ、これでは北平のある先生を心服させるに足りぬ。いわゆる「京派」と「海派」とは、元来作者の本籍を指すのではなく、一群の人々が集まる地域を指すのだ。ゆえに「京派」は皆北平人とは限らず、「海派」も皆上海人とは限らない。梅蘭芳博士は芝居における真の京派であるが、その本貫は呉下である。しかし、籍貫の都鄙がその人の功罪を定めることはできぬにせよ、居所の文野はやはり作家の神情に影響する。孟子曰く「居は気を移し、養は体を移す」と。これをこそ言うのだ。北京は明清の帝都、上海は各国の租界。帝都には官多く、租界には商多し。ゆえに京にある文人は官に近く、海に没する者は商に近い。官に近い者は官に名を得させ、商に近い者は商に利を得させ、自らもそれによって糊口する。要するに、「京派」は官の幇閑に過ぎず、「海派」は商の幇忙に過ぎぬ。しかし官から食を得る者はその情状が隠れ、外に向かってなお傲然たり得るが、商から食を得る者はその情状が露わで、どこにも隠しようがない。そこで我を忘れる者はこれに拠りて清濁の別ありとする。官が商を卑しむのは元来中国の旧習であるから、「海派」は「京派」の目にいっそう落ちぶれたのだ。 | 実のところ、これでは北平のある先生を心服させるに足りぬ。いわゆる「京派」と「海派」とは、元来作者の本籍を指すのではなく、一群の人々が集まる地域を指すのだ。ゆえに「京派」は皆北平人とは限らず、「海派」も皆上海人とは限らない。梅蘭芳博士は芝居における真の京派であるが、その本貫は呉下である。しかし、籍貫の都鄙がその人の功罪を定めることはできぬにせよ、居所の文野はやはり作家の神情に影響する。孟子曰く「居は気を移し、養は体を移す」と。これをこそ言うのだ。北京は明清の帝都、上海は各国の租界。帝都には官多く、租界には商多し。ゆえに京にある文人は官に近く、海に没する者は商に近い。官に近い者は官に名を得させ、商に近い者は商に利を得させ、自らもそれによって糊口する。要するに、「京派」は官の幇閑に過ぎず、「海派」は商の幇忙に過ぎぬ。しかし官から食を得る者はその情状が隠れ、外に向かってなお傲然たり得るが、商から食を得る者はその情状が露わで、どこにも隠しようがない。そこで我を忘れる者はこれに拠りて清濁の別ありとする。官が商を卑しむのは元来中国の旧習であるから、「海派」は「京派」の目にいっそう落ちぶれたのだ。 | ||
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しかし北京の学界は、以前にはその光栄もあった。すなわち五四運動の策動である。今なお歴史上の光輝はあるが、当時の戦士は、「功成り名遂げ身退く」者あり、「身を安んずる」者あり、「身を昇す」者はなおさらあり。立派な悪戦も、ほとんど人をして「官になりたくば殺人放火をして招安を受けよ」の感を抱かしめる。「昔人已に黄鶴に乗りて去り、此の地空しく黄鶴楼を余す」。一昨年大難が頭上に迫った時、北平の学者たちが自らの楯としようとしたのは古文化であり、唯一の大事は古物の南遷であった。これは自ら徹底的に、北平にあるものが何であるかを説明してしまったのではないか。 | しかし北京の学界は、以前にはその光栄もあった。すなわち五四運動の策動である。今なお歴史上の光輝はあるが、当時の戦士は、「功成り名遂げ身退く」者あり、「身を安んずる」者あり、「身を昇す」者はなおさらあり。立派な悪戦も、ほとんど人をして「官になりたくば殺人放火をして招安を受けよ」の感を抱かしめる。「昔人已に黄鶴に乗りて去り、此の地空しく黄鶴楼を余す」。一昨年大難が頭上に迫った時、北平の学者たちが自らの楯としようとしたのは古文化であり、唯一の大事は古物の南遷であった。これは自ら徹底的に、北平にあるものが何であるかを説明してしまったのではないか。 | ||
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=== 第2節 === | === 第2節 === | ||
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しかし北平には畢竟まだ古物があり、また古書があり、また古都の人民がいる。北平の学者文人たちは、おおむね講師か教授の本業を持ち、道理からすれば、研究あるいは創作の環境は実に「海派」より優越している。私は学術上あるいは文芸上の大著作を見ることができるよう望んでいる。 | しかし北平には畢竟まだ古物があり、また古書があり、また古都の人民がいる。北平の学者文人たちは、おおむね講師か教授の本業を持ち、道理からすれば、研究あるいは創作の環境は実に「海派」より優越している。私は学術上あるいは文芸上の大著作を見ることができるよう望んでいる。 | ||
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(一月三十日。) | (一月三十日。) | ||
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これは「京派」と「海派」の議論を見た後に、連想したものである── | これは「京派」と「海派」の議論を見た後に、連想したものである── | ||
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北人が南人を卑しむのは、すでに一つの伝統である。これは風俗習慣の相違のためでもなく、思うにその大きな原因は、歴来の侵入者が多く北方から来て、まず中国の北部を征服し、さらに北人を率いて南征したことにある。ゆえに南人は北人の目には被征服者でもあるのだ。 | 北人が南人を卑しむのは、すでに一つの伝統である。これは風俗習慣の相違のためでもなく、思うにその大きな原因は、歴来の侵入者が多く北方から来て、まず中国の北部を征服し、さらに北人を率いて南征したことにある。ゆえに南人は北人の目には被征服者でもあるのだ。 | ||
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二陸が晋に入った時、北方の人士は歓喜の中にあきらかに軽薄を帯びていた。証拠を挙げれば煩雑になるので、ひとまず論じないでおこう。分かりやすいのは、羊衒之の『洛陽伽藍記』の中で常に南人を誹り、同類と見なしていないことだ。元に至っては、人民を截然と四等に分けた。一にモンゴル人、二に色目人、三に漢人すなわち北人、第四等がようやく南人で、それは彼らが最後に降伏した一群だったからだ。最後に降伏したとは、こちらから言えば矢尽き援絶えてようやく戦いを止めた南方の強さであり、あちらから言えば順逆をわきまえず久しく王師に抗した賊である。生き残りは当然降伏したのだが、しかし奴隷としての資格はこのため最も浅く、浅いがゆえに班次も最も低く、誰もが憚りなく卑しめたのだ。清朝に至ってこの帳簿がまた整理し直され、今なお余波が流れている。もしこの後の歴史がもう繰り返されぬならば、それはまことに南人のみならざる天の福というべきだ。 | 二陸が晋に入った時、北方の人士は歓喜の中にあきらかに軽薄を帯びていた。証拠を挙げれば煩雑になるので、ひとまず論じないでおこう。分かりやすいのは、羊衒之の『洛陽伽藍記』の中で常に南人を誹り、同類と見なしていないことだ。元に至っては、人民を截然と四等に分けた。一にモンゴル人、二に色目人、三に漢人すなわち北人、第四等がようやく南人で、それは彼らが最後に降伏した一群だったからだ。最後に降伏したとは、こちらから言えば矢尽き援絶えてようやく戦いを止めた南方の強さであり、あちらから言えば順逆をわきまえず久しく王師に抗した賊である。生き残りは当然降伏したのだが、しかし奴隷としての資格はこのため最も浅く、浅いがゆえに班次も最も低く、誰もが憚りなく卑しめたのだ。清朝に至ってこの帳簿がまた整理し直され、今なお余波が流れている。もしこの後の歴史がもう繰り返されぬならば、それはまことに南人のみならざる天の福というべきだ。 | ||
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もちろん、南人には欠点がある。権貴が南遷すれば、腐敗頹廃の気風を持ち込み、北方の方がかえって清浄である。性情もまた異なり、欠点もあれば特長もある。ちょうど北人が両方を兼ね備えるのと同じだ。私の見るところ、北人の長所は重厚であり、南人の長所は機敏である。しかし重厚の弊は愚鈍に、機敏の弊は狡猾になる。ゆえにある先生がかつてこう欠点を指摘した。北方の人は「終日飽食して心を用うるところなし」、南方の人は「終日群居して言、義に及ばず」と。有閑階級について言えば、おおむね確かにそうであろうと私は思う。 | もちろん、南人には欠点がある。権貴が南遷すれば、腐敗頹廃の気風を持ち込み、北方の方がかえって清浄である。性情もまた異なり、欠点もあれば特長もある。ちょうど北人が両方を兼ね備えるのと同じだ。私の見るところ、北人の長所は重厚であり、南人の長所は機敏である。しかし重厚の弊は愚鈍に、機敏の弊は狡猾になる。ゆえにある先生がかつてこう欠点を指摘した。北方の人は「終日飽食して心を用うるところなし」、南方の人は「終日群居して言、義に及ばず」と。有閑階級について言えば、おおむね確かにそうであろうと私は思う。 | ||
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欠点は改めることができ、長所は互いに師とすることができる。人相書に一条ある。北人にして南相なる者、南人にして北相なる者は貴し、と。これは妄語ではないと思う。北人にして南相なる者は重厚にしてかつ機敏であり、南人にして北相なる者は言うまでもなく機敏にしてかつ重厚なり。昔の人のいわゆる「貴」とは、当時の成功に過ぎず、現在にあっては、有益な事業を成し遂げることだ。これは中国人のささやかな自新の道である。 | 欠点は改めることができ、長所は互いに師とすることができる。人相書に一条ある。北人にして南相なる者、南人にして北相なる者は貴し、と。これは妄語ではないと思う。北人にして南相なる者は重厚にしてかつ機敏であり、南人にして北相なる者は言うまでもなく機敏にしてかつ重厚なり。昔の人のいわゆる「貴」とは、当時の成功に過ぎず、現在にあっては、有益な事業を成し遂げることだ。これは中国人のささやかな自新の道である。 | ||
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ただし文章を書くのは南人が多く、北方もその影響を受けた。北京の新聞に、口先ばかりで、もごもごと、自分の影に見惚れるような文字は六七年前より増えたではないか。これがもし北方固有の「おしゃべり」と結婚すれば、生まれてくるのは必ず一種の不祥な新たな劣種であろう。 | ただし文章を書くのは南人が多く、北方もその影響を受けた。北京の新聞に、口先ばかりで、もごもごと、自分の影に見惚れるような文字は六七年前より増えたではないか。これがもし北方固有の「おしゃべり」と結婚すれば、生まれてくるのは必ず一種の不祥な新たな劣種であろう。 | ||
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(一月三十日。) | (一月三十日。) | ||
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【「かくの如き広州」読後感 越客 】 | 【「かくの如き広州」読後感 越客 】 | ||
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先日、「自由談」に「かくの如き広州」という一篇があり、かの地の新聞を引いて、商店が玄壇と李逵の大きな像を作り、目に電球を嵌めて向かいの虎の看板を鎮圧しようとしたことを記しており、まことに声色ともに備わっていた。もちろんその目的は広州人の迷信を嘲笑することにあった。 | 先日、「自由談」に「かくの如き広州」という一篇があり、かの地の新聞を引いて、商店が玄壇と李逵の大きな像を作り、目に電球を嵌めて向かいの虎の看板を鎮圧しようとしたことを記しており、まことに声色ともに備わっていた。もちろんその目的は広州人の迷信を嘲笑することにあった。 | ||
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広東人の迷信は確かにかなりのもので、上海の五方雑処の路地を歩けば、パチパチと爆竹を鳴らし、大門の外の地面に線香と蝋燭を灯しているのは、十中九まで広東人であり、これは新党を嘆息させるに足る。しかし広東人の迷信は迷信ながらも真剣で、気魄がある。あの玄壇と李逵の大像にしても、百元以上かけねばできぬであろう。漢は明珠を求め、呉は大象を徴す。中原の人は歴来広東に宝物を掻き集めに行ったが、今に至るもまだ掻き尽くされていないらしく、偽の虎に対処するためにもこれだけの力を出せるのだ。さもなくば、それは命懸けということで、ここにまたあの迷信の真剣さが見えるのだ。 | 広東人の迷信は確かにかなりのもので、上海の五方雑処の路地を歩けば、パチパチと爆竹を鳴らし、大門の外の地面に線香と蝋燭を灯しているのは、十中九まで広東人であり、これは新党を嘆息させるに足る。しかし広東人の迷信は迷信ながらも真剣で、気魄がある。あの玄壇と李逵の大像にしても、百元以上かけねばできぬであろう。漢は明珠を求め、呉は大象を徴す。中原の人は歴来広東に宝物を掻き集めに行ったが、今に至るもまだ掻き尽くされていないらしく、偽の虎に対処するためにもこれだけの力を出せるのだ。さもなくば、それは命懸けということで、ここにまたあの迷信の真剣さが見えるのだ。 | ||
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実は中国人に迷信のない者がいるだろうか。ただその迷信が不甲斐なく迷っているから、かえって人が注意しないだけだ。例えば向かいに虎の看板が出たら、大抵の店主は落ち着かないものだ。しかし江浙であれば、おそらくこのように死力を尽くして闘おうとはしまい。一文銭で赤い紙を一枚買い、「姜太公此処に在り、百の禁忌なし」とか「泰山石敢当」と書いて、こっそり貼り付け、それでもって安身立命とするであろう。迷信は依然として迷信だが、いかにも小家の相で気概もなく、奄々一息であり、「自由談」の材料にさえしてくれないのだ。 | 実は中国人に迷信のない者がいるだろうか。ただその迷信が不甲斐なく迷っているから、かえって人が注意しないだけだ。例えば向かいに虎の看板が出たら、大抵の店主は落ち着かないものだ。しかし江浙であれば、おそらくこのように死力を尽くして闘おうとはしまい。一文銭で赤い紙を一枚買い、「姜太公此処に在り、百の禁忌なし」とか「泰山石敢当」と書いて、こっそり貼り付け、それでもって安身立命とするであろう。迷信は依然として迷信だが、いかにも小家の相で気概もなく、奄々一息であり、「自由談」の材料にさえしてくれないのだ。 | ||
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迷信するにしても、曖昧よりは真剣な方がよい。もし鬼にもなお金が要ると信じるならば、いっそ北宋の人のように銅銭を地中に埋めた方がましだ。今のようにわずかな紙銭を焼くだけでは、他人を騙し自分を騙すのみならず、端的に鬼をも騙しているのだ。中国には空名と偽物だけが残った事柄が多いが、それは真剣でないためなのだ。 | 迷信するにしても、曖昧よりは真剣な方がよい。もし鬼にもなお金が要ると信じるならば、いっそ北宋の人のように銅銭を地中に埋めた方がましだ。今のようにわずかな紙銭を焼くだけでは、他人を騙し自分を騙すのみならず、端的に鬼をも騙しているのだ。中国には空名と偽物だけが残った事柄が多いが、それは真剣でないためなのだ。 | ||
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広州人の迷信は手本とするに足りぬが、その真剣さは手本とするに足り、敬服に値する。 | 広州人の迷信は手本とするに足りぬが、その真剣さは手本とするに足り、敬服に値する。 | ||
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(二月四日。) | (二月四日。) | ||
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【年越し 張承禄 】 | 【年越し 張承禄 】 | ||
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今年の上海の旧正月は、去年より賑やかであった。 | 今年の上海の旧正月は、去年より賑やかであった。 | ||
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文字上の呼称と口頭の呼称にはしばしばいくらかの違いがある。「廃暦」と呼ぶ者は、これを軽んじるのであり、「古暦」と呼ぶ者は、これを愛するのである。しかしこの「暦」に対する待遇は同じである。帳簿の精算、神への祭祀、祖先の祭り、爆竹、麻雀、年始回り、「恭喜発財!」 | 文字上の呼称と口頭の呼称にはしばしばいくらかの違いがある。「廃暦」と呼ぶ者は、これを軽んじるのであり、「古暦」と呼ぶ者は、これを愛するのである。しかしこの「暦」に対する待遇は同じである。帳簿の精算、神への祭祀、祖先の祭り、爆竹、麻雀、年始回り、「恭喜発財!」 | ||
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年を越しながらも休刊しない新聞には、すでに感慨が載っている。しかし感慨に過ぎず、畢竟事実には勝てない。ある英雄的な作家も、人に年中奮発し、悲憤し、記念せよと叫んだ。しかし叫ぶだけのことで、やはり事実には勝てない。中国の哀しむべき記念日はあまりに多く、これは慣例として少なくとも沈黙すべきである。喜ぶべき記念日も少なくはないが、しかし「反動分子がこれに乗じて騒ぎを起こす」ことを恐れるので、皆の喜びも発揚できない。幾度も防遏され、幾度も淘汰され、あらゆる佳節が絞め殺されると、この辛うじて残喘を保つ「廃暦」あるいは「古暦」だけが自分のものだと感じ、いっそう愛おしくなる。そこでことさらに祝う──これは「封建の余意」の一言で軽々しく片付けられるものではない。 | 年を越しながらも休刊しない新聞には、すでに感慨が載っている。しかし感慨に過ぎず、畢竟事実には勝てない。ある英雄的な作家も、人に年中奮発し、悲憤し、記念せよと叫んだ。しかし叫ぶだけのことで、やはり事実には勝てない。中国の哀しむべき記念日はあまりに多く、これは慣例として少なくとも沈黙すべきである。喜ぶべき記念日も少なくはないが、しかし「反動分子がこれに乗じて騒ぎを起こす」ことを恐れるので、皆の喜びも発揚できない。幾度も防遏され、幾度も淘汰され、あらゆる佳節が絞め殺されると、この辛うじて残喘を保つ「廃暦」あるいは「古暦」だけが自分のものだと感じ、いっそう愛おしくなる。そこでことさらに祝う──これは「封建の余意」の一言で軽々しく片付けられるものではない。 | ||
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人に年中悲憤し労作せよと呼びかける英雄たちは、きっと自分自身は悲憤も労作も毫も知らぬ人物であろう。実際には、悲憤する者と労作する者は、時として休息と歓びを必要とするのだ。古代エジプトの奴隷たちも、時に冷然と微笑することがあった。これは一切を蔑視する笑いである。この笑いの意味が分からぬ者は、ただ主人と、奴隷の生活に安んじ、労作が少なく、しかも悲憤を失った奴僕のみである。 | 人に年中悲憤し労作せよと呼びかける英雄たちは、きっと自分自身は悲憤も労作も毫も知らぬ人物であろう。実際には、悲憤する者と労作する者は、時として休息と歓びを必要とするのだ。古代エジプトの奴隷たちも、時に冷然と微笑することがあった。これは一切を蔑視する笑いである。この笑いの意味が分からぬ者は、ただ主人と、奴隷の生活に安んじ、労作が少なく、しかも悲憤を失った奴僕のみである。 | ||
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私は旧暦の正月を祝わなくなって二十三年になるが、今回は三夜続けて花火を上げ、隣の外国人にも「シーッ」と言わしめた。これは花火もろとも、私のこの一年でたった一つの喜びとなった。 | 私は旧暦の正月を祝わなくなって二十三年になるが、今回は三夜続けて花火を上げ、隣の外国人にも「シーッ」と言わしめた。これは花火もろとも、私のこの一年でたった一つの喜びとなった。 | ||
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(二月十五日。) | (二月十五日。) | ||
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【運命 倪朔爾 】 | 【運命 倪朔爾 】 | ||
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映画「『姉妹花』の中で貧しい老婆が貧しい娘に言う。『貧乏人は結局貧乏人だ。お前は我慢しなさい!』」宗漢先生は慨然としてこれを指摘し、「貧乏人の哲学」と名付けた(『大晩報』参照)。 | 映画「『姉妹花』の中で貧しい老婆が貧しい娘に言う。『貧乏人は結局貧乏人だ。お前は我慢しなさい!』」宗漢先生は慨然としてこれを指摘し、「貧乏人の哲学」と名付けた(『大晩報』参照)。 | ||
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もちろんこれは安貧を教えるものであり、その根拠は「運命」である。古今の聖賢でこの説を主張した者はすでに少なくないが、しかし安貧ならざる貧乏人も「結局は」甚だ少なくない。「智者千慮に必ず一失あり」──ここでいう「失」は、蓋棺の後でなければ一人の人間の運命は「結局」知り得ぬということにある。 | もちろんこれは安貧を教えるものであり、その根拠は「運命」である。古今の聖賢でこの説を主張した者はすでに少なくないが、しかし安貧ならざる貧乏人も「結局は」甚だ少なくない。「智者千慮に必ず一失あり」──ここでいう「失」は、蓋棺の後でなければ一人の人間の運命は「結局」知り得ぬということにある。 | ||
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運命を予言する者もいないわけではない。人相見、八字を排する者、至る所にいる。しかし彼らが顧客に対して、底の底まで貧乏だと断定することは甚だ少なく、たとえあっても、皆の学説は一致できず、甲は貧しかるべしと言い、乙は富むべしと言う。これでは貧乏人は自分の将来の確実な運命を信ずることができぬ。 | 運命を予言する者もいないわけではない。人相見、八字を排する者、至る所にいる。しかし彼らが顧客に対して、底の底まで貧乏だと断定することは甚だ少なく、たとえあっても、皆の学説は一致できず、甲は貧しかるべしと言い、乙は富むべしと言う。これでは貧乏人は自分の将来の確実な運命を信ずることができぬ。 | ||
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運命を信じなければ「分を安んずる」ことができず、貧乏人が宝くじを買うのは一種の「分を超えた考え」である。しかしこれは国家にとって、今日では無益とは言えぬ。ただし「一利あれば必ず一弊あり」で、運命が知り得ぬものならば、貧乏人がまた皇帝になろうと思ったとて何の差し支えがあろう。これが中国に『推背図』を出現させたのだ。宋人によれば、五代の頃、多くの人がこの図を見て自分の息子に名をつけ、将来の吉兆に当たることを望んだが、宋の太宗(?)が百本の順序をかき乱して別本と一緒に流通させ、読者は順序が大抵異なるのを見てどれが正しいか分からなくなり、ようやく珍蔵しなくなった。しかし九一八の頃、上海ではまだ『推背図』の新印本が盛んに売られていた。 | 運命を信じなければ「分を安んずる」ことができず、貧乏人が宝くじを買うのは一種の「分を超えた考え」である。しかしこれは国家にとって、今日では無益とは言えぬ。ただし「一利あれば必ず一弊あり」で、運命が知り得ぬものならば、貧乏人がまた皇帝になろうと思ったとて何の差し支えがあろう。これが中国に『推背図』を出現させたのだ。宋人によれば、五代の頃、多くの人がこの図を見て自分の息子に名をつけ、将来の吉兆に当たることを望んだが、宋の太宗(?)が百本の順序をかき乱して別本と一緒に流通させ、読者は順序が大抵異なるのを見てどれが正しいか分からなくなり、ようやく珍蔵しなくなった。しかし九一八の頃、上海ではまだ『推背図』の新印本が盛んに売られていた。 | ||
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「安貧」は確かに天下太平の要道ではあるが、もし究極の運命を指定することができねば、人を心底から諦めさせることはできぬ。今日の優生学は科学的であると言えるもので、中国にもこれを提唱する者がいて、運命説の窮まるところを救おうとしているが、歴史はまたあいにく面目がない。漢の高祖の父は皇帝ではなかったし、李白の息子も詩人ではなかった。さらに立志伝があり、くどくどと西洋の誰それが冒険で成功し、誰それがまた素手で富を得たと人に説いている。 | 「安貧」は確かに天下太平の要道ではあるが、もし究極の運命を指定することができねば、人を心底から諦めさせることはできぬ。今日の優生学は科学的であると言えるもので、中国にもこれを提唱する者がいて、運命説の窮まるところを救おうとしているが、歴史はまたあいにく面目がない。漢の高祖の父は皇帝ではなかったし、李白の息子も詩人ではなかった。さらに立志伝があり、くどくどと西洋の誰それが冒険で成功し、誰それがまた素手で富を得たと人に説いている。 | ||
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運命説が治国平天下に全く足りぬことは、明々白々たる履歴がある。もしなおこれを道具として使おうとするならば、中国の運命こそまことに「窮」極無聊となるであろう。 | 運命説が治国平天下に全く足りぬことは、明々白々たる履歴がある。もしなおこれを道具として使おうとするならば、中国の運命こそまことに「窮」極無聊となるであろう。 | ||
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(二月二十三日。) | (二月二十三日。) | ||
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【大詐欺と小詐欺 鄧当世 】 | 【大詐欺と小詐欺 鄧当世 】 | ||
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「文壇」の醜事は、この二年来まことに少なからず暴露された。切り貼り、丸写し、転売、偽装。しかし究明し得ぬ事もまだあり、ただ我々が見慣れたために、もう気に留めないだけだ。 | 「文壇」の醜事は、この二年来まことに少なからず暴露された。切り貼り、丸写し、転売、偽装。しかし究明し得ぬ事もまだあり、ただ我々が見慣れたために、もう気に留めないだけだ。 | ||
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名人の題字は、字が必ずしもうまいとは限らぬが、ただこの本の著者あるいは出版者が名人を知っていることを示すだけで内容とは無関係であるから、詐欺とは言えぬ。疑わしいのは「校閲」である。校閲の役は、当然名人・学者・教授だ。しかしこれらの先生方自身には、この学問に関する著作がない。ゆえに本当に校閲したかどうかが一つの問題であり、たとえ本当に校閲したとしても、その校閲が本当に信頼できるかどうかがもう一つの問題である。しかし再び校閲を加えて批評した文章を我々はほとんど見ない。 | 名人の題字は、字が必ずしもうまいとは限らぬが、ただこの本の著者あるいは出版者が名人を知っていることを示すだけで内容とは無関係であるから、詐欺とは言えぬ。疑わしいのは「校閲」である。校閲の役は、当然名人・学者・教授だ。しかしこれらの先生方自身には、この学問に関する著作がない。ゆえに本当に校閲したかどうかが一つの問題であり、たとえ本当に校閲したとしても、その校閲が本当に信頼できるかどうかがもう一つの問題である。しかし再び校閲を加えて批評した文章を我々はほとんど見ない。 | ||
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さらに一種の「編集」がある。この編集者もおおむね名人であり、その名によって読者はその本の信頼性を感じる。しかしこれもまた甚だ疑わしい。もしその本に序跋があれば、その文章や思想から、本当にこの人が編集したかどうかを判断できるが、市場に並ぶ本には、開けばいきなり目次で、手がかりが全くないものがしばしばある。これをどうして信頼できよう。至って大部の各門類の刊行物のいわゆる「主編」に至っては、この名人は天空から地底まで通暁せざるものなく、「為す無くして為さざる無し」であり、かえって我々には推測の余地もない。 | さらに一種の「編集」がある。この編集者もおおむね名人であり、その名によって読者はその本の信頼性を感じる。しかしこれもまた甚だ疑わしい。もしその本に序跋があれば、その文章や思想から、本当にこの人が編集したかどうかを判断できるが、市場に並ぶ本には、開けばいきなり目次で、手がかりが全くないものがしばしばある。これをどうして信頼できよう。至って大部の各門類の刊行物のいわゆる「主編」に至っては、この名人は天空から地底まで通暁せざるものなく、「為す無くして為さざる無し」であり、かえって我々には推測の余地もない。 | ||
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さらに一種の「特約寄稿」がある。刊行物の初号には広告にしばしば特約寄稿の名人を一大批並べ、時にはさらに凸版で著者自筆の署名を印刷し、その真実を示す。これは疑わしくない。しかし一年半載を過ぎると、次第にほころびが出てきて、多くのいわゆる特約寄稿者のものが一字も見えなくなる。約束していなかったのか、約束したが来なかったのか、我々には知る由もないが、それらのいわゆる自筆署名も、あるいは他所から切り抜いたものか、あるいは端的に偽造であることが分かる。もし投稿から取ったのであれば、なぜ署名は見えて原稿は見えぬのか。 | さらに一種の「特約寄稿」がある。刊行物の初号には広告にしばしば特約寄稿の名人を一大批並べ、時にはさらに凸版で著者自筆の署名を印刷し、その真実を示す。これは疑わしくない。しかし一年半載を過ぎると、次第にほころびが出てきて、多くのいわゆる特約寄稿者のものが一字も見えなくなる。約束していなかったのか、約束したが来なかったのか、我々には知る由もないが、それらのいわゆる自筆署名も、あるいは他所から切り抜いたものか、あるいは端的に偽造であることが分かる。もし投稿から取ったのであれば、なぜ署名は見えて原稿は見えぬのか。 | ||
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これらの名人は自分の「名」を売っているのだが、果たして「空給」を受け取っているのであろうか。もし受け取っているならば、もちろん同意の上での自売であり、さもなくば「盗売」と言える。「世を欺き名を盗む」者もあり、名を盗売して世を欺く者もあり、世の中もまことに千差万別である。しかし損害を被るのは読者だけなのだ。 | これらの名人は自分の「名」を売っているのだが、果たして「空給」を受け取っているのであろうか。もし受け取っているならば、もちろん同意の上での自売であり、さもなくば「盗売」と言える。「世を欺き名を盗む」者もあり、名を盗売して世を欺く者もあり、世の中もまことに千差万別である。しかし損害を被るのは読者だけなのだ。 | ||
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(三月七日。) | (三月七日。) | ||
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【「お子様お断り」 宓子章 】 | 【「お子様お断り」 宓子章 】 | ||
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この五六年来の外国映画は、まず我々に一通り洋風侠客の勇敢さを見せ、次いで野蛮人の陋劣を、さらに洋風令嬢の曲線美を見せた。しかし目の肥えは広がるもので、ついに何本かの脚では足りなくなり、一大群となる。またぞ足りず、丸裸となる。これが「裸体運動大写真」であり、正々堂々たる「人体美と健康美の表現」ではあるが、しかし「お子様お断り」で、子供はこれらの「美」を見る資格がないのだ。 | この五六年来の外国映画は、まず我々に一通り洋風侠客の勇敢さを見せ、次いで野蛮人の陋劣を、さらに洋風令嬢の曲線美を見せた。しかし目の肥えは広がるもので、ついに何本かの脚では足りなくなり、一大群となる。またぞ足りず、丸裸となる。これが「裸体運動大写真」であり、正々堂々たる「人体美と健康美の表現」ではあるが、しかし「お子様お断り」で、子供はこれらの「美」を見る資格がないのだ。 | ||
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なぜか。宣伝にこのような文句がある── | なぜか。宣伝にこのような文句がある── | ||
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「一人のこの上なく聡明な子供が言った。『あの人たちはどうして体の向きを変えてくれないの?』」 | 「一人のこの上なく聡明な子供が言った。『あの人たちはどうして体の向きを変えてくれないの?』」 | ||
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「一人の十分に厳格な父親が言った。『どうりで劇場は子供を断るわけだ!』」 | 「一人の十分に厳格な父親が言った。『どうりで劇場は子供を断るわけだ!』」 | ||
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これはもちろん文学者の虚構の妙文に過ぎない。なぜならこの映画は最初から「お子様お断り」を掲げているのだから、子供は見ようがないのだ。しかしもし本当に見せたとして、彼らはこのような質問をするだろうか。おそらくそうかもしれない。しかしこの質問の意味は、恐らく張生が唱う「ああ、どうして顔を向けてくれないのだ」とは全く異なり、実は映画中の人物の態度の不自然さが不思議に思われただけであろう。中国の子供は比較的早熟かもしれず、性的感覚が比較的鋭いかもしれぬが、成人した「父親」よりも心が不浄であるとまではゆくまい。もしそうであるなら、二十年後の中国社会はまことに恐ろしいものだ。しかし事実上はおそらく決してそうはならぬゆえ、あの答えはこう改めた方がよい。 | これはもちろん文学者の虚構の妙文に過ぎない。なぜならこの映画は最初から「お子様お断り」を掲げているのだから、子供は見ようがないのだ。しかしもし本当に見せたとして、彼らはこのような質問をするだろうか。おそらくそうかもしれない。しかしこの質問の意味は、恐らく張生が唱う「ああ、どうして顔を向けてくれないのだ」とは全く異なり、実は映画中の人物の態度の不自然さが不思議に思われただけであろう。中国の子供は比較的早熟かもしれず、性的感覚が比較的鋭いかもしれぬが、成人した「父親」よりも心が不浄であるとまではゆくまい。もしそうであるなら、二十年後の中国社会はまことに恐ろしいものだ。しかし事実上はおそらく決してそうはならぬゆえ、あの答えはこう改めた方がよい。 | ||
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「わしが満足できぬようにするためだ。全くけしからん!」 | 「わしが満足できぬようにするためだ。全くけしからん!」 | ||
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ただしこう言う「父親」もおそらくいまい。彼はいつも「己の心をもって人の心を度る」のであり、度った後にこの心を無理に他人の胸中に押し込め、自分のものではないふりをして、他人の心は自分ほど清浄ではないと言う。裸体の女性が皆「体の向きを変えない」のは、実はまさにこの類の人物に対処するためなのだ。彼女たちはまさか白痴ではあるまい。「父親」の目つきが、その子供よりもさらに不真面目であることすら知らぬわけがあろうか。 | ただしこう言う「父親」もおそらくいまい。彼はいつも「己の心をもって人の心を度る」のであり、度った後にこの心を無理に他人の胸中に押し込め、自分のものではないふりをして、他人の心は自分ほど清浄ではないと言う。裸体の女性が皆「体の向きを変えない」のは、実はまさにこの類の人物に対処するためなのだ。彼女たちはまさか白痴ではあるまい。「父親」の目つきが、その子供よりもさらに不真面目であることすら知らぬわけがあろうか。 | ||
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しかし中国社会はやはり「父親」類の社会であるから、芝居を演じれば「母親」類が身を献じ、「息子」類が謗りを受ける。たとえ危急の関頭に至っても、やはり何かと「木蘭従軍」「汪踦衛国」で、「女子と小人」を押し出して防ぎとするのだ。「我が国民はいかにしてその後を善くするや。」 | しかし中国社会はやはり「父親」類の社会であるから、芝居を演じれば「母親」類が身を献じ、「息子」類が謗りを受ける。たとえ危急の関頭に至っても、やはり何かと「木蘭従軍」「汪踦衛国」で、「女子と小人」を押し出して防ぎとするのだ。「我が国民はいかにしてその後を善くするや。」 | ||
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=== 第3節 === | === 第3節 === | ||
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古今の心の善し悪しは、比較するのがなかなか難しく、詩文に教えを求めるしかない。古の詩人は名高き「温柔敦厚」であるが、中にはなんと「時日いずくんぞ喪びん、予汝とともに亡びん!」と言う者もいた。なんと悪辣なことか。さらに奇妙なのは、孔子が「校閲」した後も、これを削らず、なお「詩三百、一言もってこれを蔽う。曰く、思い邪なし」と言っていること。聖人もまた可悪とは思わなかったらしい。 | 古今の心の善し悪しは、比較するのがなかなか難しく、詩文に教えを求めるしかない。古の詩人は名高き「温柔敦厚」であるが、中にはなんと「時日いずくんぞ喪びん、予汝とともに亡びん!」と言う者もいた。なんと悪辣なことか。さらに奇妙なのは、孔子が「校閲」した後も、これを削らず、なお「詩三百、一言もってこれを蔽う。曰く、思い邪なし」と言っていること。聖人もまた可悪とは思わなかったらしい。 | ||
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さらに現存の最も通行する『文選』があるが、聞くところによれば、もし青年作家が語彙を豊かにし、あるいは建築を描写しようとすれば、必ずこれを見なければならぬという。しかし我々がもし中の作家を調査すれば、少なくとも半分は非業の死を遂げている。もちろん心が悪かったからだ。昭明太子の選択を経て、確かに語彙の祖師のようになったが、当時はおそらくまだ個人の主張も偏激な文字もあったのだ。さもなくばその人は伝えられなかったはずで、唐以前の史書の文苑伝を繰ってみれば、おおむね旨意を承けて檄を草し頌を作る人であるが、しかしそれら著者の文章で今日まで伝わるものはかえって甚だ少ない。 | さらに現存の最も通行する『文選』があるが、聞くところによれば、もし青年作家が語彙を豊かにし、あるいは建築を描写しようとすれば、必ずこれを見なければならぬという。しかし我々がもし中の作家を調査すれば、少なくとも半分は非業の死を遂げている。もちろん心が悪かったからだ。昭明太子の選択を経て、確かに語彙の祖師のようになったが、当時はおそらくまだ個人の主張も偏激な文字もあったのだ。さもなくばその人は伝えられなかったはずで、唐以前の史書の文苑伝を繰ってみれば、おおむね旨意を承けて檄を草し頌を作る人であるが、しかしそれら著者の文章で今日まで伝わるものはかえって甚だ少ない。 | ||
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こう見てくると、古書をまるごと翻印するのも危険がないとは言えぬ。近頃たまたま石印の『平斎文集』を見かけたが、著者は宋人であり、古くないとは言えぬが、しかしその詩は規範とし難い。例えば「狐鼠」を詠じて曰く、「狐鼠一窟を擅にし、虎蛇九逵を行く。天に眼あるを論ぜず、ただ地に皮なきを管ぜよ……。」また「荊公」を詠じて曰く、「禍胎を養い成して身始めて去り、依然として鐘阜人に向かいて青し。」かの当路を指斥する口吻は、今人の見慣れぬところだ。「八大家」の欧陽修は、偏激な文学者とは言えまいが、しかしあの『李翱の文を読む』の中にはこうある。「ああ、位に在りて自ら憂うることを肯ぜず、また他人を禁じて皆憂うることを得ざらしむ、嘆ずべきかな!」これもまた甚だ憤懣としている。 | こう見てくると、古書をまるごと翻印するのも危険がないとは言えぬ。近頃たまたま石印の『平斎文集』を見かけたが、著者は宋人であり、古くないとは言えぬが、しかしその詩は規範とし難い。例えば「狐鼠」を詠じて曰く、「狐鼠一窟を擅にし、虎蛇九逵を行く。天に眼あるを論ぜず、ただ地に皮なきを管ぜよ……。」また「荊公」を詠じて曰く、「禍胎を養い成して身始めて去り、依然として鐘阜人に向かいて青し。」かの当路を指斥する口吻は、今人の見慣れぬところだ。「八大家」の欧陽修は、偏激な文学者とは言えまいが、しかしあの『李翱の文を読む』の中にはこうある。「ああ、位に在りて自ら憂うることを肯ぜず、また他人を禁じて皆憂うることを得ざらしむ、嘆ずべきかな!」これもまた甚だ憤懣としている。 | ||
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しかし後人の一番の選択を経ると、たちまち純厚になるのだ。後人が古人を純厚にすることができるならば、後人が古人より更に純厚なのは明らかである。清朝にはかつて勅定の『唐宋文醇』と『唐宋詩醇』があった。これは皇帝が古人を純厚に仕立てた好い標本であり、まもなくこれを翻印して「狂瀾を既倒に挽かん」とする者が出るかもしれぬ。 | しかし後人の一番の選択を経ると、たちまち純厚になるのだ。後人が古人を純厚にすることができるならば、後人が古人より更に純厚なのは明らかである。清朝にはかつて勅定の『唐宋文醇』と『唐宋詩醇』があった。これは皇帝が古人を純厚に仕立てた好い標本であり、まもなくこれを翻印して「狂瀾を既倒に挽かん」とする者が出るかもしれぬ。 | ||
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(四月十五日。) | (四月十五日。) | ||
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【法会と歌劇 孟弧 】 | 【法会と歌劇 孟弧 】 | ||
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『時輪金剛法会募金趣意書』にこのような一節がある。「古人ひとたび災厄に遭えば、上は己を罪し、下は身を修む……今や人心漸く衰えり、仏力の加被に頼らずんば、この浩劫を消除する由なし。」恐らく今もまだ覚えている人がいるだろう。これを読むとまことに自分も他人も半文の値打ちもなく、治水も除蝗も全く無益で、「あるいは自業を消し、あるいは他の災いを免れん」と思えば、パンチェン大師にお出まし願って仏菩薩の加護を祈るしかないという気にさせられる。 | 『時輪金剛法会募金趣意書』にこのような一節がある。「古人ひとたび災厄に遭えば、上は己を罪し、下は身を修む……今や人心漸く衰えり、仏力の加被に頼らずんば、この浩劫を消除する由なし。」恐らく今もまだ覚えている人がいるだろう。これを読むとまことに自分も他人も半文の値打ちもなく、治水も除蝗も全く無益で、「あるいは自業を消し、あるいは他の災いを免れん」と思えば、パンチェン大師にお出まし願って仏菩薩の加護を祈るしかないという気にさせられる。 | ||
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堅く信じている人々は必ずいる。さもなくば、どうして巨額の寄付を募れようか。 | 堅く信じている人々は必ずいる。さもなくば、どうして巨額の寄付を募れようか。 | ||
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しかし畢竟「人心漸く衰え」たらしく、中央社十七日杭州電に曰く、「時輪金剛法会は本月二十八日に杭州にて啓建せらるるが、併せて梅蘭芳、徐来、胡蝶を招き、会期中五日間歌劇を上演することに決せり。」梵唄の円音が、軽歌曼舞に「加被」せらるるとは、意表に出ずるにあらずや。 | しかし畢竟「人心漸く衰え」たらしく、中央社十七日杭州電に曰く、「時輪金剛法会は本月二十八日に杭州にて啓建せらるるが、併せて梅蘭芳、徐来、胡蝶を招き、会期中五日間歌劇を上演することに決せり。」梵唄の円音が、軽歌曼舞に「加被」せらるるとは、意表に出ずるにあらずや。 | ||
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かつて我が仏が説法したまいし折、天女の散花ありと聞く。今、杭州にて会が啓かるるに、我が仏がおそらく親しく臨みたまうまじきとすれば、梅郎に権りに天女に扮することを恭請するのも、むろん不可ではあるまい。しかしモダンガールたちと何の関係があろうか。まさか映画スターや標準美人が歌を唱えば、「この浩劫を消除」できるというのか。 | かつて我が仏が説法したまいし折、天女の散花ありと聞く。今、杭州にて会が啓かるるに、我が仏がおそらく親しく臨みたまうまじきとすれば、梅郎に権りに天女に扮することを恭請するのも、むろん不可ではあるまい。しかしモダンガールたちと何の関係があろうか。まさか映画スターや標準美人が歌を唱えば、「この浩劫を消除」できるというのか。 | ||
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おおよそ、人心が「漸く衰え」んとする前に、仏を拝む人はすでに余興を兼ねて見たがるようになっていた。寄付に限りがあり法会が大きくない時には、坊主たち自らが飛鉢を演じ、歌を唱って善男善女を満足させたが、これはまた道学先生たちをも首を振らせた。パンチェン大師は開会を「印可」するのみにして『毛毛雨』を歌わぬのは、まことに仏旨に適っているが、不意にも同時に歌劇まで上演されるとは。 | おおよそ、人心が「漸く衰え」んとする前に、仏を拝む人はすでに余興を兼ねて見たがるようになっていた。寄付に限りがあり法会が大きくない時には、坊主たち自らが飛鉢を演じ、歌を唱って善男善女を満足させたが、これはまた道学先生たちをも首を振らせた。パンチェン大師は開会を「印可」するのみにして『毛毛雨』を歌わぬのは、まことに仏旨に適っているが、不意にも同時に歌劇まで上演されるとは。 | ||
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原始人と現代人の心は、おそらくかなり異なるものがあろうが、もし隔たりがわずか数百年であれば、たとえ若干の差異はあっても、微々たるものであろう。祭りで芝居を演じ、香市で美女を見るのは、まさに「古よりこれあり」の芸当である。無量の福を積み、かつ視聴の娯楽を極め、現在も未来もよいことがある──これが古来仏事を興行する呼び声の力なのだ。さもなくば、黄色く太った坊主がお経を唱えるだけでは、参加者は必ずしも踊躍せず、浩劫は消除の望みがないであろう。 | 原始人と現代人の心は、おそらくかなり異なるものがあろうが、もし隔たりがわずか数百年であれば、たとえ若干の差異はあっても、微々たるものであろう。祭りで芝居を演じ、香市で美女を見るのは、まさに「古よりこれあり」の芸当である。無量の福を積み、かつ視聴の娯楽を極め、現在も未来もよいことがある──これが古来仏事を興行する呼び声の力なのだ。さもなくば、黄色く太った坊主がお経を唱えるだけでは、参加者は必ずしも踊躍せず、浩劫は消除の望みがないであろう。 | ||
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しかしこの手配は、婆心より出たりとはいえ、やはり「人心漸く衰えり」の徴候である。我々に疑いを抱かせる。我々自身はこの浩劫を消除する資格がないとして、この後はパンチェン大師に頼るべきか、それとも梅蘭芳博士か、ミス徐来か、ミス胡蝶か。 | しかしこの手配は、婆心より出たりとはいえ、やはり「人心漸く衰えり」の徴候である。我々に疑いを抱かせる。我々自身はこの浩劫を消除する資格がないとして、この後はパンチェン大師に頼るべきか、それとも梅蘭芳博士か、ミス徐来か、ミス胡蝶か。 | ||
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【洋服の没落 韋士繇 】 | 【洋服の没落 韋士繇 】 | ||
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数十年来、我々はいつも自分に合った服がないことを恨んできた。清朝末年、革命の色彩を帯びた英雄たちは辮髪を恨むのみならず、馬褂や袍子も恨んだ。それは満洲の服だったからだ。ある老先生が日本に遊歴し、あちらの服装を見て大いに喜び、雑誌に文章を載せて「図らずも今日再び漢官の儀を見る」と題した。彼は古装の復活に賛成したのだ。 | 数十年来、我々はいつも自分に合った服がないことを恨んできた。清朝末年、革命の色彩を帯びた英雄たちは辮髪を恨むのみならず、馬褂や袍子も恨んだ。それは満洲の服だったからだ。ある老先生が日本に遊歴し、あちらの服装を見て大いに喜び、雑誌に文章を載せて「図らずも今日再び漢官の儀を見る」と題した。彼は古装の復活に賛成したのだ。 | ||
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しかし革命の後に採用されたのは洋装であった。皆が維新を志し、便捷を求め、腰骨をまっすぐにしたかったからだ。少年英俊の輩は自ら洋装であるのみならず、他人が袍子を着るのを嫌悪した。当時聞くところによれば、樊山老人のもとへ行って、なぜ満洲の衣裳を着るのかと詰問した者もいたそうだ。樊山は問い返して曰く、「君の着ているのはどこの服かね。」少年は答えて曰く、「私が着ているのは外国の服です。」樊山曰く、「わしが着ているのも外国の服だ。」 | しかし革命の後に採用されたのは洋装であった。皆が維新を志し、便捷を求め、腰骨をまっすぐにしたかったからだ。少年英俊の輩は自ら洋装であるのみならず、他人が袍子を着るのを嫌悪した。当時聞くところによれば、樊山老人のもとへ行って、なぜ満洲の衣裳を着るのかと詰問した者もいたそうだ。樊山は問い返して曰く、「君の着ているのはどこの服かね。」少年は答えて曰く、「私が着ているのは外国の服です。」樊山曰く、「わしが着ているのも外国の服だ。」 | ||
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この話はかなり一時に伝誦され、袍褂党を眉を揚げさせた。ただしその中にはいくらか革命に反対する意味が含まれており、近日の衛生のため、経済のためとは大いに異なる。その後、洋服はついに華人と次第に仲たがいし、袁世凱の御代に袍子馬褂を常礼服と定めたのみならず、五四運動の後、北京大学が校風を整飭するため制服を規定しようとして学生に公議させたところ、その議決もまた袍子と馬褂であった。 | この話はかなり一時に伝誦され、袍褂党を眉を揚げさせた。ただしその中にはいくらか革命に反対する意味が含まれており、近日の衛生のため、経済のためとは大いに異なる。その後、洋服はついに華人と次第に仲たがいし、袁世凱の御代に袍子馬褂を常礼服と定めたのみならず、五四運動の後、北京大学が校風を整飭するため制服を規定しようとして学生に公議させたところ、その議決もまた袍子と馬褂であった。 | ||
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今回洋服が採用されなかった理由は、まさに林語堂先生の言うように衛生に合わないからだ。造化が我々に賜うた腰と首は本来屈曲できるもので、腰を曲げ背を屈めるのは中国では常態である。逆のものすら甘んじて受けるのだから、順のものはなおさら甘んじて受けるべきだ。ゆえに我々は最も人体を研究し、その自然に順じてこれを用いる人民なのだ。首が最も細いので斬首を発明し、膝関節が曲がるので跪拝を発明し、臀部は肉が多くかつ致命的でないので尻叩きを発明した。自然に反する洋服は、かくして次第に自然と没落していったのだ。 | 今回洋服が採用されなかった理由は、まさに林語堂先生の言うように衛生に合わないからだ。造化が我々に賜うた腰と首は本来屈曲できるもので、腰を曲げ背を屈めるのは中国では常態である。逆のものすら甘んじて受けるのだから、順のものはなおさら甘んじて受けるべきだ。ゆえに我々は最も人体を研究し、その自然に順じてこれを用いる人民なのだ。首が最も細いので斬首を発明し、膝関節が曲がるので跪拝を発明し、臀部は肉が多くかつ致命的でないので尻叩きを発明した。自然に反する洋服は、かくして次第に自然と没落していったのだ。 | ||
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この洋服の遺跡は、今やモダンな男女の身にのみ残留しているに過ぎず、あたかも辮髪や纏足が頑固な男女の身にたまに見られるのと同じだ。ところが思いもかけず、また一通の催命符がやって来た。硫酸がこっそり背後から撒かれたのだ。 | この洋服の遺跡は、今やモダンな男女の身にのみ残留しているに過ぎず、あたかも辮髪や纏足が頑固な男女の身にたまに見られるのと同じだ。ところが思いもかけず、また一通の催命符がやって来た。硫酸がこっそり背後から撒かれたのだ。 | ||
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これをどうすればよいのか。 | これをどうすればよいのか。 | ||
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古制に復そうにも、黄帝から宋明に至る衣裳は一時にはとても分からぬ。舞台の扮装に倣おうにも、蟒袍に玉帯、白底に黒靴で、自動車に乗って西洋料理を食べるのは、やはりいささか滑稽を免れまい。ゆえに変えに変えて、おおよそやはり袍子馬褂が安定であろう。外国の服ではあるが、恐らく脱ぐことはあるまい──これはまことにいささか不思議である。 | 古制に復そうにも、黄帝から宋明に至る衣裳は一時にはとても分からぬ。舞台の扮装に倣おうにも、蟒袍に玉帯、白底に黒靴で、自動車に乗って西洋料理を食べるのは、やはりいささか滑稽を免れまい。ゆえに変えに変えて、おおよそやはり袍子馬褂が安定であろう。外国の服ではあるが、恐らく脱ぐことはあるまい──これはまことにいささか不思議である。 | ||
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(四月二十一日。) | (四月二十一日。) | ||
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【友人 黄凱音 】 | 【友人 黄凱音 】 | ||
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私は小学校の頃、同級生たちの手品を見て──「耳で字を聞く」だの「紙人形が血を流す」だの──甚だ面白いと思った。廟の縁日にはこれらの手品を伝授する人がいて、銅貨数枚で一つ覚えられたが、覚えてしまうとたちまち興醒めした。中学に入ったのは城内で、意気揚々と大きな手品を見たが、後に誰かが手品の秘密を教えてくれ、それから輪の傍に近づく気がしなくなった。昨年上海に来て、ようやくまた退屈を紛らわす場所を得た。映画を見ることだ。 | 私は小学校の頃、同級生たちの手品を見て──「耳で字を聞く」だの「紙人形が血を流す」だの──甚だ面白いと思った。廟の縁日にはこれらの手品を伝授する人がいて、銅貨数枚で一つ覚えられたが、覚えてしまうとたちまち興醒めした。中学に入ったのは城内で、意気揚々と大きな手品を見たが、後に誰かが手品の秘密を教えてくれ、それから輪の傍に近づく気がしなくなった。昨年上海に来て、ようやくまた退屈を紛らわす場所を得た。映画を見ることだ。 | ||
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しかしまもなく本の中で映画フィルムの製造法を少し読み、見たところ千丈の断崖のようなものが実は地面から数尺に過ぎず、奇鳥怪獣もすべて紙製であると知った。これにより映画の神秘を感じなくなり、かえって往々その破綻ばかり気にするようになって、自分も退屈になった。三度目にして退屈を紛らわす場所を失ったのだ。時には、あの本を読んだことを後悔し、著者が製造法を書くべきでなかったと恨むことさえあった。 | しかしまもなく本の中で映画フィルムの製造法を少し読み、見たところ千丈の断崖のようなものが実は地面から数尺に過ぎず、奇鳥怪獣もすべて紙製であると知った。これにより映画の神秘を感じなくなり、かえって往々その破綻ばかり気にするようになって、自分も退屈になった。三度目にして退屈を紛らわす場所を失ったのだ。時には、あの本を読んだことを後悔し、著者が製造法を書くべきでなかったと恨むことさえあった。 | ||
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暴露する者は種々の秘密を暴き、人のためになると思っている。しかし退屈な人間は、退屈を紛らわすために、欺かれることに甘んじ、自ら欺くことに安んじている。さもなくばもっと退屈になるからだ。このために手品は天地の間に長く存続し、このために幽暗を暴露することは欺く者に深く悪まれるのみならず、欺かれる者にも深く悪まれるのだ。 | 暴露する者は種々の秘密を暴き、人のためになると思っている。しかし退屈な人間は、退屈を紛らわすために、欺かれることに甘んじ、自ら欺くことに安んじている。さもなくばもっと退屈になるからだ。このために手品は天地の間に長く存続し、このために幽暗を暴露することは欺く者に深く悪まれるのみならず、欺かれる者にも深く悪まれるのだ。 | ||
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暴露する者は有為の人々の中でのみ益があり、無聊の人々の中では滅びるしかない。自救の道はただ、一切の秘密を知りつつも顔色を変えず、欺くことに加担し、欺かれることに甘んずる無聊の人々を欺き、無聊な手品が次から次へと、結局は反復して続くままにしておくことだ。周囲には必ずこれを見る人がいるのだ。 | 暴露する者は有為の人々の中でのみ益があり、無聊の人々の中では滅びるしかない。自救の道はただ、一切の秘密を知りつつも顔色を変えず、欺くことに加担し、欺かれることに甘んずる無聊の人々を欺き、無聊な手品が次から次へと、結局は反復して続くままにしておくことだ。周囲には必ずこれを見る人がいるのだ。 | ||
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手品師は絶えず拱手して言う、「……一歩家を出れば朋友が頼り!」と。これにはいくらか手品の種を知る者に向けて発せられた意味がある。西洋の種明かしをされぬようにするためだ。 | 手品師は絶えず拱手して言う、「……一歩家を出れば朋友が頼り!」と。これにはいくらか手品の種を知る者に向けて発せられた意味がある。西洋の種明かしをされぬようにするためだ。 | ||
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「朋友とは義をもって合するものなり」──しかし我々は古来しばしばこのようには解さなかった。 | 「朋友とは義をもって合するものなり」──しかし我々は古来しばしばこのようには解さなかった。 | ||
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(四月二十二日。) | (四月二十二日。) | ||
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【清明の頃 孟弧 】 | 【清明の頃 孟弧 】 | ||
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清明の頃は墓参りの季節で、ある者は関内に入って祖先を祭ろうとし、ある者は陝西に墓参りに行く。激論は天を沸かせ、歓声は地を揺るがし、まるで墓参りで国が滅びも、国が救われもするかのようだ。 | 清明の頃は墓参りの季節で、ある者は関内に入って祖先を祭ろうとし、ある者は陝西に墓参りに行く。激論は天を沸かせ、歓声は地を揺るがし、まるで墓参りで国が滅びも、国が救われもするかのようだ。 | ||
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墓にこれほど大きな関係があるとすれば、墓を掘ることはもちろん許されまい。 | 墓にこれほど大きな関係があるとすれば、墓を掘ることはもちろん許されまい。 | ||
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元朝の国師パクパは、墓を掘ることの利害を深く信じていた。彼は宋陵を掘り開き、人骨を豚犬の骨と一緒に埋めて宋室を不運にしようとした。後に幸いにも一人の義士に盗まれ、目的は達せられなかったが、しかし宋朝はやはり滅んだ。曹操は「摸金校尉」の類の職員を設けて専ら盗墓に当たらせたが、彼の息子は皇帝になり、自分は「武帝」と諡された。いかに威風堂々たることか。こう見ると、死者の安危と生者の禍福とは、やはり関係がないようでもある。 | 元朝の国師パクパは、墓を掘ることの利害を深く信じていた。彼は宋陵を掘り開き、人骨を豚犬の骨と一緒に埋めて宋室を不運にしようとした。後に幸いにも一人の義士に盗まれ、目的は達せられなかったが、しかし宋朝はやはり滅んだ。曹操は「摸金校尉」の類の職員を設けて専ら盗墓に当たらせたが、彼の息子は皇帝になり、自分は「武帝」と諡された。いかに威風堂々たることか。こう見ると、死者の安危と生者の禍福とは、やはり関係がないようでもある。 | ||
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伝えるところによれば、曹操は死後に墓を掘られることを恐れ、七十二の疑冢を造り、人を手出しできなくした。そこで後の詩人が曰く、「あまねく七十二の疑冢を掘れば、必ず一冢に君の屍を葬れるあらん。」そこで後の論者がまた曰く、「阿瞞は老獪至極、その屍が実にこの七十二冢の内にあらざることを安んぞ知らんや。」まことに手の施しようがない。 | 伝えるところによれば、曹操は死後に墓を掘られることを恐れ、七十二の疑冢を造り、人を手出しできなくした。そこで後の詩人が曰く、「あまねく七十二の疑冢を掘れば、必ず一冢に君の屍を葬れるあらん。」そこで後の論者がまた曰く、「阿瞞は老獪至極、その屍が実にこの七十二冢の内にあらざることを安んぞ知らんや。」まことに手の施しようがない。 | ||
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阿瞞はまさに老獪至極ではあるが、思うに疑冢の類は必ずしも手配しなかったであろう。ただ古来の冢墓は大抵発掘された者が多く、冢中の人の主名が確かなものも甚だ少ない。洛陽の邙山では清末に墓を掘る者が甚だ多く、名公巨卿の墓の中でさえ、得られるものは大抵一枚の墓誌石と散乱した陶器であった。元来貴重な殉葬品がなかったのではなく、すでに誰かが掘って持ち去ったのだ。いつのことかは知る由もない。とにかく葬った後から清末の盗掘のその日までの間であろう。 | 阿瞞はまさに老獪至極ではあるが、思うに疑冢の類は必ずしも手配しなかったであろう。ただ古来の冢墓は大抵発掘された者が多く、冢中の人の主名が確かなものも甚だ少ない。洛陽の邙山では清末に墓を掘る者が甚だ多く、名公巨卿の墓の中でさえ、得られるものは大抵一枚の墓誌石と散乱した陶器であった。元来貴重な殉葬品がなかったのではなく、すでに誰かが掘って持ち去ったのだ。いつのことかは知る由もない。とにかく葬った後から清末の盗掘のその日までの間であろう。 | ||
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墓中の人が畢竟いかなる人であるかは、掘った後でなければ往々分からぬ。たとえ伝承の主名があっても、大抵当てにならぬ。中国人は古来、大人物に関係のある名勝を造るのが好きだ。石門には「子路止宿の処」あり、泰山の上には「孔子天下を小とする処」あり。一つの小さな洞穴には大禹が埋められ、幾つかの大きな土饅頭には文王・武王・周公が葬られているという。 | 墓中の人が畢竟いかなる人であるかは、掘った後でなければ往々分からぬ。たとえ伝承の主名があっても、大抵当てにならぬ。中国人は古来、大人物に関係のある名勝を造るのが好きだ。石門には「子路止宿の処」あり、泰山の上には「孔子天下を小とする処」あり。一つの小さな洞穴には大禹が埋められ、幾つかの大きな土饅頭には文王・武王・周公が葬られているという。 | ||
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もし墓参りが確かに国を救えるのであれば、参るなら正確に参らねばならず、文王・武王・周公の陵を参って、他人の土饅頭を参ってはならず、さらに自分が周朝の子孫であるかどうかも調べねばならぬ。そこで考古の作業が必要になる。すなわち墓を掘り開いて、文王・武王・周公旦が葬られている証拠があるかどうかを見、もし遺骨があれば『洗冤録』の方法で血を滴らすこともできる。しかしこれはまた墓参り救国説と矛盾し、孝子順孫の心を大いに傷つける。やむなく、ただ目を閉じ頭を強くしてでたらめに拝むしかない。 | もし墓参りが確かに国を救えるのであれば、参るなら正確に参らねばならず、文王・武王・周公の陵を参って、他人の土饅頭を参ってはならず、さらに自分が周朝の子孫であるかどうかも調べねばならぬ。そこで考古の作業が必要になる。すなわち墓を掘り開いて、文王・武王・周公旦が葬られている証拠があるかどうかを見、もし遺骨があれば『洗冤録』の方法で血を滴らすこともできる。しかしこれはまた墓参り救国説と矛盾し、孝子順孫の心を大いに傷つける。やむなく、ただ目を閉じ頭を強くしてでたらめに拝むしかない。 | ||
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「其の鬼にあらずしてこれを祭るは、諂なり!」ただ墓参り救国術に霊験がないのは、まだ小さな笑い話に過ぎない。 | 「其の鬼にあらずしてこれを祭るは、諂なり!」ただ墓参り救国術に霊験がないのは、まだ小さな笑い話に過ぎない。 | ||
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(四月二十六日。) | (四月二十六日。) | ||
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【小品文の生機 崇巽 】 | 【小品文の生機 崇巽 】 | ||
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昨年は「ユーモア」が大いに運の開けた時で、『論語』のほかにも、開口一番ユーモア、口を閉じてもユーモア、この人もユーモリスト、あの人もユーモリストであった。ところが今年はたちまち大いに面目を失い、これも駄目、あれも駄目、一切の罪悪はすべてユーモアに帰せられ、ひいては文壇の道化役に比せられるに至った。ユーモアを罵ることは入浴のようなもので、一度やりさえすれば自分は清浄になれるかのようだ。 | 昨年は「ユーモア」が大いに運の開けた時で、『論語』のほかにも、開口一番ユーモア、口を閉じてもユーモア、この人もユーモリスト、あの人もユーモリストであった。ところが今年はたちまち大いに面目を失い、これも駄目、あれも駄目、一切の罪悪はすべてユーモアに帰せられ、ひいては文壇の道化役に比せられるに至った。ユーモアを罵ることは入浴のようなもので、一度やりさえすれば自分は清浄になれるかのようだ。 | ||
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もし真に「天地は大戯場」であるならば、文壇にもちろん道化役は必ずいる──しかしまた必ず黒頭(悪役)もいる。道化役が道化芝居を演じるのはごく当たり前だが、黒頭が道化芝居に転じるとなると甚だ奇妙だ。しかし大戯場では時にまことにこういうことがある。これが正直な人を歪んだ心の人に従って嘲罵させ、情熱の人を憤らせ、感じやすい人の心を酸くするのだ。唱い方が素人で人を笑わせないからか。いや、彼は本物の道化よりもさらに可笑しいのだ。 | もし真に「天地は大戯場」であるならば、文壇にもちろん道化役は必ずいる──しかしまた必ず黒頭(悪役)もいる。道化役が道化芝居を演じるのはごく当たり前だが、黒頭が道化芝居に転じるとなると甚だ奇妙だ。しかし大戯場では時にまことにこういうことがある。これが正直な人を歪んだ心の人に従って嘲罵させ、情熱の人を憤らせ、感じやすい人の心を酸くするのだ。唱い方が素人で人を笑わせないからか。いや、彼は本物の道化よりもさらに可笑しいのだ。 | ||
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あの怒りと心酸は、黒頭が道化に転じた後、事がまだ終わっていないからだ。芝居には何人かの役柄が必要で、生、旦、末、丑、浄、そして黒頭。さもなくばその芝居も長くは続かぬ。ある原因のために黒頭が道化に転じざるを得ぬ時は、慣例としてかならず道化がかわりに黒頭を演じるのだ。唱工のみならず、黒頭が厚かましく道化に扮し、道化が胸を張って黒頭を学ぶ。戯場には白鼻の道化と黒面の道化ばかりが増え、天下の大いなる滑稽となる。しかし滑稽であるのみで、ユーモアではない。ある人曰く、「中国にユーモアなし」と。これがまさにその注脚だ。 | あの怒りと心酸は、黒頭が道化に転じた後、事がまだ終わっていないからだ。芝居には何人かの役柄が必要で、生、旦、末、丑、浄、そして黒頭。さもなくばその芝居も長くは続かぬ。ある原因のために黒頭が道化に転じざるを得ぬ時は、慣例としてかならず道化がかわりに黒頭を演じるのだ。唱工のみならず、黒頭が厚かましく道化に扮し、道化が胸を張って黒頭を学ぶ。戯場には白鼻の道化と黒面の道化ばかりが増え、天下の大いなる滑稽となる。しかし滑稽であるのみで、ユーモアではない。ある人曰く、「中国にユーモアなし」と。これがまさにその注脚だ。 | ||
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更に嘆かわしいのは、「ユーモアの大家」と諡された林先生が、なんと「自由談」で古人の言葉を引いたことだ。曰く、「夫れ飲酒猖狂なるも、あるいは沈寂として聞こえざるも、またただ身を潔くし自ら好しとするのみ。今の世の癩鼈、身を潔くし自ら好しとする者に亡国の罪を負わしめんと欲す。もししからば『今日烏合し明日鳥散し、今日戈を倒し明日軾に馮り、今日君子たり明日小人たり、今日小人たり明日また君子たる』の輩は罪なかるべし」と。引用はなお小品の域を出ぬとはいえ、「ユーモア」あるいは「閑適」の道からは遠い。これもまた一つの注脚だ。 | 更に嘆かわしいのは、「ユーモアの大家」と諡された林先生が、なんと「自由談」で古人の言葉を引いたことだ。曰く、「夫れ飲酒猖狂なるも、あるいは沈寂として聞こえざるも、またただ身を潔くし自ら好しとするのみ。今の世の癩鼈、身を潔くし自ら好しとする者に亡国の罪を負わしめんと欲す。もししからば『今日烏合し明日鳥散し、今日戈を倒し明日軾に馮り、今日君子たり明日小人たり、今日小人たり明日また君子たる』の輩は罪なかるべし」と。引用はなお小品の域を出ぬとはいえ、「ユーモア」あるいは「閑適」の道からは遠い。これもまた一つの注脚だ。 | ||
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しかし林先生が、近頃各紙の『人間世』への攻撃は系統だった変名の手品だと考えたのは誤りで、その証拠は異なる論旨と異なる作風だ。中には確かに、かつて驥尾に附しながらも遂に竜門に登れなかった「名人」や、黒頭に扮してはいるが実は真正の道化の茶々もあるが、しかしまた熱心な人の正論もある。世態はかくの如く紛糾しており、たとえ小品といえども、まさに分析と攻戦が必要であることが分かる。これこそがあるいは『人間世』の一縷の生機であろう。 | しかし林先生が、近頃各紙の『人間世』への攻撃は系統だった変名の手品だと考えたのは誤りで、その証拠は異なる論旨と異なる作風だ。中には確かに、かつて驥尾に附しながらも遂に竜門に登れなかった「名人」や、黒頭に扮してはいるが実は真正の道化の茶々もあるが、しかしまた熱心な人の正論もある。世態はかくの如く紛糾しており、たとえ小品といえども、まさに分析と攻戦が必要であることが分かる。これこそがあるいは『人間世』の一縷の生機であろう。 | ||
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(四月二十六日。) | (四月二十六日。) | ||
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【刀「式」弁 黄棘 】 | 【刀「式」弁 黄棘 】 | ||
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=== 第4節 === | === 第4節 === | ||
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しかし丸呑みにも技量がいるのであり、楊先生はいささか足りないようだ。例えば『壊滅』の訳本の冒頭は── | しかし丸呑みにも技量がいるのであり、楊先生はいささか足りないようだ。例えば『壊滅』の訳本の冒頭は── | ||
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「石段の上でがちゃがちゃと傷のついた日本の指揮刀が鳴り、レーヴィンソンは裏庭へ行った。……」 | 「石段の上でがちゃがちゃと傷のついた日本の指揮刀が鳴り、レーヴィンソンは裏庭へ行った。……」 | ||
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そして『鴨緑江畔』の冒頭は── | そして『鴨緑江畔』の冒頭は── | ||
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「金蘊声が庭園に入った時、彼のあの傷のついた日本式の指揮刀が石段の上でパチパチと鳴っていた。……」 | 「金蘊声が庭園に入った時、彼のあの傷のついた日本式の指揮刀が石段の上でパチパチと鳴っていた。……」 | ||
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人名が違うのは当然のこと。音が違うのも大したことではない。最も特異なのは、彼が「日本」の下に「式」の一字を加えたことだ。これもあるいは無理もない。日本人でないのに、どうして「日本の指揮刀」を佩くのか。きっと日本の式に倣って自分で鍛造したのだろう。 | 人名が違うのは当然のこと。音が違うのも大したことではない。最も特異なのは、彼が「日本」の下に「式」の一字を加えたことだ。これもあるいは無理もない。日本人でないのに、どうして「日本の指揮刀」を佩くのか。きっと日本の式に倣って自分で鍛造したのだろう。 | ||
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しかし我々がもう一度考えてみよう。レーヴィンソンが率いていたのは襲撃隊であり、もちろん敵を襲撃するが、武器も鹵獲する。自軍の軍器は不完全であり、何か手に入ればすぐに使う。ゆえに彼が佩いていたのはまさに「日本の指揮刀」であり、「日本式」ではないのだ。 | しかし我々がもう一度考えてみよう。レーヴィンソンが率いていたのは襲撃隊であり、もちろん敵を襲撃するが、武器も鹵獲する。自軍の軍器は不完全であり、何か手に入ればすぐに使う。ゆえに彼が佩いていたのはまさに「日本の指揮刀」であり、「日本式」ではないのだ。 | ||
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文学者が小説を読み、しかも剽窃の準備をしているとすれば、関係は密接であると言えよう。それでいてなおこれほど粗忽であるとは、嘆かわしいではないか。 | 文学者が小説を読み、しかも剽窃の準備をしているとすれば、関係は密接であると言えよう。それでいてなおこれほど粗忽であるとは、嘆かわしいではないか。 | ||
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(五月七日。) | (五月七日。) | ||
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【変名新法 白道 】 | 【変名新法 白道 】 | ||
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杜衡と蘇汶先生は今年、文壇の二つの秘密を暴いた。それはまた悪い風潮でもある。一つは批評家の枠であり、もう一つは文人の変名だ。 | 杜衡と蘇汶先生は今年、文壇の二つの秘密を暴いた。それはまた悪い風潮でもある。一つは批評家の枠であり、もう一つは文人の変名だ。 | ||
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しかし彼はまだ言わずに保留している秘密がある── | しかし彼はまだ言わずに保留している秘密がある── | ||
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枠の中にはさらに一種、書店の編集者が使うゴムの枠がある。大きくも小さくもなり、四角にも丸くもなる。この書店の出版物でさえあれば、こちらに一套、「よし」、あちらに一套、これも「よし」。 | 枠の中にはさらに一種、書店の編集者が使うゴムの枠がある。大きくも小さくもなり、四角にも丸くもなる。この書店の出版物でさえあれば、こちらに一套、「よし」、あちらに一套、これも「よし」。 | ||
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変名はただ別人になれるのみならず、一つの「社」に化けることもできる。この「社」はさらに文を選び、論を作り、某の作品のみが「よし」、某の創作も「よし」と言える。 | 変名はただ別人になれるのみならず、一つの「社」に化けることもできる。この「社」はさらに文を選び、論を作り、某の作品のみが「よし」、某の創作も「よし」と言える。 | ||
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例えば「中国文芸年鑑社」の編んだ『中国文芸年鑑』の冒頭にある「鳥瞰」。その「瞰」法によれば、蘇汶先生の議論は「よし」、杜衡先生の創作も「よし」である。 | 例えば「中国文芸年鑑社」の編んだ『中国文芸年鑑』の冒頭にある「鳥瞰」。その「瞰」法によれば、蘇汶先生の議論は「よし」、杜衡先生の創作も「よし」である。 | ||
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しかし実際にこの「社」はどこを探しても見つからない。 | しかし実際にこの「社」はどこを探しても見つからない。 | ||
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この「年鑑」の総発行所を調べると、現代書局。『現代』雑誌の最終頁の編集者を見ると、施蟄存、杜衡。 | この「年鑑」の総発行所を調べると、現代書局。『現代』雑誌の最終頁の編集者を見ると、施蟄存、杜衡。 | ||
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おお! | おお! | ||
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孫悟空は神通広大にして、鳥獣虫魚に化けるのみならず、廟宇にも化ける。目は窓に、口は廟門になるが、ただ尻尾だけは置き場がなく、旗竿に化けて廟の裏に立てた。しかし旗竿が一本だけ立っている廟があるだろうか。二郎神に見破られた破綻はここにあった。 | 孫悟空は神通広大にして、鳥獣虫魚に化けるのみならず、廟宇にも化ける。目は窓に、口は廟門になるが、ただ尻尾だけは置き場がなく、旗竿に化けて廟の裏に立てた。しかし旗竿が一本だけ立っている廟があるだろうか。二郎神に見破られた破綻はここにあった。 | ||
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「万やむを得ざるのほかは」、「私は望む」、文人もまた「社」に化けぬことを。もしただ自画自賛のためだけならば、それはまことに「すぐ近くにいささか卑劣なところがある」のだ。 | 「万やむを得ざるのほかは」、「私は望む」、文人もまた「社」に化けぬことを。もしただ自画自賛のためだけならば、それはまことに「すぐ近くにいささか卑劣なところがある」のだ。 | ||
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(五月十日。) | (五月十日。) | ||
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【本を幾冊か読め 鄧当世 】 | 【本を幾冊か読め 鄧当世 】 | ||
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死んだ本を読むと本の虫になり、甚だしくは本棚になると、かねて反対する人がいた。時は絶えず進み、読書反対の思潮もいよいよ徹底し、ついにはあらゆる本を読むことに反対する人が現れた。その根拠はショーペンハウアーの古い言葉で、もし他人の著作を読むのであれば、自分の脳の中で著者に馬を走らせるだけだ、という。 | 死んだ本を読むと本の虫になり、甚だしくは本棚になると、かねて反対する人がいた。時は絶えず進み、読書反対の思潮もいよいよ徹底し、ついにはあらゆる本を読むことに反対する人が現れた。その根拠はショーペンハウアーの古い言葉で、もし他人の著作を読むのであれば、自分の脳の中で著者に馬を走らせるだけだ、という。 | ||
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死んだ本を読む人々に対しては、確かに一撃の当頭棒だが、探究するよりダンスの方がましだとか、あるいはただ空しく苛立ち、むやみに不平を鳴らす天才のためには、紹介に値する金言でもある。ただし知るべきは、この金言にしがみつく天才の脳こそ、まさにショーペンハウアーに一走りされて、滅茶苦茶に踏み荒らされているのだ。 | 死んだ本を読む人々に対しては、確かに一撃の当頭棒だが、探究するよりダンスの方がましだとか、あるいはただ空しく苛立ち、むやみに不平を鳴らす天才のためには、紹介に値する金言でもある。ただし知るべきは、この金言にしがみつく天才の脳こそ、まさにショーペンハウアーに一走りされて、滅茶苦茶に踏み荒らされているのだ。 | ||
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今は批評家が不平を鳴らしている。よい作品がないからだ。創作家も不平を鳴らしている。正しい批評がないからだ。張三が李四の作品は象徴主義だと言えば、李四も自分を象徴主義だと思い、読者もちろんますます象徴主義だと思う。しかし象徴主義とはいかなるものか、元来はっきりさせたことがなく、李四の作品をもって証とするしかない。ゆえに中国のいわゆる象徴主義は、他国のいわゆるサンボリスムとは同じではない。前者は実は後者の訳語であるにもかかわらず、メーテルリンクは象徴派の作家だと聞くから、李四は中国のメーテルリンクになるのだ。このほか中国のアナトール・フランス、中国のバビット、中国のジルポタン、中国のゴーリキー……まだまだ多い。しかし本物のアナトール・フランスらの作品の訳本は、中国では甚だ少ない。まさか「国産品」が揃ったからではあるまい。 | 今は批評家が不平を鳴らしている。よい作品がないからだ。創作家も不平を鳴らしている。正しい批評がないからだ。張三が李四の作品は象徴主義だと言えば、李四も自分を象徴主義だと思い、読者もちろんますます象徴主義だと思う。しかし象徴主義とはいかなるものか、元来はっきりさせたことがなく、李四の作品をもって証とするしかない。ゆえに中国のいわゆる象徴主義は、他国のいわゆるサンボリスムとは同じではない。前者は実は後者の訳語であるにもかかわらず、メーテルリンクは象徴派の作家だと聞くから、李四は中国のメーテルリンクになるのだ。このほか中国のアナトール・フランス、中国のバビット、中国のジルポタン、中国のゴーリキー……まだまだ多い。しかし本物のアナトール・フランスらの作品の訳本は、中国では甚だ少ない。まさか「国産品」が揃ったからではあるまい。 | ||
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中国の文壇では、何人かの国産文人の寿命もまことに長すぎる。一方、洋物文人のそれは短すぎ、名前をようやく覚えた頃には、もう過去の人だと言われる。イプセンは全集を出す気配があったが、今に至るまで第三冊が見えない。チェーホフとモーパッサンの選集も、竜頭蛇尾の運を辿ったようだ。しかし我々が深く悪み痛む日本では、『ドン・キホーテ』と『千一夜』には全訳があり、シェイクスピア、ゲーテ……にはみな全集があり、トルストイには三種、ドストエフスキーには二種ある。 | 中国の文壇では、何人かの国産文人の寿命もまことに長すぎる。一方、洋物文人のそれは短すぎ、名前をようやく覚えた頃には、もう過去の人だと言われる。イプセンは全集を出す気配があったが、今に至るまで第三冊が見えない。チェーホフとモーパッサンの選集も、竜頭蛇尾の運を辿ったようだ。しかし我々が深く悪み痛む日本では、『ドン・キホーテ』と『千一夜』には全訳があり、シェイクスピア、ゲーテ……にはみな全集があり、トルストイには三種、ドストエフスキーには二種ある。 | ||
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死んだ本を読むのは自らを害し、口を開けば人を害する。しかし本を読まないのもまた必ずしもよいとは言えぬ。少なくとも、例えばトルストイを批評しようとするなら、彼の作品は幾冊か見なければならぬ。もちろん今は国難の時期であり、どこにこれらの本を訳し読む暇があるかと言われよう。しかし私が提言するのはただ苛立って不平ばかりの大人物に向けてであり、まさに国難に赴かんとしあるいは「薪に臥し胆を嘗め」ている英雄に対してではない。なぜならある種の人物は、たとえ本を読まなくとも、ただ遊んでいるだけで、国難に赴くわけではないからだ。 | 死んだ本を読むのは自らを害し、口を開けば人を害する。しかし本を読まないのもまた必ずしもよいとは言えぬ。少なくとも、例えばトルストイを批評しようとするなら、彼の作品は幾冊か見なければならぬ。もちろん今は国難の時期であり、どこにこれらの本を訳し読む暇があるかと言われよう。しかし私が提言するのはただ苛立って不平ばかりの大人物に向けてであり、まさに国難に赴かんとしあるいは「薪に臥し胆を嘗め」ている英雄に対してではない。なぜならある種の人物は、たとえ本を読まなくとも、ただ遊んでいるだけで、国難に赴くわけではないからだ。 | ||
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(五月十四日。) | (五月十四日。) | ||
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【一考してから行動せよ 曼雪 】 | 【一考してから行動せよ 曼雪 】 | ||
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国政の解決や戦争の布置にこれを頼りとするのでない限り、友人の間で幾句かのユーモアを言い合い、互いに莞爾として笑うのは、大勢に関わらぬことだと私は思う。革命の専門家でも、時には手を後ろに組んで散歩するものだし、理学の先生にも必ず子女がいて、日夜永遠に道貌岸然というわけにはいかぬことを証明している。小品文もおそらく将来なお文壇に存在し得よう。ただし「閑適」を主とするだけでは、やや足りぬ嫌いがある。 | 国政の解決や戦争の布置にこれを頼りとするのでない限り、友人の間で幾句かのユーモアを言い合い、互いに莞爾として笑うのは、大勢に関わらぬことだと私は思う。革命の専門家でも、時には手を後ろに組んで散歩するものだし、理学の先生にも必ず子女がいて、日夜永遠に道貌岸然というわけにはいかぬことを証明している。小品文もおそらく将来なお文壇に存在し得よう。ただし「閑適」を主とするだけでは、やや足りぬ嫌いがある。 | ||
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人の世の事、坊主を恨めば袈裟まで恨む。ユーモアと小品の始まりの頃、人々に異論はなかった。しかしどっと一声、天下ユーモアと小品でないものはなくなり、ユーモアにそんなに多くあるはずもなく、するとユーモアは滑稽となり、滑稽は笑い話となり、笑い話は諷刺となり、諷刺は漫罵となる。軽薄な調子はユーモアなり、「天朗らかにして気清し」は小品なり。鄭板橋の『道情』を一遍読めばユーモアを十日語り、袁中郎の尺牘を半冊買えば小品一巻を作る。これをもって身を立てようとする者がいれば、これに反することで名を成そうとする者も必ず出る。そこでどっと一声、天下またユーモアと小品を罵らぬものはなくなる。実のところ、列に従って騒ぐ輩は、今年も昨年と同様、数において少なくない。 | 人の世の事、坊主を恨めば袈裟まで恨む。ユーモアと小品の始まりの頃、人々に異論はなかった。しかしどっと一声、天下ユーモアと小品でないものはなくなり、ユーモアにそんなに多くあるはずもなく、するとユーモアは滑稽となり、滑稽は笑い話となり、笑い話は諷刺となり、諷刺は漫罵となる。軽薄な調子はユーモアなり、「天朗らかにして気清し」は小品なり。鄭板橋の『道情』を一遍読めばユーモアを十日語り、袁中郎の尺牘を半冊買えば小品一巻を作る。これをもって身を立てようとする者がいれば、これに反することで名を成そうとする者も必ず出る。そこでどっと一声、天下またユーモアと小品を罵らぬものはなくなる。実のところ、列に従って騒ぐ輩は、今年も昨年と同様、数において少なくない。 | ||
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手に黒漆の提灯を持ち、互いに何が何やら分からぬ。つまり一つの名詞が中国に帰化すると、まもなく一団の混乱となるのだ。偉人はかつてはよい呼び名だったが、今や受ける者は罵られたに等しい。学者と教授は二三年前にはまだ清浄な名称であった。自ら持する者が文学者の称を聞いて逃げ出すのは、今年すでに第一歩を踏み出している。しかし、世界には本物の偉人、本物の学者と教授、本物の文学者はいないのか。そんなことはない。ただ中国だけが例外なのだ。 | 手に黒漆の提灯を持ち、互いに何が何やら分からぬ。つまり一つの名詞が中国に帰化すると、まもなく一団の混乱となるのだ。偉人はかつてはよい呼び名だったが、今や受ける者は罵られたに等しい。学者と教授は二三年前にはまだ清浄な名称であった。自ら持する者が文学者の称を聞いて逃げ出すのは、今年すでに第一歩を踏み出している。しかし、世界には本物の偉人、本物の学者と教授、本物の文学者はいないのか。そんなことはない。ただ中国だけが例外なのだ。 | ||
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仮にある人が道端で唾を一つ吐き、自分でしゃがんで見ていれば、まもなくかならず人だかりができる。また仮に別のある人がいわれなく大声を一つ上げ、駆け出せば、同時にかならず皆が逃げ散る。まことに「何を聞きて来り、何を見て去る」か分からぬが、しかも心中不満を抱き、自分の訳の分からぬ対象を罵って「畜生!」と言う。しかしかの唾を吐いた者と大声を上げた者こそ、結局は大人物なのだ。もちろん沈着で着実な人々はいる。ただし偉人等々の名が尊ばれたり蔑まれたりするのは、大抵いつも唾の代替品としてに過ぎぬ。 | 仮にある人が道端で唾を一つ吐き、自分でしゃがんで見ていれば、まもなくかならず人だかりができる。また仮に別のある人がいわれなく大声を一つ上げ、駆け出せば、同時にかならず皆が逃げ散る。まことに「何を聞きて来り、何を見て去る」か分からぬが、しかも心中不満を抱き、自分の訳の分からぬ対象を罵って「畜生!」と言う。しかしかの唾を吐いた者と大声を上げた者こそ、結局は大人物なのだ。もちろん沈着で着実な人々はいる。ただし偉人等々の名が尊ばれたり蔑まれたりするのは、大抵いつも唾の代替品としてに過ぎぬ。 | ||
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社会がこれによっていくらか賑やかになるのは、感謝に値する。しかし烏合する前に一考し、雲散する前にも一考すれば、社会は必ずしも冷静にはなるまいが、それでももう少しましにはなるであろう。 | 社会がこれによっていくらか賑やかになるのは、感謝に値する。しかし烏合する前に一考し、雲散する前にも一考すれば、社会は必ずしも冷静にはなるまいが、それでももう少しましにはなるであろう。 | ||
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(五月十四日。) | (五月十四日。) | ||
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【己を推して人に及ぼす 夢文 】 | 【己を推して人に及ぼす 夢文 】 | ||
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何年前のことか忘れたが、ある詩人が私に教えてくれたことがある。愚かな大衆の世論は天才を罵り殺すことができると。例えばイギリスのキーツがそうだ、と。私は信じた。昨年、数人の名作家の文章を見た。批評家の漫罵は好い作品を罵り縮ませて、文壇を荒涼冷落にするという。もちろん私もこれを信じた。 | 何年前のことか忘れたが、ある詩人が私に教えてくれたことがある。愚かな大衆の世論は天才を罵り殺すことができると。例えばイギリスのキーツがそうだ、と。私は信じた。昨年、数人の名作家の文章を見た。批評家の漫罵は好い作品を罵り縮ませて、文壇を荒涼冷落にするという。もちろん私もこれを信じた。 | ||
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私もまた作家になりたい人間であり、しかも自分は確かに作家だと思っている。しかしまだ罵られる資格を得ていない。なぜなら創作を書いたことがないからだ。縮んで引っ込んだのではなく、まだ鑽り出ていないのだ。この鑽り出られぬ原因は、きっと私の妻と二人の子供の騒がしさのせいだと思う。彼女たちも漫罵の批評家と同様、真の天才を滅ぼし、よい作品を脅し退ける職務を負っているのだ。 | 私もまた作家になりたい人間であり、しかも自分は確かに作家だと思っている。しかしまだ罵られる資格を得ていない。なぜなら創作を書いたことがないからだ。縮んで引っ込んだのではなく、まだ鑽り出ていないのだ。この鑽り出られぬ原因は、きっと私の妻と二人の子供の騒がしさのせいだと思う。彼女たちも漫罵の批評家と同様、真の天才を滅ぼし、よい作品を脅し退ける職務を負っているのだ。 | ||
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幸いなことに今年の正月、義母が娘に会いたがり、三人とも田舎に帰った。私はまことに耳目清浄、ああ快適、偉大な作品を生む時代が到来した。しかし不幸なことに、今はもう旧暦四月初め、まるまる三ヶ月静かにしたのに、やはり何一つ書けない。もし友人が私の成果を尋ねたら、何と答えよう。まだ彼女たちの騒がしさのせいにできようか。 | 幸いなことに今年の正月、義母が娘に会いたがり、三人とも田舎に帰った。私はまことに耳目清浄、ああ快適、偉大な作品を生む時代が到来した。しかし不幸なことに、今はもう旧暦四月初め、まるまる三ヶ月静かにしたのに、やはり何一つ書けない。もし友人が私の成果を尋ねたら、何と答えよう。まだ彼女たちの騒がしさのせいにできようか。 | ||
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そこで私の信念はいくらか動揺した。 | そこで私の信念はいくらか動揺した。 | ||
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私はもともとよい作品など書けぬのではないかと疑い、彼女たちの騒ぎとは関係がないのではないかと。さらにいわゆる名作家にもよい作品などなかったのではないか、批評家の漫罵とは無関係なのではないかとも疑った。 | 私はもともとよい作品など書けぬのではないかと疑い、彼女たちの騒ぎとは関係がないのではないかと。さらにいわゆる名作家にもよい作品などなかったのではないか、批評家の漫罵とは無関係なのではないかとも疑った。 | ||
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ただし、もし誰かが騒ぎ、誰かが漫罵すれば、作家に作品がないことの恥を覆い隠してくれる。元来あるはずだったが、今彼らに台無しにされたのだと言える。そうすれば落魄した若衆のように、たとえ作品がなくとも、見物客から一掬また一掬の同情の涙を勝ち取れるのだ。 | ただし、もし誰かが騒ぎ、誰かが漫罵すれば、作家に作品がないことの恥を覆い隠してくれる。元来あるはずだったが、今彼らに台無しにされたのだと言える。そうすれば落魄した若衆のように、たとえ作品がなくとも、見物客から一掬また一掬の同情の涙を勝ち取れるのだ。 | ||
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もし世に真の天才があるとすれば、漫罵の批評はこれに損害を与え、その作品を罵り退けて作家たらしめぬ。しかしいわゆる漫罵の批評は、凡才には有益であり、その作家としての地位を保たせる。ただし彼の作品は脅し退けられたそうだが。 | もし世に真の天才があるとすれば、漫罵の批評はこれに損害を与え、その作品を罵り退けて作家たらしめぬ。しかしいわゆる漫罵の批評は、凡才には有益であり、その作家としての地位を保たせる。ただし彼の作品は脅し退けられたそうだが。 | ||
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この三ヶ月余りの間に、私が得た唯一のインスピレーションは、ロラン夫人の調子を借りたものだ。「批評よ批評よ、世の中にいかほどの作家が、汝の罵りを頼りて存するか!」 | この三ヶ月余りの間に、私が得た唯一のインスピレーションは、ロラン夫人の調子を借りたものだ。「批評よ批評よ、世の中にいかほどの作家が、汝の罵りを頼りて存するか!」 | ||
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(五月十四日。) | (五月十四日。) | ||
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【偶感 公汗 】 | 【偶感 公汗 】 | ||
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東三省の喪失と上海での戦闘の頃、砲声は聞こえるが砲弾の心配はない街路の至る所で『推背図』が売られていたのを覚えている。これを見れば人々がとうに敗因を宿命に帰そうとしていたことが分かる。三年後、華北・華南がともに危急に瀕しているのに、上海には「碟仙(テーブルターニング)」が現れた。前者が気にかけていたのはまだ国運であったが、後者はただ試験問題、宝くじ、亡魂を尋ねるだけだ。着眼点の大小は既に全く異なるが、名目はさらに立派になった。なぜならこの「霊乩」は中国の「留独学生白同君の発明」で、「科学」に合致しているからだ。 | 東三省の喪失と上海での戦闘の頃、砲声は聞こえるが砲弾の心配はない街路の至る所で『推背図』が売られていたのを覚えている。これを見れば人々がとうに敗因を宿命に帰そうとしていたことが分かる。三年後、華北・華南がともに危急に瀕しているのに、上海には「碟仙(テーブルターニング)」が現れた。前者が気にかけていたのはまだ国運であったが、後者はただ試験問題、宝くじ、亡魂を尋ねるだけだ。着眼点の大小は既に全く異なるが、名目はさらに立派になった。なぜならこの「霊乩」は中国の「留独学生白同君の発明」で、「科学」に合致しているからだ。 | ||
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「科学で国を救え」と叫ばれてすでに十年近く、誰もがこれは正しいと知っている。「ダンスで国を救え」「念仏で国を救え」の類ではない。青年が外国に行って科学を学ぶ者あり、博士が科学を学んで帰国する者あり。ところが中国には畢竟その文明があり、日本とは異なるのだ。科学は中国文化の不足を補うに足りぬどころか、かえって中国文化の高深を更に証明したのである。風水は地理学に合致し、門閥は優生学に合致し、錬丹は化学に合致し、凧揚げは衛生学に合致する。「霊乩」が「科学」に合致するのも、その一つに過ぎない。 | 「科学で国を救え」と叫ばれてすでに十年近く、誰もがこれは正しいと知っている。「ダンスで国を救え」「念仏で国を救え」の類ではない。青年が外国に行って科学を学ぶ者あり、博士が科学を学んで帰国する者あり。ところが中国には畢竟その文明があり、日本とは異なるのだ。科学は中国文化の不足を補うに足りぬどころか、かえって中国文化の高深を更に証明したのである。風水は地理学に合致し、門閥は優生学に合致し、錬丹は化学に合致し、凧揚げは衛生学に合致する。「霊乩」が「科学」に合致するのも、その一つに過ぎない。 | ||
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五四の時代に陳大斉先生がかつて論文で扶乩の人を欺すことを暴露したが、十六年を隔てて、白同先生は皿で扶乩の合理性を証明した。まことにどこから話を始めてよいやら。 | 五四の時代に陳大斉先生がかつて論文で扶乩の人を欺すことを暴露したが、十六年を隔てて、白同先生は皿で扶乩の合理性を証明した。まことにどこから話を始めてよいやら。 | ||
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しかも科学は中国文化の高深を更に証明したのみならず、中国文化の宣揚をも助けた。麻雀卓の傍では電灯が蝋燭に替わり、法会の壇上ではマグネシウム光がラマ僧を照らし出し、無線放送が日々伝えるのは、しばしば『狸猫換太子』、『玉堂春』、『謝謝毛毛雨』ではないか。 | しかも科学は中国文化の高深を更に証明したのみならず、中国文化の宣揚をも助けた。麻雀卓の傍では電灯が蝋燭に替わり、法会の壇上ではマグネシウム光がラマ僧を照らし出し、無線放送が日々伝えるのは、しばしば『狸猫換太子』、『玉堂春』、『謝謝毛毛雨』ではないか。 | ||
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老子曰く、「これがために斗斛を作りてこれを量れば、すなわち斗斛とともにこれを窃む。」ロラン夫人曰く、「自由よ自由よ、いかほどの罪悪、汝の名を借りて行わるるか!」新しい制度、新しい学術、新しい名詞が中国に伝わるたびに、黒い染瓶に落ちたがごとく、たちまち真っ黒一団となり、私利を済し焰を助ける道具と化す。科学もまたその一つに過ぎない。 | 老子曰く、「これがために斗斛を作りてこれを量れば、すなわち斗斛とともにこれを窃む。」ロラン夫人曰く、「自由よ自由よ、いかほどの罪悪、汝の名を借りて行わるるか!」新しい制度、新しい学術、新しい名詞が中国に伝わるたびに、黒い染瓶に落ちたがごとく、たちまち真っ黒一団となり、私利を済し焰を助ける道具と化す。科学もまたその一つに過ぎない。 | ||
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この弊が去らざれば、中国に薬なし。 | この弊が去らざれば、中国に薬なし。 | ||
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(五月二十日。) | (五月二十日。) | ||
| − | + | 【秦理斎夫人の事を論ず 公汗 】 | |
| − | + | この数年来、新聞にはしばしば経済的圧迫や礼教の制裁のために自殺した記事が見えるが、これらのために口を開き筆を執る者は甚だ少ない。ただ最近、秦理斎夫人とその子女一家四人の自殺だけはかなりの反響を呼び、後にはこの事件の新聞記事を懐に忍ばせた自殺者まで出て、その影響の大きさがいっそう分かった。思うにこれは人数が多かったためだ。単独の自殺では、もはや皆の青睐を招くに足りぬ。 | |
| − | + | あらゆる反響の中で、この自殺の主謀者──秦夫人に対しては、恕辞も加えられはしたが、結論はやはり誅伐に帰した。なぜなら──評論家が言うには──社会がいかに暗黒であろうと、人生の第一の責任は生存であり、自殺すれば職務怠慢である。第二の責任は苦を受けることであり、自殺すれば安逸を貪るのだ、と。進歩的な評論家は、人生は戦闘であり、自殺者は逃兵である、死んでもその罪を蔽うに足りぬと言う。これももっともではあるが、しかしいささか大雑把に過ぎる。 | |
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人の世には犯罪学者がいて、一派は環境によると言い、一派は個人によると言う。今盛んなのは後の説だ。なぜなら前の説を信ずれば、犯罪者を根絶するには環境を改造せねばならず、事が厄介で恐ろしくなるからだ。秦夫人の自殺の批判者も、大抵はこの後の一派に属する。 | 人の世には犯罪学者がいて、一派は環境によると言い、一派は個人によると言う。今盛んなのは後の説だ。なぜなら前の説を信ずれば、犯罪者を根絶するには環境を改造せねばならず、事が厄介で恐ろしくなるからだ。秦夫人の自殺の批判者も、大抵はこの後の一派に属する。 | ||
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確かに、自殺した以上、これは彼女が弱者であることを証明した。しかし、どうして弱くなったのか。肝心なのは、彼女の舅の手紙を見るべきだということだ。彼女を呼び戻すために、両家の名声をちらつかせ、亡くなった夫の乩(こっくり)の言葉で心を動かそうとした。さらに彼女の弟の挽聯を見るべきだ。「妻は夫に殉じ、子は母に殉ず……」これを千古の美談と見なす意がありありとしているではないか。かくの如き家庭に生まれ育ち陶冶された人が、どうして弱者にならずにいられよう。我々はもちろん奮闘を求めてよいが、暗黒の呑噬する力はしばしば孤軍に勝る。しかも自殺の批判者が必ずしも戦闘の応援者であるとは限らず、他人が奮闘し、もがき、敗れる時には、かえって鴉雀の声もないのかもしれぬ。窮郷僻壤や都会の中で、孤児寡婦、貧女労人が運命に従って死に、あるいは運命に抗いながらも遂に死なざるを得ぬ者がどれほどいるか。しかし誰の口に上り、誰の心を動かしたか。まことに「自ら溝渠に縊れて之を知る者なし」なのだ。 | 確かに、自殺した以上、これは彼女が弱者であることを証明した。しかし、どうして弱くなったのか。肝心なのは、彼女の舅の手紙を見るべきだということだ。彼女を呼び戻すために、両家の名声をちらつかせ、亡くなった夫の乩(こっくり)の言葉で心を動かそうとした。さらに彼女の弟の挽聯を見るべきだ。「妻は夫に殉じ、子は母に殉ず……」これを千古の美談と見なす意がありありとしているではないか。かくの如き家庭に生まれ育ち陶冶された人が、どうして弱者にならずにいられよう。我々はもちろん奮闘を求めてよいが、暗黒の呑噬する力はしばしば孤軍に勝る。しかも自殺の批判者が必ずしも戦闘の応援者であるとは限らず、他人が奮闘し、もがき、敗れる時には、かえって鴉雀の声もないのかもしれぬ。窮郷僻壤や都会の中で、孤児寡婦、貧女労人が運命に従って死に、あるいは運命に抗いながらも遂に死なざるを得ぬ者がどれほどいるか。しかし誰の口に上り、誰の心を動かしたか。まことに「自ら溝渠に縊れて之を知る者なし」なのだ。 | ||
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=== 第5節 === | === 第5節 === | ||
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人はもちろん生存すべきだが、それは進化のため。苦しんでもよいが、それは将来の一切の苦を解除するため。さらに戦うべきだが、それは改革のためだ。他人の自殺を責める者は、一方で人を責めつつ、一方ではまさに人を自殺の道に駆り立てる環境に挑戦し、進撃すべきなのだ。もし暗黒の主力に対して一辞も置かず一矢も発せず、ただ「弱者」にくどくど言い続けるだけならば、たとえ彼がいかに義憤を色に表そうとも、私は言わざるを得ない──私もまことに堪えきれなくなった──彼は実は殺人者の幇凶に過ぎぬのだと。 | 人はもちろん生存すべきだが、それは進化のため。苦しんでもよいが、それは将来の一切の苦を解除するため。さらに戦うべきだが、それは改革のためだ。他人の自殺を責める者は、一方で人を責めつつ、一方ではまさに人を自殺の道に駆り立てる環境に挑戦し、進撃すべきなのだ。もし暗黒の主力に対して一辞も置かず一矢も発せず、ただ「弱者」にくどくど言い続けるだけならば、たとえ彼がいかに義憤を色に表そうとも、私は言わざるを得ない──私もまことに堪えきれなくなった──彼は実は殺人者の幇凶に過ぎぬのだと。 | ||
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(五月二十四日。) | (五月二十四日。) | ||
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【「……」「□□□□」論補遺 曼雪 】 | 【「……」「□□□□」論補遺 曼雪 】 | ||
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徐先生が『人間世』に、このような題目の論を発表された。この道については、私はそれほど深く造詣していないが、「愚者千慮に必ず一得あり」ゆえ、いささか補いたいと思う。もちろん浅薄さは遙かに浅薄であるが。 | 徐先生が『人間世』に、このような題目の論を発表された。この道については、私はそれほど深く造詣していないが、「愚者千慮に必ず一得あり」ゆえ、いささか補いたいと思う。もちろん浅薄さは遙かに浅薄であるが。 | ||
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「……」は舶来品で、五四運動の後にようやく輸入されたものだ。以前、林琴南先生が小説を訳した際、「此の語未だ完らず」と夾注していたのが、まさにこれの翻訳だ。洋書では普通六点を用い、吝嗇な者は三点しか用いない。しかし中国は「地大物博」であるから、同化の際に次第に長くなり、九点、十二点、ついには数十点に及ぶ。ある種の大作家に至っては、少なくとも三四行は点を打ち、その中の奥義が無窮無尽にして、まことに言語では形容し得ぬことを示す。読者もおおむねそう思い、もしその中の奥義が感じ取れぬと言う者があれば、それは低能児なのだ。 | 「……」は舶来品で、五四運動の後にようやく輸入されたものだ。以前、林琴南先生が小説を訳した際、「此の語未だ完らず」と夾注していたのが、まさにこれの翻訳だ。洋書では普通六点を用い、吝嗇な者は三点しか用いない。しかし中国は「地大物博」であるから、同化の際に次第に長くなり、九点、十二点、ついには数十点に及ぶ。ある種の大作家に至っては、少なくとも三四行は点を打ち、その中の奥義が無窮無尽にして、まことに言語では形容し得ぬことを示す。読者もおおむねそう思い、もしその中の奥義が感じ取れぬと言う者があれば、それは低能児なのだ。 | ||
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しかし帰するところ、やはりアンデルセン童話の「皇帝の新しい衣」のようで、実は何もない。ただし子供でなければ、ありのままに大声で言い出す者はいない。子供は文学者の「創作」を読まぬから、中国では誰も種明かしをしない。しかし天気は寒くなるもので、裸のまま一年中路上を歩けるわけもなく、結局は宮殿に隠れるしかない。数行の点を打つ妙文も、近頃はあまり見かけなくなった。 | しかし帰するところ、やはりアンデルセン童話の「皇帝の新しい衣」のようで、実は何もない。ただし子供でなければ、ありのままに大声で言い出す者はいない。子供は文学者の「創作」を読まぬから、中国では誰も種明かしをしない。しかし天気は寒くなるもので、裸のまま一年中路上を歩けるわけもなく、結局は宮殿に隠れるしかない。数行の点を打つ妙文も、近頃はあまり見かけなくなった。 | ||
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「□□」は国産品で、『穆天子伝』にすでにこの代物がある。先生が教えてくれたのは、闕文(欠字)だということだ。この闕文も騒ぎを起こしたことがあり、「口は垢を生じ、口は口を戕す」の三つの口字も闕文だと言った者がいて、また誰かに大いに罵られた。ただし以前は古人の著作にしか見えず、補いようがなかったが、今は今人の著作に見え、補おうとしても補えない。現在に至って、次第に「××」で代える傾向がある。これは日本から輸入されたものだ。これが多ければ、その著作の内容について我々は激烈なものを予感する。しかし実はそうでもない場合がある。でたらめに何行か×を付けて印刷すれば、読者に作家の激烈さを敬服させ、検閲官の峻厳さを恨ませることができるが、検閲に回す際には、検閲官に自分の従順さを好ましく思わせ、多くのことを敢えて言わず、ただこれほど熱心に×を打っただけだと示せる。一挙両得であり、何行かの点を打つよりもさらに巧妙だ。中国はまさに排日の最中であるから、この錦嚢の妙計はあるいは模倣されることはあるまい。 | 「□□」は国産品で、『穆天子伝』にすでにこの代物がある。先生が教えてくれたのは、闕文(欠字)だということだ。この闕文も騒ぎを起こしたことがあり、「口は垢を生じ、口は口を戕す」の三つの口字も闕文だと言った者がいて、また誰かに大いに罵られた。ただし以前は古人の著作にしか見えず、補いようがなかったが、今は今人の著作に見え、補おうとしても補えない。現在に至って、次第に「××」で代える傾向がある。これは日本から輸入されたものだ。これが多ければ、その著作の内容について我々は激烈なものを予感する。しかし実はそうでもない場合がある。でたらめに何行か×を付けて印刷すれば、読者に作家の激烈さを敬服させ、検閲官の峻厳さを恨ませることができるが、検閲に回す際には、検閲官に自分の従順さを好ましく思わせ、多くのことを敢えて言わず、ただこれほど熱心に×を打っただけだと示せる。一挙両得であり、何行かの点を打つよりもさらに巧妙だ。中国はまさに排日の最中であるから、この錦嚢の妙計はあるいは模倣されることはあるまい。 | ||
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今は何でも金を出して買わねばならず、もちろん何でも金に換えて売ることもできる。しかし「何もないもの」までも金に換えて売れるとは、いささか意表を出る。ただし、このことを知った後には、造謡を生業とするのは、今なお「品質保証、老若を欺かず」の暮らしであることが分かる。 | 今は何でも金を出して買わねばならず、もちろん何でも金に換えて売ることもできる。しかし「何もないもの」までも金に換えて売れるとは、いささか意表を出る。ただし、このことを知った後には、造謡を生業とするのは、今なお「品質保証、老若を欺かず」の暮らしであることが分かる。 | ||
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(五月二十四日。) | (五月二十四日。) | ||
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【誰が没落しているのか 常庚 】 | 【誰が没落しているのか 常庚 】 | ||
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五月二十八日の『大晩報』が、文芸上の重要な新聞を一つ教えてくれた── | 五月二十八日の『大晩報』が、文芸上の重要な新聞を一つ教えてくれた── | ||
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「我が国の美術家劉海粟、徐悲鴻らが、近頃ソ連モスクワにて中国書画展覧会を開催し、彼の国の人士の極力なる賞賛を得た。我が国の書画名作を揄揚し、ソ連で盛んに流行する象徴主義作品と切合するとの由。さてソ連の芸術界は従来写実と象徴の二派に分かれるが、今や写実主義は漸く没落し、象徴主義は朝野一致の提唱を経て、欣々向栄の概を呈しつつあり。彼の国の芸術家が我が国の書画作品の象徴派に深く合致するを見て、たちまち中国の演劇もまた必ず象徴主義を採用しているに違いないと想い起こし、中国の戯曲名家梅蘭芳らを招いて演芸させんと……。この件はすでにロシア側より中国駐露大使館と交渉中にして、同時にソ連駐華大使ボゴモロフも訓令を受け、中国側とこの件を協議中なり。……」 | 「我が国の美術家劉海粟、徐悲鴻らが、近頃ソ連モスクワにて中国書画展覧会を開催し、彼の国の人士の極力なる賞賛を得た。我が国の書画名作を揄揚し、ソ連で盛んに流行する象徴主義作品と切合するとの由。さてソ連の芸術界は従来写実と象徴の二派に分かれるが、今や写実主義は漸く没落し、象徴主義は朝野一致の提唱を経て、欣々向栄の概を呈しつつあり。彼の国の芸術家が我が国の書画作品の象徴派に深く合致するを見て、たちまち中国の演劇もまた必ず象徴主義を採用しているに違いないと想い起こし、中国の戯曲名家梅蘭芳らを招いて演芸させんと……。この件はすでにロシア側より中国駐露大使館と交渉中にして、同時にソ連駐華大使ボゴモロフも訓令を受け、中国側とこの件を協議中なり。……」 | ||
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これは喜ばしい知らせであり、我々が喜ぶに値する。しかし「国光を発揚」したと喜んだ後には、少し沈静になって以下の事実を考えるべきだ── | これは喜ばしい知らせであり、我々が喜ぶに値する。しかし「国光を発揚」したと喜んだ後には、少し沈静になって以下の事実を考えるべきだ── | ||
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一、中国画と印象主義に一脈相通ずるところがあると言うなら、まだ言えなくもないが、「ソ連で盛んに流行する象徴主義と切合する」とするのは、いささか夢物語に近い。紫藤の半枝、松の一株、虎一頭、雀数羽、中には確かに実物に似ていないものもあるが、それは似せて描けないからであって、いつ別の何かを「象徴」したことがあろうか。 | 一、中国画と印象主義に一脈相通ずるところがあると言うなら、まだ言えなくもないが、「ソ連で盛んに流行する象徴主義と切合する」とするのは、いささか夢物語に近い。紫藤の半枝、松の一株、虎一頭、雀数羽、中には確かに実物に似ていないものもあるが、それは似せて描けないからであって、いつ別の何かを「象徴」したことがあろうか。 | ||
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二、ソ連における象徴主義の没落は十月革命の時であり、その後に構成主義が勃興し、さらにその後次第に写実主義に排斥された。ゆえに構成主義が漸く没落し、写実主義が「欣々向栄の概を呈している」と言うなら言えるが、そうでなければ夢物語だ。ソ連の文芸界に象徴主義の作品がいったい何があるか。 | 二、ソ連における象徴主義の没落は十月革命の時であり、その後に構成主義が勃興し、さらにその後次第に写実主義に排斥された。ゆえに構成主義が漸く没落し、写実主義が「欣々向栄の概を呈している」と言うなら言えるが、そうでなければ夢物語だ。ソ連の文芸界に象徴主義の作品がいったい何があるか。 | ||
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三、隈取りと手振りは代数であって、象徴ではない。白鼻が道化を表し、花面が豪傑を表し、鞭を執れば馬に乗ることを表し、手を押せば門を開けることを表す以外に、いったいどこに言い表し得ぬ深い意味があるか。 | 三、隈取りと手振りは代数であって、象徴ではない。白鼻が道化を表し、花面が豪傑を表し、鞭を執れば馬に乗ることを表し、手を押せば門を開けることを表す以外に、いったいどこに言い表し得ぬ深い意味があるか。 | ||
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ヨーロッパは我々から実に遠く、あちらの文芸事情も実にあまりよく分からぬ。しかし今や二十世紀はすでに三分の一を過ぎ、粗浅なことは少しは知っている。このような新聞はかえって「象徴主義の作品」だと感じさせる。それは彼らの芸術の消亡を象徴しているのだ。 | ヨーロッパは我々から実に遠く、あちらの文芸事情も実にあまりよく分からぬ。しかし今や二十世紀はすでに三分の一を過ぎ、粗浅なことは少しは知っている。このような新聞はかえって「象徴主義の作品」だと感じさせる。それは彼らの芸術の消亡を象徴しているのだ。 | ||
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(五月三十日。) | (五月三十日。) | ||
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【逆さ提げ 公汗 】 | 【逆さ提げ 公汗 】 | ||
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西洋の慈善家は動物を虐待するのを見るのを恐れるもので、鶏鴨を逆さに提げて租界を歩けば処罰される。いわゆる処罰とは罰金に過ぎず、金さえ惜しまなければ逆さに提げることもできるが、しかし畢竟処罰は受ける。そこで何人かの華人が大いに不平を鳴らし、西洋人は動物を優待し華人を虐待し、鶏鴨にも及ばぬと言った。 | 西洋の慈善家は動物を虐待するのを見るのを恐れるもので、鶏鴨を逆さに提げて租界を歩けば処罰される。いわゆる処罰とは罰金に過ぎず、金さえ惜しまなければ逆さに提げることもできるが、しかし畢竟処罰は受ける。そこで何人かの華人が大いに不平を鳴らし、西洋人は動物を優待し華人を虐待し、鶏鴨にも及ばぬと言った。 | ||
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これは実は西洋人に対する誤解だ。彼らが我々を蔑視するのは確かだが、動物以下に置いたわけではない。もちろん鶏鴨というものは、いかにしても結局は厨房に送られて大菜になるだけで、順に提げようが逆に提げようが帰結する運命には何の補いにもならぬ。しかし言葉が話せず抵抗もできぬのに、何も無益な虐待を加えることもあるまい。西洋人は何事も有益であることを重んずるのだ。我々の古人も人民の「倒懸」の苦は思いついており、しかもまことに的確に形容してもいるが、鶏鴨の逆さ提げの災いまでは察知していなかった。しかし「生きたまま驢馬の肉を切る」「鵞鳥の掌を生きたまま焙る」といった無聊な残虐に対しては、とうに文章で攻撃していた。この心情は東西に共通するものだ。 | これは実は西洋人に対する誤解だ。彼らが我々を蔑視するのは確かだが、動物以下に置いたわけではない。もちろん鶏鴨というものは、いかにしても結局は厨房に送られて大菜になるだけで、順に提げようが逆に提げようが帰結する運命には何の補いにもならぬ。しかし言葉が話せず抵抗もできぬのに、何も無益な虐待を加えることもあるまい。西洋人は何事も有益であることを重んずるのだ。我々の古人も人民の「倒懸」の苦は思いついており、しかもまことに的確に形容してもいるが、鶏鴨の逆さ提げの災いまでは察知していなかった。しかし「生きたまま驢馬の肉を切る」「鵞鳥の掌を生きたまま焙る」といった無聊な残虐に対しては、とうに文章で攻撃していた。この心情は東西に共通するものだ。 | ||
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しかし人に対する心情は、いくらか異なるようだ。人は組織でき、反抗でき、奴隷にもなり主人にもなれる。努力しなければもちろん永遠に下僕に沈むが、自由解放すれば互いの平等を勝ち取れる。その運命は必ずしも厨房に送られて大菜にされるとは限らぬ。卑しき者ほど主人の憐愛を受ける。ゆえに西崽(洋館のボーイ)が叭児(犬)を打てば西崽が叱られ、平人が西崽に逆らえば平人が咎められる。租界には華人の苛待を禁ずる規則がない。それはまさに我々が自ら力を持ち、自ら才覚を持つべきで、鶏鴨とは全く異なるからだ。 | しかし人に対する心情は、いくらか異なるようだ。人は組織でき、反抗でき、奴隷にもなり主人にもなれる。努力しなければもちろん永遠に下僕に沈むが、自由解放すれば互いの平等を勝ち取れる。その運命は必ずしも厨房に送られて大菜にされるとは限らぬ。卑しき者ほど主人の憐愛を受ける。ゆえに西崽(洋館のボーイ)が叭児(犬)を打てば西崽が叱られ、平人が西崽に逆らえば平人が咎められる。租界には華人の苛待を禁ずる規則がない。それはまさに我々が自ら力を持ち、自ら才覚を持つべきで、鶏鴨とは全く異なるからだ。 | ||
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しかるに我々は古典の中から、仁人義士が倒懸を救いに来るという空言を聞き慣れてしまい、今に至るもなお天上かどこか高遠な所から恩典が降ってくることを想い続け、甚だしきに至っては「乱離の人と作ることなかれ、寧ろ太平の犬たれ」と、犬になることも厭わず、しかし群を成して改革することは肯んじない。租界の鶏鴨にも及ばぬと自嘆する者も、まさにこの気風なのだ。 | しかるに我々は古典の中から、仁人義士が倒懸を救いに来るという空言を聞き慣れてしまい、今に至るもなお天上かどこか高遠な所から恩典が降ってくることを想い続け、甚だしきに至っては「乱離の人と作ることなかれ、寧ろ太平の犬たれ」と、犬になることも厭わず、しかし群を成して改革することは肯んじない。租界の鶏鴨にも及ばぬと自嘆する者も、まさにこの気風なのだ。 | ||
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この類の人物が多くなれば、かえって皆が倒懸にされるのであり、しかも厨房に送られる時にも一時的に救ってくれる者もいない。これはまさに我々が畢竟人間であるのに、不甲斐ない人間であるがためなのだ。 | この類の人物が多くなれば、かえって皆が倒懸にされるのであり、しかも厨房に送られる時にも一時的に救ってくれる者もいない。これはまさに我々が畢竟人間であるのに、不甲斐ない人間であるがためなのだ。 | ||
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(六月三日。) | (六月三日。) | ||
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花辺文学を論ず 林黙 | 花辺文学を論ず 林黙 | ||
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近頃一種の文章がある。四辺を花模様で囲み、幾つかの副刊に現れる。この文章は毎日一段、雍容として閑適、緻密にして整斉、外形は「雑感」に似ているが「格言」にも似て、内容は痛くも痒くもなく何の当てもない。小品か語録の類らしい。今日は一則の「偶感」、明日は一段の「……だそうだ」。著者から見れば、もちろん好い文章で、裏表をひっくり返してもすべて道理となり、八股文の能事を尽くしている。しかし読者から見ると、痛くも痒くもないようでいて、往々にして毒汁を滲ませ、妖言を撒布している。例えばガンジーが刺されると、たちまち一篇の「偶感」を書き、「マハトマ」を一しきり称揚し、暴徒の乱を罵倒し、聖雄のために気を吐き災いを祓い、ついでに読者にも「一切を見定める」「勇武平和」の不抵抗主義的説教を講じる類だ。この種の文章に名づけようがないが、ひとまず「花辺体」あるいは「花辺文学」と名づけておこう。 | 近頃一種の文章がある。四辺を花模様で囲み、幾つかの副刊に現れる。この文章は毎日一段、雍容として閑適、緻密にして整斉、外形は「雑感」に似ているが「格言」にも似て、内容は痛くも痒くもなく何の当てもない。小品か語録の類らしい。今日は一則の「偶感」、明日は一段の「……だそうだ」。著者から見れば、もちろん好い文章で、裏表をひっくり返してもすべて道理となり、八股文の能事を尽くしている。しかし読者から見ると、痛くも痒くもないようでいて、往々にして毒汁を滲ませ、妖言を撒布している。例えばガンジーが刺されると、たちまち一篇の「偶感」を書き、「マハトマ」を一しきり称揚し、暴徒の乱を罵倒し、聖雄のために気を吐き災いを祓い、ついでに読者にも「一切を見定める」「勇武平和」の不抵抗主義的説教を講じる類だ。この種の文章に名づけようがないが、ひとまず「花辺体」あるいは「花辺文学」と名づけておこう。 | ||
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この花辺体の由来は、おおむね小品文が鳥道に入った後の変種だ。この種の小品文の擁護者に言わせれば、流伝していくものだという(『人間世』「小品文について」参照)。では彼らの流伝の道を見てみよう。六月二十八日『申報・自由談』にこのような文章が載った。題目は「逆さ提げ」。大意は西洋人が鶏鴨の逆さ提げを禁じており、華人がかなり不平を鳴らしたこと。西洋人は華人を虐待し鶏鴨にも及ばぬと。 | この花辺体の由来は、おおむね小品文が鳥道に入った後の変種だ。この種の小品文の擁護者に言わせれば、流伝していくものだという(『人間世』「小品文について」参照)。では彼らの流伝の道を見てみよう。六月二十八日『申報・自由談』にこのような文章が載った。題目は「逆さ提げ」。大意は西洋人が鶏鴨の逆さ提げを禁じており、華人がかなり不平を鳴らしたこと。西洋人は華人を虐待し鶏鴨にも及ばぬと。 | ||
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そこでこの花辺文学家が議論した。彼は言う。「これは実は西洋人に対する誤解だ。彼らが我々を蔑視するのは確かだが、動物以下に置いたのではない。」 | そこでこの花辺文学家が議論した。彼は言う。「これは実は西洋人に対する誤解だ。彼らが我々を蔑視するのは確かだが、動物以下に置いたのではない。」 | ||
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なぜ「置いたのではない」か。いわく「人は組織でき、反抗でき……自ら力と才覚を持ち、鶏鴨とは全く異なるから」だそうだ。ゆえに租界には華人の苛待を禁ずる規則がない。華人の虐待を禁じないのは、もちろん華人を鶏鴨より上に見ているからだ、と。 | なぜ「置いたのではない」か。いわく「人は組織でき、反抗でき……自ら力と才覚を持ち、鶏鴨とは全く異なるから」だそうだ。ゆえに租界には華人の苛待を禁ずる規則がない。華人の虐待を禁じないのは、もちろん華人を鶏鴨より上に見ているからだ、と。 | ||
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不平を鳴らしたいなら、なぜ反抗しないのか。 | 不平を鳴らしたいなら、なぜ反抗しないのか。 | ||
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そしてこれらの不平の士は、花辺文学家が「古典」から得た証拠によれば、「犬になることも厭わぬ」不甲斐ない輩だと断じられる。 | そしてこれらの不平の士は、花辺文学家が「古典」から得た証拠によれば、「犬になることも厭わぬ」不甲斐ない輩だと断じられる。 | ||
| − | |||
その意味は極めて明白だ。第一に、西洋人は華人を鶏鴨以下に置いてはおらず、鶏鴨にも及ばぬと嘆く者は西洋人を誤解している。第二に、西洋人のこの優遇を受けて、不平を鳴らすべきでない。第三に、彼は正面から人は反抗できるものだと認め、反抗せよと言ってはいるが、実は西洋人が華人を尊重するがゆえに、この虐待は欠かせず、しかも一歩進めてもよいと説明しているのだ。第四に、もし不平を言う者がいれば、彼は「古典」から華人の不甲斐なさを証明できるのだ。 | その意味は極めて明白だ。第一に、西洋人は華人を鶏鴨以下に置いてはおらず、鶏鴨にも及ばぬと嘆く者は西洋人を誤解している。第二に、西洋人のこの優遇を受けて、不平を鳴らすべきでない。第三に、彼は正面から人は反抗できるものだと認め、反抗せよと言ってはいるが、実は西洋人が華人を尊重するがゆえに、この虐待は欠かせず、しかも一歩進めてもよいと説明しているのだ。第四に、もし不平を言う者がいれば、彼は「古典」から華人の不甲斐なさを証明できるのだ。 | ||
| − | |||
上海の洋行には、洋人のために商売を営む華人がおり、通称「買弁」という。彼らが同胞と商売をする際、洋貨がいかに国貨より優れ、外国人がいかに礼節と信用を重んじ、中国人は豚で淘汰されるべきだと吹聴するほかに、もう一つの特徴がある。洋人を口にする時「うちの旦那」と称するのだ。この「逆さ提げ」の傑作は、その口振りからすると、おおむねこの手の人間がその旦那のために書いた手になるものであろう。なぜなら第一に、この手の人間は常に西洋人を理解していると自負し、西洋人も彼に甚だ丁寧である。第二に、彼らはしばしば西洋人(すなわちその旦那)が中国を統治し華人を虐待することに賛成する。中国人は豚だからだ。第三に、彼らは中国人が西洋人を恨むことに最も反対する。不平を抱くことは、彼らから見ればさらに危険思想なのだ。 | 上海の洋行には、洋人のために商売を営む華人がおり、通称「買弁」という。彼らが同胞と商売をする際、洋貨がいかに国貨より優れ、外国人がいかに礼節と信用を重んじ、中国人は豚で淘汰されるべきだと吹聴するほかに、もう一つの特徴がある。洋人を口にする時「うちの旦那」と称するのだ。この「逆さ提げ」の傑作は、その口振りからすると、おおむねこの手の人間がその旦那のために書いた手になるものであろう。なぜなら第一に、この手の人間は常に西洋人を理解していると自負し、西洋人も彼に甚だ丁寧である。第二に、彼らはしばしば西洋人(すなわちその旦那)が中国を統治し華人を虐待することに賛成する。中国人は豚だからだ。第三に、彼らは中国人が西洋人を恨むことに最も反対する。不平を抱くことは、彼らから見ればさらに危険思想なのだ。 | ||
| − | |||
この手の人間、あるいはこの手の人間への昇格を望む者の筆から生まれたのが、この篇の「花辺文学」の傑作である。しかし惜しむべきは、この種の文人やこの種の文字がいかに西洋人のために弁護し説教しても、中国人の不平は免れ得ぬということだ。なぜなら西洋人は確かに中国を鶏鴨以下に置いてはいないが、事実上鶏鴨以上に置いたとも言い難いからだ。香港の役人が中国の囚人を逆さに提げて二階から投げ落としたのは、すでに遠い昔のこと。近くは上海、昨年の高丫頭、今年の蔡洋其の輩、彼らの遭遇は鶏鴨に勝るものではなく、死傷の惨烈はむしろ過ぎたるものがあった。これらの事実を我ら華人は一つ一つ見ており、背を向ければ忘れるようなことではない。花辺文学家の口と筆でどうして朦昧にできようか。 | この手の人間、あるいはこの手の人間への昇格を望む者の筆から生まれたのが、この篇の「花辺文学」の傑作である。しかし惜しむべきは、この種の文人やこの種の文字がいかに西洋人のために弁護し説教しても、中国人の不平は免れ得ぬということだ。なぜなら西洋人は確かに中国を鶏鴨以下に置いてはいないが、事実上鶏鴨以上に置いたとも言い難いからだ。香港の役人が中国の囚人を逆さに提げて二階から投げ落としたのは、すでに遠い昔のこと。近くは上海、昨年の高丫頭、今年の蔡洋其の輩、彼らの遭遇は鶏鴨に勝るものではなく、死傷の惨烈はむしろ過ぎたるものがあった。これらの事実を我ら華人は一つ一つ見ており、背を向ければ忘れるようなことではない。花辺文学家の口と筆でどうして朦昧にできようか。 | ||
| − | |||
不平を抱く華人は果たして花辺文学家の「古典」の証明するように、一律に不甲斐ないか。そうでもない。我々の古典には、九年前の五・三十運動、二年前の一・二八の戦争、今なお艱苦の中で持ちこたえている東北義勇軍があるではないか。これらが華人の不平の気が集積して成った勇敢な戦闘と反抗でないと誰が言えようか。 | 不平を抱く華人は果たして花辺文学家の「古典」の証明するように、一律に不甲斐ないか。そうでもない。我々の古典には、九年前の五・三十運動、二年前の一・二八の戦争、今なお艱苦の中で持ちこたえている東北義勇軍があるではないか。これらが華人の不平の気が集積して成った勇敢な戦闘と反抗でないと誰が言えようか。 | ||
| − | |||
「花辺体」の文章が流伝に頼りとする長所はここにある。今は確かに流伝しており、ある人々に擁護されている。しかし遠からぬうちに、必ず唾棄する者が現れるだろう。今は「大衆語」文学を建設する時であり、「花辺文学」はその形式であれ内容であれ、大衆の目には流伝し得ぬ日が来るであろうと思う。 | 「花辺体」の文章が流伝に頼りとする長所はここにある。今は確かに流伝しており、ある人々に擁護されている。しかし遠からぬうちに、必ず唾棄する者が現れるだろう。今は「大衆語」文学を建設する時であり、「花辺文学」はその形式であれ内容であれ、大衆の目には流伝し得ぬ日が来るであろうと思う。 | ||
| − | |||
この文章はいくつもの所に投稿したが、すべて拒まれた。まさかこの文章がまた私怨を晴らすとの嫌疑をかけられたのではあるまい。しかしこの「指図」はなかったのだ。事に即して論じれば、吐き出す必要が確かにあると感じた。文中に行き過ぎた所があるかもしれぬが、私が全く間違っていると言われても、それは承服できない。もし得罪したのが先輩や友人であれば、この一点をご諒解願いたい。 | この文章はいくつもの所に投稿したが、すべて拒まれた。まさかこの文章がまた私怨を晴らすとの嫌疑をかけられたのではあるまい。しかしこの「指図」はなかったのだ。事に即して論じれば、吐き出す必要が確かにあると感じた。文中に行き過ぎた所があるかもしれぬが、私が全く間違っていると言われても、それは承服できない。もし得罪したのが先輩や友人であれば、この一点をご諒解願いたい。 | ||
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=== 第6節 === | === 第6節 === | ||
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しかし江北の人は玩具を作る天才だ。彼らは長さの異なる二つの竹筒を、赤と緑に染めて一列に連ね、筒の中にバネを仕込み、傍に取っ手を一つつけ、回せばガタガタと鳴る。これが機関銃だ。私の見た唯一の創作でもある。私は租界の端で一つ買い、子供と一緒に振りながら路を歩いた。文明の西洋人と勝利の日本人はこれを見て、大抵我々に蔑みか憐みかの苦笑を投げてよこした。 | しかし江北の人は玩具を作る天才だ。彼らは長さの異なる二つの竹筒を、赤と緑に染めて一列に連ね、筒の中にバネを仕込み、傍に取っ手を一つつけ、回せばガタガタと鳴る。これが機関銃だ。私の見た唯一の創作でもある。私は租界の端で一つ買い、子供と一緒に振りながら路を歩いた。文明の西洋人と勝利の日本人はこれを見て、大抵我々に蔑みか憐みかの苦笑を投げてよこした。 | ||
| − | |||
しかし我々は振りながら路を歩き、少しも恥じなかった。なぜならこれは創作だからだ。一昨年来、江北の人をかなり罵る者がいた。まるでそうしなければ自らの高潔さを示すに足りぬかのようだったが、今は沈黙し、その高潔さも渺然として茫然だ。ところが江北の人は粗笨な機関銃の玩具を創り出し、堅強な自信と質朴な才能をもって文明の玩具と争っている。彼らは、外国から最新式の兵器を買って帰った人物よりも、いっそう賛頌に値すると私は思う。もっともまた誰かが私に蔑みか憐みかの冷笑を投げるかもしれないが。 | しかし我々は振りながら路を歩き、少しも恥じなかった。なぜならこれは創作だからだ。一昨年来、江北の人をかなり罵る者がいた。まるでそうしなければ自らの高潔さを示すに足りぬかのようだったが、今は沈黙し、その高潔さも渺然として茫然だ。ところが江北の人は粗笨な機関銃の玩具を創り出し、堅強な自信と質朴な才能をもって文明の玩具と争っている。彼らは、外国から最新式の兵器を買って帰った人物よりも、いっそう賛頌に値すると私は思う。もっともまた誰かが私に蔑みか憐みかの冷笑を投げるかもしれないが。 | ||
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(六月十一日。) | (六月十一日。) | ||
| − | + | 【間食 莫朕 】 | |
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出版界の現状は、定期刊行物が多く専門書が少なく、心ある人を愁えさせ、小品が多く大作が少なく、またぞ心ある人を愁えさせる。人にして心あらば、まことに「日々愁城に坐す」であろう。 | 出版界の現状は、定期刊行物が多く専門書が少なく、心ある人を愁えさせ、小品が多く大作が少なく、またぞ心ある人を愁えさせる。人にして心あらば、まことに「日々愁城に坐す」であろう。 | ||
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しかしこの状態は由来久しく、今はただいくらか変遷し、いっそう顕著になっただけだ。 | しかしこの状態は由来久しく、今はただいくらか変遷し、いっそう顕著になっただけだ。 | ||
| − | |||
上海の住民は元来間食が好きだ。もし注意して聞けば、屋外で間食の売り声を上げる者は、つねに「まことに数多し」だ。桂花白砂糖倫教糕、豚脂白砂糖蓮心粥、海老肉の雲呑麺、胡麻バナナ、南洋マンゴー、西路(シャム)蜜柑、瓜子大王、さらに蜜餞、橄欖等々。胃袋さえよければ、朝から真夜中まで食べ続けられるが、胃袋が悪くても構わぬ。なぜならこれは肥った魚や大きな肉とは違い、分量はもともと甚だ少ないからだ。その効能は、聞くところでは、閑を消ずる中に養生の益を得、しかも味がよいという。 | 上海の住民は元来間食が好きだ。もし注意して聞けば、屋外で間食の売り声を上げる者は、つねに「まことに数多し」だ。桂花白砂糖倫教糕、豚脂白砂糖蓮心粥、海老肉の雲呑麺、胡麻バナナ、南洋マンゴー、西路(シャム)蜜柑、瓜子大王、さらに蜜餞、橄欖等々。胃袋さえよければ、朝から真夜中まで食べ続けられるが、胃袋が悪くても構わぬ。なぜならこれは肥った魚や大きな肉とは違い、分量はもともと甚だ少ないからだ。その効能は、聞くところでは、閑を消ずる中に養生の益を得、しかも味がよいという。 | ||
| − | |||
数年前の出版物は、「養生の益」のある間食であった。あるいは「入門」と称し、あるいは「ABC」と称し、あるいは「概論」と称し、つまりは薄い一冊で、わずか数角の金と半時間の時間を費やすだけで、一種の科学、あるいは文学の全貌、あるいは一つの外国語が分かるというものだ。その意味は、五香瓜子を一包み食べさえすれば、その人を繁栄滋長させ、五年分の飯に匹敵するということだ。数年試みたが効果は顕著でなく、かなり灰心した。試してみて名ばかり実がなければ、灰心するのは避けがたい。例えば今やほとんど仙人修行や黄金練成をする者がおらず、温泉と宝くじに置き換わったのは、まさに試みて無効だった結果だ。そこで「養生」の方面は緩め、「味がよい」方面に偏っていった。もちろん、間食はやはり間食だ。上海の住民と間食とは、死んでも切り離せないのだ。 | 数年前の出版物は、「養生の益」のある間食であった。あるいは「入門」と称し、あるいは「ABC」と称し、あるいは「概論」と称し、つまりは薄い一冊で、わずか数角の金と半時間の時間を費やすだけで、一種の科学、あるいは文学の全貌、あるいは一つの外国語が分かるというものだ。その意味は、五香瓜子を一包み食べさえすれば、その人を繁栄滋長させ、五年分の飯に匹敵するということだ。数年試みたが効果は顕著でなく、かなり灰心した。試してみて名ばかり実がなければ、灰心するのは避けがたい。例えば今やほとんど仙人修行や黄金練成をする者がおらず、温泉と宝くじに置き換わったのは、まさに試みて無効だった結果だ。そこで「養生」の方面は緩め、「味がよい」方面に偏っていった。もちろん、間食はやはり間食だ。上海の住民と間食とは、死んでも切り離せないのだ。 | ||
| − | |||
そこで小品が現れた。しかしこれもまた新しい芸当ではない。老九章の商売が隆盛だった頃にも、『筆記小説大観』の類があった。これは間食一大箱である。老九章が閉店した後は、もちろんそれに伴って一小撮になった。分量が少なくなったのに、なぜかえって騒々しく、満城風雨を引き起こしたのか。思うに、これは担ぎ台に篆書とローマ字母の合璧の年紅電灯の看板を掲げたからだ。 | そこで小品が現れた。しかしこれもまた新しい芸当ではない。老九章の商売が隆盛だった頃にも、『筆記小説大観』の類があった。これは間食一大箱である。老九章が閉店した後は、もちろんそれに伴って一小撮になった。分量が少なくなったのに、なぜかえって騒々しく、満城風雨を引き起こしたのか。思うに、これは担ぎ台に篆書とローマ字母の合璧の年紅電灯の看板を掲げたからだ。 | ||
| − | |||
しかし依然として間食であるにもかかわらず、上海住民の感応力は以前より敏捷になった。さもなくばなぜ騒ぐだろう。しかしこれはあるいはまさに神経衰弱のためかもしれぬ。もしそうであれば、間食の前途はかえって憂うべきだ。 | しかし依然として間食であるにもかかわらず、上海住民の感応力は以前より敏捷になった。さもなくばなぜ騒ぐだろう。しかしこれはあるいはまさに神経衰弱のためかもしれぬ。もしそうであれば、間食の前途はかえって憂うべきだ。 | ||
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(六月十一日。) | (六月十一日。) | ||
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【「此の生か彼の生か」 白道 】 | 【「此の生か彼の生か」 白道 】 | ||
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「此の生か彼の生か。」 | 「此の生か彼の生か。」 | ||
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今この五文字を書き出して読者に問おう。どういう意味か。 | 今この五文字を書き出して読者に問おう。どういう意味か。 | ||
| − | |||
もし『申報』で汪懋祖先生の文章を見たことがあれば──「……例えば『この学生かあの学生か』と言うところを、文言では『此の生か彼の生か』とするだけで明瞭であり、その省力たるやいかばかりか……」──であれば、これが「この学生かあの学生か」の意味だとおそらく思い当たれよう。 | もし『申報』で汪懋祖先生の文章を見たことがあれば──「……例えば『この学生かあの学生か』と言うところを、文言では『此の生か彼の生か』とするだけで明瞭であり、その省力たるやいかばかりか……」──であれば、これが「この学生かあの学生か」の意味だとおそらく思い当たれよう。 | ||
| − | |||
さもなくば、その答えは躊躇せざるを得まい。なぜならこの五文字は、少なくとも更に二つの解釈が可能だからだ。一、この秀才かあの秀才か(生員の生)。二、この世か来世の別の世か(生涯の生)。 | さもなくば、その答えは躊躇せざるを得まい。なぜならこの五文字は、少なくとも更に二つの解釈が可能だからだ。一、この秀才かあの秀才か(生員の生)。二、この世か来世の別の世か(生涯の生)。 | ||
| − | |||
文言は白話に比べて、時に確かに字数は少ない。しかしその意味もまた比較的曖昧だ。我々が文言文を読む時、往々にして我々の知識を増やすことができぬのみならず、我々がすでに持っている知識を頼りにして、それに注解し補足してやらねばならぬ。精密な白話に翻してはじめて、ようやく分かったと言えるのだ。もし最初から白話を用いれば、たとえ数文字多く書くことになっても、読者にとって「その省力たるやいかばかりか」。 | 文言は白話に比べて、時に確かに字数は少ない。しかしその意味もまた比較的曖昧だ。我々が文言文を読む時、往々にして我々の知識を増やすことができぬのみならず、我々がすでに持っている知識を頼りにして、それに注解し補足してやらねばならぬ。精密な白話に翻してはじめて、ようやく分かったと言えるのだ。もし最初から白話を用いれば、たとえ数文字多く書くことになっても、読者にとって「その省力たるやいかばかりか」。 | ||
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私は文言を主張する汪懋祖先生自身が挙げた文言の例をもって、文言の使い物にならぬことを証明した。 | 私は文言を主張する汪懋祖先生自身が挙げた文言の例をもって、文言の使い物にならぬことを証明した。 | ||
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(六月二十三日。) | (六月二十三日。) | ||
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【まさにその時 張承禄 】 | 【まさにその時 張承禄 】 | ||
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「山梁の雌雉、時なるかな時なるかな!」物事にはおのずとその時がある。 | 「山梁の雌雉、時なるかな時なるかな!」物事にはおのずとその時がある。 | ||
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「聖書」「仏典」は、一部の人々の嘲笑を受けてすでに十余年。「今の是にして昨の非なるを覚る」──今こそが復興の時だ。関帝と岳飛は清朝で幾度も封贈を受けた神明であったが、民元の革命で閑却された。再び思い出されたのは袁世凱の晩年だが、また袁世凱とともに蓋棺となった。そして二度目に再び思い出されたのが、今なのだ。 | 「聖書」「仏典」は、一部の人々の嘲笑を受けてすでに十余年。「今の是にして昨の非なるを覚る」──今こそが復興の時だ。関帝と岳飛は清朝で幾度も封贈を受けた神明であったが、民元の革命で閑却された。再び思い出されたのは袁世凱の晩年だが、また袁世凱とともに蓋棺となった。そして二度目に再び思い出されたのが、今なのだ。 | ||
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この時節にはもちろん文言を重んじ、文袋を振り回し、雅致を掲げ、古書を読むことになる。 | この時節にはもちろん文言を重んじ、文袋を振り回し、雅致を掲げ、古書を読むことになる。 | ||
| − | |||
もし小家の子弟であれば、外でどんなに大嵐が吹こうとも、やはり勇往邁進し、命懸けで足掻かねばならぬ。安穏な古巣に帰る所がなく、前に進むしかないからだ。家を成し業を立てた後には、家譜を修め祠堂を造り、堂々と旧家の子弟を自任するかもしれぬが、それは畢竟後の話だ。もし旧家の子弟であれば、雄を誇り、珍しがり、時流に乗り、飯を食うために、もちろん外に出ないでもないが、しかしわずかな成功あるいはわずかな挫折だけで、たちまち退縮させられる。この縮みようがまた小さくなく、そのまま家に退き、さらに悪いことにその家は古い破れた大屋敷なのだ。 | もし小家の子弟であれば、外でどんなに大嵐が吹こうとも、やはり勇往邁進し、命懸けで足掻かねばならぬ。安穏な古巣に帰る所がなく、前に進むしかないからだ。家を成し業を立てた後には、家譜を修め祠堂を造り、堂々と旧家の子弟を自任するかもしれぬが、それは畢竟後の話だ。もし旧家の子弟であれば、雄を誇り、珍しがり、時流に乗り、飯を食うために、もちろん外に出ないでもないが、しかしわずかな成功あるいはわずかな挫折だけで、たちまち退縮させられる。この縮みようがまた小さくなく、そのまま家に退き、さらに悪いことにその家は古い破れた大屋敷なのだ。 | ||
| − | |||
この大屋敷には蔵の古い品物があり、壁隅の埃があり、一時にはとても運び出せぬ。もし坐食の余暇があれば、東を探り西を漁り、古書を修め、古壺を磨き、家譜を読み、祖先の徳を偲んで歳月を消磨できる。もし窮極無聊であれば、なおさら古書を修め、古壺を磨き、家譜を読み、祖先の徳を偲び、ひいては汚い壁の根元をひっくり返し、空虚な引き出しを開け、自分でも何だか分からぬ宝物を発見して、この手の施しようのない貧窮を救おうとする。この二種の人、小康と窮乏は異なり、悠閑と急迫は異なり、ゆえに結末の緩急も異なるが、しかしこの時節には、ともにまさに古董の中で暮らしを立てている。ゆえにその主張と行為は異ならず、声勢も浩大に見えるのだ。 | この大屋敷には蔵の古い品物があり、壁隅の埃があり、一時にはとても運び出せぬ。もし坐食の余暇があれば、東を探り西を漁り、古書を修め、古壺を磨き、家譜を読み、祖先の徳を偲んで歳月を消磨できる。もし窮極無聊であれば、なおさら古書を修め、古壺を磨き、家譜を読み、祖先の徳を偲び、ひいては汚い壁の根元をひっくり返し、空虚な引き出しを開け、自分でも何だか分からぬ宝物を発見して、この手の施しようのない貧窮を救おうとする。この二種の人、小康と窮乏は異なり、悠閑と急迫は異なり、ゆえに結末の緩急も異なるが、しかしこの時節には、ともにまさに古董の中で暮らしを立てている。ゆえにその主張と行為は異ならず、声勢も浩大に見えるのだ。 | ||
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そこでまた一部の青年にも影響が及び、古董の中にまことに自分の救い主を見つけられると信じるようになる。小康者を見れば、こんなに閑適だ。急迫者を見れば、こんなに専精だ。これには道理がないはずがない。真似する者が出るのは当然だ。しかし時光もまた決して容赦せず、彼は遂に空虚を得るであろう。急迫者にとっては妄想であり、小康者にとっては冗談だ。主張者にもし特操も灼見もなければ、古董を香案の上に供えるべきだと言おうが厠に投げ込めと言おうが、実は皆ただ一時の自欺欺人の任務を果たしているだけで、先例を求めれば至る所にある。 | そこでまた一部の青年にも影響が及び、古董の中にまことに自分の救い主を見つけられると信じるようになる。小康者を見れば、こんなに閑適だ。急迫者を見れば、こんなに専精だ。これには道理がないはずがない。真似する者が出るのは当然だ。しかし時光もまた決して容赦せず、彼は遂に空虚を得るであろう。急迫者にとっては妄想であり、小康者にとっては冗談だ。主張者にもし特操も灼見もなければ、古董を香案の上に供えるべきだと言おうが厠に投げ込めと言おうが、実は皆ただ一時の自欺欺人の任務を果たしているだけで、先例を求めれば至る所にある。 | ||
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(六月二十三日。) | (六月二十三日。) | ||
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【重訳を論ず 史賁 】 | 【重訳を論ず 史賁 】 | ||
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穆木天先生は二十一日の「火炬」で、作家が無聊な遊記の類を書くことに反対し、中国にギリシア・ローマから現代に至る文学の名作を紹介する方がましだとした。これは甚だ切実な忠告だと私は思う。しかし彼は十九日の「自由談」では間接翻訳に反対し、「一種のずるいやり方だ」と言った。もっとも恕すべき条件もいくつか付してはいたが。これは後の発言と矛盾しており、また誤解を招きやすいので、一言述べたいと思う。 | 穆木天先生は二十一日の「火炬」で、作家が無聊な遊記の類を書くことに反対し、中国にギリシア・ローマから現代に至る文学の名作を紹介する方がましだとした。これは甚だ切実な忠告だと私は思う。しかし彼は十九日の「自由談」では間接翻訳に反対し、「一種のずるいやり方だ」と言った。もっとも恕すべき条件もいくつか付してはいたが。これは後の発言と矛盾しており、また誤解を招きやすいので、一言述べたいと思う。 | ||
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重訳は確かに直接訳より容易だ。まず、原文が訳者をして我が力の及ばざるを恥じさせ、敢えて筆を執らせぬという長所の若干部分が、先に原訳者によって消去されている。訳文は大抵原文に及ばぬもので、中国の粤語を京語に、あるいは京語を滬語に訳すだけでも、なかなか適切にはいかぬ。重訳においては、原文の長所に対する躊躇が減ずる。次に、難解な箇所に忠実な訳者はしばしば注解を付しており、一目瞭然たりうるが、原書にはかえってないこともある。しかしこのため、直接訳が誤りで間接訳が正しいということも時にあるのだ。 | 重訳は確かに直接訳より容易だ。まず、原文が訳者をして我が力の及ばざるを恥じさせ、敢えて筆を執らせぬという長所の若干部分が、先に原訳者によって消去されている。訳文は大抵原文に及ばぬもので、中国の粤語を京語に、あるいは京語を滬語に訳すだけでも、なかなか適切にはいかぬ。重訳においては、原文の長所に対する躊躇が減ずる。次に、難解な箇所に忠実な訳者はしばしば注解を付しており、一目瞭然たりうるが、原書にはかえってないこともある。しかしこのため、直接訳が誤りで間接訳が正しいということも時にあるのだ。 | ||
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ある国の言葉を解するならばその国の文学を訳すのが最善だという主張は、断じて誤りでない。しかしもしそうであれば、中国にギリシア・ローマから現代に至る文学名作の訳本は望み難くなる。中国人が解する外国語は、おそらく英語が最も多く、日本語がこれに次ぐ。もし重訳をせねば、我々は英米と日本の文学作品ばかりを見ることになり、イプセンもなく、イバーニエスもなく、極めて通行するアンデルセンの童話やセルバンテスの『ドン・キホーテ』すら見ることができぬ。何と哀れな視野であろうか。もちろん中国にデンマーク語、ノルウェー語、スペイン語に精通する人がいないわけではないが、しかし彼らは今に至るまで訳していない。我々が今持っているものはすべて英語からの重訳だ。ソ連の作品すら大抵は英仏語からの重訳なのだ。 | ある国の言葉を解するならばその国の文学を訳すのが最善だという主張は、断じて誤りでない。しかしもしそうであれば、中国にギリシア・ローマから現代に至る文学名作の訳本は望み難くなる。中国人が解する外国語は、おそらく英語が最も多く、日本語がこれに次ぐ。もし重訳をせねば、我々は英米と日本の文学作品ばかりを見ることになり、イプセンもなく、イバーニエスもなく、極めて通行するアンデルセンの童話やセルバンテスの『ドン・キホーテ』すら見ることができぬ。何と哀れな視野であろうか。もちろん中国にデンマーク語、ノルウェー語、スペイン語に精通する人がいないわけではないが、しかし彼らは今に至るまで訳していない。我々が今持っているものはすべて英語からの重訳だ。ソ連の作品すら大抵は英仏語からの重訳なのだ。 | ||
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ゆえに私は思う。翻訳に対しては、今はまだ厳峻な堡塁を必要としないようだ。最も肝心なのは訳文の良否を見ることで、直接訳か間接訳かは重んずるに及ばず、投機かどうかも詮索するに及ばない。原訳文に深く通じた時流に乗る者の重訳本は、時として原文をあまり解さぬ忠実者の直接訳本より優れることがある。日本の改造社訳の『ゴーリキー全集』は、かつて一部の革命家に投機だと斥けられたが、革命家の訳本が出ると、かえって前者の優良さが際立ったのだ。ただしもう一つ条件を付さねばならぬ。原訳文にあまり通じぬ時流に乗る者の速成訳本は、これはまことに恕し難い。 | ゆえに私は思う。翻訳に対しては、今はまだ厳峻な堡塁を必要としないようだ。最も肝心なのは訳文の良否を見ることで、直接訳か間接訳かは重んずるに及ばず、投機かどうかも詮索するに及ばない。原訳文に深く通じた時流に乗る者の重訳本は、時として原文をあまり解さぬ忠実者の直接訳本より優れることがある。日本の改造社訳の『ゴーリキー全集』は、かつて一部の革命家に投機だと斥けられたが、革命家の訳本が出ると、かえって前者の優良さが際立ったのだ。ただしもう一つ条件を付さねばならぬ。原訳文にあまり通じぬ時流に乗る者の速成訳本は、これはまことに恕し難い。 | ||
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将来各種の名作に直接訳本が出れば、その時こそ重訳本が淘汰されるべき時だ。しかしその訳本は旧訳本より優れていなければならず、ただ「直接翻訳」を護身の盾にすることはできぬ。 | 将来各種の名作に直接訳本が出れば、その時こそ重訳本が淘汰されるべき時だ。しかしその訳本は旧訳本より優れていなければならず、ただ「直接翻訳」を護身の盾にすることはできぬ。 | ||
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(六月二十四日。) | (六月二十四日。) | ||
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【再び重訳を論ず 史賁 】 | 【再び重訳を論ず 史賁 】 | ||
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穆木天先生の「重訳その他を論ず」下篇の末尾を見て、私の誤解を解こうとしていることが初めて分かった。しかし特に誤解はなかったと思う。異なる点は、ただ軽重を逆にしたことで、私は先ず成果の良否を見るべきで、訳文が直接か間接か、また訳者の動機がいかなるものかは問わぬと主張するのだ。 | 穆木天先生の「重訳その他を論ず」下篇の末尾を見て、私の誤解を解こうとしていることが初めて分かった。しかし特に誤解はなかったと思う。異なる点は、ただ軽重を逆にしたことで、私は先ず成果の良否を見るべきで、訳文が直接か間接か、また訳者の動機がいかなるものかは問わぬと主張するのだ。 | ||
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木天先生は訳者に「自知」を求め、自分の長所を用いて「一労永逸」の書を訳せと言う。さもなくば手を出さぬ方がよい、と。つまり荊棘を植えるくらいなら白地を残しておき、別のよい庭師に永く鑑賞に堪える佳花を植えさせよということだ。しかし「一労永逸」という言葉はあるが、「一労永逸」の事は甚だ少なく、文字について言えば、中国のこの方塊字は決して「一労永逸」の符号ではない。しかも白地を永久に保つことは決してできず、空き地があれば荊棘か雀麦が生える。最も肝心なのは誰かが処理に来ることだ。培植するか、削除するかして、翻訳界をいくらか蕪雑から免れしめる。これが批評なのだ。 | 木天先生は訳者に「自知」を求め、自分の長所を用いて「一労永逸」の書を訳せと言う。さもなくば手を出さぬ方がよい、と。つまり荊棘を植えるくらいなら白地を残しておき、別のよい庭師に永く鑑賞に堪える佳花を植えさせよということだ。しかし「一労永逸」という言葉はあるが、「一労永逸」の事は甚だ少なく、文字について言えば、中国のこの方塊字は決して「一労永逸」の符号ではない。しかも白地を永久に保つことは決してできず、空き地があれば荊棘か雀麦が生える。最も肝心なのは誰かが処理に来ることだ。培植するか、削除するかして、翻訳界をいくらか蕪雑から免れしめる。これが批評なのだ。 | ||
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しかるに我々は古来翻訳を軽んじてきた。殊に重訳を。創作に対しては批評家がまだしも時々口を開くが、翻訳となると、数年前にはまだ誤訳を指摘する文章がたまにあったが、近頃は甚だ稀になった。重訳に対してはさらに少ない。しかし仕事の上では、翻訳の批評は創作の批評より難しい。原文を見るには訳者以上の功力が必要なだけでなく、作品にも訳者以上の理解が必要だ。木天先生の言うように、重訳には数種の訳本が参考にでき、これは訳者には甚だ便利だ。甲の訳本が疑わしい時に乙の訳本を参看できるからだ。直接訳はそうはいかず、分からぬ箇所があれば手の施しようがない。世にはわざわざ異なる文章を用いて、一句一句意味の同じ二つの作品を書く著者はいないのだから。重訳の書が多い理由の一つはこれかもしれぬ。怠惰と言ってもよいが、おおむねやはり語学力の不足のためであろう。各本を参酌して成った訳本に出会うと、批評はいっそう難しく、少なくとも各種の原訳本を読めなければならぬ。陳源訳の『父と子』、魯迅訳の『壊滅』などは、皆このたぐいに属する。 | しかるに我々は古来翻訳を軽んじてきた。殊に重訳を。創作に対しては批評家がまだしも時々口を開くが、翻訳となると、数年前にはまだ誤訳を指摘する文章がたまにあったが、近頃は甚だ稀になった。重訳に対してはさらに少ない。しかし仕事の上では、翻訳の批評は創作の批評より難しい。原文を見るには訳者以上の功力が必要なだけでなく、作品にも訳者以上の理解が必要だ。木天先生の言うように、重訳には数種の訳本が参考にでき、これは訳者には甚だ便利だ。甲の訳本が疑わしい時に乙の訳本を参看できるからだ。直接訳はそうはいかず、分からぬ箇所があれば手の施しようがない。世にはわざわざ異なる文章を用いて、一句一句意味の同じ二つの作品を書く著者はいないのだから。重訳の書が多い理由の一つはこれかもしれぬ。怠惰と言ってもよいが、おおむねやはり語学力の不足のためであろう。各本を参酌して成った訳本に出会うと、批評はいっそう難しく、少なくとも各種の原訳本を読めなければならぬ。陳源訳の『父と子』、魯迅訳の『壊滅』などは、皆このたぐいに属する。 | ||
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翻訳の道は広くし、批評の仕事を重視すべきだと私は思う。もしただ論を極めて厳しくし、訳者自身に慎重ならしめようとするだけなら、かえって逆の結果を得るだろう。良い者は慎重になるが、乱訳者は依然として乱訳し、この時悪い訳本はまだましな訳本より多くなるのだ。 | 翻訳の道は広くし、批評の仕事を重視すべきだと私は思う。もしただ論を極めて厳しくし、訳者自身に慎重ならしめようとするだけなら、かえって逆の結果を得るだろう。良い者は慎重になるが、乱訳者は依然として乱訳し、この時悪い訳本はまだましな訳本より多くなるのだ。 | ||
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最後にさほど重要でない数言を付す。木天先生は重訳を疑うあまり、ドイツ語訳本を見た後に、自分が訳した『タシケント』まで、フランス語原訳本は節本であると断じた。しかし実はそうではない。ドイツ語訳本は確かに厚いが、二つの小説が合冊されているからで、後半の大部分はセラフィモーヴィチの『鉄の流れ』なのだ。ゆえに我々が持っている漢訳『タシケント』も節本ではない。 | 最後にさほど重要でない数言を付す。木天先生は重訳を疑うあまり、ドイツ語訳本を見た後に、自分が訳した『タシケント』まで、フランス語原訳本は節本であると断じた。しかし実はそうではない。ドイツ語訳本は確かに厚いが、二つの小説が合冊されているからで、後半の大部分はセラフィモーヴィチの『鉄の流れ』なのだ。ゆえに我々が持っている漢訳『タシケント』も節本ではない。 | ||
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(七月三日。) | (七月三日。) | ||
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【「徹底」の底 公汗 】 | 【「徹底」の底 公汗 】 | ||
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今や一人の人の立論に対して、もしそれを「高超」と言えば、論者の反感を招く恐れがあろう。しかしもしそれを「徹底」だ、「非常に前進的」だと言えば、まだ何の障りもないようだ。 | 今や一人の人の立論に対して、もしそれを「高超」と言えば、論者の反感を招く恐れがあろう。しかしもしそれを「徹底」だ、「非常に前進的」だと言えば、まだ何の障りもないようだ。 | ||
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今やまさに「徹底」で「非常に前進的」な議論が「高超」な議論に取って代わった時なのだ。 | 今やまさに「徹底」で「非常に前進的」な議論が「高超」な議論に取って代わった時なのだ。 | ||
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文芸には本来いずれも対象の界限がある。例えば文学は元来文字を解する読者を対象としており、文字を解する程度には差異があるから、文章に深浅があるのは当然だ。そして文字は平易に、文章は明白にすべきだという主張も、やはり作者の本分だ。しかるにこの時「徹底」論者が立ち上がって言う。中国には多くの文盲がいるが、それをどうするのかと。これはまことに文学者に対する当頭の一棒であり、たちまち悶死して見せるしかない。 | 文芸には本来いずれも対象の界限がある。例えば文学は元来文字を解する読者を対象としており、文字を解する程度には差異があるから、文章に深浅があるのは当然だ。そして文字は平易に、文章は明白にすべきだという主張も、やはり作者の本分だ。しかるにこの時「徹底」論者が立ち上がって言う。中国には多くの文盲がいるが、それをどうするのかと。これはまことに文学者に対する当頭の一棒であり、たちまち悶死して見せるしかない。 | ||
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ただしもう一隊の救兵を招くことはできる。すなわち弁解だ。なぜなら文盲はすでに文学の作用の範囲の外にあるのだから、この時は画家、演劇家、映画作家に出馬を請い、文字以外の形象的なものを見せるしかない。しかしこれでもまだ「徹底」論者の口を塞ぐには足りず、彼は文盲の中にはさらに色盲がおり、盲人がいる、どうするのかと言う。かくて芸術家たちも当頭の一棒を食らい、たちまち悶死して見せるしかない。 | ただしもう一隊の救兵を招くことはできる。すなわち弁解だ。なぜなら文盲はすでに文学の作用の範囲の外にあるのだから、この時は画家、演劇家、映画作家に出馬を請い、文字以外の形象的なものを見せるしかない。しかしこれでもまだ「徹底」論者の口を塞ぐには足りず、彼は文盲の中にはさらに色盲がおり、盲人がいる、どうするのかと言う。かくて芸術家たちも当頭の一棒を食らい、たちまち悶死して見せるしかない。 | ||
| − | |||
では最後のあがきとして、色盲・盲人の類には講演・歌唱・講談を用いると言おう。それはそれで言えなくもない。しかるに彼は問う。まさか中国にはさらに聾者がいることを忘れたわけではあるまい。 | では最後のあがきとして、色盲・盲人の類には講演・歌唱・講談を用いると言おう。それはそれで言えなくもない。しかるに彼は問う。まさか中国にはさらに聾者がいることを忘れたわけではあるまい。 | ||
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またぞ当頭の一棒。悶死。皆悶死だ。 | またぞ当頭の一棒。悶死。皆悶死だ。 | ||
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かくて「徹底」論者は一つの結論を得た。今の一切の文芸はすべて無用であり、徹底的に改革せねばならぬ、と。 | かくて「徹底」論者は一つの結論を得た。今の一切の文芸はすべて無用であり、徹底的に改革せねばならぬ、と。 | ||
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=== 第7節 === | === 第7節 === | ||
彼はこの結論を定めた後、どこへ行ってしまったか分からない。誰が「徹底的に」改革するのか? それは当然、文芸家だ。しかし文芸家にもまた「徹底的」でない者が多く、かくして中国にはいつまでも、文盲にも色盲にも盲人にも聾者にも、すべてに効く――「徹底的」な良い文芸がないのだ。 | 彼はこの結論を定めた後、どこへ行ってしまったか分からない。誰が「徹底的に」改革するのか? それは当然、文芸家だ。しかし文芸家にもまた「徹底的」でない者が多く、かくして中国にはいつまでも、文盲にも色盲にも盲人にも聾者にも、すべてに効く――「徹底的」な良い文芸がないのだ。 | ||
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だが「徹底」論者は時に首を出しては文芸家を一喝する。 | だが「徹底」論者は時に首を出しては文芸家を一喝する。 | ||
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文芸に携わる者が、このような大人物に出くわした時にその鬼面を剥ぎ取れなければ、文芸は前進しないのみか、萎縮するばかりで、ついには彼に消滅させられるだろう。切実な文芸家は、この種の「徹底」論者の正体を見極めねばならない! | 文芸に携わる者が、このような大人物に出くわした時にその鬼面を剥ぎ取れなければ、文芸は前進しないのみか、萎縮するばかりで、ついには彼に消滅させられるだろう。切実な文芸家は、この種の「徹底」論者の正体を見極めねばならない! | ||
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(七月八日。) | (七月八日。) | ||
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【蝉の世界 鄧当世 】 | 【蝉の世界 鄧当世 】 | ||
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中国の学者たちは、あらゆる智識は必ず聖賢から、あるいは少なくとも学者の口から出るものと考えていることが多く、火や薬草の発明・利用さえも民衆とは無縁で、すべて古代の聖王が一手に引き受けたことになっている。燧人氏、神農氏と。だから「一切の智識は必ず動物の口から出ると言わんばかりだが、これまた奇なるかな」と言う人がいるのも、まったく不思議ではない。 | 中国の学者たちは、あらゆる智識は必ず聖賢から、あるいは少なくとも学者の口から出るものと考えていることが多く、火や薬草の発明・利用さえも民衆とは無縁で、すべて古代の聖王が一手に引き受けたことになっている。燧人氏、神農氏と。だから「一切の智識は必ず動物の口から出ると言わんばかりだが、これまた奇なるかな」と言う人がいるのも、まったく不思議ではない。 | ||
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しかも「動物の口から出た」智識は、我が中国では、しばしば真の智識ではない。暑くてたまらず、窓という窓が開け放たれると、無線ラジオを備えた家はことごとく音波を街頭に放ち、「民と同じく楽しむ」。ああだこうだ、歌って歌って。外国は知らないが、中国の放送は朝から夜まで歌が流れ、一方では甲高く、一方ではしわがれ、その気になれば耳の休まる暇が一刻もない。同時に扇風機を回し、アイスクリームを食べる。「水位大いに上昇」「旱魃すでに成る」の地方とは毫も関係なく、窓の外で油汗を流しながら終日あくせく暮らしている人々の世界とも、まったく別世界なのだ。 | しかも「動物の口から出た」智識は、我が中国では、しばしば真の智識ではない。暑くてたまらず、窓という窓が開け放たれると、無線ラジオを備えた家はことごとく音波を街頭に放ち、「民と同じく楽しむ」。ああだこうだ、歌って歌って。外国は知らないが、中国の放送は朝から夜まで歌が流れ、一方では甲高く、一方ではしわがれ、その気になれば耳の休まる暇が一刻もない。同時に扇風機を回し、アイスクリームを食べる。「水位大いに上昇」「旱魃すでに成る」の地方とは毫も関係なく、窓の外で油汗を流しながら終日あくせく暮らしている人々の世界とも、まったく別世界なのだ。 | ||
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ああだこうだと朗々たる歌声の中で、私はふとフランスの詩人ラ・フォンテーヌの有名な寓話「蝉と蟻」を思い出した。同じく火のような太陽の夏、蟻は地面で辛苦して働き、蝉は枝頭で高らかに鳴きながら、蟻を俗だと笑いさえする。ところが秋風が来て、ひんやりと日に日に涼しくなると、蝉は衣もなく食もなく、浮浪者と化し、早くから備えていた蟻に一通り説教されてしまう。これは私が小学校で「教育を受けていた」頃、先生が聞かせてくれた話だ。あの時はひどく感動したらしく、今でも時々思い出す。 | ああだこうだと朗々たる歌声の中で、私はふとフランスの詩人ラ・フォンテーヌの有名な寓話「蝉と蟻」を思い出した。同じく火のような太陽の夏、蟻は地面で辛苦して働き、蝉は枝頭で高らかに鳴きながら、蟻を俗だと笑いさえする。ところが秋風が来て、ひんやりと日に日に涼しくなると、蝉は衣もなく食もなく、浮浪者と化し、早くから備えていた蟻に一通り説教されてしまう。これは私が小学校で「教育を受けていた」頃、先生が聞かせてくれた話だ。あの時はひどく感動したらしく、今でも時々思い出す。 | ||
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だが、覚えてはいるものの、「卒業即失業」の教訓のために、考えは蟻とだいぶ違ってしまった。秋風は間もなく来るし、日に日に涼しくもなるだろう。しかしその時に衣食に窮するのは、恐らくまさに今油汗を流している人々の方で、洋館の周囲は確かに静まり返るだろうが、それは窓を固く閉め、音波もろとも暖炉の温気を中に留めたからで、遥かにあの中を想像すれば、おそらくやはり相変わらず、ああだこうだと「ありがとう、小雨さん」が流れているだろう。 | だが、覚えてはいるものの、「卒業即失業」の教訓のために、考えは蟻とだいぶ違ってしまった。秋風は間もなく来るし、日に日に涼しくもなるだろう。しかしその時に衣食に窮するのは、恐らくまさに今油汗を流している人々の方で、洋館の周囲は確かに静まり返るだろうが、それは窓を固く閉め、音波もろとも暖炉の温気を中に留めたからで、遥かにあの中を想像すれば、おそらくやはり相変わらず、ああだこうだと「ありがとう、小雨さん」が流れているだろう。 | ||
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「動物の口から出た」智識は、我が中国では往々にして通用しないではないか? | 「動物の口から出た」智識は、我が中国では往々にして通用しないではないか? | ||
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中国には中国の聖賢と学者がいる。「心を労する者は人を治め、力を労する者は人に治めらる。人に治めらるる者は人を食(やしな)い、人を治むる者は人に食われる」と、なんと簡潔明瞭に言い切ったことか。もし先生が早くにこれを教えてくれていたら、私も上のような感想を抱き、紙と筆の無駄をすることもなかったろう。これもまた中国人が中国の古書を読まねばならぬことの好い証拠だ。 | 中国には中国の聖賢と学者がいる。「心を労する者は人を治め、力を労する者は人に治めらる。人に治めらるる者は人を食(やしな)い、人を治むる者は人に食われる」と、なんと簡潔明瞭に言い切ったことか。もし先生が早くにこれを教えてくれていたら、私も上のような感想を抱き、紙と筆の無駄をすることもなかったろう。これもまた中国人が中国の古書を読まねばならぬことの好い証拠だ。 | ||
| + | (七月八日。) | ||
| + | 【勘定 莫朕 】 | ||
| + | 清代の学術の話になると、何人かの学者は決まって眉を輝かせ、あの発達は前代に類がないと言う。証拠もまことに十二分だ。経典の注解は層出不窮、小学(音韻訓詁)も非常に進歩し、史論家こそ絶滅したが、考史家は少なくない。とりわけ考証学は、宋・明人が決して読み解けなかった古書を我々に明らかにしてくれた…… | ||
| − | + | だが言い出すとまた躊躇が出て、英雄殿に私はユダヤ人だと指定されはしないかと心配になるが、実際にはそうではない。私は学者が清代の学術を語るのに出くわすたび、いつも同時にこう思わずにはいられない。「揚州十日」「嘉定三屠」といった小事は持ち出さないにしても、全国の国土を失い、みんな丸々二百五十年奴隷であったのに、引き換えに得たのがこの数頁の輝かしい学術史。この取引は結局、儲かったのか損をしたのか? | |
| + | 残念ながら私は数学者ではないので、結局はっきりしなかった。だが直感では、恐らく損をしたのだろうと思う。庚子の賠償金で限られた数人の学者を養成するよりも、はるかに大きな損失だ。 | ||
| + | だがこれはおそらくまた俗論にすぎまい。学者の見解は得失を超越している。得失を超越していると言いながらも、利害の大小の弁別がまったく無いわけでもないらしい。孔子を尊ぶことこそ最大にして、儒を崇めることこそ最要。だから孔子を尊び儒を崇めさえすれば、いかなる新朝にも首を垂れて差し支えない。新朝に対する言い方は「反って来て中国民族の心を征服する」というのだ。 | ||
| + | そしてこの中国民族の心の一部は、実に徹底的に征服されていて、今に至るもなお、兵燹・疫病・水旱・風蝗と引き換えに、孔廟の重修、雷峰塔の再建、男女同行の禁忌、四庫珍本の発行といった大看板を手に入れている。 | ||
| + | 私とて、災害は一時的なもので、記録がなければ翌年には誰も口にしなくなることは承知しているし、輝かしい事業は永久のものだということも知っている。しかしどうしたわけか、私はユダヤ人ではないのに、損益の話をしたがるところがあり、みんなでこれまで誰も持ち出さなかったこの帳簿を算えてみたいと思う。――しかも、今がまさにその時なのだ。 | ||
| + | (七月十七日。) | ||
| + | 【水の性 公汗 】 | ||
| − | + | 暑い日が二十日近くも続き、上海の新聞を見ると、ほぼ毎日のように川に入って水浴びし、溺死した者の記事がある。水辺の村ではめったに見ないことだ。 | |
| + | 水辺の村は水が多く、水についての知識が多く、泳げる者も多い。泳げなければ、軽々しく水に入ったりはしない。この泳ぐ技能を、俗に「水性を識る」と言う。 | ||
| + | この「水性を識る」を、もし「買弁」式の白話で、やや詳しく説明するなら――第一に、火が人を焼き殺せるように、水も人を溺れさせ得ると知ること。だが水の姿は柔和で、親しみやすく見え、それゆえ騙されやすい。第二に、水は人を溺れさせ得るが、人を浮かせることもできると知り、その操縦法を工夫し、もっぱら人を浮かせるこの面を利用すること。第三に、その操縦法を会得すること。この法を熟達すれば、「水性を識る」ことは完全に成就する。 | ||
| + | だが都会の人々は、泳げないだけでなく、水が人を溺れさせ得ることさえ忘れてしまっているかのようだ。平素は何の準備もなく、その場になっても水の深浅を先に測ることもせず、暑さに耐えかねると服を脱いでざぶんと飛び込み、不幸にして深い所に当たれば、当然死ぬ。しかも私が感じるに、その時に救助しようとする者は、都会では田舎よりも少ないようだ。 | ||
| − | + | だが都会の人間を救うのはおそらくより難しい。救う者が必ず「水性を識る」必要があるのはもちろんだが、救われる者もそれなりに「水性を識る」必要があるからだ。全く力を入れず、救助者に顎を支えてもらいながら浅い所へ浮いていかなければならない。もし焦りすぎて、必死に救助者の体によじ登ろうとすれば、救助者が上手でなければ、自分ごと沈むしかない。 | |
| + | だから私は思う、川に入るなら、まず泳ぎを少し習っておくのが一番だ。何も公園のプールでなくても、川の浅瀬のそばでよい。ただし熟練者の指導が必要だ。次に、もしさまざまな事情で泳ぎを習えないなら、竹竿でまず川の深浅を探り、浅い所でお茶を濁すこと。あるいは最も安全なのは水を汲んで、川岸でさっと浴びるだけにすること。そして最も肝心なのは、水には泳げない者を溺れさせる性質があると知り、しかもしっかりと記憶しておくことだ! | ||
| − | + | 今さらこんな常識を宣伝しようとは、気が触れたか、あるいは「花罫」の原稿料目当てに見えるかもしれないが、事実はまったくそうでないことを証明している。多くの事は、前衛の批評家に気に入られようとして、目を閉じて豪語していればよいというものではないのだ。 | |
| + | (七月十七日。) | ||
| − | + | 【冗談は冗談として(上) 康伯度 】 | |
| + | 思いがけず劉半農先生が突然病死された。学術界からまた一人減った。これは惜しむべきことだ。しかし私は音韻学には全くの門外漢で、毀誉いずれについても一言を呈する資格がない。私がこれによって思い出すのは別のこと、すなわち現在の白話が「揚棄」もしくは「唾棄」される前に、彼は早くから当時の白話、とりわけ欧化式の白話に対する偉大な「迎撃者」であったということだ。 | ||
| − | + | 彼にはかつて、極めて容易にして極めて力ある妙文があった。 | |
| + | 「私は今一つ簡単な例を挙げる。 | ||
| − | + | === 第8節 === | |
| + | 先生は自分で鏡を見ず、知らず知らずのうちに、自分自身もまた欧化語法を使い、鬼子の名詞を使う人であることを証明してしまった。だが私が見るに、先生は決して「西洋人の侵略のために張り目をする急先鋒(漢奸)」ではないから、これによって私もまたその一味でないことを証明したい。さもなければ、先生は狗血を含んで人に吹きかけ、先に自分の尊い口を汚すことになる。 | ||
| − | + | 思うに、事を論じるのに威嚇や誣陷は無用である。筆を持つ者が、出だしからかんしゃくを起こして私の命を取ろうとするとは、なおさら滑稽千万だ。先生にはもう少し落ち着いて、静かにもう一度自分の手紙を読み直し、自分自身のことを考えていただきたい。いかがだろうか。 | |
| + | 右、ご返事申し上げ、併せて | ||
| + | 暑中のご安泰をお祈りする。 | ||
| + | 弟 康伯度 脱帽敬礼す。八月五日。 | ||
| − | + | (八月七日、『申報・自由談』) | |
| + | 【冗談は冗談として(下) 康伯度 】 | ||
| + | 白話を討伐するもう一つの生力軍は、林語堂先生である。彼が討伐するのは白話の「かえって分かりにくい」ことではなく、白話の「くどくど」しさで、劉先生のような白話を「素朴に返す」意図すら全くなく、意を通じるには「語録式」(白話的な文言)しかないという。 | ||
| + | 林先生が白話の武装で登場した時、文言と白話の闘争はとうに過去のものであり、劉先生のように自ら混戦をくぐった過来人ではなく、したがって旧日を偲び末流を慨嘆する情緒もない。彼がさっと宋明の語録を「幽默(ユーモア)」の旗の下に据えたのは、もとより極めて自然なことだ。 | ||
| + | この「幽默」が『論語』四十五号の「一枚の書き付けの書き方」だ。彼は大工にパテを少々もらおうとして語録体の書き付けを書いたが、「白話に反対する」と言われるのを恐れて、白話体、選体、桐城派体の三種に書き直した。しかしいずれも滑稽で、結局は「書僮」に口頭で伝えさせ、大工からパテをもらった。 | ||
| + | 『論語』は流行の刊物であるから、ここでは煩を省いて転載しない。要するに、可笑しくないのは語録式の一枚だけで、他の三種はすべて使い物にならない。だがこの四つの異なる役柄は、実はみな林先生一人が演じ分けたもので、一つは正生すなわち「語録式」、他の三つはいずれも道化で、自ら鬼面を装い怪相を作り、正生を一段と立派に引き立てたのだ。 | ||
| + | しかしこれはもはや「幽默」ではなく「悪ふざけ」であって、市井で壁に亀を描き、背中に嫌いな者の名前を書くのと同じ戦法で、さして違いはない。ただし、見た人はえてして是非を問わず、描かれた側をくすくす笑う。 | ||
| − | + | 「幽默」であれ「悪ふざけ」であれ、結果を生むのであって、その意を心得た上で「悪ふざけ」と見なすのでなければ。 | |
| + | なぜなら事実は文章の通りにはいかないからだ。例えばこの語録式の書き付けだが、中国では実のところ種が途絶えたことがない。暇があれば上海の路地の入り口を覗いてみるとよい。時折そこに一つの台があり、一人の文人が座って、男女の工員のために代筆している。彼の用いる文章は林先生の擬した書き付けほど分かりやすくはないが、確かに「語録式」だ。これが今あらためて持ち出された語録派の末流なのだが、誰も彼の鼻を白く塗ったりはしない。 | ||
| + | これが一つの具体的な「幽默」だ。 | ||
| + | しかし「幽默」を鑑賞するのもまた難しい。私はかつて生理学から中国の尻叩き刑の合理性を証明したことがある。もし臀部が排泄や座るためだけのものなら、こんなに大きい必要はない。足の裏ははるかに小さいのに、全身を支えるに足りるではないか? 我々はもはや人を食べはしないのだから、肉もこんなに要らない。してみると、叩くための専用部位に違いない。これを人に話すと、大抵「幽默」だと思われる。だがもし叩かれた人がいたり、自分が叩かれたりしたら、その感じ方はこうはいくまい。 | ||
| − | + | 仕方がない。みんなが不愉快な時には、恐らく結局は「中国に幽默はない」ということになるのだろう。 | |
| + | (七月十八日。) | ||
| − | + | 【文章を作る 朔尔 】 | |
| + | 沈括の『夢渓筆談』に云う。「往歳、士人多くは対偶を尚んで文を為す。穆修・張景の輩、始めて平文を為し、当時これを『古文』と謂う。穆・張嘗て同じく朝に造り、旦を東華門外に待つ。方(まさ)に文を論ずる次(おり)、適(たま)たま奔馬あるを見る。一犬を踏み殺す。二人各々その事を記し、以て工拙を較ぶ。穆修曰く、『馬逸す。黄犬あり、蹄に遇うて斃(たお)る。』張景曰く、『犬あり、奔馬の下に死す。』時に文体新たに変じ、二人の語は皆拙渋なり。当時すでにこれを工と謂い、之を伝えて今に至る。」 | ||
| − | + | 駢文は後に起こったもので、唐虞三代は駢でなく、「平文」を「古文」と称するのはこの意味だ。これを推し広げれば、もし古代に言と文が本当に分かれていなかったなら、「白話文」を「古文」と称しても差し支えないようだが、林語堂先生の「白話の文言」という意味とはまた違う。二人の大作は拙渋であるばかりか、主旨からして異なり、穆は馬が犬を踏み殺したと言い、張は犬が馬に踏み殺されたと言っている。結局、馬に重点を置いたのか、犬に置いたのか? より明白で穏当なのは、沈括の何気ない文章「奔馬あり、一犬を踏み殺す」だ。 | |
| + | 古いものを倒そうとすれば力がいり、力を入れすぎると「作り」が出て、「作り」すぎると「生渋」どころか時に「喉に引っかかって出てこない」ことになり、すでに古人が円熟に「作り」上げた古いものよりもかえって劣る。しかも字数にも論旨にも制限のある「花罫文学」の類は、とりわけこの生渋病にかかりやすい。 | ||
| − | + | 作りすぎてはいけないが、作らないわけにもいかない。丸太一本と小枝四本で腰掛けを作るのは、今の時代にはいささか粗雑で、やはり鉋(かんな)をかけた方がよい。だが全体に彫刻を施し中をくり抜いてしまっては、座れなくなり腰掛けの体をなさない。ゴーリキーは言う、大衆語は荒削りで、加工されたものが文学だと。これは的を射た指摘だと思う。 | |
| + | (七月二十日。) | ||
| − | + | 【読書瑣記(一) 焉于 】 | |
| + | ゴーリキーはバルザック小説の会話描写の巧みさに感嘆し、人物の容貌を描かなくても、読者が会話を読んだだけで話し手たちの姿が目に浮かぶようだと言った。(八月号の『文学』所収「わが文学修養」) | ||
| − | + | 中国にはまだそれほどの手腕の小説家はいないが、『水滸伝』と『紅楼夢』の一部には、会話から人物が見えてくる箇所がある。実のところ、これは何も奇異なことではなく、上海の路地裏で小部屋を借りて住む者なら、しょっちゅう体験できる。周囲の住人とは必ずしも顔を合わせたことがないが、薄い板壁一枚しか隔てていないので、ある家の眷属や客の会話、とりわけ大声の会話は大略聞こえ、久しくすると、そこにどんな人がいるか分かり、しかもそれらの人がどんな人かまで、おぼろげに感じ取れるようになる。 | |
| + | もし不要な点を削除して、各人の特色ある会話だけを抜き出せば、他の人間にもその会話から一人一人の話し手の人物像を推し量らせることができるだろう。だが、これがすなわち中国のバルザックだと言っているのではない。 | ||
| − | + | 作者が会話で人物を表現する時、おそらく自身の心の中にはその人物の容姿が存在しており、それが読者に伝わって、読者の心の中にもその人物の容姿が形成される。だが読者が推測する人物は、必ずしも作者が想定したものと同じではなく、バルザックの小さな口髭の痩せた老人が、ゴーリキーの頭の中ではおそらく粗野で逞しい顎鬚の大男に変わっているだろう。もっとも性格や言動はきっと幾分か似通い、おおむね大差はない。ちょうどフランス語をロシア語に翻訳したようなものだ。そうでなければ、文学というものには普遍性がないことになる。 | |
| + | 文学には普遍性があるが、読者の体験の違いによって変化し、読者に類似の体験がなければ、効力を失う。例えば我々が『紅楼夢』を読み、文字から林黛玉の人物像を推察するとき、まず梅博士の「黛玉の花を埋む」の写真の先入観を排除して別の姿を想像しなければならない。そうすると、おそらく断髪でインド更紗のシャツを着た、やつれて寂しげなモダンガールか、あるいはまた別の何かを想像するだろうが、断定はできない。しかし三、四十年前に出版された『紅楼夢図詠』の類の画像と比べてみれば、きっとまるで違う。あちらに描かれているのは、あの時代の読者の心の中の林黛玉なのだ。 | ||
| + | 文学には普遍性があるが、限界がある。比較的永続するものもあるが、読者の社会的体験によって変化する。北極のエスキモーやアフリカ奥地の黒人には、「林黛玉型」は理解できまい。健全で合理的な良き社会の人々にも理解できないだろう。彼らはおそらく、我々が始皇帝の焚書や黄巣の殺戮の話を聞く以上に隔靴掻痒の思いをするだろう。一たび変化すれば、もはや永久ではない。文学だけは仙骨を持つと言うのは、夢見る人々の夢言にすぎない。 | ||
| + | (八月六日。) | ||
| − | + | 【読書瑣記(二) 焉于 】 | |
| + | 同じ時代、同じ国の中でも、言葉が通じ合わないことがある。 | ||
| + | バルビュスに「母国語と外国語」という大変興味深い短篇がある。フランスのある金持ちの家で、大戦で九死に一生を得た三人の兵士をもてなし、令嬢が出て来て挨拶したが、話すことがなく、やっとのことで数言を交わしたものの、彼らも返す言葉がなく、広い部屋に座っているだけで骨が痛むほど気を遣った。自分たちの「豚小屋」に戻ってやっと全身がほぐれ、笑い話も出て、しかもドイツ人捕虜の中から、手振りで「俺たちの言葉」を話す者を見つけ出した。 | ||
| + | この経験から一人の兵士は、ぼんやりとこう思った。「この世界には二つの世界がある。一つは戦争の世界。もう一つは、金庫の扉のような戸口、教会のように清潔な台所、きれいな家のある世界。まるで別世界だ。別の国だ。そこには、奇妙な考えを持つ外国人が住んでいる。」 | ||
| + | あの令嬢は後にある紳士にこう言った。「あの人たちとは話も通じないのです。あの人たちと私たちの間には、飛び越えられない深淵があるみたいで。」 | ||
| + | 実のところ、令嬢と兵士に限った話ではない。我々――「封建の残滓」でも「買弁」でも何でもいいが――も、ほとんど同類の人間と、ほんの少しどこかが違い、しかも口と心が一致していなければならないとなると、やはり往々にして話が途絶えてしまう。ただし我々中国人は賢いので、とうに万能薬を発明した者がいる。すなわち「いやあ今日は……ハハハ!」。宴席であれば拳遊びだけして、議論はしない。 | ||
| + | こう見てくると、文学が普遍にして永久であることは、実にいささか困難だ。「いやあ今日は……ハハハ!」は幾分か普遍ではあるが、永久かどうかは甚だ疑わしく、しかもあまり文学らしくもない。そこで高踏的な文学者は自ら一条の規則を定め、自分の「文学」の分からぬ人々をすべて「人類」の外に追い出し、以てその普遍性を保持する。文学には他にもいろいろな性質があるが、彼はそれを言い破ろうとしないので、この手段を使うしかないのだ。しかしこうなると、「文学」は存在するが、「人」は多くなくなってしまう。 | ||
| − | + | かくして、文学は高踏であればあるほど理解者は少なく、高踏の極に達すれば、その普遍性と永久性は作者一人に収斂する。ところが文学者はまた悲嘆して、血を吐いたと言う。これはまったく手の施しようがない。 | |
| + | (八月六日。) | ||
| + | 【時流と復古 康伯度 】 | ||
| + | 半農先生が世を去ると、朱湘、廬隠の両作家と同様、いくつかの刊物を大いに賑わせた。この賑わいがいつまで続くか、今のところ推測のしようがない。だがこの死は、あの二人よりもはるかに大きな作用を持つらしい。彼は間もなく復古の先賢に封じられ、その神位を以て「時流に迎合する」人々を打ちのめすのに使われかねない。 | ||
| − | + | この一撃は有力だ。彼は故人の名士であるばかりか、かつての新派であり、新を以て新を打つのは、毒を以て毒を制するに等しく、錆びた古董を持ち出すよりも勝る。ところが笑い話もまたこの中に伏兵として潜んでいる。なぜか? 半農先生がそもそも「時流に迎合する」ことで名を成した人だからだ。 | |
| + | 古の青年の心目に劉半農の三文字があったのは、彼が音韻学に長じていたからでも、打油詩をよく作ったからでもなく、鴛蝴派から飛び出し、王敬軒を罵倒し、「文学革命」陣営の戦闘者であったからだ。しかしその時の一部の人々は、彼を「時流への迎合」と貶した。時代はやはり幾分か前進するもので、歳月が流れてこの諡号は次第に洗い落とされ、自分も少し地位が上がると折り合いもつき、ついに晴れ晴れとした名士となった。だが「名が出れば人が恐れるは、豚が太れば殺されるが如し」で、彼はこの時、包みに入れて新たな「時流迎合」病を治す薬にされようとしていた。 | ||
| − | + | これは半農先生一人の苦境ではなく、先例はたっぷりある。広東の挙人はいくらでもいるのに、なぜ康有為だけがあれほど有名なのか。公車上書の首領であり、戊戌の政変の主役であったから――時流への迎合だ。留英学生も珍しくないのに、厳復の名がまだ消えていないのは、かつて真面目に何冊もの洋書を訳したから――時流への迎合だ。清末、朴学を治める者は太炎先生一人ではなかったのに、その名声が孫詒讓をはるかに凌ぐのは、種族革命を提唱し、時流に迎合し、しかも「造反」までしたからだ。後に「時」もまた「迎合」して追いつき、彼らは生ける純正な先賢となった。だが不運もまた尻にくっついて来る。康有為は永く復辟の祖師と定められ、袁大統領は厳復に勧進を頼み、孫伝芳大帥もまた太炎先生に投壺の遊びを請うた。もとは車を前に引く見事な腕前の持ち主で、脚は太く腕も逞しかった。今度もまた引いてくれと頼まれるが、引くには引いても、車の尻を後ろへ引くのだ。ここはやはり古文を使うしかあるまい。「嗚呼哀哉、尚饗(こいねがわくは饗(う)けたまへ)」。 | |
| + | 私は半農先生がかつて「時流に迎合した」ことを嘲笑しているのではない。ここで私が用いているのは、世間で言う「時流への迎合」の一部分、「先駆」の意味である。彼は自ら「没落」を認めたとはいえ、実際には戦い抜いてきた人だ。ただ彼を敬愛する人々が、この一点をもっと発揚し、手当たり次第に彼を自分の好む油や泥の中に引き込んで金看板にしなければよいのだ。 | ||
| + | (八月十三日。) | ||
| + | 【安貧楽道法 史贲 】 | ||
| − | + | 子供は他人に教えてもらうべきものであり、病気は他人に診てもらうべきものだ。たとえ自分が教員や医者であっても。だが処世の方法は、自分で斟酌するほかなく、他人が出してくれる多くの良方は、たいてい紙くずにすぎない。 | |
| + | 安貧楽道を説くのは古今の治国平天下の大方針で、処方箋も数多く出されてきたが、どれも十全大補の効能はなかった。そこで新しい処方箋も尽きることなく、最近また二種類を見たが、私が思うに、どちらもあまり妥当ではなさそうだ。 | ||
| − | + | 一つは、職業に対して興味を抱くよう教えるもので、興味さえあれば何事もこれを楽しんで倦まないという。もちろん、言えば道理だが、結局はやや軽い仕事でなければならない。石炭掘りや糞担ぎは言わずもがな、上海の工場で少なくとも毎日十時間働く工人は、夕方近くには必ず精根尽き果て、怪我は大抵その時間帯に起きる。「健全なる精神は、健全なる肉体に宿る」のに、自分の体も顧みられなくなって、どうして興味など持てようか?――興味が命よりも大事だというのでなければ。もし工人自身に尋ねたなら、きっと労働時間の短縮こそ望みだと答え、興味を湧かせる法など夢にも思いつくまい。 | |
| − | + | === 第9節 === | |
| + | もう一つは極めて徹底的で、こう言う。炎天に金持ちはなお社交に忙しく汗みどろだが、貧乏人は破れ筵を一枚抱えて路上に敷き、服を脱いで涼風を浴び、その楽しみは果てしない。これを「天下を席巻する」と言うのだと。これもまた稀に見る詩趣に富んだ処方箋だが、後には興覚めが控えている。もうすぐ秋が涼しくなるが、早朝に大通りを歩いてみると、腹を抱え黄色い水を吐いている者こそ、あの「天下を席巻」していた元の活き仙人たちだ。おそらく目の前の福をわざわざ享けない大馬鹿者は、世にそう多くはなく、もし極貧がそんなに楽しいなら、今の金持ちがまず大通りに寝そべるはずで、今の貧乏人は筵を敷く場所もなくなるだろう。 | ||
| − | + | 上海の中学統一試験の優秀答案が発表された。「衣は寒を防ぎ食は腹を満たすに取るを論ず」という題で、その中に一段―― | |
| + | 「……若し徳業已に立たば、則(すなわ)ち饔飧(ようそん)継がず、襟を捉(と)りて肘を見(あらわ)すと雖も、その名徳は後に伝うるに足り、精神生活は充分に発展せん。又何ぞ物質生活の足らざるを患えんや? 人生の真諦は、固より彼に在りて此に在らざるなり。……」(『新語林』第三号より転録) | ||
| − | + | これは題意をさらに一歩進め、「腹を満たす」ことすらできなくても構わないと言っている。だが中学生が出した処方箋は大学生には通用せず、同時にやはり就職を求める大群が出現した。 | |
| + | 事実は情け容赦なく、空言を粉々に打ち砕く。これほど歴然としているのに、実のところ私の愚見では、もう「之乎者也」を弄ぶ必要はあるまい――どのみち永遠に無用なのだから。 | ||
| − | + | (八月十三日。) | |
| + | 【奇怪(一) 白道 】 | ||
| + | 世界には多くの事実があり、記録を見なければ天才でも思いつかない。アフリカにある土民は、男女の禁忌が甚だ厳しく、女婿が姑に出くわせば地面に伏せなければならず、しかもそれでは足りず、顔を土の中に埋めなければならない。これはまことに、我が礼義の邦の「男女七歳にして席を同じくせず」の古人でも、到底及ばぬところだ。 | ||
| + | こう見ると、我が古人の男女隔離の設計も、やはり低能児の域を出ない。まして今が古人の枠を飛び出せないのは、なおさら低能の極みだ。一緒に泳がない、一緒に歩かない、一緒に食事しない、一緒に映画を見ない。いずれも「席を同じくせず」の演義にすぎない。低能の極致は、男女が同じつながった空気を吸っていること――ある男の鼻孔から吐き出された息が、ある女の鼻孔から吸い込まれ、乾坤を淆乱すること、これが海水が皮膚に触れるよりもさらに深刻だとまだ思いつかないことだ。この深刻な問題に対処できなければ、男女の境界は永遠に分けられない。 | ||
| − | + | 私の考えでは、ここは「西法」を用いるほかない。西法は国粋にあらずと雖も、時に国粋を助けることができる。例えば無線放送はモダンなものだが、朝に坊主が読経を流すのは悪くない。自動車はたしかに洋物だが、乗って麻雀を打ちに行けば、緑の布張りの大駕籠(おおかご)でゆっくり着くよりも何周も余計に打てる。この類推で、男女が同じ空気を吸うのを防ぐには防毒面を使い、各自一つの箱を背負い、管を通して自分の鼻孔に酸素を送ればよい。顔をさらさずに済むうえに、防空演習も兼ねられる。これぞ「中学為体、西学為用」だ。ケマル将軍の治世以前のトルコ女性のヴェールも、今回はまったく及ぶまい。 | |
| + | 仮に今、英国のスウィフトのような人がいて、『ガリヴァー旅行記』のような風刺小説を書き、二十世紀半ばにある文明国に着いてみると、一群の人が線香を焚いて龍を拝み、法を作って雨乞いをし、「太った女」を鑑賞し、亀を殺すことを禁じている。また一群の人が真面目に古代の舞踊を研究し、男女別途を主張し、女の脚を露出してはならぬと論じている。——遠方の、あるいは将来の人々は、おそらくこれは作者が口さがなく勝手に捏造して、気に入らぬ人々をこき下ろしたのだと思うだろう。 | ||
| − | + | しかしこれは確かに事実なのだ。もしこのような事実がなければ、どんなに辛辣な天才作家でもおそらく思いつくまい。空想はそれほど奇抜にはなり得ない。だから人はある事を見ると、「奇怪」という一言を発するのだ。 | |
| + | (八月十四日。) | ||
| + | 【奇怪(二) 白道 】 | ||
| + | 尤墨君先生が教師の立場で大衆語の討論に参加した。その意見は極めて重く受け止めるべきだ。彼は「中学生に大衆語を練習させよ」と主張し、さらに「中学生が作文で最も好んで使い、かつ最も誤用する多くの流行語」を列挙して、「彼らに使わせない方がよい」と言う。将来弁別できるようになってからにせよ、と。なぜなら「新しいものを消化不良で食べるよりは、先に禁じた方がよい」からだ。ここに列挙された「流行語」の一部を摘記する―― | ||
| + | 共鳴 対象 気圧 温度 結晶 徹底 趨勢 理智 現実 下意識 相対性 絶対性 縦断面 横断面 死亡率……(『新語林』第三号) | ||
| + | だが私は甚だ奇怪に思う。 | ||
| + | あれらの語は、もはや「流行語」とも言えないほどだ。「対象」「現実」など、書物や新聞を読む者なら常に目にし、常に見れば比較して意味を理解する。子供が言葉を覚えるのに文法の教科書に頼らないのと同じだ。まして学校では教師の指導がある。「温度」「結晶」「縦断面」「横断面」に至っては、科学用語で、中学の物理学・鉱物学・植物学の教科書にあり、国語で使う意味と変わらない。それが今「最も誤用」されるとは、自分で考えもせず、教師も指導していないばかりか、他の科学も同様に曖昧ということではないか。 | ||
| − | + | ならば、途中から大衆語を習ったところで、一人の中学出身の速成大衆にすぎず、大衆に何の役に立とう? 大衆が中学生を必要とするのは、教育程度が比較的高く、皆に知識を拡げ、語彙を増やし、説明できるものは説明し、新たに加えるべきものは加えることができるからだ。「対象」などの定義は、まず自分がはっきりさせるべきで、必要な時に方言で置き換えられるなら置き換え、なければこの新語を教え、その意味を説明する。もし大衆語も半路出家で、新語もまだよく分からないとなれば、この「落伍」は本当に「徹底的」だ。 | |
| + | 思うに、大衆のために大衆語を練習するなら、あの「流行語」を禁じるべきではなく、最も肝心なのはその定義を教えること、教師が中学生に対して行うべきことは、将来中学生が大衆に対して行うのと同じだ。例えば「縦断面」と「横断面」は、「直切面」「横切面」と説明すれば分かりやすく、「横鋸面」「直鋸面」と言えば、大工の見習いにも分かる。読み書きができなくても。禁止するのはよくない。彼らの中には永遠に曖昧なままの者もいるだろう。「なぜなら中学生が全員大学に進学し、文豪や学者になる理想を実現できるとは限らないのだから。」 | ||
| + | (八月十四日。) | ||
| + | 【迎神と人を噛むこと 越僑 】 | ||
| − | + | 新聞によると、余姚のある村で、農民たちが旱魃のために神を迎えて雨乞いをし、見物人に帽子を被っている者がいると、刀や棒で滅多打ちにしたという。 | |
| + | これは迷信だが、根拠がある。漢の大儒・董仲舒先生に祈雨法があり、寡婦を使い、城門を閉じ、烏煙瘴気で、その珍妙さは道士と変わらず、しかも今の儒者に訂正されたことがない。通都大邑にあっても、今なお天師が法を行い、長官が屠殺を禁じ、大騒ぎが繰り広げられているのに、誰か一言でも異を唱えたことがあったか? 帽子を打つのは、神に、まだ悠然と自適している者がいるのを見られまいとする恐れであり、同時にまた、皆と苦楽を共にしない者への憎しみでもある。 | ||
| − | + | 迎神は、農民たちの本意は死から救われることにある。——だが残念ながら迷信だ。——だがそれ以外に、彼らは他の方法を知らないのだ。 | |
| + | 新聞はまた、六十数歳の古参党員が迎神をやめさせようとしたところ、皆にさんざん殴られ、ついに喉笛を噛み切られて死んだと伝えている。 | ||
| − | + | これは妄信だが、やはり根拠がある。『精忠説岳全伝』に、張俊が忠良を陥れ、ついに衆人に噛み殺されたとあり、人心はこれに大いに溜飲を下げた。このため田舎にはかねてより言い伝えがあり、人を噛み殺しても皇帝は必ず赦すという。怨恨のあまり噛むに至ったなら、噛まれた者の悪もまた推して知るべしだからだ。法律は知らないが、おそらく民国以前の律文にも、こうした規定はなかったであろう。 | |
| + | 噛むのは、農民たちの本意は死から逃れることにある。——だが残念ながら妄信だ。——だがそれ以外に、彼らは他の方法を知らないのだ。 | ||
| − | + | 死から救われたい、死から逃れたい、それがかえって自ら死を速める。哀しいかな! | |
| + | 帝国から民国になって以来、上層の変化は少なくなかった。しかし無教育の農民は、まだ何一つ新しく有益なものを得ておらず、依然として旧来の迷信、旧来の風聞のまま、懸命の救死と逃死の中に自ら死を速めている。 | ||
| − | + | 今度は彼らに「天誅」が下ろうとしている。彼らは怖れるだろう、しかし「天誅」の意味が分からぬ故に、不平も抱くだろう。やがてこの恐怖と不平が忘れ去られると、迷信と風聞だけが残り、次の水旱災害の時にはまたしても迎神、そして人を噛む。 | |
| + | この悲劇はいつ終わるのか? | ||
| − | + | (八月十九日。) | |
| + | 附記: | ||
| − | + | 傍らに黒点を付した三つの文は、印刷されて出た時に全部削除されていたものだ。総編集者の斧か、検閲官の斧かは知る由もないが、原稿を覚えている筆者にとっては、非常に興味深い。彼らの考えは、おそらく田舎の人間の考え――たとえ妄信であれ――はむしろ知らせない方がよく、さもなければ弊害を生じ、多くの喉笛が危うくなりかねないということだろう。 | |
| + | (八月二十二日。) | ||
| − | + | 【読書瑣記(三) 焉于 】 | |
| + | 創作家は概して批評家のあれこれを嫌う。 | ||
| − | + | ある詩人がこんなことを言ったと記憶している。詩人が詩を作るのは、植物が花を咲かせるようなもので、咲かずにいられないから咲くのだ。もし摘んで食べて中毒したなら、それは自分の間違いだ、と。 | |
| + | この比喩は美しく、もっともらしく聞こえる。だがよく考えると、誤りもある。誤りは、詩人はやはり一株の草ではなく、社会の一人の人間であるということ。しかも詩集は金を取って売るのであり、ただで摘めるわけではない。金を取って売れば商品であり、買い手にも良し悪しを言う権利がある。 | ||
| − | + | たとえ本当に花だとしても、深山幽谷の人跡未踏の地に咲くのでなければ、毒があれば園丁の類が何とかしようとする。花の実際は、詩人の空想通りにはいかない。 | |
| + | ところが今では言い方が変わり、作者でもない者まで批評家を嫌うようになった。中には言う者がいる。「そんなに分かるなら、自分で一篇書いてみろ!」 | ||
| + | これでは批評家は頭を抱えて逃げ出すしかない。批評家にして創作もできる者は、昔から甚だ少ないからだ。 | ||
| + | 思うに、作家と批評家の関係は、料理人と食客にかなり似ている。料理人が一品を出せば、食客は何か言う。旨いか不味いか。料理人がもし不公平だと感じたら、相手が神経病ではないか、舌苔が厚くないか、旧怨を含んでいないか、勘定を踏み倒そうとしていないか見ればよい。あるいは彼が広東人で蛇肉が食べたいのか、四川人で唐辛子がほしいのか。そこで弁解なり抗議なりをする——もちろん黙っていてもよい。だがもし客に向かって大声で「じゃあお前が一品作って食わせてみろ!」と叫んだら、いささか滑稽ではないか。 | ||
| − | + | なるほど、四、五年前には、批評家になりさえすれば文壇に高踞できると考え、速成や出鱈目な評が少なくなかった。だがこの風潮を正すには批評の批評を以てすべきで、批評家という名目に泥を塗るだけでは良い方法ではない。しかし我々の読書界は平和を好む者が多く、筆戦を見れば「文壇の悲観」だの「文人相軽んず」だのと言い、ひいては是非を問わず一律に「罵り合い」と呼び、「真っ黒けの無茶苦茶」と指弾する。果たして、今では批評家と称する者は聞かなくなった。だが文壇はといえば、依然として変わらない。ただ表に出さなくなっただけだ。 | |
| + | 文芸には必ず批評がなければならない。批評が的外れなら、批評で以て抗争すべきで、そうしてこそ文芸も批評もともに前進できる。もし一律に口を塞いで文壇はもう清潔だと見なせば、得られる結果はかえって逆のものとなる。 | ||
| + | (八月二十二日。) | ||
| + | 【「大雪紛飛」 張沛 】 | ||
| + | 自分の主張を支えようとする時、人は時に白墨を一本取って相手の顔を塗り、道化役に仕立てて自分が正役であることを引き立てようとする。だがその結果は、えてして裏目に出る。 | ||
| + | 章士釗先生は今は民権の擁護者だが、段政府時代にはまだ文言の擁護者であった。彼は実例を一つ作り、もし「二桃殺三士」を白話で「二つの桃が三人の読書人を殺した」と書いたら、なんと駄目かと言った。今回、李焰生先生が大衆語に反対するにあたっても、「静珍君の挙げた例に賛成で、『大雪紛飛』は、あの『大きな雪が一片一片ひらひらと降っている』よりも簡潔にして趣がある。適宜採用するのは、文言文の提唱と同列に論じるべきではない」と言った。 | ||
| + | 私もやむを得ない場合には、大衆語が文言も白話も、さらには外国語さえ採用してよいことに賛成する。しかも実際には、今すでに採用されている。だが二人の先生の代訳の例は、まことに的外れだ。あの時代の「士」は必ずしも「読書人」ではなかったことは、とうに指摘されている。今回の「大雪紛飛」にも「一片一片」の意味はなく、わざとくどくして大衆語に恥をかかせようとする曲技にすぎない。 | ||
| − | + | 白話は文言の直訳ではなく、大衆語も文言や白話の直訳ではない。江浙で「大雪紛飛」の意味を言い表すのに、「大きな雪が一片一片ひらひらと降っている」とは言わない。大抵は「凶(すごい)」「猛(激しい)」あるいは「厲害(ひどい)」を使って、この降り方を形容する。もし「古本と対証」しようというなら、『水滸伝』の中の一句「那雪正下得緊(あの雪はまさにしきりに降っていた)」こそが現代の大衆語に近い言い方で、「大雪紛飛」より二字多いが、あの「趣」ははるかに優れている。 | |
| + | 人が学校から社会の上層に飛び出すにつれ、思想も言葉も一歩一歩大衆から離れていく。それは「やむを得ない」ことだろう。だがもし彼が生まれつきの御曹司でなく、かつて幾分かは「下等人」と関わりがあったなら、思い返せば、きっと文言文や白話文に勝る良い言葉を彼らが数多く持っていたことを思い出せるはずだ。もし自分で醜いものを捏造して、敵対するものの駄目さを証明しようとするなら、それは隠れた所から掘り出した自分自身の醜さに他ならず、大衆を辱めることはできず、大衆を笑わせるだけだ。大衆は知識こそ読書人ほど高くないが、でたらめを言う人々に対しては一つの諡(おくりな)を持っている。「刺繍枕」だ。この意味は、おそらく田舎の人にしか分かるまい。貧しい人が枕の中に詰めるのは、鴨の羽毛ではない。稲わらだからだ。 | ||
| + | (八月二十二日。) | ||
| + | 【漢字とラテン化 仲度 】 | ||
| − | + | 大衆語に反対する人々が、提唱者に得意然と命じて言う。「現物を出して見せろ!」。一方には、こういう正直者もいて、相手が本気か冗談か全く問わず、直ちに必死で見本を作り始める。 | |
| + | === 第10節 === | ||
| − | + | 読書人が大衆語を提唱するのは、白話の提唱よりも当然困難だ。白話を提唱した時には、良かれ悪しかれ使うのは一応白話であったが、今や大衆語を提唱する文章の多くは大衆語ではないからだ。しかし、反対者に命令を下す権利はない。たとえ身体障害者であっても、健康運動を主張しているなら、彼は絶対に間違っていない。もし纏足を提唱するなら、たとえ天足の壮健な女性であっても、故意にか無意識にか人を害しているのだ。アメリカの果物王は、たった一種の果物を改良するだけでも十年余りの工夫を要した。いわんや大衆語は、それよりはるかに大きな問題だ。もし彼の矛で彼の盾を攻くなら、反対者は文言か白話を支持するはずで、文言には数千年の歴史があり、白話には二十年近い歴史がある。彼もまた「現物」を出して皆に見せるがよい。 | |
| + | だが、我々も自ら試みて差し支えない。『動向』にはすでに、純粋に土地の言葉で書かれた三篇の文章があった。胡縄先生はそれを読んで、やはり土地の言葉でない文の方が分かりやすいと言った。実のところ、工夫しさえすれば、いかなる土地の言葉で書いても理解できるのだ。私自身の経験では、我々の方言は蘇州とだいぶ違うが、一冊の『海上花列伝』が「門を出でず」して私に蘇州語を理解させてくれた。初めは分からず、無理に読み進め、記事を参照し、会話を比較すると、後にはすべて分かるようになった。もちろん大変難しい。この困難の根は、漢字にあると私は思う。一つ一つの方形漢字にはそれぞれ意味がある。今これをそのまま土地の言葉で書くと、一部はなお本義を用い、一部は音を借りるだけとなる。すると読むに際して、どれが意義を用いどれが音を借りているかを分析せねばならず、慣れれば何でもないが、初めは非常に骨が折れる。 | ||
| − | + | 例えば胡縄先生が挙げた例で、「窝里向(ウーリーシャン)に帰りな」と言えば、「窝(巣)」の中に帰れと読まれかもしれず、「家に帰りなさい」と言う方が明快だという。あの文の病根はまさに漢字の「窝」にある。実際にはおそらくこう書くべきではないのだ。我々の田舎の人も「家」のことを Uwao-li と呼び、読書人が書き取ると「窝里」と書いてしまいがちだが、私が思うに、この Uwao は実は「屋下」の二音が合わさり、やや訛ったもので、「窝」の字で安易に代用してはならない。もし他に意味を持たない音を記すだけなら、いかなる誤解も生じないのだ。 | |
| + | 大衆語の音数は文言や白話より多い。もし依然として方形漢字で書けば、頭脳の負担のみならず手間もかかり、紙墨さえ不経済だ。この方形の病める遺産のために、我々の最も多数の人々は、数千年にわたって文盲として殉じてきた。中国もこの有様で、他国がすでに人工降雨をしている時に、我々はまだ蛇を拝み、神を迎えている。もし皆がなお生きてゆくつもりなら、漢字に我々の犠牲になってもらうしかあるまい。 | ||
| − | + | 今はもう「書法のラテン化」の一条の道しかない。これは大衆語と切り離せない。これもまた読書人からまず実験を始め、まずアルファベットと綴り方を紹介し、次に文章を書く。初めは日本語のように名詞類の漢字だけ残し、助詞、感嘆詞、後には形容詞、動詞もすべてラテン式で綴れば、見た目にも馴染みやすく、理解もはるかに容易だ。横書きに改めるのは言うまでもない。 | |
| + | これはすぐに実験を始めたとしても、さほど難しくはあるまい。 | ||
| + | たしかに漢字は古代から伝わる宝物だ。だが我々の祖先は漢字よりもさらに古く、だから我々こそ古代から伝わる宝物なのだ。漢字のために我々を犠牲にするか、我々のために漢字を犠牲にするか? これはまだ正気を失っていない者なら、即座に答えられるはずだ。 | ||
| + | (八月二十三日。) | ||
| − | + | 【「シェイクスピア」 苗挺 】 | |
| + | 厳復が「狭斯丕尓」に言及したが、一言で終わり。梁啓超が「莎士比亜」を語ったが、誰も注目しなかった。田漢がこの人の作品をいくらか訳したが、今ではあまり流行っていないようだ。ところが今年になって、またぞろ「シェイクスピア」「シェイクスピア」と騒がしくなった。杜衡先生が彼の作品から群衆の盲目を証明したのみならず、ジョンソン博士を崇拝する教授までもがマルクス「ニュークス」の断片を訳しに来た。なぜか? 何のためか? | ||
| + | しかも聞くところでは、ソ連でも原本シェイクスピア劇を上演するという。 | ||
| + | 上演しなければまだしも、上演しようとするや、施蛰存先生に「醜態」を見抜かれてしまった―― | ||
| + | 「……ソ連は最初は『シェイクスピア打倒』、次は『シェイクスピア改編』、そして今は、演劇季で『原本シェイクスピアを上演』しようとしているではないか?(しかも梅蘭芳に『貴妃酔酒』を演じさせるという!)この政治的方策を文学に運用する醜態は、歯が寒くならずにいられようか!」(『現代』五巻五号、施蛰存「我と文言文」。) | ||
| + | ソ連は遠すぎて、演劇季の状況はまだよく分からないので、歯の寒暖は暫くお任せしよう。だが梅蘭芳が記者と交わした談話は『大晩報』の「火炬」に掲載されており、そこには『貴妃酔酒』を演じるとは書いていなかった。 | ||
| + | 施先生は自ら言う。「私は生まれてこのかた三十年、幼稚無知の時代を除き、思想および言行は一貫していると自負する。……」(同前)これはもちろん大変結構だ。ただし、彼が「言」うところの他人の「行」は、必ずしも一致しない、あるいは時に一致しないこともあるようで、『貴妃酔酒』がまさに眼前の好例だ。 | ||
| − | + | 実のところ梅蘭芳はまだ出発もしていないのに、施蛰存先生はもう、彼が「無産階級」の前で裸で水浴びすると決めつけてしまった。こうなると、彼らは「次第に資産階級の『余毒』に染まった」程度では済まず、中国の国粋にまで染まることになる。彼らの文学青年が、将来宮殿を描写する際に、『文選』や『荘子』の中から「語彙」を探すかもしれないのだ。 | |
| + | だが『貴妃酔酒』を演じれば施先生は「歯が寒い」し、演じなければ予言者の面目が潰れる。どちらにしても不快で、だから施先生はまた自ら言う。「文芸の上で、私はかねがね孤独な人間であり、どうして敢えて多くの怒りを招こうか?」(同前) | ||
| + | 末の一句は謙遜で、施先生に賛成する者は実は少なくない。さもなければ、堂々と雑誌に発表できようか?――この「孤独」は大いに価値がある。 | ||
| + | (九月二十日。) | ||
| − | + | 【商人の批評 及鋒 】 | |
| + | 中国に今、良い作品がないことは、早くから批評家や出鱈目評家を不満にさせており、先頃にはその原因を究明しようともしていた。結果は結果なし。だがなお新解釈がある。林希雋先生は、作家が「自らを滅ぼし、投機取巧の手管で」「雑文」を書くようになったからで、したがってシンクレアやトルストイにもなれないと言う(『現代』九月号)。もう一人の希雋先生は、「この資本主義社会では……作家も知らず知らず商人となった。……より多くの報酬を得んがため、やむなく『粗製乱造』の方法を採り、もはや誰も心血を注いで苦心惨憺の認真な創作をしなくなった」と言う。(『社会月報』九月号) | ||
| − | + | 経済に着目するのは、たしかに一歩の前進だ。だがこの「心血を注いで苦心惨憺の認真な創作」から生まれた学説は、常識しか持たぬ我々の見解とはだいぶ異なる。我々は従来、資本で利を得る者が商人だと思っていたから、出版界では金を出して書店を開き儲ける老闆(おやじ)が商人だ。今になって初めて、文章を書いてささやかな原稿料を得る者も商人だと知った。ただし「いつの間にか」の商人だ。農民が数斗の米を節約して売りに出すのも、工人が筋力で金に換えるのも、教授が口を売り、娼婦が淫を売るのも、みな「いつの間にか」の商人だ。買い手だけが商人ではなくなるが、彼の金は必ず何かと交換したものだから、やはり商人だ。かくして「この資本主義社会では」全員が商人で、ただし「いつの間にか」と「形あるまま」の二大類に分けられる。 | |
| + | 希雋先生自身の定義で彼自身を判定すれば、当然「いつの間にか」の商人だ。もし売文で生計を立てていないなら、「粗製乱造」の必要もないわけで、それではどうやって生計を立てているのか。きっと別に商売をしているのであり、おそらく正真正銘の商人かもしれない。だから彼の見識は、どう見ても商人の見識を出ない。 | ||
| − | + | 「雑文」は短く、書く手間もかかるまい。『戦争と平和』を書くほどの時間は決して要らない(これは林希雋先生の文章をそのまま書き写したもので、原題は実は『戦争と平和』である)。力の入れようも極めて僅少、それはまったくその通りだ。だが多少の常識を持ち、多少の苦心を要するのであって、さもなければ「雑文」さえもさらに一歩進んだ「粗製乱造」となり、笑い種が残るだけだ。作品には常に幾分の欠点がある。アポリネールが孔雀を詠んで言う。尾を立てれば、光輝燦爛だが、後ろの肛門も露わになると。だから批評家の指摘は必要で、ただし批評家はその時自分も尾を立て、肛門を露わにする。それでもなぜ必要かといえば、正面にはなお光輝燦爛たる羽毛があるからだ。だがもし孔雀でなく、鵞鳥やアヒルの類であれば、尾を立てた時に露わになるものが何かよく考えてみるがよい! | |
| + | (九月二十五日。) | ||
| − | + | 【中秋二願 白道 】 | |
| + | 先日はまさに「悲喜こもごも」であった。国暦の九一八が過ぎたばかりで、次は「旧暦」の「中秋の月見」、さらに「海寧の潮見」。海寧といえば、またぞろ「乾隆帝は海寧の陳閣老の子だ」という話を持ち出す者がいる。この満洲の「英明なる主」が、実は中国人のすり替えた子であったとは、何とも壮快で、しかも幸運だ。一兵も折らず一矢も費やさず、ただ生殖器官だけで革命を成し遂げたのだから、まさに至上の便宜だ。 | ||
| − | + | 中国人は家族を尊び血統を重んじるが、一方ではまた縁もゆかりもない者たちと親戚関係を結びたがる。何のつもりか、私にはまったく分からない。幼い頃から、「乾隆は我々漢族の陳家からこっそり抱き取られたのだ」とか、「元朝は我々がヨーロッパを征服したのだ」とか、耳にたこができるほど聞かされてきた。ところが今になっても、タバコ屋の中国政界偉人投票でチンギス・ハーンがその一人に列せられ、民智を開くはずの新聞がまだ満洲の乾隆帝は陳閣老の子だと語っている。 | |
| + | 古には、確かに女が番人のもとへ嫁いだことがある。芝居にも、男が番邦の駙馬に招かれ、得をして、嬉々としてこなす話がある。近事でも、侠客に義父と崇められ、富豪の入り婿になって急に成り上がった者はいる。だがこれは体面の良いことではない。男子たる者、大丈夫たる者、別に能あり別に志あるべきで、智力と別の体力を恃むべきだ。さもなければ、将来また皆が日本人は徐福の子孫だと大いに語り出しはしないかと、私はまことに心配だ。 | ||
| − | + | 一願:今後、みだりに他人と親戚関係を結ばぬこと。 | |
| + | ところが文学にまで縁組みをする者が現れた。彼は、女性の才能は男性との肉体関係によって影響を受けると言い、ヨーロッパの数人の女性作家がみな文人の愛人を持っていたことを挙げて証拠とした。すると別の者がこれに反論し、それはフロイト説で信用できないと言った。実はこれはフロイト説ではない。フロイトがソクラテスの妻が哲学をまったく解さず、トルストイの妻が文章を書けなかったという反証を忘れるはずがないからだ。そもそも世界文学史上、中国で言う「父子作家」「夫婦作家」などという「肉の麻(きもちわるさ)を面白いと勘違いする」人物がどれほどいただろう? 文学は梅毒とは違い、病原菌がなく、性交で相手に伝染することは決してない。「詩人」がある女を口説くにあたり、まず「女流詩人」に祭り上げるのは、一種の手練手管であって、本当に詩才を彼女に伝染させたのではない。 | ||
| + | 二願:今後、目線を臍下三寸から離すこと。 | ||
| + | (九月二十五日。) | ||
| − | + | 【試験場の三醜 黄棘 】 | |
| + | 昔、八股を試験していた頃、三種の答案は受験生にとって大いに面目を失うものであった。後に策論に変わっても、おそらくやはり同じだったろう。第一は「白紙提出」。題目だけ書いて文章が作れない。あるいはそもそも題目すら書かない。しかしこれが最もきれいだ。他に何の枝葉もないからだ。第二は「既刊文の書き写し」。僥倖を期し、刊本の八股を暗記するか持ち込んで、もし題目が合えばそのまま書き写し、試験官の目を欺こうとする。品行は「白紙提出」より当然劣るが、文章は大抵良いので、これまた別段の枝葉はない。第三、最悪なのは出鱈目で、不合格は言うまでもないが、その出鱈目な文章から笑い話を掘り出されてしまう。茶飲み話の種にされるのは、大抵この手のものだ。 | ||
| + | 「文が通らない」はまだ入らない。たとえ通らなくとも、題目を見て文章を書いてはいるのだし、文章を書いて通らぬ境地に至るのもまた容易ではない。古今の中国文学者で、一句たりとも通らぬ文章がないと誰が保証できよう? 自ら「通じている」と思い込んでいる者もいるが、それは「通じる」「通じない」の区別すら分かっていないからだ。 | ||
| + | 今年の試験官の類は、中学生の答案の笑い話をしきりに語っている。実のところ、この病根は出鱈目にある。あの問題は、既刊文を書き写しさえすれば、すべて合格できるものだ。例えば『十三経』とは何か、文天祥は何朝の人かなど、自分で頭を絞って考える必要はまったくなく、考えると、かえって駄目になる。そこで文人学士たちは国学の衰退を嘆き、青年の駄目さを嘆き、自分たちこそ文林の碩果であるかのように、もっともらしい顔をする。 | ||
| + | だが既刊文の書き写しも容易ではない。もしあの試験官たちを試験場に閉じ込め、いきなりやや馴染みの薄い古典を何題か出せば、出鱈目を書かぬにしても、白紙を提出せぬとは限るまい。こう言うのは、すでに名の成った文人学士を軽んじるためではなく、古典は多く、すべて覚えきれなくとも不思議ではなく、すべて覚えている方がむしろ奇怪だと言いたいだけだ。古書の中には後人が注解を加えたものが少なくないではないか? あれはみな自分の書斎に座り、群書を繙き、類書を翻し、年を重ねてやっと脱稿したもの、しかもなお「未詳」があり、誤りがある。今の青年がそれを指摘する力はないにせよ、別の誰かの「補正」が証人として存在する。しかも補ってはまた補い、正してはまた正す者も、時折あるのだ。 | ||
| + | こう見てくると、もし既刊文を書き写してお茶を濁せるなら、その人は今の大人物であり、青年学生が多少間違えるのは、凡人の本分に過ぎない。それなのに世に謗られるとは、彼らの中に冤罪を叫ぶ者がいないのが不思議だ。 | ||
| + | (九月二十五日。) | ||
| − | + | 【またも「シェイクスピア」 苗挺 】 | |
| + | ソ連が原本シェイクスピア劇を上演するのは「醜態」の証。マルクスがシェイクスピアに言及したのは当然「誤り」。梁実秋教授がシェイクスピアを翻訳中で、一冊大洋千元。杜衡先生はシェイクスピアを読んで、「もう少し人間としての経験が必要だ」と感じた。 | ||
| + | === 第11節 === | ||
| + | 我々の文学者、杜衡先生は、以前は自分でも「人間としての経験」の不足を感じておらず、群衆を信じていたようだが、莎翁の『ジュリアス・シーザー』を読んで以来、初めて「彼らには理性がない、彼らには明確な利害の観念がない。彼らの感情は完全に数人の扇動者に支配され、操られている」ことが分かったという。(杜衡「莎劇『シーザー伝』に表現された群衆」、『文芸風景』創刊号所載。)もちろん、これは「莎劇」に基づいたもので、杜先生とは無関係であり、彼は今もまだそれが正しいかどうか判断できないと自ら言っているが、自分に「もう少し人間としての経験が必要だ」と感じたことだけは、すでに明白だ。 | ||
| − | + | これが「莎劇『シーザー伝』に表現された群衆」が杜衡先生に与えた影響だ。では「杜文『莎劇シーザー伝に表現された群衆』に表現された群衆」はどうか? 『シーザー伝』に表現されたものと少しも変わらない―― | |
| + | 「……これは我々に、ここ数百年来の度重なる政変において頻繁に見られた、『鶏が来れば鶏を迎え、犬が来れば犬を迎える』式の……あの痛ましい情景を思い起こさせる。……人類の進化は一体どこにあるのか? あるいは我々のこの東方の古国は、いまだに二千年前のローマが経験した文明の段階に停滞しているのか?」 | ||
| − | + | まったく、「古をしのぶ幽情を発す」のは、往々にして現在のためだ。こう比べると、ローマにもかつて、理性があり、明確な利害の観念があり、感情が数人の扇動者に支配されも操られもしなかった群衆がいたのではないかと疑いたくなる。ただし駆散され、弾圧され、殺戮されたのだ。シェイクスピアは調査しなかったのか、思い至らなかったのか。だがあるいは故意に抹殺したのかもしれない。彼は古い時代の人だから、この手を使っても手品とは言えない。 | |
| + | しかし彼の貴き手で一たび取捨され、杜衡先生の名文で一たび発揮されると、我々には確かに、群衆は永遠に「鶏来れば鶏を迎え、犬来れば犬を迎える」材料であり、迎えられる側の方がまだ見込みがあるように感じられてしまう。「私に至っては、正直に言えば」、群衆の無能と卑しさは「鶏」「犬」以上だという「心情」さえ幾分か抱いてしまう。もちろん、これは群衆を愛すればこそ、彼らがあまりに不甲斐ないからだ――自分ではまだ判断できないが、しかし「この偉大なる劇作家は群衆をこのように見ているのだ」。信じない者があれば、彼に聞くがよい! | ||
| − | + | (十月一日。) | |
| + | 【句読を切る難しさ 張沛 】 | ||
| − | + | 『袁中郎全集校勘記』を見て、さして重要でもないことを幾つか思いついた。すなわち句読を切る難しさだ。 | |
| + | 前清時代、塾師が秘本を繙かず、手ぶらで『四書』に句読を打ち終えれば、田舎では大学者と見なされた。これは滑稽に聞こえるが、大いに道理がある。古本をよく買う人は、時折ある本に出くわす。冒頭に句読が施してあるが、途中で破句が混じり、やがて筆が止まっている。打ちきれなくなったのだ。こうした本は白紙の本より安く買えるが、読んでいて実に不快だ。 | ||
| − | + | 古書に標点を施して印刷するのは「文学革命」の頃に始まった。標点を施した古文で学生を試すのは、同時に北京大学で始まったと記憶するが、これはまことに悪戯で、「学に勤しむ子弟」に数々の笑い話を演じさせた。 | |
| + | この時はもう、白話に反対する、あるいは白話には反対しないが古文にも長けた学者たちに、嫌味を言わせるしかなかった。しかし学者たちにも「腕がうずく」ことがあり、時に自ら手を出す。すると少々まずいことになり、何句か切れなかったのは仕方ないとしても、ごく平凡な文さえ破句にしてしまう。 | ||
| − | + | 古文はもともと標点を打ちにくいことが多い。例えば『孟子』に一段あり、我々はおおむね次のように読む。「馮婦なる者あり、善く虎を搏つ。卒(つい)に善士と為る。則ち野に之(ゆ)く。衆の虎を逐うあり。虎、嵎(すみ)に負(よ)り、之に撄(ふ)るるを敢えてする莫し。馮婦を望み見れば、趨りて之を迎う。馮婦、臂を攘(まく)りて車を下る。衆は皆之を悦び、其の士たる者は之を笑う。」だが「卒為善、士則之、野有衆逐虎……」と切るべきだと言う人もいる。この「笑う」方の「士」は、先に「則」した「士」であり、そうでなければ「其為士」が唐突すぎるというのだ。だがどちらが正しいか、決め難い。 | |
| + | ただしもし曲調の定まった詞曲、対句の駢文、あるいはさほど難解でない明人小品に、標点する者がまた名士学者であるのに、破句を連発するとなると、蚊に刺されなくても鳥肌が立つ。口では白話がいかに駄目か、古文がいかに良いかと言いながら、一たび手を動かすと古文に破句を打ち、しかもその古文は自分が懸命に称揚している古文なのだ。破句とは、読めていない明白な証拠ではないか? 良い悪いの判断は、どこから来るのか? | ||
| − | + | 古文への標点は、まさに試金石だ。点をいくつ、丸をいくつ打つだけで、本当の色が露わになる。 | |
| + | だがこの話はあまり続けない方がよい。これ以上語れば、近いうちにさらに高尚な議論が現れ、標点は「流れに竿さす」たぐいの代物で「性霊」を損なうから排斥すべし、と言い出しかねないからだ。 | ||
| + | (十月二日。) | ||
| + | 【奇怪(三) 白道 】 | ||
| − | + | 「中国第一流の作家」葉霊鳳・穆時英の両先生が編集する『文芸画報』の大広告は、新聞で早くから見ていた。半月余りして、やっと店頭でこの「画報」を見かけた。「画報」である以上、読者は当然「画報」を見る心で、まず「画」を見る。 | |
| + | 見なければよかった。見ると、奇怪だった。 | ||
| + | 戴平万先生の「瀋陽の旅」に三点の挿図があり、日本人の筆致に似ている。記憶をたどると、ああ、日本の雑誌店で見かけた『戦争版画集』にある料治朝鳴の木版で、奉天での戦勝記念のために作ったものだ。日本が対中国の戦勝を記念する作品が、被征服国の作家の作品の挿図とは――奇怪の一。 | ||
| + | さらに繙くと、穆時英先生の「墨緑の上着の令嬢」に三点の挿画があり、メセレルの筆致に似ている。白黒分明で、私は良友公司の翻印した四冊の小冊子で彼の技法を覚えていた。しかもこの木版の署名は明らかに FM の二文字。まさか我々の「中国第一流の作家」のこの作品が、あらかじめフランス語に翻訳してメセレルに挿画を刻らせたのか?――奇怪の二。 | ||
| + | 今度は文字、「世界文壇瞭望台」だ。冒頭に「フランスのゴンクール賞は、去年意外にも(白注:憎たらしい!)中国を題材とした小説『人間の条件』に授与され、作者はアンドレ・マルロー」とある。しかし「おそらく立場の関係で、この書は文章面ではもっぱら賞讃を受けているが、内容面では一般の新聞評論から一様に攻撃されている。マルローほどの才幹の作家が、なぜ文芸を宣伝の道具にしたのかと惜しむかのように」云々。こう「瞭望」されると、ゴンクール賞の文学審査員たちの「立場」は、「文芸を宣伝の道具にする」ことに賛成するものであった「かのように」なる――奇怪の三。 | ||
| + | もっとも、これは私自身の「少見多怪」(見聞が狭くて驚きやすいこと)に過ぎず、他の人はそうは思わないかもしれない。昔の「怪を見る者」は「怪を見て怪しまざれば、その怪自ら敗る」と言ったが、今の「怪」は自ら宣言して「怪しむな」と言っている。巻頭に「編者随筆」がある―― | ||
| + | 「ただ毎号、さほど重くもない文字と図画を少々提供し、文芸に関心のある読者が、他の深刻な問題に疲れた目を覚ますことができ、あるいは莞爾と一笑するだけのことである。ただそれだけのことだ。」 | ||
| − | + | なるほど「中国第一流の作家」が、以前は「ピアズリー」を活剥ぎし、今年はメセレルを丸呑みするという小技で遊んでいるのは、大才の小用で、人に「他の深刻な問題に疲れた目を覚まさせ、あるいは莞爾と一笑させる」だけのためなのだ。もしこの目覚ましの「文芸画」からさらに問題が生じたら、「深刻」ではないにせよ、結局は「中国第一流の作家」二人の芸の献上の苦心を裏切ることになりはしまいか? | |
| + | では、私も「莞爾と一笑」しよう―― | ||
| + | ハッ! | ||
| + | (十月二十五日。) | ||
| − | + | === 第12節 === | |
| + | 学者あるいは詩人の看板をもって一人の著者を批評あるいは紹介するのは、初めのうちは大いに傍人を欺くことができるが、傍人がこの著者の真相を見極めた時には、ただ自分の不誠実さ、あるいは学識の不足だけが残る。しかしもし傍人が真相を指摘しに来なければ、この作家はそのまま持ち上げて殺され、何年経ってから身を翻せるか分からない。 | ||
| − | + | (十一月十九日。) | |
| + | 【読書の忌 焉于 】 | ||
| − | + | 中国の医書には「食忌」がしばしば記載されていたのを覚えている。すなわち、ある二種の食物を同時に食すると人体に害があり、あるいは人を殺し得るという。例えば葱と蜜、蟹と柿、落花生と胡瓜の類である。しかしそれが真実かどうかは知る由もない。実験した人を聞いたことがないからだ。 | |
| + | 読書にも「忌」がある。ただし「食忌」とはやや異なる。ある種類の本は決してある種類の本と一緒に読んではならぬ。さもなくば両者の一方が必ず克ち殺され、あるいは少なくとも読者がかえって憤怒を生ずる。例えば今まさに盛んに提唱されている明人の小品、中にはまことに空霊なる篇もある。枕辺、厠上、車中、舟中、これはまことに極上の消遣の品だ。しかしまず読者の心が空空洞洞、混混茫茫でなければならぬ。もしかつて『明季稗史』や『痛史』、あるいは明末遺民の著作を読んだことがあれば、結果は全く異なってくる。この両者は必ず戦いを始め、一方を打ち殺さねば止まぬ。私はこれによって、かの明人小品を憎悪する論者たちの心情をよく理解したと自負している。 | ||
| − | + | この数日、偶然に屈大均の『翁山文外』を見かけた。中に一篇、戊申(すなわち清の康煕七年)八月に書かれた「自ら代北より入京するの記」がある。彼の文筆は、袁中郎に劣るものであろうか。しかしいくつかの箇所は甚だ重みがある。数句をここに抄す── | |
| + | 「……河に沿いて行く。あるいは渡り、あるいは渡らず。しばしば西夷の氈帳を見る。高低一ならず。いわゆる穹廬連なり属して岡のごとく阜のごとし。男女みな蒙古語を話す。乾湿の酪を売る者あり、羊馬の者あり、犛皮の者あり、二頭の駱駝の間に臥す者あり、奚車に坐す者あり、鞍なくして騎する者あり、三両にして行き、戒衣を被る。あるいは赤あるいは黄。小さき鉄輪を持ちて『金剛穢呪』を念ずる者あり。その首に一つの柳筐を頂き、馬糞および木炭を盛る者は、すなわちみな中華の女子なり。みな頭を巻き跣足にて、垢面にして、毛の袄を反り被る。人と牛羊と相い枕藉し、腥臊の気、百余里絶えず。……」 | ||
| − | + | 思うに、もしこのような文章を読み、このような情景を想像し、しかも完全には忘れていなければ、たとえ中郎の『広荘』や『瓶史』であっても、積もった憤りを洗い清めることは断じてできず、しかもさらに憤怒を増すであろう。なぜならこれは実に中郎の時代の彼ら相互の標榜よりもさらに悪いからだ。彼らはまだ揚州十日、嘉定三屠を経験していなかったのだ。 | |
| + | 明人の小品はよい。語録体も悪くない。しかし私は『明季稗史』の類と明末遺民の作品の方がまことに更によいと思う。今こそまさに句読を施し翻印すべき時だ。皆に少し目を覚まさせるために。 | ||
| + | (十一月二十五日。) | ||
| + | === 第13節 === | ||
| − | + | 【「お子様お断り」 宓子章 】 | |
| + | この五六年来の外国映画は、まず我々に一通り洋風侠客の勇敢さを見せ、次いで野蛮人の陋劣を、さらに洋風令嬢の曲線美を見せた。しかし目の肥えは広がるもので、ついに何本かの脚では足りなくなり、一大群となる。またぞ足りず、丸裸となる。これが「裸体運動大写真」であり、正々堂々たる「人体美と健康美の表現」ではあるが、しかし「お子様お断り」で、子供はこれらの「美」を見る資格がないのだ。 | ||
| + | なぜか。宣伝にこのような文句がある── | ||
| + | 「一人のこの上なく聡明な子供が言った。『あの人たちはどうして体の向きを変えてくれないの?』」 | ||
| + | 「一人の十分に厳格な父親が言った。『どうりで劇場は子供を断るわけだ!』」 | ||
| + | これはもちろん文学者の虚構の妙文に過ぎない。なぜならこの映画は最初から「お子様お断り」を掲げているのだから、子供は見ようがないのだ。しかしもし本当に見せたとして、彼らはこのような質問をするだろうか。おそらくそうかもしれない。しかしこの質問の意味は、恐らく張生が唱う「ああ、どうして顔を向けてくれないのだ」とは全く異なり、実は映画中の人物の態度の不自然さが不思議に思われただけであろう。中国の子供は比較的早熟かもしれず、性的感覚が比較的鋭いかもしれぬが、成人した「父親」よりも心が不浄であるとまではゆくまい。もしそうであるなら、二十年後の中国社会はまことに恐ろしいものだ。しかし事実上はおそらく決してそうはならぬゆえ、あの答えはこう改めた方がよい。 | ||
| + | 「わしが満足できぬようにするためだ。全くけしからん!」 | ||
| − | + | ただしこう言う「父親」もおそらくいまい。彼はいつも「己の心をもって人の心を度る」のであり、度った後にこの心を無理に他人の胸中に押し込め、自分のものではないふりをして、他人の心は自分ほど清浄ではないと言う。裸体の女性が皆「体の向きを変えない」のは、実はまさにこの類の人物に対処するためなのだ。彼女たちはまさか白痴ではあるまい。「父親」の目つきが、その子供よりもさらに不真面目であることすら知らぬわけがあろうか。 | |
| + | しかし中国社会はやはり「父親」類の社会であるから、芝居を演じれば「母親」類が身を献じ、「息子」類が謗りを受ける。たとえ危急の関頭に至っても、やはり何かと「木蘭従軍」「汪踦衛国」で、「女子と小人」を押し出して防ぎとするのだ。「我が国民はいかにしてその後を善くするや。」 | ||
| + | (四月五日。) | ||
| + | === 第14節 === | ||
| − | + | 【古人は必ずしも純厚ならず 翁隼 】 | |
| + | 年長の人々はしばしば言う。古人は今人より純厚で、心がよく、寿命が長いと。私も以前はいくらか信じていたが、今やその信仰は揺らいでいる。ダライ・ラマは普通の人より心がよいはずだが、「不幸にして短命にして死せり」とはいえ、広州で開かれた耆英会では確かに一群の長寿翁・長寿媼が集められ、百六歳の老婆がまだ針に糸を通せるのは写真で証明されていた。 | ||
| − | + | 古今の心の善し悪しは、比較するのがなかなか難しく、詩文に教えを求めるしかない。古の詩人は名高き「温柔敦厚」であるが、中にはなんと「時日いずくんぞ喪びん、予汝とともに亡びん!」と言う者もいた。なんと悪辣なことか。さらに奇妙なのは、孔子が「校閲」した後も、これを削らず、なお「詩三百、一言もってこれを蔽う。曰く、思い邪なし」と言っていること。聖人もまた可悪とは思わなかったらしい。 | |
| + | さらに現存の最も通行する『文選』があるが、聞くところによれば、もし青年作家が語彙を豊かにし、あるいは建築を描写しようとすれば、必ずこれを見なければならぬという。しかし我々がもし中の作家を調査すれば、少なくとも半分は非業の死を遂げている。もちろん心が悪かったからだ。昭明太子の選択を経て、確かに語彙の祖師のようになったが、当時はおそらくまだ個人の主張も偏激な文字もあったのだ。さもなくばその人は伝えられなかったはずで、唐以前の史書の文苑伝を繰ってみれば、おおむね旨意を承けて檄を草し頌を作る人であるが、しかしそれら著者の文章で今日まで伝わるものはかえって甚だ少ない。 | ||
| − | + | こう見てくると、古書をまるごと翻印するのも危険がないとは言えぬ。近頃たまたま石印の『平斎文集』を見かけたが、著者は宋人であり、古くないとは言えぬが、しかしその詩は規範とし難い。例えば「狐鼠」を詠じて曰く、「狐鼠一窟を擅にし、虎蛇九逵を行く。天に眼あるを論ぜず、ただ地に皮なきを管ぜよ……。」また「荊公」を詠じて曰く、「禍胎を養い成して身始めて去り、依然として鐘阜人に向かいて青し。」かの当路を指斥する口吻は、今人の見慣れぬところだ。「八大家」の欧陽修は、偏激な文学者とは言えまいが、しかしあの『李翱の文を読む』の中にはこうある。「ああ、位に在りて自ら憂うることを肯ぜず、また他人を禁じて皆憂うることを得ざらしむ、嘆ずべきかな!」これもまた甚だ憤懣としている。 | |
| + | しかし後人の一番の選択を経ると、たちまち純厚になるのだ。後人が古人を純厚にすることができるならば、後人が古人より更に純厚なのは明らかである。清朝にはかつて勅定の『唐宋文醇』と『唐宋詩醇』があった。これは皇帝が古人を純厚に仕立てた好い標本であり、まもなくこれを翻印して「狂瀾を既倒に挽かん」とする者が出るかもしれぬ。 | ||
| − | + | (四月十五日。) | |
| − | + | === 第15節 === | |
| + | 【法会と歌劇 孟弧 】 | ||
| − | + | 『時輪金剛法会募金趣意書』にこのような一節がある。「古人ひとたび災厄に遭えば、上は己を罪し、下は身を修む……今や人心漸く衰えり、仏力の加被に頼らずんば、この浩劫を消除する由なし。」恐らく今もまだ覚えている人がいるだろう。これを読むとまことに自分も他人も半文の値打ちもなく、治水も除蝗も全く無益で、「あるいは自業を消し、あるいは他の災いを免れん」と思えば、パンチェン大師にお出まし願って仏菩薩の加護を祈るしかないという気にさせられる。 | |
| + | 堅く信じている人々は必ずいる。さもなくば、どうして巨額の寄付を募れようか。 | ||
| + | しかし畢竟「人心漸く衰え」たらしく、中央社十七日杭州電に曰く、「時輪金剛法会は本月二十八日に杭州にて啓建せらるるが、併せて梅蘭芳、徐来、胡蝶を招き、会期中五日間歌劇を上演することに決せり。」梵唄の円音が、軽歌曼舞に「加被」せらるるとは、意表に出ずるにあらずや。 | ||
| + | かつて我が仏が説法したまいし折、天女の散花ありと聞く。今、杭州にて会が啓かるるに、我が仏がおそらく親しく臨みたまうまじきとすれば、梅郎に権りに天女に扮することを恭請するのも、むろん不可ではあるまい。しかしモダンガールたちと何の関係があろうか。まさか映画スターや標準美人が歌を唱えば、「この浩劫を消除」できるというのか。 | ||
| − | + | おおよそ、人心が「漸く衰え」んとする前に、仏を拝む人はすでに余興を兼ねて見たがるようになっていた。寄付に限りがあり法会が大きくない時には、坊主たち自らが飛鉢を演じ、歌を唱って善男善女を満足させたが、これはまた道学先生たちをも首を振らせた。パンチェン大師は開会を「印可」するのみにして『毛毛雨』を歌わぬのは、まことに仏旨に適っているが、不意にも同時に歌劇まで上演されるとは。 | |
| + | 原始人と現代人の心は、おそらくかなり異なるものがあろうが、もし隔たりがわずか数百年であれば、たとえ若干の差異はあっても、微々たるものであろう。祭りで芝居を演じ、香市で美女を見るのは、まさに「古よりこれあり」の芸当である。無量の福を積み、かつ視聴の娯楽を極め、現在も未来もよいことがある──これが古来仏事を興行する呼び声の力なのだ。さもなくば、黄色く太った坊主がお経を唱えるだけでは、参加者は必ずしも踊躍せず、浩劫は消除の望みがないであろう。 | ||
| + | しかしこの手配は、婆心より出たりとはいえ、やはり「人心漸く衰えり」の徴候である。我々に疑いを抱かせる。我々自身はこの浩劫を消除する資格がないとして、この後はパンチェン大師に頼るべきか、それとも梅蘭芳博士か、ミス徐来か、ミス胡蝶か。 | ||
| + | (四月二十日。) | ||
| − | + | === 第16節 === | |
| + | 【洋服の没落 韋士繇 】 | ||
| − | + | 数十年来、我々はいつも自分に合った服がないことを恨んできた。清朝末年、革命の色彩を帯びた英雄たちは辮髪を恨むのみならず、馬褂や袍子も恨んだ。それは満洲の服だったからだ。ある老先生が日本に遊歴し、あちらの服装を見て大いに喜び、雑誌に文章を載せて「図らずも今日再び漢官の儀を見る」と題した。彼は古装の復活に賛成したのだ。 | |
| + | しかし革命の後に採用されたのは洋装であった。皆が維新を志し、便捷を求め、腰骨をまっすぐにしたかったからだ。少年英俊の輩は自ら洋装であるのみならず、他人が袍子を着るのを嫌悪した。当時聞くところによれば、樊山老人のもとへ行って、なぜ満洲の衣裳を着るのかと詰問した者もいたそうだ。樊山は問い返して曰く、「君の着ているのはどこの服かね。」少年は答えて曰く、「私が着ているのは外国の服です。」樊山曰く、「わしが着ているのも外国の服だ。」 | ||
| + | この話はかなり一時に伝誦され、袍褂党を眉を揚げさせた。ただしその中にはいくらか革命に反対する意味が含まれており、近日の衛生のため、経済のためとは大いに異なる。その後、洋服はついに華人と次第に仲たがいし、袁世凱の御代に袍子馬褂を常礼服と定めたのみならず、五四運動の後、北京大学が校風を整飭するため制服を規定しようとして学生に公議させたところ、その議決もまた袍子と馬褂であった。 | ||
| + | 今回洋服が採用されなかった理由は、まさに林語堂先生の言うように衛生に合わないからだ。造化が我々に賜うた腰と首は本来屈曲できるもので、腰を曲げ背を屈めるのは中国では常態である。逆のものすら甘んじて受けるのだから、順のものはなおさら甘んじて受けるべきだ。ゆえに我々は最も人体を研究し、その自然に順じてこれを用いる人民なのだ。首が最も細いので斬首を発明し、膝関節が曲がるので跪拝を発明し、臀部は肉が多くかつ致命的でないので尻叩きを発明した。自然に反する洋服は、かくして次第に自然と没落していったのだ。 | ||
| − | + | この洋服の遺跡は、今やモダンな男女の身にのみ残留しているに過ぎず、あたかも辮髪や纏足が頑固な男女の身にたまに見られるのと同じだ。ところが思いもかけず、また一通の催命符がやって来た。硫酸がこっそり背後から撒かれたのだ。 | |
| + | これをどうすればよいのか。 | ||
| + | 古制に復そうにも、黄帝から宋明に至る衣裳は一時にはとても分からぬ。舞台の扮装に倣おうにも、蟒袍に玉帯、白底に黒靴で、自動車に乗って西洋料理を食べるのは、やはりいささか滑稽を免れまい。ゆえに変えに変えて、おおよそやはり袍子馬褂が安定であろう。外国の服ではあるが、恐らく脱ぐことはあるまい──これはまことにいささか不思議である。 | ||
| + | (四月二十一日。) | ||
| + | === 第17節 === | ||
| + | 【友人 黄凱音 】 | ||
| + | 私は小学校の頃、同級生たちの手品を見て──「耳で字を聞く」だの「紙人形が血を流す」だの──甚だ面白いと思った。廟の縁日にはこれらの手品を伝授する人がいて、銅貨数枚で一つ覚えられたが、覚えてしまうとたちまち興醒めした。中学に入ったのは城内で、意気揚々と大きな手品を見たが、後に誰かが手品の秘密を教えてくれ、それから輪の傍に近づく気がしなくなった。昨年上海に来て、ようやくまた退屈を紛らわす場所を得た。映画を見ることだ。 | ||
| − | + | しかしまもなく本の中で映画フィルムの製造法を少し読み、見たところ千丈の断崖のようなものが実は地面から数尺に過ぎず、奇鳥怪獣もすべて紙製であると知った。これにより映画の神秘を感じなくなり、かえって往々その破綻ばかり気にするようになって、自分も退屈になった。 | |
| + | === 第18節 === | ||
| + | 三度目にして退屈を紛らわす場所を失ったのだ。時には、あの本を読んだことを後悔し、著者が製造法を書くべきでなかったと恨むことさえあった。 | ||
| + | 暴露する者は種々の秘密を暴き、人のためになると思っている。しかし退屈な人間は、退屈を紛らわすために、欺かれることに甘んじ、自ら欺くことに安んじている。さもなくばもっと退屈になるからだ。このために手品は天地の間に長く存続し、このために幽暗を暴露することは欺く者に深く悪まれるのみならず、欺かれる者にも深く悪まれるのだ。 | ||
| − | + | 暴露する者は有為の人々の中でのみ益があり、無聊の人々の中では滅びるしかない。自救の道はただ、一切の秘密を知りつつも顔色を変えず、欺くことに加担し、欺かれることに甘んずる無聊の人々を欺き、無聊な手品が次から次へと、結局は反復して続くままにしておくことだ。周囲には必ずこれを見る人がいるのだ。 | |
| + | 手品師は絶えず拱手して言う、「……一歩家を出れば朋友が頼り!」と。これにはいくらか手品の種を知る者に向けて発せられた意味がある。西洋の種明かしをされぬようにするためだ。 | ||
| − | + | 「朋友とは義をもって合するものなり」──しかし我々は古来しばしばこのようには解さなかった。 | |
| + | (四月二十二日。) | ||
| − | + | === 第19節 === | |
| + | 【清明の頃 孟弧 】 | ||
| − | + | 清明の頃は墓参りの季節で、ある者は関内に入って祖先を祭ろうとし、ある者は陝西に墓参りに行く。激論は天を沸かせ、歓声は地を揺るがし、まるで墓参りで国が滅びも、国が救われもするかのようだ。 | |
| + | 墓にこれほど大きな関係があるとすれば、墓を掘ることはもちろん許されまい。 | ||
| − | + | 元朝の国師パクパは、墓を掘ることの利害を深く信じていた。彼は宋陵を掘り開き、人骨を豚犬の骨と一緒に埋めて宋室を不運にしようとした。後に幸いにも一人の義士に盗まれ、目的は達せられなかったが、しかし宋朝はやはり滅んだ。曹操は「摸金校尉」の類の職員を設けて専ら盗墓に当たらせたが、彼の息子は皇帝になり、自分は「武帝」と諡された。いかに威風堂々たることか。こう見ると、死者の安危と生者の禍福とは、やはり関係がないようでもある。 | |
| + | 伝えるところによれば、曹操は死後に墓を掘られることを恐れ、七十二の疑冢を造り、人を手出しできなくした。そこで後の詩人が曰く、「あまねく七十二の疑冢を掘れば、必ず一冢に君の屍を葬れるあらん。」そこで後の論者がまた曰く、「阿瞞は老獪至極、その屍が実にこの七十二冢の内にあらざることを安んぞ知らんや。」まことに手の施しようがない。 | ||
| + | 阿瞞はまさに老獪至極ではあるが、思うに疑冢の類は必ずしも手配しなかったであろう。ただ古来の冢墓は大抵発掘された者が多く、冢中の人の主名が確かなものも甚だ少ない。洛陽の邙山では清末に墓を掘る者が甚だ多く、名公巨卿の墓の中でさえ、得られるものは大抵一枚の墓誌石と散乱した陶器であった。元来貴重な殉葬品がなかったのではなく、すでに誰かが掘って持ち去ったのだ。いつのことかは知る由もない。とにかく葬った後から清末の盗掘のその日までの間であろう。 | ||
| + | 墓中の人が畢竟いかなる人であるかは、掘った後でなければ往々分からぬ。たとえ伝承の主名があっても、大抵当てにならぬ。中国人は古来、大人物に関係のある名勝を造るのが好きだ。石門には「子路止宿の処」あり、泰山の上には「孔子天下を小とする処」あり。一つの小さな洞穴には大禹が埋められ、幾つかの大きな土饅頭には文王・武王・周公が葬られているという。 | ||
| − | + | もし墓参りが確かに国を救えるのであれば、参るなら正確に参らねばならず、文王・武王・周公の陵を参って、他人の土饅頭を参ってはならず、さらに自分が周朝の子孫であるかどうかも調べねばならぬ。そこで考古の作業が必要になる。すなわち墓を掘り開いて、文王・武王・周公旦が葬られている証拠があるかどうかを見、もし遺骨があれば『洗冤録』の方法で血を滴らすこともできる。しかしこれはまた墓参り救国説と矛盾し、孝子順孫の心を大いに傷つける。やむなく、ただ目を閉じ頭を強くしてでたらめに拝むしかない。 | |
| + | 「其の鬼にあらずしてこれを祭るは、諂なり!」ただ墓参り救国術に霊験がないのは、まだ小さな笑い話に過ぎない。 | ||
| + | (四月二十六日。) | ||
| + | === 第20節 === | ||
| + | 【小品文の生機 崇巽 】 | ||
| + | 昨年は「ユーモア」が大いに運の開けた時で、『論語』のほかにも、開口一番ユーモア、口を閉じてもユーモア、この人もユーモリスト、あの人もユーモリストであった。ところが今年はたちまち大いに面目を失い、これも駄目、あれも駄目、一切の罪悪はすべてユーモアに帰せられ、ひいては文壇の道化役に比せられるに至った。ユーモアを罵ることは入浴のようなもので、一度やりさえすれば自分は清浄になれるかのようだ。 | ||
| + | もし真に「天地は大戯場」であるならば、文壇にもちろん道化役は必ずいる──しかしまた必ず黒頭もいる。道化役が道化芝居を演じるのはごく当たり前だが、黒頭が道化芝居に転じるとなると甚だ奇妙だ。しかし大戯場では時にまことにこういうことがある。これが正直な人を歪んだ心の人に従って嘲罵させ、情熱の人を憤らせ、感じやすい人の心を酸くするのだ。唱い方が素人で人を笑わせないからか。いや、彼は本物の道化よりもさらに可笑しいのだ。 | ||
| − | + | あの怒りと心酸は、黒頭が道化に転じた後、事がまだ終わっていないからだ。芝居には何人かの役柄が必要で、生、旦、末、丑、浄、そして黒頭。さもなくばその芝居も長くは続かぬ。ある原因のために黒頭が道化に転じざるを得ぬ時は、慣例としてかならず道化がかわりに黒頭を演じるのだ。唱工のみならず、黒頭が厚かましく道化に扮し、道化が胸を張って黒頭を学ぶ。戯場には白鼻の道化と黒面の道化ばかりが増え、天下の大いなる滑稽となる。しかし滑稽であるのみで、ユーモアではない。ある人曰く、「中国にユーモアなし」と。これがまさにその注脚だ。 | |
| + | 更に嘆かわしいのは、「ユーモアの大家」と諡された林先生が、なんと「自由談」で古人の言葉を引いたことだ。曰く、「夫れ飲酒猖狂なるも、あるいは沈寂として聞こえざるも、またただ身を潔くし自ら好しとするのみ。今の世の癩鼈、身を潔くし自ら好しとする者に亡国の罪を負わしめんと欲す。もししからば『今日烏合し明日鳥散し、今日戈を倒し明日軾に馮り、今日君子たり明日小人たり、今日小人たり明日また君子たる』の輩は罪なかるべし」と。引用はなお小品の域を出ぬとはいえ、「ユーモア」あるいは「閑適」の道からは遠い。これもまた一つの注脚だ。 | ||
| + | しかし林先生が、近頃各紙の『人間世』への攻撃は系統だった変名の手品だと考えたのは誤りで、その証拠は異なる論旨と異なる作風だ。中には確かに、かつて驥尾に附しながらも遂に竜門に登れなかった「名人」や、黒頭に扮してはいるが実は真正の道化の茶々もあるが、しかしまた熱心な人の正論もある。世態はかくの如く紛糾しており、たとえ小品といえども、まさに分析と攻戦が必要であることが分かる。これこそがあるいは『人間世』の一縷の生機であろう。 | ||
| + | (四月二十六日。) | ||
| − | + | === 第21節 === | |
| + | 【刀「式」弁 黄棘 】 | ||
| + | 今月六日の「動向」に、阿芷先生が楊昌渓先生の大作『鴨緑江畔』がファジェーエフの『壊滅』に酷似していることを指摘した文章が載っていた。その中には例証も挙げられていた。これを「英雄の所見略ぼ同じ」とは言えまい。なぜなら丸呑みの有様があまりにも明白だからだ。 | ||
| + | しかし丸呑みにも技量がいるのであり、楊先生はいささか足りないようだ。例えば『壊滅』の訳本の冒頭は── | ||
| − | + | 「石段の上でがちゃがちゃと傷のついた日本の指揮刀が鳴り、レーヴィンソンは裏庭へ行った。……」 | |
| + | そして『鴨緑江畔』の冒頭は── | ||
| + | 「金蘊声が庭園に入った時、彼のあの傷のついた日本式の指揮刀が石段の上でパチパチと鳴っていた。……」 | ||
| + | 人名が違うのは当然のこと。音が違うのも大したことではない。最も特異なのは、彼が「日本」の下に「式」の一字を加えたことだ。これもあるいは無理もない。日本人でないのに、どうして「日本の指揮刀」を佩くのか。きっと日本の式に倣って自分で鍛造したのだろう。 | ||
| − | + | しかし我々がもう一度考えてみよう。レーヴィンソンが率いていたのは襲撃隊であり、もちろん敵を襲撃するが、武器も鹵獲する。自軍の軍器は不完全であり、何か手に入ればすぐに使う。ゆえに彼が佩いていたのはまさに「日本の指揮刀」であり、「日本式」ではないのだ。 | |
| + | 文学者が小説を読み、しかも剽窃の準備をしているとすれば、関係は密接であると言えよう。それでいてなおこれほど粗忽であるとは、嘆かわしいではないか。 | ||
| − | + | (五月七日。) | |
| + | === 第22節 === | ||
| − | + | 【変名の新法 白道 】 | |
| + | 杜衡こと蘇汶先生が今年、文壇の二種の秘密にして悪弊をも暴いた。一つは批評家の仲間内のなれ合い、もう一つは文人の変名だ。 | ||
| − | + | しかし彼はまだ言わずに取っておいた秘密がある―― | |
| + | なれ合いの中にはもう一種、書店の編集者が使う「ゴム輪」がある。大きくも小さくもなれ、丸くも四角くもなり、この書店の出版物でさえあれば、こっちに輪を掛けて「よし」、あっちに輪を掛けても「よし」だ。 | ||
| + | 変名に至っては、別人に化けるだけでなく、一つの「社」にもなれる。この「社」は文を選び、論を立て、某の作品だけが「よし」、某の創作も「よし」と言えるのだ。 | ||
| + | 例えば「中国文芸年鑑社」編の『中国文芸年鑑』冒頭の「鳥瞰」。その「瞰」法によれば、蘇汶先生の議論は「よし」、杜衡先生の創作も「よし」だ。 | ||
| − | + | しかし実際にはこの「社」はどこにも見つからない。 | |
| + | この「年鑑」の総発行所を調べてみよ。現代書局。『現代』誌の最終頁の編集者を見よ。施蛰存、杜衡。 | ||
| + | Oho! | ||
| + | 孫悟空は神通広大で、鳥獣虫魚に化けるだけでなく、寺院にもなれる。目は窓に、口は山門に化けたが、尻尾だけは置き場がなく、旗竿に化けて寺の裏に立てた。だが旗竿が一本しかない寺院があるだろうか? 二郎神に見破られた綻びはここにあった。 | ||
| + | 「万やむを得ぬ場合を除き」、「私が望む」のは、文人が「社」に化けないことだ。もし自画自賛のためだけなら、それはまことに「近くまた些か卑劣」というものだ。 | ||
| + | (五月十日。) | ||
| + | === 第23節 === | ||
| − | + | 【何冊か本を読もう 鄧当世 】 | |
| + | 死んだ本を読めば本の虫になり、甚だしきは本棚と化す。早くから反対する者がいた。時は絶えず進み、反読書の思潮もいよいよ徹底して、ついにはあらゆる本を読むことに反対する者が現れた。その論拠はショーペンハウアーの古い言葉で、他人の著作を読むのは、自分の脳内で著者に馬を走らせてやるだけだという。 | ||
| + | これは死んだ本を読む人々には確かに痛い一撃だが、探究するよりダンスを踊れ、あるいはただ空しく暴れ、やみくもに愚痴をこぼす天才のためには、紹介に値する金言でもある。ただし注意すべきは、この金言に死んでもしがみつく天才の脳内では、まさにショーペンハウアーに一走りさせられ、踏み荒らされて一塌糊塗になっているということだ。 | ||
| + | 今、牢騒を発しているのは批評家だ。ましな作品がないから。創作家も牢騒を発している。正確な批評がないから。張三が李四の作品は象徴主義だと言えば、李四も自らを象徴主義と思い、読者も当然それを象徴主義と思う。しかし象徴主義とはどういうものか、昔からはっきりさせたことがなく、仕方なく李四の作品をもって証拠とする。だから中国の所謂象徴主義と外国の所謂 Symbolism は同じではない。前者は後者の訳語のはずだが、メーテルリンクが象徴派の作家だと聞けば、李四は中国のメーテルリンクとなる。その他、中国のアナトール・フランス、中国のバビット、中国のジルポワタン、中国のゴーリキー……まだまだたくさんいる。しかし本物のフランスたちの作品の翻訳は中国には甚だ少ない。「国産品」があるからか? | ||
| − | + | 中国文壇では、国産文人の寿命が実に長すぎ、舶来文人の方は実に短すぎる。名前を覚えたばかりで、もう古いと言われる。イプセンは全集を出す気配はあったが、今に至るも第三巻が見えず、チェーホフやモーパッサンの選集も竜頭蛇尾の運勢をたどったようだ。だが我々が深く忌み嫌う日本では、『ドン・キホーテ』と『千一夜物語』は全訳があり、シェイクスピア、ゲーテ……はみな全集がある。トルストイのは三種、ドストエフスキーのは二種。 | |
| + | 死んだ本を読むのは自分を害し、口を開けば人を害す。だが本を読まなくとも必ずしもよいわけではない。少なくとも、例えばトルストイを批評するなら、彼の作品は数冊は読まねばならない。もちろん今は国難の時で、どうしてこんな本を訳し、こんな本を読む暇があろうか。だが私が提案しているのは、ただ暴れ回り愚痴をこぼすだけの大人物に対してであって、まさに国難に赴き、あるいは「臥薪嘗胆」している英雄に対してではない。ある種の人物は、たとえ本を読まなくとも、ただ遊んでいるだけで、決して国難に赴きはしないからだ。 | ||
| − | + | (五月十四日。) | |
| + | === 第24節 === | ||
| − | + | 【一考してから行動せよ 曼雪 】 | |
| + | もしそれによって国政を決し、戦争を布くのでなければ、友人の間でユーモアの一つ二つを言い、互いに莞爾と笑い合うのは、大勢に関わりないと思う。革命の専門家でさえ、時に手を後ろに組んで散歩する。理学の先生も子女がいないわけにはゆかず、日夜つねに道学者然として厳かではないことを証明している。小品文はおそらく将来も文壇に存在し得るだろうが、「閑適」を旨とするだけでは、やや物足りない。 | ||
| − | + | 人の世の事、坊主が憎ければ袈裟まで憎い。ユーモアと小品は当初、誰が異議を唱えたか。ところがどっと一斉に天下挙げてユーモアと小品になり、ユーモアがそんなにあるはずもなく、ユーモアは滑稽と化し、滑稽は笑い話と化し、笑い話は風刺と化し、風刺は罵倒と化す。油腔滑調がユーモアで、「空朗らかにして気清し」が小品で、鄭板橋の「道情」を一度読めばユーモアを十日語り、袁中郎の尺牘を半冊買えば小品を一巻作る。これで身を立てようとする者がいれば、勢い、これに反対して名を成そうとする者もあり、かくてまたどっと天下挙げてユーモアと小品を罵る。実のところ、付和雷同の輩は今年も去年と同様、少なくないのだ。 | |
| + | 黒塗りの皮灯籠を手に、互いに何が何やら分からない。とにかく、一つの名詞が中国に帰化すると、たちまち一団糟となる。偉人は、以前は良い呼び名だったが、今ではこう呼ばれるのは罵られるに等しい。学者や教授は、二、三年前にはまだ清潔な称号だった。自愛ある者が文学者の称号を聞いて逃げ出すのは、今年すでに第一歩が始まった。だが世界に本当の偉人、本当の学者や教授、本当の文学者はいないのか? そうではない。ただ中国だけが例外なのだ。 | ||
| − | + | 仮にある人が路傍に唾を一つ吐き、自分でしゃがんで見ていると、たちまち一群の人だかりができる。また仮に別の人がいきなり一声叫んで走り出すと、たちまち皆が逃げ散る。まったく「何を聞いて来たり、何を見て去る」か分からぬのに、心に不満を抱き、その得体の知れぬ対象を「畜生!」と罵る。だが唾を吐いた者も一声叫んだ者も、結局のところやはり大人物なのだ。もちろん、沈着で地に足のついた人々はいる。だが偉人などの名の尊ばれたり貶められたりは、概して唾の代わりにされているだけだ。 | |
| + | 社会がこれで賑わいを増すのは、感謝に値する。だが烏合の前に一考し、雲散の前にもう一考すれば、社会は必ずしも冷静にならずとも、もう少しましにはなるだろう。 | ||
| − | + | (五月十四日。) | |
| + | === 第25節 === | ||
| − | + | 【己を推して人に及ぼす 夢文 】 | |
| + | 何年前だったか忘れたが、ある詩人が私を教え諭して言った。愚衆の世論は天才を罵り殺す。例えば英国のキーツがそうだと。私はそれを信じた。去年、何人かの名作家の文章を見ると、批評家の漫罵は良い作品を萎縮させ引っ込めさせ、文壇を荒涼冷寂にすると言っている。もちろん、私はまたそれを信じた。 | ||
| − | + | 私も作家たらんとする者であり、しかも自分が確かに作家であると感じているが、まだ罵られる資格を得ていない。創作を書いたことがないからだ。萎縮して引っ込んだのではなく、まだ這い出していないのだ。這い出せない原因は、きっと私の妻と二人の子供の喧騒のせいだ。彼女たちもまた漫罵の批評家と同様、その職務は真の天才を滅ぼし、良い作品を怯えさせ退却させることにある。 | |
| + | 幸い今年の正月、私の義母が娘に会いたいと言い、彼女たち三人は田舎に帰った。私はまさに耳目清浄、猗歟休哉、偉大な作品を生み出す時代が到来した。ところが不幸なことに、今やすでに旧暦の四月初め、丸三か月も静かにしていたのに、まだ何一つ書けていない。もし友人に成果を問われたら、何と答えたらよいのか? まだ彼女たちの喧騒のせいにできようか? | ||
| − | + | そこで私の信念がいささか揺らいだ。 | |
| + | 私には元来、良い作品など書けるはずがなく、彼女たちの喧騒とは無関係なのではないか。しかもいわゆる名作家にも、良い作品などありはせず、批評家の漫罵とも関係ないのではないか、と疑い始めた。 | ||
| − | + | ただし、喧騒する者あり、漫罵する者あれば、作家に作品がないことの隠れ蓑にはなり得る。本来あるはずだったのに、あの連中に台無しにされたのだと言えるのだから。かくして彼は落ちぶれた小生のごとく、たとえ作品がなくとも、見物客から一掬また一掬の同情の涙を勝ち得ることができる。 | |
| + | 仮に世に天才が本当にいるなら、漫罵の批評はその人を損なう。作品を罵って退却させ、作家たらしめない。しかし漫罵の批評は、凡才にとっては有益で、作家たる地位を保たせてくれる。ただし作品は怯えて退却したことになっている。 | ||
| + | この三か月余りで私に浮かんだ「インスピレーション」はただ一つ、ロラン夫人の口調を借りて言えば、「批評よ批評よ、世のいかほどの作家、汝の罵りを借りて存す!」 | ||
| + | (五月十四日。) | ||
| − | + | === 第26節 === | |
| + | 【偶感 公汗 】 | ||
| + | 東三省の陥落と上海の戦闘の折、砲声は聞こえても砲弾の心配はない大通りでは、至る所で『推背図』が売られていた。人々が早くも敗因を天命に帰したがっていたのが分かる。三年後、華北も華南も危急に瀕しているのに、上海に出現したのは「碟仙(コックリさん)」だ。前者が関心を寄せたのはまだ国運であったが、後者はもっぱら試験問題、くじ、亡霊を尋ねるだけだ。着眼の大小は大いに異なるが、名目はさらに立派だ。なぜならこの「霊乩」は、中国の「留独学生・白同君の発明」にかかり、「科学」に合致するからだ。 | ||
| + | 「科学救国」と叫ばれて十年近く、誰もがこれは正しいと知っている。「ダンス救国」「拝仏救国」の類ではない。青年が留学して科学を学ぶ者あり、博士が科学を学んで帰国する者あり。ところが中国にはやはり独自の文明があり、日本とは違うのであって、科学は中国文化の不足を補うどころか、かえって中国文化の高深を証明してしまった。風水は地理学に合致し、門閥は優生学に合致し、錬丹は化学に合致し、凧揚げは衛生学に合致する。「霊乩」の「科学」に合致するも、その一つに過ぎない。 | ||
| + | 五四の時代に陳大齊先生がかつて扶乩の欺瞞を暴く論を書いたが、十六年後に白同先生が碟子で扶乩の合理性を証明した。これではまったく、何と言ってよいか分からない。 | ||
| + | しかも科学は中国文化の高深をさらに証明しただけでなく、中国文化の発揚をも助けた。麻雀卓のそばでは電灯が蝋燭に取って代わり、法会の壇上ではマグネシウム光がラマ僧を照らし、無線放送が日々流すのは、『狸猫換太子』、『玉堂春』、『ありがとう小雨さん』ではないか? | ||
| − | + | 老子曰く、「之が為に斗斛を作りて以て之を量らば、則ち斗斛と併せて之を窃む」と。ロラン夫人曰く、「自由よ自由よ、いかほどの罪悪、汝の名を仮りて行わる」と。新しい制度、新しい学術、新しい名詞が中国に伝わるたびに、まるで黒い染め壷に落ちたかのように、たちまち真っ黒になり、私利を済し焔を助ける道具と化す。科学もまた、その一つに過ぎない。 | |
| + | この弊害が去らぬ限り、中国に薬はない。 | ||
| − | + | (五月二十日。) | |
| + | === 第27節 === | ||
| + | 【秦理斎夫人の事を論ず 公汗 】 | ||
| + | ここ数年、新聞に経済的圧迫や礼教の制裁のために自殺した記事がしばしば見られるが、このために口を開き、あるいは筆を執る者は甚だ少ない。ただ最近の秦理斎夫人とその子女、一家四人の自殺だけは、少なからぬ反響を呼んだ。後にはこの事件の新聞記事を懐にしたまま自殺した者まで現れ、その影響の大きさが分かる。思うに、これは人数が多かったからだ。単独の自殺では、もはや皆の注目を集めるに足りなくなったのだ。 | ||
| − | + | あらゆる反響の中で、この自殺の主謀者——秦夫人に対しては、恕辞も加えられはしたが、結論は非難に他ならなかった。なぜなら——評論家が言うには——社会は暗黒だとしても、人生の第一の責任は生存であり、自殺するのは職務怠慢だ。第二の責任は苦しみを受けることであり、自殺するのは安逸への逃避だ。進歩的な評論家は人生は戦闘であると言い、自殺者は逃兵であり、たとえ死んでも罪を免れぬと。これも言えなくはない。だが大雑把に過ぎる。 | |
| + | 世に犯罪学者あり、一派は環境に由ると言い、一派は個人に由ると言う。今流行しているのは後者で、もし前者を信じれば、犯罪をなくすには環境を改造せねばならず、事が面倒で恐ろしくなるからだ。秦夫人の自殺の批判者は、概して後者に属する。 | ||
| + | たしかに、自殺した以上、これは彼女が弱者であったことを証明している。だが、なぜ弱者になったのか? 肝心なのは、彼女の舅の書簡を見ることだ。帰って来いと言うために、両家の名声を以て脅し、亡夫の乩語を以て心を動かそうとした。さらに彼女の弟の挽聯も見るべきだ。「妻は夫に殉じ、子は母に殉じ……」と、千古の美談と見なす気配が大いにあるではないか。このような家庭で生まれ育ち薫陶を受けた者に、弱者にならずにいられようか? 我々は確かに奮闘を求めてよいが、暗黒の呑み込む力は孤軍をしばしば圧し、しかも自殺の批判者は必ずしも戦闘の応援者ではなく、他人が奮闘する時、苦闘する時、敗れる時には、おそらく鴉雀無声なのだ。窮郷僻壤や都会の中で、孤児寡婦、貧女労人が運命に従って死に、あるいは抗っても結局死なざるを得ぬ者がどれほどいるか。だが誰の口にのぼり、誰の心を動かしただろうか? まさに「溝の中で自ら首をくくりて之を知る者莫し」だ! | ||
| + | 人は確かに生存すべきだが、進化のためにだ。苦しみを受けてもよいが、将来のあらゆる苦しみを解消するためにだ。さらに戦うべきだが、改革のためにだ。他人の自殺を責める者が、一方で責めながら、人を自殺へ追いやる環境に挑戦し、攻撃すべきだ。もし暗黒の主力に対しては一言も呈さず、一矢も放たず、ただ「弱者」に向かってくどくどと言い続けるならば、たとえ彼がいかに義憤にかられた形相をしようと、私は言わざるを得ない——私もまた堪えかねた——彼は実は殺人者の共犯に過ぎないのだ。 | ||
| + | (五月二十四日。) | ||
| + | === 第28節 === | ||
| + | 【「……」「□□□□」論補 曼雪 】 | ||
| − | + | 徐先生が『人間世』でこの題名の論を発表された。この道において、私はそれほど深く究めてはいないが、「愚者の千慮にも必ず一得あり」で、少し補いたい。もちろん、浅薄なこと甚だしいが。 | |
| + | 「……」は洋物で、五四運動以後に初めて輸入された。以前、林琴南先生が小説を訳す時に「此の語未だ完(お)わらず」と注記していたのが、この記号の翻訳だ。洋書では普通六点を用いるが、吝嗇な者は三点しか使わない。しかし中国は「地大物博」で、同化の際に次第に伸び、九点、十二点、ついには数十点にもなった。ある種の大作家に至っては、少なくとも三、四行は点を打ち、その中の奥義が無窮無尽にして、まことに言語で形容し難いことを示す。読者も大抵そう思い、その奥義が感じ取れないなどと言おうものなら、低能児と見なされる。 | ||
| + | だが結局のところ、アンデルセンの童話「皇帝の新しい服」に似て、実は何もないのだ。ただし子供でなければ、正直に大声でそう言い出す者はいない。子供は文学者の「創作」を読まないから、中国では誰も言い破る者がいない。だが天候はいずれ寒くなり、裸では一年中路上を歩けない。結局は宮中に隠れ込むしかなく、数行に点を打つだけの妙文も、近頃はあまり見かけなくなった。 | ||
| + | 「□□」は国産品で、『穆天子伝』にすでにこの代物がある。先生は私に教えて曰く、闕文(欠字)だと。この闘文もかつて事を起こした。「口生垢、口戕口」の三つの「口」の字も闕文だと誰かが言い、また誰かにひどく罵られた。ただし以前は古人の著作にのみ見られ、補いようがなかったのに、今では今人の著作にも見られるようになり、補いたくても補えない。目下では次第に「××」で代用する傾向がある。これは日本からの輸入だ。これが多ければ、読者はその著作の内容が激烈であるかのように予感する。だが実はそうでない場合もある。適当に×を数行入れて印刷すれば、読者に作家の激烈さを敬服させ、検閲員の峻厳さを恨ませることができるが、検閲に出す際には、検閲員に自分の従順さ——多くのことをあえて言わず、ただ×を打つばかりの勤勉さ——を愛でさせることもできる。一挙両得で、数行に点を打つよりさらに巧妙だ。中国は今まさに抗日の最中だから、この日本からの錦の妙計は、おそらく模倣されずに済むだろう。 | ||
| − | + | 今では何でも金で買わねばならず、当然何でも金になり得る。だが「何もないこと」さえも金になるとは、いささか意外だ。もっとも、このことを知ってしまえば、謡言をなりわいとするのは、今の時代にあってもなお「品質正真、子供にもお年寄りにも騙しなし」の暮らしだと分かる。 | |
| + | (五月二十四日。) | ||
| − | + | === 第29節 === | |
| + | 【誰が没落しているのか? 常庚 】 | ||
| − | + | 五月二十八日の『大晩報』が、文芸上の重要なニュースを一つ伝えてくれた。 | |
| + | 「わが国の美術名家・劉海粟、徐悲鴻等が、近頃ソ連のモスクワで中国書画展覧会を開催し、彼の国の人士から絶大な賞讃を得た。わが国の書画の名作を称揚し、ソ連で目下盛んな象徴主義の作品にぴたりと合うと。そもそもソ連の芸術界はかねて写実派と象徴派に分かれるが、目下、写実主義は漸く没落し、象徴主義は朝野一致して提唱し、欣欣向栄の概を呈している。彼の国の芸術家がわが国の書画作品を見て象徴派に深く合うと認めて以来、直ちに中国の演劇もまた象徴主義を採っているに違いないと想起し、……中国の戯曲名家・梅蘭芳等を招いて上演させようとしている。この件は既にロシア側と中国駐ロシア大使館との間で折衝中であり、同時にソ連駐中国大使ボゴモロフもまた訓令を奉じ、わが方と協議中である。……」 | ||
| − | + | これは朗報であり、喜ぶに値する。だが「国光を発揚」したと喜んだ後、なお冷静になって、以下の事実を考えるべきだ。 | |
| + | 一、もし中国画と印象主義に一脈相通ずるものがあると言うなら、まだ筋が通る。しかし「ソ連で目下盛んな象徴主義に合致する」とは、夢言に近い。半枝の紫藤、一株の松、一頭の虎、数羽の雀。確かに実物に似ていないものもあるが、それは似せて描けなかったからで、何か別のものを「象徴」しているわけではない。 | ||
| − | + | 二、ソ連で象徴主義が没落したのは十月革命の時で、その後は構成主義が台頭し、さらにそれが次第に写実主義に取って代わられた。だから「構成主義が漸く没落し、写実主義が欣欣向栄の概を呈す」と言うなら筋が通る。さもなければ夢言だ。ソ連文芸界に象徴主義の作品がいったい何があるというのか? | |
| + | 三、隈取りと手振りは代数であって、象徴ではない。白い鼻筋が道化役を表し、花模様の顔が豪傑を表し、鞭を執れば騎馬を表し、手を押せば開門を表す以外に、何かしら言い尽くせぬ、演じ尽くせぬ深い意義がどこにあるのか? | ||
| − | + | ヨーロッパは我々からまことに遠く、あちらの文芸事情もまことにあまり明らかではない。だが二十世紀はすでに三分の一を過ぎた今日、粗浅なことは多少知っている。こうしたニュースはかえって「象徴主義作品」のように思える。それが象徴するのは、彼らの芸術の消滅だ。 | |
| + | (五月三十日。) | ||
| − | + | === 第30節 === | |
| + | 【逆さ吊り 公汗 】 | ||
| − | + | 西洋の慈善家は動物虐待を見るのを嫌い、鶏鴨を逆さに提げて租界を通れば処罰される。処罰といっても罰金に過ぎず、金さえ出せばまだ逆さに提げてもよいが、ともかく処罰された。そこで何人かの中国人が大いに不平を鳴らし、西洋人は動物を優遇し中国人を虐待する、鶏鴨にも劣るとまで言う。 | |
| + | これは実は西洋人を誤解している。彼らが我々を蔑視しているのは確かだが、動物以下に見ているわけではない。もちろん、鶏鴨というものは、いずれにしても厨房に送られて御馳走にされるだけで、たとえ順に提げたところで最終的な運命は変わらない。しかし言葉も話せず抵抗もできないものを、なぜ無益な虐待を加えるのか? 西洋人は何事も益のあることを重んじる。我々の古人は、民の「倒懸(逆さ吊り)」の苦しみは思い至っていて、しかもまことに切実に形容していたが、鶏鴨の逆さ提げの災いにまではまだ気づいていなかった。しかし「生きたまま驢馬の肉を切り取る」「活きた鵞鳥の掌を焼く」といった無聊な残虐に対しては、早くから文章で攻撃していた。この種の心は、東西に共通するものだ。 | ||
| − | + | だが人に対する心は、いくぶん異なるようだ。人は組織でき、反抗でき、奴にもなれ主にもなれる。努力しなければ当然いつまでも下僕だが、自由解放すれば互いの平等を獲得でき、その運命は必ずしも厨房に送られて御馳走にされることに終わるわけではない。下等な者ほど主人に愛され可愛がられる。だから西崽(洋人の下僕)がボーイを叩けば西崽が叱られ、平民が西崽に逆らえば平民が咎められる。租界に中国人の苛待を禁じる規則がないのは、まさに我々が自ら力を持ち、自ら能力を持つべきで、鶏鴨とはまるで違うからだ。 | |
| + | しかし我々は古典から、仁人義士が倒懸を解いてくれるという戯言を聞き慣れ、今に至るもなお天か何か高く遠いところから恩典が降ってくるのを期待し、甚だしきは「乱離の人と作(な)る莫かれ、寧ろ太平の犬と為れ」と、犬になることも厭わぬくせに、団結して改革することは肯じない。租界の鶏鴨にすら及ばぬと自嘆する者にも、まさにこの気味がある。 | ||
| + | この手の人物が多くなれば、かえって皆が逆さに吊るされることになり、しかも厨房に送られる際にも一時的に救ってくれる者がいない。これはまさに我々が人間であるにもかかわらず、情けない人間であるからだ。 | ||
| + | (六月三日。) | ||
| − | + | 「花罫文学」を論ず 林默 | |
| + | 近頃一種の文章がある。四方を花罫で囲まれ、いくつかの付録欄から出現する。この文章は毎日一段、雍容閑適、緻密整然として、外形は「雑感」に似て「格言」にも似るが、内容は痛くも痒くもなく、何の手がかりもない。小品か語録の類のようだ。今日は一則の「偶感」、明日は一段の「聞くところによれば」。作者から見れば、自然、良い文章だ。あちらこちらひっくり返しても道理になるから、八股の能事を尽くしたと言える。だが読者から見ると、痛くも痒くもないが、往々にして毒汁が滲み、妖言を散布している。例えばガンディーが刺されると、たちまち一篇の「偶感」を書き、「マハトマ」を一通り称揚し、暴徒の反乱を一通り罵倒し、聖雄のために気を吐き災いを祓い、ついでに読者に「すべてを見定めよ」「勇武なる平和」の不抵抗説教を一くさり宣じる。この種の文章に名を付けるなら、「花罫体」あるいは「花罫文学」とでも呼ぼう。 | ||
| + | この花罫体の来歴は、鳥道に入った後の小品文の変種だろう。この種の小品文の擁護者によれば、これは後世に伝わるはずだという(『人間世』「小品文について」参照)。では彼らの「伝わり方」を見てみよう。六月二十八日の『申報・自由談』にこういう文章が載った。題名は「逆さ吊り」。大意は、西洋人が鶏鴨の逆さ提げを禁じているのに対し、中国人の中に不平を鳴らす者がいて、西洋人は中国人を虐待し鶏鴨にも及ばぬというのだ。 | ||
| + | そこでこの花罫文学者が議論する。「これは実は西洋人を誤解している。彼らが我々を蔑視しているのは確かだが、動物以下には見ていない。」 | ||
| + | なぜ「見ていない」のか? 曰く、「人は組織でき、反抗でき、……自ら力を持ち、自ら能力を持ち、鶏鴨とはまるで違うからだ」と。だから租界に中国人の苛待を禁じる規則がない。中国人の苛待を禁じないのは、当然、中国人を鶏鴨以上に見ていることになる。 | ||
| + | 不平なら、なぜ反抗しないのか? | ||
| + | そしてこの不平の士は、花罫文学者が「古典」から得た証明によれば、「犬になっても構わぬ」類の、情けない連中だと断じられる。 | ||
| − | + | この意味は明白だ。第一に、西洋人は中国人を鶏鴨以下に見ていない。鶏鴨に及ばぬと自嘆する者は、西洋人を誤解している。第二に、西洋人からこのような優遇を受けているのだから、不平を鳴らすべきではない。第三に、彼は確かに表面上は人が反抗できることを認め、反抗を呼びかけてはいるが、実は西洋人が中国人を尊重するがゆえに、この虐待はむしろ欠かせず、さらに一歩進めてもよいと言っているのだ。第四に、もし不平を鳴らす者があれば、彼は「古典」から、これは中国人が情けないからだと証明できる。 | |
| + | 上海の洋行には、洋人のために商売をする中国人がおり、通称「買弁」と呼ばれる。彼らが同胞と商売する際には、洋物がいかに国産品より優れているか、外国人がいかに礼節と信用を重んじるか、中国人は豚だ、淘汰されるべきだと吹聴するほかに、もう一つの特徴がある。洋人を指して「うちの旦那」と呼ぶのだ。思うに、この「逆さ吊り」の傑作は、その口振りからして、おおむねこの手の人々が「うちの旦那」のために書いた手によるものだろう。なぜなら第一に、この手の人々は常に西洋人を理解していることを自慢し、西洋人から丁重に扱われている。第二に、彼らは往々にして西洋人(すなわち彼らの旦那)が中国を統治し中国人を虐待することに賛成する。中国人は豚だからだ。第三に、彼らは中国人が西洋人を恨むことに最も反対する。不平を抱くのは、彼らから見れば危険思想だ。 | ||
| + | この手の人々から、あるいはこの手の人々になりたい者の筆から産み出されたのが、この「花罫文学」の傑作だ。ただし惜しむらくは、この種の文人も文字も、西洋人のためにいかに弁護説教しようとも、中国人の不平は免れ難い。なぜなら西洋人は中国人を鶏鴨以下に見てはいないかもしれないが、事実上は鶏鴨以上にも見ていないようだからだ。香港の差役が中国人犯人を逆さに提げて二階から投げ落としたのは、すでに遠い昔の話。近くは上海で、去年の高丫頭、今年の蔡洋其の輩、彼らの遭遇は鶏鴨に勝るどころか、死傷の惨さは鶏鴨を上回る。これらの事実は我々中国人にははっきり見えていて、振り返ってすぐ忘れるものではない。花罫文学者の口と筆でどうして朦朧とさせられようか? | ||
| + | 不平を抱く中国人は本当に、花罫文学者の「古典」の証明する通り、一律に情けないのか? そうでもない。我々の古典の中には、九年前の五・三〇運動、二年前の一・二八の戦い、今なお艱苦に堪えて持ちこたえている東北義勇軍があるではないか。これらが中国人の不平の気が集結して成った勇敢な戦闘と反抗でないと、誰が言えようか? | ||
| − | + | 「花罫体」文章が後世に伝わるための長所はすべてここにある。今は確かに伝わっており、ある人々に擁護されている。だがそう遠くないうちに、これを唾棄する者が現れるだろう。今は「大衆語」文学を建設する時だ。「花罫文学」は、その形式であれ内容であれ、大衆の目に、いつか伝わり得なくなる日が来るだろうと私は思う。 | |
| + | この文章はいくつもの場所に投稿したが、すべて拒否された。まさかこの文章もまた私怨を晴らそうとしている嫌疑がかけられたのか? だが「指示」などはない。事実に即して論じ、一吐の必要を感じたのだ。文中に行き過ぎた点があるかもしれないが、私がまったく間違っているとは、認めるわけにはいかない。もし不快を与えたのが先輩か友人であったなら、この点をご諒解いただきたい。 | ||
| − | + | 筆者附識。 | |
| + | (七月三日『大晩報・火炬』。) | ||
| − | + | === 第31節 === | |
| + | 【玩具 宓子章 】 | ||
| − | + | 今年は児童年だ。私はそれを覚えているので、子供に与える玩具をしばしば見る。 | |
| + | 大通り沿いの洋物店に小さな雑貨が吊るされ、紙にフランスから運んだと書いてある。だが私は日本の玩具店で同じ品を見たことがあり、値段はもっと安かった。担ぎ棚や小さな露店では、だんだん大きく膨らむゴム風船が売られ、上に印が押してある。「完全国貨(純国産品)」。中国自製と分かる。しかし日本の子供が遊ぶゴム風船にも同じ印があるが、あちらは当然彼ら自身の製造だ。 | ||
| − | + | デパートには武器の玩具がある。指揮刀、機関銃、戦車……。だが金持ちの子供でさえ、持って遊んでいる者は少ない。公園では外国の子供が砂を丸い山に集め、短い木の枝を二本横に差す。明らかに装甲砲車を創造しているのだ。一方、中国の子供は青白い、痩せた顔をし、大人の背後に隠れ、恥ずかしそうに、怯えたように見つめている。身には極めて上品な長い衫(きもの)を着ている。 | |
| + | 我々中国では大人用の玩具が多い。妾、阿片パイプ、麻雀牌、『小雨さんありがとう』、科学コックリさん、金剛法会、その他もろもろ。忙しくて子供のことに頭が回らない。たとえ児童年であっても、一昨年の戦禍を身を以て経験しても、そのために子供に記念の小さな玩意を一つも創り出さず、すべてそのまま真似るだけだ。来年は児童年ではないのだから、その有様は推して知るべしだ。 | ||
| + | だが江北の人々は玩具作りの天才だ。二つの長短の異なる竹筒を紅緑に染め、一列に連ね、筒内にバネを仕込み、脇に把手を付ける。回すとカタカタと鳴る。これが機関銃だ! 私が見た唯一の創作でもある。私は租界の端で一つ買い、子供と一緒に回しながら道を歩いた。文明的な西洋人と勝利者たる日本人が見れば、大抵は軽蔑か哀れみの苦笑を投げかけてくる。 | ||
| + | だが我々は回しながら道を歩き、少しも恥じない。これは創作だからだ。一昨年以来、江北人を罵ってさも自分の高潔を示さんとする者が少なくなかったが、今は沈黙し、あの高潔も渺々として茫々だ。一方、江北人は粗っぽい機関銃の玩具を創り出し、堅い自信と素朴な才能で文明の玩具と競っている。彼らは、外国から最新式の武器を買って帰った人物よりも、はるかに賞讃に値すると私は思う。たとえまた誰かが私に軽蔑か哀れみの冷笑を投げかけるとしても。 | ||
| − | + | (六月十一日。) | |
| + | === 第32節 === | ||
| + | 【零食(おやつ) 莫朕 】 | ||
| + | 出版界の現状は、定期刊行物が多く専門書が少ない。心ある者を憂えさせる。小品が多く大作が少ない。これまた心ある者を憂えさせる。心があれば、まことに「日々愁いの城に坐す」だ。 | ||
| + | だがこの状況は由来すでに久しく、今はやや変遷して一層顕著になっただけだ。 | ||
| + | 上海の住民はもともと間食を好む。耳を澄ませば、通りで間食を売り歩く声はいつも「実に多い」。桂花白糖倫教糕、豚脂白糖蓮心粥、蝦肉雲呑麺、芝麻バナナ、南洋マンゴー、西路(タイ)蜜柑、瓜子大王、さらに蜜煎、オリーブなどなど。胃が丈夫なら朝から夜中まで食べ続けられるが、丈夫でなくとも構わない。脂っこい魚や大きな肉とは違い、量はもとよりごく少ないからだ。その効能は、消閑の中に養生の益を得、しかも味がよいとか。 | ||
| + | 数年前の出版物は「養生の益」のある間食で、「入門」と称し、「ABC」と称し、「概論」と称し、要するに薄い一冊で、わずか数角(数十銭)を払い半時間を費やせば一つの科学なり文学の全貌なり一外国語なりが分かるとされた。つまり五香瓜子を一袋食べるだけで人を栄え茂らせ、五年分の飯に匹敵するということだ。何年か試して効果が上がらず、かなり意気消沈した。試して名ばかりで実がなければ、意気消沈するのは避けられない。例えば今ではもう仙丹を修めたり金を練ったりする者はほとんどおらず、温泉に浸かり宝くじを買うことに取って代わられた。試みて無効の結果だ。そこで「養生」の面を緩め、「味がよい」方に偏った。もちろん間食はやはり間食だ。上海の住民は間食と死んでも離れられない。 | ||
| − | + | かくして小品が出現したが、これもまた新しい趣向ではない。老九章が繁盛していた頃にすでに『筆記小説大観』の類があった。間食の大箱だ。老九章が閉店すると、当然それも一つまみに縮んだ。分量が減ったのに、なぜかえって喧しく満城風雨となったのか? 思うに、担ぎ棚の上に篆字とローマ字を合わせた極彩色のネオン看板を掲げたからだ。 | |
| + | しかし、やはり間食に変わりはないのに、上海の住民の感応力は以前より鋭敏になった。さもなければなぜ喧しくなろう。だがそれはおそらく神経衰弱のせいかもしれない。もしそうなら、間食の前途はむしろ憂うべきだ。 | ||
| + | (六月十一日。) | ||
| + | === 第33節 === | ||
| − | + | 【「此生或彼生」 白道 】 | |
| + | 「此生或彼生。」 | ||
| − | + | 今この五文字を書いて、読者に問う。どういう意味か? | |
| − | + | もし『申報』で汪懋祖先生の文章を見たことがあり、「……例えば『この学生かあの学生』と言うのに、文言ならただ『此生或彼生』で済み、その省力たるやいかに?……」という一節を知っていれば、これが「この学生かあの学生」の意味だと推測できるかもしれない。 | |
| + | さもなければ、答えはおそらく躊躇するだろう。この五文字には少なくともあと二通りの解釈が可能だからだ。一、この秀才かあの秀才(生員)。二、この世かあの世(来世)。 | ||
| − | + | 文言は白話に比べて確かに字数が少ないことがあるが、意味もそれだけ曖昧になる。我々が文言を読む時、往々にして知識を増やすどころか、すでに持っている知識を使って注解を加え、補足せねばならない。正確な白話に翻訳して初めて、理解したと言えるのだ。もし初めから白話を使えば、たとえ数文字多く書いても、読者にとって「その省力たるやいかに?」 | |
| + | 私は文言を主張する汪懋祖先生自身が挙げた文言の例を以て、文言の役立たずを証明してしまったのだ。 | ||
| − | + | (六月二十三日。) | |
| + | === 第34節 === | ||
| − | + | 【まさにその時 張承禄 】 | |
| + | 「山梁の雌雉、時なるかな時なるかな!」物事にはおのずと時節がある。 | ||
| − | + | 「聖経」「仏典」は一部の人々に茶化されること十余年、「今の是なるを覚り昨の非なるを覚る」今こそ復興の時だ。関羽と岳飛は清朝に幾度も封贈された神明だが、辛亥革命で閑却された。再び思い出されたのは袁世凱の晩年だが、袁世凱と共に棺の蓋を閉じた。二度目に思い出されるのは今だ。 | |
| + | この時節だから、当然、文言を重んじ、故事を振りかざし、雅を標榜し、古書を読む。 | ||
| − | + | もし小家の子弟ならば、たとえ外がどんな嵐であっても、勇往邁進、命がけで足掻く。安住できる古巣がないから、前に進むしかない。もちろん身代を築いた後には、家譜を修め祠堂を建て、いかにも旧家の子弟然とするかもしれないが、それはまだ先の話だ。もし旧家の子弟なら、見栄を張るため、好奇心のため、時流のため、飯のために、必ずしも外出しないわけではないが、ちょっとした成功、あるいはちょっとした挫折で、すぐに退却する。しかもこの退却は半端ではなく、家にまで引き返す。さらに悪いのは、その家が古びて荒れ果てた大邸宅であることだ。 | |
| + | この大邸宅には蔵の古物があり、壁隅の埃があり、一朝一夕には運び出せない。もし遊んで暮らす余裕があれば、あちこち探し回り、古書を修復し、古瓶を磨き、家譜を読み、祖先の徳を偲んで、何年も過ごせる。もし窮乏の極みなら、なおさら古書を修復し、古瓶を磨き、家譜を読み、祖先の徳を偲び、ひいては汚い壁の根元を掘り返し、空っぽの引き出しを開けて、自分でも何だか分からぬ宝物を見つけ出し、どうしようもない貧窮を救おうとする。この二種の人、小康と窮乏は異なり、悠閑と切迫は異なり、したがって結末の緩急も異なるが、この時節には、いずれも古董の中に糊口を求めているのだから、主張と行為は何ら変わらず、勢いも大きく見える。 | ||
| − | + | そこで一部の青年にも影響を与え、古董の中に本当に自分の救い主を見出せると思わせる。小康者を見れば、かくも閑適だ。切迫者を見れば、かくも専精だ。これにはきっと何か道理がある、と。模倣者が出るのは当然だ。だが時光も決して容赦しない。彼はついに空虚を得ることになる。切迫者は妄想であり、小康者は戯れだ。主張者に特操なく灼見なくば、古董を香案に供えよと言おうが厠に棄てよと言おうが、実はどちらもその時々の自欺欺人の任務を果たしているだけで、先例を探せば至る所にある。 | |
| + | (六月二十三日。) | ||
| + | === 第35節 === | ||
| + | 【重訳を論ず 史贲 】 | ||
| − | + | 穆木天先生が二十一日の『火炬』で、作家が無聊な遊記の類を書くのに反対し、中国にギリシア・ローマ以来現代に至る文学の名作を紹介する方がよいと述べた。これは極めて切実な忠告だと思う。だが十九日の『自由談』では、間接翻訳に反対して「ずるい方法だ」と言い、いくつかの許容条件は付しているものの。これは彼自身の後の発言と矛盾し、また誤解を招きやすいので、一言述べたい。 | |
| + | 重訳が直接訳より容易なのは確かだ。まず、原文が持つ、訳者をして自らの力不足を恥じしめ、筆を執るのを躊躇わせる美点が、先行の訳者によって幾分か消されている。訳文は原文に及ばないのが通例で、中国の広東語を北京語に、あるいは北京語を上海語に訳しても、なかなかぴったりとはいかない。重訳では、原文の美点に対する躊躇が軽減される。次に、難解な箇所には、忠実な訳者が注解を付けていることが多く、一目瞭然で、原書には必ずしもそれがない。だがそのため、直接訳では誤りがあるのに、間接訳では正しいということも時にある。 | ||
| + | ある国の言語に通じているなら、その国の文学を訳すのが最もよい。この主張にまったく誤りはない。だがそうなると、中国にはギリシア・ローマ以来現代に至る文学名作の翻訳がほとんどなくなってしまう。中国人が解する外国語は、おそらく英語が最も多く、日本語がこれに次ぐ。重訳しなければ、英米と日本の文学作品だけしか見られないことになり、イプセンもイバニェスもなく、極めて普及しているアンデルセンの童話、セルバンテスの『ドン・キホーテ』すら見ることができない。何と哀れな視野だろう。もちろん中国にデンマーク語、ノルウェー語、スペイン語に精通する人がいないわけではないが、彼らは今に至るまで訳していない。我々が今持っているものはすべて英語からの重訳だ。ソ連の作品でさえ、大抵は英語やフランス語からの重訳だ。 | ||
| + | だから私は、翻訳に対しては今のところ厳格な砦を設ける必要はないと思う。最も肝心なのは訳文の良し悪しであって、直接訳か間接訳かは問う必要がなく、投機かどうかも詮索する必要がない。原訳文に深く通じた便乗者の重訳本が、原語をよく分からぬ忠実者の直接訳本より優れていることもある。日本の改造社訳『ゴーリキー全集』はかつて一部の革命家に投機と批判されたが、革命家の訳本が出ると、かえって前者の優良さが際立った。ただし一つ条件を付す。原訳文もろくに分からぬ便乗者の速成訳本だけは、確かに許し難い。 | ||
| + | 将来、各名作に直接訳本ができた暁には、重訳本は淘汰されるべき時だ。ただしその訳本が旧訳本より優れていなければならず、単に「直接翻訳」を護身の楯にしてはならない。 | ||
| + | (六月二十四日。) | ||
| + | === 第36節 === | ||
| − | + | 【再び重訳を論ず 史贲 】 | |
| + | 穆木天先生の「重訳その他を論ず」下篇の末尾を見て、初めて私の誤解を解こうとしていたのだと分かった。だが私は特に誤解があったとは思わない。違いはただ軽重を逆にしたことで、私は成果の良し悪しをまず見るべきだと主張し、訳文が直接か間接か、訳者の動機がどうかは問わないのだ。 | ||
| + | 木天先生は訳者に「自知」を求め、自分の長所を活かして「一労永逸」の書を訳せと言う。さもなければ、手を出さぬ方がよいと。つまり荊棘を植えるくらいなら、白地のままにしておき、別の良い園丁に永く観賞に耐える美花を植えてもらう方がよいということだ。だが「一労永逸」の言葉はあっても、「一労永逸」の事は極めて稀で、文字に限って言えば、中国のこの方形漢字は決して「一労永逸」の符号ではない。しかも白地も永久に保てない。空地があれば荊棘か雀麦が生える。最も肝心なのは処理する者がいることで、培植するなり除去するなりして、翻訳界を幾分か雑然としないようにすることだ。これが批評だ。 | ||
| + | しかし我々は従来、翻訳を軽く見てきた。とりわけ重訳を。創作に対しては、批評家はまがりなりにも時々口を開くが、翻訳となると、数年前にはまだ誤訳を指摘する文章がたまにあったが、近頃は甚だ稀だ。重訳に対してはなおさら少ない。だが仕事の上では、翻訳の批評は創作の批評より難しい。原文を見るには訳者以上の語学力が必要で、作品に対しても訳者以上の理解が必要だ。木天先生が言うように、重訳には数種の訳本を参照できるという利点がある。訳者にとってはまことに便利で、甲の訳本に疑問があれば乙を参看できる。直接訳はそうはいかない。分からぬ箇所があれば手の打ちようがない。異なる文章で二冊の一文一文が同じ意味の作品を書く著者は世にいないからだ。重訳書が多いのは、これも一因かもしれない。怠惰と言ってもよいが、おそらくはやはり語学力の不足のせいだろう。こうした各種の訳本を参酌して成った訳本に出会うと、批評はさらに難しくなる。少なくとも各種の原訳本が読めねばならない。陳源訳の『父と子』、魯迅訳の『壊滅』は、ともにこの類に属する。 | ||
| − | + | 私は翻訳の道を広くし、批評の仕事を重視すべきだと思う。もしただ厳格に論を立て、訳者に自ら慎重にさせようとするだけでは、かえって逆の結果を招く。良い者は慎重になるが、乱訳者は相変わらず乱訳し、その時には悪い訳本がましな訳本より多くなる。 | |
| + | 最後にさして重要でもない数言を付す。木天先生は重訳に疑いを抱くあまり、ドイツ語訳を見てから、自ら訳した『タシケント』のフランス語原訳が削節本だと断じた。実はそうではない。ドイツ語訳は確かに分厚いが、二つの小説の合本であり、後半の大部分はセラフィモーヴィチの『鉄の流れ』だ。だから我々の手にある漢訳『タシケント』は削節本ではない。 | ||
| − | + | (七月三日。) | |
| + | === 第37節 === | ||
| − | + | 【「徹底」の正体 公汗】 | |
| + | ある人の立論について、それを「高尚」だと言えば、論者の反感を招きかねない。しかし「徹底的」だとか「非常に前進的」だと言えば、まだ差し障りはないようである。 | ||
| + | 今やまさに「徹底的」で「非常に前進的」な議論が、「高尚」に取って代わった時代なのだ。 | ||
| + | 文芸にはもともと対象の限界がある。たとえば文学は、文字を理解する読者を対象としているのであり、文字の理解度には差があるから、文章に深浅があるのは当然だ。平易な字を使い、明白な文章を書くことを主張するのも、もとより作者の本分である。しかしここに「徹底」論者が現れて、こう言うのだ——中国には文盲が大勢いるが、どうするつもりだ? これはまさに文学者への痛棒であり、即座に悶死するしかない。 | ||
| − | + | もっとも別の救援を求めることもできる。つまり弁解だ。文盲はすでに文学の作用の範囲外にあるのだから、画家や演劇家や映画作家に出馬してもらい、文字以外の形象的なものを見せればよいのだ。しかしそれでも「徹底」論者の口を塞ぐには足りない。彼は文盲の中にはさらに色盲もいれば盲人もいる、どうするつもりだと言う。かくして芸術家たちも痛棒を食らい、即座に悶死するしかない。 | |
| + | では最後の足掻きとして、色盲や盲人には講演、歌、講談を用いればよかろう。それも道理ではある。しかし彼はまた問うのだ——まさか中国にはまだ聾者がいることを忘れたのではあるまいな? | ||
| + | またもや痛棒、悶死、皆悶死である。 | ||
| + | かくして「徹底」論者は結論を得る——現在の一切の文芸は、すべて無用であり、徹底的な改革なくしては駄目だ! | ||
| − | + | 彼はこの結論を確定した後、どこかへ行ってしまった。誰が「徹底的」に改革するのか? それは当然文芸家だ。しかし文芸家は「徹底的」でない者が多い。かくして中国には永遠に、文盲・色盲・盲人・聾者に対してすべて有効な——「徹底的」な優れた文芸は存在しないのである。 | |
| + | だが「徹底」論者は時折また顔を出して、文芸家を一頓ひどく叱責する。 | ||
| − | + | 文芸に携わる者が、このような大人物に出くわして、その鬼面を剥がすことができなければ、文芸は前進しないどころか萎縮するのみで、ついには彼に消滅させられるだろう。真摯な文芸家は、この種の「徹底」論者の正体を見極めなければならない! | |
| + | (七月八日。) | ||
| − | + | === 第38節 === | |
| + | 【蝉の世界 鄧当世】 | ||
| − | + | 中国の学者たちは、あらゆる知識は必ず聖賢から、あるいは少なくとも学者の口から出るものだと思い込んでいる。火や薬草の発明・応用すら民衆とは無縁で、すべて古代の聖王が一手に引き受けたことになっている——燧人氏、神農氏。だから「あらゆる知識は必ず動物の口から出るとは、実に奇妙なことだ」と思う者がいても、少しも不思議ではない。 | |
| + | そもそも「動物の口から出た」知識は、我が中国においては、しばしば真の知識ではない。暑さが殺人的で、窓も扉もみな開け放たれ、ラジオを備えた家々が音波を街頭に撒き散らし、「民と楽しみを共にする」。キーキーアーアー、歌い続ける。外国のことは知らないが、中国のラジオ放送は朝から晩まで芝居を歌っている。あるときは甲高く、あるときはしゃがれ、その気になれば、一刻たりとも耳に静寂を与えない。同時に扇風機を回し、アイスクリームを食べている者たちは、「水位大幅上昇」「旱魃すでに成る」の地とはまるで無関係で、窓の外で脂汗を流しながら終日生存を賭けて足掻く人々の場所とも、完全に別世界なのだ。 | ||
| − | + | 私はキーキーアーアーの朗々たる高唱の中で、ふとフランスの詩人ラ・フォンテーヌの有名な寓話「蝉と蟻」を思い出した。同じように火のような太陽の夏、蟻は地面で辛苦して働き、蝉は枝の上で高らかに吟じながら、蟻の俗っぽさを笑う。しかし秋風がやって来て、日ごとに冷え冷えと寒くなると、蝉は着る物も食べる物もなく、やつれ果てた姿となり、とうに備えのある蟻にこっぴどく教訓されるのだ。これは私が小学校で「教育を受けて」いたとき、先生が話してくれたものだ。あの頃はいたく感動したらしく、今でもときどき思い出す。 | |
| + | しかし思い出しはするものの、「卒業即失業」の教訓を経て、蟻とは意見がだいぶ異なってきた。秋風は間もなくやって来るし、日ごとに寒さも増すだろうが、そのとき着る物も食べる物もないのは、おそらく今まさに脂汗を流している人々の方であろう。洋館の周りは確かに静かになるが、それは窓も扉もきっちり閉めて、音波もろとも暖炉の暖気を留めているからで、あの中では、おそらく相変わらずキーキーアーアーと「ありがとう小雨さん」が流れていることだろう。 | ||
| + | 「動物の口から出た」知識は、我が中国においては、往々にして通用しないのではあるまいか? | ||
| + | 中国には中国の聖賢と学者がいる。「心を労する者は人を治め、力を労する者は人に治めらる。人に治めらるる者は人を食い、人を治むる者は人に食わる」——なんと簡潔明瞭なことか。もし先生が早くこれを教えてくれていたら、上のような感想を抱いて紙と筆を無駄にすることもなかっただろう。これもまた中国人が中国の古書を読まねばならぬ好い証拠であろう。 | ||
| − | + | (七月八日。) | |
| + | === 第39節 === | ||
| + | 【勘定 莫朕】 | ||
| + | 清代の学術のことになると、何人かの学者はいつも意気揚々として、あの発達は前代に例がないと言う。証拠もまことに十分だ——経書の注釈の大著が次々と現れ、小学(文字学・音韻学)も非常に進歩した。史論家は絶えたが、考証史家は少なくない。とりわけ考拠の学は、宋明の人々がまるで読み解けなかった古書を我々に理解させてくれた…… | ||
| + | しかしこう言うのもまた躊躇するところがある。英雄がこれをもって私をユダヤ人だと指定しはしないかと恐れるが、実際のところそうではない。私は学者が清代の学術を論じるのに遭遇するたびに、つい同時にこう考えてしまう——「揚州十日」「嘉定三屠」といった些事は言わぬが花としても、全国の土地を失い、みなで十分に二百五十年の奴隷となって、それでこの数頁の栄光ある学術史を手に入れたのだ。この商売、結局のところ儲けたのか、損をしたのか? | ||
| + | 惜しむらくは私は数学者でもなく、つまるところ明確にはできなかった。しかし直感的に感じるのは、これはおそらく損をしたということだ。庚子賠償金で限りある学者を何人か養成するよりも、累積した損失ははるかに大きい。 | ||
| + | だがこれもまた俗見に過ぎまい。学者の見解は得失を超越している。超越してはいるが、利害の大小の区別はまったくないわけでもないらしい。孔を尊ぶことより大なるはなく、儒を崇めることより要なるはない。だから孔を尊び儒を崇めさえすれば、いかなる新朝にも首を垂れて差し支えない。新朝への言い方は「かえって中国民族の心を征服した」というものだ。 | ||
| − | + | そしてこの中国民族の或る心は、まことに徹底的に征服されていて、今に至るまでなお、兵燹・疫病・水旱・風蝗を代償に、孔廟の重修、雷峰塔の再建、男女の同行の禁忌、四庫珍本の刊行といった大看板を得ようとしている。 | |
| + | 私とて災害が一時的なものに過ぎないことを知らぬわけではない。もし記録がなければ、翌年には誰も口にしなくなるだろう。しかし栄光の事業は永久のものだ。だが、どういうわけか、私はユダヤ人ではないにもかかわらず、いつも損益を論じたがり、これまで誰も取り上げたことのないこの一つの帳簿を、みなで計算してみたいと思うのだ。——しかも、今こそまさにその時なのだ。 | ||
| + | (七月十七日。) | ||
| + | === 第40節 === | ||
| − | + | 【水の性質 公汗】 | |
| + | このところ二十日近くも猛暑が続き、上海の新聞を見ると、ほとんど毎日、川に入って水浴びをし、溺死した者の記事が載っている。水郷では、これはめったにないことだ。 | ||
| − | + | 水郷は水が多く、水についての知識も多く、泳げる者も多い。もし泳げなければ、軽々しくは水に入らない。この泳げるという技能を、俗に「水性を知る」という。 | |
| + | この「水性を知る」ということを、「買弁」式の白話文でやや詳しく説明すれば、こうなる。一、火は人を焼き殺すことができるが、水もまた人を溺れさせることができると知ること。しかし水は姿が柔和で、親しみやすそうに見えるため、騙されやすい。二、水は人を溺れさせもするが、人を浮かせもすることを知り、そこでこれを操縦する方法を考え、もっぱら人を浮かせるという面を利用すること。三、操縦法を習得すること。この技法に熟達すれば、「水性を知る」ということは完了する。 | ||
| − | + | しかし都会の人々は、泳げないばかりか、水が人を溺れさせうることすら忘れているようだ。平素何の備えもなく、臨時にも水の深浅を測ろうとせず、耐え難い暑さに出くわすと、衣を脱いで飛び込む。不幸にして深い所に当たれば、もちろん死ぬ。しかも私の感じでは、そのとき進んで助けようとする人は、都会の方が田舎より少ないようだ。 | |
| + | だが都会人を助けるのもおそらくより難しい。なぜなら救う者はもちろん「水性を知る」必要があるが、救われる者もある程度「水性を知る」必要があるからだ。力を抜き、すべてを救助者に任せて顎を支えてもらい、浅瀬へ浮いていくべきなのだ。もし焦りすぎて救助者の体にしがみついて這い上がろうとすれば、救助者が名手でない限り、自分もろとも沈んでしまう。 | ||
| − | + | だから私は思う。川に入るなら、事前に少し泳ぎを覚えておくのがよい。何も公園のプールに行く必要はなく、川辺で十分だが、心得のある人の指導が必要だ。次に、諸事情で泳ぎが覚えられないならば、竹竿で先に川の深浅を探り、浅い所でお茶を濁す程度にすればよい。あるいは最も安全なのは水を汲んで川辺でかけるだけにすることだ。そして最も肝要なのは、水には泳げない者を溺死させる性質があると知り、しかもそれをしっかりと記憶することだ! | |
| + | 今さらこのような常識の宣伝を主張するのは、狂人か「花辺(ゴシップ)」狙いに見えるかもしれない。しかし事実はそうではないことを証明している。すべてのことは、前進的な批評家に気に入られようとして、目を閉じて大言壮語ばかりしていてはいけないのだ。 | ||
| + | (七月十七日。) | ||
| + | === 第41節 === | ||
| − | + | 【冗談は冗談として(上) 康伯度】 | |
| + | 思いがけず劉半農先生がにわかに病没された。学術界からまた一人減ったのだ。これは惜しまれて然るべきことだ。しかし私は音韻学に一切無知であり、毀誉どちらについても一言を発する資格がない。これによって私が思い出したのは別の一件である。すなわち、現在の白話が「揚棄」あるいは「唾棄」される前に、彼はすでに当時の白話、とりわけ欧化式の白話に対する偉大な「痛撃」者だったということだ。 | ||
| + | 彼にはかつて、極めて力を要さず、しかし極めて力のある妙文があった—— | ||
| + | 「今、私は一つの簡単な例を挙げるだけにしよう。 | ||
| + | 子曰く、『学びて時に之を習う、亦た説ばしからずや。』 | ||
| + | これは古臭すぎる、よくない! | ||
| + | 『学びて時に之を習う、』と子は曰うた、『亦た説ばしからずや。』 | ||
| − | + | これはよい! | |
| + | 『学びて時に之を習う、亦た説ばしからずや。』と子は曰うた。 | ||
| + | これはさらによい! なぜよいか? 欧化したからだ。しかし『子曰』はついに『曰子』には欧化できなかった!」 | ||
| + | この一節は『中国文法通論』の中にある。あの本は大真面目な書物だ。著者はまた『新青年』の同人で、五四時代の「文学革命」の戦士であり、今やまた故人となった。中国の古例で、一たび死ねば値が上がることが多い。だから私は改めて取り上げ、そして彼が結局は論語社の同人でもあり、時に「ユーモア」を発したこと、元来「ユーモア」もあったが、その「ユーモア」がまた往々にして「悪ふざけ」の溝に落ちたことを指摘しておきたい。 | ||
| − | + | 実例はまさに上に引いた文章であるが、実のところ、あの論法は、頑固先生や市井のならず者が、青年が洋服を着たり外国語を学んだりするのを見て、冷笑して「惜しいことに鼻はまだ低いし、顔も白くない」と言うのと、少しも変わらない。 | |
| + | もちろん、劉先生が反対したのは「過度の欧化」である。しかし「過度」の範囲はどこまでなのか? 彼が挙げた最初の三つの方法は、古文にはないが、話し言葉にはありうるもので、口頭で伝えても理解できる。ただ「子曰」を「曰子」に改めることだけは絶対に理解不能だ。しかも彼は自分が反対する欧化文の中からも実例を見つけられず、「『子曰』はついに『曰子』には欧化できなかった!」と言うしかなかった。では、これは「的のない矢」ではないか? | ||
| − | + | 欧化文法が中国白話に侵入した大きな原因は、物好きからではなく、必要のためだ。国粋学者は鬼子臭を嫌悪するが、租界に住んでいれば「霞飛路」「麦特赫司脱路」などという奇妙な地名を書くことになる。評論者も好奇心からではなく、精密に述べようとすると固有の白話では足りず、外国の構文を採り入れるしかない。なるほど、お茶漬けのように一口で飲み込めないほど分かりにくいのは事実だが、この欠点を補うのは精密さだ。胡適先生が『新青年』に掲載した「イプセン主義」は、近頃の文芸論文に比べれば確かに分かりやすいが、しかし粗浅で大雑把だとは思わないだろうか? | |
| + | 欧化式白話を嘲笑する者が、嘲笑のほかに、外国の精密な論著を紹介し、しかも恣意的に改変・削除しないことを試みてくれれば、きっとさらに良い箴言を我々に与えてくれることだろう。 | ||
| − | + | 冗談をもって敵に対処するのは、もちろん良い戦法の一つだが、突いた箇所は相手の急所でなければならない。さもなくば、冗談はしょせんただの冗談に過ぎない。 | |
| + | (七月十八日。) | ||
| − | + | 文公直から康伯度への手紙 | |
| + | 伯度先生、本日貴作を拝読し、西洋人の侵略に旗を振る急先鋒(漢奸)がまだ多いと知りました。先生は欧化文化の流行の原因を「必要」だとお考えですが、一体どこからそんな話になるのか、私には皆目分かりません。中国人がいくら無能でも、言葉ぐらいは話せます。中国語を廃止して田舎の人間にまで「ミスター」と言わせるのが、中国文化の「必要」だとはとても思えません。たとえば中国人の言い方では「張甲が言った、『今日は雨だ。』李乙が言った、『そうだ、涼しくなった。』」ですが、ご高論に従えば「『今日は雨だ、』と張甲が言った。『涼しくなった、——そうだ、』と李乙が言った。」にすべきということになります。これが中華民国全民族の「必要」でしょうか? 一般の翻訳大家の欧化文は、すでに中西文化の通路を十分に塞ぎ、原文を読める者にも訳文を分からなくしています。さらに先生の「必要」が加われば、中国には読める西洋書が一冊もなくなりましょう。陳子展先生が提唱する「大衆語」は天経地義であります。中国人の間では中国語を話すべきで、これは絶対のことです。それなのに先生は欧化文法が必要だと仰る! 道理で「康伯度」という大名は、十分どころか十二分の「買弁根性」を表現しているわけです。劉半農先生は「翻訳は外国語の分からない人に読ませるためのものだ」と仰いましたが、これは確乎不動の定理であります。それなのに先生は半農を大いに罵り、全中国人に欧化文法を「必要」な命より大事なものと認めさせなければならないとお考えです! 先生、今は暑い盛りです、少しお休みなさい! 帝国主義者の中国人絶滅の毒ガス弾はすでに無数に製造されています。先生が買弁をなさるのはご勝手ですが、民族丸ごと売り渡さないでいただきたい。私は顛倒式の欧化文が分からない愚人であります! 先生の盛意あるご提唱に対して、先生がもはや弊国の人間ではないのかと疑わざるを得ません。特にお尋ねしますが、なぜこの文化の毒ガスを投じられるのですか? 帝国主義者の指図を受けたのですか? 要するに、四億四千九百万人(陳先生を除く)以内の中国人は、先生のご主張には恐れ入りかねるのです! ご注意あれ。 | ||
| − | + | 文公直 七月二十五日。 | |
| + | (八月七日『申報・自由談』) | ||
| − | + | 康伯度から文公直への返書 | |
| + | 公直先生、中国語法に少し欧化を加えるべきだというのは私の一つの主張であり、「中国語を廃止する」ことでも、「帝国主義者の指図を受けた」ことでもありません。しかし先生はたちまち「漢奸」の類の重罪名を私に冠し、自ら「四億四千九百万人(陳先生を除く)以内の中国人」を代表して、私の首を斬ろうとされました。私の主張は間違っているかもしれませんが、いきなり死刑を宣告するのは、手法こそ時流に乗っていますが、いささか度が過ぎるのではないでしょうか。まして「四億四千九百万人(陈先生を除く)以内の中国人」の意見が先生と同じとは限りません。先生は同意を求めたこともないのですから、代表の僭称であります。 | ||
| + | 中国語法の欧化は外国語を学ぶこととイコールではありませんが、こうした浅近な道理を先生と長々議論するつもりはありません。暑さは怖くありませんが、さすがに退屈です。しかしもう一度だけ申します。私は中国語法に欧化を加える必要があると主張します。この主張は事実に基づくものです。中国人が「言葉ぐらいは話せる」のはまったくその通りですが、前進しようとすれば、旧態のままでは足りないのです。目の前の例として、先生のこの数百字のお手紙の中だけでも、「対於」を二回お使いですが、これは古文とは無関係で、後に直訳から生じた欧化語法です。しかも「欧化」という二字自体が欧化語です。さらに「取消」を一つお使いですが、これは純粋な日本語です。「瓦斯」を一つお使いですが、これはドイツ語をそのまま音訳した日本人の訳語です。いずれも大変適切にお使いで、しかも「必要」なものです。たとえば「毒瓦斯」ですが、中国固有の語の「毒気」を使えば曖昧になり、必ずしも毒弾の中身とは限らなくなります。だから「毒瓦斯」と書くのは、まさに「必要」から出たものなのです。 | ||
| + | 先生はご自分で鏡をご覧にならず、無意識のうちにご自分もまさに欧化語法を使い、鬼子名詞を使っている人間であることを証明されました。しかし私は先生が「西洋人の侵略に旗を振る急先鋒(漢奸)」では決してないと思いますから、これをもって私もまたその仲間ではないことを証明したいのです。さもなくば、先生は犬の血を含んで人に吹きかけ、かえって先生ご自身のお口を汚されたことになります。 | ||
| − | + | 思いますに、事を論ずるに威嚇と誣陷は無益です。筆をとる人間が、会うなり癇癪を起こして相手の命を取ろうとするのは、ますます滑稽なことです。先生はもう少し落ち着いて、静かにご自分のお手紙を読み返し、ご自分のことをお考えになってはいかがでしょうか。 | |
| + | 専此布復、並びにお伺い申します。 | ||
| + | 暑中お見舞い。 | ||
| + | 弟 康伯度 脱帽鞠躬。八月五日。 | ||
| + | (八月七日、『申報・自由談』) | ||
| + | === 第42節 === | ||
| + | 【冗談は冗談として(下) 康伯度】 | ||
| − | + | 白話討伐のもう一つの精鋭は林語堂先生だ。彼が討伐するのは白話の「かえって分かりにくい」ことではなく、白話の「くどくど回りくどい」ことであり、劉先生のような白話を「返璞帰真」させたいという気持ちもまるでなく、意を伝えるには「語録式」(白話の文言)しかないと言うのだ。 | |
| + | 林先生が白話で武装して登場したとき、文言と白話の争いはとうに過去のことで、劉先生のように自ら混戦をくぐり抜けた経験がないため、往時を懐かしみ末流を嘆く感慨もない。彼が一閃にして宋明の語録を「ユーモア」の旗の下に並べたのも、きわめて自然なことだった。 | ||
| + | この「ユーモア」とは『論語』四十五号の「一枚の書き付けの書き方」である。彼は大工に少し漆喰を分けてもらうために語録体の書き付けを書いたが、「白話に反対している」と言われるのを恐れて、白話版、選体版、桐城派版の三種に書き直した。しかしどれも笑うべきもので、結局は「書僮」に言伝てさせて大工から漆喰をもらったという話だ。 | ||
| + | 『論語』は人気の刊行物で、ここでは煩を省いて引用しない。要するに、おかしくないのは語録式の一枚だけで、他の三種はすべてお話にならないということだ。しかしこの四つの異なる役柄は、実はすべて林先生一人が演じ分けたもので、一つが正役すなわち「語録式」であり、他の三つはいずれも道化で、自ら鬼面を被り自ら怪態をなし、正役の風采を引き立てたのだ。 | ||
| − | + | しかしこれはすでに「ユーモア」ではなく「悪ふざけ」であり、巷間で壁に亀を描いて背中に嫌いな奴の名前を書くのと、少しも変わらぬ戦法だ。ただ見た者は、往々にして是非を問わず、描かれた者を嘲笑する。 | |
| + | 「ユーモア」にせよ「悪ふざけ」にせよ、結果を生まずにはおかない——その真意を心得て、ただの「悪ふざけ」として見るのでない限り。 | ||
| − | + | なぜなら事実は文章の通りにはならぬからだ。たとえば、この語録式の書き付けだが、中国では実は途絶えたことがない。暇があれば上海の路地の入口を見に行くがよい。時折そこに机を並べた文人が座っていて、男女の労働者のために手紙を代筆している。彼の使う文章は、林先生が擬した書き付けほど分かりやすくはないが、紛れもなく「語録式」だ。これこそ今改めて取り上げられた語録派の末流であるが、誰も彼の鼻を白く塗った者はいない。 | |
| + | これは一つの具体的な「ユーモア」だ。 | ||
| − | + | しかし、「ユーモア」を鑑賞するのもまったく難しい。私はかつて生理学から中国の臀部を打つ刑の合理性を証明したことがある。もし臀部が排泄や座るためだけに生じたのならば、こんなに大きい必要はない。足の裏ははるかに小さいが、全身を支えるのに十分ではないか。今や我々は人を食うことはないのだから、肉もこんなに多くなくてよい。してみれば、もっぱら叩くために供されたものに相違ない。人に話すと、たいてい「ユーモア」だと思ってくれる。しかしもし叩かれた人がいたり、自分自身が叩かれたりしたら、その感じ方はこうはいくまい。 | |
| + | 致し方ない。みなが不愉快な時には、やはり結局「中国にユーモアはない」ということになるのだろう。 | ||
| − | + | (七月十八日。) | |
| + | === 第43節 === | ||
| − | + | 【文章を書くということ 朔尓】 | |
| + | 沈括の『夢渓筆談』にこうある。「往歳、士人は多く対偶を文に尚ぶ。穆修・張景の輩始めて平文を為す。当時之を『古文』と謂う。穆・張嘗て同に朝に造り、旦を東華門外に待つ。方に文を論ずる次、適たま奔馬ありて一犬を践み殺すを見る。二人各々其の事を記して以て工拙を較ぶ。穆修曰く、『馬逸す。黄犬有り、蹄に遇いて斃る。』張景曰く、『犬有り、奔馬の下に死す。』時に文体新たに変じ、二人の語は皆拙渋なるも、当時已に之を工と謂い、之を今に伝う。」 | ||
| + | 駢文は後起のもので、唐虞三代は駢ではなかった。「平文」を「古文」と称するのはこの意味だ。ここから推し広げれば、古に言文が本当に一致していたならば、「白話文」を「古文」と称しても差し支えないようだが、林語堂先生が「白話の文言」と指したのとはまた意味が異なる。二人の大作は拙渋であるだけでなく、主旨がまず一致しない。穆は馬が犬を踏み殺したと言い、張は犬が馬に踏み殺されたと言う。つまるところ馬に重きを置いているのか、犬に重きを置いているのか? より明白で穏当なのは、沈括が何気なく書いた文章の方だ——「奔馬有り、一犬を践み殺す。」 | ||
| + | 古いものを打倒しようとすれば力がいり、力を入れすぎれば「作為」が生じ、「作為」が過ぎればただ「生渋」なばかりか、時にはまるで「喉に詰まって吐き出せない」有様で、とうに古人が円熟に「作為」し終えた古いものよりも悪くなる。しかも字数と論旨に制限のある「花辺文学」の類は、とりわけこの生渋病に罹りやすい。 | ||
| − | + | 作為が過ぎては駄目だが、作為がなくても駄目だ。太い丸太一本と細い枝四本で腰掛けを作るのは、今日ではいかにも粗雑で、やはり少しは鉋で削った方がよい。しかし全体に彫刻を施し、中を刳り抜いてしまえば、座れもしないし、腰掛けの体をなさない。ゴーリキーは言った、大衆語は粗材であり、加工を施したものが文学だと。これはまことに要を得た指摘であろう。 | |
| + | (七月二十日。) | ||
| + | === 第44節 === | ||
| + | 【読書瑣記(一) 焉于】 | ||
| + | ゴーリキーはバルザックの小説における会話描写の巧みさに深く感服し、人物の容貌をまったく描写せずとも、読者が会話を読めばまるで話している人々を目の当たりにするようだと述べている。(八月号『文学』所収「わが文学修養」) | ||
| + | 中国にはまだそれほどの手腕を持つ小説家はいない。しかし『水滸伝』と『紅楼夢』のある箇所では、読者が会話から人物を見て取ることができる。実のところ、これは何ら奇特なことではない。上海の路地裏で小さな部屋を借りて住んでいる人なら、常にこれを体験できる。周囲の住人とは必ずしも顔を合わせたことはないが、薄い板壁一枚で隔てられているだけなので、ある家の家族や客人の会話、とりわけ大声の会話は大体聞こえる。日が経つにつれて、あそこにはどんな人々がいて、しかもその人々がどんな人間であるかまで、仿佛感じ取れるようになる。 | ||
| + | もし不要な部分を削除し、各人の特色ある会話だけを抜き出せば、他の人にも会話から各話者の人物像を推察させることができるだろう。だが私は、これでもって中国のバルザックが出来上がるとは言っていない。 | ||
| − | + | 作者が会話で人物を描くとき、おそらく自らの心中にはこの人物の姿が存在しており、それが読者に伝わって、読者の心中にもこの人物の姿が形成されるのだ。しかし読者が推察する人物は、必ずしも作者が想定したものと同じではない。バルザックの小髭の痩せた老人が、ゴーリキーの頭の中では、粗野で逞しい顎髭の男に変わっているかもしれない。ただしその性格・言動には必ずいくらかの類似があり、大筋では違わない。ちょうどフランス語をロシア語に翻訳したようなものだ。そうでなければ、文学というものに普遍性はなくなる。 | |
| + | 文学には確かに普遍性があるが、読者の体験の違いによって変化し、読者に類似の体験がなければ効力を失う。たとえば我々が『紅楼夢』を読んで、文字から林黛玉という人物を推察する場合、梅博士の「黛玉葬花」の写真という先入観を排除して別に想像すれば、おそらく、髪を短く切り、インド更紗の服を着た、痩せて孤独なモダンガールを思い浮かべるだろう。あるいはまた別の姿かもしれないが、私には断定できない。しかし三四十年前に出版された『紅楼夢図詠』の類の画像と比べてみるがよい。きっとまるで違うはずだ。あちらに描かれているのは、あの時代の読者の心中の林黛玉なのだ。 | ||
| + | 文学には普遍性があるが、限界もある。比較的永続するものもあるが、読者の社会的体験によって変化する。北極のエスキモーやアフリカ奥地の黒人には「林黛玉型」は理解できまいと思う。健全で合理的な良い社会の人々にも理解できないだろう。彼らはおそらく、我々が始皇帝の焚書や黄巣の殺戮を聞くよりもさらに隔靴掻痒であろう。一たび変化すればすなわち永久ではなく、文学だけに仙骨があるというのは、夢見る者の寝言にすぎない。 | ||
| + | (八月六日。) | ||
| − | + | === 第45節 === | |
| + | 【読書瑣記(二) 焉于】 | ||
| − | + | 同時代、同じ国の中にいても、言葉が通じ合わないことがある。 | |
| − | + | バルビュスに非常に面白い短篇小説がある。「母国語と外国語」というもので、フランスのある金持ちの家で、欧州大戦で九死に一生を得た三人の兵士を招待した話だ。お嬢さんが出て来て挨拶をしたが、話すことがない。やっとのことで二三言述べたが、兵士たちも返す言葉がなく、ただ立派な部屋に座って緊張のあまり骨が痛いだけだった。自分たちの「豚小屋」にこっそり戻って初めて、全身が解きほぐされ、談笑が始まり、しかもドイツ人捕虜の中から、身振り手振りで自分たちの「われわれの言葉」を話す者を見つけたのだ。 | |
| + | この経験から、一人の兵士がぼんやりとこう考えた——「この世には二つの世界がある。一つは戦争の世界だ。もう一つは金庫の扉のような門を持ち、教会のように清潔な台所を持ち、立派な家の世界だ。まるで別の世界だ。別の国だ。そこには奇妙な考えを持つ外国人が住んでいる。」 | ||
| − | + | あのお嬢さんが後で紳士に言った言葉はこうだ——「彼らとは話も通じないのよ。まるで彼らと私たちの間には、飛び越えられない深淵があるみたい。」 | |
| + | 実のところ、お嬢さんと兵士に限った話ではない。我々——「封建の残滓」であれ「買弁」であれ何であれ——でも、ほぼ同類の人間とでも、どこかが少し異なっていて、しかも本音を言わねばならなくなれば、往々にして互いに話すことがなくなる。ただ我々中国人は聡明で、ある人々はとうに万能の霊薬を発明している。すなわち「今日はいい天気で……ハハハ!」だ。宴席ならばただ拳遊びをし、議論はしない。 | ||
| + | こう見てくると、文学が普遍的で、しかも永続的であろうとするのは、まことに困難なことだ。「今日はいい天気で……ハハハ!」はいくらか普遍的ではあるが、永続できるかどうかは甚だ疑わしく、しかもあまり文学らしくもない。そこで高踏的な文学者は自ら一条の規則を定め、自分の「文学」を理解しない人々をすべて「人類」の外に押し出して、その普遍性を保とうとする。文学にはまだ他の性質もあるが、彼はそれを言い破りたがらないので、この手段を用いるしかない。しかしこうすると、「文学」は存するが、「人」はあまり多くはなくなる。 | ||
| + | かくして、文学が高尚であればあるほど理解者は少なくなり、高尚の極に至れば、その普遍性と永続性はひとり作者一人に集約されると言われる。しかるに文学者はまた悲嘆し、吐血したと言う。まったくどうしようもない。 | ||
| − | + | (八月六日。) | |
| + | === 第46節 === | ||
| + | 【時流と復古 康伯度】 | ||
| + | 半農先生が亡くなるや、朱湘・廬隠の二人の作家のときと同じく、いくつかの刊行物がにわかに賑やかになった。この盛り上がりがどれほど続くか、今のところ推測のしようがない。しかしこの一死は、あの二人よりはるかに大きな作用を持っているようだ。彼はもう間もなく復古の先賢として祀り上げられ、その神位をもって「時流に乗る」者たちを打ちのめすのに使われるところなのだ。 | ||
| − | + | この一撃には力がある。なぜなら彼は既に故人の名士であり、かつまた先年の新派だからだ。新をもって新を打つのは、毒をもって毒を制すようなもので、錆びついた古董を持ち出すよりもまさっている。しかし笑い話もまたこの中に潜んでいる。なぜか? 半農先生自身がまさに「時流に乗る」ことで名を上げた人だったからだ。 | |
| + | 昔の青年が心中に劉半農の三文字を刻んだ理由は、彼が音韻学に長けていたからでも、しばしば戯詩を作ったからでもない。鴛鴦蝴蝶派から飛び出し、王敬軒を罵倒し、「文学革命」陣中の戦闘者となったからだ。しかし当時、一部の人々はこれを「時流に乗った」と毀った。時代はやはりいくらか前進するようで、歳月が過ぎるにつれて次第にこの諡号は洗い落とされ、自分もいくらか登り、いくらか丸くなり、ついにはすっかり綺麗な名士となった。しかし「人は名を恐れ、豚は肥えるを恐れる」で、この時はまた梱包されて、新たな「時流に乗る」病を治す薬の材料にされようとしている。 | ||
| − | + | これは半農先生一人だけの苦境ではない。先例は実に多い。広東の挙人はいくらでもいるのに、なぜ康有為だけがあれほど有名なのか。公車上書の首領であり、戊戌政変の主役だったからだ——時流に乗った。留英学生も珍しくないが、厳復の名がまだ消えていないのは、かつて真剣にいくつかの外国書を翻訳したからだ——時流に乗った。清末、樸学を治めた者は太炎先生一人ではないが、その名声が孫詒讓よりはるかに高いのは、実は種族革命を提唱したからだ——時流に乗り、しかも「謀反」もした。後に「時流」の方が「乗って」来て、彼らは生ける純正な先賢となった。しかし厄運も尻にくっついてきて、康有為は永遠に復辟の祖師と定められ、袁皇帝は厳復に勧進させ、孫伝芳大帥も太炎先生に投壺を請うた。もとは車を引いて前進させる名手で、脹脛が太く腕も逞しい。今回もまた引いてもらおうとする。引くのは引くが、しかし車の尻を後ろに引くのだ。ここは古文を使うしかない、「嗚呼哀哉、尚饗」と。 | |
| + | 私は半農先生がかつて「時流に乗った」ことを嘲笑しているのではない。ここで私が用いているのは、通俗に言う「時流に乗る」の中の一部分——「先駆」の意味だ。彼は自ら「没落」を認めたが、実は戦い抜いてきた人なのだ。彼を敬愛する人々が、この点をもっと発揮し、よってたかって自分の好む油や泥の中に引きずり込んで金看板にしないでくれればよいのだが。 | ||
| + | (八月十三日。) | ||
| + | === 第47節 === | ||
| − | + | 【安貧楽道法 史贲】 | |
| + | 子供は人に教えてもらわねばならず、病気は人に治してもらわねばならない。たとえ自分が教師や医者であっても。しかし処世の方法は自分で考えるしかなく、他人が出してくれた良薬の多くは、ただの紙くずに過ぎないことが多い。 | ||
| + | 安んじて貧に処し道を楽しめと人に勧めるのは、古今治国平天下の大綱であり、出された処方箋も多いが、いずれも十全大補の効き目はなかった。だから新しい処方箋も書き尽くせない。近頃二種類を見かけたが、思うにどちらもあまり妥当ではない。 | ||
| + | 一つは、職業に興味を持つべきだと教えるもので、興味さえあればどんなことでも楽しんで倦むことがないという。なるほど理に適っているが、結局のところ軽い仕事でなければならない。炭鉱や糞担ぎは言うに及ばず、上海の工場で少なくとも毎日十時間働く工人は、夕刻には必ず筋疲力尽し、怪我は大抵その時分に起こる。「健全なる精神は健全なる身体に宿る」――自分の身体すら顧みられなくなって、どうして興味が湧こうか。よほど命より興味が大事でなければ。もし彼ら自身に聞けば、きっと労働時間の短縮と答えるだろう。夢にも興味惹起法は思い浮かぶまい。 | ||
| + | もう一つはきわめて徹底的なもので、猛暑の折、金持ちは交際に忙殺されて汗だくだが、貧乏人は破れた筵一枚を挟んで路上に敷き、服を脱いで涼風に浴し、この上ない楽しみだと言う。これを「天下を席巻する」と称するのだそうだ。これもまた稀に見る詩趣に富んだ処方箋だが、やはり後に掃興なことが控えている。秋の気配が近づいた早朝に大通りを歩いてみれば、腹を抱えて黄色い水を吐いているのが、あの「天下を席巻」していた前任の生き仏たちなのだ。おおよそ、目の前の福を享けようとしない大愚者は、世にそう多くはない。もし赤貧がそれほど面白ければ、今の金持ちがまず大通りに寝転がるだろうし、そうなれば今の貧乏人の筵を敷く場所もなくなってしまう。 | ||
| + | 上海の中学統一試験の優秀答案が発表された。その中に「衣は寒を蔽うに取り食は腹を充たすに取る論」があり、一節にこうある—— | ||
| + | 「……若し徳業已に立たば、則ち飧に継ぐなく、襟を捉えば肘見ゆるとも、而も其の名徳は後に伝うるに足り、精神生活は充分に発展し、又た何ぞ物質生活の足らざるを患えんや。人生の真諦は、固より彼に在りて此に在らざるなり。……」(『新語林』第三号より転録) | ||
| − | + | これは題旨よりさらに一歩進んで、「腹を充たす」こともできなくても構わないと言うのだ。しかし中学生の出した良薬は大学生には通用せず、同じ時に就職を求める大群が出現している。 | |
| + | 事実というものは少しも情け容赦のないもので、空言を粉微塵に砕くことができる。これほど歴然としているのだから、実のところ、私の愚見では、もう「之乎者也」で遊ぶのは大いにやめてよかろう——どうせ永遠に役に立たないのだから。 | ||
| + | (八月十三日。) | ||
| + | === 第48節 === | ||
| − | + | 【奇怪(一) 白道】 | |
| + | 世の中には多くの事実があり、記録を見なければ天才でも思いつかないようなものがある。アフリカのある原住民は男女の忌避がきわめて厳しく、婿が義母に出くわしただけでも地面にひれ伏さねばならず、しかもそれでは足りず、顔を土の中に埋めなければならない。これはまことに、我が礼義の邦の「男女七歳にして席を同じくせず」の古人でも、とうてい及ばないところだ。 | ||
| − | + | こう見ると、我々の古人の男女隔離の設計も、やはり低能児の域を出ない。今なお古人の枠を超えられないのは、いよいよ低能の極みだ。同泳せず、同行せず、同食せず、同じ映画を見ず——すべて「席を同じくせず」の敷衍にすぎない。低能の極致は、男女が相通ずる空気を吸っていることにまだ思い至らないことだ。この男の鼻孔から吐き出されたものが、あの女の鼻孔から吸い込まれる。乾坤を紊乱すること、海水が肌に触れるだけよりもはるかに深刻である。この重大問題に対処する方法がなければ、男女の境界は永遠に画定できない。 | |
| + | 思うに、ここは「西洋の方法」を用いるしかあるまい。西法は国粋ではないが、時として国粋を助けることができる。たとえば無線放送は摩登なものだが、朝に坊主がお経を唱えるのは悪くない。自動車はなるほど洋物だが、乗って麻雀を打ちに行けば、緑の輿に乗って半日がかりで着くよりも何巡か余分に打てる。この類推で、男女が同じ空気を吸うのを防ぐには防毒面を使えばよい。各自一つの箱を背負い、管を通して酸素を自分の鼻孔に送る。顔を晒さずに済むし、防空演習も兼ねられる。これぞ「中学を体と為し、西学を用と為す」だ。ケマル将軍が治国する前のトルコ女性のベールも、今度ばかりはとうてい及ぶまい。 | ||
| − | + | もし今一人のイギリスのスウィフトのような人物がいて、『ガリヴァー旅行記』のような風刺小説を書き、二十世紀の半ばにある文明国に至り、一群の人々が香を焚いて龍を拝み、法術をもって雨を祈り、「肥った女」を鑑賞し、亀の殺生を禁じているのを見た。また一群の人々が大真面目に古代の舞法を研究し、男女別路を主張し、さらに女の脚を露出させてはならぬと主張している。そうすれば、遠方の、あるいは将来の人々は、おそらくこれは作者の口さがない作り事で、気に入らぬ人々を揶揄するためのものだと思うだろう。 | |
| + | しかしこれはまぎれもない事実なのだ。このような事実がなければ、おそらくどれほど辛辣な天才作家でも思いつかないだろう。空想はさほど奇想天外にはなれない。だから人々はある事を目にすると、「奇怪だ」という一言を発するのだ。 | ||
| − | + | (八月十四日。) | |
| + | === 第49節 === | ||
| − | + | 【奇怪(二) 白道】 | |
| + | 尤墨君先生が教師の資格で大衆語の討論に参加されている。その意見はきわめて重んずべきものだ。彼は「中学生に大衆語を練習させる」ことを主張し、さらに「中学生の作文で最もよく使われ、また最も誤用される流行語」を列挙して、「使わせない方がよい」と言い、将来彼らが弁別できるようになるまで待つべきだとする。「新しいものを消化不良で食べるより、先に禁じた方がよい」からだと。ここにその「流行語」の一部を抄録する—— | ||
| − | + | 「共鳴 対象 気圧 温度 結晶 徹底 趨勢 理智 現実 下意識 相対性 絶対性 縦断面 横断面 死亡率……」(『新語林』三号) | |
| + | しかし私は大いに奇怪に思う。 | ||
| − | + | それらの語は、もはや「流行語」とは言い難い。「対象」「現実」などは、書物や新聞を読む者なら常に目にするもので、目にする回数が多ければ比較の上でその意味が分かる。ちょうど子供が言葉を覚えるのに文法の教科書に頼らないのと同じだ。まして学校には教師の指導がある。「温度」「結晶」「縦断面」「横断面」にしても、科学上の用語であり、中学の物理学・鉱物学・植物学の教科書に載っている。国語に使う意味と何ら変わらない。それが今「最も誤用される」とは、まさか自分で考えもせず、教師も指導せず、しかも他の科学まで同様に曖昧だということか? | |
| + | ならば、途中から大衆語だけ学んでも、中学出身の速成大衆に過ぎず、大衆に何の役に立つだろうか? 大衆が中学生を必要とするのは、彼の教育水準が比較的高く、みなの知識を広げ、語彙を増やし、解明できるものは解明し、新たに加えるべきものは加えられるからだ。「対象」などの定義をまず自分が明確にし、必要に応じて方言で代替できるものは訳し換え、なければ新名詞を教えてその意味を説明すべきなのだ。もし大衆語が中途半端で、新名詞もまだよく分かっていないなら、この「立ち後れ」はまことに「徹底的」だ。 | ||
| − | + | 思うに、大衆のために大衆語を練習するなら、あの「流行語」を禁じるべきではなく、最も肝要なのは定義を教えることだ。教師が中学生に対して、そして将来中学生が大衆に対してするのと同じように。たとえば「縦断面」と「横断面」は、「縦に切った面」と「横に切った面」と説明すれば分かりやすい。「横に鋸で挽いた面」と「縦に鋸で挽いた面」と言えば、大工の弟子でも分かり、字を知る必要もない。禁止するのはよくない。彼らの中には永遠に曖昧なままの者もいるだろう、「なぜなら中学生は必ずしも全員が大学に進んで文豪や学者になる理想を実現できるわけではないのだから。」 | |
| + | (八月十四日。) | ||
| + | === 第50節 === | ||
| + | 【神迎えと人咬み 越僑】 | ||
| − | + | 新聞によれば余姚のある村で、農民たちが旱魃のため、神を迎えて雨乞いをしたところ、見物人の中に帽子を被った者がいると、刀や棒で滅多打ちにしたという。 | |
| + | これは迷信だが、根拠がある。漢の先儒・董仲舒先生にはすでに祈雨法があり、寡婦を使うの、城門を閉じるの、烏煙瘴気で、その奇怪さは道士と変わらないが、いまだ今の儒者に訂正されてはいない。通都大邑においてすら、現に天師が法を行い、長官が屠殺を禁じ、大騒ぎになっても、少しの口舌も引き起こさないではないか。帽子を打つのは、神が見てまだ悠然自適の者がいると思い、哀れみを垂れないことを恐れるためであり、一方ではまた、みなと苦しみを共にしないことへの憎悪からでもある。 | ||
| + | 神迎え――農民たちの本意は死を救うことにある。――だが惜しむらくはこれは迷信だ。――しかしこの他に、彼らは別の方法を知らないのだ。 | ||
| + | 新聞はまた、六十余歳の老党員が神迎えを制止しようとして、みなに散々打たれ、ついには喉を噛み切られて死んだと報じている。 | ||
| + | これは妄信だが、やはり根拠がある。『精忠説岳全伝』には張俊が忠良を陥れ、ついに衆人に噛み殺されて、人心大いに快しとある。このため田舎には昔から一つの伝えがあり、噛み殺した場合は皇帝が必ず赦すという。恨みのあまり噛むに至ったならば、噛まれた者の悪もまた推して知るべしだからだと。私は法律には暗いが、おそらく民国以前の律文にも、こうした規定はなかったろう。 | ||
| + | 人咬み――農民たちの本意は死を逃れることにある。――だが惜しむらくはこれは妄信だ。――しかしこの他に、彼らは別の方法を知らないのだ。 | ||
| + | 死を救おうとし、死を逃れようとして、かえって自ら死を速める。悲しいかな! | ||
| − | + | 帝国から民国になって以来、上層の変化は少なくなかった。しかし教育のない農民は、まだ何一つ新しい有益なものを得ておらず、依然として昔の迷信、昔の誤伝のまま、死に物狂いで救死・逃死を図りつつ、自ら死を速めている。 | |
| + | 今度、彼らは「天の討伐」を受けるだろう。彼らは恐れおののくだろうが、「天の討伐」の意味が分からぬゆえに、不平も抱くだろう。やがてこの恐怖と不平が忘れられれば、迷信と誤伝だけが残り、次の水旱の災害の時には、またも神迎え、人咬みが繰り返される。 | ||
| + | この悲劇はいつ終わるのだろうか? | ||
| + | (八月十九日。) | ||
| − | + | 附記: | |
| + | 傍らに黒点を付した三つの文は、印刷されたときにすべて削除されたものだ。総編集者か検閲官の斧削か、知る由もないが、原稿を覚えている著者にとっては、非常に面白い。彼らの意図は、おそらく田舎の人々の考え――たとえ妄信であっても――をみなに知らせない方がよく、さもなくば弊害が生じ、多くの喉も危なくなるだろうと恐れたのであろう。 | ||
| − | + | (八月二十二日。) | |
| + | === 第51節 === | ||
| − | + | 【読書瑣記(三) 焉于】 | |
| + | 創作家はおおむね批評家のあれこれ言うのを嫌う。 | ||
| − | + | ある詩人がこう言ったのを覚えている。詩人が詩を作るのは、植物が花を咲かせるようなもので、咲かずにはいられないからだ。もし摘んで食べて中毒しても、それは自業自得だと。 | |
| + | この比喩は美しく、もっともらしく聞こえる。しかしよく考えると誤りもある。誤りは、詩人はつまるところ一株の草ではなく、社会の中の一個の人間だということだ。しかも詩集は金を取って売るのだから、ただで摘めるわけがない。金を取る以上、これは商品であり、買い手にも良し悪しを言う権利が生ずる。 | ||
| − | + | たとえ本当に花だとしても、もし深山幽谷の人跡未踏の地に咲いているのでなければ、毒があれば庭師の類が手を打つはずだ。花の事実もまた、詩人の空想の通りにはいかない。 | |
| + | 今は言い方が変わって、作者でない者までも批評家を嫌い、こう言う者がいる——そんなに物知りなら、お前が一つ書いてみろ! | ||
| − | + | これにはまったく批評家も鼠のように逃げ出すしかない。なぜなら批評家でありながら創作もできる者は、昔から非常に少ないからだ。 | |
| + | 思うに、作家と批評家の関係は、料理人と食客にいくらか似ている。料理人が一品作れば、食客は良いの悪いの言うものだ。料理人が不公平だと感じたら、その客が神経病ではないか、舌苔が厚くはないか、旧怨を挟んではいないか、勘定を踏み倒す気ではないか、見てみればよい。あるいは広東人で蛇肉が食べたいのか、四川人でまだ唐辛子が欲しいのか。そこで弁明なり抗議なりを出せばよい――むろん、一言も言わずともよい。しかし客に向かって「なら、お前が一杯作って俺に食わせてみろ!」と怒鳴るのは、さすがにいささか滑稽であろう。 | ||
| − | + | たしかに四五年前、筆をとる者は批評家になりさえすれば文壇に高く座れると思い、速成や乱評も少なくなかった。しかしこの風潮を矯正するには批評の批評を用いるべきであって、批評家という肩書きに泥を塗りつけるのは良い方法ではない。ただ我々の読書界は平和を好む者が多く、筆戦を見れば何であれ「文壇の悲観」だの「文人相い軽ず」だのと言い、甚だしくは是非を問わず一律に「罵り合い」と称し、「真っ黒けの一団の醜態」だと断ずる。果たして、今では誰が批評家だとも聞かなくなった。だが文壇はどうかと言えば、依然として元のままで、ただ表に現れなくなっただけだ。 | |
| + | 文芸には必ず批評が要る。批評が正しくなければ、批評をもって抗争すべきであり、そうしてこそ文芸と批評が共に前進できる。もし一律に口を塞いで文壇が清浄になったことにすれば、得られる結果はかえって逆のものになるだろう。 | ||
| + | (八月二十二日。) | ||
| + | === 第52節 === | ||
| − | + | 【「大雪紛飛」 張沛】 | |
| + | 自分の主張を支持しようとするとき、一本のチョークで相手の顔を塗って道化に仕立て、自分が正役であることを引き立てようとする者がいる。しかしその結果は、往々にして思惑と正反対になる。 | ||
| − | + | 章士釗先生は今は民権の保障に当たっておられるが、段政府時代には文言の保障もされていた。彼はかつて実例を作り、「二桃もて三士を殺す」を白話で「二つの桃が三人の読書人を殺した」と書くのは、いかに駄目かと言った。今度は李焰生先生が大衆語文に反対して、「静珍君の挙げた例のように、『大雪紛飛』は『大雪が一片一片ひらひらと降っている』よりも簡潔にして神韻に富み、適宜採用するのは文言文の提唱と同列に論ずべきではない」と賛同されている。 | |
| + | 私もやむを得ない場合に大衆語文が文言・白話、さらには外国語を採用することに賛成するし、事実すでに採用されている。しかし両先生が代わりに訳した例は、いかにも的外れだ。あの時の「士」は必ずしも「読書人」ではなく、すでに人が指摘している。今回の「大雪紛飛」にも「一片一片」の意味はなく、わざと冗長にして大衆語に恥をかかせようとする技にすぎない。 | ||
| − | + | 白話は文言の直訳ではなく、大衆語も文言や白話の直訳ではない。江浙で「大雪紛飛」の意味を言い表すのに、「大雪が一片一片ひらひらと降っている」などとは言わない。大抵は「ひどい」「猛烈だ」「すさまじい」のような語で雪の降り方を形容する。もし「古書で検証」したければ、『水滸伝』の中の一句「あの雪はちょうど激しく降っている」こそが、現代の大衆語に近い言い方であり、「大雪紛飛」より二字多いが、その「神韻」ははるかに優れている。 | |
| + | 学校から社会の上層へ飛び出した人が、思想も言語も一歩ずつ大衆から離れていくのは、もちろん「勢い免れ難い」ことだ。しかしもし幼い頃から坊ちゃんでなく、多少なりとも「下層の人間」と関わりがあったなら、心を翻して思い返せば、きっと文言や白話に勝る彼らの好い言葉をいくつも思い出すことができるだろう。もし自ら醜悪なものをでっち上げて、敵対するものが駄目だと証明しようとするなら、それは隠した場所から掘り出した自分自身の醜悪であり、大衆を辱めることはできず、大衆を笑わせるだけだ。大衆は読書人ほど知識は高くないが、出鱈目を言う者に対して一つの諡号を持っている――「刺繡の枕」。この意味はおそらく田舎の人にしか分かるまい。貧しい者が枕に詰めるのは鳥の羽毛ではなく、藁なのだから。 | ||
| + | (八月二十二日。) | ||
| + | === 第53節 === | ||
| − | + | 【漢字とラテン文字化 仲度】 | |
| + | 大衆語文に反対する人々は、主張者に得意げに命令する。「品物を出して見せろ!」と。その一方で、こんなお人好しもいる。相手が本気なのかからかっているのかも問わず、たちまち必死で標本を作りにかかるのだ。 | ||
| − | + | 読書人が大衆語を提唱するのは、もちろん白話の提唱より困難だ。白話を提唱したときは、良かれ悪しかれ使ったのは白話だったが、今大衆語を提唱する文章は大抵大衆語ではない。しかし反対者には命令を下す権利はない。たとえ身体障害者であっても、もし健康運動を主張しているなら、彼は絶対に間違っていない。もし纏足を提唱するなら、たとえ天足で壮健な女性であっても、彼女は有意に、あるいは無意に人を害しているのだ。アメリカの果物大王は、一品種の果物を改良するだけで十数年の歳月を要した。まして大衆語は遥かに大きな問題ではないか。もし彼の矛で彼の盾を攻めるなら、反対者は文言か白話に賛成しているはずだ。文言には数千年の歴史があり、白話には二十年近くの歴史がある。彼もまた彼の「品物」をみなの前に出してみるがよい。 | |
| − | + | しかし我々自ら試みることも構わない。『動向』にはすでに三篇の純粋な方言で書かれた文章が掲載されたが、胡繩先生はこれを読んだ後、やはり方言でない文の方が分かりやすいと評した。実のところ、一つ骨を折れば、どの方言で書かれたものでも理解できる。私の個人的経験では、我が故郷の方言は蘇州とはかなり異なるが、一部の『海上花列伝』のおかげで「門を出ずして」蘇州語が分かるようになった。最初は分からなかったが、頑張って読み続け、記事と照合し、会話を比較するうちに、やがてすべて分かった。もちろん非常に困難だった。この困難の根は、漢字にあると私は思う。一つ一つの四角い漢字にはそれぞれ意味があり、今それをそのまま方言を写すのに用いると、あるものは本来の意味で使われ、あるものはただの借音にすぎない。すると読む際に、どの字が意味で使われ、どの字が借音かを分析しなければならず、慣れればどうということはないが、初めは非常に骨が折れるのだ。 | |
| − | + | たとえば胡繩先生の挙げた例で、「窝里に回ろう」と言えば「犬の巣穴」に帰ると取られかねず、「家に帰ろう」と言った方が明瞭だという。あの文の病根は漢字の「窝」にある。実際にはあのような書き方をすべきではないだろう。我が故郷の田舎の人もまた「家」のことを Uwao-li と言い、読書人が書き取ると「窝里」と書きやすいが、この Uwao は実は「屋下」の二音の合成がいくらか訛ったもので、「窝」の字で安易に代用してはならない。もし他に意味のない音だけを記せば、いかなる誤解も生じないだろう。 | |
| − | + | 大衆語文は文言や白話より音数が多い。もしなお四角い字で書くならば、頭脳を使うだけでなく手間もかかり、紙墨すら不経済だ。この四角い病んだ遺産のために、我々の最大多数の人間は、すでに数千年にわたって文盲として殉死してきた。中国もこの有様で、他国が人工降雨を行っているとき、我々はまだ蛇を拝み神を迎えている。もしみなが生き延びたいのなら、漢字に我々の犠牲になってもらうしかあるまい。 | |
| − | |||
| − | + | 今はただ「書法のラテン文字化」の一条の道があるのみだ。これは大衆語文と切り離せない。やはり読書人からまず試みて、字母・綴り方を紹介し、それから文章を書く。初めは日本語のように、名詞の類の漢字だけを残し、助詞・感嘆詞を、やがて形容詞・動詞もすべてラテン文字の綴りで書く。そうすれば目にも馴染みやすく、理解もはるかに容易になる。横書きにするのは言うまでもない。 | |
| − | + | これは今すぐ実験しても、決して難しくはあるまい。 | |
| − | + | なるほど、漢字は古代から伝わる宝物だ。しかし我々の祖先は漢字よりもさらに古いのだから、我々こそはなおさら古代から伝わる宝物だ。漢字のために我々を犠牲にするか、我々のために漢字を犠牲にするか。これは正気を失っていない者なら、誰でもただちに答えられることだ。 | |
| − | + | (八月二十三日。) | |
| − | + | === 第54節 === | |
| − | + | 【「シェイクスピア」 苗挺】 | |
| − | |||
| − | + | 厳復は「シェイクスピア」に触れたことがあるが、触れただけで終わった。梁啓超も「シェイクスピア」を論じたが、注目する者はいなかったようだ。田漢がこの人の作品の一部を翻訳したが、今はあまり流行していないらしい。今年に至って、また「シェイクスピア」「シェイクスピア」と騒がしくなり、杜衡先生がその作品から群衆の盲目を証明しただけでなく、ジョンソン博士を拝するかの教授までもがマークス「ニュークス」の断片を翻訳しに来た。なぜか? 何のためか? | |
| − | |||
| − | + | しかもソ連でも原作のシェイクスピア劇を上演するという話だ。 | |
| − | |||
| − | + | 上演しなければまだしも、上演しようとしたとたん、施蟄存先生に「醜態」を見抜かれてしまった—— | |
| − | + | 「……ソ連は最初『シェイクスピアを打倒せよ』であり、次いで『シェイクスピアを改編せよ』であり、今はどうだ、演劇季で『原作シェイクスピアを上演する』ことになっているではないか?(しかも梅蘭芳に『貴妃酔酒』を演じさせようとしている!)この政治方策を文学に運用する醜態は、まことに歯が冷えるではないか!」(『現代』五巻五号、施蟄存「私と文言文」) | |
| − | |||
| − | + | ソ連は遠いし、演劇季の状況はまだよく分からないから、歯の冷暖はひとまず措こう。しかし梅蘭芳と記者の対談は『大晩報』の『火炬』に載っていて、『貴妃酔酒』を演じに行くとは言っていない。 | |
| − | + | 施先生自身こう言っている。「私は生まれてこのかた三十年、幼稚で物を知らなかった時代を除き、思想も言行も一貫していると自負する。……」(同前)これはもちろん結構なことだ。しかし彼が「語った」他人の「行い」は必ずしも一致せず、時には不一致もあるようで、『貴妃酔酒』はその好例だ。 | |
| − | |||
| − | + | 実のところ梅蘭芳はまだ出発もしていないのに、施蟄存先生は早くも彼が「プロレタリアート」の前で裸で水浴びすると断定している。こうなれば、彼らはただ「次第に資産階級の余毒に染まる」のみならず、中国の国粋にも染まるだろう。彼らの文学青年が将来宮殿を描写するとき、『文選』や『荘子』に「語彙」を求めても不思議ではない。 | |
| − | |||
| − | + | しかし『貴妃酔酒』を演じれば施先生の「歯が冷え」、演じなくても予言者の面目が潰れる。どちらに転んでも不愉快だから、施先生はまた自ら言う。「文芸の上で私はずっと孤独な人間だ。みだりに衆怒を買うことは敢えてしない。」(同前) | |
| − | + | 末尾の一文は謙遜で、施先生に賛成する者は実は少なくない。でなければ堂々と雑誌に発表できようか?——この「孤独」はまことに価値あるものだ。 | |
| − | |||
| + | (九月二十日。) | ||
| − | === | + | === 第55節 === |
| − | + | 【商人の批評 及鋒】 | |
| − | + | 中国に今、良い作品がないことは、とうに批評家やでたらめ評論家の不満を買い、先ごろはその原因の究明も行われた。結果は、結果が出ないということだった。しかしなお新しい解釈がある。林希雋先生は、作家が「投機取巧の手管」で「雑文」を書いて「自らを毀してしまった」ため、シンクレアやトルストイも作れなくなったのだと言う(『現代』九月号)。またもう一人の希雋先生は、「この資本主義社会において……作家は知らず知らずのうちに商人と化した。……より多くの報酬を得るために、『粗製濫造』の方法を取らざるを得なくなり、もはや精根を傾けて苦心して真剣に創作する者はいなくなった」と言う(『社会月報』九月号)。 | |
| − | + | 経済に着眼したのは、もちろん一歩進んだと言える。しかしこの「精根を傾けて苦心して真剣に創作した」学説は、常識しか持たない我々の見解とはかなり異なる。我々はこれまで、資本で利益を得る者を商人と考えてきた。だから出版界では、金を出して書店を開いて儲ける店主が商人だ。ところが今になって、文章で限りある原稿料を得る者も商人だと知った。ただし一種の「知らず知らずの」商人だ。農民が米を少し節約して売るのも、工人が筋力で金を得るのも、教授が口を売るのも、娼婦が淫を売るのも、すべて「知らず知らずの」商人だ。買い手だけが商人ではないことになるが、その金は必ず何かと交換して得たものだから、やはり商人だ。かくして「この資本主義社会において」は一人残らず商人であり、ただ「知らず知らず」と有形の二大類に分かれるだけとなる。 | |
| − | + | 希雋先生自身の定義で彼自身を判定すれば、もちろん「知らず知らずの」商人だ。もし売文で生計を立てていないのなら、「粗製濫造」の必要もないはずだが、それではどうやって暮らしているのか。きっと別に商売をしているのであり、あるいはまさに有形の商人かもしれない。だから彼の見識は、どう見ても商人の見識を免れない。 | |
| − | + | 「雑文」は短い。書く手間だけでも、「和平と戦争」(これは林希雋先生の文章からの写しで、原題は実は『戦争と平和』だ)ほどの長い時間は決してかからず、労力がきわめて少ないのはまったくその通りだ。しかしやはり少しの常識と少しの苦心が要る。さもなくば、「雑文」であっても、さらに一段と「粗製濫造」になり、笑い種が残るだけだ。作品にはつねに欠点がある。アポリネールは孔雀を詠み、尾を翹げれば光輝燦爛だが、後ろの肛門も露になると言った。だから批評家の指摘は必要だ。ただし批評家もまたこのとき尾を翹げて、肛門を露にする。ではなぜそれでも必要かと言えば、正面にはまだ光輝燦爛たる羽があるからだ。しかしもし孔雀ではなく、ただの鵞鳥や家鴨の類なら、尾を翹げて露わにするのは何だけか、少しは考えた方がよい! | |
| − | + | (九月二十五日。) | |
| − | + | === 第56節 === | |
| − | + | 【中秋の二つの願い 白道】 | |
| − | + | 先日はまことに「悲喜交々」であった。国暦の九一八が過ぎたばかりで、もう「旧暦」の「中秋の名月見」があり、さらに「海寧の観潮」がある。海寧といえば、またぞろ「乾隆帝は海寧の陳閣老の息子だ」と語る者が出てきた。この満州の「英明なる君主」が、もとはと言えば中国人がすり替えた赤子とは、なんと景気のよい、しかも幸運な話であろう。一兵を損ぜず、一矢を費やさず、ただ生殖器官だけで革命を成し遂げた。まったくこの上ない安上がりだ。 | |
| − | + | 中国人は家族を尊び血統を重んじるが、その一方で、何の関係もない人々と親戚づきあいをしたがる。一体どういうつもりなのか、私にはまるで分からない。幼い頃から「乾隆は我々漢人の陳家からこっそり抱えて行かれたのだ」とか「我々は元朝で欧州を征服した」とか、耳にたこができるほど聞かされてきた。ところが今になっても、煙草屋の中国政界偉人選挙投票ではチンギス・ハンが候補の一人に入っているし、民智を啓く新聞ではまだ満州の乾隆帝が陳閣老の息子だと講じている。 | |
| − | + | 昔は確かに女性が番人の元へ行ったことがある。芝居でも男が番国の駙馬に招かれ、便宜を得て嬉々としてやっている。近い例でも、侠客を義父と仰いだり、富豪の入婿になったりして急に成り上がった者は当然いるが、これは体面のよいことではない。男子漢・大丈夫たるもの、別に能力があり、別に志を持ち、智力と別の体力を恃むべきだ。さもなくば、やがてまたみなが日本人は徐福の子孫だと大いに言い出すのではないかと、私はまことに恐れる。 | |
| − | + | 一つ目の願い——今後はみだりに他人と縁を結ぶのをやめよう。 | |
| + | ところが文学にまで縁結びをする者が現れた。女性の才能は男性との肉体関係によって影響を受けるとし、欧州の数人の女性作家にはみな文人の恋人がいたことを証拠に挙げた。すると別の者がこれを反駁し、フロイト説に基づくもので当てにならないと言った。実のところこれはフロイトの説ではない。ソクラテスの妻が哲学をまるで解さず、トルストイの妻が文章を書けなかったという反証を、フロイトが忘れるはずがない。そもそも世界文学史上に、中国のいわゆる「父子作家」「夫婦作家」のような「気恥ずかしさを面白がる」人物がどれほどいるか。文学は梅毒とは異なり、黴菌がないのだから、性交で相手に伝染するはずがない。「詩人」が一人の女を釣ろうとして、まず「女詩人」と持ち上げるのは、一種のおべっかであり、本当に詩才を伝染させたわけではない。 | ||
| − | + | 二つ目の願い——今後は目線を臍下三寸から離そう。 | |
| − | + | (九月二十五日。) | |
| − | + | === 第57節 === | |
| − | + | 【試験場の三つの恥 黄棘】 | |
| − | + | 昔、八股文の試験の時代に、三種類の答案があり、受験生は大いに面目を失った。後に策論に変わってからも、おそらく同じだっただろう。第一は「白紙答案」で、題目だけ書いて文章は書けない、あるいは題目すら書かないもの。しかしこれが最も潔い。ほかにこれ以上の枝葉はないからだ。第二は「刊本からの筆写」で、僥倖を願う心がまずあって、刊本の八股を暗記するか持ち込み、もし題目が合えばそのまま写して、試験官の目を誤魔化そうとするもの。品行はもちろん「白紙答案」の者より劣るが、文章は大抵よいので、ほかに別段の枝葉はない。第三が最悪で、でたらめに書くこと。不合格は言うまでもないが、でたらめな文章の中から笑い話を掘り出されてしまう。茶飲み話の種にされるのは、大概このたぐいだ。 | |
| − | + | 「不通」はまだこの中に入らない。なぜなら不通であっても、彼はとにかく題目を見て文章を書いているのだから。しかも不通の境地まで文章を書くのも容易ではない。中国の古今の文学者で、一つも不通の文がないと保証できる者が誰かいるだろうか? 自分が「通じている」と思い込んでいる者がいるが、それは「通じる」「通じない」の区別すら分かっていないからだ。 | |
| − | + | 今年の試験官の連中は、しきりに中学生の答案の笑い種を語っている。だが実のところ、その病根はでたらめに書くことにある。あの題目は、刊本から写しさえすれば全員合格できるものだ。たとえば『十三経』とは何か、文天祥はどの朝の人か、自分で頭を絞る必要はまるでなく、ひとたび絞ればかえって駄目になる。そこで文人学士たちは国学の衰退、青年の不出来を大いに嘆き、まるで自分たちだけが文林の碩果であるかのように、もっともらしい顔をしている。 | |
| − | + | しかし刊本からの筆写だって容易ではない。もしあの試験官たちを試験場に閉じ込めて、いきなりいくつか馴染みの薄い古典について問うてみれば、でたらめに書かないまでも、白紙答案を出さないとは限るまい。こう言うのは、すでに名を成した文人学士を軽んじるためではなく、古典は多く、覚えきれないのは不思議ではないが、全部覚えている方がかえって奇妙だと思うからだ。古書には後人が注をつけたものが少なくないではないか。あれはみな自分の書斎に座り、群書を調べ、類書を繙き、年月をかけてようやく脱稿したのであり、それでもなお「未詳」があり、誤りがある。今の青年にはもちろん指摘する力はないが、証人としては他の誰かの「補正」がある。しかも補に補を重ね、正に正を重ねたものも、時に見られる。 | |
| − | + | こう見てくると、もし刊本から写すことができ、しかもそれなりに体裁を繕えるなら、この人は現在の大人物だということになる。青年学生にいくらかの誤りがあるのは、常人の分際に過ぎない。それなのに世間に詬られるとは。彼らの中から「冤枉だ」と叫ぶ者がいないのが、まことに不思議だ。 | |
| − | + | (九月二十五日。) | |
| + | === 第58節 === | ||
| − | + | 【またもや「シェイクスピア」 苗挺】 | |
| − | + | ソ連が原作シェイクスピアを上演するのは、見よ「醜態」。マルクスがシェイクスピアを論じたのは、もちろん誤り。梁実秋教授がシェイクスピアを翻訳するらしく、一冊大洋千元。杜衡先生がシェイクスピアを読んで、「もう少し人生経験が必要だ」と悟った。 | |
| − | + | 我々の文学者・杜衡先生は、以前は自分でも「人生経験」の不足を感じていなかったらしく、群衆を信じていた。しかしシェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』を観てからは、「彼らには理性がない。明確な利害の観念もない。彼らの感情はまったく数人の煽動家に支配され、操縦されている」と悟ったのだ。(杜衡「シェイクスピア劇『シーザー伝』に表現された群衆」、『文芸風景』創刊号所載。)もちろんこれは「シェイクスピア劇」に基づくもので杜先生とは無関係であり、彼自身もまだそれが正しいかどうか判断できないと言うが、自分に「もう少し人生経験が必要だ」と感じたことだけは、すでに明白だ。 | |
| − | + | これは「シェイクスピア劇『シーザー伝』に表現された群衆」が杜衡先生に与えた影響である。では「杜文『シェイクスピア劇シーザー伝に表現された群衆』に表現された群衆」はどうか? 『シーザー伝』に表現されたものと何ら変わらない—— | |
| − | + | 「……これは我々に、近数百年来の各次の政変においてしばしば見られる、『鶏来たれば鶏を迎え、犬来たれば犬を迎う』式の……あの痛心すべき状況を想起させる。……人類の進化とは一体どこにあるのか? それとも我々のこの東方の古国は今なお二千年前のローマが経た文明の段階に停滞しているのだろうか?」 | |
| − | + | まことに、「古を思う幽情」は、往々にして現在のためだ。こう比べると、ローマにもかつて理性があり、明確な利害の観念があり、感情が数人の煽動家に支配も操縦もされない群衆がいたのではないかと疑いたくなるが、彼らは駆散され、弾圧され、殺戮されたのだ。シェイクスピアは調査しなかったか、あるいは思い至らなかったか、しかし故意に抹殺したのかもしれない。彼は古の人であり、こうした手を使ったところで手品とは言えない。 | |
| − | + | しかし彼の貴手が一たび取捨し、杜衡先生の名文が一たび敷衍すると、群衆は永遠に「鶏来たれば鶏を迎え、犬来たれば犬を迎う」材料であり、迎えられる側の方がよほど見込みがあると、まことに思わされる。「私に至っては、正直に言って」、群衆の無能と卑しさは「鶏」「犬」にすら勝ると、いくらか「感じ」さえしたのだ。もちろんこれは群衆を愛すればこそで、彼らがあまりに情けないからだ——自分ではまだ判断できないにしても、「この偉大なる劇作家は群衆をこのように見ている」のだから。信じない者は彼に聞けばよい! | |
| − | + | (十月一日。) | |
| − | + | === 第59節 === | |
| − | + | 【句読点の難しさ 張沛】 | |
| − | + | 『袁中郎全集校勘記』を見て、さして重要でもないことを数句思いついた。すなわち、句読を切ることの難しさだ。 | |
| − | + | 清代、塾の師匠が秘本を調べずに、空手で『四書』に句読を付け終えることができれば、田舎では大学者と見なされた。滑稽に思えるかもしれないが、大いに道理がある。古書をよく買う人なら、時折こんな本に出くわすだろう——冒頭に句読が施されているが、誤読が混じっており、途中で筆が止まっている。もう付けられなくなったのだ。こうした本は綺麗な本より安く買えるが、読むのはまことに不愉快だ。 | |
| + | 古書に標点を付して出版するのは「文学革命」の時に始まった。標点付きの古文で学生を試すのは、確か北京大学で同時期に始まったと記憶しているが、これはまったくの悪戯で、「学び励む学子」たちに数多の笑い話をさせることとなった。 | ||
| − | + | この時はただ、白話に反対する者や、白話に反対はしないが古文にも長けている学者たちに涼しげな物言いを許すしかなかった。ところが学者たちも「腕が疼く」もので、時に自ら手を出す。出した途端にいささか拙いことになる。いくつか切れない句があるのはまだ許せるが、極めて平易な句にまで誤読を付けるのだ。 | |
| − | + | 古文はもともと標点しにくいことが多い。たとえば『孟子』の一節、我々はおおむねこう読む。「馮婦なる者有り、善く虎を搏つ。卒に善士と為る。則ち野に之く。衆の虎を逐う有り。虎嵎に負き、之に敢えて撄る者莫し。望みて馮婦を見、趨りて之を迎う。馮婦臂を攘げて車を下る。衆皆之を悦ぶ。其の士為る者は之を笑う。」しかし「卒に善と為る。士は則ち之く。野に衆の虎を逐う有り……」と切るべきだという者もいる。この「笑う」「士」は、先に「則った」「士」と同じだというのだ。そうでなければ「其の士為る者」はあまりに唐突だ。しかし究極、どちらが正しいか決め難い。 | |
| − | + | もっとも、もし調子の定まった詞曲、句の対偶する駢文、あるいは難解でもない明人の小品であって、標点者がまた名士学者であるにもかかわらず、なお誤読が出るとなれば、蚊に刺されなくても鳥肌が立つというものだ。口では白話がどうの、古文がいかに素晴らしいのと言いながら、手を動かせば古文に誤読を付ける。しかもその古文は彼自身がまさに力説して称揚している古文なのだ。誤読——それは読めていないことの明白な証拠ではないか。良いの悪いの、一体どこから来るのだ? | |
| − | + | 古文に標点を施すのは、まことに一つの試金石だ。数個の点と数個の丸を打つだけで、真の色が現れてしまう。 | |
| − | + | だがこの話はあまり続けない方がよい。これ以上話せば、間もなくさらに高尚なる議論が出て、標点は「流行に随う」代物で「性霊」を損なうから排斥すべし、ということになりかねない。 | |
| − | + | (十月二日。) | |
| − | + | === 第60節 === | |
| − | + | 【奇怪(三) 白道】 | |
| − | + | 「中国第一流の作家」たる葉霊鳳と穆時英の両先生が編集する『文芸画報』の大広告は、新聞で早くから見ていた。半月余り経って、ようやく店頭でこの「画報」を目にした。「画報」である以上、見る者も当然「画報」を見る心持ちで、まず「画」を見る。 | |
| − | + | 見なければまだしも、見たとたん奇怪である。 | |
| − | + | 戴平万先生の「瀋陽への旅」に三枚の挿図があり、どことなく日本人の筆致に似ている。記憶を辿ると、ああ、なるほど、日本の雑誌店で見たことがある『戦争版画集』に収められた料治朝鳴の木版画で、奉天での戦勝を記念して作られたものだ。日本が中国に対する戦勝を記念した作品が、被戦勝国の作者の作品の挿図になっている——奇怪一。 | |
| − | + | さらに捲ると、穆時英先生の「墨緑の服の女」に三枚の挿画があり、どことなくマゼレールの筆致に似ている。白黒鮮明で、私は良友公司が翻刻した四冊の小さな本から彼の作風を覚えていたが、今回の木版画の署名も明白にFMの二文字だ。まさか「中国第一流の作家」のこの作品が、予めフランス語に翻訳されてマゼレールに挿画を彫ってもらったとでも言うのだろうか?——奇怪二。 | |
| + | 今度は文字、「世界文壇瞭望台」だ。冒頭にこうある。「フランスのゴンクール賞は、昨年意外にも(白注:忌々しい!)中国を題材にした小説『人間の条件』に授与された。作者はアンドレ・マルロー」だが、「あるいは立場の関係であろう、この本は文体の上ではおしなべて賞讃されているが、内容の上では一様に新聞評論の攻撃を受けている。マルローほどの才能の作家が、よりにもよって文芸を宣伝の道具にするとは惜しいことだ、といった調子である」云々。この「瞭望」によれば、「どうやら」フランスのゴンクール賞の文学作品審査員の「立場」は、「文芸を宣伝の道具にする」ことに賛成している、ということになる——奇怪三。 | ||
| − | + | もっとも、これは私自身の「珍しがり」に過ぎず、他の人はそうではないかもしれない。昔の「怪しむ者」は「怪しむに足らず、怪自ら敗る」と言ったが、今の「怪」は早々と「見ても怪しむなかれ」と宣言している。巻頭に「編者随筆」がある—— | |
| − | + | 「ただ毎号、さほど重くもない文字と図画を提供し、文芸に興味ある読者が他の深刻な問題に疲れた目を少し覚ますか、あるいは破顔一笑できれば、ただそれだけのことである。」 | |
| − | + | なるほど、「中国第一流の作家」が、かつての「ビアズリー」の生き写しを演じ、今年はマゼレールの丸呑みをする小技は、大才小用で、ただ人に「他の深刻な問題に疲れた目を少し覚ます、あるいは破顔一笑」させるためだったのだ。もしこの目覚ましの「文芸画」から、深刻でないにしても問題がまた起これば、二人の「中国第一流の作家」の芸を披露する苦心に、結局は背くことにならないだろうか? | |
| − | + | それでは、私も「破顔一笑」しよう—— | |
| − | + | ハッ! | |
| + | (十月二十五日。) | ||
| − | === | + | === 第61節 === |
| − | + | 【梅蘭芳及びその他について(上) 張沛】 | |
| − | + | 名優を崇拝するのは北京の伝統だ。辛亥革命後、伶人の品格が高まり、この崇拝も清らかになった。初めは譚叫天だけが劇壇に君臨し、誰もが彼の技芸は素晴らしいと言ったが、おそらくいくばくかの世故も混じっていた。なぜなら彼は「老仏爺」——西太后に賞されたからだ。誰も彼のために宣伝し、知恵を出す者はいなかったから、世界的名声は得られなかったが、しかし彼のために脚本を書く者もいなかった。この「書かなかった」には、いくらか「書く勇気がなかった」が含まれていると私は思う。 | |
| − | + | 後に名を馳せた梅蘭芳は、彼とはまるで違った。梅蘭芳は生ではなく旦であり、皇室の扶持ではなく俗人の寵児である。これが士大夫に手を下す勇気を与えたのだ。士大夫はつねに民間のものを奪おうとする。竹枝詞を文言に改め、「小家碧玉」を妾にする。しかし一たび彼らの手にかかると、そのものも彼らとともに滅びてしまう。彼らは梅蘭芳を俗衆の中から引き上げ、ガラスのケースを被せ、紫檀の台座をこしらえた。多くの者には聞き取れない言葉で、ゆっくりと「天女散花」を舞わせ、くねくねと「黛玉葬花」を演じさせた。以前は彼が芝居をしていたのに、今や芝居が彼のために作られるようになった。新しい脚本はことごとく梅蘭芳のためだけに、しかも士大夫の心中の梅蘭芳のためだけに書かれた。雅にはなったが、多くの者には分からず、見たくもなく、自分には見る資格もないとさえ感じるようになった。 | |
| − | + | 士大夫たちもまた日増しに沈潜し、梅蘭芳は近頃いささか冷遇されている。 | |
| − | + | 旦角ゆえに年を取れば冷遇されるのは必至か? そうではない。老十三旦は七十歳で、ひとたび舞台に上がれば満席喝采だ。なぜか? 彼が士大夫に独占されず、ガラスのケースに閉じ込められなかったからだ。 | |
| − | + | 名声の興亡は光の興亡にも似ていて、興るときは近くから遠くへ、滅ぶときは遠方にまだ余光が残る。梅蘭芳の訪日・訪米は、実はもはや光の発揚ではなく、中国における光の収斂だった。彼はガラスのケースから飛び出そうとは思い至らなかったから、このまま運び出され、このまま運び戻された。 | |
| − | + | 彼が士大夫の助力を得る前に演じていた芝居は、もちろん俗であり、下品で不潔でさえあったが、しかし潑剌として生気があった。「天女」と化してからは高貴にはなったが、以来死に体となり、気取りが痛々しい。死にもせず生きもせぬ天女や林妹妹を見るよりは、大多数の人は、一人の美しく活き活きとした村娘を見た方がよいだろう。彼女は我々に近いのだ。 | |
| + | しかるに梅蘭芳は記者にこう語った。さらに他の脚本も、もっと雅にしたいと。 | ||
| − | + | (十一月一日。) | |
| − | + | === 第62節 === | |
| − | + | 【梅蘭芳及びその他に関する略論(下) 張沛 】 | |
| − | + | しかも梅蘭芳はソ連に行こうとしている。 | |
| − | + | 議論紛々。我々の大画家・徐悲鴻教授もかつてモスクワに行って松を描いたことがある——あるいは馬だったか、はっきり覚えていないが——国内ではこれほど騒がれなかった。このことからも、梅蘭芳博士の芸術界における地位が、まさに人に超えていることが分かる。 | |
| − | + | しかも『現代』の編集室まで緊張させてしまった。筆頭編集者の施蟄存氏は言った、「しかもまだ梅蘭芳に『貴妃酔酒』を演じさせようというのだ!」(『現代』五巻五期。)こんなに大声で叫ぶとは、よほどの不満であろう。もし予め性別を知らなければ、臓躁の症を患ったかと疑わせるほどである。次席編集者の杜衡氏は言った、「脚本鑑定の仕事が終われば、最も前衛的な戯をいくつか選んで、まずモスクワに行って梅蘭芳先生の『転向』後の個人的創作として宣伝しても差し支えあるまい。……なぜなら慣例として、ソ連に行く芸術家は、いかなる場合もあらかじめ少しばかり『転向』を示すべきだからだ。」(『文芸画報』創刊号。)こちらはずっと冷静で、一目見ればその手腕の巧みなことが分かる。斉如山先生をして自ら及ばずと嘆かせ、急いで手助けを頼みに来させるほどだ——手助けの手助け。 | |
| − | + | しかし梅蘭芳先生は、中国の戯は象徴主義であり、脚本の字句はもう少し雅でなければならないと言っている最中で、実のところ彼こそ芸術のための芸術を追求しており、彼もまた「第三種の人」なのだ。 | |
| − | + | ならば、彼は「少しばかり『転向』を示す」ことはしないであろう。今のところまだ少し早い。彼はおそらく別の筆名を使って脚本を一篇書き、ある知識階級の人物を描くだろう。常に芸術のためだけに専念し、常に俗事を問わないが、最後になって、彼は結局やはり革命の側にいる、と。こうすればずっと活き活きとする。最後になるまでは花だの光だのと言い、いざ最後になれば、この作品を書いたのは実は私だ、となれば革命の側ではないか。 | |
| − | + | しかし梅蘭芳博士が自ら文章を書いておきながら、別の筆名で自分の演技を称賛するようなことをするかどうか、あるいは架空の団体を設立して何やら「戯劇年鑑」を出版し、自ら序文を書いて、自分は劇界の名人だと言うようなことをするかどうか、私は知らない。もしそのようなことがないのなら、この手も使えまい。 | |
| − | + | もし使えないのなら、杜衡氏を失望させ、「もう少し明るく」と言わせることになるだろう。 | |
| − | + | この辺で止めておこう。これ以上「略論」を続ければ、梅先生に「批評家に滅茶苦茶に罵られたせいで、良い芝居ができなくなった」と言われかねない。 | |
| − | + | (十一月一日。) | |
| − | + | === 第63節 === | |
| + | 【罵殺と捧殺 阿法 】 | ||
| − | + | 近頃、文学批評に不満を抱く者たちは、近年のいわゆる批評なるものは捧げることと罵ることに過ぎない、と口を揃えて言う。 | |
| − | + | 実のところ、いわゆる捧げると罵るとは、称賛と攻撃を少々見栄えの悪い言葉に換えたに過ぎない。英雄を英雄と指し、娼婦を娼婦と言うのは、表面上は捧げたり罵ったりしているように見えるが、実際にはぴったり当てはまっており、批評家を責めることはできない。批評家の過ちは、出鱈目に罵り出鱈目に捧げることにある。たとえば英雄を娼婦と言い、娼婦を英雄に祭り上げるような。 | |
| − | + | 批評が威力を失ったのは「出鱈目」のせいであり、甚だしくは事実と正反対の「出鱈目」に至っている。この真相が皆に見抜かれれば、その効果も時に逆になる。だから今は罵り殺される者は少なく、捧げ殺される者が多いのだ。 | |
| − | + | 人は古いが事は近い例として、袁中郎がいる。この一群の明末の作家たちは、文学史上に固有の価値と地位を持っている。不幸にも一群の学者たちに持ち上げられ、頌揚され、句読点を打たれ、印刷され、「色は借り、日月は借り、燭は借り、青黄は借り、眼の色は定まらず。声は借り、鐘鼓は借り、枯竹の穴は借り……」と借りまくって混乱の極みに至った。まるで中郎の顔に隈取りを描いておいて、皆に指さして見せ、舌を鳴らして賞賛するようなものだ。「ほら、なんと『性霊』的ではないか!」と。中郎の本質には無論何の関係もないが、他の誰かが隈取りを洗い落とすまでは、この「中郎」は人々の笑い物になり、大いに不運な目に遭うことを免れない。 | |
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| − | 人は古いが事は近い例として、袁中郎がいる。この一群の明末の作家たちは、文学史上に固有の価値と地位を持っている。不幸にも一群の学者たちに持ち上げられ、頌揚され、句読点を打たれ、印刷され、「色は借り、日月は借り、燭は借り、青黄は借り、眼の色は定まらず。声は借り、鐘鼓は借り、枯竹の穴は借り……」と借りまくって混乱の極みに至った。まるで中郎の顔に隈取りを描いておいて、皆に指さして見せ、舌を鳴らして賞賛するようなものだ。「ほら、なんと『性霊』的ではないか!」と。中郎の本質には無論何の関係もないが、他の誰かが隈取りを洗い落とすまでは、この「中郎」は人々の笑い物になり、大いに不運な目に遭うことを免れない。 | ||
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| + | 人は近いが事は古い例として、私はタゴールを思い出す。彼が中国に来て壇上で講演した時、人々は彼のために琴を一張り用意し、香を一炉焚き、左に林長民、右に徐志摩、おのおのインドの帽子を被っていた。徐詩人が紹介を始めた。「オーム!ジリグル、白雲清風、銀磬……チーン!」彼をまるで生き仙人のように語ったので、我々のこの地上の青年たちは失望し、離れていった。仙人と凡人、どうして離れずにいられようか。しかし私は今年、彼がソ連を論じた文章を読み、自ら「私はイギリス統治下のインド人である」と宣言しているのを見た。彼自身、明々白々に分かっているのだ。おそらく彼が中国に来た時にも、決してまだ朦朧としていたはずはない。もし我々の詩人諸公が彼を生き仙人に仕立て上げなかったなら、青年たちも彼に対してこれほど隔たりを感じることはなかっただろう。今となっては大いに不運なことだ。 | ||
| + | 学者や詩人の看板を掲げて一人の作者を批評したり紹介したりするのは、初めは大いに人を惑わすことができる。しかし他の人々がこの作者の真の姿を見極めた時には、残るのはただ自身の不誠実さ、あるいは学識の不足だけだ。だがもし他の誰も真相を指摘しなければ、この作家はそのまま捧げ殺されてしまい、何年後に名誉が回復されるか分かったものではない。 | ||
(十一月十九日。) | (十一月十九日。) | ||
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=== 第64節 === | === 第64節 === | ||
【読書の忌 焉於 】 | 【読書の忌 焉於 】 | ||
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中国の医書にはしばしば「食忌」が記されていたのを覚えている。すなわち、ある二種の食物を同時に食べると人体に害があり、あるいは命を落とすこともあるという。たとえば葱と蜜、蟹と柿、落花生と胡瓜の類である。しかしそれが真実かどうかは知る由もない。実際に試した人の話を聞いたことがないからだ。 | 中国の医書にはしばしば「食忌」が記されていたのを覚えている。すなわち、ある二種の食物を同時に食べると人体に害があり、あるいは命を落とすこともあるという。たとえば葱と蜜、蟹と柿、落花生と胡瓜の類である。しかしそれが真実かどうかは知る由もない。実際に試した人の話を聞いたことがないからだ。 | ||
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ここ数日、偶然に屈大均の『翁山文外』を見かけた。その中に戊申(すなわち清の康煕七年)八月に書かれた「代北より京に入るの記」という一篇がある。彼の文章の筆力は、どうして中郎に劣ろうか。しかしかなりの箇所に極めて重みがある。いくつか書き写しておこう—— | ここ数日、偶然に屈大均の『翁山文外』を見かけた。その中に戊申(すなわち清の康煕七年)八月に書かれた「代北より京に入るの記」という一篇がある。彼の文章の筆力は、どうして中郎に劣ろうか。しかしかなりの箇所に極めて重みがある。いくつか書き写しておこう—— | ||
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「……河に沿って行き、渡ったり渡らなかったりする。往々にして西夷の氈の天幕が見え、高低さまざまで、いわゆる穹廬が連なり、丘のごとく阜のごとくである。男女はみなモンゴル語を話す。乾燥した酪や湿った酪を売る者、羊馬を売る者、犛の皮を売る者、二頭の駱駝の間に横たわる者、奚車に座る者、鞍も置かず騎す者、三々五々で行き、戒衣を被り、あるいは赤あるいは黄、小さな鉄の輪を持ち、『金剛穢呪』を唱える者。その頭頂に柳の笊を一つ載せ、馬糞と木炭を入れている者は、みな中華の女子である。みな髪を巻いて裸足、垢にまみれた顔で、毛の袄を裏返しに着ている。人と牛羊が枕を交えて臥し、腥臊の臭気は百余里に絶えず。……」 | 「……河に沿って行き、渡ったり渡らなかったりする。往々にして西夷の氈の天幕が見え、高低さまざまで、いわゆる穹廬が連なり、丘のごとく阜のごとくである。男女はみなモンゴル語を話す。乾燥した酪や湿った酪を売る者、羊馬を売る者、犛の皮を売る者、二頭の駱駝の間に横たわる者、奚車に座る者、鞍も置かず騎す者、三々五々で行き、戒衣を被り、あるいは赤あるいは黄、小さな鉄の輪を持ち、『金剛穢呪』を唱える者。その頭頂に柳の笊を一つ載せ、馬糞と木炭を入れている者は、みな中華の女子である。みな髪を巻いて裸足、垢にまみれた顔で、毛の袄を裏返しに着ている。人と牛羊が枕を交えて臥し、腥臊の臭気は百余里に絶えず。……」 | ||
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私が思うに、もしこのような文章を読み、このような光景を想像し、しかもすっかり忘れてしまったのでなければ、たとえ中郎の『広荘』や『瓶史』であっても、決して積もった憤りを洗い流すことはできまい。むしろ怒りは増すばかりだ。なぜならこれは実際に、中郎の時代に彼らが互いに標榜し合っていたよりもさらに酷いのだから。彼らはまだ揚州十日や嘉定三屠を経験していなかったのだ! | 私が思うに、もしこのような文章を読み、このような光景を想像し、しかもすっかり忘れてしまったのでなければ、たとえ中郎の『広荘』や『瓶史』であっても、決して積もった憤りを洗い流すことはできまい。むしろ怒りは増すばかりだ。なぜならこれは実際に、中郎の時代に彼らが互いに標榜し合っていたよりもさらに酷いのだから。彼らはまだ揚州十日や嘉定三屠を経験していなかったのだ! | ||
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明代の小品文はよい。語録体も悪くない。しかし私は『明季稗史』の類や明末遺民の作品の方が実にもっとよいと思う。今こそまさに句読点を打ち、翻刻すべき時だ——皆の目を覚まさせるために。 | 明代の小品文はよい。語録体も悪くない。しかし私は『明季稗史』の類や明末遺民の作品の方が実にもっとよいと思う。今こそまさに句読点を打ち、翻刻すべき時だ——皆の目を覚まさせるために。 | ||
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偽自由書 (伪自由书)
魯��� (ルーシュン, 1881-1936)
中国語からの日本語翻訳。
第1節
【花辺文学】
【序言】
私がしばしば短評を書くようになったのは、確かに『申報』の「自由談」に投稿したことに始まる。一九三三年の作を集めて、『偽自由書』と『準風月談』の二冊ができた。その後、編集者の黎烈文先生はまことに圧迫に苦しみ、翌年ついに押し出されてしまった。私も本来これを機に筆を擱くこともできたのだが、意地になって、やはり書き方を変え、筆名を替え、人に頼んで清書してもらい投稿した。新任の者には細かく見分けることができず、依然としてしばしば掲載された。一方でまた範囲を広げ、『中華日報』の副刊「動向」や小品文半月刊『太白』の類にも、折に触れて同様の文章を幾つか書いた。一九三四年に書いたこれらのものを集めたのが、この一冊の『花辺文学』である。
この名称は、私と同じ陣営にいる青年の戦友が、姓名を変えて暗箭に掛けて射てよこしたものだ。その意図は甚だ巧妙である。一に、この類の短評が新聞に掲載される際にしばしば花模様の縁飾り(花辺)で囲まれて重要さを示すため、私の戦友が見て頭が痛くなる。二に、「花辺」は銀貨の別名でもあるから、私のこれらの文章は原稿料のためであり、実は取るに足らぬという意味である。我々の意見の相違するところは、私は我々が外国人に鶏鴨より優遇されることを期待する必要はないと考えたのに対し、彼は我々を鶏鴨より優遇すべきだと考え、私が西洋人を弁護しているから「買弁」だというのである。その文章は「倒提」の下に附してあるので、ここでは多くは言うまい。このほかには特に記すべき事もない。ただ一篇の「冗談は冗談と思え」のために、文公直先生から手紙が来て、筆誅はいっそう厳しくなり、私を「漢奸」だと言った。今はその手紙と私の返信を本文の下に附してある。残りのこそこそと、びくびくとした攻撃は、上に挙げた二人にはまだまだ遠く及ばず、ここには転載しない。
「花辺文学」はまことに駄目であった。一九三四年は一九三五年とは違う。今年は「皇帝閑話」事件のために、官の書報検閲処が忽然と行方不明になり、さらに七名の検閲官が罷免され、日刊紙の削除された箇所も空白のまま残してよいらしくなった(業界用語で「天窓を開ける」という)。しかしあの頃はまことに厳しく、こう言っても駄目、ああ言っても通らず、しかも削除した箇所は空白を残すことも許されず、つなぎ合わせて、著者自身に口ごもって意味不明の責任を負わせなければならなかった。このような明誅暗殺の下で、かろうじて残喘を保ち読者の目に触れ得たものは、奴隷の文章でなくて何であろうか。
私はかつて数人の友人と雑談したことがある。一人の友人が言った。今の文章には骨気のあるものはなくなった。例えばある日刊紙の副刊に投稿すれば、副刊の編集者がまず骨を数本抜き、総編集がまた数本抜き、検閲官がまた数本抜く。残ったものに何があるか、と。私は言った。私は自分で先に骨を数本抜いておくのだ。さもなくば「残ったもの」すら残らぬ、と。ゆえに、あの頃発表された文字は、四度骨を抜かれた可能性がある──今日ある人々が懸命に文天祥や方孝孺を顕彰しているが、幸いにも彼らは宋・明の人であった。もし現代に生きていたならば、彼らの言行は誰も知ることができなかったであろう。
したがって、官に許された骨気ある文章のほかに、読者はただ骨気のない文章を見るしかない。私は清朝に生まれ、元来奴隷の出身で、生まれた時から中華民国の主人である二十五歳以下の青年とは同じではない。しかし彼らは世故を経ず、たまに「我を忘れ」れば、やはり大いに釘にぶつかる。私の投稿は発表を目的としたものであるから、もちろん骨気があるようには見せない。ゆえに「花辺」で飾られたものは、おそらく確かに青年作家の作品より多く、しかも奇妙なことに、削除された箇所はかえって少なかった。一年のうちでわずか三篇のみで、今回補完し、なお黒点で印とする。『論秦理斎夫人事』の末尾は申報館の総編集が削ったものと思われ、他の二篇は検閲官が削ったもの。ここに彼らの異なる心情が現れている。
今年一年の間に、私が投稿していた「自由談」と「動向」はともに停刊し、『太白』も出なくなった。私はかつてこう思ったことがある。およそ私が原稿を寄せる刊行物は、最初の一、二号に寄せるだけなら差し支えないが、もし途切れなく続けると、結局長くは生きられない。そこで今年からは、この類の短文はあまり書かなくなった。同人に対しては背後からの悶棍を避けるため、自分に対しては道を開ける馬鹿になりたくないため、刊行物に対してはできるだけ長命であることを望むためである。ゆえに人から投稿を求められても、殊更に引き延ばし、それは「架子を振る」のではなく、いくらかの好意──しかし時には悪意でもある──の「世故」である。これは原稿を求める方々にお許しを請わねばならない。
ようやく今年の下半期になって、新聞記者の「正当なる輿論の保護」の請願と知識階級の言論の自由の要求を見た。もうすぐ年が明けるが、結果がどうなるか分からぬ。しかし、たとえこれ以降文章がすべて民衆の喉舌となったとしても、その代価は大きすぎると言わざるを得ない──それは華北五省の自治である。これはまさに以前の「正当なる輿論の保護」を敢えて懇請せず、言論の自由を要求しなかった代価の大きさと同じである──すなわち東三省の喪失。ただし今回、それと引き換えに得たものは光明である。しかしもし万が一にも不幸にして、後にまた私が『花辺文学』を書いていたのと同じ時代に戻ったならば、皆でその代価が何であるか当ててみるがいい……
一九三五年十二月二十九日夜、魯迅記す。
【未来の光栄 張承禄 】
今やほとんど毎年のように外国の文学者が中国にやって来るが、中国に来るたびに、いつも小さな騒ぎを引き起こす。先にバーナード・ショーがあり、後にデコブラがあった。ただファジェーエフだけは、皆が口にしたがらぬか、あるいは口にできなかったのだ。
デコブラは政治を語らず、元来は是非の輪の外に跳び出せると思われたのだが、不意にも食と色を褒め称えたために「外国の文盲」という悪名を勝ち取り、我が論客たちにここで議論紛々たらしめた。彼はおそらくそろそろ小説を書きに行くであろう。
鼻が平たく小さく、ヨーロッパ人のように高くそびえていないのは仕方がない。しかし懐に数角の銭があれば、同じように映画を観ることはできる。探偵映画には飽き、恋愛映画にはうんざりし、戦争映画には膩き、喜劇映画にはつまらなくなると、そこで『ターザン』があり、『獣林怪人』があり、『アフリカ探険』がある等々、野獣と野蛮人の登場を求めるのだ。しかし未開の地においてもなお、必ず蛮女の蛮なる曲線を少々差し挟まねばならぬ。もし我々もなお見たがるならば、いくら嘲笑されても、やはりいくらかの未練があることが分かるであろう。「色」は市井の商人にとって甚だ大切なものだ。
文学が西欧で壁にぶつかるのも映画と変わらない。いわゆる文学者なる者の中にも、奇異なるもの(グロテスク)、色情的なるもの(エロティック)を探し出して、その顧客を満足させねばならぬ者がいる。それゆえ探険式の旅行があるのであり、目的は決して地主のお辞儀や酒の招待にあるのではない。しかし愚問に遭えば笑い話で済ませる。彼も実はこれらのことは分からぬし、分かる必要もないのだ。デコブラはこれらの人々の中の一人に過ぎない。
しかし中国人は、この類の文学者の作品の中で、各種のいわゆる「土人」と共に登場することになる。新聞に掲載されたデコブラ先生の旅程表を見さえすれば分かる──中国、南洋、南米。英国やドイツの類ではあまりに平凡だ。我々は描写されることを自覚し、また描写される光栄がこれからますます増えていくことを自覚し、さらに将来このようなことがあるのを面白いと思う者が出てくることをも自覚せねばならぬ。
(一月八日。)
【女は必ずしも嘘が多いとは限らぬ 趙令儀 】
侍桁先生は「嘘について」の中で、嘘をつく原因の一つは弱さに起因するとし、その証左として「それゆえなぜ女は男より嘘が多いのか」と述べた。
あれは必ずしも嘘ではないが、しかし必ずしも事実でもない。我々は確かにしばしば男たちの口から、女は男より嘘が多いと聞かされるが、しかし実証もなければ統計もない。ショーペンハウアー先生は痛烈に女を罵ったが、彼の死後、その蔵書の中から梅毒の治療薬の処方箋が見つかった。もう一人、オーストリアの青年学者で、名前は忘れたが、大著を書いて女と嘘は分かちがたいと論じた。しかし彼は後に自殺した。恐らく彼自身にこそ精神の病があったのだろう。
私が思うに、「女は男より嘘が多い」と言うよりは、「女は『男より嘘が多い』と人に指摘される時の方が多い」と言った方がよかろう。もっとも、数字の統計は自ずとないのだが。
例えば楊貴妃について、安禄山の乱以後の文人はみな大嘘をついていた。玄宗は事の外に逍遥としていたのに、かえって多くの悪事はすべて彼女のせいだと言った。敢えて「夏殷の衰えるを聞かずや、みずから褒姒・妲己を誅す」と言う者が幾人いたか。妲己や褒姒もまた同じことではないか。女が自分と男のために罪を被ってきた歴史は、実に長い。
今年は「婦人国貨年」で、国貨振興も婦人から始まる。まもなく罵られるであろう。なぜなら国貨も必ずしもこのために好転するとは限らぬが、一たび提唱し、一たび叱責すれば、男たちの責任は果たされるからだ。
ある男士がある女士のために不平を詠んだ詩を覚えている。「君王城上に降旗を竪つ、妾は深宮にありてなんぞ知らん。二十万人斉しく甲を解き、さらに一人の男児たる無し!」痛快なるかな、痛快なるかな!
(一月八日。)
【批評家の批評家 倪朔爾 】
情勢の転変もまことに速く、昨年以前は批評家も非批評家もともに文学を批評していた。もちろん不満の方が多かったが、よいと言う者もいた。昨年以来、変わって文学者も非文学者もひっくり返り、転じて批評家を批評するようになった。
今度はよいと言う者はあまりなく、最も徹底しているのは、近来真の批評家はいないと認めぬことだ。たとえ認めても、大いに彼らの愚鈍を笑う。なぜか。彼らがしばしば一つの決まった枠を作品の上に嵌め、合えばよし、合わねば悪しとするからだ。
しかし、我々は文芸批評史の上で、決まった枠を持たぬ批評家を見たことがあるだろうか。誰もが持っている。あるいは美の枠、あるいは真実の枠、あるいは前進の枠である。決まった枠のない批評家こそ、奇人である。雑誌は決まった枠がないと称することができるが、実はそれこそが枠であり、目を隠す手品師のハンカチなのだ。例えば一人の編集者が唯美主義者であるとすれば、彼は自ら定見なしと言いながら、書評だけでたっぷり手品を弄することができる。もしそれがいわゆる「芸術のための芸術」の作品で、自分の私見に合致するものであれば、この主義を賛成する批評または感想文を一篇選んで掲載し、天まで持ち上げる。さもなければ、似非急進的な、いかにも革命的に見える批評家の文章を使って、地面にまで押し込める。読者はこれで目が眩む。しかし個人としては、もし少しでも記憶力があれば、このように両端に立つことはできず、決まった枠を持たねばならぬ。我々は彼に枠があることを責めるべきではない。ただその枠が正しいかどうかを批評すればよいのだ。
しかし批評家の批評家は、張献忠が秀才を選ぶ故事を引き出すであろう。まず二本の柱の間に縄を一本横に張り、受験者を歩かせる。背が高すぎれば殺し、低すぎても殺す。かくして蜀中の英才を殺し尽くした、と。このように喩えれば、定見のある批評家はすなわち張献忠に等しく、まこと読者をして心からの憎悪を抱かしめ得る。しかし文を評する枠が、すなわち人を量る縄であるか。文の合不合が、すなわち人の長短を量ることであるか。この例を引き出すのは誣陷であって、いかなる批評でもない。
(一月十七日。)
【漫罵 倪朔爾 】
批評家に対するもう一つの不満の批評がある。いわゆる批評家は「漫罵」を好むから、彼の文章は批評ではない、というものだ。
この「漫罵」を「嫚罵」と書く者もあり、「謩罵」と書く者もあるが、同じ意味かどうか私には分からない。しかしこれはひとまず措くとしよう。今問わんとするのは、いかなるものが「漫罵」であるかだ。
仮に一人の人を指して「これは娼婦だ」と言うとする。もし彼女が良家の女であれば、それは漫罵である。もし彼女がまことに笑いを売る稼業に就いているならば、これは漫罵ではなく、真実を述べたのだ。詩人には官職を買う金がなく、金持ちはただ勘定ばかりしている。事実がそうであるから、これは本当のことであり、たとえこれを漫罵と称しても、詩人にはやはり官職は買えぬ。これは幻想が現実にぶつかった小さな釘なのだ。
金があるからといって文才があるとは限らぬ。「子女が行列をなす」からといって必ずしも児童の性質を明らかにするとは限らぬこと以上に明白である。「子女が行列をなす」は、ただ夫婦が生むのが上手で、育てもできることを証明するだけで、児童について妄りに論ずる権利はない。論じようとすれば、それは恥知らずに過ぎない。これは漫罵のように聞こえるが、実はそうではない。もしそうだと言うなら、世界中の児童心理学者はみな最も子供を多く産む親だと認めねばならぬ。
子供がわずかな食べ物のために喧嘩すると言うのは、子供に冤罪を着せるものであり、実は漫罵である。子供の行動は天性に出るものであり、また環境によっても変わる。ゆえに孔融は梨を譲った。喧嘩するのは家庭の影響であり、大人でさえ家産を争い遺産を奪い合うではないか。子供はその真似をしたのだ。
漫罵は確かに多くの善人に冤罪を着せるが、曖昧模糊として「漫罵」を撲滅すれば、かえって一切の悪種を庇護することになる。
(一月十七日。)
【「京派」と「海派」 欒廷石 】
北平のある先生がある新聞で「京派」を揚げて「海派」を抑える発言をして以来、かなりの議論を引き起こした。最初は上海のある先生がある雑誌で不平を述べ、さらに別のある先生の旧説を引いて、作者の籍貫は作品とは無関係であると主張し、北平のある先生に一撃を加えようとした。
実のところ、これでは北平のある先生を心服させるに足りぬ。いわゆる「京派」と「海派」とは、元来作者の本籍を指すのではなく、一群の人々が集まる地域を指すのだ。ゆえに「京派」は皆北平人とは限らず、「海派」も皆上海人とは限らない。梅蘭芳博士は芝居における真の京派であるが、その本貫は呉下である。しかし、籍貫の都鄙がその人の功罪を定めることはできぬにせよ、居所の文野はやはり作家の神情に影響する。孟子曰く「居は気を移し、養は体を移す」と。これをこそ言うのだ。北京は明清の帝都、上海は各国の租界。帝都には官多く、租界には商多し。ゆえに京にある文人は官に近く、海に没する者は商に近い。官に近い者は官に名を得させ、商に近い者は商に利を得させ、自らもそれによって糊口する。要するに、「京派」は官の幇閑に過ぎず、「海派」は商の幇忙に過ぎぬ。しかし官から食を得る者はその情状が隠れ、外に向かってなお傲然たり得るが、商から食を得る者はその情状が露わで、どこにも隠しようがない。そこで我を忘れる者はこれに拠りて清濁の別ありとする。官が商を卑しむのは元来中国の旧習であるから、「海派」は「京派」の目にいっそう落ちぶれたのだ。
しかし北京の学界は、以前にはその光栄もあった。すなわち五四運動の策動である。今なお歴史上の光輝はあるが、当時の戦士は、「功成り名遂げ身退く」者あり、「身を安んずる」者あり、「身を昇す」者はなおさらあり。立派な悪戦も、ほとんど人をして「官になりたくば殺人放火をして招安を受けよ」の感を抱かしめる。「昔人已に黄鶴に乗りて去り、此の地空しく黄鶴楼を余す」。一昨年大難が頭上に迫った時、北平の学者たちが自らの楯としようとしたのは古文化であり、唯一の大事は古物の南遷であった。これは自ら徹底的に、北平にあるものが何であるかを説明してしまったのではないか。
第2節
しかし北平には畢竟まだ古物があり、また古書があり、また古都の人民がいる。北平の学者文人たちは、おおむね講師か教授の本業を持ち、道理からすれば、研究あるいは創作の環境は実に「海派」より優越している。私は学術上あるいは文芸上の大著作を見ることができるよう望んでいる。
(一月三十日。)
【北人と南人 欒廷石 】
これは「京派」と「海派」の議論を見た後に、連想したものである──
北人が南人を卑しむのは、すでに一つの伝統である。これは風俗習慣の相違のためでもなく、思うにその大きな原因は、歴来の侵入者が多く北方から来て、まず中国の北部を征服し、さらに北人を率いて南征したことにある。ゆえに南人は北人の目には被征服者でもあるのだ。
二陸が晋に入った時、北方の人士は歓喜の中にあきらかに軽薄を帯びていた。証拠を挙げれば煩雑になるので、ひとまず論じないでおこう。分かりやすいのは、羊衒之の『洛陽伽藍記』の中で常に南人を誹り、同類と見なしていないことだ。元に至っては、人民を截然と四等に分けた。一にモンゴル人、二に色目人、三に漢人すなわち北人、第四等がようやく南人で、それは彼らが最後に降伏した一群だったからだ。最後に降伏したとは、こちらから言えば矢尽き援絶えてようやく戦いを止めた南方の強さであり、あちらから言えば順逆をわきまえず久しく王師に抗した賊である。生き残りは当然降伏したのだが、しかし奴隷としての資格はこのため最も浅く、浅いがゆえに班次も最も低く、誰もが憚りなく卑しめたのだ。清朝に至ってこの帳簿がまた整理し直され、今なお余波が流れている。もしこの後の歴史がもう繰り返されぬならば、それはまことに南人のみならざる天の福というべきだ。
もちろん、南人には欠点がある。権貴が南遷すれば、腐敗頹廃の気風を持ち込み、北方の方がかえって清浄である。性情もまた異なり、欠点もあれば特長もある。ちょうど北人が両方を兼ね備えるのと同じだ。私の見るところ、北人の長所は重厚であり、南人の長所は機敏である。しかし重厚の弊は愚鈍に、機敏の弊は狡猾になる。ゆえにある先生がかつてこう欠点を指摘した。北方の人は「終日飽食して心を用うるところなし」、南方の人は「終日群居して言、義に及ばず」と。有閑階級について言えば、おおむね確かにそうであろうと私は思う。
欠点は改めることができ、長所は互いに師とすることができる。人相書に一条ある。北人にして南相なる者、南人にして北相なる者は貴し、と。これは妄語ではないと思う。北人にして南相なる者は重厚にしてかつ機敏であり、南人にして北相なる者は言うまでもなく機敏にしてかつ重厚なり。昔の人のいわゆる「貴」とは、当時の成功に過ぎず、現在にあっては、有益な事業を成し遂げることだ。これは中国人のささやかな自新の道である。
ただし文章を書くのは南人が多く、北方もその影響を受けた。北京の新聞に、口先ばかりで、もごもごと、自分の影に見惚れるような文字は六七年前より増えたではないか。これがもし北方固有の「おしゃべり」と結婚すれば、生まれてくるのは必ず一種の不祥な新たな劣種であろう。
(一月三十日。)
【「かくの如き広州」読後感 越客 】
先日、「自由談」に「かくの如き広州」という一篇があり、かの地の新聞を引いて、商店が玄壇と李逵の大きな像を作り、目に電球を嵌めて向かいの虎の看板を鎮圧しようとしたことを記しており、まことに声色ともに備わっていた。もちろんその目的は広州人の迷信を嘲笑することにあった。
広東人の迷信は確かにかなりのもので、上海の五方雑処の路地を歩けば、パチパチと爆竹を鳴らし、大門の外の地面に線香と蝋燭を灯しているのは、十中九まで広東人であり、これは新党を嘆息させるに足る。しかし広東人の迷信は迷信ながらも真剣で、気魄がある。あの玄壇と李逵の大像にしても、百元以上かけねばできぬであろう。漢は明珠を求め、呉は大象を徴す。中原の人は歴来広東に宝物を掻き集めに行ったが、今に至るもまだ掻き尽くされていないらしく、偽の虎に対処するためにもこれだけの力を出せるのだ。さもなくば、それは命懸けということで、ここにまたあの迷信の真剣さが見えるのだ。
実は中国人に迷信のない者がいるだろうか。ただその迷信が不甲斐なく迷っているから、かえって人が注意しないだけだ。例えば向かいに虎の看板が出たら、大抵の店主は落ち着かないものだ。しかし江浙であれば、おそらくこのように死力を尽くして闘おうとはしまい。一文銭で赤い紙を一枚買い、「姜太公此処に在り、百の禁忌なし」とか「泰山石敢当」と書いて、こっそり貼り付け、それでもって安身立命とするであろう。迷信は依然として迷信だが、いかにも小家の相で気概もなく、奄々一息であり、「自由談」の材料にさえしてくれないのだ。
迷信するにしても、曖昧よりは真剣な方がよい。もし鬼にもなお金が要ると信じるならば、いっそ北宋の人のように銅銭を地中に埋めた方がましだ。今のようにわずかな紙銭を焼くだけでは、他人を騙し自分を騙すのみならず、端的に鬼をも騙しているのだ。中国には空名と偽物だけが残った事柄が多いが、それは真剣でないためなのだ。
広州人の迷信は手本とするに足りぬが、その真剣さは手本とするに足り、敬服に値する。
(二月四日。)
【年越し 張承禄 】
今年の上海の旧正月は、去年より賑やかであった。
文字上の呼称と口頭の呼称にはしばしばいくらかの違いがある。「廃暦」と呼ぶ者は、これを軽んじるのであり、「古暦」と呼ぶ者は、これを愛するのである。しかしこの「暦」に対する待遇は同じである。帳簿の精算、神への祭祀、祖先の祭り、爆竹、麻雀、年始回り、「恭喜発財!」
年を越しながらも休刊しない新聞には、すでに感慨が載っている。しかし感慨に過ぎず、畢竟事実には勝てない。ある英雄的な作家も、人に年中奮発し、悲憤し、記念せよと叫んだ。しかし叫ぶだけのことで、やはり事実には勝てない。中国の哀しむべき記念日はあまりに多く、これは慣例として少なくとも沈黙すべきである。喜ぶべき記念日も少なくはないが、しかし「反動分子がこれに乗じて騒ぎを起こす」ことを恐れるので、皆の喜びも発揚できない。幾度も防遏され、幾度も淘汰され、あらゆる佳節が絞め殺されると、この辛うじて残喘を保つ「廃暦」あるいは「古暦」だけが自分のものだと感じ、いっそう愛おしくなる。そこでことさらに祝う──これは「封建の余意」の一言で軽々しく片付けられるものではない。
人に年中悲憤し労作せよと呼びかける英雄たちは、きっと自分自身は悲憤も労作も毫も知らぬ人物であろう。実際には、悲憤する者と労作する者は、時として休息と歓びを必要とするのだ。古代エジプトの奴隷たちも、時に冷然と微笑することがあった。これは一切を蔑視する笑いである。この笑いの意味が分からぬ者は、ただ主人と、奴隷の生活に安んじ、労作が少なく、しかも悲憤を失った奴僕のみである。
私は旧暦の正月を祝わなくなって二十三年になるが、今回は三夜続けて花火を上げ、隣の外国人にも「シーッ」と言わしめた。これは花火もろとも、私のこの一年でたった一つの喜びとなった。
(二月十五日。)
【運命 倪朔爾 】
映画「『姉妹花』の中で貧しい老婆が貧しい娘に言う。『貧乏人は結局貧乏人だ。お前は我慢しなさい!』」宗漢先生は慨然としてこれを指摘し、「貧乏人の哲学」と名付けた(『大晩報』参照)。
もちろんこれは安貧を教えるものであり、その根拠は「運命」である。古今の聖賢でこの説を主張した者はすでに少なくないが、しかし安貧ならざる貧乏人も「結局は」甚だ少なくない。「智者千慮に必ず一失あり」──ここでいう「失」は、蓋棺の後でなければ一人の人間の運命は「結局」知り得ぬということにある。
運命を予言する者もいないわけではない。人相見、八字を排する者、至る所にいる。しかし彼らが顧客に対して、底の底まで貧乏だと断定することは甚だ少なく、たとえあっても、皆の学説は一致できず、甲は貧しかるべしと言い、乙は富むべしと言う。これでは貧乏人は自分の将来の確実な運命を信ずることができぬ。
運命を信じなければ「分を安んずる」ことができず、貧乏人が宝くじを買うのは一種の「分を超えた考え」である。しかしこれは国家にとって、今日では無益とは言えぬ。ただし「一利あれば必ず一弊あり」で、運命が知り得ぬものならば、貧乏人がまた皇帝になろうと思ったとて何の差し支えがあろう。これが中国に『推背図』を出現させたのだ。宋人によれば、五代の頃、多くの人がこの図を見て自分の息子に名をつけ、将来の吉兆に当たることを望んだが、宋の太宗(?)が百本の順序をかき乱して別本と一緒に流通させ、読者は順序が大抵異なるのを見てどれが正しいか分からなくなり、ようやく珍蔵しなくなった。しかし九一八の頃、上海ではまだ『推背図』の新印本が盛んに売られていた。
「安貧」は確かに天下太平の要道ではあるが、もし究極の運命を指定することができねば、人を心底から諦めさせることはできぬ。今日の優生学は科学的であると言えるもので、中国にもこれを提唱する者がいて、運命説の窮まるところを救おうとしているが、歴史はまたあいにく面目がない。漢の高祖の父は皇帝ではなかったし、李白の息子も詩人ではなかった。さらに立志伝があり、くどくどと西洋の誰それが冒険で成功し、誰それがまた素手で富を得たと人に説いている。
運命説が治国平天下に全く足りぬことは、明々白々たる履歴がある。もしなおこれを道具として使おうとするならば、中国の運命こそまことに「窮」極無聊となるであろう。
(二月二十三日。)
【大詐欺と小詐欺 鄧当世 】
「文壇」の醜事は、この二年来まことに少なからず暴露された。切り貼り、丸写し、転売、偽装。しかし究明し得ぬ事もまだあり、ただ我々が見慣れたために、もう気に留めないだけだ。
名人の題字は、字が必ずしもうまいとは限らぬが、ただこの本の著者あるいは出版者が名人を知っていることを示すだけで内容とは無関係であるから、詐欺とは言えぬ。疑わしいのは「校閲」である。校閲の役は、当然名人・学者・教授だ。しかしこれらの先生方自身には、この学問に関する著作がない。ゆえに本当に校閲したかどうかが一つの問題であり、たとえ本当に校閲したとしても、その校閲が本当に信頼できるかどうかがもう一つの問題である。しかし再び校閲を加えて批評した文章を我々はほとんど見ない。
さらに一種の「編集」がある。この編集者もおおむね名人であり、その名によって読者はその本の信頼性を感じる。しかしこれもまた甚だ疑わしい。もしその本に序跋があれば、その文章や思想から、本当にこの人が編集したかどうかを判断できるが、市場に並ぶ本には、開けばいきなり目次で、手がかりが全くないものがしばしばある。これをどうして信頼できよう。至って大部の各門類の刊行物のいわゆる「主編」に至っては、この名人は天空から地底まで通暁せざるものなく、「為す無くして為さざる無し」であり、かえって我々には推測の余地もない。
さらに一種の「特約寄稿」がある。刊行物の初号には広告にしばしば特約寄稿の名人を一大批並べ、時にはさらに凸版で著者自筆の署名を印刷し、その真実を示す。これは疑わしくない。しかし一年半載を過ぎると、次第にほころびが出てきて、多くのいわゆる特約寄稿者のものが一字も見えなくなる。約束していなかったのか、約束したが来なかったのか、我々には知る由もないが、それらのいわゆる自筆署名も、あるいは他所から切り抜いたものか、あるいは端的に偽造であることが分かる。もし投稿から取ったのであれば、なぜ署名は見えて原稿は見えぬのか。
これらの名人は自分の「名」を売っているのだが、果たして「空給」を受け取っているのであろうか。もし受け取っているならば、もちろん同意の上での自売であり、さもなくば「盗売」と言える。「世を欺き名を盗む」者もあり、名を盗売して世を欺く者もあり、世の中もまことに千差万別である。しかし損害を被るのは読者だけなのだ。
(三月七日。)
【「お子様お断り」 宓子章 】
この五六年来の外国映画は、まず我々に一通り洋風侠客の勇敢さを見せ、次いで野蛮人の陋劣を、さらに洋風令嬢の曲線美を見せた。しかし目の肥えは広がるもので、ついに何本かの脚では足りなくなり、一大群となる。またぞ足りず、丸裸となる。これが「裸体運動大写真」であり、正々堂々たる「人体美と健康美の表現」ではあるが、しかし「お子様お断り」で、子供はこれらの「美」を見る資格がないのだ。
なぜか。宣伝にこのような文句がある──
「一人のこの上なく聡明な子供が言った。『あの人たちはどうして体の向きを変えてくれないの?』」
「一人の十分に厳格な父親が言った。『どうりで劇場は子供を断るわけだ!』」
これはもちろん文学者の虚構の妙文に過ぎない。なぜならこの映画は最初から「お子様お断り」を掲げているのだから、子供は見ようがないのだ。しかしもし本当に見せたとして、彼らはこのような質問をするだろうか。おそらくそうかもしれない。しかしこの質問の意味は、恐らく張生が唱う「ああ、どうして顔を向けてくれないのだ」とは全く異なり、実は映画中の人物の態度の不自然さが不思議に思われただけであろう。中国の子供は比較的早熟かもしれず、性的感覚が比較的鋭いかもしれぬが、成人した「父親」よりも心が不浄であるとまではゆくまい。もしそうであるなら、二十年後の中国社会はまことに恐ろしいものだ。しかし事実上はおそらく決してそうはならぬゆえ、あの答えはこう改めた方がよい。
「わしが満足できぬようにするためだ。全くけしからん!」
ただしこう言う「父親」もおそらくいまい。彼はいつも「己の心をもって人の心を度る」のであり、度った後にこの心を無理に他人の胸中に押し込め、自分のものではないふりをして、他人の心は自分ほど清浄ではないと言う。裸体の女性が皆「体の向きを変えない」のは、実はまさにこの類の人物に対処するためなのだ。彼女たちはまさか白痴ではあるまい。「父親」の目つきが、その子供よりもさらに不真面目であることすら知らぬわけがあろうか。
しかし中国社会はやはり「父親」類の社会であるから、芝居を演じれば「母親」類が身を献じ、「息子」類が謗りを受ける。たとえ危急の関頭に至っても、やはり何かと「木蘭従軍」「汪踦衛国」で、「女子と小人」を押し出して防ぎとするのだ。「我が国民はいかにしてその後を善くするや。」
第3節
古今の心の善し悪しは、比較するのがなかなか難しく、詩文に教えを求めるしかない。古の詩人は名高き「温柔敦厚」であるが、中にはなんと「時日いずくんぞ喪びん、予汝とともに亡びん!」と言う者もいた。なんと悪辣なことか。さらに奇妙なのは、孔子が「校閲」した後も、これを削らず、なお「詩三百、一言もってこれを蔽う。曰く、思い邪なし」と言っていること。聖人もまた可悪とは思わなかったらしい。
さらに現存の最も通行する『文選』があるが、聞くところによれば、もし青年作家が語彙を豊かにし、あるいは建築を描写しようとすれば、必ずこれを見なければならぬという。しかし我々がもし中の作家を調査すれば、少なくとも半分は非業の死を遂げている。もちろん心が悪かったからだ。昭明太子の選択を経て、確かに語彙の祖師のようになったが、当時はおそらくまだ個人の主張も偏激な文字もあったのだ。さもなくばその人は伝えられなかったはずで、唐以前の史書の文苑伝を繰ってみれば、おおむね旨意を承けて檄を草し頌を作る人であるが、しかしそれら著者の文章で今日まで伝わるものはかえって甚だ少ない。
こう見てくると、古書をまるごと翻印するのも危険がないとは言えぬ。近頃たまたま石印の『平斎文集』を見かけたが、著者は宋人であり、古くないとは言えぬが、しかしその詩は規範とし難い。例えば「狐鼠」を詠じて曰く、「狐鼠一窟を擅にし、虎蛇九逵を行く。天に眼あるを論ぜず、ただ地に皮なきを管ぜよ……。」また「荊公」を詠じて曰く、「禍胎を養い成して身始めて去り、依然として鐘阜人に向かいて青し。」かの当路を指斥する口吻は、今人の見慣れぬところだ。「八大家」の欧陽修は、偏激な文学者とは言えまいが、しかしあの『李翱の文を読む』の中にはこうある。「ああ、位に在りて自ら憂うることを肯ぜず、また他人を禁じて皆憂うることを得ざらしむ、嘆ずべきかな!」これもまた甚だ憤懣としている。
しかし後人の一番の選択を経ると、たちまち純厚になるのだ。後人が古人を純厚にすることができるならば、後人が古人より更に純厚なのは明らかである。清朝にはかつて勅定の『唐宋文醇』と『唐宋詩醇』があった。これは皇帝が古人を純厚に仕立てた好い標本であり、まもなくこれを翻印して「狂瀾を既倒に挽かん」とする者が出るかもしれぬ。
(四月十五日。)
【法会と歌劇 孟弧 】
『時輪金剛法会募金趣意書』にこのような一節がある。「古人ひとたび災厄に遭えば、上は己を罪し、下は身を修む……今や人心漸く衰えり、仏力の加被に頼らずんば、この浩劫を消除する由なし。」恐らく今もまだ覚えている人がいるだろう。これを読むとまことに自分も他人も半文の値打ちもなく、治水も除蝗も全く無益で、「あるいは自業を消し、あるいは他の災いを免れん」と思えば、パンチェン大師にお出まし願って仏菩薩の加護を祈るしかないという気にさせられる。
堅く信じている人々は必ずいる。さもなくば、どうして巨額の寄付を募れようか。
しかし畢竟「人心漸く衰え」たらしく、中央社十七日杭州電に曰く、「時輪金剛法会は本月二十八日に杭州にて啓建せらるるが、併せて梅蘭芳、徐来、胡蝶を招き、会期中五日間歌劇を上演することに決せり。」梵唄の円音が、軽歌曼舞に「加被」せらるるとは、意表に出ずるにあらずや。
かつて我が仏が説法したまいし折、天女の散花ありと聞く。今、杭州にて会が啓かるるに、我が仏がおそらく親しく臨みたまうまじきとすれば、梅郎に権りに天女に扮することを恭請するのも、むろん不可ではあるまい。しかしモダンガールたちと何の関係があろうか。まさか映画スターや標準美人が歌を唱えば、「この浩劫を消除」できるというのか。
おおよそ、人心が「漸く衰え」んとする前に、仏を拝む人はすでに余興を兼ねて見たがるようになっていた。寄付に限りがあり法会が大きくない時には、坊主たち自らが飛鉢を演じ、歌を唱って善男善女を満足させたが、これはまた道学先生たちをも首を振らせた。パンチェン大師は開会を「印可」するのみにして『毛毛雨』を歌わぬのは、まことに仏旨に適っているが、不意にも同時に歌劇まで上演されるとは。
原始人と現代人の心は、おそらくかなり異なるものがあろうが、もし隔たりがわずか数百年であれば、たとえ若干の差異はあっても、微々たるものであろう。祭りで芝居を演じ、香市で美女を見るのは、まさに「古よりこれあり」の芸当である。無量の福を積み、かつ視聴の娯楽を極め、現在も未来もよいことがある──これが古来仏事を興行する呼び声の力なのだ。さもなくば、黄色く太った坊主がお経を唱えるだけでは、参加者は必ずしも踊躍せず、浩劫は消除の望みがないであろう。
しかしこの手配は、婆心より出たりとはいえ、やはり「人心漸く衰えり」の徴候である。我々に疑いを抱かせる。我々自身はこの浩劫を消除する資格がないとして、この後はパンチェン大師に頼るべきか、それとも梅蘭芳博士か、ミス徐来か、ミス胡蝶か。
【洋服の没落 韋士繇 】
数十年来、我々はいつも自分に合った服がないことを恨んできた。清朝末年、革命の色彩を帯びた英雄たちは辮髪を恨むのみならず、馬褂や袍子も恨んだ。それは満洲の服だったからだ。ある老先生が日本に遊歴し、あちらの服装を見て大いに喜び、雑誌に文章を載せて「図らずも今日再び漢官の儀を見る」と題した。彼は古装の復活に賛成したのだ。
しかし革命の後に採用されたのは洋装であった。皆が維新を志し、便捷を求め、腰骨をまっすぐにしたかったからだ。少年英俊の輩は自ら洋装であるのみならず、他人が袍子を着るのを嫌悪した。当時聞くところによれば、樊山老人のもとへ行って、なぜ満洲の衣裳を着るのかと詰問した者もいたそうだ。樊山は問い返して曰く、「君の着ているのはどこの服かね。」少年は答えて曰く、「私が着ているのは外国の服です。」樊山曰く、「わしが着ているのも外国の服だ。」
この話はかなり一時に伝誦され、袍褂党を眉を揚げさせた。ただしその中にはいくらか革命に反対する意味が含まれており、近日の衛生のため、経済のためとは大いに異なる。その後、洋服はついに華人と次第に仲たがいし、袁世凱の御代に袍子馬褂を常礼服と定めたのみならず、五四運動の後、北京大学が校風を整飭するため制服を規定しようとして学生に公議させたところ、その議決もまた袍子と馬褂であった。
今回洋服が採用されなかった理由は、まさに林語堂先生の言うように衛生に合わないからだ。造化が我々に賜うた腰と首は本来屈曲できるもので、腰を曲げ背を屈めるのは中国では常態である。逆のものすら甘んじて受けるのだから、順のものはなおさら甘んじて受けるべきだ。ゆえに我々は最も人体を研究し、その自然に順じてこれを用いる人民なのだ。首が最も細いので斬首を発明し、膝関節が曲がるので跪拝を発明し、臀部は肉が多くかつ致命的でないので尻叩きを発明した。自然に反する洋服は、かくして次第に自然と没落していったのだ。
この洋服の遺跡は、今やモダンな男女の身にのみ残留しているに過ぎず、あたかも辮髪や纏足が頑固な男女の身にたまに見られるのと同じだ。ところが思いもかけず、また一通の催命符がやって来た。硫酸がこっそり背後から撒かれたのだ。
これをどうすればよいのか。
古制に復そうにも、黄帝から宋明に至る衣裳は一時にはとても分からぬ。舞台の扮装に倣おうにも、蟒袍に玉帯、白底に黒靴で、自動車に乗って西洋料理を食べるのは、やはりいささか滑稽を免れまい。ゆえに変えに変えて、おおよそやはり袍子馬褂が安定であろう。外国の服ではあるが、恐らく脱ぐことはあるまい──これはまことにいささか不思議である。
(四月二十一日。)
【友人 黄凱音 】
私は小学校の頃、同級生たちの手品を見て──「耳で字を聞く」だの「紙人形が血を流す」だの──甚だ面白いと思った。廟の縁日にはこれらの手品を伝授する人がいて、銅貨数枚で一つ覚えられたが、覚えてしまうとたちまち興醒めした。中学に入ったのは城内で、意気揚々と大きな手品を見たが、後に誰かが手品の秘密を教えてくれ、それから輪の傍に近づく気がしなくなった。昨年上海に来て、ようやくまた退屈を紛らわす場所を得た。映画を見ることだ。
しかしまもなく本の中で映画フィルムの製造法を少し読み、見たところ千丈の断崖のようなものが実は地面から数尺に過ぎず、奇鳥怪獣もすべて紙製であると知った。これにより映画の神秘を感じなくなり、かえって往々その破綻ばかり気にするようになって、自分も退屈になった。三度目にして退屈を紛らわす場所を失ったのだ。時には、あの本を読んだことを後悔し、著者が製造法を書くべきでなかったと恨むことさえあった。
暴露する者は種々の秘密を暴き、人のためになると思っている。しかし退屈な人間は、退屈を紛らわすために、欺かれることに甘んじ、自ら欺くことに安んじている。さもなくばもっと退屈になるからだ。このために手品は天地の間に長く存続し、このために幽暗を暴露することは欺く者に深く悪まれるのみならず、欺かれる者にも深く悪まれるのだ。
暴露する者は有為の人々の中でのみ益があり、無聊の人々の中では滅びるしかない。自救の道はただ、一切の秘密を知りつつも顔色を変えず、欺くことに加担し、欺かれることに甘んずる無聊の人々を欺き、無聊な手品が次から次へと、結局は反復して続くままにしておくことだ。周囲には必ずこれを見る人がいるのだ。
手品師は絶えず拱手して言う、「……一歩家を出れば朋友が頼り!」と。これにはいくらか手品の種を知る者に向けて発せられた意味がある。西洋の種明かしをされぬようにするためだ。
「朋友とは義をもって合するものなり」──しかし我々は古来しばしばこのようには解さなかった。
(四月二十二日。)
【清明の頃 孟弧 】
清明の頃は墓参りの季節で、ある者は関内に入って祖先を祭ろうとし、ある者は陝西に墓参りに行く。激論は天を沸かせ、歓声は地を揺るがし、まるで墓参りで国が滅びも、国が救われもするかのようだ。
墓にこれほど大きな関係があるとすれば、墓を掘ることはもちろん許されまい。
元朝の国師パクパは、墓を掘ることの利害を深く信じていた。彼は宋陵を掘り開き、人骨を豚犬の骨と一緒に埋めて宋室を不運にしようとした。後に幸いにも一人の義士に盗まれ、目的は達せられなかったが、しかし宋朝はやはり滅んだ。曹操は「摸金校尉」の類の職員を設けて専ら盗墓に当たらせたが、彼の息子は皇帝になり、自分は「武帝」と諡された。いかに威風堂々たることか。こう見ると、死者の安危と生者の禍福とは、やはり関係がないようでもある。
伝えるところによれば、曹操は死後に墓を掘られることを恐れ、七十二の疑冢を造り、人を手出しできなくした。そこで後の詩人が曰く、「あまねく七十二の疑冢を掘れば、必ず一冢に君の屍を葬れるあらん。」そこで後の論者がまた曰く、「阿瞞は老獪至極、その屍が実にこの七十二冢の内にあらざることを安んぞ知らんや。」まことに手の施しようがない。
阿瞞はまさに老獪至極ではあるが、思うに疑冢の類は必ずしも手配しなかったであろう。ただ古来の冢墓は大抵発掘された者が多く、冢中の人の主名が確かなものも甚だ少ない。洛陽の邙山では清末に墓を掘る者が甚だ多く、名公巨卿の墓の中でさえ、得られるものは大抵一枚の墓誌石と散乱した陶器であった。元来貴重な殉葬品がなかったのではなく、すでに誰かが掘って持ち去ったのだ。いつのことかは知る由もない。とにかく葬った後から清末の盗掘のその日までの間であろう。
墓中の人が畢竟いかなる人であるかは、掘った後でなければ往々分からぬ。たとえ伝承の主名があっても、大抵当てにならぬ。中国人は古来、大人物に関係のある名勝を造るのが好きだ。石門には「子路止宿の処」あり、泰山の上には「孔子天下を小とする処」あり。一つの小さな洞穴には大禹が埋められ、幾つかの大きな土饅頭には文王・武王・周公が葬られているという。
もし墓参りが確かに国を救えるのであれば、参るなら正確に参らねばならず、文王・武王・周公の陵を参って、他人の土饅頭を参ってはならず、さらに自分が周朝の子孫であるかどうかも調べねばならぬ。そこで考古の作業が必要になる。すなわち墓を掘り開いて、文王・武王・周公旦が葬られている証拠があるかどうかを見、もし遺骨があれば『洗冤録』の方法で血を滴らすこともできる。しかしこれはまた墓参り救国説と矛盾し、孝子順孫の心を大いに傷つける。やむなく、ただ目を閉じ頭を強くしてでたらめに拝むしかない。
「其の鬼にあらずしてこれを祭るは、諂なり!」ただ墓参り救国術に霊験がないのは、まだ小さな笑い話に過ぎない。
(四月二十六日。)
【小品文の生機 崇巽 】
昨年は「ユーモア」が大いに運の開けた時で、『論語』のほかにも、開口一番ユーモア、口を閉じてもユーモア、この人もユーモリスト、あの人もユーモリストであった。ところが今年はたちまち大いに面目を失い、これも駄目、あれも駄目、一切の罪悪はすべてユーモアに帰せられ、ひいては文壇の道化役に比せられるに至った。ユーモアを罵ることは入浴のようなもので、一度やりさえすれば自分は清浄になれるかのようだ。
もし真に「天地は大戯場」であるならば、文壇にもちろん道化役は必ずいる──しかしまた必ず黒頭(悪役)もいる。道化役が道化芝居を演じるのはごく当たり前だが、黒頭が道化芝居に転じるとなると甚だ奇妙だ。しかし大戯場では時にまことにこういうことがある。これが正直な人を歪んだ心の人に従って嘲罵させ、情熱の人を憤らせ、感じやすい人の心を酸くするのだ。唱い方が素人で人を笑わせないからか。いや、彼は本物の道化よりもさらに可笑しいのだ。
あの怒りと心酸は、黒頭が道化に転じた後、事がまだ終わっていないからだ。芝居には何人かの役柄が必要で、生、旦、末、丑、浄、そして黒頭。さもなくばその芝居も長くは続かぬ。ある原因のために黒頭が道化に転じざるを得ぬ時は、慣例としてかならず道化がかわりに黒頭を演じるのだ。唱工のみならず、黒頭が厚かましく道化に扮し、道化が胸を張って黒頭を学ぶ。戯場には白鼻の道化と黒面の道化ばかりが増え、天下の大いなる滑稽となる。しかし滑稽であるのみで、ユーモアではない。ある人曰く、「中国にユーモアなし」と。これがまさにその注脚だ。
更に嘆かわしいのは、「ユーモアの大家」と諡された林先生が、なんと「自由談」で古人の言葉を引いたことだ。曰く、「夫れ飲酒猖狂なるも、あるいは沈寂として聞こえざるも、またただ身を潔くし自ら好しとするのみ。今の世の癩鼈、身を潔くし自ら好しとする者に亡国の罪を負わしめんと欲す。もししからば『今日烏合し明日鳥散し、今日戈を倒し明日軾に馮り、今日君子たり明日小人たり、今日小人たり明日また君子たる』の輩は罪なかるべし」と。引用はなお小品の域を出ぬとはいえ、「ユーモア」あるいは「閑適」の道からは遠い。これもまた一つの注脚だ。
しかし林先生が、近頃各紙の『人間世』への攻撃は系統だった変名の手品だと考えたのは誤りで、その証拠は異なる論旨と異なる作風だ。中には確かに、かつて驥尾に附しながらも遂に竜門に登れなかった「名人」や、黒頭に扮してはいるが実は真正の道化の茶々もあるが、しかしまた熱心な人の正論もある。世態はかくの如く紛糾しており、たとえ小品といえども、まさに分析と攻戦が必要であることが分かる。これこそがあるいは『人間世』の一縷の生機であろう。
(四月二十六日。)
【刀「式」弁 黄棘 】
第4節
しかし丸呑みにも技量がいるのであり、楊先生はいささか足りないようだ。例えば『壊滅』の訳本の冒頭は──
「石段の上でがちゃがちゃと傷のついた日本の指揮刀が鳴り、レーヴィンソンは裏庭へ行った。……」
そして『鴨緑江畔』の冒頭は──
「金蘊声が庭園に入った時、彼のあの傷のついた日本式の指揮刀が石段の上でパチパチと鳴っていた。……」
人名が違うのは当然のこと。音が違うのも大したことではない。最も特異なのは、彼が「日本」の下に「式」の一字を加えたことだ。これもあるいは無理もない。日本人でないのに、どうして「日本の指揮刀」を佩くのか。きっと日本の式に倣って自分で鍛造したのだろう。
しかし我々がもう一度考えてみよう。レーヴィンソンが率いていたのは襲撃隊であり、もちろん敵を襲撃するが、武器も鹵獲する。自軍の軍器は不完全であり、何か手に入ればすぐに使う。ゆえに彼が佩いていたのはまさに「日本の指揮刀」であり、「日本式」ではないのだ。
文学者が小説を読み、しかも剽窃の準備をしているとすれば、関係は密接であると言えよう。それでいてなおこれほど粗忽であるとは、嘆かわしいではないか。
(五月七日。)
【変名新法 白道 】
杜衡と蘇汶先生は今年、文壇の二つの秘密を暴いた。それはまた悪い風潮でもある。一つは批評家の枠であり、もう一つは文人の変名だ。
しかし彼はまだ言わずに保留している秘密がある──
枠の中にはさらに一種、書店の編集者が使うゴムの枠がある。大きくも小さくもなり、四角にも丸くもなる。この書店の出版物でさえあれば、こちらに一套、「よし」、あちらに一套、これも「よし」。
変名はただ別人になれるのみならず、一つの「社」に化けることもできる。この「社」はさらに文を選び、論を作り、某の作品のみが「よし」、某の創作も「よし」と言える。
例えば「中国文芸年鑑社」の編んだ『中国文芸年鑑』の冒頭にある「鳥瞰」。その「瞰」法によれば、蘇汶先生の議論は「よし」、杜衡先生の創作も「よし」である。
しかし実際にこの「社」はどこを探しても見つからない。
この「年鑑」の総発行所を調べると、現代書局。『現代』雑誌の最終頁の編集者を見ると、施蟄存、杜衡。
おお!
孫悟空は神通広大にして、鳥獣虫魚に化けるのみならず、廟宇にも化ける。目は窓に、口は廟門になるが、ただ尻尾だけは置き場がなく、旗竿に化けて廟の裏に立てた。しかし旗竿が一本だけ立っている廟があるだろうか。二郎神に見破られた破綻はここにあった。
「万やむを得ざるのほかは」、「私は望む」、文人もまた「社」に化けぬことを。もしただ自画自賛のためだけならば、それはまことに「すぐ近くにいささか卑劣なところがある」のだ。
(五月十日。)
【本を幾冊か読め 鄧当世 】
死んだ本を読むと本の虫になり、甚だしくは本棚になると、かねて反対する人がいた。時は絶えず進み、読書反対の思潮もいよいよ徹底し、ついにはあらゆる本を読むことに反対する人が現れた。その根拠はショーペンハウアーの古い言葉で、もし他人の著作を読むのであれば、自分の脳の中で著者に馬を走らせるだけだ、という。
死んだ本を読む人々に対しては、確かに一撃の当頭棒だが、探究するよりダンスの方がましだとか、あるいはただ空しく苛立ち、むやみに不平を鳴らす天才のためには、紹介に値する金言でもある。ただし知るべきは、この金言にしがみつく天才の脳こそ、まさにショーペンハウアーに一走りされて、滅茶苦茶に踏み荒らされているのだ。
今は批評家が不平を鳴らしている。よい作品がないからだ。創作家も不平を鳴らしている。正しい批評がないからだ。張三が李四の作品は象徴主義だと言えば、李四も自分を象徴主義だと思い、読者もちろんますます象徴主義だと思う。しかし象徴主義とはいかなるものか、元来はっきりさせたことがなく、李四の作品をもって証とするしかない。ゆえに中国のいわゆる象徴主義は、他国のいわゆるサンボリスムとは同じではない。前者は実は後者の訳語であるにもかかわらず、メーテルリンクは象徴派の作家だと聞くから、李四は中国のメーテルリンクになるのだ。このほか中国のアナトール・フランス、中国のバビット、中国のジルポタン、中国のゴーリキー……まだまだ多い。しかし本物のアナトール・フランスらの作品の訳本は、中国では甚だ少ない。まさか「国産品」が揃ったからではあるまい。
中国の文壇では、何人かの国産文人の寿命もまことに長すぎる。一方、洋物文人のそれは短すぎ、名前をようやく覚えた頃には、もう過去の人だと言われる。イプセンは全集を出す気配があったが、今に至るまで第三冊が見えない。チェーホフとモーパッサンの選集も、竜頭蛇尾の運を辿ったようだ。しかし我々が深く悪み痛む日本では、『ドン・キホーテ』と『千一夜』には全訳があり、シェイクスピア、ゲーテ……にはみな全集があり、トルストイには三種、ドストエフスキーには二種ある。
死んだ本を読むのは自らを害し、口を開けば人を害する。しかし本を読まないのもまた必ずしもよいとは言えぬ。少なくとも、例えばトルストイを批評しようとするなら、彼の作品は幾冊か見なければならぬ。もちろん今は国難の時期であり、どこにこれらの本を訳し読む暇があるかと言われよう。しかし私が提言するのはただ苛立って不平ばかりの大人物に向けてであり、まさに国難に赴かんとしあるいは「薪に臥し胆を嘗め」ている英雄に対してではない。なぜならある種の人物は、たとえ本を読まなくとも、ただ遊んでいるだけで、国難に赴くわけではないからだ。
(五月十四日。)
【一考してから行動せよ 曼雪 】
国政の解決や戦争の布置にこれを頼りとするのでない限り、友人の間で幾句かのユーモアを言い合い、互いに莞爾として笑うのは、大勢に関わらぬことだと私は思う。革命の専門家でも、時には手を後ろに組んで散歩するものだし、理学の先生にも必ず子女がいて、日夜永遠に道貌岸然というわけにはいかぬことを証明している。小品文もおそらく将来なお文壇に存在し得よう。ただし「閑適」を主とするだけでは、やや足りぬ嫌いがある。
人の世の事、坊主を恨めば袈裟まで恨む。ユーモアと小品の始まりの頃、人々に異論はなかった。しかしどっと一声、天下ユーモアと小品でないものはなくなり、ユーモアにそんなに多くあるはずもなく、するとユーモアは滑稽となり、滑稽は笑い話となり、笑い話は諷刺となり、諷刺は漫罵となる。軽薄な調子はユーモアなり、「天朗らかにして気清し」は小品なり。鄭板橋の『道情』を一遍読めばユーモアを十日語り、袁中郎の尺牘を半冊買えば小品一巻を作る。これをもって身を立てようとする者がいれば、これに反することで名を成そうとする者も必ず出る。そこでどっと一声、天下またユーモアと小品を罵らぬものはなくなる。実のところ、列に従って騒ぐ輩は、今年も昨年と同様、数において少なくない。
手に黒漆の提灯を持ち、互いに何が何やら分からぬ。つまり一つの名詞が中国に帰化すると、まもなく一団の混乱となるのだ。偉人はかつてはよい呼び名だったが、今や受ける者は罵られたに等しい。学者と教授は二三年前にはまだ清浄な名称であった。自ら持する者が文学者の称を聞いて逃げ出すのは、今年すでに第一歩を踏み出している。しかし、世界には本物の偉人、本物の学者と教授、本物の文学者はいないのか。そんなことはない。ただ中国だけが例外なのだ。
仮にある人が道端で唾を一つ吐き、自分でしゃがんで見ていれば、まもなくかならず人だかりができる。また仮に別のある人がいわれなく大声を一つ上げ、駆け出せば、同時にかならず皆が逃げ散る。まことに「何を聞きて来り、何を見て去る」か分からぬが、しかも心中不満を抱き、自分の訳の分からぬ対象を罵って「畜生!」と言う。しかしかの唾を吐いた者と大声を上げた者こそ、結局は大人物なのだ。もちろん沈着で着実な人々はいる。ただし偉人等々の名が尊ばれたり蔑まれたりするのは、大抵いつも唾の代替品としてに過ぎぬ。
社会がこれによっていくらか賑やかになるのは、感謝に値する。しかし烏合する前に一考し、雲散する前にも一考すれば、社会は必ずしも冷静にはなるまいが、それでももう少しましにはなるであろう。
(五月十四日。)
【己を推して人に及ぼす 夢文 】
何年前のことか忘れたが、ある詩人が私に教えてくれたことがある。愚かな大衆の世論は天才を罵り殺すことができると。例えばイギリスのキーツがそうだ、と。私は信じた。昨年、数人の名作家の文章を見た。批評家の漫罵は好い作品を罵り縮ませて、文壇を荒涼冷落にするという。もちろん私もこれを信じた。
私もまた作家になりたい人間であり、しかも自分は確かに作家だと思っている。しかしまだ罵られる資格を得ていない。なぜなら創作を書いたことがないからだ。縮んで引っ込んだのではなく、まだ鑽り出ていないのだ。この鑽り出られぬ原因は、きっと私の妻と二人の子供の騒がしさのせいだと思う。彼女たちも漫罵の批評家と同様、真の天才を滅ぼし、よい作品を脅し退ける職務を負っているのだ。
幸いなことに今年の正月、義母が娘に会いたがり、三人とも田舎に帰った。私はまことに耳目清浄、ああ快適、偉大な作品を生む時代が到来した。しかし不幸なことに、今はもう旧暦四月初め、まるまる三ヶ月静かにしたのに、やはり何一つ書けない。もし友人が私の成果を尋ねたら、何と答えよう。まだ彼女たちの騒がしさのせいにできようか。
そこで私の信念はいくらか動揺した。
私はもともとよい作品など書けぬのではないかと疑い、彼女たちの騒ぎとは関係がないのではないかと。さらにいわゆる名作家にもよい作品などなかったのではないか、批評家の漫罵とは無関係なのではないかとも疑った。
ただし、もし誰かが騒ぎ、誰かが漫罵すれば、作家に作品がないことの恥を覆い隠してくれる。元来あるはずだったが、今彼らに台無しにされたのだと言える。そうすれば落魄した若衆のように、たとえ作品がなくとも、見物客から一掬また一掬の同情の涙を勝ち取れるのだ。
もし世に真の天才があるとすれば、漫罵の批評はこれに損害を与え、その作品を罵り退けて作家たらしめぬ。しかしいわゆる漫罵の批評は、凡才には有益であり、その作家としての地位を保たせる。ただし彼の作品は脅し退けられたそうだが。
この三ヶ月余りの間に、私が得た唯一のインスピレーションは、ロラン夫人の調子を借りたものだ。「批評よ批評よ、世の中にいかほどの作家が、汝の罵りを頼りて存するか!」
(五月十四日。)
【偶感 公汗 】
東三省の喪失と上海での戦闘の頃、砲声は聞こえるが砲弾の心配はない街路の至る所で『推背図』が売られていたのを覚えている。これを見れば人々がとうに敗因を宿命に帰そうとしていたことが分かる。三年後、華北・華南がともに危急に瀕しているのに、上海には「碟仙(テーブルターニング)」が現れた。前者が気にかけていたのはまだ国運であったが、後者はただ試験問題、宝くじ、亡魂を尋ねるだけだ。着眼点の大小は既に全く異なるが、名目はさらに立派になった。なぜならこの「霊乩」は中国の「留独学生白同君の発明」で、「科学」に合致しているからだ。
「科学で国を救え」と叫ばれてすでに十年近く、誰もがこれは正しいと知っている。「ダンスで国を救え」「念仏で国を救え」の類ではない。青年が外国に行って科学を学ぶ者あり、博士が科学を学んで帰国する者あり。ところが中国には畢竟その文明があり、日本とは異なるのだ。科学は中国文化の不足を補うに足りぬどころか、かえって中国文化の高深を更に証明したのである。風水は地理学に合致し、門閥は優生学に合致し、錬丹は化学に合致し、凧揚げは衛生学に合致する。「霊乩」が「科学」に合致するのも、その一つに過ぎない。
五四の時代に陳大斉先生がかつて論文で扶乩の人を欺すことを暴露したが、十六年を隔てて、白同先生は皿で扶乩の合理性を証明した。まことにどこから話を始めてよいやら。
しかも科学は中国文化の高深を更に証明したのみならず、中国文化の宣揚をも助けた。麻雀卓の傍では電灯が蝋燭に替わり、法会の壇上ではマグネシウム光がラマ僧を照らし出し、無線放送が日々伝えるのは、しばしば『狸猫換太子』、『玉堂春』、『謝謝毛毛雨』ではないか。
老子曰く、「これがために斗斛を作りてこれを量れば、すなわち斗斛とともにこれを窃む。」ロラン夫人曰く、「自由よ自由よ、いかほどの罪悪、汝の名を借りて行わるるか!」新しい制度、新しい学術、新しい名詞が中国に伝わるたびに、黒い染瓶に落ちたがごとく、たちまち真っ黒一団となり、私利を済し焰を助ける道具と化す。科学もまたその一つに過ぎない。
この弊が去らざれば、中国に薬なし。
(五月二十日。)
【秦理斎夫人の事を論ず 公汗 】
この数年来、新聞にはしばしば経済的圧迫や礼教の制裁のために自殺した記事が見えるが、これらのために口を開き筆を執る者は甚だ少ない。ただ最近、秦理斎夫人とその子女一家四人の自殺だけはかなりの反響を呼び、後にはこの事件の新聞記事を懐に忍ばせた自殺者まで出て、その影響の大きさがいっそう分かった。思うにこれは人数が多かったためだ。単独の自殺では、もはや皆の青睐を招くに足りぬ。
あらゆる反響の中で、この自殺の主謀者──秦夫人に対しては、恕辞も加えられはしたが、結論はやはり誅伐に帰した。なぜなら──評論家が言うには──社会がいかに暗黒であろうと、人生の第一の責任は生存であり、自殺すれば職務怠慢である。第二の責任は苦を受けることであり、自殺すれば安逸を貪るのだ、と。進歩的な評論家は、人生は戦闘であり、自殺者は逃兵である、死んでもその罪を蔽うに足りぬと言う。これももっともではあるが、しかしいささか大雑把に過ぎる。
人の世には犯罪学者がいて、一派は環境によると言い、一派は個人によると言う。今盛んなのは後の説だ。なぜなら前の説を信ずれば、犯罪者を根絶するには環境を改造せねばならず、事が厄介で恐ろしくなるからだ。秦夫人の自殺の批判者も、大抵はこの後の一派に属する。
確かに、自殺した以上、これは彼女が弱者であることを証明した。しかし、どうして弱くなったのか。肝心なのは、彼女の舅の手紙を見るべきだということだ。彼女を呼び戻すために、両家の名声をちらつかせ、亡くなった夫の乩(こっくり)の言葉で心を動かそうとした。さらに彼女の弟の挽聯を見るべきだ。「妻は夫に殉じ、子は母に殉ず……」これを千古の美談と見なす意がありありとしているではないか。かくの如き家庭に生まれ育ち陶冶された人が、どうして弱者にならずにいられよう。我々はもちろん奮闘を求めてよいが、暗黒の呑噬する力はしばしば孤軍に勝る。しかも自殺の批判者が必ずしも戦闘の応援者であるとは限らず、他人が奮闘し、もがき、敗れる時には、かえって鴉雀の声もないのかもしれぬ。窮郷僻壤や都会の中で、孤児寡婦、貧女労人が運命に従って死に、あるいは運命に抗いながらも遂に死なざるを得ぬ者がどれほどいるか。しかし誰の口に上り、誰の心を動かしたか。まことに「自ら溝渠に縊れて之を知る者なし」なのだ。
第5節
人はもちろん生存すべきだが、それは進化のため。苦しんでもよいが、それは将来の一切の苦を解除するため。さらに戦うべきだが、それは改革のためだ。他人の自殺を責める者は、一方で人を責めつつ、一方ではまさに人を自殺の道に駆り立てる環境に挑戦し、進撃すべきなのだ。もし暗黒の主力に対して一辞も置かず一矢も発せず、ただ「弱者」にくどくど言い続けるだけならば、たとえ彼がいかに義憤を色に表そうとも、私は言わざるを得ない──私もまことに堪えきれなくなった──彼は実は殺人者の幇凶に過ぎぬのだと。
(五月二十四日。)
【「……」「□□□□」論補遺 曼雪 】
徐先生が『人間世』に、このような題目の論を発表された。この道については、私はそれほど深く造詣していないが、「愚者千慮に必ず一得あり」ゆえ、いささか補いたいと思う。もちろん浅薄さは遙かに浅薄であるが。
「……」は舶来品で、五四運動の後にようやく輸入されたものだ。以前、林琴南先生が小説を訳した際、「此の語未だ完らず」と夾注していたのが、まさにこれの翻訳だ。洋書では普通六点を用い、吝嗇な者は三点しか用いない。しかし中国は「地大物博」であるから、同化の際に次第に長くなり、九点、十二点、ついには数十点に及ぶ。ある種の大作家に至っては、少なくとも三四行は点を打ち、その中の奥義が無窮無尽にして、まことに言語では形容し得ぬことを示す。読者もおおむねそう思い、もしその中の奥義が感じ取れぬと言う者があれば、それは低能児なのだ。
しかし帰するところ、やはりアンデルセン童話の「皇帝の新しい衣」のようで、実は何もない。ただし子供でなければ、ありのままに大声で言い出す者はいない。子供は文学者の「創作」を読まぬから、中国では誰も種明かしをしない。しかし天気は寒くなるもので、裸のまま一年中路上を歩けるわけもなく、結局は宮殿に隠れるしかない。数行の点を打つ妙文も、近頃はあまり見かけなくなった。
「□□」は国産品で、『穆天子伝』にすでにこの代物がある。先生が教えてくれたのは、闕文(欠字)だということだ。この闕文も騒ぎを起こしたことがあり、「口は垢を生じ、口は口を戕す」の三つの口字も闕文だと言った者がいて、また誰かに大いに罵られた。ただし以前は古人の著作にしか見えず、補いようがなかったが、今は今人の著作に見え、補おうとしても補えない。現在に至って、次第に「××」で代える傾向がある。これは日本から輸入されたものだ。これが多ければ、その著作の内容について我々は激烈なものを予感する。しかし実はそうでもない場合がある。でたらめに何行か×を付けて印刷すれば、読者に作家の激烈さを敬服させ、検閲官の峻厳さを恨ませることができるが、検閲に回す際には、検閲官に自分の従順さを好ましく思わせ、多くのことを敢えて言わず、ただこれほど熱心に×を打っただけだと示せる。一挙両得であり、何行かの点を打つよりもさらに巧妙だ。中国はまさに排日の最中であるから、この錦嚢の妙計はあるいは模倣されることはあるまい。
今は何でも金を出して買わねばならず、もちろん何でも金に換えて売ることもできる。しかし「何もないもの」までも金に換えて売れるとは、いささか意表を出る。ただし、このことを知った後には、造謡を生業とするのは、今なお「品質保証、老若を欺かず」の暮らしであることが分かる。
(五月二十四日。)
【誰が没落しているのか 常庚 】
五月二十八日の『大晩報』が、文芸上の重要な新聞を一つ教えてくれた──
「我が国の美術家劉海粟、徐悲鴻らが、近頃ソ連モスクワにて中国書画展覧会を開催し、彼の国の人士の極力なる賞賛を得た。我が国の書画名作を揄揚し、ソ連で盛んに流行する象徴主義作品と切合するとの由。さてソ連の芸術界は従来写実と象徴の二派に分かれるが、今や写実主義は漸く没落し、象徴主義は朝野一致の提唱を経て、欣々向栄の概を呈しつつあり。彼の国の芸術家が我が国の書画作品の象徴派に深く合致するを見て、たちまち中国の演劇もまた必ず象徴主義を採用しているに違いないと想い起こし、中国の戯曲名家梅蘭芳らを招いて演芸させんと……。この件はすでにロシア側より中国駐露大使館と交渉中にして、同時にソ連駐華大使ボゴモロフも訓令を受け、中国側とこの件を協議中なり。……」
これは喜ばしい知らせであり、我々が喜ぶに値する。しかし「国光を発揚」したと喜んだ後には、少し沈静になって以下の事実を考えるべきだ──
一、中国画と印象主義に一脈相通ずるところがあると言うなら、まだ言えなくもないが、「ソ連で盛んに流行する象徴主義と切合する」とするのは、いささか夢物語に近い。紫藤の半枝、松の一株、虎一頭、雀数羽、中には確かに実物に似ていないものもあるが、それは似せて描けないからであって、いつ別の何かを「象徴」したことがあろうか。
二、ソ連における象徴主義の没落は十月革命の時であり、その後に構成主義が勃興し、さらにその後次第に写実主義に排斥された。ゆえに構成主義が漸く没落し、写実主義が「欣々向栄の概を呈している」と言うなら言えるが、そうでなければ夢物語だ。ソ連の文芸界に象徴主義の作品がいったい何があるか。
三、隈取りと手振りは代数であって、象徴ではない。白鼻が道化を表し、花面が豪傑を表し、鞭を執れば馬に乗ることを表し、手を押せば門を開けることを表す以外に、いったいどこに言い表し得ぬ深い意味があるか。
ヨーロッパは我々から実に遠く、あちらの文芸事情も実にあまりよく分からぬ。しかし今や二十世紀はすでに三分の一を過ぎ、粗浅なことは少しは知っている。このような新聞はかえって「象徴主義の作品」だと感じさせる。それは彼らの芸術の消亡を象徴しているのだ。
(五月三十日。)
【逆さ提げ 公汗 】
西洋の慈善家は動物を虐待するのを見るのを恐れるもので、鶏鴨を逆さに提げて租界を歩けば処罰される。いわゆる処罰とは罰金に過ぎず、金さえ惜しまなければ逆さに提げることもできるが、しかし畢竟処罰は受ける。そこで何人かの華人が大いに不平を鳴らし、西洋人は動物を優待し華人を虐待し、鶏鴨にも及ばぬと言った。
これは実は西洋人に対する誤解だ。彼らが我々を蔑視するのは確かだが、動物以下に置いたわけではない。もちろん鶏鴨というものは、いかにしても結局は厨房に送られて大菜になるだけで、順に提げようが逆に提げようが帰結する運命には何の補いにもならぬ。しかし言葉が話せず抵抗もできぬのに、何も無益な虐待を加えることもあるまい。西洋人は何事も有益であることを重んずるのだ。我々の古人も人民の「倒懸」の苦は思いついており、しかもまことに的確に形容してもいるが、鶏鴨の逆さ提げの災いまでは察知していなかった。しかし「生きたまま驢馬の肉を切る」「鵞鳥の掌を生きたまま焙る」といった無聊な残虐に対しては、とうに文章で攻撃していた。この心情は東西に共通するものだ。
しかし人に対する心情は、いくらか異なるようだ。人は組織でき、反抗でき、奴隷にもなり主人にもなれる。努力しなければもちろん永遠に下僕に沈むが、自由解放すれば互いの平等を勝ち取れる。その運命は必ずしも厨房に送られて大菜にされるとは限らぬ。卑しき者ほど主人の憐愛を受ける。ゆえに西崽(洋館のボーイ)が叭児(犬)を打てば西崽が叱られ、平人が西崽に逆らえば平人が咎められる。租界には華人の苛待を禁ずる規則がない。それはまさに我々が自ら力を持ち、自ら才覚を持つべきで、鶏鴨とは全く異なるからだ。
しかるに我々は古典の中から、仁人義士が倒懸を救いに来るという空言を聞き慣れてしまい、今に至るもなお天上かどこか高遠な所から恩典が降ってくることを想い続け、甚だしきに至っては「乱離の人と作ることなかれ、寧ろ太平の犬たれ」と、犬になることも厭わず、しかし群を成して改革することは肯んじない。租界の鶏鴨にも及ばぬと自嘆する者も、まさにこの気風なのだ。
この類の人物が多くなれば、かえって皆が倒懸にされるのであり、しかも厨房に送られる時にも一時的に救ってくれる者もいない。これはまさに我々が畢竟人間であるのに、不甲斐ない人間であるがためなのだ。
(六月三日。)
花辺文学を論ず 林黙
近頃一種の文章がある。四辺を花模様で囲み、幾つかの副刊に現れる。この文章は毎日一段、雍容として閑適、緻密にして整斉、外形は「雑感」に似ているが「格言」にも似て、内容は痛くも痒くもなく何の当てもない。小品か語録の類らしい。今日は一則の「偶感」、明日は一段の「……だそうだ」。著者から見れば、もちろん好い文章で、裏表をひっくり返してもすべて道理となり、八股文の能事を尽くしている。しかし読者から見ると、痛くも痒くもないようでいて、往々にして毒汁を滲ませ、妖言を撒布している。例えばガンジーが刺されると、たちまち一篇の「偶感」を書き、「マハトマ」を一しきり称揚し、暴徒の乱を罵倒し、聖雄のために気を吐き災いを祓い、ついでに読者にも「一切を見定める」「勇武平和」の不抵抗主義的説教を講じる類だ。この種の文章に名づけようがないが、ひとまず「花辺体」あるいは「花辺文学」と名づけておこう。
この花辺体の由来は、おおむね小品文が鳥道に入った後の変種だ。この種の小品文の擁護者に言わせれば、流伝していくものだという(『人間世』「小品文について」参照)。では彼らの流伝の道を見てみよう。六月二十八日『申報・自由談』にこのような文章が載った。題目は「逆さ提げ」。大意は西洋人が鶏鴨の逆さ提げを禁じており、華人がかなり不平を鳴らしたこと。西洋人は華人を虐待し鶏鴨にも及ばぬと。
そこでこの花辺文学家が議論した。彼は言う。「これは実は西洋人に対する誤解だ。彼らが我々を蔑視するのは確かだが、動物以下に置いたのではない。」
なぜ「置いたのではない」か。いわく「人は組織でき、反抗でき……自ら力と才覚を持ち、鶏鴨とは全く異なるから」だそうだ。ゆえに租界には華人の苛待を禁ずる規則がない。華人の虐待を禁じないのは、もちろん華人を鶏鴨より上に見ているからだ、と。
不平を鳴らしたいなら、なぜ反抗しないのか。
そしてこれらの不平の士は、花辺文学家が「古典」から得た証拠によれば、「犬になることも厭わぬ」不甲斐ない輩だと断じられる。
その意味は極めて明白だ。第一に、西洋人は華人を鶏鴨以下に置いてはおらず、鶏鴨にも及ばぬと嘆く者は西洋人を誤解している。第二に、西洋人のこの優遇を受けて、不平を鳴らすべきでない。第三に、彼は正面から人は反抗できるものだと認め、反抗せよと言ってはいるが、実は西洋人が華人を尊重するがゆえに、この虐待は欠かせず、しかも一歩進めてもよいと説明しているのだ。第四に、もし不平を言う者がいれば、彼は「古典」から華人の不甲斐なさを証明できるのだ。
上海の洋行には、洋人のために商売を営む華人がおり、通称「買弁」という。彼らが同胞と商売をする際、洋貨がいかに国貨より優れ、外国人がいかに礼節と信用を重んじ、中国人は豚で淘汰されるべきだと吹聴するほかに、もう一つの特徴がある。洋人を口にする時「うちの旦那」と称するのだ。この「逆さ提げ」の傑作は、その口振りからすると、おおむねこの手の人間がその旦那のために書いた手になるものであろう。なぜなら第一に、この手の人間は常に西洋人を理解していると自負し、西洋人も彼に甚だ丁寧である。第二に、彼らはしばしば西洋人(すなわちその旦那)が中国を統治し華人を虐待することに賛成する。中国人は豚だからだ。第三に、彼らは中国人が西洋人を恨むことに最も反対する。不平を抱くことは、彼らから見ればさらに危険思想なのだ。
この手の人間、あるいはこの手の人間への昇格を望む者の筆から生まれたのが、この篇の「花辺文学」の傑作である。しかし惜しむべきは、この種の文人やこの種の文字がいかに西洋人のために弁護し説教しても、中国人の不平は免れ得ぬということだ。なぜなら西洋人は確かに中国を鶏鴨以下に置いてはいないが、事実上鶏鴨以上に置いたとも言い難いからだ。香港の役人が中国の囚人を逆さに提げて二階から投げ落としたのは、すでに遠い昔のこと。近くは上海、昨年の高丫頭、今年の蔡洋其の輩、彼らの遭遇は鶏鴨に勝るものではなく、死傷の惨烈はむしろ過ぎたるものがあった。これらの事実を我ら華人は一つ一つ見ており、背を向ければ忘れるようなことではない。花辺文学家の口と筆でどうして朦昧にできようか。
不平を抱く華人は果たして花辺文学家の「古典」の証明するように、一律に不甲斐ないか。そうでもない。我々の古典には、九年前の五・三十運動、二年前の一・二八の戦争、今なお艱苦の中で持ちこたえている東北義勇軍があるではないか。これらが華人の不平の気が集積して成った勇敢な戦闘と反抗でないと誰が言えようか。
「花辺体」の文章が流伝に頼りとする長所はここにある。今は確かに流伝しており、ある人々に擁護されている。しかし遠からぬうちに、必ず唾棄する者が現れるだろう。今は「大衆語」文学を建設する時であり、「花辺文学」はその形式であれ内容であれ、大衆の目には流伝し得ぬ日が来るであろうと思う。
この文章はいくつもの所に投稿したが、すべて拒まれた。まさかこの文章がまた私怨を晴らすとの嫌疑をかけられたのではあるまい。しかしこの「指図」はなかったのだ。事に即して論じれば、吐き出す必要が確かにあると感じた。文中に行き過ぎた所があるかもしれぬが、私が全く間違っていると言われても、それは承服できない。もし得罪したのが先輩や友人であれば、この一点をご諒解願いたい。
第6節
しかし江北の人は玩具を作る天才だ。彼らは長さの異なる二つの竹筒を、赤と緑に染めて一列に連ね、筒の中にバネを仕込み、傍に取っ手を一つつけ、回せばガタガタと鳴る。これが機関銃だ。私の見た唯一の創作でもある。私は租界の端で一つ買い、子供と一緒に振りながら路を歩いた。文明の西洋人と勝利の日本人はこれを見て、大抵我々に蔑みか憐みかの苦笑を投げてよこした。
しかし我々は振りながら路を歩き、少しも恥じなかった。なぜならこれは創作だからだ。一昨年来、江北の人をかなり罵る者がいた。まるでそうしなければ自らの高潔さを示すに足りぬかのようだったが、今は沈黙し、その高潔さも渺然として茫然だ。ところが江北の人は粗笨な機関銃の玩具を創り出し、堅強な自信と質朴な才能をもって文明の玩具と争っている。彼らは、外国から最新式の兵器を買って帰った人物よりも、いっそう賛頌に値すると私は思う。もっともまた誰かが私に蔑みか憐みかの冷笑を投げるかもしれないが。
(六月十一日。)
【間食 莫朕 】
出版界の現状は、定期刊行物が多く専門書が少なく、心ある人を愁えさせ、小品が多く大作が少なく、またぞ心ある人を愁えさせる。人にして心あらば、まことに「日々愁城に坐す」であろう。
しかしこの状態は由来久しく、今はただいくらか変遷し、いっそう顕著になっただけだ。
上海の住民は元来間食が好きだ。もし注意して聞けば、屋外で間食の売り声を上げる者は、つねに「まことに数多し」だ。桂花白砂糖倫教糕、豚脂白砂糖蓮心粥、海老肉の雲呑麺、胡麻バナナ、南洋マンゴー、西路(シャム)蜜柑、瓜子大王、さらに蜜餞、橄欖等々。胃袋さえよければ、朝から真夜中まで食べ続けられるが、胃袋が悪くても構わぬ。なぜならこれは肥った魚や大きな肉とは違い、分量はもともと甚だ少ないからだ。その効能は、聞くところでは、閑を消ずる中に養生の益を得、しかも味がよいという。
数年前の出版物は、「養生の益」のある間食であった。あるいは「入門」と称し、あるいは「ABC」と称し、あるいは「概論」と称し、つまりは薄い一冊で、わずか数角の金と半時間の時間を費やすだけで、一種の科学、あるいは文学の全貌、あるいは一つの外国語が分かるというものだ。その意味は、五香瓜子を一包み食べさえすれば、その人を繁栄滋長させ、五年分の飯に匹敵するということだ。数年試みたが効果は顕著でなく、かなり灰心した。試してみて名ばかり実がなければ、灰心するのは避けがたい。例えば今やほとんど仙人修行や黄金練成をする者がおらず、温泉と宝くじに置き換わったのは、まさに試みて無効だった結果だ。そこで「養生」の方面は緩め、「味がよい」方面に偏っていった。もちろん、間食はやはり間食だ。上海の住民と間食とは、死んでも切り離せないのだ。
そこで小品が現れた。しかしこれもまた新しい芸当ではない。老九章の商売が隆盛だった頃にも、『筆記小説大観』の類があった。これは間食一大箱である。老九章が閉店した後は、もちろんそれに伴って一小撮になった。分量が少なくなったのに、なぜかえって騒々しく、満城風雨を引き起こしたのか。思うに、これは担ぎ台に篆書とローマ字母の合璧の年紅電灯の看板を掲げたからだ。
しかし依然として間食であるにもかかわらず、上海住民の感応力は以前より敏捷になった。さもなくばなぜ騒ぐだろう。しかしこれはあるいはまさに神経衰弱のためかもしれぬ。もしそうであれば、間食の前途はかえって憂うべきだ。
(六月十一日。)
【「此の生か彼の生か」 白道 】
「此の生か彼の生か。」
今この五文字を書き出して読者に問おう。どういう意味か。
もし『申報』で汪懋祖先生の文章を見たことがあれば──「……例えば『この学生かあの学生か』と言うところを、文言では『此の生か彼の生か』とするだけで明瞭であり、その省力たるやいかばかりか……」──であれば、これが「この学生かあの学生か」の意味だとおそらく思い当たれよう。
さもなくば、その答えは躊躇せざるを得まい。なぜならこの五文字は、少なくとも更に二つの解釈が可能だからだ。一、この秀才かあの秀才か(生員の生)。二、この世か来世の別の世か(生涯の生)。
文言は白話に比べて、時に確かに字数は少ない。しかしその意味もまた比較的曖昧だ。我々が文言文を読む時、往々にして我々の知識を増やすことができぬのみならず、我々がすでに持っている知識を頼りにして、それに注解し補足してやらねばならぬ。精密な白話に翻してはじめて、ようやく分かったと言えるのだ。もし最初から白話を用いれば、たとえ数文字多く書くことになっても、読者にとって「その省力たるやいかばかりか」。
私は文言を主張する汪懋祖先生自身が挙げた文言の例をもって、文言の使い物にならぬことを証明した。
(六月二十三日。)
【まさにその時 張承禄 】
「山梁の雌雉、時なるかな時なるかな!」物事にはおのずとその時がある。
「聖書」「仏典」は、一部の人々の嘲笑を受けてすでに十余年。「今の是にして昨の非なるを覚る」──今こそが復興の時だ。関帝と岳飛は清朝で幾度も封贈を受けた神明であったが、民元の革命で閑却された。再び思い出されたのは袁世凱の晩年だが、また袁世凱とともに蓋棺となった。そして二度目に再び思い出されたのが、今なのだ。
この時節にはもちろん文言を重んじ、文袋を振り回し、雅致を掲げ、古書を読むことになる。
もし小家の子弟であれば、外でどんなに大嵐が吹こうとも、やはり勇往邁進し、命懸けで足掻かねばならぬ。安穏な古巣に帰る所がなく、前に進むしかないからだ。家を成し業を立てた後には、家譜を修め祠堂を造り、堂々と旧家の子弟を自任するかもしれぬが、それは畢竟後の話だ。もし旧家の子弟であれば、雄を誇り、珍しがり、時流に乗り、飯を食うために、もちろん外に出ないでもないが、しかしわずかな成功あるいはわずかな挫折だけで、たちまち退縮させられる。この縮みようがまた小さくなく、そのまま家に退き、さらに悪いことにその家は古い破れた大屋敷なのだ。
この大屋敷には蔵の古い品物があり、壁隅の埃があり、一時にはとても運び出せぬ。もし坐食の余暇があれば、東を探り西を漁り、古書を修め、古壺を磨き、家譜を読み、祖先の徳を偲んで歳月を消磨できる。もし窮極無聊であれば、なおさら古書を修め、古壺を磨き、家譜を読み、祖先の徳を偲び、ひいては汚い壁の根元をひっくり返し、空虚な引き出しを開け、自分でも何だか分からぬ宝物を発見して、この手の施しようのない貧窮を救おうとする。この二種の人、小康と窮乏は異なり、悠閑と急迫は異なり、ゆえに結末の緩急も異なるが、しかしこの時節には、ともにまさに古董の中で暮らしを立てている。ゆえにその主張と行為は異ならず、声勢も浩大に見えるのだ。
そこでまた一部の青年にも影響が及び、古董の中にまことに自分の救い主を見つけられると信じるようになる。小康者を見れば、こんなに閑適だ。急迫者を見れば、こんなに専精だ。これには道理がないはずがない。真似する者が出るのは当然だ。しかし時光もまた決して容赦せず、彼は遂に空虚を得るであろう。急迫者にとっては妄想であり、小康者にとっては冗談だ。主張者にもし特操も灼見もなければ、古董を香案の上に供えるべきだと言おうが厠に投げ込めと言おうが、実は皆ただ一時の自欺欺人の任務を果たしているだけで、先例を求めれば至る所にある。
(六月二十三日。)
【重訳を論ず 史賁 】
穆木天先生は二十一日の「火炬」で、作家が無聊な遊記の類を書くことに反対し、中国にギリシア・ローマから現代に至る文学の名作を紹介する方がましだとした。これは甚だ切実な忠告だと私は思う。しかし彼は十九日の「自由談」では間接翻訳に反対し、「一種のずるいやり方だ」と言った。もっとも恕すべき条件もいくつか付してはいたが。これは後の発言と矛盾しており、また誤解を招きやすいので、一言述べたいと思う。
重訳は確かに直接訳より容易だ。まず、原文が訳者をして我が力の及ばざるを恥じさせ、敢えて筆を執らせぬという長所の若干部分が、先に原訳者によって消去されている。訳文は大抵原文に及ばぬもので、中国の粤語を京語に、あるいは京語を滬語に訳すだけでも、なかなか適切にはいかぬ。重訳においては、原文の長所に対する躊躇が減ずる。次に、難解な箇所に忠実な訳者はしばしば注解を付しており、一目瞭然たりうるが、原書にはかえってないこともある。しかしこのため、直接訳が誤りで間接訳が正しいということも時にあるのだ。
ある国の言葉を解するならばその国の文学を訳すのが最善だという主張は、断じて誤りでない。しかしもしそうであれば、中国にギリシア・ローマから現代に至る文学名作の訳本は望み難くなる。中国人が解する外国語は、おそらく英語が最も多く、日本語がこれに次ぐ。もし重訳をせねば、我々は英米と日本の文学作品ばかりを見ることになり、イプセンもなく、イバーニエスもなく、極めて通行するアンデルセンの童話やセルバンテスの『ドン・キホーテ』すら見ることができぬ。何と哀れな視野であろうか。もちろん中国にデンマーク語、ノルウェー語、スペイン語に精通する人がいないわけではないが、しかし彼らは今に至るまで訳していない。我々が今持っているものはすべて英語からの重訳だ。ソ連の作品すら大抵は英仏語からの重訳なのだ。
ゆえに私は思う。翻訳に対しては、今はまだ厳峻な堡塁を必要としないようだ。最も肝心なのは訳文の良否を見ることで、直接訳か間接訳かは重んずるに及ばず、投機かどうかも詮索するに及ばない。原訳文に深く通じた時流に乗る者の重訳本は、時として原文をあまり解さぬ忠実者の直接訳本より優れることがある。日本の改造社訳の『ゴーリキー全集』は、かつて一部の革命家に投機だと斥けられたが、革命家の訳本が出ると、かえって前者の優良さが際立ったのだ。ただしもう一つ条件を付さねばならぬ。原訳文にあまり通じぬ時流に乗る者の速成訳本は、これはまことに恕し難い。
将来各種の名作に直接訳本が出れば、その時こそ重訳本が淘汰されるべき時だ。しかしその訳本は旧訳本より優れていなければならず、ただ「直接翻訳」を護身の盾にすることはできぬ。
(六月二十四日。)
【再び重訳を論ず 史賁 】
穆木天先生の「重訳その他を論ず」下篇の末尾を見て、私の誤解を解こうとしていることが初めて分かった。しかし特に誤解はなかったと思う。異なる点は、ただ軽重を逆にしたことで、私は先ず成果の良否を見るべきで、訳文が直接か間接か、また訳者の動機がいかなるものかは問わぬと主張するのだ。
木天先生は訳者に「自知」を求め、自分の長所を用いて「一労永逸」の書を訳せと言う。さもなくば手を出さぬ方がよい、と。つまり荊棘を植えるくらいなら白地を残しておき、別のよい庭師に永く鑑賞に堪える佳花を植えさせよということだ。しかし「一労永逸」という言葉はあるが、「一労永逸」の事は甚だ少なく、文字について言えば、中国のこの方塊字は決して「一労永逸」の符号ではない。しかも白地を永久に保つことは決してできず、空き地があれば荊棘か雀麦が生える。最も肝心なのは誰かが処理に来ることだ。培植するか、削除するかして、翻訳界をいくらか蕪雑から免れしめる。これが批評なのだ。
しかるに我々は古来翻訳を軽んじてきた。殊に重訳を。創作に対しては批評家がまだしも時々口を開くが、翻訳となると、数年前にはまだ誤訳を指摘する文章がたまにあったが、近頃は甚だ稀になった。重訳に対してはさらに少ない。しかし仕事の上では、翻訳の批評は創作の批評より難しい。原文を見るには訳者以上の功力が必要なだけでなく、作品にも訳者以上の理解が必要だ。木天先生の言うように、重訳には数種の訳本が参考にでき、これは訳者には甚だ便利だ。甲の訳本が疑わしい時に乙の訳本を参看できるからだ。直接訳はそうはいかず、分からぬ箇所があれば手の施しようがない。世にはわざわざ異なる文章を用いて、一句一句意味の同じ二つの作品を書く著者はいないのだから。重訳の書が多い理由の一つはこれかもしれぬ。怠惰と言ってもよいが、おおむねやはり語学力の不足のためであろう。各本を参酌して成った訳本に出会うと、批評はいっそう難しく、少なくとも各種の原訳本を読めなければならぬ。陳源訳の『父と子』、魯迅訳の『壊滅』などは、皆このたぐいに属する。
翻訳の道は広くし、批評の仕事を重視すべきだと私は思う。もしただ論を極めて厳しくし、訳者自身に慎重ならしめようとするだけなら、かえって逆の結果を得るだろう。良い者は慎重になるが、乱訳者は依然として乱訳し、この時悪い訳本はまだましな訳本より多くなるのだ。
最後にさほど重要でない数言を付す。木天先生は重訳を疑うあまり、ドイツ語訳本を見た後に、自分が訳した『タシケント』まで、フランス語原訳本は節本であると断じた。しかし実はそうではない。ドイツ語訳本は確かに厚いが、二つの小説が合冊されているからで、後半の大部分はセラフィモーヴィチの『鉄の流れ』なのだ。ゆえに我々が持っている漢訳『タシケント』も節本ではない。
(七月三日。)
【「徹底」の底 公汗 】
今や一人の人の立論に対して、もしそれを「高超」と言えば、論者の反感を招く恐れがあろう。しかしもしそれを「徹底」だ、「非常に前進的」だと言えば、まだ何の障りもないようだ。
今やまさに「徹底」で「非常に前進的」な議論が「高超」な議論に取って代わった時なのだ。
文芸には本来いずれも対象の界限がある。例えば文学は元来文字を解する読者を対象としており、文字を解する程度には差異があるから、文章に深浅があるのは当然だ。そして文字は平易に、文章は明白にすべきだという主張も、やはり作者の本分だ。しかるにこの時「徹底」論者が立ち上がって言う。中国には多くの文盲がいるが、それをどうするのかと。これはまことに文学者に対する当頭の一棒であり、たちまち悶死して見せるしかない。
ただしもう一隊の救兵を招くことはできる。すなわち弁解だ。なぜなら文盲はすでに文学の作用の範囲の外にあるのだから、この時は画家、演劇家、映画作家に出馬を請い、文字以外の形象的なものを見せるしかない。しかしこれでもまだ「徹底」論者の口を塞ぐには足りず、彼は文盲の中にはさらに色盲がおり、盲人がいる、どうするのかと言う。かくて芸術家たちも当頭の一棒を食らい、たちまち悶死して見せるしかない。
では最後のあがきとして、色盲・盲人の類には講演・歌唱・講談を用いると言おう。それはそれで言えなくもない。しかるに彼は問う。まさか中国にはさらに聾者がいることを忘れたわけではあるまい。
またぞ当頭の一棒。悶死。皆悶死だ。
かくて「徹底」論者は一つの結論を得た。今の一切の文芸はすべて無用であり、徹底的に改革せねばならぬ、と。
第7節
彼はこの結論を定めた後、どこへ行ってしまったか分からない。誰が「徹底的に」改革するのか? それは当然、文芸家だ。しかし文芸家にもまた「徹底的」でない者が多く、かくして中国にはいつまでも、文盲にも色盲にも盲人にも聾者にも、すべてに効く――「徹底的」な良い文芸がないのだ。
だが「徹底」論者は時に首を出しては文芸家を一喝する。
文芸に携わる者が、このような大人物に出くわした時にその鬼面を剥ぎ取れなければ、文芸は前進しないのみか、萎縮するばかりで、ついには彼に消滅させられるだろう。切実な文芸家は、この種の「徹底」論者の正体を見極めねばならない!
(七月八日。)
【蝉の世界 鄧当世 】
中国の学者たちは、あらゆる智識は必ず聖賢から、あるいは少なくとも学者の口から出るものと考えていることが多く、火や薬草の発明・利用さえも民衆とは無縁で、すべて古代の聖王が一手に引き受けたことになっている。燧人氏、神農氏と。だから「一切の智識は必ず動物の口から出ると言わんばかりだが、これまた奇なるかな」と言う人がいるのも、まったく不思議ではない。
しかも「動物の口から出た」智識は、我が中国では、しばしば真の智識ではない。暑くてたまらず、窓という窓が開け放たれると、無線ラジオを備えた家はことごとく音波を街頭に放ち、「民と同じく楽しむ」。ああだこうだ、歌って歌って。外国は知らないが、中国の放送は朝から夜まで歌が流れ、一方では甲高く、一方ではしわがれ、その気になれば耳の休まる暇が一刻もない。同時に扇風機を回し、アイスクリームを食べる。「水位大いに上昇」「旱魃すでに成る」の地方とは毫も関係なく、窓の外で油汗を流しながら終日あくせく暮らしている人々の世界とも、まったく別世界なのだ。
ああだこうだと朗々たる歌声の中で、私はふとフランスの詩人ラ・フォンテーヌの有名な寓話「蝉と蟻」を思い出した。同じく火のような太陽の夏、蟻は地面で辛苦して働き、蝉は枝頭で高らかに鳴きながら、蟻を俗だと笑いさえする。ところが秋風が来て、ひんやりと日に日に涼しくなると、蝉は衣もなく食もなく、浮浪者と化し、早くから備えていた蟻に一通り説教されてしまう。これは私が小学校で「教育を受けていた」頃、先生が聞かせてくれた話だ。あの時はひどく感動したらしく、今でも時々思い出す。
だが、覚えてはいるものの、「卒業即失業」の教訓のために、考えは蟻とだいぶ違ってしまった。秋風は間もなく来るし、日に日に涼しくもなるだろう。しかしその時に衣食に窮するのは、恐らくまさに今油汗を流している人々の方で、洋館の周囲は確かに静まり返るだろうが、それは窓を固く閉め、音波もろとも暖炉の温気を中に留めたからで、遥かにあの中を想像すれば、おそらくやはり相変わらず、ああだこうだと「ありがとう、小雨さん」が流れているだろう。
「動物の口から出た」智識は、我が中国では往々にして通用しないではないか?
中国には中国の聖賢と学者がいる。「心を労する者は人を治め、力を労する者は人に治めらる。人に治めらるる者は人を食(やしな)い、人を治むる者は人に食われる」と、なんと簡潔明瞭に言い切ったことか。もし先生が早くにこれを教えてくれていたら、私も上のような感想を抱き、紙と筆の無駄をすることもなかったろう。これもまた中国人が中国の古書を読まねばならぬことの好い証拠だ。
(七月八日。)
【勘定 莫朕 】
清代の学術の話になると、何人かの学者は決まって眉を輝かせ、あの発達は前代に類がないと言う。証拠もまことに十二分だ。経典の注解は層出不窮、小学(音韻訓詁)も非常に進歩し、史論家こそ絶滅したが、考史家は少なくない。とりわけ考証学は、宋・明人が決して読み解けなかった古書を我々に明らかにしてくれた……
だが言い出すとまた躊躇が出て、英雄殿に私はユダヤ人だと指定されはしないかと心配になるが、実際にはそうではない。私は学者が清代の学術を語るのに出くわすたび、いつも同時にこう思わずにはいられない。「揚州十日」「嘉定三屠」といった小事は持ち出さないにしても、全国の国土を失い、みんな丸々二百五十年奴隷であったのに、引き換えに得たのがこの数頁の輝かしい学術史。この取引は結局、儲かったのか損をしたのか?
残念ながら私は数学者ではないので、結局はっきりしなかった。だが直感では、恐らく損をしたのだろうと思う。庚子の賠償金で限られた数人の学者を養成するよりも、はるかに大きな損失だ。
だがこれはおそらくまた俗論にすぎまい。学者の見解は得失を超越している。得失を超越していると言いながらも、利害の大小の弁別がまったく無いわけでもないらしい。孔子を尊ぶことこそ最大にして、儒を崇めることこそ最要。だから孔子を尊び儒を崇めさえすれば、いかなる新朝にも首を垂れて差し支えない。新朝に対する言い方は「反って来て中国民族の心を征服する」というのだ。
そしてこの中国民族の心の一部は、実に徹底的に征服されていて、今に至るもなお、兵燹・疫病・水旱・風蝗と引き換えに、孔廟の重修、雷峰塔の再建、男女同行の禁忌、四庫珍本の発行といった大看板を手に入れている。
私とて、災害は一時的なもので、記録がなければ翌年には誰も口にしなくなることは承知しているし、輝かしい事業は永久のものだということも知っている。しかしどうしたわけか、私はユダヤ人ではないのに、損益の話をしたがるところがあり、みんなでこれまで誰も持ち出さなかったこの帳簿を算えてみたいと思う。――しかも、今がまさにその時なのだ。
(七月十七日。)
【水の性 公汗 】
暑い日が二十日近くも続き、上海の新聞を見ると、ほぼ毎日のように川に入って水浴びし、溺死した者の記事がある。水辺の村ではめったに見ないことだ。
水辺の村は水が多く、水についての知識が多く、泳げる者も多い。泳げなければ、軽々しく水に入ったりはしない。この泳ぐ技能を、俗に「水性を識る」と言う。
この「水性を識る」を、もし「買弁」式の白話で、やや詳しく説明するなら――第一に、火が人を焼き殺せるように、水も人を溺れさせ得ると知ること。だが水の姿は柔和で、親しみやすく見え、それゆえ騙されやすい。第二に、水は人を溺れさせ得るが、人を浮かせることもできると知り、その操縦法を工夫し、もっぱら人を浮かせるこの面を利用すること。第三に、その操縦法を会得すること。この法を熟達すれば、「水性を識る」ことは完全に成就する。
だが都会の人々は、泳げないだけでなく、水が人を溺れさせ得ることさえ忘れてしまっているかのようだ。平素は何の準備もなく、その場になっても水の深浅を先に測ることもせず、暑さに耐えかねると服を脱いでざぶんと飛び込み、不幸にして深い所に当たれば、当然死ぬ。しかも私が感じるに、その時に救助しようとする者は、都会では田舎よりも少ないようだ。
だが都会の人間を救うのはおそらくより難しい。救う者が必ず「水性を識る」必要があるのはもちろんだが、救われる者もそれなりに「水性を識る」必要があるからだ。全く力を入れず、救助者に顎を支えてもらいながら浅い所へ浮いていかなければならない。もし焦りすぎて、必死に救助者の体によじ登ろうとすれば、救助者が上手でなければ、自分ごと沈むしかない。
だから私は思う、川に入るなら、まず泳ぎを少し習っておくのが一番だ。何も公園のプールでなくても、川の浅瀬のそばでよい。ただし熟練者の指導が必要だ。次に、もしさまざまな事情で泳ぎを習えないなら、竹竿でまず川の深浅を探り、浅い所でお茶を濁すこと。あるいは最も安全なのは水を汲んで、川岸でさっと浴びるだけにすること。そして最も肝心なのは、水には泳げない者を溺れさせる性質があると知り、しかもしっかりと記憶しておくことだ!
今さらこんな常識を宣伝しようとは、気が触れたか、あるいは「花罫」の原稿料目当てに見えるかもしれないが、事実はまったくそうでないことを証明している。多くの事は、前衛の批評家に気に入られようとして、目を閉じて豪語していればよいというものではないのだ。
(七月十七日。)
【冗談は冗談として(上) 康伯度 】
思いがけず劉半農先生が突然病死された。学術界からまた一人減った。これは惜しむべきことだ。しかし私は音韻学には全くの門外漢で、毀誉いずれについても一言を呈する資格がない。私がこれによって思い出すのは別のこと、すなわち現在の白話が「揚棄」もしくは「唾棄」される前に、彼は早くから当時の白話、とりわけ欧化式の白話に対する偉大な「迎撃者」であったということだ。
彼にはかつて、極めて容易にして極めて力ある妙文があった。
「私は今一つ簡単な例を挙げる。
第8節
先生は自分で鏡を見ず、知らず知らずのうちに、自分自身もまた欧化語法を使い、鬼子の名詞を使う人であることを証明してしまった。だが私が見るに、先生は決して「西洋人の侵略のために張り目をする急先鋒(漢奸)」ではないから、これによって私もまたその一味でないことを証明したい。さもなければ、先生は狗血を含んで人に吹きかけ、先に自分の尊い口を汚すことになる。
思うに、事を論じるのに威嚇や誣陷は無用である。筆を持つ者が、出だしからかんしゃくを起こして私の命を取ろうとするとは、なおさら滑稽千万だ。先生にはもう少し落ち着いて、静かにもう一度自分の手紙を読み直し、自分自身のことを考えていただきたい。いかがだろうか。
右、ご返事申し上げ、併せて
暑中のご安泰をお祈りする。
弟 康伯度 脱帽敬礼す。八月五日。
(八月七日、『申報・自由談』)
【冗談は冗談として(下) 康伯度 】
白話を討伐するもう一つの生力軍は、林語堂先生である。彼が討伐するのは白話の「かえって分かりにくい」ことではなく、白話の「くどくど」しさで、劉先生のような白話を「素朴に返す」意図すら全くなく、意を通じるには「語録式」(白話的な文言)しかないという。
林先生が白話の武装で登場した時、文言と白話の闘争はとうに過去のものであり、劉先生のように自ら混戦をくぐった過来人ではなく、したがって旧日を偲び末流を慨嘆する情緒もない。彼がさっと宋明の語録を「幽默(ユーモア)」の旗の下に据えたのは、もとより極めて自然なことだ。
この「幽默」が『論語』四十五号の「一枚の書き付けの書き方」だ。彼は大工にパテを少々もらおうとして語録体の書き付けを書いたが、「白話に反対する」と言われるのを恐れて、白話体、選体、桐城派体の三種に書き直した。しかしいずれも滑稽で、結局は「書僮」に口頭で伝えさせ、大工からパテをもらった。
『論語』は流行の刊物であるから、ここでは煩を省いて転載しない。要するに、可笑しくないのは語録式の一枚だけで、他の三種はすべて使い物にならない。だがこの四つの異なる役柄は、実はみな林先生一人が演じ分けたもので、一つは正生すなわち「語録式」、他の三つはいずれも道化で、自ら鬼面を装い怪相を作り、正生を一段と立派に引き立てたのだ。
しかしこれはもはや「幽默」ではなく「悪ふざけ」であって、市井で壁に亀を描き、背中に嫌いな者の名前を書くのと同じ戦法で、さして違いはない。ただし、見た人はえてして是非を問わず、描かれた側をくすくす笑う。
「幽默」であれ「悪ふざけ」であれ、結果を生むのであって、その意を心得た上で「悪ふざけ」と見なすのでなければ。
なぜなら事実は文章の通りにはいかないからだ。例えばこの語録式の書き付けだが、中国では実のところ種が途絶えたことがない。暇があれば上海の路地の入り口を覗いてみるとよい。時折そこに一つの台があり、一人の文人が座って、男女の工員のために代筆している。彼の用いる文章は林先生の擬した書き付けほど分かりやすくはないが、確かに「語録式」だ。これが今あらためて持ち出された語録派の末流なのだが、誰も彼の鼻を白く塗ったりはしない。
これが一つの具体的な「幽默」だ。
しかし「幽默」を鑑賞するのもまた難しい。私はかつて生理学から中国の尻叩き刑の合理性を証明したことがある。もし臀部が排泄や座るためだけのものなら、こんなに大きい必要はない。足の裏ははるかに小さいのに、全身を支えるに足りるではないか? 我々はもはや人を食べはしないのだから、肉もこんなに要らない。してみると、叩くための専用部位に違いない。これを人に話すと、大抵「幽默」だと思われる。だがもし叩かれた人がいたり、自分が叩かれたりしたら、その感じ方はこうはいくまい。
仕方がない。みんなが不愉快な時には、恐らく結局は「中国に幽默はない」ということになるのだろう。
(七月十八日。)
【文章を作る 朔尔 】
沈括の『夢渓筆談』に云う。「往歳、士人多くは対偶を尚んで文を為す。穆修・張景の輩、始めて平文を為し、当時これを『古文』と謂う。穆・張嘗て同じく朝に造り、旦を東華門外に待つ。方(まさ)に文を論ずる次(おり)、適(たま)たま奔馬あるを見る。一犬を踏み殺す。二人各々その事を記し、以て工拙を較ぶ。穆修曰く、『馬逸す。黄犬あり、蹄に遇うて斃(たお)る。』張景曰く、『犬あり、奔馬の下に死す。』時に文体新たに変じ、二人の語は皆拙渋なり。当時すでにこれを工と謂い、之を伝えて今に至る。」
駢文は後に起こったもので、唐虞三代は駢でなく、「平文」を「古文」と称するのはこの意味だ。これを推し広げれば、もし古代に言と文が本当に分かれていなかったなら、「白話文」を「古文」と称しても差し支えないようだが、林語堂先生の「白話の文言」という意味とはまた違う。二人の大作は拙渋であるばかりか、主旨からして異なり、穆は馬が犬を踏み殺したと言い、張は犬が馬に踏み殺されたと言っている。結局、馬に重点を置いたのか、犬に置いたのか? より明白で穏当なのは、沈括の何気ない文章「奔馬あり、一犬を踏み殺す」だ。
古いものを倒そうとすれば力がいり、力を入れすぎると「作り」が出て、「作り」すぎると「生渋」どころか時に「喉に引っかかって出てこない」ことになり、すでに古人が円熟に「作り」上げた古いものよりもかえって劣る。しかも字数にも論旨にも制限のある「花罫文学」の類は、とりわけこの生渋病にかかりやすい。
作りすぎてはいけないが、作らないわけにもいかない。丸太一本と小枝四本で腰掛けを作るのは、今の時代にはいささか粗雑で、やはり鉋(かんな)をかけた方がよい。だが全体に彫刻を施し中をくり抜いてしまっては、座れなくなり腰掛けの体をなさない。ゴーリキーは言う、大衆語は荒削りで、加工されたものが文学だと。これは的を射た指摘だと思う。
(七月二十日。)
【読書瑣記(一) 焉于 】
ゴーリキーはバルザック小説の会話描写の巧みさに感嘆し、人物の容貌を描かなくても、読者が会話を読んだだけで話し手たちの姿が目に浮かぶようだと言った。(八月号の『文学』所収「わが文学修養」)
中国にはまだそれほどの手腕の小説家はいないが、『水滸伝』と『紅楼夢』の一部には、会話から人物が見えてくる箇所がある。実のところ、これは何も奇異なことではなく、上海の路地裏で小部屋を借りて住む者なら、しょっちゅう体験できる。周囲の住人とは必ずしも顔を合わせたことがないが、薄い板壁一枚しか隔てていないので、ある家の眷属や客の会話、とりわけ大声の会話は大略聞こえ、久しくすると、そこにどんな人がいるか分かり、しかもそれらの人がどんな人かまで、おぼろげに感じ取れるようになる。
もし不要な点を削除して、各人の特色ある会話だけを抜き出せば、他の人間にもその会話から一人一人の話し手の人物像を推し量らせることができるだろう。だが、これがすなわち中国のバルザックだと言っているのではない。
作者が会話で人物を表現する時、おそらく自身の心の中にはその人物の容姿が存在しており、それが読者に伝わって、読者の心の中にもその人物の容姿が形成される。だが読者が推測する人物は、必ずしも作者が想定したものと同じではなく、バルザックの小さな口髭の痩せた老人が、ゴーリキーの頭の中ではおそらく粗野で逞しい顎鬚の大男に変わっているだろう。もっとも性格や言動はきっと幾分か似通い、おおむね大差はない。ちょうどフランス語をロシア語に翻訳したようなものだ。そうでなければ、文学というものには普遍性がないことになる。
文学には普遍性があるが、読者の体験の違いによって変化し、読者に類似の体験がなければ、効力を失う。例えば我々が『紅楼夢』を読み、文字から林黛玉の人物像を推察するとき、まず梅博士の「黛玉の花を埋む」の写真の先入観を排除して別の姿を想像しなければならない。そうすると、おそらく断髪でインド更紗のシャツを着た、やつれて寂しげなモダンガールか、あるいはまた別の何かを想像するだろうが、断定はできない。しかし三、四十年前に出版された『紅楼夢図詠』の類の画像と比べてみれば、きっとまるで違う。あちらに描かれているのは、あの時代の読者の心の中の林黛玉なのだ。
文学には普遍性があるが、限界がある。比較的永続するものもあるが、読者の社会的体験によって変化する。北極のエスキモーやアフリカ奥地の黒人には、「林黛玉型」は理解できまい。健全で合理的な良き社会の人々にも理解できないだろう。彼らはおそらく、我々が始皇帝の焚書や黄巣の殺戮の話を聞く以上に隔靴掻痒の思いをするだろう。一たび変化すれば、もはや永久ではない。文学だけは仙骨を持つと言うのは、夢見る人々の夢言にすぎない。
(八月六日。)
【読書瑣記(二) 焉于 】
同じ時代、同じ国の中でも、言葉が通じ合わないことがある。
バルビュスに「母国語と外国語」という大変興味深い短篇がある。フランスのある金持ちの家で、大戦で九死に一生を得た三人の兵士をもてなし、令嬢が出て来て挨拶したが、話すことがなく、やっとのことで数言を交わしたものの、彼らも返す言葉がなく、広い部屋に座っているだけで骨が痛むほど気を遣った。自分たちの「豚小屋」に戻ってやっと全身がほぐれ、笑い話も出て、しかもドイツ人捕虜の中から、手振りで「俺たちの言葉」を話す者を見つけ出した。
この経験から一人の兵士は、ぼんやりとこう思った。「この世界には二つの世界がある。一つは戦争の世界。もう一つは、金庫の扉のような戸口、教会のように清潔な台所、きれいな家のある世界。まるで別世界だ。別の国だ。そこには、奇妙な考えを持つ外国人が住んでいる。」
あの令嬢は後にある紳士にこう言った。「あの人たちとは話も通じないのです。あの人たちと私たちの間には、飛び越えられない深淵があるみたいで。」
実のところ、令嬢と兵士に限った話ではない。我々――「封建の残滓」でも「買弁」でも何でもいいが――も、ほとんど同類の人間と、ほんの少しどこかが違い、しかも口と心が一致していなければならないとなると、やはり往々にして話が途絶えてしまう。ただし我々中国人は賢いので、とうに万能薬を発明した者がいる。すなわち「いやあ今日は……ハハハ!」。宴席であれば拳遊びだけして、議論はしない。
こう見てくると、文学が普遍にして永久であることは、実にいささか困難だ。「いやあ今日は……ハハハ!」は幾分か普遍ではあるが、永久かどうかは甚だ疑わしく、しかもあまり文学らしくもない。そこで高踏的な文学者は自ら一条の規則を定め、自分の「文学」の分からぬ人々をすべて「人類」の外に追い出し、以てその普遍性を保持する。文学には他にもいろいろな性質があるが、彼はそれを言い破ろうとしないので、この手段を使うしかないのだ。しかしこうなると、「文学」は存在するが、「人」は多くなくなってしまう。
かくして、文学は高踏であればあるほど理解者は少なく、高踏の極に達すれば、その普遍性と永久性は作者一人に収斂する。ところが文学者はまた悲嘆して、血を吐いたと言う。これはまったく手の施しようがない。
(八月六日。)
【時流と復古 康伯度 】
半農先生が世を去ると、朱湘、廬隠の両作家と同様、いくつかの刊物を大いに賑わせた。この賑わいがいつまで続くか、今のところ推測のしようがない。だがこの死は、あの二人よりもはるかに大きな作用を持つらしい。彼は間もなく復古の先賢に封じられ、その神位を以て「時流に迎合する」人々を打ちのめすのに使われかねない。
この一撃は有力だ。彼は故人の名士であるばかりか、かつての新派であり、新を以て新を打つのは、毒を以て毒を制するに等しく、錆びた古董を持ち出すよりも勝る。ところが笑い話もまたこの中に伏兵として潜んでいる。なぜか? 半農先生がそもそも「時流に迎合する」ことで名を成した人だからだ。
古の青年の心目に劉半農の三文字があったのは、彼が音韻学に長じていたからでも、打油詩をよく作ったからでもなく、鴛蝴派から飛び出し、王敬軒を罵倒し、「文学革命」陣営の戦闘者であったからだ。しかしその時の一部の人々は、彼を「時流への迎合」と貶した。時代はやはり幾分か前進するもので、歳月が流れてこの諡号は次第に洗い落とされ、自分も少し地位が上がると折り合いもつき、ついに晴れ晴れとした名士となった。だが「名が出れば人が恐れるは、豚が太れば殺されるが如し」で、彼はこの時、包みに入れて新たな「時流迎合」病を治す薬にされようとしていた。
これは半農先生一人の苦境ではなく、先例はたっぷりある。広東の挙人はいくらでもいるのに、なぜ康有為だけがあれほど有名なのか。公車上書の首領であり、戊戌の政変の主役であったから――時流への迎合だ。留英学生も珍しくないのに、厳復の名がまだ消えていないのは、かつて真面目に何冊もの洋書を訳したから――時流への迎合だ。清末、朴学を治める者は太炎先生一人ではなかったのに、その名声が孫詒讓をはるかに凌ぐのは、種族革命を提唱し、時流に迎合し、しかも「造反」までしたからだ。後に「時」もまた「迎合」して追いつき、彼らは生ける純正な先賢となった。だが不運もまた尻にくっついて来る。康有為は永く復辟の祖師と定められ、袁大統領は厳復に勧進を頼み、孫伝芳大帥もまた太炎先生に投壺の遊びを請うた。もとは車を前に引く見事な腕前の持ち主で、脚は太く腕も逞しかった。今度もまた引いてくれと頼まれるが、引くには引いても、車の尻を後ろへ引くのだ。ここはやはり古文を使うしかあるまい。「嗚呼哀哉、尚饗(こいねがわくは饗(う)けたまへ)」。
私は半農先生がかつて「時流に迎合した」ことを嘲笑しているのではない。ここで私が用いているのは、世間で言う「時流への迎合」の一部分、「先駆」の意味である。彼は自ら「没落」を認めたとはいえ、実際には戦い抜いてきた人だ。ただ彼を敬愛する人々が、この一点をもっと発揚し、手当たり次第に彼を自分の好む油や泥の中に引き込んで金看板にしなければよいのだ。
(八月十三日。)
【安貧楽道法 史贲 】
子供は他人に教えてもらうべきものであり、病気は他人に診てもらうべきものだ。たとえ自分が教員や医者であっても。だが処世の方法は、自分で斟酌するほかなく、他人が出してくれる多くの良方は、たいてい紙くずにすぎない。
安貧楽道を説くのは古今の治国平天下の大方針で、処方箋も数多く出されてきたが、どれも十全大補の効能はなかった。そこで新しい処方箋も尽きることなく、最近また二種類を見たが、私が思うに、どちらもあまり妥当ではなさそうだ。
一つは、職業に対して興味を抱くよう教えるもので、興味さえあれば何事もこれを楽しんで倦まないという。もちろん、言えば道理だが、結局はやや軽い仕事でなければならない。石炭掘りや糞担ぎは言わずもがな、上海の工場で少なくとも毎日十時間働く工人は、夕方近くには必ず精根尽き果て、怪我は大抵その時間帯に起きる。「健全なる精神は、健全なる肉体に宿る」のに、自分の体も顧みられなくなって、どうして興味など持てようか?――興味が命よりも大事だというのでなければ。もし工人自身に尋ねたなら、きっと労働時間の短縮こそ望みだと答え、興味を湧かせる法など夢にも思いつくまい。
第9節
もう一つは極めて徹底的で、こう言う。炎天に金持ちはなお社交に忙しく汗みどろだが、貧乏人は破れ筵を一枚抱えて路上に敷き、服を脱いで涼風を浴び、その楽しみは果てしない。これを「天下を席巻する」と言うのだと。これもまた稀に見る詩趣に富んだ処方箋だが、後には興覚めが控えている。もうすぐ秋が涼しくなるが、早朝に大通りを歩いてみると、腹を抱え黄色い水を吐いている者こそ、あの「天下を席巻」していた元の活き仙人たちだ。おそらく目の前の福をわざわざ享けない大馬鹿者は、世にそう多くはなく、もし極貧がそんなに楽しいなら、今の金持ちがまず大通りに寝そべるはずで、今の貧乏人は筵を敷く場所もなくなるだろう。
上海の中学統一試験の優秀答案が発表された。「衣は寒を防ぎ食は腹を満たすに取るを論ず」という題で、その中に一段――
「……若し徳業已に立たば、則(すなわ)ち饔飧(ようそん)継がず、襟を捉(と)りて肘を見(あらわ)すと雖も、その名徳は後に伝うるに足り、精神生活は充分に発展せん。又何ぞ物質生活の足らざるを患えんや? 人生の真諦は、固より彼に在りて此に在らざるなり。……」(『新語林』第三号より転録)
これは題意をさらに一歩進め、「腹を満たす」ことすらできなくても構わないと言っている。だが中学生が出した処方箋は大学生には通用せず、同時にやはり就職を求める大群が出現した。
事実は情け容赦なく、空言を粉々に打ち砕く。これほど歴然としているのに、実のところ私の愚見では、もう「之乎者也」を弄ぶ必要はあるまい――どのみち永遠に無用なのだから。
(八月十三日。)
【奇怪(一) 白道 】
世界には多くの事実があり、記録を見なければ天才でも思いつかない。アフリカにある土民は、男女の禁忌が甚だ厳しく、女婿が姑に出くわせば地面に伏せなければならず、しかもそれでは足りず、顔を土の中に埋めなければならない。これはまことに、我が礼義の邦の「男女七歳にして席を同じくせず」の古人でも、到底及ばぬところだ。
こう見ると、我が古人の男女隔離の設計も、やはり低能児の域を出ない。まして今が古人の枠を飛び出せないのは、なおさら低能の極みだ。一緒に泳がない、一緒に歩かない、一緒に食事しない、一緒に映画を見ない。いずれも「席を同じくせず」の演義にすぎない。低能の極致は、男女が同じつながった空気を吸っていること――ある男の鼻孔から吐き出された息が、ある女の鼻孔から吸い込まれ、乾坤を淆乱すること、これが海水が皮膚に触れるよりもさらに深刻だとまだ思いつかないことだ。この深刻な問題に対処できなければ、男女の境界は永遠に分けられない。
私の考えでは、ここは「西法」を用いるほかない。西法は国粋にあらずと雖も、時に国粋を助けることができる。例えば無線放送はモダンなものだが、朝に坊主が読経を流すのは悪くない。自動車はたしかに洋物だが、乗って麻雀を打ちに行けば、緑の布張りの大駕籠(おおかご)でゆっくり着くよりも何周も余計に打てる。この類推で、男女が同じ空気を吸うのを防ぐには防毒面を使い、各自一つの箱を背負い、管を通して自分の鼻孔に酸素を送ればよい。顔をさらさずに済むうえに、防空演習も兼ねられる。これぞ「中学為体、西学為用」だ。ケマル将軍の治世以前のトルコ女性のヴェールも、今回はまったく及ぶまい。
仮に今、英国のスウィフトのような人がいて、『ガリヴァー旅行記』のような風刺小説を書き、二十世紀半ばにある文明国に着いてみると、一群の人が線香を焚いて龍を拝み、法を作って雨乞いをし、「太った女」を鑑賞し、亀を殺すことを禁じている。また一群の人が真面目に古代の舞踊を研究し、男女別途を主張し、女の脚を露出してはならぬと論じている。——遠方の、あるいは将来の人々は、おそらくこれは作者が口さがなく勝手に捏造して、気に入らぬ人々をこき下ろしたのだと思うだろう。
しかしこれは確かに事実なのだ。もしこのような事実がなければ、どんなに辛辣な天才作家でもおそらく思いつくまい。空想はそれほど奇抜にはなり得ない。だから人はある事を見ると、「奇怪」という一言を発するのだ。
(八月十四日。)
【奇怪(二) 白道 】
尤墨君先生が教師の立場で大衆語の討論に参加した。その意見は極めて重く受け止めるべきだ。彼は「中学生に大衆語を練習させよ」と主張し、さらに「中学生が作文で最も好んで使い、かつ最も誤用する多くの流行語」を列挙して、「彼らに使わせない方がよい」と言う。将来弁別できるようになってからにせよ、と。なぜなら「新しいものを消化不良で食べるよりは、先に禁じた方がよい」からだ。ここに列挙された「流行語」の一部を摘記する――
共鳴 対象 気圧 温度 結晶 徹底 趨勢 理智 現実 下意識 相対性 絶対性 縦断面 横断面 死亡率……(『新語林』第三号)
だが私は甚だ奇怪に思う。
あれらの語は、もはや「流行語」とも言えないほどだ。「対象」「現実」など、書物や新聞を読む者なら常に目にし、常に見れば比較して意味を理解する。子供が言葉を覚えるのに文法の教科書に頼らないのと同じだ。まして学校では教師の指導がある。「温度」「結晶」「縦断面」「横断面」に至っては、科学用語で、中学の物理学・鉱物学・植物学の教科書にあり、国語で使う意味と変わらない。それが今「最も誤用」されるとは、自分で考えもせず、教師も指導していないばかりか、他の科学も同様に曖昧ということではないか。
ならば、途中から大衆語を習ったところで、一人の中学出身の速成大衆にすぎず、大衆に何の役に立とう? 大衆が中学生を必要とするのは、教育程度が比較的高く、皆に知識を拡げ、語彙を増やし、説明できるものは説明し、新たに加えるべきものは加えることができるからだ。「対象」などの定義は、まず自分がはっきりさせるべきで、必要な時に方言で置き換えられるなら置き換え、なければこの新語を教え、その意味を説明する。もし大衆語も半路出家で、新語もまだよく分からないとなれば、この「落伍」は本当に「徹底的」だ。
思うに、大衆のために大衆語を練習するなら、あの「流行語」を禁じるべきではなく、最も肝心なのはその定義を教えること、教師が中学生に対して行うべきことは、将来中学生が大衆に対して行うのと同じだ。例えば「縦断面」と「横断面」は、「直切面」「横切面」と説明すれば分かりやすく、「横鋸面」「直鋸面」と言えば、大工の見習いにも分かる。読み書きができなくても。禁止するのはよくない。彼らの中には永遠に曖昧なままの者もいるだろう。「なぜなら中学生が全員大学に進学し、文豪や学者になる理想を実現できるとは限らないのだから。」
(八月十四日。)
【迎神と人を噛むこと 越僑 】
新聞によると、余姚のある村で、農民たちが旱魃のために神を迎えて雨乞いをし、見物人に帽子を被っている者がいると、刀や棒で滅多打ちにしたという。
これは迷信だが、根拠がある。漢の大儒・董仲舒先生に祈雨法があり、寡婦を使い、城門を閉じ、烏煙瘴気で、その珍妙さは道士と変わらず、しかも今の儒者に訂正されたことがない。通都大邑にあっても、今なお天師が法を行い、長官が屠殺を禁じ、大騒ぎが繰り広げられているのに、誰か一言でも異を唱えたことがあったか? 帽子を打つのは、神に、まだ悠然と自適している者がいるのを見られまいとする恐れであり、同時にまた、皆と苦楽を共にしない者への憎しみでもある。
迎神は、農民たちの本意は死から救われることにある。——だが残念ながら迷信だ。——だがそれ以外に、彼らは他の方法を知らないのだ。
新聞はまた、六十数歳の古参党員が迎神をやめさせようとしたところ、皆にさんざん殴られ、ついに喉笛を噛み切られて死んだと伝えている。
これは妄信だが、やはり根拠がある。『精忠説岳全伝』に、張俊が忠良を陥れ、ついに衆人に噛み殺されたとあり、人心はこれに大いに溜飲を下げた。このため田舎にはかねてより言い伝えがあり、人を噛み殺しても皇帝は必ず赦すという。怨恨のあまり噛むに至ったなら、噛まれた者の悪もまた推して知るべしだからだ。法律は知らないが、おそらく民国以前の律文にも、こうした規定はなかったであろう。
噛むのは、農民たちの本意は死から逃れることにある。——だが残念ながら妄信だ。——だがそれ以外に、彼らは他の方法を知らないのだ。
死から救われたい、死から逃れたい、それがかえって自ら死を速める。哀しいかな!
帝国から民国になって以来、上層の変化は少なくなかった。しかし無教育の農民は、まだ何一つ新しく有益なものを得ておらず、依然として旧来の迷信、旧来の風聞のまま、懸命の救死と逃死の中に自ら死を速めている。
今度は彼らに「天誅」が下ろうとしている。彼らは怖れるだろう、しかし「天誅」の意味が分からぬ故に、不平も抱くだろう。やがてこの恐怖と不平が忘れ去られると、迷信と風聞だけが残り、次の水旱災害の時にはまたしても迎神、そして人を噛む。
この悲劇はいつ終わるのか?
(八月十九日。)
附記:
傍らに黒点を付した三つの文は、印刷されて出た時に全部削除されていたものだ。総編集者の斧か、検閲官の斧かは知る由もないが、原稿を覚えている筆者にとっては、非常に興味深い。彼らの考えは、おそらく田舎の人間の考え――たとえ妄信であれ――はむしろ知らせない方がよく、さもなければ弊害を生じ、多くの喉笛が危うくなりかねないということだろう。
(八月二十二日。)
【読書瑣記(三) 焉于 】
創作家は概して批評家のあれこれを嫌う。
ある詩人がこんなことを言ったと記憶している。詩人が詩を作るのは、植物が花を咲かせるようなもので、咲かずにいられないから咲くのだ。もし摘んで食べて中毒したなら、それは自分の間違いだ、と。
この比喩は美しく、もっともらしく聞こえる。だがよく考えると、誤りもある。誤りは、詩人はやはり一株の草ではなく、社会の一人の人間であるということ。しかも詩集は金を取って売るのであり、ただで摘めるわけではない。金を取って売れば商品であり、買い手にも良し悪しを言う権利がある。
たとえ本当に花だとしても、深山幽谷の人跡未踏の地に咲くのでなければ、毒があれば園丁の類が何とかしようとする。花の実際は、詩人の空想通りにはいかない。
ところが今では言い方が変わり、作者でもない者まで批評家を嫌うようになった。中には言う者がいる。「そんなに分かるなら、自分で一篇書いてみろ!」
これでは批評家は頭を抱えて逃げ出すしかない。批評家にして創作もできる者は、昔から甚だ少ないからだ。
思うに、作家と批評家の関係は、料理人と食客にかなり似ている。料理人が一品を出せば、食客は何か言う。旨いか不味いか。料理人がもし不公平だと感じたら、相手が神経病ではないか、舌苔が厚くないか、旧怨を含んでいないか、勘定を踏み倒そうとしていないか見ればよい。あるいは彼が広東人で蛇肉が食べたいのか、四川人で唐辛子がほしいのか。そこで弁解なり抗議なりをする——もちろん黙っていてもよい。だがもし客に向かって大声で「じゃあお前が一品作って食わせてみろ!」と叫んだら、いささか滑稽ではないか。
なるほど、四、五年前には、批評家になりさえすれば文壇に高踞できると考え、速成や出鱈目な評が少なくなかった。だがこの風潮を正すには批評の批評を以てすべきで、批評家という名目に泥を塗るだけでは良い方法ではない。しかし我々の読書界は平和を好む者が多く、筆戦を見れば「文壇の悲観」だの「文人相軽んず」だのと言い、ひいては是非を問わず一律に「罵り合い」と呼び、「真っ黒けの無茶苦茶」と指弾する。果たして、今では批評家と称する者は聞かなくなった。だが文壇はといえば、依然として変わらない。ただ表に出さなくなっただけだ。
文芸には必ず批評がなければならない。批評が的外れなら、批評で以て抗争すべきで、そうしてこそ文芸も批評もともに前進できる。もし一律に口を塞いで文壇はもう清潔だと見なせば、得られる結果はかえって逆のものとなる。
(八月二十二日。)
【「大雪紛飛」 張沛 】
自分の主張を支えようとする時、人は時に白墨を一本取って相手の顔を塗り、道化役に仕立てて自分が正役であることを引き立てようとする。だがその結果は、えてして裏目に出る。
章士釗先生は今は民権の擁護者だが、段政府時代にはまだ文言の擁護者であった。彼は実例を一つ作り、もし「二桃殺三士」を白話で「二つの桃が三人の読書人を殺した」と書いたら、なんと駄目かと言った。今回、李焰生先生が大衆語に反対するにあたっても、「静珍君の挙げた例に賛成で、『大雪紛飛』は、あの『大きな雪が一片一片ひらひらと降っている』よりも簡潔にして趣がある。適宜採用するのは、文言文の提唱と同列に論じるべきではない」と言った。
私もやむを得ない場合には、大衆語が文言も白話も、さらには外国語さえ採用してよいことに賛成する。しかも実際には、今すでに採用されている。だが二人の先生の代訳の例は、まことに的外れだ。あの時代の「士」は必ずしも「読書人」ではなかったことは、とうに指摘されている。今回の「大雪紛飛」にも「一片一片」の意味はなく、わざとくどくして大衆語に恥をかかせようとする曲技にすぎない。
白話は文言の直訳ではなく、大衆語も文言や白話の直訳ではない。江浙で「大雪紛飛」の意味を言い表すのに、「大きな雪が一片一片ひらひらと降っている」とは言わない。大抵は「凶(すごい)」「猛(激しい)」あるいは「厲害(ひどい)」を使って、この降り方を形容する。もし「古本と対証」しようというなら、『水滸伝』の中の一句「那雪正下得緊(あの雪はまさにしきりに降っていた)」こそが現代の大衆語に近い言い方で、「大雪紛飛」より二字多いが、あの「趣」ははるかに優れている。
人が学校から社会の上層に飛び出すにつれ、思想も言葉も一歩一歩大衆から離れていく。それは「やむを得ない」ことだろう。だがもし彼が生まれつきの御曹司でなく、かつて幾分かは「下等人」と関わりがあったなら、思い返せば、きっと文言文や白話文に勝る良い言葉を彼らが数多く持っていたことを思い出せるはずだ。もし自分で醜いものを捏造して、敵対するものの駄目さを証明しようとするなら、それは隠れた所から掘り出した自分自身の醜さに他ならず、大衆を辱めることはできず、大衆を笑わせるだけだ。大衆は知識こそ読書人ほど高くないが、でたらめを言う人々に対しては一つの諡(おくりな)を持っている。「刺繍枕」だ。この意味は、おそらく田舎の人にしか分かるまい。貧しい人が枕の中に詰めるのは、鴨の羽毛ではない。稲わらだからだ。
(八月二十二日。)
【漢字とラテン化 仲度 】
大衆語に反対する人々が、提唱者に得意然と命じて言う。「現物を出して見せろ!」。一方には、こういう正直者もいて、相手が本気か冗談か全く問わず、直ちに必死で見本を作り始める。
第10節
読書人が大衆語を提唱するのは、白話の提唱よりも当然困難だ。白話を提唱した時には、良かれ悪しかれ使うのは一応白話であったが、今や大衆語を提唱する文章の多くは大衆語ではないからだ。しかし、反対者に命令を下す権利はない。たとえ身体障害者であっても、健康運動を主張しているなら、彼は絶対に間違っていない。もし纏足を提唱するなら、たとえ天足の壮健な女性であっても、故意にか無意識にか人を害しているのだ。アメリカの果物王は、たった一種の果物を改良するだけでも十年余りの工夫を要した。いわんや大衆語は、それよりはるかに大きな問題だ。もし彼の矛で彼の盾を攻くなら、反対者は文言か白話を支持するはずで、文言には数千年の歴史があり、白話には二十年近い歴史がある。彼もまた「現物」を出して皆に見せるがよい。
だが、我々も自ら試みて差し支えない。『動向』にはすでに、純粋に土地の言葉で書かれた三篇の文章があった。胡縄先生はそれを読んで、やはり土地の言葉でない文の方が分かりやすいと言った。実のところ、工夫しさえすれば、いかなる土地の言葉で書いても理解できるのだ。私自身の経験では、我々の方言は蘇州とだいぶ違うが、一冊の『海上花列伝』が「門を出でず」して私に蘇州語を理解させてくれた。初めは分からず、無理に読み進め、記事を参照し、会話を比較すると、後にはすべて分かるようになった。もちろん大変難しい。この困難の根は、漢字にあると私は思う。一つ一つの方形漢字にはそれぞれ意味がある。今これをそのまま土地の言葉で書くと、一部はなお本義を用い、一部は音を借りるだけとなる。すると読むに際して、どれが意義を用いどれが音を借りているかを分析せねばならず、慣れれば何でもないが、初めは非常に骨が折れる。
例えば胡縄先生が挙げた例で、「窝里向(ウーリーシャン)に帰りな」と言えば、「窝(巣)」の中に帰れと読まれかもしれず、「家に帰りなさい」と言う方が明快だという。あの文の病根はまさに漢字の「窝」にある。実際にはおそらくこう書くべきではないのだ。我々の田舎の人も「家」のことを Uwao-li と呼び、読書人が書き取ると「窝里」と書いてしまいがちだが、私が思うに、この Uwao は実は「屋下」の二音が合わさり、やや訛ったもので、「窝」の字で安易に代用してはならない。もし他に意味を持たない音を記すだけなら、いかなる誤解も生じないのだ。
大衆語の音数は文言や白話より多い。もし依然として方形漢字で書けば、頭脳の負担のみならず手間もかかり、紙墨さえ不経済だ。この方形の病める遺産のために、我々の最も多数の人々は、数千年にわたって文盲として殉じてきた。中国もこの有様で、他国がすでに人工降雨をしている時に、我々はまだ蛇を拝み、神を迎えている。もし皆がなお生きてゆくつもりなら、漢字に我々の犠牲になってもらうしかあるまい。
今はもう「書法のラテン化」の一条の道しかない。これは大衆語と切り離せない。これもまた読書人からまず実験を始め、まずアルファベットと綴り方を紹介し、次に文章を書く。初めは日本語のように名詞類の漢字だけ残し、助詞、感嘆詞、後には形容詞、動詞もすべてラテン式で綴れば、見た目にも馴染みやすく、理解もはるかに容易だ。横書きに改めるのは言うまでもない。
これはすぐに実験を始めたとしても、さほど難しくはあるまい。
たしかに漢字は古代から伝わる宝物だ。だが我々の祖先は漢字よりもさらに古く、だから我々こそ古代から伝わる宝物なのだ。漢字のために我々を犠牲にするか、我々のために漢字を犠牲にするか? これはまだ正気を失っていない者なら、即座に答えられるはずだ。
(八月二十三日。)
【「シェイクスピア」 苗挺 】
厳復が「狭斯丕尓」に言及したが、一言で終わり。梁啓超が「莎士比亜」を語ったが、誰も注目しなかった。田漢がこの人の作品をいくらか訳したが、今ではあまり流行っていないようだ。ところが今年になって、またぞろ「シェイクスピア」「シェイクスピア」と騒がしくなった。杜衡先生が彼の作品から群衆の盲目を証明したのみならず、ジョンソン博士を崇拝する教授までもがマルクス「ニュークス」の断片を訳しに来た。なぜか? 何のためか?
しかも聞くところでは、ソ連でも原本シェイクスピア劇を上演するという。
上演しなければまだしも、上演しようとするや、施蛰存先生に「醜態」を見抜かれてしまった――
「……ソ連は最初は『シェイクスピア打倒』、次は『シェイクスピア改編』、そして今は、演劇季で『原本シェイクスピアを上演』しようとしているではないか?(しかも梅蘭芳に『貴妃酔酒』を演じさせるという!)この政治的方策を文学に運用する醜態は、歯が寒くならずにいられようか!」(『現代』五巻五号、施蛰存「我と文言文」。)
ソ連は遠すぎて、演劇季の状況はまだよく分からないので、歯の寒暖は暫くお任せしよう。だが梅蘭芳が記者と交わした談話は『大晩報』の「火炬」に掲載されており、そこには『貴妃酔酒』を演じるとは書いていなかった。
施先生は自ら言う。「私は生まれてこのかた三十年、幼稚無知の時代を除き、思想および言行は一貫していると自負する。……」(同前)これはもちろん大変結構だ。ただし、彼が「言」うところの他人の「行」は、必ずしも一致しない、あるいは時に一致しないこともあるようで、『貴妃酔酒』がまさに眼前の好例だ。
実のところ梅蘭芳はまだ出発もしていないのに、施蛰存先生はもう、彼が「無産階級」の前で裸で水浴びすると決めつけてしまった。こうなると、彼らは「次第に資産階級の『余毒』に染まった」程度では済まず、中国の国粋にまで染まることになる。彼らの文学青年が、将来宮殿を描写する際に、『文選』や『荘子』の中から「語彙」を探すかもしれないのだ。
だが『貴妃酔酒』を演じれば施先生は「歯が寒い」し、演じなければ予言者の面目が潰れる。どちらにしても不快で、だから施先生はまた自ら言う。「文芸の上で、私はかねがね孤独な人間であり、どうして敢えて多くの怒りを招こうか?」(同前)
末の一句は謙遜で、施先生に賛成する者は実は少なくない。さもなければ、堂々と雑誌に発表できようか?――この「孤独」は大いに価値がある。
(九月二十日。)
【商人の批評 及鋒 】
中国に今、良い作品がないことは、早くから批評家や出鱈目評家を不満にさせており、先頃にはその原因を究明しようともしていた。結果は結果なし。だがなお新解釈がある。林希雋先生は、作家が「自らを滅ぼし、投機取巧の手管で」「雑文」を書くようになったからで、したがってシンクレアやトルストイにもなれないと言う(『現代』九月号)。もう一人の希雋先生は、「この資本主義社会では……作家も知らず知らず商人となった。……より多くの報酬を得んがため、やむなく『粗製乱造』の方法を採り、もはや誰も心血を注いで苦心惨憺の認真な創作をしなくなった」と言う。(『社会月報』九月号)
経済に着目するのは、たしかに一歩の前進だ。だがこの「心血を注いで苦心惨憺の認真な創作」から生まれた学説は、常識しか持たぬ我々の見解とはだいぶ異なる。我々は従来、資本で利を得る者が商人だと思っていたから、出版界では金を出して書店を開き儲ける老闆(おやじ)が商人だ。今になって初めて、文章を書いてささやかな原稿料を得る者も商人だと知った。ただし「いつの間にか」の商人だ。農民が数斗の米を節約して売りに出すのも、工人が筋力で金に換えるのも、教授が口を売り、娼婦が淫を売るのも、みな「いつの間にか」の商人だ。買い手だけが商人ではなくなるが、彼の金は必ず何かと交換したものだから、やはり商人だ。かくして「この資本主義社会では」全員が商人で、ただし「いつの間にか」と「形あるまま」の二大類に分けられる。
希雋先生自身の定義で彼自身を判定すれば、当然「いつの間にか」の商人だ。もし売文で生計を立てていないなら、「粗製乱造」の必要もないわけで、それではどうやって生計を立てているのか。きっと別に商売をしているのであり、おそらく正真正銘の商人かもしれない。だから彼の見識は、どう見ても商人の見識を出ない。
「雑文」は短く、書く手間もかかるまい。『戦争と平和』を書くほどの時間は決して要らない(これは林希雋先生の文章をそのまま書き写したもので、原題は実は『戦争と平和』である)。力の入れようも極めて僅少、それはまったくその通りだ。だが多少の常識を持ち、多少の苦心を要するのであって、さもなければ「雑文」さえもさらに一歩進んだ「粗製乱造」となり、笑い種が残るだけだ。作品には常に幾分の欠点がある。アポリネールが孔雀を詠んで言う。尾を立てれば、光輝燦爛だが、後ろの肛門も露わになると。だから批評家の指摘は必要で、ただし批評家はその時自分も尾を立て、肛門を露わにする。それでもなぜ必要かといえば、正面にはなお光輝燦爛たる羽毛があるからだ。だがもし孔雀でなく、鵞鳥やアヒルの類であれば、尾を立てた時に露わになるものが何かよく考えてみるがよい!
(九月二十五日。)
【中秋二願 白道 】
先日はまさに「悲喜こもごも」であった。国暦の九一八が過ぎたばかりで、次は「旧暦」の「中秋の月見」、さらに「海寧の潮見」。海寧といえば、またぞろ「乾隆帝は海寧の陳閣老の子だ」という話を持ち出す者がいる。この満洲の「英明なる主」が、実は中国人のすり替えた子であったとは、何とも壮快で、しかも幸運だ。一兵も折らず一矢も費やさず、ただ生殖器官だけで革命を成し遂げたのだから、まさに至上の便宜だ。
中国人は家族を尊び血統を重んじるが、一方ではまた縁もゆかりもない者たちと親戚関係を結びたがる。何のつもりか、私にはまったく分からない。幼い頃から、「乾隆は我々漢族の陳家からこっそり抱き取られたのだ」とか、「元朝は我々がヨーロッパを征服したのだ」とか、耳にたこができるほど聞かされてきた。ところが今になっても、タバコ屋の中国政界偉人投票でチンギス・ハーンがその一人に列せられ、民智を開くはずの新聞がまだ満洲の乾隆帝は陳閣老の子だと語っている。
古には、確かに女が番人のもとへ嫁いだことがある。芝居にも、男が番邦の駙馬に招かれ、得をして、嬉々としてこなす話がある。近事でも、侠客に義父と崇められ、富豪の入り婿になって急に成り上がった者はいる。だがこれは体面の良いことではない。男子たる者、大丈夫たる者、別に能あり別に志あるべきで、智力と別の体力を恃むべきだ。さもなければ、将来また皆が日本人は徐福の子孫だと大いに語り出しはしないかと、私はまことに心配だ。
一願:今後、みだりに他人と親戚関係を結ばぬこと。
ところが文学にまで縁組みをする者が現れた。彼は、女性の才能は男性との肉体関係によって影響を受けると言い、ヨーロッパの数人の女性作家がみな文人の愛人を持っていたことを挙げて証拠とした。すると別の者がこれに反論し、それはフロイト説で信用できないと言った。実はこれはフロイト説ではない。フロイトがソクラテスの妻が哲学をまったく解さず、トルストイの妻が文章を書けなかったという反証を忘れるはずがないからだ。そもそも世界文学史上、中国で言う「父子作家」「夫婦作家」などという「肉の麻(きもちわるさ)を面白いと勘違いする」人物がどれほどいただろう? 文学は梅毒とは違い、病原菌がなく、性交で相手に伝染することは決してない。「詩人」がある女を口説くにあたり、まず「女流詩人」に祭り上げるのは、一種の手練手管であって、本当に詩才を彼女に伝染させたのではない。
二願:今後、目線を臍下三寸から離すこと。
(九月二十五日。)
【試験場の三醜 黄棘 】
昔、八股を試験していた頃、三種の答案は受験生にとって大いに面目を失うものであった。後に策論に変わっても、おそらくやはり同じだったろう。第一は「白紙提出」。題目だけ書いて文章が作れない。あるいはそもそも題目すら書かない。しかしこれが最もきれいだ。他に何の枝葉もないからだ。第二は「既刊文の書き写し」。僥倖を期し、刊本の八股を暗記するか持ち込んで、もし題目が合えばそのまま書き写し、試験官の目を欺こうとする。品行は「白紙提出」より当然劣るが、文章は大抵良いので、これまた別段の枝葉はない。第三、最悪なのは出鱈目で、不合格は言うまでもないが、その出鱈目な文章から笑い話を掘り出されてしまう。茶飲み話の種にされるのは、大抵この手のものだ。
「文が通らない」はまだ入らない。たとえ通らなくとも、題目を見て文章を書いてはいるのだし、文章を書いて通らぬ境地に至るのもまた容易ではない。古今の中国文学者で、一句たりとも通らぬ文章がないと誰が保証できよう? 自ら「通じている」と思い込んでいる者もいるが、それは「通じる」「通じない」の区別すら分かっていないからだ。
今年の試験官の類は、中学生の答案の笑い話をしきりに語っている。実のところ、この病根は出鱈目にある。あの問題は、既刊文を書き写しさえすれば、すべて合格できるものだ。例えば『十三経』とは何か、文天祥は何朝の人かなど、自分で頭を絞って考える必要はまったくなく、考えると、かえって駄目になる。そこで文人学士たちは国学の衰退を嘆き、青年の駄目さを嘆き、自分たちこそ文林の碩果であるかのように、もっともらしい顔をする。
だが既刊文の書き写しも容易ではない。もしあの試験官たちを試験場に閉じ込め、いきなりやや馴染みの薄い古典を何題か出せば、出鱈目を書かぬにしても、白紙を提出せぬとは限るまい。こう言うのは、すでに名の成った文人学士を軽んじるためではなく、古典は多く、すべて覚えきれなくとも不思議ではなく、すべて覚えている方がむしろ奇怪だと言いたいだけだ。古書の中には後人が注解を加えたものが少なくないではないか? あれはみな自分の書斎に座り、群書を繙き、類書を翻し、年を重ねてやっと脱稿したもの、しかもなお「未詳」があり、誤りがある。今の青年がそれを指摘する力はないにせよ、別の誰かの「補正」が証人として存在する。しかも補ってはまた補い、正してはまた正す者も、時折あるのだ。
こう見てくると、もし既刊文を書き写してお茶を濁せるなら、その人は今の大人物であり、青年学生が多少間違えるのは、凡人の本分に過ぎない。それなのに世に謗られるとは、彼らの中に冤罪を叫ぶ者がいないのが不思議だ。
(九月二十五日。)
【またも「シェイクスピア」 苗挺 】
ソ連が原本シェイクスピア劇を上演するのは「醜態」の証。マルクスがシェイクスピアに言及したのは当然「誤り」。梁実秋教授がシェイクスピアを翻訳中で、一冊大洋千元。杜衡先生はシェイクスピアを読んで、「もう少し人間としての経験が必要だ」と感じた。
第11節
我々の文学者、杜衡先生は、以前は自分でも「人間としての経験」の不足を感じておらず、群衆を信じていたようだが、莎翁の『ジュリアス・シーザー』を読んで以来、初めて「彼らには理性がない、彼らには明確な利害の観念がない。彼らの感情は完全に数人の扇動者に支配され、操られている」ことが分かったという。(杜衡「莎劇『シーザー伝』に表現された群衆」、『文芸風景』創刊号所載。)もちろん、これは「莎劇」に基づいたもので、杜先生とは無関係であり、彼は今もまだそれが正しいかどうか判断できないと自ら言っているが、自分に「もう少し人間としての経験が必要だ」と感じたことだけは、すでに明白だ。
これが「莎劇『シーザー伝』に表現された群衆」が杜衡先生に与えた影響だ。では「杜文『莎劇シーザー伝に表現された群衆』に表現された群衆」はどうか? 『シーザー伝』に表現されたものと少しも変わらない――
「……これは我々に、ここ数百年来の度重なる政変において頻繁に見られた、『鶏が来れば鶏を迎え、犬が来れば犬を迎える』式の……あの痛ましい情景を思い起こさせる。……人類の進化は一体どこにあるのか? あるいは我々のこの東方の古国は、いまだに二千年前のローマが経験した文明の段階に停滞しているのか?」
まったく、「古をしのぶ幽情を発す」のは、往々にして現在のためだ。こう比べると、ローマにもかつて、理性があり、明確な利害の観念があり、感情が数人の扇動者に支配されも操られもしなかった群衆がいたのではないかと疑いたくなる。ただし駆散され、弾圧され、殺戮されたのだ。シェイクスピアは調査しなかったのか、思い至らなかったのか。だがあるいは故意に抹殺したのかもしれない。彼は古い時代の人だから、この手を使っても手品とは言えない。
しかし彼の貴き手で一たび取捨され、杜衡先生の名文で一たび発揮されると、我々には確かに、群衆は永遠に「鶏来れば鶏を迎え、犬来れば犬を迎える」材料であり、迎えられる側の方がまだ見込みがあるように感じられてしまう。「私に至っては、正直に言えば」、群衆の無能と卑しさは「鶏」「犬」以上だという「心情」さえ幾分か抱いてしまう。もちろん、これは群衆を愛すればこそ、彼らがあまりに不甲斐ないからだ――自分ではまだ判断できないが、しかし「この偉大なる劇作家は群衆をこのように見ているのだ」。信じない者があれば、彼に聞くがよい!
(十月一日。)
【句読を切る難しさ 張沛 】
『袁中郎全集校勘記』を見て、さして重要でもないことを幾つか思いついた。すなわち句読を切る難しさだ。
前清時代、塾師が秘本を繙かず、手ぶらで『四書』に句読を打ち終えれば、田舎では大学者と見なされた。これは滑稽に聞こえるが、大いに道理がある。古本をよく買う人は、時折ある本に出くわす。冒頭に句読が施してあるが、途中で破句が混じり、やがて筆が止まっている。打ちきれなくなったのだ。こうした本は白紙の本より安く買えるが、読んでいて実に不快だ。
古書に標点を施して印刷するのは「文学革命」の頃に始まった。標点を施した古文で学生を試すのは、同時に北京大学で始まったと記憶するが、これはまことに悪戯で、「学に勤しむ子弟」に数々の笑い話を演じさせた。
この時はもう、白話に反対する、あるいは白話には反対しないが古文にも長けた学者たちに、嫌味を言わせるしかなかった。しかし学者たちにも「腕がうずく」ことがあり、時に自ら手を出す。すると少々まずいことになり、何句か切れなかったのは仕方ないとしても、ごく平凡な文さえ破句にしてしまう。
古文はもともと標点を打ちにくいことが多い。例えば『孟子』に一段あり、我々はおおむね次のように読む。「馮婦なる者あり、善く虎を搏つ。卒(つい)に善士と為る。則ち野に之(ゆ)く。衆の虎を逐うあり。虎、嵎(すみ)に負(よ)り、之に撄(ふ)るるを敢えてする莫し。馮婦を望み見れば、趨りて之を迎う。馮婦、臂を攘(まく)りて車を下る。衆は皆之を悦び、其の士たる者は之を笑う。」だが「卒為善、士則之、野有衆逐虎……」と切るべきだと言う人もいる。この「笑う」方の「士」は、先に「則」した「士」であり、そうでなければ「其為士」が唐突すぎるというのだ。だがどちらが正しいか、決め難い。
ただしもし曲調の定まった詞曲、対句の駢文、あるいはさほど難解でない明人小品に、標点する者がまた名士学者であるのに、破句を連発するとなると、蚊に刺されなくても鳥肌が立つ。口では白話がいかに駄目か、古文がいかに良いかと言いながら、一たび手を動かすと古文に破句を打ち、しかもその古文は自分が懸命に称揚している古文なのだ。破句とは、読めていない明白な証拠ではないか? 良い悪いの判断は、どこから来るのか?
古文への標点は、まさに試金石だ。点をいくつ、丸をいくつ打つだけで、本当の色が露わになる。
だがこの話はあまり続けない方がよい。これ以上語れば、近いうちにさらに高尚な議論が現れ、標点は「流れに竿さす」たぐいの代物で「性霊」を損なうから排斥すべし、と言い出しかねないからだ。
(十月二日。)
【奇怪(三) 白道 】
「中国第一流の作家」葉霊鳳・穆時英の両先生が編集する『文芸画報』の大広告は、新聞で早くから見ていた。半月余りして、やっと店頭でこの「画報」を見かけた。「画報」である以上、読者は当然「画報」を見る心で、まず「画」を見る。
見なければよかった。見ると、奇怪だった。
戴平万先生の「瀋陽の旅」に三点の挿図があり、日本人の筆致に似ている。記憶をたどると、ああ、日本の雑誌店で見かけた『戦争版画集』にある料治朝鳴の木版で、奉天での戦勝記念のために作ったものだ。日本が対中国の戦勝を記念する作品が、被征服国の作家の作品の挿図とは――奇怪の一。
さらに繙くと、穆時英先生の「墨緑の上着の令嬢」に三点の挿画があり、メセレルの筆致に似ている。白黒分明で、私は良友公司の翻印した四冊の小冊子で彼の技法を覚えていた。しかもこの木版の署名は明らかに FM の二文字。まさか我々の「中国第一流の作家」のこの作品が、あらかじめフランス語に翻訳してメセレルに挿画を刻らせたのか?――奇怪の二。
今度は文字、「世界文壇瞭望台」だ。冒頭に「フランスのゴンクール賞は、去年意外にも(白注:憎たらしい!)中国を題材とした小説『人間の条件』に授与され、作者はアンドレ・マルロー」とある。しかし「おそらく立場の関係で、この書は文章面ではもっぱら賞讃を受けているが、内容面では一般の新聞評論から一様に攻撃されている。マルローほどの才幹の作家が、なぜ文芸を宣伝の道具にしたのかと惜しむかのように」云々。こう「瞭望」されると、ゴンクール賞の文学審査員たちの「立場」は、「文芸を宣伝の道具にする」ことに賛成するものであった「かのように」なる――奇怪の三。
もっとも、これは私自身の「少見多怪」(見聞が狭くて驚きやすいこと)に過ぎず、他の人はそうは思わないかもしれない。昔の「怪を見る者」は「怪を見て怪しまざれば、その怪自ら敗る」と言ったが、今の「怪」は自ら宣言して「怪しむな」と言っている。巻頭に「編者随筆」がある――
「ただ毎号、さほど重くもない文字と図画を少々提供し、文芸に関心のある読者が、他の深刻な問題に疲れた目を覚ますことができ、あるいは莞爾と一笑するだけのことである。ただそれだけのことだ。」
なるほど「中国第一流の作家」が、以前は「ピアズリー」を活剥ぎし、今年はメセレルを丸呑みするという小技で遊んでいるのは、大才の小用で、人に「他の深刻な問題に疲れた目を覚まさせ、あるいは莞爾と一笑させる」だけのためなのだ。もしこの目覚ましの「文芸画」からさらに問題が生じたら、「深刻」ではないにせよ、結局は「中国第一流の作家」二人の芸の献上の苦心を裏切ることになりはしまいか?
では、私も「莞爾と一笑」しよう――
ハッ!
(十月二十五日。)
第12節
学者あるいは詩人の看板をもって一人の著者を批評あるいは紹介するのは、初めのうちは大いに傍人を欺くことができるが、傍人がこの著者の真相を見極めた時には、ただ自分の不誠実さ、あるいは学識の不足だけが残る。しかしもし傍人が真相を指摘しに来なければ、この作家はそのまま持ち上げて殺され、何年経ってから身を翻せるか分からない。
(十一月十九日。)
【読書の忌 焉于 】
中国の医書には「食忌」がしばしば記載されていたのを覚えている。すなわち、ある二種の食物を同時に食すると人体に害があり、あるいは人を殺し得るという。例えば葱と蜜、蟹と柿、落花生と胡瓜の類である。しかしそれが真実かどうかは知る由もない。実験した人を聞いたことがないからだ。
読書にも「忌」がある。ただし「食忌」とはやや異なる。ある種類の本は決してある種類の本と一緒に読んではならぬ。さもなくば両者の一方が必ず克ち殺され、あるいは少なくとも読者がかえって憤怒を生ずる。例えば今まさに盛んに提唱されている明人の小品、中にはまことに空霊なる篇もある。枕辺、厠上、車中、舟中、これはまことに極上の消遣の品だ。しかしまず読者の心が空空洞洞、混混茫茫でなければならぬ。もしかつて『明季稗史』や『痛史』、あるいは明末遺民の著作を読んだことがあれば、結果は全く異なってくる。この両者は必ず戦いを始め、一方を打ち殺さねば止まぬ。私はこれによって、かの明人小品を憎悪する論者たちの心情をよく理解したと自負している。
この数日、偶然に屈大均の『翁山文外』を見かけた。中に一篇、戊申(すなわち清の康煕七年)八月に書かれた「自ら代北より入京するの記」がある。彼の文筆は、袁中郎に劣るものであろうか。しかしいくつかの箇所は甚だ重みがある。数句をここに抄す──
「……河に沿いて行く。あるいは渡り、あるいは渡らず。しばしば西夷の氈帳を見る。高低一ならず。いわゆる穹廬連なり属して岡のごとく阜のごとし。男女みな蒙古語を話す。乾湿の酪を売る者あり、羊馬の者あり、犛皮の者あり、二頭の駱駝の間に臥す者あり、奚車に坐す者あり、鞍なくして騎する者あり、三両にして行き、戒衣を被る。あるいは赤あるいは黄。小さき鉄輪を持ちて『金剛穢呪』を念ずる者あり。その首に一つの柳筐を頂き、馬糞および木炭を盛る者は、すなわちみな中華の女子なり。みな頭を巻き跣足にて、垢面にして、毛の袄を反り被る。人と牛羊と相い枕藉し、腥臊の気、百余里絶えず。……」
思うに、もしこのような文章を読み、このような情景を想像し、しかも完全には忘れていなければ、たとえ中郎の『広荘』や『瓶史』であっても、積もった憤りを洗い清めることは断じてできず、しかもさらに憤怒を増すであろう。なぜならこれは実に中郎の時代の彼ら相互の標榜よりもさらに悪いからだ。彼らはまだ揚州十日、嘉定三屠を経験していなかったのだ。
明人の小品はよい。語録体も悪くない。しかし私は『明季稗史』の類と明末遺民の作品の方がまことに更によいと思う。今こそまさに句読を施し翻印すべき時だ。皆に少し目を覚まさせるために。
(十一月二十五日。)
第13節
【「お子様お断り」 宓子章 】
この五六年来の外国映画は、まず我々に一通り洋風侠客の勇敢さを見せ、次いで野蛮人の陋劣を、さらに洋風令嬢の曲線美を見せた。しかし目の肥えは広がるもので、ついに何本かの脚では足りなくなり、一大群となる。またぞ足りず、丸裸となる。これが「裸体運動大写真」であり、正々堂々たる「人体美と健康美の表現」ではあるが、しかし「お子様お断り」で、子供はこれらの「美」を見る資格がないのだ。
なぜか。宣伝にこのような文句がある──
「一人のこの上なく聡明な子供が言った。『あの人たちはどうして体の向きを変えてくれないの?』」
「一人の十分に厳格な父親が言った。『どうりで劇場は子供を断るわけだ!』」
これはもちろん文学者の虚構の妙文に過ぎない。なぜならこの映画は最初から「お子様お断り」を掲げているのだから、子供は見ようがないのだ。しかしもし本当に見せたとして、彼らはこのような質問をするだろうか。おそらくそうかもしれない。しかしこの質問の意味は、恐らく張生が唱う「ああ、どうして顔を向けてくれないのだ」とは全く異なり、実は映画中の人物の態度の不自然さが不思議に思われただけであろう。中国の子供は比較的早熟かもしれず、性的感覚が比較的鋭いかもしれぬが、成人した「父親」よりも心が不浄であるとまではゆくまい。もしそうであるなら、二十年後の中国社会はまことに恐ろしいものだ。しかし事実上はおそらく決してそうはならぬゆえ、あの答えはこう改めた方がよい。
「わしが満足できぬようにするためだ。全くけしからん!」
ただしこう言う「父親」もおそらくいまい。彼はいつも「己の心をもって人の心を度る」のであり、度った後にこの心を無理に他人の胸中に押し込め、自分のものではないふりをして、他人の心は自分ほど清浄ではないと言う。裸体の女性が皆「体の向きを変えない」のは、実はまさにこの類の人物に対処するためなのだ。彼女たちはまさか白痴ではあるまい。「父親」の目つきが、その子供よりもさらに不真面目であることすら知らぬわけがあろうか。
しかし中国社会はやはり「父親」類の社会であるから、芝居を演じれば「母親」類が身を献じ、「息子」類が謗りを受ける。たとえ危急の関頭に至っても、やはり何かと「木蘭従軍」「汪踦衛国」で、「女子と小人」を押し出して防ぎとするのだ。「我が国民はいかにしてその後を善くするや。」
(四月五日。)
第14節
【古人は必ずしも純厚ならず 翁隼 】
年長の人々はしばしば言う。古人は今人より純厚で、心がよく、寿命が長いと。私も以前はいくらか信じていたが、今やその信仰は揺らいでいる。ダライ・ラマは普通の人より心がよいはずだが、「不幸にして短命にして死せり」とはいえ、広州で開かれた耆英会では確かに一群の長寿翁・長寿媼が集められ、百六歳の老婆がまだ針に糸を通せるのは写真で証明されていた。
古今の心の善し悪しは、比較するのがなかなか難しく、詩文に教えを求めるしかない。古の詩人は名高き「温柔敦厚」であるが、中にはなんと「時日いずくんぞ喪びん、予汝とともに亡びん!」と言う者もいた。なんと悪辣なことか。さらに奇妙なのは、孔子が「校閲」した後も、これを削らず、なお「詩三百、一言もってこれを蔽う。曰く、思い邪なし」と言っていること。聖人もまた可悪とは思わなかったらしい。
さらに現存の最も通行する『文選』があるが、聞くところによれば、もし青年作家が語彙を豊かにし、あるいは建築を描写しようとすれば、必ずこれを見なければならぬという。しかし我々がもし中の作家を調査すれば、少なくとも半分は非業の死を遂げている。もちろん心が悪かったからだ。昭明太子の選択を経て、確かに語彙の祖師のようになったが、当時はおそらくまだ個人の主張も偏激な文字もあったのだ。さもなくばその人は伝えられなかったはずで、唐以前の史書の文苑伝を繰ってみれば、おおむね旨意を承けて檄を草し頌を作る人であるが、しかしそれら著者の文章で今日まで伝わるものはかえって甚だ少ない。
こう見てくると、古書をまるごと翻印するのも危険がないとは言えぬ。近頃たまたま石印の『平斎文集』を見かけたが、著者は宋人であり、古くないとは言えぬが、しかしその詩は規範とし難い。例えば「狐鼠」を詠じて曰く、「狐鼠一窟を擅にし、虎蛇九逵を行く。天に眼あるを論ぜず、ただ地に皮なきを管ぜよ……。」また「荊公」を詠じて曰く、「禍胎を養い成して身始めて去り、依然として鐘阜人に向かいて青し。」かの当路を指斥する口吻は、今人の見慣れぬところだ。「八大家」の欧陽修は、偏激な文学者とは言えまいが、しかしあの『李翱の文を読む』の中にはこうある。「ああ、位に在りて自ら憂うることを肯ぜず、また他人を禁じて皆憂うることを得ざらしむ、嘆ずべきかな!」これもまた甚だ憤懣としている。
しかし後人の一番の選択を経ると、たちまち純厚になるのだ。後人が古人を純厚にすることができるならば、後人が古人より更に純厚なのは明らかである。清朝にはかつて勅定の『唐宋文醇』と『唐宋詩醇』があった。これは皇帝が古人を純厚に仕立てた好い標本であり、まもなくこれを翻印して「狂瀾を既倒に挽かん」とする者が出るかもしれぬ。
(四月十五日。)
第15節
【法会と歌劇 孟弧 】
『時輪金剛法会募金趣意書』にこのような一節がある。「古人ひとたび災厄に遭えば、上は己を罪し、下は身を修む……今や人心漸く衰えり、仏力の加被に頼らずんば、この浩劫を消除する由なし。」恐らく今もまだ覚えている人がいるだろう。これを読むとまことに自分も他人も半文の値打ちもなく、治水も除蝗も全く無益で、「あるいは自業を消し、あるいは他の災いを免れん」と思えば、パンチェン大師にお出まし願って仏菩薩の加護を祈るしかないという気にさせられる。
堅く信じている人々は必ずいる。さもなくば、どうして巨額の寄付を募れようか。
しかし畢竟「人心漸く衰え」たらしく、中央社十七日杭州電に曰く、「時輪金剛法会は本月二十八日に杭州にて啓建せらるるが、併せて梅蘭芳、徐来、胡蝶を招き、会期中五日間歌劇を上演することに決せり。」梵唄の円音が、軽歌曼舞に「加被」せらるるとは、意表に出ずるにあらずや。
かつて我が仏が説法したまいし折、天女の散花ありと聞く。今、杭州にて会が啓かるるに、我が仏がおそらく親しく臨みたまうまじきとすれば、梅郎に権りに天女に扮することを恭請するのも、むろん不可ではあるまい。しかしモダンガールたちと何の関係があろうか。まさか映画スターや標準美人が歌を唱えば、「この浩劫を消除」できるというのか。
おおよそ、人心が「漸く衰え」んとする前に、仏を拝む人はすでに余興を兼ねて見たがるようになっていた。寄付に限りがあり法会が大きくない時には、坊主たち自らが飛鉢を演じ、歌を唱って善男善女を満足させたが、これはまた道学先生たちをも首を振らせた。パンチェン大師は開会を「印可」するのみにして『毛毛雨』を歌わぬのは、まことに仏旨に適っているが、不意にも同時に歌劇まで上演されるとは。
原始人と現代人の心は、おそらくかなり異なるものがあろうが、もし隔たりがわずか数百年であれば、たとえ若干の差異はあっても、微々たるものであろう。祭りで芝居を演じ、香市で美女を見るのは、まさに「古よりこれあり」の芸当である。無量の福を積み、かつ視聴の娯楽を極め、現在も未来もよいことがある──これが古来仏事を興行する呼び声の力なのだ。さもなくば、黄色く太った坊主がお経を唱えるだけでは、参加者は必ずしも踊躍せず、浩劫は消除の望みがないであろう。
しかしこの手配は、婆心より出たりとはいえ、やはり「人心漸く衰えり」の徴候である。我々に疑いを抱かせる。我々自身はこの浩劫を消除する資格がないとして、この後はパンチェン大師に頼るべきか、それとも梅蘭芳博士か、ミス徐来か、ミス胡蝶か。
(四月二十日。)
第16節
【洋服の没落 韋士繇 】
数十年来、我々はいつも自分に合った服がないことを恨んできた。清朝末年、革命の色彩を帯びた英雄たちは辮髪を恨むのみならず、馬褂や袍子も恨んだ。それは満洲の服だったからだ。ある老先生が日本に遊歴し、あちらの服装を見て大いに喜び、雑誌に文章を載せて「図らずも今日再び漢官の儀を見る」と題した。彼は古装の復活に賛成したのだ。
しかし革命の後に採用されたのは洋装であった。皆が維新を志し、便捷を求め、腰骨をまっすぐにしたかったからだ。少年英俊の輩は自ら洋装であるのみならず、他人が袍子を着るのを嫌悪した。当時聞くところによれば、樊山老人のもとへ行って、なぜ満洲の衣裳を着るのかと詰問した者もいたそうだ。樊山は問い返して曰く、「君の着ているのはどこの服かね。」少年は答えて曰く、「私が着ているのは外国の服です。」樊山曰く、「わしが着ているのも外国の服だ。」
この話はかなり一時に伝誦され、袍褂党を眉を揚げさせた。ただしその中にはいくらか革命に反対する意味が含まれており、近日の衛生のため、経済のためとは大いに異なる。その後、洋服はついに華人と次第に仲たがいし、袁世凱の御代に袍子馬褂を常礼服と定めたのみならず、五四運動の後、北京大学が校風を整飭するため制服を規定しようとして学生に公議させたところ、その議決もまた袍子と馬褂であった。
今回洋服が採用されなかった理由は、まさに林語堂先生の言うように衛生に合わないからだ。造化が我々に賜うた腰と首は本来屈曲できるもので、腰を曲げ背を屈めるのは中国では常態である。逆のものすら甘んじて受けるのだから、順のものはなおさら甘んじて受けるべきだ。ゆえに我々は最も人体を研究し、その自然に順じてこれを用いる人民なのだ。首が最も細いので斬首を発明し、膝関節が曲がるので跪拝を発明し、臀部は肉が多くかつ致命的でないので尻叩きを発明した。自然に反する洋服は、かくして次第に自然と没落していったのだ。
この洋服の遺跡は、今やモダンな男女の身にのみ残留しているに過ぎず、あたかも辮髪や纏足が頑固な男女の身にたまに見られるのと同じだ。ところが思いもかけず、また一通の催命符がやって来た。硫酸がこっそり背後から撒かれたのだ。
これをどうすればよいのか。
古制に復そうにも、黄帝から宋明に至る衣裳は一時にはとても分からぬ。舞台の扮装に倣おうにも、蟒袍に玉帯、白底に黒靴で、自動車に乗って西洋料理を食べるのは、やはりいささか滑稽を免れまい。ゆえに変えに変えて、おおよそやはり袍子馬褂が安定であろう。外国の服ではあるが、恐らく脱ぐことはあるまい──これはまことにいささか不思議である。
(四月二十一日。)
第17節
【友人 黄凱音 】
私は小学校の頃、同級生たちの手品を見て──「耳で字を聞く」だの「紙人形が血を流す」だの──甚だ面白いと思った。廟の縁日にはこれらの手品を伝授する人がいて、銅貨数枚で一つ覚えられたが、覚えてしまうとたちまち興醒めした。中学に入ったのは城内で、意気揚々と大きな手品を見たが、後に誰かが手品の秘密を教えてくれ、それから輪の傍に近づく気がしなくなった。昨年上海に来て、ようやくまた退屈を紛らわす場所を得た。映画を見ることだ。
しかしまもなく本の中で映画フィルムの製造法を少し読み、見たところ千丈の断崖のようなものが実は地面から数尺に過ぎず、奇鳥怪獣もすべて紙製であると知った。これにより映画の神秘を感じなくなり、かえって往々その破綻ばかり気にするようになって、自分も退屈になった。
第18節
三度目にして退屈を紛らわす場所を失ったのだ。時には、あの本を読んだことを後悔し、著者が製造法を書くべきでなかったと恨むことさえあった。
暴露する者は種々の秘密を暴き、人のためになると思っている。しかし退屈な人間は、退屈を紛らわすために、欺かれることに甘んじ、自ら欺くことに安んじている。さもなくばもっと退屈になるからだ。このために手品は天地の間に長く存続し、このために幽暗を暴露することは欺く者に深く悪まれるのみならず、欺かれる者にも深く悪まれるのだ。
暴露する者は有為の人々の中でのみ益があり、無聊の人々の中では滅びるしかない。自救の道はただ、一切の秘密を知りつつも顔色を変えず、欺くことに加担し、欺かれることに甘んずる無聊の人々を欺き、無聊な手品が次から次へと、結局は反復して続くままにしておくことだ。周囲には必ずこれを見る人がいるのだ。
手品師は絶えず拱手して言う、「……一歩家を出れば朋友が頼り!」と。これにはいくらか手品の種を知る者に向けて発せられた意味がある。西洋の種明かしをされぬようにするためだ。
「朋友とは義をもって合するものなり」──しかし我々は古来しばしばこのようには解さなかった。
(四月二十二日。)
第19節
【清明の頃 孟弧 】
清明の頃は墓参りの季節で、ある者は関内に入って祖先を祭ろうとし、ある者は陝西に墓参りに行く。激論は天を沸かせ、歓声は地を揺るがし、まるで墓参りで国が滅びも、国が救われもするかのようだ。
墓にこれほど大きな関係があるとすれば、墓を掘ることはもちろん許されまい。
元朝の国師パクパは、墓を掘ることの利害を深く信じていた。彼は宋陵を掘り開き、人骨を豚犬の骨と一緒に埋めて宋室を不運にしようとした。後に幸いにも一人の義士に盗まれ、目的は達せられなかったが、しかし宋朝はやはり滅んだ。曹操は「摸金校尉」の類の職員を設けて専ら盗墓に当たらせたが、彼の息子は皇帝になり、自分は「武帝」と諡された。いかに威風堂々たることか。こう見ると、死者の安危と生者の禍福とは、やはり関係がないようでもある。
伝えるところによれば、曹操は死後に墓を掘られることを恐れ、七十二の疑冢を造り、人を手出しできなくした。そこで後の詩人が曰く、「あまねく七十二の疑冢を掘れば、必ず一冢に君の屍を葬れるあらん。」そこで後の論者がまた曰く、「阿瞞は老獪至極、その屍が実にこの七十二冢の内にあらざることを安んぞ知らんや。」まことに手の施しようがない。
阿瞞はまさに老獪至極ではあるが、思うに疑冢の類は必ずしも手配しなかったであろう。ただ古来の冢墓は大抵発掘された者が多く、冢中の人の主名が確かなものも甚だ少ない。洛陽の邙山では清末に墓を掘る者が甚だ多く、名公巨卿の墓の中でさえ、得られるものは大抵一枚の墓誌石と散乱した陶器であった。元来貴重な殉葬品がなかったのではなく、すでに誰かが掘って持ち去ったのだ。いつのことかは知る由もない。とにかく葬った後から清末の盗掘のその日までの間であろう。
墓中の人が畢竟いかなる人であるかは、掘った後でなければ往々分からぬ。たとえ伝承の主名があっても、大抵当てにならぬ。中国人は古来、大人物に関係のある名勝を造るのが好きだ。石門には「子路止宿の処」あり、泰山の上には「孔子天下を小とする処」あり。一つの小さな洞穴には大禹が埋められ、幾つかの大きな土饅頭には文王・武王・周公が葬られているという。
もし墓参りが確かに国を救えるのであれば、参るなら正確に参らねばならず、文王・武王・周公の陵を参って、他人の土饅頭を参ってはならず、さらに自分が周朝の子孫であるかどうかも調べねばならぬ。そこで考古の作業が必要になる。すなわち墓を掘り開いて、文王・武王・周公旦が葬られている証拠があるかどうかを見、もし遺骨があれば『洗冤録』の方法で血を滴らすこともできる。しかしこれはまた墓参り救国説と矛盾し、孝子順孫の心を大いに傷つける。やむなく、ただ目を閉じ頭を強くしてでたらめに拝むしかない。
「其の鬼にあらずしてこれを祭るは、諂なり!」ただ墓参り救国術に霊験がないのは、まだ小さな笑い話に過ぎない。
(四月二十六日。)
第20節
【小品文の生機 崇巽 】
昨年は「ユーモア」が大いに運の開けた時で、『論語』のほかにも、開口一番ユーモア、口を閉じてもユーモア、この人もユーモリスト、あの人もユーモリストであった。ところが今年はたちまち大いに面目を失い、これも駄目、あれも駄目、一切の罪悪はすべてユーモアに帰せられ、ひいては文壇の道化役に比せられるに至った。ユーモアを罵ることは入浴のようなもので、一度やりさえすれば自分は清浄になれるかのようだ。
もし真に「天地は大戯場」であるならば、文壇にもちろん道化役は必ずいる──しかしまた必ず黒頭もいる。道化役が道化芝居を演じるのはごく当たり前だが、黒頭が道化芝居に転じるとなると甚だ奇妙だ。しかし大戯場では時にまことにこういうことがある。これが正直な人を歪んだ心の人に従って嘲罵させ、情熱の人を憤らせ、感じやすい人の心を酸くするのだ。唱い方が素人で人を笑わせないからか。いや、彼は本物の道化よりもさらに可笑しいのだ。
あの怒りと心酸は、黒頭が道化に転じた後、事がまだ終わっていないからだ。芝居には何人かの役柄が必要で、生、旦、末、丑、浄、そして黒頭。さもなくばその芝居も長くは続かぬ。ある原因のために黒頭が道化に転じざるを得ぬ時は、慣例としてかならず道化がかわりに黒頭を演じるのだ。唱工のみならず、黒頭が厚かましく道化に扮し、道化が胸を張って黒頭を学ぶ。戯場には白鼻の道化と黒面の道化ばかりが増え、天下の大いなる滑稽となる。しかし滑稽であるのみで、ユーモアではない。ある人曰く、「中国にユーモアなし」と。これがまさにその注脚だ。
更に嘆かわしいのは、「ユーモアの大家」と諡された林先生が、なんと「自由談」で古人の言葉を引いたことだ。曰く、「夫れ飲酒猖狂なるも、あるいは沈寂として聞こえざるも、またただ身を潔くし自ら好しとするのみ。今の世の癩鼈、身を潔くし自ら好しとする者に亡国の罪を負わしめんと欲す。もししからば『今日烏合し明日鳥散し、今日戈を倒し明日軾に馮り、今日君子たり明日小人たり、今日小人たり明日また君子たる』の輩は罪なかるべし」と。引用はなお小品の域を出ぬとはいえ、「ユーモア」あるいは「閑適」の道からは遠い。これもまた一つの注脚だ。
しかし林先生が、近頃各紙の『人間世』への攻撃は系統だった変名の手品だと考えたのは誤りで、その証拠は異なる論旨と異なる作風だ。中には確かに、かつて驥尾に附しながらも遂に竜門に登れなかった「名人」や、黒頭に扮してはいるが実は真正の道化の茶々もあるが、しかしまた熱心な人の正論もある。世態はかくの如く紛糾しており、たとえ小品といえども、まさに分析と攻戦が必要であることが分かる。これこそがあるいは『人間世』の一縷の生機であろう。
(四月二十六日。)
第21節
【刀「式」弁 黄棘 】
今月六日の「動向」に、阿芷先生が楊昌渓先生の大作『鴨緑江畔』がファジェーエフの『壊滅』に酷似していることを指摘した文章が載っていた。その中には例証も挙げられていた。これを「英雄の所見略ぼ同じ」とは言えまい。なぜなら丸呑みの有様があまりにも明白だからだ。
しかし丸呑みにも技量がいるのであり、楊先生はいささか足りないようだ。例えば『壊滅』の訳本の冒頭は──
「石段の上でがちゃがちゃと傷のついた日本の指揮刀が鳴り、レーヴィンソンは裏庭へ行った。……」
そして『鴨緑江畔』の冒頭は──
「金蘊声が庭園に入った時、彼のあの傷のついた日本式の指揮刀が石段の上でパチパチと鳴っていた。……」
人名が違うのは当然のこと。音が違うのも大したことではない。最も特異なのは、彼が「日本」の下に「式」の一字を加えたことだ。これもあるいは無理もない。日本人でないのに、どうして「日本の指揮刀」を佩くのか。きっと日本の式に倣って自分で鍛造したのだろう。
しかし我々がもう一度考えてみよう。レーヴィンソンが率いていたのは襲撃隊であり、もちろん敵を襲撃するが、武器も鹵獲する。自軍の軍器は不完全であり、何か手に入ればすぐに使う。ゆえに彼が佩いていたのはまさに「日本の指揮刀」であり、「日本式」ではないのだ。
文学者が小説を読み、しかも剽窃の準備をしているとすれば、関係は密接であると言えよう。それでいてなおこれほど粗忽であるとは、嘆かわしいではないか。
(五月七日。)
第22節
【変名の新法 白道 】
杜衡こと蘇汶先生が今年、文壇の二種の秘密にして悪弊をも暴いた。一つは批評家の仲間内のなれ合い、もう一つは文人の変名だ。
しかし彼はまだ言わずに取っておいた秘密がある――
なれ合いの中にはもう一種、書店の編集者が使う「ゴム輪」がある。大きくも小さくもなれ、丸くも四角くもなり、この書店の出版物でさえあれば、こっちに輪を掛けて「よし」、あっちに輪を掛けても「よし」だ。
変名に至っては、別人に化けるだけでなく、一つの「社」にもなれる。この「社」は文を選び、論を立て、某の作品だけが「よし」、某の創作も「よし」と言えるのだ。
例えば「中国文芸年鑑社」編の『中国文芸年鑑』冒頭の「鳥瞰」。その「瞰」法によれば、蘇汶先生の議論は「よし」、杜衡先生の創作も「よし」だ。
しかし実際にはこの「社」はどこにも見つからない。
この「年鑑」の総発行所を調べてみよ。現代書局。『現代』誌の最終頁の編集者を見よ。施蛰存、杜衡。
Oho!
孫悟空は神通広大で、鳥獣虫魚に化けるだけでなく、寺院にもなれる。目は窓に、口は山門に化けたが、尻尾だけは置き場がなく、旗竿に化けて寺の裏に立てた。だが旗竿が一本しかない寺院があるだろうか? 二郎神に見破られた綻びはここにあった。
「万やむを得ぬ場合を除き」、「私が望む」のは、文人が「社」に化けないことだ。もし自画自賛のためだけなら、それはまことに「近くまた些か卑劣」というものだ。
(五月十日。)
第23節
【何冊か本を読もう 鄧当世 】
死んだ本を読めば本の虫になり、甚だしきは本棚と化す。早くから反対する者がいた。時は絶えず進み、反読書の思潮もいよいよ徹底して、ついにはあらゆる本を読むことに反対する者が現れた。その論拠はショーペンハウアーの古い言葉で、他人の著作を読むのは、自分の脳内で著者に馬を走らせてやるだけだという。
これは死んだ本を読む人々には確かに痛い一撃だが、探究するよりダンスを踊れ、あるいはただ空しく暴れ、やみくもに愚痴をこぼす天才のためには、紹介に値する金言でもある。ただし注意すべきは、この金言に死んでもしがみつく天才の脳内では、まさにショーペンハウアーに一走りさせられ、踏み荒らされて一塌糊塗になっているということだ。
今、牢騒を発しているのは批評家だ。ましな作品がないから。創作家も牢騒を発している。正確な批評がないから。張三が李四の作品は象徴主義だと言えば、李四も自らを象徴主義と思い、読者も当然それを象徴主義と思う。しかし象徴主義とはどういうものか、昔からはっきりさせたことがなく、仕方なく李四の作品をもって証拠とする。だから中国の所謂象徴主義と外国の所謂 Symbolism は同じではない。前者は後者の訳語のはずだが、メーテルリンクが象徴派の作家だと聞けば、李四は中国のメーテルリンクとなる。その他、中国のアナトール・フランス、中国のバビット、中国のジルポワタン、中国のゴーリキー……まだまだたくさんいる。しかし本物のフランスたちの作品の翻訳は中国には甚だ少ない。「国産品」があるからか?
中国文壇では、国産文人の寿命が実に長すぎ、舶来文人の方は実に短すぎる。名前を覚えたばかりで、もう古いと言われる。イプセンは全集を出す気配はあったが、今に至るも第三巻が見えず、チェーホフやモーパッサンの選集も竜頭蛇尾の運勢をたどったようだ。だが我々が深く忌み嫌う日本では、『ドン・キホーテ』と『千一夜物語』は全訳があり、シェイクスピア、ゲーテ……はみな全集がある。トルストイのは三種、ドストエフスキーのは二種。
死んだ本を読むのは自分を害し、口を開けば人を害す。だが本を読まなくとも必ずしもよいわけではない。少なくとも、例えばトルストイを批評するなら、彼の作品は数冊は読まねばならない。もちろん今は国難の時で、どうしてこんな本を訳し、こんな本を読む暇があろうか。だが私が提案しているのは、ただ暴れ回り愚痴をこぼすだけの大人物に対してであって、まさに国難に赴き、あるいは「臥薪嘗胆」している英雄に対してではない。ある種の人物は、たとえ本を読まなくとも、ただ遊んでいるだけで、決して国難に赴きはしないからだ。
(五月十四日。)
第24節
【一考してから行動せよ 曼雪 】
もしそれによって国政を決し、戦争を布くのでなければ、友人の間でユーモアの一つ二つを言い、互いに莞爾と笑い合うのは、大勢に関わりないと思う。革命の専門家でさえ、時に手を後ろに組んで散歩する。理学の先生も子女がいないわけにはゆかず、日夜つねに道学者然として厳かではないことを証明している。小品文はおそらく将来も文壇に存在し得るだろうが、「閑適」を旨とするだけでは、やや物足りない。
人の世の事、坊主が憎ければ袈裟まで憎い。ユーモアと小品は当初、誰が異議を唱えたか。ところがどっと一斉に天下挙げてユーモアと小品になり、ユーモアがそんなにあるはずもなく、ユーモアは滑稽と化し、滑稽は笑い話と化し、笑い話は風刺と化し、風刺は罵倒と化す。油腔滑調がユーモアで、「空朗らかにして気清し」が小品で、鄭板橋の「道情」を一度読めばユーモアを十日語り、袁中郎の尺牘を半冊買えば小品を一巻作る。これで身を立てようとする者がいれば、勢い、これに反対して名を成そうとする者もあり、かくてまたどっと天下挙げてユーモアと小品を罵る。実のところ、付和雷同の輩は今年も去年と同様、少なくないのだ。
黒塗りの皮灯籠を手に、互いに何が何やら分からない。とにかく、一つの名詞が中国に帰化すると、たちまち一団糟となる。偉人は、以前は良い呼び名だったが、今ではこう呼ばれるのは罵られるに等しい。学者や教授は、二、三年前にはまだ清潔な称号だった。自愛ある者が文学者の称号を聞いて逃げ出すのは、今年すでに第一歩が始まった。だが世界に本当の偉人、本当の学者や教授、本当の文学者はいないのか? そうではない。ただ中国だけが例外なのだ。
仮にある人が路傍に唾を一つ吐き、自分でしゃがんで見ていると、たちまち一群の人だかりができる。また仮に別の人がいきなり一声叫んで走り出すと、たちまち皆が逃げ散る。まったく「何を聞いて来たり、何を見て去る」か分からぬのに、心に不満を抱き、その得体の知れぬ対象を「畜生!」と罵る。だが唾を吐いた者も一声叫んだ者も、結局のところやはり大人物なのだ。もちろん、沈着で地に足のついた人々はいる。だが偉人などの名の尊ばれたり貶められたりは、概して唾の代わりにされているだけだ。
社会がこれで賑わいを増すのは、感謝に値する。だが烏合の前に一考し、雲散の前にもう一考すれば、社会は必ずしも冷静にならずとも、もう少しましにはなるだろう。
(五月十四日。)
第25節
【己を推して人に及ぼす 夢文 】
何年前だったか忘れたが、ある詩人が私を教え諭して言った。愚衆の世論は天才を罵り殺す。例えば英国のキーツがそうだと。私はそれを信じた。去年、何人かの名作家の文章を見ると、批評家の漫罵は良い作品を萎縮させ引っ込めさせ、文壇を荒涼冷寂にすると言っている。もちろん、私はまたそれを信じた。
私も作家たらんとする者であり、しかも自分が確かに作家であると感じているが、まだ罵られる資格を得ていない。創作を書いたことがないからだ。萎縮して引っ込んだのではなく、まだ這い出していないのだ。這い出せない原因は、きっと私の妻と二人の子供の喧騒のせいだ。彼女たちもまた漫罵の批評家と同様、その職務は真の天才を滅ぼし、良い作品を怯えさせ退却させることにある。
幸い今年の正月、私の義母が娘に会いたいと言い、彼女たち三人は田舎に帰った。私はまさに耳目清浄、猗歟休哉、偉大な作品を生み出す時代が到来した。ところが不幸なことに、今やすでに旧暦の四月初め、丸三か月も静かにしていたのに、まだ何一つ書けていない。もし友人に成果を問われたら、何と答えたらよいのか? まだ彼女たちの喧騒のせいにできようか?
そこで私の信念がいささか揺らいだ。
私には元来、良い作品など書けるはずがなく、彼女たちの喧騒とは無関係なのではないか。しかもいわゆる名作家にも、良い作品などありはせず、批評家の漫罵とも関係ないのではないか、と疑い始めた。
ただし、喧騒する者あり、漫罵する者あれば、作家に作品がないことの隠れ蓑にはなり得る。本来あるはずだったのに、あの連中に台無しにされたのだと言えるのだから。かくして彼は落ちぶれた小生のごとく、たとえ作品がなくとも、見物客から一掬また一掬の同情の涙を勝ち得ることができる。
仮に世に天才が本当にいるなら、漫罵の批評はその人を損なう。作品を罵って退却させ、作家たらしめない。しかし漫罵の批評は、凡才にとっては有益で、作家たる地位を保たせてくれる。ただし作品は怯えて退却したことになっている。
この三か月余りで私に浮かんだ「インスピレーション」はただ一つ、ロラン夫人の口調を借りて言えば、「批評よ批評よ、世のいかほどの作家、汝の罵りを借りて存す!」
(五月十四日。)
第26節
【偶感 公汗 】
東三省の陥落と上海の戦闘の折、砲声は聞こえても砲弾の心配はない大通りでは、至る所で『推背図』が売られていた。人々が早くも敗因を天命に帰したがっていたのが分かる。三年後、華北も華南も危急に瀕しているのに、上海に出現したのは「碟仙(コックリさん)」だ。前者が関心を寄せたのはまだ国運であったが、後者はもっぱら試験問題、くじ、亡霊を尋ねるだけだ。着眼の大小は大いに異なるが、名目はさらに立派だ。なぜならこの「霊乩」は、中国の「留独学生・白同君の発明」にかかり、「科学」に合致するからだ。
「科学救国」と叫ばれて十年近く、誰もがこれは正しいと知っている。「ダンス救国」「拝仏救国」の類ではない。青年が留学して科学を学ぶ者あり、博士が科学を学んで帰国する者あり。ところが中国にはやはり独自の文明があり、日本とは違うのであって、科学は中国文化の不足を補うどころか、かえって中国文化の高深を証明してしまった。風水は地理学に合致し、門閥は優生学に合致し、錬丹は化学に合致し、凧揚げは衛生学に合致する。「霊乩」の「科学」に合致するも、その一つに過ぎない。
五四の時代に陳大齊先生がかつて扶乩の欺瞞を暴く論を書いたが、十六年後に白同先生が碟子で扶乩の合理性を証明した。これではまったく、何と言ってよいか分からない。
しかも科学は中国文化の高深をさらに証明しただけでなく、中国文化の発揚をも助けた。麻雀卓のそばでは電灯が蝋燭に取って代わり、法会の壇上ではマグネシウム光がラマ僧を照らし、無線放送が日々流すのは、『狸猫換太子』、『玉堂春』、『ありがとう小雨さん』ではないか?
老子曰く、「之が為に斗斛を作りて以て之を量らば、則ち斗斛と併せて之を窃む」と。ロラン夫人曰く、「自由よ自由よ、いかほどの罪悪、汝の名を仮りて行わる」と。新しい制度、新しい学術、新しい名詞が中国に伝わるたびに、まるで黒い染め壷に落ちたかのように、たちまち真っ黒になり、私利を済し焔を助ける道具と化す。科学もまた、その一つに過ぎない。
この弊害が去らぬ限り、中国に薬はない。
(五月二十日。)
第27節
【秦理斎夫人の事を論ず 公汗 】
ここ数年、新聞に経済的圧迫や礼教の制裁のために自殺した記事がしばしば見られるが、このために口を開き、あるいは筆を執る者は甚だ少ない。ただ最近の秦理斎夫人とその子女、一家四人の自殺だけは、少なからぬ反響を呼んだ。後にはこの事件の新聞記事を懐にしたまま自殺した者まで現れ、その影響の大きさが分かる。思うに、これは人数が多かったからだ。単独の自殺では、もはや皆の注目を集めるに足りなくなったのだ。
あらゆる反響の中で、この自殺の主謀者——秦夫人に対しては、恕辞も加えられはしたが、結論は非難に他ならなかった。なぜなら——評論家が言うには——社会は暗黒だとしても、人生の第一の責任は生存であり、自殺するのは職務怠慢だ。第二の責任は苦しみを受けることであり、自殺するのは安逸への逃避だ。進歩的な評論家は人生は戦闘であると言い、自殺者は逃兵であり、たとえ死んでも罪を免れぬと。これも言えなくはない。だが大雑把に過ぎる。
世に犯罪学者あり、一派は環境に由ると言い、一派は個人に由ると言う。今流行しているのは後者で、もし前者を信じれば、犯罪をなくすには環境を改造せねばならず、事が面倒で恐ろしくなるからだ。秦夫人の自殺の批判者は、概して後者に属する。
たしかに、自殺した以上、これは彼女が弱者であったことを証明している。だが、なぜ弱者になったのか? 肝心なのは、彼女の舅の書簡を見ることだ。帰って来いと言うために、両家の名声を以て脅し、亡夫の乩語を以て心を動かそうとした。さらに彼女の弟の挽聯も見るべきだ。「妻は夫に殉じ、子は母に殉じ……」と、千古の美談と見なす気配が大いにあるではないか。このような家庭で生まれ育ち薫陶を受けた者に、弱者にならずにいられようか? 我々は確かに奮闘を求めてよいが、暗黒の呑み込む力は孤軍をしばしば圧し、しかも自殺の批判者は必ずしも戦闘の応援者ではなく、他人が奮闘する時、苦闘する時、敗れる時には、おそらく鴉雀無声なのだ。窮郷僻壤や都会の中で、孤児寡婦、貧女労人が運命に従って死に、あるいは抗っても結局死なざるを得ぬ者がどれほどいるか。だが誰の口にのぼり、誰の心を動かしただろうか? まさに「溝の中で自ら首をくくりて之を知る者莫し」だ!
人は確かに生存すべきだが、進化のためにだ。苦しみを受けてもよいが、将来のあらゆる苦しみを解消するためにだ。さらに戦うべきだが、改革のためにだ。他人の自殺を責める者が、一方で責めながら、人を自殺へ追いやる環境に挑戦し、攻撃すべきだ。もし暗黒の主力に対しては一言も呈さず、一矢も放たず、ただ「弱者」に向かってくどくどと言い続けるならば、たとえ彼がいかに義憤にかられた形相をしようと、私は言わざるを得ない——私もまた堪えかねた——彼は実は殺人者の共犯に過ぎないのだ。
(五月二十四日。)
第28節
【「……」「□□□□」論補 曼雪 】
徐先生が『人間世』でこの題名の論を発表された。この道において、私はそれほど深く究めてはいないが、「愚者の千慮にも必ず一得あり」で、少し補いたい。もちろん、浅薄なこと甚だしいが。
「……」は洋物で、五四運動以後に初めて輸入された。以前、林琴南先生が小説を訳す時に「此の語未だ完(お)わらず」と注記していたのが、この記号の翻訳だ。洋書では普通六点を用いるが、吝嗇な者は三点しか使わない。しかし中国は「地大物博」で、同化の際に次第に伸び、九点、十二点、ついには数十点にもなった。ある種の大作家に至っては、少なくとも三、四行は点を打ち、その中の奥義が無窮無尽にして、まことに言語で形容し難いことを示す。読者も大抵そう思い、その奥義が感じ取れないなどと言おうものなら、低能児と見なされる。
だが結局のところ、アンデルセンの童話「皇帝の新しい服」に似て、実は何もないのだ。ただし子供でなければ、正直に大声でそう言い出す者はいない。子供は文学者の「創作」を読まないから、中国では誰も言い破る者がいない。だが天候はいずれ寒くなり、裸では一年中路上を歩けない。結局は宮中に隠れ込むしかなく、数行に点を打つだけの妙文も、近頃はあまり見かけなくなった。
「□□」は国産品で、『穆天子伝』にすでにこの代物がある。先生は私に教えて曰く、闕文(欠字)だと。この闘文もかつて事を起こした。「口生垢、口戕口」の三つの「口」の字も闕文だと誰かが言い、また誰かにひどく罵られた。ただし以前は古人の著作にのみ見られ、補いようがなかったのに、今では今人の著作にも見られるようになり、補いたくても補えない。目下では次第に「××」で代用する傾向がある。これは日本からの輸入だ。これが多ければ、読者はその著作の内容が激烈であるかのように予感する。だが実はそうでない場合もある。適当に×を数行入れて印刷すれば、読者に作家の激烈さを敬服させ、検閲員の峻厳さを恨ませることができるが、検閲に出す際には、検閲員に自分の従順さ——多くのことをあえて言わず、ただ×を打つばかりの勤勉さ——を愛でさせることもできる。一挙両得で、数行に点を打つよりさらに巧妙だ。中国は今まさに抗日の最中だから、この日本からの錦の妙計は、おそらく模倣されずに済むだろう。
今では何でも金で買わねばならず、当然何でも金になり得る。だが「何もないこと」さえも金になるとは、いささか意外だ。もっとも、このことを知ってしまえば、謡言をなりわいとするのは、今の時代にあってもなお「品質正真、子供にもお年寄りにも騙しなし」の暮らしだと分かる。
(五月二十四日。)
第29節
【誰が没落しているのか? 常庚 】
五月二十八日の『大晩報』が、文芸上の重要なニュースを一つ伝えてくれた。
「わが国の美術名家・劉海粟、徐悲鴻等が、近頃ソ連のモスクワで中国書画展覧会を開催し、彼の国の人士から絶大な賞讃を得た。わが国の書画の名作を称揚し、ソ連で目下盛んな象徴主義の作品にぴたりと合うと。そもそもソ連の芸術界はかねて写実派と象徴派に分かれるが、目下、写実主義は漸く没落し、象徴主義は朝野一致して提唱し、欣欣向栄の概を呈している。彼の国の芸術家がわが国の書画作品を見て象徴派に深く合うと認めて以来、直ちに中国の演劇もまた象徴主義を採っているに違いないと想起し、……中国の戯曲名家・梅蘭芳等を招いて上演させようとしている。この件は既にロシア側と中国駐ロシア大使館との間で折衝中であり、同時にソ連駐中国大使ボゴモロフもまた訓令を奉じ、わが方と協議中である。……」
これは朗報であり、喜ぶに値する。だが「国光を発揚」したと喜んだ後、なお冷静になって、以下の事実を考えるべきだ。
一、もし中国画と印象主義に一脈相通ずるものがあると言うなら、まだ筋が通る。しかし「ソ連で目下盛んな象徴主義に合致する」とは、夢言に近い。半枝の紫藤、一株の松、一頭の虎、数羽の雀。確かに実物に似ていないものもあるが、それは似せて描けなかったからで、何か別のものを「象徴」しているわけではない。
二、ソ連で象徴主義が没落したのは十月革命の時で、その後は構成主義が台頭し、さらにそれが次第に写実主義に取って代わられた。だから「構成主義が漸く没落し、写実主義が欣欣向栄の概を呈す」と言うなら筋が通る。さもなければ夢言だ。ソ連文芸界に象徴主義の作品がいったい何があるというのか?
三、隈取りと手振りは代数であって、象徴ではない。白い鼻筋が道化役を表し、花模様の顔が豪傑を表し、鞭を執れば騎馬を表し、手を押せば開門を表す以外に、何かしら言い尽くせぬ、演じ尽くせぬ深い意義がどこにあるのか?
ヨーロッパは我々からまことに遠く、あちらの文芸事情もまことにあまり明らかではない。だが二十世紀はすでに三分の一を過ぎた今日、粗浅なことは多少知っている。こうしたニュースはかえって「象徴主義作品」のように思える。それが象徴するのは、彼らの芸術の消滅だ。
(五月三十日。)
第30節
【逆さ吊り 公汗 】
西洋の慈善家は動物虐待を見るのを嫌い、鶏鴨を逆さに提げて租界を通れば処罰される。処罰といっても罰金に過ぎず、金さえ出せばまだ逆さに提げてもよいが、ともかく処罰された。そこで何人かの中国人が大いに不平を鳴らし、西洋人は動物を優遇し中国人を虐待する、鶏鴨にも劣るとまで言う。
これは実は西洋人を誤解している。彼らが我々を蔑視しているのは確かだが、動物以下に見ているわけではない。もちろん、鶏鴨というものは、いずれにしても厨房に送られて御馳走にされるだけで、たとえ順に提げたところで最終的な運命は変わらない。しかし言葉も話せず抵抗もできないものを、なぜ無益な虐待を加えるのか? 西洋人は何事も益のあることを重んじる。我々の古人は、民の「倒懸(逆さ吊り)」の苦しみは思い至っていて、しかもまことに切実に形容していたが、鶏鴨の逆さ提げの災いにまではまだ気づいていなかった。しかし「生きたまま驢馬の肉を切り取る」「活きた鵞鳥の掌を焼く」といった無聊な残虐に対しては、早くから文章で攻撃していた。この種の心は、東西に共通するものだ。
だが人に対する心は、いくぶん異なるようだ。人は組織でき、反抗でき、奴にもなれ主にもなれる。努力しなければ当然いつまでも下僕だが、自由解放すれば互いの平等を獲得でき、その運命は必ずしも厨房に送られて御馳走にされることに終わるわけではない。下等な者ほど主人に愛され可愛がられる。だから西崽(洋人の下僕)がボーイを叩けば西崽が叱られ、平民が西崽に逆らえば平民が咎められる。租界に中国人の苛待を禁じる規則がないのは、まさに我々が自ら力を持ち、自ら能力を持つべきで、鶏鴨とはまるで違うからだ。
しかし我々は古典から、仁人義士が倒懸を解いてくれるという戯言を聞き慣れ、今に至るもなお天か何か高く遠いところから恩典が降ってくるのを期待し、甚だしきは「乱離の人と作(な)る莫かれ、寧ろ太平の犬と為れ」と、犬になることも厭わぬくせに、団結して改革することは肯じない。租界の鶏鴨にすら及ばぬと自嘆する者にも、まさにこの気味がある。
この手の人物が多くなれば、かえって皆が逆さに吊るされることになり、しかも厨房に送られる際にも一時的に救ってくれる者がいない。これはまさに我々が人間であるにもかかわらず、情けない人間であるからだ。
(六月三日。)
「花罫文学」を論ず 林默
近頃一種の文章がある。四方を花罫で囲まれ、いくつかの付録欄から出現する。この文章は毎日一段、雍容閑適、緻密整然として、外形は「雑感」に似て「格言」にも似るが、内容は痛くも痒くもなく、何の手がかりもない。小品か語録の類のようだ。今日は一則の「偶感」、明日は一段の「聞くところによれば」。作者から見れば、自然、良い文章だ。あちらこちらひっくり返しても道理になるから、八股の能事を尽くしたと言える。だが読者から見ると、痛くも痒くもないが、往々にして毒汁が滲み、妖言を散布している。例えばガンディーが刺されると、たちまち一篇の「偶感」を書き、「マハトマ」を一通り称揚し、暴徒の反乱を一通り罵倒し、聖雄のために気を吐き災いを祓い、ついでに読者に「すべてを見定めよ」「勇武なる平和」の不抵抗説教を一くさり宣じる。この種の文章に名を付けるなら、「花罫体」あるいは「花罫文学」とでも呼ぼう。
この花罫体の来歴は、鳥道に入った後の小品文の変種だろう。この種の小品文の擁護者によれば、これは後世に伝わるはずだという(『人間世』「小品文について」参照)。では彼らの「伝わり方」を見てみよう。六月二十八日の『申報・自由談』にこういう文章が載った。題名は「逆さ吊り」。大意は、西洋人が鶏鴨の逆さ提げを禁じているのに対し、中国人の中に不平を鳴らす者がいて、西洋人は中国人を虐待し鶏鴨にも及ばぬというのだ。
そこでこの花罫文学者が議論する。「これは実は西洋人を誤解している。彼らが我々を蔑視しているのは確かだが、動物以下には見ていない。」
なぜ「見ていない」のか? 曰く、「人は組織でき、反抗でき、……自ら力を持ち、自ら能力を持ち、鶏鴨とはまるで違うからだ」と。だから租界に中国人の苛待を禁じる規則がない。中国人の苛待を禁じないのは、当然、中国人を鶏鴨以上に見ていることになる。
不平なら、なぜ反抗しないのか?
そしてこの不平の士は、花罫文学者が「古典」から得た証明によれば、「犬になっても構わぬ」類の、情けない連中だと断じられる。
この意味は明白だ。第一に、西洋人は中国人を鶏鴨以下に見ていない。鶏鴨に及ばぬと自嘆する者は、西洋人を誤解している。第二に、西洋人からこのような優遇を受けているのだから、不平を鳴らすべきではない。第三に、彼は確かに表面上は人が反抗できることを認め、反抗を呼びかけてはいるが、実は西洋人が中国人を尊重するがゆえに、この虐待はむしろ欠かせず、さらに一歩進めてもよいと言っているのだ。第四に、もし不平を鳴らす者があれば、彼は「古典」から、これは中国人が情けないからだと証明できる。
上海の洋行には、洋人のために商売をする中国人がおり、通称「買弁」と呼ばれる。彼らが同胞と商売する際には、洋物がいかに国産品より優れているか、外国人がいかに礼節と信用を重んじるか、中国人は豚だ、淘汰されるべきだと吹聴するほかに、もう一つの特徴がある。洋人を指して「うちの旦那」と呼ぶのだ。思うに、この「逆さ吊り」の傑作は、その口振りからして、おおむねこの手の人々が「うちの旦那」のために書いた手によるものだろう。なぜなら第一に、この手の人々は常に西洋人を理解していることを自慢し、西洋人から丁重に扱われている。第二に、彼らは往々にして西洋人(すなわち彼らの旦那)が中国を統治し中国人を虐待することに賛成する。中国人は豚だからだ。第三に、彼らは中国人が西洋人を恨むことに最も反対する。不平を抱くのは、彼らから見れば危険思想だ。
この手の人々から、あるいはこの手の人々になりたい者の筆から産み出されたのが、この「花罫文学」の傑作だ。ただし惜しむらくは、この種の文人も文字も、西洋人のためにいかに弁護説教しようとも、中国人の不平は免れ難い。なぜなら西洋人は中国人を鶏鴨以下に見てはいないかもしれないが、事実上は鶏鴨以上にも見ていないようだからだ。香港の差役が中国人犯人を逆さに提げて二階から投げ落としたのは、すでに遠い昔の話。近くは上海で、去年の高丫頭、今年の蔡洋其の輩、彼らの遭遇は鶏鴨に勝るどころか、死傷の惨さは鶏鴨を上回る。これらの事実は我々中国人にははっきり見えていて、振り返ってすぐ忘れるものではない。花罫文学者の口と筆でどうして朦朧とさせられようか?
不平を抱く中国人は本当に、花罫文学者の「古典」の証明する通り、一律に情けないのか? そうでもない。我々の古典の中には、九年前の五・三〇運動、二年前の一・二八の戦い、今なお艱苦に堪えて持ちこたえている東北義勇軍があるではないか。これらが中国人の不平の気が集結して成った勇敢な戦闘と反抗でないと、誰が言えようか?
「花罫体」文章が後世に伝わるための長所はすべてここにある。今は確かに伝わっており、ある人々に擁護されている。だがそう遠くないうちに、これを唾棄する者が現れるだろう。今は「大衆語」文学を建設する時だ。「花罫文学」は、その形式であれ内容であれ、大衆の目に、いつか伝わり得なくなる日が来るだろうと私は思う。
この文章はいくつもの場所に投稿したが、すべて拒否された。まさかこの文章もまた私怨を晴らそうとしている嫌疑がかけられたのか? だが「指示」などはない。事実に即して論じ、一吐の必要を感じたのだ。文中に行き過ぎた点があるかもしれないが、私がまったく間違っているとは、認めるわけにはいかない。もし不快を与えたのが先輩か友人であったなら、この点をご諒解いただきたい。
筆者附識。
(七月三日『大晩報・火炬』。)
第31節
【玩具 宓子章 】
今年は児童年だ。私はそれを覚えているので、子供に与える玩具をしばしば見る。
大通り沿いの洋物店に小さな雑貨が吊るされ、紙にフランスから運んだと書いてある。だが私は日本の玩具店で同じ品を見たことがあり、値段はもっと安かった。担ぎ棚や小さな露店では、だんだん大きく膨らむゴム風船が売られ、上に印が押してある。「完全国貨(純国産品)」。中国自製と分かる。しかし日本の子供が遊ぶゴム風船にも同じ印があるが、あちらは当然彼ら自身の製造だ。
デパートには武器の玩具がある。指揮刀、機関銃、戦車……。だが金持ちの子供でさえ、持って遊んでいる者は少ない。公園では外国の子供が砂を丸い山に集め、短い木の枝を二本横に差す。明らかに装甲砲車を創造しているのだ。一方、中国の子供は青白い、痩せた顔をし、大人の背後に隠れ、恥ずかしそうに、怯えたように見つめている。身には極めて上品な長い衫(きもの)を着ている。
我々中国では大人用の玩具が多い。妾、阿片パイプ、麻雀牌、『小雨さんありがとう』、科学コックリさん、金剛法会、その他もろもろ。忙しくて子供のことに頭が回らない。たとえ児童年であっても、一昨年の戦禍を身を以て経験しても、そのために子供に記念の小さな玩意を一つも創り出さず、すべてそのまま真似るだけだ。来年は児童年ではないのだから、その有様は推して知るべしだ。
だが江北の人々は玩具作りの天才だ。二つの長短の異なる竹筒を紅緑に染め、一列に連ね、筒内にバネを仕込み、脇に把手を付ける。回すとカタカタと鳴る。これが機関銃だ! 私が見た唯一の創作でもある。私は租界の端で一つ買い、子供と一緒に回しながら道を歩いた。文明的な西洋人と勝利者たる日本人が見れば、大抵は軽蔑か哀れみの苦笑を投げかけてくる。
だが我々は回しながら道を歩き、少しも恥じない。これは創作だからだ。一昨年以来、江北人を罵ってさも自分の高潔を示さんとする者が少なくなかったが、今は沈黙し、あの高潔も渺々として茫々だ。一方、江北人は粗っぽい機関銃の玩具を創り出し、堅い自信と素朴な才能で文明の玩具と競っている。彼らは、外国から最新式の武器を買って帰った人物よりも、はるかに賞讃に値すると私は思う。たとえまた誰かが私に軽蔑か哀れみの冷笑を投げかけるとしても。
(六月十一日。)
第32節
【零食(おやつ) 莫朕 】
出版界の現状は、定期刊行物が多く専門書が少ない。心ある者を憂えさせる。小品が多く大作が少ない。これまた心ある者を憂えさせる。心があれば、まことに「日々愁いの城に坐す」だ。
だがこの状況は由来すでに久しく、今はやや変遷して一層顕著になっただけだ。
上海の住民はもともと間食を好む。耳を澄ませば、通りで間食を売り歩く声はいつも「実に多い」。桂花白糖倫教糕、豚脂白糖蓮心粥、蝦肉雲呑麺、芝麻バナナ、南洋マンゴー、西路(タイ)蜜柑、瓜子大王、さらに蜜煎、オリーブなどなど。胃が丈夫なら朝から夜中まで食べ続けられるが、丈夫でなくとも構わない。脂っこい魚や大きな肉とは違い、量はもとよりごく少ないからだ。その効能は、消閑の中に養生の益を得、しかも味がよいとか。
数年前の出版物は「養生の益」のある間食で、「入門」と称し、「ABC」と称し、「概論」と称し、要するに薄い一冊で、わずか数角(数十銭)を払い半時間を費やせば一つの科学なり文学の全貌なり一外国語なりが分かるとされた。つまり五香瓜子を一袋食べるだけで人を栄え茂らせ、五年分の飯に匹敵するということだ。何年か試して効果が上がらず、かなり意気消沈した。試して名ばかりで実がなければ、意気消沈するのは避けられない。例えば今ではもう仙丹を修めたり金を練ったりする者はほとんどおらず、温泉に浸かり宝くじを買うことに取って代わられた。試みて無効の結果だ。そこで「養生」の面を緩め、「味がよい」方に偏った。もちろん間食はやはり間食だ。上海の住民は間食と死んでも離れられない。
かくして小品が出現したが、これもまた新しい趣向ではない。老九章が繁盛していた頃にすでに『筆記小説大観』の類があった。間食の大箱だ。老九章が閉店すると、当然それも一つまみに縮んだ。分量が減ったのに、なぜかえって喧しく満城風雨となったのか? 思うに、担ぎ棚の上に篆字とローマ字を合わせた極彩色のネオン看板を掲げたからだ。
しかし、やはり間食に変わりはないのに、上海の住民の感応力は以前より鋭敏になった。さもなければなぜ喧しくなろう。だがそれはおそらく神経衰弱のせいかもしれない。もしそうなら、間食の前途はむしろ憂うべきだ。
(六月十一日。)
第33節
【「此生或彼生」 白道 】
「此生或彼生。」
今この五文字を書いて、読者に問う。どういう意味か?
もし『申報』で汪懋祖先生の文章を見たことがあり、「……例えば『この学生かあの学生』と言うのに、文言ならただ『此生或彼生』で済み、その省力たるやいかに?……」という一節を知っていれば、これが「この学生かあの学生」の意味だと推測できるかもしれない。
さもなければ、答えはおそらく躊躇するだろう。この五文字には少なくともあと二通りの解釈が可能だからだ。一、この秀才かあの秀才(生員)。二、この世かあの世(来世)。
文言は白話に比べて確かに字数が少ないことがあるが、意味もそれだけ曖昧になる。我々が文言を読む時、往々にして知識を増やすどころか、すでに持っている知識を使って注解を加え、補足せねばならない。正確な白話に翻訳して初めて、理解したと言えるのだ。もし初めから白話を使えば、たとえ数文字多く書いても、読者にとって「その省力たるやいかに?」
私は文言を主張する汪懋祖先生自身が挙げた文言の例を以て、文言の役立たずを証明してしまったのだ。
(六月二十三日。)
第34節
【まさにその時 張承禄 】
「山梁の雌雉、時なるかな時なるかな!」物事にはおのずと時節がある。
「聖経」「仏典」は一部の人々に茶化されること十余年、「今の是なるを覚り昨の非なるを覚る」今こそ復興の時だ。関羽と岳飛は清朝に幾度も封贈された神明だが、辛亥革命で閑却された。再び思い出されたのは袁世凱の晩年だが、袁世凱と共に棺の蓋を閉じた。二度目に思い出されるのは今だ。
この時節だから、当然、文言を重んじ、故事を振りかざし、雅を標榜し、古書を読む。
もし小家の子弟ならば、たとえ外がどんな嵐であっても、勇往邁進、命がけで足掻く。安住できる古巣がないから、前に進むしかない。もちろん身代を築いた後には、家譜を修め祠堂を建て、いかにも旧家の子弟然とするかもしれないが、それはまだ先の話だ。もし旧家の子弟なら、見栄を張るため、好奇心のため、時流のため、飯のために、必ずしも外出しないわけではないが、ちょっとした成功、あるいはちょっとした挫折で、すぐに退却する。しかもこの退却は半端ではなく、家にまで引き返す。さらに悪いのは、その家が古びて荒れ果てた大邸宅であることだ。
この大邸宅には蔵の古物があり、壁隅の埃があり、一朝一夕には運び出せない。もし遊んで暮らす余裕があれば、あちこち探し回り、古書を修復し、古瓶を磨き、家譜を読み、祖先の徳を偲んで、何年も過ごせる。もし窮乏の極みなら、なおさら古書を修復し、古瓶を磨き、家譜を読み、祖先の徳を偲び、ひいては汚い壁の根元を掘り返し、空っぽの引き出しを開けて、自分でも何だか分からぬ宝物を見つけ出し、どうしようもない貧窮を救おうとする。この二種の人、小康と窮乏は異なり、悠閑と切迫は異なり、したがって結末の緩急も異なるが、この時節には、いずれも古董の中に糊口を求めているのだから、主張と行為は何ら変わらず、勢いも大きく見える。
そこで一部の青年にも影響を与え、古董の中に本当に自分の救い主を見出せると思わせる。小康者を見れば、かくも閑適だ。切迫者を見れば、かくも専精だ。これにはきっと何か道理がある、と。模倣者が出るのは当然だ。だが時光も決して容赦しない。彼はついに空虚を得ることになる。切迫者は妄想であり、小康者は戯れだ。主張者に特操なく灼見なくば、古董を香案に供えよと言おうが厠に棄てよと言おうが、実はどちらもその時々の自欺欺人の任務を果たしているだけで、先例を探せば至る所にある。
(六月二十三日。)
第35節
【重訳を論ず 史贲 】
穆木天先生が二十一日の『火炬』で、作家が無聊な遊記の類を書くのに反対し、中国にギリシア・ローマ以来現代に至る文学の名作を紹介する方がよいと述べた。これは極めて切実な忠告だと思う。だが十九日の『自由談』では、間接翻訳に反対して「ずるい方法だ」と言い、いくつかの許容条件は付しているものの。これは彼自身の後の発言と矛盾し、また誤解を招きやすいので、一言述べたい。
重訳が直接訳より容易なのは確かだ。まず、原文が持つ、訳者をして自らの力不足を恥じしめ、筆を執るのを躊躇わせる美点が、先行の訳者によって幾分か消されている。訳文は原文に及ばないのが通例で、中国の広東語を北京語に、あるいは北京語を上海語に訳しても、なかなかぴったりとはいかない。重訳では、原文の美点に対する躊躇が軽減される。次に、難解な箇所には、忠実な訳者が注解を付けていることが多く、一目瞭然で、原書には必ずしもそれがない。だがそのため、直接訳では誤りがあるのに、間接訳では正しいということも時にある。
ある国の言語に通じているなら、その国の文学を訳すのが最もよい。この主張にまったく誤りはない。だがそうなると、中国にはギリシア・ローマ以来現代に至る文学名作の翻訳がほとんどなくなってしまう。中国人が解する外国語は、おそらく英語が最も多く、日本語がこれに次ぐ。重訳しなければ、英米と日本の文学作品だけしか見られないことになり、イプセンもイバニェスもなく、極めて普及しているアンデルセンの童話、セルバンテスの『ドン・キホーテ』すら見ることができない。何と哀れな視野だろう。もちろん中国にデンマーク語、ノルウェー語、スペイン語に精通する人がいないわけではないが、彼らは今に至るまで訳していない。我々が今持っているものはすべて英語からの重訳だ。ソ連の作品でさえ、大抵は英語やフランス語からの重訳だ。
だから私は、翻訳に対しては今のところ厳格な砦を設ける必要はないと思う。最も肝心なのは訳文の良し悪しであって、直接訳か間接訳かは問う必要がなく、投機かどうかも詮索する必要がない。原訳文に深く通じた便乗者の重訳本が、原語をよく分からぬ忠実者の直接訳本より優れていることもある。日本の改造社訳『ゴーリキー全集』はかつて一部の革命家に投機と批判されたが、革命家の訳本が出ると、かえって前者の優良さが際立った。ただし一つ条件を付す。原訳文もろくに分からぬ便乗者の速成訳本だけは、確かに許し難い。
将来、各名作に直接訳本ができた暁には、重訳本は淘汰されるべき時だ。ただしその訳本が旧訳本より優れていなければならず、単に「直接翻訳」を護身の楯にしてはならない。
(六月二十四日。)
第36節
【再び重訳を論ず 史贲 】
穆木天先生の「重訳その他を論ず」下篇の末尾を見て、初めて私の誤解を解こうとしていたのだと分かった。だが私は特に誤解があったとは思わない。違いはただ軽重を逆にしたことで、私は成果の良し悪しをまず見るべきだと主張し、訳文が直接か間接か、訳者の動機がどうかは問わないのだ。
木天先生は訳者に「自知」を求め、自分の長所を活かして「一労永逸」の書を訳せと言う。さもなければ、手を出さぬ方がよいと。つまり荊棘を植えるくらいなら、白地のままにしておき、別の良い園丁に永く観賞に耐える美花を植えてもらう方がよいということだ。だが「一労永逸」の言葉はあっても、「一労永逸」の事は極めて稀で、文字に限って言えば、中国のこの方形漢字は決して「一労永逸」の符号ではない。しかも白地も永久に保てない。空地があれば荊棘か雀麦が生える。最も肝心なのは処理する者がいることで、培植するなり除去するなりして、翻訳界を幾分か雑然としないようにすることだ。これが批評だ。
しかし我々は従来、翻訳を軽く見てきた。とりわけ重訳を。創作に対しては、批評家はまがりなりにも時々口を開くが、翻訳となると、数年前にはまだ誤訳を指摘する文章がたまにあったが、近頃は甚だ稀だ。重訳に対してはなおさら少ない。だが仕事の上では、翻訳の批評は創作の批評より難しい。原文を見るには訳者以上の語学力が必要で、作品に対しても訳者以上の理解が必要だ。木天先生が言うように、重訳には数種の訳本を参照できるという利点がある。訳者にとってはまことに便利で、甲の訳本に疑問があれば乙を参看できる。直接訳はそうはいかない。分からぬ箇所があれば手の打ちようがない。異なる文章で二冊の一文一文が同じ意味の作品を書く著者は世にいないからだ。重訳書が多いのは、これも一因かもしれない。怠惰と言ってもよいが、おそらくはやはり語学力の不足のせいだろう。こうした各種の訳本を参酌して成った訳本に出会うと、批評はさらに難しくなる。少なくとも各種の原訳本が読めねばならない。陳源訳の『父と子』、魯迅訳の『壊滅』は、ともにこの類に属する。
私は翻訳の道を広くし、批評の仕事を重視すべきだと思う。もしただ厳格に論を立て、訳者に自ら慎重にさせようとするだけでは、かえって逆の結果を招く。良い者は慎重になるが、乱訳者は相変わらず乱訳し、その時には悪い訳本がましな訳本より多くなる。
最後にさして重要でもない数言を付す。木天先生は重訳に疑いを抱くあまり、ドイツ語訳を見てから、自ら訳した『タシケント』のフランス語原訳が削節本だと断じた。実はそうではない。ドイツ語訳は確かに分厚いが、二つの小説の合本であり、後半の大部分はセラフィモーヴィチの『鉄の流れ』だ。だから我々の手にある漢訳『タシケント』は削節本ではない。
(七月三日。)
第37節
【「徹底」の正体 公汗】
ある人の立論について、それを「高尚」だと言えば、論者の反感を招きかねない。しかし「徹底的」だとか「非常に前進的」だと言えば、まだ差し障りはないようである。
今やまさに「徹底的」で「非常に前進的」な議論が、「高尚」に取って代わった時代なのだ。
文芸にはもともと対象の限界がある。たとえば文学は、文字を理解する読者を対象としているのであり、文字の理解度には差があるから、文章に深浅があるのは当然だ。平易な字を使い、明白な文章を書くことを主張するのも、もとより作者の本分である。しかしここに「徹底」論者が現れて、こう言うのだ——中国には文盲が大勢いるが、どうするつもりだ? これはまさに文学者への痛棒であり、即座に悶死するしかない。
もっとも別の救援を求めることもできる。つまり弁解だ。文盲はすでに文学の作用の範囲外にあるのだから、画家や演劇家や映画作家に出馬してもらい、文字以外の形象的なものを見せればよいのだ。しかしそれでも「徹底」論者の口を塞ぐには足りない。彼は文盲の中にはさらに色盲もいれば盲人もいる、どうするつもりだと言う。かくして芸術家たちも痛棒を食らい、即座に悶死するしかない。
では最後の足掻きとして、色盲や盲人には講演、歌、講談を用いればよかろう。それも道理ではある。しかし彼はまた問うのだ——まさか中国にはまだ聾者がいることを忘れたのではあるまいな?
またもや痛棒、悶死、皆悶死である。
かくして「徹底」論者は結論を得る——現在の一切の文芸は、すべて無用であり、徹底的な改革なくしては駄目だ!
彼はこの結論を確定した後、どこかへ行ってしまった。誰が「徹底的」に改革するのか? それは当然文芸家だ。しかし文芸家は「徹底的」でない者が多い。かくして中国には永遠に、文盲・色盲・盲人・聾者に対してすべて有効な——「徹底的」な優れた文芸は存在しないのである。
だが「徹底」論者は時折また顔を出して、文芸家を一頓ひどく叱責する。
文芸に携わる者が、このような大人物に出くわして、その鬼面を剥がすことができなければ、文芸は前進しないどころか萎縮するのみで、ついには彼に消滅させられるだろう。真摯な文芸家は、この種の「徹底」論者の正体を見極めなければならない!
(七月八日。)
第38節
【蝉の世界 鄧当世】
中国の学者たちは、あらゆる知識は必ず聖賢から、あるいは少なくとも学者の口から出るものだと思い込んでいる。火や薬草の発明・応用すら民衆とは無縁で、すべて古代の聖王が一手に引き受けたことになっている——燧人氏、神農氏。だから「あらゆる知識は必ず動物の口から出るとは、実に奇妙なことだ」と思う者がいても、少しも不思議ではない。
そもそも「動物の口から出た」知識は、我が中国においては、しばしば真の知識ではない。暑さが殺人的で、窓も扉もみな開け放たれ、ラジオを備えた家々が音波を街頭に撒き散らし、「民と楽しみを共にする」。キーキーアーアー、歌い続ける。外国のことは知らないが、中国のラジオ放送は朝から晩まで芝居を歌っている。あるときは甲高く、あるときはしゃがれ、その気になれば、一刻たりとも耳に静寂を与えない。同時に扇風機を回し、アイスクリームを食べている者たちは、「水位大幅上昇」「旱魃すでに成る」の地とはまるで無関係で、窓の外で脂汗を流しながら終日生存を賭けて足掻く人々の場所とも、完全に別世界なのだ。
私はキーキーアーアーの朗々たる高唱の中で、ふとフランスの詩人ラ・フォンテーヌの有名な寓話「蝉と蟻」を思い出した。同じように火のような太陽の夏、蟻は地面で辛苦して働き、蝉は枝の上で高らかに吟じながら、蟻の俗っぽさを笑う。しかし秋風がやって来て、日ごとに冷え冷えと寒くなると、蝉は着る物も食べる物もなく、やつれ果てた姿となり、とうに備えのある蟻にこっぴどく教訓されるのだ。これは私が小学校で「教育を受けて」いたとき、先生が話してくれたものだ。あの頃はいたく感動したらしく、今でもときどき思い出す。
しかし思い出しはするものの、「卒業即失業」の教訓を経て、蟻とは意見がだいぶ異なってきた。秋風は間もなくやって来るし、日ごとに寒さも増すだろうが、そのとき着る物も食べる物もないのは、おそらく今まさに脂汗を流している人々の方であろう。洋館の周りは確かに静かになるが、それは窓も扉もきっちり閉めて、音波もろとも暖炉の暖気を留めているからで、あの中では、おそらく相変わらずキーキーアーアーと「ありがとう小雨さん」が流れていることだろう。
「動物の口から出た」知識は、我が中国においては、往々にして通用しないのではあるまいか?
中国には中国の聖賢と学者がいる。「心を労する者は人を治め、力を労する者は人に治めらる。人に治めらるる者は人を食い、人を治むる者は人に食わる」——なんと簡潔明瞭なことか。もし先生が早くこれを教えてくれていたら、上のような感想を抱いて紙と筆を無駄にすることもなかっただろう。これもまた中国人が中国の古書を読まねばならぬ好い証拠であろう。
(七月八日。)
第39節
【勘定 莫朕】
清代の学術のことになると、何人かの学者はいつも意気揚々として、あの発達は前代に例がないと言う。証拠もまことに十分だ——経書の注釈の大著が次々と現れ、小学(文字学・音韻学)も非常に進歩した。史論家は絶えたが、考証史家は少なくない。とりわけ考拠の学は、宋明の人々がまるで読み解けなかった古書を我々に理解させてくれた……
しかしこう言うのもまた躊躇するところがある。英雄がこれをもって私をユダヤ人だと指定しはしないかと恐れるが、実際のところそうではない。私は学者が清代の学術を論じるのに遭遇するたびに、つい同時にこう考えてしまう——「揚州十日」「嘉定三屠」といった些事は言わぬが花としても、全国の土地を失い、みなで十分に二百五十年の奴隷となって、それでこの数頁の栄光ある学術史を手に入れたのだ。この商売、結局のところ儲けたのか、損をしたのか?
惜しむらくは私は数学者でもなく、つまるところ明確にはできなかった。しかし直感的に感じるのは、これはおそらく損をしたということだ。庚子賠償金で限りある学者を何人か養成するよりも、累積した損失ははるかに大きい。
だがこれもまた俗見に過ぎまい。学者の見解は得失を超越している。超越してはいるが、利害の大小の区別はまったくないわけでもないらしい。孔を尊ぶことより大なるはなく、儒を崇めることより要なるはない。だから孔を尊び儒を崇めさえすれば、いかなる新朝にも首を垂れて差し支えない。新朝への言い方は「かえって中国民族の心を征服した」というものだ。
そしてこの中国民族の或る心は、まことに徹底的に征服されていて、今に至るまでなお、兵燹・疫病・水旱・風蝗を代償に、孔廟の重修、雷峰塔の再建、男女の同行の禁忌、四庫珍本の刊行といった大看板を得ようとしている。
私とて災害が一時的なものに過ぎないことを知らぬわけではない。もし記録がなければ、翌年には誰も口にしなくなるだろう。しかし栄光の事業は永久のものだ。だが、どういうわけか、私はユダヤ人ではないにもかかわらず、いつも損益を論じたがり、これまで誰も取り上げたことのないこの一つの帳簿を、みなで計算してみたいと思うのだ。——しかも、今こそまさにその時なのだ。
(七月十七日。)
第40節
【水の性質 公汗】
このところ二十日近くも猛暑が続き、上海の新聞を見ると、ほとんど毎日、川に入って水浴びをし、溺死した者の記事が載っている。水郷では、これはめったにないことだ。
水郷は水が多く、水についての知識も多く、泳げる者も多い。もし泳げなければ、軽々しくは水に入らない。この泳げるという技能を、俗に「水性を知る」という。
この「水性を知る」ということを、「買弁」式の白話文でやや詳しく説明すれば、こうなる。一、火は人を焼き殺すことができるが、水もまた人を溺れさせることができると知ること。しかし水は姿が柔和で、親しみやすそうに見えるため、騙されやすい。二、水は人を溺れさせもするが、人を浮かせもすることを知り、そこでこれを操縦する方法を考え、もっぱら人を浮かせるという面を利用すること。三、操縦法を習得すること。この技法に熟達すれば、「水性を知る」ということは完了する。
しかし都会の人々は、泳げないばかりか、水が人を溺れさせうることすら忘れているようだ。平素何の備えもなく、臨時にも水の深浅を測ろうとせず、耐え難い暑さに出くわすと、衣を脱いで飛び込む。不幸にして深い所に当たれば、もちろん死ぬ。しかも私の感じでは、そのとき進んで助けようとする人は、都会の方が田舎より少ないようだ。
だが都会人を助けるのもおそらくより難しい。なぜなら救う者はもちろん「水性を知る」必要があるが、救われる者もある程度「水性を知る」必要があるからだ。力を抜き、すべてを救助者に任せて顎を支えてもらい、浅瀬へ浮いていくべきなのだ。もし焦りすぎて救助者の体にしがみついて這い上がろうとすれば、救助者が名手でない限り、自分もろとも沈んでしまう。
だから私は思う。川に入るなら、事前に少し泳ぎを覚えておくのがよい。何も公園のプールに行く必要はなく、川辺で十分だが、心得のある人の指導が必要だ。次に、諸事情で泳ぎが覚えられないならば、竹竿で先に川の深浅を探り、浅い所でお茶を濁す程度にすればよい。あるいは最も安全なのは水を汲んで川辺でかけるだけにすることだ。そして最も肝要なのは、水には泳げない者を溺死させる性質があると知り、しかもそれをしっかりと記憶することだ!
今さらこのような常識の宣伝を主張するのは、狂人か「花辺(ゴシップ)」狙いに見えるかもしれない。しかし事実はそうではないことを証明している。すべてのことは、前進的な批評家に気に入られようとして、目を閉じて大言壮語ばかりしていてはいけないのだ。
(七月十七日。)
第41節
【冗談は冗談として(上) 康伯度】
思いがけず劉半農先生がにわかに病没された。学術界からまた一人減ったのだ。これは惜しまれて然るべきことだ。しかし私は音韻学に一切無知であり、毀誉どちらについても一言を発する資格がない。これによって私が思い出したのは別の一件である。すなわち、現在の白話が「揚棄」あるいは「唾棄」される前に、彼はすでに当時の白話、とりわけ欧化式の白話に対する偉大な「痛撃」者だったということだ。
彼にはかつて、極めて力を要さず、しかし極めて力のある妙文があった——
「今、私は一つの簡単な例を挙げるだけにしよう。
子曰く、『学びて時に之を習う、亦た説ばしからずや。』
これは古臭すぎる、よくない!
『学びて時に之を習う、』と子は曰うた、『亦た説ばしからずや。』
これはよい!
『学びて時に之を習う、亦た説ばしからずや。』と子は曰うた。
これはさらによい! なぜよいか? 欧化したからだ。しかし『子曰』はついに『曰子』には欧化できなかった!」
この一節は『中国文法通論』の中にある。あの本は大真面目な書物だ。著者はまた『新青年』の同人で、五四時代の「文学革命」の戦士であり、今やまた故人となった。中国の古例で、一たび死ねば値が上がることが多い。だから私は改めて取り上げ、そして彼が結局は論語社の同人でもあり、時に「ユーモア」を発したこと、元来「ユーモア」もあったが、その「ユーモア」がまた往々にして「悪ふざけ」の溝に落ちたことを指摘しておきたい。
実例はまさに上に引いた文章であるが、実のところ、あの論法は、頑固先生や市井のならず者が、青年が洋服を着たり外国語を学んだりするのを見て、冷笑して「惜しいことに鼻はまだ低いし、顔も白くない」と言うのと、少しも変わらない。
もちろん、劉先生が反対したのは「過度の欧化」である。しかし「過度」の範囲はどこまでなのか? 彼が挙げた最初の三つの方法は、古文にはないが、話し言葉にはありうるもので、口頭で伝えても理解できる。ただ「子曰」を「曰子」に改めることだけは絶対に理解不能だ。しかも彼は自分が反対する欧化文の中からも実例を見つけられず、「『子曰』はついに『曰子』には欧化できなかった!」と言うしかなかった。では、これは「的のない矢」ではないか?
欧化文法が中国白話に侵入した大きな原因は、物好きからではなく、必要のためだ。国粋学者は鬼子臭を嫌悪するが、租界に住んでいれば「霞飛路」「麦特赫司脱路」などという奇妙な地名を書くことになる。評論者も好奇心からではなく、精密に述べようとすると固有の白話では足りず、外国の構文を採り入れるしかない。なるほど、お茶漬けのように一口で飲み込めないほど分かりにくいのは事実だが、この欠点を補うのは精密さだ。胡適先生が『新青年』に掲載した「イプセン主義」は、近頃の文芸論文に比べれば確かに分かりやすいが、しかし粗浅で大雑把だとは思わないだろうか?
欧化式白話を嘲笑する者が、嘲笑のほかに、外国の精密な論著を紹介し、しかも恣意的に改変・削除しないことを試みてくれれば、きっとさらに良い箴言を我々に与えてくれることだろう。
冗談をもって敵に対処するのは、もちろん良い戦法の一つだが、突いた箇所は相手の急所でなければならない。さもなくば、冗談はしょせんただの冗談に過ぎない。
(七月十八日。)
文公直から康伯度への手紙
伯度先生、本日貴作を拝読し、西洋人の侵略に旗を振る急先鋒(漢奸)がまだ多いと知りました。先生は欧化文化の流行の原因を「必要」だとお考えですが、一体どこからそんな話になるのか、私には皆目分かりません。中国人がいくら無能でも、言葉ぐらいは話せます。中国語を廃止して田舎の人間にまで「ミスター」と言わせるのが、中国文化の「必要」だとはとても思えません。たとえば中国人の言い方では「張甲が言った、『今日は雨だ。』李乙が言った、『そうだ、涼しくなった。』」ですが、ご高論に従えば「『今日は雨だ、』と張甲が言った。『涼しくなった、——そうだ、』と李乙が言った。」にすべきということになります。これが中華民国全民族の「必要」でしょうか? 一般の翻訳大家の欧化文は、すでに中西文化の通路を十分に塞ぎ、原文を読める者にも訳文を分からなくしています。さらに先生の「必要」が加われば、中国には読める西洋書が一冊もなくなりましょう。陳子展先生が提唱する「大衆語」は天経地義であります。中国人の間では中国語を話すべきで、これは絶対のことです。それなのに先生は欧化文法が必要だと仰る! 道理で「康伯度」という大名は、十分どころか十二分の「買弁根性」を表現しているわけです。劉半農先生は「翻訳は外国語の分からない人に読ませるためのものだ」と仰いましたが、これは確乎不動の定理であります。それなのに先生は半農を大いに罵り、全中国人に欧化文法を「必要」な命より大事なものと認めさせなければならないとお考えです! 先生、今は暑い盛りです、少しお休みなさい! 帝国主義者の中国人絶滅の毒ガス弾はすでに無数に製造されています。先生が買弁をなさるのはご勝手ですが、民族丸ごと売り渡さないでいただきたい。私は顛倒式の欧化文が分からない愚人であります! 先生の盛意あるご提唱に対して、先生がもはや弊国の人間ではないのかと疑わざるを得ません。特にお尋ねしますが、なぜこの文化の毒ガスを投じられるのですか? 帝国主義者の指図を受けたのですか? 要するに、四億四千九百万人(陳先生を除く)以内の中国人は、先生のご主張には恐れ入りかねるのです! ご注意あれ。
文公直 七月二十五日。
(八月七日『申報・自由談』)
康伯度から文公直への返書
公直先生、中国語法に少し欧化を加えるべきだというのは私の一つの主張であり、「中国語を廃止する」ことでも、「帝国主義者の指図を受けた」ことでもありません。しかし先生はたちまち「漢奸」の類の重罪名を私に冠し、自ら「四億四千九百万人(陳先生を除く)以内の中国人」を代表して、私の首を斬ろうとされました。私の主張は間違っているかもしれませんが、いきなり死刑を宣告するのは、手法こそ時流に乗っていますが、いささか度が過ぎるのではないでしょうか。まして「四億四千九百万人(陈先生を除く)以内の中国人」の意見が先生と同じとは限りません。先生は同意を求めたこともないのですから、代表の僭称であります。
中国語法の欧化は外国語を学ぶこととイコールではありませんが、こうした浅近な道理を先生と長々議論するつもりはありません。暑さは怖くありませんが、さすがに退屈です。しかしもう一度だけ申します。私は中国語法に欧化を加える必要があると主張します。この主張は事実に基づくものです。中国人が「言葉ぐらいは話せる」のはまったくその通りですが、前進しようとすれば、旧態のままでは足りないのです。目の前の例として、先生のこの数百字のお手紙の中だけでも、「対於」を二回お使いですが、これは古文とは無関係で、後に直訳から生じた欧化語法です。しかも「欧化」という二字自体が欧化語です。さらに「取消」を一つお使いですが、これは純粋な日本語です。「瓦斯」を一つお使いですが、これはドイツ語をそのまま音訳した日本人の訳語です。いずれも大変適切にお使いで、しかも「必要」なものです。たとえば「毒瓦斯」ですが、中国固有の語の「毒気」を使えば曖昧になり、必ずしも毒弾の中身とは限らなくなります。だから「毒瓦斯」と書くのは、まさに「必要」から出たものなのです。
先生はご自分で鏡をご覧にならず、無意識のうちにご自分もまさに欧化語法を使い、鬼子名詞を使っている人間であることを証明されました。しかし私は先生が「西洋人の侵略に旗を振る急先鋒(漢奸)」では決してないと思いますから、これをもって私もまたその仲間ではないことを証明したいのです。さもなくば、先生は犬の血を含んで人に吹きかけ、かえって先生ご自身のお口を汚されたことになります。
思いますに、事を論ずるに威嚇と誣陷は無益です。筆をとる人間が、会うなり癇癪を起こして相手の命を取ろうとするのは、ますます滑稽なことです。先生はもう少し落ち着いて、静かにご自分のお手紙を読み返し、ご自分のことをお考えになってはいかがでしょうか。
専此布復、並びにお伺い申します。
暑中お見舞い。
弟 康伯度 脱帽鞠躬。八月五日。
(八月七日、『申報・自由談』)
第42節
【冗談は冗談として(下) 康伯度】
白話討伐のもう一つの精鋭は林語堂先生だ。彼が討伐するのは白話の「かえって分かりにくい」ことではなく、白話の「くどくど回りくどい」ことであり、劉先生のような白話を「返璞帰真」させたいという気持ちもまるでなく、意を伝えるには「語録式」(白話の文言)しかないと言うのだ。
林先生が白話で武装して登場したとき、文言と白話の争いはとうに過去のことで、劉先生のように自ら混戦をくぐり抜けた経験がないため、往時を懐かしみ末流を嘆く感慨もない。彼が一閃にして宋明の語録を「ユーモア」の旗の下に並べたのも、きわめて自然なことだった。
この「ユーモア」とは『論語』四十五号の「一枚の書き付けの書き方」である。彼は大工に少し漆喰を分けてもらうために語録体の書き付けを書いたが、「白話に反対している」と言われるのを恐れて、白話版、選体版、桐城派版の三種に書き直した。しかしどれも笑うべきもので、結局は「書僮」に言伝てさせて大工から漆喰をもらったという話だ。
『論語』は人気の刊行物で、ここでは煩を省いて引用しない。要するに、おかしくないのは語録式の一枚だけで、他の三種はすべてお話にならないということだ。しかしこの四つの異なる役柄は、実はすべて林先生一人が演じ分けたもので、一つが正役すなわち「語録式」であり、他の三つはいずれも道化で、自ら鬼面を被り自ら怪態をなし、正役の風采を引き立てたのだ。
しかしこれはすでに「ユーモア」ではなく「悪ふざけ」であり、巷間で壁に亀を描いて背中に嫌いな奴の名前を書くのと、少しも変わらぬ戦法だ。ただ見た者は、往々にして是非を問わず、描かれた者を嘲笑する。
「ユーモア」にせよ「悪ふざけ」にせよ、結果を生まずにはおかない——その真意を心得て、ただの「悪ふざけ」として見るのでない限り。
なぜなら事実は文章の通りにはならぬからだ。たとえば、この語録式の書き付けだが、中国では実は途絶えたことがない。暇があれば上海の路地の入口を見に行くがよい。時折そこに机を並べた文人が座っていて、男女の労働者のために手紙を代筆している。彼の使う文章は、林先生が擬した書き付けほど分かりやすくはないが、紛れもなく「語録式」だ。これこそ今改めて取り上げられた語録派の末流であるが、誰も彼の鼻を白く塗った者はいない。
これは一つの具体的な「ユーモア」だ。
しかし、「ユーモア」を鑑賞するのもまったく難しい。私はかつて生理学から中国の臀部を打つ刑の合理性を証明したことがある。もし臀部が排泄や座るためだけに生じたのならば、こんなに大きい必要はない。足の裏ははるかに小さいが、全身を支えるのに十分ではないか。今や我々は人を食うことはないのだから、肉もこんなに多くなくてよい。してみれば、もっぱら叩くために供されたものに相違ない。人に話すと、たいてい「ユーモア」だと思ってくれる。しかしもし叩かれた人がいたり、自分自身が叩かれたりしたら、その感じ方はこうはいくまい。
致し方ない。みなが不愉快な時には、やはり結局「中国にユーモアはない」ということになるのだろう。
(七月十八日。)
第43節
【文章を書くということ 朔尓】
沈括の『夢渓筆談』にこうある。「往歳、士人は多く対偶を文に尚ぶ。穆修・張景の輩始めて平文を為す。当時之を『古文』と謂う。穆・張嘗て同に朝に造り、旦を東華門外に待つ。方に文を論ずる次、適たま奔馬ありて一犬を践み殺すを見る。二人各々其の事を記して以て工拙を較ぶ。穆修曰く、『馬逸す。黄犬有り、蹄に遇いて斃る。』張景曰く、『犬有り、奔馬の下に死す。』時に文体新たに変じ、二人の語は皆拙渋なるも、当時已に之を工と謂い、之を今に伝う。」
駢文は後起のもので、唐虞三代は駢ではなかった。「平文」を「古文」と称するのはこの意味だ。ここから推し広げれば、古に言文が本当に一致していたならば、「白話文」を「古文」と称しても差し支えないようだが、林語堂先生が「白話の文言」と指したのとはまた意味が異なる。二人の大作は拙渋であるだけでなく、主旨がまず一致しない。穆は馬が犬を踏み殺したと言い、張は犬が馬に踏み殺されたと言う。つまるところ馬に重きを置いているのか、犬に重きを置いているのか? より明白で穏当なのは、沈括が何気なく書いた文章の方だ——「奔馬有り、一犬を践み殺す。」
古いものを打倒しようとすれば力がいり、力を入れすぎれば「作為」が生じ、「作為」が過ぎればただ「生渋」なばかりか、時にはまるで「喉に詰まって吐き出せない」有様で、とうに古人が円熟に「作為」し終えた古いものよりも悪くなる。しかも字数と論旨に制限のある「花辺文学」の類は、とりわけこの生渋病に罹りやすい。
作為が過ぎては駄目だが、作為がなくても駄目だ。太い丸太一本と細い枝四本で腰掛けを作るのは、今日ではいかにも粗雑で、やはり少しは鉋で削った方がよい。しかし全体に彫刻を施し、中を刳り抜いてしまえば、座れもしないし、腰掛けの体をなさない。ゴーリキーは言った、大衆語は粗材であり、加工を施したものが文学だと。これはまことに要を得た指摘であろう。
(七月二十日。)
第44節
【読書瑣記(一) 焉于】
ゴーリキーはバルザックの小説における会話描写の巧みさに深く感服し、人物の容貌をまったく描写せずとも、読者が会話を読めばまるで話している人々を目の当たりにするようだと述べている。(八月号『文学』所収「わが文学修養」)
中国にはまだそれほどの手腕を持つ小説家はいない。しかし『水滸伝』と『紅楼夢』のある箇所では、読者が会話から人物を見て取ることができる。実のところ、これは何ら奇特なことではない。上海の路地裏で小さな部屋を借りて住んでいる人なら、常にこれを体験できる。周囲の住人とは必ずしも顔を合わせたことはないが、薄い板壁一枚で隔てられているだけなので、ある家の家族や客人の会話、とりわけ大声の会話は大体聞こえる。日が経つにつれて、あそこにはどんな人々がいて、しかもその人々がどんな人間であるかまで、仿佛感じ取れるようになる。
もし不要な部分を削除し、各人の特色ある会話だけを抜き出せば、他の人にも会話から各話者の人物像を推察させることができるだろう。だが私は、これでもって中国のバルザックが出来上がるとは言っていない。
作者が会話で人物を描くとき、おそらく自らの心中にはこの人物の姿が存在しており、それが読者に伝わって、読者の心中にもこの人物の姿が形成されるのだ。しかし読者が推察する人物は、必ずしも作者が想定したものと同じではない。バルザックの小髭の痩せた老人が、ゴーリキーの頭の中では、粗野で逞しい顎髭の男に変わっているかもしれない。ただしその性格・言動には必ずいくらかの類似があり、大筋では違わない。ちょうどフランス語をロシア語に翻訳したようなものだ。そうでなければ、文学というものに普遍性はなくなる。
文学には確かに普遍性があるが、読者の体験の違いによって変化し、読者に類似の体験がなければ効力を失う。たとえば我々が『紅楼夢』を読んで、文字から林黛玉という人物を推察する場合、梅博士の「黛玉葬花」の写真という先入観を排除して別に想像すれば、おそらく、髪を短く切り、インド更紗の服を着た、痩せて孤独なモダンガールを思い浮かべるだろう。あるいはまた別の姿かもしれないが、私には断定できない。しかし三四十年前に出版された『紅楼夢図詠』の類の画像と比べてみるがよい。きっとまるで違うはずだ。あちらに描かれているのは、あの時代の読者の心中の林黛玉なのだ。
文学には普遍性があるが、限界もある。比較的永続するものもあるが、読者の社会的体験によって変化する。北極のエスキモーやアフリカ奥地の黒人には「林黛玉型」は理解できまいと思う。健全で合理的な良い社会の人々にも理解できないだろう。彼らはおそらく、我々が始皇帝の焚書や黄巣の殺戮を聞くよりもさらに隔靴掻痒であろう。一たび変化すればすなわち永久ではなく、文学だけに仙骨があるというのは、夢見る者の寝言にすぎない。
(八月六日。)
第45節
【読書瑣記(二) 焉于】
同時代、同じ国の中にいても、言葉が通じ合わないことがある。
バルビュスに非常に面白い短篇小説がある。「母国語と外国語」というもので、フランスのある金持ちの家で、欧州大戦で九死に一生を得た三人の兵士を招待した話だ。お嬢さんが出て来て挨拶をしたが、話すことがない。やっとのことで二三言述べたが、兵士たちも返す言葉がなく、ただ立派な部屋に座って緊張のあまり骨が痛いだけだった。自分たちの「豚小屋」にこっそり戻って初めて、全身が解きほぐされ、談笑が始まり、しかもドイツ人捕虜の中から、身振り手振りで自分たちの「われわれの言葉」を話す者を見つけたのだ。
この経験から、一人の兵士がぼんやりとこう考えた——「この世には二つの世界がある。一つは戦争の世界だ。もう一つは金庫の扉のような門を持ち、教会のように清潔な台所を持ち、立派な家の世界だ。まるで別の世界だ。別の国だ。そこには奇妙な考えを持つ外国人が住んでいる。」
あのお嬢さんが後で紳士に言った言葉はこうだ——「彼らとは話も通じないのよ。まるで彼らと私たちの間には、飛び越えられない深淵があるみたい。」
実のところ、お嬢さんと兵士に限った話ではない。我々——「封建の残滓」であれ「買弁」であれ何であれ——でも、ほぼ同類の人間とでも、どこかが少し異なっていて、しかも本音を言わねばならなくなれば、往々にして互いに話すことがなくなる。ただ我々中国人は聡明で、ある人々はとうに万能の霊薬を発明している。すなわち「今日はいい天気で……ハハハ!」だ。宴席ならばただ拳遊びをし、議論はしない。
こう見てくると、文学が普遍的で、しかも永続的であろうとするのは、まことに困難なことだ。「今日はいい天気で……ハハハ!」はいくらか普遍的ではあるが、永続できるかどうかは甚だ疑わしく、しかもあまり文学らしくもない。そこで高踏的な文学者は自ら一条の規則を定め、自分の「文学」を理解しない人々をすべて「人類」の外に押し出して、その普遍性を保とうとする。文学にはまだ他の性質もあるが、彼はそれを言い破りたがらないので、この手段を用いるしかない。しかしこうすると、「文学」は存するが、「人」はあまり多くはなくなる。
かくして、文学が高尚であればあるほど理解者は少なくなり、高尚の極に至れば、その普遍性と永続性はひとり作者一人に集約されると言われる。しかるに文学者はまた悲嘆し、吐血したと言う。まったくどうしようもない。
(八月六日。)
第46節
【時流と復古 康伯度】
半農先生が亡くなるや、朱湘・廬隠の二人の作家のときと同じく、いくつかの刊行物がにわかに賑やかになった。この盛り上がりがどれほど続くか、今のところ推測のしようがない。しかしこの一死は、あの二人よりはるかに大きな作用を持っているようだ。彼はもう間もなく復古の先賢として祀り上げられ、その神位をもって「時流に乗る」者たちを打ちのめすのに使われるところなのだ。
この一撃には力がある。なぜなら彼は既に故人の名士であり、かつまた先年の新派だからだ。新をもって新を打つのは、毒をもって毒を制すようなもので、錆びついた古董を持ち出すよりもまさっている。しかし笑い話もまたこの中に潜んでいる。なぜか? 半農先生自身がまさに「時流に乗る」ことで名を上げた人だったからだ。
昔の青年が心中に劉半農の三文字を刻んだ理由は、彼が音韻学に長けていたからでも、しばしば戯詩を作ったからでもない。鴛鴦蝴蝶派から飛び出し、王敬軒を罵倒し、「文学革命」陣中の戦闘者となったからだ。しかし当時、一部の人々はこれを「時流に乗った」と毀った。時代はやはりいくらか前進するようで、歳月が過ぎるにつれて次第にこの諡号は洗い落とされ、自分もいくらか登り、いくらか丸くなり、ついにはすっかり綺麗な名士となった。しかし「人は名を恐れ、豚は肥えるを恐れる」で、この時はまた梱包されて、新たな「時流に乗る」病を治す薬の材料にされようとしている。
これは半農先生一人だけの苦境ではない。先例は実に多い。広東の挙人はいくらでもいるのに、なぜ康有為だけがあれほど有名なのか。公車上書の首領であり、戊戌政変の主役だったからだ——時流に乗った。留英学生も珍しくないが、厳復の名がまだ消えていないのは、かつて真剣にいくつかの外国書を翻訳したからだ——時流に乗った。清末、樸学を治めた者は太炎先生一人ではないが、その名声が孫詒讓よりはるかに高いのは、実は種族革命を提唱したからだ——時流に乗り、しかも「謀反」もした。後に「時流」の方が「乗って」来て、彼らは生ける純正な先賢となった。しかし厄運も尻にくっついてきて、康有為は永遠に復辟の祖師と定められ、袁皇帝は厳復に勧進させ、孫伝芳大帥も太炎先生に投壺を請うた。もとは車を引いて前進させる名手で、脹脛が太く腕も逞しい。今回もまた引いてもらおうとする。引くのは引くが、しかし車の尻を後ろに引くのだ。ここは古文を使うしかない、「嗚呼哀哉、尚饗」と。
私は半農先生がかつて「時流に乗った」ことを嘲笑しているのではない。ここで私が用いているのは、通俗に言う「時流に乗る」の中の一部分——「先駆」の意味だ。彼は自ら「没落」を認めたが、実は戦い抜いてきた人なのだ。彼を敬愛する人々が、この点をもっと発揮し、よってたかって自分の好む油や泥の中に引きずり込んで金看板にしないでくれればよいのだが。
(八月十三日。)
第47節
【安貧楽道法 史贲】
子供は人に教えてもらわねばならず、病気は人に治してもらわねばならない。たとえ自分が教師や医者であっても。しかし処世の方法は自分で考えるしかなく、他人が出してくれた良薬の多くは、ただの紙くずに過ぎないことが多い。
安んじて貧に処し道を楽しめと人に勧めるのは、古今治国平天下の大綱であり、出された処方箋も多いが、いずれも十全大補の効き目はなかった。だから新しい処方箋も書き尽くせない。近頃二種類を見かけたが、思うにどちらもあまり妥当ではない。
一つは、職業に興味を持つべきだと教えるもので、興味さえあればどんなことでも楽しんで倦むことがないという。なるほど理に適っているが、結局のところ軽い仕事でなければならない。炭鉱や糞担ぎは言うに及ばず、上海の工場で少なくとも毎日十時間働く工人は、夕刻には必ず筋疲力尽し、怪我は大抵その時分に起こる。「健全なる精神は健全なる身体に宿る」――自分の身体すら顧みられなくなって、どうして興味が湧こうか。よほど命より興味が大事でなければ。もし彼ら自身に聞けば、きっと労働時間の短縮と答えるだろう。夢にも興味惹起法は思い浮かぶまい。
もう一つはきわめて徹底的なもので、猛暑の折、金持ちは交際に忙殺されて汗だくだが、貧乏人は破れた筵一枚を挟んで路上に敷き、服を脱いで涼風に浴し、この上ない楽しみだと言う。これを「天下を席巻する」と称するのだそうだ。これもまた稀に見る詩趣に富んだ処方箋だが、やはり後に掃興なことが控えている。秋の気配が近づいた早朝に大通りを歩いてみれば、腹を抱えて黄色い水を吐いているのが、あの「天下を席巻」していた前任の生き仏たちなのだ。おおよそ、目の前の福を享けようとしない大愚者は、世にそう多くはない。もし赤貧がそれほど面白ければ、今の金持ちがまず大通りに寝転がるだろうし、そうなれば今の貧乏人の筵を敷く場所もなくなってしまう。
上海の中学統一試験の優秀答案が発表された。その中に「衣は寒を蔽うに取り食は腹を充たすに取る論」があり、一節にこうある——
「……若し徳業已に立たば、則ち飧に継ぐなく、襟を捉えば肘見ゆるとも、而も其の名徳は後に伝うるに足り、精神生活は充分に発展し、又た何ぞ物質生活の足らざるを患えんや。人生の真諦は、固より彼に在りて此に在らざるなり。……」(『新語林』第三号より転録)
これは題旨よりさらに一歩進んで、「腹を充たす」こともできなくても構わないと言うのだ。しかし中学生の出した良薬は大学生には通用せず、同じ時に就職を求める大群が出現している。
事実というものは少しも情け容赦のないもので、空言を粉微塵に砕くことができる。これほど歴然としているのだから、実のところ、私の愚見では、もう「之乎者也」で遊ぶのは大いにやめてよかろう——どうせ永遠に役に立たないのだから。
(八月十三日。)
第48節
【奇怪(一) 白道】
世の中には多くの事実があり、記録を見なければ天才でも思いつかないようなものがある。アフリカのある原住民は男女の忌避がきわめて厳しく、婿が義母に出くわしただけでも地面にひれ伏さねばならず、しかもそれでは足りず、顔を土の中に埋めなければならない。これはまことに、我が礼義の邦の「男女七歳にして席を同じくせず」の古人でも、とうてい及ばないところだ。
こう見ると、我々の古人の男女隔離の設計も、やはり低能児の域を出ない。今なお古人の枠を超えられないのは、いよいよ低能の極みだ。同泳せず、同行せず、同食せず、同じ映画を見ず——すべて「席を同じくせず」の敷衍にすぎない。低能の極致は、男女が相通ずる空気を吸っていることにまだ思い至らないことだ。この男の鼻孔から吐き出されたものが、あの女の鼻孔から吸い込まれる。乾坤を紊乱すること、海水が肌に触れるだけよりもはるかに深刻である。この重大問題に対処する方法がなければ、男女の境界は永遠に画定できない。
思うに、ここは「西洋の方法」を用いるしかあるまい。西法は国粋ではないが、時として国粋を助けることができる。たとえば無線放送は摩登なものだが、朝に坊主がお経を唱えるのは悪くない。自動車はなるほど洋物だが、乗って麻雀を打ちに行けば、緑の輿に乗って半日がかりで着くよりも何巡か余分に打てる。この類推で、男女が同じ空気を吸うのを防ぐには防毒面を使えばよい。各自一つの箱を背負い、管を通して酸素を自分の鼻孔に送る。顔を晒さずに済むし、防空演習も兼ねられる。これぞ「中学を体と為し、西学を用と為す」だ。ケマル将軍が治国する前のトルコ女性のベールも、今度ばかりはとうてい及ぶまい。
もし今一人のイギリスのスウィフトのような人物がいて、『ガリヴァー旅行記』のような風刺小説を書き、二十世紀の半ばにある文明国に至り、一群の人々が香を焚いて龍を拝み、法術をもって雨を祈り、「肥った女」を鑑賞し、亀の殺生を禁じているのを見た。また一群の人々が大真面目に古代の舞法を研究し、男女別路を主張し、さらに女の脚を露出させてはならぬと主張している。そうすれば、遠方の、あるいは将来の人々は、おそらくこれは作者の口さがない作り事で、気に入らぬ人々を揶揄するためのものだと思うだろう。
しかしこれはまぎれもない事実なのだ。このような事実がなければ、おそらくどれほど辛辣な天才作家でも思いつかないだろう。空想はさほど奇想天外にはなれない。だから人々はある事を目にすると、「奇怪だ」という一言を発するのだ。
(八月十四日。)
第49節
【奇怪(二) 白道】
尤墨君先生が教師の資格で大衆語の討論に参加されている。その意見はきわめて重んずべきものだ。彼は「中学生に大衆語を練習させる」ことを主張し、さらに「中学生の作文で最もよく使われ、また最も誤用される流行語」を列挙して、「使わせない方がよい」と言い、将来彼らが弁別できるようになるまで待つべきだとする。「新しいものを消化不良で食べるより、先に禁じた方がよい」からだと。ここにその「流行語」の一部を抄録する——
「共鳴 対象 気圧 温度 結晶 徹底 趨勢 理智 現実 下意識 相対性 絶対性 縦断面 横断面 死亡率……」(『新語林』三号)
しかし私は大いに奇怪に思う。
それらの語は、もはや「流行語」とは言い難い。「対象」「現実」などは、書物や新聞を読む者なら常に目にするもので、目にする回数が多ければ比較の上でその意味が分かる。ちょうど子供が言葉を覚えるのに文法の教科書に頼らないのと同じだ。まして学校には教師の指導がある。「温度」「結晶」「縦断面」「横断面」にしても、科学上の用語であり、中学の物理学・鉱物学・植物学の教科書に載っている。国語に使う意味と何ら変わらない。それが今「最も誤用される」とは、まさか自分で考えもせず、教師も指導せず、しかも他の科学まで同様に曖昧だということか?
ならば、途中から大衆語だけ学んでも、中学出身の速成大衆に過ぎず、大衆に何の役に立つだろうか? 大衆が中学生を必要とするのは、彼の教育水準が比較的高く、みなの知識を広げ、語彙を増やし、解明できるものは解明し、新たに加えるべきものは加えられるからだ。「対象」などの定義をまず自分が明確にし、必要に応じて方言で代替できるものは訳し換え、なければ新名詞を教えてその意味を説明すべきなのだ。もし大衆語が中途半端で、新名詞もまだよく分かっていないなら、この「立ち後れ」はまことに「徹底的」だ。
思うに、大衆のために大衆語を練習するなら、あの「流行語」を禁じるべきではなく、最も肝要なのは定義を教えることだ。教師が中学生に対して、そして将来中学生が大衆に対してするのと同じように。たとえば「縦断面」と「横断面」は、「縦に切った面」と「横に切った面」と説明すれば分かりやすい。「横に鋸で挽いた面」と「縦に鋸で挽いた面」と言えば、大工の弟子でも分かり、字を知る必要もない。禁止するのはよくない。彼らの中には永遠に曖昧なままの者もいるだろう、「なぜなら中学生は必ずしも全員が大学に進んで文豪や学者になる理想を実現できるわけではないのだから。」
(八月十四日。)
第50節
【神迎えと人咬み 越僑】
新聞によれば余姚のある村で、農民たちが旱魃のため、神を迎えて雨乞いをしたところ、見物人の中に帽子を被った者がいると、刀や棒で滅多打ちにしたという。
これは迷信だが、根拠がある。漢の先儒・董仲舒先生にはすでに祈雨法があり、寡婦を使うの、城門を閉じるの、烏煙瘴気で、その奇怪さは道士と変わらないが、いまだ今の儒者に訂正されてはいない。通都大邑においてすら、現に天師が法を行い、長官が屠殺を禁じ、大騒ぎになっても、少しの口舌も引き起こさないではないか。帽子を打つのは、神が見てまだ悠然自適の者がいると思い、哀れみを垂れないことを恐れるためであり、一方ではまた、みなと苦しみを共にしないことへの憎悪からでもある。
神迎え――農民たちの本意は死を救うことにある。――だが惜しむらくはこれは迷信だ。――しかしこの他に、彼らは別の方法を知らないのだ。
新聞はまた、六十余歳の老党員が神迎えを制止しようとして、みなに散々打たれ、ついには喉を噛み切られて死んだと報じている。
これは妄信だが、やはり根拠がある。『精忠説岳全伝』には張俊が忠良を陥れ、ついに衆人に噛み殺されて、人心大いに快しとある。このため田舎には昔から一つの伝えがあり、噛み殺した場合は皇帝が必ず赦すという。恨みのあまり噛むに至ったならば、噛まれた者の悪もまた推して知るべしだからだと。私は法律には暗いが、おそらく民国以前の律文にも、こうした規定はなかったろう。
人咬み――農民たちの本意は死を逃れることにある。――だが惜しむらくはこれは妄信だ。――しかしこの他に、彼らは別の方法を知らないのだ。
死を救おうとし、死を逃れようとして、かえって自ら死を速める。悲しいかな!
帝国から民国になって以来、上層の変化は少なくなかった。しかし教育のない農民は、まだ何一つ新しい有益なものを得ておらず、依然として昔の迷信、昔の誤伝のまま、死に物狂いで救死・逃死を図りつつ、自ら死を速めている。
今度、彼らは「天の討伐」を受けるだろう。彼らは恐れおののくだろうが、「天の討伐」の意味が分からぬゆえに、不平も抱くだろう。やがてこの恐怖と不平が忘れられれば、迷信と誤伝だけが残り、次の水旱の災害の時には、またも神迎え、人咬みが繰り返される。
この悲劇はいつ終わるのだろうか?
(八月十九日。)
附記:
傍らに黒点を付した三つの文は、印刷されたときにすべて削除されたものだ。総編集者か検閲官の斧削か、知る由もないが、原稿を覚えている著者にとっては、非常に面白い。彼らの意図は、おそらく田舎の人々の考え――たとえ妄信であっても――をみなに知らせない方がよく、さもなくば弊害が生じ、多くの喉も危なくなるだろうと恐れたのであろう。
(八月二十二日。)
第51節
【読書瑣記(三) 焉于】
創作家はおおむね批評家のあれこれ言うのを嫌う。
ある詩人がこう言ったのを覚えている。詩人が詩を作るのは、植物が花を咲かせるようなもので、咲かずにはいられないからだ。もし摘んで食べて中毒しても、それは自業自得だと。
この比喩は美しく、もっともらしく聞こえる。しかしよく考えると誤りもある。誤りは、詩人はつまるところ一株の草ではなく、社会の中の一個の人間だということだ。しかも詩集は金を取って売るのだから、ただで摘めるわけがない。金を取る以上、これは商品であり、買い手にも良し悪しを言う権利が生ずる。
たとえ本当に花だとしても、もし深山幽谷の人跡未踏の地に咲いているのでなければ、毒があれば庭師の類が手を打つはずだ。花の事実もまた、詩人の空想の通りにはいかない。
今は言い方が変わって、作者でない者までも批評家を嫌い、こう言う者がいる——そんなに物知りなら、お前が一つ書いてみろ!
これにはまったく批評家も鼠のように逃げ出すしかない。なぜなら批評家でありながら創作もできる者は、昔から非常に少ないからだ。
思うに、作家と批評家の関係は、料理人と食客にいくらか似ている。料理人が一品作れば、食客は良いの悪いの言うものだ。料理人が不公平だと感じたら、その客が神経病ではないか、舌苔が厚くはないか、旧怨を挟んではいないか、勘定を踏み倒す気ではないか、見てみればよい。あるいは広東人で蛇肉が食べたいのか、四川人でまだ唐辛子が欲しいのか。そこで弁明なり抗議なりを出せばよい――むろん、一言も言わずともよい。しかし客に向かって「なら、お前が一杯作って俺に食わせてみろ!」と怒鳴るのは、さすがにいささか滑稽であろう。
たしかに四五年前、筆をとる者は批評家になりさえすれば文壇に高く座れると思い、速成や乱評も少なくなかった。しかしこの風潮を矯正するには批評の批評を用いるべきであって、批評家という肩書きに泥を塗りつけるのは良い方法ではない。ただ我々の読書界は平和を好む者が多く、筆戦を見れば何であれ「文壇の悲観」だの「文人相い軽ず」だのと言い、甚だしくは是非を問わず一律に「罵り合い」と称し、「真っ黒けの一団の醜態」だと断ずる。果たして、今では誰が批評家だとも聞かなくなった。だが文壇はどうかと言えば、依然として元のままで、ただ表に現れなくなっただけだ。
文芸には必ず批評が要る。批評が正しくなければ、批評をもって抗争すべきであり、そうしてこそ文芸と批評が共に前進できる。もし一律に口を塞いで文壇が清浄になったことにすれば、得られる結果はかえって逆のものになるだろう。
(八月二十二日。)
第52節
【「大雪紛飛」 張沛】
自分の主張を支持しようとするとき、一本のチョークで相手の顔を塗って道化に仕立て、自分が正役であることを引き立てようとする者がいる。しかしその結果は、往々にして思惑と正反対になる。
章士釗先生は今は民権の保障に当たっておられるが、段政府時代には文言の保障もされていた。彼はかつて実例を作り、「二桃もて三士を殺す」を白話で「二つの桃が三人の読書人を殺した」と書くのは、いかに駄目かと言った。今度は李焰生先生が大衆語文に反対して、「静珍君の挙げた例のように、『大雪紛飛』は『大雪が一片一片ひらひらと降っている』よりも簡潔にして神韻に富み、適宜採用するのは文言文の提唱と同列に論ずべきではない」と賛同されている。
私もやむを得ない場合に大衆語文が文言・白話、さらには外国語を採用することに賛成するし、事実すでに採用されている。しかし両先生が代わりに訳した例は、いかにも的外れだ。あの時の「士」は必ずしも「読書人」ではなく、すでに人が指摘している。今回の「大雪紛飛」にも「一片一片」の意味はなく、わざと冗長にして大衆語に恥をかかせようとする技にすぎない。
白話は文言の直訳ではなく、大衆語も文言や白話の直訳ではない。江浙で「大雪紛飛」の意味を言い表すのに、「大雪が一片一片ひらひらと降っている」などとは言わない。大抵は「ひどい」「猛烈だ」「すさまじい」のような語で雪の降り方を形容する。もし「古書で検証」したければ、『水滸伝』の中の一句「あの雪はちょうど激しく降っている」こそが、現代の大衆語に近い言い方であり、「大雪紛飛」より二字多いが、その「神韻」ははるかに優れている。
学校から社会の上層へ飛び出した人が、思想も言語も一歩ずつ大衆から離れていくのは、もちろん「勢い免れ難い」ことだ。しかしもし幼い頃から坊ちゃんでなく、多少なりとも「下層の人間」と関わりがあったなら、心を翻して思い返せば、きっと文言や白話に勝る彼らの好い言葉をいくつも思い出すことができるだろう。もし自ら醜悪なものをでっち上げて、敵対するものが駄目だと証明しようとするなら、それは隠した場所から掘り出した自分自身の醜悪であり、大衆を辱めることはできず、大衆を笑わせるだけだ。大衆は読書人ほど知識は高くないが、出鱈目を言う者に対して一つの諡号を持っている――「刺繡の枕」。この意味はおそらく田舎の人にしか分かるまい。貧しい者が枕に詰めるのは鳥の羽毛ではなく、藁なのだから。
(八月二十二日。)
第53節
【漢字とラテン文字化 仲度】
大衆語文に反対する人々は、主張者に得意げに命令する。「品物を出して見せろ!」と。その一方で、こんなお人好しもいる。相手が本気なのかからかっているのかも問わず、たちまち必死で標本を作りにかかるのだ。
読書人が大衆語を提唱するのは、もちろん白話の提唱より困難だ。白話を提唱したときは、良かれ悪しかれ使ったのは白話だったが、今大衆語を提唱する文章は大抵大衆語ではない。しかし反対者には命令を下す権利はない。たとえ身体障害者であっても、もし健康運動を主張しているなら、彼は絶対に間違っていない。もし纏足を提唱するなら、たとえ天足で壮健な女性であっても、彼女は有意に、あるいは無意に人を害しているのだ。アメリカの果物大王は、一品種の果物を改良するだけで十数年の歳月を要した。まして大衆語は遥かに大きな問題ではないか。もし彼の矛で彼の盾を攻めるなら、反対者は文言か白話に賛成しているはずだ。文言には数千年の歴史があり、白話には二十年近くの歴史がある。彼もまた彼の「品物」をみなの前に出してみるがよい。
しかし我々自ら試みることも構わない。『動向』にはすでに三篇の純粋な方言で書かれた文章が掲載されたが、胡繩先生はこれを読んだ後、やはり方言でない文の方が分かりやすいと評した。実のところ、一つ骨を折れば、どの方言で書かれたものでも理解できる。私の個人的経験では、我が故郷の方言は蘇州とはかなり異なるが、一部の『海上花列伝』のおかげで「門を出ずして」蘇州語が分かるようになった。最初は分からなかったが、頑張って読み続け、記事と照合し、会話を比較するうちに、やがてすべて分かった。もちろん非常に困難だった。この困難の根は、漢字にあると私は思う。一つ一つの四角い漢字にはそれぞれ意味があり、今それをそのまま方言を写すのに用いると、あるものは本来の意味で使われ、あるものはただの借音にすぎない。すると読む際に、どの字が意味で使われ、どの字が借音かを分析しなければならず、慣れればどうということはないが、初めは非常に骨が折れるのだ。
たとえば胡繩先生の挙げた例で、「窝里に回ろう」と言えば「犬の巣穴」に帰ると取られかねず、「家に帰ろう」と言った方が明瞭だという。あの文の病根は漢字の「窝」にある。実際にはあのような書き方をすべきではないだろう。我が故郷の田舎の人もまた「家」のことを Uwao-li と言い、読書人が書き取ると「窝里」と書きやすいが、この Uwao は実は「屋下」の二音の合成がいくらか訛ったもので、「窝」の字で安易に代用してはならない。もし他に意味のない音だけを記せば、いかなる誤解も生じないだろう。
大衆語文は文言や白話より音数が多い。もしなお四角い字で書くならば、頭脳を使うだけでなく手間もかかり、紙墨すら不経済だ。この四角い病んだ遺産のために、我々の最大多数の人間は、すでに数千年にわたって文盲として殉死してきた。中国もこの有様で、他国が人工降雨を行っているとき、我々はまだ蛇を拝み神を迎えている。もしみなが生き延びたいのなら、漢字に我々の犠牲になってもらうしかあるまい。
今はただ「書法のラテン文字化」の一条の道があるのみだ。これは大衆語文と切り離せない。やはり読書人からまず試みて、字母・綴り方を紹介し、それから文章を書く。初めは日本語のように、名詞の類の漢字だけを残し、助詞・感嘆詞を、やがて形容詞・動詞もすべてラテン文字の綴りで書く。そうすれば目にも馴染みやすく、理解もはるかに容易になる。横書きにするのは言うまでもない。
これは今すぐ実験しても、決して難しくはあるまい。
なるほど、漢字は古代から伝わる宝物だ。しかし我々の祖先は漢字よりもさらに古いのだから、我々こそはなおさら古代から伝わる宝物だ。漢字のために我々を犠牲にするか、我々のために漢字を犠牲にするか。これは正気を失っていない者なら、誰でもただちに答えられることだ。
(八月二十三日。)
第54節
【「シェイクスピア」 苗挺】
厳復は「シェイクスピア」に触れたことがあるが、触れただけで終わった。梁啓超も「シェイクスピア」を論じたが、注目する者はいなかったようだ。田漢がこの人の作品の一部を翻訳したが、今はあまり流行していないらしい。今年に至って、また「シェイクスピア」「シェイクスピア」と騒がしくなり、杜衡先生がその作品から群衆の盲目を証明しただけでなく、ジョンソン博士を拝するかの教授までもがマークス「ニュークス」の断片を翻訳しに来た。なぜか? 何のためか?
しかもソ連でも原作のシェイクスピア劇を上演するという話だ。
上演しなければまだしも、上演しようとしたとたん、施蟄存先生に「醜態」を見抜かれてしまった——
「……ソ連は最初『シェイクスピアを打倒せよ』であり、次いで『シェイクスピアを改編せよ』であり、今はどうだ、演劇季で『原作シェイクスピアを上演する』ことになっているではないか?(しかも梅蘭芳に『貴妃酔酒』を演じさせようとしている!)この政治方策を文学に運用する醜態は、まことに歯が冷えるではないか!」(『現代』五巻五号、施蟄存「私と文言文」)
ソ連は遠いし、演劇季の状況はまだよく分からないから、歯の冷暖はひとまず措こう。しかし梅蘭芳と記者の対談は『大晩報』の『火炬』に載っていて、『貴妃酔酒』を演じに行くとは言っていない。
施先生自身こう言っている。「私は生まれてこのかた三十年、幼稚で物を知らなかった時代を除き、思想も言行も一貫していると自負する。……」(同前)これはもちろん結構なことだ。しかし彼が「語った」他人の「行い」は必ずしも一致せず、時には不一致もあるようで、『貴妃酔酒』はその好例だ。
実のところ梅蘭芳はまだ出発もしていないのに、施蟄存先生は早くも彼が「プロレタリアート」の前で裸で水浴びすると断定している。こうなれば、彼らはただ「次第に資産階級の余毒に染まる」のみならず、中国の国粋にも染まるだろう。彼らの文学青年が将来宮殿を描写するとき、『文選』や『荘子』に「語彙」を求めても不思議ではない。
しかし『貴妃酔酒』を演じれば施先生の「歯が冷え」、演じなくても予言者の面目が潰れる。どちらに転んでも不愉快だから、施先生はまた自ら言う。「文芸の上で私はずっと孤独な人間だ。みだりに衆怒を買うことは敢えてしない。」(同前)
末尾の一文は謙遜で、施先生に賛成する者は実は少なくない。でなければ堂々と雑誌に発表できようか?——この「孤独」はまことに価値あるものだ。
(九月二十日。)
第55節
【商人の批評 及鋒】
中国に今、良い作品がないことは、とうに批評家やでたらめ評論家の不満を買い、先ごろはその原因の究明も行われた。結果は、結果が出ないということだった。しかしなお新しい解釈がある。林希雋先生は、作家が「投機取巧の手管」で「雑文」を書いて「自らを毀してしまった」ため、シンクレアやトルストイも作れなくなったのだと言う(『現代』九月号)。またもう一人の希雋先生は、「この資本主義社会において……作家は知らず知らずのうちに商人と化した。……より多くの報酬を得るために、『粗製濫造』の方法を取らざるを得なくなり、もはや精根を傾けて苦心して真剣に創作する者はいなくなった」と言う(『社会月報』九月号)。
経済に着眼したのは、もちろん一歩進んだと言える。しかしこの「精根を傾けて苦心して真剣に創作した」学説は、常識しか持たない我々の見解とはかなり異なる。我々はこれまで、資本で利益を得る者を商人と考えてきた。だから出版界では、金を出して書店を開いて儲ける店主が商人だ。ところが今になって、文章で限りある原稿料を得る者も商人だと知った。ただし一種の「知らず知らずの」商人だ。農民が米を少し節約して売るのも、工人が筋力で金を得るのも、教授が口を売るのも、娼婦が淫を売るのも、すべて「知らず知らずの」商人だ。買い手だけが商人ではないことになるが、その金は必ず何かと交換して得たものだから、やはり商人だ。かくして「この資本主義社会において」は一人残らず商人であり、ただ「知らず知らず」と有形の二大類に分かれるだけとなる。
希雋先生自身の定義で彼自身を判定すれば、もちろん「知らず知らずの」商人だ。もし売文で生計を立てていないのなら、「粗製濫造」の必要もないはずだが、それではどうやって暮らしているのか。きっと別に商売をしているのであり、あるいはまさに有形の商人かもしれない。だから彼の見識は、どう見ても商人の見識を免れない。
「雑文」は短い。書く手間だけでも、「和平と戦争」(これは林希雋先生の文章からの写しで、原題は実は『戦争と平和』だ)ほどの長い時間は決してかからず、労力がきわめて少ないのはまったくその通りだ。しかしやはり少しの常識と少しの苦心が要る。さもなくば、「雑文」であっても、さらに一段と「粗製濫造」になり、笑い種が残るだけだ。作品にはつねに欠点がある。アポリネールは孔雀を詠み、尾を翹げれば光輝燦爛だが、後ろの肛門も露になると言った。だから批評家の指摘は必要だ。ただし批評家もまたこのとき尾を翹げて、肛門を露にする。ではなぜそれでも必要かと言えば、正面にはまだ光輝燦爛たる羽があるからだ。しかしもし孔雀ではなく、ただの鵞鳥や家鴨の類なら、尾を翹げて露わにするのは何だけか、少しは考えた方がよい!
(九月二十五日。)
第56節
【中秋の二つの願い 白道】
先日はまことに「悲喜交々」であった。国暦の九一八が過ぎたばかりで、もう「旧暦」の「中秋の名月見」があり、さらに「海寧の観潮」がある。海寧といえば、またぞろ「乾隆帝は海寧の陳閣老の息子だ」と語る者が出てきた。この満州の「英明なる君主」が、もとはと言えば中国人がすり替えた赤子とは、なんと景気のよい、しかも幸運な話であろう。一兵を損ぜず、一矢を費やさず、ただ生殖器官だけで革命を成し遂げた。まったくこの上ない安上がりだ。
中国人は家族を尊び血統を重んじるが、その一方で、何の関係もない人々と親戚づきあいをしたがる。一体どういうつもりなのか、私にはまるで分からない。幼い頃から「乾隆は我々漢人の陳家からこっそり抱えて行かれたのだ」とか「我々は元朝で欧州を征服した」とか、耳にたこができるほど聞かされてきた。ところが今になっても、煙草屋の中国政界偉人選挙投票ではチンギス・ハンが候補の一人に入っているし、民智を啓く新聞ではまだ満州の乾隆帝が陳閣老の息子だと講じている。
昔は確かに女性が番人の元へ行ったことがある。芝居でも男が番国の駙馬に招かれ、便宜を得て嬉々としてやっている。近い例でも、侠客を義父と仰いだり、富豪の入婿になったりして急に成り上がった者は当然いるが、これは体面のよいことではない。男子漢・大丈夫たるもの、別に能力があり、別に志を持ち、智力と別の体力を恃むべきだ。さもなくば、やがてまたみなが日本人は徐福の子孫だと大いに言い出すのではないかと、私はまことに恐れる。
一つ目の願い——今後はみだりに他人と縁を結ぶのをやめよう。
ところが文学にまで縁結びをする者が現れた。女性の才能は男性との肉体関係によって影響を受けるとし、欧州の数人の女性作家にはみな文人の恋人がいたことを証拠に挙げた。すると別の者がこれを反駁し、フロイト説に基づくもので当てにならないと言った。実のところこれはフロイトの説ではない。ソクラテスの妻が哲学をまるで解さず、トルストイの妻が文章を書けなかったという反証を、フロイトが忘れるはずがない。そもそも世界文学史上に、中国のいわゆる「父子作家」「夫婦作家」のような「気恥ずかしさを面白がる」人物がどれほどいるか。文学は梅毒とは異なり、黴菌がないのだから、性交で相手に伝染するはずがない。「詩人」が一人の女を釣ろうとして、まず「女詩人」と持ち上げるのは、一種のおべっかであり、本当に詩才を伝染させたわけではない。
二つ目の願い——今後は目線を臍下三寸から離そう。
(九月二十五日。)
第57節
【試験場の三つの恥 黄棘】
昔、八股文の試験の時代に、三種類の答案があり、受験生は大いに面目を失った。後に策論に変わってからも、おそらく同じだっただろう。第一は「白紙答案」で、題目だけ書いて文章は書けない、あるいは題目すら書かないもの。しかしこれが最も潔い。ほかにこれ以上の枝葉はないからだ。第二は「刊本からの筆写」で、僥倖を願う心がまずあって、刊本の八股を暗記するか持ち込み、もし題目が合えばそのまま写して、試験官の目を誤魔化そうとするもの。品行はもちろん「白紙答案」の者より劣るが、文章は大抵よいので、ほかに別段の枝葉はない。第三が最悪で、でたらめに書くこと。不合格は言うまでもないが、でたらめな文章の中から笑い話を掘り出されてしまう。茶飲み話の種にされるのは、大概このたぐいだ。
「不通」はまだこの中に入らない。なぜなら不通であっても、彼はとにかく題目を見て文章を書いているのだから。しかも不通の境地まで文章を書くのも容易ではない。中国の古今の文学者で、一つも不通の文がないと保証できる者が誰かいるだろうか? 自分が「通じている」と思い込んでいる者がいるが、それは「通じる」「通じない」の区別すら分かっていないからだ。
今年の試験官の連中は、しきりに中学生の答案の笑い種を語っている。だが実のところ、その病根はでたらめに書くことにある。あの題目は、刊本から写しさえすれば全員合格できるものだ。たとえば『十三経』とは何か、文天祥はどの朝の人か、自分で頭を絞る必要はまるでなく、ひとたび絞ればかえって駄目になる。そこで文人学士たちは国学の衰退、青年の不出来を大いに嘆き、まるで自分たちだけが文林の碩果であるかのように、もっともらしい顔をしている。
しかし刊本からの筆写だって容易ではない。もしあの試験官たちを試験場に閉じ込めて、いきなりいくつか馴染みの薄い古典について問うてみれば、でたらめに書かないまでも、白紙答案を出さないとは限るまい。こう言うのは、すでに名を成した文人学士を軽んじるためではなく、古典は多く、覚えきれないのは不思議ではないが、全部覚えている方がかえって奇妙だと思うからだ。古書には後人が注をつけたものが少なくないではないか。あれはみな自分の書斎に座り、群書を調べ、類書を繙き、年月をかけてようやく脱稿したのであり、それでもなお「未詳」があり、誤りがある。今の青年にはもちろん指摘する力はないが、証人としては他の誰かの「補正」がある。しかも補に補を重ね、正に正を重ねたものも、時に見られる。
こう見てくると、もし刊本から写すことができ、しかもそれなりに体裁を繕えるなら、この人は現在の大人物だということになる。青年学生にいくらかの誤りがあるのは、常人の分際に過ぎない。それなのに世間に詬られるとは。彼らの中から「冤枉だ」と叫ぶ者がいないのが、まことに不思議だ。
(九月二十五日。)
第58節
【またもや「シェイクスピア」 苗挺】
ソ連が原作シェイクスピアを上演するのは、見よ「醜態」。マルクスがシェイクスピアを論じたのは、もちろん誤り。梁実秋教授がシェイクスピアを翻訳するらしく、一冊大洋千元。杜衡先生がシェイクスピアを読んで、「もう少し人生経験が必要だ」と悟った。
我々の文学者・杜衡先生は、以前は自分でも「人生経験」の不足を感じていなかったらしく、群衆を信じていた。しかしシェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』を観てからは、「彼らには理性がない。明確な利害の観念もない。彼らの感情はまったく数人の煽動家に支配され、操縦されている」と悟ったのだ。(杜衡「シェイクスピア劇『シーザー伝』に表現された群衆」、『文芸風景』創刊号所載。)もちろんこれは「シェイクスピア劇」に基づくもので杜先生とは無関係であり、彼自身もまだそれが正しいかどうか判断できないと言うが、自分に「もう少し人生経験が必要だ」と感じたことだけは、すでに明白だ。
これは「シェイクスピア劇『シーザー伝』に表現された群衆」が杜衡先生に与えた影響である。では「杜文『シェイクスピア劇シーザー伝に表現された群衆』に表現された群衆」はどうか? 『シーザー伝』に表現されたものと何ら変わらない——
「……これは我々に、近数百年来の各次の政変においてしばしば見られる、『鶏来たれば鶏を迎え、犬来たれば犬を迎う』式の……あの痛心すべき状況を想起させる。……人類の進化とは一体どこにあるのか? それとも我々のこの東方の古国は今なお二千年前のローマが経た文明の段階に停滞しているのだろうか?」
まことに、「古を思う幽情」は、往々にして現在のためだ。こう比べると、ローマにもかつて理性があり、明確な利害の観念があり、感情が数人の煽動家に支配も操縦もされない群衆がいたのではないかと疑いたくなるが、彼らは駆散され、弾圧され、殺戮されたのだ。シェイクスピアは調査しなかったか、あるいは思い至らなかったか、しかし故意に抹殺したのかもしれない。彼は古の人であり、こうした手を使ったところで手品とは言えない。
しかし彼の貴手が一たび取捨し、杜衡先生の名文が一たび敷衍すると、群衆は永遠に「鶏来たれば鶏を迎え、犬来たれば犬を迎う」材料であり、迎えられる側の方がよほど見込みがあると、まことに思わされる。「私に至っては、正直に言って」、群衆の無能と卑しさは「鶏」「犬」にすら勝ると、いくらか「感じ」さえしたのだ。もちろんこれは群衆を愛すればこそで、彼らがあまりに情けないからだ——自分ではまだ判断できないにしても、「この偉大なる劇作家は群衆をこのように見ている」のだから。信じない者は彼に聞けばよい!
(十月一日。)
第59節
【句読点の難しさ 張沛】
『袁中郎全集校勘記』を見て、さして重要でもないことを数句思いついた。すなわち、句読を切ることの難しさだ。
清代、塾の師匠が秘本を調べずに、空手で『四書』に句読を付け終えることができれば、田舎では大学者と見なされた。滑稽に思えるかもしれないが、大いに道理がある。古書をよく買う人なら、時折こんな本に出くわすだろう——冒頭に句読が施されているが、誤読が混じっており、途中で筆が止まっている。もう付けられなくなったのだ。こうした本は綺麗な本より安く買えるが、読むのはまことに不愉快だ。
古書に標点を付して出版するのは「文学革命」の時に始まった。標点付きの古文で学生を試すのは、確か北京大学で同時期に始まったと記憶しているが、これはまったくの悪戯で、「学び励む学子」たちに数多の笑い話をさせることとなった。
この時はただ、白話に反対する者や、白話に反対はしないが古文にも長けている学者たちに涼しげな物言いを許すしかなかった。ところが学者たちも「腕が疼く」もので、時に自ら手を出す。出した途端にいささか拙いことになる。いくつか切れない句があるのはまだ許せるが、極めて平易な句にまで誤読を付けるのだ。
古文はもともと標点しにくいことが多い。たとえば『孟子』の一節、我々はおおむねこう読む。「馮婦なる者有り、善く虎を搏つ。卒に善士と為る。則ち野に之く。衆の虎を逐う有り。虎嵎に負き、之に敢えて撄る者莫し。望みて馮婦を見、趨りて之を迎う。馮婦臂を攘げて車を下る。衆皆之を悦ぶ。其の士為る者は之を笑う。」しかし「卒に善と為る。士は則ち之く。野に衆の虎を逐う有り……」と切るべきだという者もいる。この「笑う」「士」は、先に「則った」「士」と同じだというのだ。そうでなければ「其の士為る者」はあまりに唐突だ。しかし究極、どちらが正しいか決め難い。
もっとも、もし調子の定まった詞曲、句の対偶する駢文、あるいは難解でもない明人の小品であって、標点者がまた名士学者であるにもかかわらず、なお誤読が出るとなれば、蚊に刺されなくても鳥肌が立つというものだ。口では白話がどうの、古文がいかに素晴らしいのと言いながら、手を動かせば古文に誤読を付ける。しかもその古文は彼自身がまさに力説して称揚している古文なのだ。誤読——それは読めていないことの明白な証拠ではないか。良いの悪いの、一体どこから来るのだ?
古文に標点を施すのは、まことに一つの試金石だ。数個の点と数個の丸を打つだけで、真の色が現れてしまう。
だがこの話はあまり続けない方がよい。これ以上話せば、間もなくさらに高尚なる議論が出て、標点は「流行に随う」代物で「性霊」を損なうから排斥すべし、ということになりかねない。
(十月二日。)
第60節
【奇怪(三) 白道】
「中国第一流の作家」たる葉霊鳳と穆時英の両先生が編集する『文芸画報』の大広告は、新聞で早くから見ていた。半月余り経って、ようやく店頭でこの「画報」を目にした。「画報」である以上、見る者も当然「画報」を見る心持ちで、まず「画」を見る。
見なければまだしも、見たとたん奇怪である。
戴平万先生の「瀋陽への旅」に三枚の挿図があり、どことなく日本人の筆致に似ている。記憶を辿ると、ああ、なるほど、日本の雑誌店で見たことがある『戦争版画集』に収められた料治朝鳴の木版画で、奉天での戦勝を記念して作られたものだ。日本が中国に対する戦勝を記念した作品が、被戦勝国の作者の作品の挿図になっている——奇怪一。
さらに捲ると、穆時英先生の「墨緑の服の女」に三枚の挿画があり、どことなくマゼレールの筆致に似ている。白黒鮮明で、私は良友公司が翻刻した四冊の小さな本から彼の作風を覚えていたが、今回の木版画の署名も明白にFMの二文字だ。まさか「中国第一流の作家」のこの作品が、予めフランス語に翻訳されてマゼレールに挿画を彫ってもらったとでも言うのだろうか?——奇怪二。
今度は文字、「世界文壇瞭望台」だ。冒頭にこうある。「フランスのゴンクール賞は、昨年意外にも(白注:忌々しい!)中国を題材にした小説『人間の条件』に授与された。作者はアンドレ・マルロー」だが、「あるいは立場の関係であろう、この本は文体の上ではおしなべて賞讃されているが、内容の上では一様に新聞評論の攻撃を受けている。マルローほどの才能の作家が、よりにもよって文芸を宣伝の道具にするとは惜しいことだ、といった調子である」云々。この「瞭望」によれば、「どうやら」フランスのゴンクール賞の文学作品審査員の「立場」は、「文芸を宣伝の道具にする」ことに賛成している、ということになる——奇怪三。
もっとも、これは私自身の「珍しがり」に過ぎず、他の人はそうではないかもしれない。昔の「怪しむ者」は「怪しむに足らず、怪自ら敗る」と言ったが、今の「怪」は早々と「見ても怪しむなかれ」と宣言している。巻頭に「編者随筆」がある——
「ただ毎号、さほど重くもない文字と図画を提供し、文芸に興味ある読者が他の深刻な問題に疲れた目を少し覚ますか、あるいは破顔一笑できれば、ただそれだけのことである。」
なるほど、「中国第一流の作家」が、かつての「ビアズリー」の生き写しを演じ、今年はマゼレールの丸呑みをする小技は、大才小用で、ただ人に「他の深刻な問題に疲れた目を少し覚ます、あるいは破顔一笑」させるためだったのだ。もしこの目覚ましの「文芸画」から、深刻でないにしても問題がまた起これば、二人の「中国第一流の作家」の芸を披露する苦心に、結局は背くことにならないだろうか?
それでは、私も「破顔一笑」しよう——
ハッ!
(十月二十五日。)
第61節
【梅蘭芳及びその他について(上) 張沛】
名優を崇拝するのは北京の伝統だ。辛亥革命後、伶人の品格が高まり、この崇拝も清らかになった。初めは譚叫天だけが劇壇に君臨し、誰もが彼の技芸は素晴らしいと言ったが、おそらくいくばくかの世故も混じっていた。なぜなら彼は「老仏爺」——西太后に賞されたからだ。誰も彼のために宣伝し、知恵を出す者はいなかったから、世界的名声は得られなかったが、しかし彼のために脚本を書く者もいなかった。この「書かなかった」には、いくらか「書く勇気がなかった」が含まれていると私は思う。
後に名を馳せた梅蘭芳は、彼とはまるで違った。梅蘭芳は生ではなく旦であり、皇室の扶持ではなく俗人の寵児である。これが士大夫に手を下す勇気を与えたのだ。士大夫はつねに民間のものを奪おうとする。竹枝詞を文言に改め、「小家碧玉」を妾にする。しかし一たび彼らの手にかかると、そのものも彼らとともに滅びてしまう。彼らは梅蘭芳を俗衆の中から引き上げ、ガラスのケースを被せ、紫檀の台座をこしらえた。多くの者には聞き取れない言葉で、ゆっくりと「天女散花」を舞わせ、くねくねと「黛玉葬花」を演じさせた。以前は彼が芝居をしていたのに、今や芝居が彼のために作られるようになった。新しい脚本はことごとく梅蘭芳のためだけに、しかも士大夫の心中の梅蘭芳のためだけに書かれた。雅にはなったが、多くの者には分からず、見たくもなく、自分には見る資格もないとさえ感じるようになった。
士大夫たちもまた日増しに沈潜し、梅蘭芳は近頃いささか冷遇されている。
旦角ゆえに年を取れば冷遇されるのは必至か? そうではない。老十三旦は七十歳で、ひとたび舞台に上がれば満席喝采だ。なぜか? 彼が士大夫に独占されず、ガラスのケースに閉じ込められなかったからだ。
名声の興亡は光の興亡にも似ていて、興るときは近くから遠くへ、滅ぶときは遠方にまだ余光が残る。梅蘭芳の訪日・訪米は、実はもはや光の発揚ではなく、中国における光の収斂だった。彼はガラスのケースから飛び出そうとは思い至らなかったから、このまま運び出され、このまま運び戻された。
彼が士大夫の助力を得る前に演じていた芝居は、もちろん俗であり、下品で不潔でさえあったが、しかし潑剌として生気があった。「天女」と化してからは高貴にはなったが、以来死に体となり、気取りが痛々しい。死にもせず生きもせぬ天女や林妹妹を見るよりは、大多数の人は、一人の美しく活き活きとした村娘を見た方がよいだろう。彼女は我々に近いのだ。
しかるに梅蘭芳は記者にこう語った。さらに他の脚本も、もっと雅にしたいと。
(十一月一日。)
第62節
【梅蘭芳及びその他に関する略論(下) 張沛 】
しかも梅蘭芳はソ連に行こうとしている。
議論紛々。我々の大画家・徐悲鴻教授もかつてモスクワに行って松を描いたことがある——あるいは馬だったか、はっきり覚えていないが——国内ではこれほど騒がれなかった。このことからも、梅蘭芳博士の芸術界における地位が、まさに人に超えていることが分かる。
しかも『現代』の編集室まで緊張させてしまった。筆頭編集者の施蟄存氏は言った、「しかもまだ梅蘭芳に『貴妃酔酒』を演じさせようというのだ!」(『現代』五巻五期。)こんなに大声で叫ぶとは、よほどの不満であろう。もし予め性別を知らなければ、臓躁の症を患ったかと疑わせるほどである。次席編集者の杜衡氏は言った、「脚本鑑定の仕事が終われば、最も前衛的な戯をいくつか選んで、まずモスクワに行って梅蘭芳先生の『転向』後の個人的創作として宣伝しても差し支えあるまい。……なぜなら慣例として、ソ連に行く芸術家は、いかなる場合もあらかじめ少しばかり『転向』を示すべきだからだ。」(『文芸画報』創刊号。)こちらはずっと冷静で、一目見ればその手腕の巧みなことが分かる。斉如山先生をして自ら及ばずと嘆かせ、急いで手助けを頼みに来させるほどだ——手助けの手助け。
しかし梅蘭芳先生は、中国の戯は象徴主義であり、脚本の字句はもう少し雅でなければならないと言っている最中で、実のところ彼こそ芸術のための芸術を追求しており、彼もまた「第三種の人」なのだ。
ならば、彼は「少しばかり『転向』を示す」ことはしないであろう。今のところまだ少し早い。彼はおそらく別の筆名を使って脚本を一篇書き、ある知識階級の人物を描くだろう。常に芸術のためだけに専念し、常に俗事を問わないが、最後になって、彼は結局やはり革命の側にいる、と。こうすればずっと活き活きとする。最後になるまでは花だの光だのと言い、いざ最後になれば、この作品を書いたのは実は私だ、となれば革命の側ではないか。
しかし梅蘭芳博士が自ら文章を書いておきながら、別の筆名で自分の演技を称賛するようなことをするかどうか、あるいは架空の団体を設立して何やら「戯劇年鑑」を出版し、自ら序文を書いて、自分は劇界の名人だと言うようなことをするかどうか、私は知らない。もしそのようなことがないのなら、この手も使えまい。
もし使えないのなら、杜衡氏を失望させ、「もう少し明るく」と言わせることになるだろう。
この辺で止めておこう。これ以上「略論」を続ければ、梅先生に「批評家に滅茶苦茶に罵られたせいで、良い芝居ができなくなった」と言われかねない。
(十一月一日。)
第63節
【罵殺と捧殺 阿法 】
近頃、文学批評に不満を抱く者たちは、近年のいわゆる批評なるものは捧げることと罵ることに過ぎない、と口を揃えて言う。
実のところ、いわゆる捧げると罵るとは、称賛と攻撃を少々見栄えの悪い言葉に換えたに過ぎない。英雄を英雄と指し、娼婦を娼婦と言うのは、表面上は捧げたり罵ったりしているように見えるが、実際にはぴったり当てはまっており、批評家を責めることはできない。批評家の過ちは、出鱈目に罵り出鱈目に捧げることにある。たとえば英雄を娼婦と言い、娼婦を英雄に祭り上げるような。
批評が威力を失ったのは「出鱈目」のせいであり、甚だしくは事実と正反対の「出鱈目」に至っている。この真相が皆に見抜かれれば、その効果も時に逆になる。だから今は罵り殺される者は少なく、捧げ殺される者が多いのだ。
人は古いが事は近い例として、袁中郎がいる。この一群の明末の作家たちは、文学史上に固有の価値と地位を持っている。不幸にも一群の学者たちに持ち上げられ、頌揚され、句読点を打たれ、印刷され、「色は借り、日月は借り、燭は借り、青黄は借り、眼の色は定まらず。声は借り、鐘鼓は借り、枯竹の穴は借り……」と借りまくって混乱の極みに至った。まるで中郎の顔に隈取りを描いておいて、皆に指さして見せ、舌を鳴らして賞賛するようなものだ。「ほら、なんと『性霊』的ではないか!」と。中郎の本質には無論何の関係もないが、他の誰かが隈取りを洗い落とすまでは、この「中郎」は人々の笑い物になり、大いに不運な目に遭うことを免れない。
人は近いが事は古い例として、私はタゴールを思い出す。彼が中国に来て壇上で講演した時、人々は彼のために琴を一張り用意し、香を一炉焚き、左に林長民、右に徐志摩、おのおのインドの帽子を被っていた。徐詩人が紹介を始めた。「オーム!ジリグル、白雲清風、銀磬……チーン!」彼をまるで生き仙人のように語ったので、我々のこの地上の青年たちは失望し、離れていった。仙人と凡人、どうして離れずにいられようか。しかし私は今年、彼がソ連を論じた文章を読み、自ら「私はイギリス統治下のインド人である」と宣言しているのを見た。彼自身、明々白々に分かっているのだ。おそらく彼が中国に来た時にも、決してまだ朦朧としていたはずはない。もし我々の詩人諸公が彼を生き仙人に仕立て上げなかったなら、青年たちも彼に対してこれほど隔たりを感じることはなかっただろう。今となっては大いに不運なことだ。
学者や詩人の看板を掲げて一人の作者を批評したり紹介したりするのは、初めは大いに人を惑わすことができる。しかし他の人々がこの作者の真の姿を見極めた時には、残るのはただ自身の不誠実さ、あるいは学識の不足だけだ。だがもし他の誰も真相を指摘しなければ、この作家はそのまま捧げ殺されてしまい、何年後に名誉が回復されるか分かったものではない。
(十一月十九日。)
第64節
【読書の忌 焉於 】
中国の医書にはしばしば「食忌」が記されていたのを覚えている。すなわち、ある二種の食物を同時に食べると人体に害があり、あるいは命を落とすこともあるという。たとえば葱と蜜、蟹と柿、落花生と胡瓜の類である。しかしそれが真実かどうかは知る由もない。実際に試した人の話を聞いたことがないからだ。
読書にも「忌」がある。ただし「食忌」とは少々異なる。それはある種の書物は決して別のある種の書物と同時に読んではならないということだ。さもなければ、両者のうち一方は必ず打ち負かされるか、少なくとも読者はかえって憤怒を覚えることになる。たとえば今まさに盛んに提唱されている明代の小品文には、確かに空霊なるものがある。枕辺や厠の中、車中や舟中、これはまことに極上の気晴らしである。しかし読者の心が空虚茫漠としていることが前提だ。もし以前に『明季稗史』や『痛史』、あるいは明末遺民の著作を読んだことがあるなら、結果はまるで違ってくる。この二者は必ず戦いを始め、一方を打ち殺さずには止まない。私はこのことから、明代小品文を憎悪する論者たちの心情をよく理解できたと自負している。
ここ数日、偶然に屈大均の『翁山文外』を見かけた。その中に戊申(すなわち清の康煕七年)八月に書かれた「代北より京に入るの記」という一篇がある。彼の文章の筆力は、どうして中郎に劣ろうか。しかしかなりの箇所に極めて重みがある。いくつか書き写しておこう——
「……河に沿って行き、渡ったり渡らなかったりする。往々にして西夷の氈の天幕が見え、高低さまざまで、いわゆる穹廬が連なり、丘のごとく阜のごとくである。男女はみなモンゴル語を話す。乾燥した酪や湿った酪を売る者、羊馬を売る者、犛の皮を売る者、二頭の駱駝の間に横たわる者、奚車に座る者、鞍も置かず騎す者、三々五々で行き、戒衣を被り、あるいは赤あるいは黄、小さな鉄の輪を持ち、『金剛穢呪』を唱える者。その頭頂に柳の笊を一つ載せ、馬糞と木炭を入れている者は、みな中華の女子である。みな髪を巻いて裸足、垢にまみれた顔で、毛の袄を裏返しに着ている。人と牛羊が枕を交えて臥し、腥臊の臭気は百余里に絶えず。……」
私が思うに、もしこのような文章を読み、このような光景を想像し、しかもすっかり忘れてしまったのでなければ、たとえ中郎の『広荘』や『瓶史』であっても、決して積もった憤りを洗い流すことはできまい。むしろ怒りは増すばかりだ。なぜならこれは実際に、中郎の時代に彼らが互いに標榜し合っていたよりもさらに酷いのだから。彼らはまだ揚州十日や嘉定三屠を経験していなかったのだ!
明代の小品文はよい。語録体も悪くない。しかし私は『明季稗史』の類や明末遺民の作品の方が実にもっとよいと思う。今こそまさに句読点を打ち、翻刻すべき時だ——皆の目を覚まさせるために。
(十一月二十五日。)