Difference between revisions of "Lu Xun Complete Works/zh-ja/Wuchang"
(Update zh-ja bilingual page with new translations) |
(Update zh-ja bilingual page with latest translations) |
||
| Line 433: | Line 433: | ||
<br/> | <br/> | ||
<br/> | <br/> | ||
| − | 秦客难曰:“八方异俗,歌哭万殊,然其哀乐之情,不得不见也。夫心动于中,而声出于心。虽托之于他音,寄之于余声,善听察者,要自觉之不使得过也。昔伯牙理琴,而钟子知其所至 各本作志 ;隶人击磬,而子产识其心哀;鲁人晨哭,而颜渊察 各本作审 其生离;夫数子者,岂复假智于常音,借验于曲度哉?心戚者则形为之动,情悲者则声为之哀。此自然相应,不可得逃。唯神明者能精之耳。夫能者不以声众为难,不能者不以声寡为易。今不可以未遇善听,而谓之声无可察之理;见方俗之多变,而谓声音无哀乐也。又云:贤不宜言爱,愚不宜言憎。然则有贤然后爱生,有愚然后憎起 各本作成 ,但不当其共 各本二字倒 名耳。哀乐之作,亦有由而然。此为声使我哀,音使我乐也。苟哀乐由声,更为有实,何得名实俱去邪?又云:季札 原作体,因札讹礼,礼又为礼而讹也,今正各本作子 采诗观礼,以别风雅;仲尼叹韶音之一致,是以咨嗟;是何言与?且师襄奏 黄汪二张本讹奉。下诸奏字同。程本不误 操,而仲尼睹文王之容;师涓进曲,而子野识亡国之音。宁复讲诗而后下言,习礼然后立评哉?斯皆神妙独见,不待留闻积日,而已综 原钞作终。据各本及旧校改 其吉凶矣。是以前史以为美谈。今子以区区之近知,齐所见而为限;无乃诬前贤之识微,负夫子之妙察邪?”<br/> | + | 秦客难曰:“八方异俗,歌哭万殊,然其哀乐之情,不得不见也。夫心动于中,而声出于心。虽托之于他音,寄之于余声,善听察者,要自觉之不使得过也。昔伯牙理琴,而钟子知其所至 各本作志 ;隶人击磬,而子产识其心哀;鲁人晨哭,而颜渊察 各本作审 其生离;夫数子者,岂复假智于常音,借验于曲度哉?心戚者则形为之动,情悲者则声为之哀。此自然相应,不可得逃。唯神明者能精之耳。夫能者不以声众为难,不能者不以声寡为易。今不可以未遇善听,而谓之声无可察之理;见方俗之多变,而谓声音无哀乐也。又云:贤不宜言爱,愚不宜言憎。然则有贤然后爱生,有愚然后憎起 各本作成 ,但不当其共 各本二字倒 名耳。哀乐之作,亦有由而然。此为声使我哀,音使我乐也。苟哀乐由声,更为有实,何得名实俱去邪?又云:季札 原作体,因札讹礼,礼又为礼而讹也,今正各本作子 采诗观礼,以别风雅;仲尼叹韶音之一致,是以咨嗟;是何言与?且师襄奏 黄汪二张本讹奉。下诸奏字同。程本不误 操,而仲尼睹文王之容;师涓进曲,而子野识亡国之音。宁复讲诗而后下言,习礼然后立评哉?斯皆神妙独见,不待留闻积日,而已综 原钞作终。据各本及旧校改 其吉凶矣。是以前史以为美谈。今子以区区之近知,齐所见而为限;无乃诬前贤之识微,负夫子之妙察邪?” |
| + | | style="vertical-align: top; padding: 10px; line-height: 1.8;" | | ||
| + | 【一九一八年】<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 【夢】<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 多くの夢が、黄昏に乗じて騒ぎ立てる。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 前の夢が大前の夢を押しのけたばかりなのに、後の夢がまた前の夢を追い払った。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 去った前の夢は墨のように黒く、今の後の夢も墨のように黒い。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 去ったのも今のも、どちらも言うようだ、「私の色の美しさを見よ。」<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 色は美しいかもしれぬが、暗がりの中では知れない。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | しかも知れない、話しているのが誰なのかも。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | ○ ○ ○<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 暗がりの中で知れず、体は熱く頭は痛む。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 来い、来い!明らかなる夢よ。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | (『新青年』第四巻第五号。)<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 【愛の神】<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 一人の小さな子供が、翼を広げて空中に、<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 一手に矢をつがえ、一手に弓を引く。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | どうしたわけか、一矢が胸に射ささった。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 「小さなお方、でたらめなお導きに感謝いたします!<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | しかしお教えください!私は誰を愛すべきでしょう?」<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 子供は慌てて、首を振って言った。「ああ!<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | あなたはまだ心胸のある人なのに、こんなことを言うとは。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | あなたが誰を愛すべきかなど、私にわかるはずがない。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | とにかく私の矢は放ったのだ!<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | あなたが誰かを愛したいなら、命がけで愛しなさい。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | あなたが誰も愛さないなら、命がけで自分で死ぬがよい。」<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | (『新青年』第四巻第五号。)<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 【桃花】<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 春雨が過ぎて、太陽がまたとても好い。ぶらぶらと庭に歩いて行った。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 桃の花は庭の西に咲き、李の花は庭の東に咲いている。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 私は言った。「素晴らしい!桃の花は紅く、李の花は白い。」<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | (桃の花が李の花ほど白くないとは言わなかった。)<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | ところが桃の花が怒ったらしく、顔中を「楊妃紅」に染め上げた。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | いい度胸だ!たいしたものだ!怒って顔を紅くするとは。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 私の言葉は別にお前に失礼をしたわけではない。どうして顔を赤くするのだ!<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | ああ!花には花の道理がある。私にはわからぬ。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | (『新青年』第四巻第五号。)<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 【彼らの花園】<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 小さな子供、巻き毛で、<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 銀黄色の顔にはまだほんのり紅みがある——見たところまさに生きようとしている。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 壊れた大門を出て、隣家を眺めると、<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 彼らの大きな花園に、たくさんの美しい花がある。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 小さな知恵を絞って、百合の花を一輪手に入れた。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 白くて光り輝いて、降りたての雪のよう。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 大事に持ち帰り、顔に映すと、一段と血の色が増した。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 蠅が花の周りを飛び鳴き、部屋中に乱れ回る——<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 「こんな不潔な花ばかり好むとは、馬鹿な子供だ!」<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 急いで百合の花を見ると、もう蠅の糞が何点かついていた。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 見ていられない。捨てるに忍びない。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 目を見開いて空を仰ぎ、彼にはもう言うべき言葉がなかった。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 言葉が出ず、隣家のことを思い出す。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 彼らの大きな花園に、たくさんの美しい花がある。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | (『新青年』第五巻第一号。)<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 【人と時】<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 一人が言った。将来は現在に勝る。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 一人が言った。現在は昔に遠く及ばない。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 一人が言った。何だと?<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 時が言った。お前たちはみな私の現在を侮辱している。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 昔が良いなら、自分で帰れ。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 将来が良いなら、私について前へ来い。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | この何だと言った者よ、<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | お前が何を言っているのか、私にはわからぬ。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | (『新青年』第五巻第一号。)<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 【渡河と道案内】<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 玄同兄:<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 二日前、『新青年』五巻二号の通信欄で、兄が唐俟もエスペラントに反対しないこと、合わせて議論してもよいという話を見ました。私はエスペラントにもとより反対しませんが、しかし議論したくもありません。というのも、私がエスペラントに賛成する理由はきわめて簡単で、まだ口を開いて議論するほどのものではないからです。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 賛成の理由を問われれば、ただこういうことです。私が見るところ、人類は将来きっと何かの共通の言語を持つべきである。だからエスペラントに賛成するのです。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 将来通用するのがエスペラントかどうかは、むろん断定できません。おそらくエスペラントを改良して、より完全なものにするか、あるいは別にもっと良いものが出現するか、まだわかりません。しかし現在これしかない以上、まずこのエスペラントを学ぶしかないのです。今はまだ草創の時代で、汽船がまだなければ丸木舟に乗るしかないのと同じです。もし将来汽船ができるはずだからといって、丸木舟を造らなかったり乗らなかったりすれば、汽船も発明されず、人類は水を渡ることができなくなるでしょう。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | しかし将来なぜ必ず人類共通の言語があるかと問われれば、確たる証拠は出せません。将来必ずありえないと言う者もまた同様です。だから議論の必要はまったくなく、各自が信じるところに従って行うだけです。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | しかし私にはもう一つ意見があります。エスペラントを学ぶのは一つのことであり、エスペラントの精神を学ぶのは、また別のことだと思うのです。——白話文学もまた同様です。——もし思想が旧態のままならば、やはり看板を変えて中身を変えないのと同じです。ようやく「四目蒼聖」の前から這い上がったかと思えば、また「柴明華先師」の足元に跪くのです。人類の進歩に反対する時、以前はnoと言い、今はneと言うだけ。以前は「咈哉」と書き、今は「不行」と書くだけのことです。だから私の意見では、正当な学術文芸を注入し、思想を改良するのが第一であり、エスペラントの議論はそれに次ぐもので、弁駁に至ってはまったく不要です。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 『新青年』の通信欄は、近頃だいぶ発達してきたようです。読者も好んで読みます。しかし私の個人的な意見では、もう少し減らしてもよいと思います。誠実で切実な議論だけを毎号掲載すればよい。その他の無責任な口先だけの批評や、常識のない問難には、せいぜい一度だけ答えればよく、それ以後は多くを語る必要はなく、紙とインクを節約して他に回すべきです。たとえば幽霊を見たとか、仙人を求めるとか、顔を打つとかいった類は、明々白々、まったく常識のないことなのに、『新青年』はなおも彼らと反復して論じ、「二五は十である」という道理を説いている。この手間は惜しくないか、この事業は哀れではないか。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 私の見るところ、『新青年』の内容は大略二類に出ない。一つは、空気が閉塞し汚濁していて、この空気を吸う人間はもうおしまいだと感じ、眉を顰めて「ああ」と一声嘆かずにはいられない。同感の人々がこれによって注意を払い、活路を切り開くことを望むのだ。もし誰かが、この顔色と声は、妓女の秋波のようには美しくなく、小唄のようには美しく聞こえないと言うなら、それはまったく正しい。我々は彼と弁論する必要はない。眉を顰めてため息をつくほうがもっと美しいなどと言えば、こちらが間違いだ。もう一つは、これまで歩んできた道がきわめて危険で、しかももう行き止まりに近いと感じ、良心に従って切実に探し求め、別の平坦で希望のある道を見つけたら、大声で「こちらに行くのがよい」と叫ぶことだ。同感の人々がこれによって身を翻し、危険を脱して進歩しやすくなることを望むのだ。もし誰かが別の方向に行こうとするなら、もう一度勧めるのも構わないが、それでも信じなければ、命がけで引き止める必要はなく、各自が自分の道を行けばよい。引き止めて喧嘩になっては、彼に益がないだけでなく、自分も同感の人々も時間を無駄にするのだから。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | イエスは言った。車が転覆しそうなのを見たら、支えてやれ。ニーチェは言った。車が転覆しそうなのを見たら、押してやれ。私はもちろんイエスの言葉に賛成する。しかし思うに、もし支えてもらいたくないなら、無理に支える必要はない。放っておけばよい。その後転覆しなければもちろん結構だし、もし結局ひっくり返ったなら、その時こそ切実に手を貸して起こしてやればよいのだ。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 兄よ、無理に支えるのは起こすよりも骨が折れ、効果も見えにくい。ひっくり返ってから起こすほうが、転覆しかけた時に支えるよりも、彼らにとってより有益なのだ。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 唐俟。十一月四日。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | (『新青年』第五巻第五号。)<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 【】<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 【第五巻】<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 【声は哀楽なきの論】<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 秦の客、東野の主人に問うて曰く、「之を前論に聞けば曰く、治世の音は安にして楽しく、亡国の音は哀にして思う、と。それ治乱は政にあり、而して音声之に応ず。故に哀思の情は金石に表れ、安楽の象は管弦に形る、と。又た仲尼、韶を聞き、虞舜の徳を識り、季札、弦を聴きて、衆国の風を識る。斯れ已然の事にして、先賢の疑わざる所なり。今、子独り以為えらく声に哀楽なしと。其の理は何くにか居る?若し嘉訊あらば、請う其の説を聞かん。」主人之に応じて曰く、「斯の義久しく滞りて、肯えて拯救する莫し。故に歴世をして名実に濫せしむ。今啓導を蒙り、将に其の一隅を言わんとす。それ天地徳を合わせ、万物生を資く。寒暑代わり往き、五行以て成る。章を五色と為し、発して五音と為す。音声の作、其れ猶お臭味の天地の間に在るがごとし。其の善と不善と、浊乱に遭うと雖も、其の体は自若にして変ずること無きなり。豈に愛憎を以て操を易え、哀楽もて度を改めんや?宮商の集比に及び、声音克く諧う。此れ人心の至願にして、情欲の鋳る所なり。古人、情の恣にすべからざるを知り、欲の極むべからざるを知る。故に其の用うる所に因りて毎に之が節を為す。哀をして傷に至らしめず、楽をして淫に至らしめず。事に因りて名を与え、物に其の号あり。哭、之を哀と謂い、歌、之を楽と謂う。斯れ其の大較なり。然れども楽と云い楽と云う、鍾鼓云うか哉?哀と云い哀と云う、哭泣云うか哉?兹に因りて言えば、玉帛は礼敬の実にあらず、歌舞は悲哀の主にあらざるなり。何を以て之を明らかにせん?それ殊方異俗にして、歌哭同じからず。錯りて之を用いしめば、或いは哭を聞きて歓び、或いは歌を聴きて戚しむ。然れども其の哀楽の懐は均しきなり。今均同の情を用いて、万殊の声を発す。斯れ音声の常なきにあらざらんや?然れども声音の和比は、人を感ぜしむるの最も深き者なり。労する者は其の事を歌い、楽しむ者は其の功を舞う。それ内に悲痛の心あれば、則ち激しく哀切の言を発す。言比して詩を成し、声比して音を成す。雑えて之を詠じ、聚めて之を聴く。心は和声に動き、情は苦言に感ず。嗟嘆未だ絶えざるに、泣涕流涟す。それ哀心は内に蔵し、和声に遇いて後に発す。和声に象なくして、哀心に主あり。それ主ある哀心を以て、象なき和声に因りて後に発すれば、其の覚悟する所は、唯だ哀のみ。豈に復た吹万の同じからざるを知りて、其をして自ら已ましめんや。風俗の流れ、遂に其の政を成す。是の故に国史は政教の得失を明らかにし、国風の盛衰を審らかにし、情性を吟詠して、以て其の上を諷す。故に曰く、亡国の音は哀にして思う、と。それ喜怒哀楽、愛憎慚懼、凡そ此の八者は、生民の以て物に接し情を伝うる所にして、区別に属あり、而して溢すべからざる者なり。それ味は甘苦を以て称と為す。今、甲の賢なるを以て心に愛し、乙の愚なるを以て情に憎む。則ち愛憎は宜しく我に属すべく、而して賢愚は宜しく彼に属すべきなり。我が愛を以て之を愛人と謂い、我が憎を以て之を憎人と謂うべけんや?喜ぶ所を以て之を喜味と謂い、怒る所を以て之を怒味と謂うべけんや?此に由りて之を言えば、則ち外内用を殊にし、彼我名を異にす。声音は自ら当に善悪を以て主と為すべく、則ち哀楽に関わり無し。哀楽は自ら当に情感ありて後に発すべく、則ち声音に系り無し。名実俱に去れば、則ち尽然として見るべし。且つ季子の魯に在りしは、詩を采り礼を観て、以て風雅を別ちしなり。豈に徒だ声に任せて以て臧否を決せんや?又た仲尼の韶を聞きしは、其の一致を嘆じしなり。是を以て咨嗟す。何ぞ必ずしも声に因りて虞舜の徳を知り、然る後に嘆美せんや?今粗ぼ其の一端を明らかにするも、亦た過半を思うべし。」<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 秦の客難じて曰く、「八方の異俗にして、歌哭万殊なるも、然れども其の哀楽の情は、見ざるを得ざるなり。それ心は中に動き、声は心より出ず。之を他音に託し、之を余声に寄すと雖も、善く聴き察する者は、要ず自ら之を覚りて過ぐることを得しめざるなり。昔、伯牙琴を理め、而して鍾子其の至る所を知り、隷人磬を撃ちて、子産其の心の哀しきを識り、魯人晨に哭して、顔淵其の生離なるを察す。それ数子なる者は、豈に復た智を常音に仮り、験を曲度に借らんや?心戚しき者は則ち形之が為に動き、情悲しき者は則ち声之が為に哀し。此れ自然に相応じ、逃るるを得べからず。唯だ神明なる者のみ能く之を精しくするのみ。それ能ある者は声の衆きを以て難しとせず、能なき者は声の寡きを以て易しとせず。今、未だ善聴に遇わざるを以て声に察すべき理なしと謂うべからず、方俗の多変なるを見て声音に哀楽なしと謂うべからざるなり。又た云う、賢は宜しく愛と言うべからず、愚は宜しく憎と言うべからず、と。然らば則ち賢あって後に愛生じ、愚あって後に憎起こるも、但だ其の共の名に当たらざるのみ。哀楽の作も亦た由ありて然り。此れ声の我を哀しましめ、音の我を楽しましむるなり。苟しくも哀楽声に由れば、更に実あり。何ぞ名実俱に去るを得んや?又た云う、季札は詩を采り礼を観て以て風雅を別ち、仲尼は韶音の一致を嘆じて是を以て咨嗟す、と。是れ何の言ぞや?且つ師襄操を奏し、而して仲尼文王の容を睹る。師涓曲を進め、而して子野亡国の音を識る。寧ろ復た詩を講じて後に言を下し、礼を習いて然る後に評を立てんや?斯れ皆な神妙独見にして、留聞積日を待たずして、已に其の吉凶を綜ぶるなり。是を以て前史以て美談と為す。今、子、区区たる近知を以て、見る所を斉しくして限りと為す。乃ち前賢の識微を誣い、夫子の妙察に負くこと無きかな?」 | ||
| + | |} | ||
| + | |||
| + | {| class="wikitable" style="width: 100%; border-collapse: collapse;" | ||
| + | |- | ||
| + | ! style="width: 50%; background-color: #f0f0f0; padding: 8px;" | 中文 (Chinese) | ||
| + | ! style="width: 50%; background-color: #f0f0f0; padding: 8px;" | 日本語 (Japanese) | ||
| + | |- | ||
| + | | style="vertical-align: top; padding: 10px; line-height: 1.8;" | | ||
主人答曰:“难云:虽歌哭殊万,善听察者要自觉之,不假智于常音,不借验于曲度。钟子之徒云云是也。此为心哀 各本作悲 者,虽谈笑鼓舞,情欢者,虽拊膺咨嗟,独不能御外形以自匿,诳察者于疑似也。尔为已就 四字各本作以为就令。旧校同 声音之无常,犹谓当有哀乐耳。又曰:季子听声,以知众国之风;师襄奏操,而仲尼睹文王之容。案如所云,此为文王之功德,与风俗之盛衰,皆可象之于声音。声之轻重,可移于后世,襄涓之巧,又 各本字夺 能得之于将来。若然者,三皇五帝,可不绝于今日,何独数事哉?若此果然也,则文王之操有常度,韶武之音有定数,不可杂以他变,操以余声也。则向所谓声音之无常,钟子之触类,于是乎踬矣。若音声之无常 原钞夺之字、常字。黄汪本同。据程二张本加 ,钟子之 黄汪本字夺 触类,其果然邪?则仲尼之识微,季札之善听,固亦诬矣。此皆俗儒妄记,欲神其事而追为耳。欲令天下 四字从旧校及各本 惑声音之道,不言理自。尽此而推 张燮本作惟 ,使神妙难知,恨不遇奇听于当时,慕古人而叹息 各本作自叹 。斯 二张本字无 所以大罔后生也。夫推类辨物,当先求之自然之理。理已足 黄汪二张本作定 ,然后借古义以明之耳。今未得之于心,而多恃前言以为谈证,自此以往,恐巧历不能纪耳 各本字夺 。又难云:哀乐之作,犹爱憎之由贤愚,此为声使我哀,而音使我乐。苟哀乐由声,更为有实矣。夫五色有好丑,五声有善恶,此物之自然也。至于爱与不爱,喜与不喜 原钞下三字误入下文物字下。今移正。各本夺。旧校亦删 ,人情之变,统物之理,唯止于此。然皆无豫于内,待物而成耳。至夫哀乐自以事会,先遘于心,但因和声,以自显发;故前论已明其无常,今复假此谈以正其名号耳。不谓哀乐发于声音,如爱憎之生于贤愚也。然和声之感人心,亦犹醞酒 各本作酒醴 之发人性 各本作情 也。酒以甘苦为主,而醉者以喜怒为用。其见欢戚为声发,而谓声有哀乐,犹 各本字夺。旧校亦删 不可见喜怒为酒使,而谓酒有喜怒之理也。”<br/> | 主人答曰:“难云:虽歌哭殊万,善听察者要自觉之,不假智于常音,不借验于曲度。钟子之徒云云是也。此为心哀 各本作悲 者,虽谈笑鼓舞,情欢者,虽拊膺咨嗟,独不能御外形以自匿,诳察者于疑似也。尔为已就 四字各本作以为就令。旧校同 声音之无常,犹谓当有哀乐耳。又曰:季子听声,以知众国之风;师襄奏操,而仲尼睹文王之容。案如所云,此为文王之功德,与风俗之盛衰,皆可象之于声音。声之轻重,可移于后世,襄涓之巧,又 各本字夺 能得之于将来。若然者,三皇五帝,可不绝于今日,何独数事哉?若此果然也,则文王之操有常度,韶武之音有定数,不可杂以他变,操以余声也。则向所谓声音之无常,钟子之触类,于是乎踬矣。若音声之无常 原钞夺之字、常字。黄汪本同。据程二张本加 ,钟子之 黄汪本字夺 触类,其果然邪?则仲尼之识微,季札之善听,固亦诬矣。此皆俗儒妄记,欲神其事而追为耳。欲令天下 四字从旧校及各本 惑声音之道,不言理自。尽此而推 张燮本作惟 ,使神妙难知,恨不遇奇听于当时,慕古人而叹息 各本作自叹 。斯 二张本字无 所以大罔后生也。夫推类辨物,当先求之自然之理。理已足 黄汪二张本作定 ,然后借古义以明之耳。今未得之于心,而多恃前言以为谈证,自此以往,恐巧历不能纪耳 各本字夺 。又难云:哀乐之作,犹爱憎之由贤愚,此为声使我哀,而音使我乐。苟哀乐由声,更为有实矣。夫五色有好丑,五声有善恶,此物之自然也。至于爱与不爱,喜与不喜 原钞下三字误入下文物字下。今移正。各本夺。旧校亦删 ,人情之变,统物之理,唯止于此。然皆无豫于内,待物而成耳。至夫哀乐自以事会,先遘于心,但因和声,以自显发;故前论已明其无常,今复假此谈以正其名号耳。不谓哀乐发于声音,如爱憎之生于贤愚也。然和声之感人心,亦犹醞酒 各本作酒醴 之发人性 各本作情 也。酒以甘苦为主,而醉者以喜怒为用。其见欢戚为声发,而谓声有哀乐,犹 各本字夺。旧校亦删 不可见喜怒为酒使,而谓酒有喜怒之理也。”<br/> | ||
<br/> | <br/> | ||
| Line 461: | Line 641: | ||
<br/> | <br/> | ||
<br/> | <br/> | ||
| − | 秦客难曰:“论云:酒酣奏琴,而欢戚并用。欲通此言,故答以偏情,感物而发耳。今且隐心而言,明之以成效。夫人心不欢则戚,不戚则欢,此情志之大域也。然泣是戚之伤,笑是欢之用也 各本字无 。盖闻齐楚之曲者,惟睹其哀涕之容,而未曾见笑噱之貌,此必齐楚之曲,以哀为体;故其所感,皆应其度 黄本度下有量字 。岂徒以多重而少变,则致精 各本作情 壹而思专邪?若诚能致泣,则声音之有哀乐,断可知矣。”<br/> | + | 秦客难曰:“论云:酒酣奏琴,而欢戚并用。欲通此言,故答以偏情,感物而发耳。今且隐心而言,明之以成效。夫人心不欢则戚,不戚则欢,此情志之大域也。然泣是戚之伤,笑是欢之用也 各本字无 。盖闻齐楚之曲者,惟睹其哀涕之容,而未曾见笑噱之貌,此必齐楚之曲,以哀为体;故其所感,皆应其度 黄本度下有量字 。岂徒以多重而少变,则致精 各本作情 壹而思专邪?若诚能致泣,则声音之有哀乐,断可知矣。” |
| + | | style="vertical-align: top; padding: 10px; line-height: 1.8;" | | ||
| + | 主人答えて曰く、「難じて云う、歌と哭は万殊なりといえども、善く聴き察する者はおのずからこれを覚り、智を常音に仮らず、験を曲度に借りず。鍾子の徒云々是なりと。これ心に哀しむ〔各本は悲に作る〕者は、談笑鼓舞すといえども、情に歓ぶ者は、膺を拊ち咨嗟すといえども、独り外形を御して自ら匿し、察者を疑似に誑すこと能わざるなり。爾は已にして就く〔四字は各本「以為就令」に作る。旧校同じ〕声音の常なきを為し、なお哀楽有るべしと謂えり。又曰く、季子は声を聴きて以て衆国の風を知り、師襄は操を奏して仲尼は文王の容を睹たりと。案ずるに云うところの如くんば、これ文王の功徳と風俗の盛衰と、皆これを声音に象るべきなり。声の軽重は後世に移すべく、襄涓の巧はまた〔各本この字を脱す〕これを将来に得ること能くべし。もし然らば、三皇五帝は今日に絶えざるべく、何ぞ独り数事のみならんや。もしこれ果たして然りとせば、文王の操に常度あり、韶武の音に定数あり、他の変を雑え、余声を以て操すべからざるなり。則ち向に謂うところの声音の常なきこと、鍾子の触類は、ここにおいて躓くなり。もし音声に常なく〔原鈔は之の字と常の字を脱す。黄汪本同じ。程二張本に拠りて加う〕、鍾子の〔黄汪本この字を脱す〕触類、その果たして然りとせば、仲尼の微を識ること、季札の善く聴くこと、固よりまた誣なり。これみな俗儒の妄記にして、その事を神にせんと欲して追いて為せるのみ。天下をして〔四字は旧校及び各本に従う〕声音の道に惑わしめんと欲し、理の自ずから尽くるを言わず。ここより推して〔張燮本は惟に作る〕、神妙にして知り難からしめ、奇聴に当時に遇わざるを恨み、古人を慕いて嘆息せしむ〔各本は自嘆に作る〕。これ〔二張本この字なし〕所以に大いに後生を罔すなり。それ類を推し物を辨ずるには、先ず自然の理に求むべし。理已に定まりて〔黄汪二張本は定に作る〕、然る後に古義を借りて以てこれを明らかにするのみ。今未だこれを心に得ずして、多く前言に恃みて以て談証と為す。此より以往、恐らくは巧暦も紀すること能わざらん〔各本この字を脱す〕。又難じて云う、哀楽の作は、なお愛憎の賢愚に由るが如く、これ声は我をして哀しましめ、音は我をして楽しましむるなり。いやしくも哀楽声に由らば、更に実あることとなる。それ五色に好醜あり、五声に善悪あり、これ物の自然なり。愛と不愛、喜と不喜に至りては〔原鈔は下三字を誤りて下文の物字の下に入る。今移して正す。各本は脱す。旧校もまた削る〕、人情の変にして物を統ぶるの理、ただここに止まるのみ。しかれども皆内に預かるなく、物を待ちて成るのみ。それ哀楽は自ら事の会する所を以て、先ず心に遘い、ただ和声に因りて自ら顕発するなり。ゆえに前論に已にその常なきを明らかにし、今また此の談を仮りて以てその名号を正すのみ。哀楽の声音に発するを謂うにあらず、愛憎の賢愚に生ずるが如きなり。しかれども和声の人心を感ぜしむるは、なお醞酒〔各本は酒醴に作る〕の人の性〔各本は情に作る〕を発するが如きなり。酒は甘苦を主とし、酔者は喜怒を用とす。歓戚の声に発するを見て、声に哀楽ありと謂うは、なお〔各本この字を脱す。旧校もまた削る〕喜怒の酒に使われるを見て、酒に喜怒の理ありと謂うべからざるが如きなり。」<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 秦客難じて曰く、「それ気を観、色を采るは、天下の通用なり。心は内に変じて色は外に応ず。較然として見るべし。ゆえに吾子は疑わず。それ声音は気の激する者なり。心は感に応じて動き、声は変に従いて発す。心に盛衰あらば、声にもまた降〔張燮本は隆に作る。答文中の降殺の字をここに放つ〕殺あり。同じく一身に役せらるるに、何ぞ独り声に於いてすなわち疑うべけんや。それ喜怒は□診〔各本は色診に作る。旧校同じ〕に章かなり。哀楽もまた声音に形るべし。声音に自ずから哀楽あるべきも、ただ暗き者はこれを識ること能わざるのみ。鍾子の徒に至りては、常なき〔程本は当に訛る〕の声に遭うといえども、穎然として独り見るなり。今、蒙して瞽にして墻に面す」 | ||
| + | |} | ||
| + | |||
| + | {| class="wikitable" style="width: 100%; border-collapse: collapse;" | ||
| + | |- | ||
| + | ! style="width: 50%; background-color: #f0f0f0; padding: 8px;" | 中文 (Chinese) | ||
| + | ! style="width: 50%; background-color: #f0f0f0; padding: 8px;" | 日本語 (Japanese) | ||
| + | |- | ||
| + | | style="vertical-align: top; padding: 10px; line-height: 1.8;" | | ||
主人答曰:“虽人情感 黄本讹慼 于哀乐,哀乐各有多少。又哀乐之极,不必同致也。夫小哀容 程本讹密 坏,甚悲而泣;哀之方也。小欢颜悦,至乐而笑 各本作心愉 ;乐之理也。何以言 各本作明 之?夫至亲安豫,则怡然自若 各本作恬若自然 ,所猖狂 各本作自得 也。及在危急,仅然后济,则抃不及儛。由此言之,儛之不若向之自得,岂不然哉?至夫笑噱,虽出于欢情,然自以理成;又非 各本六字夺。旧校亦删 自然应声之具也。此为乐之应声,以自得为主;哀之应感,以垂涕为故。垂涕则形动而可觉,自得则神合而无变 各本作忧 。是以观其异,而不识其同 原钞四字夺。依各本及旧校加 ;别其外,而未察其内耳。然笑噱之不显于声音,岂独齐楚之曲邪?今不求乐于自得之域,而以无笑噱谓齐楚体哀,岂不知哀而不识乐乎?”<br/> | 主人答曰:“虽人情感 黄本讹慼 于哀乐,哀乐各有多少。又哀乐之极,不必同致也。夫小哀容 程本讹密 坏,甚悲而泣;哀之方也。小欢颜悦,至乐而笑 各本作心愉 ;乐之理也。何以言 各本作明 之?夫至亲安豫,则怡然自若 各本作恬若自然 ,所猖狂 各本作自得 也。及在危急,仅然后济,则抃不及儛。由此言之,儛之不若向之自得,岂不然哉?至夫笑噱,虽出于欢情,然自以理成;又非 各本六字夺。旧校亦删 自然应声之具也。此为乐之应声,以自得为主;哀之应感,以垂涕为故。垂涕则形动而可觉,自得则神合而无变 各本作忧 。是以观其异,而不识其同 原钞四字夺。依各本及旧校加 ;别其外,而未察其内耳。然笑噱之不显于声音,岂独齐楚之曲邪?今不求乐于自得之域,而以无笑噱谓齐楚体哀,岂不知哀而不识乐乎?”<br/> | ||
<br/> | <br/> | ||
| Line 546: | Line 738: | ||
<br/> | <br/> | ||
<br/> | <br/> | ||
| − | 乾隆中 一七六五年顷 ,有小说曰《石头记》者忽出于北京,历五六年而盛行,然皆写本,以数十金鬻于庙市。其本止八十回,开篇即叙本书之由来,谓女娲补天,独留一石未用,石甚自悼叹,俄见一僧一道,以为“形体到也是个宝物了,还只没有实在好处,须得再镌上数字,使人一见便知是奇物方妙。然后好携你到隆盛昌明之邦,诗礼簪缨之族,花柳繁华之地,温柔富贵之乡,去安身乐业”。于是袖之而去。不知更历几劫,有空空道人见此大石,上镌文词,从石之请,钞以问世。道人亦“因空见色,由色生情,传情入色,自色悟空,遂易名为情僧,改《石头记》为《情僧录》;东鲁孔梅溪则题曰《风月宝鉴》;后因曹雪芹于悼红轩中披阅十载,增删五次,纂成目录,分出章回,则题曰《金陵十二钗》,并题一绝云:‘满纸荒唐言,一把辛酸泪。都云作者痴,谁解其中味?’” 戚蓼生所序八十回本之第一回<br/> | + | 乾隆中 一七六五年顷 ,有小说曰《石头记》者忽出于北京,历五六年而盛行,然皆写本,以数十金鬻于庙市。其本止八十回,开篇即叙本书之由来,谓女娲补天,独留一石未用,石甚自悼叹,俄见一僧一道,以为“形体到也是个宝物了,还只没有实在好处,须得再镌上数字,使人一见便知是奇物方妙。然后好携你到隆盛昌明之邦,诗礼簪缨之族,花柳繁华之地,温柔富贵之乡,去安身乐业”。于是袖之而去。不知更历几劫,有空空道人见此大石,上镌文词,从石之请,钞以问世。道人亦“因空见色,由色生情,传情入色,自色悟空,遂易名为情僧,改《石头记》为《情僧录》;东鲁孔梅溪则题曰《风月宝鉴》;后因曹雪芹于悼红轩中披阅十载,增删五次,纂成目录,分出章回,则题曰《金陵十二钗》,并题一绝云:‘满纸荒唐言,一把辛酸泪。都云作者痴,谁解其中味?’” 戚蓼生所序八十回本之第一回 |
| + | | style="vertical-align: top; padding: 10px; line-height: 1.8;" | | ||
| + | 主人答えて曰く、「人情は哀楽に感ずといえども、哀楽にはおのおの多少あり。また哀楽の極は、必ずしも同じく致るにあらざるなり。それ小哀なれば容は壊れ、甚だ悲しければ泣く。哀の方なり。小歓なれば顔は悦び、至楽なれば笑う。楽の理なり。何を以てこれを言うか。それ至親安豫なれば、すなわち怡然として自若たり、猖狂するところなり。危急に在りて、僅かにして後に済するに及べば、すなわち抃して舞うに及ばず。これに由りてこれを言えば、舞の先の自得に若かざること、豈に然らざらんや。それ笑噱に至りては、歓情より出づといえども、然れども自ら理を以て成る。また自然に声に応ずるの具にあらざるなり。これ楽の声に応ずるは、自得を以て主と為し、哀の感に応ずるは、垂涕を以て故と為す。垂涕すれば形動きて覚るべく、自得すれば神合して変なし。ここを以てその異を観て、その同を識らず。その外を別ちて、未だその内を察せざるのみ。然れども笑噱の声音に顕れざること、豈にひとり斉楚の曲のみならんや。今楽を自得の域に求めずして、笑噱なきを以て斉楚は哀を体すと謂う、豈に哀を知りて楽を識らざるにあらずや。」<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 秦客問いて曰く、「仲尼に言あり、風を移し俗を易うるは、楽より善きはなし、と。すなわち論ずるところのごとく、およそ百の哀楽、皆声に在らずとせば、すなわち風を移し俗を易うるは、果たして何物を以てするや。また古人は靡靡の風を慎み、耳を慆すの声を抑う。故に曰く、鄭声を放ち、佞人を遠ざけよ、と。然らば鄭衛の音、鳴球を撃ちて以て神人を協わす。敢えて問う、鄭雅の体、隆弊の極まるところ、風俗の移り易わること、何に由りて済さんや。願わくは重ねてこれを聞き、以て疑うところを悟らん。」<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 主人これに応えて曰く、「それ風を移し俗を易うると言う者は、必ず衰弊の後を承くるなり。古の王者は、天を承けて物を理め、必ず簡易の教えを崇び、無為の治を御す。君は上に静かに、臣は下に順う。玄化潜かに通じ、天人交わりて泰し。枯槁の類も、霊液に浸育せられ、六合の内、鴻流に沐浴して、塵垢を蕩滌す。群生安逸にして、自ら多福を求む。黙然として道に従い、忠を懐き義を抱きて、その然る所以を覚えざるなり。和心は内に足り、和気は外に見る。故に歌いて以て志を叙べ、舞いて以て情を宣ぶ。然る後にこれに文うるに采章を以てし、これを照らすに風雅を以てし、これを播くに八音を以てし、これに感ぜしむるに太和を以てす。その神気を導き、養いてこれを就す。その情性を迎え、致してこれを明らかにす。心と理とをして相順ぜしめ、気と声とをして相応ぜしむ。会通に合して、以てその美を済す。故に凱楽の情は金石に見れ、含弘光大は音声に顕る。もし以往なれば万国風を同じくし、芳栄済々として茂り、馥しきこと秋蘭のごとし。期せずして信あり、謀らずして成り、穆然として相愛す。なお錦を舒べ彩を布くがごとく、燦炳として観るべきなり。大道の隆んなること、これより盛んなるはなく、太平の業、これより顕かなるはなし。故に曰く、風を移し俗を易うるは、楽より善きはなし、と。然れども楽の体たるや、心を以て主と為す。故に無声の楽は、民の父母なり。八音会して諧い、人の悦ぶところに至りては、また総じてこれを楽と謂う。然れども風俗の移易は、本よりここに在らざるなり。それ音声の和して比するは、人情の已むあたわざるところなり。ここを以て古人は情の放つべからざるを知る、故にその遁ぐるところを抑う。欲の絶つべからざるを知る、故に自ら以て致すところとなす。故に奉ずべきの礼を為し、導くべきの楽を制す。口は味を尽くさず、楽は音を極めず。終始の宜しきを揆り、賢愚の中を度り、これが検則を為して、遠近をして風を同じくせしめ、用いて竭きず、また忠信を結び、不遷を著すゆえんなり。故に郷校庠塾も亦これに随う。絲竹をして俎豆と並び存し、羽毛をして揖譲と倶に用いらしめ、正言をして和声と同に発せしむ。この声を聴かんとすれば、必ずこの言を聞き、この容を観んとすれば、必ずこの礼を崇ぶ。礼はなお賓主の升降のごとく、然る後に酬酢行わる。ここにおいて言語の節、声音の度、揖譲の儀、動止の数、進退相須ちて、共に一体を為す。君臣はこれを朝に用い、庶士はこれを家に用う。少くしてこれを習い、長じて怠らず、心安んじ志固く、善に従いて日に遷る。然る後にこれに臨むに敬を以てし、これを持するに久しくして変ぜず、然る後に化成る。これまた先王の楽を用うるの意なり。故に朝宴聘享に嘉楽必ず存す。ここを以て国史は風俗の盛衰を采り、これを楽工に寄せ、これを管弦に宣べ、言う者をして罪なからしめ、聞く者をして以て自ら戒むるに足らしむ。これまた先王の楽を用うるの意なり。もし鄭声に至りては、これ音声の至妙なり。妙音の人を感ぜしむること、なお美色の志を惑わすがごとく、盤に耽り酒に荒れ、以て業を喪いやすし。至人にあらざれば、孰かよくこれを御せん。先王は天下の流れて反らざるを恐る、故にその八音を具え、その声を瀆さず、その大和を絶ち、その変を窮めず。窈窕の声を捐て、楽しみて淫せざらしむ。なお大羹の和せずして、勺薬の味を極めざるがごとし。もし浅近に流浴すれば、声は悦ぶに足らず、また歓ぶところにあらざるなり。もし上その道を失い、国その紀を喪い、男女奔随して、淫荒度なければ、風はこれを以て変じ、俗は好みを以て成る。その志をしきものは、群もよくこれを肆にし、その習いを楽しむものは、何を以てこれを誅せんや。和声に託し、配してこれを長じ、誠は言に動き、心は和に感じ、風俗ひとたび成れば、因りてこれを名づく。然れどもその名づくるところの声、淫邪に甚だしきものなきなり。淫と正とは心に同じ、雅鄭の体もまた以て観るに足る。」<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 【第六篇 六朝の鬼神志怪書(下)】<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 釈氏の教えを輔くるの書は、『隋志』に九家を著録し、子部および史部に在り、今はただ顔之推の『冤魂志』のみ存す。経史を引きて報応を証し、すでに儒釈混合の端を開きたり。而してその余はすべて佚す。遺文の考え見るべきものには、宋の劉義慶の『宣験記』、斉の王琰の『冥祥記』、隋の顔之推の『集霊記』、侯白の『旌異記』の四種あり、大抵は経像の顕効を記し、応験の実に有ることを明らかにし、以て世俗を震耸し、敬信の心を生ぜしめんとす。顧みれば後世にはあるいは小説と視せり。王琰は太原の人、幼くして交阯に在り、五戒を受け、宋の大明および建元(五世紀中)年に、二たび金像の異に感じ、因りて記を作り、像の事を撰集し、経塔を以て継ぎ、凡そ十巻、これを『冥祥』と謂う。自らその事を序すること甚だ悉し(『法苑珠林』巻十七に見ゆ)。『冥祥記』は『珠林』および『太平広記』中に存するもの最も多く、その叙述もまた最も委曲詳尽なり。今略ぼ三事を引きて、以てその余を概す。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 漢の明帝、夢に神人を見る。形は二丈に垂んとし、身は黄金色、項に日光を佩ぶ。以て群臣に問うに、あるいは対えて曰く、「西方に神あり、その号は仏と曰う。形は陛下の夢に見たまいしがごとし、これにあらずや。」ここにおいて使者を天竺に発し、経像を写し致す。これを中夏に表し、天子王侯より、ことごとく敬い事え、人の死して精神滅びざるを聞きて、惧然として自失せざるはなし。初め、使者蔡愔、西域の沙門迦葉摩騰らを将いて、優填王の画ける釈迦仏像を齎す。帝これを重んじ、夢に見しがごとくなれば、すなわち画工を遣わしてこれを数本図かしめ、南宮の清涼台および高陽門の顕節寿陵の上に供養す。また白馬寺に千乗万騎塔を繞ること三匝の像を壁画す。諸伝に備さに載するがごとし。(『珠林』十三)<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 晋の謝敷、字は慶緒、会稽山陰の人なり。……少くして高操あり、東山に隠れ、大法を篤信し、精勤して倦まず、手ずから『首楞厳経』を写す。まさに都の白馬寺中に在りしとき、寺は災火の延ぶるところとなり、什物余経、並びに煨燼と成る。而してこの経はただ紙の頭の界の外を焼くのみにて、文字はことごとく存し、毀失するところなし。敷の死せる時、友人その得道せるを疑い、この経のことを聞くに及びて、いよいよまた驚異す。……(『珠林』十八)<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 晋の趙泰、字は文和、清河貝丘の人なり。……年三十五の時、かつて卒かに心痛し、須臾にして死す。尸を地に下すも、心は暖かきこと已まず、屈伸人に随う。尸を留むること十日、平旦に喉中に声ありて雨のごとし。俄にして蘇りて活く。初め死する時を説くに、夢に一人来たりて心下に近づき、また二人黄馬に乗り、従者二人ありて、泰の腋を扶けて径ちに東行に将いゆくこと、幾里ばかりか知らず、一大城に至る。崔巍として高峻、城の色は青黒なり。泰を将いて城門より入り、二重の門を経るに、瓦屋数千間ばかりあり、男女大小また数千人、行列して立つ。吏は皂衣を著し、五六人あり、姓字を条疏して、「まさに科を以て府君に呈すべし」と云う。泰の名は三十に在り。須臾にして泰と数千人の男女を将いて一時にともに進む。府君は西向きに坐し、名簿を簡視し訖りて、また泰を遣わして南に黒門より入らしむ。人の絳衣を著して大屋の下に坐するあり、次を以て名を呼び、問う、「生時の所事は何ぞ。何の孽罪を作せるか。何の福善を行えるか。汝等の辞を諦かにし、実を以て言え。ここには恒に六部の使者を遣わして常に人間に在らしめ、善悪を疏記し、具さに条状あり、虚を得べからず。」泰答う、「父兄は仕宦し、皆二千石なり。我少くして家に在り、修学するのみ、事とするところなく、また悪を犯さず。」すなわち泰を遣わして水官の将作と為す。……後に泰を転じて水官都督とし諸獄の事を知らしめ、泰に兵馬を給し、地獄を案行せしむ。至るところの諸獄、楚毒おのおの殊なり。あるいは針もてその舌を貫き、血を流すこと体に竟り、あるいは頭を被き髪を露し、裸形徒跣にて相牽きて行き、大杖を持する者あり、後より催促す。鉄床銅柱、これを焼くこと洞然たり、この人を駆迫してその上に抱き臥さしむれば、赴けばすなわち焦爛し、尋いでまた還りて生ず。……あるいは剣樹あり高く広く、限量を知らず、根茎枝葉、皆剣もてこれを為す。人衆相訾り、自ら登り自ら攀じ、欣び競うあるがごとくして、身首割截せられ、尺寸離断す。泰、祖父母および二弟のこの獄中に在るを見て、相見て涕泣す。泰、獄門を出づるに、二人の文書を齎す者あり、来たりて獄吏に語る。三人あり、その家その為に塔寺中に幡を懸け香を焼きて、その罪を救解し、福舎に出づべしと言う。俄にして三人獄より出づるを見るに、すでに自然の衣服あり、完整にして身に在り。南に一門に詣る、名を開光大舎と云う。……泰案行し畢りて、水官のところに還る。……主者曰く、「卿は罪過なし、故に相使して水官都督と為す。しからずんば、地獄中の人と以て異なることなきなり。」泰、主者に問いて曰く、「人はいかなる行あれば、死して楽報を得るか。」主者ただ言う、「奉法の弟子、精進して持戒すれば、楽報を得て、謫罰あることなきなり。」泰また問いて曰く、「人いまだ法に事えざる時に行いし罪過は、法に事えし後に、以て除くを得るや否や。」答えて曰く、「皆除かるるなり。」語り畢りて、主者は縢箧を開きて泰の年紀を検するに、なお余算三十年在り、すなわち泰を遣わして還らしむ。……時に晋の太始五年七月十三日なり。……(『珠林』七。『広記』三百七十七)<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 仏教すでに漸く流播し、経論日に多く、雑説もまた日に出づ。聞く者はあるいは無常を悟りて帰依するも、またあるいは無常を怖れて却走す。この反動として、方士もまた自ら偽経を造り、多く異記を作り、長生久視の道を以て、天下の苦空を逃るる者を網羅す。今存するところの漢の小説は、一二の文人の著述を除くほかは、その余は蓋しみなこれなり。方士の書を撰するは、大抵古人に託名す。故に晋宋の人の作と称するもの多くはなし。ただ類書の間に『神異記』を引くものあり、すなわち道士王浮の作なり。浮は晋の人にして、浅妄の称あり。すなわち恵帝の時(三世紀末より四世紀初)帛選と抗論して屡々屈し、遂に『西域伝』を改換して老子の『明威化胡経』を造りし者なり(唐の釈法琳の『弁正論』六に見ゆ)。その記もまた神仙鬼神を言うこと、『洞冥』・『列異』の類のごとし。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 陳敏、孫皓の世に江夏太守と為り、建業より職に赴く。宮亭廟の験あるを聞き、過ぎて任に在りて安穏ならんことを乞い、まさに銀杖一枚を上ぐべしとす。年限すでに満ち、杖を作りて以て廟に還さんと擬し、鉄を捶ちて以て干と為し、銀を以てこれに塗る。尋いで散騎常侍に徵され、宮亭に往き、杖を廟中に送り訖りて、すなわち路に進む。日晩に、降神の巫宣教して曰く、「陳敏我に銀杖を許すも、今塗杖を以て与えらる。すなわち水中に投じ、まさに以てこれを還すべし。欺蔑の罪は容すべからざるなり。」ここにおいて銀杖を取りてこれを看るに、剖きて中を視れば鉄の干を見る。すなわちこれを湖中に置く。杖は水上に浮き、その疾きこと飛ぶがごとく、遥かに敏の舫の前に到り、敏の舟遂に覆る。(『太平御覧』七百十)<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 丹丘は大茗を生じ、これを服すれば羽翼を生ず。(『事類賦注』十六)<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 『拾遺記』十巻、晋の隴西の王嘉の撰と題し、梁の蕭綺録す。『晋書・芸術列伝』中に王嘉あり、略ぼ云う。嘉、字は子年、隴西安陽の人。初め東陽谷に隠れ、後に長安に入る。苻堅累ねて徵すれども起たず。よく未然の事を言い、辞は讖記のごとく、当時よくこれを暁る者鮮し。姚萇長安に入り、嘉を逼りて自ら随わしむ。後に答問の萇の意に失するを以て、萇の殺すところと為る(約三九〇年)。嘉かつて『牽三歌讖』を造り、また『拾遺録』十巻を著す。その事多く詭怪にして、今世に行わる。伝に云う『拾遺録』なる者は、蓋しすなわち今の記なり。前に蕭綺の序あり、言う、書は本十九巻、二百二十篇、苻秦の季に当たりて、典章散滅し、この書もまた多く亡ぶることあり。綺さらに繁を削り実を存し、合して一部と為す。凡そ十巻なり。今の書の前九巻は庖犧に起こりて東晋に迄り、末の一巻は崑崙等の九仙山を記す。序に謂うところの「事は西晋の末に訖る」とはやや同じからず。その文筆は頗る靡麗にして、事はみな誕漫にして実なし。蕭綺の録もまた附会にして、胡応麟(『筆叢』三十二)以て「蓋しすなわち綺の撰にして王嘉に託せるなり」と為す。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 少昊は金徳を以て王たり。母は皇娥と曰い、璇宮に処りて夜に織り、あるいは桴木に乗じて昼に遊び、窮桑滄茫の浦を経歴す。時に神童あり、容貌俗を絶し、白帝の子と称す。すなわち太白の精にして、水際に降り、皇娥と宴戲し、便娟の楽を奏し、游漾して帰るを忘る。窮桑なる者は西海の浜にして、孤桑の樹あり、直上すること千尋、葉は紅く椹は紫にして、万歳に一たび実を結び、これを食すれば天に後れて老ゆ。……帝子と皇娥と並び坐し、桐峰の梓瑟を撫す。皇娥瑟に倚りて清歌して曰く、「天清く地曠くして浩として茫茫たり、万象回薄して化すること方なし、浛天蕩蕩として滄滄を望み、桴に乗じて軽く漾いて日の傍に著く、まさにいずくにか至りて窮桑に至らん、心は和楽を知りて悦びていまだ央きず。」俗に遊楽の処を桑中と謂うなり。『詩・衛風』に「我を桑中に期す」と云うは、蓋しこれに類するなり。……皇娥少昊を生むに及び、号して窮桑氏と曰い、また桑丘氏と曰う。六国の時に至りて、桑丘子陰陽の書を著す。すなわちその余裔なり。……(巻一)<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 劉向、成帝の末に天禄閣に書を校す。専精覃思す。夜に老人ありて黄衣を著し、青藜の杖を植え、閣に登りて進む。向の暗中に独り坐して書を誦するを見て、老父すなわち杖の端を吹くに、煙燃え、因りて以て向に見え、開闢以前を説く。向、因りて五行洪範の文を受く。辞説の繁広にしてこれを忘れんことを恐れ、すなわち帛および紳を裂きて、以てその言を記す。曙に至りて去る。向、姓名を請い問うに、云う、「我はこれ太一の精なり。天帝卯金の子に博学の者あるを聞き、下りて観るなり。」すなわち懐中の竹牒を出すに、天文地図の書あり、「余略ぼ子に授けん。」向の子歆に至り、向より其の術を授かる。向もまたこの人を悟らざるなり。(巻六)<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 洞庭山は水上に浮かぶ。その下に金堂数百間あり、玉女これに居す。四時金石絲竹の声を聞くこと、山頂に徹す。楚の懐王の時、群才を挙げて水湄に詩を賦す。……後に懐王奸雄を進むるを好み、群賢逃越す。屈原は忠を以て斥けられ、沅湘に隠れ、蓁を披き草を茹り、禽獣に混同して、世務に交わらず、柏実を采りて桂膏を和し、以て心神を養う。王に逼迫せられて、すなわち清泠の水に赴く。楚人思慕し、これを水仙と謂う。その神は天河に遊び、精霊時に湘浦に降る。楚人これが為に祠を立つ。漢末なお在り。(巻十)<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 【第二十四篇 清の人情小説】<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 乾隆中(一七六五年頃)、小説に『石頭記』なるものあり、忽ち北京に出づ。五六年を歴て盛行す。然れどもみな写本にして、数十金を以て廟市に鬻ぐ。その本はただ八十回にて、開篇にすなわち本書の由来を叙す。女媧天を補うに、ひとり一石を留めて用いず。石甚だ自ら悼嘆す。俄にして一僧一道を見るに、以て「形体はまずは一個の宝物なり。まだただ実在の好いところがない。すべからくさらに数字を鐫りつけ、人をして一見してすなわち奇物なるを知らしむるのが妙であろう。然る後に好くも汝を隆盛昌明の邦、詩礼簪纓の族、花柳繁華の地、温柔富貴の郷に携え、安身立業せしめん」と為す。ここにおいてこれを袖にして去る。さらに幾劫を歴たるを知らず、空空道人あり、この大石を見るに、上に文詞を鐫る。石の請いに従い、鈔して以て世に問う。道人もまた「空に因りて色を見、色に由りて情を生じ、情を伝えて色に入り、色より空を悟り、遂に名を情僧と易え、『石頭記』を改めて『情僧録』と為す。東魯の孔梅渓はすなわち『風月宝鑑』と題す。後に曹雪芹の悼紅軒中にて披閲すること十載、増刪すること五次、目録を纂成し、章回を分出するに因り、すなわち『金陵十二釵』と題し、並びに一絶を題して云う、『満紙荒唐の言、一把辛酸の涙。都な作者の痴と云うも、誰かその中の味を解せん。』」(戚蓼生の序する八十回本の第一回) | ||
| + | |} | ||
| + | |||
| + | {| class="wikitable" style="width: 100%; border-collapse: collapse;" | ||
| + | |- | ||
| + | ! style="width: 50%; background-color: #f0f0f0; padding: 8px;" | 中文 (Chinese) | ||
| + | ! style="width: 50%; background-color: #f0f0f0; padding: 8px;" | 日本語 (Japanese) | ||
| + | |- | ||
| + | | style="vertical-align: top; padding: 10px; line-height: 1.8;" | | ||
本文所叙事则在石头城 非即金陵 之贾府,为宁国、荣国二公后。宁公长孙曰敷,早死;次敬袭爵,而性好道,又让爵于子珍,弃家学仙;珍遂纵恣,有子蓉,娶秦可卿。荣公长孙曰赦,子琏,娶王熙凤;次曰政;女曰敏,适林海,中年而亡,仅遗一女曰黛玉。贾政娶于王,生子珠,早卒;次生女曰元春,后选为妃;次复得子,则衔玉而生,玉又有字,因名宝玉,人皆以为“来历不小”,而政母史太君尤钟爱之。宝玉既七八岁,聪明绝人,然性爱女子,常说:“女儿是水作的骨肉,男人是泥作的骨肉。”人于是又以为将来且为“色鬼”;贾政亦不甚爱惜,驭之极严,盖缘“不知道这人来历。……若非多读书识字,加以致知格物之功,悟道参玄之力者,不能知也” 戚本第二回贾雨村云 。而贾氏实亦“闺阁中历历有人”,主从之外,姻连亦众,如黛玉、宝钗,皆来寄寓,史湘云亦时至,尼妙玉则习静于后园。右即贾氏谱大要,用虚线者其姻连,著×者夫妇,著*者在“金陵十二钗”之数者也。<br/> | 本文所叙事则在石头城 非即金陵 之贾府,为宁国、荣国二公后。宁公长孙曰敷,早死;次敬袭爵,而性好道,又让爵于子珍,弃家学仙;珍遂纵恣,有子蓉,娶秦可卿。荣公长孙曰赦,子琏,娶王熙凤;次曰政;女曰敏,适林海,中年而亡,仅遗一女曰黛玉。贾政娶于王,生子珠,早卒;次生女曰元春,后选为妃;次复得子,则衔玉而生,玉又有字,因名宝玉,人皆以为“来历不小”,而政母史太君尤钟爱之。宝玉既七八岁,聪明绝人,然性爱女子,常说:“女儿是水作的骨肉,男人是泥作的骨肉。”人于是又以为将来且为“色鬼”;贾政亦不甚爱惜,驭之极严,盖缘“不知道这人来历。……若非多读书识字,加以致知格物之功,悟道参玄之力者,不能知也” 戚本第二回贾雨村云 。而贾氏实亦“闺阁中历历有人”,主从之外,姻连亦众,如黛玉、宝钗,皆来寄寓,史湘云亦时至,尼妙玉则习静于后园。右即贾氏谱大要,用虚线者其姻连,著×者夫妇,著*者在“金陵十二钗”之数者也。<br/> | ||
<br/> | <br/> | ||
| Line 647: | Line 895: | ||
<br/> | <br/> | ||
<br/> | <br/> | ||
| − | 三、康熙朝政治状态说 此说即发端于徐时栋,而大备于蔡元培之《石头记索隐》。开卷即云:“《石头记》者,清康熙朝政治小说也。作者持民族主义甚挚,书中本事,在吊明之亡,揭清之失,而尤于汉族名士仕清者寓痛惜之意。……”于是比拟引申,以求其合,以“红”为影“朱”字;以“石头”为指金陵;以“贾”为斥伪朝;以“金陵十二钗”为拟清初江南之名士:如林黛玉影朱彝尊,王熙凤影余国柱,史湘云影陈维崧,宝钗妙玉则从徐说,旁征博引,用力甚勤。然胡适既考得作者生平,而此说遂不立,最有力者即曹雪芹为汉军,而《石头记》实其自叙也。<br/> | + | 三、康熙朝政治状态说 此说即发端于徐时栋,而大备于蔡元培之《石头记索隐》。开卷即云:“《石头记》者,清康熙朝政治小说也。作者持民族主义甚挚,书中本事,在吊明之亡,揭清之失,而尤于汉族名士仕清者寓痛惜之意。……”于是比拟引申,以求其合,以“红”为影“朱”字;以“石头”为指金陵;以“贾”为斥伪朝;以“金陵十二钗”为拟清初江南之名士:如林黛玉影朱彝尊,王熙凤影余国柱,史湘云影陈维崧,宝钗妙玉则从徐说,旁征博引,用力甚勤。然胡适既考得作者生平,而此说遂不立,最有力者即曹雪芹为汉军,而《石头记》实其自叙也。 |
| + | | style="vertical-align: top; padding: 10px; line-height: 1.8;" | | ||
| + | 本文の叙事するところは石頭城(すなわち金陵にあらず)の賈府にあり、寧国・栄国二公の後なり。寧公の長孫を敷と曰い、早く死す。次の敬は爵を襲うも、性は道を好み、また爵を子の珍に譲り、家を棄てて仙を学ぶ。珍遂に縦恣し、子の蓉あり、秦可卿を娶る。栄公の長孫を赦と曰い、子の璉あり、王熙鳳を娶る。次を政と曰う。女を敏と曰い、林海に適ぎ、中年にして亡じ、僅かに一女を遺す、黛玉と曰う。賈政は王氏を娶り、子の珠を生むも、早く卒す。次に女を生み元春と曰い、後に選ばれて妃と為る。次にまた子を得るに、すなわち玉を銜みて生まる。玉にまた字あり、因りて宝玉と名づく。人みな以て「来歴小さからず」と為す。而して政の母の史太君はことに鍾愛す。宝玉すでに七八歳、聡明人に絶するも、性は女子を愛し、常に言う、「女の子は水で出来た骨肉で、男は泥で出来た骨肉だ。」人ここにおいてまた以て将来は「色鬼」と為らんと為す。賈政もまたあまり愛惜せず、これを御すること極めて厳なり。蓋し「この人の来歴を知らざるに縁る。……もし多く書を読み字を識り、致知格物の功を加え、悟道参玄の力ある者にあらざれば、知ることあたわざるなり」(戚本第二回賈雨村云う)に因る。而して賈氏には実にまた「閨閣の中歴歴として人あり」、主従のほかに、姻連もまた衆し。黛玉・宝釵のごときは、皆来たりて寄寓し、史湘雲もまた時に至り、尼の妙玉はすなわち後園に習静す。右すなわち賈氏の譜の大要にして、虚線を用うるはその姻連、×を著すは夫婦、*を著すは「金陵十二釵」の数に在る者なり。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 事すなわち林夫人(賈敏)の死に始まる。黛玉は恃を失い、またよく病み、遂に来たりて外家に依る。時に宝玉と同年にして、十一歳なり。すでにして王夫人の女弟の生める女もまた至る。すなわち薛宝釵にして、一年年長にして、頗る端麗を極む。宝玉は純朴にして、並びに二人を愛し偏心なし。宝釵は渾然として覚えず、而して黛玉はやや恚る。一日、宝玉倦みて秦可卿の室に臥す。遽に夢みて太虚境に入り、警幻仙に遇い、『金陵十二釵正冊』および『副冊』を閲す。図あり詩あり、然れども解せず。警幻は新制の『紅楼夢』十二支を奏ぜしむ。その末闋を『飛鳥各投林』と為し、詞に云う、<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 「官と為りし者は、家業凋零す。富貴なりし者は、金銀散じ尽く。恩ありし者は、死裏に逃生す。無情なる者は、分明に報応す。命を欠きし者は命すでに還り、涙を欠きし者は涙すでに尽きぬ。……破り看たる者は、空門に遁入し、痴迷せる者は、枉に性命を送れり。好く一つ似たり、食い尽くして鳥林に投ずるに。落ちたるは片の白茫茫たる大地、真に干浄なり。」(戚本第五回)<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 然れども宝玉またも解せず、さらに他の夢を歴て寤む。元春の選ばれて妃と為るに逮びて、栄公府はいよいよ貴盛し、その帰省に及びて、大観園を辟きて以てこれを宴す。情親ことごとく至り、天倫の楽を極む。宝玉もまた漸く長じ、外にては秦鍾・蒋玉函に昵み、帰りてはすなわち姉妹中表および侍児の襲人・晴雯・平児・紫鵑の輩の間に周旋す。昵みてこれを敬い、その意に拂うを恐れ、愛は博くして心は労し、而して憂患もまた日に甚だしくなれり。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | この日、宝玉は湘雲の漸く癒ゆるを見て、然る後に黛玉を看に往く。まさに黛玉の昼寝を終えたばかりの時に当たり、宝玉は驚かすを敢えてせず。紫鵑がまさに回廊の上にて手に針仕事をしているのを見て、すなわち上がりて問う、「昨夜の咳は少しはましか。」紫鵑道う、「ましになりました。」宝玉道う、「阿弥陀仏、どうか良くなりますように。」紫鵑笑いて道う、「あなたも念仏するようになって、本当にニュースですこと。」宝玉笑いて道う、「いわゆる『病篤くして医を乱投す』というやつさ。」一面に言いつつ、彼女が弾墨綾子の薄綿袄を着て、外にはただ青緞子の挟背心だけを着ているのを見て、宝玉はすなわち手を伸ばして彼女の身の上を一撫でして言う—— | ||
| + | |} | ||
| + | |||
| + | {| class="wikitable" style="width: 100%; border-collapse: collapse;" | ||
| + | |- | ||
| + | ! style="width: 50%; background-color: #f0f0f0; padding: 8px;" | 中文 (Chinese) | ||
| + | ! style="width: 50%; background-color: #f0f0f0; padding: 8px;" | 日本語 (Japanese) | ||
| + | |- | ||
| + | | style="vertical-align: top; padding: 10px; line-height: 1.8;" | | ||
然谓《红楼梦》乃作者自叙,与本书开篇契合者,其说之出实最先,而确定反最后。嘉庆初,袁枚 《随园诗话》二 已云:“康熙中,曹练亭为江宁织造,……其子雪芹撰《红楼梦》一书,备记风月繁华之盛。中有所谓大观园者,即余之随园也。”末二语盖夸,余亦有小误 如以楝为练,以孙为子 ,但已明言雪芹之书,所记者其闻见矣。而世间信者特少,王国维 《静庵文集》 且诘难此类,以为“所谓‘亲见亲闻’者,亦可自旁观者之口言之,未必躬为剧中之人物”也,迨胡适作考证,乃较然彰明,知曹雪芹实生于荣华,终于苓落,半生经历,绝似“石头”,著书西郊,未就而没;晚出全书,乃高鄂续成之者矣。<br/> | 然谓《红楼梦》乃作者自叙,与本书开篇契合者,其说之出实最先,而确定反最后。嘉庆初,袁枚 《随园诗话》二 已云:“康熙中,曹练亭为江宁织造,……其子雪芹撰《红楼梦》一书,备记风月繁华之盛。中有所谓大观园者,即余之随园也。”末二语盖夸,余亦有小误 如以楝为练,以孙为子 ,但已明言雪芹之书,所记者其闻见矣。而世间信者特少,王国维 《静庵文集》 且诘难此类,以为“所谓‘亲见亲闻’者,亦可自旁观者之口言之,未必躬为剧中之人物”也,迨胡适作考证,乃较然彰明,知曹雪芹实生于荣华,终于苓落,半生经历,绝似“石头”,著书西郊,未就而没;晚出全书,乃高鄂续成之者矣。<br/> | ||
<br/> | <br/> | ||
| Line 917: | Line 1,187: | ||
<br/> | <br/> | ||
<br/> | <br/> | ||
| − | [60]但丁(Dante Alighieri)作《神曲》,自记游历地狱,净罪,天堂三界,引导他的是罗马的大诗人斐尔吉留斯(Virgilius,70—19 B.C.)。——译者<br/> | + | [60]但丁(Dante Alighieri)作《神曲》,自记游历地狱,净罪,天堂三界,引导他的是罗马的大诗人斐尔吉留斯(Virgilius,70—19 B.C.)。——译者 |
| + | | style="vertical-align: top; padding: 10px; line-height: 1.8;" | | ||
| + | しかれども『紅楼夢』は作者の自叙なりと謂い、本書の開篇と契合するものは、その説の出づること実に最も先にして、確定するは反って最も後なり。嘉慶の初め、袁枚(『随園詩話』二)すでに云う、「康熙中、曹練亭は江寧織造と為り、……その子雪芹は『紅楼夢』一書を撰し、備さに風月繁華の盛んなるを記す。中にいわゆる大観園なる者は、すなわち余が随園なり。」末の二語は蓋し誇りなり。余もまたいささかの小誤あり(楝を練と為し、孫を子と為すがごとし)。しかれどもすでに明らかに雪芹の書は、その聞見するところを記すと言えり。而して世間これを信ずる者は特に少なし。王国維(『静庵文集』)はまた難詰して、以て「いわゆる『親しく見親しく聞く』とは、また傍観者の口より言うことを得べし、必ずしも躬ら劇中の人物と為るにあらず」と為す。胡適の考証を作すに逮びて、すなわちいよいよ彰明にして、曹雪芹は実に栄華に生まれ、苓落に終わり、半生の経歴は「石頭」に絶似し、西郊に書を著すも、就らずして没す。晩に出づる全書は、すなわち高鶚の続成したるものなりと知る。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 雪芹の名は霑、字は芹渓、一字は芹圃、正白旗漢軍なり。祖の寅、字は子清、号は楝亭、康熙中に江寧織造と為る。清の世祖南巡の時、五次織造署を以て行宮と為す。後の四次は皆寅の在任中なり。しかれどもすこぶる風雅を嗜み、かつて古書十余種を刻し、時の称するところとなる。また能く文し、著すところに『楝亭詩鈔』五巻『詞鈔』一巻あり(『四庫書目』)、伝奇二種あり(『在園雑志』)。寅の子、すなわち雪芹の父もまた江寧織造と為る。故に雪芹は南京に生まる。時は蓋し康熙の末なり。雍正六年、任を卸し、雪芹もまた北京に帰る。時に約十歳なり。しかるに何の因によるか知らず、これより後、曹氏は巨変に遭いしごとく、家は頓に落ち、雪芹は中年に至りて、すなわち貧にして西郊に居し、粥を啜り、しかもなお傲兀にして、時にまた酒を縦にして詩を賦す。『石頭記』を作るは蓋しまたこの際なり。乾隆二十七年、子殤じ、雪芹傷感して疾を成し、除夕に至りて卒す。年四十余(一七一九?——一七六三)。その『石頭記』はなお就らず、今伝わるところはただ八十回のみなり(詳しくは『胡適文選』を見よ)。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 後の四十回を高鶚の作と言う者は、俞樾(『小浮梅閑話』)の云う、「『船山詩草』に『高蘭墅鶚同年に贈る』一首あり、『艶情人自ら紅楼を説く』と云う。注に云う、『紅楼夢は八十回以後、すべて蘭墅の補うところなり。』然らばこの書は一手より出でたるにあらず。按ずるに郷会試に五言八韻の詩を増すは、乾隆朝に始まる。而して書中に科場の事を叙するにすでに詩あれば、その高君の補いしところなるを証すべし。」と。しかれども鶚の作りし序には、ただ「友人程子小泉、余を過り、その購うところの全書を以て示し、かつ曰く、『これ僕の数年銖積寸累の辛心なり。まさに剞劂に付して、同好に公にせんとす。子は閑にしてかつ惫れたり、盍ぞこれを分担せざるや。』余以てこの書は……なお名教に背かず……遂にその役を襄く。」と言うのみ。蓋し己より出づるを明言するを欲せざるも、而して僚友にはすこぶるこれを知る者あり。鶚はすなわち字を蘭墅と曰い、鑲黄旗漢軍にして、乾隆戊申の挙人、乙卯の進士、旋いで翰林に入り、侍読に官す。またかつて嘉慶辛酉の順天郷試の同考官と為る。その『紅楼夢』を補うは、まさに乾隆辛亥の時に当たり、いまだ進士と成らず、「閑にしてかつ惫れたり」なれば、雪芹の蕭条の感に偶々あるいは相通ず。しかれども心志いまだ灰ならざれば、いわゆる「暮年の人、貧病交々攻め、漸く下世の光景を露出す」(戚本第一回)という者とはまた絶えて異なる。ここを以て続書もまた悲涼なりといえども、賈氏は終に「蘭桂斉しく芳し」くして、家業復興し、殊に茫茫たる白地、真に干浄と成るがごときものには類せざるなり。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 続『紅楼夢』は八—— | ||
| + | |} | ||
| + | |||
| + | {| class="wikitable" style="width: 100%; border-collapse: collapse;" | ||
| + | |- | ||
| + | ! style="width: 50%; background-color: #f0f0f0; padding: 8px;" | 中文 (Chinese) | ||
| + | ! style="width: 50%; background-color: #f0f0f0; padding: 8px;" | 日本語 (Japanese) | ||
| + | |- | ||
| + | | style="vertical-align: top; padding: 10px; line-height: 1.8;" | | ||
第八卷<br/> | 第八卷<br/> | ||
<br/> | <br/> | ||
| Line 952: | Line 1,238: | ||
论曰:时日谴祟,古盛王无之,季王之所好。听此言善矣,顾其不尽然。汤祷桑林,周公秉圭,不知是谴祟非也?吉日惟戊,既伯既祷,不知是时日非也?此皆足下家事,先师所立,而一朝背之,必若汤周未为盛王,幸更思 各本作详 之。又当校 各本字夺。旧校亦删 知二贤,何如足下邪?<br/> | 论曰:时日谴祟,古盛王无之,季王之所好。听此言善矣,顾其不尽然。汤祷桑林,周公秉圭,不知是谴祟非也?吉日惟戊,既伯既祷,不知是时日非也?此皆足下家事,先师所立,而一朝背之,必若汤周未为盛王,幸更思 各本作详 之。又当校 各本字夺。旧校亦删 知二贤,何如足下邪?<br/> | ||
<br/> | <br/> | ||
| − | 论曰:贼方至,以疾走为务;食不消,以黄为先。子徒知此为贤于安须臾,与求乞胡;而不知制贼病于无形,事功幽而无跌也。夫救火以水,虽自多于抱薪,而不知曲突之先物也 各本作矣 。况乎天下微事,言所不能及,数所不能分?是以古人存而不论,神而明之,遂知来物。故能独观于万化之前,收功于大顺之后。百姓谓之自然,而不知所以然。若此,岂常理之所逮邪?今形象著明,有数者,犹尚滞之;天地广远,品物多方,智之所知,未若所不知者众也。今执避贼消谷 四字各本作辟谷 之术,谓养生已备,至理已尽;驰心极观,齐此而还,意所不及,皆谓无之。欲据所见,以定古人之所难言,得无似蟪蛄之议冰雪邪?欲以所识 识下当夺六字。黄汪二张本作而□□□之所。程本而下作求今人。旧校作决古人。盖皆意补 弃,得无似戎 原作终。据各本改 人问布于中国,睹麻种而不事邪?吾怯于专断,进不敢定祸福于卜相,退不敢谓家无吉凶也。<br/> | + | 论曰:贼方至,以疾走为务;食不消,以黄为先。子徒知此为贤于安须臾,与求乞胡;而不知制贼病于无形,事功幽而无跌也。夫救火以水,虽自多于抱薪,而不知曲突之先物也 各本作矣 。况乎天下微事,言所不能及,数所不能分?是以古人存而不论,神而明之,遂知来物。故能独观于万化之前,收功于大顺之后。百姓谓之自然,而不知所以然。若此,岂常理之所逮邪?今形象著明,有数者,犹尚滞之;天地广远,品物多方,智之所知,未若所不知者众也。今执避贼消谷 四字各本作辟谷 之术,谓养生已备,至理已尽;驰心极观,齐此而还,意所不及,皆谓无之。欲据所见,以定古人之所难言,得无似蟪蛄之议冰雪邪?欲以所识 识下当夺六字。黄汪二张本作而□□□之所。程本而下作求今人。旧校作决古人。盖皆意补 弃,得无似戎 原作终。据各本改 人问布于中国,睹麻种而不事邪?吾怯于专断,进不敢定祸福于卜相,退不敢谓家无吉凶也。 |
| + | | style="vertical-align: top; padding: 10px; line-height: 1.8;" | | ||
| + | 第八巻<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 宅に吉凶なき摂生論 上を難ず<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | それ善く寿強を求むる者は、必ず先ず夭疾の自ら来たるところを知り、然る後にその至るを防ぐべきなり。禍はここに起こりて、防ぐはかしこに為す。すなわち禍は自ら瘳ゆるなし。世に安宅・葬埋・陰陽・度数・刑徳の忌あり、これ何より生ずるか。性命を見ず、禍福を知らざるなり。見ざる故に妄りに求め、知らざる故に幸を干す。ここを以て善く生を執る者は、性命の宜しきところを見、禍福の来たるところを知る。故にこれを実に求め、これを信に防ぐ。それ多く飲みて走れば、すなわち澹支と為り、しばしば行きて風に当たれば、すなわち痒毒と為り、久しく湿に居れば、すなわち要疾偏枯し、内を好みて怠らざれば、すなわち昏喪して女疾す。かくのごときの類は、災の来たるゆえんにして、寿の去るゆえんなり。而して墓を掘り室を築き、日を費やし身を苦しめて以てこれを求む。疾は形に生じて、治は土木に加う。これ疾の瘳ゆる道なし。詩に云う、「恺悌の君子、福を求めて回らず」とは、謗議を避けて義然たるにあらざるなり。蓋し回は福を求むるところにあらざるを知ればなり。故に寿強なり。気を専らにして柔を致し、私を少なくして欲を寡くし、直ちに情性の宜しきところを行いて、養生の正度に合す。これを懐抱の内に求めて、これを得たり。かつて蚕を知らざる者あり、口を出だし手を動かすに、みな忌祟と為す。蚕を得ること滋ますます甚だしからず、忌祟のためにますます多し。なおみずから犯すと以為えるなり。蚕を知る者あり、これに教えて、蚕はもっぱら桑と火と寒暑燥湿にあるを知らしむれば、ここにおいて百忌おのずから息み、利すること十倍なり。何となれば、先ず然る所以を知らざれば、故に忌祟の情繁く、後に然る所以を知る者は、故にこれを求むるの術正し。故に忌祟は常に不知より生ず。性命を知ることなお蚕を知るがごとくならしめば、忌祟は立つところなし。多く食して消さざれば、黄丸を含みて筮祝し谴祟を祓い、あるいは胡に従いて福を求むる者は、およそ人の笑うところなり。何となれば、智もてその禍なきを達するを以てなり。忌祟のことごとく不知より生ずること、知る者よりこれを言えば、みな胡に乞うがごとし。設けて三公の宅と為し、愚民をしてこれに居らしめば、必ずしも三公と為らず。知るべきなり。それ寿夭の求むべからざること、貴賤よりも甚だし。然らば百年の宮を択びて殤子の寿を望み、魁罡を孤逆して彭祖の夭を速めんとすること、必ず幾からず。あるいは曰く、愚民は必ずしも久しく公侯の宅に居るを得ず、と。然らば果たして宅なきなり。これ性命は自然にして求むべからず。賊の方に至らんとするに、疾く逃げずして、独り須臾を安んぜば、遂に虜するところとなる。然らば禍を避け福に趣くは、理に縁るに過ぐるはなし。賊を避くるの理は、速く逃ぐるにしくはなし。すなわちこれ善なり。養生の道は、先ず知るにしくはなし。すなわち尽くすを為す。それ賊を避くるは速やかなるべきこと章々として然り。故に中人も睹るを難しとせず。禍を避くるの理は冥々として然り。故に明者も見ること易からず。その理に動くにおいては、妄りに求むべからず、一なり。孔子疾あり、医—— | ||
| + | |} | ||
| + | |||
| + | {| class="wikitable" style="width: 100%; border-collapse: collapse;" | ||
| + | |- | ||
| + | ! style="width: 50%; background-color: #f0f0f0; padding: 8px;" | 中文 (Chinese) | ||
| + | ! style="width: 50%; background-color: #f0f0f0; padding: 8px;" | 日本語 (Japanese) | ||
| + | |- | ||
| + | | style="vertical-align: top; padding: 10px; line-height: 1.8;" | | ||
第五篇 ,大旨悉同,当即此篇所本。明人汤显祖之《邯郸记》,则又本之此篇。既济文笔简炼,又多规诲之意,故事虽不经,尚为当时推重,比之韩愈《毛颖传》;间亦有病其俳谐者,则以作者尝为史官,因而绳以史法,失小说之意矣。既济又有《任氏传》 见《广记》四百五十二 一篇,言妖狐幻化,终于守志殉人,“虽今之妇人有不如者”,亦讽世之作也。<br/> | 第五篇 ,大旨悉同,当即此篇所本。明人汤显祖之《邯郸记》,则又本之此篇。既济文笔简炼,又多规诲之意,故事虽不经,尚为当时推重,比之韩愈《毛颖传》;间亦有病其俳谐者,则以作者尝为史官,因而绳以史法,失小说之意矣。既济又有《任氏传》 见《广记》四百五十二 一篇,言妖狐幻化,终于守志殉人,“虽今之妇人有不如者”,亦讽世之作也。<br/> | ||
<br/> | <br/> | ||
| Line 1,001: | Line 1,305: | ||
<br/> | <br/> | ||
<br/> | <br/> | ||
| − | 天后时,刘幽求为朝邑丞,尝奉使夜归,未及家十余里,适有佛寺,路出其侧,闻寺中歌笑欢洽。寺垣短缺,尽得睹其中。刘俯身窥之,见十数人儿女杂坐,罗列盘馔,环绕之而共食。见其妻在坐中语笑。刘初愕然,不测其故,久之,且思其不当至此,复不能舍之。又熟视容止言笑无异,将就察之,寺门闭不得入,刘掷瓦击之,中其罍洗,破迸散走,因忽不见。刘逾垣直入,与从者同视殿庑,皆无人,寺扃如故。刘讶益甚,遂驰归。比至其家,妻方寝,闻刘至,乃叙寒暄讫,妻笑曰:“向梦中与数十人同游一寺,皆不相识,会食于殿庭,有人自外以瓦砾投之,杯盘狼藉,因而遂觉。”刘亦具陈其见,盖所谓彼梦有所往而此遇之也。<br/> | + | 天后时,刘幽求为朝邑丞,尝奉使夜归,未及家十余里,适有佛寺,路出其侧,闻寺中歌笑欢洽。寺垣短缺,尽得睹其中。刘俯身窥之,见十数人儿女杂坐,罗列盘馔,环绕之而共食。见其妻在坐中语笑。刘初愕然,不测其故,久之,且思其不当至此,复不能舍之。又熟视容止言笑无异,将就察之,寺门闭不得入,刘掷瓦击之,中其罍洗,破迸散走,因忽不见。刘逾垣直入,与从者同视殿庑,皆无人,寺扃如故。刘讶益甚,遂驰归。比至其家,妻方寝,闻刘至,乃叙寒暄讫,妻笑曰:“向梦中与数十人同游一寺,皆不相识,会食于殿庭,有人自外以瓦砾投之,杯盘狼藉,因而遂觉。”刘亦具陈其见,盖所谓彼梦有所往而此遇之也。 |
| − | + | | style="vertical-align: top; padding: 10px; line-height: 1.8;" | | |
| + | 第五篇の大旨はすべて同じく、すなわちこの篇の典拠となったものである。明の湯顕祖の『邯鄲記』は、またこの篇に基づいている。既済の文筆は簡練で、かつ規誡の意が多く、故事は荒唐ではあるが、当時なお推重されて韓愈の『毛穎伝』に比せられた。たまに諧謔を病む者もあったが、それは作者がかつて史官であったため、史法をもってこれを律し、小説の本意を失ったのである。既済にはまた『任氏伝』(『広記』四百五十二に見える)一篇があり、妖狐の幻化を語り、ついに志を守って人に殉じ、「今の婦人にも及ばぬ者がある」と述べた、やはり世を諷する作である。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 「呉興の才人」(李賀の語)沈亜之は字を下賢といい、元和十年に進士に及第し、太和の初めに徳州行営使の柏耆の判官となったが、耆が罪を得て貶せられ、亜之もまた南康尉に左遷され、郢州の掾に終わった(およそ八世紀末から九世紀中頃)。集は十二巻、今も存する。亜之は文名があり、自ら「窈窕の思いを創り得る」と称した。今の集中に伝奇文が三篇あり(『沈下賢集』巻二・巻四、また『広記』二百八十二および二百九十八に見える)、いずれも華艶なる筆をもって恍惚たる情を叙し、仙鬼の復死を好んで語るところは、同時の文人と殊に趣を異にしている。『湘中怨』は鄭生がたまたま孤女に出会い、相依ること数年、ある日別れ去って、自ら「蛟宮の妹」と称し、謫限はすでに満ちたと言い、十余年後にまた遠くこれを画舫の中に見かけ、悲しげに歌うのを聞いたが、「風涛崩怒」して、ついにその所在を見失った。『異夢録』は邢鳳が夢に美人に見え、「弓弯」の舞を示されたこと、および王炎が夢に呉王に久しく仕え、にわかに笳鼓を聞けば西施の葬礼で、教えに従って挽歌を作ると、王がこれを嘉賞したことを記す。『秦夢記』は自ら長安を経て橐泉の邸舎に宿り、夢に秦の官となって功あり、時に弄玉の婿の蕭史がまず死んでいたため、公主を娶り、その居所を翠微宮と自ら題したことを述べる。穆公の亜之への待遇もまた甚だ厚かったが、ある日公主が突然無病にして卒し、穆公はもう亜之に会おうとせず、帰国させた。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 去るに臨み、公は酒宴を大いに設け、秦の音を奏し、秦の舞を舞わせた。舞う者は膊を打ち髀を撫でて嗚嗚と声を発するも、音に快からぬものがあり、声は甚だ怨みがましかった。……やがて再拝して辞し去り、公はまた翠微宮に至って公主の侍人と別れよと命じた。殿内に再び入った時、珠翠の欠片が青い階の下に散乱し、窓紗の檀点は依然としてあり、宮人は亜之に向かって泣いた。亜之は感じ入って長く咽び、やがて宮門に詩を題して曰く、「君王多感にして東帰を放ち、此より秦宮また期すべからず、春景自ら秦の主を喪いしを傷み、落花雨の如く泪は胭脂なり」と。ついに別れ去り、……邸舎に覚めた。翌日、亜之は友人の崔九万にこの経緯を詳しく語った。九万は博陵の人で古事に通じており、余に謂って曰く、「『皇覧』に云う、『秦の穆公は雍の橐泉の祈年宮の下に葬る』と。その神霊の憑依したるにあらずや」と。亜之はさらに秦代の地誌を求め得たが、九万の言うとおりであった。ああ、弄玉はすでに仙人となったのに、どうしてまた死ぬことがあろうか。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 陳鴻の文章は辞意慷慨にして、弔古を長じ、往事を追懐して情に勝えざるが如くであった。鴻は少くして史を学び、貞元二十一年に太常第に登り、初め閑居して志を遂げ、『大統紀』三十巻を修して七年にしてようやく成った(『唐文粋』九十五)。長安にあった時、かつて白居易と友となり、『長恨歌』のために伝を作った(『広記』四百八十六に見える)。『新唐志』小説家類に陳鴻『開元升平源』一巻があり、注に「字は大亮、貞元の主客郎中」とあるのは、あるいはまたこの人であろう(およそ八世紀後半から九世紀中葉)。その作にはまた『東城老父伝』(『広記』四百八十五に見える)があり、賈昌が兵火の後、太平の盛事を追憶し、栄華の零落を両相対照する、その語は甚だ悲しい。『長恨歌伝』は元和の初めに作られ、やはり開元中の楊妃の入宮から蜀に死するまでの顛末を追述し、法は『賈昌伝』に類する。楊妃の故事は唐人のもともと好んで語るところであるが、条理秩然としてこの伝のごとき者は稀であり、また白居易の歌を得たがゆえに、とりわけ世に知られることとなった。清の洪昇が『長生殿伝奇』を撰したのは、すなわちこの伝と歌の意に基づいたものである。伝には今いくつかの版本があり、『広記』と『文苑英華』(七百九十四)所録のものは字句にすでに異同が多いが、明人が『文苑英華』の後に付載した『麗情集』および『京本大曲』から出たものは殊に異なる。けだし後人(『麗情集』の撰者張君房か)がさらに増損したのであろう。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 天宝の末、兄の国忠が丞相の位を僭し、国柄を愚弄し、安禄山が兵を率いて闕に向かい、楊氏を討つことを口実とした。潼関は守れず、翠華は南に幸し、咸陽を出て、道すがら馬嵬亭に次いだ。六軍は徘徊し、戟を持して進まず、従官郎吏は上の馬前に伏して、晁錯を誅して天下に謝せんと請うた。国忠は氂纓盤水を奉じて道の周に死した。左右の意はなお快からず、上がこれを問えば、当時敢えて言う者は貴妃をもって天下の怨みを塞がんと請うた。上は免れ得ぬことを知りながら、なおその死を見るに忍びず、袂を翻して面を掩い、牽いて去らしめた。倉皇として展転し、ついに尺組の下に死を就いた。(『文苑英華』所載)<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 天宝の末、兄の国忠が丞相の位を僭し、ひそかに国柄を弄し、羯胡が燕に乱を起こし、二京は連なって陥り、翠華は南に幸した。駕は都の西門を出ること百余里、六師は徘徊して戟を擁して行かず、従官郎吏は上の馬前に伏して、錯を誅してこれに謝せんと請うた。国忠は氂纓盤水を奉じて道の周に死した。左右の意はなお快からず、当時敢えて言う者は貴妃をもって天下の怒りを塞がんと請うた。上は惨容にしてただ心にその死を見るに忍びず、袂を翻して面を掩い、牽いて去らしめた。上の前に拝し、眸を回せば血の下り、金釵翠羽を地に墜とした。上はみずからこれを拾った。ああ、蕙心紈質、天王の愛なるも、やむを得ず尺組の下に死す。叔向の母は云う「甚だ美なれば必ず甚だ悪し」と、李延年は歌って曰う「国を傾け城を傾く」と、これの謂いなり。(『麗情集』および『大曲』所載)<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 白行簡は字を知退といい、その先はけだし太原の人で、後に韓城に家し、また下邽に移り、居易の弟である。貞元の末に進士に及第し、累遷して司門員外郎・主客郎中に至り、宝暦二年(八二六)冬に病没、年はおよそ五十余。両『唐書』いずれも『居易伝』に附見されている。集二十巻があったが今は存せず、しかし『広記』(四百八十四)にその伝奇文一篇を収めて『李娃伝』と曰う。滎陽の巨族の子が長安の娼女李娃に溺れ、貧病に困頓し、挽郎に身を落とすまでに至ったが、また李娃に救われ、学に励まされて、ついに科挙に及第し、成都府の参軍となったことを語る。行簡はもともと文筆に長じ、李娃の事もまた人情に近くして聳聞であるから、纏綿として見るに堪える。元人はすでにその事を本として『曲江池』と為し、明の薛近兖はこれをもって『繡襦記』を作った。行簡にはまた『三夢記』一篇(原本『説郛』四に見える)があり、「かの者が夢に往くところありてこの者がこれに遇う者、あるいはこの者が為すところありてかの者がこれを夢見る者、あるいは二人が相い夢に通ずる者」の三事を挙げ、いずれも叙述は簡質であるが事は殊に瑰奇で、その第一事がもっとも勝れている。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 天后の時、劉幽求は朝邑の丞であったが、かつて使いを奉じて夜帰る折、家に至るまであと十余里というところで、たまたま仏寺があり、路がその傍を過ぎていた。寺中に歌笑の歓洽する声を聞いた。寺垣は低く欠けて、中の様子がすべて見えた。劉は身を俯せてこれを窺い、十数人の男女が雑坐し、盤饌を羅列してこれを環繞して共に食すのを見た。その妻が座中にあって語笑するのが見えた。劉は初め愕然として、そのゆえを測りかねたが、しばらくして、妻がこの場所に来るはずがないと思い返しつつも、なお棄て去ることができなかった。さらに容姿言笑を熟視するに、まったく異なるところがなく、近づいて確かめようとしたが、寺門は閉ざされて入れなかった。劉は瓦を投げてこれを撃つと、その酒器に当たって破散し、人々は走り散って忽ち見えなくなった。劉は垣を越えてまっすぐに入り、従者とともに殿廡を見て回ったが、すべて人はなく、寺は元のまま閉ざされていた。劉はいよいよ怪しみ、馬を飛ばして帰った。家に着くと、妻はまさに寝ているところで、劉が着いたと聞いて寒暄を叙し終えると、妻は笑って曰く、「先ほど夢の中で十数人とある寺を遊んだのですが、みな知らない人ばかりでした。殿庭で会食していると、外から瓦礫を投げ込む者があり、杯盤は狼藉として、それで目が覚めたのです」と。劉もまたその見たことを詳しく述べた。けだしいわゆる「かの者が夢に往くところありてこの者がこれに遇う」ということであった。 | ||
| + | |} | ||
| + | |||
| + | {| class="wikitable" style="width: 100%; border-collapse: collapse;" | ||
| + | |- | ||
| + | ! style="width: 50%; background-color: #f0f0f0; padding: 8px;" | 中文 (Chinese) | ||
| + | ! style="width: 50%; background-color: #f0f0f0; padding: 8px;" | 日本語 (Japanese) | ||
| + | |- | ||
| + | | style="vertical-align: top; padding: 10px; line-height: 1.8;" | | ||
| + | 【 | ||
| + | | style="vertical-align: top; padding: 10px; line-height: 1.8;" | | ||
| + | 【 | ||
| + | |} | ||
| + | |||
| + | {| class="wikitable" style="width: 100%; border-collapse: collapse;" | ||
| + | |- | ||
| + | ! style="width: 50%; background-color: #f0f0f0; padding: 8px;" | 中文 (Chinese) | ||
| + | ! style="width: 50%; background-color: #f0f0f0; padding: 8px;" | 日本語 (Japanese) | ||
| + | |- | ||
| + | | style="vertical-align: top; padding: 10px; line-height: 1.8;" | | ||
第九篇 唐之传奇文(下)】<br/> | 第九篇 唐之传奇文(下)】<br/> | ||
<br/> | <br/> | ||
| Line 1,102: | Line 1,440: | ||
<br/> | <br/> | ||
<br/> | <br/> | ||
| − | 上来所举之外,尚有不知作者之《李卫公别传》,《李林甫外传》,郭湜之《高力士外传》,姚汝能之《安禄山事迹》等,惟著述本意,或在显扬幽隐,非为传奇,特以行文枝蔓,或拾事琐屑,故后人亦每以小说视之。<br/> | + | 上来所举之外,尚有不知作者之《李卫公别传》,《李林甫外传》,郭湜之《高力士外传》,姚汝能之《安禄山事迹》等,惟著述本意,或在显扬幽隐,非为传奇,特以行文枝蔓,或拾事琐屑,故后人亦每以小说视之。 |
| − | + | | style="vertical-align: top; padding: 10px; line-height: 1.8;" | | |
| + | 第九篇 唐の伝奇文(下)】<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | しかるに伝奇の諸作者の中に、特に関係ある者が二人いる。その一は、作品は多くないが影響が甚だ大きく、名もまた甚だ高い者、元稹である。その二は、著作が多く影響もまた甚だ大きいが、名はそれほど顕著でない者、李公佐である。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 元稹は字を微之といい、河南河内の人である。明経に挙げられて校書郎に補せられ、元和の初めに制策に応じて第一となり、左拾遺に除せられ、監察御史を歴任し、事に坐して江陵に貶せられ、また虢州長史より召し入れられ、漸く遷って中書舍人承旨学士に至り、工部侍郎同平章事に進んだが、まもなく罷相となり、同州刺史に出され、また越州に改められて浙東観察使を兼ねた。太和の初め、入って尚書左丞検校戸部尚書に至り、鄂州刺史兼武昌軍節度使となったが、五年七月に暴疾にかかり、一日にして鎮に卒した。時に年五十三(七七九——八三一)。両『唐書』にいずれも伝がある。稹は少くより白居易と唱和し、当時詩を論ずる者は元白と称し、「元和体」と号した。しかし伝わる小説は『鶯鶯伝』(『広記』四百八十八に見える)一篇のみである。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 『鶯鶯伝』とは、すなわち崔張の故事を叙したもので、また『会真記』とも名づけられる。略述すれば、貞元中、張生なる者あり、性は温美にして容貌端正、礼にあらざれば動かず、年二十三にしていまだ女色に近づいたことがなかった。時に生は蒲に遊び、普救寺に寓した。たまたま崔氏の寡婦が長安に帰ろうとして蒲を過ぎ、やはりこの寺に寓した。その親戚を辿れば、張にとっては異派の従母にあたる。折しも渾瑊が薨じ、軍人が喪に乗じて蒲の人々を大いに騒擾した。崔氏は甚だ恐れたが、生は蒲の将の党と親しかったため、これを護ることができ、十余日の後、廉使の杜確が来て軍を治め、軍はすなわち戢まった。崔氏はこれにより張生に甚だ感謝し、宴に招いた。その娘の鶯鶯に会うと、生は惑い、崔の婢の紅娘に託して『春詞』二首をもって意を通じた。その夕、彩箋を得て、その篇に題して『明月三五夜』と曰う。辞に云く、「月を待つ西廂の下、風を迎えて戸は半ば開く、隔壁の花影動き、疑うらくは玉人の来たるかと」。張は喜びかつ驚いたが、やがて崔が至ると、端服厳容にしてその非礼を責め、ついに去り、張は放心すること久しかった。数夕の後、崔がまた至り、暁になって去ったが、終夕一言もなかった。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | ……張生は色を弁じて起き、自ら疑って曰く「あに夢か」と。明くるに及び、化粧が臂にあり、香が衣にあり、涙光が瑩々として茵席に瑩いているのを睹た。これより後また十余日、杳として復た知れず。張生は『会真詩』三十韻を賦したが、未だ畢らざるに紅娘がたまたま至り、これを授けて崔氏に贈らしめた。これより復た容れられ、朝に隠れて出で、暮に隠れて入り、いわゆる西廂において安んずることほとんど一月であった。張生がつねに鄭氏の情を問えば、曰く「我はいかんともし難し」と。よってこれを成就しようとした。まもなく張生が長安に赴こうとし、まずその情を諭すと、崔氏は婉然として難色なく、しかし愁怨の容は人を動かした。出発の夕、もはや会うことが叶わず、張生はついに西に下った。……<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 翌年、科挙に失敗し、張生はやむなく京に留まり、崔氏に書を贈った。崔はこれに返書した。しかし生はその書を知己に示したため、時の人の語り草となった。楊巨源はこのために『崔娘詩』を賦し、元稹もまた生の『会真詩』三十韻を続けた。張の友人でこれを聞いた者はみな驚き怪しんだが、張の志もまたすでに絶えていた。元稹は張と厚く、その話を問うと、張は曰く——<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 「およそ天の命ずるところの尤物は、その身を妖せざれば、必ず人を妖す。もし崔氏の子が富貴に遇合し、嬌寵を恃めば、雲となり雨とならざれば、蛟となり螭となるであろう。吾はその変化を知らず。昔、殷の辛、周の幽は万乗の国に拠り、その勢は甚だ厚かった。しかるに一人の女子がこれを敗り、その衆を潰し、その身を屠り、今に至るまで天下の笑い者となっている。予の徳は妖孽に勝つに足らず、ゆえに情を忍ぶのだ。」<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 一年余りを過ぎて、崔はすでに他に嫁ぎ、張もまた別に妻を娶った。たまたまその住むところを過ぎ、外兄として面会を請うたが、崔はついに出なかった。後日、張生が去ろうとした時、崔は詩一章を賦して訣別の辞を送った。「棄置して今何ぞ道わん、当時はまた自ら親しめり、なお旧き意をもって取り来たり、眼前の人を憐れめ」と。これより遂に復た消息を知らなかった。時の人は多く張を善く過ちを補う者と称したという。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 元稹は張生に自らを託し、その親しく経験した境を述べている。文章はなお上乗とは言えないが、時に情致があり、もとより見るに堪える。ただ篇末に文をもって非を飾り、遂に悪趣に堕した。しかし李紳・楊巨源の輩がおのおの詩を賦してこれを助け、稹もまた早くから詩名があり、後に節鉞を秉ったため、世人はなお多くこれを好んで語った。宋の趙徳麟はすでにその事を取って『商調蝶恋花』十闋を作り(『侯鯖録』に見える)、金には董解元の『弦索西廂』があり、元には王実甫の『西廂記』、関漢卿の『続西廂記』があり、明には李日華の『南西廂記』、陸采の『南西廂記』等がある。その他「竟」「翻」「後」「続」と題するものはさらに繁多で、今に至るまでなおその事を称道する者がいる。唐人の伝奇は遺存するもの少なくないが、後世これほど煊赫たるは、ただこの篇と李朝威の『柳毅伝』のみである。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 李公佐は字を颛蒙といい、隴西の人である。かつて進士に挙げられ、元和中に江淮の従事となり、後に罷めて長安に帰った(所作の『謝小娥伝』中に見える)。会昌の初め、またも楊府の録事となり、大中二年に累に坐して二任の官を削られた(『唐書・宣宗紀』に見える)。けだし代宗の時に生まれ、宣宗の初めになお在世していた(およそ七七〇——八五〇)。余事は未詳。『新唐書・宗室世系表』にある千牛備身公佐は、別人である。その著作は今四篇存し、『南柯太守伝』(『広記』四百七十五に見え、『淳于棼』と題する。今は『唐語林』に拠って改正する)が最も有名である。伝に言う、東平の淳于棼は家が広陵郡の東十里にあり、宅の南に大槐が一株あった。貞元七年九月、沈酔により疾を致し、二人の友が生を扶けて家に帰らせ、東廡の下に臥せしめた。生は枕に就くと昏然として夢のごとく、二人の紫衣の使者が王命をもって招くのを見た。門を出て車に乗り、古い槐の穴を指して入っていった。使者は車を駆って穴に入ると、忽ち山川が見え、ついに一大城に入った。城楼の上に金書で「大槐安国」と題されていた。生は至って駙馬を拝し、復た南柯太守に出された。郡を守ること三十年、「風化は広く及び、百姓は歌謡し、功徳碑を建て、生祠を立てた」。王は甚だこれを重んじ、次々と大位に遷した。生に五男二女があったが、後に兵を率いて檀蘿国と戦い、敗績した。公主もまた薨じた。生は郡を罷められたが、威福は日に盛んで、王は疑い憚り、遂に生の遊従を禁じ、私第に処した。やがて送り帰された。覚めてみれば、「家の童僕が庭で箒を揮っており、二客は榻で足を濯い、斜日はまだ西垣に隠れず、余樽はなお東牖に湛えていた。夢中の忽忽は、一生を過ごしたかのようであった」。その立意は『枕中記』と同じだが、描写はいっそう尽くされている。明の湯顕祖もまたこれに基づいて伝奇『南柯記』を作った。篇末に穴を掘って根源を究めたところ、蟻が群がっており、すべて前の夢に符合したと記す。実証をもって幻を証したもので、余韻悠然、物情を尽くしたとは言えないが、すでに『枕中記』の及ぶところではない。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | ……大きな穴があり、根の洞は明朗として一榻を容れるに足りた。上に積土壌をもって城郭殿台の状を為し、蟻が数斛も隠れ集まっていた。中に小さな台があり、その色は丹の如く、二匹の大蟻がそこにおり、素翼朱首、長さ三寸ばかり、左右に大蟻数十匹がこれを輔け、諸蟻は敢えて近づかなかった。これがその王であり、すなわち槐安国の都である。さらに一穴を極めると、まっすぐに南枝を上ること四丈ばかり、宛転として方形の中にやはり土城小楼があり、蟻の群れもまたそこに住んでいた。すなわち生が領した南柯郡である。……前事を追想し、感嘆の懐いを抱き、……二客にこれを壊させたくなく、にわかに掩塞して旧に復せしめた。……さらに檀蘿征伐のことを念じ、また二客にその跡を外に訪ねてもらうと、宅の東一里に古い涸れた澗があり、側に大きな檀の木が一株あって、藤蘿が擁織し、上に日を見ず、傍らに小さな穴があり、やはり蟻の群れが隠れ集まっていた。檀蘿の国とは、これではなかろうか。ああ、蟻の霊異すらなお窮め尽くせないのだ、まして山に潜み木に隠れた大いなるものの変化においておや。……<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 『謝小娥伝』(『広記』四百九十一に見える)は、小娥が姓は謝、豫章の人で、八歳にして母を喪い、後に歴陽の侠士段居貞に嫁いだことを語る。夫婦と父はいずれも商いを習い、江湖を往来する間に盗賊に殺され、小娥もまた足を折って水に堕ちたが、他の船に救い上げられた。初め、小娥はかつて夢に父が仇人は「車中猴東門草」と告げるのを見、また夢に夫が仇人は「禾中走一日夫」と告げるのを見た。広く智者を求めたが、みな解けなかった。公佐に至ってようやくこれを弁じて曰く、「車中猴とは、車の字の上下各一画を去れば申の字であり、草の下に門があり門の中に東がある、これは蘭の字である。また禾中走は田を穿って過ぎることで、やはり申の字である。一日夫とは、夫の上にさらに一画あり下に日がある、これは春の字だ。汝の父を殺したのは申蘭、汝の夫を殺したのは申春である」と。小娥はそこで男装して傭保となり、果たして潯陽で二賊に遭い、これを刺殺し、さらに官に告げてその一党を捕えた。謎解きによって賊を捕えるという筋は、甚だ理致に乏しいが、当時もまた盛んに伝えられた。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 残る二篇のうち、その一つは原題が未詳で、『広記』では『廬江馮媼』と題する。事は甚だ簡素で、ゆえに文もまた華やかではない。もう一つは『古岳瀆経』(『広記』四百六十七に見える)という。李湯なる者が、永泰の時の楚州刺史で、漁人が亀山の水中に大鉄鎖を見たと聞き、人と牛でこれを引き出した。風涛はにわかに起こり、「一獣、状は猿の如く、白首長鬐、雪牙金爪」が岸に上がった。後に公佐は古の東呉を訪ね、石穴の間に『古岳瀆経』第八巻を得て、禹が水を治めんとして桐柏山に至り、ついに淮渦の水神、無支祁を獲えた故事を知った。宋元以来、この説が流伝して絶えず、民間に広まった。ただ後に次第に禹を僧伽あるいは泗洲大聖と誤り、明の呉承恩が『西遊記』を演ずるにあたって、その神変奮迅の状を孫悟空に移したため、禹が無支祁を伏した故事は遂に埋没するに至った。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 伝奇の文は、このほかなお多い。著名なものとしては、李朝威の『柳毅伝』(『広記』四百十九に見える)がある。毅が科挙に落第して湘浜に帰ろうとする途中、龍女に出会い、手紙を洞庭君に届けた話である。また蒋防の『霍小玉伝』(『広記』四百八十七に見える)、許堯佐の『柳氏伝』(『広記』四百八十五に見える)等もまたみな造作がある。しかし杜光庭の『虬髯客伝』(『広記』一百九十三に見える)は、流伝がとりわけ広い。楊素の妓人にして紅拂を執る者が李靖を布衣の時に見出し、虬髯客と出会い、三侠と称されるに至った故事を記す。後世この故事を好み、画図まで作った。<br/> | ||
| + | <br/> | ||
| + | 以上に挙げたもののほか、なお作者不明の『李衛公別伝』『李林甫外伝』、郭湜の『高力士外伝』、姚汝能の『安禄山事迹』等がある。著述の本意は幽隠を顕揚するにあり、伝奇のためではないが、文の枝蔓なること、事の瑣屑なることにより、後人もまたしばしば小説と見なしたのである。 | ||
| + | |} | ||
| + | |||
| + | {| class="wikitable" style="width: 100%; border-collapse: collapse;" | ||
| + | |- | ||
| + | ! style="width: 50%; background-color: #f0f0f0; padding: 8px;" | 中文 (Chinese) | ||
| + | ! style="width: 50%; background-color: #f0f0f0; padding: 8px;" | 日本語 (Japanese) | ||
| + | |- | ||
| + | | style="vertical-align: top; padding: 10px; line-height: 1.8;" | | ||
| + | 【 | ||
| + | | style="vertical-align: top; padding: 10px; line-height: 1.8;" | | ||
| + | 【 | ||
| + | |} | ||
| + | |||
| + | {| class="wikitable" style="width: 100%; border-collapse: collapse;" | ||
| + | |- | ||
| + | ! style="width: 50%; background-color: #f0f0f0; padding: 8px;" | 中文 (Chinese) | ||
| + | ! style="width: 50%; background-color: #f0f0f0; padding: 8px;" | 日本語 (Japanese) | ||
| + | |- | ||
| + | | style="vertical-align: top; padding: 10px; line-height: 1.8;" | | ||
第十篇 唐之传奇集及杂俎】<br/> | 第十篇 唐之传奇集及杂俎】<br/> | ||
<br/> | <br/> | ||
| Line 1,215: | Line 1,601: | ||
<br/> | <br/> | ||
<br/> | <br/> | ||
| − | 中和年间有李就今字袞求,为临晋令,亦号义山,能诗,初举时恒游倡家,见孙棨《北里志》,则《杂纂》之作,或出此人,未必定属商隐,然他无显证,未能定也。后亦时有仿作者,宋有续,称王君玉,有再续,称苏东坡,明有三续,为黄允交。 | + | 中和年间有李就今字袞求,为临晋令,亦号义山,能诗,初举时恒游倡家,见孙棨《北里志》,则《杂纂》之作,或出此人,未必定属商隐,然他无显证,未能定也。后亦时有仿作者,宋有续,称王君玉,有再续,称苏东坡,明有三续,为黄允交。 |
| − | |||
| style="vertical-align: top; padding: 10px; line-height: 1.8;" | | | style="vertical-align: top; padding: 10px; line-height: 1.8;" | | ||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
| − | |||
第十篇 唐の伝奇集および雑俎】<br/> | 第十篇 唐の伝奇集および雑俎】<br/> | ||
<br/> | <br/> | ||
| Line 1,543: | Line 1,632: | ||
悪模様<br/> | 悪模様<br/> | ||
客となって人と口喧嘩する …… 客として台や卓をひっくり返す …… 舅姑の前で艶曲を歌う<br/> | 客となって人と口喧嘩する …… 客として台や卓をひっくり返す …… 舅姑の前で艶曲を歌う<br/> | ||
| − | 噛み残した魚肉を皿に戻す 衆人の前で横になる 箸を椀の上に横たえる | + | 噛み残した魚肉を皿に戻す 衆人の前で横になる 箸を椀の上に横たえる |
| + | |} | ||
| − | |||
[[Category:Lu Xun Complete Works]] | [[Category:Lu Xun Complete Works]] | ||
[[Category:Chinese-Japanese Bilingual]] | [[Category:Chinese-Japanese Bilingual]] | ||
Revision as of 04:35, 24 April 2026
言語 / 语言: ZH · EN · DE · FR · ES · IT · RU · AR · HI · JA
対訳 / 对照: ZH-EN · ZH-DE · ZH-FR · ZH-ES · ZH-IT · ZH-RU · ZH-AR · ZH-HI · ZH-JA
无常 / Life and Death
中日対訳 / 中日对照
| 中文 (Chinese) | 日本語 (Japanese) |
|---|---|
|
【一九一八年】
有秦客问于东野主人曰:“闻之前论曰:治世之音安以乐,亡国之音哀以思。夫治乱在政,而音声应之。故哀思之情,表于金石。安乐之象,形于管弦也。又仲尼闻韶,识虞舜之德;季札听弦,识 黄本作知 众国之风。斯已然之事,先贤所不疑也。今子独以为声无哀乐,其理何居?若有嘉讯 各本讯下有今字 ,请闻其说。”主人应之曰:“斯义久滞,莫肯拯救。故令 各本作念。二张本有注云或作令 历世,滥于名实。今蒙启导,将言其一隅焉。夫天地合德,万物资 各本讹贵 生。寒暑代往,五行以成 各本成下有故字。旧校亦加。案:无者为长 。章为五色,发为五音。音声之作,其犹臭味在于天地之间。其善与不善,虽遭 各本遭下有遇字 浊乱,其体自若,而无 各本作不 变也。岂以爱憎易操,哀乐改度哉?及宫商集比 各本讹化 ,声音克谐。此人心至愿,情欲之所钟。古人知情不可恣,欲不可极,故 各本字夺。旧校亦删 因其所用每为之节。使哀不至伤,乐不至淫。因事与名,物有其号。哭谓之哀,歌谓之乐 各本以上十六字夺。旧校亦删 。斯其大较也。然乐云乐云,钟鼓云乎哉?哀云哀云,哭泣云乎哉?因兹而言,玉帛非礼敬之实,歌舞 字从旧校。案当作哭 非悲哀 疑当作哀乐 之主也。何以明之?夫殊方异俗,歌哭 《世说新语·文学篇》注引作笑 不同;使错而用之,或闻哭而欢,或听歌而戚 各本作感 。然其 各本作而 哀乐之怀 各本作情 均也。今用均同 原钞字夺。黄汪程本同。今据《世说》注引补,二张本作一 之情,而发万殊之声,斯非音声之无常哉 《世说》注引作乎 ?然声音和比,感人之最深者也。劳者歌其事,乐者舞其功。夫内有悲痛之心,则激哀切之言 各本作切哀,又夺之字 。言比成诗,声比成音。杂而咏之,聚而听之。心动于和声,情感于苦言。嗟叹未绝,而泣涕流涟矣。夫哀心藏于 黄汪程本于下有苦心二字。旧校亦加。二张本又于心下加之字,盖俱不当有 内,遇和声而后发;和声无象,而哀心有主。夫以有主之哀心,因乎无象之和声而后发 各本三字无。旧校亦删。案:而上当夺一字,删之甚非 ,其所觉悟,唯哀而已。岂复知吹万不同,而使其自已哉。风俗之流,遂成其政,是故国史明政教之得失,审国风之盛衰,吟咏情性,以讽其上。故曰:亡国之音哀以思也。夫喜怒哀乐,爱憎惭惧,凡此八者,生民所以接物传情,区别有属,而不可溢者也。夫味以甘苦为称,今以甲贤而心爱,以乙愚而情憎。则爱憎宜属我,而贤愚宜属彼也。可以我爱而谓之爱人,我憎则 各本作而 谓之憎人?所喜则谓之喜味,所怒则谓之怒味哉?由此言之,则外内 张燮本作内外 殊用,彼我异名。声音自当,以善恶为主,则无关于哀乐。哀乐 原钞二字夺。据各本及旧校加 自当,以情感而后发 各本无此三字。旧校亦删 ,则无系于声音。名实俱去,则尽然可见矣。且季子在鲁,采诗观礼,以别风雅。岂徒任声以决臧否哉?又仲尼闻韶,叹其一致,是以咨嗟,何必因声以知虞舜之德,然后叹美邪?今粗明其一端,亦可思过 半矣。” 秦客难曰:“八方异俗,歌哭万殊,然其哀乐之情,不得不见也。夫心动于中,而声出于心。虽托之于他音,寄之于余声,善听察者,要自觉之不使得过也。昔伯牙理琴,而钟子知其所至 各本作志 ;隶人击磬,而子产识其心哀;鲁人晨哭,而颜渊察 各本作审 其生离;夫数子者,岂复假智于常音,借验于曲度哉?心戚者则形为之动,情悲者则声为之哀。此自然相应,不可得逃。唯神明者能精之耳。夫能者不以声众为难,不能者不以声寡为易。今不可以未遇善听,而谓之声无可察之理;见方俗之多变,而谓声音无哀乐也。又云:贤不宜言爱,愚不宜言憎。然则有贤然后爱生,有愚然后憎起 各本作成 ,但不当其共 各本二字倒 名耳。哀乐之作,亦有由而然。此为声使我哀,音使我乐也。苟哀乐由声,更为有实,何得名实俱去邪?又云:季札 原作体,因札讹礼,礼又为礼而讹也,今正各本作子 采诗观礼,以别风雅;仲尼叹韶音之一致,是以咨嗟;是何言与?且师襄奏 黄汪二张本讹奉。下诸奏字同。程本不误 操,而仲尼睹文王之容;师涓进曲,而子野识亡国之音。宁复讲诗而后下言,习礼然后立评哉?斯皆神妙独见,不待留闻积日,而已综 原钞作终。据各本及旧校改 其吉凶矣。是以前史以为美谈。今子以区区之近知,齐所见而为限;无乃诬前贤之识微,负夫子之妙察邪?” |
【一九一八年】 |
| 中文 (Chinese) | 日本語 (Japanese) |
|---|---|
|
主人答曰:“难云:虽歌哭殊万,善听察者要自觉之,不假智于常音,不借验于曲度。钟子之徒云云是也。此为心哀 各本作悲 者,虽谈笑鼓舞,情欢者,虽拊膺咨嗟,独不能御外形以自匿,诳察者于疑似也。尔为已就 四字各本作以为就令。旧校同 声音之无常,犹谓当有哀乐耳。又曰:季子听声,以知众国之风;师襄奏操,而仲尼睹文王之容。案如所云,此为文王之功德,与风俗之盛衰,皆可象之于声音。声之轻重,可移于后世,襄涓之巧,又 各本字夺 能得之于将来。若然者,三皇五帝,可不绝于今日,何独数事哉?若此果然也,则文王之操有常度,韶武之音有定数,不可杂以他变,操以余声也。则向所谓声音之无常,钟子之触类,于是乎踬矣。若音声之无常 原钞夺之字、常字。黄汪本同。据程二张本加 ,钟子之 黄汪本字夺 触类,其果然邪?则仲尼之识微,季札之善听,固亦诬矣。此皆俗儒妄记,欲神其事而追为耳。欲令天下 四字从旧校及各本 惑声音之道,不言理自。尽此而推 张燮本作惟 ,使神妙难知,恨不遇奇听于当时,慕古人而叹息 各本作自叹 。斯 二张本字无 所以大罔后生也。夫推类辨物,当先求之自然之理。理已足 黄汪二张本作定 ,然后借古义以明之耳。今未得之于心,而多恃前言以为谈证,自此以往,恐巧历不能纪耳 各本字夺 。又难云:哀乐之作,犹爱憎之由贤愚,此为声使我哀,而音使我乐。苟哀乐由声,更为有实矣。夫五色有好丑,五声有善恶,此物之自然也。至于爱与不爱,喜与不喜 原钞下三字误入下文物字下。今移正。各本夺。旧校亦删 ,人情之变,统物之理,唯止于此。然皆无豫于内,待物而成耳。至夫哀乐自以事会,先遘于心,但因和声,以自显发;故前论已明其无常,今复假此谈以正其名号耳。不谓哀乐发于声音,如爱憎之生于贤愚也。然和声之感人心,亦犹醞酒 各本作酒醴 之发人性 各本作情 也。酒以甘苦为主,而醉者以喜怒为用。其见欢戚为声发,而谓声有哀乐,犹 各本字夺。旧校亦删 不可见喜怒为酒使,而谓酒有喜怒之理也。” 秦客难曰:“夫观气采色,天下之通用也。心变于内,而色应于外,较然可见。故吾子不疑。夫声音,气之激者也,心应感而动,声从变而发;心有盛衰,声亦降 张燮本作隆。答文中降杀字放此 杀。同见役于一身,何独于声便当疑邪?夫喜怒章于□诊 各本作色诊。旧校同 ,哀乐亦宜形于声音。声音自当有哀乐,但暗者不能识之。至钟子之徒,虽遭无常 程本讹当 之声,则颖然独见矣。今蒙瞽面墙而不悟,离娄照秋毫于百寻,以此言之,则明暗殊能矣。不可守咫尺之度,而疑离娄之察;执中庸之听,而猜钟子之聪。皆谓古人为妄记也。” 主人答曰:“难云:心应感而动,声从变而发,心有盛衰,乐 黄本作声 亦降杀。哀乐之情,必形于声音。钟子之徒,虽遭无常之声,则颖然独见矣。必若所言,则浊质之饱,首阳之饥,卞和之冤,伯奇之悲,相如之含怒,不赡 各本作占 之怖,祗千变百态。使各发一咏之歌,同启数弹之微,则钟子之徒,各审其情矣。尔为听声者,不以寡众易思?察情者不以大小为异?同出一身者,斯 各本讹期 于识之也。设使从下出 黄汪二张本字夺。旧校亦删。程本有 ,则子野之徒,亦当复操律鸣管,以考其音。知南风之盛衰。别雅郑之淫正也。夫食辛之与甚噱,熏目之与哀泣,同用出泪,使易牙尝之,必不言乐泪甜,而哀泪苦。斯可知矣。何者?肌液肉汗,踧笮便出,无主于哀乐,犹簁酒之囊漉,虽笮具不同,而酒味不变也。声俱一体之所出,何独当 各本二字作当独 含哀乐之理邪 黄本作也 ?且夫咸池六茎,大章韶夏,此先王之至乐,所以动天地感鬼神者也 各本二字夺 。今必云声音,莫不象其体,而传其心;此必为至乐,不可托之于瞽史,必须圣人理其弦管,尔乃雅音得全也。舜命夔击石拊石,八音克谐,神人以和。以此言之,至乐虽待圣人而作,不必圣人自执也。何者?音声有自然之和,而无系于人情。克谐之音,成于金石;至和之声,得于管弦也。无纤毫自有形可察,故离瞽以明异功耳。若以水济水,孰异之哉!” 秦客难曰:“虽众喻有隐,足招攻难,然其大理,当有所就。若葛卢闻牛鸣,知其三生 各本作子下三,生字并同 为牺;师旷吹律,知南风不竞 字从旧校。各本作竟,疑原钞亦同 ,楚师必败;羊舌母听闻儿啼,而知其丧家。凡此数事,皆效于上世,是以咸见录载。推此而言,而盛衰吉凶,莫不存乎声音矣。今若复谓之诬罔,则前言往记,皆为弃物,无用之也。以言通论,未之或安。若能明斯 张燮本作其 所以,显其所由,设二论俱济,愿重闻之。” 主人答曰:“吾谓能反三隅者,得意而忘 各本字夺 言。是以前论略而未详。今复烦寻环之难,敢不自一竭邪。夫鲁牛能知牺历之丧生,哀三生之不存;含悲经年,诉怨葛卢。此为心与人同,异于兽形耳。此又吾之所疑也。且牛非人类,无道相通。若谓鸟 各本作鸣 兽皆能有□ 旧校灭其原字。改作祸。程本作知。他本阙 ,葛卢受性,独晓之;此为解 黄本作称 其语而论其事,犹传译异言耳。不为考声音而知其情,则非所以为难也。若为知者,为当触物而达,无所不知。今且先议其所易者。请问圣人卒入胡域,当知其所言不 各本作否 乎?难者必曰:知之。知之之理,何以明之?愿借子之难以立鉴识之域焉 各本字夺 。或当与关接,识其言邪?将吹 黄本作次 律鸣管,校其音邪?观气采色,知其心邪?此为知心,自由气色;虽自不言,犹将知之。知之之道,可不待言也。若吹律校音,以知其心。假令心志于马,而误言鹿。察者故当由鹿以知 各本讹弘 马也。此为心不系于所言,言或不足以证心也。若当关接而知言,此为孺子学言于所师,然后知之。则何贵于聪明哉。夫言非自然一定之物。五方殊俗,同事异号。趣 各本字夺 举一名,以为标 各本作摽 识耳。夫圣人穷理,谓自然可寻,无微不照。苟无微不照 各本五字无。旧校亦删 ,理蔽 原作数。据各本及旧校改 则虽近不见。故异域之言,不得强通。推 张燮本作信 此以往,葛卢之不知牛鸣,得不全乎?又难云:师旷吹律,知南风不竞,楚多死声,此又吾之所疑也。请问师旷 《北堂书钞》一百十二引作子野 吹律之时,楚国之风邪?则相去千里,声不足达;若正识楚风 各本讹国 ,来入律中邪?则楚南有吴越,北有梁宋,苟不见其原,奚以识之哉?凡阴阳愤激,然后成风;气之相感,触地而发;何得发楚庭,来入晋乎?且又律吕分四时之气耳,时至而气动,律应而灰移。皆自然相待,不假人以为用也。上生下生,所以均五声之和,叙刚柔之分也。然律有一定之声,虽冬吹中吕,其音自满而无损也。今以晋人之气,吹无韵 案:当作损 之律,楚风安得来入其中,与为盈缩邪?风无形,声与律不通,则校理之地,无取于风律,不其然乎?岂独师旷 已上四字《书钞》引作子野。案:独字当衍 博物多识 各本作多识博物 ,自有以知胜败之形,欲固众心,而托以神微 《书钞》引作徵下有者也二字 。若伯常骞之许景公寿哉。又难云:羊舌母听闻儿啼,而审其丧家。复请问何由知之?为神心独悟,暗语而当邪?尝闻儿啼,若此其大而恶,今之啼声,似昔之啼声也 各本字夺 。故知其丧家邪?若神心独悟,暗语之当,非理之所得也。虽曰 原钞日。据各本及旧校改 听啼,无取验于儿声矣。若以尝闻之声为恶,故知今啼当恶,此为以甲声为度,以校乙之啼也。夫声之于音,犹形之于心也。有形同而情乖,貌殊而心均者;何以明之?圣人齐心等德,而形状不同也。苟心同而形异,则何言乎观形而知心哉?且口之激气为声,何异于籁籥纳气而鸣邪?啼声之善恶,不由儿口吉凶,犹琴瑟之清浊,不在操者之工拙也。心能辨理善谭 各本作谈 ,而不能令内 张燮本作籁 籥调利,犹瞽者能善其曲度,而不能令器必清和也。器不假妙瞽而良,籥不因慧 黄汪程张溥本作惠 心而调。然则心之与声,明为二物。二物 各本物下有之字 诚然,则求情者不留观于形貌,揆心者不借听于声音也。察者欲因声以知心,不亦外乎?今晋母未得之于考试 各本作老成。旧校同 ,而专信昨日之声,以证今日之啼;岂不误中于前世好奇者,从而称之哉?” 秦客难曰:“吾闻败者不羞走,所以全也。今 各本字无 吾心未厌,而言于 各本字无 难,复更从其余。今平和之人,听筝笛批把 各本作琵琶,下放此 ,则形躁而志越。闻琴瑟之音,则听静而心闲。同一器之中,曲用每殊,则情随之变。奏秦声则叹羡而慷慨,理齐楚则情一而思专,肆姣弄则欢放而欲惬。心为声变,若此其众。苟躁静由声,则何为限其哀乐?而但云至和之声,无所不感;托大同于声音,归众变于人情。得无知彼不明此哉?” 主人答曰:“难云:批把筝笛,令人躁越。又云:曲用每殊,而情随之变。此诚 张燮本作情 所以使人常感也。批把筝笛,间促而声高,变众而节数。以高声御数节,故使 各本讹更 形躁而志越。犹铃铎警耳,而 各本字无 钟 张燮本作 鼓骇心。故闻鼓鼙之音,则 各本字无 思将帅之臣;盖以声音有大小,故动人有猛静也。琴瑟之体,间 各本讹闻 辽而音埤,变希而声清,以埤音御希变,不虚心静听,则不尽清和之极。是以听静而心闲也。夫曲度 黄本作用 不同,亦犹殊器之音耳。齐楚之曲多重,故情一;变妙,故思专。姣弄之音,挹众声之美,会五音之和,其体赡而用博,故心役 各本讹侈 于众理。五音会,故欢放而欲惬。然皆以单、复、高、埤、善、恶为体,而人情以躁静专散为应。譬犹游观于都肆,则目滥而情放;留察于曲度,则思静 各本夺已以上二十五字 而容端。此为声音之体,尽于舒疾;情之应声;亦止于 张燮本作以 躁静耳。夫曲用每殊 原钞夺已以上十五字。依各本及旧校加 ,而情之处变,犹滋味异美,而口辄识之也。五味万殊,而大同于美;曲变虽众,亦大同于和。美有甘,和有乐;然随曲之情,尽乎 黄本作于 和域;应美之口,绝于甘境。安得哀乐于其间哉?然人情不自 各本字无 同,各 各本字夺 师所解,则发其所怀。若言平和哀乐正等,则无所先发,故终得躁静。若有所发,则是有主于内,不为平和也。以此言之,躁静者,声之功也;哀乐者,情之主也;不可见声有躁静之应,因谓哀乐皆由声音也。且声音虽有猛静 黄汪二张本重有猛静字。旧校亦加。程本无 ,各有一和,和之所感,莫不自发。何以明之?夫会宾盈堂,酒酣奏琴,或忻然而欢,或惨尔而泣。非进哀于彼,导乐于此也。其音无变于昔,而欢戚并用,斯非吹万不同邪?夫唯无主于喜怒,亦应 原作未应,今正。各本夺。旧校亦删 无主于哀乐,故欢戚俱见。若资不 各本作偏 固之音,含一致之声,其所发明,各当其分。则焉能兼御群理,总发众情邪?由是言之:声音以平和为体,而感物无常;心志以所俟为主,应感而发。然则声之与心,殊途异轨,不相经纬;焉得染太和于欢戚,缀虚名于哀乐哉?” 秦客难曰:“论云:猛静之音,各有一和。和之所感,莫不自发。是以酒酣奏琴,而欢戚并用。此言偏并 案:当作重 之情。先积于内,故怀欢者值哀音而发,内戚者遇乐声而感也。夫声音自当有一定之哀乐,但声化迟缓,不可仓卒,不能对易。偏重之情,触物而作。故令哀乐同时而应耳。虽二情俱见,则何损于声音有定理邪?” 主人答曰:“难云:哀乐自有定声,但偏重之情,不可卒移。故怀戚者遇乐声而哀耳。即如所言,声有定分;假使《鹿鸣》重奏,是乐声也;而令戚者遇之,虽声化迟缓,但当不能便 各本作使 变令欢耳。何得更以哀邪?犹一爝之火,虽未能温一室,不宜复增其寒矣。夫火非隆寒之物,乐非增哀之具也。理弦高堂,而欢戚并用者,直至 各本讹真主 和之发滞导情,故令外物所感,得自尽耳。难云:偏重之情,触物而作,故令哀乐同时而应耳。夫言哀者,或见机 张溥本作几。汪本讹机。下机字放此 杖而泣,或睹舆服而悲。徒以感人亡而物存,痛事显而形潜。其所以会之,皆自有由,不为触地而生哀,当席而泪出也。今无 各本作见。案:因无而讹 机杖以致感,听和声而流涕者,斯非和之所感,莫不自发也。” 秦客难曰:“论云:酒酣奏琴,而欢戚并用。欲通此言,故答以偏情,感物而发耳。今且隐心而言,明之以成效。夫人心不欢则戚,不戚则欢,此情志之大域也。然泣是戚之伤,笑是欢之用也 各本字无 。盖闻齐楚之曲者,惟睹其哀涕之容,而未曾见笑噱之貌,此必齐楚之曲,以哀为体;故其所感,皆应其度 黄本度下有量字 。岂徒以多重而少变,则致精 各本作情 壹而思专邪?若诚能致泣,则声音之有哀乐,断可知矣。” |
主人答えて曰く、「難じて云う、歌と哭は万殊なりといえども、善く聴き察する者はおのずからこれを覚り、智を常音に仮らず、験を曲度に借りず。鍾子の徒云々是なりと。これ心に哀しむ〔各本は悲に作る〕者は、談笑鼓舞すといえども、情に歓ぶ者は、膺を拊ち咨嗟すといえども、独り外形を御して自ら匿し、察者を疑似に誑すこと能わざるなり。爾は已にして就く〔四字は各本「以為就令」に作る。旧校同じ〕声音の常なきを為し、なお哀楽有るべしと謂えり。又曰く、季子は声を聴きて以て衆国の風を知り、師襄は操を奏して仲尼は文王の容を睹たりと。案ずるに云うところの如くんば、これ文王の功徳と風俗の盛衰と、皆これを声音に象るべきなり。声の軽重は後世に移すべく、襄涓の巧はまた〔各本この字を脱す〕これを将来に得ること能くべし。もし然らば、三皇五帝は今日に絶えざるべく、何ぞ独り数事のみならんや。もしこれ果たして然りとせば、文王の操に常度あり、韶武の音に定数あり、他の変を雑え、余声を以て操すべからざるなり。則ち向に謂うところの声音の常なきこと、鍾子の触類は、ここにおいて躓くなり。もし音声に常なく〔原鈔は之の字と常の字を脱す。黄汪本同じ。程二張本に拠りて加う〕、鍾子の〔黄汪本この字を脱す〕触類、その果たして然りとせば、仲尼の微を識ること、季札の善く聴くこと、固よりまた誣なり。これみな俗儒の妄記にして、その事を神にせんと欲して追いて為せるのみ。天下をして〔四字は旧校及び各本に従う〕声音の道に惑わしめんと欲し、理の自ずから尽くるを言わず。ここより推して〔張燮本は惟に作る〕、神妙にして知り難からしめ、奇聴に当時に遇わざるを恨み、古人を慕いて嘆息せしむ〔各本は自嘆に作る〕。これ〔二張本この字なし〕所以に大いに後生を罔すなり。それ類を推し物を辨ずるには、先ず自然の理に求むべし。理已に定まりて〔黄汪二張本は定に作る〕、然る後に古義を借りて以てこれを明らかにするのみ。今未だこれを心に得ずして、多く前言に恃みて以て談証と為す。此より以往、恐らくは巧暦も紀すること能わざらん〔各本この字を脱す〕。又難じて云う、哀楽の作は、なお愛憎の賢愚に由るが如く、これ声は我をして哀しましめ、音は我をして楽しましむるなり。いやしくも哀楽声に由らば、更に実あることとなる。それ五色に好醜あり、五声に善悪あり、これ物の自然なり。愛と不愛、喜と不喜に至りては〔原鈔は下三字を誤りて下文の物字の下に入る。今移して正す。各本は脱す。旧校もまた削る〕、人情の変にして物を統ぶるの理、ただここに止まるのみ。しかれども皆内に預かるなく、物を待ちて成るのみ。それ哀楽は自ら事の会する所を以て、先ず心に遘い、ただ和声に因りて自ら顕発するなり。ゆえに前論に已にその常なきを明らかにし、今また此の談を仮りて以てその名号を正すのみ。哀楽の声音に発するを謂うにあらず、愛憎の賢愚に生ずるが如きなり。しかれども和声の人心を感ぜしむるは、なお醞酒〔各本は酒醴に作る〕の人の性〔各本は情に作る〕を発するが如きなり。酒は甘苦を主とし、酔者は喜怒を用とす。歓戚の声に発するを見て、声に哀楽ありと謂うは、なお〔各本この字を脱す。旧校もまた削る〕喜怒の酒に使われるを見て、酒に喜怒の理ありと謂うべからざるが如きなり。」 |
| 中文 (Chinese) | 日本語 (Japanese) |
|---|---|
|
主人答曰:“虽人情感 黄本讹慼 于哀乐,哀乐各有多少。又哀乐之极,不必同致也。夫小哀容 程本讹密 坏,甚悲而泣;哀之方也。小欢颜悦,至乐而笑 各本作心愉 ;乐之理也。何以言 各本作明 之?夫至亲安豫,则怡然自若 各本作恬若自然 ,所猖狂 各本作自得 也。及在危急,仅然后济,则抃不及儛。由此言之,儛之不若向之自得,岂不然哉?至夫笑噱,虽出于欢情,然自以理成;又非 各本六字夺。旧校亦删 自然应声之具也。此为乐之应声,以自得为主;哀之应感,以垂涕为故。垂涕则形动而可觉,自得则神合而无变 各本作忧 。是以观其异,而不识其同 原钞四字夺。依各本及旧校加 ;别其外,而未察其内耳。然笑噱之不显于声音,岂独齐楚之曲邪?今不求乐于自得之域,而以无笑噱谓齐楚体哀,岂不知哀而不识乐乎?” 秦客问曰:“仲尼有言:移风易俗,莫善于乐。即如所论,凡百哀乐,皆不在声,则 各本作即 移风易俗,果以何物邪?又古人慎靡靡之风,抑滔 各本作慆 耳之声。故曰:放郑声,远佞人。然则郑卫之音 案:此下当有夺文 ,击鸣球以协神人,敢问郑雅之体,隆弊所极,风俗移易,奚由而济?愿 黄本作幸 重闻之,以悟所疑。” 主人应之曰:“夫言移风易俗者,必承衰 张燮本讹哀 弊之后也。古之王者,承天理物,必崇简易之教,御无为之治。君静于上,臣顺 原钞四字夺。依各本及旧校加 于下;玄化潜通,天人交泰。枯槁之类,浸育灵液,六合之内,沐浴鸿流,荡涤尘垢;群生安逸,自求多福;默然从道,怀忠抱义,而不觉其所以然也。和心足于内,和气见 原钞五字夺,依旧校及各本加 于外;故歌以叙志,儛以宣情。然后文之以采章,照之以风雅,播之以八音,感之以太和;导其神气,养而就之;迎其情性 张燮本作性情 ,致而明之;使心与理相顺,气 各本讹和 与声相应。合乎会通,以济其美。故凯乐之情,见于金石;含弘光大,显于音声也。若以往则万国同风,芳荣济茂,馥如秋兰;不期而信,不谋而成 各本作诚 ,穆然相爱;犹舒锦布彩 各本采上夺布字。下衍而字。旧校依改,非 ,灿炳可观也。大道之隆,莫盛于兹,太平之业,莫显于此。故曰:移风易俗,莫善于乐。然 各本字无 乐之为体,以心为主。故无声之乐,民之父母也。至八音会谐,人之所悦,亦总谓之乐。然风俗移易,本 各本字夺 不在此也。夫音声和比 各本讹此 ,人情所不能已者也。是以古人知情 各本情下有之字 不可放,故抑其所遁;知欲 各本欲下有之字 不可绝,故自以为致 各本作因其所自 。故 各本字无 为可奉之礼,制可导之乐。口不尽味,乐不极音;揆终始之宜,度贤愚之中;为之检则,使远近同风,用而不竭,亦所以结忠信,著不迁也。故乡校庠塾亦随之。使 各本作变 丝竹与俎豆并存,羽毛与揖让俱用,正言与和声同发。使将听是声也,必闻此言;将观是容也,必崇此礼。礼犹宾主升降,然后酬酢行焉。于是言语之节,声音之度,揖让之仪,动止之数,进退相须,共为一体。君臣用之于朝,庶士用之于家。少而习之,长而不怠,心安志固,从善日迁,然后临之以敬,持之以 以下当夺一字 久而不变,然后化成。此又先王用乐之意也。故朝宴聘享,嘉乐必存;是以国史采风俗之盛衰,寄之乐工,宣之管弦,使言之者无罪,闻之者足以 各本以下有自字 诫。此又先王用乐之意也。若夫郑声,是音声之至妙。妙音感人,犹美色惑志,耽槃荒酒,易以丧业。自非至人,孰能御 黄本作禦 之?先王恐天下流而不反,故具其八音,不渎其声,绝其大和,不穷其变。捐窈窕之声,使乐而不淫。犹大羹不和,不极勺药之味也。若流浴浅近,则声不足悦,又非所欢也。若上失其道,国丧其纪;男女奔随,淫 各本作婬 荒无度;则风以此变,俗以好成。尚其所志,则群能肆之;乐其所习,则何以诛之?托于和声,配而长之,诚动于言,心感于和,风俗壹成,因而名 原钞字夺。据汪程本及旧校加 之。然所名之声,无中 黄本空阙。张燮本作甚 于淫邪也。淫之与正同乎心,雅郑之体,亦足以观矣。”
|
主人答えて曰く、「人情は哀楽に感ずといえども、哀楽にはおのおの多少あり。また哀楽の極は、必ずしも同じく致るにあらざるなり。それ小哀なれば容は壊れ、甚だ悲しければ泣く。哀の方なり。小歓なれば顔は悦び、至楽なれば笑う。楽の理なり。何を以てこれを言うか。それ至親安豫なれば、すなわち怡然として自若たり、猖狂するところなり。危急に在りて、僅かにして後に済するに及べば、すなわち抃して舞うに及ばず。これに由りてこれを言えば、舞の先の自得に若かざること、豈に然らざらんや。それ笑噱に至りては、歓情より出づといえども、然れども自ら理を以て成る。また自然に声に応ずるの具にあらざるなり。これ楽の声に応ずるは、自得を以て主と為し、哀の感に応ずるは、垂涕を以て故と為す。垂涕すれば形動きて覚るべく、自得すれば神合して変なし。ここを以てその異を観て、その同を識らず。その外を別ちて、未だその内を察せざるのみ。然れども笑噱の声音に顕れざること、豈にひとり斉楚の曲のみならんや。今楽を自得の域に求めずして、笑噱なきを以て斉楚は哀を体すと謂う、豈に哀を知りて楽を識らざるにあらずや。」 |
| 中文 (Chinese) | 日本語 (Japanese) |
|---|---|
|
本文所叙事则在石头城 非即金陵 之贾府,为宁国、荣国二公后。宁公长孙曰敷,早死;次敬袭爵,而性好道,又让爵于子珍,弃家学仙;珍遂纵恣,有子蓉,娶秦可卿。荣公长孙曰赦,子琏,娶王熙凤;次曰政;女曰敏,适林海,中年而亡,仅遗一女曰黛玉。贾政娶于王,生子珠,早卒;次生女曰元春,后选为妃;次复得子,则衔玉而生,玉又有字,因名宝玉,人皆以为“来历不小”,而政母史太君尤钟爱之。宝玉既七八岁,聪明绝人,然性爱女子,常说:“女儿是水作的骨肉,男人是泥作的骨肉。”人于是又以为将来且为“色鬼”;贾政亦不甚爱惜,驭之极严,盖缘“不知道这人来历。……若非多读书识字,加以致知格物之功,悟道参玄之力者,不能知也” 戚本第二回贾雨村云 。而贾氏实亦“闺阁中历历有人”,主从之外,姻连亦众,如黛玉、宝钗,皆来寄寓,史湘云亦时至,尼妙玉则习静于后园。右即贾氏谱大要,用虚线者其姻连,著×者夫妇,著*者在“金陵十二钗”之数者也。
|
本文の叙事するところは石頭城(すなわち金陵にあらず)の賈府にあり、寧国・栄国二公の後なり。寧公の長孫を敷と曰い、早く死す。次の敬は爵を襲うも、性は道を好み、また爵を子の珍に譲り、家を棄てて仙を学ぶ。珍遂に縦恣し、子の蓉あり、秦可卿を娶る。栄公の長孫を赦と曰い、子の璉あり、王熙鳳を娶る。次を政と曰う。女を敏と曰い、林海に適ぎ、中年にして亡じ、僅かに一女を遺す、黛玉と曰う。賈政は王氏を娶り、子の珠を生むも、早く卒す。次に女を生み元春と曰い、後に選ばれて妃と為る。次にまた子を得るに、すなわち玉を銜みて生まる。玉にまた字あり、因りて宝玉と名づく。人みな以て「来歴小さからず」と為す。而して政の母の史太君はことに鍾愛す。宝玉すでに七八歳、聡明人に絶するも、性は女子を愛し、常に言う、「女の子は水で出来た骨肉で、男は泥で出来た骨肉だ。」人ここにおいてまた以て将来は「色鬼」と為らんと為す。賈政もまたあまり愛惜せず、これを御すること極めて厳なり。蓋し「この人の来歴を知らざるに縁る。……もし多く書を読み字を識り、致知格物の功を加え、悟道参玄の力ある者にあらざれば、知ることあたわざるなり」(戚本第二回賈雨村云う)に因る。而して賈氏には実にまた「閨閣の中歴歴として人あり」、主従のほかに、姻連もまた衆し。黛玉・宝釵のごときは、皆来たりて寄寓し、史湘雲もまた時に至り、尼の妙玉はすなわち後園に習静す。右すなわち賈氏の譜の大要にして、虚線を用うるはその姻連、×を著すは夫婦、*を著すは「金陵十二釵」の数に在る者なり。 |
| 中文 (Chinese) | 日本語 (Japanese) |
|---|---|
|
然谓《红楼梦》乃作者自叙,与本书开篇契合者,其说之出实最先,而确定反最后。嘉庆初,袁枚 《随园诗话》二 已云:“康熙中,曹练亭为江宁织造,……其子雪芹撰《红楼梦》一书,备记风月繁华之盛。中有所谓大观园者,即余之随园也。”末二语盖夸,余亦有小误 如以楝为练,以孙为子 ,但已明言雪芹之书,所记者其闻见矣。而世间信者特少,王国维 《静庵文集》 且诘难此类,以为“所谓‘亲见亲闻’者,亦可自旁观者之口言之,未必躬为剧中之人物”也,迨胡适作考证,乃较然彰明,知曹雪芹实生于荣华,终于苓落,半生经历,绝似“石头”,著书西郊,未就而没;晚出全书,乃高鄂续成之者矣。
|
しかれども『紅楼夢』は作者の自叙なりと謂い、本書の開篇と契合するものは、その説の出づること実に最も先にして、確定するは反って最も後なり。嘉慶の初め、袁枚(『随園詩話』二)すでに云う、「康熙中、曹練亭は江寧織造と為り、……その子雪芹は『紅楼夢』一書を撰し、備さに風月繁華の盛んなるを記す。中にいわゆる大観園なる者は、すなわち余が随園なり。」末の二語は蓋し誇りなり。余もまたいささかの小誤あり(楝を練と為し、孫を子と為すがごとし)。しかれどもすでに明らかに雪芹の書は、その聞見するところを記すと言えり。而して世間これを信ずる者は特に少なし。王国維(『静庵文集』)はまた難詰して、以て「いわゆる『親しく見親しく聞く』とは、また傍観者の口より言うことを得べし、必ずしも躬ら劇中の人物と為るにあらず」と為す。胡適の考証を作すに逮びて、すなわちいよいよ彰明にして、曹雪芹は実に栄華に生まれ、苓落に終わり、半生の経歴は「石頭」に絶似し、西郊に書を著すも、就らずして没す。晩に出づる全書は、すなわち高鶚の続成したるものなりと知る。 |
| 中文 (Chinese) | 日本語 (Japanese) |
|---|---|
|
第八卷
宅无吉凶摄生论 难上 各本无此二字。旧校亦删
夫善求寿强者,必先知夭 各本作灾。旧校同。案:夭疾与寿强为对文。原钞于义为长 疾之所自来,然后其至可防也。祸起于此,为防于彼;则祸无自瘳矣。世有安宅,葬埋,阴阳,度 原作步。据各本及旧校改 数,刑德之忌,是何所生乎?不见性命,不知祸福也。不见故妄求,不知故干 程本讹于 幸。是以善执生者,见性命之所宜,知祸福之所来。故求之实,而防之信,夫多饮而走,则为澹支;数行而风,则为养 各本作痒 毒;久居于湿,则要疾偏枯;好内不怠,则昏丧女疾 各本讹文房 。若此之类,灾之所以来,寿之所以去也。而掘墓 各本作基 筑室 各本作宅 ,费日苦身以求之,疾生于形,而治加于土木,是疾无道瘳矣 各本字无 。诗云 各本作曰 :恺悌君子,求福不回者,匪避谤议而为义然也;盖知回匪所求福也;故寿强。专 程本讹传 气致柔,少私寡欲,直行情性之所宜,而合于养生之正度。求之于怀抱之内,而得之矣。尝有不知蚕者,出口动手,皆为忌祟;不 张燮本讹既 得蚕滋 原作丝。今正各本丝下仍有滋字,非 甚,为忌祟滋多;犹自以犯之也。有教之知蚕者,其颛于桑火寒暑燥湿也,于是百忌自息,而为 原钞字无 利十倍。何者?先不知所以然,故忌祟之情繁;后知所以然者 各本字无 ,故求之之 原钞字无。据各本加 术正。故忌祟常 各本字无 生于不知,使知性命犹知 各本作如。非 蚕,则忌祟无所立矣。多食不消,含黄丸而筮祝 程本讹记 谴祟,或从乞胡求福者,凡人 各本人下有皆字 所笑之。何者?以智能达 原作迁。据各本改 其无祸也。胡忌祟举生于不知,由知者言之,皆乞胡也。设为三公之宅,而令 《御览》一百八十引作命 愚民居之,必不为三公,可知也。夫寿夭之不可求,甚于贵贱。然则择百年之宫,而望殇子之寿;孤逆魁罡 各本作冈,《御览》作忌 ,以速彭祖之夭;必不几 二字《御览》作诬 矣。或曰:愚民必不得久居公侯宅。然则果无宅 五字原夺。据各本加 也,是性命自然,不可求矣。有贼方至,不疾逃,独安须臾,遂为所虏。然则避祸趣 程张燮本作趋。旧校同 福,无过缘理。避贼之理,莫如速逃,则斯善矣。养生之道,莫如先知 二字从旧校。各本同 ,则为尽矣。夫避贼宜速章章然,故中人不难睹;避祸之理冥冥然,故明者不易见;其于理动,不可妄 原钞作妖。各本作要。今以意正 求,一也。孔子有疾,医 医下原有监字。旧校作者。案:即因医字讹衍也。今除去。各本亦无 曰:子居处适也,饮食药也,有疾天也,医焉能事?是以知命不忧,原始要 各本作反 终,遂知死生之说。夫时日谴祟,古之盛王无之,而季王之所好听也。制寿宫而得夭短,求百男而无立嗣,必占不启之陵,而陵不宿草。何者?高台深宫,以隔寒暑;靡色厚味,以毒其精;亡之于实,而求之于虚;故性命不遂也。或曰:所问之师不工,则天下无工师矣。夫一棲 《御览》一百十八引作同栖 之鸡,一阑 原作兰,今正。各本作栏。下诸阑字放此 之羊,宾至而有死者,岂居异哉?故命有制也。知命者则不滞于俗矣。若许负之相,条侯英布之黥而后王,彭祖三百 各本作七百。旧校同。下诸三百字放此 ,殇子之夭,是皆性命也。若相宅质居,自东徂西,而得反此,是灭性命之宜。孔子登东山而小鲁,登泰山而小天下,立丘而观居 各本立下有高字,观下有民字,旧校亦加 ,则知伯 疑徂之讹。各本作曰 东西非祸福矣。若乃忘地道之博岂 各本作爽塏 ,而心 各本作立 制于帷墙,则所见滋褊。从达者观之,则 字惟张燮本有。他本俱无。黄本亦有 夫乾确然示人易矣;夫坤然示人简矣。天地易简,而惧以细苛,是更所以为逆也。是以君子奉天明而事地察,世之工师,占成居则验,使造新则无征。世人多其占旧,思 各本作因 求其造新,是见舟之行于水,而欲推之于陆,是不明数也。夫旧新 各本讹断 之理,犹卜筮也。夫凿龟数筴,可以知吉凶;然不能为吉凶。何者?吉凶可知,而不可为也。夫先筮吉卦,而后名之无福,犹先筑利宅,而后居之无报也。占旧居以谴祟则可,安新居以求福则不可。即 各本作则 犹卜筮之说耳。俗有裁衣种谷,皆择日,衣者伤寒,种者失泽。凡火流寒至,则当 黄本字无 授衣;时雨既降,则当下种。贼方至,则当疾走。今舍实趣虚,故三患随至。凡以忌祟治家者,求富 各本作福 而其极皆贫。故有“知星宿,衣不覆”之谚。古言无虚,不可不察也。
难宅无吉凶摄生论 原作《难摄生中》。依各本及旧校改
夫神祗遐远,吉凶难明。虽中人自竭,莫得其端,而易以惑道。故夫子寝答于来问,终慎神怪而不言。是以吉人 各本作古人。下诸吉人字放此 显仁于物,藏用于身。知其不可,众所共非,故隐之,彼非所明也。吾无意于庶几,而足下师心陋见,断然不疑。系决如此,足以独断。思省来论,旨多不通。谨因来言,以生此难。方推金木,未知所在,莫有食治。世无自理之道,法无独善之术。苟非其人,道不虚行,礼乐政刑,经常外事,犹有所疏;况乎幽微者邪?纵欲辩明神微,袪惑 程本讹感 ,起滞,立端,以明所由 黄汪二张本由下空一字。程本作立。盖意加 ;断以检 各本检下有其字 要,乃为有徴 黄汪二张本作□微。程本作阐微。俱误 。若但撮提群愚 黄汪二张本愚下空二字。程本作不察。亦意加 ,蚕种忿而弃之,因谓无阴阳吉凶之理,得无似噎而怨粒稼,溺而责舟楫者邪?
论曰:百年之宫,不能令殇子寿;孤逆魁罡,不能令彭祖夭。又曰:许负之相,条侯英布之黥而后王,皆性命也。应曰:此为命有所定,寿有所在。其 各本字无 祸不可以智逃,福不可以力致。英布畏痛,卒罹刀锯。亚夫忌馁,终有饿患,万事万物,凡所遭遇,无非相命也。然唐虞之世,命何同延?长平之卒,命何同短?此吾之所疑也。即如所论,虽慎若曾颜,不得免祸。恶若桀跖,故当昌炽。吉凶素定,不可推移。则古人何言:积善之家,必有余庆?履信思顺,自天祐之?必积善而后福应,信著而后祐来;犹罪之招罚,功之致赏也。苟先积而后受报,事理所得,不为暗自遇之也。若皆谓之是相,此为决相命于行事,定吉凶于智力,恐非本论之意。此又吾之所疑也。又云:多食不消,必须黄丸。苟命自当生,多食何畏?而服良药?若谓服药是相之所一,宅岂非是一邪?若谓虽命犹当须药自济;何知相不须宅以自辅乎?若谓药可论而宅不可说,恐天下或有说之者矣。既曰寿夭不可求,甚于贵贱;而复曰善求寿强者,必先知夭 各本作灾,非 疾之所自来,然后可防也。然则寿夭果可求邪?不可求也?既曰彭祖三百,殇子之夭,皆性命自然;而复曰不知防疾,致寿去夭;求实于虚,故性命不遂。此为寿夭之来,生于用身,性命之遂,得于善求。然则夭短者,何得不谓之愚?寿延者,何得不谓之智?苟寿夭成于愚智,则自然之命不可求之论,奚所措之?凡此数事 各本作者 ,亦雅论之矛戟 惟程荣本与此合。他本俱作楯非 矣。
论曰:专气致柔,少私寡欲;直行情性之所宜,而合养生之正度。求之于怀抱之内,而得之矣。文曰:善养生者,和为尽矣。诚哉斯言!匪谓不然。但谓全生不尽此耳。夫危邦不入,所以避乱政之害。重门击柝,所以备 各本作避 狂暴之灾。居必爽垲,所以远气 各本作风 毒之患。凡事之在外能为害者,此未足以尽其数也。安在守一和 黄汪程本作利 而可以为尽乎?夫专静寡欲,莫过 各本作若 单豹,行年七十,而有童孺之色。可谓柔和之用矣。而一旦为虎所食,岂非恃内而忽外邪?若谓豹相正当给厨 二张本作虎 ,虽智不免,则寡欲何益?而云养生可得?若单豹以未尽善而致灾,则辅生之道,不止于一和。苟和 二字原夺。据各本补 未足保生,则外物之为患者,吾未知其所济 各本作齐 矣。
论曰:师占成居则有验,使造新则无征。请问占成居而有验者,为但占墙屋邪?占居者之吉凶也?若占居者而知盛衰,此自占人,非占成居也。占成居而知吉凶,此为宅自有善恶,而居者从之。故占者观表,而得内也。苟宅能制人使从之 已上十七字各本夺 ,则当吉之人,受灾于凶宅;妖逆无道,获福于吉居。尔为吉凶之致,唯宅而已?更令 原作全。依各本改 由人也,新便无征邪?若吉凶故当由人,则虽成居,何得而后 各本作云 有验邪?若此,果可占邪?不可占也?果有宅邪?其无宅也?
论曰:宅犹卜筮,可以知吉凶,而不能为吉凶也。应曰:此相似而不同。卜者吉凶无豫,待物而应,将来之兆 各本讹地 也。相宅不问居者之贤愚,唯睹已然。有传者,已成之形也。犹睹龙颜,而知当贵。见纵理,而知当饿 旧校于下加死字。各本亦有。而无当字 。然各有由,不为暗中也。今见其同于得吉凶,因谓相宅,与卜不异,此犹见琴而谓之箜篌,非但不知琴也。纵如论宅与卜同,但能知而不能 四字原夺。据各本加 为,则吉凶已成,虽知何益?卜与不卜,了无所在;而吉人将有为,必曰问之龟筮吉,以定所由差,此岂徒也哉?此复吾之所疑也。武王营周,则云考卜唯王,宅是镐京。周公迁邑,乃卜涧,终惟洛食。又曰:卜其宅兆而安厝之,古人修之,于昔如彼;足下非之,于今如此。不知谁定可从?
论曰:为三公宅,而愚民必不为三公,可知也。或曰:愚民必不得久居公侯宅。然则果无宅也?应曰:不谓吉宅,能独成福,但谓君子既有贤才,又卜其居,顺履 二字各本作复顺 积德,乃享元吉。犹夫良农既怀善艺,又择沃土,复加耘耔,乃有盈仓之报耳。今见愚民不能得福于吉居,便谓宅无善恶,何异睹种 各本作田 者之无十千,而谓田无壤塉邪?良田虽美,而稼不独茂;卜宅虽吉,而功不独成。相须之理诚然,则宅之吉凶,未可惑也。今信征祥,则弃人理之所宜;守卜相则绝阴阳之凶吉 各本二字到 ;持智 原钞字夺。据旧校加。各本作知 力则忘天道之所存;此何异识时雨之生物,因垂拱 程本讹持 而望嘉谷乎?是故疑怪之论生,偏是之议兴,所托不一,乌能相通?若夫兼而善之者,得无半非冢宅邪。
论曰:时日谴祟,古盛王无之,季王之所好。听此言善矣,顾其不尽然。汤祷桑林,周公秉圭,不知是谴祟非也?吉日惟戊,既伯既祷,不知是时日非也?此皆足下家事,先师所立,而一朝背之,必若汤周未为盛王,幸更思 各本作详 之。又当校 各本字夺。旧校亦删 知二贤,何如足下邪?
论曰:贼方至,以疾走为务;食不消,以黄为先。子徒知此为贤于安须臾,与求乞胡;而不知制贼病于无形,事功幽而无跌也。夫救火以水,虽自多于抱薪,而不知曲突之先物也 各本作矣 。况乎天下微事,言所不能及,数所不能分?是以古人存而不论,神而明之,遂知来物。故能独观于万化之前,收功于大顺之后。百姓谓之自然,而不知所以然。若此,岂常理之所逮邪?今形象著明,有数者,犹尚滞之;天地广远,品物多方,智之所知,未若所不知者众也。今执避贼消谷 四字各本作辟谷 之术,谓养生已备,至理已尽;驰心极观,齐此而还,意所不及,皆谓无之。欲据所见,以定古人之所难言,得无似蟪蛄之议冰雪邪?欲以所识 识下当夺六字。黄汪二张本作而□□□之所。程本而下作求今人。旧校作决古人。盖皆意补 弃,得无似戎 原作终。据各本改 人问布于中国,睹麻种而不事邪?吾怯于专断,进不敢定祸福于卜相,退不敢谓家无吉凶也。 |
第八巻 |
| 中文 (Chinese) | 日本語 (Japanese) |
|---|---|
|
第五篇 ,大旨悉同,当即此篇所本。明人汤显祖之《邯郸记》,则又本之此篇。既济文笔简炼,又多规诲之意,故事虽不经,尚为当时推重,比之韩愈《毛颖传》;间亦有病其俳谐者,则以作者尝为史官,因而绳以史法,失小说之意矣。既济又有《任氏传》 见《广记》四百五十二 一篇,言妖狐幻化,终于守志殉人,“虽今之妇人有不如者”,亦讽世之作也。
|
第五篇の大旨はすべて同じく、すなわちこの篇の典拠となったものである。明の湯顕祖の『邯鄲記』は、またこの篇に基づいている。既済の文筆は簡練で、かつ規誡の意が多く、故事は荒唐ではあるが、当時なお推重されて韓愈の『毛穎伝』に比せられた。たまに諧謔を病む者もあったが、それは作者がかつて史官であったため、史法をもってこれを律し、小説の本意を失ったのである。既済にはまた『任氏伝』(『広記』四百五十二に見える)一篇があり、妖狐の幻化を語り、ついに志を守って人に殉じ、「今の婦人にも及ばぬ者がある」と述べた、やはり世を諷する作である。 |
| 中文 (Chinese) | 日本語 (Japanese) |
|---|---|
|
【 |
【 |
| 中文 (Chinese) | 日本語 (Japanese) |
|---|---|
|
第九篇 唐之传奇文(下)】
|
第九篇 唐の伝奇文(下)】 |
| 中文 (Chinese) | 日本語 (Japanese) |
|---|---|
|
【 |
【 |
| 中文 (Chinese) | 日本語 (Japanese) |
|---|---|
|
第十篇 唐之传奇集及杂俎】
|
第十篇 唐の伝奇集および雑俎】 |