Lu Xun Complete Works/zh-ja/Gudu Zhe

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孤独者 /

中日対訳 / 中日对照

中文 (Chinese) 日本語 (Japanese)

【准风月谈】

【準風月談】

中文 (Chinese) 日本語 (Japanese)

【前记】

 


 自从中华民国建国二十有二年五月二十五日《自由谈》的编者刊出了“吁请海内文豪,从兹多谈风月”的启事以来,很使老牌风月文豪摇头幌脑的高兴了一大阵,讲冷话的也有,说俏皮话的也有,连只会做“文探”的叭儿们也翘起了它尊贵的尾巴。但有趣的是谈风云的人,风月也谈得,谈风月就谈风月罢,虽然仍旧不能正如尊意。


 想从一个题目限制了作家,其实是不能够的。假如出一个“学而时习之”的试题,叫遗少和车夫来做八股,那做法就决定不一样。自然,车夫做的文章可以说是不通,是胡说,但这不通或胡说,就打破了遗少们的一统天下。古话里也有过:柳下惠看见糖水,说“可以养老”,盗跖见了,却道可以粘门闩。他们是弟兄,所见的又是同一的东西,想到的用法却有这么天差地远。“月白风清,如此良夜何?”好的,风雅之至,举手赞成。但同是涉及风月的“月黑杀人夜,风高放火天”呢,这不明明是一联古诗么?


 我的谈风月也终于谈出了乱子来,不过也并非为了主张“杀人放火”。其实,以为“多谈风月”,就是“莫谈国事”的意思,是误解的。“漫谈国事”倒并不要紧,只是要“漫”,发出去的箭石,不要正中了有些人物的鼻梁,因为这是他的武器,也是他的幌子。


 从六月起的投稿,我就用种种的笔名了,一面固然为了省事,一面也省得有人骂读者们不管文字,只看作者的署名。然而这么一来,却又使一些看文字不用视觉,专靠嗅觉的“文学家”疑神疑鬼,而他们的嗅觉又没有和全体一同进化,至于看见一个新的作家的名字,就疑心是我的化名,对我呜呜不已,有时简直连读者都被他们闹得莫名其妙了。现在就将当时所用的笔名,仍旧留在每篇之下,算是负着应负的责任。


 还有一点和先前的编法不同的,是将刊登时被删改的文字大概补上去了,而且旁加黑点,以清眉目。这删改,是出于编辑或总编辑,还是出于官派的检查员的呢,现在已经无从辨别,但推想起来,改点句子,去些讳忌,文章却还能连接的处所,大约是出于编辑的,而胡乱删削,不管文气的接不接,语意的完不完的,便是钦定的文章。


 日本的刊物,也有禁忌,但被删之处,是留着空白,或加虚线,使读者能够知道的。中国的检查官却不许留空白,必须接起来,于是读者就看不见检查删削的痕迹,一切含胡和恍忽之点,都归在作者身上了。这一种办法,是比日本大有进步的,我现在提出来,以存中国文网史上极有价值的故实。


 去年的整半年中,随时写一点,居然在不知不觉中又成一本了。当然,这不过是一些拉杂的文章,为“文学家”所不屑道。然而这样的文字,现在却也并不多,而且“拾荒”的人们,也还能从中检出东西来,我因此相信这书的暂时的生存,并且作为集印的缘故。


 一九三四年三月十日,于上海记。

【前記】

 中華民国建国二十二年五月二十五日、『自由談』の編者が「海内の文豪に請い願うに、爾後多く風月を談ぜよ」との啓事を掲載して以来、古参の風月文豪たちは首を振り脳を揺すって大いに悦んだ。冷や水を浴びせる者もおり、洒落を言う者もおり、「文探」をするしか能のないパグ犬どもも尊い尻尾を高々と立てた。しかし面白いことに、風雲を語る者は風月も語れるのだ。風月を語れというなら風月を語ろう——もっとも、やはり御意の通りにはなるまいが。

 一つの題目で作家を束縛しようとしても、実はできないことだ。もし「学而時習之」という試題を出して、遺少と車夫に八股文を書かせたなら、書き方はまるで違うだろう。もちろん車夫の文章は不通だ、出鱈目だと言える。しかしその不通や出鱈目が、遺少たちの一統天下を打ち破るのだ。古い言葉にもある——柳下恵は飴を見て「老を養うべし」と言い、盗跖は見て「門閂を粘着するに使える」と言った。彼らは兄弟で、見たのは同じ物だが、思い浮かべた用途にはこれほどの天地の差がある。「月白く風清し、此の如き良夜を何ぞや」——結構、風雅の至り、挙手して賛成する。しかし同じく風月に関わる「月黒くして人を殺す夜、風高くして火を放つ天」はどうか——これも立派な古詩の一聯ではないか。

 私の風月談もついに騒動を引き起こした。しかし「殺人放火」を主張したためではない。実は「多く風月を談ぜよ」を「国事を談ずるなかれ」の意だと取るのは誤解だ。「漫りに国事を談ず」ること自体は差し支えない。ただ「漫」でなければならない——放った矢石が或る人物の鼻梁にぴたりと命中してはならないのだ。なぜならそれは彼の武器であり、また看板でもあるからだ。

 六月からの投稿には、種々の筆名を用いた。一面では手間を省くためであり、一面では、文章を見ずに署名だけ見る読者を責める声を避けるためでもある。ところがこうしたところ、文章を視覚ではなくもっぱら嗅覚で読む「文学家」たちに疑心暗鬼を起こさせてしまい、しかも彼らの嗅覚は全身と共には進化していなかったため、新しい作家の名を見ると私の変名ではないかと疑い、私に向かってうーうーと唸り立て、時には読者すらわけがわからなくなった。今ここに当時使った筆名をそのまま各篇の下に残し、負うべき責任を負うこととする。

 もう一つ、以前の編集方法と異なるのは、掲載時に削除・改変された文字をおおむね補い、かつ傍らに黒点を付けて目を清らかにしたことだ。この削除・改変が編者あるいは総編集者によるものか、官派の検査員によるものかは、今となっては判別し難い。しかし推測するに、多少の文章を直し、忌諱を除きながらも文章がなおつながる箇所は恐らく編者の手になるものであり、無茶に削除し、文気のつながりも語意の完不完も構わぬものは、欽定の文章であろう。

 日本の刊行物にも禁忌はあるが、削除された箇所は空白のまま残すか、あるいは破線を引いて読者にわかるようにしている。中国の検査官は空白を残すことを許さず、必ずつなげねばならない。こうして読者は検査による削除の痕跡を見ることができず、一切の含糊と恍惚とが作者の責に帰せられる。この方法は日本よりも大いに進歩しており、私がここに提起するのは、中国文網史上極めて価値ある故実を存するためである。

 去年の丸半年、折に触れて少しずつ書いたものが、いつの間にかまた一冊になった。もちろん、これは雑然たる文章の寄せ集めに過ぎず、「文学家」の語るに足りないものだ。しかしこのような文字は今日ではかえって多くはなく、しかも「拾荒」の人々もまだこの中から何かを拾い出すことができよう。私はこの故にこの書の当面の生存を信じ、かつ集印の理由とするのである。

 一九三四年三月十日、上海にて記す。

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【夜颂                                                                                                                                                     游光】

 


 爱夜的人,也不但是孤独者,有闲者,不能战斗者,怕光明者。


 人的言行,在白天和在深夜,在日下和在灯前,常常显得两样。夜是造化所织的幽玄的天衣,普覆一切人,使他们温暖,安心,不知不觉的自己渐渐脱去人造的面具和衣裳,赤条条地裹在这无边际的黑絮似的大块里。


 虽然是夜,但也有明暗。有微明,有昏暗,有伸手不见掌,有漆黑一团糟。爱夜的人要有听夜的耳朵和看夜的眼睛,自在暗中,看一切暗。君子们从电灯下走入暗室中,伸开了他的懒腰;爱侣们从月光下走进树荫里,突变了他的眼色。夜的降临,抹杀了一切文人学士们当光天化日之下,写在耀眼的白纸上的超然,混然,恍然,勃然,粲然的文章,只剩下乞怜,讨好,撒谎,骗人,吹牛,捣鬼的夜气,形成一个灿烂的金色的光圈,像见于佛画上面似的,笼罩在学识不凡的头脑上。


 爱夜的人于是领受了夜所给与的光明。


 高跟鞋的摩登女郎在马路边的电光灯下,阁阁的走得很起劲,但鼻尖也闪烁着一点油汗,在证明她是初学的时髦,假如长在明晃晃的照耀中,将使她碰着“没落”的命运。一大排关着的店铺的昏暗助她一臂之力,使她放缓开足的马力,吐一口气,这时之觉得沁人心脾的夜里的拂拂的凉风。


 爱夜的人和摩登女郎,于是同时领受了夜所给与的恩惠。


 一夜已尽,人们又小心翼翼的起来,出来了;便是夫妇们,面目和五六点钟之前也何其两样。从此就是热闹,喧嚣。而高墙后面,大厦中间,深闺里,黑狱里,客室里,秘密机关里,却依然弥漫着惊人的真的大黑暗。


 现在的光天化日,熙来攘往,就是这黑暗的装饰,是人肉酱缸上的金盖,是鬼脸上的雪花膏。只有夜还算是诚实的。我爱夜,在夜间作《夜颂》。


 


 (六月八日。)

【夜を頌す               游光】

 夜を愛する者は、ひとり孤独な者、閑暇な者、戦えぬ者、光明を恐れる者だけではない。

 人の言行は、白昼と深夜、日差しの下と灯火の前とでは、しばしば二つの顔を見せる。夜は造化の織りなす幽玄の天衣であり、あまねく一切の人を覆い、暖め、安心させ、知らず知らずのうちに人造の仮面と衣裳を脱がせ、赤裸々なまま、この際限のない黒い綿のような大塊に包み込む。

 夜といえども明暗がある。微かな明かり、薄暗がり、掌も見えぬ闇、真っ暗闇。夜を愛する者には夜を聴く耳と夜を見る目がなければならない。暗がりの中に在って、一切の暗を見る。紳士たちは電灯の下から暗室に入り、怠惰な腰を伸ばす。恋人たちは月光の下から木蔭に入り、たちまち目の色を変える。夜の来臨は、文人学士が白日の下、眩い白紙の上に書いた超然、混然、恍然、勃然、粲然の文章をことごとく抹殺し、ただ哀願、追従、虚言、詐欺、大言壮語、奸策の夜気だけを残す。それが燦爛たる黄金の光輪を形成し、仏画に見るがごとく、学識凡ならぬ頭上に架かる。

 夜を愛する者は、かくして夜の与える光明を享受する。

 ハイヒールのモダンガールが路傍の電灯の下を、かつかつと足取り軽く歩いてゆく。しかし鼻先にも一点の脂汗が光り、覚えたてのおしゃれであることを証明している。もし始終煌々と照らされていたなら、彼女は「没落」の運命に出くわすだろう。ずらりと並んだ閉まった店舗の薄暗さが彼女を助け、全開のエンジンを緩め、ひと息つかせる——この時初めて沁み入るような夜のそよ風の心地よさを覚える。

 夜を愛する者とモダンガールは、かくして同時に夜の与える恩恵を享受する。

 一夜が明け、人々はまた恐る恐る起き上がり、外に出る。夫婦でさえ、五、六時間前とは顔つきがまるで違う。ここからは喧騒、雑踏。しかし高い壁の向こう、大廈の間、深閨の中、暗黒の獄中、客間の中、秘密機関の中では、依然として驚くべき、本当の大暗黒が瀰漫している。

 今の白日の下の往来と喧騒は、この暗黒の装飾であり、人肉の醤缸の上の金蓋であり、鬼の面の上のクリームに過ぎない。ただ夜だけがまだしも誠実だ。私は夜を愛す。夜に在りて「夜を頌す」を作る。

 (六月八日。)

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【推                                                                                                                                                    丰之余  】

 


 两三月前,报上好象登过一条新闻,说有一个卖报的孩子,踏上电车的踏脚去取报钱,误踹住了一个下来的客人的衣角,那人大怒,用力一推,孩子跌入车下,电车又刚刚走动,一时停不住,把孩子碾死了。


 推倒孩子的人,却早已不知所往。但衣角会被踹住,可见穿的是长衫,即使不是“高等华人”,总该是属于上等的。


 我们在上海路上走,时常会遇见两种横冲直撞,对于对面或前面的行人,决不稍让的人物。一种是不用两手,却只将直直的长脚,如入无人之境似的踏过来,倘不让开,他就会踏在你的肚子或肩膀上。这是洋大人,都是“高等”的,没有华人那样上下的区别。一种就是弯上他两条臂膊,手掌向外,像蝎子的两个钳一样,一路推过去,不管被推的人是跌在泥塘或火坑里。这就是我们的同胞,然而“上等”的,他坐电车,要坐二等所改的三等车,他看报,要看专登黑幕的小报,他坐着看得咽唾沫,但一走动,又是推。


 上车,进门,买票,寄信,他推;出门,下车,避祸,逃难,他又推。推得女人孩子都踉踉跄跄,跌倒了,他就从活人上踏过,跌死了,他就从死尸上踏过,走出外面,用舌头舔舔自己的厚嘴唇,什么也不觉得。旧历端午,在一家戏场里,因为一句失火的谣言,就又是推,把十多个力量未足的少年踏死了。死尸摆在空地上,据说去看的又有万余人,人山人海,又是推。


 推了的结果,是嘻开嘴巴,说道:“阿唷,好白相来希呀!”


 住在上海,想不遇到推与踏,是不能的,而且这推与踏也还要廓大开去。要推倒一切下等华人中的幼弱者,要踏倒一切下等华人。这时就只剩了高等华人颂祝着——


 “阿唷,真好白相来希呀。为保全文化起见,是虽然牺牲任何物质,也不应该顾惜的——这些物质有什么重要性呢!”


 


 (六月八日。)

【推す               丰之余】

 二、三ヶ月前、新聞にこんな記事が載ったように思う。新聞売りの子供が電車の踏み段に上がって代金を受け取ろうとし、降りる客の裾を踏んでしまった。その男は激怒し、力まかせに押した。子供は車の下に転げ落ち、電車がちょうど動き出したところで止まりきれず、子供を轢き殺してしまった。

 子供を突き落とした男は、もうとうに行方知れずだ。しかし裾を踏まれるからには長衫を着ていたのであり、「高等華人」でなくとも、上等の部類に属するはずだ。

 我々が上海の街を歩くと、始終二種類の人間に出くわす。向かいや前方の通行人に対して少しも道を譲らず、横行闘歩する者たちだ。一種は両手を使わず、長い脚をまっすぐに、人のいない野原を歩くように踏み出してくる。避けなければ腹か肩を踏まれる。これは西洋の大人で、皆「高等」であり、華人のような上下の区別がない。もう一種は両腕を曲げ、掌を外に向けて蠍の鋏のように一路押しのけてゆく。押された者が泥沼に落ちようと火の穴に落ちようと構わない。これこそ我々の同胞で、しかも「上等」だ。電車に乗れば二等を改造した三等に乗り、新聞を読めば暴露記事専門の小報を読み、坐って唾を飲み込みながら読むが、一歩動けばまた「推す」。

 乗車、入門、切符購入、郵便——彼は推す。退出、下車、災難回避、避難——彼はまた推す。女子供をよろめかせ、倒れれば生きた人の上を踏み越え、死ねば死体の上を踏み越えて外に出、舌で自分の分厚い唇を舐めて、何も感じない。旧暦端午の節句、ある劇場で火事だという噂の一言で、またしても「推す」。力の足りない少年十余名が踏み殺された。死体が空地に並べられると、見物に来た者がまた万余人。人山人海、またしても「推す」。

 推した結果は、口を開いてこう言う——「おや、面白いね」。

 上海に住んで「推す」と「踏む」に遭わずに済む道理はない。しかもこの「推す」と「踏む」はさらに拡大されてゆく。一切の下等華人の中の幼弱なる者を突き倒し、一切の下等華人を踏み倒す。その時に残るのは高等華人だけであり、彼らはこう祝い唱える——

 「おや、実に面白い。文化保全のためには、いかなる物質を犠牲にしても惜しむべきではない——そんな物質に何の重要性があろうか」。

 (六月八日。)

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【二丑艺术                                                                                                                                     丰之余  】

 


 浙东的有一处的戏班中,有一种脚色叫作“二花脸”,译得雅一点,那么,“二丑”就是。他和小丑的不同,是不扮横行无忌的花花公子,也不扮一味仗势的宰相家丁,他所扮演的是保护公子的拳师,或是趋奉公子的清客。总之:身分比小丑高,而性格却比小丑坏。


 义仆是老生扮的,先以谏诤,终以殉主;恶仆是小丑扮的,只会作恶,到底灭亡。而二丑的本领却不同,他有点上等人模样,也懂些琴棋书画,也来得行令猜谜,但倚靠的是权门,凌蔑的是百姓,有谁被压迫了,他就来冷笑几声,畅快一下,有谁被陷害了,他又去吓唬一下,吆喝几声。不过他的态度又并不常常如此的,大抵一面又回过脸来,向台下的看客指出他公子的缺点,摇着头装起鬼脸道:你看这家伙,这回可要倒楣哩!


 这最末的一手,是二丑的特色。因为他没有义仆的愚笨,也没有恶仆的简单,他是智识阶级。他明知道自己所靠的是冰山,一定不能长久,他将来还要到别家帮闲,所以当受着豢养,分着余炎的时候,也得装着和这贵公子并非一伙。


 二丑们编出来的戏本上,当然没有这一种脚色的,他那里肯;小丑,即花花公子们编出来的戏本,也不会有,因为他们只看见一面,想不到的。这二花脸,乃是小百姓看透了这一种人,提出精华来,制定了的脚色。


 世间只要有权门,一定有恶势力,有恶势力,就一定有二花脸,而且有二花脸艺术。我们只要取一种刊物,看他一个星期,就会发见他忽而怨恨春天,忽而颂扬战争,忽而译萧伯纳演说,忽而讲婚姻问题;但其间一定有时要慷慨激昂的表示对于国事的不满:这就是用出末一手来了。


 这最末的一手,一面也在遮掩他并不是帮闲,然而小百姓是明白的,早已使他的类型在戏台上出现了。


 


 (六月十五日。)

【二の丑の芸術               丰之余】

 浙東のある地方の劇団に「二花臉」という役柄がある。雅に訳せば「二の丑」だ。小丑との違いは、横行無人の道楽息子は演じず、ただ権勢を笠に着る宰相家の下男も演じないことで、彼が演ずるのは公子を護る拳法家か、公子に媚びる食客である。つまり——身分は小丑より高く、性格は小丑より悪い。

 義僕は老生が演じ、まず諫め、最後は主君に殉ずる。悪僕は小丑が演じ、ただ悪事を為して結局は滅ぶ。しかし二の丑の本領は違う。彼はいささか上等人の風貌を持ち、琴棋書画もいくらかたしなみ、酒令や謎かけもこなすが、頼みとするのは権門であり、蔑むのは百姓だ。誰かが圧迫されると冷笑を浮かべて溜飲を下げ、誰かが陥れられると脅しつけて怒鳴り散らす。しかし彼の態度は常にそうというわけではなく、おおむね一方ではまた顔を客席に向け、公子の欠点を指差し、首を振って鬼面を作りながら言う——「この野郎を見ろ、今度は痛い目に遭うぞ」。

 この最後の一手こそ、二の丑の特色である。なぜなら彼には義僕の愚直さもなく、悪僕の単純さもない。彼は知識階級なのだ。自分の頼みとするものが氷山で長くは持たぬことを承知しており、いずれまた別の家に食客として行かねばならないから、飼われて余炎に与っている間も、この貴公子とは仲間ではないふりをしておかねばならない。

 二の丑たちが書いた脚本には、もちろんこの役柄は出てこない——自分から出すはずがない。小丑、すなわち道楽息子たちが書いた脚本にも出てこない——彼らは一面しか見えず、思いつかないからだ。この二花臉は、庶民がこの種の人間を見抜き、精華を抽出して定めた役柄なのだ。

 世にただ権門があれば、必ず悪勢力があり、悪勢力があれば必ず二花臉がおり、しかも二花臉の芸術がある。ただ一種の刊行物を取り、一週間読んでみれば、たちまち発見するだろう——或る時は春を恨み、或る時は戦争を讃え、或る時はバーナード・ショーの演説を訳し、或る時は婚姻問題を論じ、しかしその間に必ず慷慨激昂して国事への不満を示すことがある。これこそ最後の一手を繰り出しているのだ。

 この最後の一手は、一面では自分が食客ではないと取り繕うものだが、庶民は見抜いている。とうに彼の類型を舞台の上に登場させているのだ。

 (六月十五日。)

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【偶成                                                                                                                                                 苇索  】

 


 善于治国平天下的人物,真能随处看出治国平天下的方法来,四川正有人以为长衣消耗布匹,派队剪除;上海又有名公要来整顿茶馆了,据说整顿之处,大略有三:一是注意卫生,二是制定时间,三是施行教育。


 第一条当然是很好的;第二条,虽然上馆下馆,一一摇铃,好象学校里的上课,未免有些麻烦,但为了要喝茶,没有法,也不算坏。


 最不容易是第三条。“愚民”的到茶馆来,是打听新闻,闲谈心曲之外,也来听听《包公案》一类东西的,时代已远,真伪难明,那边妄言,这边妄听,所以他坐得下去。现在倘若改为“某公案”,就恐怕不相信,不要听;专讲敌人的秘史,黑幕罢,这边之所谓敌人,未必就是他们的敌人,所以也难免听得不大起劲。结果是茶馆主人遭殃,生意清淡了。


 前清光绪初年,我乡有一班戏班,叫作“群玉班”,然而名实不符,戏做得非常坏,竟弄得没有人要看了。乡民的本领并不亚于大文豪,曾给他编过一支歌:


 


 “台上群玉班,


 台下都走散。


 连忙关庙门,


 两边墙壁都爬塌(平声),


 连忙扯得牢,


 只剩下一担馄饨担。”


 


 看客的取舍,是没法强制的,他若不要看,连拖也无益。即如有几种刊物,有钱有势,本可以风行天下的了,然而不但看客有限,连投稿也寥寥,总要隔两月才出一本。讽刺已是前世纪的老人的梦呓,非讽刺的好文艺,好象也将是后世纪的青年的出产了。


 


 (六月十五日。)

【偶成           苇索】

 治国平天下に長けた人物は、まことにどこにでも治国平天下の方法を見出すことができるものだ。四川では長衣が布地を浪費するとして、兵を派遣して裁ち落としている最中だが、上海ではまた名士が茶館を整頓しようとしている。聞くところによると整頓の要点はおよそ三つ。一に衛生への配慮、二に時間の制定、三に教育の施行。

 第一条はもちろん結構だ。第二条は、入館も退館もいちいち鈴を鳴らし、まるで学校の授業のようで、いささか面倒だが、茶を飲みたければ仕方がなく、悪くはない。

 最も難しいのは第三条だ。「愚民」が茶館に来るのは、新聞を聞き、心の内を雑談するほか、『包公案』の類を聴くためでもある。時代は遠く、真偽は明らかにし難い。あちらが妄言し、こちらは妄聴する。だから坐っていられるのだ。今もし「某公案」に替えたなら、恐らく信じもせず聞きたがりもすまい。専ら敵の秘史・暗幕を語ろうとしても、こちら側の所謂「敵」は彼らの敵とは限らないから、やはり聴く気が起きまい。結果は茶館の主人が災いを被り、商売が閑散となる。

 前清光緒の初め、我が郷里に「群玉班」という劇団があった。しかし名実が伴わず、芝居があまりに下手で、ついに誰も見に来なくなった。郷民の才能は大文豪に劣らず、彼のために歌を一つ編んだ——

 「舞台に群玉班、
 客席はみな散り散り。
 急いで廟の門を閉めれば、
 両側の壁も崩れ落ち、
 急いで支えてみれば、
 残ったのは馄飩売りの天秤ひとつ。」

 見物客の取捨は強制できない。見たくなければ引っ張って来ても無駄だ。例えば幾つかの刊行物は、金も権力もあり、天下に風靡できそうなのに、見る者は少なく、投稿すら寥々として、二ヶ月に一度しか出せない始末だ。諷刺はすでに前世紀の老人の夢のうわ言となり、非諷刺の好い文芸もまた、後世紀の青年の産物となるらしい。

 (六月十五日。)

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【谈蝙蝠                                                                                                                                                                                               游光  】

 


 人们对于夜里出来的动物,总不免有些讨厌他,大约因为他偏不睡觉,和自己的习惯不同,而且在昏夜的沉睡或“微行”中,怕他会窥见什么秘密罢。


 蝙蝠虽然也是夜飞的动物,但在中国的名誉却还算好的。这也并非因为他吞食蚊虻,于人们有益,大半倒在他的名目,和“福”字同音。以这么一副尊容而能写入画图,实在就靠着名字起得好。还有,是中国人本来愿意自己能飞的,也设想过别的东西都能飞。道士要羽化,皇帝想飞升,有情的愿作比翼鸟儿,受苦的恨不得插翅飞去。想到老虎添翼,便毛骨耸然,然而青蚨飞来,则眉眼莞尔。至于墨子的飞鸢终于失传,飞机非募款到外国去购买不可,则是因为太重了精神文明的缘故,势所必至,理有固然,毫不足怪的。但虽然不能够做,却能够想,所以见了老鼠似的东西生着翅子,倒也并不诧异,有名的文人还要收为诗料,诌出什么“黄昏到寺蝙蝠飞”那样的佳句来。


 西洋人可就没有这么高情雅量,他们不喜欢蝙蝠。推源祸始,我想,恐怕是应该归罪于伊索的。他的寓言里,说过鸟兽各开大会,蝙蝠到兽类里去,因为他有翅子,兽类不收,到鸟类里去,又因为他是四足,鸟类不纳,弄得他毫无立场,于是大家就讨厌这作为骑墙的象征的蝙蝠了。


 中国近来拾一点洋古典,有时也奚落起蝙蝠来。但这种寓言,出于伊索,是可喜的,因为他的时代,动物学还幼稚得很。现在可不同了,鲸鱼属于什么类,蝙蝠属于什么类,就是小学生也都知道得清清楚楚。倘若还拾一些希腊古典,来作正经话讲,那就只足表示他的智识,还和伊索时候,各开大会的两类绅士淑女们相同。


 大学教授梁实秋先生以为橡皮鞋是草鞋和皮鞋之间的东西,那智识也相仿,假使他生在希腊,位置是说不定会在伊索之下的,现在真可惜得很,生得太晚一点了。


 


 (六月十六日。)

【蝙蝠を論ず                     游光】

 人間は夜に出てくる動物に対して、どうしてもいくらか嫌悪を覚えるものだ。恐らく自分と違って眠らないからであり、また薄暗い夜の眠りや「微行」の最中に、何か秘密を覗かれはしまいかと恐れるからだろう。

 蝙蝠もまた夜に飛ぶ動物だが、中国での評判はまだしも良い方だ。これは蚊や虻を捕食して人に益があるからではなく、大半はその名が「福」の字と同音だからだ。この面構えで画に描かれ得るのは、ひとえに名前の付け方が良かったおかげだ。さらにもう一つ、中国人はもともと自分も飛びたいと思い、他のものも皆飛べると想像してきた。道士は羽化を望み、皇帝は飛昇を夢見、情ある者は比翼の鳥となることを願い、苦しむ者は翼をつけて飛び去りたいと恨む。虎に翼が生えると思えばぞっとするが、銭(青蚨)が飛んでくれば嬉しくなる。墨子の飛鳶がついに失伝し、飛行機は募金して外国に買いに行くしかないのは、精神文明を重んじすぎた故であり、勢いの至る所、理のもとより然る所、少しも怪しむに足りない。しかし実行できずとも想像はできるので、鼠のような生き物に翼が生えていても別に驚かず、有名な文人はこれを詩の題材に拾い上げ、「黄昏に寺に至れば蝙蝠飛ぶ」などという佳句をひねり出す。

 西洋人にはそのような雅量がない。蝙蝠を好まないのだ。禍の根源を辿れば、恐らくイソップに帰すべきだろう。彼の寓話に、鳥獣がそれぞれ大会を開いた時、蝙蝠が獣の側に行くと翼があるので拒まれ、鳥の側に行くと四足だからと拒まれ、居場所がなくなったという話がある。かくして皆が日和見の象徴たる蝙蝠を嫌うようになった。

 中国でも近頃、少しばかり西洋の古典を拾って蝙蝠を揶揄することがある。しかしこの寓言がイソップから出たのは喜ばしい。彼の時代には動物学がまだ幼稚だったからだ。今は違う。鯨がどの類に属し、蝙蝠がどの類に属するかは、小学生でも知っている。もしなおギリシャの古典を拾ってきて真面目に語るなら、その知識はまだイソップの時代と同じ、各々大会を開いた二類の紳士淑女と変わらないことを示すだけだ。

 大学教授梁実秋氏はゴム靴を草鞋と革靴の中間のものだと考えているそうだが、その知識もまた同様だ。もしギリシャに生まれていたなら、その地位はイソップ以下だったかもしれない。今となっては実に惜しい——少し遅く生まれすぎたのだ。

 (六月十六日。)

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【“抄靶子”                                                                                                                                                                                           旅隼  】

 


 中国究竟是文明最古的地方,也是素重人道的国度,对于人,是一向非常重视的。至于偶有凌辱诛戮,那是因为这些东西并不是人的缘故。皇帝所诛者,“逆”也,官军所剿者,“匪”也,刽子手所杀者,“犯”也。满洲人“入主中夏”,不久也就染了这样的淳风,雍正皇帝要除掉他的弟兄,就先行御赐改称为“阿其那”与“塞思黑”,我不懂满洲话,译不明白,大约是“猪”和“狗”罢。黄巢造反,以人为粮,但若说他吃人,是不对的,他所吃的物事,叫作“两脚羊”。


 时候是二十世纪,地方是上海,虽然骨子里永是“素重人道”,但表面上当然会有些不同的。对于中国的有一部分并不是“人”的生物,洋大人如何赐谥,我不得而知,我仅知道洋大人的下属们所给与的名目。


 假如你常在租界的路上走,有时总会遇见几个穿制服的同胞和一位异胞(也往往没有这一位),用手枪指住你,搜查全身和所拿的物件。倘是白种,是不会指住的;黄种呢,如果被指的说是日本人,就放下手枪,请他走过去;独有文明最古的黄帝子孙,可就“则不得免焉”了。这在香港,叫作“搜身”,倒也还不算很失了体统,然而上海则竟谓之“抄靶子”。


 抄者,搜也,靶子是该用枪打的东西,我从前年九月以来,才知道这名目的的确。四万万靶子,都排在文明最古的地方,私心在侥幸的只是还没有被打着。洋大人的下属,实在给他的同胞们定了绝好的名称了。


 然而我们这些“靶子”们,自己互相推举起来的时候却还要客气些。我不是“老上海”,不知道上海滩上先前的相骂,彼此是怎样赐谥的了。但看看记载,还不过是“曲辫子”、“阿木林”。“寿头码子”虽然已经是“猪”的隐语,然而究竟还是隐语,含有宁“雅”而不“达”的高谊。若夫现在,则只要被他认为对于他不大恭顺,他便圆睁了绽着红筋的两眼,挤尖喉咙,和口角的白沫同时喷出两个字来道:猪猡!


 


 (六月十六日。)

【「靶子を抄る」                    旅隼】

 中国はまことに文明最古の地であり、また素より人道を重んずる国だ。人に対しては昔から非常に重視してきた。偶に凌辱や誅戮があるのは、それらの者が人ではないからだ。皇帝が誅するのは「逆賊」であり、官軍が討伐するのは「匪賊」であり、刽子手が殺すのは「犯罪人」だ。満洲人が「中華に入主」した後も、間もなくこの淳風に染まった。雍正帝が兄弟を除こうとした時、まず御賜で名を「阿其那」「塞思黒」と改めさせた。私は満洲語がわからないので正確に訳せないが、おそらく「豚」と「犬」だろう。黄巣が反乱を起こし人を食糧としたが、もし人を食べたと言えば間違いで、彼が食べた物は「両脚羊」と呼ばれた。

 時は二十世紀、場所は上海。骨の髄は永遠に「素より人道を重んず」だが、表面にはもちろん多少の違いがある。中国の一部の「人」ではない生物に対して、西洋の大人がどんな諡号を贈っているか私は知らない。ただ西洋の大人の部下たちが与えた名称だけは知っている。

 租界の路上を歩いていると、時々制服を着た同胞数人と一人の異邦人(いないことも多い)に出くわし、拳銃を突きつけられて全身と所持品を検査される。白人なら突きつけられない。黄色人種でも、突きつけられた者が日本人だと言えば拳銃を下ろして通してもらえる。ただ文明最古の黄帝の子孫だけは「免れ得ず」だ。これを香港では「搜身」と呼び、まだそれほど体面を失ってはいないが、上海ではなんと「抄靶子」——的を抄(探)ると言う。

 「抄」は探ること。「靶子」は銃で撃つべきもの。私は一昨年の九月以来、この名称の確かさを知った。四億の靶子が皆、文明最古の地に並べられ、心中密かに僥倖を祈るのは、まだ撃たれていないというだけのことだ。西洋の大人の部下たちは、実に同胞に絶好の名称をつけてくれたものだ。

 しかし我々「靶子」同士が、互いに推戴する時にはまだしも丁寧だ。私は「古参の上海っ子」ではないので、上海灘で昔、互いにどんな諡号を贈り合っていたかは知らない。しかし記録を見ると、「曲辮子」「阿木林」に過ぎない。「寿頭碼子」はすでに「豚」の隠語だが、所詮は隠語で、「雅」を取って「達」を捨てる高い義理を含んでいる。しかるに今日では、自分に対して恭順でないと思えば、赤い血筋の浮いた両眼を見開き、喉を尖らせ、口角の白い泡と同時に二文字を噴き出す——「豚野郎」と。

 (六月十六日。)

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【“吃白相饭”                                                                                                                                                                                     旅隼  】

 


 要将上海的所谓“白相”,改作普通话,只好是“玩耍”;至于“吃白相饭”,那恐怕还是用文言译作“不务正业,游荡为生”,对于外乡人可以比较的明白些。


 游荡可以为生,是很奇怪的。然而在上海问一个男人,或向一个女人问她的丈夫的职业的时候,有时会遇到极直截的回答道:“吃白相饭的。”


 听的也并不觉得奇怪,如同听到了说“教书”,“做工”一样。倘说是“没有什么职业”,他倒会有些不放心了。


 “吃白相饭”在上海是这么一种光明正大的职业。


 我们在上海的报章上所看见的,几乎常是这些人物的功绩;没有他们,本埠新闻是决不会热闹的。但功绩虽多,归纳起来也不过是三段,只因为未必全用在一件事情上,所以看起来好象五花八门了。


 第一段是欺骗。见贪人就用利诱,见孤愤的就装同情,见倒霉的则装慷慨,但见慷慨的却又会装悲苦,结果是席卷了对手的东西。


 第二段是威压。如果欺骗无效,或者被人看穿了,就脸孔一翻,化为威吓,或者说人无礼,或者诬人不端,或者赖人欠钱,或者并不说什么缘故,而这也谓之“讲道理”,结果还是席卷了对手的东西。


 第三段是溜走。用了上面的一段或兼用了两段而成功了,就一溜烟走掉,再也寻不出踪迹来。失败了,也是一溜烟走掉,再也寻不出踪迹来。事情闹得大一点,则离开本埠,避过了风头再出现。


 有这样的职业,明明白白,然而人们是不以为奇的。


 “白相”可以吃饭,劳动的自然就要饿肚,明明白白,然而人们也不以为奇。


 但“吃白相饭”朋友倒自有其可敬的地方,因为他还直直落落的告诉人们说,“吃白相饭的!”


 


 (六月二十六日。)

【「白相飯を食う」                  旅隼】

 上海の所謂「白相」を普通語に訳せば「遊ぶ」となるしかない。「白相飯を食う」に至っては、恐らく文言で「正業に就かず遊蕩して生を立つ」と訳した方が、余所者にはいくらかわかりやすいだろう。

 遊蕩して生を立てるとは、奇妙な話だ。しかし上海で男の職業を、あるいは女にその夫の職業を尋ねると、時にきわめて率直な答えが返ってくる——「白相飯を食っている」と。

 聞く方も別に怪しまない。「教師をしている」「工場で働いている」と同じように聞く。もし「特にこれといった職業はない」と言えば、かえっていくらか不安を覚えるだろう。

 「白相飯を食う」は、上海ではこのように堂々たる職業なのだ。

 我々が上海の新聞紙上で見るものは、ほとんど常にこの人々の功績だ。彼らがいなければ、本市ニュースは決して賑わうまい。しかし功績は多くとも、帰納すれば三段に過ぎない。ただ必ずしもすべてを一件の事に用いるわけではないから、五花八門に見えるだけだ。

 第一段は欺瞞。貪欲な者には利で誘い、孤憤の者には同情を装い、不運な者には気前よさを装う。しかし気前のいい者に対しては逆に悲惨を装い、結果は相手のものをすべて巻き上げる。

 第二段は威圧。欺瞞が効かなかったり見破られたりすると、一転して威嚇に出る。相手が無礼だと言い、あるいは不品行だと誣い、あるいは金を借りていると言いがかりをつけ、あるいは何の理由も言わない。これも「道理を説く」と称され、結果はやはり相手のものをすべて巻き上げる。

 第三段は逃走。右の一段または二段を併用して成功すれば、一目散に逃げ去り、二度と足跡が見つからない。失敗しても一目散に逃げ去り、二度と足跡が見つからない。事が大きくなれば本埠を離れ、ほとぼりが冷めてから再び姿を現す。

 このような職業が明明白白と存在する。しかし人々は怪しまない。

 「白相」で飯が食え、労働する者がかえって腹を空かすのも明明白白だが、人々はやはり怪しまない。

 しかし「白相飯」の連中には、むしろ敬すべきところがある。なぜなら彼は率直に人に告げる——「白相飯を食っているのさ」と。

 (六月二十六日。)

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【华德保粹优劣论                                                                                                                                                                             孺牛  】

 


 希特拉先生不许德国境内有别的党,连屈服了的国权党也难以幸存,这似乎颇感动了我们的有些英雄们,已在称赞其“大刀阔斧”。但其实这不过是他老先生及其之流的一面。别一面,他们是也很细针密缕的。有歌为证:


 


 跳蚤做了大官了,


 带着一伙各处走。


 皇后宫嫔都害怕,


 谁也不敢来动手。


 即使咬得发了痒罢,


 要挤烂它也怎么能够。


 嗳哈哈,嗳哈哈,哈哈,嗳哈哈!


 


 这是大家知道的世界名曲《跳蚤歌》的一节,可是在德国已被禁止了。当然,这决不是为了尊敬跳蚤,乃是因为它讽刺大官;但也不是为了讽刺是“前世纪的老人的呓语”,却是为着这歌曲是“非德意志的”。华德大小英雄们,总不免偶有隔膜之处。


 中华也是诞生细针密缕人物的所在,有时真能够想得入微,例如今年北平社会局呈请市政府查禁女人养雄犬文云:


 


 “……查雌女雄犬相处,非仅有碍健康,更易发生无耻秽闻,揆之我国礼义之邦,亦为习俗所不许,谨特通令严禁,除门犬猎犬外,凡妇女带养之雄犬,斩之无赦,以为取缔。”


 两国的立脚点,是都在“国粹”的,但中华的气魄却较为宏大,因为德国不过大家不能唱那一出歌而已,而中华则不但“雌女”难以蓄犬,连“雄犬”也将砍头。这影响于叭儿狗,是很大的。由保存自己的本能,和应时势之需要,它必将变成“门犬猎犬”模样。


 


 (六月二十六日。)

【華独保粋優劣論                   孺牛】

 ヒトラー氏はドイツ国内に他の党派の存在を許さず、屈服した国権党すら難を免れ得ない。これはどうやら我々の或る英雄たちをいたく感動させたようで、すでにその「大刀闊斧」ぶりを称讃している。しかし実はこれは彼の一面に過ぎない。もう一面では、彼らもまた極めて細針密縷なのだ。歌を以て証する——

 蚤が大官になった、
 取り巻きを連れてあちこち歩く。
 皇后も宮嬪も怖がるが、
 誰も手を出せない。
 噛まれて痒くなっても、
 潰そうにもどうにもならぬ。
 ああはは、ああはは、ははは、ああはは。

 これは皆が知っている世界的名曲「蚤の歌」の一節だが、ドイツではすでに禁じられている。もちろん蚤を尊重するためではなく、大官を諷刺しているからだ。しかし諷刺が「前世紀の老人の寝言」だからでもなく、この歌曲が「非ドイツ的」だからだ。華独の大小の英雄たちには、どうしても時に隔靴搔痒の趣がある。

 中華もまた細針密縷の人物を産む土地であり、時にまことに微に入り細を穿つことができる。例えば今年、北平の社会局が市政府に対して女性が雄犬を飼うことの禁止を上申した文にいわく——

 「……査するに、雌の女と雄の犬が共に処するは、健康を害するのみならず、更に無恥なる醜聞を生じやすし。我が国礼義の邦に揆りても、また習俗の許さざるところなり。謹みて通令をもって厳禁し、門犬・猟犬を除くほか、凡そ婦女の飼養する雄犬は、斬りて赦さず、以て取り締まりと為す。」

 両国の立脚点はともに「国粋」にあるが、中華の気魄の方がはるかに雄大だ。なぜならドイツでは皆があの歌を歌えなくなるだけだが、中華では「雌の女」が犬を飼えないだけでなく、「雄の犬」もまた首を刎ねられるからだ。この影響はパグ犬にとって甚大だ。自己保存の本能と時勢の需要に応じて、彼らは必ずや「門犬・猟犬」の姿に変じなければならない。

 (六月二十六日。)

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【华德焚书异同论                                                                                                                                                                             孺牛  】

 


 德国的希特拉先生们一烧书,中国和日本的论者们都比之于秦始皇。然而秦始皇实在冤枉得很,他的吃亏是在二世而亡,一班帮闲们都替新主子去讲他的坏话了。


 不错,秦始皇烧过书,烧书是为了统一思想。但他没有烧掉农书和医书;他收罗许多别国的“客卿”,并不专重“秦的思想”,倒是博采各种的思想的。秦人重小儿;始皇之母,赵女也,赵重妇人,所以我们从“剧秦”的遗文中,也看不见轻贱女人的痕迹。


 希特拉先生们却不同了,他所烧的首先是“非德国思想”的书,没有容纳客卿的魄力;其次是关于性的书,这就是毁灭以科学来研究性道德的解放,结果必将使妇人和小儿沉沦在往古的地位,见不到光明。而可比于秦始皇的车同轨,书同文……之类的大事业,他们一点也做不到。


 阿剌伯人攻陷亚历山德府的时候,就烧掉了那里的图书馆,那理论是:如果那些书籍所讲的道理,和《可兰经》相同,则已有《可兰经》,无须留了;倘使不同,则是异端,不该留了。这才是希特拉先生们的嫡派祖师——虽然阿剌伯人也是“非德国的”——和秦的烧书,是不能比较的。


 但是结果往往和英雄们的豫算不同。始皇想皇帝传至万世,而偏偏二世而亡,赦免了农书和医书,而秦以前的这一类书,现在却偏偏一部也不剩。希特拉先生一上台,烧书,打犹太人,不可一世,连这里的黄脸干儿们,也听得兴高彩烈。向被压迫者大加嘲笑,对讽刺文字放出讽刺的冷箭来——到底还明白的冷冷的讯问道:你们究竟要自由不要?不自由,无宁死。现在你们为什么不去拚死呢?


 这回是不必二世,只有半年,希特拉先生的门徒们在奥国一被禁止,连党徽也改成三色玫瑰了,最有趣的是因为不准叫口号,大家就以手遮嘴,用了“掩口式”。


 这真是一个大讽刺。刺的是谁,不问也罢,但可见讽刺也还不是“梦呓”,质之黄脸干儿们,不知以为何如?


 


 (六月二十八日。)

【華独焚書異同論                   孺牛】

 ドイツのヒトラー氏一行が書物を焼くと、中国でも日本でも論者たちはこれを秦の始皇帝に比した。しかし始皇帝は実に冤罪も甚だしい。彼の不運は二世にして亡びたことにある。食客たちは皆、新しい主のために始皇帝の悪口を言ったのだ。

 たしかに始皇帝は書を焼いた。焚書は思想統一のためだった。しかし農書と医書は焼かなかった。多くの他国の「客卿」を招聘し、もっぱら「秦の思想」を重んじたのではなく、むしろ各種の思想を博く採り入れた。秦人は小児を重んじた。始皇帝の母は趙の女であり、趙は婦人を重んじた。だから「劇秦」の遺文の中にも、女性を軽賤する痕跡は見られない。

 ヒトラー氏一行は違う。彼がまず焼いたのは「非ドイツ思想」の書であり、客卿を容れる器量がない。次いで性に関する書を焼いた。これは科学によって性道徳の解放を研究することの壊滅であり、その結果は必ずや婦人と小児を往古の地位に沈め、光明を見せなくすることだ。しかるに始皇帝の車同軌・書同文に比し得る大事業は、彼らには何一つできない。

 アラビア人がアレクサンドリアを攻略した時、かの地の図書館を焼いた。その理論はこうだ——もしあの書物に書かれた道理がコーランと同じなら、すでにコーランがあるから残す必要がない。もし異なるなら異端であるから残すべきでない。これこそヒトラー氏一行の嫡派の祖師だ——アラビア人もまた「非ドイツ的」ではあるが——秦の焚書とは比較にならない。

 しかし結果は往々にして英雄たちの予想と異なる。始皇帝は皇帝の位が万世に伝わることを望んだが、あいにく二世にして亡び、農書と医書は赦免したのに、秦以前のこの類の書は今では一冊も残っていない。ヒトラー氏が権力の座に就くや、焚書し、ユダヤ人を迫害し、天下に肩を並べる者なしと豪語した。ここの黄色い顔の乾児たちすら、聞いて得意満面だった。圧迫されている者を嘲笑し、諷刺の文字に向かって諷刺の冷矢を放ち——しかし結局は冷静に問いただす——「お前たちは一体自由が欲しいのか欲しくないのか。自由なくんば寧ろ死を。ならばなぜ今、死を賭して戦わないのか」と。

 今回は二世を待たず、わずか半年にして、ヒトラー氏の門弟たちはオーストリアで禁止されるや、党章すら三色の薔薇に改め、最も面白いのは口号を叫ぶことが禁じられたため、皆が手で口を覆い「掩口式」を用いたことだ。

 これはまことに大いなる諷刺だ。誰を刺しているかは問うまでもないが、諷刺はまだ「寝言」ではないことがわかる。黄色い顔の乾児たちに質すに、いかが思われるだろうか。

 (六月二十八日。)

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【我谈“堕民”                                                                                                                                                                                        越客  】

 


 六月二十九日的《自由谈》里,唐弢先生曾经讲到浙东的堕民,并且据《堕民猥谈》之说,以为是宋将焦光瓒的部属,因为降金,为时人所不齿,至明太祖,乃榜其门曰“丐户”,此后他们遂在悲苦和被人轻蔑的环境下过着日子。


 我生于绍兴,堕民是幼小时候所常见的人,也从父老的口头,听到过同样的他们所以成为堕民的缘起。但后来我怀疑了。因为我想,明太祖对于元朝,尚且不肯放肆,他是决不会来管隔一朝代的降金的宋将的;况且看他们的职业,分明还有“教坊”或“乐户”的余痕,所以他们的祖先,倒是明初的反抗洪武和永乐皇帝的忠臣义士也说不定。还有一层,是好人的子孙会吃苦,卖国者的子孙却未必变成堕民的,举出最近便的例子来,则岳飞的后裔还在杭州看守岳王坟,可是过着很穷苦悲惨的生活,然而秦桧,严嵩……的后人呢?……


 不过我现在并不想翻这样的陈年账。我只要说,在绍兴的堕民,是一种已经解放了的奴才,这解放就在雍正年间罢,也说不定。所以他们是已经都有别的职业的了,自然是贱业。男人们是收旧货,卖鸡毛,捉青蛙,做戏;女的则每逢过年过节,到她所认为主人的家里去道喜,有庆吊事情就帮忙,在这里还留着奴才的皮毛,但事毕便走,而且有颇多的犒赏,就可见是曾经解放过的了。


 每一家堕民所走的主人家是有一定的,不能随便走;婆婆死了,就使儿媳妇去,传给后代,恰如遗产的一般;必须非常贫穷,将走动的权利卖给了别人,这才和旧主人断绝了关系。假使你无端叫她不要来了,那就是等于给与她重大的侮辱。我还记得民国革命之后,我的母亲曾对一个堕民的女人说,“以后我们都一样了,你们可以不要来了。”不料她却勃然变色,愤愤的回答道:“你说的是什么话?……我们是千年万代,要走下去的!”


 就是为了一点点犒赏,不但安于做奴才,而且还要做更广泛的奴才,还得出钱去买做奴才的权利,这是堕民以外的自由人所万想不到的罢。


 


 (七月三日。)

【「堕民」を語る                  越客】

 六月二十九日の『自由談』で、唐弢先生が浙東の堕民について語り、『堕民猥談』の説に拠って、宋の将軍焦光瓚の部下が金に降ったために時人の蔑むところとなり、明の太祖がその門に「丐戸」と榜示してから後、彼らは悲惨と蔑視の環境の下で暮らし続けたのだとされた。

 私は紹興に生まれた。堕民は幼い頃からよく見かけた人々であり、父老の口からも、彼らが堕民となった同様の由来を聞いていた。しかし後に私は疑いを持った。明の太祖は元朝に対してすら放縦にしなかったのだから、一王朝隔てた金に降った宋の武将など管轄するはずがない。しかも彼らの職業を見れば、明らかに「教坊」や「楽戸」の余痕がある。だから彼らの祖先は、むしろ明初に洪武帝や永楽帝に反抗した忠臣義士だったかもしれないのだ。もう一つ、善人の子孫が苦しみ、売国者の子孫が堕民にはならないという事情もある。最も身近な例を挙げれば、岳飛の後裔はまだ杭州で岳王墓を守っているが、極めて貧しく悲惨な暮らしをしている。しかるに秦檜、厳嵩……の後人はどうか。

 しかし今ここでこのような古い帳簿をひっくり返す気はない。ただ紹興の堕民は、すでに解放された奴隷の一種であると言いたいだけだ。この解放は雍正年間だったかもしれない。だから彼らはすでに他の職業——もちろん賤業だが——に就いている。男は古物の回収、鶏毛の売買、蛙取り、芝居。女は正月や祝日ごとに、自分が主人と認める家に祝いに行き、慶弔事には手伝いに行く。ここにまだ奴隷の名残が留まっているが、事が済めば去り、しかもかなりの祝儀を受け取る。かつて解放されたことの証だ。

 各堕民が通う主人の家は決まっており、勝手に変えられない。姑が死ねば嫁に行かせ、後代に伝える。まるで遺産のように。非常に貧しくなって通う権利を他人に売って初めて、旧主人と絶縁できる。もしあなたが理由もなく「もう来なくていい」と言えば、それは重大な侮辱を与えることに等しい。私は民国革命の後、母がある堕民の女に「これからは皆同じだから、もう来なくていいよ」と言ったのを覚えている。ところが彼女は勃然と色を変え、憤然と答えた——「何ということをおっしゃるのですか。……私どもは千年万代、通い続けるのです」。

 わずかばかりの祝儀のために、奴隷であることに安んずるだけでなく、さらに広範な奴隷になろうとし、しかも奴隷になる権利を金で買わねばならない。これは堕民以外の自由人には万々思い及ばぬことだろう。

 (七月三日。)

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【序的解放                                                                                                                                                                                           桃椎  】

 


 一个人做一部书,“藏之名山,传之其人”,是封建时代的事,早已过去了。现在是二十世纪过了三十三年,地方是上海的租界上,做买办立刻享荣华,当文学家怎不马上要名利,于是乎有术存焉。


 那术,是自己先决定自己是文学家,并且有点儿遗产或津贴。接着就自开书店,自办杂志,自登文章,自做广告,自报消息,自想花样……然而不成,诗的解放,先已有人,词的解放,只好骗鸟,于是乎“序的解放”起矣。


 夫序,原是古已有之,有别人做的,也有自己做的。但这未免太迂,不合于“新时代”的“文学家”的胃口。因为自序难于吹牛,而别人来做,也不见得定规拍马,那自然只好解放解放,即自己替别人来给自己的东西作序,术语曰“摘录来信”,真说得好象锦上添花。“好评一束”还须附在后头,代序却一开卷就看见一大番颂扬,仿佛名角一登场,满场就大喝一声采,何等有趣。倘是戏子,就得先买许多留声机,自己将“好”叫进去,待到上台时候,一面一齐开起来。


 可是这样的玩意儿给人戳穿了又怎么办呢?也有术的。立刻装出“可怜”相,说自己既无党派,也不借主义,又没有帮口,“向来不敢狂妄”,毫没有“座谈”时候的摇头摆尾的得意忘形的气味儿了,倒好象别人乃是反动派,杀人放火主义,青帮红帮,来欺侮了这位文弱而有天才的公子哥儿似的。


 更有效的是说,他的被攻击,实乃因为“能力薄弱,无法满足朋友们之要求”。我们倘不知道这位“文学家”的性别,就会疑心到有许多有党派或帮口的人们,向他屡次的借钱,或向她使劲的求婚或什么,“无法满足”,遂受了冤枉的报复的。


 但我希望我的话仍然无损于“新时代”的“文学家”,也“摘”出一条“好评”来,作为“代跋”罢:


 “‘藏之名山,传之其人’,早已过去了。二十世纪,有术存焉,词的解放,解放解放,锦上添花,何等有趣?可是别人乃是反动派,来欺侮这位文弱而有天才的公子,实乃因为‘能力薄弱,无法满足朋友们的要求’,遂受了冤枉的报复的,无损于‘新时代’的‘文学家’也。”


 


 (七月五日。)

【序の解放                   桃椎】

 一個の人間が一部の書を著し、「之を名山に蔵し、其の人に伝う」というのは封建時代の話で、とうに過ぎ去った。今は二十世紀を三十三年過ぎ、場所は上海の租界の上。買弁になれば直ちに栄華を享け、文学家になってすぐに名利を求めないでどうする。かくして術が生まれた。

 その術とは、まず自分で自分を文学家と決め、しかもいくらかの遺産か手当がある。次いで自分で書店を開き、自分で雑誌を出し、自分で文章を載せ、自分で広告を打ち、自分でニュースを流し、自分で趣向を凝らす……しかしうまくいかない。詩の解放はすでに先人がおり、詞の解放は鳥を騙すだけ。かくして「序の解放」が起こった。

 序はもともと古来よりあるもので、他人が書くものも、自分で書くものもある。しかしこれではいかにも迂遠で、「新時代」の「文学家」の胃袋には合わない。自序では自慢しにくく、他人に書いてもらっても必ずしも阿諛追従になるとは限らない。だから解放するしかない——すなわち自分で他人になりすまして自分のものに序を書く。術語では「来信の摘録」という。まるで錦上に花を添えるかのようだ。「好評一束」はまだ末尾に付すだけだが、代序は巻頭を開いた途端に大いなる讃辞が目に入り、名優が舞台に上がるや満場が「好」と大喝采するようなものだ。何と愉快ではないか。もし俳優なら、まず多くの蓄音器を買い、自分で「好」と叫び込んでおいて、舞台に上がる時に一斉にかけることだ。

 しかしこのような手口が暴かれたらどうするか。これにも術がある。直ちに「可哀想な」顔をして、自分には党派もなく主義も借りておらず、徒党もなく、「これまで狂妄なことは敢えてしなかった」と言い、「座談」の時の得意忘形の気配はまるでない。まるで他の者こそ反動派であり、殺人放火主義であり、青幇紅幇であって、この文弱にして天才ある公子哥児をいじめに来たかのようだ。

 さらに効果的なのは、攻撃されたのは実は「能力薄弱にして朋友の要求を満足させることあたわず」と言うことだ。もしこの「文学家」の性別を知らなければ、党派や徒党を持つ多くの人々が彼に何度も金を借りに来たか、あるいは彼女に懸命に求婚かなにかをして、「満足させ得ず」に冤罪の報復を受けたのではないかと疑いたくなるだろう。

 しかし私の言葉がなおも「新時代」の「文学家」に無害であることを望み、「好評」の一条を「摘」み出して「代跋」としよう——

 「『之を名山に蔵し、其の人に伝う』はとうに過ぎ去れり。二十世紀、術存焉。詞の解放、解放解放、錦上花を添え、何ぞ有趣ならざらんや。しかるに他人は乃ち反動派にして、来たりてこの文弱にして天才ある公子を虐ぐ。実は乃ち『能力薄弱にして朋友の要求を満足させるに法なければ』なり。遂に冤罪の報復を受く。『新時代』の『文学家』に無損なり。」

 (七月五日。)

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【别一个窃火者                                                                                                                                                                                  丁萌  】

 


 火的来源,希腊人以为是普洛美修斯从天上偷来的,因此触了大神宙斯之怒,将他锁在高山上,命一只大鹰天天来啄他的肉。


 非洲的土人瓦仰安提族也已经用火,但并不是由希腊人传授给他们的。他们另有一个窃火者。


 这窃火者,人们不能知道他的姓名,或者早被忘却了。他从天上偷了火来,传给瓦仰安提族的祖先,因此触了大神大拉斯之怒,这一段,是和希腊古传相像的。但大拉斯的办法却两样了,并不是锁他在山巅,却秘密的将他锁在暗黑的地窖子里,不给一个人知道。派来的也不是大鹰,而是蚊子,跳蚤,臭虫,一面吸他的血,一面使他皮肤肿起来。这时还有蝇子们,是最善于寻觅创伤的脚色,嗡嗡的叫,拚命的吸吮,一面又拉许多蝇粪在他的皮肤上,来证明他是怎样地一个不干净的东西。


 然而瓦仰安提族的人们,并不知道这一个故事。他们单知道火乃酋长的祖先所发明,给酋长作烧死异端和烧掉房屋之用的。


 幸而现在交通发达了,非洲的蝇子也有些飞到中国来,我从它们的嗡嗡营营声中,听出了这一点点。


 


 (七月八日。)

【もう一人の火を盗む者                丁萌】

 火の由来について、ギリシャ人はプロメテウスが天から盗んだものだと考えた。そのために大神ゼウスの怒りに触れ、高山に鎖で繋がれ、一羽の大鷲に毎日肉を啄ばまれることとなった。

 アフリカの土人ワヤンアンティ族もすでに火を使っていたが、ギリシャ人から伝授されたのではない。彼らには別の火の窃取者がいた。

 この火の窃取者の名前は知ることができない。あるいはとうに忘れ去られたのだろう。彼が天から火を盗んでワヤンアンティ族の祖先に伝えたために大神ダラスの怒りに触れた——ここまではギリシャの古伝と似ている。しかしダラスのやり方は違った。彼を山頂に鎖すのではなく、密かに暗黒の地下室に閉じ込め、誰にも知らせなかった。派遣されたのも大鷲ではなく、蚊、蚤、南京虫であり、一方で彼の血を吸いながら、一方で皮膚を腫れ上がらせた。この時さらに蝿どもがいた——傷を嗅ぎつける名手で、ぶんぶんと鳴り、命がけで吸いつき、同時に彼の皮膚の上に大量の蝿の糞を残し、彼がいかに不潔な存在であるかを証明した。

 しかしワヤンアンティ族の人々はこの話を知らない。彼らはただ、火は酋長の祖先が発明し、酋長が異端を焼き殺したり家屋を焼いたりするために使うものだと知っているだけだ。

 幸い今日は交通が発達し、アフリカの蝿も幾匹か中国に飛んで来ている。私はその羽音の中から、このわずかなことを聞き取ったのだ。

 (七月八日。)

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【智识过剩                                                                                                                                                                                           虞明  】

 


 世界因为生产过剩,所以闹经济恐慌。虽然同时有三千万以上的工人挨饿,但是粮食过剩仍旧是“客观现实”,否则美国不会赊借麦粉给我们,我们也不会“丰收成灾”。


 然而智识也会过剩的,智识过剩,恐慌就更大了。据说中国现行教育在乡间提倡愈甚,则农村之破产愈速。这大概是智识的丰收成灾了。美国因为棉花贱,所以在铲棉田了。中国却应当铲智识。这是西洋传来的妙法。


 西洋人是能干的。五六年前,德国就嚷着大学生太多了,一些政治家和教育家,大声疾呼的劝告青年不要进大学。现在德国是不但劝告,而且实行铲除智识了:例如放火烧毁一些书籍,叫作家把自己的文稿吞进肚子去,还有,就是把一群群的大学生关在营房里做苦工,这叫做“解决失业问题”。中国不是也嚷着文法科的大学生过剩吗?其实何止文法科。就是中学生也太多了。要用“严厉的”会考制度,像铁扫帚似的——刷,刷,刷,把大多数的智识青年刷回“民间”去。


 智识过剩何以会闹恐慌?中国不是百分之八九十人还不识字吗?然而智识过剩始终是“客观现实”,而由此而来的恐慌,也是“客观现实”。智识太多了,不是心活,就是心软。心活就会胡思乱想,心软就不肯下辣手。结果,不是自己不镇静,就是妨害别人的镇静。于是灾祸就来了。所以智识非铲除不可。


 然而单是铲除还是不够的。必须予以适合实用之教育,第一,是命理学——要乐天知命,命虽然苦,但还是应当乐。第二,是识相学——要“识相点”,知道点近代武器的利害。至少,这两种适合实用的学问是要赶快提倡的。提倡的方法很简单:——古代一个哲学家反驳唯心论,他说,你要是怀疑这碗麦饭的物质是否存在,那最好请你吃下去,看饱不饱。现在譬如说罢,要叫人懂得电学,最好是使他触电,看痛不痛;要叫人知道飞机等类的效用,最好是在他头上驾起飞机,掷下炸弹,看死不死……


 有了这样的实用教育,智识就不过剩了。亚门!


 


 (七月十二日。)

【知識過剰                  虞明】

 世界は生産過剰のために経済恐慌に陥っている。同時に三千万以上の労働者が飢えているにもかかわらず、食糧過剰はやはり「客観的現実」であって、さもなければアメリカが我々に小麦粉を掛け売りするはずもなく、我々も「豊作で災い」になるはずがない。

 しかし知識もまた過剰になり得る。知識が過剰になると、恐慌はさらに大きくなる。聞くところによると、中国の現行教育は農村で普及すればするほど、農村の破産が加速するという。これはおそらく知識の豊作による災いだろう。アメリカは綿花が安いので綿畑を潰している。中国は知識を潰すべきだ。これは西洋から伝来した妙法である。

 西洋人は有能だ。五、六年前、ドイツではすでに大学生が多すぎると騒ぎ、政治家や教育者が声を大にして青年に大学に行くなと勧告した。今やドイツでは勧告にとどまらず、知識の除去を実行している。例えば書物を焼き、作家に原稿を自分で呑み込めと命じ、さらに大学生の群れを兵営に閉じ込めて苦役に就かせる。これを「失業問題の解決」と称する。中国でも文法系の大学生が過剰だと騒いでいないか。実は文法系だけではない。中学生すら多すぎるのだ。「厳格な」会考制度を、鉄の箒のように——ざっ、ざっ、ざっと、大多数の知識青年を「民間」に掃き戻そうとしている。

 知識過剰がなぜ恐慌を引き起こすのか。中国はまだ八、九割の人が字を知らないではないか。しかし知識過剰はやはり「客観的現実」であり、そこから生じる恐慌もまた「客観的現実」だ。知識が多すぎると、心が活発になるか、心が軟らかくなるかのどちらかだ。心が活発だとあれこれ余計なことを考え、心が軟らかだと辣腕を振るえない。結果は、自分自身が鎮静でなくなるか、他人の鎮静を妨げるかだ。かくして災禍が来る。だから知識は除去せねばならない。

 しかし除去だけでは足りない。実用に適した教育を施さねばならない。第一は命理学——楽天知命でなければならない。命はたとえ苦くとも、やはり楽しむべきだ。第二は識相学——「空気を読め」、近代兵器の威力を知れ。少なくとも、この二つの実用的学問は急いで提唱すべきだ。提唱の方法は簡単だ——昔ある哲学者が唯心論に反駁して言った。もしこの碗の麦飯の物質が存在するか疑うなら、食べてみよ、腹が膨れるかどうか。今たとえば、人に電気学を理解させたければ、感電させてみよ、痛いかどうか。飛行機などの効用を知らしめたければ、頭上に飛行機を飛ばし爆弾を落としてみよ、死ぬかどうか……。

 このような実用教育があれば、知識は過剰でなくなる。アーメン。

 (七月十二日。)

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【诗和豫言                                                                                                                                                                                           虞明  】

 


 豫言总是诗,而诗人大半是豫言家。然而豫言不过诗而已,诗却往往比豫言还灵。


 例如辛亥革命的时候,忽然发现了:


 “手执钢刀九十九,杀尽胡儿方罢手。”


 这几句《推背图》里的豫言,就不过是“诗”罢了。那时候,何尝只有九十九把钢刀?还是洋枪大炮来得厉害:该着洋枪大炮的后来毕竟占了上风,而只有钢刀的却吃了大亏。况且当时的“胡儿”,不但并未“杀尽”,而且还受了优待,以至于现在还有“伪”溥仪出风头的日子。所以当做豫言看,这几句歌诀其实并没有应验。——死板的照着这类豫言去干,往往要碰壁,好比前些时候,有人特别打了九十九把钢刀,去送给前线的战士,结果,只不过在古北口等处流流血,给人证明国难的不可抗性。——倒不如把这种豫言歌诀当做“诗”看,还可以“以意逆志,自谓得之”。


 至于诗里面,却的确有着极深刻的豫言。我们要找豫言,与其读《推背图》,不如读诗人的诗集。也许这个年头又是应当发现什么的时候了罢,居然找着了这么几句:


 


 “此辈封狼从瘈狗,生平猎人如猎兽,


 万人一怒不可回,会看太白悬其首。”


 (汪精卫著《双照楼诗词稿》:译嚣俄之《共和二年之战士》)


 


 这怎么叫人不“拍案叫绝”呢?这里“封狼从瘈狗”,自己明明是畜生,却偏偏把人当做畜生看待:畜生打猎,而人反而被猎!“万人”的愤怒的确是不可挽回的了。嚣俄这诗,是说的一七九三年(法国第一共和二年)的帝制党,他没有料到一百四十年之后还会有这样的应验。


 汪先生译这几首诗的时候,不见得会想到二三十年之后中国已经是白话的世界。现在,懂得这种文言诗的人越发少了,这很可惜。然而豫言的妙处,正在似懂非懂之间,叫人在事情完全应验之后,方才“恍然大悟”。这所谓“天机不可泄露也”。


 


 (七月二十日。)

【詩と予言                  虞明】

 予言は常に詩であり、詩人の大半は予言者だ。しかし予言は詩に過ぎず、詩はしばしば予言よりも霊験がある。

 例えば辛亥革命の折、突然発見されたのは——

 「手に鋼刀を執ること九十九、胡児を殺し尽くしてようやく手を止めん。」

 この数句の『推背図』の予言は、要するに「詩」に過ぎない。あの時、どうして鋼刀が九十九本だけだっただろうか。洋銃大砲の方がはるかに威力があった。洋銃大砲を持つ側がやがて上風を占め、鋼刀しか持たぬ者は苦杯を嘗めた。しかも当時の「胡児」は「殺し尽くされた」どころか、優遇すら受け、今なお「偽」溥儀が世に出る日がある。だから予言として見れば、この数句の歌訣は実際には的中していない。——こうした予言を杓子定規に実行しようとすると、往々にして壁にぶつかる。少し前にもわざわざ九十九本の鋼刀を鍛えて前線の将兵に送った人がいたが、結果は古北口等で血を流すだけで、国難の抗し得ないことを証明しただけだった。——むしろこの種の予言歌訣を「詩」として読む方が、まだ「意を以て志に逆き、自ら之を得たりと謂う」ことができよう。

 詩の中にはたしかに極めて深い予言が含まれている。予言を探すなら、『推背図』を読むより、詩人の詩集を読む方がよい。この時代もまた何かを発見すべき時であるらしく、はたしてこんな数句が見つかった——

 「此の輩、狼を封じ瘈狗に従わしめ、
 生平人を猟ること獣を猟るが如し。
 万人一たび怒れば回すべからず、
 会ず看ん太白その首を懸くるを。」

 (汪精衛著『双照楼詩詞稿』——ユゴーの「共和二年の戦士」の訳)

 これをどうして「拍案叫絶」せずにいられようか。ここで「狼を封じ瘈狗に従わしむ」——自分が明々白々に畜生でありながら、かえって人を畜生扱いする。畜生が猟をし、人がかえって猟られる。「万人」の怒りはたしかに挽回し得ない。ユゴーのこの詩は一七九三年(フランス第一共和二年)の帝政派を詠んだものだが、百四十年後にまだこのような験があるとは思いもよらなかっただろう。

 汪氏がこの数首の詩を訳した時、二、三十年後の中国がすでに白話の世界になっているとは思いもよらなかったろう。今、こうした文言詩のわかる人はますます少なくなった。惜しいことだ。しかし予言の妙味は、わかるようなわからないような間にこそあり、事が完全に的中してから初めて「なるほど」と悟らせるものだ。いわゆる「天機は漏らすべからず」である。

 (七月二十日。)

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【“推”的余谈                                                                                                                                                                                丰之余   】

 


 看过了《第三种人的“推”》,使我有所感:的确,现在“推”的工作已经加紧,范围也扩大了。三十年前,我也常坐长江轮船的统舱,却还没有这样的“推”得起劲。


 那时候,船票自然是要买的,但无所谓“买铺位”,买的时候也有,然而是另外一回事。假如你怕占不到铺位,一早带着行李下船去罢,统舱里全是空铺,只有三五个人们。但要将行李搁下空铺去,可就窒碍难行了,这里一条扁担,那里一束绳子,这边一卷破席,那边一件背心,人们中就跑出一个人来说,这位置是他所占有的。但其时可以开会议,崇和平,买他下来,最高的价值大抵是八角。假如你是一位战斗的英雄,可就容易对付了,只要一声不响,坐在左近,待到铜锣一响,轮船将开,这些地盘主义者便抓了扁担破席之类,一溜烟都逃到岸上去,抛下了卖剩的空铺,一任你悠悠然搁上行李,打开睡觉了。倘或人浮于铺,没法容纳,我们就睡在铺旁,船尾,“第三种人”是不来“推”你的。只有歇在房舱门外的人们,当账房查票时却须到统舱里去避一避。


 至于没有买票的人物,那是要被“推”无疑的。手续是没收物品之后,吊在桅杆或什么柱子上,作要打之状,但据我的目击,真打的时候是极少的,这样的到了最近的码头,便把他“推”上去。据茶房说,也可以“推”入货舱,运回他下船的原处,但他们不想这么做,因为“推”上最近的码头,他究竟走了一个码头,一个一个的“推”过去,虽然吃些苦,后来也就到了目的地了。


 古之“第三种人”,好象比现在的仁善一些似的。


 生活的压迫,令人烦冤,胡涂中看不清冤家,便以为家人路人,在阻碍了他的路,于是乎“推”。这不但是保存自己,而且是憎恶别人了,这类人物一阔气,出来的时候是要“清道”的。


 我并非眷恋过去,不过说,现在“推”的工作已经加紧,范围也扩大了罢了。但愿未来的阔人,不至于把我“推”上“反动”的码头去——则幸甚矣。


 


 (七月二十四日。)

【「推す」余談                  丰之余】

 「第三種人の『推す』」を読んで感ずるところがあった。たしかに今、「推す」仕事は強化され、範囲も拡大されている。三十年前、私もよく長江の汽船の統舖に乗ったが、あの頃はまだこれほど力を入れて「推し」てはいなかった。

 当時も船票はもちろん買わねばならなかったが、いわゆる「寝台を買う」ということはなかった。買うこともあったが、それは別の話だ。寝台が取れないかと心配なら、早くから荷物を持って船に降りればよい。統舖はすべて空きで、三、五人しかいない。しかし荷物を空き寝台に置こうとすると、難渋する。ここに天秤棒、あそこに縄、こちらにぼろ莚、あちらに下着——そして人々の中から一人が走り出てきて、この場所は自分が占有したのだと言う。しかしあの頃はまだ交渉の余地があり、平和的に買い取ることができた。最高値でもたいてい八角だった。もしあなたが勇敢な戦士なら、もっと簡単だ。黙って近くに坐り、銅鑼が鳴って船が出ようとする時を待てばよい。この地盤主義者たちは天秤棒やぼろ莚を掴んで一目散に岸へ逃げ、売れ残った空き寝台を放り出す。あなたは悠然と荷物を置いて寝ることができた。もし人が寝台に収まりきらなければ、寝台の脇や船尾に寝たが、「第三種人」が「推す」ことはなかった。ただ船室の戸口に泊まった人々は、船員が切符を検める時に統舖へ避難しなければならなかった。

 切符を持たない者は、間違いなく「推される」。手続きは——所持品を没収した後、マストか何かの柱に吊り下げて打つふりをするが、私の目撃した限りでは、本当に打つことは極めて稀だった。そうして最寄りの埠頭に着くと「推し」上げる。船員の話では、貨物室に「推し」込んで乗船した元の場所に送り返すこともできるが、彼らはそうする気はない。最寄りの埠頭に「推し」上げれば、ともかく一駅分は進んだわけで、一つ一つ「推し」てゆけば、苦労はしても、やがて目的地に着くからだ。

 昔の「第三種人」は、今のよりもいくらか仁善であったようだ。

 生活の圧迫は人を憤らせ、朦朧として仇が誰かわからず、家族や通行人が行く手を塞いでいると思い込み、「推す」。これは自己保存のみならず、他人への憎悪でもある。この類の人物がひとたび羽振りがよくなれば、外出する時には「道を清める」のだ。

 私は過去を懐かしんでいるのではない。ただ今、「推す」仕事は強化され、範囲も拡大されたと言っているだけだ。願わくば将来の権力者が、私を「反動」の埠頭に「推し」上げることのないよう——さすれば幸甚である。

 (七月二十四日。)

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【查旧帐                                                                                                                                                                                             旅隼   】

 


 这几天,听涛社出了一本《肉食者言》,是现在的在朝者,先前还是在野时候的言论,给大家“听其言而观其行”,知道先后有怎样的不同。那同社出版的周刊《涛声》里,也常有同一意思的文字。


 这是查旧账,翻开帐簿,打起算盘,给一个结算,问一问前后不符,是怎么的,确也是一种切实分明,最令人腾挪不得的办法。然而这办法之在现在,可未免太“古道”了。


 古人是怕查这种旧帐的,蜀的韦庄穷困时,做过一篇慷慨激昂文字较为通俗的《秦妇吟》,真弄得大家传诵,待到他显达之后,却不但不肯编入集中,连人家的钞本也想设法消灭了。当时不知道成绩如何,但看清朝末年,又从敦煌的山洞中掘出了这诗的钞本,就可见是白用心机了的,然而那苦心却也还可以想见。


 不过这是古之名人。常人就不同了,他要抹杀旧帐,必须砍下脑袋,再行投胎。斩犯绑赴法场的时候,大叫道,“过了二十年,又是一条好汉!”为了另起炉灶,从新做人,非经过二十年不可,真是麻烦得很。


 不过这是古今之常人。今之名人就又不同了,他要抹杀旧帐,从新做人,比起常人的方法来,迟速真有邮信和电报之别。不怕迂缓一点的,就出一回洋,造一个寺,生一场病,游几天山;要快,则开一次会,念一卷经,演说一通,宣言一下,或者睡一夜觉,做一首诗也可以;要更快,那就自打两个嘴巴,淌几滴眼泪,也照样能够另变一人,和“以前之我”绝无关系。净坛将军摇身一变,化为鲫鱼,在女妖们的大腿间钻来钻去,作者或自以为写得出神入化,但从现在看起来,是连新奇气息也没有的。


 如果这样变法,还觉得麻烦,那就白一白眼,反问道:“这是我的帐?”如果还嫌麻烦,那就眼也不白,问也不问,而现在所流行的却大抵是后一法。


 “古道”怎么能再行于今之世呢?竟还有人主张读经,真不知是什么意思?然而过了一夜,说不定会主张大家去当兵的,所以我现在经也没有买,恐怕明天兵也未必当。


 


 (七月二十五日。)

【旧帳簿を繰る                 旅隼】

 この数日、聴涛社が『肉食者言』という本を出した。現在の権力者が、かつて野にあった時の言論を集め、皆に「其の言を聴きて其の行を観」させ、前後にどのような違いがあるかを知らしめるものだ。同社刊行の週刊『涛声』にも、同じ趣旨の文章がしばしば載っている。

 これは旧帳簿を繰り、帳面を開いて算盤を弾き、決算を出し、前後の不一致をどう説明するのかと問い詰めるもので、たしかに切実明瞭にして、最も遁辞を許さぬ方法だ。しかし今日にあっては、いささか「古風」に過ぎるかもしれない。

 昔の人はこの種の旧帳簿を繰られることを恐れた。蜀の韋庄は不遇の時に、慷慨激昂として比較的通俗な『秦婦吟』を作り、大いに伝誦された。しかし顕達した後は、詩集に収めないだけでなく、他人の写本すら方法を講じて消滅させようとした。当時の成果は不明だが、清朝末年に敦煌の洞窟からこの詩の写本が発掘されたことを見れば、苦心は無駄だったのだ。しかしその苦心はなおも偲ばれる。

 ただしこれは昔の名士の話だ。常人は違う。旧帳簿を抹殺するには、首を斬り落として生まれ変わらねばならない。斬首の罪人が刑場に引かれる時に叫ぶ——「二十年経てば、また一人の好漢だ」。やり直して人間になるには二十年を経ねばならず、実に面倒な話だ。

 ただしこれは古今の常人の話だ。今の名士はまた違う。旧帳簿を抹殺し新たに人となるのは、常人の方法に比べれば、郵便と電報ほどの速さの違いがある。いくらか悠長でよければ、一度洋行し、寺を建て、一度病気になり、数日山を遊覧すればよい。急ぐなら、一度会議を開き、経を一巻唱え、一通り演説し、声明を発すればよい。あるいは一晩眠るか詩を一首作るだけでもよい。もっと急ぐなら、自分で頬を二つ打ち、涙を数滴流せば、同様に別人と化し、「以前の我」とは絶えて関係がなくなる。浄壇将軍が身を一振りして鯽に化け、女妖の太腿の間を潜り回る——作者は自分では神妙に書いたつもりかもしれないが、今から見れば、新奇な気配すらない。

 もしこうした変身法もまだ面倒なら、白い目を剥いて逆に問い返す——「これは私の帳簿ですか」。まだ面倒なら、目も剥かず問いもしない。今日流行しているのは大抵この後者の方法だ。

 「古風」がどうして今の世に再び行われ得ようか。まだ読経を主張する者がいるとは、一体何を考えているのか。しかし一夜明ければ、明日は皆兵隊に行けと言い出すかもしれない。だから私は今のところ経も買わず、明日兵隊にも行くまいと思っている。

 (七月二十五日。)

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【晨凉漫记                                                                                                                                                                                         孺牛  】

 


 关于张献忠的传说,中国各处都有,可见是大家都很以他为奇特的,我先前也便是很以他为奇特的人们中的一个。


 儿时见过一本书,叫作《无双谱》,是清初人之作,取历史上极特别无二的人物,各画一像,一面题些诗,但坏人好象是没有的。因此我后来想到可以择历来极其特别,而其实是代表着中国人性质之一种的人物,作一部中国的“人史”,如英国嘉勒尔的《英雄及英雄崇拜》,美国亚懋生的《伟人论》那样。惟须好坏俱有,有啮雪苦节的苏武,舍身求法的玄奘,有“鞠躬尽瘁,死而后已”的孔明,但也有呆信古法,“死而后已”的王莽,有半当真半取笑的变法的王安石;张献忠当然也在内。但现在是毫没有动笔的意思了。


 《蜀碧》一类的书,记张献忠杀人的事颇详细,但也颇散漫,令人看去仿佛他是像“为艺术而艺术”的一样,专在“为杀人而杀人”了。他其实是别有目的的。他开初并不很杀人,他何尝不想做皇帝。后来知道李自成进了北京,接着是清兵入关,自己只剩了没落这一条路,于是就开手杀,杀……他分明的感到,天下已没有自己的东西,现在是在毁坏别人的东西了,这和有些末代的风雅皇帝,在死前烧掉了祖宗或自己所搜集的书籍古董宝贝之类的心情,完全一样。他还有兵,而没有古董之类,所以就杀,杀,杀人,杀……


 但他还要维持兵,这实在不过是维持杀。他杀得没有平民了,就派许多较为心腹的人到兵们中间去,设法窃听,偶有怨言,即跃出执之,戮其全家(他的兵象是有家眷的,也许就是掳来的妇女)。以杀治兵,用兵来杀,自己是完了,但要这样的达到一同灭亡的末路。我们对于别人的或公共的东西,不是也不很爱惜的么?


 所以张献忠的举动,一看虽然似乎古怪,其实是极平常的。古怪的倒是那些被杀的人们,怎么会总是束手伸颈的等他杀,一定要清朝的肃王来射死他,这才作为奴才而得救,而还说这是前定,就是所谓“吹箫不用竹,一箭贯当胸”。但我想,这豫言诗是后人造出来的,我们不知道那时的人们真是怎么想。


 


 (七月二十八日。)

【晨涼漫記                 孺牛】

 張献忠にまつわる伝説は中国各地にあり、皆が彼を奇特な人物と見なしていることがわかる。私もかつてはそう見なす人々の一人だった。

 幼い頃、『無双譜』という本を見たことがある。清初の人の作で、歴史上極めて特異にして二つとない人物を選び、各々一つの肖像を描き、一方に詩を題するのだが、悪人はいなかったようだ。そこで後に私は、歴代の極めて特異でありながら実は中国人の性質の一面を代表する人物を選んで、中国の「人史」を作ることを考えた。英国カーライルの『英雄と英雄崇拝』、米国エマソンの『偉人論』のようなものだ。ただし善悪ともに揃え、雪を噛んで苦節を守った蘇武、身を捨てて法を求めた玄奘、「鞠躬尽瘁、死して後已む」の孔明を入れ、しかしまた古法を愚直に信じて「死して後已んだ」王莽、半ば本気で半ば茶化した変法の王安石も入れる。張献忠もむろん含まれる。しかし今はまるで筆を執る気はなくなった。

 『蜀碧』の類の書は張献忠の殺人を詳しく記しているが、かなり散漫でもあり、読む者にはまるで「芸術のための芸術」のように、もっぱら「殺人のための殺人」をしているかのように映る。しかし実は別の目的があった。最初は彼もそれほど殺さなかった。彼とて皇帝になりたかったのだ。後に李自成が北京に入り、続いて清兵が関に入り、自分に残されたのは没落の一途だけだと知った時、殺し始めた——殺し、殺し……。彼は明らかに感じていた。天下にもはや自分のものはない。今は他人のものを壊しているのだと。これは末代の風雅な皇帝が死ぬ前に、祖先や自分が蒐集した書籍・骨董・宝物の類を焼き尽くすのと、まったく同じ心理だ。彼にはまだ兵があり、骨董の類はなかった。だから殺した——殺し、殺し、人を殺し、殺し……。

 しかし彼はなお兵を維持しなければならなかった。これは実のところ殺戮の維持に過ぎない。平民を殺し尽くすと、比較的腹心の者を多数兵士の中に送り込んで密かに聴き取らせ、いささかの怨言あらば直ちに跳び出して捕え、その一家を戮した(彼の兵にはどうやら家族がいたらしい。掠ってきた婦女だったかもしれない)。殺戮で兵を治め、兵で殺す。自分はすでに終わっているが、こうして共倒れの末路を遂げようとしたのだ。我々も他人の、あるいは公共のものを、あまり大切にしないではないか。

 だから張献忠の振る舞いは、一見奇異に見えるが、実は極めて平凡なのだ。奇異なのはむしろ殺された人々の方で、なぜ常に束手して頸を伸ばし、彼の殺すに任せたのか。清朝の粛王が来て射殺してくれるのを待って初めて、奴隷として救われたのだ。しかもこれは天命であるとして、所謂「笛を吹くに竹を用いず、一矢胸を貫く」だと言う。しかし私はこの予言詩は後人の作だと思う。当時の人々が本当は何を考えていたのか、我々には知る由もない。

 (七月二十八日。)

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【中国的奇想                                                                                                                                                                                      游光  】

 


 外国人不知道中国,常说中国人是专重实际的。其实并不,我们中国人是最有奇想的人民。


 无论古今,谁都知道,一个男人有许多女人,一味纵欲,后来是不但天天喝三鞭酒也无效,简直非“寿(?)终正寝”不可的。可是我们古人有一个大奇想,是靠了“御女”,反可以成仙,例子是彭祖有多少女人而活到几百岁。这方法和炼金术一同流行过,古代书目上还剩着各种的书名。不过实际上大约还是到底不行罢,现在似乎再没有什么人们相信了,这对于喜欢渔色的英雄,真是不幸得很。


 然而还有一种小奇想。那就是哼的一声,鼻孔里放出一道白光,无论路的远近,将仇人或敌人杀掉。白光可又回来了,摸不着是谁杀的,既然杀了人,又没有麻烦,多么舒适自在。这种本倾,前年还有人想上武当山去寻求,直到去年,这才用大刀队来替代了这奇想的位置。现在是连大刀队的名声也寂寞了。对于爱国的英雄,也是十分不幸的。


 然而我们新近又有了一个大奇想。那是一面救国,一面又可以发财,虽然各种彩票,近似赌博,而发财也不过是“希望”。不过这两种已经关联起来了却是真的。固然,世界上也有靠聚赌抽头来维持的摩那科王国,但就常理说,则赌博大概是小则败家,大则亡国;救国呢,却总不免有一点牺牲,至少,和发财之路总是相差很远的。然而发见了一致之点的是我们现在的中国,虽然还在试验的途中。


 然而又还有一种小奇想。这回不用一道白光了,要用几回启事,几封匿名的信件,几篇化名的文章,使仇头落地,而血点一些也不会溅着自己的洋房和洋服。并且映带之下,使自己成名获利。这也还在试验的途中,不知道结果怎么样,但翻翻现成的文艺史,看不见半个这样的人物,那恐怕也还是枉用心机的。


 狂赌救国,纵欲成仙,袖手杀敌,造谣买田,倘有人要编续《龙文鞭影》的,我以为不妨添上这四句。


 


 (八月四日。)

【中国の奇想                  游光】

 外国人は中国を知らず、中国人は専ら実際を重んずると言う。実はそうではない。我々中国人は最も奇想に富む民族だ。

 古今を問わず誰でも知っている。一人の男が多くの女を持ち、ひたすら縦欲すれば、やがて毎日三鞭酒を飲んでも効かなくなり、まさしく「寿(?)終正寝」するしかない。しかし我々の古人には一つの大奇想があった——「御女」の術によって、かえって仙人になれるというのだ。例えば彭祖は多くの女を持ちながら数百歳まで生きたという。この方法は錬金術と共に流行し、古代の書目にはまだ各種の書名が残っている。しかし実際にはやはり結局うまくいかなかったのだろう。今ではもう誰も信じる者はいないようで、漁色を好む英雄にとっては実に不幸なことだ。

 しかしまだ一つの小奇想がある。ふんと一声唸れば鼻孔から白い光が放たれ、道の遠近を問わず、仇人や敵を殺してしまう。白光はまた戻ってくる。誰が殺したか手がかりもない。人を殺しておいて面倒もなし。何と快適自在なことか。この種の本領は、一昨年にもまだ武当山に求めに行こうとした者がおり、去年になってようやく大刀隊がこの奇想の位置に取って代わった。今では大刀隊の名声すら寂しくなった。愛国の英雄にとっても甚だ不幸なことだ。

 しかし我々は近頃また一つの大奇想を持った。一方で国を救い、一方でまた金を儲けられるというものだ。もっとも各種の宝くじは賭博に近く、儲けもただの「希望」に過ぎないが。しかしこの二つがすでに関連付けられたのは事実だ。たしかに世界にも賭博の上前で維持されるモナコ王国があるが、常理から言えば、賭博は小さくは身代の破滅、大きくは国の滅亡だ。救国となれば、いくらかの犠牲は免れず、少なくとも金儲けの道とは遥かに離れている。しかしその一致点を発見したのが我々今の中国なのだ——まだ試験の途上ではあるが。

 そしてまた一つの小奇想がある。今度は白い光ではなく、数回の声明、数通の匿名の手紙、数篇の変名の文章で仇敵の首を落とし、しかも血痕は一滴も自分の洋館や洋服に飛び散らないようにする。しかもその余波で自己の名声と利益を得る。これもまだ試験の途上だが、結果がどうなるかはわからない。しかし手元の文芸史を繙いてみても、こうした人物は半人たりとも見当たらない。恐らくやはり徒労であろう。

 賭博で国を救い、縦欲で仙人になり、手を拱いて敵を殺し、謡言で田を買う。もし『龍文鞭影』の続きを編む人がいるなら、この四句を添えてもよかろうと思う。

 (八月四日。)

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【豪语的折扣                                                                                                                                                                                      苇索  】

 


 豪语的折扣其实也就是文学上的折扣,凡作者的自述,往往须打一个扣头,连自白其可怜和无用也还是并非“不二价”的,更何况豪语。


 仙才李太白的善作豪语,可以不必说了;连留长了指甲,骨瘦如柴的鬼才李长吉,也说“见买若耶溪水剑,明朝归去事猿公”起来,简直是毫不自量,想学刺客了。这应该折成零,证据是他到底并没有去。南宋时候,国步艰难,陆放翁自然也是慷慨党中的一个,他有一回说:“老子犹堪绝大漠,诸君何至泣新亭。”他其实是去不得的,也应该折成零。——但我手头无书,引诗或有错误,也先打一个折扣在这里。


 其实,这故作豪语的脾气,正不独文人为然,常人或市侩,也非常发达。市上甲乙打架,输的大抵说:“我认得你的!”这是说,他将如伍子胥一般,誓必复仇的意思。不过总是不来的居多,倘是智识分子呢,也许另用一些阴谋,但在粗人,往往这就是斗争的结局,说的是有口无心,听的也不以为意,久成为打架收场的一种仪式了。


 旧小说家也早已看穿了这局面,他写暗娼和别人相争,照例攻击过别人的偷汉之后,就自序道:“老娘是指头上站得人,臂膊上跑得马……”底下怎样呢?他任别人去打折扣。他知道别人是决不那么胡涂,会十足相信的,但仍得这么说,恰如卖假药的,包纸上一定印着“存心欺世,雷殛火焚”一样,成为一种仪式了。


 但因时势的不同,也有立刻自打折扣的。例如在广告上,我们有时会看见自说“我是坐不改名,行不改姓的人”,真要蓦地发生一种好象见了《七侠五义》中人物一般的敬意,但接着就是“纵令有时用其他笔名,但所发表文章,均自负责”,却身子一扭,土行孙似的不见了。予岂好“用其他笔名”哉?予不得已也。上海原是中国的一部分,当然受着孔子的教化的。便是商家,柜内的“不二价”的金字招牌也时时和屋外“大廉价”的大旗互相辉映,不过他总有一个缘故:不是提倡国货,就是纪念开张。


 所以,自打折扣,也还是没有打足的,凡“老上海”,必须再打它一下。


 


 (八月四日。)

【豪語の割引                                                        葦索  】



 豪語の割引とは、実は文学上の割引でもある。およそ作者の自述は、往々にして一割ほど差し引いて聞かねばならず、自らの惨めさや無能を告白する場合でさえ「正価販売」ではないのだから、まして豪語においてをや。

 仙才・李太白が豪語を好んだことは、いまさら言うまでもない。爪を長く伸ばし、骨と皮ばかりに痩せ細った鬼才・李長吉でさえ、「若耶渓の水剣を買い、明朝帰りて猿公に事えん」と言い出す始末で、まったく己を量らず、刺客を志そうというのだ。これはゼロに割り引くべきで、その証拠に彼は結局行かなかった。南宋の頃、国運が傾いていた時代、陸放翁もまた慷慨党の一員であり、あるとき「老子なお大漠を絶つに堪えたり、諸君何ぞ新亭に泣くに至らんや」と言った。彼も実際には行けなかったのだから、やはりゼロに割り引くべきである。――ただし手元に書物がなく、引用した詩に誤りがあるかもしれないので、ここにもあらかじめ割引をつけておく。

 実のところ、この豪語を弄する気質は、ひとり文人に限ったことではなく、庶民や商人の間でも大いに発達している。市井で甲と乙が喧嘩をし、負けた方はたいてい「お前のことは覚えておくぞ!」と言う。これはすなわち伍子胥のごとく必ず復讐するという意味である。しかし実際に来る者はほとんどおらず、知識人であれば別の陰謀を用いるかもしれないが、粗野な者の場合、往々にしてこれが闘争の結末となる。言う方は口先だけ、聞く方も気にも留めず、いつしか喧嘩の幕引きの一種の儀式となったのだ。

 旧小説家もとうにこの事情を見抜いている。彼は私娼が他人と争い、お定まりのように相手の密通を攻撃した後、自ら名乗って「あたしは指の上に人が立てる、腕の上に馬が走れる女だよ……」と言わせる。その先はどうか? 彼は読者に勝手に割り引かせる。読者がそう愚かではなく、十割信じるはずもないと知りながら、やはりそう言わねばならぬのは、あたかも偽薬を売る者が包み紙に必ず「欺世の心あらば、雷に撃たれ火に焼かれん」と刷り込むのと同じで、一種の儀式となったのだ。

 だが時勢の違いによって、即座に自ら割り引く者もいる。たとえば広告の中で、時折「私は座っても名を改めず、歩いても姓を変えぬ人間だ」と自称するのを見かけ、まさに『七侠五義』の人物に出会ったかのような敬意が湧きかけるが、続けて「たとえ時に他の筆名を用いることがあっても、発表した文章にはすべて自ら責任を負う」とあり、身を翻して土行孫のように消えてしまう。予あに「他の筆名を用いる」ことを好まんや。予やむを得ざるなり。上海はもとより中国の一部であり、当然孔子の教化を受けている。商家にしても、カウンターの内側の「正価販売」の金文字の看板が、屋外の「大安売り」の大旗と常に輝き合っているが、いつも理由がある――国産品の奨励か、開店記念かのいずれかだ。

 だから、自ら割り引いても、まだ十分には引ききれていないのであって、「老上海」たる者は、さらにもう一度引かねばならない。



 (八月四日。)

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【踢                                                                                                                                                                                                   丰之余  】

 


 两月以前,曾经说过“推”,这回却又来了“踢”。


 本月九日《申报》载六日晚间,有漆匠刘明山,杨阿坤,顾洪生三人在法租界黄浦滩太古码头纳凉,适另有数人在左近聚赌,由巡逻警察上前驱逐,而刘顾两人,竟被俄捕弄到水里去,刘明山竟淹死了。由俄捕说,自然是“自行失足落水”的。但据顾洪生供,却道:“我与刘,杨三人,同至太古码头乘凉,刘坐铁凳下地板上,……我立在旁边,……俄捕来先踢刘一脚,刘已立起要避开,又被踢一脚,以致跌入浦中,我要拉救,已经不及,乃转身拉住俄捕,亦被用手一推,我亦跌下浦中,经人救起的。”推事问:“为什么要踢他?”答曰:“不知。”


 “推”还要抬一抬手,对付下等人是犯不着如此费事的,于是乎有“踢”。而上海也真有“踢”的专家,有印度巡捕,有安南巡捕,现在还添了白俄巡捕,他们将沙皇时代对犹太人的手段,到我们这里来施展了。我们也真是善于“忍辱负重”的人民,只要不“落浦”,就大抵用一句滑稽化的话道:“吃了一只外国火腿”,一笑了之。


 苗民大败之后,都往山里跑,这是我们的先帝轩辕氏赶他的。南宋败残之余,就往海边跑,这据说也是我们的先帝成吉思汗赶他的,赶到临了,就是陆秀夫背着小皇帝,跳进海里去。我们中国人,原是古来就要“自行失足落水”的。


 有些慷慨家说,世界上只有水和空气给与穷人。此说其实是不确的,穷人在实际上,那里能够得到和大家一样的水和空气。即使在码头上乘乘凉,也会无端被“踢”,送掉性命的:落浦。要救朋友,或拉住凶手罢,“也被用手一推”:也落浦。如果大家来相帮,那就有“反帝”的嫌疑了,“反帝”原未为中国所禁止的,然而要豫防“反动分子乘机捣乱”,所以结果还是免不了“踢”和“推”,也就是终于是落浦。


 时代在进步,轮船飞机,随处皆是,假使南宋末代皇帝而生在今日,是决不至于落海的了,他可以跑到外国去,而小百姓以“落浦”代之。


 这理由虽然简单,却也复杂,故漆匠顾洪生曰:“不知。”


 


 (八月十日。)

【蹴る                                                           丰之余  】



 二ヶ月前、かつて「突く」について述べたが、今度はまた「蹴る」が出てきた。

 今月九日の『申報』は六日夜のことを載せている。ペンキ職人の劉明山、楊阿坤、顧洪生の三人がフランス租界の黄浦灘・太古碼頭で涼をとっていたところ、たまたま付近で数人が賭博をしており、巡回警察が駆逐に来た。ところが劉と顧の二人はロシア人巡捕によって水中に落とされ、劉明山はそのまま溺死したのである。ロシア人巡捕に言わせれば、当然「自ら足を踏み外して落水した」のだ。だが顧洪生の供述によれば、「私と劉、楊の三人で太古碼頭に涼みに行き、劉は鉄の腰掛けの下の板の上に座り、……私は傍らに立っていた。……ロシア人巡捕が来てまず劉を一蹴りし、劉がすでに立ち上がって避けようとしたところ、もう一蹴りされて、浦中に転落した。私が引き上げようとしたがすでに間に合わず、振り向いてロシア人巡捕を掴んだが、手で一押しされ、私も浦中に落ち、人に救い上げられた」とのことだ。推事が「なぜ蹴ったのか?」と問うと、「分かりません」との答えだった。

 「突く」にはまだ手を上げる必要があるが、下等な人間を相手にするにはそこまで手間をかけるに及ばぬ、そこで「蹴る」が登場する。上海にはまことに「蹴る」の専門家がいる。インド人巡捕、安南人巡捕、そして今や白系ロシア人巡捕まで加わり、彼らは帝政時代にユダヤ人に対して用いた手段を、わが国で振るっているのだ。われわれもまことに「辱めに耐え重荷を負う」ことに長けた人民であり、「浦に落ちる」さえしなければ、たいてい滑稽な一言で「外国のハムを食らった」と笑い飛ばして終わりだ。

 苗族が大敗した後、みな山へ逃げた。これはわれわれの先帝・軒轅氏が追い立てたのだ。南宋の敗残の末には海辺へ逃げたが、これもまたわれわれの先帝・成吉思汗が追い立てたと言い、追い詰められた挙げ句、陸秀夫が幼帝を背負って海に飛び込んだ。われわれ中国人は、もとより古来「自ら足を踏み外して落水」してきたのだ。

 慷慨家の中には、世界で水と空気だけは貧乏人にも与えられていると言う者がいる。この説は実は正しくない。貧乏人が実際に、他の人々と同じ水や空気を得られるはずがない。碼頭で涼をとっているだけでも、いわれなく「蹴られ」て命を落とすのだ――落浦。友を救おうと、あるいは凶漢を捕まえようとすれば、「また手で一押し」――これも落浦。もしみなが助けに来れば、「反帝」の嫌疑がかかる。「反帝」はもとより中国で禁じられてはいないが、「反動分子が機に乗じて騒擾する」のを予防せねばならぬから、結局やはり「蹴る」と「突く」は免れず、つまるところ落浦である。

 時代は進歩し、汽船も飛行機もどこにでもある。もし南宋の末代の皇帝が今日に生まれていたなら、海に落ちることは決してなく、外国へ逃げられたであろう。そして小民百姓が「落浦」をもってその代わりを務めるのだ。

 この理屈は単純ではあるが、また複雑でもある。ゆえにペンキ職人の顧洪生は言った、「分かりません」と。



 (八月十日。)

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【“中国文坛的悲观”                                                                                                                                                                        旅隼  】

 


 文雅书生中也真有特别善于下泪的人物,说是因为近来中国文坛的混乱,好象军阀割据,便不禁“呜呼”起来了,但尤其痛心诬陷。


 其实是作文“藏之名山”的时代一去,而有一个“坛”,便不免有斗争,甚而至于谩骂,诬陷的。明末太远,不必提了;清朝的章实斋和袁子才,李莼客和赵叔,就如水火之不可调和;再近些,则有《民报》和《新民丛报》之争,《新青年》派和某某派之争,也都非常猛烈。当初又何尝不使局外人摇头叹气呢,然而胜负一明,时代渐远,战血为雨露洗得干干净净,后人便以为先前的文坛是太平了。在外国也一样,我们现在大抵只知道嚣俄和霍普德曼是卓卓的文人,但当时他们的剧本开演的时候,就在戏场里捉人,打架,较详的文学史上,还载着打架之类的图。


 所以,无论中外古今,文坛上是总归有些混乱,使文雅书生看得要“悲观”的。但也总归有许多所谓文人和文章也者一定灭亡,只有配存在者终于存在,以证明文坛也总归还是干净的处所。增加混乱的倒是有些悲观论者,不施考察,不加批评,但用“彼亦一是非,此亦一是非”的论调,将一切作者,诋为“一丘之貉”。这样子,扰乱是永远不会收场的。然而世间却并不都这样,一定会有明明白白的是非之别,我们试想一想,林琴南攻击文学革命的小说,为时并不久,现在那里去了?


 只有近来的诬陷,倒象是颇为出色的花样,但其实也并不比古时候更利害,证据是清初大兴文字之狱的遗闻。况且闹这样玩意的,其实并不完全是文人,十中之九,乃是挂了招牌,而无货色,只好化为黑店,出卖人肉馒头的小盗;即使其中偶然有曾经弄过笔墨的人,然而这时却正是露出原形,在告白他自己的没落,文坛决不因此混乱,倒是反而越加清楚,越加分明起来了。


 历史决不倒退,文坛是无须悲观的。悲观的由来,是在置身事外不辨是非,而偏要关心于文坛,或者竟是自己坐在没落的营盘里。


 


 (八月十日。)

【「中国文壇の悲観」                                       旅隼  】

 

 風雅な書生の中にも、まことに涙を流すのが得意な人物がいるもので、近頃の中国文壇の混乱は軍閥割拠のようだと言って、たまらず「嗚呼」と嘆き出す。だがとりわけ痛心するのは誣陷だという。

 実のところ、文章を「名山に蔵する」時代が去り、ひとたび「壇」があれば、闘争を免れず、さらには罵倒、誣陷にまで至るものだ。明末は遠すぎるから措くとして、清朝の章実斎と袁子才、李蓴客と趙叔は水火の如く相容れず、さらに近くは『民報』と『新民叢報』の争い、『新青年』派とある派との争いも、いずれも甚だ激烈であった。当初もまた局外の人を首をかしげ嘆息させたことであろうが、勝敗が明らかになり時代が遠ざかると、戦いの血は雨露に洗い流されてきれいさっぱりとなり、後人はかつての文壇は太平であったと思い込む。外国でも同じで、われわれは今日たいていユゴーやハウプトマンが卓越した文人であることしか知らないが、当時彼らの戯曲が上演された際には、劇場内で人を捕え、乱闘が起き、詳しい文学史にはまだ乱闘の類の挿絵が載っている。

 だから、古今東西を問わず、文壇にはいつも多少の混乱があり、風雅な書生をして「悲観」せしめるものだ。しかしまた結局は、いわゆる文人や文章なるものの多くは必ず滅び、存在するに値するものだけが存続し、文壇はやはり清浄な場所であることを証明する。混乱を増すのはむしろ一部の悲観論者であって、調べもせず、批評もせず、ただ「彼もまた一つの是非、此もまた一つの是非」という論調で、あらゆる作者を「同じ穴の狢」と貶める。こうしては、混乱は永遠に収まりはしない。だが世間はすべてがこうではなく、必ず明々白々たる是非の別があるのだ。試みに考えてみよ、林琴南が文学革命を攻撃した小説は、時を経ずして今やどこへ消えたか。

 ただ近頃の誣陷だけは、なかなか見事な手口のように見えるが、実は古の手法よりも厳しいわけではなく、その証拠は清初に文字の獄を大いに興した遺聞である。況んやこのような悪戯を弄する者は、実のところ文人ばかりではなく、十中八九は看板を掲げながら商品がなく、やむなく闇の宿に化けて人肉饅頭を売る小盗にすぎない。たとえその中にかつて筆墨を弄した者がいたとしても、この時はまさに正体を露わにし、己の没落を告白しているのであって、文壇はこのために混乱するどころか、かえっていっそう明瞭に、いっそう鮮明になるのだ。

 歴史は決して後退しない。文壇に悲観する必要はないのである。悲観の由来は、事に身を置かずして是非を弁ぜず、それでいて文壇に関心を寄せることにあり、あるいはいっそ自ら没落の陣営に座っているためなのだ。

 

 (八月十日。)

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【秋夜纪游                                                                                                                                                                                           游光  】

 


 秋已经来了,炎热也不比夏天小,当电灯替代了太阳的时候,我还是在马路上漫游。


 危险?危险令人紧张,紧张令人觉到自己生命的力。在危险中漫游,是很好的。


 租界也还有悠闲的处所,是住宅区。但中等华人的窟穴却是炎热的,吃食担,胡琴,麻将,留声机,垃圾桶,光着的身子和腿。相宜的是高等华人或无等洋人住处的门外,宽大的马路,碧绿的树,淡色的窗幔,凉风,月光,然而也有狗子叫。


 我生长农村中,爱听狗子叫,深夜远吠,闻之神怡,古人之所谓“犬声如豹”者就是。倘或偶经生疏的村外,一声狂嗥,巨獒跃出,也给人一种紧张,如临战斗,非常有趣的。


 但可惜在这里听到的是吧儿狗。它躲躲闪闪,叫得很脆:汪汪!


 我不爱听这一种叫。


 我一面漫步,一面发出冷笑,因为我明白了使它闭口的方法,是只要去和它主子的管门人说几句话,或者抛给它一根肉骨头。这两件我还能的,但是我不做。


 它常常要汪汪。


 我不爱听这一种叫。


 我一面漫步,一面发出恶笑了,因为我手里拿着一粒石子,恶笑刚敛,就举手一掷,正中了它的鼻梁。


 呜的一声,它不见了。我漫步着,漫步着,在少有的寂寞里。


 秋已经来了,我还是漫步着。叫呢,也还是有的,然而更加躲躲闪闪了,声音也和先前不同,距离也隔得远了,连鼻子都看不见。


 我不再冷笑,不再恶笑了,我漫步着,一面舒服的听着它那很脆的声音。


 


 (八月十四日。)

【秋夜紀遊                                                游光  】

 

 秋はすでに来たが、暑さは夏に劣らない。電灯が太陽に代わった頃、私はなおも大通りをそぞろ歩いている。

 危険か? 危険は人を緊張させ、緊張は己の生命力を感じさせる。危険の中を漫遊するのは、まことによいことだ。

 租界にもまだ悠閑な場所がある。住宅区だ。しかし中等華人の巣窟は灼熱であり、屋台、胡弓、麻雀、蓄音機、塵箱、裸の体と脚。ふさわしいのは高等華人あるいは無等洋人の住まいの門前だ。広い大通り、碧緑の木々、淡い色の窓掛け、涼風、月光、――しかし犬もまた吠える。

 私は農村に育ち、犬の吠え声を聞くのが好きだ。深夜の遠吠え、それを聞けば心が安らぐ。古人のいわゆる「犬声豹の如し」とはこれである。もし偶然見知らぬ村外れを通りかかり、一声の狂吠とともに巨大な獒犬が躍り出れば、これもまた一種の緊張を与え、戦闘に臨むかのごとく、まことに面白い。

 だが惜しむらくは、ここで聞こえるのはちん犬の声だ。おずおずと隠れながら、甲高い声で吠える――ワンワン!

 私はこの種の吠え声を好まない。

 私はそぞろ歩きながら冷笑を漏らした。黙らせる方法が分かったからだ。その飼い主の門番に二言三言話しかけるか、犬に肉つきの骨を一本投げてやればよい。この二つは私にもできるが、しかし私はしない。

 あの犬は相変わらずワンワンと吠え続ける。

 私はこの種の吠え声を好まない。

 私はそぞろ歩きながら、今度は悪意の笑いを漏らした。手に小石を一つ握っていたからだ。悪笑が収まるやいなや、手を上げて投げつけると、見事にその鼻面に命中した。

 キャンと一声、犬は消えた。私はそぞろ歩いた、そぞろ歩いた、稀に見る静寂の中を。

 秋はすでに来た。私はなおもそぞろ歩いている。吠え声は、やはり聞こえる。しかしいっそうおずおずと隠れ、声も前とは違い、距離も遠ざかり、鼻先さえ見えない。

 私はもう冷笑もしないし、悪笑もしない。私はそぞろ歩きながら、心地よくその甲高い声に耳を傾けている。

 

 (八月十四日。)

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【“揩油”                                                                                                                                                                                               苇索  】

 


 “揩油”,是说明着奴才的品行全部的。


 这不是“取回扣”或“取佣钱”,因为这是一种秘密;但也不是偷窃,因为在原则上,所取的实在是微乎其微。因此也不能说是“分肥”;至多,或者可以谓之“舞弊”罢。然而这又是光明正大的“舞弊”,因为所取的是豪家、富翁、阔人、洋商的东西,而且所取又不过一点点,恰如从油水汪洋的处所,揩了一下,于人无损,于揩者却有益的,并且也不失为损富济贫的正道。设法向妇女调笑几句,或乘机摸一下,也谓之“揩油”,这虽然不及对于金钱的名正言顺,但无大损于被揩者则一也。


 表现得最分明的是电车上的卖票人。纯熟之后,他一面留心着可揩的客人,一面留心着突来的查票,眼光都练得像老鼠和老鹰的混合物一样。付钱而不给票,客人本该索取的,然而很难索取,也很少见有人索取,因为他所揩的是洋商的油,同是中国人,当然有帮忙的义务,一索取,就变成帮助洋商了。这时候,不但卖票人要报你憎恶的眼光,连同车的客人也往往不免显出以为你不识时务的脸色。


 然而彼一时,此一时,如果三等客中有时偶缺一个铜元,你却只好在目的地以前下车,这时他就不肯通融,变成洋商的忠仆了。


 在上海,如果同巡捕、门丁、西崽之类闲谈起来,他们大抵是憎恶洋鬼子的,他们多是爱国主义者。然而他们也像洋鬼子一样,看不起中国人,棍棒和拳头和轻蔑的眼光,专注在中国人的身上。


 “揩油”的生活有福了。这手段将更加展开,这品格将变成高尚,这行为将认为正当,这将算是国民的本领,和对于帝国主义的复仇。打开天窗说亮话,其实,所谓“高等华人”也者,也何尝逃得出这模子。


 但是,也如“吃白相饭”朋友那样,卖票人是还有他的道德的。倘被查票人查出他收钱而不给票来了,他就默然认罚,决不说没有收过钱,将罪案推到客人身上去。


 


 (八月十四日。)

【「揩油(かいゆ)」                                                 苇索  】



 「揩油」――これは奴僕の品性のすべてを言い表す言葉である。

 これは「リベートを取る」でも「手数料を取る」でもない。なぜならこれは一つの秘密だからだ。しかし窃盗でもない。なぜなら原則として、取るものはまことに微々たるものだからだ。したがって「分け前に与る」とも言えない。せいぜい「不正」と呼べるかもしれない。しかしこれは堂々たる「不正」なのだ。なぜなら取るのは豪家、富翁、金持ち、洋商のものであり、しかも取るのはほんの少しだけ、あたかも油の滴り満ちた場所からひと拭いするようなもので、相手に損はなく、拭う者には益があり、しかも富を損じて貧を救う正道と言えなくもない。女に言い寄って冗談を言ったり、隙に乗じてひと触れすることも「揩油」と言うが、これは金銭に対するほど名正言順ではないにせよ、揩られる側に大きな損がないという点では同じだ。

 最も顕著に表れるのは電車の車掌だ。熟練すると、彼は一方で揩れる客に目を配り、一方で突然来る検札に目を配り、その目つきは鼠と鷲の混合物のように鍛え上げられる。金を受け取って切符を渡さない。客は当然請求すべきだが、請求しにくいし、請求する人もめったにいない。なぜなら彼が揩っているのは洋商の油であり、同じ中国人なら当然助ける義務があるのであって、請求すれば洋商を助けることになるからだ。この時、車掌が憎悪の目で見るだけでなく、同乗の客もまた、お前は時勢が分かっていないという顔つきを見せることが少なくない。

 しかし時が変われば事情も変わる。もし三等車の客がたまたま銅銭一枚足りなければ、目的地の手前で降りるしかない。この時、彼は融通を利かせようとはせず、洋商の忠僕に変貌するのだ。

 上海で巡捕や門番やボーイの類と世間話をすれば、彼らはたいてい洋鬼子を憎んでおり、多くは愛国主義者だ。しかし彼らもまた洋鬼子同様に中国人を見下し、棍棒も拳も蔑みの目も、もっぱら中国人に向けられる。

 「揩油」の暮らしは幸いなるかな。この手段はさらに広がり、この品格は高尚と見なされ、この行為は正当と認められ、これが国民の本領であり帝国主義への復讐であると算えられるようになるだろう。天窓を開けてはっきり言えば、実のところいわゆる「高等華人」なる者も、この型から逃れ出てはいないのだ。

 しかし、「白相飯(ただ飯食い)」の連中と同じく、車掌にもまた彼なりの道徳がある。もし検札に、金を受け取って切符を渡していないことを見つけられたなら、彼は黙って罰を受け、決して金を受け取っていないとは言わず、罪を客に転嫁することはないのだ。



 (八月十四日。)

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【我们怎样教育儿童的?                                                                                                                                                                旅隼  】

 


 看见了讲到《孔乙己》,就想起中国一向怎样教育儿童来。


 现在自然是各式各样的教科书,但在村塾里也还有《三字经》和《百家姓》。清朝末年,有些人读的是“天子重英豪,文章教尔曹,万般皆下品,惟有读书高”的《神童诗》,夸着“读书人”的光荣;有些人读的是“混沌初开,乾坤始奠,轻清者上浮而为天,重浊者下凝而为地”的《幼学琼林》,教着做古文的滥调。再上去我可不知道了,但听说,唐末宋初用过《太公家教》,久已失传,后来才从敦煌石窟中发现,而在汉朝,是读《急就篇》之类的。


 就是所谓“教科书”,在近三十年中,真不知变化了多少。忽而这么说,忽而那么说,今天是这样的宗旨,明天又是那样的主张,不加“教育”则已,一加“教育”,就从学校里造成了许多矛盾冲突的人,而且因为旧的社会关系,一面也还是“混沌初开,乾坤始奠”的老古董。


 中国要作家,要“文豪”,但也要真正的学究。倘有人作一部历史,将中国历来教育儿童的方法,用书,作一个明确的记录,给人明白我们的古人以至我们,是怎样的被熏陶下来的,则其功德,当不在禹(虽然他也许不过是一条虫)下。


 《自由谈》的投稿者,常有博古通今的人,我以为对于这工作,是很有胜任者在的。不知亦有有意于此者乎?现在提出这问题,盖亦知易行难,遂只得空口说白话,而望垦辟于健者也。


 


 (八月十四日。)

【われわれはいかに児童を教育してきたか?                        旅隼  】



 『孔乙己』の話を見て、中国がこれまでいかに児童を教育してきたかを思い出した。

 現在はもちろん様々な教科書があるが、村塾ではなお『三字経』や『百家姓』が使われている。清朝末年、ある者は「天子英豪を重んじ、文章爾曹に教う、万般皆下品、ただ読書のみ高し」という『神童詩』を読み、「読書人」の栄光を誇った。ある者は「混沌初めて開け、乾坤始めて定まり、軽清なる者は上浮して天となり、重濁なる者は下凝して地となる」という『幼学瓊林』を読み、古文の決まり文句を教わった。それ以前のことは私には分からないが、聞くところによれば、唐末から宋初にかけては『太公家教』が使われていたが久しく失伝し、後に敦煌の石窟から発見された。漢朝では『急就篇』の類を読んでいたという。

 いわゆる「教科書」にしても、この三十年の間にいったい幾度変わったことか。あるときはこう言い、あるときはああ言い、今日はこういう方針、明日はまたあういう主張で、「教育」しなければまだしも、ひとたび「教育」すれば、学校から矛盾に満ちた人間が大量に作り出され、しかも旧い社会関係のために、一面ではなお「混沌初めて開け、乾坤始めて定まる」式の古めかしいものが残っている。

 中国には作家が必要であり、「文豪」が必要だが、真の学究もまた必要だ。もし誰かが一冊の歴史書を著し、中国歴代の児童教育の方法と使用された書物の明確な記録を作り、われわれの先人からわれわれ自身に至るまでいかに薫陶されてきたかを明らかにしたならば、その功徳は禹(たとえ彼がただの虫にすぎなかったとしても)に劣るまい。

 『自由談』の投稿者の中には博古通今の人も少なくなく、この仕事に勝任する者は必ずいると思う。こころざす者はいないだろうか。ここにこの問題を提起するも、知るは易く行うは難く、ただ空口に白話を言うのみにて、開墾の労は健者に望むほかないのである。



 (八月十四日。)

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【为翻译辩护                                                                                                                                                                                     洛文  】

 


 今年是围剿翻译的年头。


 或曰“硬译”,或曰“乱译”,或曰“听说现在有许多翻译家……翻开第一行就译,对于原作的理解,更无从谈起”,所以令人看得“不知所云”。


 这种现象,在翻译界确是不少的,那病根就在“抢先”。中国人原是喜欢“抢先”的人民,上落电车,买火车票,寄挂号信,都愿意是一到便是第一个。翻译者当然也逃不出这例子的。而书店和读者,实在也没有容纳同一原本的两种译本的雅量和物力,只要已有一种译稿,别一译本就没有书店肯接收出版了,据说是已经有了,怕再没有人要买。


 举一个例在这里:现在已经成了古典的达尔文的《物种由来》,日本有两种翻译本,先出的一种颇多错误,后出的一本是好的。中国只有一种马君武博士的翻译,而他所根据的却是日本的坏译本,实有另译的必要。然而那里还会有书店肯出版呢?除非译者同时是富翁,他来自己印。不过如果是富翁,他就去打算盘,再也不来弄什么翻译了。


 还有一层,是中国的流行,实在也过去得太快,一种学问或文艺介绍进中国来,多则一年,少则半年,大抵就烟消火灭。靠翻译为生的翻译家,如果精心作意,推敲起来,则到他脱稿时,社会上早已无人过问。中国大嚷过托尔斯泰,屠格纳夫,后来又大嚷过辛克莱,但他们的选集却一部也没有。去年虽然还有以郭沫若先生的盛名,幸而出版的《战争与和平》,但恐怕仍不足以挽回读书和出版界的惰气,势必至于读者也厌倦,译者也厌倦,出版者也厌倦,归根结蒂是不会完结的。


 翻译的不行,大半的责任固然该在翻译家,但读书界和出版界,尤其是批评家,也应该分负若干的责任。要救治这颓运,必须有正确的批评,指出坏的,奖励好的,倘没有,则较好的也可以。然而这怎么能呢;指摘坏翻译,对于无拳无勇的译者是不要紧的,倘若触犯了别有来历的人,他就会给你带上一顶红帽子,简直要你的性命。这现象,就使批评家也不得不含胡了。


 此外,现在最普通的对于翻译的不满,是说看了几十行也还是不能懂。但这是应该加以区别的。倘是康德的《纯粹理性批判》那样的书,则即使德国人来看原文,他如果并非一个专家,也还是一时不能看懂。自然,“翻开第一行就译”的译者,是太不负责任了,然而漫无区别,要无论什么译本都翻开第一行就懂的读者,却也未免太不负责任了。


 


 (八月十四日。)

【翻訳のための弁護                                       洛文  】

 

 今年は翻訳が包囲討伐される年だ。

 あるいは「硬訳」だと言い、あるいは「乱訳」だと言い、あるいは「聞くところによれば近頃多くの翻訳家がいるそうだが……第一行を開いたらそのまま訳し始め、原作の理解などはそもそも論外だ」と言い、だから読んでも「何を言っているか分からない」のだと。

 こうした現象は翻訳界に確かに少なくなく、その病根は「先を争う」ことにある。中国人はもともと「先を争う」のが好きな民族で、電車の乗り降り、汽車の切符買い、書留郵便の投函、いずれも着くや否や一番でありたがる。翻訳者も当然この例外ではない。しかも書店や読者には、同一の原本に対する二種の訳本を受け容れるだけの度量も財力もない。すでに一種の訳稿があれば、別の訳本を受け付けてくれる書店はなくなる。すでにあるから、もう買う者はいないだろうと言うのだ。

 ここに一例を挙げよう。今やすでに古典となったダーウィンの『種の起原』は、日本に二種の翻訳本があり、先に出た方は誤りが多く、後に出た方はよいものだ。中国には馬君武博士の翻訳が一種あるのみだが、彼が依拠したのは日本の悪い訳本であり、まことに別の翻訳が必要だ。しかしどこに出版してくれる書店があろうか。訳者が同時に富豪でもない限り、自費で印刷するほかない。だがもし富豪であれば、彼はそろばんを弾きに行って、翻訳などにはもう手を出すまい。

 さらにもう一つ、中国での流行は、まことに過ぎ去るのが速すぎる。一つの学問や文芸が中国に紹介されても、多ければ一年、少なければ半年で、たいてい煙のように消え失せる。翻訳を生業とする翻訳家が、もし精魂を傾けて推敲すれば、脱稿した頃には社会はとうに誰も問わなくなっている。中国はトルストイを大いに叫び、ツルゲーネフを大いに叫び、後にはまたシンクレアを大いに叫んだが、彼らの選集は一部も出ていない。去年はなお郭沫若先生の盛名をもって、幸いにして『戦争と平和』が出版されたが、それでも読書界と出版界の惰気を挽回するには足りず、ついには読者も倦み、訳者も倦み、出版者も倦み、結局完結しないことになるのだろう。

 翻訳が振るわぬのは、大半の責任はもちろん翻訳家にあるが、読書界と出版界、とりわけ批評家もまた若干の責任を分かち負うべきだ。この衰運を救うには、正確な批評があって、悪いものを指摘し、よいものを奨励しなければならない。もしなければ、比較的よいものでもよい。しかしそれがどうしてできようか。悪い翻訳を指摘するのは、拳も勇もない訳者に対しては問題ないが、もし別の来歴を持つ人物の機嫌を損じれば、赤い帽子を被せられ、文字通り命を狙われかねない。この現象が、批評家をも曖昧にせざるを得なくしているのだ。

 その他、今最もよくある翻訳への不満は、何十行読んでも分からないということだ。しかしこれは区別すべきだ。もしカントの『純粋理性批判』のような書物であれば、ドイツ人が原文を読んでも、専門家でなければやはりすぐには理解できまい。もちろん、「第一行を開いたらそのまま訳す」訳者は無責任に過ぎるが、何の区別もなく、いかなる訳本でも第一行を開いたらすぐ分かることを求める読者もまた、無責任に過ぎるのではないか。

 

 (八月十四日。)

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【爬和撞                                                                                                                                                                                            荀继  】

 


 从前梁实秋教授曾经说过:穷人总是要爬,往上爬,爬到富翁的地位。不但穷人,奴隶也是要爬的,有了爬得上的机会,连奴隶也会觉得自己是神仙,天下自然太平了。


 虽然爬得上的很少,然而个个以为这正是他自己。这样自然都安分的去耕田,种地,拣大粪或是坐冷板凳,克勤克俭,背着苦恼的命运,和自然奋斗着,拚命的爬,爬,爬。可是爬的人那么多,而路只有一条,十分拥挤。老实的照着章程规规矩矩的爬,大都是爬不上去的。聪明人就会推,把别人推开,推倒,踏在脚底下,踹着他们的肩膀和头顶,爬上去了。大多数人却还只是爬,认定自己的冤家并不在上面,而只在旁边——是那些一同在爬的人。他们大都忍耐着一切,两脚两手都着地,一步步的挨上去又挤下来,挤下来又挨上去,没有休止的。


 然而爬的人太多,爬得上的太少,失望也会渐渐的侵蚀善良的人心,至少,也会发生跪着的革命。于是爬之外,又发明了撞。


 这是明知道你太辛苦了,想从地上站起来,所以在你的背后猛然的叫一声:撞罢。一个个发麻的腿还在抖着,就撞过去。这比爬要轻松得多,手也不必用力,膝盖也不必移动,只要横着身子,晃一晃,就撞过去。撞得好就是五十万元大洋,妻,财,子,禄都有了。撞不好,至多不过跌一交,倒在地下。那又算得什么呢,——他原本是伏在地上的,他仍旧可以爬。何况有些人不过撞着玩罢了,根本就不怕跌交的。


 爬是自古有之。例如从童生到状元,从小瘪三到康白度。撞却似乎是近代的发明。要考据起来,恐怕只有古时候“小姐抛彩球”有点像给人撞的办法。小姐的彩球将要抛下来的时候,——一个个想吃天鹅肉的男子汉仰着头,张着嘴,馋涎拖得几尺长……可惜,古人究竟呆笨,没有要这些男子汉拿出几个本钱来,否则,也一定可以收着几万万的。


 爬得上的机会越少,愿意撞的人就越多,那些早已爬在上面的人们,就天天替你们制造撞的机会,叫你们化些小本钱,而豫约着你们名利双收的神仙生活。所以撞得好的机会,虽然比爬得上的还要少得多,而大家都愿意来试试的。这样,爬了来撞,撞不着再爬……鞠躬尽瘁,死而后已。


 


 (八月十六日。)

【這い上がることとぶつかること                          荀継  】

 

 かつて梁実秋教授がこう言ったことがある。貧乏人はいつも這い上がろうとする、上へ上へと這い上がり、富豪の地位に達しようとする。貧乏人ばかりではない、奴隷もまた這い上がろうとし、這い上がれる機会があれば、奴隷でさえ自分を神仙と感じ、天下は自ずと太平になるのだと。

 這い上がれる者はごくわずかだが、誰もがそれは自分だと思っている。こうして皆は分に安んじて田を耕し、地を耕し、糞を拾い、あるいは冷や飯を食い、勤勉倹約に、苦しい運命を背負って自然と戦い、懸命に這い、這い、這い上がる。しかし這う者があまりに多く、道は一本しかなく、甚だ混雑している。規則通りにまじめに這っていては、たいてい上がれない。利口な者は押すのだ。他人を押しのけ、押し倒し、足の下に踏みつけ、肩と頭を踏みつけて這い上がる。大多数の者はなおも這うばかりで、自分の仇は上にはいないと信じ、ただ傍に――一緒に這っている者たちにだけいると思っている。彼らはたいてい一切を忍耐し、両手両足を地につけ、一歩一歩上がってはまた押し下ろされ、押し下ろされてはまた上がり、休むことがない。

 しかし這う者があまりに多く、上がれる者があまりに少なく、失望もまた次第に善良な人心を蝕んでゆく。少なくとも、跪いたままの革命は起こるだろう。そこで這うことのほかに、さらに「ぶつかる」ことが発明された。

 これは、あなたがあまりに辛くて地面から立ち上がりたいと思っているのを承知の上で、背後から突然声をかける――ぶつかれ、と。しびれた足をまだ震わせながら、ぶつかってゆく。これは這うよりずっと楽だ。手も力を入れる必要がなく、膝も動かす必要がなく、ただ体を横にして一揺れすれば、ぶつかってゆける。うまくぶつかれば五十万元の大洋、妻も財も子も禄もすべて手に入る。うまくゆかなくても、せいぜい転ぶだけで、地面に倒れるだけだ。それがどうしたというのか――もともと地に伏していたのだ、そのまままた這えばよい。まして、ただの遊びでぶつかっている者もいて、転ぶことなど初めから恐れてはいない。

 這うことは古来よりある。たとえば童生から状元まで、小瘪三から買弁まで。ぶつかることは近代の発明のようだ。考証すれば、古の「お嬢様の綵球投げ」だけがいささか人にぶつからせる方法に似ているだろう。お嬢様の綵球がまさに投げ下ろされようとする時――白鳥の肉を食いたい男たちが顔を上げ、口を開け、涎を何尺も垂らしている……惜しむらくは、古人はやはり愚直で、この男たちに元手を出させようとは思わなかった。さもなくば、必ず数億万は集められたはずだ。

 這い上がれる機会が少なくなればなるほど、ぶつかりたがる人は増える。とうの昔に上に這い上がった者たちは、日々あなた方のためにぶつかる機会を製造し、少しの元手を出させて、あなた方に名利双収の神仙生活を予約させる。だからうまくぶつかれる機会は、這い上がれるよりもさらに少ないにもかかわらず、誰もが試してみたがるのだ。こうして、這ってはぶつかり、ぶつかりそこなってはまた這い……鞠躬尽力、死して後已む。

 

 (八月十六日。)

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【各种捐班                                                                                                                                                                                           洛文  】

 


 清朝的中叶,要做官可以捐,叫做“捐班”的便是这一伙。财主少爷吃得油头光脸,忽而忙了几天,头上就有一粒水晶顶,有时还加上一枝蓝翎,满口官话,说是“今天天气好”了。


 到得民国,官总算说是没有了捐班,然而捐班之途,实际上倒是开展了起来。连“学士文人”也可以由此弄得到顶戴。开宗明义

【各種の捐班                                            洛文  】

 

 清朝の中葉、官になるには金で買えた。いわゆる「捐班」とはこの連中のことだ。財主の若旦那が油ぎった丸々とした顔で、いきなり数日忙しくしたかと思えば、頭に水晶の頂珠が載り、時にはさらに藍翎まで添え、口いっぱいの官話で「今日は天気がよろしうございます」と言い出す。

 民国に至り、官には捐班はないことになっているが、しかし捐班への道は実際にはかえって広がった。「学士文人」でさえこの方法で頂戴を手に入れられるのだ。開宗明義

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第一章,自然是要有钱。只要有钱,就什么都容易办了。譬如,要捐学者罢,那就收买一批古董,结识几个清客,并且雇几个工人,拓出古董上面的花纹和文字,用玻璃板印成一部书,名之曰“什么集古录”或“什么考古录”。李富孙做过一部《金石学录》,是专载研究金石的人们的,然而这倒成了“作俑”,使清客们可以一续再续,并且推而广之,连收藏古董,贩卖古董的少爷和商人,也都一榻括子的收进去了。这就叫作“金石家”。

 捐做“文学家”也用不着什么新花样。只要开一只书店,拉几个作家,雇一些帮闲,出一种小报,“今天天气好”是也须会说的,就写了出来,印了上去,交给报贩,不消一年半载,包管成功。但是,古董的花纹和文字的拓片是不能用的了,应该代以电影明星和摩登女子的照片,因为这才是新时代的美术。“爱美”的人物在中国还多得很,而“文学家”或“艺术家”也就这样的起来了。


 捐官可以希望刮地皮,但捐学者文人也不会折本。印刷品固然可以卖现钱,古董将来也会有洋鬼子肯出大价的。


 这又叫作“名利双收”。不过先要能“投资”,所以平常人做不到,要不然,文人学士也就不大值钱了。


 而现在还值钱,所以也还会有人忙着做人名辞典,造文艺史,出作家论,编自传。我想,倘作历史的著作,是应该像将文人分为罗曼派,古典派一样,另外分出一种“捐班”派来的,历史要“真”,招些忌恨也只好硬挺,是不是?


 


 (八月二十四日。)

第一章、まず金がなければならない。金さえあれば、何でも容易に事が運ぶ。たとえば学者に捐りたければ、古董を一揃い買い集め、清客を何人か抱え、さらに職人を何人か雇って、古董の上の文様や文字を拓本にし、ガラス版で一冊の書物に印刷して「何々集古録」だの「何々考古録」だのと名づける。李富孫がかつて『金石学録』を作ったが、これは金石を研究する人物ばかりを載せたもので、しかしかえって「先例」となってしまい、清客たちが続々と続編を出し、さらに拡大して、古董を蒐集し売買する若旦那や商人まで一緒くたに入れてしまった。これが「金石家」と呼ばれるものだ。

 「文学家」に捐るにも、別に新手を使う必要はない。書店を一つ開き、作家を何人か引き込み、太鼓持ちを何人か雇い、小さな新聞を一つ出し、「今日は天気がよろしうございます」ぐらいは言えなければならぬから、それを書いて印刷し、新聞売りに渡せば、一年半載もたたぬうちに成功は間違いない。ただし、古董の文様や文字の拓本はもう使えない。代わりに映画スターとモダンガールの写真を用いるべきだ。これこそ新時代の美術なのだから。「美を愛する」人物は中国にはまだ大勢おり、こうして「文学家」や「芸術家」が生まれてくるのだ。

 官に捐れば地皮を刮ぐ望みがあるが、学者文人に捐っても損はしない。印刷物はもちろん現金で売れるし、古董もいずれ洋鬼子が大金を出してくれる。

 これがまた「名利双収」と呼ばれるものだ。ただし先に「投資」できなければならぬから、平凡な人には手が出ず、さもなくば文人学士もさほど値打ちがなくなるだろう。

 だが今なお値打ちがあるから、人名辞典を作り、文芸史を編み、作家論を出し、自伝を編むのに忙しい者がいる。思うに、もし歴史の著作をするのであれば、文人をロマン派、古典派と分けるように、別に「捐班派」を立てるべきだろう。歴史は「真」でなければならぬ。いささかの憎まれ口を招いても堪え忍ぶほかあるまい。そうではないか。

 

 (八月二十四日。)

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【四库全书珍本                                                                                                                                                                                丰之余  】

 


 现在除兵争、政争等类之外,还有一种倘非闲人,就不大注意的影印《四库全书》中的“珍本”之争。官商要照原式,及早印成,学界却以为库本有删改,有错误,如果有别本可得,就应该用别的“善本”来替代。


 但是,学界的主张,是不会通过的,结果总非依照《钦定四库全书》不可。这理由很分明,就因为要赶快。四省不见,九岛出脱,不说也罢,单是黄河的出轨举动,也就令人觉得岌岌乎不可终日,要做生意就得赶快。况且“钦定”二字,至今也还有一点威光,“御医”“贡缎”,就是与众不同的意思。便是早已共和了的法国,拿破仑的藏书在拍卖场上还是比平民的藏书值钱;欧洲的有些著名的“支那学者”,讲中国就会引用《钦定图书集成》,这是中国的考据家所不肯玩的玩艺。但是,也可见印了“钦定”过的“珍本”,在外国,生意总可以比“善本”好一些。


 即使在中国,恐怕生意也还是“珍本”好。因为这可以做摆饰,而“善本”却不过能合于实用。能买这样的书的,决非穷措大也可想,则买去之后,必将供在客厅上也亦可知。这类的买主,会买一个商周的古鼎,摆起来;不得已时,也许买一个假古鼎,摆起来;但他决不肯买一个沙锅或铁镬,摆在紫檀桌子上。因为他的目的是在“珍”而并不在“善”,更不在是否能合于实用的。


 明末人好名,刻古书也是一种风气,然而往往自己看不懂,以为错字,随手乱改。不改尚可,一改,可就反而改错了,所以使后来的考据家为之摇头叹气,说是“明人好刻古书而古书亡”。这回的《四库全书》中的“珍本”是影印的,决无改错的弊病,然而那原本就有无意的错字,有故意的删改,并且因为新本的流布,更能使善本湮没下去,将来的认真的读者如果偶尔得到这样的本子,恐怕总免不了要有摇头叹气

【四庫全書珍本                                         丰之余  】

 

 現在、兵争や政争の類のほかに、もう一つ、閑人でなければさほど注意しない、影印『四庫全書』中の「珍本」をめぐる争いがある。官商は原式どおりに早急に印刷したいと言い、学界は庫本には削除や改竄があり誤りもあるから、別本が得られるなら別の「善本」で代えるべきだと主張する。

 しかし、学界の主張が通ることはなく、結局は『欽定四庫全書』に従わざるを得ない。その理由は明白で、急がねばならぬからだ。四省は見えなくなり、九島は手放され、言うまい。黄河の暴走だけでも岌々として日を終えられぬ思いにさせるに十分で、商売をするなら急がねばならない。況んや「欽定」の二字は、今なおいささかの威光を放つ。「御医」「貢緞」は衆とは異なるの意だ。とうに共和国となったフランスでさえ、ナポレオンの蔵書は競売で庶民の蔵書より高値がつく。ヨーロッパの著名な「支那学者」の中には、中国を論じるのに『欽定図書集成』を引用する者がいるが、これは中国の考証学者が手を出さぬ代物だ。しかし、「欽定」と印された「珍本」が外国では「善本」より商売がよいことは見て取れる。

 たとえ中国にあっても、商売はおそらくなお「珍本」の方がよいだろう。なぜならこれは飾りになるが、「善本」は実用に適するにすぎないからだ。このような書を買える者は貧書生であるはずもなく、買った後は必ず客間に供えるであろうことも想像に難くない。この類の買い手は、商周の古鼎を買って飾るだろう。やむを得なければ偽の古鼎でも買って飾るだろう。しかし砂鍋や鉄鍋を買って紫檀の机の上に飾ることは決してしない。なぜなら彼の目的は「珍」にあって「善」にはなく、まして実用に適するか否かにはないからだ。

 明末の人は名を好み、古書を刻むのも一つの風潮であったが、往々にして自分で読めず、誤字と思って手当たり次第に改めた。改めなければまだしも、改めると、かえって改め損じとなり、後の考証学者を首を振って嘆息させた。いわく「明人は古書を刻むを好みて古書亡ぶ」と。今回の『四庫全書』中の「珍本」は影印であるから、改め損じの弊は決してない。しかし原本にはもともと過失の誤字があり、故意の削除改竄があり、しかも新本の流布によっていっそう善本を埋没させてゆく。将来の真摯な読者がもしこのような本を偶然手にしたならば、おそらく首を振って嘆息することは免れまい

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第二回。

 然而结果总非依照《钦定四库全书》不可。因为“将来”的事,和现在的官商是不相干了。


 


 (八月二十四日。)

もう一度。

 しかし結局は『欽定四庫全書』に従わざるを得ないのだ。なぜなら「将来」のことは、今の官商には関わりがないからだ。

 

 (八月二十四日。)

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【新秋杂识                                                                                                                                                                                         旅隼  】

 


 门外的有限的一方泥地上,有两队蚂蚁在打仗。


 童话作家爱罗先珂的名字,现在是已经从读者的记忆上渐渐淡下去了,此时我却记起了他的一种奇异的忧愁。他在北京时,曾经认真的告诉我说:我害怕,不知道将来会不会有人发明一种方法,只要怎么一来,就能使人们都成为打仗的机器的。


 其实是这方法早经发明了,不过较为烦难,不能“怎么一来”就完事。我们只要看外国为儿童而作的书籍、玩具,常常以指教武器为大宗,就知道这正是制造打仗机器的设备,制造是必须从天真烂漫的孩子们入手的。


 不但人们,连昆虫也知道。蚂蚁中有一种武士蚁,自己不造窠,不求食,一生的事业,是专在攻击别种蚂蚁,掠取幼虫,使成奴隶,给它服役的。但奇怪的是它决不掠取成虫,因为已经难施教化。它所掠取的一定只限于幼虫和蛹,使在盗窟里长大,毫不记得先前,永远是愚忠的奴隶,不但服役,每当武士蚁出去劫掠的时候,它还跟在一起,帮着搬运那些被侵略的同族的幼虫和蛹去了。


 但在人类,却不能这么简单的造成一律。这就是人之所以为“万物之灵”。


 然而制造者也决不放手。孩子长大,不但失掉天真,还变得呆头呆脑,是我们时时看见的。经济的雕敝,使出版界不肯印行大部的学术文艺书籍,不是教科书,便是儿童书,黄河决口似的向孩子们滚过去。但那里面讲的是什么呢?要将我们的孩子们造成什么东西呢?却还没有看见战斗的批评家论及,似乎已经不大有人注意将来了。


 反战会议的消息不很在日报上看到,可见打仗也还是中国人的嗜好,给它一个冷淡,正是违反了我们的嗜好的证明。自然,仗是要打的,跟着武士蚁去搬运败者的幼虫,也还不失为一种为奴的胜利。但是,人究竟是“万物之灵”,这样那里能就够。仗自然是要打的,要打掉制造打仗机器的蚁冢,打掉毒害小儿的药饵,打掉陷没将来的阴谋:这才是人的战士的任务。


 


 (八月二十八日。)

【新秋雑識                                              旅隼  】

 

 門の外のわずかな泥地の上で、二隊の蟻が戦っている。

 童話作家エロシェンコの名は、今やすでに読者の記憶から薄れつつあるが、この時私は彼のある奇異な憂愁を思い出した。彼が北京にいた頃、真剣に私にこう語ったことがある。「私は恐ろしいのです。将来、何かの方法が発明されて、ちょっとやるだけで人々をみな戦争機械にできるようになるのではないかと。」

 実のところ、その方法はとうに発明されている。ただ比較的煩雑で、「ちょっとやる」だけでは済まないのだ。われわれはただ、外国で子供のために作られた書籍や玩具が、しばしば武器の教授を大宗とするのを見れば、これこそが戦争機械を製造する設備であり、製造は必ず天真爛漫な子供たちから着手しなければならないのだと知るだろう。

 人間ばかりではない、昆虫さえも知っている。蟻の一種にサムライアリという武士蟻がいる。自ら巣を作らず食を求めず、一生の事業は専ら別種の蟻を攻撃し、幼虫を掠奪して奴隷とし、己に服役させることだ。しかし奇妙なことに、彼らは決して成虫を掠取しない。すでに教化しがたいからだ。彼らが掠取するのはもっぱら幼虫と蛹に限り、盗窟の中で成長させ、以前のことは何も覚えさせず、永遠に愚忠なる奴隷として、服役するだけでなく、武士蟻が劫掠に出る際にはついて行き、侵略された同族の幼虫や蛹を運ぶのを手伝うのだ。

 だが人間にあっては、このように画一的に作り上げることはできない。これが人の「万物の霊」たる所以だ。

 しかし製造者もまた手を緩めはしない。子供が成長して天真を失うだけでなくぼんやりと愚鈍になるのはわれわれが常に目にするところだ。経済の疲弊により出版界は大部の学術文芸書籍を出そうとせず、教科書でなければ児童書ばかりで、黄河の決壊のように子供たちに押し寄せている。だがその中で語られているのは何か。われわれの子供たちを何に作り上げようとしているのか。戦闘的な批評家が論じたのをまだ見かけず、将来のことを気にかける者はもうあまりいないようだ。

 反戦会議の報道は日刊紙であまり見かけない。これは戦争もまた中国人の嗜好であり、それを冷遇するのはわれわれの嗜好に反している証拠だろう。もちろん戦いはすべきだ。武士蟻について行って敗者の幼虫を運ぶのも一種の奴隷の勝利と言えなくはない。しかし人は「万物の霊」なのだ。それだけでは到底足りぬ。戦いはすべきだ。戦争機械を製造する蟻塚を打ち壊し、幼児を毒す薬餌を打ち壊し、未来を陥没させる陰謀を打ち壊す――これこそが人間の戦士の任務なのだ。

 

 (八月二十八日。)

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【帮闲法发隐                                                                                                                                                                                     桃椎  】

 


 吉开迦尔是丹麦的忧郁的人,他的作品,总是带着悲愤。不过其中也有很有趣味的,我看见了这样的几句——


 


 “戏场里失了火。丑角站在戏台前,来通知了看客。大家以为这是丑角的笑话,喝采了。丑角又通知说是火灾。但大家越加哄笑,喝采了。我想,人世是要完结在当作笑话的开心的人们的大家欢迎之中的罢。”


 


 不过我的所以觉得有趣的,并不专在本文,是在由此想到了帮闲们的伎俩。帮闲,在忙的时候就是帮忙,倘若主子忙于行凶作恶,那自然也就是帮凶。但他的帮法,是在血案中而没有血迹,也没有血腥气的。


 譬如罢,有一件事,是要紧的,大家原也觉得要紧,他就以丑角身份而出现了,将这件事变为滑稽,或者特别张扬了不关紧要之点,将人们的注意拉开去,这就是所谓“打诨”。如果是杀人,他就来讲当场的情形,侦探的努力;死的是女人呢,那就更好了,名之曰“艳尸”,或介绍她的日记。如果是暗杀,他就来讲死者的生前的故事,恋爱呀,遗闻呀……人们的热情原不是永不弛缓的,但加上些冷水,或者美其名曰清茶,自然就冷得更加迅速了,而这位打诨的脚色,却变成了文学者。


 假如有一个人,认真的在告警,于凶手当然是有害的,只要大家还没有僵死。但这时他就又以丑角身份而出现了,仍用打诨,从旁装着鬼脸,使告警者在大家的眼里也化为丑角,使他的警告在大家的耳边都化为笑话。耸肩装穷,以表现对方之阔,卑躬叹气,以暗示对方之傲;使大家心里想:这告警者原来都是虚伪的。幸而帮闲们还多是男人,否则它简直会说告警者曾经怎样调戏它,当众罗列淫辞,然后作自杀以明耻之状也说不定。周围捣着鬼,无论如何严肃的说法也要减少力量的,而不利于凶手的事情却就在这疑心和笑声中完结了。它呢?这回它倒是道德家。


 当没有这样的事件时,那就七日一报,十日一谈,收罗废料,装进读者的脑子里去,看过一年半载,就满脑都是某阔人如何摸牌,某明星如何打嚏的典故。开心是自然也开心的。但是,人世却也要完结在这些欢迎开心的开心的人们之中的罢。


 


 (八月二十八日。)

【幇閑の法を発く                                        桃椎  】

 

 キェルケゴールはデンマークの憂鬱な人で、その作品はいつも悲憤を帯びている。しかしその中にもまことに趣味深いものがあり、私はこのような数句を見た――

 

 「劇場で火事が起きた。道化師が舞台の前に立ち観客に知らせた。皆はこれを道化の冗談だと思い喝采した。道化師は再び火事だと知らせた。しかし皆はいよいよ大笑いし喝采した。思うに人の世は冗談と受け取って喜ぶ人々の盛大な歓迎のうちに終わるのだろう。」

 

 しかし私が面白いと感じたのは本文そのものだけではなくここから幇閑たちの手口を思い浮かべたからだ。幇閑とは忙しい時には助勢でありもし主人が凶悪な行いに忙しければ当然それは幇凶でもある。しかしその助け方は血の事件の中にあって血痕もなく血の臭いもないのだ。

 たとえばある事件がある。重大なことで皆もまた重大と感じている。すると彼は道化の身分で登場しこの事件を滑稽に変えあるいはとりわけ重要でない点を大げさに取り上げて人々の注意を逸らす。これがいわゆる「おどけ」だ。もし殺人であれば彼は現場の状況や探偵の努力を語る。死んだのが女であればなおのことよく「艶屍」と名づけあるいはその日記を紹介する。もし暗殺であれば彼は死者の生前の物語を語る――恋愛だの遺聞だの……。人々の熱情はもとより永遠に弛まぬわけではないが冷や水をあるいは美しく清茶と名づけたものを注げば自ずと冷めるのはいっそう速まりそしてこのおどけ役はいつしか文学者に変身するのだ。

 もし一人の人間が真剣に警告を発していれば凶手にとっては当然有害だ。ただし皆がまだ硬直していなければの話だが。しかしこの時彼はまた道化の身分で登場しやはりおどけを用い傍から鬼面を作って見せ警告者を皆の目に道化と映らせその警告を皆の耳に冗談と化す。肩をすくめて貧を装い相手の裕福さを際立たせ卑下して嘆息し相手の傲慢を暗示する。皆に「この警告者もやはり虚偽なのだ」と思わせる。幸い幇閑たちはまだ多くは男だ。さもなくば警告者にかつてどのようにからかわれたかを告げ衆前に猥語を並べ立て恥を明かすために自殺するふりまでしかねない。周囲で策を弄されればいかに厳粛な言論も力を減じざるを得ず凶手に不利な事態はこの疑惑と笑声の中で片づけられてしまう。では彼はどうなるか。今度は道徳家に変身するのだ。

 このような事件のない時は七日に一報十日に一談、廃材を収集して読者の脳に詰め込む。一年半載も読めば脳の中は某金持ちがどのように麻雀を打ったか某スターがどのようにくしゃみをしたかの逸話で一杯になる。楽しいことは確かに楽しい。しかし人の世はこの開心を歓迎する開心な人々の中で終わるのだろう。

 

 (八月二十八日。)

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【登龙术拾遗                                                                                                                                                                                     苇索  】

 


 章克标先生做过一部《文坛登龙术》,因为是预约的,而自己总是悠悠忽忽,竟失去了拜诵的幸运,只在《论语》上见过广告,解题和后记。但是,这真不知是那里来的“烟士披里纯”,解题的开头第一段,就有了绝妙的名文——


 


 “登龙是可以当作乘龙解的,于是登龙术便成了乘龙的技术,那是和骑马驾车相类似的东西了。但平常乘龙就是女婿的意思,文坛似非女性,也不致于会要招女婿,那么这样解释似乎也有引起别人误会的危险。”……


 


 确实,查看广告上的目录,并没有“做女婿”这一门,然而这却不能不说是“智者千虑”的一失,似乎该有一点增补才好,因为文坛虽然“不致于会要招女婿”,但女婿却是会要上文坛的。


 术曰:要登文坛,须阔太太,遗产必需,官司莫怕。穷小子想爬上文坛去,有时虽然会侥幸,终究是很费力气的;做些随笔或茶话之类,或者也能够捞几文钱,但究竟随人俯仰。最好是有富岳家,有阔太太,用赔嫁钱,作文学资本,笑骂随他笑骂,恶作我自印之。“作品”一出,头衔自来,赘婿虽能被妇家所轻,但一登文坛,即声价十倍,太太也就高兴,不至于自打麻将,连眼梢也一动不动了,这就是“交相为用”。但其为文人也,又必须是唯美派,试看王尔德遗照,盘花钮扣,镶牙手杖,何等漂亮,人见犹怜,而况令阃。可惜他的太太不行,以至滥交顽童,穷死异国,假如有钱,何至于此。所以倘欲登龙,也要乘龙,“书中自有黄金屋”,早成古话,现在是“金中自有文学家”当令了。


 但也可以从文坛上去做女婿。其术是时时留心,寻一个家里有些钱,而自己能写几句“阿呀呀,我悲哀呀”的女士,做文章登报,尊之为“女诗人”。待到看得她有了“知己之感”,就照电影上那样的屈一膝跪下,说道“我的生命呵,阿呀呀,我悲哀呀!”——则由登龙而乘龙,又由乘龙而更登龙,十分美满。然而富女诗人未必一定爱穷男文士,所以要有把握也很难,这一法,在这里只算是《登龙术拾遗》的附录,请勿轻用为幸。


 


 (八月二十八日。)

【登龍術拾遺                                           苇索  】

 

 章克標先生がかつて『文壇登龍術』を著したが、予約であったのに自分がいつもぼんやりしていたために拝読の幸運を逸し、ただ『論語』誌上で広告、解題、後記を見ただけだ。しかしこれはまったくどこから来た「インスピレーション」なのか、解題の冒頭第一段にすでに絶妙な名文があった――

 

 「登龍は乗龍と解することもでき、すると登龍術は龍に乗る技術となり、馬に乗り車を駆るのに類似のものとなる。しかし通常乗龍とはすなわち婿の意であり、文壇は女性ではなく婿を募るはずもないから、このような解釈はいささか誤解を招く危険があるようだ。」……

 

 なるほど広告の目次を見ても「婿入り」の項目はない。しかしこれは「智者の千慮」の一失と言わざるを得ず、いささか補遺を加えるべきであろう。なぜなら文壇は「婿を募るはずもない」が、婿の方は文壇に上ろうとするからだ。

 その術に曰く――文壇に登らんと欲せば金持ちの奥方が必要、遺産は必須、訴訟を恐るるなかれ。貧乏人が文壇に這い上がろうとすれば時に僥倖にも恵まれるが結局は甚だ骨が折れる。随筆や茶話の類を書けばいくばくかの金は稼げるかもしれないが結局は人の顔色を窺うことになる。最善は金持ちの舅家があり裕福な奥方がいて持参金を文学の資本とし笑罵は随意、悪作は自ら印す。「作品」がひとたび出れば肩書は自ずと来る。入り婿は婦家に軽んじられることもあるがひとたび文壇に登れば声価十倍、奥方も喜び独りで麻雀を打ちながら目の端も動かさぬということはなくなる。これが「相互利用」だ。だがその文人たるや必ず唯美派でなければならない。試みにオスカー・ワイルドの遺影を見よ。螺旋のボタン、象牙の杖、何と粋であることか。人見て惜しむ、まして令閨をや。惜しむらくは彼の妻が力足らず悪童と淫交し異国に窮死した。もし金があればどうしてそこまで落ちぶれようか。ゆえに登龍を欲せば乗龍もまた必要だ。「書中自ずから黄金の屋あり」はとうに古い話で今は「金中自ずから文学家あり」が時めくのだ。

 だが文壇から婿入りすることもできる。その術は常に目を配り家にいくらか金があって自ら「ああわたし悲しいわ」の類を書ける女性を探し文章を書いて新聞に載せ「女詩人」と尊称する。彼女に「知己の感」が生まれたと見れば映画のように片膝をつき「わが生命よ、ああわたしは悲しい!」と言えば――登龍より乗龍へ、さらに乗龍よりさらなる登龍へ、まことに円満だ。しかし金持ちの女詩人が必ずしも貧乏な男の文士を愛するとは限らぬから確実とは言い難い。この一法はここでは『登龍術拾遺』の附録に留め軽々しく用いぬよう幸甚である。

 

 (八月二十八日。)

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【由聋而哑                                                                                                                                                                                         洛文  】

 


 医生告诉我们:有许多哑子,是并非喉舌不能说话的,只因为从小就耳朵聋,听不见大人的言语,无可师法,就以为谁也不过张着口呜呜哑哑,他自然也只好呜呜哑哑了。所以勃兰兑斯叹丹麦文学的衰微时,曾经说:文学的创作,几乎完全死灭了。人间的或社会的无论怎样的问题,都不能提起感兴,或则除在新闻和杂志之外,绝不能惹起一点论争。我们看不见强烈的独创的创作。加以对于获得外国的精神生活的事,现在几乎绝对的不加顾及。于是精神上的“聋”,那结果,就也招致了“哑”来。(《十九世纪文学的主潮》第一卷自序)


 这几句话,也可以移来批评中国的文艺界,这现象,并不能全归罪于压迫者的压迫,五四运动时代的启蒙运动者和以后的反对者,都应该分负责任的。前者急于事功,竟没有译出什么有价值的书籍来,后者则故意迁怒,至骂翻译者为媒婆,有些青年更推波助澜,有一时期,还至于连人地名下注一原文,以便读者参考时,也就诋之曰“炫学”。


 今竟何如?三开间店面的书铺,四马路上还不算少,但那里面满架是薄薄的小本子,倘要寻一部巨册,真如披沙拣金之难。自然,生得又高又胖并不就是伟人,做得多而且繁也决不就是名著,而况还有“剪贴”。但是,小小的一本“什么ABC”里,却也决不能包罗一切学术文艺的。一道浊流,固然不如一杯清水的干净而澄明,但蒸溜了浊流的一部分,却就有许多杯净水在。


 因为多年买空卖空的结果,文界就荒凉了,文章的形式虽然比较的整齐起来,但战斗的精神却较前有退无进。文人虽因捐班或互捧,很快的成名,但为了出力的吹,壳子大了,里面反显得更加空洞。于是误认这空虚为寂寞,像煞有介事的说给读者们;其甚者还至于摆出他心的腐烂来,算是一种内面的宝贝。散文,在文苑中算是成功的,但试看今年的选本,便是前三名,也即令人有“貂不足,狗尾续”之感。用秕谷来养青年,是决不会壮大的,将来的成就,且要更渺小,那模样,可看尼采所描写的“末人”。


 但绍介国外思潮,翻译世界名作,凡是运输精神的粮食的航路,现在几乎都被聋哑的制造者们堵塞了,连洋人走狗,富户赘郎,也会来哼哼的冷笑一下。他们要掩住青年的耳朵,使之由聋而哑,枯涸渺小,成为“末人”,非弄到大家只能看富家儿和小瘪三所卖的春宫,不肯罢手。甘为泥土的作者和译者的奋斗,是已经到了万不可缓的时候了,这就是竭力运输些切实的精神的粮食,放在青年们的周围,一面将那些聋哑的制造者送回黑洞和朱门里面去。


 


 (八月二十九日。)

【聾より唖へ                                           洛文  】

 

 医師がわれわれに教えてくれる。多くの唖者は喉や舌が話せないのではなくただ幼い頃から耳が聞こえず大人の言葉を聞けなかったために手本がなく、誰もが口を開けてウーウーアーアー言っているだけだと思い自分もまたウーウーアーアーするしかなくなったのだと。だからブランデスがデンマーク文学の衰微を嘆いた時こう言った。「文学の創作はほとんど完全に死滅した。人間のあるいは社会のいかなる問題も感興を呼び起こすことができない。あるいは新聞や雑誌の外ではいささかの論争をも惹起し得ない。われわれは強烈な独創的創作を見ることがない。加うるに外国の精神生活を摂取することに対して現在ほとんど絶対的に顧慮が払われていない。かくて精神上の『聾』はその結果として『唖』をも招来したのだ。」(『十九世紀文学の主潮流』第一巻自序)

 この数句はそのまま中国の文芸界の批評にも移し用いることができる。この現象はすべてを圧迫者の圧迫のせいにすることはできず五四運動時代の啓蒙運動者もその後の反対者もともに責任を分かち負うべきだ。前者は事功を急ぐあまりついに価値ある書籍をほとんど訳出せず後者は故意に八つ当たりし翻訳者を仲人呼ばわりした。一部の青年はさらに波を推し助け一時期は人名地名に原語を注記して読者の参照に便宜を図ることさえ「学をひけらかす」と貶されたほどだ。

 今はどうか。三間口の書店は四馬路にまだ少なくないがその中の棚には薄い小冊子ばかりが並び大部の書を求めようとすれば砂を篩って金を拾うほどに難しい。もちろん背が高くて太っているだけでは偉人ではなく多く長く書いたからといって名著ではない。ましてや「切り貼り」もある。だが小さな一冊の「何々ABC」に一切の学術文芸を包含することもまた決してできないのだ。一筋の濁流は確かに一杯の清水ほど清らかでも澄んでもいないが濁流の一部を蒸留すれば多くの杯の浄水が得られる。

 多年の空売り空買いの結果、文界は荒涼たるものとなった。文章の形式はいくらか整ってきたが戦闘の精神は以前より退いて進まない。文人は捐班や互いの持ち上げによって瞬く間に名を成すが大げさに吹くために外殻が大きくなり中身はかえっていっそう空洞に見える。そしてこの空虚を寂寞と勘違いしもっともらしく読者に語る。甚だしきに至っては己の心の腐爛を並べ立て一種の内面の宝とする。散文は文苑の中では成功した部類だが今年の選集を試みに見れば上位三編でさえ「貂足らず狗尾続く」の感を禁じ得ない。秕穀で青年を養えば決して壮大にはならず将来の成果はさらに矮小でその様はニーチェの描いた「末人」に見ることができる。

 しかし外国の思潮を紹介し世界の名作を翻訳する精神の糧食を運ぶ航路は今やほとんどすべて聾唖の製造者たちに塞がれてしまった。洋人の走狗、富家の入り婿までもがフンフンと冷笑する始末だ。彼らは青年の耳を塞ぎ聾より唖へ枯渇し矮小にさせ「末人」にしようとしている。甘んじて泥土となる作者と訳者の奮闘はすでに一刻の猶予もならぬ時に至っている。なすべきは切実な精神の糧食を力の限り運び青年の周囲に置き一方であの聾唖の製造者たちを暗闇と朱門の中へ送り返すことだ。

 

 (八月二十九日。)

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【新秋杂识(二)                                                                                                                                                                             旅隼  】

 


 八月三十日的夜里,远远近近,都突然劈劈拍拍起来,一时来不及细想,以为“抵抗”又开头了,不久就明白了那是放爆竹,这才定了心。接着又想:大约又是什么节气了罢?……待到第二天看报纸,才知道原来昨夜是月蚀,那些劈劈拍拍,就是我们的同胞、异胞(我们虽然大家自称为黄帝子孙,但蚩尤的子孙想必也未尝死绝,所以谓之“异胞”)在示威,要将月亮从天狗嘴里救出。


 再前几天,夜里也很热闹。街头巷尾,处处摆着桌子,上面有面食、西瓜;西瓜上面叮着苍蝇、青虫、蚊子之类,还有一桌和尚,口中念念有词:“回猪猡普米呀吽!唵呀吽!吽!!”这是在放焰口,施饿鬼。到了盂兰盆节了,饿鬼和非饿鬼,都从阴间跑出,来看上海这大世面,善男信女们就在这时尽地主之谊,托和尚“唵呀吽”的弹出几粒白米去,请它们都饱饱的吃一通。


 我是一个俗人,向来不大注意什么天上和阴间的,但每当这些时候,却也不能不感到我们的还在人间的同胞们和异胞们的思虑之高超和妥帖。别的不必说,就在这不到两整年中,大则四省,小则九岛,都已变了旗色了,不久还有八岛。不但救不胜救,即使想要救罢,一开口,说不定自己就危险(这两句,印后成了“于势也有所未能”)。所以最妥当是救月亮,那怕爆竹放得震天价响,天狗决不至于来咬,月亮里的酋长(假如有酋长的话)也不会出来禁止,目为反动的。救人也一样,兵灾,旱灾,蝗灾,水灾……灾民们不计其数,幸而暂免于灾殃的小民,又怎么能有一个救法?那自然远不如救魂灵,事省功多,和大人先生的打醮造塔同其功德。这就是所谓“人无远虑,必有近忧”;而“君子务其大者远者”,亦此之谓也。


 而况“庖人虽不治庖,尸祝不越尊俎而代之”,也是古圣贤的明训,国事有治国者在,小民是用不着吵闹的。不过历来的圣帝明王,可又并不卑视小民,倒给与了更高超的自由和权利,就是听你专门去救宇宙和魂灵。这是太平的根基,从古至今,相沿不废,将来想必也不至于便废。记得那是去年的事了,沪战初停,日兵渐渐的走上兵船和退进营房里面去,有一夜也是这么劈劈拍拍起来,时候还在“长期抵抗”中,日本人又不明白我们的国粹,以为又是第几路军前来收复失地了,立刻放哨,出兵……乱烘烘的闹了一通,才知道我们是在救月亮,他们是在见鬼。“哦哦!成程(Naruhodo=原来如此)!”惊叹和佩服之余,于是恢复了平和的原状。今年呢,连哨也没有放,大约是已被中国的精神文明感化了。


 现在的侵略者和压制者,还有像古代的暴君一样,竟连奴才们的发昏和做梦也不准的么?……


 


 (八月三十一日。)

【新秋雑識(二)                                       旅隼  】

 

 八月三十日の夜、遠近いたるところで突然パチパチと鳴り出し、咄嗟に考える暇もなく「抵抗」がまた始まったかと思ったが、やがてそれは爆竹だと分かり安心した。続けて思った。おそらくまた何かの節気だろうと……。翌日新聞を見て初めて昨夜が月食で、あのパチパチはわれわれの同胞・異胞が威嚇射撃をして月を天狗の口から救い出そうとしたのだと知った。

 さらに数日前の夜もまた賑やかだった。街頭巷尾いたるところに卓子が並び上には麺食や西瓜。西瓜の上には蠅や青虫や蚊の類がとまっている。さらに僧侶の卓子が一つあり口の中で念仏を唱えている――「回猪猡普米呀吽!唵呀吽!吽!!」これは施餓鬼法要で餓鬼を供養しているのだ。盂蘭盆節が来たのだ。餓鬼も餓鬼ならざる者もみな陰間から出てきて上海のこの大世界を見物する。善男善女たちはこの時に地主の誼を尽くし僧侶に託して白米の粒を数粒弾き出させみな腹いっぱい食べてくださいと招待するのだ。

 私は俗人でもとより天上や陰間のことにはあまり注意を払わないのだがこのような時になると人間界にいるわれわれの同胞・異胞の思慮の高遠さと行き届いた配慮を感じずにはいられない。他のことは言うまい。このわずか二年足らずの間に大は四省小は九島すでに旗の色が変わった。遠からずさらに八島も。救うに救いきれぬばかりか救おうとして口を開けば自分が危うくなりかねない。だから最も穏当なのは月を救うことだ。爆竹をいくら天に轟かせても天狗は決して噛みつきに来ないし月の中の酋長も出てきて禁止し反動的と見なすことはない。人を救うのも同じで兵災旱災蝗災水災……被災民は数え切れない。幸いにして一時災厄を免れた小民にいったいどんな救い方ができよう。それならば魂を救う方がよほど手間がかからず功徳が大きい。これがいわゆる「人遠き慮りなければ必ず近き憂いあり」であり「君子はその大なるもの遠きものに務む」とはまさにこのことだ。

 そのうえ「庖人庖を治めずとも尸祝は尊俎を越えてこれに代わらず」もまた古の聖賢の明訓であって国事は国を治める者がいるのだから小民が騒ぎ立てるには及ばない。しかし歴代の聖帝明王は小民を卑しむことなくかえってより高遠なる自由と権利を与えてきた。すなわち宇宙と魂を救うことに専念させたのだ。これが太平の基であり古来今に至るまで連綿と廃されず将来もまたおそらく廃されることはあるまい。思えばあれは去年のことだった。滬戦が停まったばかりで日本兵が次第に軍艦に乗り兵営に退いてゆく頃ある夜もこのようにパチパチと鳴り出した。時はまだ「長期抵抗」の最中であり日本人はわが国粋を理解せずまた第何路軍かが失地回復に来たかと思いたちまち哨を立て出兵し……騒然たること一しきり、ようやくわれわれが月を救っているのだと知り彼らは幽霊を見たのだ。「おお!ナルホド!」驚嘆と感服の余りここに平和の原状を回復した。今年は哨すら立てなかった。おそらくすでに中国の精神文明に感化されたのであろう。

 現在の侵略者と圧制者はまだ古代の暴君のように奴隷たちが取り乱したり夢を見たりすることすら許さないというのか……

 

 (八月三十一日。)

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【男人的进化                                                                                                                                                                                        虞明  】

 


 说禽兽交合是恋爱未免有点亵渎。但是,禽兽也有性生活,那是不能否认的。它们在春情发动期,雌的和雄的碰在一起,难免“卿卿我我”的来一阵。固然,雌的有时候也会装腔做势,逃几步又回头看,还要叫几声,直到实行“同居之爱”为止。禽兽的种类虽然多,它们的“恋爱”方式虽然复杂,可是有一件事是没有疑问的:就是雄的不见得有什么特权。


 人为万物之灵,首先就是男人的本领大。最初原是马马虎虎的,可是因为“知有母不知有父”的缘故,娘儿们曾经“统治”过一个时期,那时的祖老太太大概比后来的族长还要威风。后来不知怎的,女人就倒了霉:项颈上,手上,脚上,全都锁上了链条,扣上了圈儿,环儿,——虽则过了几千年这些圈儿环儿大都已经变成了金的银的,镶上了珍珠宝钻,然而这些项圈,镯子,戒指等等,到现在还是女奴的象征。既然女人成了奴隶,那就男人不必征求她的同意再去“爱”她了。古代部落之间的战争,结果俘虏会变成奴隶,女俘虏就会被强奸。那时候,大概春情发动期早就“取消”了,随时随地男主人都可以强奸女俘虏,女奴隶。现代强盗恶棍之流的不把女人当人,其实是大有酋长式武士道的遗风的。


 但是,强奸的本领虽然已经是人比禽兽“进化”的一步,究竟还只是半开化。你想,女的哭哭啼啼,扭手扭脚,能有多大兴趣?自从金钱这宝贝出现之后,男人的进化就真的了不得了。天下的一切都可以买卖,性欲自然并非例外。男人化几个臭钱,就可以得到他在女人身上所要得到的东西。而且他可以给她说:我并非强奸你,这是你自愿的,你愿意拿几个钱,你就得如此这般,百依百顺,咱们是公平交易!蹂躏了她,还要她说一声“谢谢你,大少”。这是禽兽干得来的么?所以嫖妓是男人进化的颇高的阶段了。


 同时,父母之命媒妁之言的旧式婚姻,却要比嫖妓更高明。这制度之下,男人得到永久的终身的活财产,当新妇被人放到新郎的床上的时候,她只有义务,她连讲价钱的自由也没有,何况恋爱。不管你爱不爱,在周公孔圣人的名义之下,你得从一而终,你得守贞操。男人可以随时使用她,而她却要遵守圣贤的礼教,即使“只在心里动了恶念,也要算犯奸淫”的。如果雄狗对雌狗用起这样巧妙而严厉的手段来,雌的一定要急得“跳墙”。然而人却只会跳井,当节妇,贞女,烈女去。礼教婚姻的进化意义,也就可想而知了。


 至于男人会用“最科学的”学说,使得女人虽无礼教,也能心甘情愿地从一而终,而且深信性欲是“兽欲”,不应当作为恋爱的基本条件;因此发明“科学的贞操”,——那当然是文明进化的顶点了。


 呜呼,人——男人——之所以异于禽兽者!


    自注:这篇文章是卫道的文章。


 


 (九月三日。)

【男の進化                                              虞明  】

 

 禽獣の交合を恋愛と言うのは冒瀆の嫌いがある。しかし禽獣にも性生活があることは否定できない。春情発動期に雌と雄が出会えばどうしても「あなたあなた」といちゃつき合うことになる。雌の方が時として気取って数歩逃げてはまた振り返りいくつか鳴き声を上げ「同棲の愛」を実行するまで続ける。禽獣の種類は多くその「恋愛」の方式は複雑であるが一つだけ疑いのないことがある。雄に特別の特権があるわけではないということだ。

 人は万物の霊たり。まず男の本領が大きい。最初はまあまあやっていたが「母を知りて父を知らず」のために女たちがかつて一時期「統治」していたことがあり当時の女族長はおそらく後の族長よりも威風堂々であった。その後どういうわけか女は不運に見舞われた。首にも手にも足にも鎖が巻きつけられ輪や環がはめられた。もっとも数千年を経てこれらの輪や環はおおむね金銀に変わり真珠や宝石が嵌め込まれたがしかしこれらの首飾り腕輪指輪などは今なお女奴隷の象徴なのだ。女が奴隷となった以上男はもはやその同意を求めて「愛する」必要はなくなった。古代の部族間の戦争では捕虜は奴隷となり女の捕虜は強姦された。その頃にはおそらく春情発動期はとうに「廃止」されておりいつでもどこでも男の主人は女の捕虜女の奴隷を犯すことができた。現代の強盗悪漢の類が女を人として扱わないのは実のところ酋長式武士道の遺風を大いに受け継いでいるのだ。

 しかし強姦の技は人が禽獣より「進化」した一歩ではあるがなお半開化にすぎない。考えてみよ女が泣き叫び手足を捻じ曲げるのにどれほどの趣があろう。金銭という宝が出現してより男の進化はまことに大したものになった。天下万物はすべて売買でき性欲もまた例外ではない。男は小金を出すだけで女の身体から得たいものが得られる。しかも彼女にこう言える。「俺はお前を犯しているのではないこれはお前の自由意思だ。お前がいくらかの金を受け取りたいなら言われた通りに何でも従え。われわれは公平な取引だ!」蹂躙した上に「ありがとうございます旦那様」と言わせる。これが禽獣にできることか。だから娼婦買いは男の進化のかなり高い段階なのだ。

 同時に父母の命媒酌の言による旧式の婚姻は娼婦買いよりさらに巧妙だ。この制度の下では男は永久の終身の活ける財産を得る。新婦が人に担がれて新郎の床に載せられた時彼女には義務しかなく値段を交渉する自由さえない。まして恋愛など。愛そうが愛すまいが周公・孔聖人の名のもとに一人に従い生涯を終え貞操を守らねばならない。男はいつでも彼女を使えるが彼女は聖賢の礼教を遵守し「心の中で悪い念を起こしただけでも姦淫を犯したことになる」のだ。もし雄犬が雌犬にこれほど巧みで厳格な手段を用いたならば雌は急いて「壁を跳び越える」だろう。しかし人は井戸に身を投げ節婦貞女烈女となるだけだ。礼教婚姻の進化的意義は推して知るべしだ。

 男が「最も科学的な」学説を用いて女に礼教がなくとも心甘んじて一人に従い生涯を終えさせしかも性欲は「獣欲」であり恋愛の基本条件とすべきではないと深く信じさせかくして「科学的貞操」を発明するに至っては――これこそ文明進化の頂点であろう。

 ああ、人――男――が禽獣と異なる所以のものよ!

   自注:この文章は護道の文章である。

 

 (九月三日。)

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【同意和解释                                                                                                                                                                                     虞明  】

 


 上司的行动不必征求下属的同意,这是天经地义。但是,有时候上司会对下属解释。


 新进的世界闻人说:“原人时代就有威权,例如人对动物,一定强迫它们服从人的意志,而使它们抛弃自由生活,不必征求动物的同意。”这话说得透彻。不然,我们那里有牛肉吃,有马骑呢?人对人也是这样。


 日本耶教会主教最近宣言日本是圣经上说的天使:“上帝要用日本征服向来屠杀犹太人的白人……以武力解放犹太人,实现《旧约》上的豫言。”这也显然不征求白人的同意的,正和屠杀犹太人的白人并未征求过犹太人的同意一样。日本的大人老爷在中国制造“国难”,也没有征求中国人民的同意。——至于有些地方的绅董,却去征求日本大人的同意,请他们来维持地方治安,那却又当别论。总之,要自由自在的吃牛肉,骑马等等,就必须宣布自己是上司,别人是下属;或是把人比做动物,或是把自己作为天使。


 但是,这里最要紧的还是“武力”,并非理论。不论是社会学或是基督教的理论,都不能够产生什么威权。原人对于动物的威权,是产生于弓箭等类的发明的。至于理论,那不过是随后想出来的解释。这种解释的作用,在于制造自己威权的宗教上,哲学上,科学上,世界潮流上的根据,使得奴隶和牛马恍然大悟这世界的公律,而抛弃一切翻案的梦想。


 当上司对于下属解释的时候,你做下属的切不可误解这是在征求你的同意,因为即使你绝对的不同意,他还是干他的。他自有他的梦想,只要金银财宝和飞机大炮的力量还在他手里,他的梦想就会实现;而你的梦想却终于只是梦想,——万一实现了,他还说你抄袭他的动物主义的老文章呢。


 据说现在的世界潮流,正是庞大权力的政府的出现,这是十九世纪人士所梦想不到的。意大利和德意志不用说了;就是英国的国民政府,“它的实权也完全属于保守党一党”。“美国新总统所取得的措置经济复兴的权力,比战争和戒严时期还要大得多”。大家做动物,使上司不必征求什么同意,这正是世界的潮流。懿欤盛哉,这样的好榜样,那能不学?


 不过,我这种解释还有点美中不足:中国自己的秦始皇帝焚书坑儒,中国自己的韩退之等说:“民不出米粟麻丝以事其上则诛。”这原是国货,何苦违背着民族主义,引用外国的学说和事实──长他人威风,灭自己志气呢?


 


 (九月三日。)

【同意と解釈                                          虞明  】

 

 上司の行動は下僚の同意を求める必要がない。これは天経地義だ。しかし時として上司は下僚に解釈を施す。

 新進の世界的名士が言う。「原人時代にはすでに威権があった。たとえば人は動物に対し必ずそれらに人の意志への服従を強い自由な生活を放棄させた。動物の同意を求める必要はなかったのだ。」この言葉は透徹している。さもなくばわれわれはどこで牛肉を食い馬に乗れよう。人と人の間でも同じだ。

 日本の耶蘇教会の主教が最近宣言した。日本は聖書に言う天使であると。「神は日本を用いてこれまでユダヤ人を屠殺してきた白人を征服せんとす……武力をもってユダヤ人を解放し『旧約』の預言を実現する」と。これもまた明らかに白人の同意を求めてはいない。ちょうどユダヤ人を虐殺した白人がユダヤ人の同意を求めなかったのと同じだ。日本の大人方が中国で「国難」を造り出すのも中国人民の同意を求めてはいない。もっとも一部の地方の紳董が日本の大人方の同意を求めに行き地方の治安を維持してもらうのはまた別の話だが。つまるところ自由自在に牛肉を食い馬に乗るためには自らを上司と宣言し他人を下僚としなければならない。あるいは人を動物に喩えあるいは己を天使とするのだ。

 しかしここで最も肝要なのは「武力」であって理論ではない。社会学であれ基督教の理論であれいかなる威権をも生み出すことはできない。原人が動物に対して持った威権は弓矢の類の発明から生まれたのだ。理論に至っては後から考え出された解釈にすぎない。この種の解釈の効用は己の威権の宗教上哲学上科学上世界潮流上の根拠を作り出し奴隷と牛馬にこの世の公律を悟らせ一切の翻案の夢想を放棄させることにある。

 上司が下僚に解釈を施す時下僚たる者は断じてこれを同意を求められているのだと誤解してはならない。なぜならたとえ絶対に同意しなくても彼はやはり己のすることをするからだ。彼には彼の夢想があり金銀財宝と飛行機大砲の力が彼の手中にある限り彼の夢想は実現する。そして君の夢想は終に夢想にとどまり――万一実現したとしても彼は君が彼の動物主義の古い論文を剽窃したと言うだろう。

 聞くところによれば現在の世界潮流は巨大なる権力の政府の出現でありこれは十九世紀の人士の夢想だにしなかったことだという。イタリアとドイツは言うまでもなく英国の国民政府でさえ「その実権は完全に保守党一党に属する」のだ。「アメリカの新大統領が獲得した経済復興措置の権力は戦争や戒厳時期よりもはるかに大きい」。みなが動物となり上司が同意を求める必要もなくなる。これこそが世界の潮流だ。嗚呼盛んなるかなこのよき手本、学ばずにいられようか。

 ただし私のこの解釈にはいささか美中の不足がある。中国自身の秦の始皇帝が焚書坑儒を行い中国自身の韓退之らが「民、米粟麻絲を出だして以てその上に事えずんば則ち誅す」と言った。これはもとより国産品である。何もわざわざ民族主義に背いて外国の学説や事実を引用し――他人の威を借りて自らの志気を殺ぐことはあるまいに。

 

 (九月三日。)

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【文床秋梦                                                                                                                                                                                           游光  】

 


 春梦是颠颠倒倒的。“夏夜梦”呢?看沙士比亚的剧本,也还是颠颠倒倒。中国的秋梦,照例却应该“肃杀”,民国以前的死囚,就都是“秋后处决”的,这是顺天时。天教人这么着,人就不能不这么着。所谓“文人”当然也不至于例外,吃得饱饱的睡在床上,食物不能消化完,就做梦;而现在又是秋天,天就教他的梦威严起来了。


 二卷三十一期(八月十二日出版)的《涛声》上,有一封自名为“林丁”先生的给编者的信,其中有一段说——


 


 “……之争,孰是孰非,殊非外人所能详道。然而彼此摧残,则在傍观人看来,却不能不承是整个文坛的不幸。……我以为各人均应先打屁股百下,以儆效尤,余事可一概不提。……”


 


 前两天,还有某小报上的不署名的社谈,它对于早些日子余、赵的剪窃问题之争,也非常气愤——


 


 “……假使我一朝大权在握,我一定把这般东西捉了来,判他们罚作苦工,读书十年;中国文坛,或尚有干净之一日。”


 


 张献忠自己要没落了,他的行动就不问“孰是孰非”,只是杀。清朝的官员,对于原被两造,不问青红皂白,各打屁股一百或五十的事,确也偶尔会有的,这是因为满洲还想要奴才,供搜刮,就是“林丁”先生的旧梦。某小报上的无名子先生可还要比较的文明,至少,它是已经知道了上海工部局“判罚”下等华人的方法的了。


 但第一个问题是在怎样才能够“一朝大权在握”?文弱书生死样活气,怎么做得到权臣?先前,还可以希望招驸马,一下子就飞黄腾达,现在皇帝没有了,即使满脸涂着雪花膏,也永远遇不到公主的青睐;至多,只可以希图做一个富家的姑爷而已。而捐官的办法,又早经取消,对于“大权”,还是只能像狐狸的遇着高处的葡萄一样,仰着白鼻子看看。文坛的完整和干净,恐怕实在也到底很渺茫。


 五四时候,曾经在出版界上发现了“文丐”,接着又发现了“文氓”,但这种威风凛凛的人物,却是我今年秋天在上海新发见的,无以名之,姑且称为“文官”罢。看文学史,文坛是常会有完整而干净的时候的,但谁曾见过这文坛的澄清,会和这类的“文官”们有丝毫关系的呢。


 不过,梦是总可以做的,好在没有什么关系,而写出来也有趣。请安息罢,候补的少大人们!


 


 (九月五日。)

【文人の秋の夢                                          游光  】

 

 春の夢は支離滅裂だ。「夏の夜の夢」はどうか。シェイクスピアの劇を見てもやはり支離滅裂だ。中国の秋の夢は慣例として「粛殺」であるべきで民国以前の死刑囚はみな「秋後に処決」されたがこれは天の時に順うからだ。天がそうせよと言えば人はそうするしかない。いわゆる「文人」もまた当然例外ではなく腹いっぱい食べて寝床に横になり食べ物が消化しきれなければ夢を見る。しかも今は秋だから天が彼の夢に威厳を帯びさせたのだ。

 二巻三十一期の『濤声』に「林丁」と名乗る人物から編者への手紙がありその中にこのような一段がある――

 

 「……の争いはいずれが是いずれが非か外部の者にはとうてい詳らかにし難い。しかし互いに相潰す有様は傍観者から見れば文壇全体の不幸と認めざるを得ない。……思うに各人はまず尻を百叩きにして見せしめとし余事は一切不問に付すべきだ。……」

 

 数日前にも某小新聞の署名なしの社談があった。先日の余と趙の剽窃問題をめぐる争いに対して非常に憤慨し――

 

 「……もし一朝大権を握れば私は必ずこの連中を捕えてきて苦役に服させ十年間読書させてやろう。中国文壇にもなお清浄な日が来ようというものだ。」

 

 張献忠は自ら没落しようとした時その行動は「いずれが是非か」を問わずただ殺した。清朝の官吏が原告被告の双方に対し青も赤も白も問わず各々尻を百叩きあるいは五十叩きにしたことは確かに稀にはあった。これは満州族がなお奴隷を欲し搾取するためでつまりは「林丁」先生の古い夢である。某小新聞の無名子先生はまだしもいくらか文明的で少なくとも上海工部局が下等華人を「処罰」する方法は知っているようだ。

 しかし第一の問題はどうすれば「一朝大権を握れる」かにある。文弱書生の死にかけた姿でどうして権臣になれようか。かつてならまだ駙馬に招かれて一躍飛黄騰達する望みもあったが今や皇帝はおらずたとえ顔中にクリームを塗っても永遠に公主のお目に留まることはない。せいぜい金持ちの婿入りを望めるだけだ。しかも官を買う方法もとうに廃止されており「大権」に対してはちょうど狐が高い所の葡萄に出会ったように白い鼻面を上げて見上げるしかない。文壇の完全さと清浄さはおそらくまことに望み薄であろう。

 五四の頃出版界に「文丐」が発見され続いて「文氓」も発見された。しかしこのような威風凛々たる人物は私がこの秋に上海で新たに見出したもので名づけようもないからひとまず「文官」と呼んでおく。文学史を見れば文壇にも完全で清浄な時があるが誰がこの類の「文官」たちと文壇の澄清がいささかでも関係あるのを見たことがあろうか。

 ただし夢はいつでも見られるもので幸い何の関わりもなく書いて出すのも面白い。どうぞお休みなさい、候補の若旦那方よ!

 

 (九月五日。)

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【电影的教训                                                                                                                                                                                     孺牛  】

 


 当我在家乡的村子里看中国旧戏的时候,是还未被教育成“读书人”的时候,小朋友大抵是农民。爱看的是翻筋斗,跳老虎,一把烟焰,现出一个妖精来;对于剧情,似乎都不大和我们有关系。大面和老生的争城夺地,小生和正旦的离合悲欢,全是他们的事,捏锄头柄人家的孩子,自己知道是决不会登坛拜将,或上京赴考的。但还记得有一出给了感动的戏,好象是叫作《斩木诚》。一个大官蒙了不白之冤,非被杀不可了,他家里有一个老家丁,面貌非常相像,便代他去“伏法”。那悲壮的动作和歌声,真打动了看客的心,使他们发见了自己的好模范。因为我的家乡的农人,农忙一过,有些是给大户去帮忙的。为要做得像,临刑时候,主母照例的必须去“抱头大哭”,然而被他踢开了,虽在此时,名分也得严守,这是忠仆,义士,好人。


 但到我在上海看电影的时候,却早是成为“下等华人”的了,看楼上坐着白人和阔人,楼下排着中等和下等的“华胄”,银幕上现出白色兵们打仗,白色老爷发财,白色小姐结婚,白色英雄探险,令看客佩服,羡慕,恐怖,自己觉得做不到。但当白色英雄探险非洲时,却常有黑色的忠仆来给他开路,服役,拚命,替死,使主子安然的回家;待到他豫备第二次探险时,忠仆不可再得,便又记起了死者,脸色一沉,银幕上就现出一个他记忆上的黑色的面貌。黄脸的看客也大抵在微光中把脸色一沉:他们被感动了。


 幸而国产电影也在挣扎起来,耸身一跳,上了高墙,举手一扬,掷出飞剑,不过这也和十九路军一同退出上海,现在是正在准备开映屠格纳夫的《春潮》和茅盾的《春蚕》了。当然,这是进步的。但这时候,却先来了一部竭力宣传的《瑶山艳史》。


 这部片子,主题是“开化瑶民”,机键是“招驸马”,令人记起《四郎探母》以及《双阳公主追狄》这些戏本来。中国的精神文明主宰全世界的伟论,近来不大听到了,要想去开化,自然只好退到苗瑶之类的里面去,而要成这种大事业,却首先须“结亲”,黄帝子孙,也和黑人一样,不能和欧亚大国的公主结亲,所以精神文明就无法传播。这是大家可以由此明白的。


 


 (九月七日。)

【映画の教訓                                           孺牛  】

 

 私が故郷の村で中国の旧劇を見ていた頃はまだ「読書人」に教育される前の時で小さな友人はたいてい農民だった。好んで見たのはとんぼ返り虎跳び一筋の煙が上がると妖怪が現れるところで筋書きについてはあまり自分たちに関係があるようには思えなかった。隈取りの大将と老生の城の奪い合い小生と正旦の離合悲歓はすべて彼らの話であり鋤の柄を握る家の子供は自分が壇に登って将軍に任ぜられたり都に上って科挙を受けたりすることは決してないと知っていた。だが一つ感動を与えた芝居を覚えている。たしか『斬木誠』とかいう演目である高官が冤罪を着せられ殺されねばならなくなった時その家に容貌がそっくりの老家来がおり身代わりに「伏法」しに行くのだ。その悲壮な所作と歌声はまことに観客の心を打ち己の立派な手本を見出させた。なぜなら私の故郷の農民は農繁期が過ぎると大家に手伝いに行く者がいたからだ。本物らしく演じるために処刑の際に主人の奥方が例によって「抱きつき大泣き」するのだが彼に蹴り退けられる。このような時でさえ名分は厳守せねばならぬ。これが忠僕であり義士であり善人なのだ。

 しかし上海で映画を見る頃にはとうに「下等華人」になっていた。階上には白人と金持ちが座り階下には中等と下等の「華胄」が並ぶ。銀幕には白い兵士が戦い白い旦那が財を成し白い令嬢が結婚し白い英雄が冒険する。観客をして佩服させ羨望させ恐怖させ自分にはできないと思わせる。だが白い英雄がアフリカを冒険する時にはしばしば黒い忠僕が現れて道を開き奉公し命を賭け身代わりに死に主人を無事に帰宅させる。彼が第二の冒険を準備する時忠僕はもう得られずすると死者を思い出し顔を曇らせると銀幕に彼の記憶の中の黒い顔が映し出される。黄色い顔の観客もたいてい薄明かりの中で顔を曇らせる。彼らは感動したのだ。

 幸い国産映画もまた苦闘して立ち上がろうとしておりひと跳びで高壁に上り手を上げて飛剣を投げる。もっともこれも十九路軍とともに上海を退き今は正にツルゲーネフの『春の水』と茅盾の『春蚕』の上映を準備しているところだ。もちろんこれは進歩だ。しかしこの時まず大宣伝を伴って来たのは『瑶山艶史』一篇であった。

 この映画のテーマは「瑶民の開化」鍵は「駙馬招き」であり『四郎探母』や『双陽公主追狄』といった戯本を思い起こさせる。中国の精神文明が全世界を支配するという偉論は近頃あまり聞かれなくなった。開化に行こうと思えば自ずと苗・瑶の類の中に退くしかなくしかもこの大事業を成し遂げるにはまず「縁組」をしなければならない。黄帝の子孫は黒人と同じく欧亜大国の公主と縁組みすることができずだから精神文明を伝播できないのだ。これは誰もがここから理解できるだろう。

 

 (九月七日。)

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【关于翻译(上)                                                                                                                                                                             洛文  】

 


 因为我的一篇短文,引出了穆木天先生的《从〈为翻译辩护〉谈到楼译〈二十世纪之欧洲文学〉》(九日《自由谈》所载),这在我,是很以为荣幸的,并且觉得凡所指摘,也恐怕都是实在的错误。但从那作者的案语里,我却又想起一个随便讲讲,也许并不是毫无意义的问题来了。那是这样的一段──


 


 “在一百九十九页,有‘在这种小说之中,最近由学术院(译者:当系指著者所属的俄国共产主义学院)所选的鲁易倍尔德兰的不朽的诸作,为最优秀’。在我以为此地所谓‘Academia’者,当指法国翰林院。苏联虽称学艺发达之邦,但不会为帝国主义作家作选集罢?我不知为什么楼先生那样地滥下注解。”


 


 究竟是那一国的 Academia呢?我不知道。自然,看作法国的翰林院,是万分近理的,但我们也不能决定苏联的大学院就“不会为帝国主义作家作选集”。倘在十年以前,是决定不会的,这不但为物力所限,也为了要保护革命的婴儿,不能将滋养的,无益的,有害的食品都漫无区别的乱放在他前面。现在却可以了,婴儿已经长大,而且强壮,聪明起来,即使将鸦片或吗啡给他看,也没有什么大危险,但不消说,一面也必须有先觉者来指示,说吸了就会上瘾,而上瘾之后,就成一个废物,或者还是社会上的害虫。


 在事实上,我曾经见过苏联的 Academia 新译新印的阿剌伯的《一 千一夜》,意大利的《十日谈》,还有西班牙的《吉诃德先生》,英国的《鲁滨孙漂流记》;在报章上,则记载过在为托尔斯泰印选集,为歌德编全集──更完全的全集。倍尔德兰不但是加特力教的宣传者,而且是王朝主义的代言人,但比起十九世纪初德意志布尔乔亚的文豪歌德来,那作品也不至于更加有害。所以我想,苏联来给他出一本选集,实在是很可能的。不过在这些书籍之前,想来一定有详序,加以仔细的分析和正确的批评。


 凡作者,和读者因缘愈远的,那作品就于读者愈无害。古典的,反动的,观念形态已经很不相同的作品,大抵即不能打动新的青年的心(但自然也要有正确的指示),倒反可以从中学学描写的本领,作者的努力。恰如大块的砒霜,欣赏之余,所得的是知道它杀人的力量和结晶的模样:药物学和矿物学上的知识了。可怕的倒在用有限的砒霜,和在食物中间,使青年不知不觉的吞下去,例如似是而非的所谓“革命文学”,故作激烈的所谓“唯物史观的批评”,就是这一类。这倒是应该防备的。


 我是主张青年也可以看看“帝国主义者”的作品的,这就是古语的所谓“知己知彼”。青年为了要看虎狼,赤手空拳的跑到深山里去固然是呆子,但因为虎狼可怕,连用铁栅围起来了的动物园里也不敢去,却也不能不说是一位可笑的愚人。有害的文学的铁栅是什么呢?批评家就是。


 


 (九月十一日。)


 


 补记:这一篇没有能够刊出。


 (九月十五日。)

【翻訳について(上)                                     洛文  】

 

 私の一篇の短文が契機となって穆木天先生の「『翻訳のための弁護』から楼訳『二十世紀のヨーロッパ文学』を論ず」が引き出された。これは私にとってまことに光栄なことでありしかもその指摘はおそらくすべて実際の誤りであろうと思う。だがその筆者の按語からもう一つ気軽に論じてもおそらく無意味ではない問題を思い出した。それはこのような一段だ――

 

 「百九十九頁に『この種の小説の中で最近学術院の選んだルイ・ベルトランの不朽の諸作が最も優秀である』とある。思うにここにいうAcademiaとはフランス翰林院を指すのであろう。ソ連は学芸発達の邦とはいえ帝国主義作家のために選集を作りはしまい。楼先生がなぜあのように注解を濫発するのか理解に苦しむ。」

 

 果たしてどの国のAcademiaなのか。私には分からない。もちろんフランスの翰林院と見るのは千万に理にかなっている。だがソ連の大学院が「帝国主義作家のために選集を作りはしない」と断定することもまたできない。十年前であれば確かにそうだった。これは物力に限りがあったためだけでなく革命の嬰児を守るためでもあり滋養のあるもの無益なもの有害なものを区別なく乱雑にその前に置くわけにはいかなかったのだ。今はもうよい。嬰児はすでに成長ししかも強壮で聡明になったからたとえ阿片や嗎啡を見せても大した危険はない。ただし一方で先覚者が指示して吸えば中毒し中毒すれば廃人となりさらには社会の害虫にもなると教えなければならないが。

 事実として私はソ連のAcademiaが新訳新印したアラビアの『千一夜物語』イタリアの『デカメロン』さらにスペインの『ドン・キホーテ』英国の『ロビンソン漂流記』を見たことがある。新聞報道ではトルストイの選集を印刷中でありゲーテの全集――より完全な全集を編纂中だと記載されていた。ベルトランはカトリックの宣伝者であるだけでなく王朝主義の代弁者でもあるが十九世紀初頭のドイツ・ブルジョワジーの文豪ゲーテと比べればその作品がより有害ということにはなるまい。だから私はソ連が彼のために選集を出すことは実に十分ありうると思う。ただしこれらの書籍の前には必ず詳しい序文があり仔細な分析と正確な批評が加えられているはずだ。

 およそ作者と読者の因縁が遠いほどその作品は読者にとって無害となる。古典的な反動的な観念形態がすでに大いに異なる作品はたいてい新しい青年の心を打つことができない(ただしもちろん正確な指示も必要だが)。かえってその中から描写の技巧作者の努力を学ぶことができる。あたかも大きな塊の砒素を鑑賞した後に得られるのはその殺人の力と結晶の姿――薬物学と鉱物学上の知識であるようなものだ。恐ろしいのはむしろ有限の砒素を食物に混ぜて青年に知らず知らず呑ませることでたとえば似て非なるいわゆる「革命文学」やことさら激烈を装ういわゆる「唯物史観的批評」がこの類だ。これこそ防備すべきものだ。

 私は青年もまた「帝国主義者」の作品を見てよいと主張する。これが古語のいわゆる「己を知り彼を知る」ということだ。青年が虎狼を見ようとして素手で深山に入るのは愚かだが虎狼が恐ろしいからといって鉄柵で囲った動物園にさえ行こうとしないのは笑うべき愚者と言わざるを得ない。有害な文学の鉄柵とは何か。批評家がそれだ。

 

 (九月十一日。)

 

 補記:この一篇は掲載されなかった。

 (九月十五日。)

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【关于翻译(下)                                                                                                                                                                             洛文  】

 


 但我在那《为翻译辩护》中,所希望于批评家的,实在有三点:一、指出坏的;二、奖励好的;三、倘没有,则较好的也可以。而穆木天先生所实做的是第一句。以后呢,可能有别的批评家来做其次的文章,想起来真是一个大疑问。


 所以我要再来补充几句:倘连较好的也没有,则指出坏的译本之后,并且指明其中的那些地方还可以于读者有益处。


 此后的译作界,恐怕是还要退步下去的。姑不论民穷财尽,即看地面和人口,四省是给日本拿去了,一大块在水淹,一大块在旱,一大块在打仗,只要略略一想,就知道读者是减少了许许多了。因为销路的少,出版界就要更投机,欺骗,而拿笔的人也因此只好更投机,欺骗。即有不愿意欺骗的人,为生计所压迫,也总不免比较的粗制滥造,增出些先前所没有的缺点来。走过租界的住宅区邻近的马路,三间门面的水果店,晶莹的玻璃窗里是鲜红的苹果,通黄的香蕉,还有不知名的热带的果物。但略站一下就知道:这地方,中国人是很少进去的,买不起。我们大抵只好到同胞摆的水果摊上去,化几文钱买一个烂苹果。


 苹果一烂,比别的水果更不好吃,但是也有人买的,不过我们另外还有一种相反的脾气:首饰要“足赤”,人物要“完人”。一有缺点,有时就全部都不要了。爱人身上生几个疮,固然不至于就请律师离婚,但对于作者,作品,译品,却总归比较的严紧,萧伯纳坐了大船,不好;巴比塞不算第一个作家,也不好;译者是“大学教授,下职官员”,更不好。好的又不出来,怎么办呢?我想,还是请批评家用吃烂苹果的方法,来救一救急罢。


 我们先前的批评法,是说,这苹果有烂疤了,要不得,一下子抛掉。然而买者的金钱有限,岂不是大冤枉,而况此后还要穷下去。所以,此后似乎最好还是添几句,倘不是穿心烂,就说:这苹果有着烂疤了,然而这几处没有烂,还可以吃得。这么一办,译品的好坏是明白了,而读者的损失也可以小一点。


 但这一类的批评,在中国还不大有,即以《自由谈》所登的批评为例,对于《二十世纪之欧洲文学》,就是专指烂疤的;记得先前有一篇批评邹韬奋先生所编的《高尔基》的短文,除掉指出几个缺点之外,也没有别的话。前者我没有看过,说不出另外可有什么可取的地方,但后者却曾经翻过一遍,觉得除批评者所指摘的缺点之外,另有许多记载作者的勇敢的奋斗,胥吏的卑劣的阴谋,是很有益于青年作家的,但也因为有了烂疤,就被抛在筐子外面了。


 所以,我又希望刻苦的批评家来做剜烂苹果的工作,这正如“拾荒”一样,是很辛苦的,但也必要,而且大家有益的。


 


 (九月十一日)。

【翻訳について(下)                                     洛文  】

 

 しかし私があの「翻訳のための弁護」で批評家に望んだのは実は三点である。一、悪いものを指摘すること。二、よいものを奨励すること。三、もしなければ比較的よいものでもよい。そして穆木天先生が実際に行ったのは第一点だ。その後別の批評家が次の仕事をするかどうかは考えてみればまことに大いなる疑問だ。

 だから私はさらに補足したい。もし比較的よいものもなければ悪い訳本を指摘した後でさらにその中のどの部分がなお読者に益するかを指し示すべきだ。

 今後の翻訳界はおそらくなお退歩してゆくだろう。民窮まり財尽きるのは措くとしても面積と人口を見れば四省は日本に取られ一帯は水に浸かり一帯は旱に見舞われ一帯は戦場となっている。ちょっと考えただけでも読者は大幅に減ったと知れる。売れ行きが少ないから出版界はいっそう投機的になり欺瞞を弄し筆を持つ者もそのためにいっそう投機的になり欺瞞を弄するしかなくなる。たとえ欺きたくない者がいても生計に圧迫されてどうしても以前にはなかった欠点を増す粗製乱造に走らざるを得ない。租界の住宅区近くの大通りを歩けば三間口の果物店がありガラス窓の中には鮮やかな赤の林檎真っ黄色のバナナさらに名も知らぬ熱帯の果物が並ぶ。だがしばらく立っていれば分かる――この場所に中国人はほとんど入らない。買えないのだ。われわれはたいてい同胞の出す果物の屋台に行き数銭出して腐った林檎を一つ買うしかない。

 林檎は一つ腐れば他の果物より一段とまずくなる。だが買う者はいるのだ。ところがわれわれには逆の気質もある。装身具は「純金」でなければならず人物は「完人」でなければならない。一つでも欠点があれば時に全部を要らなくなる。恋人の身体にいくつか腫れ物ができても弁護士を雇って離婚するには至るまいが作者作品訳品に対してはやはり比較的厳しい。バーナード・ショーが大きな船に乗ったからよくない。バルビュスは第一流の作家ではないからよくない。訳者は「大学教授下級官吏」だからなおのことよくない。よいものは出てこない。どうしたらよいか。私は思うやはり批評家に腐った林檎を食べる方法で急場を救ってもらうしかあるまい。

 われわれの従来の批評法はこの林檎には腐った傷があるからだめだと言って一度に捨てるものだった。しかし買い手の金は限られているのにこれでは大きな冤罪ではないか。しかも今後はさらに貧しくなるのだ。だから今後は芯まで腐っていなければこう言い添えるのがよかろう――この林檎には腐った傷があるがしかしこの部分は腐っていないまだ食べられると。こうすれば訳品の良し悪しは明白になり読者の損失もいくらか小さくて済む。

 だがこの類の批評は中国にはまだあまりない。『自由談』掲載の批評を例にとれば『二十世紀のヨーロッパ文学』に対してはもっぱら腐った傷を指摘するばかりだった。以前鄒韜奮先生編の『ゴーリキー』を批評する短文もあったと記憶するがいくつかの欠点を指摘した他には何の言葉もなかった。前者は私自身読んでいないから他に何か取るべきところがあるかは言えないが後者はかつて一通り目を通したことがあり批評者が指摘した欠点のほかに作者の勇敢な奮闘や官吏の卑劣な陰謀について多くの記述があり青年作家に大いに有益だと感じた。だが腐った傷があるために籠の外に放り出されてしまったのだ。

 だから私はさらに刻苦な批評家に腐った林檎を剜る仕事をしてほしいと望む。これは「屑拾い」のように甚だ辛い仕事だがしかし必要でありしかも万人に益するのだ。

 

 (九月十一日)。

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【新秋杂识(三)                                                                                                                                                                             旅隼  】

 


 “秋来了!”


 秋真是来了,晴的白天还好,夜里穿着洋布衫就觉得凉飕飕。报章上满是关于“秋”的大小文章:迎秋,悲秋,哀秋,责秋……等等。为了趋时,也想这么的做一点,然而总是做不出。我想,就是想要“悲秋”之类,恐怕也要福气的,实在令人羡慕得很。


 记得幼小时,有父母爱护着我的时候,最有趣的是生点小毛病,大病却生不得,既痛苦,又危险的。生了小病,懒懒的躺在床上,有些悲凉,又有些娇气,小苦而微甜,实在好象秋的诗境。呜呼哀哉,自从流落江湖以来,灵感卷逃,连小病也不生了。偶然看看文学家的名文,说是秋花为之惨容,大海为之沉默云云,只是愈加感到自己的麻木。我就从来没有见过秋花为了我在悲哀,忽然变了颜色;只要有风,大海是总在呼啸的,不管我爱闹还是爱静。


 冰莹女士的佳作告诉我们:“晨是学科学的,但在这一刹那,完全忘掉了他的志趣,存在他脑海中的只有一个尽量地享受自然美景的目的。……”这也是一种福气。科学我学的很浅,只读过一本生物学教科书,但是,它那些教训,花是植物的生殖机关呀,虫鸣鸟啭,是在求偶呀之类,就完全忘不掉了。昨夜闲逛荒场,听到蟋蟀在野菊花下鸣叫,觉得好象是美景,诗兴勃发,就做了两句新诗——


 


 野菊的生殖器下面,


   蟋蟀在吊膀子。


 


 写出来一看,虽然比粗人们所唱的俚歌要高雅一些,而对于新诗人的由“烟士披离纯”而来的诗,还是“相形见绌”。写得太科学,太真实,就不雅了,如果改作旧诗,也许不至于这样。生殖机关,用严又陵先生译法,可以谓之“性官”;“吊膀子”呢,我自己就不懂那语源,但据老于上海者说,这是因西洋人的男女挽臂同行而来的,引伸为诱惑或追求异性的意思。吊者,挂也,亦即相挟持。那么,我的诗就译出来了——


 


 野菊性官下,


 鸣蛩在悬肘。


 


 虽然很有些费解,但似乎也雅得多,也就是好得多。人们不懂,所以雅,也就是所以好,现在也还是一个做文豪的秘诀呀。质之“新诗人”邵洵美先生之流,不知以为何如?


 


 (九月十四日。)

【新秋雑識(三)                                       旅隼  】

 

 「秋が来た!」

 秋はまことに来た。晴れた日中はまだよいが夜に木綿の洋服を着ているとひんやりする。紙面は「秋」にまつわる大小の文章で溢れている――迎秋悲秋哀秋責秋……等々。時流に乗ろうと私もそのようなものを書こうとしたがどうしても書けない。思うに「悲秋」の類をしたいと思うにもおそらく福分というものが要るのだ。まことに羨ましい限りだ。

 幼い頃父母の愛護を受けていた時のことを思い出す。最も楽しかったのはちょっとした病気をすることだった。大病はいけない。痛くもあり危険でもあるから。ちょっとした病気にかかって物憂げに寝床に横になりいくらか物悲しくいくらか甘えがあり小さな苦しみと微かな甘さ、まことに秋の詩境のようだ。嗚呼江湖に流浪するようになってからは霊感も逃げ去りちょっとした病気さえしなくなった。たまに文学者の名文を眺め秋花がために顔色を変え大海がために沈黙するなどと書いてあるのを見ても自分の麻痺をいっそう感じるばかりだ。私は生まれてこのかた秋花が私のために悲しんで色を変えたのを見たことがない。風さえあれば大海はいつも唸っている。私が騒がしいのが好きか静かなのが好きかなど構わずに。

 氷瑩女史の佳作がわれわれに告げている。「晨は理科を学んでいるがこの一刹那その志向を完全に忘れ頭の中にあるのはただ自然の美景を思い切り享受するという目的だけだった。……」これもまた一種の福だ。理科は私はごく浅く学んだだけで生物学の教科書を一冊読んだにすぎない。だが花は植物の生殖器官だとか虫の鳴き声や鳥のさえずりは求愛だとかいう教えはまったく忘れられない。昨夜荒れ地を散歩して野菊の下で蟋蟀が鳴いているのを聞いた。美しい景色のように感じて詩興が湧き新詩を二行作った――

 

 野菊の生殖器の下で、

  蟋蟀がナンパしている。

 

 書いて見ると粗野な者の歌う俗歌よりはいくらか高雅であるが新詩人がインスピレーションから生み出す詩に比べればやはり「形を見て劣る」。あまりに科学的にあまりに真実に書くと雅でなくなるのだ。旧詩に改めればあるいはこれほどひどくはないかもしれない。生殖器官は厳復先生の訳法を用いれば「性官」と呼べる。「ナンパ」は私自身その語源を知らないが上海に長い者に聞けば西洋人の男女が腕を組んで歩くところから来たのだそうで異性を誘惑あるいは追求するという意味に転じた。吊とは掛けることすなわち互いに腕を抱えること。ならば私の詩は旧詩に訳せる――

 

 野菊の性官の下、

 鳴蛩は肘を懸く。

 

 かなり難解だがしかしずっと雅に見える。すなわちずっと良い。人々が分からないからこそ雅でありすなわち良いのだ。今もなお文豪になるための秘訣である。「新詩人」の邵洵美先生の類に質すにいかがと思し召されるか。

 

 (九月十四日。)

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【礼                                                                                                                                                                                                      苇索  】

 


 看报,是有益的,虽然有时也沉闷。例如罢,中国是世界上国耻纪念最多的国家,到这一天,报上照例得有几块记载,几篇文章。但这事真也闹得太重叠,太长久了,就很容易千篇一律,这一回可用,下一回也可用,去年用过了,明年也许还可用,只要没有新事情。即使有了,成文恐怕也仍然可以用,因为反正总只能说这几句话。所以倘不是健忘的人,就会觉得沉闷,看不出新的启示来。


 然而我还是看。今天偶然看见北京追悼抗日英雄邓文的记事,首先是报告,其次是演讲,最末,是“礼成,奏乐散会”。


 我于是得了新的启示:凡纪念,《礼》而已矣。


 中国原是“礼义之邦”,关于礼的书,就有三大部,连在外国也译出了,我真特别佩服《仪礼》的翻译者。事君,现在可以不谈了;事亲,当然要尽孝,但殁后的办法,则已归入祭礼中,各有仪,就是现在的拜忌日,做阴寿之类。新的忌日添出来,旧的忌日就淡一点,“新鬼大,故鬼小”也。我们的纪念日也是对于旧的几个比较的不起劲,而新的几个之归于淡漠,则只好以俟将来,和人家的拜忌辰是一样的。有人说,中国的国家以家族为基础,真是有识见。


 中国又原是“礼让为国”的,既有礼,就必能让,而愈能让,礼也就愈繁了。总之,这一节不说也罢。


 古时候,或以黄老治天下,或以孝治天下。现在呢,恐怕是入于以礼治天下的时期了,明乎此,就知道责备民众的对于纪念日的淡漠是错的,《礼》曰:“礼不下庶人”;舍不得物质上的什么东西也是错的,孔子不云乎,“赐也尔爱其羊,我爱其礼!”


 “非礼勿视,非礼勿听,非礼勿言,非礼勿动”,静静的等着别人的“多行不义,必自毙”,礼也。


 


 (九月二十日。)

【礼                                                   苇索  】

 

 新聞を読むのは有益なことだが時として沈悶を覚える。たとえば中国は世界で国恥記念日の最も多い国でありその日になると紙面にはお決まりのように記事がいくつか論説がいくつか載る。だがこの事はまことに重なり合いすぎ長く続きすぎて千篇一律になりやすい。今回使えるものは次回も使え去年使ったものは来年もまた使えるかもしれない。新しいことがなければの話だが。あったとしても文章にすればおそらくやはり使えるだろう。どうせ言えるのはこの数句だけなのだから。だから物忘れしない人にとっては沈悶を覚え新たな啓示を見出し難い。

 しかし私はやはり読む。今日たまたま北京の抗日英雄・鄧文を追悼する記事を見た。最初は報告次に演説最後に「礼成り楽を奏して散会す」。

 ここに私は新たな啓示を得た――およそ紀念とは「礼」あるのみ。

 中国はもとより「礼義の邦」であり礼に関する書は三大部もあって外国にまで翻訳された。私は特に『儀礼』の翻訳者を敬服する。君に事えることは今さら論じなくてよいが親に事えることは当然孝を尽くさねばならない。だが没後の扱いは祭礼の中に組み入れられおのおの儀式がある。すなわち今日の忌日参り陰寿祝いの類だ。新しい忌日が加わると古い忌日は薄くなる。「新しき鬼は大にして故き鬼は小なり」だ。われわれの記念日も古い方の数件は比較的気が乗らず新しい方の数件が淡泊に帰するのは将来を待つしかない。人様の忌日参りと同じことだ。中国の国家は家族を基礎とすると言った人がいるがまことに見識のある言だ。

 中国はまた「礼讓をもって国を治む」の国であり礼あらばこそ讓りあえるのであり讓れば讓るほど礼もまた煩雑になる。つまるところこの一節は語らぬが上策だ。

 古は黄老をもって天下を治めあるいは孝をもって天下を治めた。今はおそらく礼をもって天下を治める時期に入ったのだろう。これを了解すれば民衆の記念日への淡泊を咎めるのは誤りだと知れる。『礼』に曰く「礼は庶人に下さず」と。物質的な何かを惜しむのも誤りだ。孔子は云わずや「賜よ汝はその羊を愛す我はその礼を愛す」と。

 「礼に非ざれば視るなかれ礼に非ざれば聴くなかれ礼に非ざれば言うなかれ礼に非ざれば動くなかれ」、静かに他人の「不義多く行えば必ず自ら斃れん」を待つ。これもまた礼なり。

 

 (九月二十日。)

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第一节之第一项也。此

第一節の第一項なり。此れ

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第一章之

第一章の

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第一节,

第一節、

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第一节之第一项其纲目为‘顺水行舟’,即人云亦云,亦即人之喜者喜之,人之恶者恶之是也,举一例言之,如人之恶者为孝子,所谓封建宗法社会之礼教遗孽之一,则汝虽曾经为父侍汤服药问医求卜出诸天性以事亲人,然论世之出诸天性以事亲人者则引‘孝子’之名以责难之,惟求青年之鼓掌称快,勿管本心见解及自己行动之如何也。被责难者处于时势潮流之下,百辞莫辩,辩则反动更为证实,从此青年鸣鼓而攻,体无完肤,汝之胜利不但已操左券,且为青年奉为至圣大贤,小品之集有此一篇,风行海内洛阳纸贵,于是名利双收,富贵无边矣。其

第一節の第一項、その綱目は「順水行舟」なり。すなわち人の云うところに従い云うこと、すなわち人の喜ぶ者を喜び、人の悪む者を悪むことなり。一例を挙げて言えば、例えば人の悪む者が孝子なりとせば、いわゆる封建宗法社会の礼教の遺孽の一つなれば、汝たとえかつて父のために湯を侍り薬を服ませ、医を問い卜を求め、天性より出でて親人に事えしことありとも、世を論ずるに天性より出でて親人に事える者をば「孝子」の名を引きて責難し、ひたすら青年の鼓掌喝采を求め、本心の見解および自己の行動のいかなるかを顧みざるなり。責難せらるる者は時勢潮流の下に処りて、百辞すれども弁ずるあたわず、弁ずれば反動なりとますます証実せらる。これより青年は鳴鼓して攻め、体に完膚なし。汝の勝利はすでに左券を操るのみならず、かつ青年に奉ぜられて至聖大賢となり、小品の集にこの一篇あらば、海内に風行し洛陽紙を貴ぶ。かくて名利双収、富貴は限りなし。その

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第一章之

第一章の

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第一节,

第一節、

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第一节之第二项为‘投井下石’,余本亦知一二,然偶一忆及投井下石之人,殊觉头痛,实无心编之也。然而滑头学虽属聪明之道,实乃左道旁门,汝实不足学也。”

 “老先生所言想亦很有道理,现在社会上将这种学问作敲门砖混饭吃的人实在不少,他们也实在到处逢源,名利双收,可是我是一个拙直愚笨的人,恐怕就要学也学不了吧?”


 “呜呼汝求聪明之道,而不学之,虽属可取,然碰壁也宜矣!”


 是夕问道于世故老人,归来依然故我,呜呼噫嘻!


 


 但我们也不要一味赏鉴“呜呼噫嘻”,因为这之前,有些地方演了“全武行”。


 也还是剪报好,我在这里剪一点记的最为简单的──


 


 艺华影片公司被“影界铲共同志会”捣毁


 


 昨晨九时许,艺华公司在沪西康脑脱路金司徒庙附近新建之摄影场内,忽来行动突兀之青年三人,向该公司门房伪称访客,一人正在持笔签名之际,另一人遂大呼一声,则预伏于外之暴徒七八人,一律身穿蓝布短衫裤,蜂拥夺门冲入,分投各办事室,肆行捣毁写字台玻璃窗以及椅凳各器具,然后又至室外,打毁自备汽车两辆,晒片机一具,摄影机一具,并散发白纸印刷之小传单,上书“民众起来一致剿灭共产党”,“打倒出卖民众的共产党”,“扑灭杀人放火的共产党”等等字样,同时又散发一种油印宣言,最后署名为“中国电影界铲共同志会”。约逾七分钟时,由一人狂吹警笛一声,众暴徒即集合列队而去,迨该管六区闻警派警士侦缉员等赶至,均已远飏无踪。该会且宣称昨晨之行动,目的仅在予该公司一警告,如该公司及其他公司不改变方针,今后当准备更激烈手段应付,联华,明星,天一等公司,本会亦已有严密之调查矣云云。


 据各报所载该宣言之内容称,艺华公司系共党宣传机关,普罗文化同盟为造成电影界之赤化,以该公司为大本营,如出品《民族生存》等片,其内容为描写阶级斗争者,但以向南京检委会行贿,故得通过发行。又称该会现向教育部、内政部、中央党部及本市政府发出呈文,要求当局命令该公司,立即销毁业已摄成各片,自行改组公司,清除所有赤色份子,并对受贿之电影检委会之责任人员,予以惩处等语。


 事后,公司坚称,实系被劫,并称已向曹家渡六区公安局报告。记者得讯,前往调查时,亦仅见该公司内部布置被毁无余,桌椅东倒西歪,零乱不堪,内幕究竟如何,想不日定能水落石出也。


 


 (十一月十三日,《大美晚报》。)


 


 影界铲共会


   警戒电影院


   拒演田汉等之影片


 


 自从艺华公司被击以后,上海电影界突然有了一番新的波动,从制片商已经牵涉到电影院,昨日本埠大小电影院同时接到署名上海影界铲共同志会之警告函件,请各院拒映田汉等编制导演主演之剧本,其原文云:


 


 敝会激于爱护民族国家心切,并不忍电影界为共产党所利用,因有警告赤色电影大本营──艺华影片公司之行动,查贵院平日对于电影业,素所热心,为特严重警告,祈对于田汉(陈瑜)、沈端先(即蔡叔声、丁谦之)、卜万苍、胡萍、金焰等所导演,所编制,所主演之各项鼓吹阶级斗争贫富对立的反动电影,一律不予放映,否则必以暴力手段对付,如艺华公司一样,决不宽假,此告。上海影界铲共同志会。十一,十三。


 


 (十一月十六日,《大美晚报》。)


 


 但“铲共”又并不限于“影界”,出版界也同时遭到覆面英雄们的袭击了。又剪报──


 


 今晨良友图书公司


   突来一怪客


   手持铁锤击碎玻璃窗


   扬长而去捕房侦查中


   ……光华书局请求保护


 


 沪西康脑脱路艺华影片公司,昨晨九时许,忽被状似工人等数十名,闯入摄影场中,并大发各种传单,署名“中国电影界铲共同志会”等字样,事后扬长而去。不料一波未平,一波又起,今日上午十一时许,北四川路八百五十一号良友图书印刷公司,忽有一男子手持铁锤,至该公司门口,将铁锤击入该店门市大玻璃窗内,击成一洞。该男子见目的已达,立即逃避。该管虹口捕房据报后,立即派员前往调查一过,查得良友公司经售各种思想左倾之书籍,与捣毁艺华公司一案,不无关联。今日上午四马路光华书局据报后,惊骇异常,即自投该管中央捕房,请求设法保护,而免意外,惟至记者截稿时尚未闻发生意外之事云。


 


 (十一月十三日,《大晚报》。)  


 


  捣毁中国论坛


  印刷所已被捣毁


  编辑间未受损失


 承印美人伊罗生编辑之《中国论坛报》勒佛尔印刷所,在虹口天潼路,昨晚有暴徒潜入,将印刷间捣毁,其编辑间则未受损失。


 


 (十一月十五日,《大美晚报》。)  


 


 袭击神州国光社


   昨夕七时四人冲入总发行所


   铁锤挥击打碎橱窗损失不大


 


 河南路五马路口神州国光社总发行所,于昨晚七时,正欲打烊时,突有一身衣长袍之顾客入内,状欲购买书籍。不料在该客甫入门后,背后即有三人尾随而进。该长袍客回头见三人进来,遂即上前将该书局之左面走廊旁墙壁上所挂之电话机摘断。而同时三短衣者即实行捣毁,用铁锤乱挥,而长衣者亦加入动手,致将该店之左橱窗打碎,四人即扬长而逸。而该店时有三四伙友及学徒,亦惊不能作声。然长衣者方出门至相距不数十步之泗泾路口,为站岗巡捕所拘,盖此长衣客因打橱窗时玻璃倒下,伤及自己面部,流血不止,渠因痛而不能快行也。


 该长衣者当即被拘入四马路中央巡捕房后,竭力否认参加捣毁,故巡捕已将此人释放矣。


 


 (十二月一日,《大美晚报》。)  


 


 美国人办的报馆捣毁得最客气,武官们开的书店捣毁得最迟。“扬长而逸”,写得最有趣。


 捣毁电影公司,是一面撒些宣言的,有几种报上登过全文;对于书店和报馆却好象并无议论,因为不见有什么记载。然而也有,是一种钢笔版蓝色印的警告,店名或馆名空着,各各填以墨笔,笔迹并不像读书人,下面是一长条紫色的木印。我幸而藏着原本,现在订定标点,照样的抄录在这里──


 


 敝会激于爱护民族国家心切,并不忍文化界与思想界为共党所利用,因有警告赤色电影大本营──艺华公司之行动。现为贯彻此项任务计,拟对于文化界来一清算,除对于良友图书公司给予一初步的警告外,于所有各书局各刊物,均已有精密之调查。素知


 贵……对于文化事业,热心异人,为特严重警告,对于赤色作家所作文字,如鲁迅,茅盾,蓬子,沈端先、钱杏邨及其他赤色作家之作品,反动文字,以及反动剧评,苏联情况之介绍等,一律不得刊行,登载,发行。如有不遵,我们必以较对付艺华及良友公司更激烈更彻底的手段对付你们,决不宽假!此告——


   …………


 


 上海影界铲共同志会(十一,十三。)


 


 一个“志士”,纵使“对于文化事业,热心异人”,但若会在不知何时,飞来一个锤子,打破值银数百两的大玻璃;“如有不遵”,更会在不知何时,飞来一顶红帽子,送掉他比大玻璃更值钱的脑袋,那他当然是也许要灰心的。然则书店和报馆之有些为难,也就可想而知了。我既是被“扬长而去”的英雄们指定为“赤色作家”,还是莫害他人,放下笔,静静的看一会把戏罢,所以这一本里面的杂文,以十一月七日止,因为从七日到恭逢警告的那时候── 十一月十三日,我也并没有写些什么的。


 但是,经验使我知道,我在受着武力征伐的时候,是同时一定要得到文力征伐的。文人原多“烟士披离纯”,何况现在嗅觉又特别发达了,他们深知道要怎样“创作”才合式。这就到了我不批评社会,也不论人,而人论我的时期了,而我的工作是收材料。材料尽有,妙的却不多。纸墨更该爱惜,这里仅选了六篇。官办的《中央日报》讨伐得最早,真是得风气之先,不愧为“中央”;《时事新报》正当“全武行”全盛之际,最合时宜,却不免非常昏愦;《大晚报》和《大美晚报》起来得最晚,这是因为“商办”的缘故,聪明,所以小心,小心就不免迟钝,他刚才决计合伙来讨伐,却不料几天之后就要过年,明年是先行检查书报,以惠商民,另结新样的网,又是一个局面了。


 现在算是还没有过年,先来《中央日报》的两篇罢──


 


 杂感                                                                                                                                                                                                        洲  


 


 近来有许多杂志上都在提倡小文章。《申报月刊》、《东方杂志》以及《现代》上,都有杂感随笔这一栏。好象一九三三真要变成一个小文章年头了。目下中国杂感家之多,远胜于昔,大概此亦鲁迅先生一人之功也。中国杂感家老牌,自然要推鲁迅。他的师爷笔法,冷辣辣的,有他人所不及的地方。《热风》、《华盖集》、《华盖续集》,去年则还出了什么三心《二心》之类。照他最近一年来“干”的成绩而言大概五心六心也是不免的。鲁迅先生久无创作出版了,除了译一些俄国黑面包之外,其余便是写杂感文章了。杂感文章,短短千言,自然可以一挥而就。则于抽卷烟之际,略转脑子,结果就是十元千字。大概写杂感文章,有一个不二法门。不是热骂,便是冷嘲。如能热骂后再带一句冷嘲或冷嘲里夹两句热骂,则更佳矣。


 不过普通一些杂感,自然是冷嘲的多。如对于某事物有所不满,自然就不满(迅案:此字似有误)有冷嘲的文章出来。鲁迅先生对于这样也看不上眼,对于那样也看不上眼,所以对于这样又有感想,对于那样又有感想了。


 我们村上有个老女人,丑而多怪。一天到晚专门爱说人家的短处,到了东村头摇了一下头,跑到了西村头叹了一口气。好象一切总不合她的胃。但是,你真的问她倒底要怎样呢,她又说不出。我觉得她倒有些像鲁迅先生,一天到晚只是讽刺,只是冷嘲,只是不负责任的发一点杂感。当真你要问他究竟的主张,他又从来不给我们一个鲜明的回答。


 


 (十月三十一日,《中央日报》的《中央公园》。)


 


 文坛与擂台                                                                                                                                                                                       鸣春


 


 上海的文坛变成了擂台。鲁迅先生是这擂台上的霸主。鲁迅先生好象在自己的房间里带了一付透视一切的望远镜,如果发现文坛上那一个的言论与行为有些瑕疵,他马上横枪跃马,打得人家落花流水。因此,鲁迅先生就不得不花去可贵的时间,而去想如何锋利他的笔端,如何达到挖苦人的顶点,如何要打得人家永不得翻身。


 关于这,我替鲁迅先生想想有些不大合算。鲁迅先生你先要认清了自己的地位,就是反对你的人,暗里总不敢否认你是中国顶出色的作家;既然你的言论,可以影响青年,那么你的言论就应该慎重。请你自己想想,在写《阿Q传》之后,有多少时间浪费在笔战上?而这种笔战,对一般青年发生了何种影响?


 第一流的作家们既然常时混战,则一般文艺青年少不得在这战术上学许多乖,流弊所及,往往越淮北而变枳,批评人的人常离开被批评者的言论与思想,笔头一转而去骂人家的私事,说人家眼镜带得很难看,甚至说人家皮鞋前面破了个小洞;甚至血偾脉张要辱及人家的父母,甚至要丢下笔杆动拳头。我说,养成现在文坛上这种浮嚣,下流,粗暴等等的坏习气,像鲁迅先生这一般人多少总要负一点儿责任的。


 其实,有许多笔战,是不需要的,譬如有人提倡词的解放,你就是不骂,不见得有人去跟他也填一首“管他娘”的词;有人提倡读《庄子》与《文选》,也不见得就是教青年去吃鸦片烟,你又何必咬紧牙根,横睁两眼,给人以难堪呢?

第一節の第二項は「井に落ちた者に石を投ずる」なり。余も本よりその一二を知るところなれど、ふと井に落ちた者に石を投ずる人を思い起こせば、甚だ頭が痛み、実に編む心なきなり。しかれども処世術は聡明の道に属すとはいえ、実は左道旁門にして、汝まことに学ぶに足らざるなり。」

 「老先生の仰せも大いに道理がおありでしょう。今の社会でこの学問を踏み台にして飯の種にしている人は実に少なくなく、彼らもまことに至る所で如意を得、名利双収でございますが、しかし私は拙直愚鈍な人間で、恐らく学ぼうとしても学べぬでしょう?」

 「ああ、汝は聡明の道を求めながら、これを学ばず。取るに足るとはいえ、壁にぶつかるのも当然であろう!」

 この夕べ、世故に通じた老人に道を問い、帰りて来ればやはり依然として元の我なり。ああ嗚呼!

 

 しかしわれわれもただひたすら「ああ嗚呼」を賞玩するには及ばぬ。なぜならその前に、各所で「立ち回り」が演じられていたからだ。

 やはり新聞の切り抜きがよかろう。ここに最も簡潔に記されたものを少々切り抜く──

 

 芸華影片公司、「映画界赤匪掃討同志会」に搗毀さる

 

 昨朝九時頃、芸華公司の滬西コンノート路金司徒廟付近に新築された撮影所内に、忽然行動突兀たる青年三人来たりて、同社の門番に来客と偽り、一人がまさに筆を持ちて署名せんとする際、別の一人が大声にて叫ぶや、あらかじめ外に潜伏していた暴徒七八名、一様に藍色の布の短衫袴を身に纏い、門に殺到して突入し、各事務室に分かれて机、窓ガラス、椅子、腰掛けなどの器具を手当たり次第に搗毀し、その後さらに室外に出で、自家用車二台、フィルム現像機一台、撮影機一台を打ち壊し、白紙に印刷された小さなビラを撒いた。そこには「民衆よ起ち上がれ、一致して共産党を殲滅せよ」「民衆を売り渡す共産党を打倒せよ」「殺人放火の共産党を撲滅せよ」等々の文字が書かれ、同時にまた一種の謄写版の宣言文を撒き、末尾に「中国映画界赤匪掃討同志会」と署名していた。約七分を過ぎた頃、一人が狂おしく警笛を一声吹き鳴らすと、暴徒たちはたちまち集合して隊列を組み去った。管轄の第六区が警報を聞き警官や捜査員を派遣し駆けつけた時には、皆すでに遠く飛び去って影もなかった。同会はさらに、昨朝の行動は同社に一つの警告を与えたに過ぎず、もし同社および他社が方針を改めぬならば、今後はより激烈な手段で対処する用意があり、聯華、明星、天一等の会社についてもすでに綿密な調査を行っていると宣言した云々。

 各紙に掲載された同宣言の内容によれば、芸華公司は共産党の宣伝機関であり、プロレタリア文化同盟が映画界の赤化を実現するために同社を大本営としているという。例えば『民族生存』等の作品を製作し、その内容は階級闘争を描写するものでありながら、南京の検閲委員会に賄賂を贈ったため審査を通過し発行されたという。さらに、同会は現在教育部、内政部、中央党部および本市政府に対し呈文を送り、当局が同社に対し、すでに撮影済みの各作品を直ちに廃棄し、自ら会社を改組して全ての赤色分子を一掃し、さらに収賄した映画検閲委員会の責任者を処罰するよう命ずることを要求した等々。

 事後、同社は実際には強盗に襲われたのだと強く主張し、曹家渡第六区公安局に通報済みであるとした。記者が一報を受けて赴き調査した際にも、ただ同社内部の設備が徹底的に破壊され、机や椅子が東に倒れ西に傾き、雑然として見るに堪えぬ有様であった。内幕は畢竟いかなるものか、思うに遠からず水落ちて石現るであろう。

 

 (十一月十三日、『大美晩報』。)

 

 映画界赤匪掃討会
  映画館に警戒
  田漢らの映画の上映拒否

 

 芸華公司が襲撃されて以来、上海映画界にはたちまち一つの新たな波紋が生じ、製作者からすでに映画館にまで波及した。昨日、本埠の大小の映画館はいずれも、上海映画界赤匪掃討同志会と署名された警告書簡を受け取り、田漢らが編制・監督・主演した作品の上映を拒むよう求められた。その原文は云う──

 

 弊会は民族国家を愛護するの念に駆られ、映画界が共産党に利用さるるに忍びず、赤色映画の大本営たる芸華影片公司に対する警告の行動を起こしたり。貴院が日頃映画事業に格別の熱意をお持ちなるを承知の上、ここに厳重なる警告を発す。田漢(陳瑜)、沈端先(すなわち蔡叔声、丁謙之)、卜万蒼、胡萍、金焰等が監督・編制・主演するところの、階級闘争を鼓吹し貧富対立を煽る反動映画は、一律に上映を許さず。もし従わざれば、必ず暴力手段をもって対処し、芸華公司と同様、断じて容赦せざるものなり。ここに告ぐ。上海映画界赤匪掃討同志会。十一月十三日。

 

 (十一月十六日、『大美晩報』。)

 

 しかし「赤匪掃討」はまた「映画界」に限られたものではなく、出版界もまた同時に覆面の英雄たちの襲撃を被ったのである。また切り抜き──

 

 今朝良友図書公司に
  突如怪客一名現る
  鉄槌を手にガラス窓を砕き
  悠然と立ち去る 巡捕房捜査中
  ……光華書局は保護を要請

 

 滬西コンノート路の芸華影片公司は、昨朝九時頃、労働者風の数十名の者に撮影所内に押し入られ、各種のビラを大量に撒かれた。署名は「中国映画界赤匪掃討同志会」等の字句であり、事後悠然と立ち去った。一波いまだ平らかならざるに、一波またぞ起こる。本日午前十一時頃、北四川路八五一号の良友図書印刷公司に、忽然一名の男が鉄槌を手にして同社の門口に至り、鉄槌を店頭の大ガラス窓に打ち込み、一つの穴を穿った。男は目的を達したと見るや、直ちに逃走した。管轄の虹口巡捕房は通報を受け、直ちに係員を派遣して調査に赴いた。良友公司が各種の左翼思想の書籍を販売していることが判明し、芸華公司搗毀事件と無関係ではないとされた。本日午前、四馬路の光華書局はこの報を聞き、甚だしく驚愕し、管轄の中央巡捕房に自ら赴いて保護を求め、不測の事態を免れんとしたが、記者の截稿時までに不測の事が発生したとは聞かなかった云々。

 

 (十一月十三日、『大晩報』。)  

 

  中国論壇報搗毀さる
  印刷所はすでに搗毀
  編集室は損害を免る
 米国人イッサクス編集の『中国論壇報』を承印するルヴォール印刷所は虹口天潼路にあるが、昨夜暴徒が潜入し、印刷室を搗毀した。編集室は損害を受けなかった。

 

 (十一月十五日、『大美晩報』。)  

 

 神州国光社を襲撃
  昨夕七時四人が総発行所に突入
  鉄槌を振るいショーウインドウを砕く 損害は大ならず

 

 河南路五馬路角の神州国光社総発行所にて、昨夕七時、まさに店を閉めんとする折、突如長衫を着た客が一人入り来たり、書籍を購わんとする風情であった。ところが、この客がまさに入りたる後、背後から三人がつけて入ってきた。長衫の客は振り返って三人が入るのを見るや、直ちに進み出で同書局の左側廊下の壁に掛けてあった電話機をもぎ取って断った。同時に三人の短衣の者が搗毀を実行し、鉄槌を乱振した。長衫の者もまた加わって手を下し、同店の左側ショーウインドウを打ち砕いた。四人は悠然と逃げ去った。同店には当時三四名の店員と徒弟がいたが、驚愕して声も出せなかった。しかし長衫の者は門を出で、わずか数十歩先の泗涇路の角で、立哨中の巡捕に拘束された。蓋しこの長衫の客はショーウインドウを打った際にガラスが落ちて自らの顔面を傷つけ、出血止まらず、痛みのために速く歩けなかったのである。

中文 (Chinese) 日本語 (Japanese)

我记得一个精通中文的俄国文人 B.A.Vassiliev 对鲁迅先生的《阿Q传》曾经下过这样的批评:“鲁迅是反映中国大众的灵魂的作家,其幽默的风格,是使人流泪,故鲁迅不独为中国的作家,同时亦为世界的一员。”鲁迅先生,你现在亦垂垂老矣,你念起往日的光荣,当你现在阅历最多,观察最深,生活经验最丰富的时候,更应当如何去发奋多写几部比《阿Q传》更伟大的著作?伟大的著作,虽不能传之千年不朽,但是笔战的文章,一星期后也许人就要遗忘。青年人佩服一个伟大的文学家,实在更胜于佩服一个擂台上的霸主。我们读的是莎士比亚、托尔斯泰、哥德这般人的文章,而并没有看到他们的“骂人文选”。

 


 (十一月十六日,《中央日报》的《中央公园》。)


 


 这两位,一位比我为老丑的女人,一位愿我有“伟大的著作”,说法不同,目的却一致的,就是讨厌我“对于这样又有感想,对于那样又有感想”,于是而时时有“杂文”。这的确令人讨厌的,但因此也更见其要紧,因为“中国的大众的灵魂”,现在是反映在我的杂文里了。


 洲先生刺我不给他们一个鲜明的主张,这用意,我是懂得的;但颇诧异鸣春先生的引了莎士比亚之流一大串。不知道为什么,近一年来,竟常常有人诱我去学托尔斯泰了,也许就因为“并没有看到他们的‘骂人文选’”,给我一个好榜样。可是我看见过欧战时候他骂皇帝的信 ,在中国,也要得到“养成现在文坛上这种浮嚣,下流,粗暴等等的坏习气”的罪名的。托尔斯泰学不到,学到了也难做人,他生存时,希腊教徒就年年诅咒他落地狱。


 中间就夹两篇《时事新报》上的文章──


 


 略论告密                                                                                                                                                                                          陈代  


 


 最怕而且最恨被告密的可说是鲁迅先生,就在《伪自由书》,“一名:《不三不四集》”的《前记》与《后记》里也常可看到他在注意到这一点。可是鲁迅先生所说的告密,并不是有人把他的住处,或者什么时候,他在什么地方,去密告巡捕房(或者什么要他的“密”的别的机关?),以致使他被捕的意思。他的意思,是有人把“因为”他“旧日的笔名有时不能通用,便改题了”的什么宣说出来,而使人知道“什么就是鲁迅”。


 “这回,”鲁迅先生说,“是王平陵先生告发于前,周木斋先生揭露于后”;他却忘了说编者暗示于鲁迅先生尚未上场之先。因为在何家干先生和其他一位先生将上台的时候,编者先介绍说,这将上场的两位是文坛老将。于是人家便提起精神来等那两位文坛老将的上场。要是在异地,或者说换过一个局面,鲁迅先生是也许会说编者是在放冷箭的。


 看到一个生疏的名字在什么附刊上出现,就想知道那个名字是真名呢,还是别的熟名字的又一笔名,想也是人情之常。即就鲁迅先生说,他看完了王平陵先生的《“最通的”文艺》,便禁不住问:“这位王平陵先生我不知道是真名还是笔名?”要是他知道了那是谁的笔名的话,他也许会说出那就是谁来的。这不会是怎样的诬蔑,我相信,因为于他所知道的他不是在实说“柳丝是杨邨人先生……的笔名”,而表示着欺不了他?


 还有,要是要告密,为什么一定要出之“公开的”形式?秘密的不是于告密者更为安全?我有些怀疑告密者的聪敏,要是真有这样的告密者的话。


 而在那些用这个那个笔名零星发表的文章,剪贴成集子的时候,作者便把这许多名字紧缩成一个,看来好象作者自己是他的最后的告密者。


 


 (十一月二十一日,《时事新报》的《青光》。)


 


 略论放暗箭                                                                                                                                                                                      陈代  


 


 前日读了鲁迅先生的《伪自由书》的《前记》与《后记》,略论了告密的,现在读了唐弢先生的《新脸谱》,止不住又要来略论放暗箭。


 在《新脸谱》中,唐先生攻击的方面是很广的,而其一方是“放暗箭”。可是唐先生的文章又几乎全为“暗箭”所织成,虽然有许多箭标是看不大清楚的。


 “说是受着潮流的影响,文舞台的戏儿一出出换了。脚色虽然依旧,而脸谱却是簇新的。”──是暗箭的第一条。虽说是暗箭,射倒射中了的。因为现在的确有许多文脚色,为要博看客的喝采起见,放着演惯的旧戏不演演新戏,嘴上还“说是受着潮流的影响”,以表示他的不落后。还有些甚至不要说脚色依旧,就是脸谱也并不簇新,只是换了一个新的题目,演的还是那旧的一套:如把《薛平贵西凉招亲》改题着《穆薛姻缘》之类,内容都一切依旧。


 第二箭是──不,不能这样写下去,要这样写下去,是要有很广博的识见的,因为那文章一句一箭,或者甚至一句数箭,看得人眼花头眩,竟无从把它把捉住,比读硬性的翻译还难懂得多。


 可是唐先生自己似乎又并不满意这样的态度,不然为什么要骂人家“怪声怪气的吆喝,妞妞妮妮的挑战”?然而,在事实上,他是在“怪声怪气的吆喝,妞妞妮妮的挑战”。


 或者说,他并不是在挑战,只是放放暗箭,因为“鏖战”,即使是“拉拉扯扯的”,究竟吃力,而且“败了”“再来”的时候还得去“重画”脸谱。放暗箭多省事,躲在隐暗处,看到了什么可射的,便轻展弓弦,而箭就向前舒散地直飞。可是他又在骂放暗箭。


 要自己先能放暗箭,然后才能骂人放。


 


 (十一月二十二日,《时事新报》的《青光》。)


 


 这位陈先生是讨伐军中的最低能的一位,他连自己后来的说明和别人豫先的揭发的区别都不知道。倘使我被谋害而终于不死,后来竟得“寿终×寝”,他是会说我自己乃是“最后的凶手”的。


 他还问:要是要告密,为什么一定要出之“公开的”形式?答曰:这确是比较的难懂一点,但也就是因为要告得像个“文学家”的缘故呀,要不然,他就得下野,分明的排进探坛里去了。有意的和无意的的区别,我是知道的。我所谓告密,是指着叭儿们,我看这“陈代”先生就正是其中的一匹。你想,消息不灵,不是反而不便当么?

中国語に精通したロシアの文人B.A.ワシーリエフが、魯迅先生の『阿Q正伝』に対してかつてこのような批評を下したことを私は覚えている。「魯迅は中国大衆の魂を映し出す作家であり、そのユーモアの風格は人をして涙を流さしめるものである。ゆえに魯迅はただ中国の作家であるのみならず、同時に世界の一員でもある。」魯迅先生よ、あなたもいまや老境に入られた。往日の栄光を思い起こし、今こそあなたが最も閲歴を積み、観察が最も深く、生活の経験が最も豊かなる時であるからには、なおさら奮起して『阿Q正伝』よりも更に偉大なる著作を幾つも書くべきではないか。偉大な著作は、千年不朽と伝えることは出来ぬにせよ、筆戦の文章ならば一週間後にはもう人に忘れられてしまうであろう。青年が一人の偉大な文学者を敬服するのは、実に擂台の上の覇者を敬服するに勝るのである。我々が読むのはシェイクスピア、トルストイ、ゲーテのような人々の文章であり、彼らの「罵倒文選」を見たことはないのだ。

 

 (十一月十六日、『中央日報』の「中央公園」。)

 

 この二人、一人は私を醜い老女に喩え、一人は私に「偉大な著作」を望んでいるが、言い方は違えど目的は一致している。つまり私が「これに対してまた感想があり、あれに対してまた感想がある」のを厭い、それゆえ絶えず「雑文」があることを嫌がっているのだ。これは確かに人を嫌がらせるものだが、しかしそれゆえにこそまたいっそうその重要さが分かるのだ。なぜなら「中国の大衆の魂」は、今や私の雑文に映し出されているのだから。

 洲先生は私が彼らに鮮明な主張を与えぬと責めているが、その意図は私も分かっている。しかし鳴春先生がシェイクスピアの類をずらずらと引用したのにはいささか驚いた。なぜか知らぬが、この一年ほど、しきりに私にトルストイに学べと誘う人がいる。おそらくは「彼らの『罵倒文選』を見たことはない」ゆえに、私に良き手本を与えようとしてのことであろう。しかし私は、欧州大戦の際に彼が皇帝を罵った手紙を見たことがあるが、中国ではあれも「今日の文壇におけるかくの如き浮躁、下品、粗暴等々の悪習慣を養成した」罪名を受けるであろう。トルストイには学べぬし、学び得たとしても人としてやっていけぬ。彼が存命の折、ギリシア正教徒は年ごとに彼が地獄に落ちよと呪っていた。

 その間に『時事新報』の文章を二篇挟む──

 

 告密略論                                                                                      陳代  

 

 告密されることを最も恐れかつ最も憎んでいるのは、魯迅先生だと言えよう。『偽自由書』「一名:『不三不四集』」の「前記」と「後記」の中にも、彼がこの点を始終気にしているのが見て取れる。しかし魯迅先生の言う告密とは、誰かが彼の住所を、あるいはいつどこにいるかを巡捕房(あるいは彼の「秘密」を欲するその他何らかの機関?)に密告して逮捕させるという意味ではない。彼の意味するところは、「旧来の筆名が時として通用しなくなったので、題を変えた」何某であると誰かが言い出し、「何某がすなわち魯迅である」と人に知らしめることなのだ。

 「今回は」と魯迅先生は言う、「王平陵先生が先に告発し、周木斎先生が後に暴露した」と。しかし彼は、魯迅先生がまだ登場する以前に編者がすでに暗示していたことを言い忘れている。なぜなら、何家幹先生ともう一人の先生が登壇しようとしていた時、編者がまず紹介して、これから登場する二人は文壇の老将であると言ったのだ。そこで人々は精神を集中してかの二人の文壇の老将の登場を待った。もし場所が違えば、あるいは局面が変われば、魯迅先生はおそらく編者が暗箭を放っていたと言うであろう。

 ある見知らぬ名前がどこかの副刊に現れるのを見れば、その名は本名なのか、あるいは別の馴染みの名の新たな筆名なのかを知りたがるのも、人情の常であろう。魯迅先生について言えば、彼は王平陵先生の『「最も通の」文芸』を読み終えると、つい「この王平陵先生なるもの、本名か筆名か存ぜぬが?」と問わずにいられなかった。もし彼がそれが誰の筆名であるかを知ったならば、おそらくあれは誰々であると言うであろう。これはいかなる誣蔑でもあるまい。なぜなら彼自身知っているところのことについて、「柳糸は楊邨人先生の……筆名である」と実際に言い、己を欺けぬと示しているではないか。

 それに、もし告密しようとするならば、なぜわざわざ「公開の」形式によらねばならぬのか。秘密にした方が告密者にはより安全ではないか。もし本当にそのような告密者がいるとすれば、その聡明さをいささか疑わざるを得ない。

 そしてあれこれの筆名で散発的に発表した文章を、切り抜いて集にまとめる時、著者はこの多くの名前を一つに凝縮する。してみれば、著者自身が自分の最後の告密者のように見える。

 

 (十一月二十一日、『時事新報』の「青光」。)

 

 暗箭略論                                                                                      陳代  

 

 先日魯迅先生の『偽自由書』の「前記」と「後記」を読んで告密について略論したが、今度唐弢先生の『新臉譜』を読み、暗箭について略論せずにはいられなくなった。

 『新臉譜』において唐先生が攻撃する範囲は甚だ広く、その一方面は「暗箭」である。しかし唐先生の文章はほとんど全てが「暗箭」で織り成されている。もっとも多くの矢標ははっきりとは見えないのだが。

 「潮流の影響を受けたという触れ込みで、文の舞台の芝居は次々と替わった。役者は依然として同じだが、隈取りだけは真新しい。」──これが暗箭の第一条である。暗箭とはいえ、射て射中たっている。なぜなら今日確かに多くの文の役者が、見物人の喝采を博さんがため、演じ慣れた旧い芝居を捨てて新しい芝居を演じ、口では「潮流の影響を受けた」などと言って自分が時代に遅れていないことを示そうとしている。さらには、役者が同じどころか隈取りも別段新しくなく、ただ新しい題目を付け替えただけで演じているのは旧来の一套のまま、例えば『薛平貴西涼招親』を改題して『穆薛姻縁』としたようなもので、中身は一切そのままである。

 第二の矢は──いや、こうは書き続けられぬ。こう書き続けるには甚だ広博な見識が必要だからで、あの文章は一句一矢、あるいは一句にして数矢ですらあり、読む者の目を眩ませ頭を回らせ、つかまえようがなく、硬い翻訳を読むよりもずっと分かりにくい。

 しかし唐先生自身はこのような態度に必ずしも満足していないらしい。さもなければなぜ人を「奇声をあげて喚き、にゃあにゃあと挑戦する」と罵るのか。しかるに事実において、彼こそが「奇声をあげて喚き、にゃあにゃあと挑戦している」のだ。

 あるいはこう言おう。彼は挑戦しているのではなく、ただ暗箭を放っているだけなのだと。なぜなら「鏖戦」は、たとえ「引っ張り合い」であっても畢竟骨が折れるし、「敗れ」て「再び」来る時にはまた隈取りを「描き直さ」ねばならぬ。暗箭の方がどれほど手間が省けることか。暗がりに潜み、射れそうなものを見つければ、軽く弓弦を引けば矢は前方へ伸びやかに直に飛んでいく。しかし彼はまた暗箭を放つことを罵っている。

 自分がまず暗箭を放てねば、人が暗箭を放つことを罵る資格もないのだ。

 

 (十一月二十二日、『時事新報』の「青光」。)

 

 この陳氏は討伐軍中最も無能な一人で、自分の事後の弁明と他人の事前の暴露との区別すら分からぬ。もし私が謀殺されて終に死なず、後にようやく「天寿を全うし×寝に終わった」とすれば、彼は私自身こそが「最後の兇手」であったと言うであろう。

 彼はさらにこう問う。もし告密しようとするならば、なぜわざわざ「公開の」形式によらねばならぬのか、と。答えて曰く、これは確かにやや分かりにくいところだが、要するに「文学者」らしく告発しようとするからこそそうするのであって、さもなくば彼は廃業して、正々堂々と探偵の仲間入りをせねばならぬからだ。故意と無意の区別は、私は分かっている。私が告密というのは、犬どもを指しているのであり、この「陳代」先生はまさにその一匹であると思うのだ。考えてもみよ、情報が不明であれば、かえって不都合ではないか。

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第二篇恐怕只有他自己懂。我只懂得一点:他这回嗅得不对,误以唐弢先生为就是我了。采在这里,只不过充充自以为我的论敌的标本的一种而已。

 其次是要剪一篇《大晚报》上的东西──


 钱基博之鲁迅论                                                                                                                                                                             戚施  


 


 近人有裒集关于批评鲁迅之文字而为《鲁迅论》一书者,其中所收,类皆称颂鲁迅之辞,其实论鲁迅之文者,有毁有誉,毁誉互见,乃得其真。顷见钱基博氏所著《现代中国文学史》,长至三十万言,其论白话文学,不过一万余字,仅以胡适入选,而以鲁迅、徐志摩附焉。于此诸人,大肆訾謷。迩来旧作文家,品藻文字,裁量人物,未有若钱氏之大胆者,而新人未尝注意及之。兹特介绍其“鲁迅论”于此,是亦文坛上之趣闻也。


 钱氏之言曰,有摹仿欧文而谥之曰欧化的国语文学者,始倡于浙江周树人之译西洋小说,以顺文直译之为尚,斥意译之不忠实,而摹欧文以国语,比鹦鹉之学舌,托于象胥,斯为作俑。效颦者乃至造述抒志,亦竞欧化,《小说月报》,盛扬其焰。然而诘屈聱牙,过于周诰,学士费解,何论民众?上海曹慕管笑之曰,吾侪生愿读欧文,不愿见此妙文也!比于时装妇人着高底西女式鞋,而跬步倾跌,益增丑态矣!崇效古人,斥曰奴性,摹仿外国,独非奴性耶。反唇之讥,或谑近虐!然始之创白话文以期言文一致,家喻户晓者,不以欧化的国语文学之兴而荒其志耶?斯则矛盾之说,无以自圆者矣,此于鲁迅之直译外国文学,及其文坛之影响,而加以訾謷者也。平心论之,鲁迅之译品,诚有难读之处,直译当否是一问题,欧化的国语文学又是一问题,借曰二者胥有未当,谁尸其咎,亦难言之也。钱先生而谓,鄙言为不然耶?


 钱先生又曰,自胡适之创白话文学也,所持以号于天下者,曰平民文学也!非贵族文学也。一时景附以有大名者,周树人以小说著。树人颓废,不适于奋斗。树人所著,只有过去回忆,而不知建设将来,只见小己愤慨,而不图福利民众,若而人者,彼其心目,何尝有民众耶!钱先生因此而断之曰,周树人、徐志摩为新文艺之右倾者。是则于鲁迅之创作亦加以訾謷,兼及其思想矣。至目鲁迅为右倾,亦可谓独具只眼,别有鉴裁者也!既不满意于郭沫若、蒋光赤之左倾,又不满意于鲁迅、徐志摩之右倾,而惟倾慕于所谓“让清”遗老之流风余韵,低徊感喟而不能自已,钱先生之志,皎然可睹矣。当今之世,左右做人难,是非无定质,亦于钱先生之论鲁迅见之也!


 钱氏此书出版于本年九月,尚有上年十二月之跋记云。


 


 (十二月二十九日,《大晚报》的《火炬》。)  


 


 这篇大文,除用戚施先生的话,赞为“独具只眼”之外,是不能有第二句的。真“评”得连我自己也不想再说什么话,“颓废”了。然而我觉得它很有趣,所以特别的保存起来,也是以备“鲁迅论”之一格。


 最后是《大美晚报》,出台的又是曾经有过文字上的交涉的王平陵先生──


 


 骂人与自供                                                                                                                                                                                  王平陵  


 


 学问之事,很不容易说,一般通材硕儒每不屑与后生小子道长论短,有所述作,无不讥为“浅薄无聊”;同样,较有修养的年轻人,看着那般通材硕儒们言必称苏俄,文必宗普鲁,亦颇觉得如嚼青梅,齿颊间酸不可耐。


 世界上无论什么纷争,都有停止的可能,惟有人类思想的冲突,因为多半是近于意气,断没有终止的时候的。有些人好象把毁谤人家故意找寻人家的错误当作是一种职业;而以直接否认一切就算是间接抬高自己的妙策了。至于自己究竟是什么东西,那只许他们自己知道,别人是不准过问的。其实,有时候这些人意在对人而发的阴险的暗示,倒并不适切;而正是他们自己的一篇不自觉的供状。


 圣经里好象有这样一段传说:一群街头人捉着一个偷汉的淫妇,大家要把石块打死她。耶稣说:“你们反省着!只有没有犯过罪的人,才配打死这个淫妇。”群众都羞愧地走开了。今之文坛,可不是这样?自己偷了汉,偏要指说人家是淫妇。如同鲁迅先生惯用的一句刻毒的评语,就就骂人是代表官方说话;我不知道他老先生是代表什么“方”说话!


 本来,不想说话的人,是无话可说;有话要说;有话要说的人谁也不会想到是代表那一方。鲁迅先生常常“以己之心,度人之心”,未免“躬自薄而厚责于人”了。


 像这样的情形,文坛有的是,何止是鲁迅先生。


 


 (十二月三十日,《大美晚报》的《火树》。)  


 


 记得在《伪自由书》里,我曾指王先生的高论为属于“官方”,这回就是对此而发的,但意义却不大明白。由“自己偷了汉,偏要指说人家是淫妇”的话看起来;好象是说我倒是“官方”,而不知“有话要说的人谁也不会想到是代表那一方”的。所以如果想到了,那么,说人反动的,他自己正是反动,说人匪徒的,他自己正是匪徒……且住,又是“刻毒的评语”了,耶稣不说过“你们反省着”吗?──为消灾计,再添一条小尾:这坏习气只以文坛为限,与官方无干。


 王平陵先生是电影检查会的委员,我应该谨守小民的规矩。


 


 真的且住。写的和剪贴的,也就是自己的和别人的,化了大半夜工夫,恐怕又有八九千字了。这一条尾巴又并不小。


 时光,是一天天的过去了,大大小小的事情,也跟着过去,不久就在我们的记忆上消亡;而且都是分散的,就我自己而论,没有感到和没有知道的事情真不知有多少。但即此写了下来的几十篇,加以排比,又用《后记》来补叙些因此而生的纠纷,同时也照见了时事,格局虽小,不也描出了或一形象了么?──而现在又很少有肯低下他仰视莎士比亚,托尔斯泰的尊脸来,看看暗中,写它几句的作者。因此更使我要保存我的杂感,而且它也因此更能够生存,虽然又因此更招人憎恶,但又在围剿中更加生长起来了。呜呼,“世无英雄,遂使竖子成名”,这是为我自己和中国的文坛,都应该悲愤的。


 文坛上的事件还多得很:献检查之秘计,施离析之奇策,起谣诼兮中权,藏真实兮心曲,立降幡于往年,温故交于今日……然而都不是做这《准风月谈》时期以内的事,在这里也且不提及,或永不提及了。还是真的带住罢,写到我的背脊已经觉得有些痛楚的时候了!


 一九三四年十月十六夜,鲁迅记于上海。

第二篇はおそらく彼自身にしか分かるまい。私に分かるのはただ一つ、今回彼は嗅ぎ間違えて、唐弢先生をすなわち私であると誤認したということだ。ここに採ったのは、ただ自ら私の論敵と任ずるものの標本の一種に充てるに過ぎない。

 次に切り抜くべきは『大晩報』の一篇である──

 銭基博の魯迅論                                                                                 戚施  

 

 近年、魯迅を批評する文字を蒐集して『魯迅論』なる一書を編んだ者あり。その中に収むるところは、おおむね皆魯迅を称賛する辞なり。しかし実のところ魯迅を論ずる文は、毀誉相い半ばし、毀誉相い見えてこそ、その真を得るなり。このたび銭基博氏の著す『現代中国文学史』を見るに、長さ三十万言に及びながら、白話文学を論ずること僅か一万余字、ただ胡適のみを入選とし、魯迅・徐志摩をこれに附するのみ。これらの人々に対し大いに訾謷を加えている。近来の旧作文家にして文字を品藻し人物を裁量するに、銭氏ほど大胆なる者はいまだなく、新人もいまだこれに注目したことがない。ここに特にその「魯迅論」を紹介するは、これもまた文壇の趣聞なり。

 銭氏の言に曰く、欧文を模倣してこれを欧化的国語文学と称するものあり。浙江の周樹人が西洋小説を翻訳するに順文直訳を尚しとし、意訳の不忠実なるを斥けしに始まる。欧文を模して国語とするは、鸚鵡の舌を学ぶに比し、通訳に託す。これぞ俑を作りし者なり。効顰する者に至りては、著述して志を抒ぶるにも、競って欧化し、『小説月報』はその焔を盛んに揚ぐ。しかれども詰屈聱牙にして、周誥よりも甚だしく、学士すら解し難し。いわんや民衆をや。上海の曹慕管これを笑いて曰く、吾輩はむしろ原文の欧文を読まんと欲す。かかる妙文を見んとは欲せず、と。時装の婦人がハイヒールの西洋式靴を履きて跬歩にして倾跌し、かえって醜態を増すに比せらる。古人を崇め効うを奴隷根性と斥けながら、外国を模倣するのは独り奴隷根性にあらずや。反唇の譏り、あるいは諧謔にして虐に近し。しかれども初めに白話文を創りて言文一致・家喻戸暁を期したるものが、欧化的国語文学の興によってその志を荒廃せしめたるにあらずや。これすなわち矛盾の説にして、自ら円うすること能わざるものなり、と。これは魯迅の直訳外国文学およびその文壇への影響に訾謷を加えたるものなり。平心に論ずれば、魯迅の訳品には確かに読み難きところあり。直訳の当否は一つの問題にして、欧化的国語文学はまた別の問題なり。仮にこの二者ともに妥当を欠くとしても、その咎を誰に帰すべきかは、また言い難きなり。銭先生、鄙言を然らずとせらるるや。

 銭先生また曰く、胡適之が白話文学を創めしより、天下に号令するところのものは、曰く平民文学なり、貴族文学にあらずと。一時に名を馳せてこれに景附せし者あり。周樹人は小説をもって著わる。樹人は頽廃にして、奮闘に適せず。樹人の著すところは、ただ過去の回想あるのみにして、将来の建設を知らず、ただ小己の憤慨を見るのみにして、民衆の福利を図らず。かくの如き人は、その心目にいずくんぞ民衆あらんや。銭先生はこれゆえに断じて曰く、周樹人・徐志摩は新文芸の右傾者なりと。これすなわち魯迅の創作にも訾謷を加え、あわせてその思想に及べるなり。魯迅を右傾と目するに至りては、これまた独具の隻眼、別有の鑑裁と謂うべきものなり。郭沫若・蔣光赤の左傾にも満足せず、魯迅・徐志摩の右傾にも満足せず、ひとり「清朝遺老」の流風余韻を慕い、低徊感喟して已むこと能わず。銭先生の志、皎然として見るべきなり。当今の世、左右に人となること難く、是非に定質なきは、また銭先生の魯迅論に見るべきなり。

 銭氏のこの書は本年九月に出版され、なお前年十二月の跋記ありと云う。

 

 (十二月二十九日、『大晩報』の「火炬」。)  

 

 この大文は、戚施先生の言葉を借りて「独具の隻眼」と賛するほかに、第二句のあるべくもない。真に「評」せられて、私自身もまたこれ以上何も言いたくなくなり、「頽廃」した。しかしこれは甚だ面白いと感じたので、特別に保存しておく。これもまた「魯迅論」の一格に備えるものなり。

 最後は『大美晩報』にして、登場するのはかつて文字上の交渉のあった王平陵先生である──

 

 罵倒と自供                                                                                 王平陵  

 

 学問の事は甚だ容易には言い難く、通才碩儒は往々にして後生小子と長短を論ずるを屑しとせず、述作するものあらば、いずれも「浅薄無聊」と譏るなり。同様に、やや修養ある若者が、かの通才碩儒たちが必ず蘇露に言及し文は必ずプロレタリアを宗とするのを見れば、やはりいささか青梅を噛むが如く歯の間に酸を堪え難きを覚ゆるなり。

 世の中にいかなる紛争も止む可能性はあるが、ただ人の思想の衝突のみは、多くは意気に近きがゆえに、決して終止する時がない。ある人々はあたかも他人を誹謗し、故意に他人の過ちを探すことを一種の職業とするが如くにして、一切を直接否定することをもって間接に自己を高める妙策とするなり。自分は畢竟いかなるものなるかは、ただ彼ら自身のみが知ることを許され、他人は過問するを許されぬ。実は時として、これらの人々が他人に向けて放つ陰険な暗示は、かえって的確ならず、まさに彼ら自身の一篇の自覚せざる供述書であるのだ。

 聖書にこのような伝説があったと思う。街頭の群衆が姦淫した女を捕らえ、皆が石で打ち殺そうとした。イエスは言った、「汝ら省みよ。罪を犯したことなき者のみが、この女を打ち殺す資格があるのだ。」群衆は皆恥じて立ち去った。今日の文壇は、まさにこの通りではないか。自ら間男をしておきながら、人を指して淫婦だという。魯迅先生が好んで使う刻毒なる評語の如く、人を「官方の代弁者」と罵る。先生こそは一体いかなる「方」を代表して話しておられるのか、私には分からぬ。

 もとより話したくない人には、話すことがないのであり、話したいことがある人は、誰も自分がいずれの方を代表しているかなど考えはしない。魯迅先生はしばしば「己の心をもって人の心を度る」のであり、「躬は自ら薄くして、人を責むること厚し」と言わざるを得まい。

 このような事情は文壇にはいくらでもある。魯迅先生に限った話ではない。

 

 (十二月三十日、『大美晩報』の「火樹」。)  

 

 思い出すに、『偽自由書』の中で私は王先生の高論を「官方」に属すると指摘したことがあり、今回の文はそれに対して発せられたものだが、意味はあまり明瞭でない。「自ら間男をしておきながら、人を指して淫婦だという」という言葉から見れば、私の方こそ「官方」であって、「話したいことがある人は誰もいずれの方を代表しているかなど思いつかない」のだ、と言いたいらしい。ゆえに、もし思いついたとすれば、人を反動と言う者、その人こそ反動であり、人を匪賊と言う者、その人こそ匪賊であり……いや待て、またぞ「刻毒な評語」になってしまう。イエスが「汝ら省みよ」と言ったではないか。──災いを免れんがために、もう一条の小さな尾を付け加える。この悪習慣は文壇に限ったことであり、官方とは無関係である。

 王平陵先生は映画検閲会の委員であり、私は小民の分際を謹んで守らねばならぬ。

 

 本当にここで止めよう。書いたものと切り抜いたもの、すなわち自分のものと他人のものとで、半夜を費やし、恐らくまた八九千字にもなったであろう。この尾もまたなかなか小さくはない。

 時は、一日一日と過ぎてゆき、大小の事件もまたそれに従って過ぎ去り、やがて我々の記憶から消え失せる。しかもすべてが散在しており、私自身について言えば、感じなかったこと、知らなかったことは実にどれほどあるか分からぬ。しかし、ここに書き留めたこの数十篇だけでも、これを排比し、さらに「後記」をもってそこから生じた紛糾を補叙すれば、おのずと時事をも照らし出す。格局は小さくとも、一つの形象を描き出してはいまいか──しかも今や、仰ぎ見るシェイクスピアやトルストイから尊顔を伏せて暗がりを見つめ、幾句かを書こうとする著者は甚だ少ない。このためにいっそう私は自分の雑感を保存しようと思うのであり、それもまたこのためにいっそうよく生き延びることができるのだ。もっともこのためにいっそう人の憎悪を招くのだが、またこのために包囲討伐の中でいっそう成長してきたのである。ああ、「世に英雄なく、遂に竪子をして名を成さしむ」──これは私自身のためにも、中国の文壇のためにも、悲憤すべきことである。

 文壇の事件はまだまだ多い。検閲の秘策を献じ、離間の奇策を施し、讒言を起こして権力のうちに中たり、真実を胸中に蔵し、降幡を往年に立て、旧交を今日に温む……しかしいずれもこの『準風月談』を書いていた時期の中の事ではなく、ここではひとまず言及せぬこととし、あるいは永久に言及せぬこととしよう。やはり本当にここで止めよう。書き続けて背中がいささか痛みを覚えるようになった時だ。

 一九三四年十月十六日夜、魯迅、上海にて記す。