Difference between revisions of "Lu Xun Complete Works/ja/Yecao"

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(Update JA translation for 野草)
(Lu Xun JA translation page)
 
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= 野草 (野草) =
 
= 野草 (野草) =
  
'''魯迅 (ルーシュン, 1881–1936)'''
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'''魯��� (ルーシュン, 1881-1936)'''
  
 
中国語からの日本語翻訳。
 
中国語からの日本語翻訳。
  
 
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=== 第1節 ===
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題辞
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私が沈黙している時、私は充実を感じる。口を開こうとすると、同時に空虚を感じる。
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過ぎ去った生命はすでに死んだ。私はこの死に大きな喜びを覚える。なぜなら、これによってそれがかつて生きていたことを知るからだ。死んだ生命はすでに朽ちた。私はこの朽ちることに大きな喜びを覚える。なぜなら、これによっ��それがまだ空虚ではなかったことを知るからだ。
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生命の泥は地面に委ねられ、喬木を生ぜず、ただ野草を生ずる。これは私の罪過である。
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野草は、根は深くなく、花も葉も美しくない。しかし露を吸い、水を吸い、とうに死んだ人の血と肉を吸い、それぞれがその生存を奪い取る。生存している間も、なお踏みにじられ、刈り取られ、ついには死に至って朽ちるのだ。
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しかし私は坦然として、欣然としている。私は大いに笑おう、私は歌おう。
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私は自分の野草を愛する。しかし野草を飾りとするこの地面を憎む。
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地火は地下を走り、突き進む。溶岩がひとたび噴き出せば、一切の野草を焼き尽くし、喬木をも焼き尽くし、かくして朽ちるものさえなくなる。
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しかし私は坦然として、欣然としている。私は大いに笑おう、私は歌おう。
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天地はかくも静穆である。私は大いに笑い、かつ歌うことができない。天地がかくも静穆でなくとも、おそらく私はやはりできないだろう。私はこの一叢の野草を、明と暗、生と死、過去と未来の際に、友と仇、人と獣、愛する者と愛さぬ者の前に捧げて証とする。
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私自身のために、友と仇、人と獣、愛する者と愛さぬ者のために、私はこの野草の死と朽ちることが、火急に訪れることを願う。さもなくば、私はそもそも生きてさえいなかったのであり、これはまことに死と朽ちることよりもいっそう不幸なことだ。
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去れ、野草よ、わが題辞とともに!
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一九二七年四月二十六日、魯迅、広州の白雲楼上にて記す。
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=== 第2節 ===
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秋夜
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私の裏庭から、塀の外に二本の木が見える。一本は棗の木で、もう一本もまた棗の木である。
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この上の夜の空は、奇妙に高い。私は生まれてこのかた、このような奇妙に高い空を見たことがない。それはまるで人間界を離れ去ろうとするかのようで、人々が仰いでもう二度と見えなくなるほどだ。しかし今は非常に青く、きらきらと数十の星の目を瞬かせている。冷たい目だ。その口元には微笑が浮かび、大いに深い意味ありげで、しかも濃い霜を私の園の野の花草の上に撒き散らす。
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私はそれらの花草の本当の名前を知らない。人々が何と呼ぶかも知らない。極めて小さな薄紅の花を咲かせたものがあったのを覚えている。今もまだ咲いているが、さらに極めて小さくなった。冷たい夜気の中で、彼女は身を縮めて夢を見ている。春の到来を夢見、秋の到来を夢見、痩せた詩人が彼女の最後の花弁に涙を拭い、秋が来ても冬が来ても、その後にはまた春が続き、蝶は乱れ飛び、蜜蜂はみな春の歌を歌い始めると告げるのを夢見ている。彼女はそこで微笑んだ。顔色は凍えて赤く痛々しいが、なおも身を縮めている。
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棗の木は、すっかり葉を落としてしまった。以前はまだ一人二人の子供が、人の打ち残した棗を打ちに来たが、今は一つも残っていない。葉さえすっかり落ちた。彼は小さな薄紅の花の夢を知っている。秋の後に春があることを。彼はまた落葉の夢をも知っている。春の後にはまた秋があることを。彼はすっかり葉を落とし、ただ幹だけを残したが、かつて果実と葉に満ちていた頃の弧の形を脱し、伸び伸びと心地よさそうだ。しかしいくつかの枝はまだ低く垂れ、棗を打つ竿の先で負った皮の傷を護っている。一方、最もまっすぐで最も長いいくつかの枝は、黙々と鉄のように、奇妙に高い空をまっすぐに刺し、空にきらきらと鬼の目を瞬かせている。空の満月をまっすぐに刺し、月を狼狽させて白くならせる。
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鬼の目の空はますます非常に青くなり、不安になった。まるで人間界を離れ去り、棗の木を避けて、ただ月だけを残そうとするかのようだ。しかし月もひそかに東の方に隠れてしまった。そして何もなくなった幹は、なおも黙々と鉄のように奇妙に高い空をまっすぐに刺し、ひたすらその息の根を止めようとし、空がどのようにさまざまな蠱惑の目を瞬かせようとも構わない。
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「ワッ」と一声、夜を遊ぶ凶鳥が飛び去った。
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私はふと真夜中の笑い声を聞いた。くすくすと、眠っている人を驚かしたくないかのようだったが、四方の空気はみなこの笑いに応じた。真夜中、他に人はいない。私はたちまちこの声が自分の口の中にあると気づき、私もたちまちこの笑い声に追い立てられ、自分の部屋に戻った。ランプの芯もたちまち高くした。
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裏窓のガラスがカチカチと鳴り、たくさんの小さな虫がぶつかっている。まもなく何匹かが入ってきた。おそらく窓紙の破れ穴から入ったのだろう。入ってくると、またガラスのランプの傘にカチカチとぶつかった。一匹が上から中に入り込み、火に出会った。しかも私はこの火は本物だと思う。二、三匹はランプの紙の傘の上に止まって息をついている。その傘は昨晩換えたばかりの新しい傘で、雪白の紙に波形の折り目がつけられ、一隅にはまだ真紅の梔子の花が一枝描かれている。
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真紅の梔子が花咲く時、棗の木はまた小さな薄紅の花の夢を見て、みずみずしく弧を描くことだろう……。私はまた真夜中の笑い声を聞き、急いで心の緒を断ち切り、白い紙の傘の上にいるあの小さな青虫を見た。頭が大きく尻が細く、向日葵の種のような形で、半粒の小麦ほどの大きさしかなく、全身の色は蒼翠として愛らしく、哀れだった。私は一つあくびをし、紙巻煙草に火をつけ、煙を吐き出し、ランプに向かって黙ってこの蒼翠にして精緻な英雄たちに弔いの煙を捧げた。
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一九二四年九月十五日。
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=== 第3節 ===
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影の告別
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人がいつとも知れぬ時まで眠ると、影がやって来て告別し、あの言葉を口にする——
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私の好まぬものが天堂にある、私は行きたくない。私の好まぬものが地獄にある、私は行きたくない。私の好まぬものが君たちの来たるべき黄金世界にある、私は行きたくない。
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しかし君こそが私の好まぬものなのだ。
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友よ、私はもう君に従いたくない、私は住みたくない。
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私は嫌だ!
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ああ、ああ、私は嫌だ、私はむしろ無の地を彷徨おう。
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私は一つの影にすぎない。君に別れを告げて暗闇の中に沈もうとしている。しかし暗闇もまた私を呑み込み、しかし光もまた私を消し去るだろう。
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しかし私は明と暗の間を彷徨いたくはない。私はむしろ暗闇の中に沈もう。
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しかし私はついに明と暗の間を彷徨っている。黄昏なのか黎明なのか、私には分からない。私はしばらく灰黒の手を掲げて一杯の酒を飲み干す真似をし、いつとも知れぬ時に独り遠く旅立とう。
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ああ、ああ、もし黄昏ならば、暗夜がおのずから来て私を沈めるだろう。さもなくば私は白昼に消されるだろう、もし今が黎明ならば。
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友よ、時は近い。
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私は暗闇に向かって無の地を彷徨おう。
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君はなお私の贈り物を望む。私は君に何を献げ得ようか。やむを得ず、やはり暗闇と虚空のみだ。しかし、私はただ暗闇であることを願う、あるいは君の白昼のうちに消え去ろう。私はただ虚空であることを願う、決して君の心の地を占めまい。
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私はこう願う、友よ——私は独り遠く旅立つ。君がいないだけでなく、さらに他の影も暗闇の中にはない。ただ私だけが暗闇に沈められ、あの世界はすべて私自身のものとなる。
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一九二四年九月二十四日。
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=== 第4節 ===
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求乞者
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私は剥げ落ちた高い塀に沿って歩き、柔らかな灰色の土を踏んでいた。ほかにも何人かの人が、それぞれの道を歩いていた。微風が起こり、塀の上に顔を出した高い木の枝が、まだ枯れきっていない葉をつけて、私の頭上で揺れていた。
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微風が起こり、四方は灰色の土ばかりであった。
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一人の子供が私に物乞いをしてきた。彼もまた合わせの衣を着ており、とりたてて悲しげにも見えなかったが、道を塞いで叩頭し、追いすがって哀願した。
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私はその声の調子と態度を厭うた。私はその悲しんでもいないのに、まるで遊び半分のような態度を憎んだ。追いすがって哀願するのが煩わしかった。
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私は歩いた。ほかにも何人かの人が、それぞれの道を歩いていた。微風が起こり、四方は灰色の土ばかりであった。
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一人の子供が私に物乞いをしてきた。彼もまた合わせの衣を着ており、とりたてて悲しげにも見えなかったが、口がきけず、手を広げて、手振りをしていた。
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私はその手振りを憎んだ。しかも、彼はあるいは口がきけないのではなく、これはただの物乞いの手法にすぎないのかもしれなかった。
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私は施しをしない。私には施しの心がない。私はただ施す者の上に立って、煩わしさと、猜疑と、憎悪を与えるばかりだ。
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私は崩れかけた土塀に沿って歩いた。割れた煉瓦が塀の欠けた所に積まれ、塀の中には何もなかった。微風が起こり、秋の寒さが合わせの衣を貫いて送られてきた。四方は灰色の土ばかりであった。
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私は考えた——私はどのような方法で物乞いをするだろうか。声を出すとしたら、どのような声で? 口がきけない振りをするとしたら、どのような手振りで?……
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ほかにも何人かの人が、それぞれの道を歩いていた。
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私は施しを得られまい、施しの心も得られまい。得られるのは、施す者を自任する者からの、煩わしさと猜疑と憎悪であろう。
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私は無為と沈黙とで物乞いをしよう……少なくとも虚無は手に入るだろう。
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微風が起こり、四方は灰色の土ばかりであった。ほかにも何人かの人が、それぞれの道を歩いていた。灰色の土、灰色の土、……
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……………
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灰色の土……
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一九二四年九月二十四日。
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=== 第5節 ===
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我が失恋
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——擬古の新狂歌
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我が愛しき人は山の腰にあり、
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尋ねゆかんとすれど山はあまりに高く、
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うなだれて術なく涙は袍を濡らす。
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恋人は我に百蝶の巾を贈りき、
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返したるものは何か——梟なり。
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爾来顔を背けて我を顧みず、
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何故とも知らずして我が心を戦かす。
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我が愛しき人は繁華の街にあり、
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尋ねゆかんとすれど人波押し合えり、
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仰ぎ見て術なく涙は耳を濡らす。
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恋人は我に双燕の図を贈りき、
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返したるものは何か——氷糖の葫蘆なり。
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爾来顔を背けて我を顧みず、
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何故とも知らずして我を惑わす。
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我が愛しき人は河のほとりにあり、
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尋ねゆかんとすれど河水深し、
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首を傾けて術なく涙は襟を濡らす。
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恋人は我に金の懐中時計の鎖を贈りき、
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返したるものは何か——発汗薬なり。
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爾来顔を背けて我を顧みず、
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何故とも知らずして我を神経衰弱にせり。
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我が愛しき人は豪家にあり、
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尋ねゆかんとすれど自動車もなく、
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首を振りて術なく涙は麻の如し。
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恋人は我に薔薇の花を贈りき、
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返したるものは何か——赤練蛇なり。
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爾来顔を背けて我を顧みず、
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何故とも知らず——彼女の好きにさせよ。
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一九二四年十月三日。
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=== 第6節 ===
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復讐
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人間の皮膚の厚さは、おそらく半分にも満たず、鮮紅の熱き血は、その裏側を、壁に密々と層を成して這う槐蚕よりもさらに密な血管の中を奔流し、温もりを発散している。かくて各々がこの温もりによって互いに蠱惑し、煽動し、牽引し、必死に偎り添い、接吻し、抱擁せんことを求め、もって生命の酩酊の大歓喜を得んとする。
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されど、もし一振りの鋭利な刃を以て、ただ一撃、この桃紅色の薄き皮膚を貫けば、あの鮮紅の熱き血が矢の如く迸り、その一切の温もりを以て直に殺戮者に灌がれるのを見るであろう。次いでは、冷たき息を与え、蒼白き唇を示して、人性を茫然たらしめ、生命の飛揚の極致の大歓喜を得せしめる。而してその身自らは、永遠に生命の飛揚の極致の大歓喜の中に沈潜するのである。
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かくの如くにして、彼ら二人は全身を裸にし、利刃を握り締めて、広漠たる曠野の上に対峙している。
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彼ら二人はまさに抱擁せんとし、まさに殺戮せんとしている……路人たちが四方から馳せ来たり、密々と層を成して、槐蚕が壁を這い上がるように、蟻が鯗の頭を担ごうとするように。衣装は皆瀟洒なれど、手は空である。されど四方から馳せ来たり、しかも必死に首を伸ばして、この抱擁か殺戮かを鑑賞せんとする。彼らは已に事後の己が舌上の汗か血の鮮味を予感しているのだ。
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されど彼ら二人は対峙している、広漠たる曠野の上に、全身を裸にし、利刃を握り締めて。されど抱擁もせず、殺戮もせず、しかも抱擁か殺戮の意もまた見えぬのである。
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彼ら二人はかくの如くにして永久に至り、豊かなる肉体は已に干枯せんとするも、されど毫も抱擁か殺戮の意は見えぬのである。
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路人たちはここに於いて退屈し、退屈が己が毛穴に滲み込むを覚え、退屈が己が心中より毛穴を通じて滲み出で、曠野一面に這い広がり、また他人の毛穴に滲み込むを覚える。彼らはここに於いて喉舌の乾きを覚え、頸も疲れ、ついには互いに顔を見合わせ、徐々に散じ去り、甚だしきは居ながらにして干枯して生きる甲斐をも失いし心地に至る。
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かくて残されしは広漠たる曠野のみにして、彼ら二人はその間に全身を裸にし、利刃を握り締めて、干枯して立っている。死人の如き眼差しを以て、この路人たちの干枯、無血の大殺戮を鑑賞しつつ、永遠に生命の飛揚の極致の大歓喜の中に沈潜するのである。
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一九二四年十二月二十日。
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=== 第7節 ===
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復讐(その二)
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彼は自ら神の子、イスラエルの王と任じたるが故に、十字架に釘付けにされにゆく。
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兵卒らは彼に紫の袍を着せ、茨の冠を戴かせて慶賀し、また葦の棒で彼の頭を打ち、唾を吐きかけ、跪いて拝した。戯弄し終わると、紫の袍を脱がせ、元の衣を着せた。見よ、彼らは彼の頭を打ち、唾を吐きかけ、拝する……彼は没薬を混ぜた葡萄酒を飲むことを肯ぜず、イスラエルの民がその神の子をいかに遇するかを明瞭に味わおうとし、しかもより永く彼らの前途を悲憫しつつ、されど彼らの現在を憎悪した。
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四面は悉く敵意であった。悲憫すべき、呪詛すべき。
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丁丁と音がし、釘の先が掌を貫く。彼らはその神の子を釘殺せんとしているのだ。悲憫すべき人々よ、それは彼に柔らかき痛みを与えた。丁丁と音がし、釘の先が足の甲を貫き、骨の一片を砕く。痛苦は心髄にまで透り、されど彼ら自らその神の子を釘殺しつつあるのだ。呪詛すべき人々よ、それは彼に快き痛みを与えた。十字架は立て起こされた。彼は虚空に懸かっている。
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彼は没薬を混ぜた葡萄酒を飲まなかった。イスラエルの民がその神の子をいかに遇するかを明瞭に味わおうとし、しかもより永く彼らの前途を悲憫しつつ、されど彼らの現在を憎悪した。
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路人は皆彼を罵り、祭司長と律法学者も彼を戯弄し、彼と共に釘付けにされた二人の強盗も彼を嘲った。見よ、彼と共に釘付けにされた者らも……四面は悉く敵意であった。悲憫すべき、呪詛すべき。
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彼は手足の痛苦の中に、悲憫すべき人々の神の子を釘殺する悲哀と、呪詛すべき人々の神の子を釘殺せんとし、而して神の子がまさに釘殺されんとする歓喜とを味わった。突如として、砕骨の大痛苦が心髄に透りし時、彼は即ち大歓喜と大悲憫の中に酩酊した。
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彼の腹部が波打った。悲憫と呪詛の痛苦の波であった。
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地上はことごとく暗くなった。
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「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ?!」(訳せば即ち、わが神、わが神、なんぞ我を見棄てたまいしや?!)神は彼を見棄てた。彼は結局やはり一人の「人の子」であった。されどイスラエルの民は「人の子」をさえ釘殺したのである。
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「人の子」を釘殺した人々の身は、「神の子」を釘殺した者よりもいっそう血に塗れ、血臭かった。
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一九二四年十二月二十日。
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=== 第8節 ===
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希望
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私の心はことのほか寂しい。
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されど私の心は平穏である。愛憎もなく、哀楽もなく、色もなければ音もない。
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私はおそらく老いたのだ。私の髪は已に蒼白ではないか、それは明らかなことではないか。私の手は顫えている、それは明らかなことではないか。ならば、私の魂の手もきっと顫えており、髪もきっと蒼白であろう。
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されどこれは幾年も前のことであった。
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これ以前、私の心にもかつて血腥い歌声が充満していた。血と鉄、炎と毒、回復と報復と。されど忽ちにしてこれらは悉く空虚となった。ただ時として故意に、如何ともし難き自欺の希望を以て填めた。希望、希望、この希望の盾を以て、かの空虚の中の暗夜の襲来に抗った。盾の後ろにもやはり空虚の中の暗夜があるにもかかわらず。
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されどかくの如くにして、次第に私の青春を消耗し尽くしたのだ。私はとうに自分の青春が已に逝き去ったことを知らなかったわけではない。ただ身の外の青春は固より在ると思っていた。星、月光、硬直して墜ちた蝶、暗中の花、梟の不吉な言葉、杜鵑の血を吐く啼声、笑いの渺茫、愛の翔舞……。たとえ悲涼として漂渺たる青春であるにせよ、されど畢竟は青春である。
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されど今はなにゆえにかくも寂しいのか。まさか身の外の青春もまた悉く逝き去り、世の青年たちもまた多くは衰老したのではあるまいか。
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私は自ら進んでこの空虚の中の暗夜に肉薄するほかはない。私は希望の盾を下ろした。ペテーフィ・シャーンドル(一八二三—四九)の「希望」の歌が聞こえる。希望とは何か。それは娼婦である。彼女は誰をも蠱惑し、一切を献げる。汝が至極の宝——汝の青春——を犠牲にし終えれば、彼女は汝を棄てるのだ。
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この偉大なる抒情詩人、ハンガリーの愛国者は、祖国のためにコサック兵の矛先に死して、已に七十五年が経つ。悲しいかなその死よ。されど更に悲しむべきは、その詩が今なお死なぬことである。
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されど、惨むべき人生よ! ペテーフィの如く桀驁にして英勇なる者も、ついに暗夜を前にして歩みを止め、茫々たる東方を振り返ったのだ。彼は言った——絶望の虚妄なること、まさに希望に同じ、と。もし私がなお、明暗定かならぬこの「虚妄」の中に偸生を得るならば、私はなお、かの逝き去りし悲涼漂渺の青春を求めよう。ただしわが身の外に。なぜならば身の外の青春が一たび消滅すれば、わが身の中の遅暮もまた即ち凋零するのだから。
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されど今は星もなく月光もなく、硬直して墜ちた蝶もなければ笑いの渺茫も愛の翔舞もない。されど青年たちは甚だ平穏である。
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私は自ら進んでこの空虚の中の暗夜に肉薄するほかはない。たとえ身の外の青春を見出せずとも、せめて自らわが身の中の遅暮を一擲せねばならぬ。されど暗夜はまたいずこにあるのか。今は星もなく、月光もなければ笑いの渺茫も愛の翔舞もない。青年たちは甚だ平穏であり、しかも私の面前にはついに真の暗夜すら存在しないのだ。絶望の虚妄なること、まさに希望に同じ!
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一九二五年一月一日。
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=== 第9節 ===
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暖国の雨は、いまだかつて冷たく硬く燦爛たる雪花に変わったことがない。博識なる人々はそれを単調と感じ、雨自身もまた不幸と思うであろうか。江南の雪は、まこと潤いに満ちて美艶の極みである。それはなおほのかに漂う青春の便りであり、極めて壮健なる処女の肌である。雪野の中には血紅の宝珠山茶、白の中に青を秘めた一重の梅花、深黄の磬口の蝋梅花があり、雪の下にはなお冷たき緑の雑草がある。蝶は確かにいない。蜜蜂が山茶花や梅花の蜜を採りに来たかどうか、私は正確には覚えていない。されど私の眼前には仿佛として冬の花が雪野の中に咲いているのが見え、多くの蜜蜂たちが忙しく飛び回り、彼らがぶんぶんと騒ぐのも聞こえるようである。
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子供たちは凍えて真っ赤になった、紫芽生姜のような小さな手に息を吹きかけ、七、八人が一斉に雪だるまを作る。うまくいかないので、誰かの父親も手伝いに来た。だるまは子供たちよりずっと高く作られたが、上が小さく下が大きいだけの一塊にすぎず、結局それが瓢箪なのかだるまなのか判じ難い。されど甚だ潔白にして明艶、自らの潤いで粘り合い、全体がきらきらと光を放っている。子供たちは龍眼の種で目玉を作り、また誰かの母親の化粧箱から胭脂をくすねてきて唇に塗った。今度こそまさしく立派な阿羅漢である。彼もまた目を爛々と輝かせ、唇を真っ赤にして雪の中に坐していた。
 +
 +
翌日にもなお何人かの子供が彼を訪ねてきた。彼に向かって手を叩き、頷き、嬉しそうに笑った。されど彼はついに独りで坐していた。晴天がまたその肌を融かし、寒夜がまた一層の氷を結ばせ、不透明なる水晶のようにし、連日の晴天がまたそれを何とも名状し難いものにしてしまった。そして唇の胭脂もすっかり褪せてしまった。
 +
 +
されど、朔方の雪花は紛々と降り終えた後も、永遠に粉の如く、砂の如く、決して粘り合うことなく、屋根に、地面に、枯草の上に撒かれるばかりである。屋根の雪はとうに消え始めている。屋内に住む人の火の温もりゆえに。それ以外は、晴天の下、旋風が忽然として来たり、蓬勃として奮い飛び、日光の中に燦々と輝き、火焔を蔵した大いなる霧の如く、旋回しつつ昇騰し、太空に瀰漫して、太空をして旋回し昇騰しつつ閃めかしめる。
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無辺の曠野の上、凛冽たる蒼穹の下、閃々として旋回し昇騰するは、雨の精魂……
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然り、あれは孤独なる雪、死したる雨、雨の精魂である。
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一九二五年一月十八日。
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=== 第10節 ===
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北京の冬、地面にはまだ積雪があり、灰黒色の裸の木の枝が晴れた空に叉を広げている中、遠くに一つ二つの凧が浮かんでいるのは、私にとって一種の驚きと悲しみであった。
 +
 +
故郷の凧の季節は春二月で、もしさらさらという風車の音が聞こえたならば、見上げれば薄墨色の蟹凧や淡い藍色の百足凧が見えた。さらに寂しい瓦凧もあった。風車がなく、低く揚がって、ひょろりと憔悴して哀れな姿を見せていた。しかしその頃には地上の柳は已に芽吹き、早い山桃も多く蕾をつけ、子供たちの空の装飾と照応して、一幅の春日の温もりを成していた。私は今どこにいるのか。四方はまだ厳冬の粛殺であり、久しく別れた故郷の、久しく逝き去った春が、この空に漂っていた。
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しかし私はもともと凧揚げが好きではなかった。好きでないどころか嫌悪していた。なぜならば、これは出来の悪い子供の遊びだと思っていたからだ。私と正反対なのが弟で、あの頃はおそらく十歳前後であったろう、病気がちで痩せ細っていたが、凧が一番好きだった。自分では買えず、私もまた揚げることを許さなかったので、小さな口を開けたまま空をぼんやりと見つめるしかなく、時には半日もそうしていた。遠くの蟹凧が突然落ちてくると、彼は叫び声を上げた。二つの瓦凧の絡まりがほどけると、彼は喜んで跳び上がった。こうしたことは私から見れば、みな笑い草であり、卑しむべきものであった。
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ある日、私はふと思い当たった。ここしばらく彼の姿をあまり見かけなかったが、裏庭で枯れた竹を拾っていたのを見た覚えがあった。はっと悟ったように、滅多に人が行かない、雑物の積まれた小部屋へ走って行き、扉を開けると、果たして埃をかぶった物の山の中に彼がいた。彼は大きな腰掛に向かい、小さな腰掛に座っていたが、ひどく狼狽して立ち上がり、顔色を失って身を縮めた。大きな腰掛の脇には蝶凧の竹骨が立てかけてあり、まだ紙が貼られていなかった。腰掛の上には目玉に使う小さな風車が一対あり、ちょうど赤い紙の帯で飾り付けられ、まさに完成しようとしていた。私は秘密を暴いた満足の中で、しかもまた彼が私の目を欺いてこのように苦心惨憺して出来の悪い子供の遊び道具をこっそり作っていたことに、甚だ憤った。私はたちまち手を伸ばして蝶の翅骨を一本折り、さらに風車を地面に投げつけて踏み潰した。年齢からしても力からしても、彼は私に敵うはずがなく、私はもちろん完全な勝利を得た。そこで傲然として出て行き、彼を絶望のまま小部屋に残した。その後、彼がどうしたか、私は知らない。気にも留めなかった。
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しかし私への罰はついに訪れた。私たちが長らく離れ離れになった後、私は已に中年になっていた。不幸にも偶然、外国の児童について論じた本を読み、遊びが児童の最も正当な行為であり、玩具が児童の天使であることを知った。すると二十年来まるで思い出すこともなかった幼い日の精神的虐殺の一幕が、忽ち眼前に展開し、私の心もまた同時に鉛の塊になったかのように、重く重く堕ちていった。
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しかし心はまだ堕ちきって断絶するには至らず、ただ甚だ重く重く堕ちて、堕ちていた。
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私は償いの方法も知っていた。彼に凧を贈り、揚げることに賛成し、揚げることを勧め、彼と一緒に揚げるのだ。私たちは叫び、走り、笑う。——しかし彼はその時には已に私と同じく、とうに髭が生えていた。
 +
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私はもう一つの償いの方法も知っていた。彼に許しを請い、彼が「僕はちっとも恨んじゃいないよ」と言うのを待つことだ。そうすれば、私の心はきっと軽くなるだろう。これは確かに実行可能な方法であった。ある時、私たちが会った時には、互いの顔に「生」の辛苦の多くの条紋が刻まれており、私の心は重かった。私たちは次第に幼い日の旧事を語り出し、私はこの一節に及んで、少年時代の愚かさを語った。「僕はちっとも恨んじゃいないよ。」と彼は言うだろう、と私は思った。そうすれば即座に赦され、私の心もこれから軽くなるだろう。
 +
 +
「そんなことがあったかね?」彼は驚いたように笑って言った。まるで他人の話を傍で聞いているようだった。彼は何も覚えていなかったのだ。
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すっかり忘れ去り、少しの怨みもないのに、何の赦しがあろうか。怨みのない赦しなど、欺瞞にすぎない。
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私になお何を求め得ようか。私の心はただ重くあるほかはなかった。
 +
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今、故郷の春がまたこの異郷の空にあって、久しく逝き去った幼年の記憶を与えるとともに、捉えようのない悲哀をも帯びていた。いっそ粛殺の厳冬に逃げ込もうか、——しかし四方はまさしく厳冬であり、甚だしき寒威と冷気を与えていた。
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一九二五年一月二十四日。
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=== 第11節 ===
 +
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良い物語
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灯火は次第に小さくなっていた。石油がもう多くないことを予告していた。石油はまた上物ではなく、とうにランプのほやを煤で曇らせていた。爆竹の盛んな響きが四方に聞こえ、煙草の煙が身辺に漂っている。昏沈たる夜であった。
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私は目を閉じ、後ろにのけ反って椅子の背にもたれた。『初学記』を手にしたまま膝に置いた。
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朦朧の中で、私は一つの良い物語を見た。
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この物語は甚だ美しく、幽雅で、趣があった。多くの美しい人と美しい事が、錯綜して一幅の雲錦のように、しかも万顆の流星の如く飛動し、同時に展き開いて、無窮に至った。
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私は仿佛として、かつて小舟に乗って山陰の道を通ったことを覚えている。両岸の烏桕、新しい稲、野の花、鶏、犬、叢林と枯木、茅屋、塔、伽藍、農夫と村の婦人、村の娘、干された衣、僧侶、蓑笠、空、雲、竹、……すべてが澄んだ碧い小川に映り、一漕ぎごとに、それぞれが煌めく日光を帯び、水中の浮草や藻、遊ぶ魚と一緒に揺れ動いた。あらゆる影、あらゆる物が、ことごとく解き放たれ、そして揺れ動き、拡がり、互いに融け合った。融け合ったかと思えば、また退いて元の形に近づく。縁はみな夏雲の峰のように参差として、日光を鏤め、水銀色の焔を放っていた。私が通ったすべての河が、このようであった。
 +
 +
今、私の見ている物語もまたこのようである。水中の青空の底に、一切の事物が交錯し、一篇に織り上げられ、永遠に生き生きとして、永遠に展き開いてゆく。私にはこの一篇の結末が見えない。
 +
 +
河辺の枯れた柳の下の数株の痩せた一丈紅は、おそらく村の娘が植えたものだろう。大きな紅い花と斑紅の花が、水の中に浮かんでいたが、ふと砕け散り、引き伸ばされて、縷々たる胭脂の水となった。されど滲むことはなかった。茅屋、犬、塔、村の娘、雲、……もまた浮かんでいた。大きな紅い花が一つ一つ引き伸ばされ、今や奔騰する紅い錦の帯であった。
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 +
帯は犬の中に織り込まれ、犬は白雲の中に織り込まれ、白雲は村の娘の中に織り込まれる……。一瞬のうちに、それらはまた退縮しようとした。しかし斑紅の花影もまた已に砕け散り、伸び広がって、まさに塔、村の娘、犬、茅屋、雲の中に織り込まれようとしていた。
 +
 +
今、私の見ている物語は明瞭になってきた。美しく、幽雅で、趣があり、しかも分明である。青空の上に、無数の美しい人と美しい事がある。私はそれを一つ一つ見、一つ一つ知る。
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 +
私はそれらを凝視しようとした……。
 +
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私がまさに凝視しようとした時、忽然と驚いて目を開けた。雲錦もまた皺み、乱れていた。まるで誰かが大きな石を河に投げ込んだかのように、波が突然立ち上がり、一篇の影の全体をずたずたに引き裂いたのだ。私は無意識に、地面に落ちかけた『初学記』を急いで掴んだ。目の前にはまだ幾点かの虹霓色の砕けた影が残っていた。
 +
 +
私はこの一篇の良い物語を本当に愛している。砕けた影がまだあるうちに、それを追い戻し、完成させ、留めておきたい。私は本を投げ出し、身を起こして手を伸ばし、筆を取ろうとした。——しかし砕けた影の一片だにあるはずもなく、ただ昏い灯火が見えるだけであった。私は小舟の中にはもういなかった。
 +
 +
しかし私はたしかにこの一篇の良い物語を見たのだ。昏沈たる夜に……。
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 +
一九二五年二月二十四日。
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=== 第12節 ===
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犬の駁詰
 +
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私は夢に自分が狭い路地を歩いているのを見た。衣服も履物もぼろぼろで、乞食のようであった。一匹の犬が背後で吠え始めた。
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私は傲然と振り返り、叱りつけた。「こら! 黙れ! この勢利な犬め!」
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 +
「ひひっ!」彼は笑い、さらにこう言った。「おそれいります。恥ずかしながら人間さまには及びませんで。」「何だと!?」私は憤慨した。これは極端な侮辱だと感じた。「私は恥じ入ります。私はついに銅と銀の区別を知りません。布と絹の区別も知りません。官と民の区別も知りません。主と奴の区別も知りません。さらには……」
 +
 +
私は逃げ出した。
 +
 +
「お待ちを! もう少しお話ししましょう……」彼は背後で大声で引き留めた。
 +
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私はひたすら逃げ、力いっぱい歩き、ついに夢の外へ逃げ出して、自分の寝床に横たわっていた。
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 +
一九二五年四月二十三日。
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=== 第13節 ===
 +
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失われた良き地獄
 +
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私は夢に自分が寝床に横たわっているのを見た。荒涼たる野の、地獄のかたわらであった。すべての亡魂たちの叫びは低く微かであったが、秩序があり、炎の怒号と、油の沸騰と、鋼の叉の震えとが相和して、陶酔すべき大いなる楽を奏で、三界に布告していた——地下太平、と。
 +
 +
一人の偉大なる男が私の前に立っていた。美しく、慈悲深く、全身に大光輝を放っていたが、しかし私は彼が悪魔であることを知っていた。
 +
 +
「すべては終わった、すべては終わったのだ! 哀れな亡魂たちは、あの良き地獄を失ってしまったのだ!」彼は悲憤して言い、そして腰を下ろし、彼の知る物語を私に語って聞かせた——
 +
 +
「天地が蜂蜜色に染まった時、それは悪魔が天神に勝利し、万物を統べる大いなる威権を掌握した時であった。彼は天国を収め、人間界を収め、地獄をも収めた。かくて彼はみずから地獄に臨み、中央に座して全身に大光輝を放ち、すべての鬼衆を照らし出した。
 +
 +
「地獄はもともととうに荒廃していた。剣の樹は光芒を失い、煮え油の淵はもはや沸き立たず、大火の集まりも時にはただ青い煙をくすぶらせるばかりで、遠くにはまんだら華まで芽吹いていた。花はごく小さく、蒼白で哀れであった。
 +
 +
「亡魂たちは冷たい油とぬるい火の中で目覚め、悪魔の光輝の中に地獄の小さな花を見た。蒼白で哀れな花に大いなる蠱惑を受け、ふと人の世を思い出し、幾年とも知れず黙想したのち、一斉に人間界に向かって、反獄の絶叫を発した。
 +
 +
「人類はこれに応じて立ち上がり、正義を唱えて悪魔と戦った。ついに大いなる謀略をめぐらし、大いなる網を張り、悪魔をして地獄から逃げ出さざるを得なくした。最後の勝利として、地獄の門の上にも人類の旗が立てられた!
 +
 +
「亡魂たちが一斉に歓呼した時、人類の地獄整理使がすでに地獄に臨み、中央に座して、人類の威厳をもってすべての鬼衆を叱咤した。
 +
 +
「亡魂たちが再び反獄の絶叫を発した時、たちまち人類の叛徒となり、永劫の沈淪の罰を受け、剣樹林の中央に遷された。
 +
 +
「人類はかくして地獄を統べる大いなる威権を完全に掌握した。その威稜は悪魔をも凌いだ。人類はかくして荒廃を整頓し、まず牛頭阿傍に最高の俸草を与え、しかも薪を足し火を加え、刀山を磨き砥ぎ、地獄全体の面目を一新させ、以前の頽廃の気象を一掃した。
 +
 +
「まんだら華はたちまち焦げ枯れた。油は前のごとく煮えたぎり、刀は前のごとく鋭く、火は前のごとく熱く、鬼衆は前のごとく呻き、前のごとく身を悶え、ついには失った良き地獄を思い出す暇さえなくなった。
 +
 +
「これは人類の成功であり、亡魂たちの不幸である……。
 +
 +
「友よ、君は私を疑い始めたな。そうだ、君は人間だ! 私はひとまず去って野獣と悪鬼を探そう……。」
 +
 +
一九二五年六月十六日。
  
 
=== 第14節 ===
 
=== 第14節 ===
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一九二五年六月十七日。
 
一九二五年六月十七日。
 
  
 
=== 第15節 ===
 
=== 第15節 ===
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一九二五年七月八日。
 
一九二五年七月八日。
 
  
 
=== 第16節 ===
 
=== 第16節 ===
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一九二五年四月二十三日。
 
一九二五年四月二十三日。
 
  
 
=== 第17節 ===
 
=== 第17節 ===
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一九二五年十二月二十六日。
 
一九二五年十二月二十六日。
 
  
 
=== 第18節 ===
 
=== 第18節 ===
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一九二五年六月二十九日。
 
一九二五年六月二十九日。
 
  
 
=== 第19節 ===
 
=== 第19節 ===
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一九二六年四月八日。
 
一九二六年四月八日。
 
  
 
=== 第20節 ===
 
=== 第20節 ===
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一九二五年十二月十四日。
 
一九二五年十二月十四日。
 
  
 
=== 第21節 ===
 
=== 第21節 ===
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一九二五年十二月二十六日。
 
一九二五年十二月二十六日。
 
  
 
=== 第22節 ===
 
=== 第22節 ===
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一九二六年四月十日。
 
一九二六年四月十日。
 
  
 
=== 第23節 ===
 
=== 第23節 ===
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時——ある日の黄昏。
 
時——ある日の黄昏。
 +
 
所——ある場所。
 
所——ある場所。
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人物——老翁、七十歳ほど、白髪白鬚、黒の長袍。
 
人物——老翁、七十歳ほど、白髪白鬚、黒の長袍。
   女の子、十歳ほど、紫がかった髪、黒い瞳、白地に黒の市松模様の長衫。
+
 
   過客、三四十歳ほど、疲憊しながら倔強な面持ち、陰鬱な目つき、黒い鬚、乱れ髪、黒い上衣と袴はともに破れ、裸足に破れた靴を履き、脇に袋を提げ、背丈ほどの竹の杖をついている。
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女の子、十歳ほど、紫がかった髪、黒い瞳、白地に黒の市松模様の長衫。
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過客、三四十歳ほど、疲憊しながら倔強な面持ち、陰鬱な目つき、黒い鬚、乱れ髪、黒い上衣と袴はともに破れ、裸足に破れた靴を履き、脇に袋を提げ、背丈ほどの竹の杖をついている。
  
 
東には雑木が数本と瓦礫。西には荒涼として荒れ果てた叢葬地。その間に道とも道ならぬとも知れぬ一条の痕跡がある。小さな土の家がこの痕跡に向かって一つの戸を開けており、戸口の脇に一本の枯れた切り株がある。
 
東には雑木が数本と瓦礫。西には荒涼として荒れ果てた叢葬地。その間に道とも道ならぬとも知れぬ一条の痕跡がある。小さな土の家がこの痕跡に向かって一つの戸を開けており、戸口の脇に一本の枯れた切り株がある。
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翁——子供よ。おい、子供よ! どうして動かないのだ?
 
翁——子供よ。おい、子供よ! どうして動かないのだ?
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子——(東を望みながら)誰か来るわ。ちょっと見てみましょう。
 
子——(東を望みながら)誰か来るわ。ちょっと見てみましょう。
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翁——見なくてよい。中へ入ろう。もう日が暮れる。
 
翁——見なくてよい。中へ入ろう。もう日が暮れる。
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子——あたし、——ちょっと見るわ。
 
子——あたし、——ちょっと見るわ。
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翁——やれやれ、お前という子は! 毎日空を見て、土を見て、風を見て、それでもまだ見足りないのか? 何だってこれらより見事なものはないのだ。お前はどうしても誰かを見たがる。日が沈む時に現れるものは、お前に何の善いこともしてくれはしないよ。……さあ中に入ろう。
 
翁——やれやれ、お前という子は! 毎日空を見て、土を見て、風を見て、それでもまだ見足りないのか? 何だってこれらより見事なものはないのだ。お前はどうしても誰かを見たがる。日が沈む時に現れるものは、お前に何の善いこともしてくれはしないよ。……さあ中に入ろう。
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子——でも、もう近くまで来たわ。ああ、乞食だわ。
 
子——でも、もう近くまで来たわ。ああ、乞食だわ。
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翁——乞食? そうとは限るまい。
 
翁——乞食? そうとは限るまい。
  
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客——お爺さん、今晩は。
 
客——お爺さん、今晩は。
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翁——ああ、今晩は! お元気で。お前さんも元気かね?
 
翁——ああ、今晩は! お元気で。お前さんも元気かね?
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客——お爺さん、まことにぶしつけですが、一杯の水を恵んでいただきたいのです。歩き通しでひどく喉が渇きました。この辺りには池も水溜まりもないものですから。
 
客——お爺さん、まことにぶしつけですが、一杯の水を恵んでいただきたいのです。歩き通しでひどく喉が渇きました。この辺りには池も水溜まりもないものですから。
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翁——うむ、よいよい。まあ座りなさい。(女の子に向かって)お前、水を持ってきておくれ。杯をきれいに洗ってな。
 
翁——うむ、よいよい。まあ座りなさい。(女の子に向かって)お前、水を持ってきておくれ。杯をきれいに洗ってな。
  
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翁——お客さん、まあ座りなさい。お名前はなんとおっしゃるかな。
 
翁——お客さん、まあ座りなさい。お名前はなんとおっしゃるかな。
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客——名前?——知りません。物心ついた頃から、たった一人でした。自分が元々何と呼ばれていたか知りません。歩いてゆく途中で、人々がその場かぎりの呼び方をしましたが、さまざまで、もう覚えていません。それに同じ呼び名を二度聞いたこともありません。
 
客——名前?——知りません。物心ついた頃から、たった一人でした。自分が元々何と呼ばれていたか知りません。歩いてゆく途中で、人々がその場かぎりの呼び方をしましたが、さまざまで、もう覚えていません。それに同じ呼び名を二度聞いたこともありません。
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翁——ほう。では、どちらからおいでになったかな?
 
翁——ほう。では、どちらからおいでになったかな?
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客——(やや躊躇して)知りません。物心ついた頃から、こうして歩いているのです。
 
客——(やや躊躇して)知りません。物心ついた頃から、こうして歩いているのです。
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翁——なるほど。では、どちらへおいでになるか聞いてもよいかな?
 
翁——なるほど。では、どちらへおいでになるか聞いてもよいかな?
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客——もちろんです。——しかし、知りません。物心ついた頃から、こうして歩いているのです。ある場所へ行かねばならない。その場所は前方にあります。ただ、ずいぶん長い道を歩いてきて、いまここに着いたことだけは覚えています。これからあちらへ——(西を指して)前へ進みます!
 
客——もちろんです。——しかし、知りません。物心ついた頃から、こうして歩いているのです。ある場所へ行かねばならない。その場所は前方にあります。ただ、ずいぶん長い道を歩いてきて、いまここに着いたことだけは覚えています。これからあちらへ——(西を指して)前へ進みます!
  
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客——(杯を受け取り)ありがとう、お嬢さん。(水を二口で飲み干し、杯を返す。)ありがとう、お嬢さん。これは本当にめったにないご親切です。どうお礼を申し上げてよいか分かりません!
 
客——(杯を受け取り)ありがとう、お嬢さん。(水を二口で飲み干し、杯を返す。)ありがとう、お嬢さん。これは本当にめったにないご親切です。どうお礼を申し上げてよいか分かりません!
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翁——そんなに感謝せんでよい。お前さんのためにならん。
 
翁——そんなに感謝せんでよい。お前さんのためにならん。
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客——ええ、私のためにはなりません。しかし、おかげでいくぶん力が回復しました。さて、前に進みましょう。お爺さんは久しくこちらにお住まいのようですが、前方がどのような所かご存知ですか?
 
客——ええ、私のためにはなりません。しかし、おかげでいくぶん力が回復しました。さて、前に進みましょう。お爺さんは久しくこちらにお住まいのようですが、前方がどのような所かご存知ですか?
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翁——前方? 前方は、墓だ。
 
翁——前方? 前方は、墓だ。
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客——(驚いて)墓?
 
客——(驚いて)墓?
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子——いいえ、いいえ、違うわ。あそこにはたくさんたくさんの野百合や野薔薇があるの。あたしはよく遊びに行って、眺めるのよ。
 
子——いいえ、いいえ、違うわ。あそこにはたくさんたくさんの野百合や野薔薇があるの。あたしはよく遊びに行って、眺めるのよ。
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客——(西を見やり、かすかに微笑むかのように)そうだ。あのあたりにはたくさんの野百合や野薔薇がある。私もよく遊びに行き、眺めたものだ。しかし、あれは墓だ。(老翁に向かって)お爺さん、あの墓地を過ぎた先はどうなっていますか?
 
客——(西を見やり、かすかに微笑むかのように)そうだ。あのあたりにはたくさんの野百合や野薔薇がある。私もよく遊びに行き、眺めたものだ。しかし、あれは墓だ。(老翁に向かって)お爺さん、あの墓地を過ぎた先はどうなっていますか?
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翁——過ぎた先? それは分からんな。行ったことがないのでな。
 
翁——過ぎた先? それは分からんな。行ったことがないのでな。
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客——分からない?!
 
客——分からない?!
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子——あたしも知らないわ。
 
子——あたしも知らないわ。
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翁——私は南と北と東、つまりお前さんの来た方角だけを知っておる。あれが私の最もよく知る所であり、お前さんたちにとっても一番良い所かもしれん。お節介を怒らんでくれ。見たところ、お前さんはもうずいぶん疲れ切っておる。引き返したほうがよかろう。前に行っても歩き通せるかどうか分からんのだから。
 
翁——私は南と北と東、つまりお前さんの来た方角だけを知っておる。あれが私の最もよく知る所であり、お前さんたちにとっても一番良い所かもしれん。お節介を怒らんでくれ。見たところ、お前さんはもうずいぶん疲れ切っておる。引き返したほうがよかろう。前に行っても歩き通せるかどうか分からんのだから。
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客——歩き通せるか分からない?……(沈思し、突然はっとして)それはいけない! 私は進むしかない。引き返せば、あそこにはどこにも名目があり、どこにも地主がおり、どこにも駆逐と牢獄があり、どこにも皮相の微笑があり、どこにも目の外の涙がある。私はそれらを憎む。引き返しはしない!
 
客——歩き通せるか分からない?……(沈思し、突然はっとして)それはいけない! 私は進むしかない。引き返せば、あそこにはどこにも名目があり、どこにも地主がおり、どこにも駆逐と牢獄があり、どこにも皮相の微笑があり、どこにも目の外の涙がある。私はそれらを憎む。引き返しはしない!
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翁——そうでもあるまい。お前さんにも心の底の涙に出会うことがあろう。お前さんの悲しみのための。
 
翁——そうでもあるまい。お前さんにも心の底の涙に出会うことがあろう。お前さんの悲しみのための。
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客——いいえ。彼らの心底の涙など見たくはない。彼らに私のために悲しんでほしくもない!
 
客——いいえ。彼らの心底の涙など見たくはない。彼らに私のために悲しんでほしくもない!
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翁——ならば、お前さんは……(首を振って)進むしかないな。
 
翁——ならば、お前さんは……(首を振って)進むしかないな。
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客——ええ、進むしかありません。それに、いつも前方に声がして、私を急き立て、呼びかけ、休ませてくれないのです。憎いことに足はとうに擦り切れ、傷だらけで血がたくさん流れた。……しかし私は誰の血だろうと飲みたくはない。水を飲んで血を補うだけです。道すがらいつも水はありましたから、特に不足を感じたことはなかった。ただ私の体力があまりに乏しいのは、血の中に水が多すぎるからでしょう。今日は小さな水溜まり一つにさえ出会わなかったのは、歩いた距離が少なかったせいでしょう。
 
客——ええ、進むしかありません。それに、いつも前方に声がして、私を急き立て、呼びかけ、休ませてくれないのです。憎いことに足はとうに擦り切れ、傷だらけで血がたくさん流れた。……しかし私は誰の血だろうと飲みたくはない。水を飲んで血を補うだけです。道すがらいつも水はありましたから、特に不足を感じたことはなかった。ただ私の体力があまりに乏しいのは、血の中に水が多すぎるからでしょう。今日は小さな水溜まり一つにさえ出会わなかったのは、歩いた距離が少なかったせいでしょう。
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翁——それもどうかな。日も沈んだし、少し休んだほうがよかろう。わしのようにな。
 
翁——それもどうかな。日も沈んだし、少し休んだほうがよかろう。わしのようにな。
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客——しかし、あの前方の声が私に歩けと言うのです。
 
客——しかし、あの前方の声が私に歩けと言うのです。
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翁——分かっておる。
 
翁——分かっておる。
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客——分かっておいでですか? あの声をご存知なのですか?
 
客——分かっておいでですか? あの声をご存知なのですか?
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翁——ああ。あの声はかつて、わしも呼んだことがあるらしい。
 
翁——ああ。あの声はかつて、わしも呼んだことがあるらしい。
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客——では、今私を呼んでいるのと同じ声ですか?
 
客——では、今私を呼んでいるのと同じ声ですか?
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翁——それは分からん。何度か呼んだが、わしが構わずにおると、やがて呼ばなくなり、もうはっきり覚えておらんのだ。
 
翁——それは分からん。何度か呼んだが、わしが構わずにおると、やがて呼ばなくなり、もうはっきり覚えておらんのだ。
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客——ああ、構わずにおくとは……。(沈思し、突然ぎくりとして耳を澄ます。)いけない! やはり歩いたほうがよい。休んではおれぬ。憎いことに足はとうに擦り切れたのだが。(歩き出す支度をする。)
 
客——ああ、構わずにおくとは……。(沈思し、突然ぎくりとして耳を澄ます。)いけない! やはり歩いたほうがよい。休んではおれぬ。憎いことに足はとうに擦り切れたのだが。(歩き出す支度をする。)
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子——これをどうぞ!(布切れを差し出す。)傷を包んで行って。
 
子——これをどうぞ!(布切れを差し出す。)傷を包んで行って。
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客——ありがとう、(受け取って)お嬢さん。これは本当に……。本当にめったにないご親切だ。これでもっと遠くまで歩けるだろう。(崩れた煉瓦に座り、布を踝に巻こうとする。)しかし、いけない!(力を込めて立ち上がる。)お嬢さん、お返しします。やはり巻けないのです。それに、あまりに深いご親切は、お礼のしようがありません。
 
客——ありがとう、(受け取って)お嬢さん。これは本当に……。本当にめったにないご親切だ。これでもっと遠くまで歩けるだろう。(崩れた煉瓦に座り、布を踝に巻こうとする。)しかし、いけない!(力を込めて立ち上がる。)お嬢さん、お返しします。やはり巻けないのです。それに、あまりに深いご親切は、お礼のしようがありません。
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翁——そんなに感謝せんでよい。お前さんのためにならん。
 
翁——そんなに感謝せんでよい。お前さんのためにならん。
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客——ええ、私のためにはなりません。しかし私にとって、この施しは最上のものです。
 
客——ええ、私のためにはなりません。しかし私にとって、この施しは最上のものです。
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翁——本気にするでない。
 
翁——本気にするでない。
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客——ええ。しかし受け取れないのです。もし誰かの施しを得たら、私はきっとこうなるでしょう。禿鷲が死骸を見つけたように、その人のそばを徘徊し、その人の滅亡を祈り、自ら見届けようとする。さもなければその人以外の一切が滅びるよう、自分自身もろとも呪うでしょう。なぜなら私は呪いを受けるに値する者だからです。しかし私にはまだそのような力がない。たとえあったとしても、彼女がそのような境遇になることを望みはしない。彼女たちはおそらくそのような境遇を望んでいないのだから。これが最も穏当だと思います。(女の子に向かって)お嬢さん、この布切れはとても良いものだが、少し小さすぎます。お返しします。
 
客——ええ。しかし受け取れないのです。もし誰かの施しを得たら、私はきっとこうなるでしょう。禿鷲が死骸を見つけたように、その人のそばを徘徊し、その人の滅亡を祈り、自ら見届けようとする。さもなければその人以外の一切が滅びるよう、自分自身もろとも呪うでしょう。なぜなら私は呪いを受けるに値する者だからです。しかし私にはまだそのような力がない。たとえあったとしても、彼女がそのような境遇になることを望みはしない。彼女たちはおそらくそのような境遇を望んでいないのだから。これが最も穏当だと思います。(女の子に向かって)お嬢さん、この布切れはとても良いものだが、少し小さすぎます。お返しします。
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子——(恐れて後ずさる。)要りません! 持って行って!
 
子——(恐れて後ずさる。)要りません! 持って行って!
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客——(微笑するかのように)ああ……。私が触ったから?
 
客——(微笑するかのように)ああ……。私が触ったから?
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子——(頷き、袋を指差して)そこに入れて、遊んでいいわ。
 
子——(頷き、袋を指差して)そこに入れて、遊んでいいわ。
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客——(力なく後ずさる。)しかしこれを背負っては、どうやって歩くのか……。
 
客——(力なく後ずさる。)しかしこれを背負っては、どうやって歩くのか……。
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翁——休めぬのなら、背負うこともできまい。——少し休めば、何でもなくなる。
 
翁——休めぬのなら、背負うこともできまい。——少し休めば、何でもなくなる。
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客——そうだ、休息……。(物思いにふけるが、突然はっとして耳を澄ます。)いや、だめだ! やはり歩こう。
 
客——そうだ、休息……。(物思いにふけるが、突然はっとして耳を澄ます。)いや、だめだ! やはり歩こう。
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翁——どうしても休みたくないのかね?
 
翁——どうしても休みたくないのかね?
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客——休みたいのです。
 
客——休みたいのです。
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翁——ならば少し休んだらよかろう。
 
翁——ならば少し休んだらよかろう。
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客——しかし、休めないのです……。
 
客——しかし、休めないのです……。
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翁——やはり歩いたほうがよいと思うかね?
 
翁——やはり歩いたほうがよいと思うかね?
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客——ええ。やはり歩いたほうがよい。
 
客——ええ。やはり歩いたほうがよい。
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翁——ならば、歩くがよかろう。
 
翁——ならば、歩くがよかろう。
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客——(腰を伸ばして)では、お別れです。まことにありがとうございました。(女の子に向かって)お嬢さん、これをお返しします。どうぞお収めください。
 
客——(腰を伸ばして)では、お別れです。まことにありがとうございました。(女の子に向かって)お嬢さん、これをお返しします。どうぞお収めください。
  
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翁——持って行きなさい。もし重すぎたら、いつでも墓地の中に捨てればよい。
 
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子——(前に出て)ああ、それはだめ!
 
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客——ああ、それはだめだ。
 
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翁——ならば、野百合や野薔薇の上に掛けておけばよい。
 
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子——(手を叩いて)ははは! いいわね!
 
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客——ああ……。
 
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翁——では、さらばだ。ご無事を祈る。(立ち上がり、女の子に向かって)子供よ、中へ扶けておくれ。ごらん、もうとっくに日が沈んでしまった。(振り返り戸口に向かう。)
 
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客——ありがとうございました。ご無事をお祈りします。(佇み、沈思し、突然はっとして)しかし、私は休めない! 進むほかはない。やはり歩こう……。(たちまち頭を上げ、奮然として西に向かって歩み去る。)
 
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一九二五年三月二日。
 
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=== 第24節 ===
 
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「ちぇ。……ああ!……」
 
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一九二五年七月十二日。
 
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野草 (野草)

魯��� (ルーシュン, 1881-1936)

中国語からの日本語翻訳。


第1節

題辞

私が沈黙している時、私は充実を感じる。口を開こうとすると、同時に空虚を感じる。

過ぎ去った生命はすでに死んだ。私はこの死に大きな喜びを覚える。なぜなら、これによってそれがかつて生きていたことを知るからだ。死んだ生命はすでに朽ちた。私はこの朽ちることに大きな喜びを覚える。なぜなら、これによっ��それがまだ空虚ではなかったことを知るからだ。

生命の泥は地面に委ねられ、喬木を生ぜず、ただ野草を生ずる。これは私の罪過である。

野草は、根は深くなく、花も葉も美しくない。しかし露を吸い、水を吸い、とうに死んだ人の血と肉を吸い、それぞれがその生存を奪い取る。生存している間も、なお踏みにじられ、刈り取られ、ついには死に至って朽ちるのだ。

しかし私は坦然として、欣然としている。私は大いに笑おう、私は歌おう。

私は自分の野草を愛する。しかし野草を飾りとするこの地面を憎む。

地火は地下を走り、突き進む。溶岩がひとたび噴き出せば、一切の野草を焼き尽くし、喬木をも焼き尽くし、かくして朽ちるものさえなくなる。

しかし私は坦然として、欣然としている。私は大いに笑おう、私は歌おう。

天地はかくも静穆である。私は大いに笑い、かつ歌うことができない。天地がかくも静穆でなくとも、おそらく私はやはりできないだろう。私はこの一叢の野草を、明と暗、生と死、過去と未来の際に、友と仇、人と獣、愛する者と愛さぬ者の前に捧げて証とする。

私自身のために、友と仇、人と獣、愛する者と愛さぬ者のために、私はこの野草の死と朽ちることが、火急に訪れることを願う。さもなくば、私はそもそも生きてさえいなかったのであり、これはまことに死と朽ちることよりもいっそう不幸なことだ。

去れ、野草よ、わが題辞とともに!

一九二七年四月二十六日、魯迅、広州の白雲楼上にて記す。

第2節

秋夜

私の裏庭から、塀の外に二本の木が見える。一本は棗の木で、もう一本もまた棗の木である。

この上の夜の空は、奇妙に高い。私は生まれてこのかた、このような奇妙に高い空を見たことがない。それはまるで人間界を離れ去ろうとするかのようで、人々が仰いでもう二度と見えなくなるほどだ。しかし今は非常に青く、きらきらと数十の星の目を瞬かせている。冷たい目だ。その口元には微笑が浮かび、大いに深い意味ありげで、しかも濃い霜を私の園の野の花草の上に撒き散らす。

私はそれらの花草の本当の名前を知らない。人々が何と呼ぶかも知らない。極めて小さな薄紅の花を咲かせたものがあったのを覚えている。今もまだ咲いているが、さらに極めて小さくなった。冷たい夜気の中で、彼女は身を縮めて夢を見ている。春の到来を夢見、秋の到来を夢見、痩せた詩人が彼女の最後の花弁に涙を拭い、秋が来ても冬が来ても、その後にはまた春が続き、蝶は乱れ飛び、蜜蜂はみな春の歌を歌い始めると告げるのを夢見ている。彼女はそこで微笑んだ。顔色は凍えて赤く痛々しいが、なおも身を縮めている。

棗の木は、すっかり葉を落としてしまった。以前はまだ一人二人の子供が、人の打ち残した棗を打ちに来たが、今は一つも残っていない。葉さえすっかり落ちた。彼は小さな薄紅の花の夢を知っている。秋の後に春があることを。彼はまた落葉の夢をも知っている。春の後にはまた秋があることを。彼はすっかり葉を落とし、ただ幹だけを残したが、かつて果実と葉に満ちていた頃の弧の形を脱し、伸び伸びと心地よさそうだ。しかしいくつかの枝はまだ低く垂れ、棗を打つ竿の先で負った皮の傷を護っている。一方、最もまっすぐで最も長いいくつかの枝は、黙々と鉄のように、奇妙に高い空をまっすぐに刺し、空にきらきらと鬼の目を瞬かせている。空の満月をまっすぐに刺し、月を狼狽させて白くならせる。

鬼の目の空はますます非常に青くなり、不安になった。まるで人間界を離れ去り、棗の木を避けて、ただ月だけを残そうとするかのようだ。しかし月もひそかに東の方に隠れてしまった。そして何もなくなった幹は、なおも黙々と鉄のように奇妙に高い空をまっすぐに刺し、ひたすらその息の根を止めようとし、空がどのようにさまざまな蠱惑の目を瞬かせようとも構わない。

「ワッ」と一声、夜を遊ぶ凶鳥が飛び去った。

私はふと真夜中の笑い声を聞いた。くすくすと、眠っている人を驚かしたくないかのようだったが、四方の空気はみなこの笑いに応じた。真夜中、他に人はいない。私はたちまちこの声が自分の口の中にあると気づき、私もたちまちこの笑い声に追い立てられ、自分の部屋に戻った。ランプの芯もたちまち高くした。

裏窓のガラスがカチカチと鳴り、たくさんの小さな虫がぶつかっている。まもなく何匹かが入ってきた。おそらく窓紙の破れ穴から入ったのだろう。入ってくると、またガラスのランプの傘にカチカチとぶつかった。一匹が上から中に入り込み、火に出会った。しかも私はこの火は本物だと思う。二、三匹はランプの紙の傘の上に止まって息をついている。その傘は昨晩換えたばかりの新しい傘で、雪白の紙に波形の折り目がつけられ、一隅にはまだ真紅の梔子の花が一枝描かれている。

真紅の梔子が花咲く時、棗の木はまた小さな薄紅の花の夢を見て、みずみずしく弧を描くことだろう……。私はまた真夜中の笑い声を聞き、急いで心の緒を断ち切り、白い紙の傘の上にいるあの小さな青虫を見た。頭が大きく尻が細く、向日葵の種のような形で、半粒の小麦ほどの大きさしかなく、全身の色は蒼翠として愛らしく、哀れだった。私は一つあくびをし、紙巻煙草に火をつけ、煙を吐き出し、ランプに向かって黙ってこの蒼翠にして精緻な英雄たちに弔いの煙を捧げた。

一九二四年九月十五日。

第3節

影の告別

人がいつとも知れぬ時まで眠ると、影がやって来て告別し、あの言葉を口にする——

私の好まぬものが天堂にある、私は行きたくない。私の好まぬものが地獄にある、私は行きたくない。私の好まぬものが君たちの来たるべき黄金世界にある、私は行きたくない。

しかし君こそが私の好まぬものなのだ。

友よ、私はもう君に従いたくない、私は住みたくない。

私は嫌だ!

ああ、ああ、私は嫌だ、私はむしろ無の地を彷徨おう。

私は一つの影にすぎない。君に別れを告げて暗闇の中に沈もうとしている。しかし暗闇もまた私を呑み込み、しかし光もまた私を消し去るだろう。

しかし私は明と暗の間を彷徨いたくはない。私はむしろ暗闇の中に沈もう。

しかし私はついに明と暗の間を彷徨っている。黄昏なのか黎明なのか、私には分からない。私はしばらく灰黒の手を掲げて一杯の酒を飲み干す真似をし、いつとも知れぬ時に独り遠く旅立とう。

ああ、ああ、もし黄昏ならば、暗夜がおのずから来て私を沈めるだろう。さもなくば私は白昼に消されるだろう、もし今が黎明ならば。

友よ、時は近い。

私は暗闇に向かって無の地を彷徨おう。

君はなお私の贈り物を望む。私は君に何を献げ得ようか。やむを得ず、やはり暗闇と虚空のみだ。しかし、私はただ暗闇であることを願う、あるいは君の白昼のうちに消え去ろう。私はただ虚空であることを願う、決して君の心の地を占めまい。

私はこう願う、友よ——私は独り遠く旅立つ。君がいないだけでなく、さらに他の影も暗闇の中にはない。ただ私だけが暗闇に沈められ、あの世界はすべて私自身のものとなる。

一九二四年九月二十四日。

第4節

求乞者

私は剥げ落ちた高い塀に沿って歩き、柔らかな灰色の土を踏んでいた。ほかにも何人かの人が、それぞれの道を歩いていた。微風が起こり、塀の上に顔を出した高い木の枝が、まだ枯れきっていない葉をつけて、私の頭上で揺れていた。

微風が起こり、四方は灰色の土ばかりであった。

一人の子供が私に物乞いをしてきた。彼もまた合わせの衣を着ており、とりたてて悲しげにも見えなかったが、道を塞いで叩頭し、追いすがって哀願した。

私はその声の調子と態度を厭うた。私はその悲しんでもいないのに、まるで遊び半分のような態度を憎んだ。追いすがって哀願するのが煩わしかった。

私は歩いた。ほかにも何人かの人が、それぞれの道を歩いていた。微風が起こり、四方は灰色の土ばかりであった。

一人の子供が私に物乞いをしてきた。彼もまた合わせの衣を着ており、とりたてて悲しげにも見えなかったが、口がきけず、手を広げて、手振りをしていた。

私はその手振りを憎んだ。しかも、彼はあるいは口がきけないのではなく、これはただの物乞いの手法にすぎないのかもしれなかった。

私は施しをしない。私には施しの心がない。私はただ施す者の上に立って、煩わしさと、猜疑と、憎悪を与えるばかりだ。

私は崩れかけた土塀に沿って歩いた。割れた煉瓦が塀の欠けた所に積まれ、塀の中には何もなかった。微風が起こり、秋の寒さが合わせの衣を貫いて送られてきた。四方は灰色の土ばかりであった。

私は考えた——私はどのような方法で物乞いをするだろうか。声を出すとしたら、どのような声で? 口がきけない振りをするとしたら、どのような手振りで?……

ほかにも何人かの人が、それぞれの道を歩いていた。

私は施しを得られまい、施しの心も得られまい。得られるのは、施す者を自任する者からの、煩わしさと猜疑と憎悪であろう。

私は無為と沈黙とで物乞いをしよう……少なくとも虚無は手に入るだろう。

微風が起こり、四方は灰色の土ばかりであった。ほかにも何人かの人が、それぞれの道を歩いていた。灰色の土、灰色の土、……

……………

灰色の土……

一九二四年九月二十四日。

第5節

我が失恋

——擬古の新狂歌

我が愛しき人は山の腰にあり、

尋ねゆかんとすれど山はあまりに高く、

うなだれて術なく涙は袍を濡らす。

恋人は我に百蝶の巾を贈りき、

返したるものは何か——梟なり。

爾来顔を背けて我を顧みず、

何故とも知らずして我が心を戦かす。

我が愛しき人は繁華の街にあり、

尋ねゆかんとすれど人波押し合えり、

仰ぎ見て術なく涙は耳を濡らす。

恋人は我に双燕の図を贈りき、

返したるものは何か——氷糖の葫蘆なり。

爾来顔を背けて我を顧みず、

何故とも知らずして我を惑わす。

我が愛しき人は河のほとりにあり、

尋ねゆかんとすれど河水深し、

首を傾けて術なく涙は襟を濡らす。

恋人は我に金の懐中時計の鎖を贈りき、

返したるものは何か——発汗薬なり。

爾来顔を背けて我を顧みず、

何故とも知らずして我を神経衰弱にせり。

我が愛しき人は豪家にあり、

尋ねゆかんとすれど自動車もなく、

首を振りて術なく涙は麻の如し。

恋人は我に薔薇の花を贈りき、

返したるものは何か——赤練蛇なり。

爾来顔を背けて我を顧みず、

何故とも知らず——彼女の好きにさせよ。

一九二四年十月三日。

第6節

復讐

人間の皮膚の厚さは、おそらく半分にも満たず、鮮紅の熱き血は、その裏側を、壁に密々と層を成して這う槐蚕よりもさらに密な血管の中を奔流し、温もりを発散している。かくて各々がこの温もりによって互いに蠱惑し、煽動し、牽引し、必死に偎り添い、接吻し、抱擁せんことを求め、もって生命の酩酊の大歓喜を得んとする。

されど、もし一振りの鋭利な刃を以て、ただ一撃、この桃紅色の薄き皮膚を貫けば、あの鮮紅の熱き血が矢の如く迸り、その一切の温もりを以て直に殺戮者に灌がれるのを見るであろう。次いでは、冷たき息を与え、蒼白き唇を示して、人性を茫然たらしめ、生命の飛揚の極致の大歓喜を得せしめる。而してその身自らは、永遠に生命の飛揚の極致の大歓喜の中に沈潜するのである。

かくの如くにして、彼ら二人は全身を裸にし、利刃を握り締めて、広漠たる曠野の上に対峙している。

彼ら二人はまさに抱擁せんとし、まさに殺戮せんとしている……路人たちが四方から馳せ来たり、密々と層を成して、槐蚕が壁を這い上がるように、蟻が鯗の頭を担ごうとするように。衣装は皆瀟洒なれど、手は空である。されど四方から馳せ来たり、しかも必死に首を伸ばして、この抱擁か殺戮かを鑑賞せんとする。彼らは已に事後の己が舌上の汗か血の鮮味を予感しているのだ。

されど彼ら二人は対峙している、広漠たる曠野の上に、全身を裸にし、利刃を握り締めて。されど抱擁もせず、殺戮もせず、しかも抱擁か殺戮の意もまた見えぬのである。

彼ら二人はかくの如くにして永久に至り、豊かなる肉体は已に干枯せんとするも、されど毫も抱擁か殺戮の意は見えぬのである。

路人たちはここに於いて退屈し、退屈が己が毛穴に滲み込むを覚え、退屈が己が心中より毛穴を通じて滲み出で、曠野一面に這い広がり、また他人の毛穴に滲み込むを覚える。彼らはここに於いて喉舌の乾きを覚え、頸も疲れ、ついには互いに顔を見合わせ、徐々に散じ去り、甚だしきは居ながらにして干枯して生きる甲斐をも失いし心地に至る。

かくて残されしは広漠たる曠野のみにして、彼ら二人はその間に全身を裸にし、利刃を握り締めて、干枯して立っている。死人の如き眼差しを以て、この路人たちの干枯、無血の大殺戮を鑑賞しつつ、永遠に生命の飛揚の極致の大歓喜の中に沈潜するのである。

一九二四年十二月二十日。

第7節

復讐(その二)

彼は自ら神の子、イスラエルの王と任じたるが故に、十字架に釘付けにされにゆく。

兵卒らは彼に紫の袍を着せ、茨の冠を戴かせて慶賀し、また葦の棒で彼の頭を打ち、唾を吐きかけ、跪いて拝した。戯弄し終わると、紫の袍を脱がせ、元の衣を着せた。見よ、彼らは彼の頭を打ち、唾を吐きかけ、拝する……彼は没薬を混ぜた葡萄酒を飲むことを肯ぜず、イスラエルの民がその神の子をいかに遇するかを明瞭に味わおうとし、しかもより永く彼らの前途を悲憫しつつ、されど彼らの現在を憎悪した。

四面は悉く敵意であった。悲憫すべき、呪詛すべき。

丁丁と音がし、釘の先が掌を貫く。彼らはその神の子を釘殺せんとしているのだ。悲憫すべき人々よ、それは彼に柔らかき痛みを与えた。丁丁と音がし、釘の先が足の甲を貫き、骨の一片を砕く。痛苦は心髄にまで透り、されど彼ら自らその神の子を釘殺しつつあるのだ。呪詛すべき人々よ、それは彼に快き痛みを与えた。十字架は立て起こされた。彼は虚空に懸かっている。

彼は没薬を混ぜた葡萄酒を飲まなかった。イスラエルの民がその神の子をいかに遇するかを明瞭に味わおうとし、しかもより永く彼らの前途を悲憫しつつ、されど彼らの現在を憎悪した。

路人は皆彼を罵り、祭司長と律法学者も彼を戯弄し、彼と共に釘付けにされた二人の強盗も彼を嘲った。見よ、彼と共に釘付けにされた者らも……四面は悉く敵意であった。悲憫すべき、呪詛すべき。

彼は手足の痛苦の中に、悲憫すべき人々の神の子を釘殺する悲哀と、呪詛すべき人々の神の子を釘殺せんとし、而して神の子がまさに釘殺されんとする歓喜とを味わった。突如として、砕骨の大痛苦が心髄に透りし時、彼は即ち大歓喜と大悲憫の中に酩酊した。

彼の腹部が波打った。悲憫と呪詛の痛苦の波であった。

地上はことごとく暗くなった。

「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ?!」(訳せば即ち、わが神、わが神、なんぞ我を見棄てたまいしや?!)神は彼を見棄てた。彼は結局やはり一人の「人の子」であった。されどイスラエルの民は「人の子」をさえ釘殺したのである。

「人の子」を釘殺した人々の身は、「神の子」を釘殺した者よりもいっそう血に塗れ、血臭かった。

一九二四年十二月二十日。

第8節

希望

私の心はことのほか寂しい。

されど私の心は平穏である。愛憎もなく、哀楽もなく、色もなければ音もない。

私はおそらく老いたのだ。私の髪は已に蒼白ではないか、それは明らかなことではないか。私の手は顫えている、それは明らかなことではないか。ならば、私の魂の手もきっと顫えており、髪もきっと蒼白であろう。

されどこれは幾年も前のことであった。

これ以前、私の心にもかつて血腥い歌声が充満していた。血と鉄、炎と毒、回復と報復と。されど忽ちにしてこれらは悉く空虚となった。ただ時として故意に、如何ともし難き自欺の希望を以て填めた。希望、希望、この希望の盾を以て、かの空虚の中の暗夜の襲来に抗った。盾の後ろにもやはり空虚の中の暗夜があるにもかかわらず。

されどかくの如くにして、次第に私の青春を消耗し尽くしたのだ。私はとうに自分の青春が已に逝き去ったことを知らなかったわけではない。ただ身の外の青春は固より在ると思っていた。星、月光、硬直して墜ちた蝶、暗中の花、梟の不吉な言葉、杜鵑の血を吐く啼声、笑いの渺茫、愛の翔舞……。たとえ悲涼として漂渺たる青春であるにせよ、されど畢竟は青春である。

されど今はなにゆえにかくも寂しいのか。まさか身の外の青春もまた悉く逝き去り、世の青年たちもまた多くは衰老したのではあるまいか。

私は自ら進んでこの空虚の中の暗夜に肉薄するほかはない。私は希望の盾を下ろした。ペテーフィ・シャーンドル(一八二三—四九)の「希望」の歌が聞こえる。希望とは何か。それは娼婦である。彼女は誰をも蠱惑し、一切を献げる。汝が至極の宝——汝の青春——を犠牲にし終えれば、彼女は汝を棄てるのだ。

この偉大なる抒情詩人、ハンガリーの愛国者は、祖国のためにコサック兵の矛先に死して、已に七十五年が経つ。悲しいかなその死よ。されど更に悲しむべきは、その詩が今なお死なぬことである。

されど、惨むべき人生よ! ペテーフィの如く桀驁にして英勇なる者も、ついに暗夜を前にして歩みを止め、茫々たる東方を振り返ったのだ。彼は言った——絶望の虚妄なること、まさに希望に同じ、と。もし私がなお、明暗定かならぬこの「虚妄」の中に偸生を得るならば、私はなお、かの逝き去りし悲涼漂渺の青春を求めよう。ただしわが身の外に。なぜならば身の外の青春が一たび消滅すれば、わが身の中の遅暮もまた即ち凋零するのだから。

されど今は星もなく月光もなく、硬直して墜ちた蝶もなければ笑いの渺茫も愛の翔舞もない。されど青年たちは甚だ平穏である。

私は自ら進んでこの空虚の中の暗夜に肉薄するほかはない。たとえ身の外の青春を見出せずとも、せめて自らわが身の中の遅暮を一擲せねばならぬ。されど暗夜はまたいずこにあるのか。今は星もなく、月光もなければ笑いの渺茫も愛の翔舞もない。青年たちは甚だ平穏であり、しかも私の面前にはついに真の暗夜すら存在しないのだ。絶望の虚妄なること、まさに希望に同じ!

一九二五年一月一日。

第9節

暖国の雨は、いまだかつて冷たく硬く燦爛たる雪花に変わったことがない。博識なる人々はそれを単調と感じ、雨自身もまた不幸と思うであろうか。江南の雪は、まこと潤いに満ちて美艶の極みである。それはなおほのかに漂う青春の便りであり、極めて壮健なる処女の肌である。雪野の中には血紅の宝珠山茶、白の中に青を秘めた一重の梅花、深黄の磬口の蝋梅花があり、雪の下にはなお冷たき緑の雑草がある。蝶は確かにいない。蜜蜂が山茶花や梅花の蜜を採りに来たかどうか、私は正確には覚えていない。されど私の眼前には仿佛として冬の花が雪野の中に咲いているのが見え、多くの蜜蜂たちが忙しく飛び回り、彼らがぶんぶんと騒ぐのも聞こえるようである。

子供たちは凍えて真っ赤になった、紫芽生姜のような小さな手に息を吹きかけ、七、八人が一斉に雪だるまを作る。うまくいかないので、誰かの父親も手伝いに来た。だるまは子供たちよりずっと高く作られたが、上が小さく下が大きいだけの一塊にすぎず、結局それが瓢箪なのかだるまなのか判じ難い。されど甚だ潔白にして明艶、自らの潤いで粘り合い、全体がきらきらと光を放っている。子供たちは龍眼の種で目玉を作り、また誰かの母親の化粧箱から胭脂をくすねてきて唇に塗った。今度こそまさしく立派な阿羅漢である。彼もまた目を爛々と輝かせ、唇を真っ赤にして雪の中に坐していた。

翌日にもなお何人かの子供が彼を訪ねてきた。彼に向かって手を叩き、頷き、嬉しそうに笑った。されど彼はついに独りで坐していた。晴天がまたその肌を融かし、寒夜がまた一層の氷を結ばせ、不透明なる水晶のようにし、連日の晴天がまたそれを何とも名状し難いものにしてしまった。そして唇の胭脂もすっかり褪せてしまった。

されど、朔方の雪花は紛々と降り終えた後も、永遠に粉の如く、砂の如く、決して粘り合うことなく、屋根に、地面に、枯草の上に撒かれるばかりである。屋根の雪はとうに消え始めている。屋内に住む人の火の温もりゆえに。それ以外は、晴天の下、旋風が忽然として来たり、蓬勃として奮い飛び、日光の中に燦々と輝き、火焔を蔵した大いなる霧の如く、旋回しつつ昇騰し、太空に瀰漫して、太空をして旋回し昇騰しつつ閃めかしめる。

無辺の曠野の上、凛冽たる蒼穹の下、閃々として旋回し昇騰するは、雨の精魂……

然り、あれは孤独なる雪、死したる雨、雨の精魂である。

一九二五年一月十八日。

第10節

北京の冬、地面にはまだ積雪があり、灰黒色の裸の木の枝が晴れた空に叉を広げている中、遠くに一つ二つの凧が浮かんでいるのは、私にとって一種の驚きと悲しみであった。

故郷の凧の季節は春二月で、もしさらさらという風車の音が聞こえたならば、見上げれば薄墨色の蟹凧や淡い藍色の百足凧が見えた。さらに寂しい瓦凧もあった。風車がなく、低く揚がって、ひょろりと憔悴して哀れな姿を見せていた。しかしその頃には地上の柳は已に芽吹き、早い山桃も多く蕾をつけ、子供たちの空の装飾と照応して、一幅の春日の温もりを成していた。私は今どこにいるのか。四方はまだ厳冬の粛殺であり、久しく別れた故郷の、久しく逝き去った春が、この空に漂っていた。

しかし私はもともと凧揚げが好きではなかった。好きでないどころか嫌悪していた。なぜならば、これは出来の悪い子供の遊びだと思っていたからだ。私と正反対なのが弟で、あの頃はおそらく十歳前後であったろう、病気がちで痩せ細っていたが、凧が一番好きだった。自分では買えず、私もまた揚げることを許さなかったので、小さな口を開けたまま空をぼんやりと見つめるしかなく、時には半日もそうしていた。遠くの蟹凧が突然落ちてくると、彼は叫び声を上げた。二つの瓦凧の絡まりがほどけると、彼は喜んで跳び上がった。こうしたことは私から見れば、みな笑い草であり、卑しむべきものであった。

ある日、私はふと思い当たった。ここしばらく彼の姿をあまり見かけなかったが、裏庭で枯れた竹を拾っていたのを見た覚えがあった。はっと悟ったように、滅多に人が行かない、雑物の積まれた小部屋へ走って行き、扉を開けると、果たして埃をかぶった物の山の中に彼がいた。彼は大きな腰掛に向かい、小さな腰掛に座っていたが、ひどく狼狽して立ち上がり、顔色を失って身を縮めた。大きな腰掛の脇には蝶凧の竹骨が立てかけてあり、まだ紙が貼られていなかった。腰掛の上には目玉に使う小さな風車が一対あり、ちょうど赤い紙の帯で飾り付けられ、まさに完成しようとしていた。私は秘密を暴いた満足の中で、しかもまた彼が私の目を欺いてこのように苦心惨憺して出来の悪い子供の遊び道具をこっそり作っていたことに、甚だ憤った。私はたちまち手を伸ばして蝶の翅骨を一本折り、さらに風車を地面に投げつけて踏み潰した。年齢からしても力からしても、彼は私に敵うはずがなく、私はもちろん完全な勝利を得た。そこで傲然として出て行き、彼を絶望のまま小部屋に残した。その後、彼がどうしたか、私は知らない。気にも留めなかった。

しかし私への罰はついに訪れた。私たちが長らく離れ離れになった後、私は已に中年になっていた。不幸にも偶然、外国の児童について論じた本を読み、遊びが児童の最も正当な行為であり、玩具が児童の天使であることを知った。すると二十年来まるで思い出すこともなかった幼い日の精神的虐殺の一幕が、忽ち眼前に展開し、私の心もまた同時に鉛の塊になったかのように、重く重く堕ちていった。

しかし心はまだ堕ちきって断絶するには至らず、ただ甚だ重く重く堕ちて、堕ちていた。

私は償いの方法も知っていた。彼に凧を贈り、揚げることに賛成し、揚げることを勧め、彼と一緒に揚げるのだ。私たちは叫び、走り、笑う。——しかし彼はその時には已に私と同じく、とうに髭が生えていた。

私はもう一つの償いの方法も知っていた。彼に許しを請い、彼が「僕はちっとも恨んじゃいないよ」と言うのを待つことだ。そうすれば、私の心はきっと軽くなるだろう。これは確かに実行可能な方法であった。ある時、私たちが会った時には、互いの顔に「生」の辛苦の多くの条紋が刻まれており、私の心は重かった。私たちは次第に幼い日の旧事を語り出し、私はこの一節に及んで、少年時代の愚かさを語った。「僕はちっとも恨んじゃいないよ。」と彼は言うだろう、と私は思った。そうすれば即座に赦され、私の心もこれから軽くなるだろう。

「そんなことがあったかね?」彼は驚いたように笑って言った。まるで他人の話を傍で聞いているようだった。彼は何も覚えていなかったのだ。

すっかり忘れ去り、少しの怨みもないのに、何の赦しがあろうか。怨みのない赦しなど、欺瞞にすぎない。

私になお何を求め得ようか。私の心はただ重くあるほかはなかった。

今、故郷の春がまたこの異郷の空にあって、久しく逝き去った幼年の記憶を与えるとともに、捉えようのない悲哀をも帯びていた。いっそ粛殺の厳冬に逃げ込もうか、——しかし四方はまさしく厳冬であり、甚だしき寒威と冷気を与えていた。

一九二五年一月二十四日。

第11節

良い物語

灯火は次第に小さくなっていた。石油がもう多くないことを予告していた。石油はまた上物ではなく、とうにランプのほやを煤で曇らせていた。爆竹の盛んな響きが四方に聞こえ、煙草の煙が身辺に漂っている。昏沈たる夜であった。

私は目を閉じ、後ろにのけ反って椅子の背にもたれた。『初学記』を手にしたまま膝に置いた。

朦朧の中で、私は一つの良い物語を見た。

この物語は甚だ美しく、幽雅で、趣があった。多くの美しい人と美しい事が、錯綜して一幅の雲錦のように、しかも万顆の流星の如く飛動し、同時に展き開いて、無窮に至った。

私は仿佛として、かつて小舟に乗って山陰の道を通ったことを覚えている。両岸の烏桕、新しい稲、野の花、鶏、犬、叢林と枯木、茅屋、塔、伽藍、農夫と村の婦人、村の娘、干された衣、僧侶、蓑笠、空、雲、竹、……すべてが澄んだ碧い小川に映り、一漕ぎごとに、それぞれが煌めく日光を帯び、水中の浮草や藻、遊ぶ魚と一緒に揺れ動いた。あらゆる影、あらゆる物が、ことごとく解き放たれ、そして揺れ動き、拡がり、互いに融け合った。融け合ったかと思えば、また退いて元の形に近づく。縁はみな夏雲の峰のように参差として、日光を鏤め、水銀色の焔を放っていた。私が通ったすべての河が、このようであった。

今、私の見ている物語もまたこのようである。水中の青空の底に、一切の事物が交錯し、一篇に織り上げられ、永遠に生き生きとして、永遠に展き開いてゆく。私にはこの一篇の結末が見えない。

河辺の枯れた柳の下の数株の痩せた一丈紅は、おそらく村の娘が植えたものだろう。大きな紅い花と斑紅の花が、水の中に浮かんでいたが、ふと砕け散り、引き伸ばされて、縷々たる胭脂の水となった。されど滲むことはなかった。茅屋、犬、塔、村の娘、雲、……もまた浮かんでいた。大きな紅い花が一つ一つ引き伸ばされ、今や奔騰する紅い錦の帯であった。

帯は犬の中に織り込まれ、犬は白雲の中に織り込まれ、白雲は村の娘の中に織り込まれる……。一瞬のうちに、それらはまた退縮しようとした。しかし斑紅の花影もまた已に砕け散り、伸び広がって、まさに塔、村の娘、犬、茅屋、雲の中に織り込まれようとしていた。

今、私の見ている物語は明瞭になってきた。美しく、幽雅で、趣があり、しかも分明である。青空の上に、無数の美しい人と美しい事がある。私はそれを一つ一つ見、一つ一つ知る。

私はそれらを凝視しようとした……。

私がまさに凝視しようとした時、忽然と驚いて目を開けた。雲錦もまた皺み、乱れていた。まるで誰かが大きな石を河に投げ込んだかのように、波が突然立ち上がり、一篇の影の全体をずたずたに引き裂いたのだ。私は無意識に、地面に落ちかけた『初学記』を急いで掴んだ。目の前にはまだ幾点かの虹霓色の砕けた影が残っていた。

私はこの一篇の良い物語を本当に愛している。砕けた影がまだあるうちに、それを追い戻し、完成させ、留めておきたい。私は本を投げ出し、身を起こして手を伸ばし、筆を取ろうとした。——しかし砕けた影の一片だにあるはずもなく、ただ昏い灯火が見えるだけであった。私は小舟の中にはもういなかった。

しかし私はたしかにこの一篇の良い物語を見たのだ。昏沈たる夜に……。

一九二五年二月二十四日。

第12節

犬の駁詰

私は夢に自分が狭い路地を歩いているのを見た。衣服も履物もぼろぼろで、乞食のようであった。一匹の犬が背後で吠え始めた。

私は傲然と振り返り、叱りつけた。「こら! 黙れ! この勢利な犬め!」

「ひひっ!」彼は笑い、さらにこう言った。「おそれいります。恥ずかしながら人間さまには及びませんで。」「何だと!?」私は憤慨した。これは極端な侮辱だと感じた。「私は恥じ入ります。私はついに銅と銀の区別を知りません。布と絹の区別も知りません。官と民の区別も知りません。主と奴の区別も知りません。さらには……」

私は逃げ出した。

「お待ちを! もう少しお話ししましょう……」彼は背後で大声で引き留めた。

私はひたすら逃げ、力いっぱい歩き、ついに夢の外へ逃げ出して、自分の寝床に横たわっていた。

一九二五年四月二十三日。

第13節

失われた良き地獄

私は夢に自分が寝床に横たわっているのを見た。荒涼たる野の、地獄のかたわらであった。すべての亡魂たちの叫びは低く微かであったが、秩序があり、炎の怒号と、油の沸騰と、鋼の叉の震えとが相和して、陶酔すべき大いなる楽を奏で、三界に布告していた——地下太平、と。

一人の偉大なる男が私の前に立っていた。美しく、慈悲深く、全身に大光輝を放っていたが、しかし私は彼が悪魔であることを知っていた。

「すべては終わった、すべては終わったのだ! 哀れな亡魂たちは、あの良き地獄を失ってしまったのだ!」彼は悲憤して言い、そして腰を下ろし、彼の知る物語を私に語って聞かせた——

「天地が蜂蜜色に染まった時、それは悪魔が天神に勝利し、万物を統べる大いなる威権を掌握した時であった。彼は天国を収め、人間界を収め、地獄をも収めた。かくて彼はみずから地獄に臨み、中央に座して全身に大光輝を放ち、すべての鬼衆を照らし出した。

「地獄はもともととうに荒廃していた。剣の樹は光芒を失い、煮え油の淵はもはや沸き立たず、大火の集まりも時にはただ青い煙をくすぶらせるばかりで、遠くにはまんだら華まで芽吹いていた。花はごく小さく、蒼白で哀れであった。

「亡魂たちは冷たい油とぬるい火の中で目覚め、悪魔の光輝の中に地獄の小さな花を見た。蒼白で哀れな花に大いなる蠱惑を受け、ふと人の世を思い出し、幾年とも知れず黙想したのち、一斉に人間界に向かって、反獄の絶叫を発した。

「人類はこれに応じて立ち上がり、正義を唱えて悪魔と戦った。ついに大いなる謀略をめぐらし、大いなる網を張り、悪魔をして地獄から逃げ出さざるを得なくした。最後の勝利として、地獄の門の上にも人類の旗が立てられた!

「亡魂たちが一斉に歓呼した時、人類の地獄整理使がすでに地獄に臨み、中央に座して、人類の威厳をもってすべての鬼衆を叱咤した。

「亡魂たちが再び反獄の絶叫を発した時、たちまち人類の叛徒となり、永劫の沈淪の罰を受け、剣樹林の中央に遷された。

「人類はかくして地獄を統べる大いなる威権を完全に掌握した。その威稜は悪魔をも凌いだ。人類はかくして荒廃を整頓し、まず牛頭阿傍に最高の俸草を与え、しかも薪を足し火を加え、刀山を磨き砥ぎ、地獄全体の面目を一新させ、以前の頽廃の気象を一掃した。

「まんだら華はたちまち焦げ枯れた。油は前のごとく煮えたぎり、刀は前のごとく鋭く、火は前のごとく熱く、鬼衆は前のごとく呻き、前のごとく身を悶え、ついには失った良き地獄を思い出す暇さえなくなった。

「これは人類の成功であり、亡魂たちの不幸である……。

「友よ、君は私を疑い始めたな。そうだ、君は人間だ! 私はひとまず去って野獣と悪鬼を探そう……。」

一九二五年六月十六日。

第14節

墓碣の文

私は夢の中で自分が墓碣と向かい合い、その上の刻辞を読んでいた。その墓碣は砂岩で造られたものらしく、剥落が甚だしく、また苔蘚が叢生し、わずかに限られた文句が残っているのみであった——

……壮歌狂熱のさなかに寒に中(あた)り、天上に深淵を見る。一切の眼に無を見、無望のうちに救われる。……

……一つの遊魂あり、化して長蛇となる。口に毒牙あり。もって人を噛まず、自ら己が身を噛み、ついに殞顛す。……

……去れ!……

私は碣の裏に回ると、はじめて孤墳が見えた。上に草木はなく、すでに頽壊していた。大きな欠け口から覗くと、死骸が見え、胸腹ともに裂け、中に心肝はなかった。しかし顔にはまったく哀楽の色を見せず、ただ朦々として煙のようであった。

私は疑惧のうちに振り返る暇もなかったが、すでに墓碣の陰面に残された文句が目に入っていた——

……心を抉りて自ら食い、本味を知らんと欲す。創痛酷烈にして、本味いかんぞ知り得ん。……

……痛み定まりし後、徐々にこれを食う。されどその心すでに陳旧なれば、本味またいかにして知り得ん。……

……我に答えよ。さもなくば、去れ!……

私はまさに去ろうとした。ところが死骸はすでに墓の中で起き上がり、口唇は動かさずに、しかし言った——

「私が塵と成る時、汝はわが微笑を見るであろう!」

私は疾く走り、振り返る勇気もなかった。彼が追ってくるのを見ることを恐れたのだ。

一九二五年六月十七日。

第15節

立論

私は夢の中で自分が小学校の教室で作文の準備をしており、先生に立論の方法を教えてもらおうとしていた。

「難しいな!」先生は眼鏡の縁の外から斜めに視線を射て、私を見つめて言った。「一つ話を聞かせよう——

「ある家に男の子が生まれ、一家中この上なく喜んだ。満月の祝いの時、客人に見せるために抱き出した。——おそらく自然と良い兆しの言葉が欲しかったのだろう。

「一人が言った。『この子は将来きっと金持ちになりますよ。』彼はそこで一通りの感謝を受けた。

「一人が言った。『この子は将来きっと偉い役人になりますよ。』彼はそこでいくつかのお世辞を返された。

「一人が言った。『この子は将来きっと死にますよ。』彼はそこで皆から寄ってたかってひどく殴られた。

「死ぬと言ったのは必然であり、富貴と言ったのは偽りであった。しかし偽りを言った者は良い報いを受け、必然を言った者は殴られた。君は……」

「私は人を偽りたくもなく、殴られたくもありません。では先生、私はどう言えばよいのでしょうか?」

「ならば、こう言うのだ。『おやまあ!この赤ちゃんったら!ご覧なさい!なんと……。あらまあ!ははは!へへ!へ、へへへへ!』」

一九二五年七月八日。

第16節

死火

私は夢の中で自分が氷山の間を疾駆していた。

そこは高大な氷山で、上は氷の天に接し、天には凍雲が瀰漫し、片片として魚鱗のような模様であった。山麓には氷の樹林があり、枝葉はすべて松杉のようであった。一切が氷冷で、一切が青白かった。

ところが私は突然、氷谷の中に墜ちた。

上下四方いずれも氷冷で、青白かった。しかし一切の青白い氷の上には、紅い影が無数にあり、珊瑚の網のように絡み合っていた。俯いて足元を見ると、そこに火焔があった。

これが死火であった。炎々たる形をしているが、少しも揺れ動かず、全体が氷結し、珊瑚の枝のようであった。先端にはなお凝固した黒煙があり、おそらく火宅から出たばかりで、それゆえ枯れ焦げたのだろう。こうして氷の四壁に映り、しかも互いに映じ合い、無量数の影と化して、この氷谷を紅珊瑚色に変えていた。

ははは!

幼い頃の私は、もともと快速の艦が激しく起こす波花や、洪炉が噴き出す烈焔を見るのが好きだった。見るだけでなく、はっきり見極めたいとも思った。惜しむらくは、それらは刻々と変幻し、永久に定まった形がなかった。凝視に凝視を重ねても、ついぞ確かな痕跡を留めなかった。死んだ火焔よ、今ついにお前を手に入れた!

私は死火を拾い上げ、まさに仔細に見ようとしたが、その冷気がすでに指先を焦灼させていた。しかし、私はなお耐え忍んで、彼を衣嚢の中に押し込んだ。氷谷の四面はたちまち完全に青白くなった。私は氷谷を脱け出す方法を考えながら歩いた。

私の身体から一縷の黒煙が噴き出し、鉄線蛇のように上昇した。氷谷の四面にはまたたちまち紅焔が流動し、大火聚のように私を包囲した。俯いて見ると、死火はすでに燃え上がり、私の衣裳を焼き破って、氷の地に流れ落ちていた。

「ああ、友よ!君は己の温熱をもって、私を目覚めさせてくれた。」と彼は言った。

私は急いで彼に挨拶をし、名を尋ねた。

「私はもともと人に棄てられてこの氷谷の中にいた。」と彼は答えにならぬ答えを言った。「私を棄てた者はとうに滅亡し、消え尽した。私もまた氷に凍えて死にかけていた。もし君が温熱を与えてくれず、再び燃え上がらせてくれなければ、私はまもなく滅亡するところであった。」

「君の目覚めは、私を喜ばせる。私はいま氷谷を出る方法を考えているところだ。君を携えて行き、永久に氷結させず、永久に燃え続けさせたいのだ。」

「ああ!それでは、私は燃え尽きてしまう!」

「君が燃え尽きるのは惜しい。ならば君をここに残しておこう。」

「ああ!それでは、私は凍え滅びてしまう!」

「ならば、どうすればよいのか?」

「しかし君自身は、どうするのか?」と彼はかえって問うた。

「言ったではないか。私はこの氷谷を出たいのだ……。」

「ならば私はいっそ燃え尽きたほうがよい!」

彼はたちまち跳躍し、紅い彗星のように、私もろとも氷谷の口の外に出た。大きな石車が突然疾駆して来て、私はついに車輪の下に轢かれて死んだ。だが、私はまだ間に合ってその車が氷谷の中に墜ちるのを見ることができた。

「ははは!お前たちはもう二度と死火に巡り会えないぞ!」私は得意げに笑って言った。まるでそう願っていたかのように。

一九二五年四月二十三日。

第17節

臘葉

灯下で『雁門集』を読んでいると、ふと一枚の押し乾かされた楓の葉がはらりと出てきた。

これで去年の晩秋のことを思い出した。霜が繁く夜ごとに降り、木の葉は大方散り落ちて、庭先の一本の小さな楓の木も紅く色づいていた。私はその木のまわりを巡り歩き、葉の色を仔細に眺めた。青々と繁っていた頃にはこれほど注意したことはなかった。木もまた全体が真紅というわけではなく、最も多いのは淡い紅で、数枚は緋紅の地にまだ濃い緑の塊を帯びていた。一枚だけ虫喰いの穴が一つあり、その縁は烏黒い花縁のように見え、紅・黄・緑の斑模様の中で、明眸のように人を凝視していた。私は思った——これは病葉だ! そこで摘み取って、たった今買ったばかりの『雁門集』に挟んだ。おそらくは、この今にも散ろうとする、蝕まれて斑爛たる色を、しばし保存し、群葉とともにすぐに散り飛ばないようにしたかったのだろう。

しかし今夜、その葉は蠟のように黄ばんで目の前に横たわり、あの瞳もまた去年のように灼々とは輝いていなかった。もし更に数年が過ぎ、昔の色が記憶から消え去れば、おそらく私自身でさえ、なぜこの葉が本に挟まっていたかの理由を知らなくなるだろう。散ろうとする病葉の斑爛は、どうやらごく短い時の中でしか向き合えぬもののようだ。まして青々と繁っていた頃はなおさらのことだ。窓の外を見れば、寒さに強い木々もとうに葉を落とし尽している。楓の木はなおさら言うまでもない。晩秋の頃、おそらく去年のそれに似た病葉もあったことだろうが、惜しいことに今年の私には秋の木を賞翫する余暇がまったくなかった。

一九二五年十二月二十六日。

第18節

頽敗線の顫動

私は夢の中で自分が夢を見ていた。自分がどこにいるのか分からなかったが、目の前には深夜に固く閉ざされた小屋の内部が見え、同時にまた屋根の上の瓦松の繁茂した森も見えていた。

板卓の上の灯罩は新しく拭かれたもので、部屋の中を格別明るく照らしていた。その明るみの中で、破れた寝台の上で、初めて見知らぬ毛むくじゃらの屈強な肉塊の下に、痩せて矮小な身体があり、飢え、苦痛、驚愕、恥辱、歓喜に顫えていた。弛緩してはいるがなお豊かな肌膚は艶やかに光り、青白い両頰にほのかな紅が差し、鉛に胭脂水を塗ったようであった。

灯火もまた恐れのために小さく縮み、東方はすでに白みかけていた。

しかし空中にはなお飢え、苦痛、驚愕、恥辱、歓喜の波涛が瀰漫と揺れ動いていた……。

「母さん!」二歳ほどの女の子が戸の開閉の音に目を覚まし、草席で囲われた部屋の隅の地面の上で叫んだ。

「まだ早いよ、もう少しお眠り!」と彼女はうろたえて言った。

「母さん! お腹が空いた、お腹が痛い。今日は何か食べられるの?」

「今日は食べるものがあるよ。もう少しすると焼餅売りが来るから、母さんが買ってあげるよ。」彼女は安堵しながら掌中の小さな銀片をいっそう強く握りしめ、低い声は悲しげに震え、部屋の隅に歩み寄って娘を見て、草席をどかし、抱き上げて破れた寝台に置いた。

「まだ早いよ、もう少しお眠り。」と彼女は言い、同時に目を上げ、告げるすべもないまなざしで、破れた屋根越しの天空をちらと見た。

空中に突然また別の大きな波涛が起こり、先のそれと衝突し、旋回して渦巻きとなり、一切を、そして私をも残らず呑み込んだ。口も鼻も呼吸できなかった。

私は呻きながら目を覚ました。窓の外は銀色の月光に満ち、夜明けまではまだはるかに遠いようであった。

自分がどこにいるのか分からなかったが、目の前には深夜に固く閉ざされた小屋の内部があり、夢の続きだと自ら知っていた。だが夢の時代は幾年も隔たっていた。小屋の内外はすでにこのように整い、中には若い夫婦と子供たちの一群がおり、皆が怨恨と軽蔑の目で一人の老いた女を見ていた。

「俺たちが人に顔向けできないのは、すべてお前のせいだ。」男が憤然として言った。「お前はまだ彼女を育てたつもりだろうが、実は害したのだ。いっそ小さい時に飢え死にさせたほうがましだった!」

「私を一生恥ずかしめたのはお前だ!」女が言った。

「おまけに俺にまで累を及ぼした!」男が言った。

「おまけにこの子たちにまで累が及ぶのだ!」女が子供たちを指して言った。

最も幼い子が枯れた芦の葉を一枚もて遊んでいたが、この時それを空に向かって一振りし、まるで鋼の刀のように、大声で叫んだ。「殺せ!」

老女は口の端がまさに痙攣していたが、たちまち一瞬ぴくりとし、続いてすべてが静まった。ほどなく、彼女は冷然と、骨ばった石像のように立ち上がった。板戸を開け、深夜の中へ歩み出した。背後の一切の冷罵と毒笑を棄て去って。

彼女は深夜の中をひたすら歩き、果てのない荒野まで歩いた。四方すべて荒野であり、頭上にはただ高い空があるばかりで、一匹の虫も一羽の鳥も飛び過ぎなかった。彼女は赤裸のまま、石像のように荒野の只中に立ち、一刹那のうちに過ぎし一切を照覧した。飢え、苦痛、驚愕、恥辱、歓喜、そして身を震わせ、害され、辱められ、累を及ぼされ、そして痙攣し、殺せ、そして静まり……。またも一刹那のうちに一切を合一した。眷恋と決絶、愛撫と復讐、養育と殲滅、祝福と呪詛……。彼女はそこで両手を天に向かって力の限り挙げ、口唇の間から人のものとも獣のものともつかぬ、人の世にあらざるがゆえに言葉なき言語が漏れた。

彼女が言葉なき言語を発した時、石像のごとく偉大な、しかしすでに荒廃し頽敗したその身体の全面が顫動した。その顫動は点々として魚鱗のごとく、一枚一枚の鱗が烈火の上の沸騰する水のように起伏した。空中もまたたちまち同時に振顫し、さながら暴風雨の中の荒海の波涛のようであった。

彼女はそこで目を上げて天空を仰いだ。言葉なき言語もまた沈黙し尽くし、ただ顫動のみが太陽光のごとく放射し、空中の波涛をたちまち旋回させ、颶風に遭ったかのように果てのない荒野に洶湧奔騰した。

私は夢魘(うなさ)れていたが、自分でそれは手を胸の上に置いたせいだと分かっていた。夢の中でもなお平生の力を尽くして、この重い手をどけようとしていた。

一九二五年六月二十九日。

第19節

淡い血痕の中で

——数人の死者と生者と未だ生まれざる者を記念して

今の造物主はなお一個の怯懦者である。

彼は密かに天地を変異させるが、あえてこの地球を毀滅しはしない。密かに生物を衰亡させるが、あえて一切の屍体を長く留めはしない。密かに人類に血を流させるが、あえて血の色を永遠に鮮やかに保ちはしない。密かに人類を苦しませるが、あえて人類に永遠に記憶させはしない。

彼はもっぱら同類のために——人類の中の怯懦者のために考えを巡らし、廃墟と荒墳で華屋を引き立たせ、時の流れで苦痛と血痕を薄めさせる。日ごとにほのかに甘い苦酒を一杯注ぎ出し、少なすぎず多すぎず、ほどよく酔えるだけを人間に差し出す。飲む者は泣くこともでき、歌うこともでき、覚めているようでもあり酔っているようでもあり、知るようでもあり知らぬようでもあり、死を欲するようでもあり生を欲するようでもある。彼はすべての者に生を欲せしめねばならない。彼にはまだ人類を滅ぼし尽くす勇気がないのだ。

幾片かの廃墟と幾つかの荒墳が地上に散在し、淡い血痕に照り映えて、人々はその間で己と他者の茫漠たる悲苦を咀嚼している。しかし吐き棄てようとはせず、空虚よりはましだと思い、おのおの自ら「天の戮民」と称して、己と他者の茫漠たる悲苦を咀嚼することの弁解とし、しかも息を潜めて静かに新たな悲苦の到来を待つ。新たな——それゆえ恐れ、しかもまた巡り会いたいと渇望する。

これらはすべて造物主の良民である。彼はまさにこのような者を必要としている。

叛逆の猛士が人の世に出ずる。彼は屹立して、一切の過去の、そして現在の廃墟と荒墳を見通し、一切の深く広く久しい苦痛を記憶し、一切の幾重にも淤積した凝血を正視し、一切のすでに死せるもの、いま生まれんとするもの、やがて生まれるもの、未だ生まれざるものを深く知る。彼は造化の手品を見破った。彼はまさに立ち上がらんとする。人類を蘇生させるか、さもなくば人類を滅ぼし尽くすか——これら造物主の良民たちを。

造物主は、怯懦者は、恥じ入って、身を潜めた。天地は猛士の眼中に色を変えた。

一九二六年四月八日。

第20節

このような戦士

このような戦士がいなければならない——もはやアフリカの土人のごとく蒙昧でありながらぴかぴかのモーゼル銃を背負った者ではなく、また中国の緑営兵のごとく疲弊しながらもボックス砲を佩びた者でもない。彼は牛皮や廃鉄の甲冑に頼ることはいっさいしない。彼にはただ己れ自身があるのみで、手には蛮人の用いる、手から放つ投槍を握っている。

彼は無物の陣に入ってゆく。出会うものはすべて一様に彼に頷く。彼はこの頷きこそが敵の武器であり、人を殺して血を見せぬ武器であることを知っている。多くの戦士がここで滅んだのだ。まさに砲弾のごとく、猛士をして力を発揮する術なからしめる。

あの者どもの頭上にはさまざまな旗幟があり、さまざまな美名が繍ってある——慈善家、学者、文士、長者、青年、雅人、君子……。頭の下にはさまざまな外套があり、さまざまな美しい模様が繍ってある——学問、道徳、国粋、民意、論理、公義、東方文明……。

しかし彼は投槍を挙げた。

彼らは声を揃えて誓い、自分たちの心はみな胸の中央にあり、他の偏心な人類とは異なると説いた。彼らはみな胸の前に護心鏡を掲げて、自分でも心が胸の中央にあることを深く信じている証とした。

しかし彼は投槍を挙げた。

彼はほほ笑み、やや身を傾けて一投したが、見事に彼らの心窩を射抜いた。

一切が頽然と倒れた——しかし、あったのは外套一枚のみで、その中には何もなかった。無物の物はすでに逃げ去り、勝利を得た。なぜなら彼はこの時、慈善家などを殺害した罪人となったからである。

しかし彼は投槍を挙げた。

彼は無物の陣の中を大股に歩き、ふたたび一様の頷き、さまざまの旗幟、さまざまの外套が見えた……。

しかし彼は投槍を挙げた。

彼はついに無物の陣の中で老い衰え、寿命を終えた。彼はついに戦士ではなかったが、無物の物こそが勝者であった。

このような境地において、誰も戦いの叫びを聞かない——太平。

太平……。

しかし彼は投槍を挙げた!

一九二五年十二月十四日。

第21節

聡明な人と馬鹿と奴隷

奴隷はいつも人に苦しみを訴えるばかりであった。ただそうするだけ、またそうすることしかできなかった。ある日、彼は一人の聡明な人に出会った。

「旦那様!」彼は悲しげに言い、涙が一筋の線となって目尻からまっすぐに流れ落ちた。「ご存知でしょう。私の暮らしはまったく人間の暮らしではありません。食事は一日一食あるかないか、その一食も高粱の皮で、豚や犬さえ食べないようなもので、しかもほんの小さな椀一杯きり……。」

「それはまことに同情に堪えませぬ。」聡明な人も哀れげに言った。

「でしょう!」彼は嬉しくなった。「しかも仕事は昼夜休みなし。朝は水汲み、夜は飯炊き、午前は使い走り、夜は粉挽き、晴れの日は洗濯、雨の日は傘差し、冬は暖炉焚き、夏は扇ぎ。夜半には銀耳を煮込み、主人の金勘定に付き合い、小遣いなど一度ももらったことなく、おまけに鞭で打たれることまである……。」

「ああ、ああ……。」聡明な人は嘆息し、目の縁がいくぶん赤くなり、涙が出そうであった。

「旦那様! こんな暮らしはもう続けられません。何か別の方法を考えなければ。でも、どんな方法が……?」

「きっとそのうち良くなりますよ……。」

「そうでしょうか? そうだといいのですが。でも旦那様に冤苦を訴え、ご同情と慰めをいただいて、ずいぶん楽になりました。やはり天の道理は滅んでいないのですね……。」

しかし数日もせぬうちに、彼はまた不平が募り、やはり人を訪ねて苦しみを訴えた。

「旦那様!」彼は涙を流して言った。「ご存知でしょう。私の住まいは豚小屋にも及びません。主人は私を人間扱いしない。飼い犬のほうを何万倍も大事にしている……。」

「けしからん!」その人が大声で叫んだので、彼はぎくりとした。その人は馬鹿であった。

「旦那様、私の住まいはたった一間の破れた小部屋で、湿って陰気で、南京虫だらけで、寝ると噛まれてたまりません。悪臭が鼻をつき、窓も一つもない……。」

「主人に窓を開けてくれと頼めばいいではないか!」

「そんなことできませんよ……。」

「よし、案内しろ! 見に行こう!」

馬鹿は奴隷について彼の小屋の外に来ると、いきなり泥壁を叩き壊し始めた。

「旦那様! 何をなさるのですか?」彼はひどく驚いて言った。

「お前に窓を開けてやるのだ。」

「だめです! 主人に叱られます!」

「知ったことか!」馬鹿はなおも壊し続けた。

「人よ来てくれ! 強盗がうちの壁を壊しているぞ! 早く来てくれ! もう少しで穴が開いてしまう!……」彼は泣き叫びながら、地面をごろごろ転がった。奴隷たちが一斉に出てきて、馬鹿を追い払った。

叫び声を聞いて、ゆっくりと最後に出てきたのが主人であった。

「強盗がうちを壊そうとしたのを、私が真っ先に叫んで、みんなで追い払いました。」彼は恭しく、得意げに言った。

「よくやった。」主人はこう褒めた。

この日、大勢の見舞い客がやって来た。聡明な人もその中にいた。

「旦那様。今回は手柄がございまして、主人に褒められました。前におっしゃった、きっと良くなるというのは、まことに先見の明でございました……。」彼は大いに期待に満ちた様子で嬉しそうに言った。

「そうでしょう……。」聡明な人も共に喜ぶかのように答えた。

一九二五年十二月二十六日。

第22節

一覚

飛行機が爆弾を投下する任務を負い、学校の授業のように毎日午前中に北京の空を飛んだ。機械が空気を打つ音を聞くたび、私はいつも一種のかすかな緊張を覚え、さながら「死」の襲来を目のあたりにしたかのようであったが、同時にまた「生」の存在を深く感じるのであった。

かすかに一、二の爆発音が聞こえた後、飛行機はぶうんと唸りながら、悠々と飛び去った。おそらく死傷者もあったろうが、天下はかえっていっそう太平に見えた。窓の外の白楊の若葉は日の光の中で烏金色に輝き、ゆすらうめ(榆叶梅)も昨日よりさらに爛漫と咲いていた。寝台に散乱した新聞を片付け、昨夜書卓に積もった蒼白い微塵を払うと、私の四角い小さな書斎も今日もまた、いわゆる「窓明るく机清し」であった。

ある理由によって、私はかねてより手元に溜まっていた若い作家たちの原稿の校閲を始めた。すべてに片をつけるつもりであった。作品の年月順に読んでゆくと、化粧を施すことを肯んじないこれらの若者たちの魂が、次々と私の眼前に屹立した。彼らは優美で、純真であった。——ああ、しかし彼らは苦悩し、呻き、憤怒し、そしてついには粗暴になった。わが愛すべき若者たちよ!

魂が風砂に打たれて粗暴になる。人の魂であるがゆえに、私はこのような魂を愛する。私は形なく色なき鮮血淋漓たる粗暴の上に接吻したいと思う。縹渺たる名園に奇花が咲き誇り、紅顔の静女が超然として逍遙し、鶴が一声嘶くと白雲が湧き立つ……。これは自然と人を惹きつけるものであろう。しかし私はいつも自分が人間の世に生きていることを忘れない。

私は疲れ果て、紙巻煙草を指に挟み、名もなき思念の中で静かに目を閉じて、長い夢を見た。ふと目を覚ますと、身辺にはなおも薄暮の色が漂い、煙の篆(すじ)が動かぬ空気の中を昇っていた。幾片かの小さな夏の雲のように、ゆるやかに名づけがたい形象を幻出していた。

一九二六年四月十日。

第23節

過客

時——ある日の黄昏。

所——ある場所。

人物——老翁、七十歳ほど、白髪白鬚、黒の長袍。

女の子、十歳ほど、紫がかった髪、黒い瞳、白地に黒の市松模様の長衫。

過客、三四十歳ほど、疲憊しながら倔強な面持ち、陰鬱な目つき、黒い鬚、乱れ髪、黒い上衣と袴はともに破れ、裸足に破れた靴を履き、脇に袋を提げ、背丈ほどの竹の杖をついている。

東には雑木が数本と瓦礫。西には荒涼として荒れ果てた叢葬地。その間に道とも道ならぬとも知れぬ一条の痕跡がある。小さな土の家がこの痕跡に向かって一つの戸を開けており、戸口の脇に一本の枯れた切り株がある。

(女の子が切り株に座っている老翁を扶け起こそうとしている。)

翁——子供よ。おい、子供よ! どうして動かないのだ?

子——(東を望みながら)誰か来るわ。ちょっと見てみましょう。

翁——見なくてよい。中へ入ろう。もう日が暮れる。

子——あたし、——ちょっと見るわ。

翁——やれやれ、お前という子は! 毎日空を見て、土を見て、風を見て、それでもまだ見足りないのか? 何だってこれらより見事なものはないのだ。お前はどうしても誰かを見たがる。日が沈む時に現れるものは、お前に何の善いこともしてくれはしないよ。……さあ中に入ろう。

子——でも、もう近くまで来たわ。ああ、乞食だわ。

翁——乞食? そうとは限るまい。

(過客が東の雑木の間からよろめき出て、しばしためらった後、ゆっくりと老翁のもとへ歩み寄る。)

客——お爺さん、今晩は。

翁——ああ、今晩は! お元気で。お前さんも元気かね?

客——お爺さん、まことにぶしつけですが、一杯の水を恵んでいただきたいのです。歩き通しでひどく喉が渇きました。この辺りには池も水溜まりもないものですから。

翁——うむ、よいよい。まあ座りなさい。(女の子に向かって)お前、水を持ってきておくれ。杯をきれいに洗ってな。

(女の子は黙って土の家の中に入ってゆく。)

翁——お客さん、まあ座りなさい。お名前はなんとおっしゃるかな。

客——名前?——知りません。物心ついた頃から、たった一人でした。自分が元々何と呼ばれていたか知りません。歩いてゆく途中で、人々がその場かぎりの呼び方をしましたが、さまざまで、もう覚えていません。それに同じ呼び名を二度聞いたこともありません。

翁——ほう。では、どちらからおいでになったかな?

客——(やや躊躇して)知りません。物心ついた頃から、こうして歩いているのです。

翁——なるほど。では、どちらへおいでになるか聞いてもよいかな?

客——もちろんです。——しかし、知りません。物心ついた頃から、こうして歩いているのです。ある場所へ行かねばならない。その場所は前方にあります。ただ、ずいぶん長い道を歩いてきて、いまここに着いたことだけは覚えています。これからあちらへ——(西を指して)前へ進みます!

(女の子が注意深く木杯を捧げ持って出てくる。差し出す。)

客——(杯を受け取り)ありがとう、お嬢さん。(水を二口で飲み干し、杯を返す。)ありがとう、お嬢さん。これは本当にめったにないご親切です。どうお礼を申し上げてよいか分かりません!

翁——そんなに感謝せんでよい。お前さんのためにならん。

客——ええ、私のためにはなりません。しかし、おかげでいくぶん力が回復しました。さて、前に進みましょう。お爺さんは久しくこちらにお住まいのようですが、前方がどのような所かご存知ですか?

翁——前方? 前方は、墓だ。

客——(驚いて)墓?

子——いいえ、いいえ、違うわ。あそこにはたくさんたくさんの野百合や野薔薇があるの。あたしはよく遊びに行って、眺めるのよ。

客——(西を見やり、かすかに微笑むかのように)そうだ。あのあたりにはたくさんの野百合や野薔薇がある。私もよく遊びに行き、眺めたものだ。しかし、あれは墓だ。(老翁に向かって)お爺さん、あの墓地を過ぎた先はどうなっていますか?

翁——過ぎた先? それは分からんな。行ったことがないのでな。

客——分からない?!

子——あたしも知らないわ。

翁——私は南と北と東、つまりお前さんの来た方角だけを知っておる。あれが私の最もよく知る所であり、お前さんたちにとっても一番良い所かもしれん。お節介を怒らんでくれ。見たところ、お前さんはもうずいぶん疲れ切っておる。引き返したほうがよかろう。前に行っても歩き通せるかどうか分からんのだから。

客——歩き通せるか分からない?……(沈思し、突然はっとして)それはいけない! 私は進むしかない。引き返せば、あそこにはどこにも名目があり、どこにも地主がおり、どこにも駆逐と牢獄があり、どこにも皮相の微笑があり、どこにも目の外の涙がある。私はそれらを憎む。引き返しはしない!

翁——そうでもあるまい。お前さんにも心の底の涙に出会うことがあろう。お前さんの悲しみのための。

客——いいえ。彼らの心底の涙など見たくはない。彼らに私のために悲しんでほしくもない!

翁——ならば、お前さんは……(首を振って)進むしかないな。

客——ええ、進むしかありません。それに、いつも前方に声がして、私を急き立て、呼びかけ、休ませてくれないのです。憎いことに足はとうに擦り切れ、傷だらけで血がたくさん流れた。……しかし私は誰の血だろうと飲みたくはない。水を飲んで血を補うだけです。道すがらいつも水はありましたから、特に不足を感じたことはなかった。ただ私の体力があまりに乏しいのは、血の中に水が多すぎるからでしょう。今日は小さな水溜まり一つにさえ出会わなかったのは、歩いた距離が少なかったせいでしょう。

翁——それもどうかな。日も沈んだし、少し休んだほうがよかろう。わしのようにな。

客——しかし、あの前方の声が私に歩けと言うのです。

翁——分かっておる。

客——分かっておいでですか? あの声をご存知なのですか?

翁——ああ。あの声はかつて、わしも呼んだことがあるらしい。

客——では、今私を呼んでいるのと同じ声ですか?

翁——それは分からん。何度か呼んだが、わしが構わずにおると、やがて呼ばなくなり、もうはっきり覚えておらんのだ。

客——ああ、構わずにおくとは……。(沈思し、突然ぎくりとして耳を澄ます。)いけない! やはり歩いたほうがよい。休んではおれぬ。憎いことに足はとうに擦り切れたのだが。(歩き出す支度をする。)

子——これをどうぞ!(布切れを差し出す。)傷を包んで行って。

客——ありがとう、(受け取って)お嬢さん。これは本当に……。本当にめったにないご親切だ。これでもっと遠くまで歩けるだろう。(崩れた煉瓦に座り、布を踝に巻こうとする。)しかし、いけない!(力を込めて立ち上がる。)お嬢さん、お返しします。やはり巻けないのです。それに、あまりに深いご親切は、お礼のしようがありません。

翁——そんなに感謝せんでよい。お前さんのためにならん。

客——ええ、私のためにはなりません。しかし私にとって、この施しは最上のものです。

翁——本気にするでない。

客——ええ。しかし受け取れないのです。もし誰かの施しを得たら、私はきっとこうなるでしょう。禿鷲が死骸を見つけたように、その人のそばを徘徊し、その人の滅亡を祈り、自ら見届けようとする。さもなければその人以外の一切が滅びるよう、自分自身もろとも呪うでしょう。なぜなら私は呪いを受けるに値する者だからです。しかし私にはまだそのような力がない。たとえあったとしても、彼女がそのような境遇になることを望みはしない。彼女たちはおそらくそのような境遇を望んでいないのだから。これが最も穏当だと思います。(女の子に向かって)お嬢さん、この布切れはとても良いものだが、少し小さすぎます。お返しします。

子——(恐れて後ずさる。)要りません! 持って行って!

客——(微笑するかのように)ああ……。私が触ったから?

子——(頷き、袋を指差して)そこに入れて、遊んでいいわ。

客——(力なく後ずさる。)しかしこれを背負っては、どうやって歩くのか……。

翁——休めぬのなら、背負うこともできまい。——少し休めば、何でもなくなる。

客——そうだ、休息……。(物思いにふけるが、突然はっとして耳を澄ます。)いや、だめだ! やはり歩こう。

翁——どうしても休みたくないのかね?

客——休みたいのです。

翁——ならば少し休んだらよかろう。

客——しかし、休めないのです……。

翁——やはり歩いたほうがよいと思うかね?

客——ええ。やはり歩いたほうがよい。

翁——ならば、歩くがよかろう。

客——(腰を伸ばして)では、お別れです。まことにありがとうございました。(女の子に向かって)お嬢さん、これをお返しします。どうぞお収めください。

(女の子は恐れ、手を引っ込めて土の家の中に逃げ込もうとする。)

翁——持って行きなさい。もし重すぎたら、いつでも墓地の中に捨てればよい。

子——(前に出て)ああ、それはだめ!

客——ああ、それはだめだ。

翁——ならば、野百合や野薔薇の上に掛けておけばよい。

子——(手を叩いて)ははは! いいわね!

客——ああ……。

(きわめて短い間の、沈黙。)

翁——では、さらばだ。ご無事を祈る。(立ち上がり、女の子に向かって)子供よ、中へ扶けておくれ。ごらん、もうとっくに日が沈んでしまった。(振り返り戸口に向かう。)

客——ありがとうございました。ご無事をお祈りします。(佇み、沈思し、突然はっとして)しかし、私は休めない! 進むほかはない。やはり歩こう……。(たちまち頭を上げ、奮然として西に向かって歩み去る。)

(女の子が老人を扶けて土の家に入り、すぐに戸を閉める。過客は荒野の中へよろめきながら踏み込んでゆく。夜の闇が彼の後を追ってくる。)

一九二五年三月二日。

第24節

死後

私は夢の中で自分が路上で死んでいた。

ここはどこなのか、どうしてここに来たのか、どうして死んだのか、そうしたことは何も分からなかった。とにかく、自分がすでに死んでいると自覚した時には、もうそこに死んでいたのだ。

数声の喜鵲(かささぎ)の鳴き声が聞こえ、続いて烏の一群が鳴いた。空気はさわやかだった——多少の土の匂いはしたが——おそらく夜明け頃であろう。目を開けようとしたが、少しも動かず、まるで自分の目ではないかのようだった。手を上げようとしたが、やはり同じであった。

恐怖の鋭い矢先がたちまち私の心を貫いた。生きていた時、私はかつて冗談半分に想像したことがあった。もし人の死が運動神経の廃滅にすぎず、知覚がなお残っているとすれば、それは完全な死よりも恐ろしいことだと。私の予想は果たして的中した。自分自身がこの予想を証明しているのだ。

足音が聞こえた。通行人だろう。一台の独輪車が私の頭のそばを押されてゆき、おそらく重い荷を積んでいるのだろう、軋軋と耳障りな、歯がむずがゆくなるような音を立てた。目の前がぼんやり緋色に感じられた。太陽が昇ったに違いない。すると私の顔は東を向いていることになる。しかしそんなことはどうでもよい。ぺちゃくちゃと人の声がした。見物人だ。

ぞろぞろと足音が続き、近くまで来ると止まった。低い囁き声もいっそう多くなった。見物人が増えてきたのだ。ふと私は彼らの議論を聞きたくなった。しかし同時に思った。生きていた頃に批評は気にするに値しないと言っていたのは、おそらく本心ではなかったのだろう。死んだばかりでもう馬脚を現してしまった。だがやはり聞き入った。しかし結局何の結論も得られず、まとめてみればこんな具合であった——

「死んだのか?……」

「うむ。——これは……」

「ふん!……」

「ちぇ。……ああ!……」

私はこの上なく喜んだ。なぜなら一つも知り合いの声を聞かなかったからだ。さもなくば、彼らを悲しませるか、あるいは彼らを喜ばせるか、あるいは食後の閑談の種を増やすことになったろう。そのいずれも私には申し訳なく思われる。今は誰にも見えぬのだから、誰にも影響を及ぼさない。よかった、これでようやく人に顔向けができるというものだ!

しかし、おそらく蟻が一匹、背中を這っていた。痒い。だが少しも動けず、もはやそれを払いのける力もなかった。手の甲に草蓆の筋目が触れ、この経帷子もまあ悪くないと思った。ただ誰が金を出してくれたのか分からないのが惜しい。しかし、けしからんのは、小僧どもめ! 背中の襦袢の裾が皺になっているのに、直してもくれない。

不意に一陣の風、一片の何かが上から被さってきて、人々は一斉に飛び散り、去り際にまだ言っていた——「惜しいことだ!……」

私は怒りのあまり卒倒しそうになった。

すぐに目を閉じた。その者が煩わしくてたまらなかったからだ。しばらく静かになり、おそらく行ってしまったのだろう。しかしまた一匹の蟻が首のあたりを這い始め、ついには顔まで来て、目の縁をぐるぐると回っていた。

まさか死んだ後にも人の思いが変化するとは思いもよらなかった。ふいに一つの力が私の心の平安を突き破った。同時に多くの夢が目の前に現れた。何人かの友人が私に安楽を祝い、何人かの仇敵が私に滅亡を祝った。しかし私はいつも安楽にもならず、滅亡もせず、中途半端に生き続けてきた。どちらの期待にも応えられなかった。今また影のように死んでしまったが、仇敵にさえ知らせず、費用のかからぬ喜びさえ贈ってやらない。……私は快意のあまり泣き出しそうになった。これはおそらく死後初めての涙であった。

しかしついに涙は一滴も流れなかった。ただ目の前にちらりと火花が閃いたかと思うと、私は起き上がっていた。

一九二五年七月十二日。

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