Lu Xun Complete Works/ja/Jiwaiji

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集外集 (集外集)

魯��� (ルーシュン, 1881-1936)

中国語からの日本語翻訳。


第1節

【出版説明】

一九三六年十月、魯迅先生は上海にて逝去した。蔡元培を主席とする魯迅先生紀念委員会は、「魯迅精神の影響を拡大し、国魂を喚起し、光明を求める」ために、二年近くを費やし、一九三八年六月に『魯迅全集』(第一版)を編集出版した。編集委員には蔡元培、馬裕藻、沈兼士、茅盾、周作人の諸先生が名を連ねた。

この版の『魯迅全集』の総目録は、魯迅先生が生前みずから定めた著述目録を基礎とし、さらに翻訳作品の部分を増補したものである。内容はおおむね創作、古籍の校輯、翻訳の三大部分に分かれ、基本的に年代順に配列されている。

全套書は総計六百余万字に及び、二十巻に分けて出版された。各巻の字数はおおむね等しい。

今回出版の『魯迅全集』は、一九三八年版の『魯迅全集』を底本として参照編集したものであり、編集に際しては一九三八年版の核心的な風貌の保持に努めた。書稿の内容と編排の体例において、本版は一九三八年版との統一を最大限に追求し、ごく一部の篇章の内容を調整したにとどまる。たとえば『集外集』の詩作の部分は、魯迅の詩歌執筆時期に関する最新の考証に基づき、数首の詩の配列順序を調整した。一九三八年版の中で魯迅の著作でないものは、本版ではすべて整理除外した。たとえば本版では『小ペーター』を収録していない。『小ペーター』の訳者名は許霞であり、魯迅はただ校閲改訂をしただけだからである。

全書の文字の校訂は、繁体縦書きを簡体横書きに改めたほか、一九三八年版の若干の文字および句読点の誤用を訂正したにとどまる。そのうち通仮字および魯迅の習慣的用字は、一九三八年版のままそのまま保った。また外国人名・地名等も、すべて原訳のままとした。

【集外集拾遺】

【懐旧 周 逴】

わが家の門外に青桐が一株あり、高さ三十尺ばかり、毎年の実は繁星のごとし。童子ら石を投げて桐の実を落とすに、しばしば書斎の窓に飛び込み、時にわが机上をまともに打つ。一石入るや、わが師・禿先生はたちまち走り出でてこれを叱る。桐の葉は径一尺余りにも達し、夏日の微かな萎えを受けども、夜気を得て蘇り、人がその掌を開くがごとし。家の門番の王翁は、時に水を汲みて地に注ぎ暑熱を去り、あるいは壊れた机椅子に腰かけ、煙管を持ちて李媼と語り合う。毎夜、月落ち参星横たわるころ、ようやく煙管の中に一点の火星を見るのみにて、なお話は止まず。

彼ら夕涼みの折り、禿先生はまさに予に対句を教えていた。「紅花」と出題し、予が「青桐」と対えれば、手を振りて「平仄合わず」と言い退出を命じた。時に予は九歳、平仄なるものが何であるか知らず、禿先生もまた説明せず。そこで退き出でたものの、久しく考えても対が浮かばず、しだいに掌を広げて股を打ち、蚊を叩くがごとき大きな音を立て、禿先生にわが苦しみを知らしめんとした。されど先生はなお構わず。久しく久しくして、ようやくゆるりとした声で「来い」と言う。予は元気よく進み出ると、先生は「緑草」の二字を書きて曰く、「紅は平声、花は平声、緑は入声、草は上声。行け」。予は聞く暇もなく飛び跳ねて出ると、禿先生またゆるりとした声で「跳ぶな」と言う。予は跳ばずに出た。

予は出ても桐の下で遊ぶことを敢えてせず、初めのうちは王翁の膝によじ登り、山里の話を聞かせてくれとせがんだものだ。されど禿先生が必ず追いかけてきて、厳しい顔で「童子よ、悪戯するな。食事は済んだか。帰りて夜の課業に就け」と言う。少しでも逆らえば、翌日には定規で予の頭を叩いて「汝の悪戯のひどきこと、読書の愚かなること」と言う。わが禿先生は書斎をもって報復の場となす者なり。かくて次第に行かなくなった。まして明日は清明でも端午でも中秋でもなく、予に何の楽しみがあろうか。もし早朝に軽い病を得て、正午には癒えるものならば、これを口実に半日の休みとするのもよかろう。さもなくば、禿先生が病むがよい。死ねばなおよし。(一句一転)病まず死なずんば、予は明日もまた学に上りて論語を読むのみ。

翌日、禿先生は果たしてまた予の論語を抑え、頭を揺らしつつ字義を解いた。先生はまた近眼にて、唇がほとんど書に触れ、噛みつかんばかりの体であった。人は常にわが粗暴を咎め、半巻も読まぬうちに頁が大いにぼろぼろになると言うが、この「ひゅうひゅう」という鼻息が日々吹きかけておれば、紙が破れ爛れずにおられようか、字が滲まずにおられようか。予がいかに粗暴であるとて、かくまでにはなるまい。禿先生曰く、「孔夫子の仰せに、六十にして耳順う、耳は耳朶のこと、七十にして心の欲する所に従い、この矩を踰えず……」。予にはまるで解せぬ。字は鼻の影に遮られ、予にはまた見えぬ。ただ論語の上に先生の禿頭が載り、燦然と光を放ちてわが面目を照らすのが見えるのみ。ただし頗る朦朧として膨れ、裏庭の古池の明晰さには遠く及ばなかった。

先生の講義、久しく膝に力を入れ、また大いに首を頷かせて、みずから深い趣きを見出しているようであった。予は大いに堪えがたし。蓋し禿頭の光は珍しけれども、久しく見れば自ずと飽き、いつまでも続くものではない。「仰聖先生! 仰聖先生!」幸いにも門外に突然奇声が起こった。怪しきものに出くわして助けを求めるかのような。

「耀宗殿か……お入りなさい」、先生は論語の講義を止め、頭を上げ、出でて門を開き、礼を行った。

予は初め先生がなぜかくまで耀宗を敬するのか、まるで解せなかった。耀宗は金氏にて左隣に住み、巨万の富を擁しながら、破れた衣に壊れた履を履き、日々菜を食い、顔は黄色く腫れて秋の茄子のようであった。王翁すら礼を施さず、かつて言った。「あの者はみずから多くの金を蓄えておりながら、一文も恵んでくれぬ。何の礼をすることがあろうか」。故に翁は予を愛し、耀宗には殊更に傲慢であった。耀宗もまた意に介さなかった。しかも聡慧さは王翁に及ばず、故事を聞く折もたいてい解せず、唯々諾々とするのみ。李媼もまた言った。「あの人は幼き時より長ずるまで、ただ父母の膝下に囚人の如く居り、外に出て交際せぬ。故に語彙が甚だ乏しい。たとえば米と言えば、ただ米と言うのみで、粳と糯の別がつかぬ。魚と言えば、ただ魚と言うのみで、鯿と鯉の区別がつかぬ。さもなくば解せず、注を数百句加えねばならず、注の中にまた解せぬ語があり、さらに疏を要し、疏にまた難語があれば、ついに解せずして終わる。故に語り合うのは好まぬ」。ただ禿先生のみが格別に優遇した。王翁らは甚だこれを訝ったが、予もひそかにその故を推し量り、耀宗が二十一歳にして子なきを焦り、妾を三人蓄えたことを知った。禿先生もまた「不孝に三あり、後なきを大と為す」と言い、かつて三十一金を贈りて如夫人一人を購わしめた。すなわち優遇の故は耀宗の純孝にあるのだ。王翁は賢なりとはいえ、学はついに先生に及ばず、高深を測り得ぬのも怪しむに足らぬ。蓋し予すら多日の覃思を経て始めてその故を得たのであるから。

「先生、今朝の消息をお聞きになりましたか?」

「消息……聞いておらぬ……何の消息かね?」

「長毛がもうすぐ来ます!」

「長毛……ははは、そんなことがあるものか……」

耀宗のいわゆる長毛は、すなわち仰聖先生のいわゆる髪逆であり、王翁もまたこれを長毛と呼び、しかもあれは自分がちょうど三十の時のことだと言う。今や王翁は七十を越え、あれから四十余年。予もまたそのようなことはないと知っていた。

「しかし消息は何墟の三大人から得たものです。間もなく来るとのこと……」

「三大人か……ならば府の大人から得たものだな。これはまた用心せねばなるまい」。先生の三大人に対する崇敬は聖人に対する以上であり、たちまち顔色を失い、机の周りを歩き回った。

「八百人ほどだそうです。すでに下僕を遣わして何墟に探りに行かせました。いったいいつ来るのかと……」

「八百……だがそんなはずは……ああ、おそらく山賊か、近隣の赤巾党であろう」

禿先生は知恵が勝っており、たちまちそうでないと悟ったが、耀宗はもとより山賊も海賊も白帽も赤巾もすべて長毛と呼ぶ者であるから、禿先生の言うことも耀宗にはまた解せなかった(これは粳糯の区別がつかぬのと同じことだ)。

「来た時には飯を用意せねばなりません。わが家の広間は小さいので、張睢陽廟の庭を借りてその半分をもてなそうと考えております。彼らが飯を得れば、安民の布告を出すでしょう」。耀宗は性質魯鈍なれど、箪食壺漿をもって王師を迎えるの術は家訓として持っていた。王翁がかつて語ったところでは、耀宗の父はかつて長毛に遭い、地に伏して命乞いし、額を赤く腫らして鵞鳥のようにまで叩頭して殺されず、彼らのために厨房に立ち食事の相伴をし、格別の寵を得て多くの金を得た。長毛が敗れるに及び、術をもって逃げ帰り、しだいに富家となり、芜市に居を構えたという。今この時、一食をもって安民を博さんとするは、その父の智恵にはるかに及ばぬ。

「この種の乱人は、運必ず長からず。綱鑑易知録を隅々まで捜してみよ、成功した者がおろうか……もっとも、時には成功した者がなくもないが。飯を供するのもよかろう。されど耀宗殿! くれぐれもみずから名を連ねてはならぬ。地甲に委ねるがよい」

「然り! 先生、『順民』の二字をお書きいただけませんか」

「まあ待て、まあ待て。この種の事はむやみに急いではならぬ。万が一本当に来たら、書いても遅くはない。それに耀宗殿! もう一つ申し上げておくことがある。この種の人の怒りは触れてはならぬが、しかしまた親しみすぎてもいけない。かつて髪逆が反した折、戸口に順民の貼り紙をした者も、時に無効であった。賊が退いた後、また官軍に窘められたのだ。故にこの事は、賊が芜市に迫った時にあらためて議すべきだ。ただし家族は早くに避難させよ。もっとも遠くに行く必要はないが」

「まことにまことに。それでは張睢陽廟の道士に告げてまいりましょう」

耀宗はわかったようなわからぬような顔で、大いに感服して去った。人の言うところでは、芜市をくまなく探しても、わが禿先生を第一の知恵者とすべし。その言やまことに虚しからず。先生はいかなる時世にも処し、わが身に毫末の傷をも負わない。故に盤古の天地開闢以来、代々戦争殺伐・治乱興衰があれども、仰聖先生一家のみは殉難して亡ぶこともなく、賊に従って死ぬこともなく、綿綿として今に至り、なお巍然として皋比を擁し、予ら頑なな弟子のために「七十にして心の欲する所に従い矩を踰えず」を講ずるのだ。もし今日の天演学者の言によれば、あるいは宗祖の遺伝と言うであろう。されどわが言によれば、読書から得たものでなければ、かくはなるまい。さもなくば、予と王翁・李媼とて、独り遺伝を受けぬわけではないのに、思慮の密なること、かくの如くならざるのは何故か。

耀宗去りて後、禿先生もまた講義を止め、いささか憂苦の体にて、家に帰ると言い、予に読書を中止させた。予は大いに喜び、桐の木の下に飛び出した。夏の日がわが頭を焼くとも意に介さず。桐の下はわが領地にして、ただこの一時のみ。しばらくして、禿先生が急いで去るのが見えた。衣服を大きな一つの包みに挟んでいた。先生は日頃、節句か年の暮れにのみ帰り、帰る時には必ず八銘塾の給料数巻を持って行ったが、今は全帙が厳然として机上に残り、ただ破れた箱の中の衣服と履物を携えて去るのみであった。

予が道を窺うに、人は蟻の行列よりも多く、人々ことごとく怯えの色を含み、茫然として行く。手に何かを挟む者が多く、あるいは手ぶらの者もいた。王翁が予に言うには、逃げ出そうとする者たちだと。その中には何墟の人が多く、芜市に逃げてきたのだが、芜市の住民は争って何墟に走った。王翁みずから言うには、かつて難を経験しており、わが家に留まりて慌てふためくなかれと。李媼もまた金家に訪ね、下僕はまだ戻らず、ただ如夫人たちが脂粉・香料・絹扇・羅衣の類を検めて旅行箱に詰めているのを見たと言う。この富家の姨太太は、逃げることもまた春の遊びのごとく、口紅眉墨を廃すべからずと見ているようだ。予は長毛のことを問う暇もなく、みずから青蠅を叩き蟻を誘い出して踏み殺し、また水を汲みてその穴に灌ぎ、蟻の禹を窘めていた。ほどなく日脚が早々と梢を離れるのを見て、李媼が予を飯に呼んだ。予はまるで解せなかった。今日はなぜこれほど短いのか。もし平日ならば、今ごろはまさに苦しんで対句を考え、禿先生が倦怠の顔をしているのを見ているところだ。飯を終え、李媼が予を連れ出ると、王翁もすでに出て涼んでおり、常と変わらぬ態度であった。ただし取り囲んで立つ者が甚だ多く、口を大きく開けて鬼怪でも見るかのようであった。月の光がほのかに照らし、人々の歯を映し出して、朽ちた瓊のように歯並び疎らに見えた。王翁は煙を吸い、語ること甚だ緩やかであった。

「……当時、この家の門番は趙五叔といい、性は極めて愚直であった。主人が長毛来たると聞き逃げよと命じたが、こう言った。『主人が去れば、この家は空になる。おれが留守をせずば、賊に占められるではないか』と……」

「ああ、愚かな……」李媼はたちまち奇声を発し、先賢の過ちを力を込めて斥けた。

「竈を司る呉媼もまた去らなかった。その人は七十余歳であったろう。日々厨の下に伏して敢えて出ず、数日このかた、ただ人の足音と犬の吠える声を聞くのみで、耳に入る音の凄惨なること言いようもなかった。やがて人の足音も犬の吠え声も絶え、陰森として冥界にいるかのようだった。ある日、遠くに大部隊の足音が聞こえ、塀の外を過ぎ去った。しばらくしてしばらくして、突然数十人の長毛が厨に入り、刀を持って呉媼を引きずり出した。言葉は訛りが激しくよく聞き取れなかったが、こう言ったようだ。『婆さん! お前の主人はどこだ! 早う金を出せ!』。呉媼は拝して言った。『大王さま、主人は逃げました。老婆はもう何日も飢えております。どうか大王さま、食べ物をお恵みください。大王さまに差し上げるお金などございません』。一人の長毛が笑って言った。『食いたいか、ならばお前を食ってやる』。そして丸いものを呉媼の懐に投げつけた。血にまみれて見るに堪えぬ。それは趙五叔の首であった……」

「ああ! 呉媼は腰を抜かしたのでは」李媼はまた大いに驚き叫び、人々の目もますます見開かれ、口もますます広がった。

「蓋し長毛が門を叩いた時、趙五叔は固く開けず、叱って言った。『主人はおらぬ。お前たちは強いて入り込んで盗みを働こうとしておるのだ。長――』」

「確かな消息が来たか……」すると禿先生が帰ってきた。予は大いに窘まったが、その顔色を察するに、前の時ほど厳しくはなさそうだったので、逃げもしなかった。もし長毛が来たら、禿先生の首を李媼の懐に投げ込んでくれれば、予は毎日蟻の穴に水を灌ぎ、論語を読まずに済むのにと思った。

「まだです……(筆を接ぎて、はからずも荘子より来たる)長毛は遂に門を打ち破り、趙五叔もまた走り出で、状を見て大いに驚き、長毛は……」

「仰聖先生! 下僕が帰りました!」耀宗は全力を振り絞って大声を出し、入りながら語った。

「どうだった」。禿先生もまた問いつつ出で、近眼の目を見開いた。予がいつも見るより大きかった。他の人々もみな競って耀宗の方を向いた。

「三大人が仰るには、長毛というのは嘘で、実は難民が数十人、何墟を通り過ぎただけだそうです。いわゆる難民とは、普段からわが家に物乞いに来る者たちのことです」。耀宗は人が難民の二字を解さぬかと慮り、知る限りを尽くして定義を作ったが、定義はただ一句であった。

「ははは、難民か……ほう……」禿先生は大笑し、先ほどの狼狽ぶりの愚かさをみずから嘲るかのようだった。そして難民の恐るるに足らぬことを嗤った。皆もまた笑ったが、それは禿先生が笑うのを見て、助けて笑ったにすぎない。(用筆の話、まさに金針度人とすべし。)

皆が三大人の確かな消息を得ると、一斉にどっと散り、耀宗もまた帰った。桐の下はたちまち寂となり、ただ王翁ら四、五人が残るのみ。禿先生はしばらく歩き回り、また家族を安心させに帰らねばならぬと言い、明朝戻ると言って、八銘塾の給料を持って去った。去り際に予を振り返って言った。「一日読まずに、明朝暗唱できるか。早く行って読書せよ。悪戯するな」。予は大いに憂い、目を王翁の煙管の火に注いで答えることができなかった。王翁は煙を吸い続けた。(転変化、ことごとく筆力に見る。)予は火の光がちらちらと閃くのを見て、大いに秋の蛍が草叢に落ちるに似ていると思い、去年蛍を追って誤って蘆の沼に落ちたことを思い出し、もはや禿先生のことは慮らなくなった。

「ああ、長毛が来る、長毛が来ると。長毛が初めて来た時はまことに恐ろしかったが、後から思えば何ほどのことがあろうか」。王翁は煙を止め、首を頷いた。

「翁はかつて長毛に遭ったのですね。どのようなことだったのですか」。李媼がすかさず急き込んで尋ねた。

「翁はかつて長毛だったのですか」。予は思った。長毛が来れば禿先生は去る。長毛はきっと善い人だ。王翁は予に優しい。きっと長毛に違いない。

「ははは、いや違う――李媼、あの頃お前は幾つだった。わしはたぶん二十余であったろう」

「わたくしはまだ十一でした。あの時、母に連れられて平田に逃げましたので、遭わずに済みました」

「わしは幌山に逃げた。――長毛がわが村に来た時、わしはちょうど外に出ていた。隣の牛四と、わしの二人の族兄はやや遅れ、すでに小長毛に捕らえられ、太平橋の上に引き出され、一人ずつ刀でその首を斬られたが、いずれも切り離れず、水に突き落として初めて死んだ。牛四は力が強く、米二石五升を背負って半里を走れたものだが、今はそのような者はおらぬ。(書くこと話すがごとく、まことに声を絵がき影を描く。)わしは幌山に走り着いた時にはすでに日暮れ近く、山頂の喬木はなおいくらか日脚を負うていたが、山麓の田の稲はすでに夜気を帯び、色は昼間より青かった。山麓に着き、振り返って幸い追っ手の騎兵がいないのを見て、心やや安んじたが、前を見やれば郷人の姿も見えず、凄寂悲涼の感がともに湧き起こった。久しくして気が落ち着き、夜はしだいに更け、寂寥もいよいよ甚だしく、耳に人声は絶え、ただ、ジジッ!!……」

「?」予は大いに惑い、問いが思わず口をついて出た。李媼は力を込めて予の手を握り予を制した。あたかも予の疑問が媼に大禍をもたらすかのように。

「蛙の鳴き声だよ。このほかには梟。鳴き声が極めて凄まじく厳しい……ああ、李媼、お前は知っておるか、一本の木が暗闇に立つと、まことに人に似ておるものだ。……ははは、だが後から思えば何ほどのことがあろう。長毛が退く時、わが村の人々はみな鋤鍬を操ってこれを追った。追う者はわずか十余人であったが、彼らは百人いても敢えて引き返して戦おうとしなかった。この後、毎日打宝に行かねばならなかった。何墟の三大人も、まさにこれで財をなしたのではないか」

「打宝とは何ですか」。予はまた惑った。

「うむ、打宝、打宝……わが村の者が猛追すると、長毛は必ず金銀珠宝を少し投げ出し、村人に争って拾わせ、追撃を緩めるのだ。わしもかつて明珠一つを得た。大きさは戎菽ほどで、驚き喜んでいると、牛二がいきなり棍でわしの頭を打ち、珠を奪い去った。さもなくば三大人には及ばぬまでも、富家の翁にはなれたものを。かの三大人の父・何狗保も、まさにこの時に何墟に帰り、大辫子を打つ小長毛が、その家の壊れた棚の中に伏しているのを見て……」

「ああ! 雨です、帰りましょうよ」。(一筆の平鈍を許さず、故に借語をもって結びとなす。この法を解すれば行文はまさに遊戯なり。)李媼は雨を見て帰心が起こった。

「いやいや、もう少し」。予はまこと不本意で、あたかも小説の読者の如し。驚くべき筆を見た後に「後事を知りたくば次回を聴け」と続けば、偏に急いで次回を見んとし、全巻を読み尽くさずんばやまず。されど李媼はそうではないようだった。

「おやまあ! 帰って休みなさいな。明日寝坊して、また先生の定規を食らいますよ」

雨はますます強くなり、窓の前の芭蕉の大きな葉を打って、蟹が砂を這うかのようだった。(事物の描写、細に入る。)予は枕の上にてこれを聴き、しだいに聞こえなくなった。(三字経。もし眠りに落ちたと書けば、まさに鈍漢なり。)

第2節

【懐旧 周 逴】

わが家の門外に青桐が一株あり、高さ三十尺ばかり、毎年の実は繁星のごとし。童子ら石を投げて桐の実を落とすに、しばしば書斎の窓に飛び込み、時にわが机上をまともに打つ。一石入るや、わが師・禿先生はたちまち走り出でてこれを叱る。桐の葉は径一尺余りにも達し、夏日の微かな萎えを受けども、夜気を得て蘇り、人がその掌を開くがごとし。家の門番の王翁は、時に水を汲みて地に注ぎ暑熱を去り、あるいは壊れた机椅子に腰かけ、煙管を持ちて李媼と語り合う。毎夜、月落ち参星横たわるころ、ようやく煙管の中に一点の火星を見るのみにて、なお話は止まず。

彼ら夕涼みの折り、禿先生はまさに予に対句を教えていた。「紅花」と出題し、予が「青桐」と対えれば、手を振りて「平仄合わず」と言い退出を命じた。時に予は九歳、平仄なるものが何であるか知らず、禿先生もまた説明せず。そこで退き出でたものの、久しく考えても対が浮かばず、しだいに掌を広げて股を打ち、蚊を叩くがごとき大きな音を立て、禿先生にわが苦しみを知らしめんとした。されど先生はなお構わず。久しく久しくして、ようやくゆるりとした声で「来い」と言う。予は元気よく進み出ると、先生は「緑草」の二字を書きて曰く、「紅は平声、花は平声、緑は入声、草は上声。行け」。予は聞く暇もなく飛び跳ねて出ると、禿先生またゆるりとした声で「跳ぶな」と言う。予は跳ばずに出た。

予は出ても桐の下で遊ぶことを敢えてせず、初めのうちは王翁の膝によじ登り、山里の話を聞かせてくれとせがんだものだ。されど禿先生が必ず追いかけてきて、厳しい顔で「童子よ、悪戯するな。食事は済んだか。帰りて夜の課業に就け」と言う。少しでも逆らえば、翌日には定規で予の頭を叩いて「汝の悪戯のひどきこと、読書の愚かなること」と言う。わが禿先生は書斎をもって報復の場となす者なり。かくて次第に行かなくなった。まして明日は清明でも端午でも中秋でもなく、予に何の楽しみがあろうか。もし早朝に軽い病を得て、正午には癒えるものならば、これを口実に半日の休みとするのもよかろう。さもなくば、禿先生が病むがよい。死ねばなおよし。(一句一転)病まず死なずんば、予は明日もまた学に上りて論語を読むのみ。

翌日、禿先生は果たしてまた予の論語を抑え、頭を揺らしつつ字義を解いた。先生はまた近眼にて、唇がほとんど書に触れ、噛みつかんばかりの体であった。人は常にわが粗暴を咎め、半巻も読まぬうちに頁が大いにぼろぼろになると言うが、この「ひゅうひゅう」という鼻息が日々吹きかけておれば、紙が破れ爛れずにおられようか、字が滲まずにおられようか。予がいかに粗暴であるとて、かくまでにはなるまい。禿先生曰く、「孔夫子の仰せに、六十にして耳順う、耳は耳朶のこと、七十にして心の欲する所に従い、この矩を踰えず……」。予にはまるで解せぬ。字は鼻の影に遮られ、予にはまた見えぬ。ただ論語の上に先生の禿頭が載り、燦然と光を放ちてわが面目を照らすのが見えるのみ。ただし頗る朦朧として膨れ、裏庭の古池の明晰さには遠く及ばなかった。

先生の講義、久しく膝に力を入れ、また大いに首を頷かせて、みずから深い趣きを見出しているようであった。予は大いに堪えがたし。蓋し禿頭の光は珍しけれども、久しく見れば自ずと飽き、いつまでも続くものではない。「仰聖先生! 仰聖先生!」幸いにも門外に突然奇声が起こった。怪しきものに出くわして助けを求めるかのような。

「耀宗殿か……お入りなさい」、先生は論語の講義を止め、頭を上げ、出でて門を開き、礼を行った。

予は初め先生がなぜかくまで耀宗を敬するのか、まるで解せなかった。耀宗は金氏にて左隣に住み、巨万の富を擁しながら、破れた衣に壊れた履を履き、日々菜を食い、顔は黄色く腫れて秋の茄子のようであった。王翁すら礼を施さず、かつて言った。「あの者はみずから多くの金を蓄えておりながら、一文も恵んでくれぬ。何の礼をすることがあろうか」。故に翁は予を愛し、耀宗には殊更に傲慢であった。耀宗もまた意に介さなかった。しかも聡慧さは王翁に及ばず、故事を聞く折もたいてい解せず、唯々諾々とするのみ。李媼もまた言った。「あの人は幼き時より長ずるまで、ただ父母の膝下に囚人の如く居り、外に出て交際せぬ。故に語彙が甚だ乏しい。たとえば米と言えば、ただ米と言うのみで、粳と糯の別がつかぬ。魚と言えば、ただ魚と言うのみで、鯿と鯉の区別がつかぬ。さもなくば解せず、注を数百句加えねばならず、注の中にまた解せぬ語があり、さらに疏を要し、疏にまた難語があれば、ついに解せずして終わる。故に語り合うのは好まぬ」。ただ禿先生のみが格別に優遇した。王翁らは甚だこれを訝ったが、予もひそかにその故を推し量り、耀宗が二十一歳にして子なきを焦り、妾を三人蓄えたことを知った。禿先生もまた「不孝に三あり、後なきを大と為す」と言い、かつて三十一金を贈りて如夫人一人を購わしめた。すなわち優遇の故は耀宗の純孝にあるのだ。王翁は賢なりとはいえ、学はついに先生に及ばず、高深を測り得ぬのも怪しむに足らぬ。蓋し予すら多日の覃思を経て始めてその故を得たのであるから。

「先生、今朝の消息をお聞きになりましたか?」

「消息……聞いておらぬ……何の消息かね?」

「長毛がもうすぐ来ます!」

「長毛……ははは、そんなことがあるものか……」

耀宗のいわゆる長毛は、すなわち仰聖先生のいわゆる髪逆であり、王翁もまたこれを長毛と呼び、しかもあれは自分がちょうど三十の時のことだと言う。今や王翁は七十を越え、あれから四十余年。予もまたそのようなことはないと知っていた。

「しかし消息は何墟の三大人から得たものです。間もなく来るとのこと……」

「三大人か……ならば府の大人から得たものだな。これはまた用心せねばなるまい」。先生の三大人に対する崇敬は聖人に対する以上であり、たちまち顔色を失い、机の周りを歩き回った。

「八百人ほどだそうです。すでに下僕を遣わして何墟に探りに行かせました。いったいいつ来るのかと……」

「八百……だがそんなはずは……ああ、おそらく山賊か、近隣の赤巾党であろう」

禿先生は知恵が勝っており、たちまちそうでないと悟ったが、耀宗はもとより山賊も海賊も白帽も赤巾もすべて長毛と呼ぶ者であるから、禿先生の言うことも耀宗にはまた解せなかった(これは粳糯の区別がつかぬのと同じことだ)。

「来た時には飯を用意せねばなりません。わが家の広間は小さいので、張睢陽廟の庭を借りてその半分をもてなそうと考えております。彼らが飯を得れば、安民の布告を出すでしょう」。耀宗は性質魯鈍なれど、箪食壺漿をもって王師を迎えるの術は家訓として持っていた。王翁がかつて語ったところでは、耀宗の父はかつて長毛に遭い、地に伏して命乞いし、額を赤く腫らして鵞鳥のようにまで叩頭して殺されず、彼らのために厨房に立ち食事の相伴をし、格別の寵を得て多くの金を得た。長毛が敗れるに及び、術をもって逃げ帰り、しだいに富家となり、芜市に居を構えたという。今この時、一食をもって安民を博さんとするは、その父の智恵にはるかに及ばぬ。

「この種の乱人は、運必ず長からず。綱鑑易知録を隅々まで捜してみよ、成功した者がおろうか……もっとも、時には成功した者がなくもないが。飯を供するのもよかろう。されど耀宗殿! くれぐれもみずから名を連ねてはならぬ。地甲に委ねるがよい」

「然り! 先生、『順民』の二字をお書きいただけませんか」

「まあ待て、まあ待て。この種の事はむやみに急いではならぬ。万が一本当に来たら、書いても遅くはない。それに耀宗殿! もう一つ申し上げておくことがある。この種の人の怒りは触れてはならぬが、しかしまた親しみすぎてもいけない。かつて髪逆が反した折、戸口に順民の貼り紙をした者も、時に無効であった。賊が退いた後、また官軍に窘められたのだ。故にこの事は、賊が芜市に迫った時にあらためて議すべきだ。ただし家族は早くに避難させよ。もっとも遠くに行く必要はないが」

「まことにまことに。それでは張睢陽廟の道士に告げてまいりましょう」

耀宗はわかったようなわからぬような顔で、大いに感服して去った。人の言うところでは、芜市をくまなく探しても、わが禿先生を第一の知恵者とすべし。その言やまことに虚しからず。先生はいかなる時世にも処し、わが身に毫末の傷をも負わない。故に盤古の天地開闢以来、代々戦争殺伐・治乱興衰があれども、仰聖先生一家のみは殉難して亡ぶこともなく、賊に従って死ぬこともなく、綿綿として今に至り、なお巍然として皋比を擁し、予ら頑なな弟子のために「七十にして心の欲する所に従い矩を踰えず」を講ずるのだ。もし今日の天演学者の言によれば、あるいは宗祖の遺伝と言うであろう。されどわが言によれば、読書から得たものでなければ、かくはなるまい。さもなくば、予と王翁・李媼とて、独り遺伝を受けぬわけではないのに、思慮の密なること、かくの如くならざるのは何故か。

耀宗去りて後、禿先生もまた講義を止め、いささか憂苦の体にて、家に帰ると言い、予に読書を中止させた。予は大いに喜び、桐の木の下に飛び出した。夏の日がわが頭を焼くとも意に介さず。桐の下はわが領地にして、ただこの一時のみ。しばらくして、禿先生が急いで去るのが見えた。衣服を大きな一つの包みに挟んでいた。先生は日頃、節句か年の暮れにのみ帰り、帰る時には必ず八銘塾の給料数巻を持って行ったが、今は全帙が厳然として机上に残り、ただ破れた箱の中の衣服と履物を携えて去るのみであった。

予が道を窺うに、人は蟻の行列よりも多く、人々ことごとく怯えの色を含み、茫然として行く。手に何かを挟む者が多く、あるいは手ぶらの者もいた。王翁が予に言うには、逃げ出そうとする者たちだと。その中には何墟の人が多く、芜市に逃げてきたのだが、芜市の住民は争って何墟に走った。王翁みずから言うには、かつて難を経験しており、わが家に留まりて慌てふためくなかれと。李媼もまた金家に訪ね、下僕はまだ戻らず、ただ如夫人たちが脂粉・香料・絹扇・羅衣の類を検めて旅行箱に詰めているのを見たと言う。この富家の姨太太は、逃げることもまた春の遊びのごとく、口紅眉墨を廃すべからずと見ているようだ。予は長毛のことを問う暇もなく、みずから青蠅を叩き蟻を誘い出して踏み殺し、また水を汲みてその穴に灌ぎ、蟻の禹を窘めていた。ほどなく日脚が早々と梢を離れるのを見て、李媼が予を飯に呼んだ。予はまるで解せなかった。今日はなぜこれほど短いのか。もし平日ならば、今ごろはまさに苦しんで対句を考え、禿先生が倦怠の顔をしているのを見ているところだ。飯を終え、李媼が予を連れ出ると、王翁もすでに出て涼んでおり、常と変わらぬ態度であった。ただし取り囲んで立つ者が甚だ多く、口を大きく開けて鬼怪でも見るかのようであった。月の光がほのかに照らし、人々の歯を映し出して、朽ちた瓊のように歯並び疎らに見えた。王翁は煙を吸い、語ること甚だ緩やかであった。

「……当時、この家の門番は趙五叔といい、性は極めて愚直であった。主人が長毛来たると聞き逃げよと命じたが、こう言った。『主人が去れば、この家は空になる。おれが留守をせずば、賊に占められるではないか』と……」

「ああ、愚かな……」李媼はたちまち奇声を発し、先賢の過ちを力を込めて斥けた。

「竈を司る呉媼もまた去らなかった。その人は七十余歳であったろう。日々厨の下に伏して敢えて出ず、数日このかた、ただ人の足音と犬の吠える声を聞くのみで、耳に入る音の凄惨なること言いようもなかった。やがて人の足音も犬の吠え声も絶え、陰森として冥界にいるかのようだった。ある日、遠くに大部隊の足音が聞こえ、塀の外を過ぎ去った。しばらくしてしばらくして、突然数十人の長毛が厨に入り、刀を持って呉媼を引きずり出した。言葉は訛りが激しくよく聞き取れなかったが、こう言ったようだ。『婆さん! お前の主人はどこだ! 早う金を出せ!』。呉媼は拝して言った。『大王さま、主人は逃げました。老婆はもう何日も飢えております。どうか大王さま、食べ物をお恵みください。大王さまに差し上げるお金などございません』。一人の長毛が笑って言った。『食いたいか、ならばお前を食ってやる』。そして丸いものを呉媼の懐に投げつけた。血にまみれて見るに堪えぬ。それは趙五叔の首であった……」

「ああ! 呉媼は腰を抜かしたのでは」李媼はまた大いに驚き叫び、人々の目もますます見開かれ、口もますます広がった。

「蓋し長毛が門を叩いた時、趙五叔は固く開けず、叱って言った。『主人はおらぬ。お前たちは強いて入り込んで盗みを働こうとしておるのだ。長――』」

「確かな消息が来たか……」すると禿先生が帰ってきた。予は大いに窘まったが、その顔色を察するに、前の時ほど厳しくはなさそうだったので、逃げもしなかった。もし長毛が来たら、禿先生の首を李媼の懐に投げ込んでくれれば、予は毎日蟻の穴に水を灌ぎ、論語を読まずに済むのにと思った。

「まだです……(筆を接ぎて、はからずも荘子より来たる)長毛は遂に門を打ち破り、趙五叔もまた走り出で、状を見て大いに驚き、長毛は……」

「仰聖先生! 下僕が帰りました!」耀宗は全力を振り絞って大声を出し、入りながら語った。

「どうだった」。禿先生もまた問いつつ出で、近眼の目を見開いた。予がいつも見るより大きかった。他の人々もみな競って耀宗の方を向いた。

「三大人が仰るには、長毛というのは嘘で、実は難民が数十人、何墟を通り過ぎただけだそうです。いわゆる難民とは、普段からわが家に物乞いに来る者たちのことです」。耀宗は人が難民の二字を解さぬかと慮り、知る限りを尽くして定義を作ったが、定義はただ一句であった。

「ははは、難民か……ほう……」禿先生は大笑し、先ほどの狼狽ぶりの愚かさをみずから嘲るかのようだった。そして難民の恐るるに足らぬことを嗤った。皆もまた笑ったが、それは禿先生が笑うのを見て、助けて笑ったにすぎない。(用筆の話、まさに金針度人とすべし。)

皆が三大人の確かな消息を得ると、一斉にどっと散り、耀宗もまた帰った。桐の下はたちまち寂となり、ただ王翁ら四、五人が残るのみ。禿先生はしばらく歩き回り、また家族を安心させに帰らねばならぬと言い、明朝戻ると言って、八銘塾の給料を持って去った。去り際に予を振り返って言った。「一日読まずに、明朝暗唱できるか。早く行って読書せよ。悪戯するな」。予は大いに憂い、目を王翁の煙管の火に注いで答えることができなかった。王翁は煙を吸い続けた。(転変化、ことごとく筆力に見る。)予は火の光がちらちらと閃くのを見て、大いに秋の蛍が草叢に落ちるに似ていると思い、去年蛍を追って誤って蘆の沼に落ちたことを思い出し、もはや禿先生のことは慮らなくなった。

「ああ、長毛が来る、長毛が来ると。長毛が初めて来た時はまことに恐ろしかったが、後から思えば何ほどのことがあろうか」。王翁は煙を止め、首を頷いた。

「翁はかつて長毛に遭ったのですね。どのようなことだったのですか」。李媼がすかさず急き込んで尋ねた。

「翁はかつて長毛だったのですか」。予は思った。長毛が来れば禿先生は去る。長毛はきっと善い人だ。王翁は予に優しい。きっと長毛に違いない。

「ははは、いや違う――李媼、あの頃お前は幾つだった。わしはたぶん二十余であったろう」

「わたくしはまだ十一でした。あの時、母に連れられて平田に逃げましたので、遭わずに済みました」

「わしは幌山に逃げた。――長毛がわが村に来た時、わしはちょうど外に出ていた。隣の牛四と、わしの二人の族兄はやや遅れ、すでに小長毛に捕らえられ、太平橋の上に引き出され、一人ずつ刀でその首を斬られたが、いずれも切り離れず、水に突き落として初めて死んだ。牛四は力が強く、米二石五升を背負って半里を走れたものだが、今はそのような者はおらぬ。(書くこと話すがごとく、まことに声を絵がき影を描く。)わしは幌山に走り着いた時にはすでに日暮れ近く、山頂の喬木はなおいくらか日脚を負うていたが、山麓の田の稲はすでに夜気を帯び、色は昼間より青かった。山麓に着き、振り返って幸い追っ手の騎兵がいないのを見て、心やや安んじたが、前を見やれば郷人の姿も見えず、凄寂悲涼の感がともに湧き起こった。久しくして気が落ち着き、夜はしだいに更け、寂寥もいよいよ甚だしく、耳に人声は絶え、ただ、ジジッ!!……」

「?」予は大いに惑い、問いが思わず口をついて出た。李媼は力を込めて予の手を握り予を制した。あたかも予の疑問が媼に大禍をもたらすかのように。

「蛙の鳴き声だよ。このほかには梟。鳴き声が極めて凄まじく厳しい……ああ、李媼、お前は知っておるか、一本の木が暗闇に立つと、まことに人に似ておるものだ。……ははは、だが後から思えば何ほどのことがあろう。長毛が退く時、わが村の人々はみな鋤鍬を操ってこれを追った。追う者はわずか十余人であったが、彼らは百人いても敢えて引き返して戦おうとしなかった。この後、毎日打宝に行かねばならなかった。何墟の三大人も、まさにこれで財をなしたのではないか」

「打宝とは何ですか」。予はまた惑った。

「うむ、打宝、打宝……わが村の者が猛追すると、長毛は必ず金銀珠宝を少し投げ出し、村人に争って拾わせ、追撃を緩めるのだ。わしもかつて明珠一つを得た。大きさは戎菽ほどで、驚き喜んでいると、牛二がいきなり棍でわしの頭を打ち、珠を奪い去った。さもなくば三大人には及ばぬまでも、富家の翁にはなれたものを。かの三大人の父・何狗保も、まさにこの時に何墟に帰り、大辫子を打つ小長毛が、その家の壊れた棚の中に伏しているのを見て……」

「ああ! 雨です、帰りましょうよ」。(一筆の平鈍を許さず、故に借語をもって結びとなす。この法を解すれば行文はまさに遊戯なり。)李媼は雨を見て帰心が起こった。

「いやいや、もう少し」。予はまこと不本意で、あたかも小説の読者の如し。驚くべき筆を見た後に「後事を知りたくば次回を聴け」と続けば、偏に急いで次回を見んとし、全巻を読み尽くさずんばやまず。されど李媼はそうではないようだった。

「おやまあ! 帰って休みなさいな。明日寝坊して、また先生の定規を食らいますよ」

雨はますます強くなり、窓の前の芭蕉の大きな葉を打って、蟹が砂を這うかのようだった。(事物の描写、細に入る。)予は枕の上にてこれを聴き、しだいに聞こえなくなった。(三字経。もし眠りに落ちたと書けば、まさに鈍漢なり。)

第3節

「ああ! 先生! 次は用功いたします……」(余波、前文を照映す。欠くべからず。)

「ああ! 何事だ? 夢か?……わしの悪夢も、お前に破られてしもうた……夢か? 何の夢だ?」李媼は予の寝台に駆け寄り、予の背を幾度も叩いた。

「夢です……何でもありません……媼は何の夢を?」

「長毛の夢よ……明日お前に話してやろう。もう夜半だ、お眠り、お眠り」

実なる処には力を致すべく、空なる処には力を致しがたし。されど初歩を誤らざれば、霊機は人の固有するところ、難事にあらず。かつて青年の才子が筆を執るを解すやいなや、たちまち詞章を講じ、ついには紙面いっぱいの飾り物となり、取るべき所なきを見たり。すべからくこの等の文字をもってこれを療すべし。(焦木附志)

(文中の傍点および批語は、『小説月報』掲載時に惲鉄樵先生が付したものと思われる。ここにそのまま旧に従い、当時の雑誌編集の体例を示す。――編者。)

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