Difference between revisions of "Lu Xun Complete Works/zh-ja/Gou mao shu"
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  這確是先前所沒有料想到的。現在我已經記不清當時是怎樣一個感想,但和貓的感情卻終於沒有融和;到了北京,還因為它傷害了兔的兒女們,便舊隙夾新嫌,使出更辣的辣手。“仇貓”的話柄,也從此傳揚開來。然而在現在,這些早已是過去的事了,我已經改變態度,對貓頗為客氣,倘其萬不得已,則趕走而已,決不打傷它們,更何況殺害。這是我近幾年的進步。經驗既多,一旦大悟,知道貓的偷魚肉,拖小雞,深夜大叫,人們自然十之九是憎惡的,而這憎惡是在貓身上。假如我出而為人們驅除這憎惡,打傷或殺害了它,它便立刻變為可憐,那憎惡倒移在我身上了。所以,目下的辦法,是凡遇貓們搗亂,至於有人討厭時,我便站出去,在門口大聲叱曰:“噓!滾!”小小平靜,即回書房,這樣,就長保著禦侮保家的資格。其實這方法,中國的官兵就常在實做的,他們總不肯掃清土匪或撲滅敵人,因為這麽一來,就要不被重視,甚至於因失其用處而被裁汰。我想,如果能將這方法推廣應用,我大概也總可望成為所謂“指導青年”的“前輩”的罷,但現下也還未決心實踐,正在研究而且推敲。<br/> |   這確是先前所沒有料想到的。現在我已經記不清當時是怎樣一個感想,但和貓的感情卻終於沒有融和;到了北京,還因為它傷害了兔的兒女們,便舊隙夾新嫌,使出更辣的辣手。“仇貓”的話柄,也從此傳揚開來。然而在現在,這些早已是過去的事了,我已經改變態度,對貓頗為客氣,倘其萬不得已,則趕走而已,決不打傷它們,更何況殺害。這是我近幾年的進步。經驗既多,一旦大悟,知道貓的偷魚肉,拖小雞,深夜大叫,人們自然十之九是憎惡的,而這憎惡是在貓身上。假如我出而為人們驅除這憎惡,打傷或殺害了它,它便立刻變為可憐,那憎惡倒移在我身上了。所以,目下的辦法,是凡遇貓們搗亂,至於有人討厭時,我便站出去,在門口大聲叱曰:“噓!滾!”小小平靜,即回書房,這樣,就長保著禦侮保家的資格。其實這方法,中國的官兵就常在實做的,他們總不肯掃清土匪或撲滅敵人,因為這麽一來,就要不被重視,甚至於因失其用處而被裁汰。我想,如果能將這方法推廣應用,我大概也總可望成為所謂“指導青年”的“前輩”的罷,但現下也還未決心實踐,正在研究而且推敲。<br/> | ||
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去年あたりから、私が猫を憎んでいるという人がいるらしい。その根拠はもちろん私のあの一篇「兎と猫」にある。これは自白のようなもので、何も言いようがない。——しかし別に気にもしなかった。ところが今年になって、少々心配になってきた。私はいつも筆墨をいじらずにはいられない性質で、書いたものを印刷に出すと、ある種の人々にとっては痒いところを掻く時は少なく、痛いところに触る時の方が多いらしい。万が一にも不注意で名士や名教授、あるいはさらに進んで「青年を指導する責任を負う先輩」の類を怒らせたりしたら、それこそ危険極まりない。なぜか?こういう大物は「怒らせると厄介」だからだ。どう「厄介」かといえば、全身がかっと熱くなった後で手紙を一通書いて新聞に載せ、こう広告するのだ。「見よ!犬は猫を憎むものではないか?魯迅先生は自ら猫を憎んでいると認めており、しかも彼は『落水狗を打て』とも言っている!」この「論理」の奥義は、つまり私の言葉を使って私が犬であることを証明し、かくして私の全ての言説を根本から覆すのである。たとえ私が二二が四、三三が九と言っても、一字の誤りもなくなる。これらがすべて間違いなのだから、紳士の口にする二二が七、三三が千等々は、当然正しいことになるわけだ。<br/> | 去年あたりから、私が猫を憎んでいるという人がいるらしい。その根拠はもちろん私のあの一篇「兎と猫」にある。これは自白のようなもので、何も言いようがない。——しかし別に気にもしなかった。ところが今年になって、少々心配になってきた。私はいつも筆墨をいじらずにはいられない性質で、書いたものを印刷に出すと、ある種の人々にとっては痒いところを掻く時は少なく、痛いところに触る時の方が多いらしい。万が一にも不注意で名士や名教授、あるいはさらに進んで「青年を指導する責任を負う先輩」の類を怒らせたりしたら、それこそ危険極まりない。なぜか?こういう大物は「怒らせると厄介」だからだ。どう「厄介」かといえば、全身がかっと熱くなった後で手紙を一通書いて新聞に載せ、こう広告するのだ。「見よ!犬は猫を憎むものではないか?魯迅先生は自ら猫を憎んでいると認めており、しかも彼は『落水狗を打て』とも言っている!」この「論理」の奥義は、つまり私の言葉を使って私が犬であることを証明し、かくして私の全ての言説を根本から覆すのである。たとえ私が二二が四、三三が九と言っても、一字の誤りもなくなる。これらがすべて間違いなのだから、紳士の口にする二二が七、三三が千等々は、当然正しいことになるわけだ。<br/> | ||
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これは確かに以前には思いもよらなかったことだ。今ではその時どんな気持ちだったか思い出せないが、猫との感情はついに和解せず、北京に来てからも、猫が兎の子どもたちを傷つけたので、旧恨に新怨を重ね、さらにひどい仕打ちをした。「猫嫌い」の評判もそれ以来広まったのである。しかし現在では、これらはすべてとうに過去のことになり、私はすでに態度を改め、猫に対してかなり丁重にしている。万やむを得ない場合でも追い払うだけで、決して傷つけず、ましてや殺しはしない。これは近年の私の進歩である。経験を積んで悟ったのだが、猫が魚や肉を盗み、小鶏をさらい、深夜に大声で鳴くことを、人々は十中八九憎んでおり、その憎しみは猫に向いている。もし私が出ていって人々のためにこの憎しみを取り除き、猫を傷つけたり殺したりすれば、猫はたちまち哀れな存在に変わり、憎しみは私に移る。だから今の方法は、猫が騒ぎ立てて誰かが嫌がったら、私が出て行って門口で大声で叱って「シッ!失せろ!」と言い、少し静まったら書斎に戻る。こうすれば、いつまでも侮りを防ぎ家を守る資格を保てるのだ。実はこの方法、中国の官軍が常に実行していることで、彼らは決して土匪を掃討したり敵を殲滅したりしようとしない。そんなことをすれば重んじられなくなり、用済みとして首にされかねないからだ。この方法をさらに広く応用できれば、私もいわゆる「青年を指導する」「先輩」の仲間入りが望めそうだが、今のところまだ実行に踏み切る決心がつかず、研究推敲中である。<br/> | これは確かに以前には思いもよらなかったことだ。今ではその時どんな気持ちだったか思い出せないが、猫との感情はついに和解せず、北京に来てからも、猫が兎の子どもたちを傷つけたので、旧恨に新怨を重ね、さらにひどい仕打ちをした。「猫嫌い」の評判もそれ以来広まったのである。しかし現在では、これらはすべてとうに過去のことになり、私はすでに態度を改め、猫に対してかなり丁重にしている。万やむを得ない場合でも追い払うだけで、決して傷つけず、ましてや殺しはしない。これは近年の私の進歩である。経験を積んで悟ったのだが、猫が魚や肉を盗み、小鶏をさらい、深夜に大声で鳴くことを、人々は十中八九憎んでおり、その憎しみは猫に向いている。もし私が出ていって人々のためにこの憎しみを取り除き、猫を傷つけたり殺したりすれば、猫はたちまち哀れな存在に変わり、憎しみは私に移る。だから今の方法は、猫が騒ぎ立てて誰かが嫌がったら、私が出て行って門口で大声で叱って「シッ!失せろ!」と言い、少し静まったら書斎に戻る。こうすれば、いつまでも侮りを防ぎ家を守る資格を保てるのだ。実はこの方法、中国の官軍が常に実行していることで、彼らは決して土匪を掃討したり敵を殲滅したりしようとしない。そんなことをすれば重んじられなくなり、用済みとして首にされかねないからだ。この方法をさらに広く応用できれば、私もいわゆる「青年を指導する」「先輩」の仲間入りが望めそうだが、今のところまだ実行に踏み切る決心がつかず、研究推敲中である。<br/> | ||
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Revision as of 04:35, 24 April 2026
言語 / 语言: ZH · EN · DE · FR · ES · IT · RU · AR · HI · JA
対訳 / 对照: ZH-EN · ZH-DE · ZH-FR · ZH-ES · ZH-IT · ZH-RU · ZH-AR · ZH-HI · ZH-JA
狗·猫·鼠 / Dogs, Cats and Mice
中日対訳 / 中日对照
| 中文 (Chinese) | 日本語 (Japanese) |
|---|---|
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從去年起,仿佛聽得有人說我是仇貓的。那根據自然是在我的那一篇《兔和貓》;這是自畫招供,當然無話可說,——但倒也毫不介意。一到今年,我可很有點擔心了。我是常不免於弄弄筆墨的,寫了下來,印了出去,對於有些人似乎總是搔著癢處的時候少,碰著痛處的時候多。萬一不謹,甚而至於得罪了名人或名教授,或者更甚而至於得罪了“負有指導青年責任的前輩”之流,可就危險已極。為什麽呢?因為這些大腳色是“不好惹”的。怎地“不好惹”呢?就是怕要渾身發熱之後,做一封信登在報紙上,廣告道:“看哪!狗不是仇貓的麽?魯迅先生卻自己承認是仇貓的,而他還說要打‘落水狗’!”這“邏輯”的奧義,即在用我的話,來證明我倒是狗,於是而凡有言說,全都根本推翻,即使我說二二得四,三三見九,也沒有一字不錯。這些既然都錯,則紳士口頭的二二得七,三三見千等等,自然就不錯了。 |
去年あたりから、私が猫を憎んでいるという人がいるらしい。その根拠はもちろん私のあの一篇「兎と猫」にある。これは自白のようなもので、何も言いようがない。——しかし別に気にもしなかった。ところが今年になって、少々心配になってきた。私はいつも筆墨をいじらずにはいられない性質で、書いたものを印刷に出すと、ある種の人々にとっては痒いところを掻く時は少なく、痛いところに触る時の方が多いらしい。万が一にも不注意で名士や名教授、あるいはさらに進んで「青年を指導する責任を負う先輩」の類を怒らせたりしたら、それこそ危険極まりない。なぜか?こういう大物は「怒らせると厄介」だからだ。どう「厄介」かといえば、全身がかっと熱くなった後で手紙を一通書いて新聞に載せ、こう広告するのだ。「見よ!犬は猫を憎むものではないか?魯迅先生は自ら猫を憎んでいると認めており、しかも彼は『落水狗を打て』とも言っている!」この「論理」の奥義は、つまり私の言葉を使って私が犬であることを証明し、かくして私の全ての言説を根本から覆すのである。たとえ私が二二が四、三三が九と言っても、一字の誤りもなくなる。これらがすべて間違いなのだから、紳士の口にする二二が七、三三が千等々は、当然正しいことになるわけだ。 |