Lu Xun Complete Works/zh-ja/Gushi Xinbian

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故事新编 / Old Tales Retold

中日対訳 / 中日对照

中文 (Chinese) 日本語 (Japanese)

鲁迅全集•第三卷

 
华盖集


   
题记


   



   
——一九二五年——


   
咬文嚼字(一至二)


   
青年必读书


   
忽然想到(一至四)


   
通讯


   
论辩的魂灵


   
牺牲谟


   
战士和苍蝇


   
夏三虫


   
忽然想到(五至六)


   
杂感


   
北京通信


   
导师


   
长城


   
忽然想到(七至九)


   
“碰壁”之后


   
并非闲话


   
我的“籍”和“系”


   
咬文嚼字(三)


   
忽然想到(十至十一)


   
补白


   
答KS君


   
“碰壁”之余


   
并非闲话(二)


   
十四年的“读经”


   
评心雕龙


   
这个与那个


   
并非闲话(三)


   
我观北大


   
碎话


   
“公理”的把戏


   
这回是“多数”的把戏


   
后记


   




 
华盖集续编


   
小引


   



   
——一九二六年——


   
杂论管闲事·做学问·灰色等


   
有趣的消息


   
学界的三魂


   
古书与白话


   
一点比喻


   
不是信


   
我还不能“带住”


   
送灶日漫笔


   
谈皇帝


   
无花的蔷薇


   
无花的蔷薇之二


   
“死地”


   
可惨与可笑


   
记念刘和珍君


   
空谈


   
如此“讨赤”


   
无花的蔷薇之三


   
新的蔷薇


   
再来一次


   
为半农题记“何典”后,作


   
马上日记


   
马上支日记


   
马上日记之二


   
记“发薪”


   
记谈话


   
上海通信


   




 
华盖集续编的续编


   
厦门通信


   
厦门通信(二)


   
阿Q正传的成因


   
关于“三藏取经记”等


   
所谓“思想界先驱者”鲁迅启事


   
厦门通信(三)


   
海上通信


   




 
而已集


   
题辞


   



   
——一九二七年——


   
黄花节的杂感


   
略论中国人的脸


   
革命时代的文学


   
写在“劳动问题”之前


   
略谈香港


   
读书杂谈


   
通信


   
答有恒先生


   
辞“大义”


   
反“漫谈”


   
忧“天乳”


   
革“首领”


   
谈“激烈”


   
扣丝杂感


   
“公理”之所在


   
可恶罪


   
“意表之外”


   
新时代的放债法


   
魏晋风度及文章与药及酒之关系


   
小杂感


   
再谈香港


   
革命文学


   
“尘影”题辞


   
当陶元庆君的绘画展览时


   
卢梭和胃口


   
文学和出汗


   
文艺和革命


   
谈所谓“大内档案”


   
拟豫言


   
附录


   
大衍发微

魯迅全集・第三巻

華蓋集

題記

——一九二五年——

咬文嚼字(一至二)

青年必読書

忽然想到(一至四)

通信

論弁の魂霊

犠牲謨

戦士と蒼蠅

夏三虫

忽然想到(五至六)

雑感

北京通信

導師

長城

忽然想到(七至九)

「碰壁」の後

並びに閑話にあらず

我が「籍」と「系」

咬文嚼字���三)

忽然想到(十至十一)

補白

KS君に答う

「碰壁」の余

並びに閑話にあらず(二)

十四年の「読経」

評心雕龍

これとあれ

並びに閑話にあらず(三)

我、北大を観る

砕話

「公理」の手品

今回は「多数」の手品

後記


華蓋集続編

小引

——一九二六年——

雑論 管閑事・做学問・灰色等

有趣な消息

学界の三魂

古書と白話

一つの比喩

信にあらず

我はまだ「帯住」できず

送竈日漫筆

皇帝を談ず

花なき薔薇

花なき薔薇の二

「死地」

可惨と可笑

劉和珍君を記念す

空談

かくの如き「討赤」

花なき薔薇の三

新しき薔薇

もう一度

半農のために「何典」に題記の後、作る

馬上日記

馬上支日記

馬上日記の二

「発薪」を記す

談話を記す

上海通信


華蓋集続編の続編

廈門通信

廈門通信(二)

阿Q正伝の成因

「三蔵取経記」等に関して

いわゆる「思想界先駆者」魯迅の啓事

廈門通信(三)

海上通信


而已集

題辞

——一九二七年——

黄花節の雑感

略ぼ中国人の顔を論ず

革命時代の文学

「労働問題」の前に書く

略ぼ香港を談ず

読書雑談

通信

有恒先生に答う

「大義」を辞す

「漫談」に反す

「天乳」を憂う

「首領」を革す

「激烈」を談ず

扣糸雑感

「公理」の所在

可悪の罪

「意表の外」

新時代の貸金法

魏晋の風度及び文章と薬及び酒の関係

小雑感

再び香港を談ず

革命文学

「塵影」題辞

陶元慶君の絵画展覧の時

ルソーと胃袋

文学と発汗

文芸と革命

いわゆる「大内档案」を談ず

擬豫言

附録

大衍発微

中文 (Chinese) 日本語 (Japanese)

华盖集

 


 


 题记


 


 在一年的尽头的深夜中,整理了这一年所写的杂感,竟比收在《热风》里的整四年中所写的还要多。意见大部分还是那样,而态度却没有那么质直了,措辞也时常弯弯曲曲,议论又往往执滞在几件小事情上,很足以贻笑于大方之家。然而那又有什么法子呢。我今年偏遇到这些小事情,而偏有执滞于小事情的脾气。


 我知道伟大的人物能洞见三世,观照一切,历大苦恼,尝大欢喜,发大慈悲。但我又知道这必须深入山林,坐古树下,静观默想,得天眼通,离人间愈远遥,而知人间也愈深,愈广;于是凡有言说,也愈高,愈大;于是而为天人师。我幼时虽曾梦想飞空,但至今还在地上,救小创伤尚且来不及,那有余暇使心开意豁。立论都公允妥洽,平正通达,像“正人君子”一般;正如沾水小蜂,只在泥土上爬来爬去,万不敢比附洋楼中的通人,但也自有悲苦愤激,决非洋楼中的通人所能领会。


 这病痛的根柢就在我活在人间,又是一个常人,能够交着“华盖运”。


 我平生没有学过算命,不过听老年人说,人是有时要交“华盖运”的。这“华盖”在他们口头上大概已经讹作“镬盖”了,现在加以订正。所以,这运,在和尚是好运:顶有华盖,自然是成佛作祖之兆。但俗人可不行,华盖在上,就要给罩住了,只好碰钉子。我今年开手作杂感时,就碰了两个大钉子:一是为了《咬文嚼字》,一是为了《青年必读书》。署名和匿名的豪杰之士的骂信,收了一大捆,至今还塞在书架下。此后又突然遇见了一些所谓学者、文士、正人、君子等等,据说都是讲公话,谈公理,而且深不以“党同伐异”为然的。可惜我和他们太不同了,所以也就被他们伐了几下,——但这自然是为“公理”之故,和我的“党同伐异”不同。这样,一直到现下还没有完结,只好“以待来年”。


 也有人劝我不要做这样的短评。那好意,我是很感激的,而且也并非不知道创作之可贵。然而要做这样的东西的时候,恐怕也还要做这样的东西,我以为如果艺术之宫里有这么麻烦的禁令,倒不如不进去;还是站在沙漠上,看看飞沙走石,乐则大笑,悲则大叫,愤则大骂,即使被沙砾打得遍身粗糙,头破血流,而时时抚摩自己的凝血,觉得若有花纹,也未必不及跟着中国的文士们去陪莎士比亚吃黄油面包之有趣。


 然而只恨我的眼界小,单是中国,这一年的大事件也可以算是很多的了。我竟往往没有论及,似乎无所感触。我早就很希望中国的青年站出来,对于中国的社会,文明,都毫无忌惮地加以批评,因此曾编印《莽原周刊》,作为发言之地,可惜来说话的竟很少。在别的刊物上,倒大抵是对于反抗者的打击,这实在是使我怕敢想下去的。


 现在是一年的尽头的深夜,深得这夜将尽了,我的生命,至少是一部分的生命,已经耗费在写这些无聊的东西中,而我所获得的,乃是我自己的灵魂的荒凉和粗糙。但是我并不惧惮这些,也不想遮盖这些,而且实在有些爱他们了,因为这是我转辗而生活于风沙中的瘢痕。凡有自己也觉得在风沙中转辗而生活着的,会知道这意思。


 我编《热风》时,除遗漏的之外,又删去了好几篇。这一回却小有不同了,一时的杂感一类的东西,几乎都在这里面。


 一九二五年十二月三十一日之夜,记于绿林书屋东壁下。

華蓋集



題記

一年の暮れの深夜に、この一年間に書いた雑感を整理してみると、なんと『熱風』に収めた丸四年間に書いたものよりも多かった。意見の大部分は相変わらずだが、態度はあの頃ほど直截ではなくなり、措辞もしばしば遠回しになり、議論もまたしばしば些末な事柄に拘泥していて、大方の識者の笑いを買うに十分であろう。しかし他にどうしようもないではないか。今年はたまたまこうした些末な事柄に出会い、しかも些末な事柄に拘泥する気質があったのだ。

私は偉大な人物が三世を見通し、一切を観照し、大いなる苦悩を経て、大いなる歓喜を味わい、大いなる慈悲を発することを知っている。しかし私はまた、それには深く山林に入り、古木の下に坐し、静観黙想して天眼通を得なければならず、人間界から離れれば離れるほど、人間界をますます深く、ますます広く知るのであり、そうすれば発する言葉もますます高く、ますます大きくなり、かくして天人の師となるのだということも知っている。私は幼い頃、空を飛ぶ夢を見たが、今なお地上にいて、小さな傷の手当てすら間に合わず、心を開いて意を豁くするような余裕はない。立論はすべて公正妥当、平正通達で、「正人君子」のごとくなどとはいかない。ちょうど水に濡れた小蜂のように、泥の上を這い回っているだけで、洋館の中の通人に比肩しようなどとは決して思わないが、それでも自ずから悲苦憤激があり、それは断じて洋館の中の通人に理解できるものではない。

この病の根底は、私が人間界に生きていて、しかも一介の凡人であり、「華蓋運」に当たっているということにある。

私は生まれてこのかた算命を学んだことはないが、年長者から聞いた話では、人には時として「華蓋運」に当たることがあるという。この「華蓋」は彼らの口頭ではおそらくすでに「鑊蓋」に訛っているであろうから、ここに訂正しておく。したがって、この運は和尚にとっては吉運である。頭上に華蓋があるのだから、当然、成仏作祖の兆しである。しかし俗人はそうはいかない。華蓋が上に被さっては、覆いかぶさるだけで、釘に頭をぶつけるしかない。私が今年雑感を書き始めた時、早速二つの大きな釘にぶつかった。一つは『咬文嚼字』のため、もう一つは『青年必読書』のためである。署名および匿名の豪傑諸氏からの罵倒の手紙は一大束になり、今なお書棚の下に詰め込んである。その後また突然、いわゆる学者、文士、正人、君子等々に出くわした。聞くところによれば、みな公の話をし、公理を談じ、しかも深く「党同伐異」をよしとしない人々だという。惜しいことに、私は彼らとあまりにも違っていたので、彼らに何度か伐たれもした——しかしこれは当然「公理」のためであって、私の「党同伐異」とは異なるのだ。こうして現在に至るまでまだ決着がつかず、「来年を待つ」ほかない。

こんな短評を書くなと忠告してくれる人もいた。その好意には大いに感謝しているし、創作の貴さを知らないわけでもない。しかしこういうものを書きたくなる時には、やはりこういうものを書かずにはいられまい。もし芸術の殿堂にそのような面倒な禁令があるならば、いっそ入らないほうがましだ。砂漠に立って飛砂走石を眺め、嬉しければ大いに笑い、悲しければ大いに叫び、怒れば大いに罵り、たとえ砂礫に打たれて全身がざらざらになり、頭は割れて血が流れようとも、時折自分の凝った血を撫でて、模様があるように思えば、中国の文士たちに従ってシェイクスピアと一緒にバター付きパンを食べるよりも、面白くないこともないだろう。

しかし、ただ恨めしいのは私の眼界が狭いことで、中国一国だけでも、この一年の大事件は数え切れないほどであった。私はしばしばそれらに言及できず、何の感慨もないように見えた。私はかねてから中国の青年が立ち上がり、中国の社会に対して、文明に対して、一切の忌憚なく批評を加えることを大いに望んでいた。そこで『莽原週刊』を編纂印刷して発言の場としたが、惜しいことに話しに来る者はきわめて少なかった。他の刊行物では、反抗する者への打撃がほとんどで、これは実に考えるのも恐ろしいことであった。

今は一年の暮れの深夜で、深くてこの夜も尽きようとしている。私の生命の、少なくとも一部分の生命は、すでにこうしたつまらないものを書くことに費やされてしまい、私が得たものは、自分自身の魂の荒涼と粗野だけであった。しかし私はこれを恐れもせず、また隠そうとも思わず、むしろ実のところいくらか愛しくさえ思っている。なぜならこれは、私が風砂の中を転々として生きてきた瘢痕だからである。自分もまた風砂の中を転々として生きていると感じる者には、この意味がわかるだろう。

私が『熱風』を編んだ時は、遺漏のもの以外に、好幾篇を削除した。今回はいささか異なり、折々の雑感の類は、ほとんどすべてこの中に収めてある。

一九二五年十二月三十一日の夜、緑林書屋の東壁の下にて記す。