Lu Xun Complete Works/ja/Unidentified

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unidentified (unidentified)

魯迅 (ルーシュン, 1881–1936)

中国語からの日本語翻訳。


第30節

【第十三篇 宋元の擬話本】

説話が盛行するに及び、当時の少なからぬ著作も自ずから話本の影響を蒙った。北宋の時、劉斧秀才が古今の稗説を雑輯して『青瑣高議』及び『青瑣摭遺』を編んだが、文辞は拙俗であるものの、なお話本ではない。しかし文題の下には、既にそれぞれ七言を繋げている。例えば――

『流紅記』 紅葉に詩を題して韓氏を娶る 『趙飛燕外伝』 別伝にて飛燕の始末を叙す

『韓魏公』 盞を砕き鬚を焼く人を罪せず 『王榭』 風涛に漂いて烏衣国に入る

等々、皆一題一解にして、元人の劇本の結末にある「題目」と「正名」に甚だ類似する。因って汴京の説話の標題も、体裁あるいはかくの如くであったかと疑われ、習俗の浸潤が文章にまで及んだのであろう。全体がその変易を被った者については、今なお『大唐三蔵法師取経記』及び『大宋宣和遺事』の二書が流伝しており、いずれも首尾が詩に始まり詩に終わり、中間には詩詞を点綴とし、辞句は多く俚俗であるが、話本とはまた異なり、講史に近くして口談にあらず、小説に似て捏合なし。銭曾は『宣和遺事』について『燈花婆婆』等十五種を併せて「詞話」と称した(『也是園書目』十)。詞あり話ありというのがその所以であるが、その中の『錯斬崔寧』『馮玉梅団円』の二種は、また『京本通俗小説』中にも見え、もと説話の一科であり、専家より伝わり、談吐は流るるが如く、通篇相称して、とうてい『宣和遺事』の及ぶ所ではない。蓋し『宣和遺事』は詞も説もあるとはいえ、全て説話人より出たのではなく、作者が故書を掇拾し、小説を加え、補綴連属して、かろうじて一書を成したものであるから、形式は僅かに存するのみにして精彩はすなわち遜り、文辞もまた多くは己の出にあらず、創作とは言い難い。『取経記』は殊に苟簡である。ただ説話が消亡し、話本がついに著作へと蜕変したのは、またこの類のものがその枢紐たるに頼ったのみである。

『大唐三蔵法師取経記』三巻、旧本は日本にある。また一小本があり『大唐三蔵取経詩話』と曰い、内容は悉く同じで、巻尾の一行に「中瓦子張家印」と云う。張家は宋時の臨安の書舗であり、世人これを以て宋刊と為すが、元朝に至っても張家は恙なきこともあり得るから、この書は元人の撰であるやも知れない。三巻は十七章に分かたれ、今見る小説の章回に分かつ者はここに始まる。毎章必ず詩があるが故に詩話と曰う。首章は両本ともに闕し、次章は玄奘等が猴行者に遇う事を記す。

  猴行者に遇う処 第二

僧行六人、当日起行す。……ある日の午時に偶々一人の白衣の秀才が正東より来たり、すなわち和尚に揖して曰く、「万福万福!和尚は今いずこへ往かんとするや、もしや再び西天へ取経に往くのではあるまいか」と。法師合掌して曰く、「貧道は勅を奉じ、東土の衆生に未だ仏教なきが為に、取経するなり」と。秀才曰く、「和尚は生前に二度取経に行き、中途にて難に遭うた。この度もし行かば、千死万死なり」と。法師云う、「汝いかにして知り得たるや」と。秀才曰く、「我は別人にあらず、我は花果山紫雲洞の八万四千の銅頭鉄額の猕猴王なり。我今、和尚の取経を助けんとて来たり。ここより百万程の途、三十六国を経過し、多く禍難の処あり」と。法師応じて曰く、「果たしてかくの如くならば三世の縁あり、東土の衆生、大いなる利益を獲ん」と。すなわち改めて猴行者と呼ぶ。僧行七人、翌日同行し、左右に伏事す。猴行者因りて詩を留めて曰く――

  百万程途あの辺に向かい、今来たりて大師の前を佐助す、   一心に祝願して真教に逢わんとし、同に西天の鶏足山に往く。

三蔵法師の詩答えて曰く――

  此の日前生に宿縁あり、今朝果たして大明仙に遇う、   前途もし妖魔の処に到らば、望むらくは神通を顕して仏前に鎮めんことを。

かくして行者の神通を藉り、共に大梵天王宮に入り、法師は講経し已りて、「隠形帽一頂、金環錫杖一条、鉢盂一隻、三件斉全」を賜わり、また下界に返る。香林寺を経、大蛇嶺・九龍池の諸危地を履むも、いずれも行者の法力を以て安穏に進行す。また深沙神が身を化して金橋と為り、大水を渡越し、鬼子母国・女人国を出て王母池の処に至り、法師が桃を欲し、猴行者に命じてこれを窃ませんとす。

  王母池に入る処 第十一

……法師曰く、「願わくは今日蟠桃が結実し、三つ五つ偸んで食うべし」と。猴行者曰く、「我は八百歳の時に十顆を偸み食い、王母に捉えられ、左肋に八百、右肋に三千の鉄棒を判ぜられ、花果山紫雲洞に配されて、今に至るも肋の下なお痛む。我は今、定めて敢えて偸み食わざるなり」と。……前に行くうちに、忽ち石壁の高岑万丈なるを見、また一石盤あり、闊さ四五里地、また二つの池あり、方広数十里、弥弥万丈にして鴉鳥も飛ばず。七人がまさに座して休む折、頭を挙げて遥かに望めば、万丈の石壁の中に、数株の桃樹あり、森々と翠を聳え、上は青天に接し、枝葉は茂く濃やかにして下は池水に浸る。……行者曰く、「樹上に今十余顆あるが、地神が専らかの処にありて守り定め、偸り取る路なし」と。師曰く、「汝は神通広大なれば、行けば必ず妨げなからん」と。話のまだ尽きぬうちに、三顆の蟠桃が池中に落つ。師甚だ驚惶し、問うて曰くこの落つるは何物かと。答えて曰く、「師よ驚くなかれ(驚の字の略)、これは蟠桃がまさに熟し、水中に落ちたるなり」と。師曰く、「行きて尋ね取りて食うべし」と。……

行者は杖を以て石を撃ち、先後に二人の童子を現す。一人は三千歳と云い、一人は五千歳と云い、皆これを揮いて去らしむ。

……また数下を敲けば、偶々一人の孩児が出で来たり、問うて曰く、「汝は年いくつか」と。答えて曰く、「七千歳」と。行者は金環杖を放ち下し、孩児を手中に取り入れ、和尚に問うて「汝は食うか否か」と。和尚これを聞き、心驚きてすなわち走る。行者の手中にて旋ること数下、孩児は化して一枝の乳棗と成る。時に呑んで口中に入れ、後に東土の唐朝に帰り、遂に西川に吐き出す。今に至るまでこの地に人参が生ずるはこれなり。空中に一人の見ゆるあり、遂に詩を吟じて曰く――

花果山中一子の才、小年嘗てここに場を作す乖し、 而して今耳熱く空中に見れば、前次の桃を偸む客また来たる。

かくて遂に天竺に達し、経文五千四百巻を求め得たるも、『多心経』を闕く。香林寺に回り至り、始めて定光仏の見授を受く。七人は既に帰れば、すなわち皇帝が郊迎し、諸州は法を奉ず。七月十五日正午に至り、天宮はすなわち彩蓮船を降し、法師はこれに乗り、西に向かいて仙に去る。後に太宗は復た猴行者を封じて銅筋鉄骨大聖と云う。

『大宋宣和遺事』は世に多く宋人の作と以為すが、文中に呂省元の『宣和講篇』及び南儒の『詠史詩』があり、省元・南儒は皆、元代の語であるから、その書は或いは元人より出たのか、あるいは宋人の旧本にして元時にまた増益ありしか、いずれも知るべからず。口吻に大いに宋人に類するものがあるのは、旧籍を鈔撮したことに因るのであって、著者の本語ではない。書は前後二集に分かれ、尭舜を称述するに始まり、高宗の臨安定都に終わる。年を案じて演述し、体裁は甚だ講史に似る。ただ旧籍を節録して書を成し、融会を加えていないから、前後の文体は参差を致し、灼然として見える。その剽取の書は当に十種あるべし。前集はまず歴代の帝王の荒淫の失を述べるが、その一にして、蓋し宋人講史の開篇に猶あたる。次に王安石の変法の禍を述ぶるが、その二にして、また北宋末の士論の常套である。次に安石が蔡京を引きて入朝せしめたるより童貫・蔡攸の巡辺に至るが、その三にして、首の一は語体、次の二は文言にしていずれも詩を雑える。その四は、すなわち梁山泊の聚義の始末にして、まず楊志が刀を売り人を殺すを述べ、晁蓋が生辰の礼物を劫すを述べ、遂に二十人を邀約し、共に太行山梁山泊に入りて落草す。而して宋江もまた閻婆惜を殺して出で、屋後の九天玄女廟中に伏し、官兵の既に退きたるを見て出でて玄女に謝す。

……すなわち香案の上に一声の響きあり、打ちて見れば、一巻の文書あり。宋江がまさに展き開いて見たるに、認め得たるは天書なり。また三十六人の姓名を書きあり。また四句を題して道う――

  国を破るは山木に因り、兵刀は水工を用う、   一朝将領に充てらるれば、海内に威風を聳やかさん。

宋江は読み了りて、口中には言わず、心下に思量す――この四句は分明に我が姓名を言い了せりと。また天書一巻を開けば、仔細に看るに、三十六将の姓名あり。その三十六人とはいかなる者ぞ――

智多星呉加亮 玉麒麟李進義 青面獣楊志 混江龍李海 九紋龍史進 入雲龍公孫勝 浪裏白条張順 霹靂火秦明 活閻羅阮小七 立地太歳阮小五 短命二郎阮進 大刀関必勝 豹子頭林冲 黒旋風李逵 小旋風柴進 金槍手徐寧 撲天雕李応 赤髪鬼劉唐 一直撞董平 插翅虎雷横 美髯公朱同 神行太保戴宗 賽関索王雄 病尉遅孫立 小李広花栄 没羽箭張青 没遮攔穆横 浪子燕青 花和尚魯智深 行者武松 鉄鞭呼延綽 急先鋒索超 拼命三郎石秀 火船工張岑 摸着雲杜千 鉄天王晁蓋

宋江が人名を見るに、末後に一行の字あり、書して道う――「天書、天罡院の三十六員の猛将に付し、呼保義宋江をして帥と為さしめ、広く忠義を行い、奸邪を殄滅せよ」と。

かくて宋江は朱同等九人を率いてまた山寨に赴き、晁蓋は既に死し、遂に推されて首領と為る。「各人は強人を統率し、州を略し県を劫し、火を放ち人を殺し、淮陽・京西・河北の三路二十四州八十余県を攻奪し、子女玉帛を劫掠し、擄掠すること甚だ衆し」。やがて魯智深等もまた来投し、遂に三十六人の数を足す。

ある日、宋江と呉加亮は商量す。「俺ら三十六員の猛将は、並びに既に数に登る。東岳の保護の恩を忘るるなかれ。すべからく焼香して心願を賽い還すべし」と。日を択びて起行す。宋江は四句を題して旗上に放ちて道う――

  来たる時三十六、去りて後十八双。   もし一個を還し少なくば、定めて帰郷せじ。

宋江は三十六将を統率して東岳に往きて朝し、金炉の心願を賽い取る。朝廷は奈何ともし難く、已むを得ず榜を出して宋江等を招諭す。元帥姓は張、名は叔夜なる者あり、これ世代将門の子なり。前に来たりて招誘す。宋江と彼の三十六人は宋朝に帰順し、各々大夫の誥勅を受け、諸路の巡検使に分注せらる。これに因りて三路の寇は悉く平定を得る。後に宋江を遣わして方臘を収むるに功あり、節度使に封ぜらる。

その五は、徽宗が李師師の家に幸し、曹輔が進諫し及び張天覚が隠れ去る事。その六は、道士林霊素の進用及びその死葬の異。その七は、臘月に予め元宵を賞し及び元宵に灯を看る盛り。皆、平話体なり。その元宵灯観の叙述に云う――

宣和六年正月十四日の夜、大内の門より直上に一条の紅綿縄の上を、飛び下りて一羽の仙鶴児が来たり、口内に一道の詔書を銜む。一員の中使がこれを受け取りて展き開くに、聖旨を奉ず――万姓を宣ぜよ。快行家の手中に金字牌を把り、喝道す、「万姓を宣ず」と。少刻にして京師の民は雲浪の如くあり、尽く頭上に玉梅・雪柳・闹蛾児を戴き、直に鰲山の下に到りて灯を看る。宣徳門の直上に三四人の貴官あり、……聖旨を得て、金銭銀銭を撒き下し、万姓に抢金銭せしむ。かの教坊大使袁陶がかつて詞を作り、名を『撒金銭』と做す――

頻りに瞻礼し、升平を喜び又元宵の佳致に逢う。鰲山は高く翠を聳え、端門に対して珠璣交制す。嫦娥の如く仙宮より降り、乍ち凡世に臨む。  恩露を均しく施し、御欄に憑りて聖顔垂れて視る。金銭を撒き、乱れて抛墜し、万姓は推し抢いて理会なし。官里に告ぐ、この失儀はしばらく免罪を与えよと。

この夜、金銭を撒きし後、万姓は各々遍く市井を遊び、まことに言うべし――

  灯火は煌々として天は夜ならず、笙歌は嘈雑として地は長春なり。

後集はすなわち金人の来たりて糧を運ぶに始まり、京城の陥ちるに至るを第八種と為す。また金兵の入城より帝后の北行して辱を受け、高宗の臨安に定都するに至るを第九第十種と為し、すなわち『南燼紀聞』『窃憤録』及び『続録』を取りて小さく削節したもので、二書は今いずれも在り、あるいは辛棄疾の作と題するが、宋人は既にこれを偽書と以為した。巻末にはまた結論あり、云う、「世の儒者は高宗が中原を恢復する機会を失いし者二つありと謂う。建炎の初にその機を失いし者は、潜善・伯彦の目前に偸安して之を誤りしなり。紹興の後にその機を失いし者は、秦檜の虜の用間と為りて之を誤りしなり。この二機を失い、しかして中原の境土は未だ復せず、君父の大仇は未だ報ぜず、国家の大恥は雪ぐ能わず。これ忠臣義士の腕を扼して、恨みて賊臣の肉を食らい、その皮に寝ねんと欲せざるなからんや」と。これまた南宋の時、檜の党が失勢した後の士論の常套なり。


第31節

【第十四篇 元明伝来の講史(上)】

宋の説話人は、小説及び講史ともに高手多く(名は『夢粱録』及び『武林旧事』に見ゆ)、而れども著作ありとは聞かない。元代は擾攘にして文化は論丧し、更に論ずるに及ばず。日本の内閣文庫に元の至治(一三二一~一三二三)年間の新安虞氏刊本の全相(今いわゆる繍像全図)平話五種を蔵す。曰く『武王伐紂書』、曰く『楽毅図斉七国春秋後集』、曰く『秦併六国』、曰く『呂后斬韓信前漢書続集』、曰く『三国志』、毎集各三巻なり(『斯文』第八編第六号、塩谷温「明の小説『三言』に関して」)。今はただ『三国志』のみ印本あり(塩谷博士影印本及び商務印書館翻印本)、他の四種は未だ見ること能わず。その『全相三国志平話』は上下二欄に分かれ、上欄は図、下欄は事を述べ、桃園結義に始まり、孔明の病殁に終わる。而して開篇にはまた先ず漢の高祖が功臣を殺戮し、玉皇が断獄し、韓信を転生して曹操と為さしめ、彭越を劉備、英布を孫権と為し、高祖は則ち献帝と為すと叙す。立意は『五代史平話』と異なるところなし。ただ文筆は遠く及ばず、詞は意に達せず、粗ぼ梗概を具えるのみ。例えば「赤壁鏖兵」を述べて云う――

……さて武侯は江を過ぎ夏口に到る。曹操は船上にて高く叫ぶ、「吾は死せり」と。衆軍曰く、「皆これ蒋幹なり」と。衆官は乱刀もて蒋幹を万段に剉す。曹操は船に上り、荒速に路を奪いて走り、江口に出づ。四面の船上は皆火なり。数十隻の船を見るに、上に黄蓋あり言いて曰く、「曹賊を斬り、天下をして安きこと太山の如くならしめん」と。曹相の百官は水戦に通ぜず、衆人は箭を発して相射す。さて曹操は措手に及ばず、四面火起こり、前にはまた相射す。曹操走らんと欲すれば、北に周瑜あり、南に魯粛あり、西に凌統・甘寧あり、東に張昭・呉苞あり、四面に殺せと言う。史官曰く、「もし曹公の家に五帝の分なくば、孟徳は脱する能わざりしならん」と。曹操は命を得て西北に走り、江岸に至る。衆人は曹公を撮りて馬に上らしむ。さて黄昏に火発し、翌日の斎時にしてようやく出づ。曹操は回顧すれば、なお夏口の船上の煙焰は天に張り、本部の軍は一万に満たず。曹相は西北に望みて走り、五里も行かぬうちに、江岸に五千の軍あり、認め得たるは常山の趙雲なり。攔住するも衆官は一斉に攻撃し、曹相は陣を撞きて越え去る。……晩に至り、一の大林に到る。……曹公は滑栄の路を尋ねて去り、行くこと二十里に満たず、五百の校刀手を見る。関将が攔住す。曹相は美言を用いて雲長に告ぐ、「操の亭侯の恩あるを看よ」と。関公曰く、「軍師の厳令なり」と。曹公は陣を撞きて過ぐ。話の間に面に塵霧を生じ、曹公をして脱するを得せしむ。関公は数里を追いてまた回る。東行すること十五里にして、玄徳と軍師に見ゆ。曹賊を走らせたるは関公の過にあらざるなり。言いて人をして小さく玄徳に着かしむ(案ずるに、この句は解し難し)。衆は何故と問う。武侯曰く、「関将は仁徳の人なり。往日曹相の恩を蒙る。ここにおいて脱せしめたるなり」と。関公はこれを聞き、忿然として馬に上り、主公に告げてまたこれを追わんとす。玄徳曰く、「吾が弟の性は匪石にして、寧ろ不倦に耐えよ」と。軍師言う、「諸葛もまた去けば、万に一失なし」と。……(巻中十八至十九頁)

その簡率なるところを観れば、頗る説話人の用いし話本かと疑われ、これより推演し、大いに波瀾を加えれば、すなわち聴者を愉悦せしむべし。しかるに頁ごとに必ず図あれば、やはり人の閲覧に供する書なり。余の四種もまたおそらくこの類であろう。

『三国志』を説く者は、宋において既に甚だ盛んであった。蓋しその時は英雄多く、武勇智術は瑰偉にして人を動かし、しかも事状は楚漢の如き簡にあらず、また春秋列国の如き繁にもあらず。故に殊に講説に宜しい。東坡(『志林』六)は謂う、「王彭嘗て云う、途巷の中の小児にして薄劣なる者、その家の厭苦する所にして、輒ち銭を与え、聚坐して古話を聴かしむ。三国の事を説くに至り、劉玄徳の敗るるを聞けば、頻りに眉を蹙め、涕を出す者あり。曹操の敗るるを聞けば、即ち喜び快と唱う。これを以て君子と小人の沢は百世斬えざるを知る」と。瓦舎にありては「三分を説く」は説話の一専科にして、「『五代史』を講ず」と並列す(『東京夢華録』五)。金元の雑劇にもまた常に三国時の事を用い、例えば『赤壁鏖兵』・『諸葛亮秋風五丈原』・『隔江闘智』・『連環計』・『復奪受禅台』等、而して今日舞台に搬演せらるる者は殊に多い。これ世の楽しんで道うところなるを知るべきなり。その小説にありては、すなわち羅貫中本ありて名は益々顕わる。

貫中、名は本、銭唐の人なり(明の郎瑛『七修類稿』二十三、田汝成『西湖遊覧志余』二十五、胡応麟『少室山房筆叢』四十一)。あるいは名は貫、字は貫中と云い(明の王圻『続文献通考』百七十七)、あるいは越人にして洪武初に生まると云う(周亮工『書影』)。蓋し元明の間の人なり(約一三三〇~一四〇〇)。著すところの小説は甚だ夥しく、明時に数十種ありと云い(『志余』)、今存する者は『三国志演義』の外、なお『隋唐志伝』・『残唐五代史演義』・『三遂平妖伝』・『水滸伝』等あり。また詞曲に能く、雑劇に『龍虎風雲会』あり(目は『元人雑劇選』に見ゆ)。しかるに今伝わるところの諸小説は、皆しばしば後人の増損を経、真の面は殆ど復見するすべなし。

羅貫中本の『三国志演義』にして、今見得る者は明の弘治甲寅(一四九四)刊本を以て最古と為す。全書二十四巻、二百四十回に分かれ、題して曰く「晋平陽侯陳寿の史伝、後学羅本貫中編次す」と。漢の霊帝中平元年の「天地を祭り桃園にて結義す」に起こり、晋の武帝太康元年の「王濬の計もて石頭城を取る」に終わる。凡そ首尾九十七年(一八四~二八〇)の事実にして、皆、陳寿の『三国志』及び裴松之の注を排比し、間にはまた平話を仍り採り、またさらに推演して之を作る。論断は頗る陳裴及び習鑿歯・孫盛の語を取り、かつ更に盛んに「史官」及び「後人」の詩を引く。しかるに旧史に拠れば即ち抒写し難く、虚辞を雑えれば復た混淆を滋し易い。故に明の謝肇淛(『五雑組』十五)は既に以て「太だ実なれば則ち腐に近し」と為し、清の章学誠(『丙辰札記』)はまた「七実三虚にして観者を惑乱す」と病む。人を写くに至りてもまた頗る失あり、劉備の長厚を顕さんと欲して偽に似、諸葛の多智を状して妖に近づくに致る。ただ関羽に於いてのみ特に好語多く、義勇の概は時時として見ゆるが如し。例えば関羽の出身・風采及び勇力を叙して云う――

……階下にて一人大いに呼びて出でて曰く、「小将は願わくは往きて華雄の頭を斬り、帳下に献ぜん」と。衆これを視れば、その人は身の長九尺五寸、髯の長一尺八寸、丹鳳眼・臥蚕眉にして面は重棗の如く、声は巨鐘に似て帳前に立つ。紹は問う、何人かと。公孫瓚曰く、「これ劉玄徳の弟関某なり」と。紹は問う、現に何の職に居るかと。瓚曰く、「劉玄徳に随い馬弓手に充つ」と。帳上の袁術大いに喝して曰く、「汝は吾が衆諸侯に大将なしと欺くや。量るに一弓手にして安んぞ敢えて乱言するか。我のために乱棒もて打ち出せ」と。曹操急にこれを止めて曰く、「公路は息怒せよ。この人は既に大言を出す以上、必ず広学あらん。試みに出馬せしめ、もし勝たずば、誅するも遅からず」と。……関某曰く、「もし勝たずば、請う我が頭を斬れ」と。操は酾した熱酒一杯を関某に飲ましめて馬に上らしむ。関某曰く、「酒はしばらく斟み下せ。某は去りてすぐに来たらん」と。帳を出でて刀を提げ、飛身して馬に上る。衆諸侯は寨外にて鼓声の大いに震い、喊声の大いに挙がるを聴けば、天摧け地塌け、岳撼れ山崩るるが如し。衆は皆失驚す。さて探聴せんと欲す。鸞鈴の響く処、馬は中軍に到り、雲長は華雄の頭を提げ、地上に擲つ。その酒なお温かなり。……(第九回『曹操兵を起こして董卓を伐つ』)

また曹操の赤壁の敗にては、孔明は操の命は尽くべからざるを知り、乃ち故に関羽をして華容道を扼せしめ、放さしめんとし、而してまた故に軍法を以て相要し、軍令状を立てしめて去らしむ。この叙述にて孔明はただ狡獪のみ見え、而して関羽の気概は凛然たり。元刊本の平話とは遠く隔たれり――

……華容道上にて、三停の人馬は、一停は落後し、一停は坑塹を填め、一停は曹操に随いて険峻を過ぎ、路はやや平妥なり。操は回顧するに、ただ三百余騎の随後するのみにして、衣甲袍鎧の整斉なる者はなし。……また行くこと数里に至らず、操は馬上にて鞭を加え大笑す。衆将は丞相の笑うは何故かと問う。操曰く、「人は皆、諸葛亮と周瑜は足智多謀なりと言うが、吾はその無能を笑うなり。今この一敗は、吾が自らの敵を欺きたるの過なり。もしこの処に一旅の師を伏せしめなば、吾等は皆、束手して縛を受けたるなり」と。言の未だ畢らざるに、一声の砲響あり、両辺に五百の校刀手が摆列し、中央に関雲長は青龍刀を提げ、赤兔馬に跨り、去路を截断す。操軍はこれを見て亡魂喪胆、面面相觑し、皆、言う能わず。操は人叢の中にて曰く、「既にこの処に到れば、已むを得ず一死戦を決せん」と。衆将曰く、「人は縦い怯えずとも、馬力は乏し。戦えば則ち必ず死す」と。程昱曰く、「それがし知る、雲長は上に傲りて下に忍び、強を欺きて弱を凌がず。人に患難あらば必ず救い、仁義は天下に播く。丞相は旧日彼の処に恩あり。何ぞ親しく告げざるや。必ずこの難を脱せん」と。操はその説に従い、即時に馬を縦にして前に進み、身を欠いて雲長に曰く、「将軍、別来恙なきや」と。雲長もまた身を欠いて答えて曰く、「関某は軍師の将令を奉じ、丞相を待つこと多時なり」と。操曰く、「曹操は兵敗れ勢い危うく、ここに到りて路なし。望むらくは将軍、昔日の言を以て重しと為されよ」と。雲長答えて曰く、「昔日、関某は丞相の厚恩を蒙ると雖も、某嘗て白馬の危を解きて以てこれに報いたり。今日命を奉ず。豈に敢えて私を為さんや」と。操曰く、「五関斬将の時、なおよく記すや否や。古の人の大丈夫は世に処するに必ず信義を以て重しと為す。将軍は深く『春秋』を明らかにす。豈に庾公の斯が子濯孺子を追いし者を知らざるや」と。雲長はこれを聞き、首を低れること久しくして語らず。その時、曹操はこの件を引き、説きてなお未だ了らざるに、雲長は義、山の如く重き人なり。また曹軍の惶惶として皆、垂泪せんと欲するを見、雲長は五関斬将にて彼を放ちし恩を思い起こし、いかで心を動かさざるべき。ここにおいて馬頭を勒ち回し、衆軍に与えて曰く、「四散して摆き開け」と。これは分明に曹操を放つの意なり。操は雲長の馬を勒ち回すを見て、すなわち衆将と一斉に冲し将いて過ぎ、雲長の回身する時には、前面の衆将は已に自ら操を護送して過ぎ了りぬ。雲長は大いに一声喝すれば、衆は皆馬を下り、泣いて地に拝す。雲長は忍びて殺さず、正に猶予する中に、張遼馬を縦にして至る。雲長これを見て、また故旧の心を動かし、長く嘆じて一声、並びに皆これを放つ。後来、史官の詩あり曰く――

徹胆長く義を存し、終身恩に報いんと思う、威風は日月に斉しく、名誉は乾坤を震わす。忠勇は三国に高く、神謀は七屯に陥る。今に至りて千古の下、軍旅は英魂を拝す。(第百回『関雲長義もて曹操を釈す』)

弘治以後、刻本は甚だ多く、明代のみを以てしても、今なお幾種あるか詳らかにし能わず(詳しくは『小説月報』二十巻十号、鄭振鐸「三国志演義の演化」を見よ)。清の康熙の時に至り、茂苑の毛宗崗、字は序始、金人瑞が『水滸伝』及び『西廂記』を改めし成法に師い、旧本に即いて遍く改竄を加え、自ら古本を得たりと云い、評刻して、また「聖嘆外書」と称す。而して一切の旧本は乃ち復たは行われず。凡そ改定するところは、その序例より見るべく、大端を約挙すれば、一に曰く改、旧本第百五十九回『献帝を廃して曹丕漢を簒う』にて本は曹后が兄を助けて献帝を斥すと言うが、毛本は則ち漢を助けて丕を斥すと云う。二に曰く増、第百六十七回『先主夜に白帝城に走る』にて本は孫夫人に涉らざるが、毛本は則ち「夫人は呉に在りて猇亭の兵敗を聞き、讹伝して先主は軍中に死すと、遂に兵を駆りて江辺に至り、西に望みて遥かに哭し、投江して死す」と云う。三に曰く削、第二百五回『孔明火をもて木柵寨を焼く』にて本は孔明が司馬懿を上方谷にて焼く時、併せて魏延をも焼かんと欲するとあり、第二百三十四回『諸葛瞻大いに鄧艾と戦う』にて艾が書を贻りて降を勧め、瞻は覧じ畢りて狐疑し、その子の尚が詰責して乃ち死戦を決するとあるが、毛本には皆これなし。その余の小節は、一に回目を整頓し、二に文辞を修正し、三に論賛を削除し、四に瑣事を増刪し、五に詩文を改換するのみ。

『隋唐志伝』の原本は未見なり。清の康熙十四年(一六七五)に長洲の褚人獲の改訂本あり、名を『隋唐演義』と易む。序に云う、「『隋唐志伝』は羅氏に創し、林氏に纂輯す。善しと謂うべし。しかるに隋宮の剪彩に始まれば、前に多く闕略あり。その後、唐季の一二事を補綴するも、また零星にして聯属せず。観者なお議あり」と。その概要を識るべし。

『隋唐演義』は計百回にして、隋主の陳を伐つを以て開篇と為し、次に周の隋に禅るを述べ、隋は唐に亡び、武后は称尊し、明皇は蜀に幸し、楊妃は馬嵬に縊れ、既に両京を復し、明皇は退きて西内に居り、道士に命じて楊妃の魂を求めしめ、張果に得見す。因りて明皇楊妃は隋の煬帝と朱貴児の後身なるを知り、而して全書は遂に畢る。凡そ隋唐間の英雄、秦瓊・竇建徳・単雄信・王伯当・花木蘭等の事蹟は、皆、前七十回中に穿插して出す。その明皇楊妃の再世姻縁の故事は、序に言う、袁于令の蔵する『逸史』より得て、その新異を喜び、因りて書に入れたりと。此の他の事状は、多く正史の紀伝に本づき、かつ唐宋の雑説を益す。隋事は『大業拾遺記』・『海山記』・『迷楼記』・『開河記』、唐事は『隋唐嘉話』・『明皇雑録』・『常侍言旨』・『開天伝信記』・『次柳氏旧聞』・『長恨歌伝』・『開元天宝遺事』及び『梅妃伝』・『太真外伝』等の如し。叙述は多く来歴あり、殆ど『三国志演義』に亜がず。ただその文筆は乃ち純ら明季の時風の如く、浮艶は膚にあり、沈著は不足にして、羅氏の軌範は殆ど已に蕩然たり。かつ嘲戯を好み、而して精神は反って蕭索なり。今、一例を挙ぐ――

……ある日、玄宗は昭慶宮に閑坐す。禄山は側に侍坐す。その腹の膝を過ぎて垂るるを見て、因りてこれを指して戯れに言いて道う、「この児の腹は大いなること瓮を抱くが如し。知らず、その中に蔵するところは何物か」と。禄山は手を拱して対えて道う、「この中には並びに他物なく、ただ赤心あるのみ。臣は願わくはこの赤心を尽くして以て陛下に事えん」と。玄宗は禄山の言うところを聞き、心中甚だ喜ぶ。それぞ知らんや――

人はその心を蔵し、測り識るべからず。自ら赤心と謂うも、心は黒きこと墨の如し。

玄宗の安禄山を待つは、真に腹心の如し。安禄山の玄宗に対するは、却って純ら賊心・狼心・狗心にして、乃ち真にこれ負心・喪心なり。心ある人は方に切歯して痛心し、恨みてただちにその心を剖き、その心を食わんと欲す。よくもなお人を哄して赤心と言う。笑うべし、玄宗はなおその狼子野心に覚えず、却って彼を真心と信ぜんとす。よくも痴心なる。閑話少説。さて当日、玄宗と安禄山は閑坐すること半晌、左右を回顧して妃子はいずこにと問う。この時まさに春深の候にして天気は暖に向かい、貴妃はまさに後宮に坐して蘭湯にて洗浴す。宮人は玄宗に回報して言いて道う、「妃子は洗浴したるところなり」と。玄宗は微笑して言いて道う、「美人の新浴は、まさに出水の芙蓉の如し」と。宮人に命じて即ち妃子を宣べしめ、更めて梳妆を洗うに及ばずと。少頃にして楊妃来到す。その新浴の後、いかなる模様かと道えば、一曲の『黄鸝児』に説き得たり――

皎皎として玉の如く、光嫩にして瑩の如し。体はいよいよ香り、雲鬟は慵く整えて偏に嬌なる様なり。羅裙は長きを厭い、軽衫は涼しきを取り、風に臨みて小さく立てば神は骀蕩す。細かに端詳す――芙蓉の水より出づるも、美人の妆には及ばず。(第八十三回)

『残唐五代史演義』は未見なり。日本の『内閣文庫書目』に二巻六十回と云い、羅本の撰、湯顕祖の批評と題す。

『北宋三遂平妖伝』の原本もまた見るべからず。較先の本は四巻二十回にして、序に王慎修が補すと云い、貝州の王則が妖術をもて変乱する事を記す。『宋史』(二百九十二『明鎬伝』)に言う、則はもと涿州の人にして歳饑え、流れて恩州(唐は貝州と為す)に至り、慶暦七年に僭して東平郡王と号し、改元して得聖と称し、六十六日にして平ぐと。小説は即ちこの事に本づき、開篇にて汴州の胡浩が仙画を得、その婦がこれを焚き、灰が身を繞り、因りて孕み、女を生む。永児と曰い、妖狐の聖姑姑に道法を授けられ、遂に紙人豆馬を為すを能くす。王則は貝州の軍排にして、後に永児を娶る。術人の弾子和尚・張鸞・卜吉・左黜は皆来見し、則は当に王たるべしと云う。知州の貪酷に会し、遂に術を以て庫中の銭米を運び、軍を買いて倡乱す。やがて文彦博は師を率いてこれを討つも、その時、張鸞・卜吉・弾子和尚は則の無道を見て皆先に去り、而して文彦博の軍はなお克つ能わず。幸いに弾子和尚が身を化して諸葛遂智と為り、文を助け、邪法を鎮伏す。馬遂は詐降して則を撃ち、その唇を裂きて咒を持する能わざらしむ。李遂はまた掘子軍を率いて地道を作りて城に入る。乃ち則及び永児を擒う。功を奏する者三人は皆名に遂あり、故に『三遂平妖伝』と曰うなり。

『平妖伝』の今の通行本は十八巻四十回にして、楚黄の張無咎の序あり、龍子猶の補するところと云う。その本は明の泰昌元年(一六二〇)に成り、前に十五回を加え、袁公が九天玄女より道法を受け、復た弾子和尚に盗まるること及び妖狐聖姑姑の煉法の事を記す。他の五回は旧本の各回間に散入し、多く諸怪民の道術を補述す。事蹟は意造の外に、また他の雑説を採取し、附会してこれを入る。第二十九回にて杜七聖が符を売り、併せて幻術を呈し、小児の首を断じ、衾を覆えば即ち復た続く。而して偶々大言を作り、弾子和尚の聞くところと為り、遂に小児の生魂を摂し、麺店に入り楪子の下に覆う。杜七聖はこれに咒すること再三、児は竟に起きず。

杜七聖は慌てて、見ている人々に向かいて道う、「衆位の看官、上に在りて、道路は各別なりと雖も、養家はすべて一般なり。ただ家火に相逼らるるのみ。先刻、言語の不到の処、望むらくは看官たち罪を恕されよ。この番は我に頭を接がしめよ。下り来たりて酒を一杯飲まば、四海の内、皆相識なり」と。杜七聖は伏罪して道う、「これ我の不是なり。この番は接ぎ上がりたり」と。ただ口中に咒を念じ、臥単を揭き起こし見るに、また接ぎ上がらず。杜七聖は焦躁して道う、「汝は我が孩児に頭を接がしめず。我はまた汝に再三求め告げて、自己の不是を認め、汝に恕饒を要めたるに、汝は却って直にかくの如く無理なり」と。すなわち後面の籠児の内より一個の紙包児を取り出し、打ち開けて、一顆の葫蘆子を撮り出し、地上に行きて土を掘り松くし、かの葫蘆子を埋め、口中に念々有詞にして、一口の水を噴き上げ、「疾」と喝す。あに作怪なることか――ただ地下に一条の藤児が生じ出づるを見る。漸々に長大し、すなわち枝葉を生じ、然る後花開き、すなわち花は謝し、一個の小葫蘆児を結ぶ。一伙の人はこれを見て、皆喝采して道う、「好し」と。杜七聖はかの葫蘆児を摘み下ろし、左手に葫蘆児を提げ、右手に刀を拿して道う、「汝は先に道理に近からず、我が孩児の魂魄を収めて、我に頭を接がしめず。汝もまた世上に活きんと休想え」と。葫蘆児に看て、腰を攔いて一刀、半個の葫蘆児を剁し下ろす。さて、かの和尚は楼上に在りて麺を拿い起こし、まさに食わんとす。ただ見る、かの和尚の頭が腔子の上より骨碌碌と滾り将いて下に来たるを。一楼上にて麺を食う人は皆一驚し、小胆の者は麺を丢てて楼を跑り下り、大胆の者は脚を立住して看る。ただ見る、かの和尚は慌忙として碗と箸を放ち下し、身を起こしてかの楼板の上に摸り、一摸にて頭を摸り着き、双手にて両隻の耳朶を捉えて持ち、頭を掇りて腔子の上に安ず。端正に安じ得て、手にてもう一摸す。和尚道う、「我はただ麺を食うに顧みて、彼の児子の魂魄を還すを忘れたり」と。手を伸ばして楪児を揭き起こす。ここにて却って好く楪児を揭き起こし得れば、あちらにて杜七聖の孩児は早くも跳ね起きたり。看る人は声を発して喊ぶ。杜七聖道う、「我は従来この家法術を行いしが、今日師父に撞り着きたり」と。……(第二十九回下『杜七聖狠く続頭の法を行う』)

これ蓋し相伝の旧話にして、尉遅偓(『中朝故事』)は唐の咸通中にありと云い、謝肇淛(『五雑組』六)はまた明の嘉靖隆慶間の事と以為すも、ただ術人に姓名なく、僧もまた死するのみ。この書は略々改用する。馬遂の賊を撃ちて殺さるるは当時の事実にして、宋の鄭獬に『馬遂伝』あり。


第32節

【第十五篇 元明伝来の講史(下)】

『水滸』の故事もまた南宋以来流行の伝説にして、宋江もまた実にその人あり。『宋史』(二十二)に載す、徽宗宣和三年「淮南の盗、宋江等、淮陽軍を犯す。将を遣わして討捕し、また京東・江北を犯し、楚の海州界に入る。知州張叔夜に命じてこれを招降せしむ」と。降りし後の事は則ち史に文なし。而して稗史は乃ち「方臘を収むるに功あり、節度使に封ぜらる」と云う(十三篇を見よ)。然れども方臘を擒えし者は蓋し韓世忠にして(『宋史』本伝)、宋江の輩とは与かりなし。

然るに宋江等が梁山泊に嘯聚する時、その勢は実に甚だ盛んにして、『宋史』もまた「十郡を転略し、官軍は敢えてその鋒を撄うなし」と云う。ここにおいて自ずから奇聞異説あり民間に生じ、輾転繁変して以て故事を成す。宋の遺民龔聖與は『宋江三十六人賛』を作り、自序に已に「宋江の事は街談巷語に見え、採著するに足らず。高如・李嵩の輩が伝写すると雖も、士大夫もまた見て黜けず」と云う(周密『癸辛雑識』続集上)。

原本の『水滸伝』は今得べからず。現存の『水滸伝』には知る者六本あり、而して最も要なる者四つ。一に曰く百十五回本『忠義水滸伝』。前に「東原羅貫中編輯す」と署す。二に曰く百回本『忠義水滸伝』。前に「銭唐施耐庵的本、羅貫中編次す」と署す。三に曰く百二十回本『忠義水滸全書』。また「施耐庵集撰、羅貫中纂修す」と題す。四に曰く七十回本『水滸伝』。正伝七十回、楔子一回にして実に七十一回。金人瑞(字は聖嘆)の伝えるところにして、自ら古本を得たりと云い、七十回に止まる。

総じてこの五本を観るに、現存の『水滸伝』には実に二種あるを知る。その一は簡略にして、その一は繁縟なり。簡本は百十五回にして成就は殆ど繁本に先んず。繁本の文辞は更に精緻にして人物の描写は愈々細微に入る。

この外に講史の属は数なお多し。明には荒古虞夏より東西周・両漢・両晋・唐・宋に至る諸史事の平話あり、清以来もまた絶えず。然れども大抵『三国志演義』に効いて及ばず。蔡奡の『東周列国志読法』に云う、「もし正経の書と言えば、却って畢竟小説の様子にして……しかし小説と言おうとすれば、彼は件件経伝の上より来たる」と。本よりこれを美するも、而して講史の病もまたここにあり。


第33節

【第十六篇 明の神魔小説(上)】

道流羽客を奉崇すること隆盛を極めたるは宋の宣和の時にして、元は仏に帰すと雖もまた甚だ道を崇び、その幻惑は故に遍く人間に行われた。明の初めにはやや衰えしも、中葉に比びて復た極めて顕赫となる。成化の時に方士の李孜あり、釈の継暁あり、正徳の時に色目人の于永あり、皆、方伎雑流を以て官を拝す。栄華は熠耀として世の企羨するところなれば、則ち妖妄の説は自ずから盛んにして、影響はかつ文章に及ぶ。かつ歴来三教の争いは都て解決なく、互いに容受し、乃ち「同源」と曰う。所謂、義利・邪正・善悪・是非・真妄の諸端は、皆これを混じてまた析き、二元に統ぶ。専名なしと雖も、これを神魔と謂えば、蓋し赅括すべし。その小説に在りては、則ち明初の『平妖伝』已にその先を開き、而して継起の作は尤も夥し。凡そ敷叙するところは、また宋以来の道士の造作の談にあらず。ただ人民閭巷間の意にして、蕪雑浅陋にして率ね観るべきなし。然れどもその力の人心に及ぶ者は甚だ大にして、またあるいは文人が起りて結集し潤色すれば、則ちまた鴻篇巨制の胚胎と為るなり。

この等の小説を彙して集と成す者は、今『西遊記』あり世に行わる。その書は凡そ四種にして著者は三人なり。何人の編定なるかを知らず。ただ刻本の状を観れば、当に明代にあるべし。一に曰く『上洞八仙伝』、また『八仙出処東遊記伝』と名づく。二巻五十六回にして「蘭江呉元泰著」と題す。伝に言う、鉄拐は道を得て鍾離権を度す。権は呂洞賓を度し、二人はまた共に韓湘・曹友を度す。張果・藍采和・何仙姑は則ち別に道を成す。これを八仙と為す。

二に曰く『五顕霊官大帝華光天王伝』、即ち『南遊記』。四巻十八回にして「三台山人仰止余象斗編」と題す。書に言う、妙吉祥童子あり独火鬼を殺すを以て如来に忤い、貶されて馬耳娘娘の子と為る。これを三眼霊光と曰い五神通を具え、父の仇を報ず。終に天宮を騒がし上界は鼎沸す。玄天上帝は水を以てこれを服す。

その三に曰く『北方真武玄天上帝出身志伝』、即ち『北遊記』。四巻二十四回にしてまた余象斗の編なり。真武の本身及び成道降妖の事を記す。

四に曰く『西遊記伝』。四巻四十一回にして「斉雲楊志和編、天水趙景真校」と題す。孫悟空が道を得、唐の太宗が冥に入り、玄奘が諸に応じて経を求め、途中に難に遇い、終に西土に達し、経を得て東帰する者を叙す。全書の前九回は孫悟空が仙を得より降されるまでの故事にして、石猴あり水源を見出し衆はこれを奉じて王と為す。大神通を以て天地を攪乱し、玉帝は已むを得ず斉天大聖に封ず。復た蟠桃大会を擾し、灌口の二郎真君と大いに戦い、悟空は獲えらるるところと為る。然れども斫れども傷なく煉れども死せず。如来は乃ちこれを五行山の下に圧し取経の人を待たしむ。次の四回は魏徴の龍を斬り太宗の冥に入り及び玄奘の西行なり。十四回以下は道中にて徒を収め難に遇う故事にして仏に見え経を得て東帰し証果するを以て終わる。


第34節

【第二十篇 明の人情小説(下)】

『金瓶梅』・『玉嬌李』等の既に世の艶称するところと為るや、学歩する者は紛然として起こり、而して一面にはまた異流を生ず。人物事状は皆同じからず。ただ書名はなお多く蹈襲す。『玉嬌梨』・『平山冷燕』等の如きは皆これなり。叙述するところに至りては大率才子佳人の事にして文雅風流を以てその間を綴り、功名遇合を之が主と為す。始めはあるいは乖違するも終には多く如意なり。故に当時あるいはまた「佳話」と称す。

『玉嬌梨』は今あるいは題を改めて『双美奇縁』と為す。全書は僅か二十回にして明の正統間に太常卿の白玄なる者あるを叙す。子なく晩年に一女を得て紅玉と曰う。甚だ文才あり。後に蘇友白なる者と相知り、種々の曲折を経て終に成婚す。

『平山冷燕』もまた二十回にして「荻岸山人編次す」と題す。書は先朝の隆盛の時事を叙す。天子は真才を求めんとて百官に白燕の詩を賦せしむるに衆は謝して能わず。大学士山顕仁は乃ちその女山黛の作を献ず。天子は即ちこれを召見し才女と称して玉尺と金如意を賜う。後に山黛は平如衡・燕白顔に出会い種々の波瀾を経て終に成婚す。二書の大旨は皆女子を顕揚しその異能を頌す。

『好逑伝』は十八回にして「名教中人編次す」と題す。秀才の鉄中玉は侠義の人にして水冰心と知り合い、互いに尊重し合いつつ種々の困難を経て終に成婚す。しかも合卺せずして先ず貞節を守り、後に天子の御検分を受けて始めて夫婦と為る。

『鉄花仙史』は二十六回にして「雲封山人編次す」と題す。較々後出にして旧来の窠臼を脱せんと欲するに似たり。故に事を設くるに力めてその奇を求む。然れども文筆は拙渋にして事状は紛繁、また戦争及び神仙妖異の事を混入し、已に人情小説の範囲の外に逸出せり。


第35節

【第二十三篇 清の諷刺小説】

譏弾を稗史に寓する者は晋唐に已にあり、而して明に為りて盛んなり。殊に人情小説の中に在り。然れどもこの類の小説は大抵一庸人を設け極めてその陋劣の態を形どり、藉りて以て俊士を襯托しその才華を顕す。迨いて呉敬梓の『儒林外史』出づるに及び、乃ち公心を秉持し時弊を指擿す。機鋒の向かうところ尤も士林に在り。その文はまた戚にして能く諧、婉にして多く諷る。ここにおいて説部の中に乃ち始めて諷刺の書と称するに足る者あり。

呉敬梓は字は敏軒、安徽全椒の人にして幼より穎異なり。性は豪にして旧産を蕩尽し、家を金陵に移して文壇の盟主と為る。『儒林外史』は五十五回にして雍正末に成る。時に明の亡びしより未だ百年ならず。士流は蓋しなお明季の遺風あり、制芸の外は百も経意せず。敬梓の描写するところは即ちこの曹にして、能く幽を燭し隠を索き物は遁形なし。全書に主幹なきも、諸々の碎錦を集め合せて帖子と為すが如く時に珍異を見る。

馬二先生の制芸を論ずるの段は殊に刻深にして、所謂儒者の心肝を洞見す。また范進の暴発と翼々として礼を尽くす段は、無一の貶詞にして情偽は畢く露わる。末に荊元と于老者との琴を弾くの段に至りては、市井の奇人を描きて清絶の境を成す。然れども独り士人と往還するを楽しまず。固より「儒林」中の人にあらざるなり。

是の後もまた鮮しく公心を以て世を諷する書にして『儒林外史』の如き者あり。


第36節

【第二十五篇 清の小説を以て才学を見す者】

小説を以て学問文章を庋する具と為すは、惩劝を寓すると同意にして異用なる者にして、清に在りては蓋し『野叟曝言』より先なるはなし。その書は光緒初に始めて出で、序に云う、康熙の時、江陰の夏氏の作にして、その人は「名諸生を以て成均に貢し、既に志を得ず、乃ち大人先生の聘に応じ、輒ち帷幕の中に祭酒し、遍く燕・晋・秦・隴を歴す。……継いで黔・蜀に道を仮り、湘より汉に浮かび、江を溯りて帰る。歴するところ既に富み、ここにおいて発して文章と為し、益々奇気あり……然れども首は已に斑たり。進取を屏絶し、壹意著書す」と。

『野叟曝言』は庞然たる巨帙にして回数は多きこと百五十四回に至る。「奮武揆文天下無双正士、熔経鋳史人間第一奇書」の二十字を以て巻を編む。即ち作者のその全書を渾括する所以なり。内容は叙事・説理・談経・論史・教孝・勧忠等、無きところなく、而して文白を以て之が主と為す。白は字を素臣と曰い、「是れ錚錚たる鉄漢にして落落たる奇才なり」と。然るに明君は上に在りて君子は窮せず、超擢飛騰は如意ならざるはなし。文功武烈は一身に並び萃まり、天子は崇礼してこれを「素父」と号す。

欲うに小説にてその才藻の美を見す者は、則ち屠紳の『蟫史』二十巻あり。紳は字を賢書、号を笏岩と曰い、また江陰の人なり。豪放にして俗を嫉み、文は則ち務めて古渋艶異を為し、その義旨を晦ます。『蟫史』は長篇にして「磊砢山房原本」と署す。甘鼎の苗を防ぐの事を主幹と為し、多くの奇険を歴するも皆勝つ。

以て排偶の文もて試みに小説と為す者は、則ち陳球の『燕山外史』八巻あり。球は字を蘊斎、秀水の諸生にして、家貧しく、画を売りて自給す。騈儷を工みにし伝奇を喜び、因りてこの作あり。自ら謂う「史体にて従来四六を以て文を為すは未だ曾てなし。自ら我より古を作す」と。

雍乾以来、江南の人士は文字の禍に惕き、因りて史事を避けて道わず、折して経子乃至小学を考証す。芸術の微と雖もまた廃せざるところなり。逮いて風気既に成れば、則ち学者の面目もまた自ずから具わる。然れどもなお一の李汝珍ありて『鏡花縁』を作る。汝珍は字を松石、直隷大興の人なり。少にして穎異にして時文を楽しまず。殊に韻学に長じ、旁ら雑芸に及ぶ。晩年は窮愁にして小説を作りて以て自ら遣り、十余年を歴て始めて成る。

『鏡花縁』は凡そ百回にして、大略、武后が寒中に花を賞でんと欲し、百花に斉放を詔するを叙す。花神は抗命を敢えてせず之に従うも、天譴を獲り、人間に謫されて百女子と為る。秀才の唐敖は妻弟林之洋の商舶に附して海外に遨游し、異域を跋涉し、時に畸人に遇い、また多く奇俗怪物を睹る。仙草を食い「入聖超凡」し、遂に山に入りて復た返らず。その女の小山はまた舶に附して父を尋ね、やはり諸異境を歴するも終に遇わず。後に武后が科を開きて才女を試みるに小山もまた入選す。

またその古典才芸を羅列するもまた殊に繁多にして、唐氏父女の遊行や才女百人の聚宴は幾ど全書の十の七を占め、悉く旧文に広く拠り、歴々として衆芸を陳ぶ。


第37節

【第二十六篇 清の狭邪小説】

唐人は登科の後、多く冶遊を作す。習俗相沿えて以て佳話と為す。故に伎家の故事は文人の間にもまたこれを篇章に著す。明及び清に自りて作者は尤も夥し。もし狭邪中の人物事故を以て全書の主幹と為し、かつ組織して長篇と成し数十回に至る者は、蓋し始めて『品花宝鑑』に見ゆ。ただ記するところは則ち伶人なり。

『品花宝鑑』は咸豊二年(一八五二)に刻せられ、乾隆以来の北京の優伶を叙するを専職と為す。記載の内に時に猥辞を雑え、自ら謂う、伶人に邪正あり、狎客にもまた雅俗あり、妍媸を並陳するは固より勧懲の意なりと。

その後に『花月痕』十六巻五十二回あり。韋痴珠・韓荷生は皆偉才にして並州に游幕す。各々相眷の妓あり、韋は秋痕、韓は采秋なり。韋は不遇にして困頓し、秋痕もまた終に嫁すを得ず。韋は亡じ秋痕は殉ず。韓は則ち顕達して侯に封ぜらる。升沈相形ずるの布局なり。

全書にて伎女を主題とする者は『青楼夢』六十四回あり。金挹香なる者が青楼に遊び、伎人に特に愛重せられ、後に科挙に及第して五妓を納め、終に悟道して仙と成るを叙す。

然れども『海上花列伝』出づるに自り、乃ち始めて実に妓家を写し、その奸譎を暴く。「過来人が現身して説法す」と謂い、阅する者をして「跡を按じ踪を尋ね、心にその意を通ぜしめ」んと欲す。則ち開宗明義にして已に前人と異なり、而して『紅楼夢』の狭邪小説に於ける沢もまたここに自りて斬たり。

『海上花列伝』は今六十四回あり、「雲間花也憐儂著」と題す。その書は光緒十八年(一八九二)に出で、毎七日に二回を印し遍く市に鬻ぎ、頗る風行す。大略、趙朴斎を以て全書の線索と為し、趙が上海に至りて青楼に遊び、沈溺して大いに困頓するに至る事を言う。書中の叙述は記載如実にして絶えて誇張少なし。その妓女の書く所と狎客の態とは歴々として紙上に在り。


第38節

【第二十七篇 清の侠義小説及び公案】

明季以来、世は『三国』・『水滸』・『西遊』・『金瓶梅』を目して「四大奇書」と為し、説部の上首に居す。清の乾隆中に比びて『紅楼夢』盛行し、遂に『三国』の席を奪い、尤も文人に称せらる。ただ細民の嗜むところは則ちなお『三国』・『水滸』に在り。時勢は屢々更り人情は日に昔と異なり、久しくしてまたやや厌き、漸く別流を生ず。大旨は勇侠を揄揚し粗豪を賛美するに在り。然れどもまた必ず忠義に背かず。

『児女英雄伝評話』は本と五十三回にして今は残りて四十回を存す。「燕北閑人著」と題す。文康の手より出づ。蓋し道光中に定稿す。文康は費莫氏にして字は鉄仙、満洲鑲紅旗の人、大学士勒保の次孫なり。家は本より貴盛にして諸子は不肖、遂に中落して困憊に至る。文康は晩年に筆墨を弄し因りてこの書を著して以て自ら遣る。書中に侠女の何玉鳳あり、智慧骁勇絶世にして、安骥を救いて後に之に嫁す。

『三侠五義』は光緒五年(一八七九)に出づ。原名を『忠烈侠義伝』と曰い百二十回なり。首に「石玉昆述」と署す。凡そこの流の著作は意は勇侠の士を叙するに在り、村市を遊行し安良除暴し国の為に功を立つ。而して必ず一の名臣大吏を以て中枢と為し以て一切の豪俊を総領す。その『三侠五義』に在る者は包拯と曰う。

開篇は即ち宋の真宗に未だ子なきを叙す。劉妃と李妃の争いから狸猫換太子の事に至る。復た包拯の降生・婚宦及び断案の事蹟を述ぶ。比いて開封を知るに及び乃ち民間にて李妃に遇い旧案を発す。拯はまた忠誠の行を以て豪客を感化し、南侠展昭・北侠欧陽春・双侠丁兆蘭丁兆蕙及び五鼠の如き者は皆先後に傾心して投誠し職を受け、協力して強暴を誅し、人民は大いに安んず。

その構設は稚弱に傷むところありと雖も、独り草野豪傑を写くに至りては輒ち奕奕として神あり、間にはまた世態を襯し諙諧を雑え、莽夫をして分外に生色あらしむ。時に世間は妖異の説・脂粉の談に飽き、而してこれ遂に粗豪脱略を以て長と見え、説部の中に頭角を露すなり。

当に俞樾の呉下に寓する時、潘祖蔭は北京より帰りてこの本を出示す。初めは以て尋常の俗書と為すも、閲し畢りて乃ちその「事蹟は新奇にして筆意は酣恣、描写は既に細やかにして毫芒に入り、点染はまた曲がりて筋節に中る」を嘆ず。而して頗る開篇の「狸猫換太子」の不経を病む。乃ち別に第一回を撰し「援拠して史伝に基づき俗説を訂正す」。また書名を『七侠五義』と改む。

是の後にまた擬作及び続書ありと雖も多く濫悪にして、この道はまた衰落す。清初に流寇は悉く平らぎ、遺民は旧君を忘れず。而して時去りて明の亡ぶこと已に久遠にして、凡そ侠義小説中の英雄は民間にて毎に極めて粗豪にして大いに緑林の結習あるも、而して終に必ず一大僚の隷卒と為りて使令奔走に供し以て寵栄と為す。これ蓋し心悦誠服にして楽みて臣僕と為るの時にあらざれば弁ぜざるなり。

而してその時、欧人の力はまた中国に侵入す。


第39節

【序言】

かつて小説を研究し、その史実について鉤稽するところがあった。時に蒋氏瑞藻の『小説考証』が既に出版されており、取りて検尋し、裨助を得ること頗る多かった。ただ惜しむらくは伝奇をも併せ収め、未だ理析せず、原本と校するに字句にまた時に異同あるを惜しむ。ここにおいて凡そ故記を涉猟し、偶々旧聞を得、参証に足る者に値えば、輒ちまた別に移写した。時を歴ること既に久しく、積むところ漸く多くなったが、二年前にまた廃置し、紙札は叢雑にして蟫の塵に委ねた。その焚棄を即さざる所以は、蓋し事は猥瑣なりと雖も、究めて嘗て心を用い、取捨ともに窮まり、鶏肋の如きあればなり。今年の春、枨触するところあり、更に旧稿を発き、案頭に雑陳す。一二の小友は、これは名家に饗するに足らずと雖も、あるいはなお初学に裨するところなきにしもあらずと以為し、これを助けて編定し、斐然として章を成し、遂にまた印行す。すなわちこの本なり。自ら読書の多からざるを愧じ、疏陋殊だ甚だし。空しく楮墨を災し、評壇に痛みを遺す。しかれども皆、本書より摭い取りしもの、未だ嘗て転販せず。而して通巻ともに小説を論ず。『小浮梅閑話』・『小説叢考』・『石頭記索隠』・『紅楼夢弁』等の如きは、すなわち本より専著たるを以て、披拣するに煩わしく、篇幅を省かんと冀し、またこれを採らざるなり。凡そ録載するところは、本より力めて復重を汰し、観覧に便ならしめんと擬したが、しかるに破格あり、言い得べし。『水滸伝』・『聊斎志異』・『閲微草堂筆記』の下に復重あるは、俗説流伝の迹を著すなり。『西遊記』の下に復重あるは、この書が地志に著録せられざるの漸を揭くなり。『源流篇』中に復重あるは、札記臆説の稗販の多きを明かすなり。無稽の甚だしき者もまた削るところなるも、独り『消夏閑記』・『揚州夢』各一則を留むるは、すなわち悠謬の談が故書中に蓋し常にあり、かつまたここに至ることを見せんためなり。翻検の書は別に目録を為して末に附す。しかれどもまた未だ嘗て全部を通観せし者にあらず。王圻の『続文献通考』の如きは、実にただその『経籍考』を閲したるのみ。

一千九百二十六年八月一日、校了して記す。魯迅。


第41節

【唐宋伝奇集】

【序例】

東越の胡応麟は明代にありて博く四部に渉り、嘗て云う、「凡そ変異の談は六朝に盛んなり。しかれども多くはこれ伝録の舛訛にして、必ずしも尽く幻設の語にあらず。唐人に至りて乃ち作意して奇を好み、小説を仮りて筆端に寄す。『毛穎』『南柯』の類の如きはなお可なり。『東陽夜怪』の如きは成自虚と称し、『玄怪録』は元無有なり。皆ただこれを一笑に付すべく、その文気もまた卑下にして論ずるに足らず。宋人の記するところは乃ち多く実に近き者あり。而して文彩は観るに足るなし」と。その言は蓋しほぼ是なり。詩賦に餍き、旁ら新途を求め、藻思横流して小説はここに燦たり。而して後賢は正を秉り、土沙と同視し、ただ『太平広記』等の包容するところに頼りて、什一を存するを得たり。顧みるに復た賈人の利を貿うが縁にて、撮拾して雕鐫す。『説海』の如く、『古今逸史』の如く、『五朝小説』の如く、『龍威秘書』の如く、『唐人説薈』の如く、『芸苑捃華』の如く、総目をして爛然たらしめ、見る者を眩惑せんと欲し、往々にして妄りに篇目を制し、撰人を改題す。晋唐の稗伝は黥劓殆ど尽く。夫れ蟻子は鼻を惜しむに、固より猶お香象の如し。嫫母は面を護るに、豈に毛嫱に遜らんや。則ち彼は小説なりと雖も、夙に卑卑にして九流の列に厕るに足らずと称せらるる者なれど、頭を換え足を削ること、仍お駭心の厄たるなり。昔嘗てこれを病み、意を発して匡正せんとす。先ず漢より隋に至る小説を輯め、『鉤沈』五部を為し讖る。漸く復た唐宋伝奇の作を録し、将に一編に彙せんとし、通行本に較すれば、稍々信を憑むに足らんとす。而して屡々顛沛に更り、理董するに遑あらず、行篋に委ね、蟫蠹を飽かしむるのみ。今夏は失業し、幽かに南中に居り、偶々鄭振鐸君の編する『中国短篇小説集』を見る。煙埃を埽蕩し、偽を斥けて本に返す。積年の堙鬱、一旦霍然たり。惜しむらくは『夜怪録』はなお王洙と題し、『霊応伝』は未だ于逖を削らず。継いで復た大興の徐松の『登科記考』を読む。微を積みて昭と成し、鉤稽は淵密なるも、李徵の及第に至りて、乃ち李景亮の『人虎伝』を引きて証と作す。これ明人の妄署にして、景亮の文にあらず。弥々嘆ず、短書俚説と雖も、一たび篡乱に遭えば、固より害を談文に遺し、また災を考史に飛ばすなりと。頓ちに旧稿を憶い、篋を発きて諦観すれば、黯澹は加わるも、渝敝は則ち未だし。乃ち略々時代の次第に依り、循覧して一周す。王度の『古鏡』は猶お六朝志怪の余風あり、而して大いに華艶を増す。千里の『楊倡』、柳珵の『上清』は、遂に極めて庳弱にして、詩運と同じ。宋は勧懲を好み、実を摭いて泥み、飛動の致は眇として期すべからず。伝奇の命脈はここに至りて絶ゆ。ただ大暦より大中中に至り、作者は雲蒸し、文苑に郁術す。沈既済・許堯佐は前に秀を擢で、蒋防・元稹は後に采を振るい、而して李公佐・白行簡・陳鴻・沈亜之の輩は則ちその卓異なり。特に『夜怪』一録は顕かに空無に託すも、唐に在りては実になお新意にして、胡君のこれを貶して此に至るは、窃かに同ずる能わず。自ら審するに録するところは、秘文なしと雖も、曩に嘗て心を用い、仍お自ら珍惜す。この涓滴を持して彼の説淵に注ぎ、我が同流に献じ、之を芹子に比す。ここにおいて門を杜じ書を攤べ、重ねて勘定を加え、匝月にしてようやく就り、凡そ八巻、校印すべし。旧郷を顧みて行かず、飛光を弄して尽くるところあり。嗟夫、これまた豈に吾が生を善くする所以ならんや、しかれども已むを得ざるなり。なお雑例あり、併せて左方に綴る。

一、本集の取資するところは、明刊本『文苑英華』、清黄晟刊本『太平広記』(明許自昌刻本を以て校す)、涵芬楼影印宋本『資治通鑑考異』、董康刻士礼居本『青瑣高議』(明張夢錫刊本及旧鈔本を以て校す)、明翻宋本『百川学海』、明鈔本原本『説郛』、明顧元慶刊本『文房小説』、清胡珽排印本『琳琅秘室叢書』等なり。

一、本集の取るところは専ら単篇にあり。もし一書中の一篇ならば、事極めて煊赫なるも、あるいは本書は既に亡ずるも、また収採せず。袁郊『甘沢謡』の『紅線』、李復言『続玄怪録』の『杜子春』、裴鉶『伝奇』の『崑崙奴』『聶隠娘』等の如きこれなり。皇甫枚の『飛煙伝』は、また『三水小牘』の逸文なりと雖も、『太平広記』の引くところは何書より出づるかを云わず、曾て単行せしに似たり。故になお入録す。

一、唐文は寛に従い、宋制は則ち頗る決択を加う。凡そ明清人の輯する叢刊に妄作する者あれば、輒ち審正を加え、その偽欺を黜く。日本に『遊仙窟』あり、唐の張文成の作と為す。本と当に『白猿伝』の次に置くべきも、章矛塵君が版行を図るを以て編入せず。

一、取るところの文章に不同の書あるいは不同の本に見え、互いに校すべき者あれば、互校す。字句に異あらば、ただその是に従う。

一、向来、雑書を涉猟し、唐宋伝奇に関し参証に資する者に遇えば、時にまた写取して遺忘に備う。今ただ叢残を会集し、併せて一巻と為し末簡に綴じ、聊か旧聞を存す。

一、唐人の伝奇は大いに金元以来の曲家の取資するところと為る。ただ詞曲の事に於いては素より未だ心を用いず。精研博考は以て専家を俟つ。

一、本集の成就は頗る匪易なり。先ず許広平君にこれが選録を為さしめ、最も多き者は『太平広記』中の文なり。去年、魏建功君に北京大学図書館蔵の明許自昌刊本を以て校せしめ、乃ち釈然たり。蒋径三君に書籍十余種を致さしめ、検尋するを得、遂に就緒す。陶元慶君の書衣は年余前に贻りしものなり。広く衆力に頼りて才にこの編を成す。謹みて高誼を銘ず。


第43節

【科学小説月界旅行弁言】

昔、人智の未だ開けざるに、天然は権を擅にし、積山長波は皆阻と為すに足りた。逓いに刳木剡木の智あるに及び、乃ち交通を胎し、而して櫂を漕ぎ帆を張り、日に益々衍進す。ただ遥かに重洋を望み、水天相接すれば、則ちなお魄は悸え体は栗き、敏ならざるを謝するなり。既にして鉄を駆り汽を使い、車艦は風馳し、人治は日に張り、天行は自ら遜り、五洲は同室にして、互いに文明を贈り、以て今日の世界を成す。然れども造化は不仁にして、是の楽を限制す。山水の険は、その力を失いたりと雖も、復た吸力と空気あり、群生を束縛し、雷池を一歩も越え難からしめ、以て諸星球の人類と相交わるを得ず。嗟呼、此の世界は豈にまさに絶対のものならんや。

往古より人は天に対して疑問と空想を抱き、嫦娥の奔月の如き、羽衣の飛天の如き、皆この渇望の発露にして、蓋し今に至りて科学の力は漸くこれを実現せんとす。余はこの一篇を訳し、読者に供して、以て科学の偉大なる力と人間の不屈なる精神とを示さんと欲す。蓋しジュール・ヴェルヌの科学小説は、空想にして空想にあらず。今日の科学は已に月界旅行の可能を暗示す。願わくはこの書を読む者、奮起して科学に志し、以て吾が邦の文明を進めんことを。


第44節

【第八回 温素互いに和して人生を調剤す 天行就降して地軸を改良す】

さて汽船が着いた翌日は、すなわち大会であった。社長は聴きに来る者の善し悪しが揃わず、亜電の演説に妨げがあるのを怖れ、学問のある者のみを入場させて弁論させ、その余は一概に屏絶しようと思った。如何せん人心は洶洶として、火焔よりもなお烈しく、もしこれを防止せんとすれば、真にナイアガラの大瀑布を堰くよりもなお幾倍も難い。社長は策を設け、やむを得ず一つの大平原を選んだ。天波市より約一里の距たりにして、多くの帆布を張り日光を遮蔽せんと思うたが、不料にも翌日の黎明には大平原の上には已に足を容るる地もなく、どこに何の帆布を張ることができようか。社長は議して道う――

「此の計は行い難し。いっそ露天にて演説を行わんのみ」と。

かくして亜電は壇上に登り、声高く朗々として月界旅行の計画を述べたり。聴衆は数万人にして、皆、耳を傾け、静まり返る。亜電は先ず弾丸の速度と地球の引力との関係を説き、次に砲弾の構造と材料とを論じ、一々科学の原理に照らして証明せり。その弁舌は流るるが如く、理路は整然として、聴く者をして心服せしめざるはなし。温素と互いに和してこそ人生を調剤し得べく、天行は自ずから就降して地軸をも改良し得ると説く。その雄弁は実に壮観にして、聴衆は歓呼して止まず。


第45節

【第九回 侠男児は演壇に凱を奏す 老社長は人海に仇に逢う】

さて麦思敦が一句の笑話を言いてまた久しく騒いだ後、ようやく漸く鎮まりぬ。ある人言いて道う、「雄弁の演説者よ、君の言を聞き、已に多くの想像の説を明白にせり。乞う、本旨に入り、月界旅行の疑問を実地に研究し給え」と。その人は言い終りて漸く演壇に近づき、目を睜いて亜電を看るに、答える様子もなし。また高声に言いて道う、「我等がここに来たるは、地球を議論せんと欲するにあらず。我等は月界旅行の一事を議せんが為に来たるにあらずや」と。衆はその人を視るに、躯幹は短小にして鬢は羚の如し。

亜電は初めてゆるりと口を開き、月に到る方法を一つ一つ述べ始めたり。先ず大砲を以て弾丸を打ち上げる案を説き、砲身の長さと火薬の量とを計算し、聴衆をして驚嘆せしむ。その侠気と学識とは、まさに侠男児と呼ぶに相応しく、演壇に凱旋の歌を奏するが如し。


第46節

【第三回 探検を助けて壮士は途を識る 貧辛を纾べて荒村に馬を駐む】

前回に説きし亜蓠士は、フランスの友人を得て観劇探幽し、頗る羈旅の苦を免れたり。然れども華年は逝き易く、覚えず又幾時か過ぎ、行期は益々迫る。湯珊氏はすなわち三封の紹介書を送る。一つは雷加惠克の府長官に致し、一つは大教正に致し、一つは府尹に致す。善く招待せよと嘱す。初二日の清晨に至り、所有の行李をすべて華利吉猟艦の内に搬び入れ、艦長は二人を引いて船室に進む。小さくして僅かに膝を容るるのみなれど、然れども種々の装飾は精美絶倫にして頗る目を娯しませるに堪えたり。少頃にして汽笛は磔磔然と数声鳴り、飛沫は舷を激す。


第47節

【第四回 生命を拚して奮身して火口に入る 中道を択びて聯歩して地心に向かう】

このスナエフェルス火山は高さ五千仞にして、雪を戴き雲を負う。噴火の時に逢えば四方を照らし、深夜と雖も白昼の如し。亜蓠士及び列曼の両人は、梗斯に跟いて彳亍として前進す。路は細きこと紲の如く、足を容るる能わず。亜蓠士はここに至りて始めて物理及び測地学の原則を、見るところに参照し、益を獲ること甚だ多し。また地質を察するに、衣蘭岬島は往古必ず海底に潜みしを知る。火力は郁盤し、一激して上がり、遂に陸地と為る。更にいかばかりの人治天行を経てか、乃ちこの境を成す。首を点じて太息し、徘徊して前に進まず。


第48節

【第五回 光明を仮りて造物は人を欺く 大侥倖にして霊泉は渇を医す】

さて亜蓠士及び列曼は梗斯の言を聞き、慌忙として立ち住む。梗斯道う、「ああ、前面を見よ、あれは何物か。妖魔の窟にあらずや」と。二人は定めて目を睜いて見るに、果たして遠処に仿佛として光あり、閃閃として怪を作す。列曼大声に道う、「慌つるなかれ、決して大事なからん。明日一たび見れば底細を知らん」と。亜蓠士もまた大声に道う、「出路にあらずや」と。列曼道う、「或いはこれあらん。しかれども予料し難し。今日はしばらくここに休息し、清晨にまた歩まん」と。梗斯は遂に食物を取り出し、地下に羅列す。三人は囲み坐して食す。


第49節

【第十一回 熱潮を秉りて火に入り火より出づ 楽土に堕ちて生を舍て生を得】

さて三人一筏にして、刹時に已に盤渦に乗じて、直ちに叫喚の大地獄に入る。血液は内に凝り、烈焔は外に炽え、焦熱苦悶は名状すべからず。亜蓠士は死の如く生の如く、毎に己が化して死灰と為り六合に散布するを覚ゆ。忽ち覚えるに木筏に随いて九天に飛升す。恍惚として自ら思いて道う、「これは北方なるか、それとも衣蘭岬の地下なるか、それともカイガル火山の下面なるか。西方はアメリカ西岸より五百マイルを隔て、火山山脈あり。東方に至りては、緯度八十度の処にもまたヤンマイエン島のエスク火山あり」と。


第50節

【序言】

『域外小説集』は書と為りて、詞致は朴訥にして、近世の名人の訳本に方ぶるに足らず。特に収録は至って審慎にして、迻訳もまた文情を失わざらんことを期す。異域の文術の新宗は、ここより始めて華土に入る。もし卓特の士あらば、常俗の囿する所と為らず、必ずや犁然として心に当たるところあり、邦国と時期とに按じて、その心声を籀読し、以て神思の在る所を相度せん。すなわちこれは大涛の微漚なりと雖も、性解と思惟は実にここに寓す。中国の訳界もまたこれに由りて遅暮の感なからん。

己酉正月十五日。


第51節

【略例】

一、集中に録するところは、近世の小品を以て多しと為し、後に当に漸く十九世紀以前の名作に及ぶべし。また近世の文潮は北欧最も盛んなるを以て、故に採訳は自ずから偏至あり。ただ累巻既に多くなれば、則ち次を以て南欧及び泰東の諸邦に及び、域外の一言の実に符せしむ。

一、装釘は均しく新式に従い、三面はその本然に任せ、切削を施さず。故に翻閲すること数次なるも絶えて汚染なし。前後の篇の首尾は各々相銜ぜず、他日その邦国古今の別に視て、類聚して書を成すべし。かつ紙の四周は皆極めて広博なるが故に、訂定する時もまた隘陋を病とせず。

一、人名地名は原音を音写し、なるべく原語に近づけんとす。


第52節

【欺瞞】

ロシア アンドレーエフ

【一】

我曰く、「汝は欺くのみ。我は汝が欺くを知る」と。

曰く、「汝は何事ぞ狂呼して、必ず人をしてこれを聞かしむるや」と。

これもまた欺瞞なり。我は固より未だ狂呼せず、特に低語を作すのみ。低きこと極めて咠咠然たり。その手を執るに、而してこの含毒の字なる「欺瞞」なる者は、乃ちなお短蛇の如く鳴る。

女は復た次に曰く、「我は君を愛す。汝は宜しく我を信ずべし。この言は未だ汝を信ぜしむるに足らざるや」と。遂に我に吻す。顧みるに我はこれを牽きて抱に就かしめんと欲するも、則ちまた逝けり。その逝くや、薄暗の回廊の間を出づ。盛宴の将に已まんとするところあり、我もまたこれに従う。


第54節

【書籍】

ロシア アンドレーエフ

【一】

医者は病人の裸露の胸前に聴診筒を安じ、静心に聴く。大きく、過度に拡張された心臓は空虚の声音を発し、肋骨に撞ち当たり、啼哭するが如く響き、吱吱と軋む。これは活き長からざるの凶徴候を表す。医者は「唔」とその頭を側に一つ傾くるも、口頭にては却ってかく言う――

「あなたは竭力して感動の事を避けるがよろしい。見たところ、あなたは何か疲労し易い事務をしているようですが」

「私は文学者です」と、病人は答えたり。


第55節

【連翹】

ロシア チリコフ

ああ、春の一清早、連翹の花のなんと芬芳に香ることか。太陽がまだ残夜の清涼を追い散らさず、夜の花草の上から露水を吸い尽くした時に。

それは年若き時の一つの朝であった。私は一人の温文にして美しき少女と、まさに野外の散歩の後の帰途にあった。愉快な小鳥の隊伍の如く、我々は小船を跳び出し、二人ずつに分かれ、各々女人を送りて家に帰るために、皆街上に紛々と歩み散った。

太陽はようやく街市を照らし、その金色の光は……


第57節

【幸福】

ロシア アルツィバーシェフ

妓女のセシカが鼻を黴してよりこのかた、その標致にして頑皮なる顔はまさに一つの腐爛せる貝殻の如くなりてより、その生命の一切は、凡そ自ら生命と称し得るものは、統べて失われてしまった。

残されたのは、ただ一種の異様に厭わしき生存にして、昼は光明を与えず、変じて無窮無尽の夜と成り、夜はまた変じて無窮無尽の苦悶の昼と成る。

飢えと凍えとがその羸弱なる身体を磨滅す。その上にはただなお二つの皺みたる乳房と、骨の突き出たる手とが掛かるのみ。


第59節

【掛幅】

夏目漱石

大刀老人は亡妻の三周年忌までには、きっと石碑を一つ竪ててやろうと決心していた。しかし息子の痩せた腕に頼っては、今朝の暮らしがやっとのことで、ほかに一文の蓄えもできない。またも春になって、訴えにゆくような顔をして息子に向かい、あの忌日はちょうど三月八日だぞと言った。息子はただ、ああそうかと答えただけで、ほかに別の言葉もない。大刀老人はとうとう祖先伝来の珍しい一幅の掛物を売って、その費用に充てようと決心した。息子に相談する。


第60節

【クレイグ先生】

夏目漱石

クレイグ(W.J. Craig)先生は、燕の如く四階の上に巣を作っていた。階段の下に立って、たとい上を仰いでも、窓は見えない。下から逐次に登っていって、大腿がいささか酸くなった頃に、やっと先生の玄関に着く。門といっても、双扉と屋根を備えているわけではない。ただ幅三尺に満たぬ黒い門扉の上に、一つの黄銅の叩き金を掛けているだけである。門前に一休みして、この叩き金の下端で剝啄剝啄と門板を打てば、中からやがて開けに来る。


第62節

【鼻】

芥川龍之介

禅智内供の鼻といえば、池尾あたりでは知らぬ者はない。長さは五六寸もあり、上唇の上から真っ直ぐに下顎の下まで垂れ下がっている。形は上から下まで同じ太さである。端的に言えば、一本の細長いソーセージのようなものが、顔の真ん中にぶら下がっているだけのことである。

五十過ぎの内供は、まだ沙弥であった昔から、内道場の供奉に昇った今に至るまで、心底ではずっとこの鼻に苦しんできた。それも単に自分が一心に来世の浄土を渇仰すべき僧侶であるからというだけではない。


第64節

[1]「漿」の字は「槳」(櫂)の字の誤りかと疑われ、「諷」の字は別字の誤りかと疑われる。――編者

[2]「虚」の字の誤りかと疑われる。――編者

[3]「把」の字の誤りかと疑われる。――編者

[4]「湿」の字の誤りかと疑われる。――編者

[5]「長」の字は「里」の字の下にあるべきかと疑われる。――編者

[6]「工」の字の誤りかと疑われる。――編者

[7]「惹」の字の誤りかと疑われる。――編者

[8]「成」の字の誤りかと疑われる。――編者

[9]「二」の字の誤りかと疑われる。――編者

[10]「氈」の字の誤りかと疑われる。――編者

[11]「聴」の一字を漏らしたるかと疑われる。――編者


第65節

【支那の未知なる友人に与う】

私の『ある青年の夢』が貴国の語に訳されたことは、実に私の光栄であり、我々はたいへん喜んでいます。私がこの書を作った時は、まだ貴国とアメリカが参戦する以前のことでした。今や戦争はほとんど終わり、多くのことも当時とは異なっています。しかし私は信じます、世の中に戦争のある期限の内は、必ず『ある青年の夢』を思い起こす人がいるであろうと。

この本の中には、私の真心が入れてあります。この真心がもし貴国の青年の真心と相触れることができれば、それこそ私の幸福であります。私にこの本を書かせたものが見たならば、必ずやよいと言うでしょう。

私は正直に申します。私は思うに、現今……


第66節

【自序】

私はこの著作を以て何を言おうとするか、おおよそ読めば明らかになるでしょう。私は戦いの犠牲者に同情し、平和を愛する少数の中の一人です――いや、多数の中の一人です。私はこの著作がもう一人でも多くの愛読者を得ることを切に願います。それはこれによって、人類の中に平和を愛する心があることを知り得るからです。好戦的な国民といえば、世間の人は大抵すぐに日本人を思い浮かべるでしょう。しかし日本人とて、決して偏えに戦争を好むのではありません。むろん例外がないとは申せませんが、しかし総じて平和を愛し、少なくとも他国の人より更に好戦的であるとは言えません。私の著作もまた、決して日本人らしくない著作ではありません。この著作の思想は……


第69節

ホマラーノ(人類人)



我が心に火を灯した、


いかなる力もそれを消すことはできぬ。


我が胸に炎を燃え上がらせた、


死をもってしてもそれを消すことはできぬ。



火は燃え続ける限り我は世に生き、


炎が燃える限り大地は存在する。


我が名は人類人、


人類の自由の火の名なり。


著者より


第71節

【魚の悲しみ】




【一】



あの冬はたいそう寒く、池の中に住む魚たちは、どれほど困っていたか知れない。最初はほんの薄く張った氷にすぎなかったのが、日一日と厚くなってゆく。しだいに魚たちの世界に迫ってきた。そこで鯉、鮒、泥鰌などの魚たちは、皆一カ所に集まり、氷を防ぐ方法を考えようと、さまざまな相談を始めた。しかし氷の圧迫は上から下へとやって来るもので、どうにも手の施しようがなかった。結局、魚たちの相談は、「いつか春が来るだろう」という希望を抱いて、みな散り散りになるほかに方法はなかった。すべての魚たちは、ひっそりと家に帰っていった。


その池の中に、鮒の夫婦が住んでいて、二人の間にはすでに鮒児という子どもがいた。鮒児はこの夜、一刻も眠れず、ただ「寒いよ寒いよ」と泣き叫んでいた。しかし池の底には、火鉢もなければ松明もなく、五枚六枚の暖かい綿の布団をかぶって寝ることも、二枚三枚の綿入れを着ることもできないのだ。鮒児の母親はまったく手の打ちようがなく、困り果てて、ただ鮒児を慰めて言った。「泣くんじゃないよ、泣くんじゃないよ、だって春がもうすぐ来るんだから」


「だけどお母さん、春はいつ来るの?」鮒児は涙目を上げて、母親を見ながら言った。


「もうすぐだよ」母親は穏やかに答えた。


「どうしてわかるの?」鮒児が言うと、母親の顔を見て、少し嬉しそうになった。


「だって毎年必ず来るんだもの」母親は言った。しかし鮒児は憂いを帯びた顔つきになり、尋ねた。


「だけどお母さん、もし今年に限って来なかったら、どうするの?」


「そんなことはないよ、きっと来るよ」母親はなだめるように言った。


「でも、お母さん、どうしてきっと来るの?」鮒児は納得がいかない様子で尋ねたが、母親はもう何も言わず、黙ってしまった。


「でも、お母さん、鯉のおじいさんが言ってたよ。『もし春が一度でも来なかったら、みんな死んでしまうのだ』って。本当なの?」鮒児はまた問いかけた。


「本当だよ」


「じゃあ、お母さん、『死ぬ』ってなあに?」


「それはね、いつまでも眠り続けることさ。体が動かなくなって、寒さも空腹もなくなって、そして魂があの遠い国へ行って、安楽に暮らすのだよ。その国には大きくて美しい池があって、冬のような寒さはまるでなくて、いつも春のように暖かいのだよ」


「お母さん、本当にそんないい国があるの?」鮒児はまた少し疑わしげに、母親の顔を見上げて尋ねた。


「ああ、あるとも」母親は答えた。


「じゃあ、お母さん、早くその国へ行こうよ」鮒児がそう言うと、母親は言った。「その国にはね、生きているうちは行けないのだよ」鮒児はまた合点がいかない様子で尋ねた。「どうして生きているうちは行けないの?お母さん、道がわからないの?」母親は言った。「そうだね、わたしは道を知らないのだよ」「じゃあ道を探しに行こうよ、早く早く、急いで行こう」鮒児はすぐにせわしくなった。


「ああ、ほんとに困ったこと」母親はため息をついて言った。「死ななければ、あの国へは行けないのだと、さっき言ったじゃないの」


「じゃあ、早く死のうよ、早く早く、急いで」


「そんなことを言うものじゃないよ」


「言っちゃいけなくたって、死のうよ。早くしてよ、だってもうこの池はいやなんだもの」鮒児は父親や母親の言うことをまるで聞かず、ただ駄々をこねて騒いだ。あまりに騒がしいので、隣の鯉のおじいさんが驚いて駆けつけ、「坊やはどうしたのです」と尋ねた。母親は鮒児が死にたいと騒いでいることを詳しく話した。すると鯉のおじいさんは鮒児に言った。「坊や、魚がこの池に来たのは、自分勝手にわがままを言うためじゃないのだよ。あの立派な国のお神さまのおっしゃることに従って、生きて泳いでいなければならないのだ」


「おじいさん、お神さまはなんておっしゃるの?」鮒児は尋ねた。


「第一に、おとなしくして、お父さんお母さんやお年寄りの言うことを聞くこと。その次は、池の仲間たちや陸の仲間たちを愛し、一生懸命に勉強して、立派な魚になること。そうすれば、あの国のお神さまがきっと坊やを呼んでくださって、あの美しい大きな池に住まわせてくださるだろうよ」老人は言った。


この時から、鮒児はどんなに寒くても、どんなに腹が空いても、もう一言も愚痴を言わず、ただにこにこと笑って、春の訪れを待つようになった。




【二】



春が来た。鮒児のように誠実で賢い小魚は、池の中にも近くの川にもいなかった。そして鯉の兄さんたちも泥鰌の姉さんたちも、何よりも鮒児を愛した。鯉の兄さんたちも泥鰌の姉さんたちも鮒児よりずっと年上であったが、鮒児がとても賢いので、いつでも一緒にあちこちへ遊びに行った。春になって、細い流れが四方八方から池に流れ込んできた。だから山の中でも、林の中でも、木立の中でも、野原でも、どこへでも行けた。鯉の兄さんたちは鮒児を山や林の偉い先生たちに紹介した。これらの先生たちの中に、兎というお坊さんがいて、長い耳をしていた。このお坊さんはたいそう偉いお坊さんで、こっそり肉を食べるようなことは決してしない方だった。別荘から帰ってきた鶯や郭公などの音楽の先生たちもいた。美しい透き通るような翅を持った先生たちも、鮒児がよい子なので、みなとても可愛がり、地上の世界のことをいろいろと話して聞かせた。そして鮒児が一番好きな話は、人間の話だった。その話では「人類という仲間たちは、最も偉くて最も賢いものだ」ということで、このことについてはみなの意見が一致していた。また「もちろん、山の政治家の狐も、芸術家の猿おばさんも、鸚鵡の語学者も、鳥の社会学者も、天文学者の梟博士も、偉いといえば偉いが、人類の仲間たちにはとてもかなわない」とも言った。


またこんなことを言う者もいた。「人類の仲間たちは、陸の仲間たちより歩くのは鈍いけれど、馬の背中を借りるだけでなく、自動車だの電車だの汽車だの自転車だのという不思議なものを作り出して、それに乗って走るから、誰よりもずっと速い。泳ぎの腕前はさほどでもないし、空を飛ぶことはまるでできないけれど、人類の仲間たちは大きな火の魚や、大きな翼の鳥を作って、それに乗って、水の上を自由に泳ぎ、空の中を自在に飛ぶのだ。人類の仲間たちは本当に不思議なものだなあ」鮒児はこうした話に出逢うと、聞き飽きることなく、何度も何度も繰り返し話してもらい、聞けば聞くほど、いわゆる人類というものに会ってみたくてたまらなくなるのであった。




【三】



その春は実に楽しかった。朝から鶯や郭公などの音楽の偉い先生たちが独唱し、蜜蜂のお嬢さんたちや胡蜂のお姉さんたちが合唱し、蝶のお姉さんたちが踊った。夜になると蛙の従兄弟である詩人たちが詩の会を開き、演説会を開いて、夜更けまで賑やかだった。これらの集まりに鮒児も出席し、可愛らしい口ぶりで「あの国」のことを語った。


「もしもわたしたちがみんな互いに愛し合って、楽しく暮らしていけば、もっとすばらしい、もっと美しい国へ行けるのです。その国には食べ物がなくなることもなく、寒さもなく、嫌なこともない。魚も地上を歩けるし、空を飛ぶこともでき、鳥も透き通った水の中を出入りして、魚たちと一緒に泳げるのです」鮒児はいつもこう語った。そしてほどなく、この「あの国」のことが、音楽の作曲の題材に、踊りの振り付けに、演説や歌の素材になった。するとあの蝿や蚯蚓や蛭のようなあてにならない連中までが、「あの国」の話をするようになった。


夕暮れになると、遠くの教会の鐘が鳴り出し、魚の仲間たちは水面に浮かび上がり、蛙の従兄弟たちは岸に蹲り、蝶の姉妹たちは花の上に座って、みな静かにこの晩鐘の響きに耳を傾けた。


この鐘の音は、人類の仲間たちが、自分たちの弟妹である、木に棲む鳥、水に浮かぶ魚、花に宿る虫のために祈り、平和に楽しく暮らせるよう祝福しているのだった。すると魚も蛙も鶯も祈りを捧げ、人類の仲間たちも幸福に暮らせますようにと願った。この祈りは花のうるわしい香りと、夕暮れの金色の光を帯びて、静かに「あの国」のお神さまのもとへ昇っていった。


あの遠い教会に一人の坊やがいて、その坊やも鮒児と同じように賢くおとなしく、みなに褒められていた。子犬の兄さんも坊やをとても愛していて、池の水を飲みに来るたびに坊やのことを話した。鮒児はその話をずっと聞いているうちに、しだいにこの坊やを慕うようになり、一度会ってみて、心を打ち明けて語り合いたいと思うようになった。




【四】



ある時、池のほとりがたいそう騒がしかった。鮒児は何事かと出ていくと、蛙の従兄弟たちが眉をつり上げ、肩をいからせ、興奮の極みで、げろげろげろげろと喧嘩のように話している。鮒児が何があったのかと尋ねると、先ほど兎のお坊さんがいつものように座禅を組んで、ちょうど夢の中にいた時、あの教会の坊やがやって来て、兎のお坊さんの長い耳をつまんで、捕まえて連れ帰ったのだという。


みな愕然として、茫然と顔を見合わせ、途方に暮れて慌てていると、そこへ燕のおばさんが飛んできて、恐ろしいことを知らせた。たった今、坊やがまた鶯を捕まえて行ったのだ。鶯は何かの歌の譜面を作ろうとして、熱心に勉強していたところを捕えられたのだった。しかもこの夜はちょうど十五夜の晩で、蛙の従兄弟たちは、世の中がこんなに物騒でも月見もしないで寝てしまっては月に対して失礼だという気持ちがあり、いつも通り山に登って詩の会を開いた。するとまた坊やが走ってきて、一番偉い詩人を一匹捕まえて逃げてしまった。


従兄弟の詩人たちは大いに驚き、その晩に作った詩はみな忘れてしまった。この夜、池の中で一睡もせず、さまざまな話をして夜明けまで過ごした。そして夜が明けるとすぐにみな出てきて、大きな集会を開き、坊やのこんな乱暴に対して何か方法を考えねばならないと相談した。


この会議に、鮒児は父母について出席していた。鮒児は世の中がひどく暗く感じられ、何もかもわけがわからなくなったようだった。鮒児は父親に尋ねた。「どうして坊やはこんなことをするの?」父親は言った。「地上の人類の仲間たちは、偉いことは偉いが、よくずるいことをするのだ。しかもこの世で人間の子どもほど残酷ないたずらをするものはいない。そのうちにあの子どもたちは釣り針と網を持って、この池にやって来て、いろいろないたずらをして、わたしたちを苦しめるのだ」鮒児は悲しそうに、あわてて父親に尋ねた。「子どもたちがこんなことをして、どうやって『あの国』に行けるの?あの子たちを救う方法はないの?」まだ問い終わらぬうちに、陸の方から蝶の姉さんが、大風に巻かれる木の葉のように、あたふたと飛んできた。顔はもう蒼白で、翅も触角もおびえてぶるぶる震えていた。みなが取り囲んでどうしたのかと尋ねると、蝶の姉さんはようやく少し落ち着いて、花の上に座り、話し始めた。それはこういうことだった。


今朝、天気がたいへんよく、ちょうど暇だった胡蜂たちが急に花見に誘ってきて、牧師の庭園へ行った。春もたけなわで、庭園の中には赤、白、黄の花が、庭木の間にも花壇の上にもあふれんばかりに咲き乱れ、花蜜の濃い香りが虫たちの喉に染み入るように流れ込んできた。胡蜂たちは嬉しくてたまらず、このご時世を恐れる憂いも忘れて、歌ったり踊ったりして遊んでいると、またあのいつもの牧師の坊やがやって来て、不意に小さな網を取り出し、仲間を何匹も捕まえて行ってしまった。


この新しい知らせで、この日の会議はいっそう騒然となり、さまざまな議論の末、その結論は、夕暮れになって教会の鐘が鳴り、人類の仲間たちが祈り始める時に、金色の蝶の姉さんに教会へ行ってもらい、人類の仲間たちにはっきりと事情を話して、坊やのいたずらをやめさせてもらうことだった。


夕暮れが来ると、ここに集まった動物たちは、みな気がかりで、自分の池の穴や巣に帰ることができなかった。黙って、じっと互いの顔を見つめていた。心の中ではひたすら金色の蝶の姉さんの帰りを待っていた。


ほどなく、金色の蝶の姉さんが帰ってきた。そのしょんぼりとした顔を見るなり、集まった者たちはみな、自分の心が蓮の茎から抜き出された曼陀羅華のように、ひどく不安定になるのを感じた。そして誰も何も言わなかった。


「すべてが嘘だったのです」元気のない様子で花の上に座った蝶の姉さんは言った。「わたしたちはどうしたって、『あの国』へは行けないのです」これを聞いてみな仰天し、「どうして行けないのです」と問い詰めると、蝶は答えた。「わたしたちには魂がないのです。魂は地上に住む人類の仲間たちだけに与えられたもので、この魂を持つ人類の仲間たちだけが『あの国』へ行けるのです」これを聞いてみなは仰天した。口々に「間違いないのですか」とか「何かの間違いではないのですか」と言った。蝶の姉さんは答えた。「いいえ、少しも間違いはありません。『あの国』のお神さまの書物にはっきりと書いてあるのですから」みなが続けて質問した。「では、わたしたちはいったいどこへ行くのですか」蝶の姉さんは言った。「わたしたちが造られたのは、もっぱら人類を楽しませ、人類の食料にするためなのだそうです」こう言いながら、悲しい大きな目で、憐れむように愛おしむようにみなを見つめた。しかし朝からの疲労と心に受けた傷のために、そのまま倒れて、哀れな最期を遂げたのだった。みなは人類の仲間たちの食料にするためだけに造られた自分たちの運命をたいそう悲しんだ。向こう見ずな鯉の兄さんたちはすでに大いに興奮し、「ふざけるな、そんな話があるものか」と叫び、自分たちをこんな運命に造った相手のお神さまがまさにここにいるかのように、怒り狂って跳ね上がった。そしておとなしい泥鰌の姉さんたちは気を失い、何匹も池の底に横たわった。


みなのために力を尽くして死んでしまった金色の蝶の葬儀は、すべての動物たちの熱い涙の中で、たいそう厳かに執り行われた。胡蜂の兄さんたちが葬送の音楽を奏でた。鶯の姉さんたちが「悲しきかなわが友よ」という哀歌を歌い、野鼠のおじさんが墓穴を掘った。


この晩、みなはたいそう淋しかった。そしてため息をつきながら、早々とくどくどと言った。「人類のもの(食料)として生きているとは、なんと堪えがたいことだろう」そう言いながら、めいめい帰っていった。




【五】



この夜、池に帰ってから、鯉も泥鰌も蛙の従兄弟たちも、どれほど泣いて泣いて泣き明かしたことか。そして朝日も昇ったが、太陽を迎えに出てくる者は一匹もいなかった。


鮒児の悲しみも同じだった。この世に何の希望も持てぬ心を抱えて、魚の姿も見えない水際をさまよっていた時、坊やが小さな網を水の中へ差し入れてきた。「これはぼくたちを捕まえに来たのだ」鮒児がそう思った途端、怒りのために全身が火がついたように熱くなり、ぶるぶると震えて波紋が立った。「さあどうぞ、ぼくを捕まえてください。ほかのものを捕まえる前に、まずぼくを捕まえてください。ほかのものが捕まって殺されるのを見るのは、ぼくにとっては自分が殺されるよりもつらいのですから」そう言いながら、網の中へ入っていった。坊やは大喜びで、すぐに鮒児を捕まえ、自分の机の上に置いた。この部屋の壁には鶯先生の皮と兎のお坊さんの皮が掛かっていて、机の上にはまだ彼らの骨が散らばっていた。ガラスの箱の中には、心臓を留め針で刺し貫かれ、かつて親しかった何匹もの蝶の姉さんたちが並べられていた。机の上の解剖台では、先の晩ちょうど月見をしている時に捕まえられた蛙の大詩人が今まさに解剖されており、取り出された心臓がまだぴくぴくと跳ねて「死」の無念を示していた。


こうしたものを見て、鮒児は胸がふさがってしまった。何か言おうとして、口をぱくぱくと開けたり閉じたりしたが、何も言えず、ただ尾でぱたぱたと机を叩いた。


しばらくして、坊やも鮒児を解剖したが、鮒児の心臓がすでに破れていることに気づいた。なぜこの小さな鮒の心臓が破れているのか、それを坊やに説明できる者は一人もいなかった。悲しみのために鮒の心が破れたのだということを、坊やに教えてくれる者は、一人もいなかった。


この坊やは、のちに有名な解剖学者になった。しかしあの池はしだいに小さくなり、蛙や魚の数も減り、花も草もみな枯れ果て、そして夕暮れに遠くの教会の鐘の音が聞こえても、もう誰も耳を傾けに出てくる者はいなくなった。


わたし著者は、あの時から、もう教会へは行かなくなった。すべてのものを人類の食物や玩具として創造した神に対して、わたしは祈りたくもなければ、信じたくもないのだ。


第72節

【鷲の心】



鷲ほど立派で自由な鳥は、もう二度とあるまい。鷲ほど強く勇ましい鳥は、もう二度とあるまい。しかも動物の中で、鷲ほどあの高く冷たい山を愛するものは、もう二度とあるまい。鷲は鳥類の王と呼ばれている。人間の世界では、自分の王や豪傑に力と勇気を示させる者はいないが、鷲の仲間では、たとえ翼や嘴が大きくとも、それだけで豪傑とは言えない。これは鷲の古くからの習わしである。


どんな鷲でも王や豪傑になりうるから、みな互いに尊敬し合っている。人間の王や豪傑のように、部下の力と知恵を借りて権力を争ったり、つまらぬことで騒ぎ立てたりすることはない。みなそれぞれ力を尽くして、自分の翼と嘴をいっそう強くし、爪と目をいっそう鋭くする。誰かを脅かしたり、お世辞を言ったりすることは、鷲の世界では大昔から一度もなかったのだ。


この一点だけを見ても、鷲と人間とは大昔から異なっていた。弱い者をいじめ、弱い者を圧迫し、弱い者の力と知恵を奪って勝手に自分のために使う——これはどうやら大昔からの人類の習慣のようだ。強い者がいつも弱い者の力を私有するから、真に自由にはなれず、弱い者もまた非常に不幸なのだ。


人類とはなんと不運な動物であろう。それなのに人類は自分を万物の霊長だとまだ言っている。これは残酷な冗談ではないか。




【一】



さて、山の国は隣の大国に占領され、いつもこの二国は争い合っていた。この国の最も高い山の上で、多くの鷲が幸福に暮らしていた。これらの鷲は大昔から幾千年幾万年と続けて、一つの希望を燃やし続けていた。それは永遠に暖かく永遠に光り輝く太陽へ飛んでゆくことだった。毎日努力して上へ飛び続け、幾千年幾万年と鍛錬を積めば、鷲の子孫たちはきっと太陽に届くことができるだろうと信じていた。これが何代にもわたって積み重なったので、翼の力が先祖より強くなったことは確かな事実であった。


「太陽を愛せよ、


太陽を目指せ!


下へ行くな、


下を見るな!


太陽を慕うは鷲の力の源、


太陽を目指すは鷲の心の幸福。


下へ飛ぶな、


下を見るな!


下には暗く狭い檻がある、


下には奴隷の死に場所がある。



下へ飛ぶな、


下を見るな!


下は弱者の世界、


下はつまらぬ人類の世界。


下へ飛ぶな、


下を見るな」


これは鷲の母親たちが大昔から鷲の子どもたちに教えてきた歌である。圧迫を受けている山の国の人々が、この歌を聞いてどんな気持ちだったか知れない。鷲王の巣は最も高い山の最も冷たい岩の上にあった。王と王妃の間には二人の可愛い王子がいた。毎朝、王は大王子を、王妃は小王子を連れて岩の端まで来て、そこから王子たちを真っ逆さまに蹴り落とし、下の方へ近づいた所をまた岩の上に引き戻した。これが毎朝の稽古であった。やがて王子たちはたやすく岩の上に飛び上がり、下に飛び降りることができるようになった。王と王妃はこれを喜び、王子たちを高く空中に抱え上げ、落としてみた。最初、王子たちもすっかり目が回ったが、練習を重ねるうちに翼がしだいに強くなり、とても高い空中からでもたやすく自分の巣に戻れるようになった。ある日、王は王妃に言った。今日は子どもたちをあの深い谷底に落としてみようと。そこで王子たちを高い空に連れて行き、深い谷底に向かって落とした。二人の王子も力の限り飛んだが、まだ途中で翼の力が尽き、小王子が叫んだ。「兄さん、ぼくはもう力がないよ」大王子は残りの力を振り絞って弟を助けようとした。王と王妃は遠くから眺めて、翼を打ち鳴らして声援した。ちょうどその時、二人の間をどこからともなく雲が流れてきて、王子たちが見えなくなった。王と王妃は驚き、矢よりも速く雲を突き抜けて谷へ飛び降りたが、すでに遅かった。大王子は弟を助けて自分も力尽き、気を失い、石のように谷へ落ちていった。王と王妃が気絶した王子たちをつかみ上げようとした時、突然力の強い猟師が二人の息子を連れて現れ、王と王妃を捕まえようとした。王と王妃もしばらく王子たちを守って奮闘したが、猟師があまりに強く、王子たちはすでに息絶えたと思い、王子たちを捨てて空へ飛び去った。しかし王子たちは実は死んでおらず、猟師の家に連れ帰られると息を吹き返した。猟師は王子たちの翼の羽を切り、二人の息子に分け与えた。その時、猟師の長男は七歳、次男は六歳で、二人とも鷲の王子をとても可愛がり、どこへ行くにも連れていったが、猟師は山の上にだけは決して行ってはならぬと言い聞かせた。山の国の人々は谷底に二羽の小鷲が落ちてきたと聞き、きっと何かよい前兆だと思って、みな大いに喜んだ。心の中でひそかに期待し、やがて二羽の鷲がこの国を救ってくれるだろうと。そして猟師にくれぐれも鷲の王子たちを大事にするよう頼んだ。しかし七日も経たぬうちに、奇妙なことが起きた。猟師の次男がいなくなったのだ。友だちの話では、空からいなずまのように大きな鷲が飛び降りてきて、猟師の息子をさらって行ったという。みなこれを聞いてたいそう驚いた。そして二、三日後、さらに不思議なことが起きた。今度は猟師の長男がいなくなったのだ。


この事について、山の国の人々もいろいろと議論したが、猟師だけは黙って口を開かなかった。彼は以前と変わらず、心をこめて鷲の王子たちを育てた。王子たちは最初とても淋しがり、しばしば不自由なら死んだほうがましだという様子を見せたが、大王子は弟をいたわり、小王子は兄を慰めた。村の子どもたちに大事にされ、しだいに人間の世界に慣れ、人類を好きになっていった。ただ長い鎖で杭につながれていることだけは、どうしても我慢しがたかった。




【二】



五年が過ぎた。鷲の王子たちはすっかり大きくなり、翼も逞しくなった。ちょうど五年前に王子たちが谷に落ちたその日に、猟師は鍵を開け、彼らを高い山に連れて行き、放してやった。そして黙って家に帰った。


二羽の鷲を放したと聞くと、山の国の人々はみな騒ぎ出した。人々がまだ騒いでいるうちに、先にいなくなっていた猟師の息子たちが山から帰ってきた。


二人はすっかり姿が変わり、最初に見た時、誰も猟師の子どもだとはわからなかった。二人とも裸で、髪は長く、体は石のように堅く、手足は鉄のように強く、目は鋭く、鼻は鷲鼻のように曲がり、歯は狼のように大きく、爪は虎のように鋭く伸びていた。山の国の人々は彼らを見て大いに驚き、興味津々で連日彼らの話を聞きに行った。二人が言うには、鷲王にさらわれた後、鷲の巣で育てられ、終始王と王妃に大切にされた。毎日、王と王妃が背に乗せて空高く飛び上がり、雲の中に放り出しては、また助けて降ろした。そのほかにもさまざまな不思議なことがあった。子どもたちはそう語ったが、聞く者は本当か嘘かわからなかった。ただ飛翔、登山、水泳については、山の国の人々で二人にかなう者は一人もなく、二人ほど自由を求めて生きている者もいなかった。この子どもたちは山の国の人々の心に火をつける術をよく心得ており、人間の言葉では「自由」の意味を十分に表せない時には、鷲のように叫んだ。


彼らはこうして山の国の人々に鷲の歌を教えた。


「太陽を愛せよ、


太陽を目指せ!


下へ行くな、


下を見るな……」


彼らは実に不思議な子どもたちであった。山の国の人々は彼らを「鷲の心」と呼んだ。この子どもたちを見て、圧迫に苦しむ山の国の人々の心に、どれほどの希望が湧いたか知れない。




【三】



一方、鷲王と王妃は二人の王子が無事に帰ってきたのを見て、もちろん大いに喜んだ。しかし王子たちの翼と嘴、目、爪を検査してみると、これらがまったく役に立たなくなっていることがわかった。鷲王たちは翼と嘴に力がなく、目と爪が鈍くなっているのを見て、どれほど胸を痛めたか知れない。おまけに王子たちの勇気や自由を愛する心も、王と王妃の目にはどこか頼りなく映った。


毎日、鷲王と王妃は王子たちを激しく鍛えた。毎日、王妃は「太陽を愛せよ、太陽を目指せ!下へ行くな、下を見るな!」の歌をうたいながら、すでに萎えてしまった二人の王子の心を奮い立たせ、将来勇敢な王にしようと力を尽くした。十年の間、毎日毎日絶え間なく、王子たちの心から人間の心を取り除こうとした。そしてついに王子たちは鷲王や王妃よりも高く飛べるようになり、爪も目も彼らより鋭くなった。ただその心だけは、どこかに鷲の心らしくないところがあり、人間の心に近い脆さを帯びているようだった。王子たちは太陽に向かって飛ぶ時でも、いつも目が下の方を見ているかのようで、果てしない大空を翔ける時でも、心は山の谷間に未練があるかのようだった。そしてほかの鷲よりも高く飛んだ時も、胸から勝ち誇った叫びを発することなく、ただ悲しげで寂しげな、下の谷の暮らしを恋い慕うような声が聞こえるばかりだった。時には王子たちは二、三日も餌を求めに行かず、何も食べずに飢えていることもあった。あるいは獲物を捕まえても、また逃がしてやったりした。鷲王たちは王子たちのこうした様子を見聞きするにつけ、その心中の悲しみは計り知れなかった。王子たちの友人たちはみな悪口を言い、彼らを「人の心」と呼んだ。一方、王と王妃はしばしば王子たちにひどく怒り、家門の恥だと言った。ある日、大王子は空を翔けた後、家に帰り、父の前に座って淋しげに父の顔を見ながら言った。


「父上、大昔から続いてきた太陽を目指すという鷲の理想は、実は愚かなことにすぎません。太陽に向かってただ飛ぶのは無意味です。たとえ本当に太陽に着いても、鷲は必ずしもそれで幸福になるわけではありません。父上、わたしは今日太陽に行こうとして力の限り高く飛びましたが、上に行けば行くほど寒くなり、高くなればなるほど目がくらみ、ついに目まいがして落ちてしまいました。太陽に近づくほど寒くなるということを、わたしは確かに知りました。ですから太陽を目指すことは、もうやめたいのです」


王子がこう言うと、鷲王は「人の心め」と一声叫んで、爪で王子の喉を引き裂いた。王子はただ下界を慕う悲しく淋しい声を発するばかりで、まったく抵抗せず、王の爪の下に死んだ。その晩、小王子も外から帰ってきて、王妃の前に座って言った。


「母上、太陽に向かって飛ぶことは、もうしたくありません。まったく何の役にも立たないことです。わたしは下の谷へ降りて行って、木の上に巣を作り、そこで人間やほかの動物と仲良く暮らすことに決めました。鷲の幸福が太陽の上に満ちているなどとは信じられません。けれども人間の友情の中にこそ幸福があるということは、わたしがすでに経験したことなのです」


こう言うと、王妃は「卑しい人の心め」と叫び、王子に飛びかかって爪で喉を引き裂いた。王子はただ山の谷を恋い慕い、人間の友情を慕うような声を発するだけで、まったく手を上げず、王妃の爪の下に死んだ。この夜、鷲王たちは死んだ王子たちを下の山谷に運び、かつて王子たちを育てた猟師の家の前に置いた。これ以後、王子たちが歌っていた


「太陽を愛せよ、


太陽を目指せ!


下へ行くな、


下を見るな……」


の歌は、どこか「人の心」を戒めるような響きを帯びるようになった。


翌朝、山の国の人々が二羽の死んだ鷲を見つけると、また一騒ぎが起きた。この時、山の国の人々はちょうど「鷲の心」と呼ばれる二人の兄弟に率いられて、隣国に対して大革命を起こしていた。二人の大将「鷲の心」は智謀に長け、隣国の人々はまったく手の打ちようがなく、今にも敗れようとしていた。しかし今この二羽の殺された鷲が見つかり、口には出さないものの、みなの心の中では、この二羽の鷲がこの革命がついに失敗する前兆ではないかと疑った。山の国の娘たちは美しい花で死んだ鷲を飾り、勇敢な「鷲の心」の兄弟が教えた


「太陽を愛せよ、


太陽を目指せ!


下へ行くな、


下を見るな!……」


の歌をうたいながら、国の英雄として彼らを葬った。




【四】



隣国の首都は賑やかで華やかだった。家々は灯火と旗で飾られ、祝砲の轟き、花火の弾ける音、心を浮き立たせる音楽が遠くから漂ってきた。市民たちは晴れ着を着て、提灯と旗を振りながら行き交った。首都のすべての通りはまるで美しい数珠のようだった。みなが嬉しそうだった。ただ最も大きな通りの広場に立つ断頭台だけが淋しく見えた。人々は広場に押し寄せ、国歌をうたいながら、何かを待っているようだった。この晩、この台の上で「鷲の心」と呼ばれる二人の兄弟が処刑されるのだった。人々は山の国のことを話し合った。すると遠くから「反逆者が来たぞ、反逆者が来たぞ」という低い声が聞こえ、みなたちまち静まり返った。兵士たちに囲まれた二人の兄弟が現れた。人々はみな黙り込み、大通りは墓場のように静まった。ただ「ドンドン、ドンドン」という太鼓の音だけが残った。「鷲の心」と呼ばれる二人の兄弟は微笑んでいた。その瞳にはあたかも限りない勇気が輝き、しかもすべての人の心を燃え上がらせる力に満ちていた。二人は笑みを浮かべて断頭台に上がり、「ドンドン、ドンドン」の太鼓の音がやんだ。人々は唾を飲み込みながら、「鷲の心」の兄弟を見つめていた。二人の兄弟はまったく先ほどと変わらぬ様子で、目を上げて空を見ていた。その時、静かな空気がかすかに震え、勇ましい鷲の声が聞こえた。空から応える声がしたかと思うと、大空からいなずまのように二羽のとてつもなく大きな鷲——市民たちが見たこともないほど大きな鷲——が飛び降りてきて、「鷲の心」の二人の兄弟をつかんだ。つかむやいなや、またたく間に大空へ飛び去った。人々はこれを見て、みな石のように動かなくなった。街全体がまるで一つの墓場になったかのようだった。人々の頭上には、ただこんな歌が聞こえてくるばかりだった。


「下には狭い檻がある、


下には奴隷の死に場所がある。


下へ飛ぶな、


下を見るな!


下は弱者の世界、


下はつまらぬ人類の世界……」




【五】



隣国が盛大に勝利の祝宴を張っている時、革命に敗れた山の国はひっそりとしていた。夫を失い、息子を手放した女たちの心が、この夜どれほど淋しかったか知れない。みなが言った、今夜こそ「鷲の心」と呼ばれる山の国の英雄が処刑される夜だと。女たちはみな小さな子どもを連れて、「鷲の心」の兄弟の家の前に集まった。女たちの心の淋しさは、誰にわかるだろう。けれども淋しくとも、女たちは残された幼い子どもたちを果てしない空に向かってかかげ、大きくなった子どもたちに見せた。そしてこの国を救うために、残された子どもたちの中にもあの「鷲の心」を与えたまえと祈った。すべてが静まり、星は静かに瞬いていた。そして夜の静寂の中で、祈りへの答えのように、どこからともなくこんな歌が聞こえてきた。


「下へ行くな、


下を見るな!


太陽を慕うは鷲の力の源、


太陽を目指すは鷲の心の幸福……」


この物語を読まれた皆さんも、どうか祈ってください。この世界の人類を救う「鷲の心」が与えられるように。


第74節

【】


【奇妙な猫】



あの日のことを忘れてしまいたい。


どれほどあの日のことを忘れてしまいたいことか。


しかし忘れられない。


あれは最後の日だった。


外は寂しく、そして寒かった。しかしあの日のわたしの心は、外の寒さに比べれば何倍寒かったかわからず、外の寂しさに比べれば何倍寂しかったかわからなかった。もっとも心の寂しさや寒さを測る器械などないのだが……


わたしは火鉢のそばに座って、ぼんやりと物思いにふけっていた。火鉢の炎の中で、わたしのもとに残された名残惜しい夢と美しい希望が朦朧と燃えていた。突然、どこからか虎児が飛んできた——虎児はこの家で飼っている雄猫の名前である——わたしの膝の上に倒れ込み、四本の足でわたしの膝をしっかり抱きしめるようにして震えていた。何事かと思っていると、虎児が小さな声で話し始めた。


「坊ちゃん。


たった一人の親愛なる坊ちゃん。


たった一人のわたしを愛してくれる坊ちゃん」


虎児はまだ何か言いたそうだったが、この言葉を言った後、もうそれ以上続けられないようだった。声が途絶えた。


わたしは心の中で思った。「ああ、また夢か。夢はもうたくさんだ。だが現実はもっとたくさんだ」しかしまるで動かず、前と同じように座っていた。すると虎児の話が続いた。


「坊ちゃん。わたしはもうだめです。すべてに対して、すっかり悲観してしまいました」


この時、わたしはこう言おうと思った。「何を不埒なことを言っているんだ。わたし自身、実はとっくに悲観しているのだが、それでも口に出しはしない」しかし虎児が少し可哀想に思えて、この言葉も言わなかった。


虎児はまた続けた。


「主人も、女中も、料理人も、わたしがネズミを捕らないから怠け者だと言います。けれどわたしは怠けているのではない、ネズミを捕らないのは。わたしはもうネズミを捕ることができないのです。ネズミを捕る元気がなくなってしまったのです。爪や歯に力がなくなったわけではない。ここに——虎児は自分の胸を叩いて——この心の中にネズミを捕る力がなくなったのです。わたしがネズミを捕らないものだから、ネズミは店や倉庫で勝手に米袋を破り、パンをかじり、お菓子を盗んでいます。この頃では、奥様が大切にしまってあったクロポトキンの『パンの略奪』という本までかじってしまったそうです。主人も女中も料理人もネズミのいたずらだと言います。しかしこれはネズミのいたずらではありません。ネズミは飢えているのです、まったく飢えているのです。そうでなければネズミは生きていけないのです。坊ちゃん、どうかわたしの心をわかってください——わたしの本心の中を見てください」


虎児はかなり激昂した口ぶりで話し終えると、わたしに理解を促すかのように、鋭い爪をわたしの膝に立てた。


「痛い!なんと不埒な猫だ。小利口め。ネズミに食べ物がなくて飢えていようと、それは慷慨激昂するような問題じゃないぞ。人間の世界だって、ロシアやドイツやオーストリアでは一億何千万もの人々が飢えているというのに、わたしたちは知らぬ顔じゃないか。まして悪臭と疫病を撒き散らすネズミどもが飢えるのは、ありがたいことだ」わたしはそう言おうと思ったが、わたしにもそんな言葉を口にする元気はなかった。


「わたしがネズミを捕らないから、主人はもう餌をやるなと言いました」これは坊ちゃんもよくご存じでしょう。坊ちゃん、こんなことを言っているわたしも、まさに飢えているのです。腹はからっぽで、どうにもなりません。どうにもたまらなくなって、何か食べ物をちょっと取ると、たちまち『おや、猫が盗みをした』と大騒ぎになる。坊ちゃんがいなければ、わたしはとうに飢え死にしていたでしょう。それでも坊ちゃん、わたしの腹はやはりからっぽなのです。こう言いつつも、すっかり野良猫になりきる元気もありません。ああ、わたしはもうだめだ……


主人も女中も料理人も、餌をやらなければネズミを捕るだろうと思っているのですが、それは無理なのです。この心の底で、ネズミを捕ろうという肝心の元気がすでに消え失せてしまっているのですから。ああ、わたしはもうだめだ。わたしは『奇妙な猫』なのです。人間なら、奇妙な人とでも呼ばれるのでしょう」


この時、わたしはこう言おうと思った。「うむ、丁寧に言えば奇妙な人かもしれないが、普通は低能か白痴と呼ばれるんだぞ。そういう呼び方しかしないんだ」しかしわたしにもこの言葉を口にする元気はなかった。


「ある日、わたしは倉庫の中に座って、ネズミが米を盗みに来るのを待っていました。ネズミがとうとうやって来ました。みな口々に叫びながら、


『米!米!米!』


と、山のようにやって来ました。わたしは取りかかりました。噛んでは噛み、何百、何千、何万のネズミを噛み殺したかわかりません。しかし噛み殺せば殺すほど、減るどころか、かえってどんどん増えてくるのです。大ネズミ、小ネズミ、黒ネズミ、灰色ネズミ、雄ネズミ、雌ネズミ、老ネズミ、仔ネズミ、親ネズミ、子ネズミ、みな一つの題目を口にするかのように叫びながら、


『米!米!米!』


重なり合ってやって来ました。その列はいつ終わるとも知れません。宇宙の創造以来のネズミは言うまでもなく、これから先まだ生まれてくるであろうネズミまで、あたかも無限のネズミが一度にすべて現れたかのようでした。そしてどれもがいっそう恐ろしい執拗な声で、絶え間なく叫ぶのです。


『米!米!米!』


わたしはこの声を聞いているうちに、自分の心境がどこかおかしくなるのを感じました。しかも初めはネズミだけの叫び声だと思っていたのが、その叫び声の中に、わたしたち猫の鳴き声も混じっているようでした。ああ、この猫とネズミの声はしだいに大きくなっていきます。いつの間にかネズミの声は沈み、猫の声だけがやかましく響くのです。


『米!米!米!』


それはまさしく猫の声でした。わたしは恐ろしくなって、われを忘れて逃げ出しました。暗い隅に伏して、ひたすらひたすらがたがたと震えました。


『米!米!米!』


こう叫ぶ猫の声が、わたしの耳の中で、ひたすらひたすら叫び続けるのです。


それからわたしは何時間、何日何晩、何カ月震えていたか知れません。わたしはこの時からだめになりました。すっかり奇妙な猫になってしまいました。


この時はじめて、わたしは『ネズミはわたしの愛すべき、同情すべき兄弟なのだ』ということが、かすかにわかりかけたのです。


わたしはこの時からネズミを捕る元気がなくなり、そしてつい、こっそりと食べ物を少しばかり失敬せずにはいられなくなりました。


こっそり食べ物を失敬せずにいられなくなった時、その時こそ『ネズミはわたしの本当の兄弟だ』ということが、いっそうはっきりわかったのです。それ以後のことはと言えば、わたしの友人たち、最も親しい友人たちでさえ、わたしを見かけるだけで奇妙な猫だ、気違い猫だと言って、すぐに逃げてしまうのです。それだけでなく、主人も女中も料理人も、昨日にはわたしが気が狂ったと見抜きました。しかも主人はわたしを絞め殺すと言っている。絞め殺されるのはいやです。


坊ちゃん。たった一人のわたしを愛してくれる坊ちゃん。モルヒネを買ってきて、静かに眠らせてください。どうか哀れんでください」


虎児の話は長かった。そして虎児はわたしにしっかり覚えてもらいたいかのように、また爪をわたしの膝に立てた。


「おう、痛いぞ」とわたしは叫んだ。わたしはようやく意識を取り戻した。わたしの膝の上には、四本の足で膝の皿をしっかり抱くようにして、がたがた震えている虎児がいた。わたしは半ば夢の中で、静かに虎児の背を撫でた。火鉢の火はすっかり消えていた。わたしのもとに残された名残惜しい夢と美しい希望も、この炎とともに灰色に崩れ去った。


ちょうどその時、父がまるで何かを盗むように、こっそりと部屋に入ってきた。父は音を立てずに爪先で歩き、わたしの背後に回ると、突然飛びかかって、袋で虎児をかぶせた。


「おう、捕まえたぞ捕まえたぞ。畜生め。とうとう捕まえたぞ」


わたしは驚いて飛び上がりそうになった。


「お父さん、これ、これはどうしたんです?」わたしは咳き込みながら尋ねた。


「この畜生は気が狂ったんだ。気違いになったんだ。お前を引っ掻かなかったのが幸いだ。昨日、猫の医者に連れて行ったら、もう気が狂っているから、早く殺さないと危ないと言われた」


「じゃあ、殺すんですか?」


「うむ、当然だ。昨日殺そうと思ったんだが、こいつはずる賢くて、うまく逃げおおせて、みな心配していたんだ」


まるで自明のことで、いちいち説明する必要もないといった様子で、父は出て行った。猫は袋から逃げ出そうとして、もがきながら叫んだ。しかしそれは妙に力のない、淋しい声だった。


わたしは駆け寄って、父が持ち出そうとしていた猫の袋をつかみ、そして言った。


「ちょっと待ってください!」


「何だ?」


「だって、あんまり可哀想じゃありませんか」


「何が可哀想だ。気の狂った猫じゃないか」


「そんなこと言わないでください、お父さん、お願いですから助けてやってください」


「馬鹿を言え!」


「じゃあ、せめて叩き殺さないでください。わたしに任せてください。モルヒネを買ってきて、静かに死なせますから」


父はじっとわたしの顔を見つめた。


「感傷的な低能児め。気違い猫が可哀想だと……この白痴め」


「お父さん、お願いですから聞いて……」


「馬鹿者!」


父の握り締めた拳が、横からわたしの顔に飛んできた。


父はそのまま出て行った。


この時、わたしは自分がどこかおかしくなったのを感じた。今度は夢の中ではなく、確かに猫の声が絶え間なくこう言うのが聞こえた。


「坊ちゃん、坊ちゃん、助けてください。助けてください」


そしてこの声の中に、しだいにほかの猫やネズミの声が加わり、それは恐ろしく淋しい合奏になった。


「坊ちゃん。わたしたちは飢えています。わたしたちは殺されています」


「坊ちゃん、坊ちゃん、助けてください!」


彼らの叫び声はしだいに広がり、しだいに強くなっていった。


わたしは耳を塞いだが、彼らの叫び声は耳を塞いで防げるようなものではなかった。体の隅々に響き渡り、一種の震動が指先までびりびりと伝わった。数も増え、声も大きくなった。宇宙の創造以来に生まれたすべてのネズミ、すべての猫、さらにこれから生まれてくるであろう無限の子孫たちまでが、この叫びを強め、この声を大きくしようとしているかのようだった。わたしは何もわからなくなり、すっかり何もわからなくなった。この真っ暗な渦巻く世の中で、ただ一つ、ただ一つだけ。


「わたしはもうだめだ!」


ということだけは、まるで真っ白な浮き彫りのように、はっきりとわかっていた。


「米!米!米!」


「坊ちゃん、坊ちゃん、助けてください。わたしたちは飢えています!わたしたちは殺されています!坊ちゃん、坊ちゃん、助けてください!」


「おーい、姉やー」


「姉や」


わたしは半ば夢の中で大声で叫んだ。女中が戸口から顔を覗かせた。


「何ですか?」


「ちょっと来てくれ」


「何かあったんですか?」女中は三、四歩入ってきて、怪訝な顔で言った。


「もっと近くへ、近くへ、ここへ……」


「坊ちゃん、どうなさったんですか?」


わたしは彼女の耳に口を寄せて言った。「姉や、モルヒネを少し買ってきておくれ」


女中は驚いた。「まあ、あなた、モルヒネを何になさるんです?」


「いや、わたしはもうだめなんだ。わたしは低能で、白痴で。気が狂ったんだ」


女中の顔が蒼白になった。「ああ、怖い、坊ちゃん、坊ちゃん。いったいどうしたんです!……坊ちゃん」


「姉や。わたしは……猫もネズミもお前たち女中も、みんな兄弟だと思っているんだ。しかもただそう思っているだけでなく、そう感じているのだ、強くそう感じているのだ。猫もネズミもお前たち女中も、みなわたしの同情すべき、愛すべき兄弟だと……」


わたしの声は震えた。


女中は何も言わず、わたしの顔を見つめていた。


その目には涙が光っていた。


あの日のことを忘れてしまいたい。


どれほどあの日のことを忘れてしまいたいことか。


しかし……


しかし………


第76節

【「愛」の字の瘡】




【一】



わたしは寒い国の人間である。深い雪と厚い氷は、子どもの頃からのわたしの親しい友であった。寒くて暗く、しかも果てしなく続く冬が、あの国の現実であり、暖かく美しい春と夏は、あの国の短くも懐かしい夢であった。——わたしがあの国にいた頃はそうであったが、今は違うと聞いている。わたしはそれが変わったと信じたい——


あの国の人々も、この世のほかの国の人々と同じように、幸福な者と不幸な者とに分かれていた。どういうわけか、わたしもやはり不幸な者の仲間に入っていた。


幸福な者たちは、心まで凍りつくような寒さと、心を脅かすような暗さという現実を忘れるために、劇場や音楽会などの楽しい催しに出かけて、芸術の夢を見るのであって、それは当然のことであった。しかし不幸な者たちは、冷たい霧の朝から吹雪の吠える深更まで、この現実と向き合わずにはいられなかった。


恐ろしい寒さと淋しい吹雪の呻きを聞くまいとして、それを忘れようと、幸福な者たちはたいてい恋愛の城や友情の美しい花園に逃げ込んで遊んでいたが、不幸な者たちは始めから終わりまで、あの恐ろしい寒さと淋しい吹雪の淋しい歌と、歌よりもなお淋しい話を聞かずにはいられなかった。寒くて暗いあの国の現実のために、身も心もすっかり凍りついたわたしは、冷たい枕に顔を埋めて、きつくきつく、痛くなるほど歯を食いしばった。自分を呪い、他人を呪い、わたしはまるで寒い夜の狼のように、どれほど泣いたか知れない。しかしわたしよりもっとひどく泣いた不幸な者が、何千何万もいたことだろう。——今ではあの国で、寒くて暗い現実のために大泣きする不幸な者は減ったと聞いている。わたしはそれが減ったと信じている。この減少こそ、わたしが幼い頃から夢見、幼い頃から希望していたことなのだ。わたしが今もなお生きているのは、おそらくこの夢と希望のためだけであろう。


ただ永遠に眠り続けたいという一つの願望が、あの国の空気のようになっていた。しかしこの心境は寒い国に限ったことではなく、東洋の国にも、南方の国にも、いっそう強くあるのだということは、当時はまだ知らなかった。ああ!あの頃、わたしの知らなかったことはまだ非常に多かった。いや今でさえ、わたしの知らないことは知っていることに比べて何億倍も多いだろう……




【二】



十年前のことである。その頃わたしはある小さな村に住んでいた。村は小さかったが、村人たちの無知はまことに大きく、迷信と偏見ばかりだった。村の傍には何里も続く白楊の林があり、この村の人々にとって、この白楊の林ほど恐ろしいもの、この白楊の林ほど憎むべきものはなかった。用のない限り、誰もこの林に入る者はいなかった。しかし村人の好むものをわたしは嫌い、村人の嫌うものをわたしは好むという性分だったから、あの林に対しても同じで、村人が嫌えば嫌うほど、わたしはますます好きになった。


昔、白楊の林のある場所は一面の大平野であった。そしてその大平野は、かつて戦場になったことがあった。その時、人類と動物が何年にもわたって争い、まさにこの平野の上で、熊や狼や狐などの動物たちが大軍を率いて、人類と最後の雌雄を決した。この一戦で人類は完全に敗北した。人類が血を流し、骨を埋めた場所に、白楊の林が育ったのだった。


この村の人々によれば、白楊の林にしょっちゅう行く者は、必ず変わり者になり、村を捨てて外国へ行ったり、行方不明になったり、横死したりするという。しかしわたしはそんな話にはまるで頓着せず、あの白楊の森に行くのが一番好きだった。森に行けば行くほど、村人はますますわたしを怪しみ、ついにわたしを変わり者だと言うようになった。


ある夜——大雪のしきりに降る夜、狼が村の近くで吠えている夜——わたしは白楊の林へ向かった。なぜこんな恐ろしい夜に出かけたのか、その時はよくわからなかった。おそらく大雪の夜に林の中で春の夢を見たいという気持ちと、狼の恐ろしい吠え声の夜に白楊の春の私語を聞きたいという気持ちとがあったのだろう。今思えばこの気持ちはかなり変だが、あの時、あの大雪のさなか、あの狼の恐ろしい吠え声のさなかには、この気持ちはまるで変だとは思わなかった。わたしは林の中に入り、一本の大きな白楊の下の、柔らかい雪の座布団の上に座った。雪はひどく降っていた。狼がすぐ近くで呻いていた。わたしは静かに座って、白楊の林の話に耳を傾けた。


「昔々、ずっと昔、ここは一面の大平野だった。昔々、ずっと昔、人類は熊や狼や狐と戦った。人類は敗れた。完全に敗れた……」


これらの言葉を聞いているうちに、一人の異様な老女がわたしの前に現れた。全身を熊の外套でぴったりと包み、海狸の帽子を深くかぶり、腰に小さな提灯をぶら下げたその年老いた女は、言い知れぬ異様な印象をわたしに与えた。その容貌もまた、一度見たら一生忘れられぬ面差しだった。


老女はわたしに向かって「お前はわたしのものだよ。これからわたしについて来るのだよ」と言いながら、まっすぐ林の中へ歩いて行った。わたしは「第一に、わたしは『もの』ではない。第二に、誰についても行きたくない」と言ったが、言いながらもいつの間にか立ち上がって後についていった。「おかしなことだ」とわたし自身思った。


白楊の木々は老女の前に広い長廊下のように並び、行儀よくお辞儀をしているようだった。狼たちも老女を見ると、みな挙手の敬礼をした。


わたしは言った。「おばあさん、まるで軍隊みたいですね……」


老女は答えた。「軍隊こそこれらに似ているのだよ」


わたしはようやく気づいて、嬉しそうに笑って言った。「ああ、これは夢だ」


大雪が降りしきっていた。あたりには狼の声が聞こえた。


「おばあさん、あなたは誰ですか?」わたしは尋ねた。


「わたしは冬の女王だよ」老女は真面目に答えた。


「やはり夢だ」わたしは笑った。


「それから、わたしたちが今向かっているのは、あなたの宮殿ですね?」


「そうだよ」老女はまた真面目に答えた。


「おばあさんの宮殿はダイヤモンドや瑪瑙などの宝石でできているのでしょう?」わたしは尋ねた。


「そうだよ」老女はまた先ほどと同じ調子で答えた。


「ああ、なかなか面白い夢だなあ。もっと面白くしなくてはいけない」とわたしは思った。


「おばあさん、あなたの宮殿には若くて美しい雪の王女がいるでしょう」


「王女はいないよ」老女は答えた。「ただ坊やが一人」


「坊や?」わたしはおうむ返しに言った。


「十二歳の坊やだよ」


「坊やでは、つまらないですよ」わたしは言いながら、自分がからかわれたような気がした。


「夢さえ思い通りにならないとは、なんとつまらない。夢なら美しい王女がいてもよさそうなものを……坊やなんて……つまらない」わたしはぶつぶつ言いながら、それでも老女の後をぴったりついていった。


大雪が降りしきっていた。狼がすぐ近くで呻いていた。やがて目の前にきらきら光るものが現れ、またたく間にそのきらきら光るものがダイヤモンドの宮殿だとわかった。わたしは立ち止まって景色を眺めようと思ったが、足がいうことを聞かず、ただ急いで老女の後を追った。老女は立ち止まることなく、大きく開いた門から入った。わたしも後について入った。中に入ると金の扉がガチャンと閉まった。しかし老女はまだ扉がきちんと閉まっていないのではないかと心配して、手で確かめに行った。


「よし。開かないよ」老女は安心したように独り言を言った。


わたしは部屋の中をあちこち見回した。床には虎や熊の上等な毛皮が敷かれ、四方の壁と天井にはさまざまな宝石が飾られていた。ただ窓だけは鉄格子が虎の檻のように組まれ、牢獄のような不快な感じを与えた。


「おばあさん、宮殿とは言うものの、まるで牢獄ですね」


「今に始まったことではないよ。宮殿が牢獄のようになったのは。昔からそうなのだ」老女はぶつぶつと答えて、帽子と外套から積もった雪を払いながら、わたしに言った。「ここにいておくれ。奥に行ってすぐ戻るから」そう言って奥へ入って行った。


「馬鹿な。こんな所で待っていられるものか」わたしはそう言いながら、こっそりと老女の後をついて行った。


大きな部屋を二、三間通り過ぎると、老女は奥の部屋に入って、きっちり扉を閉めた。わたしは扉に近づき、しばらくたたずんでいた。老女は中で衣を脱ぎながら、誰かと話していた。


「今晩もまた一人……」


「誰ですか?農夫ですか?」尋ねるのは可愛らしい坊やの声だった。


「まさか、こんな大雪の夜に農夫が林の中へ入って来るものかね」


「じゃあ、また誰ですか?職人?」


「職人だって、こんな夜に林には来ないよ」


「じゃあ、いったい誰ですか?」


「きっと馬鹿者だよ」


ここまで聞いて、わたしは腹を立てて扉を叩こうとしたが、結局叩かなかった。


「若い人?」


「二十一、二歳くらいだろう」


「その人はぼくが探している字を知っているかもしれない。年寄りはこの字を知らないけれど、若い人たちは知っているようなんだ」


「さあ、どうかね。見たところ少し馬鹿そうだが……」


「聞いてみてもいい?でもたとえ知っていても、教えてはくれないかもしれない」


「さあ、どうかね。見たところ少し馬鹿そうだが……」


「お礼をしたら?……」


「でも、もう死んでしまった者に、何のお礼もいらないだろうよ」


「でも、おばあさん、あの命をお礼にしたらどうかな?」


「それはもうだめだよ」


「おばあさん、どうしてだめなの?だめなことなんかない。おばあさんが承知してくれさえすれば……」


「もうだめなんだよ。雪の中に埋もれて二時間も眠っていたんだから」


「でも、おばあさん、できないことはないよ。ぼくにはわかるんだ」


「馬鹿を言うんじゃないよ。お前の命をあの者の命の代わりにやるなんて、それは言うまでもなくできないことはないさ」


「すぐに命をやらなければだめ?」


「すぐにじゃないよ。その時が来たら、二十二歳になったら、その運命を受けるのだよ。わかったかい?……」


隣の部屋で坊やがしくしくと泣き出した。


「おばあさん、あの字を知らなかったら、ぼくだって生きていたくないよ」


「だけどしようがないじゃないか。もう雪の下に埋まって二時間も眠っていたんだから。もうここに来てしまったのだから。でもどうやら自分では死んだことに気づいていないようだね、馬鹿者だから。とにかくあの人が言ったとおり、何かお礼をしてやればいいさ。自分の命を返せなどとは言うまいよ、まだ死んだことを知らないんだから、まして馬鹿者なんだから。とにかく行って聞いてみるがいい……」


坊やが立ち上がって、わたしの立っている扉口へ歩いて来た。わたしは懸命に声を出さないようにし、急いで先ほどの部屋に戻った。最後の言葉としてわたしの耳に届いたのは、「自分の命を渡すのに、どんな方法で渡せばいいの?」という坊やの問いかけの声だった。


「ああ、面白い夢だなあ」


わたしはそう言いながら、悠然と虎の皮の上に横になった。やがてわたしの部屋に、足音もなく十二歳ばかりの可愛い坊やが入ってきた。その坊やはどこを見ても白楊の木を思い起こさせた。姿はまるで白楊で作った美しい彫刻のようで、肩にかかる髪は白楊の花のようで、全身には白楊の香りが漂っているかのようだった。その息遣いもまた、白楊の葉のそよぎを聞くような気持ちを起こさせた。


「見知らぬ方よ、ぼくはこの家の者で、白楊の坊やです」坊やはわたしに礼をしながら、わたしの顔をじっと見つめて、謙虚に話し始めた。


「ああ、この家の坊やですか。どうぞ、お座りなさい」わたしは率直に言った。


坊やはわたしの傍に座った。部屋中に白楊の香りが満ちた。


「何の用ですか」


「見知らぬ方に、重大なお願いがあるのです」


「そのお願いとは?……」


坊やはしばらく黙っていた。そして低い声で、まるで白楊の葉のさやさやとしたそよぎのように、話し始めた。


「ぼくは白楊の子どもです。大きくなったら、たくさんの光と熱を発して、この世界で燃えなければなりません。薪や松明になって、この世界を暖め、この世界を照らすこと、それが白楊の使命なのです。けれども熱をたくさん出すためには、松明を明るく燃やすためには、一つの字が必要なのです。胸に一つの『愛』の字が必要なのです」


坊やは話しながら衣を脱いで、白楊の樹皮のような色の胸を見せた。わたしは何がなんだかわからないまま、少し身を起こして、その胸をぼんやり見つめるばかりだった。坊やは続けた。


「この胸に『愛』の一字が必要なのです。この胸に『愛』の字を書いてください」


「何で書くのですか?」


わたしが尋ねると、坊やは小さな金の刀を差し出して言った。


「この金の刀で書いてください」


「深く刻むのですか?」


「深ければ深いほどよいのです」


「痛いですよ」


「大丈夫です、白楊の子どもですから」


「血も出ますよ」


「大丈夫です、白楊の血ですから……」


わたしは金の刀を受け取り、その胸のちょうど心臓の上に、丁寧に「愛」の一字を刻んだ。胸からは、清らかな露が花の上に滴るように、数滴の鮮血が流れた。刻まれた字を見ると、坊やの顔は喜びに満ちた。そして前よりもいっそう可愛くなった。


「お礼に何がほしいですか?」白楊の坊やはこう尋ねた。


「命がほしい」わたしは笑いながら言った。


わたしが言い終わるやいなや、坊やの顔は青ざめ、唇は白楊の銀の葉のように震え始めた。見ていると、その美しい坊やがいじらしくなった。


「可愛い坊や。白楊の坊やよ。わたしはただの冗談を言ったのです。命などほしくはない」そう言いながら、わたしは優しく白楊の銀の葉のように震える坊やを抱きしめた。


「坊や、怖がらなくていいよ。ただの冗談なんだから。命なんかいらない。お礼にはただ一度だけ接吻をしてほしい。たった一度だけ……」


わたしは白楊の銀の葉のように震える唇の上に接吻した。するとたちまち、熱い潮流がわたしの全身を流れたように感じた。


「接吻は命を返す方法なのです」坊やはわたしの手を固く握り、低い声で言った。「接吻によって、あなたは自分の命を取り戻したのです。ぼくの命は……」


——わたしは目を開いた。一瞬のうちに、自分が林の中で積もった雪に埋もれ、あやうく凍死するところだったとはっきりわかった。しかし接吻の温もりが全身をまだ暖かくしているようだった。わたしは懸命に立ち上がった。大雪が降りしきっていた。狼がすぐ近くで呻いていた。わたしは村に向かって歩いた。白楊の坊やと接吻したおかげで、全身がまだ暖かかった。わたしは村に着いた。大雪が降りしきっていた。狼がすぐ近くで呻いていた。


村中にわたしを知らない者はいなかったから、一軒目の家の戸を叩いた。凍えた者がいると聞いて、その家の主人はぶつぶつ言いながら戸を開けに来た。しかしわたしだとはっきりわかると、主人は怪訝な顔つきになった。


「今晩、兵隊や探偵がお前をあちこち捜し回っているぞ。逃げるなら早く逃げたほうがいい」主人は言った。


「兵隊や探偵がわたしを捜している?なぜ?」


「なぜだと?お前自身がよくわかっているだろうに」主人はそう言いながら、じろじろとわたしを見た。


「わたしは逃げない。凍えているんだ。助けてくれないか?」


「いくら出す?……」


「十ルーブルでどうだ?」


「少なすぎる」


「二十なら?」


「二十五出すなら、いいだろう……」




【三】



あれからすでに十年が過ぎた。この十年の間、わたしは東洋の国に住んだこともあり、南方の国に住んだこともあった。この十年の間、暖かい国の寝言や東洋の国の寝言を、すっかり聞き飽きてしまった。この十年の間、南方の国の幻覚も東洋の国の催眠状態も見て、この世にはもう飽き飽きした。そこでわたしはまた、あの寒くて暗い現実の国に帰って行った。その時はちょうど、あの国で待ち望んでいた春の季節だった。あの国の人々は、この春がいつもより暖かく、いつもより長く続くことを願っていた。この国に着くやいなや、わたしはやはり一度、十年前に住んでいたあの村を訪ねてみなければと思った。しかしこの村は、太陽が穏やかに照らしてはいたが、相変わらず寒く、美しい春の季節であっても相変わらず淋しかった。人々に嫌われわたしに愛された白楊の林も、もうすっかりなくなっていた。かつて林のあった大平原を見ると、まるで人類と動物がまたここで戦ったかのような気がした。しかも今度は人類が勝ったのに、勝利の気配はどこにも感じられなかった。


村から二里ほどのところに、まだいくらか大きな白楊の林が残っていた。わたしは白楊の切り株の間を通って、その残った林の中へ歩いて行った。歩いているうちに、まるで十年前に冬のおばあさんと一緒に歩いたあの廊下を歩いているような気がした。この廊下の突き当たり、林の境目に、小さな家が一軒あった。わたしは思わず家の中に入っていった。すると部屋の中で、白楊の薪が散乱する中に、何かを考えるように寝台に腰掛けている一人の年老いた女がいた。その女の容貌は、一度見たら一生忘れられぬ面差しだった。


「冬のおばあさんだ」わたしは心の中で言った。心臓もどきどきと跳ね、ほとんど痛いほどだった。


「まさかまた夢を見ているのでは?」わたしはまた疑い始めた。


「おばあさん!」わたしは低い声で呼んだ。老女は何も言わず、ただわたしの顔をじっと見つめていた。わたしの心臓の鼓動はさっきよりいっそう激しくなった。わたしは両手を胸に当てた。


「おばあさん、あなたは冬のおばあさんでしょう」わたしは低い声で言った。


老女は何も言わず、ただわたしの顔をじっと見つめていた。わたしは倒れそうになった……


わたしは白楊の薪の上にへたり込んだ。しばらくの間、途切れることのない沈黙が続いた。やがて老女は正気に戻ったかのように、ぶっきらぼうに言った。


「わたしはここの薪割りの婆さんだよ」


「十年前」わたしはまた尋ねた。「おばあさんのところに十二歳の坊やがいましたね?」


老女の顔が青ざめた。わたしも震えた。しばらくの間、途切れることのない沈黙が続いた。


「いたよ、だけどもうおらんよ」老女は何かを思い出したかのように言った。


「今はどこにいるのですか?」


「誰が?」


「坊やは」


「今は、どこにも住んでおらんよ。もう燃え尽きたよ」


「燃え尽きた」


「愛の字の病でね」


老女はわたしがわからないのをたいそう不思議に思ったらしく、また鋭くわたしの顔を見つめた。林の静寂の中で、わたしの心臓の鼓動が聞こえた。


「おばあさん、愛の字の病とは何ですか?」


「十年前、坊やの胸に『愛』の字の形をした瘡ができてね。この『愛』の字の瘡がしだいに胸の奥深くへ侵入していったのだよ」


「それから?」


「坊やの性格が変わってしまった。こんなことを言い出したのだよ、全世界の人を抱きしめて暖めてやりたいとね……」


「それから?」


「それでわたしは困ったよ。坊やはまた松明になって人々の暗い道を照らしたいとも言った」


「それから?」


「それで松明になって人々の暗い道を照らし、燃え尽きてしまったのだよ」


またしばらくの間、沈黙が続いた。老女はまたわたしの顔を見つめた。


「お前は『愛』の字が書けるかい?」


「ええ」


「じゃあ、白楊の薪に『愛』の字を書いてくれないかね?」


「おばあさん、なぜ?」


「『愛』の字を書いた薪は、普通のものより暖かく、明るく燃えるんだよ」


老女は異様に笑い出した。わたしはその笑い声を聞くと、氷水をかけられたように震えた。老女はまた立ち上がり、わたしの耳に口を寄せて低い声で言った。


「わたしの胸に、ちょうど心臓の上のところに、『愛』の字を一つ書いてくれないかね?わたしも白楊の坊やと同じように松明になって、人々の暗い道を照らしたい、燃え尽きるまで」


わたしは急いで立ち上がった。あの部屋にもう一分でもいたら、きっと狂ってしまうと自分でもはっきりわかった。そこであの老女にはもうかまわず、部屋を飛び出して村の方へ逃げた。


……


わたしはその晩、宿の主人に、林に住む薪割りの婆さんのことを知っているかと尋ねた。


「知っているよ」主人は言った。「あれはこの辺では有名な狂人で、林の化け物だ。会ったのか?『愛』の字の瘡がどうとかいう話をされただろう。『愛』の字を書くと薪がもっと暖かく燃えるなんて、まったく化け物だよ。十字架の力よ、我らとともにあれ!」主人はそう言って三度十字を切った。


「しかしあの坊やはどうやって死んだのですか?」わたしは尋ねた。


「あれはまったくどうということもない話だ。あいつは多数党に入って、奇兵隊になって、ここらで活動していたんだ。幸いにも今年の騒動の時に、白軍の騎兵隊に捕まって、殺されたよ。ああいう手合いは、死ねば死ぬほどありがたい」主人はあたりを見回しながら、低い声で言った。


「どうやって殺されたのですか?」わたしはまた尋ねた。


「ああいう手合いを威嚇するために、生きたまま焼き殺されたのだ。もっとも、これは白軍の悪口を言う連中がそう言っているだけで、当てにはならないがね。ああいう手合いは、どう殺されようと、誰も問題にはしない。ただあの婆さんだけは可哀想だ。あれ以来気が狂って、坊やが松明になって人々の暗い道を照らし、燃え尽きたなどと言って歩き回っている。まったくくだらない話だ」


主人はそう言いながら激しく唾を吐き、やがてまた何か思い出したように言った。


「だが化け物や人殺しの話は夜にするものじゃない。十字架の力よ、我らとともにあれ!」


主人はおどおどと窓の方を見て、何度も十字を切った。わたしは黙って、淋しく主人が十字を切るのを見つめていた。外はしだいに暗くなっていった。わたしの心も……


……


わたしはまたこの国を出た。外国へ行った。けれども外国に行っても、わたしの心はまだ痛んでいた。わたしの心の中に新しい深い傷ができたような気がした。しかもこの傷はしだいに深くなっていくようだった。しかもこの傷の形は、どうやら「愛」の字ではなく「憎」の字のようであった。大きな「憎」の字の形……しかもこれがしだいに大きくなっていく……


ああ、この心を、どうしたらよいのだろう……


第77節

【小鶏の悲劇】




【一】



この頃、家の小さな雛の一羽が、庭に家の小鴨を泳がせるために掘った池に落ちて、溺れ死んだ。


あの小鶏は、一羽の奇妙な小鶏だった。いつでも鶏の仲間とは遊ばず、いつも鴨の群れに入って、あの可愛い小鴨と遊んでいた。家の主婦も「小鶏はやっぱり小鶏と遊ぶのがいいし、小鴨は小鴨と遊ぶのがいい」と思ったが、何も言わず、ただ見ているだけだった。その間に、あの小鶏はしだいに痩せ細っていった。家の主婦は驚いて言った。


「ああ、あの子はどうしたのかしら。病気にでもなったのかしら」


そしてその小鶏を捕まえて、丁寧に病を診た。しかししばらくして、主婦はひとり言を言った。


「小鶏の病気はわからないわ。だって人間の病気だってそう簡単にはわからないのだもの」


そう言いながらも、見てもわからない病を患った小さな病人に、ひまし油を飲ませ、翼に針を刺して血を出し、見てもわからない病を治そうとした。しかしすべて無駄だった。小鶏はただしだいに痩せていくばかりだった。小鶏はいつも首をうなだれて、ぼんやりと何かを考えているようだった。主婦はそれを見て言った。


「ああ、あの子ったら、たかが鶏、たかが小鶏のくせに、何を考えているのかしら。人間だって考えるだけでもう十分なのに」


こう言いながら、自分もしばしばいつの間にか物思いに沈んでいた。するとこの頃、主婦の口からは低い声でこう漏れるのだった。


「やっぱり、小鶏はやっぱり小鶏と遊ぶのがいいし、小鴨は小鴨と」




【二】



ある日、小鶏はいつも通り小鴨と遊んでいた。太陽はもう沈みかけていた。小鶏は小鴨に言った。


「きみが一番好きなものは何?」


「水だよ」小鴨は答えた。


「恋をしたことはある?」


「恋はしたことないけど、鯉の子を食べたことはあるよ」


「おいしかった?」


「うん、まあまあだったかな」


日がしだいに暮れていった。小鶏はうつむいて、この日暮れを見つめていた。


「きみは泳いでいる時、ずっと何を考えているの?」


「泥鰌を捕まえることだよ」


「それだけ?」


「それだけ」


「岸で遊んでいる時は何を考えるの?」


「岸にいる時は、泳ぐことを考えるよ」


「いつもそう?」


「いつもそうだよ」


日がしだいに暮れていった。小鶏はもう見ることをやめ、ただうつむいていた。そして低い声で言った。


「きみは寝ている時、鶏の夢を見たことはある?」


「ないよ。でも魚の夢は見たよ。すごく大きな、奥さんがくれる泥鰌よりもっと大きな魚の夢を」


「ぼくはそうじゃないんだ……」


また沈黙が続いた。


「朝起きたら、まず誰を探しに行く?」


「泥鰌を持ってきてくれる奥さんを探しに行くよ。きみもそうだろう」


「ぼくはそうじゃないんだ……」


もう夕暮れだった。しかしうつむいている小鶏はそれに気づいていなかった。


「ぼくがもし池に行って、きみのそばで泳げたら、それがいいんだけどなあ」


「でも、つまらないんじゃない?きみは泥鰌を食べないし」


「でも池に行くのは、泥鰌を食べることだけじゃないでしょう?」


「うーん、どうかな」


夕暮れが過ぎると、家の主婦が小鶏を呼びに来た。小鴨もほかの小鶏たちもみな行った。ただこの一羽だけは、うつむいて、翼も垂れて、ぼんやりと動かなかった。主婦はそれを見て言った。


「ああ、この子はどうしたのかしら」




【三】



翌日、早朝まだ暗いうちに、小鶏は池に飛び込んで死んでいた。この知らせを聞いた小鴨は、きれいに首を伸ばし、得意げに水に浮かびながら言った。


「水の上に浮くこともできないくせに、たとえ泥鰌を捕まえたって食べられもしないくせに、水に入ろうとするなんて、まったくおばかさんだ」


家の主婦は池から溺れ死んだ小鶏を引き上げ、見てもわからない病のために痩せ細った小さな亡骸を前に、しばらくぼんやりと見つめるばかりだった。


「ああ、可哀想な子。泳げないのに、どうして池に行ったのかしら。死んだほうが生きているよりましだったのかしら。


でも、どんなにしても、やっぱり、小鶏はやっぱり小鶏と遊ぶのがいいし、小鴨は小鴨と……わたしはそう思うけど……そう思うけど……」


主婦はひとり言を言いながら、見てもわからない病のために痩せ細った小さな亡骸を前に、いつまでもぼんやりと見つめるばかりだった。


朝日がしだいに昇ってきた。