Difference between revisions of "Lu Xun Complete Works/ja/Zhaohuaxishi"

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= 朝花夕拾 (朝花夕拾) =
 
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'''魯迅 (ルーシュン, 1881–1936)'''
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'''魯��� (ルーシュン, 1881-1936)'''
  
 
中国語からの日本語翻訳。
 
中国語からの日本語翻訳。
  
 
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Dawn Blossoms Plucked at Dusk
 
  
Brief Introduction
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朝花夕拾
  
I always think of finding quiet amid the tumult, but it is not easy. When I left Sun Yat-sen University, I thought of leaving Xiamen four months before.
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小引
  
The weather in Guangzhou turns warm early. On the desk is a plant I had never seen before - a piece of wood that turns beautifully green in water.
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私はいつも紛擾の中に少しの閑静を見出そうと思うが、実に容易ではない。目前はかくも離奇で、心中はかくも蕪雑だ。人が回想のみ残った時、生涯はおおむね無聊というべきだろう。しかし時には回想すらないこともある。中国の文章作法には軌範があり、世事もまた螺旋である。数日前に中山大学を去った時、四ヶ月前の厦門大学を去った時のことを思い出し、頭上で飛行機の鳴る音を聞いて一年前北京の城の上を日々旋回していた飛行機を思い出した。
  
These ten pieces are copied from memory. The style is uneven, having been written over nine months in different places.
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広州の暑さは実に早い。夕陽が西窓から射し込み、単衣一枚でやっとだ。書卓の上の一鉢の「水横枝」は、私が以前見たことのないもので、一段の木を水に浸けるだけで枝葉が青々と愛らしい。緑の葉を眺め、旧稿を編む。一点の事をしていることにはなる。
  
May 1, 1927, Lu Xun.
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この十篇は記憶から抄し出したもので、実際の内容と多少異なるかもしれないが、今の私にはこう覚えているとしか言えない。文体はおおむね雑然としている。書いたり止めたりで九ヶ月以上経ったからだ。環境も一様ではない。最初の二篇は北京の寓所の東壁の下で書き、中の三篇は流離中の作で医院と大工部屋で、後の五篇は厦門大学の図書館の二階で、学者たちに集団から追い出された後だった。
  
Dogs, Cats, and Mice
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一九二七年五月一日、魯迅、広州白雲楼にて記す。
  
Since last year I hear I am an enemy of cats. In Dr. Daehnhardt's book I found the cause: the dog mistook a cat for the elephant. My true reason was simpler: my nurse said the cat had eaten my little shrew-mouse. Later I learned the nurse herself had trampled it.
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犬・猫・鼠
  
Ah Chang and the Classic of Mountains and Seas
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去年あたりから、私が猫を憎んでいるという人がいるらしい。根拠は当然あの『兎と猫』にあるのだろう。自画自招だから弁解の余地はない――しかし一向に気にもしなかった。今年になって少し心配になった。私はどうしても筆を弄んでしまう。書いて印刷して出すと、ある人々には痒い所に手が届くよりも痛い所にぶつかることの方が多いようだ。
  
The nurse Ah Chang was a fat, short woman who left no room in bed. But once she won my admiration: she brought me the illustrated Classic of Mountains and Seas I had so longed for. Ah Chang probably left this world some thirty years ago. Kindly Earth Mother, let her soul rest!
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実のところ人と禽獣の区別をそう厳格にする必要はない。動物界は古人が空想したほど快適自由ではないが、ごたごた体裁を繕う事は人間より少ない。彼らは性に適い情に任せ、正は正、誤は誤で、弁解の一言も言わない。虫蛆は不潔かもしれないが、自ら清高を気取らない。猛禽猛獣がより弱い動物を餌とするのは残忍と言えようが、「公理」「正義」の旗を立てたことは一度もなく、犠牲者は食われる瞬間まで彼らを賞賛感嘆させられることはない。
  
The Twenty-Four Illustrations of Filial Piety
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私の猫嫌いの原因を言えば、正当にして光明正大だと自分では思っている。一、猫の性質は他の猛獣と違い、雀や鼠を捕えても一口に咬み殺そうとせず、さんざん弄んでから放し、また捕え、自分が飽きてからやっと食べる。これは人々の幸災楽禍で弱者をじわじわ苛む悪癖と似ている。二、猫は獅子や虎と同族ではないか。なのにこの媚態。
  
I want to find the blackest curse to curse all who oppose the vernacular language. Since the so-called literary revolution there have been children's books, but some would rob children of all joy.
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しかしこれらは今筆を執った時に付け加えたもので、もっと確実に言えば、彼らが交尾の時の嗥叫のせいだ。夜に読書や睡眠の時に特に煩わしい。
  
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しかし実のところ、私の猫嫌いはこうした理由を言い出せるよりずっと前、おそらくまだ十歳前後の頃からだった。原因は極めて単純で、ただ猫が鼠を食べるから――私が飼っていた可愛い小さな隠鼠を食べたからだった。
  
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幼い頃の夏の夜、私は大きな桂の木の下の小さな板卓の上に寝転んで涼んでいた。祖母が芭蕉扇を揺らしながら卓のそばに座り、謎々を出したり物語を聞かせてくれた。突然、桂の木の上でさらさらと爪の引っ掻く音がし、一対のきらきらした目が暗闇の中を音とともに降りてきた。祖母は話していた話を途切らせ、別に猫の話を始めた。
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「知っているかい。猫は虎の先生だよ。」祖母は言った。「虎は元来何もできなくて、猫に弟子入りした。猫は虎に飛びかかる方法、捕える方法、食べる方法を教えた。全部教え終わると虎は考えた。技はみな身につけた、誰にも負けない、ただ師匠の猫だけが自分より強い。猫を殺せば自分が最強になる。そこで猫に飛びかかった。猫は虎の意図を見抜いていたから、ひょいと木に登った。虎は木の下で睨むしかなかった。まだ木登りだけは教えていなかったからだ。」
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百年の旧家の豆油灯の微かな光の下は、鼠が跳梁する世界だった。ひらひらと走り、ちいちいと鳴き、その態度はしばしば「名人名教授」より堂々としていた。猫は飼われていたが、食事だけして仕事をしなかった。
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朝花夕拾 (朝花夕拾)

魯��� (ルーシュン, 1881-1936)

中国語からの日本語翻訳。


朝花夕拾

小引

私はいつも紛擾の中に少しの閑静を見出そうと思うが、実に容易ではない。目前はかくも離奇で、心中はかくも蕪雑だ。人が回想のみ残った時、生涯はおおむね無聊というべきだろう。しかし時には回想すらないこともある。中国の文章作法には軌範があり、世事もまた螺旋である。数日前に中山大学を去った時、四ヶ月前の厦門大学を去った時のことを思い出し、頭上で飛行機の鳴る音を聞いて一年前北京の城の上を日々旋回していた飛行機を思い出した。

広州の暑さは実に早い。夕陽が西窓から射し込み、単衣一枚でやっとだ。書卓の上の一鉢の「水横枝」は、私が以前見たことのないもので、一段の木を水に浸けるだけで枝葉が青々と愛らしい。緑の葉を眺め、旧稿を編む。一点の事をしていることにはなる。

この十篇は記憶から抄し出したもので、実際の内容と多少異なるかもしれないが、今の私にはこう覚えているとしか言えない。文体はおおむね雑然としている。書いたり止めたりで九ヶ月以上経ったからだ。環境も一様ではない。最初の二篇は北京の寓所の東壁の下で書き、中の三篇は流離中の作で医院と大工部屋で、後の五篇は厦門大学の図書館の二階で、学者たちに集団から追い出された後だった。

一九二七年五月一日、魯迅、広州白雲楼にて記す。

犬・猫・鼠

去年あたりから、私が猫を憎んでいるという人がいるらしい。根拠は当然あの『兎と猫』にあるのだろう。自画自招だから弁解の余地はない――しかし一向に気にもしなかった。今年になって少し心配になった。私はどうしても筆を弄んでしまう。書いて印刷して出すと、ある人々には痒い所に手が届くよりも痛い所にぶつかることの方が多いようだ。

実のところ人と禽獣の区別をそう厳格にする必要はない。動物界は古人が空想したほど快適自由ではないが、ごたごた体裁を繕う事は人間より少ない。彼らは性に適い情に任せ、正は正、誤は誤で、弁解の一言も言わない。虫蛆は不潔かもしれないが、自ら清高を気取らない。猛禽猛獣がより弱い動物を餌とするのは残忍と言えようが、「公理」「正義」の旗を立てたことは一度もなく、犠牲者は食われる瞬間まで彼らを賞賛感嘆させられることはない。

私の猫嫌いの原因を言えば、正当にして光明正大だと自分では思っている。一、猫の性質は他の猛獣と違い、雀や鼠を捕えても一口に咬み殺そうとせず、さんざん弄んでから放し、また捕え、自分が飽きてからやっと食べる。これは人々の幸災楽禍で弱者をじわじわ苛む悪癖と似ている。二、猫は獅子や虎と同族ではないか。なのにこの媚態。

しかしこれらは今筆を執った時に付け加えたもので、もっと確実に言えば、彼らが交尾の時の嗥叫のせいだ。夜に読書や睡眠の時に特に煩わしい。

しかし実のところ、私の猫嫌いはこうした理由を言い出せるよりずっと前、おそらくまだ十歳前後の頃からだった。原因は極めて単純で、ただ猫が鼠を食べるから――私が飼っていた可愛い小さな隠鼠を食べたからだった。

幼い頃の夏の夜、私は大きな桂の木の下の小さな板卓の上に寝転んで涼んでいた。祖母が芭蕉扇を揺らしながら卓のそばに座り、謎々を出したり物語を聞かせてくれた。突然、桂の木の上でさらさらと爪の引っ掻く音がし、一対のきらきらした目が暗闇の中を音とともに降りてきた。祖母は話していた話を途切らせ、別に猫の話を始めた。

「知っているかい。猫は虎の先生だよ。」祖母は言った。「虎は元来何もできなくて、猫に弟子入りした。猫は虎に飛びかかる方法、捕える方法、食べる方法を教えた。全部教え終わると虎は考えた。技はみな身につけた、誰にも負けない、ただ師匠の猫だけが自分より強い。猫を殺せば自分が最強になる。そこで猫に飛びかかった。猫は虎の意図を見抜いていたから、ひょいと木に登った。虎は木の下で睨むしかなかった。まだ木登りだけは教えていなかったからだ。」

百年の旧家の豆油灯の微かな光の下は、鼠が跳梁する世界だった。ひらひらと走り、ちいちいと鳴き、その態度はしばしば「名人名教授」より堂々としていた。猫は飼われていたが、食事だけして仕事をしなかった。

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