Difference between revisions of "Lu Xun Complete Works/ja/Zhufu"
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= 祝福 (祝福) = | = 祝福 (祝福) = | ||
| − | ''' | + | '''魯��� (ルーシュン, 1881-1936)''' |
中国語からの日本語翻訳。 | 中国語からの日本語翻訳。 | ||
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| + | |||
=== 第1節 === | === 第1節 === | ||
| − | + | 祝福 | |
| + | |||
| + | 旧暦の年末はやはり一番年末らしい。村や町は言うまでもなく、空にもまもなく新年を迎える気配が現れている。灰白色の重い夕雲の間から時折閃光が走り、続いて鈍い音がする。竈神送りの爆竹だ。近くで打ち上げるものはさらに激しく、震耳の大音がまだ止まぬうちに、空気はすでにかすかな火薬の香りに満ちている。私がこの夜に故郷の魯鎮に帰ったのは、まさにこの時である。故郷とはいえもう家はないから、やむなく魯四老爺の屋敷にしばらく寄寓するしかなかった。彼は私の本家で、一輩上にあたるから「四叔」と呼ぶべき人物で、理学を講じる老監生である。 | ||
| + | |||
| + | 第二日は遅く起き、午後から本家や友人を数人訪ね、第三日も同様だった。皆さほどの変化はなく、ただ老いたのみ。しかし家々は一律に忙しく、「祝福」の準備をしている。これは魯鎮の年末の大典で、敬礼を尽くして福神を迎え、来年一年の幸運を祈る。鶏を殺し鵞鳥を屠り豚肉を買い、念入りに洗い、女たちの腕は水に浸って真っ赤になっている。煮上がると、こうしたものの上に箸を横七竪八に刺す。これで「福礼」と称する。五更に陳列し、香と蝋燭を灯して福神に召し上がっていただく。拝むのは男だけ。拝み終われば当然また爆竹を鳴らす。年年かくのごとく、家家かくのごとく――福礼や爆竹の類を買える家なら――今年も当然かくのごとし。 | ||
| + | |||
| + | 空はますます暗くなり、午後にはとうとう雪が降り出した。雪片は梅花ほどの大きさで、天いっぱいに舞い、煙霭と忙しげな気配に交じって魯鎮をごたごたに乱した。私が四叔の書斎に戻った時、瓦の上はもう真っ白で、部屋も明るく映り、壁に掛けた朱拓の大きな「寿」の字がはっきり見える。陳摶老祖の筆だ。一方の対聯はすでに剥がれ落ちてゆるく巻かれて長卓の上に置かれ、もう一方はまだ掛かっていて、「事理通達心気和平」とある。 | ||
| + | |||
| + | しかも昨日の祥林嫂に出会った事を思うと、安住できない。あれは午後のことで、町の東端を訪ねた帰りに河辺で出くわした。彼女の凝視する目線から、明らかに私に向かって来ているとわかった。五年前は半白だった髪はもう全白で、まるで四十前後の人には見えない。顔は痩せ削って黄に黒ずみ、以前の悲哀の神色も消えて、まるで木彫りのようだった。ただ眼球が時折動くのだけが、彼女がまだ生き物であることを示していた。一方の手に竹籠を提げ、中に破碗が一つ、空。もう一方の手に自分より長い竹竿を突き、下端は裂けている。彼女は明らかにもう完全な乞食だった。 | ||
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| + | 「帰ったのね」と彼女はまず聞いた。 | ||
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| + | 「ええ。」 | ||
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| + | 「ちょうどよかった。あなたは字の読める人で、旅に出た人で、物知りだ。ちょっと聞きたいことが――」彼女の精彩のなかった目が突然光った。 | ||
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| + | 「つまり――」彼女は二歩近づき、声を潜めて密かに言った。「人が死んだ後、果たして魂というものがあるのかないのか。」 | ||
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| + | 私は愕然とした。彼女の目が私を見据えるのを見て、背にも芒刺を受けたようだった。魂の有無は私自身一向に気にしたことがない。しかしこの瞬間、彼女にどう答えればよいのか。 | ||
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| + | 「たぶんあるでしょう――と思います。」私は口ごもりながら言った。 | ||
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| + | 「では地獄もあるの。」 | ||
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| + | 「地獄?――道理からすればあるべきでしょう。――しかし必ずしも、……誰がそんなことを管轄するものか……」 | ||
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| + | 「では死んだ家族は皆会えるの。」 | ||
| + | |||
| + | 私は自分がまだ完全に愚者であることを知った。口ごもった挙句の答えは――「実のところ、魂があるかないか、私にもわかりません。」 | ||
| − | + | 彼女が問いを重ねぬ隙に、足早に四叔の家に逃げ帰った。 | |
| − | + | 翌日も、陰鬱な雪空の下、無聊な書斎で、不安はいよいよ強まった。果たして特別な事態が始まった。夕方、奥の間で何人かが話し合っているのが聞こえ、やがて四叔が歩きながら大声で言った。「早くもなく遅くもなく、よりによってこの時に――これこそ謬種というものだ!」 | |
| − | + | 「四老爺は誰にお怒りで?」と私は短工に聞いた。 | |
| − | + | 「祥林嫂じゃないですか。」短工は簡潔に答えた。 | |
| − | + | 「祥林嫂が?どうした?」 | |
| − | + | 「亡くなったんです。」 | |
| − | + | 「いつ死んだ?」 | |
| − | + | 「いつって――昨夜か、今日か。――はっきりしません。」 | |
| − | + | 「どうして死んだ?」 | |
| − | + | 「どうしてって――貧乏で死んだんですよ。」彼は淡然と答え、終始頭を上げなかった。 | |
| − | + | 彼女は魯鎮の人ではなかった。ある年の冬の初め、四叔の家が女中を替えることになり、仲介の衛婆さんが彼女を連れてきた。頭に白い紐を巻き、黒い裙に藍の挾袄、月白の背心。年は二十六、七くらいで、顔色は青黄色だが両頬にはまだ赤みがあった。衛婆さんは彼女を祥林嫂と呼び、実家の隣で、亭主を亡くしたから働きに出たのだと言った。試用期間中、彼女は終日働き、暇だと退屈するようで、力もあり、男一人分の働きをした。 | |
| − | + | しかし新年が過ぎた頃、彼女は河辺で米を研いで帰る途中、突然顔色を変え、対岸に夫の家の堂伯らしき男が徘徊しているのを遠くに見たと言った。おそらく彼女を捜しに来たのだ。四叔は眉を顰め、「これはまずい。逃げ出してきたのかもしれない」と言った。 | |
| − | + | 彼女はやがて連れ去られ、山奥の男のもとに嫁がされた。しかしその男も死に、子供も狼に食われ、彼女は再び魯鎮に戻ってきた。しかし二度目の彼女は以前とは変わっていた。同じ話を何度も繰り返し、人々は最初は同情したが、やがて飽き飽きして嘲笑するようになった。 | |
| − | + | 額に傷がある。彼女は土地廟で門檻を買って寄進し、これで罪を贖えると信じた。しかし祝福の時、四嬸に祭器に触るなと言われた。彼女はそれ以来完全に打ちのめされた。 | |
| − | + | 冬至の雪の夜、私は独り菜油灯の黄色い光の下に座って思った。この百事無聊の祥林嫂、塵芥の山に棄てられた見飽きた古い玩具。魂の有無は私にはわからない。しかしこの世では、生きることに倦んだ者が生きず、見飽きた者が見ずにすむのは、人のためにも己のためにも悪くはない。窓外の雪花の瑟瑟と鳴るような音を聞きながら、反って次第に心が晴れてきた。 | |
| − | + | 遠くでは祝福の爆竹が、近くでは爆竹が、豆のようにぱちぱちと一団になって鳴り、空気の中に幽かな火薬の香りが漂っていた。 | |
| − | |||
=== 第2節 === | === 第2節 === | ||
| − | + | 私が愛するのは、あまりに多くの道徳を持たぬ者だ。一つの道徳は二つよりも多い。なぜなら、それはより多くの結び目であり、その上に運命が懸かるからだ。 | |
| + | |||
| + | 私が愛するのは、精神を浪費しても感謝せず、報いを求めぬ者だ。すなわち彼はただ贈与するのみで、貯め込もうとしない。 | ||
| + | |||
| + | 私が愛するのは、骰子が自分に有利に転がると恥じ入る者だ。その時彼は問う——「私は詐欺の賭博師ではないか?」と。すなわち彼は没落を欲するのだ。 | ||
| + | |||
| + | 私が愛するのは、自らの行為の前に金言を撒き、約束したよりも常に多くを為す者だ。すなわち彼は自らの没落を欲するのだ。 | ||
| + | |||
| + | 私が愛するのは、来たるべきものを正し、かつ過ぎ去ったものを償う者だ。すなわち彼は現在を超えて没落を欲するのだ。 | ||
| + | |||
| + | 私が愛するのは、自分の神を懲罰する者だ、自分の神を愛するがゆえに。すなわち彼は自分の神の怒りのために没落せねばならない。 | ||
| + | |||
| + | 私が愛するのは、傷を受けてもなお魂が深く、小さな出来事のためにも没落し得る者だ。かくして彼は喜んで橋を渡るのだ。 | ||
| + | |||
| + | 私が愛するのは、魂がひどく充満して自分を忘れ、すべてのものが彼の中にある者だ。かくしてすべてのものが彼の没落となる。 | ||
| + | |||
| + | 私が愛するのは、自由な精神と自由な心を持つ者だ。かくして彼の頭はただ心の内臓に過ぎず、しかし心が彼を没落へと駆り立てるのだ。 | ||
| + | |||
| + | 私が愛するのは、あの一切——人間の上に懸かる暗雲から、重い水滴のように一滴一滴と落ちてくる者たちだ。彼は宣示する。「稲妻が来るぞ」と。そして宣示者として没落するのだ。 | ||
| + | |||
| + | 見よ、私は稲妻の宣示者、雲から来る重い一滴だ。だがこの稲妻こそ超人と名づけられる—— | ||
| + | |||
| + | 五 | ||
| + | |||
| + | ツァラトゥストラはこの言葉を語り終えて、また群衆を眺め、沈黙した。「彼らはここに立っている」と彼は心に語った。「彼らはここで笑っている。彼らは私を理解しない。私はこの耳に合う口ではないのだ。 | ||
| + | |||
| + | 彼らの耳をまず打ち砕いて、目で聴くことを学ばせねばならぬのか? 太鼓や街頭説教師のようにがらがら騒がねばならぬのか? それとも彼らはただ吃りを信ずるだけなのか? | ||
| + | |||
| + | 彼らには何か一つ、それによって高ぶっているものがある。その高ぶらせるものは何と呼ばれるか。それは教育と呼ばれ、これによって彼らは羊飼いに勝っているのだ。 | ||
| + | |||
| + | だから彼らは自分に対する『侮蔑』という言葉を聞くのを好まない。ならば私は彼らの高ぶりに語りかけよう。 | ||
| + | |||
| + | ならば私は彼らに最も侮蔑すべきことを語ろう。それが末人だ。」 | ||
| − | + | かくしてツァラトゥストラは群衆にこう語った。 | |
| − | + | 今こそ、人が自らの目的を立てるべき時だ。今こそ、人がその最高の希望の芽を蒔くべき時だ。 | |
| − | + | お前たちの土壌はまだ肥えている。だがお前たちの土壌もやがて痩せ衰え、もはやそこから高い木を生やすことはできなくなるだろう。 | |
| − | + | ああ!その時が来る。人はもはや自分の上に熱望の矢を射ることができず、弓の弦も響くことを忘れてしまうだろう! | |
| − | + | お前たちに言おう。人は自分の中に一片の混沌を持たねばならぬ、踊る星を生み出すために。お前たちに言おう。お前たちの中にはまだ混沌がある。 | |
| − | + | ああ!その時が来る。もはや何の星も生み出せなくなる時が。ああ!その時が来る。誰もが自分を侮蔑することすらできない、最も侮蔑すべき人間になる時が。 | |
| − | + | 見よ!お前たちに末人を示そう。 | |
| − | + | 「愛とは何だ! 創造とは何だ! 熱望とは何だ! 星とは何だ!」——末人はこう言って瞬きする。 | |
| − | |||
=== 第3節 === | === 第3節 === | ||
| − | + | 【ツァラトゥストラの序言 独 ニーチェ】 | |
| + | |||
| + | 一 | ||
| + | |||
| + | ツァラトゥストラは三十歳のとき、その故郷と故郷の湖を離れ、山中に入った。彼はそこで精神と孤独を享受し、十年の間倦むことがなかった。しかしついに彼の心は変わった——ある朝、彼は曙光とともに起き、太陽の前に進み出て、こう語りかけた。 | ||
| + | |||
| + | 「おお偉大なる星よ!もしおまえに照らされるものがなかったなら、おまえの幸福とは何であろう。 | ||
| + | |||
| + | 十年の間おまえはわが石窟に通い続けた。おまえの光とおまえの道は、もし私と、わが鷲とわが蛇がいなかったら、とうに倦み果てていたであろう。 | ||
| + | |||
| + | しかし我々は毎朝おまえを待ち、おまえの溢れるものを取り去り、そのゆえにおまえを祝福した。 | ||
| + | |||
| + | 見よ!私はわが智慧に飽き満ちた。あまりに多くの蜜を集めた蜜蜂のように、私は差し伸べられる手を待っているのだ。 | ||
| + | |||
| + | 私は贈り、分かちたい。人間の賢者がふたたびその愚を喜び、貧者がふたたびその富を喜ぶまで。 | ||
| + | |||
| + | ゆえに私は深みへと降りていかねばならぬ。おまえが夕べになすように、海の彼方に沈んでもなお下界に光輝を与えるように、おまえ、あまりに豊かなる星よ。 | ||
| + | |||
| + | 私は、おまえのように、沈まねばならぬ。これらの人々が呼ぶように、私はこの者たちのもとへ降りていくのだ。 | ||
| + | |||
| + | さらば祝福せよ、おまえ静かなる眼よ、最大の幸福を見ても妬まざるものよ。 | ||
| + | |||
| + | この杯を祝福せよ、溢れんとするこの杯を。水が金色に輝きながら湧き出で、至るところにおまえの歓びの反映を運ぶように。 | ||
| + | |||
| + | 見よ、この杯はまた空になろうとしている。ツァラトゥストラはまた人間になろうとしている。」 | ||
| + | |||
| + | ——こうしてツァラトゥストラの下降は始まった。 | ||
| + | |||
| + | 二 | ||
| + | |||
| + | ツァラトゥストラはひとり山を下った。誰も彼に出会わなかった。しかし森に入ったとき、彼の前に忽然ひとりの老人が立っていた。それは聖なる庵を離れて、森の中に木の根を探しに来た者であった。そこでこの老人はツァラトゥストラにこう語った。 | ||
| + | |||
| + | 「この旅人は私にとって見知らぬ者ではない。何年も前に彼はここを通り過ぎた。ツァラトゥストラという名であった。しかし彼は変わった。 | ||
| + | |||
| + | 以前おまえは灰を背負って山に登った。いま、おまえは火を携えて谷に下りようとするのか。放火犯の罰を恐れぬのか。 | ||
| + | |||
| + | そうだ、私はツァラトゥストラを見分ける。その眼は清浄であり、その口には厭わしいものは何も隠されていない。彼は踊り手のように歩いているではないか。 | ||
| + | |||
| + | ツァラトゥストラは変わった、ツァラトゥストラは子供になった、ツァラトゥストラは目覚めた者だ。おまえは眠れる者たちのところへ行って何をしようというのか。 | ||
| − | + | 海の中にいるように、おまえは孤独の中に生きていた。海もまたおまえを担っていた。おお、おまえは陸に上がろうというのか。おお、おまえはまた自分で自分の身体を引きずろうというのか。」 | |
| − | + | ツァラトゥストラは答えた。「私は人間を愛する。」 | |
| − | + | 「私がなぜ」と聖者は言った、「森と荒野に入ったのか。それは人間をあまりに愛したからではないか。 | |
| − | + | いま私は神を愛する。人間は愛さない。人間は私にとってあまりに不完全なものだ。人間への愛は私を台無しにするだろう。」 | |
| − | + | ツァラトゥストラは答えた。「私が愛と言ったのはどういう意味か。私は人間に贈り物をしようとしているのだ。」 | |
| − | + | 「彼らに何も与えるな」と聖者は言った、「むしろ彼らから少し取り、彼らとともに担え——それが彼らには最も心地よい。おまえにとってもいくらか心地よいならば。 | |
| − | + | もし彼らに与えようとするなら、施しより多くは与えるな。しかも彼らに乞わせよ。」 | |
| − | + | 「いや」とツァラトゥストラは答えた、「私は施しなどしない。私はそれほど貧しくはないのだ。」 | |
| − | + | 聖者はツァラトゥストラを笑い、こう言った。「では試してみよ、彼らがおまえの宝を受け入れるかどうか。彼らは孤独者を疑い、我々が贈り物のために来たなどとは信じない。 | |
| − | + | 我々の足音が彼らの街を通り過ぎると、あまりに寂しく響く。夜に寝床で一人の男が歩くのを聞けば、太陽が昇る前に、必ず自問する。この泥棒はどこへ行くのかと。 | |
| − | + | 人間のもとへ行くな、森にとどまれ。むしろ獣のもとへ行け。おまえはなぜ私のように——熊の群れの中の熊、鳥の群れの中の鳥になろうとしないのか。」 | |
| − | + | 「聖者は森で何をしているのか。」ツァラトゥストラは尋ねた。 | |
| − | + | 聖者は答えた。「私は歌を作り、そして歌う。歌を作れば、私は笑い、泣き、そして呟く。こうして私は神を讃える。 | |
| − | + | 歌い、笑い、泣き、呟いて、私は神を讃える、わが神を。しかしおまえは我々に何を贈り物としてくれるのか。」 | |
| − | + | ||
| + | ツァラトゥストラはこの言葉を聞いて、聖者に礼をし、そして言った。「おまえたちに何を差し上げられよう。ただ早く行かせてくれ、おまえたちからただ一つの無を持ち去るだけだから。」——そして二人は別れた、一人の老人と一人の男とが、二人の子供のように笑いながら。 | ||
| + | |||
| + | ツァラトゥストラがひとりになったとき、彼は心にこう語った。「こんなことがあり得るだろうか。この老聖者は森の中で、まだこのことを聞いていないのだ——神は死んだということを!」 | ||
| + | |||
| + | 三 | ||
| + | |||
| + | ツァラトゥストラが森に隣接する最も近い市場の町に来たとき、多くの群衆が市場に集まっているのを見た。それは告知があって、皆が綱渡り師を見ようとしていたからである。そこでツァラトゥストラはこう語った。 | ||
| + | |||
| + | 我はおまえたちに超人を教える。人間は超克されるべきものだ。おまえたちは人間を超克するために、これまで何をしたか。 | ||
| + | |||
| + | すべてのものはこれまで自己を超える何かを生み出してきた。しかるにおまえたちはこの大いなる潮の退潮となり、人間を超えるよりもむしろ獣に帰ろうとするのか。 | ||
| + | |||
| + | 猿は人間にとって何であるか。一つの笑いか、痛ましい恥辱にすぎない。人間も超人にとってはまさにそうだ。一つの笑いか、痛ましい恥辱にすぎない。 | ||
| + | |||
| + | おまえたちは虫けらから人間への道を歩んできた。おまえたちの中にはなお多くの部分が虫けらだ。かつておまえたちは猿であった。そして今もなお人間は、どの猿よりもいっそう猿なのだ。 | ||
| + | |||
| + | おまえたちの中で最も賢い者ですら、草木と幽霊の不調和な混合物にすぎない。だが私はおまえたちに草木や幽霊になれと教えるだろうか。 | ||
| + | |||
| + | 見よ、我はおまえたちに超人を教える。 | ||
| + | |||
| + | 超人は大地の意義である。おまえたちの意志よ、こう言え——超人こそ大地の意義でなければならぬと。 | ||
| + | |||
| + | 我はおまえたちに懇願する、わが兄弟たちよ、大地に忠実であれ。そして超世間的な望みを語る者を信ずるな。それは毒を盛る者だ、故意であろうとなかろうと。 | ||
| + | |||
| + | それは生命の侮蔑者であり、腐蝕者であり、自ら毒に冒された者だ。大地もまたこれらの者に倦んだ。彼らは去るべきである。 | ||
| + | |||
| + | かつて神への冒瀆は最大の冒瀆であった。しかし神は死んだ。この冒瀆もともに死んだ。いま最も恐るべきは大地への冒瀆であり、そして探究し得ぬものの内臓を大地の意義よりも尊重することである。 | ||
| + | |||
| + | かつて魂は肉体を傲然と見下した。その時この侮蔑は最高のものとされた——魂は肉体を痩せ衰え、恐ろしく、飢えたものにしようとした。こうすれば肉体と大地から脱れられると思ったのだ。 | ||
| + | |||
| + | ああ、この魂こそが痩せ衰え、恐ろしく、飢えたものであったのだ。残酷こそがこの魂の歓びであった。 | ||
| + | |||
| + | しかしおまえたち、わが兄弟たちよ、私に言え。おまえたちの肉体はおまえたちの魂について何と語るか。おまえたちの魂は貧困と汚穢と哀れなる自足ではないのか。 | ||
| + | |||
| + | まことに、人間は汚濁の流れである。人間はすでに海でなければならぬ。この汚濁の流れを受け入れて、なお穢れぬ海でなければならぬ。 | ||
| + | |||
| + | 見よ、我はおまえたちに超人を教える。これこそが海であり、この海の中にこそおまえたちの大いなる侮蔑は溶け入ることができるのだ。 | ||
| + | |||
| + | おまえたちが体験し得る最も偉大なるもの、それは大いなる侮蔑の時である。その時おまえたちの幸福のみならず、おまえたちの理性も道徳も厭わしくなる。 | ||
| + | |||
| + | その時おまえたちは言う。「わが幸福に何があるか。それはただ貧困と汚穢と哀れなる自足にすぎぬ。しかしわが幸福こそ存在そのものを正当化すべきなのだ。」 | ||
| + | |||
| + | その時おまえたちは言う。「わが理性に何があるか。それは獅子が食物を追うように智識を追い求めるか。それもただ貧困と汚穢と哀れなる自足にすぎぬ。」 | ||
| + | |||
| + | その時おまえたちは言う。「わが道徳に何があるか。それはまだ私を猛烈にしたことがない。わが善とわが悪に倦み果てた。すべてがただ貧困と汚穢と哀れなる自足にすぎぬ。」 | ||
| + | |||
| + | その時おまえたちは言う。「わが正義に何があるか。私は自分が猛火と炭であるとは思えない。しかし正義とは猛火と炭なのだ。」 | ||
| + | |||
| + | その時おまえたちは言う。「わが同情に何があるか。同情とは人間を愛する者が釘付けにされる十字架ではないか。しかしわが同情は磔刑ではない。」 | ||
| + | |||
| + | おまえたちはこのように語ったか。このように叫んだか。ああ、おまえたちがこのように叫ぶのを聞きたかった。 | ||
| + | |||
| + | おまえたちの罪がではなく——おまえたちの自己満足が天に向かって叫ぶのだ。おまえたちの罪におけるおまえたちの吝嗇が天に向かって叫ぶのだ。 | ||
| + | |||
| + | おまえたちを舌先で舐める稲妻はどこにあるか。おまえたちに種えつけられるべき狂気はどこにあるか。 | ||
| − | + | 見よ、我はおまえたちに超人を教える。これこそがこの稲妻であり、これこそがこの狂気なのだ—— | |
| − | + | ツァラトゥストラがこう語り終えたとき、群衆の中からひとりが叫んだ、「綱渡り師の話はもう十分だ。さあ見せてくれ!」そこで群衆はみなツァラトゥストラを笑った。しかしかの綱渡り師は、この言葉が自分に向けられたと思い、その技を始めた。 | |
| − | + | 四 | |
| − | + | しかしツァラトゥストラは群衆を注視して驚いた。そして彼はこう語った。 | |
| − | + | 「人間は一本の綱である。獣と超人との間に張られた綱——深淵の上に横たわる綱である。 | |
| − | + | 渡ることは危険であり、途上にあることも危険であり、振り返ることも危険であり、慄きつつ立ち止まることも危険である。 | |
| − | + | 人間に偉大なるものがあるとすれば、それは人間が橋であって目的ではないということだ。人間に愛すべきものがあるとすれば、それは人間が過渡であり沈落であるということだ。 | |
| − | + | 我は愛する、沈落する者として以外に生きることを欲せぬ者を。それもまた過渡する者だからだ。 | |
| − | + | 我は大いなる侮蔑者を愛する。なぜなら彼は大いなる崇拝者であり、彼岸への熱望の矢だからだ。 | |
| − | + | 我は愛する、星の彼方にまず根拠を求めて沈み犠牲となるのではなく、大地のために犠牲となる者を。大地がいつの日か超人のものとなるためにのみ。 | |
| − | + | 我は愛する、認識のためにのみ生き、超人がいつか来たるべきがために認識せんとする者を。かくして彼は自らの沈落を欲するのだ。 | |
| − | + | 我は愛する、超人のために家を建て、超人のために大地と動物と植物を準備し、そのために労働し発明する者を。かくして彼は自らの沈落を欲するのだ。 | |
| − | + | 我は愛する、自らの徳を愛する者を。なぜなら徳は沈落への意志であり、熱望の矢だからだ。 | |
| − | + | 我は愛する、自らの精神を一点も留保せず、精神のすべてを自らの徳のものとする者を。かくして彼は精神として橋を渡るのだ。 | |
| − | + | 我は愛する、自らの徳から自らの気質と運命を作り出す者を。かくして彼は自らの徳のために生きるか、もはや生きないかを欲するのだ。 | |
| − | + | 我は愛する、あまりに多くの徳を欲せぬ者を。一つの徳は二つよりも多い。なぜならそこには運命がぶら下がる結び目がより多くあるからだ。 | |
| − | + | 我は愛する、精神の浪費に感謝せず報いもせぬ者を。彼はただ贈与し、自らを蓄えることを欲せぬからだ。 | |
| − | + | 我は愛する、賽が自分に有利に転がれば恥じ入り、「私は詐欺的な賭博師ではないか」と問う者を。彼は自ら滅びようと欲するからだ。 | |
| − | + | 我は愛する、行為の前に金言を撒き、約束したよりもつねに多く果たす者を。彼は自らの沈落を欲するからだ。 | |
| − | |||
| − | + | 我は愛する、未来を正し過去を償う者を。彼は現在のゆえに滅びようと欲するからだ。 | |
| − | + | 我は愛する、自らの神を罰する者を。自らの神を愛するがゆえに。彼は自らの神の怒りのために滅びねばならぬからだ。 | |
| − | + | 我は愛する、傷ついてもなお魂が深く、些事のためにも滅び得る者を。かくして彼は喜んで橋を渡るのだ。 | |
| − | + | === 第4節 === | |
| − | + | 我は愛する、魂が充ち満ちて自己を忘れ、一切のものが彼のうちにある者を。かくして一切のものが彼の沈落となるのだ。 | |
| − | + | 我は愛する、自由なる精神と自由なる心の者を。かくして彼の頭はただ彼の心の臓腑にすぎず、しかし彼の心は彼を沈落へと駆り立てるのだ。 | |
| − | + | 我は愛する、人間の上に懸かる暗雲から重い水滴のように一滴ずつ落ちるすべての者を。彼は告げ知らせる、稲妻が来ると。そして告知者として滅びゆくのだ。 | |
| − | + | 見よ、我は稲妻の告知者であり、雲から来たる重い一滴だ。しかしこの稲妻こそ超人と名づけられる—— | |
| − | + | 五 | |
| − | |||
| − | + | ツァラトゥストラがこう語り終えたとき、ふたたび群衆を眺めて沈黙した。「彼らはここに立っている」と彼は心に語った、「彼らはここに立って笑っている。彼らは私を理解しない。私はこれらの耳に合う口ではないのだ。 | |
| − | + | 彼らに対してまず耳を打ち砕き、眼で聴くことを学ばせねばならぬのか。太鼓や辻説法師のように騒ぎ立てねばならぬのか。それとも彼らはただ口をもぐもぐさせる者しか信じないのか。 | |
| − | + | 彼らには何か誇るべきものがある。それを誇らしめるもの、何と呼ばれるか。教養と呼ばれる。それが彼らを牧羊児に勝たせる。 | |
| − | + | ゆえに彼らは自分への『侮蔑』という言葉を聞くことを好まない。ならば彼らの誇りに向かって語ろう。 | |
| − | + | ならば最も侮蔑すべきことを彼らに語ろう。それは末人のことだ。」 | |
| − | + | そこでツァラトゥストラは群衆にこう語った。 | |
| − | + | もはやその時だ。人間が自ら自己の目的を立てるべき時だ。もはやその時だ。人間がその最高の希望の萌芽を蒔くべき時だ。 | |
| − | + | おまえたちの土壌はまだ肥沃だ。しかしおまえたちの土壌もやがて痩せ衰え、もはやそこからは高い木は育たぬだろう。 | |
| − | |||
| − | + | ああ、この時が来るだろう。人間がもはや自分の上に熱望の矢を放つことなく、弓の弦もまた鳴ることを忘れた時が。 | |
| − | + | 我はおまえたちに言う。人間は一つの踊る星を生み出すために、自らの内に混沌を持たねばならぬ。我はおまえたちに言う。おまえたちの内にはまだ混沌がある。 | |
| − | + | === 第5節 === | |
| − | + | 一九二五年 | |
| − | + | 詩歌の敵 | |
| − | |||
| − | + | おとといの前のおとといに十度目の「詩児」との会見で、話の中で『文学週刊』に何か投稿してはどうかということになった。ひそかに思うに、もし文芸において詩歌・小説・評論のごとき偉大なる尊称でなければ、多少なりとも体裁を繕い尊称に相応しくせねばならないが、何気ない雑感の類に近いものならば、さぞ容易かろうと、ただちに承知した。その後二日遊んで、ただ粟を食むのみ。今夜ようやく机の前に座り、書く準備をしたが、案に相違して題目さえ思いつかない。筆を執って四方を見渡せば、右に一つの本棚、左に一つの衣装箱、前は壁、後ろも壁。いずれもいささかの霊感を与えてくれる気配がない。ここに至りて初めて知った——大難がすでに頭上に迫っていたのだと。 | |
| − | + | 幸い「詩児」から連想して詩に至ったが、不幸にも私は詩についてはまったくの門外漢であり、何か「義法」めいたことを講じようものなら、「魯般の門前で大斧を振り回す」の謗りを免れまい。思い出すに、以前一人の留学生に会ったことがある。大いに学問があるとのことであった。彼は我々に好んで洋語を話し、私をして何が何やらわからしめたが、しかし洋人に会うと常に中国語を話した。この記憶がふと一つの啓示を与えてくれた。私は『文学週刊』で拳闘について論じようと思い立った。詩については? 将来拳法の師匠に会ったときに改めて講じよう。しかし少し躊躇しているうちに、より妥当な思いつきが浮かんだ。かつて『学灯』——上海出版の『学灯』ではない——に載っていた春日一郎の文章を想起したのだ。そこでその題目をそのまま書き写した。『詩歌の敵』と。 | |
| − | + | あの文章の冒頭にはこうある。いかなる時代にも常に「反詩歌党」がいる。この一党を構成する分子は、一、想像力にのみ訴えかけるある種の芸術の魅力を感じるには、精神の烈しい拡張が最も肝要であるのに、すでにまったく拡張し得なくなった頑固なる知性主義者。二、自らかつて媚態をもって芸術の女神に身を捧げたが、ついに成功せず、一変して詩人を攻撃し報復を図る著作者。三、詩歌の熱烈なる感情の奔出は社会の道徳と平和を危うくすると考える、宗教的精神を懐いた人々。しかしこれは当然のこと—— | |
| − | + | === 第6節 === | |
| − | + | 王鋳。 | |
| − | + | (一九二五年一月十三日『京報副刊』所載。) | |
| − | |||
| − | + | 「忽然想到」附記 | |
| − | + | 私は一介の講師であり、教授にやや近い。江震亜先生の主張によれば、署名すべきでないようだ。しかし私もかつていくつかの偽名を使って文章を発表したことがあり、後に責任回避だと詰責された。しかもこの度はいくらか攻撃的な態度を帯びているので、結局署名した。ただし署名したのも本名ではない。しかし本名に近く、やはり講師の馬脚が露れる弊病があるが、致し方ない、こうするほかあるまい。また紛糾を避けるために一言声明しておかねばならない。すなわち、私が指摘した中国の古今の人物は一部分であり、他の多くの立派な古今の人物は含まれていない。しかしこう言ってしまうと、私の雑感はまことに最も無聊なものとなってしまう。あらゆる方面に配慮しようとすれば、このように自らを無価値なものに変えてしまうことができるのだ。 | |
| − | + | (一月十五日。) | |
| − | + | (一九二五年一月十六日『京報副刊』所載。) | |
| − | + | 咬嚼の余 | |
| − | + | (原文は『集外集』に見ゆ。ここでは省略す。) | |
| − | |||
| − | + | 【備考】 | |
| − | + | 「無聊の通信」 | |
| − | + | 伏園先生。 | |
| − | + | 先生が「青年愛読書十部」の募集広告を出されて以来、『京報副刊』にはこの類の無聊な通信が多く掲載されております。たとえば「青年婦女は『青年』に数えられるか否か」の類です。このように無聊な文章、このように単純な頭脳に、掲載の価値があるでしょうか。それに加えて、おとといの副刊には魯迅先生の『咬文嚼字』なる一文が載っていましたが、これもまた最も無聊な類であり、掲載の必要はありません。『京報副刊』の紙面は限られております。先生、それを大切にしてください。もっと価値ある文章を多く載せてください。募集の用紙を同封いたしますので、ご査収ください。 | |
| − | + | 十三、仲潜。 | |
| − | + | === 第7節 === | |
| − | + | 魯迅先生のあの『咬文嚼字』は、すでに二人の「潜」の字輩の先生が読んで不服としている。私は青年の中にもこの種の意見がまだ多いだろうと推察する。ならばこの文章は「陳腐な調子」ではないことがわかるだろう。あなたも言えるし、私も言える。私が言えばあなたも同意し、あなたが言えば彼もこれは言うまでもないと言う——それが陳腐な調子というものだ。魯迅先生のあの二つの主張は、真新しい頭脳を持つ青年界においてすら—— | |
| − | + | === 第8節 === | |
| − | === | ||
| − | + | ははは! わかった。魯迅先生はダーウィンやラッセル等の外国の書を読んで、梁啓超や胡適之等の中国の書を忘れてしまったのだ。さもなくば、なぜ中国の書は死んだものだなどと言うのか。もし中国の書が死んだものならば、なぜ老子・孔子・孟子・荀子の輩は、なおその著作を現在まで遺伝させているのか。 | |
| − | + | おい! 魯迅先生! | |
| − | + | === 第9節 === | |
| − | + | よろしい、魯迅先生は青年に中国の書を読むなと教えながら、青年に外国の書を読めとも教えている。魯迅先生が最も推尊する外国の書は、当然ながら人々の行為の模範でもある。外国の書を読んでから事を為せば、当然のこと胸に墨なきにあらず、学なく術なきにあらず。ただし魯迅先生に知っていただきたいのは、一国には一国の国情があり、一国には一国の歴史があるということだ。あなたは中国人であり、中国のために事を為そうとしているならば—— | |
| − | + | === 第10節 === | |
| − | + | 「『晨報』二十日掲載の開封の軍人が鉄塔で女学生を凌辱したという件について、以下の二事をもってそれがまったくの虚構であることを証明できる。 | |
| − | + | 一、鉄塔は城の北に位置し、中州大学および省会から一里にも満たず、女学生が登臨するからには、まったくの荒僻の地ではない。軍人が婦女を凌辱することは、わが国では本来よくあることであり、諱む必要はないが、決して—— | |
| − | === | + | |
| + | === 第11節 === | ||
| − | + | 今や謡言はすでに過ぎ去り、誰もが謡言の起源を追究している。二つの説がある。一つは軍界への憎しみから起こったというものだ。あの手紙を書いた私の師もまたその手紙の中でこう言っている。 | |
| − | + | 「近月来、開封にはたびたび根も葉もない謡言が起こっているが、その共通点を求めれば、いずれも軍に不利な—— | |
| − | + | === 第12節 === | |
| − | + | 先生、私は自分がどれほど煩悶せる青年であるか、どれほど孤独で苦しいか、などとは申しません。こうした無聊な形容詞は人の注意を引くどころか、かえって嫌悪を生むだけですから。私が切に先生にお伝えしたいのは、私はいま一人の導師を探しているということです。私が言う導師とは、毎日書物を講じて聞かせ、道徳……等を指し示してくれる人のことではなく、真実の人生観を与えてくれる人を探しているのです—— | |
| − | |||
=== 第13節 === | === 第13節 === | ||
| − | + | 第七節 ツァラトゥストラは、自らが群衆とあまりにも隔たりのあることを悟る。 | |
| − | |||
=== 第14節 === | === 第14節 === | ||
| − | + | 第八節 ツァラトゥストラは道化師に脅され、墓掘り人に嘲罵され、隠者に怨望される。墓掘り人(Totengräber)とは死体を埋葬する専門の人であり、劣悪な歴史家を指す。彼らは古いものを整理することしか知らず、未来への眼識を持たない。彼はツァラトゥストラを嫌忌するのみならず、綱渡り師をも嫌忌するが、ただ呪うことしかできない。老人もまた一種の信仰者であるが、林中の聖者とは全く異なり、施しをするばかりで生死を顧みない。 | |
| − | |||
=== 第15節 === | === 第15節 === | ||
| − | + | 第九節 ツァラトゥストラは新たな真理を得て、生きた仲間を求め、死体を葬り去ろうとする。我(ツァラトゥストラ)の幸福とは創造にほかならない。 | |
| − | |||
=== 第16節 === | === 第16節 === | ||
| − | + | 第十節 鷲と蛇がツァラトゥストラを導いて下山を開始させる。鷲と蛇はいずれも象徴である。蛇は聡明を表し、永遠回帰(Ewige Wiederkunft)を表す。鷲は高慢を表し、超人を表す。聡明と高慢が超人であり、愚昧と高慢が群衆である。そしてこの愚昧なる高慢は教養(Bildung)の結果である。 | |
| + | |||
| + | (一九二〇年六月、『新潮』第二巻第五号所載。) | ||
| − | |||
=== 第101節 === | === 第101節 === | ||
| − | + | 旧暦の年末はやはり最も年末らしい。村や町は言うまでもなく、空にさえ新年が近づく気配が漂っていた。灰白色の重い夕雲の間から時折閃光が走り、続いて鈍い音がする。竈送りの爆竹である。近くで燃やされたものはいっそう激しく、耳を聾する大音がまだ止まぬうちに、空気にはもう微かな火薬の香りが充満していた。私がこの夜、故郷の魯鎮に帰ったのは、まさにこの時であった。故郷とは言いながら、已に家はなく、ゆえにしばらく魯四老爺の屋敷に身を寄せるしかなかった。彼は私の一族で、私より一世代上、「四叔」と呼ぶべき人物で、理学を講ずる老監生であった。以前と大して変わりはなく、ただ少し老いただけだが、まだ髭は蓄えていなかった。会えばまず挨拶を交わし、挨拶の後には私が「太った」と言い、「太った」と言った後はすかさず新党を大いに罵った。しかし私は知っている。これは遠回しに私を罵っているのではない。彼が罵っているのは依然として康有為なのだ。しかし話はいずれにせよ合うはずもなく、そう長くもしないうちに、私一人が書斎に残されていた。 | |
| − | + | 翌日、私はひどく寝坊し、昼食の後、出かけて幾人かの親族や友人を訪ねた。三日目も同じであった。彼らもまた大して変わりはなく、ただ少し老いただけであった。家々は一様に忙しく、みな「祝福」の準備をしていた。これは魯鎮の年末の大典で、礼を尽くして福の神を迎え、来る年一年の幸運を祈るのである。鶏を殺し、鵝を屠り、豚肉を買い、心を込めて念入りに洗う。女たちの腕は水に浸かって真っ赤になり、中には捻り銀の腕輪をつけたままの者もいた。煮上がると、あちこちに箸を突き刺し、これを「福礼」と称する。五更に並べ、香と蝋燭を点して福の神をお招きし、召し上がっていただくのだが、拝むのは男だけで、拝み終われば当然また爆竹を鳴らす。年々こうして、家々こうして、——福礼と爆竹の類が買える限りは、——今年も当然こうであった。空はますます暗くなり、午後にはとうとう雪が降り出した。雪花は梅花ほどの大きさで、空一面に舞い、煙靄と忙しい気配に混じって、魯鎮を一団の混沌にしてしまった。私が四叔の書斎に戻った時、瓦の棟は已に真っ白で、部屋もいくらか明るく映り、壁に掛かった朱拓の大きな「壽」の字がくっきりと見えた。陳摶老祖の筆という。一方の対聯は已に剥がれ落ち、ゆるく巻かれて長卓の上に置かれており、一方はまだ掛かっていて、「事理通達心気和平」とあった。私はまた退屈しのぎに窓下の文机の上を繰ってみたが、見えたのは一揃い揃っているとも思えぬ『康煕字典』、一部の『近思録集注』、そして一部の『四書衬』だけだった。いずれにせよ、明日は断じて発つことにしよう。 | |
| − | + | しかも、昨日祥林嫂に出会ったことを思うと、なおさら安んじていられなかった。あれは午後のことで、鎮の東のはずれにいる友人を訪ねた帰り、河辺で彼女に出会った。しかもその見開いた目の視線から、明らかに私の方へ歩いて来るのだと分かった。この度、魯鎮で見かけた人々の中で、変わり様の甚だしさにおいて彼女に過ぐるものはなかった。五年前の白髪交じりの髪は、今では全くの白髪となり、四十前後とはとても見えなかった。顔は痩せこけ、黄ばんで黒ずみ、以前の悲哀の色さえ消え果てて、まるで木彫りのようであった。ただあの眼球が時折くるりと動くのだけが、彼女がまだ生き物であることを示していた。片手に竹籠を提げ、中に破れた碗が一つ、空であった。もう一方の手で、彼女よりも長い竹の杖をつき、下の端は裂けていた。彼女は明らかに、もはや純然たる乞食であった。 | |
| − | |||
=== 第102節 === | === 第102節 === | ||
| − | + | 私は立ち止まって、彼女が金を無心に来るのに備えた。 | |
| − | + | 「お帰りですか?」彼女はまずこう尋ねた。 | |
| − | + | 「ええ。」 | |
| − | + | 「ちょうどよかった。あなたは字が読めるし、外にも出ている方だから、見聞も広い。ちょうどお聞きしたいことがあるんです——」彼女の精気のない目が突然輝いた。 | |
| − | + | 彼女がこのようなことを言い出そうとは、全く予想もしなかった。私は驚いて佇んでいた。 | |
| − | + | 「つまり——」彼女は二歩近づき、声を落として、甚だ秘密めいた様子でせわしなく言った。「人が死んだ後、いったい魂というものはあるんでしょうか、ないんでしょうか?」 | |
| − | + | 私はぎくりとした。彼女の目が私を釘付けにしているのを見て、背中にも芒の刺が突き立ったようで、学校で不意打ちの試験に遭い、しかも教師がすぐ傍に立っている時よりも、遥かに狼狽した。魂の有無について、私自身はもとより毫も介意したことがない。しかしこの時、彼女にどう答えたものか。極めて短い躊躇の中で考えた。ここの人々は通例、鬼を信じている。しかし彼女は疑っている、——いや、あるいは希望していると言った方がよい。その有ることを希望し、また無きことを希望している……。窮途の人の苦悩をわざわざ増すこともあるまい。彼女のためを思えば、あると言った方がよい。 | |
| − | + | 「たぶんあるでしょう、——と思います。」私はしどろもどろに言った。 | |
| − | + | 「では、地獄もあるんですか?」 | |
| − | + | 「ああ! 地獄?」私はひどく驚き、しどろもどろに言うしかなかった。「地獄?——道理から言えば、あるはずですが。——しかし必ずしも、……誰がそんなことを……。」 | |
| − | + | 「では、死んだ一家の者は、みな会えるんですか?」 | |
| − | + | 「ああ、会えるか会えないか……」この時、私は自分がやはりまるきり愚か者であると悟った。どんな躊躇も、どんな計略も、三つの問いには太刀打ちできない。私はたちまち怯んで、先ほどの言葉を全部ひっくり返したくなった。「それは……実のところ、私にはよく分かりません……。そもそも、魂があるかないか、私にも分からないのです。」 | |
| − | + | 彼女がこれ以上矢継ぎ早に問わぬうちに、私は足を速めて立ち去り、慌てて四叔の家に逃げ帰った。心中甚だ穏やかではなかった。自分で思った、この答えは彼女にとっていくらか危険かもしれない、と。彼女はおそらく、他の人々の祝福の時に、わが身の孤独を感じたのだろう。しかし他に何か含意があったのだろうか。——あるいは何かの予感があったのか。もし他の含意があり、そのために何か別のことが起こったならば、私の答えにはいくばくかの責任がある……。しかし後からまた自嘲した。偶然の出来事に深い意味などあるものか、殊更に穿鑿するのは、教育者が神経症だと言うのも無理はない。しかも明らかに「よく分かりません」と言ったのだから、答えの全体を已に覆したのであり、たとえ何が起ころうと、私には無関係なのだ。 | |
| − | + | 「分かりません」とは極めて有用な言葉である。世知らずの勇敢な若者は、しばしば敢えて人に疑問を解いてやり、医者を選んでやり、万一結果が悪ければ、かえって恨みの的となる。しかしこの「分かりません」で結べば、万事安泰である。私はこの時、この一言の必要をいよいよ痛感した。たとえ物乞いの女と話す時でも、万万省いてはならぬのだ。 | |
| − | + | しかし私はどうしても不安で、一夜を過ごしてもなお時々思い出した。何か不吉な予感を抱いているかのように。陰鬱な雪の日に、退屈な書斎にあって、この不安はいよいよ強まった。いっそ出発しよう、明日は城に入ろう。福興楼の清燉魚翅は一元で一大皿、安くて旨いが、今は値上がりしたかどうか。昔ともに遊んだ友人たちは已に散り散りになったが、魚翅は食べないわけにはいかぬ。たとえ私一人であっても……。いずれにせよ、明日は断じて発つことにしよう。 | |
| − | + | 私はいつも、但願くは予想通りでなかれと思い、まさか予想通りではあるまいと思ったことが、往々にしてまさに予想通りになるのを見てきたから、今度もそうなるのではないかと恐れた。果たして、特別な事態が始まった。夕方、私は奥の部屋で何人かが話し合っているのを聞いた。何かを議論しているようだったが、やがて話し声は止み、ただ四叔が歩きながら声高に言うのだけが聞こえた。 | |
| − | + | 「早くもなく遅くもなく、よりによってこの時に、——こういうのを謬種と言うのだ!」 | |
| − | + | 私は初め訝り、次いで甚だ不安になった。この言葉は私に関係があるように思えた。戸口の外を窺ったが、誰もいなかった。ようやく夕食前に彼らの下男が茶を淹れに来た時、ようやく消息を聞き出す機会を得た。 | |
| − | + | 「先ほど、四老爺は誰にお怒りだったんですか?」私は尋ねた。 | |
| − | + | 「祥林嫂のことですよ。」下男はぶっきらぼうに言った。 | |
| − | + | 「祥林嫂? どうしたんですか?」私はさらに急いで尋ねた。 | |
| − | + | 「年を取った。」 | |
| − | + | 「死んだんですか?」私の心臓がぎゅっと縮み、ほとんど飛び上がりそうになった。顔色もおそらく変わっただろう。しかし彼は終始顔を上げなかったので、全く気づかなかった。私も自分を落ち着かせ、続けて尋ねた。 | |
| − | + | 「いつ死んだんですか?」 | |
| − | + | 「いつって?——昨夜か、それとも今日かな。——よく分かりません。」 | |
| − | + | 「どうして死んだんですか?」 | |
| − | + | 「どうしてって?——窮死に決まっているじゃないですか。」彼は淡々と答え、やはり顔を上げて私を見ようともせず、出て行った。 | |
| − | |||
=== 第103節 === | === 第103節 === | ||
| − | + | しかし私の驚愕はほんの一時のことにすぎず、すぐに来るべきことはすでに過ぎ去ったと感じ、自分の「わかりません」や彼のいわゆる「貧乏で死んだ」という慰めに頼る必要もなく、心はしだいに軽くなっていった。ただ時折、まだいくらかの負い目を感じるようではあった。夕食が並べられ、四叔がいかめしく付き合った。私も祥林嫂のことをもう少し聞きたかったが、彼は「鬼神とは二気の良能なり」を読んだことがあるとはいえ、忌み事はやはりはなはだ多く、祝福の近づく頃には、死や病のたぐいの話は決して口にしてはならないのだった。やむを得ない場合は、ある種の隠語で代用すべきであるが、あいにく私にはそれがわからず、何度も尋ねようとしては結局やめてしまった。彼のいかめしい顔色から、ふと私が早くもなく遅くもなく、よりによってこの時に来て彼を煩わせるのは、やはり愚か者だと思っているのではないかと疑い、すぐさま明日魯鎮を離れて町へ行くと告げ、早々に彼の心を安めた。彼もさほど引き留めなかった。こうして悶々と一食を終えた。 | |
| − | + | 冬は日が短く、しかも雪の日で、夜の帳はすでに町全体を覆っていた。人々は灯の下で忙しく立ち働いていたが、窓の外はしんと静まり返っていた。雪が厚く積もった雪の褥の上に降りかかり、ささやくような音を立てているようで、いっそう深い静寂を感じさせた。私は菜種油の灯の黄色い光の下に独り座り、思った——この何の楽しみもない祥林嫂は、人々に塵芥の山の中に棄てられた、見飽きられた古い玩具であり、以前はまだその骸を塵芥の中に晒していたが、生きることを楽しんでいる人々から見れば、なぜまだ存在しているのかと怪しまれたことであろう。今やようやく無常に掃除されてすっかりきれいになった。魂があるのかないのか、私にはわからない。しかしこの現世においては、生きる甲斐のない者が生きず、見るに厭う者が見ずに済むならば、人のためにも己のためにも、まあ悪くはないだろう。窓の外のささやくように響く雪の音を静かに聞きながら考えていると、かえってしだいに心安らかになってくるのだった。 | |
| − | + | しかし以前見聞きした彼女の半生の断片的な出来事が、ここに至ってひとつに繋がったのだった。 | |
| − | |||
=== 第104節 === | === 第104節 === | ||
| − | + | 彼女は魯鎮の人ではなかった。ある年の初冬、四叔の家で女中を替えることになり、仲介人の衛婆さんが彼女を連れてきた。頭には白い頭巾紐を結び、黒い裙に、藍の袷の上着、月白の胴着を着け、年の頃は二十六、七で、顔色は青黄色だったが、両頬にはまだ赤みがあった。衛婆さんは彼女を祥林嫂と呼び、自分の実家の隣人で、亭主に死なれたので奉公に出たのだと言った。四叔は眉をひそめたが、四嬸はすでにその意を察していた——寡婦であることを嫌がっているのだ。しかし見たところ容貌はまだ整っており、手足もたくましく、ただ目を伏せて一言も口をきかず、いかにも分をわきまえた辛抱強い人のようだったので、四叔の眉のひそめるのには構わず、彼女を留めた。試用期間中、彼女は一日中働き、暇でいると退屈してならないようで、しかも力があり、一人でまるきり男一人分の仕事をこなしたので、三日目には正式に決まり、月の給金は五百文であった。 | |
| − | + | 誰もが彼女を祥林嫂と呼んだ。姓は何かと訊ねる者もなかったが、仲介人は衛家山の人で、隣人だというのだから、おそらく衛姓だろう。彼女はあまり話すのが好きでなく、人に訊かれてやっと答え、答えも少なかった。十数日たってようやく少しずつわかったのは、家にはまだ厳しい姑がいること、小さな義弟が一人いて、十歳あまりで、もう薪を採れること、彼女は春に亭主に死なれたこと、亭主もまた薪採りを生業とし、彼女より十歳若かったこと——皆が知っているのはこれだけだった。 | |
| − | + | 日々はたちまち過ぎ、彼女の働きぶりは少しも衰えず、食べ物は何でもよく、力は惜しまなかった。人々は皆、魯四旦那の家の女中は、勤勉な男よりもなお勤勉だと言った。年末になり、煤払い、床洗い、鶏を殺し、鵞鳥をつぶし、徹夜で祝福の供物を煮るのも、すべて一人で引き受け、臨時の手伝いを雇う必要もなかった。それなのに彼女はかえって満足そうで、口元にはしだいに笑みが浮かび、顔も白くふっくらとしてきた。 | |
| − | |||
=== 第105節 === | === 第105節 === | ||
| − | + | 私はすぐ近くで激しく鳴り響く爆竹の音に目を覚まし、豆粒ほどの黄色い灯火の光が見え、続いてぱちぱちと鳴る爆竹が聞こえた。四叔の家がまさに「祝福」の最中なのだ。五更が近いと知った。朦朧としたなかで、遠くの爆竹の音が途切れなく連なり、あたかも一天に響きわたる音の濃い雲と化し、くるくると舞い踊る雪花をはさんで、町全体を抱擁しているかのようであった。この盛んな響きの抱擁のなかで、私もまた物憂くそして心地よく、白昼から宵のうちまでの疑念は、祝福の空気にすっかり一掃されて、ただ天地の神々が供え物の犠牲と線香の煙を享けて、みな酔いしれてそぞろ歩きしながら、魯鎮の人々に限りない幸福を授けようとしているのだと感じるばかりであった。 | |
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| + | (一九二四年二月七日。) | ||
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対訳: ZH-EN · ZH-DE · ZH-FR · ZH-ES · ZH-IT · ZH-RU · ZH-AR · ZH-HI · ZH-JA · ← 目次
祝福 (祝福)
魯��� (ルーシュン, 1881-1936)
中国語からの日本語翻訳。
第1節
祝福
旧暦の年末はやはり一番年末らしい。村や町は言うまでもなく、空にもまもなく新年を迎える気配が現れている。灰白色の重い夕雲の間から時折閃光が走り、続いて鈍い音がする。竈神送りの爆竹だ。近くで打ち上げるものはさらに激しく、震耳の大音がまだ止まぬうちに、空気はすでにかすかな火薬の香りに満ちている。私がこの夜に故郷の魯鎮に帰ったのは、まさにこの時である。故郷とはいえもう家はないから、やむなく魯四老爺の屋敷にしばらく寄寓するしかなかった。彼は私の本家で、一輩上にあたるから「四叔」と呼ぶべき人物で、理学を講じる老監生である。
第二日は遅く起き、午後から本家や友人を数人訪ね、第三日も同様だった。皆さほどの変化はなく、ただ老いたのみ。しかし家々は一律に忙しく、「祝福」の準備をしている。これは魯鎮の年末の大典で、敬礼を尽くして福神を迎え、来年一年の幸運を祈る。鶏を殺し鵞鳥を屠り豚肉を買い、念入りに洗い、女たちの腕は水に浸って真っ赤になっている。煮上がると、こうしたものの上に箸を横七竪八に刺す。これで「福礼」と称する。五更に陳列し、香と蝋燭を灯して福神に召し上がっていただく。拝むのは男だけ。拝み終われば当然また爆竹を鳴らす。年年かくのごとく、家家かくのごとく――福礼や爆竹の類を買える家なら――今年も当然かくのごとし。
空はますます暗くなり、午後にはとうとう雪が降り出した。雪片は梅花ほどの大きさで、天いっぱいに舞い、煙霭と忙しげな気配に交じって魯鎮をごたごたに乱した。私が四叔の書斎に戻った時、瓦の上はもう真っ白で、部屋も明るく映り、壁に掛けた朱拓の大きな「寿」の字がはっきり見える。陳摶老祖の筆だ。一方の対聯はすでに剥がれ落ちてゆるく巻かれて長卓の上に置かれ、もう一方はまだ掛かっていて、「事理通達心気和平」とある。
しかも昨日の祥林嫂に出会った事を思うと、安住できない。あれは午後のことで、町の東端を訪ねた帰りに河辺で出くわした。彼女の凝視する目線から、明らかに私に向かって来ているとわかった。五年前は半白だった髪はもう全白で、まるで四十前後の人には見えない。顔は痩せ削って黄に黒ずみ、以前の悲哀の神色も消えて、まるで木彫りのようだった。ただ眼球が時折動くのだけが、彼女がまだ生き物であることを示していた。一方の手に竹籠を提げ、中に破碗が一つ、空。もう一方の手に自分より長い竹竿を突き、下端は裂けている。彼女は明らかにもう完全な乞食だった。
「帰ったのね」と彼女はまず聞いた。
「ええ。」
「ちょうどよかった。あなたは字の読める人で、旅に出た人で、物知りだ。ちょっと聞きたいことが――」彼女の精彩のなかった目が突然光った。
「つまり――」彼女は二歩近づき、声を潜めて密かに言った。「人が死んだ後、果たして魂というものがあるのかないのか。」
私は愕然とした。彼女の目が私を見据えるのを見て、背にも芒刺を受けたようだった。魂の有無は私自身一向に気にしたことがない。しかしこの瞬間、彼女にどう答えればよいのか。
「たぶんあるでしょう――と思います。」私は口ごもりながら言った。
「では地獄もあるの。」
「地獄?――道理からすればあるべきでしょう。――しかし必ずしも、……誰がそんなことを管轄するものか……」
「では死んだ家族は皆会えるの。」
私は自分がまだ完全に愚者であることを知った。口ごもった挙句の答えは――「実のところ、魂があるかないか、私にもわかりません。」
彼女が問いを重ねぬ隙に、足早に四叔の家に逃げ帰った。
翌日も、陰鬱な雪空の下、無聊な書斎で、不安はいよいよ強まった。果たして特別な事態が始まった。夕方、奥の間で何人かが話し合っているのが聞こえ、やがて四叔が歩きながら大声で言った。「早くもなく遅くもなく、よりによってこの時に――これこそ謬種というものだ!」
「四老爺は誰にお怒りで?」と私は短工に聞いた。
「祥林嫂じゃないですか。」短工は簡潔に答えた。
「祥林嫂が?どうした?」
「亡くなったんです。」
「いつ死んだ?」
「いつって――昨夜か、今日か。――はっきりしません。」
「どうして死んだ?」
「どうしてって――貧乏で死んだんですよ。」彼は淡然と答え、終始頭を上げなかった。
彼女は魯鎮の人ではなかった。ある年の冬の初め、四叔の家が女中を替えることになり、仲介の衛婆さんが彼女を連れてきた。頭に白い紐を巻き、黒い裙に藍の挾袄、月白の背心。年は二十六、七くらいで、顔色は青黄色だが両頬にはまだ赤みがあった。衛婆さんは彼女を祥林嫂と呼び、実家の隣で、亭主を亡くしたから働きに出たのだと言った。試用期間中、彼女は終日働き、暇だと退屈するようで、力もあり、男一人分の働きをした。
しかし新年が過ぎた頃、彼女は河辺で米を研いで帰る途中、突然顔色を変え、対岸に夫の家の堂伯らしき男が徘徊しているのを遠くに見たと言った。おそらく彼女を捜しに来たのだ。四叔は眉を顰め、「これはまずい。逃げ出してきたのかもしれない」と言った。
彼女はやがて連れ去られ、山奥の男のもとに嫁がされた。しかしその男も死に、子供も狼に食われ、彼女は再び魯鎮に戻ってきた。しかし二度目の彼女は以前とは変わっていた。同じ話を何度も繰り返し、人々は最初は同情したが、やがて飽き飽きして嘲笑するようになった。
額に傷がある。彼女は土地廟で門檻を買って寄進し、これで罪を贖えると信じた。しかし祝福の時、四嬸に祭器に触るなと言われた。彼女はそれ以来完全に打ちのめされた。
冬至の雪の夜、私は独り菜油灯の黄色い光の下に座って思った。この百事無聊の祥林嫂、塵芥の山に棄てられた見飽きた古い玩具。魂の有無は私にはわからない。しかしこの世では、生きることに倦んだ者が生きず、見飽きた者が見ずにすむのは、人のためにも己のためにも悪くはない。窓外の雪花の瑟瑟と鳴るような音を聞きながら、反って次第に心が晴れてきた。
遠くでは祝福の爆竹が、近くでは爆竹が、豆のようにぱちぱちと一団になって鳴り、空気の中に幽かな火薬の香りが漂っていた。
第2節
私が愛するのは、あまりに多くの道徳を持たぬ者だ。一つの道徳は二つよりも多い。なぜなら、それはより多くの結び目であり、その上に運命が懸かるからだ。
私が愛するのは、精神を浪費しても感謝せず、報いを求めぬ者だ。すなわち彼はただ贈与するのみで、貯め込もうとしない。
私が愛するのは、骰子が自分に有利に転がると恥じ入る者だ。その時彼は問う——「私は詐欺の賭博師ではないか?」と。すなわち彼は没落を欲するのだ。
私が愛するのは、自らの行為の前に金言を撒き、約束したよりも常に多くを為す者だ。すなわち彼は自らの没落を欲するのだ。
私が愛するのは、来たるべきものを正し、かつ過ぎ去ったものを償う者だ。すなわち彼は現在を超えて没落を欲するのだ。
私が愛するのは、自分の神を懲罰する者だ、自分の神を愛するがゆえに。すなわち彼は自分の神の怒りのために没落せねばならない。
私が愛するのは、傷を受けてもなお魂が深く、小さな出来事のためにも没落し得る者だ。かくして彼は喜んで橋を渡るのだ。
私が愛するのは、魂がひどく充満して自分を忘れ、すべてのものが彼の中にある者だ。かくしてすべてのものが彼の没落となる。
私が愛するのは、自由な精神と自由な心を持つ者だ。かくして彼の頭はただ心の内臓に過ぎず、しかし心が彼を没落へと駆り立てるのだ。
私が愛するのは、あの一切——人間の上に懸かる暗雲から、重い水滴のように一滴一滴と落ちてくる者たちだ。彼は宣示する。「稲妻が来るぞ」と。そして宣示者として没落するのだ。
見よ、私は稲妻の宣示者、雲から来る重い一滴だ。だがこの稲妻こそ超人と名づけられる——
五
ツァラトゥストラはこの言葉を語り終えて、また群衆を眺め、沈黙した。「彼らはここに立っている」と彼は心に語った。「彼らはここで笑っている。彼らは私を理解しない。私はこの耳に合う口ではないのだ。
彼らの耳をまず打ち砕いて、目で聴くことを学ばせねばならぬのか? 太鼓や街頭説教師のようにがらがら騒がねばならぬのか? それとも彼らはただ吃りを信ずるだけなのか?
彼らには何か一つ、それによって高ぶっているものがある。その高ぶらせるものは何と呼ばれるか。それは教育と呼ばれ、これによって彼らは羊飼いに勝っているのだ。
だから彼らは自分に対する『侮蔑』という言葉を聞くのを好まない。ならば私は彼らの高ぶりに語りかけよう。
ならば私は彼らに最も侮蔑すべきことを語ろう。それが末人だ。」
かくしてツァラトゥストラは群衆にこう語った。
今こそ、人が自らの目的を立てるべき時だ。今こそ、人がその最高の希望の芽を蒔くべき時だ。
お前たちの土壌はまだ肥えている。だがお前たちの土壌もやがて痩せ衰え、もはやそこから高い木を生やすことはできなくなるだろう。
ああ!その時が来る。人はもはや自分の上に熱望の矢を射ることができず、弓の弦も響くことを忘れてしまうだろう!
お前たちに言おう。人は自分の中に一片の混沌を持たねばならぬ、踊る星を生み出すために。お前たちに言おう。お前たちの中にはまだ混沌がある。
ああ!その時が来る。もはや何の星も生み出せなくなる時が。ああ!その時が来る。誰もが自分を侮蔑することすらできない、最も侮蔑すべき人間になる時が。
見よ!お前たちに末人を示そう。
「愛とは何だ! 創造とは何だ! 熱望とは何だ! 星とは何だ!」——末人はこう言って瞬きする。
第3節
【ツァラトゥストラの序言 独 ニーチェ】
一
ツァラトゥストラは三十歳のとき、その故郷と故郷の湖を離れ、山中に入った。彼はそこで精神と孤独を享受し、十年の間倦むことがなかった。しかしついに彼の心は変わった——ある朝、彼は曙光とともに起き、太陽の前に進み出て、こう語りかけた。
「おお偉大なる星よ!もしおまえに照らされるものがなかったなら、おまえの幸福とは何であろう。
十年の間おまえはわが石窟に通い続けた。おまえの光とおまえの道は、もし私と、わが鷲とわが蛇がいなかったら、とうに倦み果てていたであろう。
しかし我々は毎朝おまえを待ち、おまえの溢れるものを取り去り、そのゆえにおまえを祝福した。
見よ!私はわが智慧に飽き満ちた。あまりに多くの蜜を集めた蜜蜂のように、私は差し伸べられる手を待っているのだ。
私は贈り、分かちたい。人間の賢者がふたたびその愚を喜び、貧者がふたたびその富を喜ぶまで。
ゆえに私は深みへと降りていかねばならぬ。おまえが夕べになすように、海の彼方に沈んでもなお下界に光輝を与えるように、おまえ、あまりに豊かなる星よ。
私は、おまえのように、沈まねばならぬ。これらの人々が呼ぶように、私はこの者たちのもとへ降りていくのだ。
さらば祝福せよ、おまえ静かなる眼よ、最大の幸福を見ても妬まざるものよ。
この杯を祝福せよ、溢れんとするこの杯を。水が金色に輝きながら湧き出で、至るところにおまえの歓びの反映を運ぶように。
見よ、この杯はまた空になろうとしている。ツァラトゥストラはまた人間になろうとしている。」
——こうしてツァラトゥストラの下降は始まった。
二
ツァラトゥストラはひとり山を下った。誰も彼に出会わなかった。しかし森に入ったとき、彼の前に忽然ひとりの老人が立っていた。それは聖なる庵を離れて、森の中に木の根を探しに来た者であった。そこでこの老人はツァラトゥストラにこう語った。
「この旅人は私にとって見知らぬ者ではない。何年も前に彼はここを通り過ぎた。ツァラトゥストラという名であった。しかし彼は変わった。
以前おまえは灰を背負って山に登った。いま、おまえは火を携えて谷に下りようとするのか。放火犯の罰を恐れぬのか。
そうだ、私はツァラトゥストラを見分ける。その眼は清浄であり、その口には厭わしいものは何も隠されていない。彼は踊り手のように歩いているではないか。
ツァラトゥストラは変わった、ツァラトゥストラは子供になった、ツァラトゥストラは目覚めた者だ。おまえは眠れる者たちのところへ行って何をしようというのか。
海の中にいるように、おまえは孤独の中に生きていた。海もまたおまえを担っていた。おお、おまえは陸に上がろうというのか。おお、おまえはまた自分で自分の身体を引きずろうというのか。」
ツァラトゥストラは答えた。「私は人間を愛する。」
「私がなぜ」と聖者は言った、「森と荒野に入ったのか。それは人間をあまりに愛したからではないか。
いま私は神を愛する。人間は愛さない。人間は私にとってあまりに不完全なものだ。人間への愛は私を台無しにするだろう。」
ツァラトゥストラは答えた。「私が愛と言ったのはどういう意味か。私は人間に贈り物をしようとしているのだ。」
「彼らに何も与えるな」と聖者は言った、「むしろ彼らから少し取り、彼らとともに担え——それが彼らには最も心地よい。おまえにとってもいくらか心地よいならば。
もし彼らに与えようとするなら、施しより多くは与えるな。しかも彼らに乞わせよ。」
「いや」とツァラトゥストラは答えた、「私は施しなどしない。私はそれほど貧しくはないのだ。」
聖者はツァラトゥストラを笑い、こう言った。「では試してみよ、彼らがおまえの宝を受け入れるかどうか。彼らは孤独者を疑い、我々が贈り物のために来たなどとは信じない。
我々の足音が彼らの街を通り過ぎると、あまりに寂しく響く。夜に寝床で一人の男が歩くのを聞けば、太陽が昇る前に、必ず自問する。この泥棒はどこへ行くのかと。
人間のもとへ行くな、森にとどまれ。むしろ獣のもとへ行け。おまえはなぜ私のように——熊の群れの中の熊、鳥の群れの中の鳥になろうとしないのか。」
「聖者は森で何をしているのか。」ツァラトゥストラは尋ねた。
聖者は答えた。「私は歌を作り、そして歌う。歌を作れば、私は笑い、泣き、そして呟く。こうして私は神を讃える。
歌い、笑い、泣き、呟いて、私は神を讃える、わが神を。しかしおまえは我々に何を贈り物としてくれるのか。」
ツァラトゥストラはこの言葉を聞いて、聖者に礼をし、そして言った。「おまえたちに何を差し上げられよう。ただ早く行かせてくれ、おまえたちからただ一つの無を持ち去るだけだから。」——そして二人は別れた、一人の老人と一人の男とが、二人の子供のように笑いながら。
ツァラトゥストラがひとりになったとき、彼は心にこう語った。「こんなことがあり得るだろうか。この老聖者は森の中で、まだこのことを聞いていないのだ——神は死んだということを!」
三
ツァラトゥストラが森に隣接する最も近い市場の町に来たとき、多くの群衆が市場に集まっているのを見た。それは告知があって、皆が綱渡り師を見ようとしていたからである。そこでツァラトゥストラはこう語った。
我はおまえたちに超人を教える。人間は超克されるべきものだ。おまえたちは人間を超克するために、これまで何をしたか。
すべてのものはこれまで自己を超える何かを生み出してきた。しかるにおまえたちはこの大いなる潮の退潮となり、人間を超えるよりもむしろ獣に帰ろうとするのか。
猿は人間にとって何であるか。一つの笑いか、痛ましい恥辱にすぎない。人間も超人にとってはまさにそうだ。一つの笑いか、痛ましい恥辱にすぎない。
おまえたちは虫けらから人間への道を歩んできた。おまえたちの中にはなお多くの部分が虫けらだ。かつておまえたちは猿であった。そして今もなお人間は、どの猿よりもいっそう猿なのだ。
おまえたちの中で最も賢い者ですら、草木と幽霊の不調和な混合物にすぎない。だが私はおまえたちに草木や幽霊になれと教えるだろうか。
見よ、我はおまえたちに超人を教える。
超人は大地の意義である。おまえたちの意志よ、こう言え——超人こそ大地の意義でなければならぬと。
我はおまえたちに懇願する、わが兄弟たちよ、大地に忠実であれ。そして超世間的な望みを語る者を信ずるな。それは毒を盛る者だ、故意であろうとなかろうと。
それは生命の侮蔑者であり、腐蝕者であり、自ら毒に冒された者だ。大地もまたこれらの者に倦んだ。彼らは去るべきである。
かつて神への冒瀆は最大の冒瀆であった。しかし神は死んだ。この冒瀆もともに死んだ。いま最も恐るべきは大地への冒瀆であり、そして探究し得ぬものの内臓を大地の意義よりも尊重することである。
かつて魂は肉体を傲然と見下した。その時この侮蔑は最高のものとされた——魂は肉体を痩せ衰え、恐ろしく、飢えたものにしようとした。こうすれば肉体と大地から脱れられると思ったのだ。
ああ、この魂こそが痩せ衰え、恐ろしく、飢えたものであったのだ。残酷こそがこの魂の歓びであった。
しかしおまえたち、わが兄弟たちよ、私に言え。おまえたちの肉体はおまえたちの魂について何と語るか。おまえたちの魂は貧困と汚穢と哀れなる自足ではないのか。
まことに、人間は汚濁の流れである。人間はすでに海でなければならぬ。この汚濁の流れを受け入れて、なお穢れぬ海でなければならぬ。
見よ、我はおまえたちに超人を教える。これこそが海であり、この海の中にこそおまえたちの大いなる侮蔑は溶け入ることができるのだ。
おまえたちが体験し得る最も偉大なるもの、それは大いなる侮蔑の時である。その時おまえたちの幸福のみならず、おまえたちの理性も道徳も厭わしくなる。
その時おまえたちは言う。「わが幸福に何があるか。それはただ貧困と汚穢と哀れなる自足にすぎぬ。しかしわが幸福こそ存在そのものを正当化すべきなのだ。」
その時おまえたちは言う。「わが理性に何があるか。それは獅子が食物を追うように智識を追い求めるか。それもただ貧困と汚穢と哀れなる自足にすぎぬ。」
その時おまえたちは言う。「わが道徳に何があるか。それはまだ私を猛烈にしたことがない。わが善とわが悪に倦み果てた。すべてがただ貧困と汚穢と哀れなる自足にすぎぬ。」
その時おまえたちは言う。「わが正義に何があるか。私は自分が猛火と炭であるとは思えない。しかし正義とは猛火と炭なのだ。」
その時おまえたちは言う。「わが同情に何があるか。同情とは人間を愛する者が釘付けにされる十字架ではないか。しかしわが同情は磔刑ではない。」
おまえたちはこのように語ったか。このように叫んだか。ああ、おまえたちがこのように叫ぶのを聞きたかった。
おまえたちの罪がではなく——おまえたちの自己満足が天に向かって叫ぶのだ。おまえたちの罪におけるおまえたちの吝嗇が天に向かって叫ぶのだ。
おまえたちを舌先で舐める稲妻はどこにあるか。おまえたちに種えつけられるべき狂気はどこにあるか。
見よ、我はおまえたちに超人を教える。これこそがこの稲妻であり、これこそがこの狂気なのだ——
ツァラトゥストラがこう語り終えたとき、群衆の中からひとりが叫んだ、「綱渡り師の話はもう十分だ。さあ見せてくれ!」そこで群衆はみなツァラトゥストラを笑った。しかしかの綱渡り師は、この言葉が自分に向けられたと思い、その技を始めた。
四
しかしツァラトゥストラは群衆を注視して驚いた。そして彼はこう語った。
「人間は一本の綱である。獣と超人との間に張られた綱——深淵の上に横たわる綱である。
渡ることは危険であり、途上にあることも危険であり、振り返ることも危険であり、慄きつつ立ち止まることも危険である。
人間に偉大なるものがあるとすれば、それは人間が橋であって目的ではないということだ。人間に愛すべきものがあるとすれば、それは人間が過渡であり沈落であるということだ。
我は愛する、沈落する者として以外に生きることを欲せぬ者を。それもまた過渡する者だからだ。
我は大いなる侮蔑者を愛する。なぜなら彼は大いなる崇拝者であり、彼岸への熱望の矢だからだ。
我は愛する、星の彼方にまず根拠を求めて沈み犠牲となるのではなく、大地のために犠牲となる者を。大地がいつの日か超人のものとなるためにのみ。
我は愛する、認識のためにのみ生き、超人がいつか来たるべきがために認識せんとする者を。かくして彼は自らの沈落を欲するのだ。
我は愛する、超人のために家を建て、超人のために大地と動物と植物を準備し、そのために労働し発明する者を。かくして彼は自らの沈落を欲するのだ。
我は愛する、自らの徳を愛する者を。なぜなら徳は沈落への意志であり、熱望の矢だからだ。
我は愛する、自らの精神を一点も留保せず、精神のすべてを自らの徳のものとする者を。かくして彼は精神として橋を渡るのだ。
我は愛する、自らの徳から自らの気質と運命を作り出す者を。かくして彼は自らの徳のために生きるか、もはや生きないかを欲するのだ。
我は愛する、あまりに多くの徳を欲せぬ者を。一つの徳は二つよりも多い。なぜならそこには運命がぶら下がる結び目がより多くあるからだ。
我は愛する、精神の浪費に感謝せず報いもせぬ者を。彼はただ贈与し、自らを蓄えることを欲せぬからだ。
我は愛する、賽が自分に有利に転がれば恥じ入り、「私は詐欺的な賭博師ではないか」と問う者を。彼は自ら滅びようと欲するからだ。
我は愛する、行為の前に金言を撒き、約束したよりもつねに多く果たす者を。彼は自らの沈落を欲するからだ。
我は愛する、未来を正し過去を償う者を。彼は現在のゆえに滅びようと欲するからだ。
我は愛する、自らの神を罰する者を。自らの神を愛するがゆえに。彼は自らの神の怒りのために滅びねばならぬからだ。
我は愛する、傷ついてもなお魂が深く、些事のためにも滅び得る者を。かくして彼は喜んで橋を渡るのだ。
第4節
我は愛する、魂が充ち満ちて自己を忘れ、一切のものが彼のうちにある者を。かくして一切のものが彼の沈落となるのだ。
我は愛する、自由なる精神と自由なる心の者を。かくして彼の頭はただ彼の心の臓腑にすぎず、しかし彼の心は彼を沈落へと駆り立てるのだ。
我は愛する、人間の上に懸かる暗雲から重い水滴のように一滴ずつ落ちるすべての者を。彼は告げ知らせる、稲妻が来ると。そして告知者として滅びゆくのだ。
見よ、我は稲妻の告知者であり、雲から来たる重い一滴だ。しかしこの稲妻こそ超人と名づけられる——
五
ツァラトゥストラがこう語り終えたとき、ふたたび群衆を眺めて沈黙した。「彼らはここに立っている」と彼は心に語った、「彼らはここに立って笑っている。彼らは私を理解しない。私はこれらの耳に合う口ではないのだ。
彼らに対してまず耳を打ち砕き、眼で聴くことを学ばせねばならぬのか。太鼓や辻説法師のように騒ぎ立てねばならぬのか。それとも彼らはただ口をもぐもぐさせる者しか信じないのか。
彼らには何か誇るべきものがある。それを誇らしめるもの、何と呼ばれるか。教養と呼ばれる。それが彼らを牧羊児に勝たせる。
ゆえに彼らは自分への『侮蔑』という言葉を聞くことを好まない。ならば彼らの誇りに向かって語ろう。
ならば最も侮蔑すべきことを彼らに語ろう。それは末人のことだ。」
そこでツァラトゥストラは群衆にこう語った。
もはやその時だ。人間が自ら自己の目的を立てるべき時だ。もはやその時だ。人間がその最高の希望の萌芽を蒔くべき時だ。
おまえたちの土壌はまだ肥沃だ。しかしおまえたちの土壌もやがて痩せ衰え、もはやそこからは高い木は育たぬだろう。
ああ、この時が来るだろう。人間がもはや自分の上に熱望の矢を放つことなく、弓の弦もまた鳴ることを忘れた時が。
我はおまえたちに言う。人間は一つの踊る星を生み出すために、自らの内に混沌を持たねばならぬ。我はおまえたちに言う。おまえたちの内にはまだ混沌がある。
第5節
一九二五年
詩歌の敵
おとといの前のおとといに十度目の「詩児」との会見で、話の中で『文学週刊』に何か投稿してはどうかということになった。ひそかに思うに、もし文芸において詩歌・小説・評論のごとき偉大なる尊称でなければ、多少なりとも体裁を繕い尊称に相応しくせねばならないが、何気ない雑感の類に近いものならば、さぞ容易かろうと、ただちに承知した。その後二日遊んで、ただ粟を食むのみ。今夜ようやく机の前に座り、書く準備をしたが、案に相違して題目さえ思いつかない。筆を執って四方を見渡せば、右に一つの本棚、左に一つの衣装箱、前は壁、後ろも壁。いずれもいささかの霊感を与えてくれる気配がない。ここに至りて初めて知った——大難がすでに頭上に迫っていたのだと。
幸い「詩児」から連想して詩に至ったが、不幸にも私は詩についてはまったくの門外漢であり、何か「義法」めいたことを講じようものなら、「魯般の門前で大斧を振り回す」の謗りを免れまい。思い出すに、以前一人の留学生に会ったことがある。大いに学問があるとのことであった。彼は我々に好んで洋語を話し、私をして何が何やらわからしめたが、しかし洋人に会うと常に中国語を話した。この記憶がふと一つの啓示を与えてくれた。私は『文学週刊』で拳闘について論じようと思い立った。詩については? 将来拳法の師匠に会ったときに改めて講じよう。しかし少し躊躇しているうちに、より妥当な思いつきが浮かんだ。かつて『学灯』——上海出版の『学灯』ではない——に載っていた春日一郎の文章を想起したのだ。そこでその題目をそのまま書き写した。『詩歌の敵』と。
あの文章の冒頭にはこうある。いかなる時代にも常に「反詩歌党」がいる。この一党を構成する分子は、一、想像力にのみ訴えかけるある種の芸術の魅力を感じるには、精神の烈しい拡張が最も肝要であるのに、すでにまったく拡張し得なくなった頑固なる知性主義者。二、自らかつて媚態をもって芸術の女神に身を捧げたが、ついに成功せず、一変して詩人を攻撃し報復を図る著作者。三、詩歌の熱烈なる感情の奔出は社会の道徳と平和を危うくすると考える、宗教的精神を懐いた人々。しかしこれは当然のこと——
第6節
王鋳。
(一九二五年一月十三日『京報副刊』所載。)
「忽然想到」附記
私は一介の講師であり、教授にやや近い。江震亜先生の主張によれば、署名すべきでないようだ。しかし私もかつていくつかの偽名を使って文章を発表したことがあり、後に責任回避だと詰責された。しかもこの度はいくらか攻撃的な態度を帯びているので、結局署名した。ただし署名したのも本名ではない。しかし本名に近く、やはり講師の馬脚が露れる弊病があるが、致し方ない、こうするほかあるまい。また紛糾を避けるために一言声明しておかねばならない。すなわち、私が指摘した中国の古今の人物は一部分であり、他の多くの立派な古今の人物は含まれていない。しかしこう言ってしまうと、私の雑感はまことに最も無聊なものとなってしまう。あらゆる方面に配慮しようとすれば、このように自らを無価値なものに変えてしまうことができるのだ。
(一月十五日。)
(一九二五年一月十六日『京報副刊』所載。)
咬嚼の余
(原文は『集外集』に見ゆ。ここでは省略す。)
【備考】
「無聊の通信」
伏園先生。
先生が「青年愛読書十部」の募集広告を出されて以来、『京報副刊』にはこの類の無聊な通信が多く掲載されております。たとえば「青年婦女は『青年』に数えられるか否か」の類です。このように無聊な文章、このように単純な頭脳に、掲載の価値があるでしょうか。それに加えて、おとといの副刊には魯迅先生の『咬文嚼字』なる一文が載っていましたが、これもまた最も無聊な類であり、掲載の必要はありません。『京報副刊』の紙面は限られております。先生、それを大切にしてください。もっと価値ある文章を多く載せてください。募集の用紙を同封いたしますので、ご査収ください。
十三、仲潜。
第7節
魯迅先生のあの『咬文嚼字』は、すでに二人の「潜」の字輩の先生が読んで不服としている。私は青年の中にもこの種の意見がまだ多いだろうと推察する。ならばこの文章は「陳腐な調子」ではないことがわかるだろう。あなたも言えるし、私も言える。私が言えばあなたも同意し、あなたが言えば彼もこれは言うまでもないと言う——それが陳腐な調子というものだ。魯迅先生のあの二つの主張は、真新しい頭脳を持つ青年界においてすら——
第8節
ははは! わかった。魯迅先生はダーウィンやラッセル等の外国の書を読んで、梁啓超や胡適之等の中国の書を忘れてしまったのだ。さもなくば、なぜ中国の書は死んだものだなどと言うのか。もし中国の書が死んだものならば、なぜ老子・孔子・孟子・荀子の輩は、なおその著作を現在まで遺伝させているのか。
おい! 魯迅先生!
第9節
よろしい、魯迅先生は青年に中国の書を読むなと教えながら、青年に外国の書を読めとも教えている。魯迅先生が最も推尊する外国の書は、当然ながら人々の行為の模範でもある。外国の書を読んでから事を為せば、当然のこと胸に墨なきにあらず、学なく術なきにあらず。ただし魯迅先生に知っていただきたいのは、一国には一国の国情があり、一国には一国の歴史があるということだ。あなたは中国人であり、中国のために事を為そうとしているならば——
第10節
「『晨報』二十日掲載の開封の軍人が鉄塔で女学生を凌辱したという件について、以下の二事をもってそれがまったくの虚構であることを証明できる。
一、鉄塔は城の北に位置し、中州大学および省会から一里にも満たず、女学生が登臨するからには、まったくの荒僻の地ではない。軍人が婦女を凌辱することは、わが国では本来よくあることであり、諱む必要はないが、決して——
第11節
今や謡言はすでに過ぎ去り、誰もが謡言の起源を追究している。二つの説がある。一つは軍界への憎しみから起こったというものだ。あの手紙を書いた私の師もまたその手紙の中でこう言っている。
「近月来、開封にはたびたび根も葉もない謡言が起こっているが、その共通点を求めれば、いずれも軍に不利な——
第12節
先生、私は自分がどれほど煩悶せる青年であるか、どれほど孤独で苦しいか、などとは申しません。こうした無聊な形容詞は人の注意を引くどころか、かえって嫌悪を生むだけですから。私が切に先生にお伝えしたいのは、私はいま一人の導師を探しているということです。私が言う導師とは、毎日書物を講じて聞かせ、道徳……等を指し示してくれる人のことではなく、真実の人生観を与えてくれる人を探しているのです——
第13節
第七節 ツァラトゥストラは、自らが群衆とあまりにも隔たりのあることを悟る。
第14節
第八節 ツァラトゥストラは道化師に脅され、墓掘り人に嘲罵され、隠者に怨望される。墓掘り人(Totengräber)とは死体を埋葬する専門の人であり、劣悪な歴史家を指す。彼らは古いものを整理することしか知らず、未来への眼識を持たない。彼はツァラトゥストラを嫌忌するのみならず、綱渡り師をも嫌忌するが、ただ呪うことしかできない。老人もまた一種の信仰者であるが、林中の聖者とは全く異なり、施しをするばかりで生死を顧みない。
第15節
第九節 ツァラトゥストラは新たな真理を得て、生きた仲間を求め、死体を葬り去ろうとする。我(ツァラトゥストラ)の幸福とは創造にほかならない。
第16節
第十節 鷲と蛇がツァラトゥストラを導いて下山を開始させる。鷲と蛇はいずれも象徴である。蛇は聡明を表し、永遠回帰(Ewige Wiederkunft)を表す。鷲は高慢を表し、超人を表す。聡明と高慢が超人であり、愚昧と高慢が群衆である。そしてこの愚昧なる高慢は教養(Bildung)の結果である。
(一九二〇年六月、『新潮』第二巻第五号所載。)
第101節
旧暦の年末はやはり最も年末らしい。村や町は言うまでもなく、空にさえ新年が近づく気配が漂っていた。灰白色の重い夕雲の間から時折閃光が走り、続いて鈍い音がする。竈送りの爆竹である。近くで燃やされたものはいっそう激しく、耳を聾する大音がまだ止まぬうちに、空気にはもう微かな火薬の香りが充満していた。私がこの夜、故郷の魯鎮に帰ったのは、まさにこの時であった。故郷とは言いながら、已に家はなく、ゆえにしばらく魯四老爺の屋敷に身を寄せるしかなかった。彼は私の一族で、私より一世代上、「四叔」と呼ぶべき人物で、理学を講ずる老監生であった。以前と大して変わりはなく、ただ少し老いただけだが、まだ髭は蓄えていなかった。会えばまず挨拶を交わし、挨拶の後には私が「太った」と言い、「太った」と言った後はすかさず新党を大いに罵った。しかし私は知っている。これは遠回しに私を罵っているのではない。彼が罵っているのは依然として康有為なのだ。しかし話はいずれにせよ合うはずもなく、そう長くもしないうちに、私一人が書斎に残されていた。
翌日、私はひどく寝坊し、昼食の後、出かけて幾人かの親族や友人を訪ねた。三日目も同じであった。彼らもまた大して変わりはなく、ただ少し老いただけであった。家々は一様に忙しく、みな「祝福」の準備をしていた。これは魯鎮の年末の大典で、礼を尽くして福の神を迎え、来る年一年の幸運を祈るのである。鶏を殺し、鵝を屠り、豚肉を買い、心を込めて念入りに洗う。女たちの腕は水に浸かって真っ赤になり、中には捻り銀の腕輪をつけたままの者もいた。煮上がると、あちこちに箸を突き刺し、これを「福礼」と称する。五更に並べ、香と蝋燭を点して福の神をお招きし、召し上がっていただくのだが、拝むのは男だけで、拝み終われば当然また爆竹を鳴らす。年々こうして、家々こうして、——福礼と爆竹の類が買える限りは、——今年も当然こうであった。空はますます暗くなり、午後にはとうとう雪が降り出した。雪花は梅花ほどの大きさで、空一面に舞い、煙靄と忙しい気配に混じって、魯鎮を一団の混沌にしてしまった。私が四叔の書斎に戻った時、瓦の棟は已に真っ白で、部屋もいくらか明るく映り、壁に掛かった朱拓の大きな「壽」の字がくっきりと見えた。陳摶老祖の筆という。一方の対聯は已に剥がれ落ち、ゆるく巻かれて長卓の上に置かれており、一方はまだ掛かっていて、「事理通達心気和平」とあった。私はまた退屈しのぎに窓下の文机の上を繰ってみたが、見えたのは一揃い揃っているとも思えぬ『康煕字典』、一部の『近思録集注』、そして一部の『四書衬』だけだった。いずれにせよ、明日は断じて発つことにしよう。
しかも、昨日祥林嫂に出会ったことを思うと、なおさら安んじていられなかった。あれは午後のことで、鎮の東のはずれにいる友人を訪ねた帰り、河辺で彼女に出会った。しかもその見開いた目の視線から、明らかに私の方へ歩いて来るのだと分かった。この度、魯鎮で見かけた人々の中で、変わり様の甚だしさにおいて彼女に過ぐるものはなかった。五年前の白髪交じりの髪は、今では全くの白髪となり、四十前後とはとても見えなかった。顔は痩せこけ、黄ばんで黒ずみ、以前の悲哀の色さえ消え果てて、まるで木彫りのようであった。ただあの眼球が時折くるりと動くのだけが、彼女がまだ生き物であることを示していた。片手に竹籠を提げ、中に破れた碗が一つ、空であった。もう一方の手で、彼女よりも長い竹の杖をつき、下の端は裂けていた。彼女は明らかに、もはや純然たる乞食であった。
第102節
私は立ち止まって、彼女が金を無心に来るのに備えた。
「お帰りですか?」彼女はまずこう尋ねた。
「ええ。」
「ちょうどよかった。あなたは字が読めるし、外にも出ている方だから、見聞も広い。ちょうどお聞きしたいことがあるんです——」彼女の精気のない目が突然輝いた。
彼女がこのようなことを言い出そうとは、全く予想もしなかった。私は驚いて佇んでいた。
「つまり——」彼女は二歩近づき、声を落として、甚だ秘密めいた様子でせわしなく言った。「人が死んだ後、いったい魂というものはあるんでしょうか、ないんでしょうか?」
私はぎくりとした。彼女の目が私を釘付けにしているのを見て、背中にも芒の刺が突き立ったようで、学校で不意打ちの試験に遭い、しかも教師がすぐ傍に立っている時よりも、遥かに狼狽した。魂の有無について、私自身はもとより毫も介意したことがない。しかしこの時、彼女にどう答えたものか。極めて短い躊躇の中で考えた。ここの人々は通例、鬼を信じている。しかし彼女は疑っている、——いや、あるいは希望していると言った方がよい。その有ることを希望し、また無きことを希望している……。窮途の人の苦悩をわざわざ増すこともあるまい。彼女のためを思えば、あると言った方がよい。
「たぶんあるでしょう、——と思います。」私はしどろもどろに言った。
「では、地獄もあるんですか?」
「ああ! 地獄?」私はひどく驚き、しどろもどろに言うしかなかった。「地獄?——道理から言えば、あるはずですが。——しかし必ずしも、……誰がそんなことを……。」
「では、死んだ一家の者は、みな会えるんですか?」
「ああ、会えるか会えないか……」この時、私は自分がやはりまるきり愚か者であると悟った。どんな躊躇も、どんな計略も、三つの問いには太刀打ちできない。私はたちまち怯んで、先ほどの言葉を全部ひっくり返したくなった。「それは……実のところ、私にはよく分かりません……。そもそも、魂があるかないか、私にも分からないのです。」
彼女がこれ以上矢継ぎ早に問わぬうちに、私は足を速めて立ち去り、慌てて四叔の家に逃げ帰った。心中甚だ穏やかではなかった。自分で思った、この答えは彼女にとっていくらか危険かもしれない、と。彼女はおそらく、他の人々の祝福の時に、わが身の孤独を感じたのだろう。しかし他に何か含意があったのだろうか。——あるいは何かの予感があったのか。もし他の含意があり、そのために何か別のことが起こったならば、私の答えにはいくばくかの責任がある……。しかし後からまた自嘲した。偶然の出来事に深い意味などあるものか、殊更に穿鑿するのは、教育者が神経症だと言うのも無理はない。しかも明らかに「よく分かりません」と言ったのだから、答えの全体を已に覆したのであり、たとえ何が起ころうと、私には無関係なのだ。
「分かりません」とは極めて有用な言葉である。世知らずの勇敢な若者は、しばしば敢えて人に疑問を解いてやり、医者を選んでやり、万一結果が悪ければ、かえって恨みの的となる。しかしこの「分かりません」で結べば、万事安泰である。私はこの時、この一言の必要をいよいよ痛感した。たとえ物乞いの女と話す時でも、万万省いてはならぬのだ。
しかし私はどうしても不安で、一夜を過ごしてもなお時々思い出した。何か不吉な予感を抱いているかのように。陰鬱な雪の日に、退屈な書斎にあって、この不安はいよいよ強まった。いっそ出発しよう、明日は城に入ろう。福興楼の清燉魚翅は一元で一大皿、安くて旨いが、今は値上がりしたかどうか。昔ともに遊んだ友人たちは已に散り散りになったが、魚翅は食べないわけにはいかぬ。たとえ私一人であっても……。いずれにせよ、明日は断じて発つことにしよう。
私はいつも、但願くは予想通りでなかれと思い、まさか予想通りではあるまいと思ったことが、往々にしてまさに予想通りになるのを見てきたから、今度もそうなるのではないかと恐れた。果たして、特別な事態が始まった。夕方、私は奥の部屋で何人かが話し合っているのを聞いた。何かを議論しているようだったが、やがて話し声は止み、ただ四叔が歩きながら声高に言うのだけが聞こえた。
「早くもなく遅くもなく、よりによってこの時に、——こういうのを謬種と言うのだ!」
私は初め訝り、次いで甚だ不安になった。この言葉は私に関係があるように思えた。戸口の外を窺ったが、誰もいなかった。ようやく夕食前に彼らの下男が茶を淹れに来た時、ようやく消息を聞き出す機会を得た。
「先ほど、四老爺は誰にお怒りだったんですか?」私は尋ねた。
「祥林嫂のことですよ。」下男はぶっきらぼうに言った。
「祥林嫂? どうしたんですか?」私はさらに急いで尋ねた。
「年を取った。」
「死んだんですか?」私の心臓がぎゅっと縮み、ほとんど飛び上がりそうになった。顔色もおそらく変わっただろう。しかし彼は終始顔を上げなかったので、全く気づかなかった。私も自分を落ち着かせ、続けて尋ねた。
「いつ死んだんですか?」
「いつって?——昨夜か、それとも今日かな。——よく分かりません。」
「どうして死んだんですか?」
「どうしてって?——窮死に決まっているじゃないですか。」彼は淡々と答え、やはり顔を上げて私を見ようともせず、出て行った。
第103節
しかし私の驚愕はほんの一時のことにすぎず、すぐに来るべきことはすでに過ぎ去ったと感じ、自分の「わかりません」や彼のいわゆる「貧乏で死んだ」という慰めに頼る必要もなく、心はしだいに軽くなっていった。ただ時折、まだいくらかの負い目を感じるようではあった。夕食が並べられ、四叔がいかめしく付き合った。私も祥林嫂のことをもう少し聞きたかったが、彼は「鬼神とは二気の良能なり」を読んだことがあるとはいえ、忌み事はやはりはなはだ多く、祝福の近づく頃には、死や病のたぐいの話は決して口にしてはならないのだった。やむを得ない場合は、ある種の隠語で代用すべきであるが、あいにく私にはそれがわからず、何度も尋ねようとしては結局やめてしまった。彼のいかめしい顔色から、ふと私が早くもなく遅くもなく、よりによってこの時に来て彼を煩わせるのは、やはり愚か者だと思っているのではないかと疑い、すぐさま明日魯鎮を離れて町へ行くと告げ、早々に彼の心を安めた。彼もさほど引き留めなかった。こうして悶々と一食を終えた。
冬は日が短く、しかも雪の日で、夜の帳はすでに町全体を覆っていた。人々は灯の下で忙しく立ち働いていたが、窓の外はしんと静まり返っていた。雪が厚く積もった雪の褥の上に降りかかり、ささやくような音を立てているようで、いっそう深い静寂を感じさせた。私は菜種油の灯の黄色い光の下に独り座り、思った——この何の楽しみもない祥林嫂は、人々に塵芥の山の中に棄てられた、見飽きられた古い玩具であり、以前はまだその骸を塵芥の中に晒していたが、生きることを楽しんでいる人々から見れば、なぜまだ存在しているのかと怪しまれたことであろう。今やようやく無常に掃除されてすっかりきれいになった。魂があるのかないのか、私にはわからない。しかしこの現世においては、生きる甲斐のない者が生きず、見るに厭う者が見ずに済むならば、人のためにも己のためにも、まあ悪くはないだろう。窓の外のささやくように響く雪の音を静かに聞きながら考えていると、かえってしだいに心安らかになってくるのだった。
しかし以前見聞きした彼女の半生の断片的な出来事が、ここに至ってひとつに繋がったのだった。
第104節
彼女は魯鎮の人ではなかった。ある年の初冬、四叔の家で女中を替えることになり、仲介人の衛婆さんが彼女を連れてきた。頭には白い頭巾紐を結び、黒い裙に、藍の袷の上着、月白の胴着を着け、年の頃は二十六、七で、顔色は青黄色だったが、両頬にはまだ赤みがあった。衛婆さんは彼女を祥林嫂と呼び、自分の実家の隣人で、亭主に死なれたので奉公に出たのだと言った。四叔は眉をひそめたが、四嬸はすでにその意を察していた——寡婦であることを嫌がっているのだ。しかし見たところ容貌はまだ整っており、手足もたくましく、ただ目を伏せて一言も口をきかず、いかにも分をわきまえた辛抱強い人のようだったので、四叔の眉のひそめるのには構わず、彼女を留めた。試用期間中、彼女は一日中働き、暇でいると退屈してならないようで、しかも力があり、一人でまるきり男一人分の仕事をこなしたので、三日目には正式に決まり、月の給金は五百文であった。
誰もが彼女を祥林嫂と呼んだ。姓は何かと訊ねる者もなかったが、仲介人は衛家山の人で、隣人だというのだから、おそらく衛姓だろう。彼女はあまり話すのが好きでなく、人に訊かれてやっと答え、答えも少なかった。十数日たってようやく少しずつわかったのは、家にはまだ厳しい姑がいること、小さな義弟が一人いて、十歳あまりで、もう薪を採れること、彼女は春に亭主に死なれたこと、亭主もまた薪採りを生業とし、彼女より十歳若かったこと——皆が知っているのはこれだけだった。
日々はたちまち過ぎ、彼女の働きぶりは少しも衰えず、食べ物は何でもよく、力は惜しまなかった。人々は皆、魯四旦那の家の女中は、勤勉な男よりもなお勤勉だと言った。年末になり、煤払い、床洗い、鶏を殺し、鵞鳥をつぶし、徹夜で祝福の供物を煮るのも、すべて一人で引き受け、臨時の手伝いを雇う必要もなかった。それなのに彼女はかえって満足そうで、口元にはしだいに笑みが浮かび、顔も白くふっくらとしてきた。
第105節
私はすぐ近くで激しく鳴り響く爆竹の音に目を覚まし、豆粒ほどの黄色い灯火の光が見え、続いてぱちぱちと鳴る爆竹が聞こえた。四叔の家がまさに「祝福」の最中なのだ。五更が近いと知った。朦朧としたなかで、遠くの爆竹の音が途切れなく連なり、あたかも一天に響きわたる音の濃い雲と化し、くるくると舞い踊る雪花をはさんで、町全体を抱擁しているかのようであった。この盛んな響きの抱擁のなかで、私もまた物憂くそして心地よく、白昼から宵のうちまでの疑念は、祝福の空気にすっかり一掃されて、ただ天地の神々が供え物の犠牲と線香の煙を享けて、みな酔いしれてそぞろ歩きしながら、魯鎮の人々に限りない幸福を授けようとしているのだと感じるばかりであった。
(一九二四年二月七日。)